◎最上三十三観音札所巡り◎


☆最上三十三観音札所巡り Part.01

 平成26年9月30日から10月1日までの二日間、最上三十三観音札所を醍醐寺の伝法学院で修行した仲間たちと巡拝をすることになりました。というのは、庄内三十三観音札所が開創300年を記念して特別ご開帳された平成22年10月18〜19日に巡拝しました。そして、置賜三十三観音札所が初めて連合ご開帳を開催した平成24年9月4〜5日と巡拝したので、山形100観音をすべてお詣りするには最上三十三観音札所ということで、今回の巡拝が決まりました。
 9月30日、朝7時ちょっと前に自宅を出て山形市内の帰命院さんに集まり、朝茶をいただき、午前8時32分に出発しました。今回ですべて回るのは難しいということで、できるだけゆっくりと各札所を巡拝し、お経を唱えることにしました。
 まず最初は、第8番札所の六椹(むつくぬぎ)観音です。素直に読めば、「椹」は「サワラ」ですが、サワラはヒノキと同じ仲間です。しかし、クヌギはブナ科コナラ属で、まったく形態も違います。寺伝によると、源頼朝が奥州の安倍一族を討伐すべく、戦勝祈願してここに6本の椹(くぬぎ)を植え、その中央にお堂を建てて観音さまをおまつりしたのが始まりとされているようです。その祈願で陸奥の国が平定されたので、「陸奥苦抜」が「六椹」となったと言われています。とはいえ、なぜ、椹をクヌギと読むのかという説明はありませんでした。
 観音堂の手前には、正一位六椹稲荷大明神が祀られ、そのまま進むと庫裡がありご朱印所になっています。
 ちょうど先にお詣りをされている方がおられたので、少し待っていました。ここは町中のお堂なので、お詣りの方も多そうです。
 私たちは観音堂に入り、ここが今回の三十三観音札所巡りの最初なので、ゆっくりとお経を唱えさせていただきました。ご本尊は聖観世音で、勢至菩薩もまつられていて、ともに行基菩薩の自作と伝えられているそうです。案内板には「得大勢至菩薩」とあり、午年の守り本尊です。また、十三仏の1周忌ご本尊でもあります。
 そういえば、この観音堂の近くに、真新しい明王殿があり、山形十三仏の第1番札所になっていました。そのお堂の左側奥に、これも真新しい不動尊石像が建てられていて、その前には護摩を焚くようにつくられたような石組の炉がありました。
 次は、第5番札所の唐松観音で、ここを出発したのは午前8時58分でした。

 第8番札所 六椹山宗福院 (天台宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 おもくとも いつつのつみは よもあらじ むつのくぬぎに まゐるみなれば



☆最上三十三観音札所巡り Part.02

 第5番札所唐松観音は、山形と仙台を結ぶ国道286号線沿いにありますが、今は山形自動車道を通ることが多く、久しぶりにその道に入りました。ちょうど、馬見ケ崎川の右岸の山の中腹にあります。
 ここの駐車場に着いたのは午前9時14分で、すぐ近くではいつでも芋煮会ができるような施設がありました。しかも、その駐車場には、山形の秋の風物詩である 「日本一の芋煮会フェスティバル」で使っていた大鍋も展示されていて、その鍋のツルの間に見える唐松観音もおもしろいものです。唐松観音堂そのものは小さいのですが、山の中腹にある朱塗りのお堂が遠くからでも目を引きます。
 その駐車場から、橋を渡り、少し参道を上ると、清水の舞台のような唐松観音堂が見えてきます。下から見上げると、その舞台を支える木組みがとても大きく見えます。
 現在のお堂は信者さんの浄財で昭和51年5月に新しく建て直されたもので、いっしょにお詣りしたなかに、この落慶式に出席したという方もおられ、いろいろと詳しい話しを伺うことができました。お堂間近になると、木の階段があり、そこを上りきるとすぐにお堂です。
 ご本尊さまは聖観音で、弘法大師のお作と伝えられているそうです。ということは、今は曹洞宗ですが、以前は真言宗だったのではと思います。
 お詣りをすませ、ここから山形市内を眺めると、まさに一幅の絵のような感じがします。天気も良かったので、その涼しげな風もとても気持ち良く、夏の暑い時にでも、ここでお詣りをし、本でも読んでいれば、さぞや心地よいのではないかと思いました。
 ゆっくりと観音堂から下り、駐車場に戻り、ご朱印所のあるところまで5分ほどで着きました。そこには古いお堂も残されていましたが、今では物置になっていて、ちょっと寂しい思いがしました。
 次は、第6番札所の平清水観音です。ここのご朱印所を出発したのは午前9時53分でした。

 第5番札所 唐松山護国寺 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 みなかみは いづくなるらん からまつの かぜにおとある やまかわのみづ



☆最上三十三観音札所巡り Part.03

 第6番札所の平清水観音は、焼き物の里として有名な平清水にあります。ここには、陶芸体験などのために来たこともあり、懐かしく思いました。たしか、湯飲みを作ったような記憶がありますが、30数年前のことで、土地勘はほとんどありませんでした。それこそ、ナビでもなければ、来られそうもありません。
 耕龍寺の山門近くに車を駐め、そこから歩きましたが、ご朱印をお寺でいただいた方に伺うと、お堂のすぐ近くまで車で行けるということでした。
 でも、せっかくのお詣りですから、正式に山門から入り、本堂の右側から墓地のなかを通り、その先に見える観音堂を目指して、歩きました。
 観音堂近くなると、石段になり、そこを上ると、お堂です。
 寺伝によりますと、後冷泉天皇(1045〜68)の時代に源頼義が奥羽の安倍貞任一族と戦い、その戦勝を京都の清水観音に祈願したそうです。その戦いに勝ち、帰る途中で京都の音羽の滝に似た平清水に、京都清水寺より春日の作と伝える十一面観世音を勧請して安置したのがはじまりだそうです。
 そういえば、千歳山から流れ出る川が耕龍寺のわきを流れているそうで、今のように家並がないときには、平らな清水の風景に似ていたのかもしれません。だからなのか、平清水焼も清水焼にどこか似通ったところも感じられます。
 最上三十三観音札所は、どこも堂内に入り、ゆっくりお詣りできるのも特徴の一つです。だから、1ヶ所1ヶ所、すべて堂内に入り、ご法楽を捧げました。もちろん、ここでもそうで、ゆっくりとお経を唱え、真言を唱え、すべての人たちの安楽を祈りました。
 帰りは、せっかく平清水に来たので焼き物でも買おうと思ったのですが、まだここで3ヶ所しか巡拝していません。そこで仕方なく、先を急ぐことにしました。
 次は、第7番札所の岩波観音で、ここを出発したのは午前10時25分でした。

 第6番札所 清水山耕龍寺 (曹洞宗) 本尊さま 十一面観世音菩薩
 ご詠歌 ひがしやま ながれはおなじ ひらしみず むすぶこころは すずしかるらん



☆最上三十三観音札所巡り Part.04

 第7番札所岩波観音は、平清水観音からほど近い山形市岩波にあり、ここへは約5〜6分で着きました。ここは西蔵王高原へ向かう途中にあります。
 第19番札所の笹野観音に向かう道筋を右折し、少し上ると駐車場があります。そこに車を駐め、すぐわきの石段を上ります。
 石の鳥居前の石段のところに、車を数台置ける駐車場があり、そこに駐めて歩きました。石段を上り、鳥居をくぐり、さらに石畳の参道を歩きます。左手には墓地があり、右手は杉林になっています。
 寺の案内によると、「ここ岩波という地名は前を流れる瀧山(りゅうざん)の流れが、岩に当たって白い波を立てているというところから、石行寺という名前は、石を踏みながら河原道を行くというところからつけられた」とあり、たしかにそのような道のようでした。
 そして、観音堂間近にまた石段があり、そこを上ると両側に石の灯籠があり、その正面に観音堂があります。このお堂は、「阿彌陀堂造り」で、県指定文化財になっているそうで
 ご本尊の十一面観音さまは行基菩薩の作と伝えられていて、七尺三寸の大きさだそうです。そして、この観音さまを彫刻するための木を見つけたところが元木いい、今でも地名にその名が残っています。
 お堂でゆっくりとお詣りし、帰りにはその左手前にある地蔵さまにもご法楽を捧げました。この地蔵さまは、耳の病いにご利益があるそうで、今はまだなんとか普通に聞こえますが、何時何時聞きにくくなるかわからないものです。これはある程度年を重ねれば仕方のないことですが、少しでも普通に聞こえたり、見えたりしてほしいと願いました。
 このお地蔵さまも行基菩薩のお彫になったお姿だそうで、身の丈1尺ほどだそうです。
 ご住職にご朱印をいただき、次は、第9番札所の松尾山観音を目指します。
 ここを出発したのは、時計を見ると午前10時54分でした。

 第7番札所 新福山石行寺 (天台宗) 本尊さま 十一面観世音菩薩
 ご詠歌 みなひとの あゆみをはこぶ いわなみの ちかいはつきじ こけのむすまで



☆最上三十三観音札所巡り Part.05

 第9番札所松尾山観音は、全国的にも有名な蔵王の玄関口にあたる蔵王半郷にあります。岩波観音から、いったん国道13号線に戻り、途中から旧国道沿いに走り、左折して蔵王方面に向かいます。
 右にゆったりと曲がる道の左手に参道があり、そのままそこを車で入れます。すぐに小さな橋があり、大きな車だとその手前に駐めるしかありません。そこに鳥居と石段がありますが、そこを車でもう少し上ると駐車場があります。そこに着いたのは、午前11時8分でした。
 お堂の手前に、石の形だけの橋があり、そこを渡り近づくと、立派な萱葺屋根のお堂があります。案内には、このお堂は「国重要文化財」とあり、昭和61年12月20日に指定されたそうです。ちなみに、ご本尊の観世音菩薩と勢至菩薩も県有形文化財です。
 観音堂のなかに入り、ご法楽を捧げ、出てくると、他の参拝者も見えられました。境内地には、カツラやサクラの巨木もあり、古くからの信仰の地であることを示しています。
 いくら案内板に詳しく書いても、樹木やこけの生えた岩などには無言の説得があります。物言わぬものにこそ、ほんとうのことがありそうです。
 この松尾山観音さまをお詣りし、いろいろなことを考えました。そして、参道を下り、入り口にあるご朱印所で書いていただき、ここを後にしました。
 次は第11番札所高松観音です。ここからは15分ほどかかるそうです。

