☆秋田三十三観音札所巡り Part.01
令和4(2022)年7月25日から28日まで、秋田駒ヶ岳に登ろうと秋田県に出かけました。25日は、駒ヶ岳の麓に泊まるだけなので、以前から行きたいと思っていた湯沢市の小町堂に寄るとここが小野小町誕生の地と書いてありました。さらに小町ゆかりの遺跡が周辺にもあり、向野寺(こうやじ)のことを知りました。無住と知りながらも行ってみると、なぜか人がいて、戸も開いていました。聞くと、檀家の方でお詣りをしているとのこと、せっかくだから堂内でお詣りしてもいいですよと言われ、外で待っていただいたこともあり、急いでお詣りをすませました。
でも、この不思議な縁で、ここが秋田三十三観音札所の第7番と知り、さらにその縁の深さを感じました。
じつは、2015年7月14〜16日のときには霧がかかりほとんど見えなかったのですが、今回の秋田駒ヶ岳登山では良い天気に恵まれ、エゾツツジやコマクサ、イワブクロなども咲いていて、天気を心配して日程にゆとりをもっていたのですが、26日だけで十分満足できました。そこで、せっかくのご縁だと思い、27日には秋田三十三観音札所の第1番から第3番もお詣りをしました。
ここ向野寺は、道の駅おがち「小町の郷」から国道13号線を1.3qほど進み、鋭角に左折すると50mほど先の右側にあります。正面には白御影石に「野中山」と「向野寺」と彫られた門柱が立ち、その右手前には「小野之小町自作霊像安置所」と自然石に彫られたものが建っていました。また、道路のすぐ脇には、湯沢市で立てた小野小町遺跡「向野寺」という立て看板があり、そこには小町の菩提寺と書いてあり、晩年の自作とされる木像が安置されているとあります。
山道の右側には、六地蔵が建ち、本堂の手前両側にはエゾマツのような木が植えられていて、護っているかのようです。本堂に入る玄関は、冬の雪を防ぐなまこ板が張り巡らされ、厳しい環境がうかがわれます。そこに檀家の方がおられたので、勧めによりスリッパを履いて上がらせてもらいました。
ところが、9月15日に再度お詣りしたときには、この板戸には、「向野寺檀家以外の方は、寺の鍵使用については下記の処へご連絡の上、ご参拝ください」とあり、連絡先として信翁院の電話番号も書いてありました。これなら、間違いなく、ご朱印ももらえそうです。
なかに入ると、真正面にお釋迦さまが安置されていて、向かって左側が千手観音です。7月25日のときには、待ってもらっていたのでゆっくりとお詣りできなかったのですが、9月15日に再度訪ねたときには、信翁院の方がご朱印を準備する間にこの前に座り、ゆっくりと観音経を唱え、お詣りすることができました。
そして、小野小町が晩年に自作したといわれている霊像の写真を撮らせてくださいとお願いし、持参していたLEDのライトを使って何枚か写しました。これは今回の秋田三十三観音札所の最後に、とても良い記念になりました。
7月25日に戻りますと、檀家の方がカギをかけて帰られてから、ゆっくりと周りの写真を撮りました。本堂の手前の両側にはお墓が並び、後ろにもあり、きれいに掃除もされていました。でも、無住ですから、庫裡の方は戸締まりがされたままで、使ってはいないようでした。
一度はここのご朱印をいただくことを諦めていましたが、9月12日に第9番札所のご朱印所の湯沢市下院内の誓願寺に行くと、たしか第7番札所向野寺のご朱印は信翁院がしてくれるとうかがい、第9番札所正音寺をお詣りしたあとに行ったのですが、ご朱印は向野寺にあり、これから納骨があるからとのことで、このときも諦めました。
しかし、9月15日に秋田三十三観音霊場のお詣りの自宅へ戻るときに、再度連絡をすると、向野寺で待っていてくれることになり、まさに三度目の正直になりました。まさに、これも不思議な縁だと思いました。
これは『秋田三十三観音札所巡り』Part.01ですが、最初と最後の話しが出てきて、ちょっと戸惑うかもしれませんが、このことがなければ秋田三十三観音札所巡りもなかったということです。
まさに観音さまとの出会いは、さまざまな縁を結んでくれます。
そして、改めて秋田三十三観音霊場を調べてみると、開創されたのは長久年間(1040年頃)と伝えられていて、秋田六郡三十三観音順礼記によれば、「秋田六郡三十三観音霊場」として開創されたそうです。開創したのは横手長者森の満徳長者である卜部保昌で、出家後は保昌坊と名乗っていました。さらに江戸中期の享保14(1729)年に鈴木定行・加藤政貞らが復活させたものの、再び衰退したので、昭和62(1987)に秋田魁新報社が札所の選定を行い再編したのが現在の札所構成だそうです。
だから横手市付近に札所が多く、しかも若い番号があるのに納得しました。せっかく秋田県内をまんべんなくお詣りできるのですから、ぜひ秋田三十三観音霊場の灯火を消さないでほしいと願っています。なので、今回の旅では、観音巡礼の利便のために住所と電話番号も掲載することにしました。
◎向野寺のご朱印所 信翁院 湯沢市上院内小沢63 電話 0183-52-3736
第7番札所 野中山 向野寺 (曹洞宗) 本尊さま 釋迦牟尼佛
ご詠歌 言の葉の 種に残りて いにしへの 跡懐かしき 小野の古さと
☆秋田三十三観音札所巡り Part.02
第2番札所「光明寺」は、横手市追廻3-5にあり、7月27日にお詣りしました。この日は、秋田駒ヶ岳の麓に泊まったので、そこから国道341号線を進み、国道46号線から右折します。そして真崎の信号から左折し県道50号線を進みます。途中、時間があったので、「抱返り渓谷」にまわり、抱返神社のお参りや神の石橋を渡ったりもしました。
そして、再び県道50号線に戻り、美郷町に入ります。この道は通称「みずほの里ロード」というらしく、田んぼのなかの道を進みます。そして、泊まったところで秋旅クーポンをもらったので、道の駅美郷にまわり、スイカなどのお土産などを買い、光明寺に向かいました。
横手市街の案内板がある安本入口信号機のところを左折し県道272号線に入り、台所町の信号から鋭角に左折し、明永沼のほとりに光明寺はあります。
ここは浄土宗寺院としては秋田県で一番大きな寺院だそうで、ちょうど旧盆を前に境内地の草取りや本堂内の障子の張り替えなどをしていました。ここに着いたのはちょうど12時だったので、作業をしている方々が昼食の準備をしていました。
それでも、庫裡にまわり、お詣りをさせていただきたいとお願いしたら、すぐに本堂に案内され、本尊の左側にある聖観音の前に行き、その間にご朱印を準備してくれるとのことでした。観音さまの周りには8幅の掛け物があり、その前には20体前後の観音さまも安置されていました。
その前で観音経を唱え、静かにお詣りさせていただきましたが、お堂が広いのでお経の声もゆったりと聞こえるようです。
お詣りが終わり、ご朱印をいただくと、この聖観音は、大火で焼失したので、遠くから将来されたようとのこと、それにしても名のある仏師の作のようで、光背も阿弥陀如来のような雰囲気を持っていました。
ここで、2020年に出版されたという「秋田 三十三観音めぐり」という小冊子をいただきました。表紙にハスの花の写真が載っていて、この後も何ヶ所でこの本を薦められたこともあり、これも何かの縁と思い、いつかは全部まわりたいと考えました。
よく「縁に連るれば唐の物」といいますが、なんらかの縁があればさまざまな関係が生まれてきます。それを縁と感じるか感じないかはその人次第です。
私は第7番札所向野寺や、ここでのことを縁と考えたからこそ、秋田三十三観音札所をすべてまわろうと思ったのです。
そういう縁をこれからも大切にしていけば、もっともっといろいろな観音さまとの出会いもありそうです。
ここ光明寺を出たのは12時30分で、先ずは昼食を食べようとあちこち探しながら奥羽線の陸橋を越え国道13号線を右折すると、すぐにブックオフ13号横手店を見つけ、この辺りの郷土史などがないかと中に入りました。そしてここから100mほどに回転寿司があり、そこでお昼にしました。
また、同じ道を戻り、雄平フルーツラインへと右折し、第1番札所正伝寺に向かいました。
ここ回転寿司屋さんからは、ナビで確認すると8.1q、12分ほどです。
◎光明寺 横手市睦成字追回3-5 電話 0182-32-2549
第2番札所 護念山 光明寺 (浄土宗) 本尊さま 阿弥陀如来
ご詠歌 お御嶽の 峯より出づる 石清水 八功徳の 明永の沼に
☆秋田三十三観音札所巡り Part.03
第1番札所「正伝寺」は、横手市大屋新町鬼嵐117にあり、先ほどの県道272号線で左折し、今夜泊まる予定のホテルの横を通りました。そこをまっすぐに進み、通称「雄平フルーツライン」の大屋寺内漆原のところを左折し、道なりに進むと右側にあります。ここに着いたのは13時35分でした。
先ずは手前の駐車場に車を駐め、それからもう一度車道を歩き、山門の前まで進みました。山門の右手前には「秋田三十三観音第一番霊場」と彫られた石塔が立ち、左側に「秋田県知事 佐々木喜久治書」とありました。
調べてみると、佐々木氏は秋田県小坂町の生まれで、1979年の県知事選挙で初当選し、1997年までその職にあったそうです。その左脇には「不許葷酒入山」という石塔があり、だいぶ古いもののようで、下のほうが折れたのを繕ったようです。山門の両側には通用口がありましたが、正面の大きな扉が開いていたので、そこから入りました。
すると、また正面に鐘楼門があり、こちらは1925(大正14)年に建てられたもので、入母屋造りの銅板葺きでした。右側に階段があり、上に登ることもできるようです。ちなみに山門は、1980(昭和55)年の大雪で倒壊し、翌年に再建されたもので、もしかすると「不許葷酒入山」の石塔もそのときに折れたのかしれないと思いました。やはり雪深いところの寺院は、寺域の管理が大変です。
そこをくぐり進むと、真正面に本堂があります。このお堂は1776(安永5)年に建てられたもので、桁行が10間ほどある堂々としたもので、雪国らしく急勾配の屋根でした。先に右側の庫裡にまわり、ご朱印をお願いし、それから本堂の正面から入りました。その上には「祝融山」という扁額が懸かっていました。
本堂に入ると、大きな御前立ちの観音さまが鎮座し、右側に「東日本大震災物故者之霊位」、そして左側には「三界萬霊等」という位牌がありました。
その外陣で、観音経と真言を唱え、お詣りをさせてもらいました。ここはもともとは密教寺院だったそうで、いささかのご縁もあり、本堂内の諸仏もお詣りしました。
聞くところによると、ご本尊は奈良時代の金銅聖観音立像で、像高29.3pあり、金銅佛としては東北では最も古いといわれ、1955(昭和30)年に秋田県指定文化財に指定されたそうです。現在は1657(明暦3)年の火災で堂宇が焼失ことから、また同じような災難に遭うことがないようにと秘仏にされ、現在も大切に護られているそうです。
本堂を出ると、左側にはたくさんのアジサイが植えられていて、右側には自然石の上に小さな観音石像がおまつりされていて、優しいお顔をされていました。その付近には、アジサイの小苗が植えられていて、あと数年も経てば、本堂のまわりはアジサイ園になりそうです。そして、本堂の庫裡の間にはユリやカンナなどのさまざまな花が植えられていて、いつお詣りしても楽しめそうです。
そして庫裡でお願いしていた御朱印帳をいただき、車に戻りました。
時計をみると14時10分でした。でも、土地勘がまったくないので、またまた同じ道を戻ることになり、しかも、今夜泊まる予定の横手セントラルホテルのわきを通ることになりました。
ナビでは、ここから三井寺までは6.6q、10分ということです。
◎正伝寺 横手市大屋新町字鬼嵐117 電話 0182-33-5723
第1番札所 祝融山 正伝寺 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
ご詠歌 よろづ世の 心の誓い 法灯の 大屋の里の 微笑観音
☆秋田三十三観音札所巡り Part.04
第3番札所「三井寺(さんいじ)」は、横手市鍛治町7-15にあり、駐車場はないとありましたが、お寺の前になんとか駐車することができました。ここは街中のお寺で、お墓は本堂の裏手にあり、表通りからは墓地は見えませんでした。
気になったのは、左側の街路樹が大きくて、道路に飛び出ていました。根元にはぶつからないようにと矢印の看板がありましたが、この通りは「けやき大通り」と書いてあるところをみると、これはケヤキのようです。ここまで樹を大切にするのは、とてもいいことだと思います。その右手を見ると「三井寺・九品寺前バス停」というバス停があり、もし公共交通機関でお詣りするならここが近そうです。
ここに着いたのが14時20分で、本堂前に行くと、普通の門柱がありますが、何も書いてありませんでした。でも、中に入ると左側にお宮があり、本堂の玄関には「三井寺」と書いた扁額が掲げられ、その上の小屋根には龍の彫り物があり、垂木のところには鉄扇子のようなものがはめ込まれていました。
右手の庫裡の玄関で声を掛けると住職が出てくれ、ご朱印帳を預けると、本堂正面から入るようにとのことでした。
入ると、玄関上の扁額と同じような青文字で書かれた「聖観世音菩薩」が掲げられ、すっきりとした本堂でした。ご本尊の観音さまは大仏師定朝作と伝えられているそうですが、本堂には白木の聖観世音菩薩が安置されていました。
その外陣で、観音経と観音さまのご真言を唱え、ゆっくりとお詣りさせていただきました。
というのも、今回は秋田駒ヶ岳に登るのが目的で、最悪の場合を考え、翌日も山に登ることができるようにと横手市市内に宿をとっていたのです。でも、天気に恵まれ、エゾツツジなどもしっかりと撮れたので、山には行かず秋田三十三観音詣りに切り替えたのです。でも、チェックインは午後3時からなので、まだまだ時間はあります。
お詣りが終わると、住職がご朱印帳を持ってきてくれたので、ここの由来などを聞くと、この寺の来歴は古く、坂上田村麻呂が戦勝祈願のために旭岡山に観音さまを祀ったのが始まりで、だから山号が「旭岡山」となっているとのことでした。
本堂から出ると、そのわきに大きなナンテンが植えられていました。このナンテンは、中国原産で、葉や幹の姿が竹に似ていることから「南天竹」といい、中国の植物名にもなっています。日本では「難を転ずる」ことから縁起物になっていて、ナンテンの箸を使うと長寿になるともいわれます。もう一度、本堂の方を向いて一礼し、駐車場に向かいました。
車に戻り、時計をみると14時40分でした。ここからは、泊まる予定の横手セントラルホテルまでは、ナビで確認すると700m、たったの2分です。
ちょっと早いのですが、カウンターに行くと、秋田県民割などの手続きなどがあり、部屋に入ったのはちょうど15時でした。この秋田県民割は、正式には「秋田へGo!」秋田を旅しようキャンペーンですが、宿泊料の半額が補助され、最大で5千円を宿泊料から引かれます。さらに地域限定クーポンが2千円付くので、とてもお得です。しかもこのクーポン券は、他の県と違い、ほとんどのお店で使えるので、ほんとうに便利でした。翌日、湯沢市の「道の駅おがち」で昼食を食べ、そこで全部使い切りました。
ここから自宅までは、166q、3時間ほどでした。
◎三井寺 横手市鍛冶町7-15 電話 0182-32-2523
第3番札所 旭岡山 三井寺 (黄檗宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
ご詠歌 春は花 夏は林の 鐘の音 常に教の 絶えぬ三井寺
☆秋田三十三観音札所巡り Part.05
秋田三十三観音巡りを再開したのは、2022年9月11日で、自宅を6時50分に出発しました。ここから第10番札所「永泉寺(ようせんじ)」までは226qほどあり、予定では約4時間ほどかかります。
長井市や白鷹町、朝日町、大江町から農免道路に入り、国道112号線に入り、寒河江ダム展望台の先から弓張平の方へ右折して250mほど先にある「月山沢の湧水」でペットボトルに水を汲みながら休憩しました。
