☆ 本のたび 2026 ☆



 学生のころから読書カードを作っていましたが、今時の若者はあまり本を読まないということを聞き、こんなにも楽しいことをなぜしないのかという問いかけから掲載をはじめました。
 海野弘著『本を旅する』に、「自分の読書について語ることは、自分の書斎や書棚、いわば、自分の頭や心の内部をさらけ出すことだ。・・・・・自分を語ることをずっと控えてきた。恥ずかしいからであるし、そのような私的なことは読者の興味をひかないだろう、と思ったからだ。」と書かれていますが、私もそのように思っていました。しかし、活字離れが進む今だからこそ、本を読む楽しさを伝えたいと思うようになりました。
 そのあたりをお酌み取りいただき、お読みくださるようお願いいたします。
 また、抜き書きに関してですが、学問の神さま、菅原道真公が49才の時に書いたと言われる『書斎記』のなかに、「学問の道は抄出を宗と為す。抄出の用は稾草を本と為す」とあり、簡単にいってしまえば学問の道は抜き書きを中心とするもので、抜き書きは紙に写して利用するのが基本だ、ということです。でも、今は紙よりパソコンに入れてしまったほうが便利なので、ここでもそうしています。もちろん、今でも、自分用のカードは手書きですし、それが何万枚とあり、最高の宝ものです。
 なお、No.800 を機に、『ホンの旅』を『本のたび』というわかりやすい名称に変更しました。最初は「ホンの」思いつきではじめたコーナーでしたが、こんなにも続くとは自分でも本当に考えていませんでした。今後とも、よろしくお願いいたします。