 第9番札所 金峰山松尾院 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 このかみは いくよへぬらん たよりおば ちとせをここに まつのをのやま



☆最上三十三観音札所巡り Part.6

 第11番札所高松観音は、上山バイパスができる前の国道13号線はこのすぐ近くを通っていて、車で通るたびにここから上るのだと思っていただけで、一度もお詣りしたことがありませんでした。
 だから、今朝も帰命院さんに行く前にはこの前を通ったので、1人でまわるなら、ここが一番最初だとスムーズに回れます。
 そういえば、よく、テレビなどで「高松観音裸餅つき」が放映されるときに、もしかして米沢市郊外の窪田地区保呂羽堂の裸餅つきとどちらが古いのか、などと考えたこともありますから、今回のお詣りはとても楽しみでした。
 ご朱印所に着いたのが11時47分で、そこに車を駐め、歩きました。石段があり、なかなか急でしたが、近道もあるようで、帰りはお堂の右下から下りました。
 その石段を上りきったところに観音堂はありました。
 観音堂はなんどか火災に遭ったようで、現在のお堂は明治5年9月に再建されたそうで、ご本尊さまもお前仏も火災の厄を免れたといいます。それだけ、ご利益もありそうです。
 なかに入り、お経を唱え、お詣りをさせていただきました。そして、お堂の右側にある大きなワラジに触れ、少しでも足腰が丈夫になるようにと願いを込めました。最近、長く歩くと足腰が痛くなり、つい湿布材に頼ってしまいます。すると孫に、「湿布くさい」と嫌われるので、それも困ります。やはり、足腰から弱くなるといいますが、まさにその通りだと感じています。
 お詣りをすませ、ご朱印所の駐車場に戻り、再び車に乗りました。そして、ここから一番近い第10番札所上の山観音に行くことにしました。
 時計を見ると12時7分で、お昼でした。でも、この時間帯ではどこも混んでいそうなので、まずは次ぎの観音さまにお詣りしてから昼食のことを決めようということになりました。

 第11番札所 高松山光明院 (真言宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 たかまつや やしまのほかの なみまでも しずかなるよに つきはすむなり



☆最上三十三観音札所巡り Part.7

 第10番札所上ノ山観音は、上山温泉街のほぼ真ん中にあり、すぐ近くに商工会の大きな駐車場がありました。受付の顔を出しても、誰もいないので、ここに車を駐めさせてもらい、観音堂に行くことにしました。
 急な石段の手前には公衆浴場「下の大湯」があり、料金表をみると、入浴料大人150円、小学生100円などとあり、聞けば昔は沢庵禅師も入られたという由緒ある浴場でした。
 そこの左手から急な石段を上ると、少し右手に観音堂が見えてきました。でも、なぜ、このような小高いところにあるお寺の山号が「水岸山」というのかと考えていたら、由来には「昔、この山のふもと一帯は、満々とした湖であった所から、水の深い所を「鏡ヶ淵」といい、山号を水岸山と称した」とありました。
 観音堂の手前の水屋で手と口をそそぎ、新たな気持ちで観音堂に入りました。
 観音堂はとても立派で、火災で焼失したお堂が弘化4年(1847)に再建され、現在に至っているそうです。お堂の中には、お前立ち観音さまが鎮座され、その左手には三十三観音像がまつられ、信仰の篤さが感じられます。同じく護摩壇の左手には、「皆人の真心こめし観世音 慈眼の御堂におはす尊さ 南無や三十三の観世音」と書かれた額があり、その両手前には第10番上の山観音のご詠歌の額もありました。
 そして、お堂の右手にはお不動様もまつられていて、不動呪も唱えさせていただきました。
 ここから見る上山は初めてなので、階段に気をつけながら、見渡しながら下ってきました。今度は駐車場に係りの方がいるようで、挨拶をしてから車に乗り込みました。
 時間は、12時33分です。この時間では昼食には一番混む時間帯でさんざん待たされるのではないかと思い、もう一ヶ所お詣りしてから昼食にすることにしました。
 次は第12番札所長谷観音です。旧上山競馬場の裏手をまわり、蔵王の山並みを見ながら進みました。今日はすっきりと見えていました。

 第10番札所 水岸山観音寺 (真言宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 のをもすぎ さとをもゆきて かみのやま てらへまゐるも のちのよのため



☆最上三十三観音札所巡り Part.8

 第12番札所長谷観音に行くには、上ノ山観音からいったん国道458号線に入り、その途中から左折します。それが狭い道なので、なかなかわかりにくく、今回は地元の方もいるので、スムーズに行けました。まず、朱印所である長光院にご朱印をお願いし、また車で長谷観音の駐車場まで行きました。ここからは徒歩で、赤い鳥居をくぐりました。
 この山は標高229mあるそうで、昔、ここに長谷堂城があり、上杉景勝の家臣 直江兼続と最上義光が戦ったところでもあり、NHKの大河テレビドラマにも取りあげられたことがあります。今はそのような血なまぐさい場所の雰囲気はないのですが、参道の道の脇には真っ赤なマンジュシャゲの花が咲いていました。
 ほぼ上りきったところで、右に行くと長谷堂城跡があり、左手に入ると長谷観音のお堂が見えてきました。近くには釣鐘堂もあり、その歴史の古さを感じました。その右手に観音堂がありました。
 観音堂は1848年に火災のため焼失しましたが、観音像だけはその難を逃れ、一時、米沢に移していたそうです。なぜ米沢なのかはわかりませんが、なんとなく親しみがわきました。
 その後、仮のお堂ができたということで、その翌年、ここにまた収まり、そのときの領主、秋元但馬守が深くこの観音を信仰し、そしてお堂を再建したそうです。それが今の観音堂です。
 以前は観音寺が別当をつとめていたそうですが、戦後、現在も長光院が別当をつとめています。
 お堂に入り、ゆっくりとお詣りさせていただきましたが、ここまで上るには大変です。そして、この参道を管理するのも大変ではないかと思いました。どうも、私たちの目は、参拝者の目線というより、そこを管理する別当さんの苦労の方に目が行きがちです。でも、同じ立場の仲間たちとこうして参拝していると、いろいろと教えられることもたくさんあります。
 この最上三十三観音札所を全部まわると、山形百観音をすべてまわることになります。そのときには、どのような感慨が待っているかと想像すると、今から楽しみです。そういえば、そろそろお腹もすいてきました。時計を見ると午後1時20分です。
 それからご朱印所にもう一度まわり、そこで美味しそうなところを聞きました。ところが、地元ということもあり、えこひいきしたくないからか、はっきりは教えてくれませんでした。まずはとりうえず、出発し、三河村観音に向かう途中で食べることにしました。

 第12番札所 長谷山長光院 (真言宗) 本尊さま 十一面観世音菩薩
 ご詠歌 いくたびも まいるこころは はせどうの やまもちかひも ふかくなりけり



☆最上三十三観音札所巡り Part.9

 第13番札所三河村観音へと向かう途中で、いったん国道348号に入り、屋根の上に「生そば」と大きくかかれたところがあり、そこで昼食を食べることにしました。脇道に入り、そこまで行くと「蕎麦茶屋三芳庵よしてい」と書かれた看板がありました。ここに着いたのは午後1時35分です。そして、食べ終わって出てきたのが2時25分でした。
 三河村観音は東村山郡山辺町の三河尻にあり、ここからは国道458号線から山辺に入り県道18号線で少し戻ったところにありました。駐車場に車を駐め、あたりを見渡すと大きなスギの木があり、それが目印にもなります。ここに着いたのは、午後2時45分でした。
 そのスギを目指して歩くと、常福寺本堂のさらに奥のほうに観音堂がありました。
 ここのご本尊さまは、聖観音菩薩で、開創555年記念御開帳まで一度も開帳されたことがないそうです。今年で開創577年になるといわれているので、22年前まではまったくの秘仏というわけです。
 よく秘仏というと、なんかもったいをつけているのではないかと思われがちですが、だからといって、毎日いつでも見れるとわかれば、なぜかお詣りしないようです。平成26年は、山形デスティネーションキャンペーンに併せて「最上三十三観音午年ご縁年観音まつり」が開催され、7つの札所で秘仏の特別公開が実施されましたし、出羽三山でも4月29日から10月31日まで蜂子神社にまつられている「蜂子皇子御尊像」が特別公開されました。いずれも多くの参拝者で賑わったそうですが、人を集めるのが目的ではありません。
 世の中には、見えないからこそ有り難いこともあり、そこに心の絆が結ばれるのです。見えるものだけがいいことではなく、見えないものを想像することだって大切です。見える見えないということだけではなく、感じることも大事なことです。むしろ、感じるときには見えないからこそ感じられるということもあります。このお堂のなかで、このようなことを考えながら、静かにお詣りさせていただきました。
 外に出ると、真っ青な空でした。時間はちょうど午後3時です。
 次は第14番札所岡村観音を目指して、出発しました。

 第13番札所 観音山常福寺 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 いづいるや つきのゆくゑも みかはむら かねのひびきに あくるしののめ