そして、また国道112号線に戻り、山形自動車道の湯殿山インターから高速道路に入り、遊佐比子インターまで走り続けました。そこから国道7号線で右折し、「道の駅 象潟」で少し休み、再び国道7号線を進み、金浦インターから高速道路に入り、仁賀保インターで下りました。ここは無料区間で、そこからまた国道7号線を走り、由利本荘市内の水林信号を右折し県道107号に入り、鶴沼の信号から左折し150mほどで永泉寺の駐車場です。
車を駐め、いったん駐車場を出て、山門の前に立つと、手前に門柱があり、右には「龍洞山」、左には「永泉寺」と彫られていて、その左手の先には「不許葷酒入山門」と彫られた石塔があり、その上は宝珠の形になっていました。その間を進むと、立派な山門があり、平成6年の火災で残ったのがこの山門と鐘楼だけだったそうです。その山門の扁額は「城西禅林」と書いてあり、この地の曹洞宗の中心的な寺だったことがわかります。
その山門をくぐると、右側に六地蔵が立っていて、正面奥には本堂がありました。その右側の玄関で声を掛けると、すぐに出てくれましたが、これから10分後の11時から法要があるとのことで、すぐにご朱印帳を預け、そこから左手の廊下を進みました。
本堂の外陣ですぐに観音経とご真言を唱え、法要に間に合うようにご朱印をいただき、玄関を出ました。
ゆっくりお詣りはできなかったのですが、それでも本堂のなかの観音さまの前でお詣りできて、とても清々しい気持ちでした。そして、今度はゆっくりとお堂を見渡すと、意外と新しいようです。そういえば、平成6年の火災で本堂や庫裡も全焼したことから平成10年に再建されたのだそうです。
そういえば、先ほどの玄関のなかもしつらえが新しく、たくさんの仏像が祀られ、篆刻の額なども飾られていました。
その中心に安置されていたのがお釈迦さまの苦行像で、おそらくラホール博物館にある「釈迦苦行像」をうつしたものだと思います。じつは、この実物をぜひ観たいと思いながら、まだ実現できないでいます。それでも、お釈迦さまが苦行された前正覚山留影窟に2012年12月に行きましたが、苦行からは悟りは開けないと思い、ナイランジャラー川を渡り、スジャタという娘さんからチチ粥をもらい、ブッタガヤの菩提樹の下で悟りを開いたそうです。
私もそのナイランジャラー川のほとりに住む娘さんにチチ粥を作ってもらい食べましたが、今ではいい思い出になっています。
そんなことを思い出しながら駐車場に戻ると、11時7分でした。
次は第8番札所の長谷寺です。ナビで確認すると、ここから8.4q、約13分だそうです。まだ昼食には早いので、まっすぐ向かいました。
◎永泉寺 由利本荘市給人町44 電話 0184-22-0044
第10番札所 龍洞山 永泉寺 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
ご詠歌 後の世の 恵みも長き 泉寺 深き誓いは 組みて知りつつ
☆秋田三十三観音札所巡り Part.06
第8番札所「長谷寺(ちょうこくじ)」は由利本荘市赤田にあり、別名を「赤田の大仏さま」と呼ばれています。
第10番札所の永泉寺からは、先ず駐車場から左折し、県道165号を右折し進み、国道105号(横手街道)で左折します。そして飛鳥大橋を渡り、「赤田の大仏」の案内板のところの丁字路の信号を右折します。芋川桜づつみの橋を渡って突き当たりから左折し、羽越本線の踏切を渡り、日本海東北自動車道の陸橋をくぐりそのまま進むと、左側にあります。
私は右側の「赤田駐車場」に車を駐めましたが、お寺の方から車が下がってきたので、もしかすると上がれるかもしれないと思い、もう一度車に乗り行ってみると、「大型車進入禁止」の看板があり、そこを進むと、大きな観音堂のわきまで行けました。
そこに車を駐め、先に庫裡の方に行き、ご朱印をお願いし、それから本堂のわきを通り、観音堂の前に立ちました。二層になっていて、上に欄干があるところをみると、上れるのかもしれませんが、おそらくすごく見晴らしがよさそうです。そこのところに、「正法山」と彫られた扁額があり、土足厳禁と書かれたところで靴を脱いで、お堂に入りました。そこで、その大きさにまたまたびっくりしました。
このお堂も観音さまも明治の大火で焼失したそうで、その後、2丈6尺の観音像も作られ、現在も「赤田の大仏さま」として親しまれているそうです。
その前に座り、観音経を唱えご真言を唱えると、お堂全体に反響して、なんとも荘厳な雰囲気を感じました。
2丈6尺といえば、7m80pですから、まさに見上げるような大きさで、それが台座に立っておられるわけですから、さらに大きく感じます。後ろの光背のところには、たくさんの小さな仏さまがあり、瓔珞も長く垂れ下がっています。よく観ると、十一面観世音のようです。
左側にまわると、蔵王権現が祀られていて、その身は群青色でした。また山神が木のムロになったところに祀られていて、明治時代の大火で多くの仏像が焼失したことが悔やまれます。
それでも、このように再建されたのですから、歴代の住職さんたちの苦労も感じられました。
外に出ると、お堂の左手前には地蔵菩薩石像が立ち、その左わきに「大佛五拾年供養」と彫られた石塔がありました。その近くにはサルスベリが植えられていて、赤い花を着けていました。よく、一般の家庭の庭にサルスベリを植えてはいけないといいますが、昔の子どもたちはよく木登りをしたので、滑ってケガをしないようにという理由もあります。また、「滑り」から「運気が落ちる」とか「受験に落ちる」などと連想されることから縁起が悪いといわれることもあります。でも、なぜか寺院には良く植えられていて、おそらく中国原産で珍しいこともあり、江戸時代の初期には大名家の屋敷に競って植えたということなので、おそらくお寺や神社でも植えるようになったのかもしれません。
どちらにしても、漢字で「百日紅」と書くのは、100日ほども花が咲き続けることからきているので、長く花を楽しめることはいいことです。
そして、庫裡にまわろうとすると、住職さんが出てきてくれて、そこでご朱印帳を受け取り、車に戻りました。時計をみると、11時50分でした。
車に乗り、県道69号まで戻ると、「赤田駐車場」のわきに「五峰苑のバラ園」があり、ここ「赤田の大仏さま」付近はいろいろと楽しめそうです。次は第24番札所大悲寺です。ナビで確認すると、ここから40.3q、約44分だそうで、途中で昼食にしようかと考えながら進みました。
◎永泉寺 由利本荘市給人町44 電話 0184-22-0044
第8番札所 正法山 長谷寺 (曹洞宗) 本尊さま 十一面観世音菩薩
ご詠歌 荒沢座の 神と仏と人問はば 誠に響く 松風の音
☆秋田三十三観音札所巡り Part.07
第24番札所「大悲寺」は秋田市旭北寺町にあり、先ずはいったん羽越本線の踏切まで戻り、その手前を右折し、線路にそって進みます。そして中館地区の丁字路を左折し芋川を渡り、国道105号へ右折します。そして、また日本海東北自動車道をくぐり、大内ICの案内板から左折し大内JCTから秋田市方面に進みます。
そして、岩城ICから出て県道44号を左折し、800mほどで国道7号を右折し、そのまま進みます。そして県道56号への出口から斜め左により、そのまま進みます。雄物川にかかる秋田大橋を渡り、山王5丁目の信号機から右折し、300mほど走りまた右折すると100m先の右側に大悲寺はあります。
山門の右手前には、「臨済宗妙心寺派 大悲寺」と彫られた門碑が立っていて、左手前には「秋田三十三観音 第二十四番霊場」と「秋田西国三十三観音 第十四番霊場」と並べて彫った石柱があり、その後ろに地蔵菩薩石像が安置されていました。
山門は狭いのですが、普通車ならなんとか通れますが、そのなかが駐車場になっていて数台は駐められそうです。
そこに車を駐め、本堂の右手にある庫裡の玄関に行き、ご朱印をお願いし、そこから廊下を通って本堂に行きました。
外陣の廊下の上には、「海無量」の扁額が掲げられ、その文字の上に「五本骨日の丸扇紋」の金具が3つ打ち込まれていました。よく見ると、藩主佐竹義和公の自筆のようで、後から確認するとその通りでした。時代は寛政10(1798)年で、このころに知行20石を賜りおおいに栄えたということです。
その下で観音経を唱えると、この扁額の「海無量」、これは「福聚海無量」ですが、これは観音さまの功徳が海のように広大であるということを現しています。
お詣りをすませ、内陣からお姿を拝むと、厨子に御前立ちの十一面観音立像がおさめられています。本来の「金銅十一面観音立像」は高さが44.55pで、室町時代の作だそうですが、古来より秘仏として尊崇されているそうです。ちなみに、昭和34(1959)年に秋田県の重要文化財に指定されました。
その秘仏が祀られているのが「大悲堂」で、先ずはご朱印をいただき、外に出ました。庫裡から出ると、右側にブロンズの地蔵菩薩立像があり、小さな地蔵菩薩石像もいくつか並んでいました。
「大悲堂」は、本堂に向いて右側にあり、もちろん鍵がかかっていて開きませんが、階段を上ってお詣りしました。その左側に、ブロンズの摩尼車があり、これを1回まわすとお経を1巻読んだのと同じ功徳が得られると言われていると書かれていて、「摩尼車にかるく手をあてて、手前に回してください。その説き、右のお題を3回唱えて下さい。」とあり、右のほうに「南無大悲観世音菩薩」と大きく書いてありました。
そして、その摩尼車には、観音経の偈が金文字で浮き出ていて、これは確かに回せば読んだことになると思いました。そういえば、30数年前にブータン王国に行ったときに、この摩尼車を歩きながら回している方がたくさんいて、「オムマニペニフム」と唱えているようでした。さらに村の入口には水車で回す摩尼車があり、お寺の屋根には風で回す大きな摩尼車がいくつか着いていました。さらに、たくさんの祈願旗が立てられていて、それも風ではためくたびにお経を唱えていると聞き、さすが仏教国だと思いました。そこで、帰国時にこの手回しの摩尼車をいくつか買い求め、今も持っています。
車に乗り、時計をみるとちょうど13時でした。次は第21番札所「源正寺」で、ナビで確認すると11.1q、約19分だそうです。そろそろお腹も空いてきました。
◎大悲寺 秋田市旭北寺町4-50 電話 018-823-2379
第24番札所 普門山 大悲寺 (臨済宗妙心寺派) 本尊さま 十一面観世音菩薩
ご詠歌 年ふるや 亀甲の山の 池に生ふる 真菰菖蒲も 法の大悲寺
☆秋田三十三観音札所巡り Part.08
第21番札所「源正寺」は秋田市太平目長崎本町にありますが、先ずは今夜のお抹茶の菓子を買うために秋田市内の「開運堂」に寄り、その前の県道28号を進み、五丁目橋交差点を右折し、秋田新幹線のガードをくぐり、ファミリーマート秋田東通五丁目店で昼食のサンドイッチを買いました。そこから県道41号から左折し、城東十字路信号を右折し、秋田中央道路のガード下をくぐり、太平駐在所から右折し300mほどの左側にありました。
ここに着いたのは13時30分で、お菓子屋さんなどをまわったことで予定時間よりはかかってしまいました。
駐車場はお寺の手前左側にあり、そこに駐めて、参道から入ると、入口のところの左側に自然石に「太平山 源正寺」と彫った門碑があり、そこから上っていくと山門があり、「太平山」の額が掲げられていました。
そこで一礼しくぐって入ると、すぐ右手に「秋田二十一番観音札所」と書かれた観音堂があり、中に正観世音菩薩石像が祀られていました。大きな灯明が点けられていたので、そこで観音経と諸真言を唱え、お詣りをしました。
ご詠歌に「池に生ふる 真菰菖蒲も……」とありますが、左手にはハスのつぼみを持っていて、右手は片手で合掌をしていて、おだやかな表情です。ここには鰐口はなく、たくさんの鈴が結ばれていて、それを鳴らすようで、郷に入っては郷に従う気持ちで私も鳴らしました。もしかすると、それがお詣りしている証しで、それから庫裡の方に行くと、すぐにお寺の方が出てきてくれました。
そこでご朱印をお願いすると、本堂のほうからお詣りくださいといわれ、本堂の戸を開けてなかに入りました。唐破風向拝の垂木の上に龍の彫刻があり、この本堂は嘉永3(1850)年に再建され、昭和には入ってから修理されているとのことでした。
本堂にはお釈迦さまが安置されていて、寺宝といわれている不動明王をお詣りし、その裏手にまわると位牌堂があり、そこに白磁観音像が祀られていました。ここもぜひお詣りをいわれ、その前で観音経を唱えました。その右手には有名な興福寺に安置されている阿修羅像のレプリカもあり、2009年の春に東京国立博物館で開催された『興福寺創建1300年記念「国宝 阿修羅展」』で観たお姿を思い出しました。このときは、阿修羅像だけでなく、旧西金堂の八部衆立像(阿修羅・迦楼羅など8体、国宝)、十大弟子立像(現存6体、国宝)が初めて興福寺から外に持ち出されたそうで、天平彫刻の至宝を楽しむことができました。
本堂で仏像に接するのは、ほとんどの場合、正面からだけですが、このときの阿修羅像はぐるっとまわって、どこからでも観ることができました。それが博物館展示の良さでもあります。
そこへ、ご朱印帳を持ってきてくれたので有難く受け取り、本堂から出ました。
外からもう一度本堂を見ると、屋根棟飾りには五七の桐が2ヵ所にあり、ここが曹洞宗の寺院であることがわかります。境内地にはいろいろな木々が植え込まれ、ツツジもあったので、花の盛りはみごとかもしれません。
帰りに、もう一度観音堂の正観世音菩薩石像にお詣りし、駐車場に向かいました。時間を確認すると13時50分で、次の第19番札所「千手院」までは14.2q、約17分です。その途中で車を駐め、サンドイッチを食べようと思いました。
◎源正寺 秋田市太平目長崎本町58 電話 018-838-2312
第21番札所 太平山 源正寺 (曹洞宗) 本尊さま 正観世音菩薩
ご詠歌 年ふるや 亀甲の山の 池に生ふる 真菰菖蒲も 法の大悲寺
☆秋田三十三観音札所巡り Part.09
第19番札所「千手院」は秋田市河辺岩見鍛治屋敷にあり、いったん県道28号まで戻り左折し、そのまま進みました。途中に車が駐められて日陰のところがあり、そこでサンドイッチを食べ、10分ほど休憩しました。せっかくの秋田の旅なので、秋田県内の美味しいものも食べてみたいと思うのですが、観音さま詣りというのは不思議なもので、次々と呼ばれるようにして巡拝してしまいます。おそらく、昔の人たちも、札所巡りは次々と歩きながらやっとたどり着き、観音さまの前でゆっくりとお詣りしたのではないかと思います。
それからファミリーストア佐々木の丁字路を左折し、岩見川を渡ってから右折し、100m先を左折、また80mほどで右折すると左側にありました。
駐車場に車を駐めて時計をみると、14時35分でした。
お寺の周りは、苔むした石垣があり、いい雰囲気でした。石段を上ると、その両側に青銅製の灯籠があり、その先が本堂です。その石畳のわきにモミジの木が植えられていて、ちょうどよい日陰になっていました。
本堂の白壁の丸窓がとても印象的で、唐破風向拝の垂木やその上の彫刻もみごとで、そこで靴を脱ぎ、入りました。
そこでご朱印をお願いし、左に行くと、左側が本堂になっていて、そこでお詣りをしました。
内陣の奥には、ご本尊の千手観世音菩薩が安置されていて、そこで観音経と諸真言を唱え、静かにお詣りさせていただきました。
お堂が広いのでお経の声もゆったりと聞こえるようです。そして、内陣の両側の襖には、大きな達磨大師が描かれていて、ここは禅宗のお寺だとわかります。
聞くところによると、ここはもともとは真言宗の寺だったのが、江戸時代の藩政の寺院統制により曹洞宗に改宗され、その五世の代にここに移されてきたそうで、その前は筑紫森にあり、奈良時代の末頃には創建されていたそうです。
ところが明治3(1870)年の火災で本堂が焼失し、3年ほどかけて再建されました。ですから、先ほどの垂木などの彫刻もそうですが、本堂内の彫刻も、そのときのもののようです。この内陣の上の青っぽい色彩の彫刻も、薄暗くてよくわからないのですが、波のような豪快な動きが見てとれます。