No.2525『なぜ、人はアートに惹かれるのか』

 私自身もほぼ毎週のように、NHKの「新日曜美術館」を観ているので、アートに惹かれているかといわれれば、その通りだと思います。
 ただ、私の場合は工芸品、特に陶磁器に興味があり、それが若くして茶道を習ったこともあり、お茶道具そのものにも興味があります。また、それらを揃えないとお茶会もできないので、それなりに道具も持っています。
 副題は「知識人や富裕層がアートを買う理由、美と所有の本質」で、知識人や富裕層でなくても、きれいだと思うものは手に入れたいと思うのが自然です。
 その結果、一番使う茶道具は抹茶碗なので、それが一番多くあるようです。
 この本を読んで、久しぶりにカードを7枚も書き抜きしましたが、それだけおもしろく読みました。また、画廊という、あまりなじみの少ないところの代表が書いたということも、ある意味、興味を持ちました。たとえば、アートの値段はどのようにして決まるのかということについて、「大きく分けると、美術市場にはプライマリー・マーケットとセカンダリー・マーケットの二つがあります。まず、プライマリー・マーケットとは、作品が制作されて最初に世に出る市場のことです。作家と画廊(画商)が話し合い、作家の活動歴や展覧会歴、評価の高さなどを総合的に考慮して価格が設定されます。いい換えれば、作家自身が初めて世に送り出す価格であり、ここでの価格形成は将来の評価の基準点にもなります。一方、セカンダリー・マーケットは、一度誰かの手に渡った作品が再び流通する市場などが典型的です。この場合は株式や不動産と同じように、需要と供給のバランスによって値段が変動します。人気が高まれば価格は上がり、需要が落ちれば価格も下がることになります。」とあり、なんとなくは予想していましたが、納得しました。
 そういえば、NHKの番組でゴッホの絵の話しがあり、弟のテオドルス・ファン・ゴッホが画商をしていて、さらにその妻ヨーによって絵が売れ出したことを知りましたが、まさにそのプライマリー・マーケットまでもって行くことが大切だと思いました。
 もちろん、見る方の立場からいえば、まず「きれいだ」「おもしろい」「自分は好きだ」だと素直に絵と向かい合うことだと思います。ただ素人は、なかなかすぐにはわからないこともたくさんあります。
 ではなぜ、わかりにくいのかを、著者は、「それは、アートの鑑賞法が二重構造になってしまっていることです。ロマン主義以降の伝統では、作品を前にして自らの感情で受け止め、そこに心を投 影して鑑賞する方法が基本でした。一方、現代アートでは、作家が込めた意図やコンセプトを読み解くことが求められます。ところが現代の美術館には、感情で味わうべきロマン主義的作品と、知的に解釈することを前提とした現代アートが、同じ空間に並んで展示されているのです。見る側は、どの作品をどのように鑑賞すればよいのか戸惑い、結果として「アートは難しい」「よくわからない」という感覚を抱いてしまいます。つまり、感情で味わう方法と、意図を読み解く方法という二つの鑑賞法が併存していること自体が、アート理解を複雑にしている大きな要因なのです。」とはっきりと書いています。
 でも、わかりにくいから、なぜだろうと考える楽しみもあります。たとえば、書でも、くずされた文字の方がなんて読むのだろうと考えたり、全体のバランスを見たり、落款などを観賞したり、いろいろなアプローチがあります。もし、それが楷書で書いてあれば、すぐに書の内容に入ってしまいそうで、文字としての美しさに踏み込まないような気がします。
 もちろん、わかりやすさも大切なことだとは思いますが、日本人は正三角形よりは不等辺三角形のほうが、なんとなく意味深に感じます。
 下に抜き書きしたのは、第1章「人はなぜアートに惹かれるのか」に書いてありました。
 そういえば、私も大学生のころにある骨董屋さんに行くと、そこの主人から「先ずは本物の良い物だけを見ることです。だから美術館でもいいから見続けると、良いものとそれ以外のものとの区別が付くようになると教えられました。
 この本のなかに、直接画家のベルナール・シャロワさんに、作品鑑定をお願いしたときに、『「その作品をひと目見てシャロワは「これは俺が描いたものじゃない。ひどい出来の偽物だ」と怒り出しました。そして次のように語りました。「自分に敬意を持って模写をしてくれるのはかまわない。ただしこの絵のように私のサインを入れて売ろうとするのは許せない。シャロワはこんなに下手なのかと思われて私の名前に傷がつくからだ。それに、偽物が市場に流通すると、質の悪い絵の数が多くなって本物の価値も値段も下がってしまう』と怒っていたそうです。
 それはそうでしょう。自分の作品でもないのに、サインをして売ろうとするのは詐欺です。画家にしてみれば、絶対に許せない行為です。
 昔から、悪貨は良貨を駆逐するといいますが、まさにその通りです。まがい物でも、自分で飾っておくのはいいのではないかという方もいるでしょうが、ヨーロッパと同じように、没収するぐらいの手段をとるべきだと私は思います。そうでないと、安心して美術鑑賞もできなくなりそうな気がします。
 私は美術鑑賞が好きなので、美術館や博物館にもよく行きますが、機会があれば旅に出かけてもまわります。昨年は、津軽三十三観音札所を2度ほどお詣りしましたが、そのついでに青森県立美術館で開催されていた佐野ぬいさんの「まだ見ぬ「青」求めて」展や、棟方志功没後50年記念展などを見ましたし、青森から東京まで足を伸ばし、日本民芸館で「棟方志功展」を見ることができました。
 やはり、東京は美術館でも博物館でもたくさんあり、行くたびごとに訪ねますが、地方にもユニークな施設があります。年を重ねてくると、大規模な企画展よりも、小さな施設でゆっくりと観賞してみたいと思うようになりました。
 いずれにしても、興味を持つということはいいことで、労苦をいとわないようになります。だから、ここに抜書きしたことには納得です。

(2026.3.24)

書名著者発行所発行日ISBN
なぜ、人はアートに惹かれるのか橋芳郎晶文社2025年12月1日9784794980311

☆ Extract passages ☆

 日常的に「良いもの」に触れ続けることで、物事の本質を見抜く力、つまり「良いものと、そうでないものを見分ける力」を養らているのです。
 この「目」は、アートの世界だけに留まりません。ビジネスにおける判断、人間関係の構築、あるいは日々の暮らしのなかでの選択など、人生のあらゆる場面でその真価を発揮します。
 何が本物で、何が偽物か。何が価値を持ち、何がそうでないのか。
 その判断基準となる揺るぎない「軸」を、富裕層はアートを通じて得ているのです。
 彼らにとってアートとは、富の象徴である以前に、次世代の人間性や感性を育むための、不可欠な「生きた教材」なのかもしれません。

(橋芳郎 著『なぜ、人はアートに惹かれるのか』より)