☆最上三十三観音札所巡り Part.10

 第14番札所岡村観音は三河村観音から約15分で着きました。車で行くと道の狭いところもありますが、お堂の付近はどこにでも駐車できそうなぐらい広かったので、一安心でした。
 正面から入ると、まず鳥居があり、その先に6段の石段があり、山門があり、そこを抜けると観音堂です。その左手前に納め札を貼るところがあります。おそらく、昔は直接お堂に貼っていたのでしょうが、それではということで、その後でこのようなところが作られたようです。今では、納め札を納める箱のようなものを設置しているところが多いようですが、これもいいものだと思いました。
 ただ、お堂の前に小僧さんの姿を描いたものがあり、そこに札所名を書いてありましたが、これはちょっとちゃちに見えました。せっかくのお堂なのに、もったいないと思いました。
 案内板をみると、ここの観音さまは、西国三十三観音の第7番岡観音の如意輪観世音菩薩と同じ行基菩薩の作で、しかも同じ木を使って作られたといいます。そういえば、ここのご詠歌も岡寺の「けさ見れば つゆ岡寺の 庭の苔 さながら瑠璃の 光なりけり」の「おかでら」を「おかむら」にかえただけのようです。もしかすると、岡村観音という名前も、岡寺からきたのかもしれない、と思いました。
 昔は、西国三十三観音にお詣りに行きたいと思っても、ほとんどの人が行けなかったようです。あまりにも遠く、あまりにも路銀がかかり、あきらめてしまった人も多かったのではないかと思います。だからこそ、地方にも観音霊場がつくられ、そこにお詣りしながら、遠い西国三十三観音にも思いをはせていたのかもしれません。似ているというのは、ある意味、当然のことです。
 私もお詣りをしながら、自分が西国三十三観音を一人でまわったときのことなどを思い出しました。
 ご朱印所は、少し離れていたので、代表だけそこにご朱印をもらいに行き、他の人たちは、付近の石仏や石塔などをみせてもらいました。
 次は第15番札所落裳観音です。ここは東村山郡中山町ですので、車でも少しはかかりそうです。出発した時間は、午後3時半でした。

 第14番札所 金剛山正法寺 (真言宗) 本尊さま 千手観世音菩薩
 ご詠歌 けさみれば つゆおかむらの にはのこけ さながらるりの ひかりなるらん



☆最上三十三観音札所巡り Part.11

 第15番札所落裳(おとも)観音は寒河江市柴橋にあり、岡村観音から約15分ほどで着きました。意外と順調に進んでいます。
 お詣りしたときの一番の疑問がなぜ落裳(おとも)観音というのかということで、ネットで調べると、「昔、小野小町が京都から東北地方に来て、大沼の浮島を見物していると、突然天女の姿が現れ、紫の雲の間から羽衣をおとした。その羽衣の上には、十一面観音が立っていた。小町は不思議に思い、里の人々を説いてお堂を建てた。そして、自分の持ってきた守護仏の十一面観音を安置し、天女のおとした羽衣を拾い集め、七宝の念珠といっしょに奉納して霊場とした。小野小町が京都から来て観音堂を開き、参詣者が沢山集まってきたところから京集山と呼び、天女が羽衣をおとしたという伝説があるので、地名を落裳と呼ぶようになった。」とありました。
 なるほど、小野川温泉とここと秋田と、小野小町でつながっていたんだと改めて思いました。
 石の鳥居をくぐると、すぐ左手奥にお堂が見えます。参道の左に大きなマツがあり、お堂に奥行きが感じられます。観音堂のすぐ脇に本堂があり、ご朱印はそこでいただけます。まずは観音さまにお詣りし、ふと、ご詠歌を見て気づいたのですが、これは西国三十三観音第11番札所の上醍醐寺の「ぎやくゑんも もらさですくふ ぐわんなれば じゆんていだうは たのもしきかな」の「てい」を「れい」に置き換えただけのようです。私たちは、何度も上醍醐寺までは登っていますから、間違えようがありません。
 でも、ここのご本尊さまは十一面観世音菩薩ですが、上醍醐寺は准胝観世音菩薩です。その違いはあっても、逆縁でさえも漏らさず救ってくださるわけで、有り難いことだと思いながら、両方にご法楽を捧げました。
 ここは小野川温泉ともつながりがあると思いながら、次の第17番札所長登観音に向かいました。
 時間は午後3時53分です。おそらく、近いということなので、15〜6分で着くのではないかと思いました。

 第15番札所 京集山観音寺 (曹洞宗) 本尊さま 十一面観世音菩薩
 ご詠歌 ぎゃくえんも もらさですくふ ぐわんなれば じゅんれいどうは たのもしきかな



☆最上三十三観音札所巡り Part.12

 第17番札所長登観音は西村山郡西川町にあります。ここに行くには、六十里街道を進むのですが、今では国道112号線月山道といったほうが通りが良さそうです。
 それを進むと、バイパスではなく旧道に入るとすぐに右手に長登寺の駐車場があります。先に、そこでご朱印帳を預け、お寺の庭をめぐりながら、いったん塀の外に出ます。
 この庭は、いろいろな植物が植えられていて、楽しくなります。入ってすぐのところには、ハギやクジャクソウが真っ盛りに咲いていましたし、本堂の前には、リンゴの「紅玉」の古木がありました。実はちょっと小ぶりですが、紅玉らしい色をしていました。また、山野草などもたくさん植えられていて、花時にはとてもきれいだろうな、と思いました。
 ここを出ると、すぐに山道で、少し歩くと、左手に長い石段が見えてきます。下から見上げると、40〜50段はありそうです。それでも、手すりがあるので、ゆっくりと登っていきました。もしかすると、これが長登観音の由来かもしれません。
 その長い石段を上りきると、そこに観音堂がありました。
 まず、右手のお灯明をつけるところで点火し、それからお堂の中に入りました。中央には十一面観音さま、そして右手には弘法大師像、左手には阿弥陀如来像がまつられています。その前に座り、すべてにご法楽をささげました。
 ゆっくりとお詣りし、それから壁面を見ると、たくさんの絵馬が奉納されていました。その多くはムカサリ絵馬で、このあたりの村山地方にとくに残されています。軍服を着ている婿さんは、おそらく、戦争などで若くして命を亡くし、親たちが不憫で架空の花嫁さんと婚儀をあげている様子です。あるいは、病気や事故などの場合もあったでしょう。いつの世も、子を思う親たちの切なる願いがこのようなかたちで伝わってきたのだと思います。それが観音堂だからこそ、そのお慈悲にすがったのかもしれません。
 お堂の中は少し薄暗いので、それで色も褪めず、しっかりと残ったのでしょう。でもなかには湿気で、少し傷んだものもあり、早く補修でもしてほしいな、と思いながら、お堂を出てきました。
 また、あの長い石段を下り、長登寺でご朱印帳をいただき、車に戻りました。もう午後4時半です。今日は9月30日ですでに夕陽は落ちています。ここから、次の第16番長岡観音に連絡すると、快く、お堂を開けておきますといわれ、安心して出発しました。
 やはり、秋の夕方はあっという間です。

 第17番札所 寒江山長登寺 (真言宗) 本尊さま 十一面観世音菩薩
 ご詠歌 やまをわけ きしをつたひて ながのぼり はなのうてなに いたるなるらん



☆最上三十三観音札所巡り Part.13

 第16番札所長岡観音に着いたのは、午後4時50分でした。少しは急いだのですが、夕方ということもあり、道路も混んでいました。
 ここは寒河江市丸内にあり、すぐにわかりました。駐車場に車を駐め、左手に進むと、まず右に「最上三十三観音十六番霊場」と彫られた石柱と左に「新四国八十八所第四十番 第一番霊場」の石柱、そしてその間を進むと、次に石の鳥居があり、門かぶりの松があって、その先に観音堂があります。
 よくみると、観音堂は独立したお堂のように見えますが、本堂と中でつながっていて、管理するにはとてもよさそうです。
 時間も時間なので、すぐにお堂に入り、ご法楽を捧げました。その左手には、大きな五智如来座像が並び、説明には東北でも有数なご仏像と書かれていました。
 お詣りをすまし、本堂のほうに行き、ご朱印をお願いしました。そのとき、中央には、護摩壇の前に大きなお不動さまがまつられているのが見えました。そこに、月刊「やまがた散歩」昭和56年9月号の記事が拡大コピーしてあり、読ませていただきました。
 なるほど、立派なものです。地名も丸内ですから、おそらくお城の城内にあったのかもしれません。古刹がしのばれます。
 さらにその右手には弘法大師像がまつられ、ここは真言宗だと一目でわかります。でも、今回まわったところで、お寺も歴史に翻弄されたかのように、他の宗派なのに弘法大師像がまつられいたところもありました。でも、それはそれで、とてもいいことです。今まで大事にまつられてきたのに、宗派がかわったから後は知らないということでは困ります。今まで大事にされてきたものやことを、また引き続いて大事にするということは、とても有り難いことです。
 そのような気持ちがあればこそ、連綿として最上三十三観音札所が続いてきたのかもしれません。
 遅くなってしまったことを詫び、お堂の外に出ると、東日本大震災の供養石があり、いくばくかの賽銭を入れると、鈴の音が聞こえてきました。その音が、遠く岩手県や宮城県、福島県などの大きな被災地までとどけばいいなあ、と思いながら、みんなで鳴らしました。
 もう、午後5時10分です。今日はこれで打ち止めです。泊まりは寒河江市内の「ホテル サンチェリー」で、ここからそう遠くないとのことです。ゆっくり食事をして、お風呂に入り、明日もまた、最上三十三観音札所巡りを続けます。
 ちなみに、万歩計をみると、今日1日で9,365歩でした。意外と歩いているようで、歩いていないというのが印象に残りました。