もしかすると、火災になっても仏さまが水をかけてくれるようにとの願いがこもっているのではないかと想像したりして、山寺のゆったりとした時間を楽しみました。
玄関のところで声を掛けると、ご朱印帳をもって出てくれ、お礼をいって受け取り、靴をはいて外に出ました。そこでもう一度お辞儀をし、車に向かいました。
外は雲ひとつない青空で、沢から上ってくる風もさわやかで、しかもお詣りした後なので、とても清々しい気持ちです。
車に戻り時計をみると14時35分でした。
今日は自宅から出てきたので長距離運転ですが、観音さまのお詣りだといつもなぜか安心して運転できます。しかも、今夜の泊まりは、かみおか温泉「嶽の湯」で、16時以降のチェックインです。ここは日帰り入浴もしているので、遅い時間にしているのかもしれません。
次は第12番札所「常光院」です。ナビで確認すると36.4q、約40分だそうです。
◎千手院 秋田市河辺岩見鍛治屋敷155 電話 018-883-2117
第19番札所 両沢山 千手院 (曹洞宗) 本尊さま 十一面千手観世音菩薩
ご詠歌 幾度も 心を運ぶ つくし森 千手の誓ひ かたき石山
☆秋田三十三観音札所巡り Part.10
第12番札所「常光院」は仙北市角館町西勝楽町にあり、今年の7月に秋田駒ヶ岳に行く途中に、この近くの国道46号線を通って行きました。今回は別なルートで角館町を目指します。
先ずは、県道308号へ左折し、秋田パネルチップ工業のところから左折、そこから山を越えて県道28号を横切り、再び山を越え、大盛館(民俗資料展示館)の先の提示路を左折し、国道341号に入ります。
そして、桧木内川を渡り、小館の信号を左折し、80mで右折し狭い道を進み、さらに80mぐらい進むと左側にあります。今は休園していますが、「かくのだて幼稚園さくらるーむ」があり、そこから入ると山門がありました。
参道の右側には「仙北市史跡 北家佐竹氏墓地」、左側には「仙北市史跡 戊辰戦争戦没者墓地」の標識があり、そういえば、ここは戊辰戦争のときは病院のような役割を果たし、境内には戦死した官軍の墓地もあるといいます。考えて見ると、1976年にリオン・ガーフィールド著の「少年鼓手」という児童書があり、世界傑作童話シリーズにも入っているのですが、ここのご詠歌に「少年鼓手」という言葉があり、幼くして戦争に巻き込まれてしまった悲哀みたいなものも感じました。
山門までの参道の両側には、庭石がいくつも置かれていました。
山門から入ると、中が駐車場になっていて、そこに車を駐めました。ここに着いたのが15時25分ですから、予定より5分ほどかかったようです。先に庫裡のほうに伺うと、呼び鈴を押したのですが、反応がなく、仕方がないので本堂の前に行くと、宅急便の方が来て、同じように呼び鈴を押したのですが反応がないので、入口の側面にあるボックスのなかに入れて帰りました。やはり、誰もいないようです。
そこで、本堂の前で観音経などを唱え、お詣りし、泊まるところの途中にある第16番「円満寺」へと向かいました。つまり、ご朱印は頂けませんでした。そこで、9月13日に大仙市から鹿角市に向かう途中で、再度、まわることにしました。このときは、しっかりと電話をかけてから向かいました。
大仙市のホテルを出たのが9時で、ここ常光院には9時15分に着きました。さっそく庫裡のほうから入り、住職さんにご朱印をお願いし、本堂のなかを通り左側にある位牌堂に行くと、その中央奥に如意輪観世音菩薩が安置されていました。
いちおう一昨日にも訪ねたことを報告し、その前で観音経とご真言を唱え、お詣りをさせていただきました。
ここ秋田三十三観音霊場には、如意輪観音菩薩が祀られているのは、ここと第26番「長楽寺」だけのようで、若い時に修行した醍醐寺も如意輪観音菩薩でしたので、とても懐かしく、つい修行時代のことなども思い出しました。
観音堂ではなく、位牌堂でお詣りするのもここ秋田三十三観音霊場ではいくつかありますが、今までお詣りした他の霊場ではほとんどないので、最初は違和感がありました。でも、その土地ならではのこともあるので、いつの間にか慣れました。
庫裡のところで、住職さんから御朱印帳をいただき、お辞儀をしてから外に出ると、一昨日にご朱印ももらえず残念だったことなど、けろっと忘れていました。
さて、9月11日の続きですが、ここ第12番札所「常光院」を出たのは15時40分です。次は今夜泊まるかみおか温泉「嶽の湯」へ向かう途中にある第16番「円満寺」に寄ることにしました。ナビで確認すると、ここから13q、16分ほどだそうです。
◎常光院 仙北市角館町西勝楽町25 電話 0187-53-2074
第12番札所 久米山 常光院 (曹洞宗) 本尊さま 如意輪観世音菩薩
ご詠歌 佐竹寺 少年鼓手よ 桜華 我が母恋し 久米の故郷
☆秋田三十三観音札所巡り Part.11
第16番札所「円満寺」は大仙市土川字小杉山にあり、先ほど常光院に来たときの道を戻り、桧木内川を渡って荒屋敷の信号を左折し、県道10号に入ります。左側に大仙市小杉地区生涯学習センターの辺りから左折し、古い道に入ると、300mほど先の左側にあります。
駐車場は参道の左側にあり、そこに駐めました。ここに着いたのは15時57分で、すぐに道路側から入りました。右の御影石の石柱には「小杉山」という銘板が、そして左の石柱には「圓満寺」とありました。
右の石柱のわきには、「町指定有形文化財 阿弥陀如来像」と「菅江真澄の道 円満寺」と書かれた標識も立っていました。
そういえば、ここ円満寺は、旧西仙北市では最古の寺だそうで、坂上田村麻呂が開いたという言い伝えもあるそうです。菅江真澄も遊覧記のなかで、「円満寺という真言派の寺あり、いにしえは天台宗なりし由、小杉山円満寺十一面観音は御開基慈覚大師の作、昔、仙北本町の城主戸沢能登守藤原盛安御祈祷の処なり」と記されているそうです。
だから、参道のところに「菅江真澄の道 円満寺」とあったようです。先に庫裡の方に行き、呼び鈴を押しましたが、応答はなく、仕方ないので、本堂に行きました。
すると、その板段の上に木箱があり、そのなかにご朱印帳の大きさに切った紙に筆で書いたものにご朱印が押されてあったので、300円と書かれてあったのでそれを納め、いただきました。
そして、本堂の前で観音経とご真言を唱えました。ここからは、曇り硝子なのでお堂の中は見えませんでしたが、十一面観世音菩薩のお姿を思い浮かべながら、お詣りをしました。
車に戻ると、16時10分でした。ここから今夜泊まることになっているかみおか温泉「嶽の湯」までは、7.5q、11分ほどです。
再び県道10号まで戻り左折し、500mほど進んだ丁字路から左折し、県道254号に入りました。この道路は土川神岡線といい、そのまま進むと秋田新幹線の下をくぐり、120mほど先の丁字路を右折します。そして、最初の信号から左折すると200m程先に「嶽の湯」があります。
ここの駐車場に着いたのが16時22分で、すぐにチェックインし、県民割を使って1泊2食付きで税込み8,823円でした。その他に旅クーポンが2,000円分つくので、実質宿泊料は6,823円でした。
しかも、部屋は和洋室の14畳で、夕食は部屋に出してくれます。だから、ゆっくりと一人で食べて、食後には途中で買った秋田市内の翁屋開運堂の銘「穂波」と「麩まんじゅう」でお抹茶をいただきました。
旅に出るときはいつもお抹茶を持ち歩くので、どこでもお茶を点てて飲むことができます。それも旅の楽しみで、なるべくなら旅先で見つけたお菓子屋さんから買います。
食べ終わった夕食の膳を片付けてもらい、風呂に入り、今日一日お詣りした観音さまを思い出しながら、就寝しました。
◎円満寺 大仙市土川字小杉山19 電話 0187-75-2185
第16番札所 小杉山 円満寺 (曹洞宗) 本尊さま 十一面観世音菩薩
ご詠歌 野を越て 山路に入れば 時鳥 小杉山にも ほそんかけたり
☆秋田三十三観音札所巡り Part.12
今日は2022年9月12日、第2回の秋田三十三観音の旅を初めてを2日目です。かみおか温泉「嶽の湯」で朝食をいただき、8時45分に出発しました。
今日、最初にお詣りするのは、第9番札所「正音寺」です。
先ずは大浦前信号を右折し、さらに大曲バイパス信号から右折し国道13号線に入り進みます。表町4丁目信号から右折し、湯沢ICに入り、雄勝こまちICで下りて、国道13号を横切り、スバルショップの交差点を左折します。そして、先に管理している誓願寺でご朱印をいただくために、先ずは万石橋を渡り、湯沢翔北高校のわきを通り、左側にありました。
山門の前に駐車場があり、そこに車を駐めたのが10時8分でした。ナビでは「嶽の湯」から62.3q、1時間30分の予定でしたから、ほぼ予定通りに走ったことになります。
山門から入り、庫裡にまわると住職がいて、この寺でご本尊を安置してあるとのことで、本堂に上がり、内陣の左側の赤い須弥壇の十一面観世音菩薩に観音経と諸真言を唱え、お詣りをしました。
そのすぐ後ろには大師像がありましたが、右側には胎蔵界の大日如来があり、小型の仏像がたくさんおまつりされていました。
住職からご朱印をいただき、次は第9番札所正音寺に戻りました。
正音寺は、先ほど渡った万石橋からすぐの湯沢警察署雄勝交番のところから左折し、裏通りを進むと、右側にありました。お墓が少しあるだけで、誰も住んでいないような民家のような建物で、戸の閉まった玄関の上に、「正音寺」という板に書いたのが掲げてありました。
そういえば、誓願寺の住職があまり勧めなかったのがよくわかります。それでも、そのお堂の前で、観音経を上げてお詣りしました。
時計をみると、10時30分です。そういえば、この近くの第7番札所の向野寺には前回の秋田駒ヶ岳の帰りにお詣りしたのですが、そのときは偶然に檀家の方がいて、お堂に入ってお詣りできました。でも、残念ながら、住職がいないのでご朱印はいただけなかったので、次の第4番札所雲岩寺にお詣りする前に、住職のお寺である信翁院に行くことにしました。
ナビで確認すると、ここ正音寺から3.9q、8分ぐらいなので、すぐに今来た道を戻り、先ほどご朱印をいただいた誓願寺のわきを通り、ナビが案内の通りに信翁院に着きました。ところが、駐車場に若住職がいて、これから納骨があるので、少し待っていただくとご朱印の置いてある向野寺に行くことができるということでしたが、今日予定してある観音札所を予定通りまわりたいこともあり、次に向かうことにしました。
次は第4番札所雲岩寺です。ナビで確認すると、ここ信翁院から9.8q、15分ほどだそうです。
◎正音寺 湯沢市横堀字旭町40 (管理は誓願寺 湯沢市下院内新馬場158 電話 0183-52-3020)
第9番札所 横掘山 正音寺(浄土宗)本尊さま 十一面観世音菩薩
ご詠歌 9番 重くとも 五つの罪の いつとなく 十の蓮花に 座すと思へば
☆秋田三十三観音札所巡り Part.13
第4番札所「雲岩寺」は湯沢市相川麓にあり、信翁院から国道13号で左折し、雄勝こまちICから入り、須川ICで下りて左折します。80m先を相川公園入口の方へ左折し、フルーツラインへ右折し、さらに70m先を左折し進むと、右側に「秋田三十三観音第四番札所 相川平和観音」と彫られた石碑が建ち、その下のほうに「相川公園 入口」と矢印がありました。
そこから左折し200mほど進むと、右側にあります。その手前が駐車場です。
ここに着いたのは10時53分で、さっそく正面の参道から入ると、ここにも「菅江真澄の道 雲岩寺 合川城址」と書かれた白柱があり、その手前の両側には仁王石像が建っていました。まっすぐが本堂で、右手に庫裡があり、先にご朱印をお願いしました。
そして、本尊の観音さまのことを聞くと、背後にある高台に観音石仏があるが、中世のころは相川城があったところだそうで、ここから歩いて20分ほどかかり、道もよくないとのことです。それで、ほとんどの方は参道の左側にある「相川平和観音遙拝所」でお詣りするという話しでした。
そこで、遙拝所に行って、戸を開けて入ると、壇の中央には青銅製の観音さま、その右側にも観音さまが安置されていて、2体の秋田杉で作った雪ん子わらべ人形も観音さまのわきに飾ってありました。
その遙拝所で、観音経と諸真言を唱え、お詣りをしました。
それから、庫裡へ行き、ご朱印をいただき、帰りに本堂ともう一度遙拝所でお詣りすると、その左側に「雲岩寺永代供養堂」と彫られた新しい白御影石で造られた納骨堂がありました。そこには、観音経の「具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故応頂礼」と黒御影石に彫って中央にはめ込まれていました。
これを和訳すると、「一切の功徳を具し、慈眼をもって衆生を視るに、福聚まりて海のごとく無量なり。是の故に応に頂礼すべし。」となり、もっとわかりやすく訳すると、もともと菩薩として生きる人には、あらゆる功徳が具わっています。もし、その功徳の眼差しで人々に接するならば、そこには海のように広く深い幸せが生まれます。だから菩薩として生きる人に出会ったならば、その人を尊び敬いなさい、というような意味になり、これこそが菩薩として生きていく教えですということです。
まさに、この「雲岩寺永代供養堂」の左側に立っている、同じ白御影石の観音石像も、優しいまなざしで見守っているかのようでした。
帰りに気づいたのですが、参道の入口に丸い石柱があり、その上は宝珠になっていて、右には「梅松山」、左には「雲岩寺」と刻まれ、時代もかなり経ているようです。それにしても、その手前の仁王石像はおおらかで、こわいというよりはユーモラスです。でも、本当にこわいのは、常に笑顔でいる人だといいますから、そうかもしれません。
駐車場にもどり、時計をみると、11時10分です。次は第6番札所「久昌寺」ですが、ナビで確認すると、ここから16.8q、22分かかるそうです。
◎雲岩寺 湯沢市相川麓105 電話 0183-79-2007
第4番札所 梅松山 雲岩寺 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
ご詠歌 父母の 住める故郷 安かれと 朝夕べに 祈る心の
☆秋田三十三観音札所巡り Part.14
第6番札所「久昌寺」は雄勝郡羽後町杉宮宿にあり、ここ第4番札所雲岩寺からは、まず須川ICまで戻り、そのまま直進し、国道13号線で右折します。
そして上関信号を左折し県道311号へ入ります。丁字路から右折しそのまま県道311号を進みます。大戸信号から右折し県道398号を進み、羽後大戸川を渡り、屋敷添の辺りの丁字路を左折します。道なりに進み、羽後町消防団第3分団ポンプ置場の先が久昌寺です。
参道の入口には石仏がまつられ、両側には石塔が立ち、右には「三輪山」の山号、左には「久昌寺」と彫られていました。参道は狭いので気を付けながら進むと、その先に駐車場がありました。
ここに着いたのは11時30分で、仁王門には仁王さまが祀られていて、案内板にはこの山門は藤原秀衡が建立したと伝えられていると記されていました。もともと、この寺は江戸時代の中頃は真言密教寺院だったそうで、木像の五大力尊が町指定文化財になっています。
仁王門をくぐり、境内に入ると、左側に六地蔵がまつられ、正面が本堂です。左手が墓地になっていて、石屋さんが入って、何か工事をしていました。
そこで聞くと、今、住職はいないということでしたが、秋田三十三観音をお詣りしているというと、朱印帳を預かって、本堂の正面を開けてくれました。
外陣でお詣りし、その左手にたくさんの仏さまがまつられていて、その中央に子育て地蔵尊、その両側に観音像が並んで安置されていました。おそらく、三十三観音ではないかと思ったのですが、百観音あるということで、その前で観音経と諸真言を唱えました。
そのお詣りするところに、大きなキンと木魚などがあり、さらには鰐口も下がってました。花も生花で、供物もあげてあり、いつもお詣りしているようです。