No.2524『ひのえうまに生まれて』

 今年は丙午で、何かと話題になる出生率ですが、著者も丙午の生まれだそうで、女性の立場からこの丙午をどのように考えているのかと思い、読み始めました。
 副題は「300年の呪いを解く」で、この元になった寛文6(1666)年に生まれた八百屋お七のときまで、さかのぼって考えています。その間、今年を含めて6回合ったわけで、それで300年というわけです。  この本のなかでも指摘してましたが、丙午の問題は前年から始まるようですが、この本も小説新潮2024年12月号から2025年9月号まで連載していた「ヒノエウマってどんな馬?」を改題して出版されたようです。それで第10章になり、最後に鈴木保奈美さんと吉川徹さんと著者で丙午当事者鼎談を掲載しています。
 その鼎談のなかで、吉川さんが「振っていただいて申し訳ないのですが、やはり内午って女性のトピックなんですよね。僕たち男性は丙午の生まれだけれど、女性たちの伴走者に過ぎない。」と答えていたのが印象的でした。たしかに、私もそうですが、ほとんど意識してないし、暦を見て初めて気づくぐらいですから、やはり女性側の意識だと思いました。
 そして、「1966年生まれの方々を対象に、今回、独自に行なった丙午アンケートにおいても、丙午に生まれて損をしたと思っている人よりも、得をしたと思っている人の割合の方がずっと多い。受験の時の有利さといった実利的な「得」の他にも、「六十年に一度のレア感がある」「特別感、優越感があった」という意見も。」あったそうです。
 もちろん、一部には、結婚してないとわかると、「あ〜丙午なんだ、だから結婚できないのね」と言われることもあったそうですが、それは結果論の話しで、それで破談するとかというような実害はあまり載っていませんでした。ということは、普段はあまり意識されていないようで、なにかあると、もしかして丙午だからという程度なのかもしれません。
 今年の丙午についても、ほとんどマスコミなどで取り上げることもなくなり、むしろ取り上げれば時代錯誤も甚だしいと避難されそうです。
 このような流れから、著者は、「男性は無理をして女性より「上」にいなくてもよくなったし、女性は男性に従わなくても生きていくことができるようになった。結婚・離婚に関する自由度も大幅 に増し、男が女に食われるなら食われるで「まぁ、いいか」という世となったのだ。そんな世の人々に、丙午迷信は響かないことだろう。子供は丙午のせいではなく少子化の流れに従って減少し続け、2027(令和9)年の丁未になっても増加することはなく、減り続けるに違いない。」と結論づけています。
 私も、そうだと思います。昔の話しを今も引きずっていくなんて、むしろおかしな話しです。しかも、たった1つの出来事から、むしろ脚本された内容で伝わることそのものが不思議です。でも、考えてみると、今までまことしやかに伝えられ続けてきたことに怖さを感じます。
 下に抜き書きしたのは、第9章「寛文の丙午 その後」に書いてあった八百屋お七の話しです。
 このことを、お七が処刑された3年後に刊行された、井原西鶴の「好色五人女」に収められたから、一般に広がっていったようです。しかし、これはあくまでも「恋草からげし八百屋物語」という物語ですから、おもしろおかしく脚色されたものです。
 つまり、この丙午問題の張本人は、井原西鶴かもしれません。というのも、もともと干支も陰陽五行も中国から渡ってきたものですが、その中国語圏では、「赤馬紅羊劫」ということで、午も未も「火」の気を持つということから、災害の多い年といわれているそうです。だとすれば、今年と来年は丙午と丁未ですから、気を付けなければならないといわれています。
 ところ変わればなんとやら、でいろいろな考え方がありますが、人に迷惑を掛けるような風評はほどほどにしてほしいと思います。
 先ずは、すでに丙午という300年も続いた迷信は、次の60年後には誰も知らないということになりそうです。

(2026.3.21)

書名著者発行所発行日ISBN
ひのえうまに生まれて酒井順子新潮社2026年1月15日9784103985129

☆ Extract passages ☆

 丙午伝説の起源とされているのは、享保の丙午の1つ前、寛文6(1666)年の丙午に生まれた一人の女性、すなわち八百屋お七だ。
 簡単に言うとお七は、「恋に夢中になるあまり放火事件を起こした、丙午生まれの女」である。陰陽五行説においては、十干の「丙」も十二支の「午」も火の気を持つとされることから「火」への連想が強まり、そもそもは「丙午の年は火事が多い」といった迷信が主に語られていた。
 しかし次第に、「丙年の女は夫を食い殺す」系の迷信の勢いが増していく。享保、天明、弘化と時代が下っていくにつれて火事系の迷信はあまり語られなくなり、丙午の女はとにかく強くて男を不幸にするという説が広まるように。