 第16番札所 長岡山長念寺 (真言宗) 本尊さま 十一面観世音菩薩
 ご詠歌 ちちははの めぐみもふかき ながおかの ほとけのちかひ たのもしきかな



☆最上三十三観音札所巡り Part.14

 今日は平成26年10月1日、寒河江市内の「ホテル サンチェリー」に泊まり、朝は6時少し過ぎに起床、7時20分に朝食をいただきました。朝食会場は、隣の「こころの宿 一龍」でした。そういえば、ここには温泉もあり、同じくここまで来て、今朝も入浴しました。
 ここを出発したのは、午前8時40分です。もう少し早くと思ったのですが、そんなに慌てても、今日1日で最上三十三観音札所をすべて巡ることはできないので、ゆつくりと丁寧にまわることにしたのです。
 今日の最初は、第18番札所岩木観音です。ここは西村山郡河北町にあり、寒河江からだと慈恩寺のすぐ近くを通り、谷地の西方の葉山のふもとにありました。
 慈眼院すぐ脇の駐車場に車を駐め、その左手から山道を進むと、真正面に真新しい山門が見えてきます。車だと、この右手からも入れそうです。
 その山門をぬけると、石段があり、その上にやはり真新しい観音堂がありました。公式サイトには古い観音堂の写真しか載っていないので、おそらくは最近建てたばかりのようです。ですから、境内地もきれいに整備され、足のご不自由な方々は、お堂の近くまでも車で乗り入れることができるようになっていたのです。たしかに、参道をゆっくり歩きながらお詣りするほうがいいのですが、誰でもお詣りできるようにするということも、お寺としての大切なことです。
 その真新しい観音堂の前に立つと、少しずつこの風景になじんできているような感じがしました。古いお堂には風格がありますし、新しいお堂には清らかなすがすがしさがあります。観音堂と刻まれた扁額も新しく、お堂のなかに入っても、すべてが真新しい清新さに包まれていました。須弥壇の奥の宮殿が開いているところをみると、ご本尊と思われる観音さまが鎮座しています。お姿から察するに、聖観世音菩薩ですから、そうかもしれません。
 これはこれは直々にお詣りできると思い、しっかりとご法楽を捧げ、今日1日の巡礼の無事を念じました。
 お詣りを済ませ、外に出ると、木々の梢越しに谷地の町並みが見えます。さらに石段を下るごとに、村山平野が一望でき、稲刈りの終わった田んぼには稲杭にイネが干されています。まだ稲刈りの終わっていない田んぼもあります。
 この圧倒的な黄金色のイネにも、観音霊場の朱色の幟旗は目立っていて、それが秋風ではためいていました。やはり、収穫の秋はいいものです。つい、田んぼの写真を何枚も撮ってしまいました。
 ご朱印所で朱印をいただき、また車に乗り込み、次の第3番札所の千手堂を目指して進みました。時計をみると、午前9時30分でした。

 第18番札所 恵日山慈眼院 (天台宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 よきみちに すすめばすすむ よのならい ひとのこころは いわきならねば



☆最上三十三観音札所巡り Part.15

 第3番札所千手堂は、山形市千手堂にあります。ここは山形市と天童市のあいだ辺りで、ちょっと道が入り組んでいるところです。でも、今の車にナビがついているので、ほとんど道に迷うことなく行くことができ、とても便利です。でも、山のなかにあるお堂の場合は、電話がなかったり、地番がはっきりしていなくて、途中までしかナビの案内がないところもあります。やはり、文明の利器といえども、つまりはお詣りした経験があるかどうかのようです。
 車の中で、話しが盛り上がっていたのに、もう午前10時過ぎには千手堂に着きました。
 駐車場に車を駐め、正面に立つと、すでに石の鳥居はなく、石橋が残っていました、その両脇には太いスギの木があり、そこを過ぎると屋根付きの香炉台があり、その先に観音堂がありました。
 右には「観音堂」、さらには左には「抜苦殿」と彫られた扁額があり、正面上には「出羽一佛」などいろいろと彫り込まれた大きな額が掲げられていました。そして、三方とも開かれ、つねに参詣者を待っていますという気遣いが感じられました。
 お堂の中に入ると、まず天井画が目に飛び込み、さらには大きな絵馬なども見事です。でも、まずはお詣りということで、みんなで般若心経などを唱え、ご法楽を捧げました。
 それから、ゆっくりとお堂のなかを見渡すと、右手に昔の方がお詣りしたときの最上札所の白黒写真が額に入れられて掲示されていました。1枚ずつ見ると、昔のお堂やその周りの雰囲気が伝わってきます。今までいろいろな観音巡礼をしましたが、このように全部の札所の写真を掲げていたのは、おそらくここが初めてだと思います。百聞は一見に如かず、やはり、古い写真はたいへん貴重なものだと思います。
 さらに左手には大きな額に布で作られた女の人たちが手仕事をしている人形が74〜5体も貼られたものがあり、これも見事な額でした。明治33年5月の奉納と書かれ、数点ははがれていましたが、いかにも観音さまは女性に人気があるということを彷彿とさせるものでした。この他にもすばらしい絵馬などもありましたが、ご詠歌に「はな」と「ちぐさ」と出ているので、境内地の植物も気になり、お堂を出ました。
 お堂の左手には「抜苦殿」と書かれた朱塗りの門があり、そのなかは蓮池になっていました。中島には石塔などもあり、赤い橋を渡って一周することもできます。そこにブロンズ製の観音像もあり、その台座には「念彼観音力」と書かれていました。そこにご住職も来られて、少しお話しを伺うこともできました。
 車に戻るときに気づいたのですが、おそらく危険だからということで、石の鳥居が横にされて置かれていました。ここ千手堂を出たのは、午前10時26分です。

 第3番札所 守国山吉祥院 (天台宗) 本尊さま 千手観世音菩薩
 ご詠歌 はなをみて いまやたをらん せんじゅどう にはのちぐさも さかりなるらん



☆最上三十三観音札所巡り Part.16

 第2番札所山寺観音は、その名の通り山形市山寺にありますが、一般の人がイメージする山寺立石寺の前を通り過ぎ、さらに600メートルほど進んだところに大きな石の鳥居があり、そこを上ったところにあります。
 この白御影石の鳥居は、平成16年4月に斉藤一人氏が奉納されたそうです。この近くの道路の広くなったところに車を駐め、そこをくぐり石段を上ると、急にJR仙山線の線路がありました。「列車に注意」という標識はありますが、それ以外は普通の線路だけで、おそらく線路を跨いで観音さまをお詣りするというのは、全国でここだけではないかと思います。
 踏切の標識代わりなのか、コスモスの花が風に揺れ、そこからまた長い石段が続きます。石段の左手には、太いスギの木が何本かありました。それを上りきると、真正面に山寺観音堂がありました。
 お堂の両側には、白御影石で作られた真新しい十二支の守り本尊像が安置されています。その後ろの金色の板に守り本尊の意義や梵字などが書かれていて、それらが古いお堂の前にあるので、ちょっと違和感があります。ここのお詣りは後ほどにして、まずはお堂の中に入らせてもらい、ご法楽を捧げました。観音さまの前にはりっぱなご神鏡があり、山形らしい神仏混合の歴史を見たように思いました。
 そういえば、庄内観音霊場を巡拝したときにもお堂で見たのですが、たくさんの小さな鈴が付いている布製の提げものや、お手玉をたくさんつなげて同じように提げてあるものなど、地方色がとても豊かです。それらを見ながら、お詣りするのも、楽しみの一です。全国一律のものより、そこでないと見られない地方色こそ、大切にしなければならないと思います。
 霊場巡りは、その地方の文化を訪ねることでもあります。山寺というと、芭蕉の「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」だけではなく、このような山のなかの山寺もあることに思いを致すことが大切です。最上三十三観音霊場は、奥が深いと思いながら、次の第1番札所若松観音に向かいました。ここは、さらに山のなかの奥というようなところでした。
 ここ山寺観音を出たのは、午前11時7分でした。

 第2番札所 宝珠山千手院 (天台宗) 本尊さま 千手観世音菩薩
 ご詠歌 みほとけの ちかひはおもき りうしやくじ ねがいふこころは かろくありとも



☆最上三十三観音札所巡り Part.17

 若松観音は、最上三十三観音霊場の第1番札所で、花笠音頭でも、「目出度目出度の 若松様よ 枝も 栄えて葉も茂る〜」と謡われるほどの名刹です。天童市山元にあり、寺伝には「今から約1300年前、奈良時代の和銅元年(西暦708年)に行基菩薩が開山した霊場」と書かれています。
 ここに着いたのは午前11時26分で、広い駐車場に車を駐め、参道を進むと、右手に石段があり、上りきると屋根のある大香炉があります。その向こうに大きなお堂があります。その右の柱の前に「縁むすび祈願祭」の案内板が掲示されていて、4月から12月までの毎月第1日曜日に行われているそうです。
 お堂の右手前にはたくさんの絵馬が掲げられたところがあり、やはり、良縁成就の絵馬が多かったようです。
 観音堂に入り、静かにお詣りをすると、広いお堂のなかに唱える声が響き渡ります。いつも思うのですが、どこでお詣りしても、唱える声の響きがとてもいいのです。小さいところは小さいなりに、大きなところは大きいなりに、いずれも仏さまに伝わるかのような響きが感じられます。
 この最上三十三観音霊場は、どこもお堂のなかに入ってお詣りできるので、それも特徴のひとつです。たとえば、西国三十三観音霊場でも、必ずしも外陣まで入ってお詣りできるところばかりではありません。お詣りは、なかの畳敷きに座って、ゆっくりとできれば、そのほうが有り難いわけです。ただ、置賜三十三観音霊場のように、ほとんどが入れないところは、それなりの事情があるので理解も必要です。
 お堂を出ると、左手のほうから下り坂があり、その先に祈願所と書かれた若松寺本坊の左手に朱印所があります。そこにはお守りなどもあり、とくに若い女性が好みそうなものが目に付きました。
 ここ若松寺の奥の院といわれる弁財天までは、だいぶ山道を上らなければならず、さらにその上の稚松公園からは村山盆地が一望できるそうです。しかし、今回の目的は観音さまの巡礼なので、次の機会にとお預けにしました。
 でも、駐車場のすぐ手前には絵馬堂があり、そこは中に入りましたが、1階には四国八十八ヶ所の御尊霊がまつられ、2階へと上る階段にはムカサリ絵馬が飾られていました。
 時計を確認すると、午前11時55分です。もう1ヶ所まわってから、お昼御飯にすることにして、次の黒鳥観音に向かいました。