お詣りが終わって、もう一度、本堂正面の釈迦如来像に挨拶し、ちょうどそこにご朱印帳を持ってきてくれたので、お礼をし、お堂を出ました。
来るときには気づかなかったのですが、本堂の右手前にも地蔵石像があり、ここはお地蔵さまのお寺ではないかと思いました。
そういえば、今までまわった秋田三十三観音霊場のお寺には、ほとんど六地蔵があり、しかも屋根の下にまつられていました。おそらく、この辺りは冬になると大雪が降るらしく、それではお地蔵さまもかわいそうだと思うのかもしれません。
六地蔵は、生前の善悪の如何によって、人は死後に,六道、つまり地獄,畜生,餓鬼,修羅,人,天という六道の境涯を輪廻するといわれ、その救済をするのが地蔵さまで、六分身され、檀陀,宝印,宝珠,持地,除蓋障,日光の六地蔵をいいます。
民話に出てくるのは、笠地蔵などもあり、貧しくても心の清い老夫婦が路傍の石地蔵に菅笠を被せてやったことで、その恩返しを受けるというものも残っていて、昔から庶民に親しまれてきたようです。
駐車場に戻り、時計をみると11時45分です。次は第5番札所「蔵光院」で、ここから16.6q、25分ほどだそうです。そろそろお昼時間ですが、もう少しお詣りしてからにしようと、出発しました。
◎久昌寺 雄勝郡羽後町杉宮宿99 電話 0183-62-1712
第6番札所 三輪山 久昌寺 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
ご詠歌 来て見れば 田毎の杉も 真直に 末頼もしき 観世音なり
☆秋田三十三観音札所巡り Part.15
第5番札所「蔵光院」は横手市雄物川町沼館にあり、ここ「久昌寺」からは、まずは本荘街道に出て、県道57号で右折し、ローソン西馬音内奠から右折し国道398号線に入ります。
そこを進むとそのまま県道36号に入り、雄物川沿いを走ります。この途中で、いかにも米どころ秋田という雰囲気のところがあり、田んぼの風景を撮りました。ちなみに、この「秋田三十三観音の旅」の題字の写真は、ここの雄物川沿いの田圃の風景です。
また、その道を進み、国道107号で右折し、新雄物川橋を渡り、深井を左折します。さらに食事処「おもの川」から左折し、70m先をまた左折、200m先を左折し50mほど進むと増光院です。
参道から中に入ると駐車場があり、そこに車を駐めて時計をみると12時10分でした。
いったん外に出て、改めて山門から入ると、二層の格式ある山門で、扁額には「雄勝山」と彫られていて、二層めには欄干もついていました。そして、その両側には仁王石仏がまつられ、その間を通りました。
参道を進むと、正面に本堂があり、その右手前に庫裡があったので、そこに先にまわりました。そして朱印帳を預けると、お堂の扉を開けるからといっしょに歩いて、本堂の左奥にある観音堂の扉を開けてくれました。
観音堂の左側は舞台造りになっていて、何に使うのかはわかりませんでしたが、花見の宴や野点にはいいかもしれません。
扉が開いたのでお堂の中に入ると、カギはそのままにして扉だけ閉めてきてくださいということでした。
誰もいなくなった観音堂のなかで、ゆっくりと観音経と諸真言を唱え、お詣りをしました。
お詣りが終わり、堂内を見てみると、灯明立てが宝珠型になっていて、壁には山形県朝日町の巡礼の会の旗もありました。
案内によると、この観音堂は小野寺氏持仏の聖観音像や佐竹南家より寄進された三十三観音像などを安置しているそうですが、内陣のところに御簾が下がり、中はほとんど見えませんでした。
お堂のなかに仁和寺の「浄心、四季マンダラの世界」というポスターが貼ってあり、ここが真言宗御室派の寺院だと改めて感じました。ここ秋田三十三観音霊場の多くが佐竹藩の意向もあり、曹洞宗です。真言宗は智山派の2ヶ寺を入れて3ヶ寺、浄土宗が3ヶ寺、黄檗宗と臨済宗妙心寺派が1ヶ寺ずつで、他はみな曹洞宗です。
今までいろいろな観音霊場をまわってきましたが、こんなにも片寄っているのは初めてです。
この蔵光院はとても由緒のある寺院で、藩政期にも興隆し、さらに明治以降も山門を建立したり、本堂を再建したり、広い境内を整備されたそうです。
その広い境内地を歩きながら、庫裡に行き、朱印帳をもらい、もう一度山門まで歩き、それから駐車場まで戻りました。山門のわきには、古い石碑などが立ち並び、その当時の隆盛に思いを馳せました。
車に戻って時計をみると、12時35分でした。次は第11番札所「大慈寺」で、ここから7.6q、11分ほどで着くそうです。
◎蔵光院 横手市雄物川町沼館429 電話 0182-22-4174
第5番札所 雄勝山 蔵光院 (真言宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
ご詠歌 よろづ世の 願ひことほぐ 福寺の 庭はすなはち 浄土なりけり
☆秋田三十三観音札所巡り Part.16
第11番札所「大慈寺」は横手市大森町高口下水戸堤にあり、第5番札所蔵光院から雄物川町沼館の信号を左折し、突き当たって右折、さらに左折し、県道48号を左折して、沼館橋を渡ります。
最初の信号を右折し県道36号に入り、スーパーきくちやの信号を右折し、そのまま橋を渡り右折したところにあります。入ると大慈寺寺門のところに駐車場があるので、そこに駐めました。
12時45分でしたので、すぐに「龍渕山」と金文字で彫られた扁額のかかった総門をくぐり、さらに鐘楼門をくぐりました。
この鐘楼門は秋田県内でも珍しいかや葺き屋根で、工事用の足場がかかっていて、補修をしているようでした。このお寺は、3つの門があり、寺門、総門、鐘楼門をくぐって石段を上り、本堂の前に出ます。
右手に庫裡があり、そこで朱印をお願いしました。すると、観音さまは本堂の位牌堂に安置してあるからとのことで、そこから入らせてもらいました。
本尊の前でお詣りし、位牌堂の奥の左側に「秋田三十三観音第十一番札所 聖観世音菩薩」と書かれたところに厨子におさめられた観音さまがいて、右手には同じような厨子に「観世音菩薩」とだけ書かれたところに千手観世音菩薩がまつられ、その他にもいくつかの仏さまが安置されていました。
その前には外陣でお詣りし、その左手にたくさんの仏さまがまつられていて、その左側には不動尊もあり、その前に座り、観音経や諸真言を唱え、お詣りをしました。
ここには観音さまだけでなく、他の仏たちもいるので、さまざまな真言も唱えましたが、このお寺は元は密教寺院として開創されたそうです。今は曹洞宗なので、位牌堂の手前には祖師が2体安置されていました。
また、本堂の須弥壇の後方には、石油王と呼ばれた山下太郎氏の位牌堂もあります。山下氏は「アラビア太郎」とも言われ、1957年にペルシャ湾海底油田の開発利権を獲得し、翌年には「アラビア石油株式会社」を創立した実業家で、秋田県横手市の生まれです。その当時、石油のほとんどをアメリカに依存していることに危機を感じ、サウジアラビアやクウェートから採掘権を獲得したというのは、そのスケールの大きさがわかります。
山下氏は、この寺に梵鐘を寄付しただけでなく、お墓もこの寺にあるそうですが、ここの横手市大森町には山下太郎顕彰育英会があり、さらに秋田県出身者や在住者および秋田県内の大学生や研究者に対し、「学術研究奨励賞」と「地域文化奨励賞」もあり、学術振興に多大なる寄与わしていることがわかります。
駐車場に戻る途中に、総門で一礼すると、その左手前に「開運守護 豊川稲荷分霊」と彫られた石碑があり、右手前には「山門禁葷酒」と彫られた石塔を見つけ、ここにも「菅江真澄の道」という標識が立っていました。
時計をみると13時5分です。次は第13番札所「祇薗寺」で、ここから20.5q、30分ほどです。大慈寺住職の話しでは、祇薗寺への道はわかりにくいからということなので、途中でお昼ご飯を食べようと思いながら出発しました。
◎大慈寺 横手市大森町高口下水戸堤9 電話 0182-26-2061
第11番札所 龍渕山 大慈寺 (曹洞宗) 本尊さま 正観世音菩薩
ご詠歌 後の世も 現世の苦難 剣の難 経味を受けて 今宿の里
☆秋田三十三観音札所巡り Part.17
第13番札所「祇薗寺」は横手市金沢立石寺ノ沢にあり、大慈寺からは大上橋を渡り、県道29号で左折し進みます。
向かう途中の「ファミリーマート横手大雄店」のわきを通ったので、そこでおにぎりとお茶を買い、その駐車場で食べました。たった10分間でしたが、休むこともできました。いつも、その地方のおいしい昼食をと思うのですが、そのようなお店が見つからないと、ついコンビニで簡単にすませてしまいます。
再び車を始動させ、県道29号線を進み、国道13号線で左折します。左側にある金沢公民館の先のY字路の信号から右折し、500m先を左折します。山間部を走り、左下にお堂が見えたので、その先から左折し狭い道を進みました。400mほどで急角度で左折し進むと、祇薗寺がありました。
大慈寺の住職が言うように、なかなかわかりにくく、たまたま走らせながら杉林のしたにお堂が見えたからわかったものの、ナビだけでは着かなかったかもしれません。そこの駐車場に車を駐めると、13時45分でした。
石段を上ると山門があり、その右柱には「曹洞宗 祇薗寺」、左の柱には「秋田県第十三番札所」と書かれた板が掲げられていました。また、その両側には六地蔵が3体ずつ並び、赤い帽子とよだれかけがしてありました。これは、お地蔵さまが賽の河原をさまよう子供たちを救うことから、子どもたちが元気に育ちますようにといつも見守ってくれるからです。
また、この赤い色には、魔除けの効果があるともいわれ、路傍の六地蔵にはこの赤い帽子とよだれかけが奉納され、かけられているのです。い色は魔除けの効果があると信じられているので、お地蔵さんに赤い前掛けや帽子を奉納するようになったのです。
山門をくぐると正面が本堂で、その右側に庫裡があり、そこから入り朱印をお願いしました。なかの廊下を通り、本堂の正面でお詣りし、その須弥壇の裏側にある祭壇に観音さまが安置されていました。
そこで、観音経と諸真言を唱え、お詣りしました。正面に厨子におさめられた観音さま、その両脇に白木に彫られたお釈迦さまと薬師如来、右端には大きな地蔵尊、さらに左端には袈裟をまとった仏さまがまつられていて、外からの光が入りまぶしいぐらいでした。
この寺の案内には書いてありませんが、地蔵尊を大切に護っているところをみると、長い盛衰のなかで、地元の信仰を集めてきたのではないかと感じました。
ここは天文の頃(1532年)には金沢柵の鬼門にあたる谷間だったので、真言宗の鬼門鎮護祈願寺であったそうです。その後、曹洞宗に改宗し、天保の頃(1830〜43年)には祇薗寺に至る参道の両脇にたくさんの石仏が立ち並び、山奥深い荘厳な寺域となったようです。
そういえば、ここに来る途中のY字路のところに祠がありましたが、それもその当時の名残かもしれません。
お詣りが終わって、庫裡に戻ると、朱印帳に書き入れてくれたのでありがたくいただきました。さらに、こんなに山奥までお出でいただきと飲み物と菓子まで頂戴しました。この菓子はその日の夕食後にお抹茶とともにいただきましたが、秋田市光明堂の「あきた心」でした。
まさに秋田の優しい心が伝わってくるような菓子で、とてもおいしかったです。
駐車場に戻って時間を確認すると、14時5分です。ここまでは偶然に来たので、次の第14番札所「本覚寺」の方角がまったくわかりません。
そこでナビを見ると、6.7q、12分だそうです。意外と近そうですが、ここはまったく人家の見えない山の谷間なので、なんとなく心配しながら車を走らせました。
◎祇薗寺 横手市金沢立石寺ノ沢16 電話 0182-37-2525
第13番札所 万年山 祇薗寺 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
ご詠歌 分け行けば 大悲の心 いや増して 湧出る水 金洗い沢
☆秋田三十三観音札所巡り Part.18
第14番札所「本覚寺」は仙北郡美郷町六郷東高方町にあり、祇薗寺から元の道に戻り、桂徳寺のところから右折し、国道13号線に入ります。
この国道はなんども通っているので、ここまで来ると土地勘がわかり、やっと安心できました。そして、赤城の信号から右折し、80mほどして左折、また600mほどで左折すると右側にありました。
境内の左側に駐車場があり、そこに車を駐めました。14時15分ですから、祇薗寺からは順調に来たことになります。
いったん道路に出て、山門の前に立つと、左側に掲示板があり、「諸宝行樹 及宝羅網 出微妙音」と書いてあり、ここが浄土宗の寺であることを改めて思いました。
というのは、「仏説阿弥陀経」のなかに、「舍利弗 彼仏国土 微風吹動 諸宝行樹 及宝羅網 出微妙音 譬如百千種楽 同時倶作 聞是音者 皆自然生 念仏念法念僧之心」というのがあり、和訳すると、「舎利弗よ、仏の国では風が吹いて宝の樹木と宝の網を揺らして、美しい音を奏でます。その音は百千種類の楽です。その音を聞くと、自然と念仏・念法・念僧の心が生まれます。」というような意味になります。
その山門の右側には、ここにも「菅江真澄の道 東光山本覚寺」という標識が立っていました。
山門をくぐって行くと、今度は朱塗りの立派な楼門があります。しかも、朱の色がきれいなので、塗り直しをしてまだ年数が経っていないようです。扁額には「東光山」と金文字で彫られていて、いかにも格式がありそうです。
門の前に、結界があり、「車止め」と書いてありました。
そこから入ると、正面が本堂で、左手側に庫裡があり、そこで朱印をお願いしました。すると、先に観音堂を開けますからと行って、庫裡の向い側にある蔵造りのお堂に行き、なかでお詣りできるように開けてくれました。
その中に分厚い漆喰の扉があり、そこから靴を脱いで入りました。電灯も点けてくれたので、はっきりと見えますが、本尊はりっぱな厨子の中に収まっていて、お姿は見えませんでした。
厨子の右には不動尊、左には忿怒尊が護るかのように立ち、その手前にはこの寺が元は天台宗だったようで慈覚大師のような座像と払子を持った僧形像が安置されています。またその両側の檀には、三十三体の観音像があり、説明がないのでその由来はわかりませんでした。
その前に木魚とキンがあり、お賽銭を入れてから、観音経と諸真言などを唱えお詣りをしました。
蔵造りなので、とてもよく声が響き、なんとも清々しい気分になりました。
よく見ると、三十三体の観音像の下の壇に、神鏡が両側にあり、おそらくここでも神仏混淆の信仰が続けられてきたようです。さらにお堂には千羽鶴や下がり雛なども下がっていて、夏にはこのお堂でご詠歌などを唱えたら気持ち良さそうです。
お詣りが終わってお堂を出ると、本堂の右手前に観音石像が立っていました。その近くに朱印帳を持って出てくれたので、そこで有難くいただきました。
それから朱塗りの楼門をくぐろうとすると、対応してくれた女性が、お堂の鍵を掛ける前に掃除をしていて、つねに掃除を心がけていると思うと、気持ちも晴れ晴れとします。やはり、寺を護る、三十三観音札所を護るということは、苦労が多いと感じました。
楼門をくぐり、右手にある六地蔵に一礼し、車に戻りました。
まだ14時35分なので、次の第15番札所「永泉寺」をナビに入れると、1.1q、3分ほどで、目と鼻の先のようです。「寺町通り」から「市場通り」を走りながら、もともとはこの辺りが本通りだったのではないかと思いました。
◎本覚寺 仙北郡美郷町六郷東高方町26 電話 0187-84-0124
第14番札所 東光山 本覚寺 (浄土宗) 本尊さま 正観世音菩薩
ご詠歌 日出づるや 光も深き 藤の森 大悲の誓ひ 本覚の寺
☆秋田三十三観音札所巡り Part.19
第15番札所「永泉寺」は仙北郡美郷町六郷字八百刈にあり、本覚寺から市場通りを左折し、六郷宿標柱の信号を右折、800mほど先の右側にありました。
入口には、「龍雲山 永泉寺」と彫られた御影石の門柱があり、その先が駐車場でした。そこに車を駐め、その先にお伊勢堂川の細い川があり、その上にかかる橋を渡るとすぐに仁王門があります。扁額には山号の「龍雲山」が金文字で彫られ、欅の木目がきれいでした。