(酒井順子 著『ひのえうまに生まれて』より)




No.2523『ロシアを決して信じるな』

 この本の題名を見て、ロシアがウクライナに侵攻して以来の動きを見ていても、読んでみたいと思いました。
 著者は、ロシアのウクライナ侵攻に伴うロシア政府による日本への報復措置として、ロシア連邦への入国を恒久的に禁止されたときに、「なぜリストに入ったのか、おそらく私は本当のことを言い過ぎたのだと思います。ロシアでは本当のことを言ってはいけない、それだけではなく疑問を持ってもいけないというのが、プーチン政権下でのロシア人の姿。もし私がリストに入っていなかったら、私のロシア問題についての発言が、何らかのプーチン政権からの圧力を受けての発言と思われていたかもしれない。リストに入ることによって逆にホッとしたというのが本音です」と語っています。
 このときの無期限の入国禁止の対象者リストには、当時の岸田文雄首相や林芳正氏、松野博一氏、高市早苗氏などを含め63名がリストアップさています。
 テレビやネットを見ていてもわからないのがロシアですが、少しでも知ろうと思います。でも、知ったからといってどうなるものでもないとわかっています。それでも、知るってことは大切です。
 先月の2月8日に衆議院議員選挙がありましたが、ロシアの投票所ではウオッカを売っていると知り、びっくりしました。「ロシアはいまでも、選挙のときに、パンや塩などの食料品にまじってウオッヵが格安で販売されている投票所が見受けられる。パンや塩が投票所で売られているのも珍しいが、どう考えてもアルコールを売るのは正気の沙汰ではないだろう。一杯ひっかけて投票を、ということなのか。戸惑うわたしの問いかけは、モスクワ在住の友人によって一笑にふされてしまった。「ウオッカを飲んで、ロシアの将来をしっかり考えて投票しようということだよ」。わたしの正義感は、無残な敗北を喫した。」と書いていて、さらに2020年7月1日に実施されたロシア憲法改正の国民投票では、「友人からの写真を見て驚いたのは、投票箱が透明なアクリル樹脂で作られていることである。箱のなかが丸見えなのだ。投票用紙はB4のサイズであり、遠目にも賛否の「レ点」を入れる箇所が一日瞭然である。選挙管理委員は学校教師や医師などが務めており、有権者の顔と名前をふだんからよく知っている。だれが反対票を投じたのか、すぐにわかるのである。」とあり、これでは反対のしようがないわけです。
 そういえば、だいぶ前に、アメリカもロシアでも自由について語ることは自由ですが、ロシアでは語った後の自由までは保証されていない、という話しを聞いたことを思い出しました。
 つい最近のことですが、2月6日にロシアの首都モスクワで軍情報機関の幹部ウラジミール・アレクセイエフ中将が銃撃され、すぐに病院で治療を受けているそうです。その狙いはよくわかりませんが、物騒な話しです。
 ロシアといえば、毒殺が有名ですが、その背景には、2006年のリトヴィネーンコ氏の場合には、「発症から23日間も生死の境をさまよった。痛みが強く、苦しみが大きく、たとえ生き残っても強い不安を一生かかえていくことになる。本人だけではなく、家族や友人、支援者に恐怖心を植えつけ、実行者を割り出そうという熱意をそぐのである。」と書いてあり、いわば殺すのが目的というよりは、敵対者への警告や見せしめの意味もあるそうです。
 だとすれば、そのような恐怖のなかで、政府の政策に反対するというのは、そうとう強い意思がなければできないわけで、その居場所さえわからないとすれば、なおさらです。
 この本によれば、ロシアのなかで富裕層といわれるのは10%ぐらいで、貧しい人たちは全体の半分ぐらいだそうです。このような状況のなかで、今の生活が変わると信じられるわけもなく、どんなにがんばってもどうなるものでもないと思ってしまいます。
 だから、ロシア人が常日頃しばしば口にするフレーズが、「他人のポケットに手を突っ込んで生きる」というのだそうです。
 この本を読みながら、ウクライナとの停戦もその後の平和も、その実現には遠い道のりが待っているような気がします。
 下に抜き書きしたのは、第4章「決して信じるな――ロシア人は嘘八百」に本当に書いてありました。
 まさに、この本の題名通りです。むしろ、ここまで書いて良いのかと思いますが、だからこそ無期限の入国禁止の対象者リストにのせられたのもわかります。つまり、この本に書いてあることに間違いはないというお墨付きをもらったようなものではないかと思いました。