 第1番札所 鈴立山若松寺 (天台宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 かかるよに うまれあうみの わかまつや おいにもたのめ とこゑひとこゑ



☆最上三十三観音札所巡り Part.18

 第19番札所黒鳥観音は、東根市本丸南にあり、ナビを使っても、ちょっとわかりにくいところでした。少し整理して書くと、国道13号より県道122号を仙台方面に進み、東根市民体育館先の信号を左折します。そして、かささぎ橋を渡るとすぐに右折し、坂を上ります。すると、黒鳥公園に出るので、なるべく奥のほうに車を駐めます。そして、右手に入ると、そこが黒鳥観音です。
 ここには、なんとかお昼少し過ぎには着きました。でも、この道から入ると、お堂の後ろに出るので、いったん、山門のところまで行き、再び山門から入り直しました。山門から下にも参道はありましたが、あまり通る人がいないようで、ちょっと荒れていました。
 山門の両側は、雪囲い用の板みたいのが入っていて、中がよくわかりませんでしたが、ここからお堂を見ると、その前に屋根のかかった燭台がありました。そこでお灯明を点け、それからお堂の中に入りました。
 お堂のなかに、昔の境内の画があり、山門までに至る参道には赤い橋も描かれていました。やはり、昔はそちらが正門で、今では車利用の参詣者が多くなったので、すぐ近くの黒鳥公園まで上ってくるようになったようです。いろいろな札所をまわってみても、そのような例はいくつもあります。たしかに、楽は楽なのですが、たまには昔の人たちが歩いた道を歩いてみたいと思いました。
 お詣りをすませ、観音堂のなかを見ると、左手上に大きな額に仏さまの縁起画のようなものが描かれていました。色もきれいに残っていて、もう少し近くで見たいと思ったのですが、できそうもなく、少し残念でした。
 お堂の右手のところで、ご朱印をいただき、帰ろうとすると、その先にお堂があり、中に入るとお大師さまでした。扉のところに案内のしおりが貼られていて、それを読むと、高野山ととても深い縁があるということでした。最上三十三観音札所会の公式サイトでは、曹洞宗と出ていたので、ちょっとビックリしました。でも、ある本には真言宗と記されたものもあり、さて、どちらかなと思いながら駐車場に戻りました。
 この黒鳥公園からは、東根市内がよく見えました。今日も真っ青な空で、いかにもお詣り日和です。
 次は第20番札所小松沢観音ですが、村山市なので、だいぶ距離があります。もう12時33分ですので、まずは腹ごしらえをしなければと思い、出発しました。

 第19番札所 東根山秀重院 (曹洞宗) 本尊さま 十一面観世音菩薩
 ご詠歌 むかしより たつともしらぬ くろとりの ほとけのちかひ あらたなりけり



☆最上三十三観音札所巡り Part.19

 黒鳥公園を下り、東根市内に入り、お蕎麦屋さんを探すと、たまたま「そば処 大けやき」というのを見つけました。そういえば、ここ東根市の大けやきは日本一で、国指定特別天然記念物になっています。聞くところによると、高さが28m、根回り24m、推定樹齢1,500年以上だそうです。
 蕎麦は食べてみないとわかりませんが、その名前だけでここを選びました。でも、先を急ぐこともあり、ほとんどが冷やし肉ソバを注文し、40分ほどで食べ終わりました。そして、第20番札所小松沢観音を目指しました。
 そこは村山市小松沢にあり、境内地はきれいに整備されていて、山門から入りました。その山門には大きなワラジが注連縄のように横に架けられていて、すごい存在感です。そこを足腰の丈夫さを願いながら通り抜けると石段があり、その両脇には石灯籠があります。そこを上ると、また2段の石段があり、ここにも石の常夜灯が対で置かれています。その右手前には、門かぶりのモミジの木があり、それがとてもいい姿をしていました。
 その先に小松沢観音堂がありました。
 大きなお堂で、中に入ると、外陣と内陣にわかれていて、せっかくなので中に入れていただきました。そこでご法楽を捧げたあと、ゆっくりと当たりを見回すと、下駄なども奉納されていました。おそらく、あの山門の大ワラジに足腰の願掛けをしたときにでも、納めたもののようです。
 外陣に出ると、その天井はむき出しで、そこにたくさんのムカサリ絵馬が奉納されていました。その多くが戦前のもののようで、戦争で徴兵され、若くして命を国に捧げた悲しさがひしひしと感じられました。悲しくても悲しむ顔すらできない状況のなかで、その深い慟哭をその絵馬に感じました。ムカサリ絵馬は置賜にもありますが、ここ村山地区にはとても多いと感じました。しかも、ここの絵馬の保存状態がとてもよく、ずーっとこのままであってほしいと思いました。
 よく見ると、武者絵もあります。もう少し時間があり、一つずつゆっくり見れば、他の絵馬もあるかもしれません。でも、次は第21番札所五十沢観音です。そこは尾花沢なので、先を急ぎました。時間は午後2時を少しまわったところです。

 第20番札所 青蓮山清浄院 (真言宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 ちちははの はなとそだてし こまつざわ はるをまちえて みどりたつなり



☆最上三十三観音札所巡り Part.20

 第21番札所五十沢観音は、尾花沢市五十沢にあります。ここに行くには、国道13号線を五十沢方面に右折できないこともあり、いったん先に進み、左折してから、もう一度国道13号線に戻り引き返してきてから左折します。そこから道なりに進むと、左手にご朱印所の喜覚院があり、さらに100mほど進むと、左側のこんもりとした林のなかに長い石段が見えます。
 その石段を数段上ったところに、朱塗りの鳥居があり、左側には「三界萬霊有無両縁寺」と書かれた石塔があり、そこの長い石段を上ります。何段かは数えてみなかったのですが、おそらく200段ぐらいはあったようです。これで、今日は昨日より万歩計のカウントはありそうだと思いながら、息を切らしながら上りました。
 少しずつ観音堂が見えてくるのもいいものです。なぜか、達成感もあります。その上りきった平らなところに、五十沢観音堂はありました。お堂の右後ろからは、太陽の光が斜めに射しています。
 お堂の手前の参道には石の常夜灯が一基あり、お堂の一番前の部分の2本の柱などは、ここ数年前に新しく取り替えられたようです。お詣りでもあれば、その補修費の一部になるので、とても有り難いですが、そうでもなければ、その維持管理だけでも大変です。ここ最近は、特別ご開帳などのときには観音さま詣りも多いようなので、地区だけでなく、県などの広報活動も必要ではないかと思います。もちろん、宗教分離などの難しさもありますが、文化財を数え上げると、宗教関係のものが多くあります。ある意味、山形件の文化財を護るためにも、大事なことではないかと思います。
 お堂のなかに入り、ご法楽を捧げて、末永くこの最上三十三観音霊場が栄えることを念じました。この霊場は、5百数十年の歴史があるといいます。ここより北のほうにも、まだ13ヶ所の霊場がありますが、ここらで折り返さないと今日中には戻れなくなります。
 そこで、山形市内の第4番札所圓應寺観音にまわって、今年は打ち止めとすることにしました。
 帰りにご朱印所の喜覚院でご朱印を押してもらい、山形へと戻りました。もう午後3時8分でした。

 第21番札所 如金山喜覚寺 (浄土真宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 ひとはいざ こころもしらぬ いさざはの やまのおくにも つきはてるらん



☆最上三十三観音札所巡り Part.21

 第4番札所圓應寺観音は山形市宮町にあります。ここまでは、国道13号線を南に向かい、山形市内に近づいてからは、市内の方の案内で進み、午後4時過ぎには到着しました。それでも、1時間以上はかかったことになります。
 圓應寺の駐車場に車を駐め、「不許酒肉五辛入山門」と書かれた石塔を右に見ながら山門をくぐり、まっすぐに進むと右手に本堂、そして左手に観音堂が見えます。観音堂の前には大きな桜の木があり、その前のきれいに手入れをされた細い松の木と好対照です。このお堂は昭和48年に新築されたとあり、もしかすると松の木はそのときに植えられたものかもしれません。
 お堂は落ち着いた朱塗りの柱で、扁額には「観音堂」と刻まれ、そのさらに奥の大きな板には、第18世住職の書かれた「圓應寺観音」という文字が彫られています。まず両側に設置されているお灯明台で灯しを点け、それからお堂の中に入りました。
 ご本尊さまは、目の前の大きな観音さまの胎内に納められていて、通称「腹ごもり観音」といわれているそうです。ご開帳は33年に一度ということで、平成に入ってからは18年に3日間だけご開帳されたとのことです。
 それにしても、この目の前にある観音さまの大きいこと、座高は3メートルで、台座の高さも1.05メートルだそうです。まさに見上げるような木造の座像で、釘1本使わない寄木造りです。
 その前で、昨日と今日の二日間、無事に最上三十三観音霊場を巡拝できたことを感謝しながらご法楽を捧げました。そして、残る10ヶ所と番外1ヶ所のお詣りも来年にはぜひできることを念じました。私はお詣りできることもご利益のひとつだと感じています。お詣りをしたくても、体調が悪くてはかないません。また、家庭の事情や経済的なことなど、さまざまな要因が微妙に絡み合い、お詣りもできます。だから、できるということは千載一遇の幸運でもあります。お互いに、誘い、誘われながら、みんなでお詣りする、これはとても有り難いことだと思います。
 2日間なんて、あっという間でしたが、天気にも恵まれ、21ヶ寺をまわり、いろいろと考えさせられました。でも、最後は感謝、感謝で終わりです。
 お堂を出ると、境内地には三十三観音の石造が山門の近くに並んでいました。赤い帽子と赤いちゃんちゃんこがとても印象的です。さらに大きな弘法大師修行石像が建ち、ここでもみんなでお詣りをさせていただきました。
 ここ圓應寺を午後4時25分に出て、車を駐めてあった帰命院さんにまわり、そこからおのおの帰宅しました。
 自宅に帰ったのは午後7時25分で、万歩計を見ると6,876歩でした。