そういえば、この「永泉寺」は、「ようせんじ」と読むそうで、第10番札所の「永泉寺」は「えいせんじ」と読みます。お寺の名前は難しいのが多く、わからないときには聞くしかないようです。
その門の右手前には「禁葷酒」と彫られた石塔が立ち、仁王さまも金網などないので、すっきりと見えます。屋根には「五七の桐」の紋が2体掲げられ、ここが曹洞宗の禅寺だとわかります。
仁王門をくぐると、すぐ右手に六地蔵、そしてその先に鐘撞き堂があり、さらに雪見灯籠もありました。正面が本堂で、その左側は墓地になっています。その墓地のなかに、古い宝篋印塔がありましたが、塔身の上の笠や相輪が一部欠けていました。
右側に庫裡があり、その玄関先で呼び鈴を押すと、すぐに出てきてくれました。
先ずは朱印をお願いすると、本堂の方からお入りくださいということで、本堂の玄関から入ると、内陣の格天井の絵がひときわ目を引きました。外陣に座ると、そこから須弥壇の一番上に安置されている本尊の十一面観世音菩薩が拝めました。
その上の虹梁に「園通殿」と彫られた扁額が掲げられ、両端には祖師像がありました。
外陣の経机のところで、観音経と諸真言を唱え、お詣りをしました。
本堂の左側には、長押に「観自在」と彫られたものが掛けられ、その手前の左手には木彫りの千手観音像、右手にも観音像が安置されていて、まさに観音さまのお寺のような雰囲気でした。
しかも、その間には生花が活けられていて、どちらも新しい仏像ですが、大切にまつられていることがわかります。
その前では、浄財の箱にお賽銭を入れ、「舎利禮文」を唱えました。というのも、道元禅師の火葬の際にも読誦されたそうで、その故もあって曹洞宗ではよく用いられています。
庫裡へ行き、朱印帳をいただき、一礼して外に出ました。
すると、その前に「一葉観音」石像があり、ハスの葉を船に見立てたようにして乗った観音像です。白御影石のスキッとしたお姿で、その前にも木魚とキンが準備されていて、お詣りしました。
板にその由来などが書かれているようでしたが、書いたものは薄くなって、ほとんど読めませんでした。
仁王門を出て、お伊勢堂川を渡るとき、この近くには六郷湧水群があることを思い出しました。すぐ近くには「藤清水」、「山田家清水」、「御台所清水」、「柳清水」などがあり、その名水を使ったお蕎麦屋さんや料理屋さんもあるそうです。
私もお茶をしているので水には興味があり、どこかで今夜のお抹茶を点てるときの水を汲みたいと思ったのですが、ここは初めての場所なので水を汲むところを知らず、諦めました。もし、機会があってこの六郷地区に来るときには、ぜひここの先ずでお茶を点てたいと思いました。
時計をみると14時58分です。今日は8ヶ寺お詣りをしましたが、次の第17番札所「大川寺」は、今夜泊まる予定のホテルの近くです。ここから7.9q、12分ほどなので、もう1ヶ寺まわることにしました。
◎永泉寺 仙北郡美郷町六郷字八百刈113 電話 0187-84-0249
第15番札所 龍雲山 永泉寺 (曹洞宗) 本尊さま 十一面観世音菩薩
ご詠歌 本尊の 奥まる一燈 仰ぐとき 細き光りの 澄みて揺がず
☆秋田三十三観音札所巡り Part.20
第17番札所「大川寺」は大仙市大曲須和町3丁目にあり、ここ永泉寺から出て右折し、そのまま和合入口の信号を右折し国道13号線に入ります。戸蒔の信号を左折し、福部内川を渡り、日の出町の信号から右折し、県道36号線を進むと左側にあります。
白御影石に「長延山 大川寺」と彫られた門柱が左にあり、そこから境内に入ると、駐車場があります。ここに着いたのは15時10分です。
駐車場になっているところに、鐘楼門があり、下からも鐘がよく見えます。その上には白文字で「長延山」と彫られた扁額があり、200年以上も前の門だそうです。
実は、昭和2年6月の火災でほとんどの伽藍が焼失したそうですが、唯一残ったのがこの鐘楼門です。ですから、現在の本堂は、昭和10年に再建されたものです。
その本堂は鐘楼門をくぐった正面にあり、二層になったような建物で、扁額には「大川寺」とありました。本堂の左手には宝篋印塔があり、右手の松の下には宝篋印塔に似た石灯籠が立っていました。そのわきを通り、庫裡に伺うと、すぐに出てきてくれ、朱印帳を預けると、渡り廊下を案内され、本堂の前を通り、位牌堂へと進みました。
位牌堂の天井は格天井になっていて、円の中に草花の絵が描いてあり、1つ1つ見たかったのですが、先ずは正面奥の観音さままで進みました。
須弥壇の中央には千手観世音菩薩が安置され、その前に「千手観音御真言 オン バサラ ダルマキリク ソワカ」と書いた紙が貼ってあり、須弥壇の左下には千手観音のことが記された板が釘で留めてありました。
珍しいと思ったのは、千手観音の左脇の観音さまの台座に、「八番 大和國長谷寺豊山神樂院」と金文字で書かれていました。
その前には木魚とキンが準備されていたので、そこで観音経と千手観音のご真言などを唱え、お詣りしました。
案内書によると、ここは曹洞宗に属しているのですが、本尊は大日如来とあり、ちょっと不思議な感じがしましたが、この寺はもともとは大渓寺という真言宗の草庵で、1390年代には大曲内雄物川の東岸、鶉町付近に移り、長延山大川寺と号し、曹洞宗に改められたそうです。その後500年ぐらいしてこの現在の地に移ってきたそうです。
このように、寺の歴史を振り返ると、不思議でもないことがわかります。
戻るとき、本堂の前で本尊を拝もうとしましたが、厨子にしっかりとおさめられていて、お姿は見えませんでしたが、お詣りはさせていただきました。
渡り廊下を戻るときに、棟方志功の「二菩薩釈迦十大弟子」の額装がかかっていたのに気づきました。これを初めて見たのが倉敷の大原美術館で、土蔵のような展示館だったこともあり、今でもよく覚えています。聞くところによると、棟方作品は刷ったあとに、裏から彩色をしているので、たとえ同じ版木から刷ったものでも1つとして同じものがないと言われているそうです。大原美術館の「二菩薩釈迦十大弟子」は、とても大きく、圧倒的な迫力で迫ってくるようですが、ここの額装も小さなレプリカでも存在感はあります。
もともと、「釈迦十大弟子」はヴィネチア国際版画大賞を受賞したことで注目を集めましたが、それは下絵なしで彫られたというからあの力強い陰影が生まれたような気がします。
庫裡のところで朱印帳をいただくと、副住職からお茶と菓子の詰め合わせをいただきましたが、朱印代の何倍もありそうなので辞退すると、ぜひにというので有難く頂きました。翌日からのお詣りの休憩時間に食べましたが、四国を遍路したときのお接待を思い出しました。
駐車場に戻ると、15時30分でした。今夜の宿まで、ここから1.5q、4〜5分なので、ゆっくりと向かいました。今夜はホテルの中の「和食 花菜野」で静岡産のうな重をセットにしてもらい、宿泊料は11,580円でしたが、秋田割が5,000円で、地域クーポン2,000円なので、実質支払いは4,580円でした。
夕食前に近くを散歩しながら、ホテルの斜め向い側にあるグランマート白金台で地域クーポンを使いました。秋田県は、このクーポンをほとんどのところで使えるので、とても便利です。今回の秋田三十三観音霊場の旅も、宿泊費が割引きになることと地域クーポンでとてもお得になりました。
◎大川寺 大仙市大曲須和町3丁目1-26 電話 0187-62-0072
第17番札所 長延山 大川寺 (曹洞宗) 本尊さま 千手観世音菩薩
ご詠歌 ひたすらに 合わすその手に 大川の 大悲の御声 頼もしきかな
☆秋田三十三観音札所巡り Part.21
今日は9月13日、火曜日です。今日の予定は国道105号線を走り、鹿角市の第30番札所「円通寺」です。
せっかく角館を通るので、第12番札所「常光院」に連絡すると、午前中はいるとのこと、ここは11日にお詣りしましたが朱印はいただけなかったので、もう一度行くことにしました。
ホテルを8時30分に出て、県道36号へ左折し、若竹町信号を右折し国道105号を進みます。ここは何度か通っているので迷うことなく9時に到着し、本堂のなかの位牌堂にまつられている如意輪観世音菩薩をお詣りしました。詳しくは9月11日の常光院のところに書いてあります。
ここ常光院を9時15分に出て、目指すは鹿角市尾去沢中沢にあり、第14番札所本覚寺です。先ずは桧木内川沿いを右折し、国道341号線へ右折します。本町信号で左折し、院内川を渡り、国道105号線を進みます。そして秋田内陸線の左通駅の先から右折し県道321号へ入ります。宝仙湖のわきを進み、男神橋の上から写真を撮ったりして休憩しました。
「道の駅かづのあんとらあ」の150mほど先から左折し、県道66号を進み、山道に入ると左側にありました。ここまでは常光院から129q、2時間15分かかりました。
駐車場は県道66号線の右側にあり、時計をみると11時30分でした。
すぐに山門から入ると、そこには「大盛山」という山号の扁額があり、その下は石段になっていて、駐車場に車を駐める人はほとんどくぐることはありませんが、そこから入って本堂のわきの庫裡に伺い、朱印をお願いしました。ここは露座の聖観世音菩薩とのことで、この道を歩くとその先にあると教えてもらいました。
参道の右側に「聖観音」と白抜きに黒御影石に彫られた台座に、聖観世音菩薩石像が鎮座していました。
その前で観音経と諸真言を唱え、お詣りをしました。正面から拝むと、わきの木の枝が顔に被さるようになっていて、煩わしいようでしたが、真夏なら涼しく感じられるのかもしれません。
この辺りの寺は、尾去沢鉱山と共に歩んだ歴史があり、大正時代の末期にはいくつかの庵やお堂を統合合併して大盛寺としたそうです。昭和11年と翌12年に尾去沢鉱山ダムが続けて決壊したことから、その犠牲者を追悼する観音堂を建て、「圓通大士」の名から大盛寺を改め圓通寺としたそうです。
庫裡で朱印をもらい、もう一度山門のところに戻ると、せっかくの機会なのでその石段を少し下ってみました。すると、小さな朱塗りの橋があり、「圓通橋」という銘板が付いていました。この先には尾去沢鉱山施設群があるそうですが、そこから引き返しました。つまり、この山門は、昔の尾去沢鉱山からお詣りするためのものだったようで、その途中にはたくさんのお墓がありました。
車に戻ると11時45分で、途中通ってきた道の駅で昼食にしようと戻りました。ところが、お目当てのレストラン「MITACHI」は休業日で、しかたなく「そば軽食コーナー」で食べましたが、エビそばが600円で、しかも早く出たのでここには20分ほどもいなかったと思います。
しかし、ここ鹿角は郷土料理「きりたんぽ」の発祥の地だそうです。私はぼた餅にしたものを櫛につけて焼いたものではないかと秋田の方にいうと、それは本物を食べたことがないからで、本格的な「きりたんぽ鍋」は絶対においしいといいます。また、くるみ味噌を塗って焼いた「みそ付けたんぽ」も、香ばしくておいしいそうです。ここで、それも楽しみにしていたのですが、次の機会にするしかありません。
時計をみると12時10分です。次は第32番札所「仁叟寺」で、ここから13.4q、23分ほどだそうです。今日は珍しくお昼時間に食べることができたので、運転も快調です。
◎円通寺 鹿角市尾去沢中沢4-25 電話 0186-23-3291
第30番札所 大盛山 円通寺 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
ご詠歌 金銀の 山を守りて 千年余 煙絶えない 大盛の里
☆秋田三十三観音札所巡り Part.22
第32番札所「仁叟寺」は鹿角市十和田毛馬内番屋平にあり、ここ道の駅からは11.3q、20分ほどだそうで、先ずは駐車場から国道282号線に左折し進みます。
そして東北自動車道の下をくぐり、花輪線の踏切を渡り、左側にあるホルモン焼肉店の「とらめちゃめ」の信号から右折し100mほど先の左側にあります。
白壁の角に、黒御影石に「凱翁山 仁叟寺 南参道」と彫られた案内のところから入ると、白壁に沿って石仏が並んでいるところを進み、鐘楼のわきを通ると、駐車場があります。駐車場は仁王門の下のところと上にありますが、1台も駐まっていなかったので、上のところに駐めました。
時計をみると12時30分で、先ずは仁王門の下に行きました。参道のわきに大きな杉の木が両脇に立っていて、通路を渡ると石段になります。左側には、「曹洞宗 仁叟寺」と彫られた門柱があり、両側に赤い仁王像があり、そこをくぐると、正面が本堂です。
左手には聖観世音菩薩石像と可愛らしい数珠を手に掛けた小僧石像が1つの屋根の下に収まっていました。本堂への石段の右手には十三層の石塔が立ち、その間の石段を上り、右側に行くと庫裡です。
呼び鈴をおすとすぐに出てきてくれ、朱印をお願いすると、ここから本堂へお上がりくださいということでした。そこで靴を脱ぎ、左側の本堂に進むと、さらにその先が位牌堂になっていて、その奥に青銅製の聖観世音菩薩像が安置されていました。
その前には、経机の上にキンがあったので、それを打ち、観音経と諸真言を唱えお詣りしました。灯明も線香も供えてあったのですが、火の用心のこともあり、いつも使わないので、ここでもそうしました。
秋田三十三観音奉賛会の発行した「秋田三十三観音めぐり」はとても役立ち、この小冊子を頼りにお詣りしたのですが、この本にも観音さまが載っていて、花まで同じでした。
位牌堂から戻るとき、その入口の左側に十六羅漢が祭壇に並んでいて、この祭壇は四国霊場巡拝団と仁叟寺梅花講が平成元年に寄進して作られたと書いてありました。その左手には閻魔大王がまつられ、恐ろしい顔をしていました。もともとは、牛頭、馬頭などの古代インドの民間信仰が中国に伝えられ、道教などと混じり合って日本に伝えられてきたときに、インドにはなかった閻魔大王を頂点とする官僚制度のような考えがつけ加えられ、日本では、鎌倉時代ころから浄土思想が盛んになるとともに、地獄思想も広まってきたようです。
その閻魔大王の左側には「奪衣婆」の木像があり、これは三途川で亡者の衣服を剥ぎ取る老婆の鬼といわれています。多くの地獄絵図に描かれる奪衣婆は、胸元をはだけた容貌魁偉な老婆ですが、ここのお姿は上半身をはだけていました。どちらも民間信仰とはいえ、子どもたちにとっては恐ろしい存在で、これを見ただけで地獄には落ちたくないと思ったはずです。
庫裡で、朱印帳をいただき、一礼して玄関を出ると、真っ青な空が広がっていました。
石段の上から仁王門の右側を見ると、納経堂があり、その石室の上には経机に向かって写経をしている僧侶が大理石で造られていました。とてもその心静かな様子に、ホッとさせられました。
また、ここ仁叟寺の六地蔵は、屋根付きの建物に、奥に古くからのものが並び、前列には今どきの可愛らしい六地蔵が並んでいて、その壁には、地蔵菩薩ご詠歌の「たらちねの み親のもとに いる児らは 御名を唱うる 声ばかりなり」と書かれた紙も貼ってありました。
車に戻ると、12時50分でした。次は第33番札所「信正寺」で、ここから31.3q、43分ほどかかるそうです。
◎仁叟寺 鹿角市十和田毛馬内番屋平26 電話 0186-35-3127
第32番札所 凱翁山 仁叟寺 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
ご詠歌 あな尊ふと 慈悲忍辱の 叟寺 身を様々に 変わる観音
☆秋田三十三観音札所巡り Part.23
第33番札所「信正寺」は大館市花岡町七ツ館にあり、ここ仁叟寺からは、先ほど走ってきた国道282号線へ右折し、小坂の方に進みます。五十刈信号を左折し、県道2号線に入り、そのまま山のなかを進みます。大館市内の有浦信号を左折し、国道7号線に入り、秋田自動車道の下をくぐるとすぐに左折し進むと、下内川にかかる松峰橋を渡ります。そのまま道なりに進むと、左側にあります。
信正寺の前は花岡川が流れ、境内は杉やヒバの大木が茂り、参道の右手のヒバの根元に、「秋田第三十三番 満願霊場 信正寺」彫られた石碑が立っていました。
その左側には六地蔵が並び、その正面が本堂です。本堂の玄関前には、石造の大きな香炉が据えられていて、扁額は「信正寺」と金文字で彫られていました。その扉のところには、「ご用の方は、脇の小玄関よりお入りください」と書いた紙が貼ってあり、さらにその脇には「アブが集まります エンジンを止めてください」と、その脇に「境内地に熊が出没しております。供物やゴミは持ち帰るようにしてください」と書いてあり、これは大変だなと思いました。
先ずは庫裡の方にうかがい、そこで朱印をお願いし、小玄関の方から本堂に上がらせてもらいました。
本堂は、曹洞宗でよく見られる柱などを装飾する柱巻が真新しく、図柄は昇り竜のようで、とても勢いがありました。
本堂の外陣のところで、観音経と諸真言を唱え、お詣りをしました。静かで広い空間なので、その声が響いて反響するようで、気持ち良くできました。
せっかくなので、須弥壇の真ん中に安置されている千手観世音菩薩を拝見すると、おそらく木彫りの金箔のお姿で、台座は極彩色のりっぱなもので、しばしうっとりとしました。
ここはもともとは真言宗の寺で、森昌寺と呼ばれていたそうです。その後、浅利氏滅亡後の承応元(1652)年に曹洞禅に改宗し、岩本山信正寺になったそうです。この現在の本堂は、大正6年の火災で全焼し、大正13年に再建されたものです。
帰りに朱印帳をもらい、お礼をして、玄関を出ました。
すると、その本堂の左脇にイチョウの大木があり、樹齢650年だそうです。今は鉄で造った支えに守られていますが、元気に枝葉を茂らせています。かつては、霊木として葉や実を採ることは禁止されていたそうですが、まさにこの寺の生き証人でもあります。
よくイチョウは寺社仏閣に多いので、一般家庭には植えると悪いといわれますが、この枝葉の茂りを見れば、小さな庭でも持て余しそうです。イチョウは丈夫な植物で、約2億年前の中生代ジェラ紀に栄え、現在まで生き残ってきました。この間には、何度か氷河期もあり、この仲間の植物も恐竜とともに絶滅し、イチョウ科に属するのはこの木だけです。だから、イチョウはメタセコイアと共に「生きた化石植物」とも呼ばれています。イチョウを漢字で「公孫樹」と書きますが、その実は孫の代にならないと収穫ができないことから名づけられたそうです。
そのイチョウの近くで、ここが秋田三十三観音第33番霊場ということもあり、記念撮影をしました。いつも霊場巡りの場合は、最初と最後の札所だけは撮ることにしていて、石の上にカメラをセットして、セルフタイマーを使います。
それから車に戻ると、13時55分でした。次は第31番札所「玉林寺」です。ナビで確認すると、ここから県道192号線を通って7.3q、15分ほどです。
先ほど通ってきた秋田自動車道の下をくぐったところまでは同じ道なので、迷わずに行けそうです。
◎信正寺 大館市花岡町七ツ館25 電話 0186-46-1324
第33番札所 岩本山 信正寺 (曹洞宗) 本尊さま 千手観世音菩薩
ご詠歌 岩本の 御法の鐘の 声聞けば いかなる罪も 世に残るまじ
☆秋田三十三観音札所巡り Part.24
第31番札所「玉林寺」は大館市字大館にあり、先ほどきた県道192号を戻り、国道7号線の高架下を通り、最初の信号から右折し、大館市内のホテルルートイン大館大町の先の信号を右折し、80mほど先の左側にあります。
右側の門柱には「曹洞宗」の銅板があり、左側には「玉林寺」とあり、右の門柱の手前には、「そうじ小僧」の石造があり、台座には「地球も心も清れいにしましょう」と彫られていました。
そのすぐ右に「秋田第三十一番観音霊場」の大きな石塔が建っていました。その間を進むと、なかに駐車場があり、そこに山門があり、「バス・トラックの通行禁止」とありました。
車を駐め、時計をみるとまだ14時10分です。山門の右手前には鐘楼があり、その手前には「十二支地蔵尊」の石仏があり、かわいらしいお姿でした。そして、山門の左手前には六地蔵が並び、そこから入ると、正面が本堂です。
このお寺は、近世にも何度か火災に見舞われ、昭和6年に本堂と山門、鐘楼が造営されたそうです。本堂の前には、第33番札所の信正寺のような石造の大きな香炉が据えられていました。
本堂の右手に玄関があり、そこでベルを押すとすぐに出てきて、朱印をお願いすると、ここから入ってなかでお詣りしてくださいということでした。有難く入堂させていただき、外陣に立つと、「施無畏」彫られた扁額の下の須弥壇のところに馬頭観世音菩薩の木像が安置されていました。そのまわりには、たくさんの金剛仏があり、遠くてはっきりとはわからなかったのですが、観音像のようでした。
ここ秋田三十三観音札所で馬頭観世音菩薩が本尊は、ここだけのようです。
本堂の外陣のところで、観音経とここは馬頭観音ということで、そのご真言「オン・アミリトドバン・ウン・ハッタ・ソワカ」と7返唱え、お詣りをしました。
お詣りがおわると、住職不在のため、代理の僧侶が来て、いろいろな話しをしてくれました。この須弥壇の右側に、厨子におさめられた延命地蔵菩薩がまつられていて、そのまわりに数え切れないほどの木彫りのお地蔵さまが立ち並んでいました。
さらにお堂の裏側も案内していただき、そこには木彫り彩色の「慈恩観世音菩薩」がまつられていて、住職と親交のあった中国の仏師が彫刻し納めたとのことでした。とても優美なお姿で、左手にハスの花を持ち、右手は与願印をしていて、人々のさまざまな願いを受け止めてくれるという意味です。
よく、釈迦如来もこのような与願印をしていますが、ここは曹洞宗で本尊が釈迦牟尼仏ということで、あえてこの与願印にしたのかもしれません。
再び本堂の前に戻ると、廊下の内側に「玉林寺」と彫られ、枠に龍の豪快な彫り物のある扁額が掲げられ、外側には「鳳凰山」と豪快な文字の扁額が上がっていて、どちらも素晴らしいものでした。
ここで、朱印をいただき、一礼し、玄関を出ました。
時計をみると、15時でした。いろいろな話しを伺ったので、ここに50分もいたことになります。でも、今日泊まるビジネスホテルのチェックインは15時からなので、わざわざ時間を調整することもなく、すぐにホテルに向かいました。この玉林寺からは、たった240mでした。
ホテルの部屋に落ち着き、昨夜もらった地域クーポンを今日中に使わなければならないので、また車で1.3qほど離れた「いとく大館ショッピングセンター」まで行き、今夜の食事を買い込んできました。
今日は早めに着いたので、ゆっくりと体力を回復させ、明日からの秋田三十三観音霊場の旅も順調に進めたいと思いました。
◎玉林寺 大館市字大館24 電話 0186-49-2267
第31番札所 鳳凰山 玉林寺 (曹洞宗) 本尊さま 馬頭観世音菩薩
ご詠歌 天下る 鳳凰山の 桐の沢 玉の御寺に 駒ぞいさめる
☆秋田三十三観音札所巡り Part.25
今日は9月14日水曜日です。ホテルを8時15分に出て、先ずは第29番札所「梅林寺」です。ここは能代市二ツ井町上山崎にあり、ナビでみるとここから33.1q、38分ほどだそうです。
ホテルの駐車場から左折し、長倉信号から左折し国道7号に入ります。あとはナビ通りに秋田自動車道に入り、蟹沢ICからそのまま県道325号に入り、翔鷹大橋を渡り、国道7号で左折します。藤琴川を渡るとすぐに斜めに左折し下り、2つ目の信号から右折します。そして奥羽本線の踏切を渡り、20m先の丁字路を左折し200mほど進むと、正面の高いところに梅林寺が見えます。
手前に駐車場があり、そこに「曹洞宗 梅林寺」と彫られた石塔があり、道路の両脇には仁王石像が対で立っていて、サルスベリも満開に咲いていました。でも、そこには1台も駐まっていなかったので、そのまま寺に上って行き、広いところに車を駐めました。ここに着いたのが8時58分です。
先ずはちょっと下り仁王門を見上げると、右の門柱には「巌山 梅林寺」、そして左の門柱には「秋田第二十九番霊場」と彫られていて、その間の石段を上って行くと二層の仁王門があり、仁王像がおさめられていました。
二層の上には「梅林寺」と金文字で彫られた扁額が掲げられ、その下を通ると、右手に鐘楼があり、正面に本堂がありました。その参道の両側には石灯籠が対に並んでいて、戸が閉まっていました。
そこで、左手にある庫裡へ回り込むようにして行くと、玄関があり、呼び鈴を押すとすぐに出てきてくれました。そこで朱印をお願いし、そこから本堂へ行けるとのことで案内してもらいました。
渡り廊下を進むと本堂に出て、外陣のところでお詣りをしました。大きな唐金製香炉のなかに、金色の観音さまが立っていて、香の煙で変色しないかと心配になりました。
その前で観音経と諸真言を唱え、お詣りをしました。
それから本堂を改めて見渡すと、人天蓋や対の幢幡、さらには第33番札所の信正寺で見たような柱巻もありました。須弥壇の奥には如意輪観世音菩薩のようなお姿と、その後ろに釈迦牟尼仏だと思うのですが、重なっているのでよくわかりませんでした。
秋田三十三観音奉賛会が監修発行した「秋田三十三観音めぐり」の冊子には、ここの写真が載っていて、間に御簾が下がっているので、よくわかります。
それにしても、お堂も仁王門もみな新しいと思ったら、昭和61年のバイパス建設でもとの荷上場町館からここに移転したそうで、境内地も理想的に環境で、きれいに整備されていました。
この梅林寺は、もともと高岩山の慈覚大師が開いた霊場にあり、そこにあった高岩山密乗寺が廃寺になり、それを憂いた補陀寺の十一世天室蒼龍和尚が荷上場村に梅林寺を再興され、そのときに曹洞宗に改宗されました。そのような由縁から、山号が「高岩山」になっているようです。
ご詠歌にも「高岩寺」とあり、ここの外陣の上にも「高岩寺」と彫られた扁額が掲げられていました。おそらく、地元の人たちは、高岩寺も梅林寺も同じお寺という認識のようです。でも、このように、古くからの名称を大切に護っていることも大切なことで、そこに歴史が感じられます。また、ここのようにバイパス建設などで移転せざるをえない場合などは特に必要なことではないかと思いました。
庫裡に戻り、朱印帳をいただき、玄関を出て、もう一度本堂の前に立ちました。
すると仁王門のところに、「平和観音石像」が立っていました。上ってきたときには気づかなかったので、ここでもお詣りし、車に戻りました。
9時23分だったので、少し休み、次の第28番札所「松源院」を入力しました。ナビで確認すると、ここから28.9q、35分ほどです。
この辺りは、札所が離れていて、次々とお詣りすることができないようです。
◎梅林寺 能代市二ツ井町上山崎38 電話 0185-73-2755
第29番札所 高岩山 梅林寺 (曹洞宗) 本尊さま 千手観世音菩薩
ご詠歌 名のみ聞く 高岩寺の 明の鐘 積む煩悩も 消えて行くなり
☆秋田三十三観音札所巡り Part.26
第28番札所「松源院」は、山本郡八峰町八森にあり、梅林寺からは先ほどの国道7号線まで戻り右折します。米代川を渡り、富根駅の表示の信号を右折し県道205号に入ります。再び米代川にかかる富根橋を渡り、県道64号で左折します。常磐郵便局のところを右折し、ナビの通りに進み、県道63号で右折します。そのまま進むと、五能線の踏切を越え、国道101号で右折します。1.7qほど進むと左側にお寺が見えるので、その先から左折すると80mほどで松源院です。
塀の角のところに「白瀑神社」と書かれた碑が立っていて、そのすぐ後ろに「波切り不動」の由来板があり、それを読むと「白瀑神社」はこの参道の入り口から約900mほど山の手にあり、ここは滝の上にある不動像を遙拝するところになったそうです。そして、不思議なことに、いくら大きな津波がきてもここで止まると言い伝えられているそうです。そういえば、道路わきの田んぼの先はすぐ海ですから、昔から津波の恐怖はあったのです。
左側に鳥居のような門があり、その手前に広い駐車場があり、そこに車を駐めました。10時7分でした。
その門の左側には、屋根のついたバス待合所があり、その名も「お寺前」で、バスを待っている間もお詣りをしたり、雨の日はこの屋根の下で話しをしながら待っている様子がうかがえます。その右側に黒御影石に「秋田観音札所二十八番 曹洞宗 瀧峯山 松源院」と彫られた門柱が立っていました。そこから入ると、左側に唐様の山門があり、両側に通用門が開いてありました。
せっかくなので、真ん中を通ると、参道の両側に新しい石灯籠と古い石灯籠が並んであり、さらに本堂の両側には、ガラスに収められた金剛仁王木像が立っていました。
右に行くと庫裡があり、声を掛けると若い住職で出てきて、朱印をお願いすると、本堂の方からおあがりくださいということでした。そこで金剛仁王木像の間を通り、「瀧峯山」の山号額が掲げられた玄関から入りました。ここの格天井には極彩色の十二支が描かれていて、さらに大きな念珠も下がっていました。
本堂に入ると、須弥壇には釈迦牟尼仏を中心に金色の仏像が並び、その右手に聖観世音菩薩がまつられていました。
その外陣で、観音経と諸真言を唱えました。
また、本堂には、西国三十三観音と書かれた棚があり、そこに三十三観音だけでなく、その他の観音像も安置されていて、観音堂の趣きがありました。そこもお詣りさせてもらい、私が西国三十三観音をお詣りしたときの思い出が蘇りました。さらに、本堂の廊下側には、木彫りの千手観音像と彩色された千手観音木像がまつられていて、それぞれにお詣りできるように香炉や灯明台、キンなどが準備されていました。どちらにも積善供養のために奉納したという銘板があり、多くの人たちに今も支えられて守られていると感じました。
そして改めて外陣のところに立つと、須弥壇の上の極彩色の彫刻は天女が舞っているようで、その脇には笹と五色の雲の間に仏たちもいました。
また、須弥壇の下には白衣の仏像があり、その四方には円空仏に似たお姿もあり、この寺には、さまざまな仏像がまつられているというのが印象に残りました。
朱印をいただき、玄関から出ると、外は真っ青な空でした。いつもお詣りするときは天気に恵まれるのですが、今日はとびきりの快晴です。参道を歩きながら右奥を見ると鐘楼があり、第31番札所の玉林寺にあったような「十二支地蔵尊」のかわいらしい石仏がまわりに並べられていました。
その右手前には観音石像とブロンズ製の観音像があり、いずれもきれいに掃除されていることに関心しました。ここは、秋田三十三観音霊場のなかで、一番遠く、北の方にあり、これからまた戻ることになります。
一番心配していたのは、2022年8月9日にここ八峰町八森で1日の雨量としては観測史上最大を記録し、9日の降水量が午後9時の時点で157.5oだったそうです。それでこの辺りでも被害は出たそうですが、今回の霊場巡りに先だって松源院に連絡したら、大丈夫なのでぜひお詣りくださいということでした。
もう1ヶ月以上経っていたので、車を走らせていても、その爪痕は見えませんでした。
駐車場に戻ると、10時35分でした。次は第25番札所「龍泉寺」です。ナビで確認すると、ここ松源院から15.4q、18分ほどだそうです。
◎松源院 山本郡八峰町八森八森236 電話 0185-77-3137
第29番札所 瀧峯山 松源院 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
ご詠歌 岩を立て 山を囲ひの 瀧峯に ただ観音と 唱ふ声のみ
☆秋田三十三観音札所巡り Part.27
第25番札所「龍泉寺」は、能代市清助町にあり、松源院から国道101号に戻り右折し、そのまま15qほど進みます。能代大橋を渡るとすぐの総合体育館前の信号を右折し、丁字路を左折し山際を進むと、右側にあります。
その参道の左側の家のところに「龍泉寺P」と書いてあったので、そこに車を駐めました。この右側に観音堂がありました。ここに着いたのが10時55分です。
そしてその間を通り、その先の石段を上ると、右手に六地蔵がありました。真正面が本堂で、亀の甲羅のようなものに「湯殿山」と書かれたものが掲げられていました。