 第4番札所 大慈山圓應寺 (真言宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 おしなべて ほとけにむすぶ ゑんのうじ たかきいやしき たのまぬはなし



☆最上三十三観音札所巡り Part.22

 昨年、いっしょに巡拝した仲間たちは、2015年10月8日から9日にかけて、お詣りしました。
 私は仕事の都合で、参加できなかったので、10月13日から14日にかけて、家内といっしょに最上三十三観音札所巡りをしてきました。
 10月13日、午前6時30分に家を出て、先ず最初に向かったのは第28番札所塩ノ沢観音です。休まずに運転し、さらに高速道路を使ったことで、大石田町横沢にある曹源院に着いたのは午前8時40分でした。
 ここでご朱印をいただき、お詣りしようとしたとき、もともとはここから1.1kmほど離れた観音堂だと聞き、そこまで行くことにしました。
 道は細いと聞いたので、ちょっと回り道をして、産業廃棄物らしきところの先に曹源院駐車場とありました。そこに車を駐め、すぐ先からちょっと下がると木の鳥居が見えました。
 そこをくぐると、その先に山門と観音堂が見えました。時計をみると、8時55分でした。
 曹源院で靴が汚れるかも知れないと言われましたが、たしかに苔むした参道で、雨上がりということもあり、長靴のほうがよかったかなと思いました。
 山門をくぐると、その先は石段になっていて、それがあまり訪ねる人がいないようで青々とした苔の石段で、とても歩くのがもったいないと思いました。まわりは杉林で、それでとくに湿気があり、密やかな雰囲気があるのかもしれません。その石段を上りきったところに観音堂はありました。
 ご本尊さまは慈覚大師作とのことで、黒い大きな厨子に収まっていました。その前には小さな御前立ちがあり、そこで、また最上三十三観音札所巡りを再開させていただいたことをご報告し、その満願を誓いました。
 ゆっくりとお詣りして、また車に戻り、ご朱印所の曹源院に向かいました。来るときと違い、道も分かるので、あっという間に着きました。
 ご朱印帳をいただき、また、最上川を渡り、次の第29番札所大石田観音に向かいました。ここ曹源院を出たのは午前9時10分です。

 第28番札所 塩沢山曹源院 (曹洞宗) 本尊さま 千手観世音菩薩
 ご詠歌 みなひとの こころさしくる しほのさわ うみよりふかき めぐみなりけり



☆最上三十三観音札所巡り Part.23

 第29番札所大石田観音は、その名の通り北村山郡大石田町にあります。第28番札所塩ノ沢観音ご朱印所の曹源院から、800mほどしか離れていません。
 「最上川千本だんご」からすぐを右折し、後藤病院の前を通り過ぎると、すぐ山門です。その山門をくぐったところに駐車場があります。
 その山門の写真を撮ろうと、もう一度外に出て、山門を見ると、両脇に仁王像が安置されています。この仁王像は町の彫刻家が浅草観音の仁王像を模して作ったということですが、ちょっとユーモラスな雰囲気があります。
 そして、再び山門をくぐると、正面に観音堂があり、右手には本堂と庫裡、左手には蔵造りの地蔵堂がありました。
 先にご朱印をお願いし、観音堂に入りました。何気なく時計をみると、9時20分でした。
 ここの観音堂は、もともとは近くにあった立花庵という尼寺が管理していたそうですが、現在は時宗の西光寺になり、ご朱印もここでいただけます。
 堂内に入りお詣りをすると、真っ青な柱掛けに金文字で「観音妙智力」と「能救世間苦」と彫られたものが目に付きます。そして、ご神鏡の後ろに、厨子が開かれてありました。
 ゆっくりとお経と聖観世音菩薩の真言を唱え、堂外に出ると、とても外の光がまぶしく感じられました。先ほどまでは、曇り空でしたが、ところどころに青空が見え、お詣り日和になってきたようです。
 でも、観音堂のあるところは、晴れても当然ながらいいところですし、もし雨が降ったとしても、しっとりとして静寂さが増すように感じられます。昔の人は、ほんとうに良い場所に観音堂を建てたなあ、とつくづく思います。ここ大石田は、松尾芭蕉なども訪ねたところで、昔は最上川を多くの船が上り下りをしていたそうです。
 そのようなことを思いながら、次の第27番札所深堀観音に向かいました。ナビで確認すると、約2.2qだそうです。ただ今の時間は9時25分です。

 第29番札所 石水山西光寺 (時宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 つきもひも なみまにうかぶ おほいしだ ふねにたからを つむこころせよ



☆最上三十三観音札所巡り Part.24

 第27番札所深堀観音は、北村山郡大石田町豊田地区にあります。ところが別当は毎年変わるらしく、とりあえず、観音堂に行けば、ご朱印所も書いてあるかもしれません。
 最上川沿いに県道30号線を走ると、左側に「あったまりランド深堀」の看板が見えてきたので、そろそろかと思い、車のスピードを緩めました。すると、まもなくして、左手に「最上第27番札所深堀観音堂」と書かれた石塔が見えてきました。
 そのすぐ側に、車を2〜3台駐められる駐車場もありました。
 そこに車を駐め、その左側から入るとすぐに朱塗りの鳥居があり、その先に観音堂がありました。第29番札所大石田観音からここまで、たった5分で来たことになります。
 この深掘観音は、管理寺がなく、ご本尊の聖観世音菩薩も転々としてきたようで、由来には聖徳太子作と伝えています。ある本には、ご本尊は天井裏に安置されていると書かれていました。
 真偽のほどはわかりませんが、現在は立派な厨子におさめられていますが、もしかすると、これは御前立ちかもしれません。
 でも、こうして、この場所でお詣りすると、自然と手を合わせて、念珠をすり、お経をとなえます。それが古いお堂の力なのかもしれないと思いました。
 この最上三十三観音霊場のなかにも、新しいお堂もありましたが、この時代に再建するというのは大変だと思いますが、古いお堂を大切に護って行くこともさらに大変だと感じます。おそらく、ほとんどのお堂が萱葺屋根だったように見受けられますが、今はトタン葺になっています。確かに、風情はなくなりますが、これも仕方のないことです。
 お詣りをすませ、車に戻り、観音堂に書いてあった芳賀さん宅に行きご朱印をいただきました。ここは観音堂から300mほどしかありませんでした。
 ご朱印をいただき、また、最上川沿いを走り、次の第26番札所川前観音に向かいました。この朱印所を出たのは午前9時45分です。

 第27番札所 深掘観音堂 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 いはをたて みずをたたえて ふかほりの にはのいさごも じょうどなるらん



☆最上三十三観音札所巡り Part.25

 第26番札所川前観音は、北村山郡大石田町川前地区にあり、ここも別当が持ち回りだそうです。
 ここには深堀観音へと進んできた道をさらに1qほど走ると最上川にかかる橋があり、それを渡るとすぐの左手にありました。少し車を駐めておくことのできる広いところがあり、そこに駐車しました。そして、その右手に階段があり、そこを上ると観音堂が見えてきました。
 ちょうどL字形になっていて、急な階段なので、下からは樹々にも阻まれてお堂は少し上らないと見えないのです。
 お堂の前には、献灯台があり、その左手には、ゆったりと最上川が流れています。まさに川前の観音さまでした。
 かんぬきの板戸を開けて、中に入ると提灯や千羽鶴など、いろいろなものが飾られていて、別当さんの献酒もありました。おそらく、今も地元の人たちがたびたび訪れてお詣りしているのが感じられます。
 まさに、地区でお祀りしている観音様らしいと思いました。
 だからなのか、ご詠歌や真言などが分かりやすいところに掲げられていて、ご本尊さまも間近に安置されているので、親しみがあります。お堂は少し狭いのですが、一歩外に出ると目の前は雄大な最上川の流れを一望できます。
 そこで、堂内から写真を撮ってみると、最上川はここで大きく曲がりこんでいるので、とても大きく見え、さらに堂内に張られた納め札までしっかりと写っていました。
 ここでしばし過ごしたあと、お堂のところに書かれていたご朱印所を覚えて、それから車に戻り、来たときの道を右折すると、細い道でしたが、すぐに分かりました。
 ただ、あまり通行量がないとはいえ、道路に駐めっぱなしなので、ちょっと気が引けます。そこで家内にご朱印をいただきに行ってもらい、私は車を方向転換しておきました。
 次は第25番札所尾花沢観音です。ここからは8.1qほどだそうです。時計をみると10時7分でした。ということは、ここ大石田の観音さま4ヶ所を1時間30分ほどでまわったことになります。やはり、車にナビが付いているのは有り難いものです

 第26番札所 川前観音堂 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 おのずから みをきよめたる かはまえの わたりのふねは ぐぜいなるらん



☆最上三十三観音札所巡り Part.26

 第25番札所尾花沢観音は、尾花沢市梺町(ふもとまち)にあります。梺町だから、おそらくは小高い山にでもなっているのかと思いましたが、ちょっとだけ高みになっていて、尾花沢小学校の近くにありました。
 第26番札所川前観音からは11分ほどで着きましたが、ここには国道13号線を横切ってきますが、観音堂付近はとても道が狭かったのですが、駐車場は広くとってありました。
 その駐車場の手前にご朱印所はあるのですが、どなたもいないようで、準備されているご朱印をいただき、お堂に向かいました。
 ここ尾花沢は松尾芭蕉が鈴木清風を訪ねたことでも有名で、境内には芭蕉の句碑もありました。それには「涼しさを我宿にしてぬまる也」とあり、「奥の細道」に掲載されている句のようです。その脇にそのときの由来が書いてありました。
 観音堂の左手前には、井戸があり、これも芭蕉ゆかりの井戸らしいが、詳しいことはわかりません。この観音堂は、由来によると明治30年7月再建されたそうで、そのときから何度か補修はされているようです。
 正面に慈覚大師作のご本尊が厨子におさめられ、その前に御前立ちがあり、お経と真言などを唱えさせていただきました。
 外に出ると、山門を入るときには気づかなかったのですが、「イトススキ」がその山門の内側に植え込まれていました。そういえば、ご詠歌にもこのイトススキのことがあり、もしかすると、ここがイトススキと何らかの関係でもあるのかな、と思いました。
 そういえば、この付近には、なぜかイトススキを植えている家庭が多いようです。
 植物好きとしては、観音さまとこのような植物つながりがあるというのは、とてもいいと思います。
 駐車場に戻ると、10時30分でした。
 次は第22番札所延沢観音です。同じ尾花沢市ですから、近いのではないかと思いながら運転しました。