玄関の左の柱のところに、「秋田観音霊場第二十五番札所」と書かれた白塗りの柱が立てかけてあり、ここが龍泉寺だとわかります。戸が閉まっていたので、右手にある庫裡に行くと、ここも閉まっていて、玄関には手押しの三輪車が置いてありました。
そこで、本堂のところに戻ると、戸の前に朱印が置いてあり、そこで奉納金を納めていただき、般若心経を唱え、お詣りしました。
ここは真言宗のお寺で、だいぶ古くからあり、室町時代後期には湯殿山の傘下に入り、能代出張所にもなっていたそうです。しかし、明治時代の廃仏毀釈の流れから一時神社になったそうですが、修験僧の密雲海の尽力で「湯殿山龍泉寺」として独立しました。
この明治維新の神仏分離令の影響はどこにでもあり、特に歴史のある寺ほど廃仏毀釈の影響を受けました。ここには、今も寺宝が多くあり、薬師如来像など秋田県の指定文化財を蔵しているそうです。
先ほど上ってきた石段を下り、観音堂に行くと、「二十七番・三番 観音堂」と書かれた額が掲げられていて、その下の戸が開きました。
それで、そこから上がって、お堂の中で観音経と諸真言を唱えました。ここは湯殿山との縁があるということで、私ともつながっています。そういえば、内陣の上のところに、「繋ぐ」と書かれた額が飾られていて、そこに「令和元年、清若筆頭若長」と記されていました。この祭壇には、観音石像が2体と、真ん中に古い観音霊場の軸装が下がっていました。その左脇の小さな石像は、極端に乳房がデフォルメされ、おそらくは子育てにご利益がありそうです。
灯明立ては朱塗りの宝珠の形で、神仏習合の名残が感じられます。また右の壁には、「令和元年 能代役七夕 清助町組 親丁 清若」と印刷された「能代役七夕(ねぶながし)」のポスターが貼られていて、8月6日・7日に能代市街地と米代川河口付近で開催される伝統行事です。
これでつながったのですが、先ほどの「清若筆頭若長」というのは、この祭りの役職のようです。
残念ながら、この観音堂には本尊の十一面観音菩薩立像はまつられてなく、おそらくは本堂のなかに安置されているのではないかと思います。というのも、十一面観音菩薩立像は昭和47年6月10日に能代市所在指定文化財になっているので、大切に保管されているようです。その他に薬師如来立像は昭和50年4月10日に指定になり、さらに二の舞尉面と二の舞腫面は県立博物館に保管されているそうです。
やはり、この龍泉寺は歴史があるだけに、寺宝もあります。現在は真言宗智山派に属しているそうです。
駐車場に戻り、車に乗ると、11時15分でした。次は第27番札所「長慶寺」です。ナビで確認すると、龍泉寺から1.8q、5分ほどのようです。
◎龍泉寺 能代市清助町7 電話 0185-52-2056
第25番札所 湯殿山 龍泉寺 (真言宗智山派) 本尊さま 十一面観世音菩薩
ご詠歌 墨染の 桜も実入る 高倉の 阿彦の池に 月澄るなり
☆秋田三十三観音札所巡り Part.28
第27番札所「長慶寺」は、能代市萩の台にあり、龍泉寺からY字路まで戻り、そこから右折し、丁字路でまた右折します。能代市立渟城西小学校のところを右折し五叉路を右折し、そこから80m先を左折し突き当たりを左折し300mほど進むと、右側にあります。
駐車場も本堂前にあり、そこに車を駐めましたが、混んでいました。ここに着いたのが11時20分ですから、込み入った道でしたが5分で着いたようです。
いったん、道路に出て、左に曲がる進むと、立派な仁王門があり、その左側には「曹洞宗 長慶寺」と彫られた門柱が立ち、右側には掲示板があり、「すべての者は暴力におびえる。すべての生きものにとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」と書かれていて、この文章を読んで、ロシアのウクライナへの侵攻の悲惨さを思いました。今のこの時代に侵略戦争が起こるとは、私は考えてもいませんでした。でも、間違いなく、起こってしまったのです。
その仁王門から入ると、上には「万年山」の山号が掲げられていて、正面が本堂です。その右手前が客殿になっていて、その玄関で呼び鈴を押しました。
まもなく法事があるとのことで、すぐに朱印をお願いし、お堂に上げてもらい、お詣りをしました。
外陣のところに座り、観音経と諸真言をちょっと早口で唱えました。
それでも、参列者はまだ入堂しないので、本堂のなかを見渡すと、外陣の上には「長慶禅寺」と彫られた扁額が掲げられ、その脇の柱には金文字で書かれた柱掛けが対で掛けられていました。
急がなければゆっくりと読めそうでしたが、先ずは玄関口に戻り、朱印をいただき、外に出ました。なんとなく気ぜわしいお詣りでしたが、それでもお詣りできただけで満足でした。
外に出てから思い出したのですが、外陣のところに大工の岩山勝男さんが彫刻した十一面観世音菩薩像と不動明王像がならべてありました。いずれも新しい木像ですが、思いのこもった雰囲気のあるお姿でした。
山門を出るとき、改めて仁王像を見ると、古さは感じませんでした。この寺は、江戸時代の元禄年間と宝永元年の大地震や火災で罹災し、さらに明治33年と昭和24年にも火災に遭い、昭和25年に現在の場所へ移転してきたそうです。
ですから現在の本堂は昭和35年に完成し、この山門は平成4年に寛政したそうですから、まだ新しいものです。
もちろん、ここの開創は平安時代にさかのぼるそうで、本尊の十一面観世音菩薩像は慈覚大師により造られたと伝えられています。
車に戻ると、本堂の方からお経の声が聞こえてきて、法事が始まったようです。もし、もう少し着くのが遅かったら、法事が終わるまで待たなければならず、ある意味、とてもタイミングがよかったと思いました。
時計をみると、11時37分です。次は第22番札所「永源寺」です。ここは八郎潟の近くにあり、ナビで確認すると、長慶寺から31.7q、35分ほどかかるようです。
先ずはあまり急がず、ゆっくりと運転しようと思いました。
◎長慶寺 能代市萩の台2-19 電話 0185-52-3611
第27番札所 万年山 長慶寺 (曹洞宗) 本尊さま 十一面観世音菩薩
ご詠歌 米代の 流れは浄し よろず世の 慈悲の心に 響く松風
☆秋田三十三観音札所巡り Part.29
第22番札所「永源寺」は、男鹿市鵜木道村にあり、長慶寺の前を左折し、国道7号線で右折します。そこをナビの案内で進み、大曲信号から右折し国道101号に入ります。途中で県道42号に変わり、大潟村の西部承水路近くの田んぼで写真を撮りました。
ここ大潟村は、学校の教科書で習ったことがあり、ここへは初めてなので、この広大な田んぼの風景を撮りたくなりました。
また県道42号に戻り、JA秋田なまはげ「若美カントリーエレベーター」の見える方向に左折し県道298号に入り、そこからまた左折し、すぐに右折し西部承水路にかかる橋を渡ります。そのとき、西部承水路に葦がしげり、遠くには寒風山(標高355m)が見えたので、橋のそばに車を駐め、橋の上から辺りの風景を撮りました。ここは干拓地なので、ほんとうに真っ平らなのがわかります。
再び車に乗り、突き当たりの信号から右折し800mほど進むと、左側にありました。道路の右側が駐車場になっていて、そこに車を駐めました。
ここに着いたのが12時23分で、予定より10分以上かかったのは、途中で写真を撮ったからで、さっそく山門の前に立ちました。
右側に黒御影石に「曹洞宗」と彫られ、左側には白御影石に「永源寺」と彫ってあり、山門の傍らに「秋田三十三観音第二十二番札所」と彫った石塔が立っていました。この永源寺という寺名は「ようげんじ」と読みますが、その間の石段を上ると、山門には「日向山」の山号額が掲げられ、そこを抜けると本堂です。
先ずは朱印をお願いしようと右手の庫裡に伺うと、玄関は開いていたのですが、その上がり口のところに紙が置いてありました。それを読むと、「少しの間外出をします。……三十三観音拝登の皆様は、本堂入口の中に御札がございますので御参り下さい。」とあり、脇に連絡用のメモ帳と鉛筆が備えてありました。
しかし、不在のお堂に入るのは、やはりちょっと気が引けます。でも、メモに書いてあったので、そこで本堂から入り、外陣に座りました。
そこで、いつもよりは大きな声で、観音経と諸真言を唱えました。
もし、帰ってきて近くにいてもびっくりしないようにという配慮もありますが、寺の近くの人が気づくかもしれないという思いもありました。
お詣りが終わり、朱印をいただき、辺りを見回すと、位牌堂の手前に「三界萬霊等」と金文字で書かれた板の両脇に閻魔大王と奪衣婆の木像があり、それぞれの像の上に説明文を額に入れてありました。
位牌堂の廊下には、近隣のお寺の住職たちが撮った風景や花の写真が額に入れて飾ってあり、なんともほのぼのとした感じがしました。
外に出ると、本堂のまえのサルスベリの花が咲いていて、イチョウの木の下には、昭和9年に畠山利助氏がこのイチョウの木を寄贈したという石碑が立ててあり、その前には小さな石塔が並べられていました。その周りの苔も青々としてきれいで、おそらくこのイチョウに強い日射しから護られているからかもしれません。
そういえば、ここにも「菅江真澄の道」という標識が立っていて、文化元(1804)年9月10日にここを訪ね、芭蕉の句碑について書いています。
その句碑を探すと、山門の左手にあり、「雲折りに人を休める月見かな」と彫られていました。しかし、これはどうも裏にあとから彫られたもののようで、表には梵字の下に「南無阿弥陀佛」とあり、さらに「康永四年六月十日孝子敬白」とあります。康永というのは、南北朝時代の元号の1つで、1342年から1345年までを指すので、康永4年は1345年になりますから、こちらの方が先ということになります。ちなみに、芭蕉の句は貞享2(1685)年に詠まれた句だそうで、出典は『春の日』です。
このようにいろいろと調べてみるとおもしろいのですが、観音巡礼は何かと時間に追われるので、あまりのんびりとはしていられません。
車に戻って時計をみると12時40分でした。次は第26番札所「長楽寺」です。ナビで確認すると、永源寺から28.3q、37分ほどです。
◎永源寺 男鹿市鵜木道村7 電話 0185-46-3522
第27番札所 日向山 永源寺 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
ご詠歌 松風や 大悲の御声 そのままに 実り待たるるま 真清水の里
☆秋田三十三観音札所巡り Part.30
第26番札所「長楽寺」は、男鹿市船川港本山門前字祓川にあり、永源寺から左折し県道54号を28qほど進み、脇本の信号から右折し国道101号へ入ります。ときどき海を眺めながらナビにしたがって進み、県道59号に入ると、鵜ノ崎海岸公園のわきを通り、潮瀬崎までくると海岸の岩が風化・浸食されおもしろい形になっていました。
そこで、波に侵食され作られた平らな地形があり、波食台というそうですが、そこで車を駐めて写真を撮りました。このあたりは男鹿国定公園になっていて、日本の奇岩百景にもなっていて、はるか向こうまで見えました。
また車に乗り進むと、門前漁港の手前に大きな「なまはげ」の立像があり、ここでも写真を撮りました。すると、ファインダー越しに、山の中腹にお寺が見え、そこが目指す長楽寺のようでした。
門前漁港の先から山道に入ると、すぐに右側に五社堂駐車場があり、入り口の左側に「なまはげ」真言宗 長楽寺」と白御影石に大きく掘られた石塔が立っていて、すぐわかります。そこに車を駐めようと思ったのですが、さらに右側の小道を進むと、お寺の駐車場があったので、そこに駐めました。13時25分でした。
参道を歩くと、左手に鐘楼があり、そのわきに大きな石灯籠があり、本堂に上る石段の左側のサルスベリが真っ赤な花を着けていました。
先に本堂の右手にある庫裡に行き、朱印をお願いすると、ここから入って本堂でお詣りくださいということで、廊下伝いに行くと、階段があり、本堂外陣の右側に出ました。そして、外陣の中央に行くと、両側に大きな人天蓋が下がり、中央の内陣がすっきりと見えました。まわりは金屏風で、欄間の鳳凰などの彫刻も金箔が貼られ、みごとなまでの黄金色で装飾されていました。
その手前の外陣に座り、観音経とここは京都の醍醐寺と同じ如意輪観世音菩薩なので、「オン・ハンドメイジンバラ・ウン」と3返唱えました。
それから須弥壇の上にまつられているお姿を拝見すると、後ろの光背の中央が朱色で特に目立ちます。たとえば、国宝の大阪府河内長野市にある観心寺の如意輪観音は、嵯峨天皇の皇后、橘嘉智子がモデルではないかといわれていて、とても柔和な顔立ちをしています。ただ、秘仏で毎年4月17日と18日の2日間だけ開扉されるため、なかなか拝観できません。でも、昔はまったくの秘仏でしたから、今でも当時の彩色が残っているともいえます。
また、如意輪観音は、観音さまの変化身の一つであり、六観音の一尊に数えられています。「如意」というのは、思いのままに智慧や財宝、幸せをもたらすという如意宝珠を意味し、「輪」とは、煩悩を打ち砕く法輪のことです。また、頬に添える手は思惟手(しゆいしゅ)といい、さて、どのように人々を救おうかと考えているようです。
ここ秋田三十三観音霊場で如意輪観音が主尊なのは、ここと第12番札所常光院だけのようです。また、どこの観音霊場でも少ないようで、これからも大切に護っていただきたいと思います。
そういえば、大阪府河内長野市の観心寺も高野山真言宗のお寺ですが、長楽寺は慈覚大師が開創したといわれていて、その後、真言宗に属したそうです。ここ男鹿本山は山岳信仰の盛んなところで、昔は9ヶ寺、48坊もあり栄えたそうですが、菅江真澄の記録によると、1804年ころには吉祥院と永禅院・長楽寺の3ヶ寺だけで、明治時代にはいると、本寺だった
永禅院も廃寺になり、宝物は長楽寺に所蔵されているそうです。
人にも栄枯盛衰はありますが、お寺にもあり、どの世界においても長く続いていくというのは難しいようです。それでも、現実は厳しいところも垣間見えましたが、どこの三十三観音観音霊場も永続してほしいと願いながらお詣りをしてきました。
駐車場に戻り時計をみると13時50分でした。次は第20番札所「龍門寺」です。ナビで確認すると、長楽寺から24q、46分ほどです。
◎長楽寺 男鹿市船川港本山門前字祓川27 電話 0185-46-3522
第26番札所 瑠璃山 長楽寺 (真言宗智山派) 本尊さま 如意輪観世音菩薩
ご詠歌 岩島や 実に打浪の 観世音 利益の深き 西の海面
☆秋田三十三観音札所巡り Part.31
第20番札所「龍門寺」は、男鹿市船越にあり、長楽寺から先ほど通ってきた県道54号を戻りました。
その途中に「道の駅おが」があり、時間もだいぶお昼を過ぎていたので、ほとんどのレストランも営業時間が過ぎています。そこで、ここならと思い入ると、レストランはガラガラですぐに食べられそうです。そこで、「男鹿の塩ラーメン(ハタハタ唐揚げ付き)」を注文すると、ロボットが運んできてくれました。おそらく、人手不足もあるでしょうが、子連れなら喜びそうなので、これからはこれもありかなと思いました。
また、国道101号へと左折し、海岸線を進み、セブンイレブン男鹿船越内子店の信号を左折し、200m先の提示路の信号から右折し、さらに丁字路を左折すると30m程先の左側に山門があります。先ほどの丁字路を右に進むと船越漁港です。
門柱の右手前には、黒御影石に「曹洞宗 龍門寺」と彫られていて、左手前には男鹿西国第三番と彫られた台座の上に、聖観世音菩薩1mほどの聖観世音菩薩石像が立っていました。
門柱の間を通ると、両側に欅の並木があり、さらに進むと両側に石仏がたくさん並んでいます。なかには観音さまや赤い前掛けをかけた地蔵さまもいて、本堂まで続いています。その前が駐車場になっていました。
ここに着いたのが14時40分で、本堂の玄関上には「寶珠山」という山号額がかけてありました。
そこは閉まっていたので、右手にある庫裡に行くと、そこも鍵がかかっていてベルを鳴らしても誰も出てきません。でも、車が駐まっていたし、中から話し声も聞こえてきます。