 第26番札所 弘誓山養泉寺 (天台宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 おばなざは ほとけのみての いとすすき てにとるからに ゆらぐたまのを



☆最上三十三観音札所巡り Part.27

 第22番札所延沢観音は、尾花沢市延沢竜護寺の地区にあります。なぜか別当寺は龍護寺で、どこで「竜」と「龍」が入れ替わったのかと考えながら、山門のわきの道路を進み、駐車場に駐めました。
 これでは、どうも落ち着かないので、もう一度歩いて山門まで下りて、そこで写真を撮り、山門をくぐって観音堂に向かいました。でも、山門の前に大きなサクラがあり、ほとんど山門を隠すように枝を広げています。さらに、山門の内側には大きなローダーが駐めてあり、ここは大雪が降るから除雪も大変なんだと思いながら、正面に本堂を見ながら、左手の観音堂まで行きました。
 観音堂の正面には、キブネギクなどの秋の花がたくさん植えられていて、その左右から観音堂にお詣りできるようになっています。私は右側から入り、左側から出たのですが、どちらがいいのか考えてしまいました。
 お堂の左側には、納め札を貼る場所が設けられていて、それがいかにも観音堂らしい風情がありました。
 中に入ると、まだ新しいようなお堂で、どこかに由来でもないかと思って探すと、右手に見取り図のようなものが額に納められていました。その丸柱もケヤキの木らしく、天上も格天井で、とても立派な作りでした。
 そこで、お詣りをさせてもらっていると、急に雨が降り始め、車まで戻るのが大変だと思ったのですが、ホンの少しで雨が小降りになり、カサなしでも戻れそうです。急いでご朱印をいただき、車に入ると、またすごい土砂降りになりました。
 このようなことがあると、やはり観音様に護られている、と感じます。
 次は第23番札所六沢観音ですが、ここも尾花沢市ですから、ほど遠くないところにあるはずですが、この土砂降りがちょっと気にかかります。時間は10時52分です。
 晴れてくれるといいな、と思いながら運転していました。

 第22番札所 祥雲山龍護寺 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 いのれただ ひとのよわひを のべさわの ほとけのちかひ ありがたきかな



☆最上三十三観音札所巡り Part.28

 第23番札所六沢観音は尾花沢市六沢にあり、県道29号線の常磐トンネルを抜けると、すぐ右側に観音様の目印、赤い旗が立っていました。
 右に折れ、少し進むと山門の近くに大きな駐車場があり、そこに車を駐めて歩きます。その右側がハス池になっていて、すでに葉も黄色くなりつつあり、ハスの実がなっていて、花時はきれいだと思いました。
 そこを進むと山門があり、その先に円照寺本堂があります。左手には庫裡、右手に観音堂が見えます。
 その前には石の鳥居があり、その左側に門かぶりのような松の木があり、シャクナゲとシラネアオイらしきものが植えられていました。その鳥居をくぐると、真っ正面に観音堂がありました。
 この六沢観音堂は、もともとは、県道29号線の反対側を入ったところにあったそうですが、昭和52年(1977)に円照寺境内に移転建立され、ご本尊さまも現在はここに安置されています。聞くところによると、旧観音堂は奥の院となり、石造りのお堂となっているとか。今回はお詣りできなかったのですが、いずれはここにもお詣りしたいと思いました。
 現在の観音堂は、建て替えられて38年ほどなので、とてもお詣りしやすく、こぎれいになっていました。堂内の左側にはたくさんの納め札が貼られ、右側の鴨居には、地元の観音講の写真が何枚も額に納まっていて、観音様信仰の篤さが感じられます。また、堂内には、「南無地蔵菩薩」と書かれた大きな提灯もおさめられているところをみると、お地蔵さまもおまつりされているようです。
 先に、円照寺にまわりご朱印をお願いしてきたので、ここでもゆっくり堂内でお詣りしました。
 そういえば、あるところで聞いたのですが、ここ最上の三十三観音さまは、地元の人々の信仰が篤く、いつでも堂内でお詣りできるようにしているのだそうです。たしかに、どこにまわっても、入堂して座ってお詣りできます。
 お詣りをすませ、ご朱印帳をもらい、車に戻りました。
 次は第24番札上ノ畑観音です。ここを出たのは午前11時10分でした。

 第23番札所 光沢山円照寺 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 いまここに みのりのふねの をりをえて のちのよまでも うかぶなりけり



☆最上三十三観音札所巡り Part.29

 第24番札所上ノ畑観音は、尾花沢市上柳渡戸にあります。
 県道29号線をそのまま進むと、県道188号線の銀山温泉に向かう道へとつながり、そこを右折して、しばらく進むと、右側に大きな山門が見えてきます。
 そこが目指す上ノ畑観音のある薬師寺です。山門の左手に駐車場があり、そこに車を駐め、山門の前に立つと、そびえ立つように建っています。左手には「湯殿山」と書かれた自然石があり、右側には、それよりさらに大きな自然石に「三界萬霊等」と書かれた石碑が立っています。この山門は、楼門形式の入母屋造で三間一戸になっています。
 石段を上って山門をぬけると、正面に薬師寺の本堂があり、右手には庫裡が見えます。
 そして、左手には、観音堂がありました。もともとは、銀山温泉の裏山にあったそうです。
 現在のこの観音堂は、平成8年よりご朱印所とともに薬師寺境内となったようで、とても便利にはなりました。
 お堂に入ると、たしかに真新しく、古くからのお堂と違い、すっきりとしています。ほとんど飾り物などなく、正面のお姿なども御簾でおおわれ、かすかに拝める程度です。
 とくに印象に残ったのは、正面の丸柱で、おそらくケヤキらしく、そのところどころに補修のあとが残っていました。もしかすると、前のお堂の一部をここに使ったのかもしれません。
 そうだとすれば、すべてを新しくするのではなく、前の一部でも残すことで、つながりを持たせたことになります。どうも、そのような気がしてなりませんでした。
 外は雨が降っていました。
 でも、お堂の中はひっそりとしていて、唱えるお経と真言だけが響いていました。
 ここから銀山温泉までは、3qほどだそうです。そこで、ついでに行ってみようということになり、そこに向かいました。
 でも、ここ銀山温泉は駐車場もだいぶ手前なので、少しだけ歩いて眺め、帰りに西塚菓子舗で揚げ饅頭とくじら餅を買ってきました。
 次は第30番札所丹生村観音です。同じ尾花沢市でも、ここから20分程度かかるそうです。ここ銀山温泉を出たのは11時40分でした。

 第24番札所 宝沢山薬師寺 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 たなはしの かみのはたより ながむれば あきのたおもて ぼさつなりけり



☆最上三十三観音札所巡り Part.30

 第30番札所丹生村観音は、尾花沢市丹生にあります。まさに名前通りで、近くには丹生川も流れています。
 国道347号線から県道28号線に入り、そして右折し、狭い道をなんどか曲がっているうちに駐車場がありました。おそらく、ここに駐めて歩くのだろうと思い、歩き出すと、すぐに観音様の目印の赤い旗を見つけ、それに導かれるようにして歩きました。途中にご朱印所である般若院があり、その先の左側に急な石段がありました。
 その付近はサクラの老木や杉林になっていて、その石段の両側には赤い観音さまの旗がたくさん立っていました。
 それを上ると、丹生村観音堂が見えてきました。
 ここのご本尊さまは聖観世音ですが、なぜか天台宗なのに弘法大師の作ということで、お堂のなかに入ると「ありがたや たかののやまの いわかげに たいしはいまも おはしまします」と書かれた額も掛けられ、ますます不思議に感じました。
 それもそうですが、堂内に張られた納め札の多さも、他のお堂の何倍もありそうでした。最近では、納め札を札箱に入れるところが多くなってきましたが、ここでは昔ながらのやり方が残っているようです。これはこれで、なんともいいものだと思いました。
 お詣りをして、お堂から出ようとすると、その戸のところにもたくさんの納め札が貼ってあり、堂外からなら写真を撮ってもいいのではと勝手に解釈して、撮ってみました。
 そして、それから戸締まりをして、もう一度、お堂の前でお詣りをして、もと来た石段を下りました。そして、ご朱印をもらい、細い道を歩いて、車に戻りました。駐車場の脇にはコスモスやキンセンカ、ベコニア、マリーゴールドなど、たくさん植えられていました。
 その花の先には、太陽の光をスポットライトのように受けた葉山の山々が見えました。ほんとうに荘厳な感じがしました。そういえば、銀山温泉では雨が降っていたので、それが晴れたからこのような風景に出会えたようです。やはり、雨もまた良し、です。
 次は第31番札所富沢観音です。ここを出発したのは午後12時15分です。途中で昼食を食べようと思って出ました。

 第30番札所 鷹尾山般若院 (天台宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 あなたふと みちびきたまへ にうむらの くわんぜおんにぞ はこぶあゆみを