そこで、車に戻り、スマホで龍門寺に電話をかけると、しばらくしてつながりました。それで本堂の前にいることを伝えると、本堂の玄関の鍵を開けてくれて、堂内でお詣りできました。
友だちがいるからとの理由で、本堂の左側の観音さまの机のところに朱印が置いてあるとのことで、朱印代はお賽銭箱のなかに入れるようにとだけ伝え、庫裡のほうに戻っていきました。
私にとっては好都合で、本堂には誰もいなくなったので、ゆっくりとお詣りできました。大きな厨子に収まる聖観世音菩薩像の前の賽銭箱のところに座り、観音経と諸真言を唱えました。
その右側には、緑色の文字で「秋田三十三観音」と書かれたものがあり、その下の供物台のところに、「御朱印は一部三百円となっております。賽銭箱の中にお入れ願います。」と書かれた紙が貼ってあり、その箱のなかに朱印がありました。
そこから1枚いただき、外陣から内陣を見ると、外陣の上には「龍門寺」と欅に彫られた扁額が掲げられ、ほとんどの柱に欅が使われていました。須弥壇も欅の造りのようで、その上には釈迦牟尼仏などが安置されていて、すっきりとした配置になっていました。
帰るときには、一声かけようかと思ったのですが、戸を閉めてそのまま帰ってよいということなので、そうしました。
外に出ると、日射しはまだ高く、15時5分でした。
今夜泊まる秋田温泉までは29.5q、40分ほどかかります。ここから国道101号線まで戻って左折し、そのまま県道56号を進み、秋田港近くを過ぎ、国道7号線を横切ります。そして野村の信号をさせ地し、県道72号に入り、昭和シェルスタンドの信号から右折し、セブンイレブン秋田添川店が左側にあるところの信号から左折すると400m先の左側にあります。
ここには15時40分に着き、1泊朝食付きで頼んでいるので、部屋に荷物を置いてから、チェックインしたときに受け取った地域クーポンを先ほどのコンビニで夕食を買って使いました。どこでも使えるというのは、ほんとうに便利です。
これで、今日も順調にお詣りできました。明日は少しゆっくり出発しようと思っていたのですが、たった1ヵ所、第7番札所「向野寺」の朱印だけもらえてないので電話をすると、翌日の11時30分ころに札所で待っているとのことでした。
安心して、秋田温泉に入り、早めに床に就きました。
◎龍門寺 男鹿市船越字船越268 電話 0185-35-2607
第20番札所 宝珠山 龍門寺 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
ご詠歌 数多き 法の宝の珠の寺 昔ながらに 世にぞ輝く
☆秋田三十三観音札所巡り Part.32
今日は9月15日木曜日です。秋田温泉を8時40分に出発し、第18番札所「昌東院」へはここから8.2q、12分ほどです。
昌東院は、秋田市上新城小又行人沢にあり、県道15号へ左折し、500mほど先の信号から左折し県道41号に入ります。しばらく山道を走り、細入の丁字路を右折します。このあたりの田んぼの風景は、東南部の山々を背景に、実りの秋を迎えています。今日も快晴です。
あとはナビにしたがって進むと、下小又のバス停のわきに、「秋田県観音三十三霊場 第十八番札所 日徳山昌東院」と書かれた大きな案内板がありました。そこを左折し、新城川を渡るとすぐ目の前です。
仁王門の左脇に駐車場があり、そこに車を駐め到着時間を確認すると、8時53分でした。
そして仁王門の前に立つと、右手前に「秋田三十三観音霊場 第十八番札所」と彫られた石塔があり、その両側に真新しい「仁王寄進」と彫られた石碑がいくつかあり、最近の仁王像のようです。
さらに左奥には観音石像があり、仁王門の屋根の下で雪などがかからないように配慮しているのかもしれません。
そこを通り抜けると、右手に子育て観音青銅像があり、子どもが抱っこされ、足元には子どもたちが取りすがっていました。台座には、観音経の「慈眼視衆生」が彫られていました。これは、いつも観音さまは優しく、慈しみのまなざしで全ての人々を観ているという意味です。
また、その右隣には六地蔵がまつられていて、その先が本堂になっています。ゆっくりとお詣りしているときに、庫裡の方から車が出ていったので、もしや住職がと思ったのですが、庫裡に伺うとたった今、出かけたということでした。
それでも、庫裡から本堂の方に案内していただき、内陣の近くでお詣りしてくださいということでした。
せっかくなので、その経机のあるところで、観音経と諸真言などを唱えました。
その間、朱印を準備に行ったのですが、また戻られ、本堂のなかを案内してくれました。しかも、ご本尊近くまで行ってお詣りさせてもらい、写真も撮ることができました。内陣の天井には彩色の龍の絵が描かれ、そのまわりには漢字が一文字ずつ書かれ、本堂の右手は長椅子が準備されていて、その長押には大本山妙心寺から「授與本派寺班一等地寺格者也」と記された額縁が掲げられていました。
また、その下のふすま絵には、ボタンや花菖蒲などの草花が描かれ、それを見ていると、この裏側にもふすま絵があるということで、本堂の裏側にも案内してくれました。そこには、四天王や鶴の絵、杜甫や李白、張継の漢詩を書いたもの、さらには十牛図などもあり、つい見とれてしまいました。
この「十牛図」は、北宋末期ごろの廓庵師遠(かくあんしおん)禅師によって作られたもので、身近な動物である牛を牧童が飼いならすのになぞらえ、人間が本来もっている仏性をもとめる過程を10枚の絵などで表現したものです。とても示唆に富んでいて、もう少し眺めていたかったのですが、次の予定もあり、またいつか機会があればと思いました。
本堂を出ると、駐車場の塀のところに、「保存樹」と書かれた白い標識が立ててあり、そこには「名称 昌東院の椿山」と書かれていて、先ほど、本堂の裏庭の山にツバキの大きな株が何本もあったことを思い出しました。そして、この標識のわきにも、ツバキやムクゲが植えられていて、いかにも花の寺という風情が感じられました。
車に戻ると、9時28分でした。次は第23番札所「補陀寺」で、ナビで確認すると昌東院から10.4q、約15分ほどです。
◎昌東院 秋田市上新城小又行人沢2 電話 018-870-2525
第18番札所 日徳山 昌東院 (臨済宗妙心寺派) 本尊さま 聖観世音菩薩
ご詠歌 この身をば 仏と念じ ひたすらに 生きるや嬉し 日の徳の寺
☆秋田三十三観音札所巡り Part.33
第23番札所「補陀寺」は、秋田市山内松原にあり、昌東院から先ほど走ってきた道を戻り、今朝スタートした秋田温泉のすぐ近くの県道15号まで戻り、その丁字路を左折します。そして秋田自動車道の陸橋のしたをくぐり、3qほど進んだ左側にあります。
補陀寺会館の手前から左折し、カーブになった左側に「曹洞宗 亀像山 補陀寺」と丸太に彫った標識があり、そこを右に曲がると、すぐに補陀寺山門があります。この山門は、秋田市指定文化財になっていて、両側に仁王像がまつられています。二層になった大きな山門で、右側の階段から二層目に上れるようです。その上に「亀像山」という山号額が掲げられていました。その脇に車を駐めて、先ほどの例もあるので、先ずは庫裡に行き、朱印をお願いしました。
すると、まもなく法事が始まるとのことで、急いで本堂に上げてもらい、その左奥にある位牌堂の中央にまつられている聖観世音菩薩の前に座り、お詣りをしました。
お姿は大きな厨子のなかに納められ、さらにガラスもはめられているので、少し反射してキラキラしていました。
左壁には、「第23番札所 松原補陀寺 御詠歌」と書かれたわきに、「極楽の 水ここだくに 湧き出づる ここは補陀洛 観音菩薩」と記され、唱えやすくなっていました。
そこで観音経と諸真言を唱え、急いで本堂の前を通ろうとすると、すでに法事が始まっていたので、静かに廊下を歩いて、庫裡の方に向かいました。
ところが急いでいたこともあり、朱印をまだいただかなかったので、誰かいないかと探すと、副住職がいて、対応してくれました。ところが彼もこれから法務で出かけることになっていて、何とか間に合ったようです。そして、私が境内を歩いているうちに、車で出かけたようです。
私はせっかくなので、法事のお経を聞きながら、境内地を歩いていると、この本堂も庫裡も山門と同じように秋田市有形文化財に指定されているそうで、たしかに庫裡も昔は修行僧がいたのではないかと思うような台所もありました。
その山門の右側に小さな祠に大黒天と書いてあり、大黒天石像がまつられていました。ここは秋田七福神の大黒天札所になっているようです。
車に戻ると10時5分でした。車をバックさせて方向転換をしようとしたら、庫裡に入る山門もあり、ここはもともとは修行道場だったのかもしれないと思いました。
次は、昨夜連絡をした第7番札所「向野寺」です。待ち合わせの時間を11時30分にしてあるので、遅れては申し訳ないので高速道路を使うことにしました。補陀寺からは、秋田自動車道を経由して98.9q、約1時間20分です。
先ずは、秋田中央ICから入り、雄勝こまちICまで進み、向野寺はこれで3回目なので、ナビに頼らなくても大丈夫でした。すると、副住職が向野寺の前で待っていてくれて、鍵を開けて中に入り、朱印をいただく間、観音経と諸真言を唱えました。いい機会なので、小町自作の木像があるので写真の撮影をお願いしたら、許可してくれたので、車に戻り、三脚とライトを持ってきて、しっかりと撮影できました。
これで、秋田三十三観音札所のすべての朱印が揃いました。ただ今の時間は12時25分です。先ずは昼食を食べるために、近くの道の駅おがち「小町の郷」に行き、「レストラン二ツ森」で、最後の地域クーポンを使い、「稲庭天ぷら冷やしうどん」を食べました。ここから自宅まで有料道路を使わずに163qです。
あちこちで休憩をしながら、自宅に16時43分に着きました。9月11日から15日までの走行距離は1,175.1qでした。
◎補陀寺 秋田市山内字田中26 電話 018-827-2326
第23番札所 亀像山 補陀寺 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
ご詠歌 極楽の 水ここだくに 湧き出づる ここは補陀洛 観音菩薩
秋田三十三観音
1番 祝融山 正伝寺 聖観世音菩薩 聖観世音菩薩 曹洞宗 横手市大屋新町鬼嵐 微笑観音
2番 護念山 光明寺 阿弥陀如来 聖観世音菩薩 浄土宗 横手市追廻3丁目 三郡(雄勝・平鹿・仙北)の首座
3番 旭岡山 三井寺 聖観世音菩薩 聖観世音菩薩 黄檗宗 横手市鍛治町7 薩東北最古の仏像
4番 梅松山 雲岩寺 釈迦牟尼仏 聖観世音菩薩 曹洞宗 湯沢市相川麓105 相川平和観音
5番 雄勝山 蔵光院 不動明王 聖観世音菩薩 真言宗御室派 横手市雄物川町沼館429
6番 三輪山 久昌寺 釈迦牟尼仏 聖観世音菩薩 曹洞宗 雄勝郡羽後町杉宮宿99
7番 野中山 向野寺 釈迦牟尼仏 千手観世音菩薩 曹洞宗 湯沢市小野字小野138 無住
8番 正法山 長谷寺 釈迦牟尼仏 十一面観世音菩薩 曹洞宗 由利本荘市赤田上田表115
9番 横掘山 正音寺 阿弥陀如来 十一面観世音菩薩 浄土宗 湯沢市下院内新馬場158 東安山 誓願寺の管理
10番 龍洞山 永泉寺 聖観世音菩薩 聖観世音菩薩 曹洞宗 由利本荘市給人町44
11番 龍渕山 大慈寺 釈迦牟尼仏 正観世音菩薩 曹洞宗 横手市大森町高口下水戸堤9
12番 久米山 常光院 釈迦牟尼仏 如意輪観世音菩薩 曹洞宗 仙北市角館町西勝楽町25
13番 万年山 祇薗寺 釈迦牟尼仏 聖観世音菩薩 曹洞宗 横手市金沢立石寺ノ沢16
14番 東光山 本覚寺 阿弥陀如来 正観世音菩薩 浄土宗 仙北郡美郷町六郷東高方町26
15番 龍雲山 永泉寺 十一面観世音菩薩 十一面観世音菩薩 曹洞宗 仙北郡美郷町六郷大町
16番 小杉山 円満寺 阿弥陀如来 十一面観世音菩薩 曹洞宗 大仙市土川字小杉山19
17番 長延山 大川寺 大日如来 千手観世音菩薩 曹洞宗 大仙市大曲須和町3丁目1
18番 日徳山 昌東院 聖観世音菩薩 聖観世音菩薩 臨済宗妙心寺派 秋田市上新城小又行人沢2
19番 両沢山 千手院 十一面千手観世音菩薩 千手観世音菩薩 曹洞宗 秋田市河辺岩見鍛治屋敷155
20番 宝珠山 龍門寺 釈迦牟尼仏 聖観世音菩薩 曹洞宗 男鹿市船越船越268
21番 太平山 源正寺 釈迦牟尼仏 正観世音菩薩 曹洞宗 秋田市太平目長崎本町58
22番 日向山 永源寺 聖観世音菩薩 聖観世音菩薩 曹洞宗 男鹿市鵜木道村7
23番 亀像山 補陀寺 釈迦牟尼仏 聖観世音菩薩 曹洞宗 秋田市山内松原26
24番 普門山 大悲寺 十一面観世音菩薩 十一面観世音菩薩 臨済宗妙心寺派 秋田市旭北寺町4 秋田西国33観音
25番 湯殿山 龍泉寺 大日如来 十一面観世音菩薩 真言宗智山派 能代市清助町7
26番 瑠璃山 長楽寺 薬師如来 如意輪観世音菩薩 真言宗智山派 男鹿市船川港門前 男鹿33観音、千年の苔
27番 万年山 長慶寺 十一面観世音菩薩 十一面観世音菩薩 曹洞宗 能代市萩の台2
28番 瀧峯山 松源院 如意輪観世音菩薩 聖観世音菩薩 曹洞宗 山本郡八峰町八森八森236
29番 高岩山 梅林寺 釈迦牟尼仏 千手観世音菩薩 曹洞宗 能代市二ツ井町上山崎38
30番 大盛山 円通寺 薬師如来 聖観世音菩薩 曹洞宗 鹿角市尾去沢中沢4
31番 鳳凰山 玉林寺 釈迦牟尼仏 馬頭観世音菩薩 曹洞宗 大館市字大館24
32番 凱翁山 仁叟寺 釈迦牟尼仏 聖観世音菩薩 曹洞宗 鹿角市十和田毛馬内番屋平26
33番 岩本山 信正寺 千手観世音菩薩 千手観世音菩薩 曹洞宗 大館市花岡町七ツ館25
秋田三十三観音のご詠歌
1番 よろづ世の 心の誓い 法灯の 大屋の里の 微笑観音
2番 お御嶽の 峯より出づる 石清水 八功徳の 明永の沼に
3番 春は花 夏は林の 鐘の音 常に教の 絶えぬ三井寺
4番 父母の 住める故郷 安かれと 朝夕べに 祈る心の
5番 よろづ世の 願ひことほぐ 福寺の 庭はすなはち 浄土なりけり
6番 来て見れば 田毎の杉も 真直に 末頼もしき 観世音なり
7番 言の葉の 種に残りて いにしへの 跡懐かしき 小野の古さと
8番 荒沢座の 神と仏と人問はば 誠に響く 松風の音
9番 重くとも 五つの罪の いつとなく 十の蓮花に 座すと思へば
10番 後の世の 恵みも長き 泉寺 深き誓いは 組みて知りつつ
11番 後の世も 現世の苦難 剣の難 経味を受けて 今宿の里
12番 佐竹寺 少年鼓手よ 桜華 我が母恋し 久米の故郷
13番 分け行けば 大悲の心 いや増して 湧出る水 金洗い沢
14番 日出づるや 光も深き 藤の森 大悲の誓ひ 本覚の寺
15番 本尊の 奥まる一燈 仰ぐとき 細き光りの 澄みて揺がず
16番 野を越て 山路に入れば 時鳥 小杉山にも ほそんかけたり
17番 ひたすらに 合わすその手に 大川の 大悲の御声 頼もしきかな
18番 この身をば 仏と念じ ひたすらに 生きるや嬉し 日の徳の寺
19番 幾度も 心を運ぶ つくし森 千手の誓ひ かたき石山
20番 数多き 法の宝の珠の寺 昔ながらに 世にぞ輝く
21番 嬉しさよ 太平山も 雲晴て 歩みを運ぶ 慈悲の古寺
22番 松風や 大悲の御声 そのままに 実り待たるるま 真清水の里
23番 極楽の 水ここだくに 湧き出づる ここは補陀洛 観音菩薩
24番 年ふるや 亀甲の山の 池に生ふる 真菰菖蒲も 法の大悲寺
25番 墨染の 桜も実入る 高倉の 阿彦の池に 月澄るなり
26番 岩島や 実に打浪の 観世音 利益の深き 西の海面
27番 米代の 流れは浄し よろず世の 慈悲の心に 響く松風
28番 岩を立て 山を囲ひの 瀧峯に ただ観音と 唱ふ声のみ
29番 名のみ聞く 高岩寺の 明の鐘 積む煩悩も 消えて行くなり
30番 金銀の 山を守りて 千年余 煙絶えない 大盛の里
31番 天下る 鳳凰山の 桐の沢 玉の御寺に 駒ぞいさめる
32番 あな尊ふと 慈悲忍辱の 叟寺 身を様々に 変わる観音
33番 岩本の 御法の鐘の 声聞けば いかなる罪も 世に残るまじ