☆最上三十三観音札所巡り Part.31

 次の予定は第31番札所富沢観音でしたが、天気も回復したので遠くからまわろうと思い、急遽、第33番札所庭月観音に先に行くことにしました。しかも案内のガイドには「太郎田から打ち止めの庭月までは43キロもあって、最上札所の中では最も長い距離である」と書いてあり、その途中で昼食を食べようと考えていました。ところが、道路の両側を見ながら走っていたのですが、食べるようなところはどこにもなく、しかたなく、そのまま庭月観音に向かいました。
 庭月観音は最上郡鮭川村庭月にあり、県道308号線を走り、鮭川の橋を渡るとすぐ右手に案内板がありました。その駐車場に車を駐め、おかげさま門をくぐり、先には月蔵院にご朱印をお願いしてからお詣りしようと思いましたが、何度も鈴をならしたのに誰も出てきませんでした。仕方ないので、先ずは観音堂に向かいました。しかも、雨がまた降り出しました。
 カサをさして石畳を歩いて行くと、大きな仁王門が左手にあり、そこをくぐると石段を登り切ったところに観音堂がありました。観音堂の右側には鐘楼があり、NHKのゆく年くる年で放映されたこともあるそうです。
 この現在のお堂は、嘉永5年(1852)8月に再建されたそうで、堂内に入ると右側の壁面に納め札が貼られていました。そして、その近くに、「ロウソク、せんこうをともさないでください」と書いた板が立っていて、ここではお詣りだけにしました。
 ここは庫裡からも離れているので、なおさら火気を使うことは危険です。線香の炎だって、約700〜800℃もあるそうです。
 由来書をみると、どこの札所の観音堂も、火災で燃え尽きたというのが一番多いようです。だとすれば、今の時期にはお詣りの人たちも少ないので、万全な注意が必要です。
 また、石段をくだり、仁王門を抜け、再度月蔵院の朱印所で鈴をならすと、今度は出てきてくれました。もし、ここでもらえなかったらと考えたら、ほんとうに安心しました。私は一足早く、境内地から鮭川が見えるところに行きました。
 すると、その上空にきりっとした虹が見えました。
 しかも、その鮭川をまたぐようにかかっていたのです。
 この虹を見ながら、ドリー・パートンの「虹を見たけりゃ、ちょっとの雨は我慢しなくっちゃあ」(If you want the rainbow, you gotta put up with the rain.)という若いときに聞いた歌詞を思い出しました。そうです、チャップリンも「下を向いていたら、虹を見つけることはできないよ」と言っています。
 ここ、最上33観音霊場の第33番札所で、しかも山形百観音霊場巡りも最後のところで虹を見ることができたというのは、なんともすてきなことでした。
 もし、ここを最後の最後にしていたら、見ることができなかったと思います。そして、見ているうちに虹の色が褪めてきて、ついには見えなくなってきたのです。それを合図にするかのように、次の第31番札所富沢観音に向かいました。時計をみると午後1時15分でした。

 第33番札所 庭月山月蔵院 (天台宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 よろづよの ねがひをここに たのみおく ほとけのにはの つきぞさやけき
 ご詠歌 いままでは おやとたのみし おひずりを ぬぎておさむる にはつきのてら



☆最上三十三観音札所巡り Part.32

 第31番札所富沢観音は、最上郡最上町富沢にあります。途中、新庄市内で昼食を食べて、国道13号線から国道47号線に入り、瀬見温泉の方に向かいました。そこを過ぎ、最上町に入ると陸羽東線赤倉温泉駅の手前を左折するとほどなくして東善院光清寺がありました。
 仁王門近くの駐車場に車を駐め、そこから少し戻って、桜並木の前に立つと、その先に仁王門が見えます。おそらく、桜の花が咲くときには見事な風景だろうと想像しました。そして仁王門をくぐると、右手にご朱印所があり、そのまま進むと三段しかない石段のところの両側に狛犬が並び、その先に石の鳥居があります。
 そこをくぐって少し石畳を歩くと、また石段があり、右手には手洗いがあり、石段を上った左手には鐘楼がありました。
 そして、その正面が観音堂です。
 ここのご本尊さまの馬頭観音は東北三大馬頭観音の一つで、県内外からも多くの参詣者が訪れるそうです。そして春秋の2回の大祭があり、畜産繁栄、蓄霊供養などを祈願されているとのことです。そういえば、ここ最上33観音霊場のほとんどが聖観音か千手観音でしたが、馬頭観音はここだけしかないようです。
 堂内に入っても、やはり他の観音堂とは違い、馬を描いた絵馬や左馬の大きな将棋の駒、さらには競馬で優勝したときの写真なども飾られ、まさに馬一色の感じがしました。
 ここでもゆっくりとお詣りし、外に出ると、観音堂の柱に「衆生被困厄無量苦逼身」と「観音妙智力能救世間苦」という観音経の一節が書かれた板が打ち付けられていました。
 帰りにご朱印をいただき、駐車場に戻ると、庭先に「ナツハゼ」の真っ黒な実がたわわになっていました。ここは、ご詠歌にもあるように「のきばのはなも くちぬなりけり」なのかなあ、と感じました。そして、もう一度、サクラの花時にでも来てみたいと思いました。
 次は番外札所の世照観音です。ナビでは10分程度で着くそうです。今の時間は午後3時10分です。

 第31番札所 浪高山東善院光清寺 (天台宗) 本尊さま 馬頭観世音菩薩
 ご詠歌 さとびとの ゆたかにすめる とみざわの のきばのはなも くちぬなりけり



☆最上三十三観音札所巡り Part.33

 番外札所世照観音は、最上郡最上町向町にあります。だから、世照観音ではなく、向町観音と書いた案内書もあります。
 ここは国道47号線を新庄に戻る途中の陸羽東線最上駅近くを右折し、最上町役場のすぐ近くにあります。
 山門の近くには、車庫を利用した産直の売店みたいなところもあり、そこで聞くとここに車を駐めていいといわれました。
 山門を入ると、正面に本堂があり、右側に庫裡、そして左側に位牌堂があり、そのなかにご本尊の子安観音がまつられているそうです。ちょうど山門の付近で作業をされているご住職にご朱印をお願いし、先に位牌堂の中に入らせていただきました。
 もともとのご本尊さまも作者は不明でしたが、約40cmほどの厨子に安置されていたそうです。ところが、昭和17年の大火で安置堂の衆寮とともに焼失してしまい、その代り仏として高さ約50cmの子安観音立像が作られ、観音堂を兼ねた位牌堂に安置されてきたといいます。だから、ここでは位牌堂の中でお詣りするわけです。
 そういえば、庄内観音を巡拝したときも、1カ寺だけ、位牌堂のなかでお詣りをさせていただいたことがあり、それを思い出しました。
 それでも、位牌堂のなかの、さらに区切られたところにご本尊さまがまつられ、そこでお詣りをさせていただきました。終わってから、少し見渡すと、坂東33観音霊場の散華や西国33観音霊場のご朱印が額に飾られていました。さらにご住職の筆による色紙もあり、ご寄進すればいただけるそうです。
 なぜ、世照観音というのかと気にはなりましたが、ネットで調べてみると「これはいつの頃よりか世照観音と称されて居りまして」としか書かれていませんでした。
 帰りにご朱印帳をいただき、車に戻り、出発しました。午後3時30分です。
 次は、この最上33観音詣り最後の第32番札所太郎田観音です。この同じ国道47号線を新庄に戻る途中にあるので、すぐわかりそうです。

 番外札所 臥龍山天徳寺 (曹洞宗) 本尊さま 子安観世音菩薩
 ご詠歌 よをてらす ほとけのちかひ ありければ まだともしび きえぬなりけり



☆最上三十三観音札所巡り Part.34

 第32番札所太郎田観音は、最上郡最上町若宮にあります。国道47号線を新庄に3qほど戻ったところにありました。でも、よほど注意して見ないと見過ごしてしまいそうです。
 国道を右にまがり、細道を入るとすぐ目の前にありました。車は参道に駐めてもいいらしいですが、誰もいないのでご朱印所の明学院まで坂道を上り、駐めました。
 先にご朱印をお願いしようと思ってまわったのですが、留守のようで、仕方なく準備してあったご朱印をいただいてきました。そして、その坂道をもう一度くだり、正面の石段から上りました。
 真正面に観音堂が見えます。その石段を上りきった両側には石灯籠があり、観音堂の奥はきれいに下枝が取り払われた杉林になっています。
 ここの観音さまをお詣りすると、今日のお詣りも終わり、最上33観音霊場のお詣りも、山形百観音のお詣りも終わり、と思うと何か感慨深いものがあります。
 この太郎田という地名は、伊豆の国の伊豆三郎と内匠之助とがいて、太郎田は初めて種を播いたところ、次郎田は次に開田したところであるといわれいるそうです。彼らがたまたま見つけた観音さまをまつったのが太郎田観音というわけです。
 伝承では、「この辺一帯は、肥料を用いなくとも毎年豊作が続いた。人々は観音の広大無辺なご利益に感謝した。」ということで、やはり田んぼとのつながりになっています。
 ここ山形県は、今でも農業が盛んで、米の食味ランキングの最高ランクの「特A」を連続受賞しています。とくに2010年に一般に売り出された「つや姫」はもちろん、「はえぬき」や「コシヒカリ」、「ひとめぼれ」と4種の銘柄米を中心に栽培しているそうです。
 ここのお詣りが終われば、今日は新庄市内に泊まる予定です。そこでの食事も楽しみです。
 人間、なんだかんだ言っても、食べなくては生きていけないので、なるべくならその土地の名産といわれるものを少しだけでもいただければと思っています。
 もう、ご朱印は先にいただいているので、すぐ車で出発です。時間は午後3時45分です。
 おそらく、新庄市内には25分程度で着くでしょう。
 今回の最上33観音霊場巡りも無事満願を迎えました。本当に観音さまには感謝感謝です。そして、新庄市に向かう車のなかで、次はどこの観音さまをお詣りして歩こうかと考えていました。

 第32番札所 慈雲山明学院 (天台宗) 本尊さま 十一面観世音菩薩
 ご詠歌 みやまぢや ひばらまつばら わけゆけば たろうだにこそ こまぞいさめる



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