(2026.3.18)

書名著者発行所発行日ISBN
ロシアを決して信じるな(新潮新書)中村逸郎新潮社2021年2月20日9784106108969

☆ Extract passages ☆

交渉には相手がおり、問題解決にむけて互いに真っ向から冷静に話し合っても、そう簡単に埒が明かないものだ。だから、まずは相手を油断させるために嘘の約束を交わす。その内容が相手にとって、不利なものにならないのがコツのようだ。
 こうして交渉の主導権を、秘かに握る。そうはいっても嘘はばれるわけで、多くの場合、相手は激昂し、冷静さを喪失する。でもお人好しの人間は、「そんなはずはない」と相手の本心を探ろうと、積極的に関わってくる。その場合、さらに新しい嘘をつけば、相手はホッと安心する。安心させるために、さらなる嘘を重ねていく。まさにロシア人に毒を盛られるのである。
 どんなにお人好しといっても、最後には不信感を抱き、交渉への熱意を消失させるはずだ。しかし、ロシア人は嘘がばれてしまっても「悪いのは嘘をついた自分たちではない。気づいた相手に非がある」と開き直る。ロシアの流儀は、交渉のはじめに嘘をついておく、つまり、嘘から交渉をスタートさせるというものだ。

(中村逸郎 著『ロシアを決して信じるな』より)




No.2522『名水と日本人』

 副題は「起源から百名水まで、文化と科学でひもとく」で、もともとお茶が好きなこともあり、水にも関心はあります。旅に出かけると、名水と書いてあるところを見つけると、ペットボトルに汲んで、その晩のお抹茶を点てるときに沸かして使います。
 そういえば、北海道の旭岳に行ったときも、その途中で「大雪旭岳源水公園」を見つけ、そのときに泊まった旭岳温泉「ホテルベアモンテ」でお抹茶を楽しみました。お菓子は、富良野の菓子司新谷の「へそのおまんじゅう」でした。
 私は地元の東光の酒蔵に行ったときに、酒をつくるときの水を飲ませてもらったことがありますが、味も素っ気もないような水でした。おそらくそういう水がお酒造りには適しているのかもしれないと思いました。
 この本には、「酒の神様を祀る京都の松尾大社にある「亀の井」は、酒樽の中に入れるとお酒が腐らずに、美味しいお酒ができるといわれ、京都のみならず日本中の酒造会社が汲みに来る。水質を調べてみると、日本ではごく稀にしか見られない、マグネシウムイオンがカルシウムイオンより高濃度を示す水であった。」とあり、なるほどと思いました。
 というのも、2023年3月下旬に四国に行きましたが、その目的はその春から始まるNHKの朝の連続テレビ小説「らんまん」の撮影を見学するためでした。その合間に、牧野富太郎の生まれた佐川町に行くと、彼の実家は酒屋さんで、ときおり酒が腐ったりするので経営が大変だったということです。だとすれば、この松尾大社にある「亀の井」の水を少し入れるだけでそれが防げるというなら、これぐらい有難い話しはありません。
 もともと、酒造りには硬水が適しているそうですが、現在は酒造りの技術も向上していて、軟水でもおいしいお酒ができるそうですが、昔は酒造りに適している水を求めて酒蔵が並んでいたようです。また、それだけ、水の味にも敏感だったようです。
 日本で名前のついた水場で一番多いのが弘法水だそうですが、弘法大師のお膝元の四国八十八カ所霊場をお詣りしたときにも、何ヶ所かで見つけました。この本には、「遍路道上には80ヵ所ほどの湧水が分布することが明らかとなり、平均すると15キロメートルに1ヵ所ずつ水場が存在することがわかった。お遍路が3〜4時間かけて歩く距離に相当し、この程度の間隔でお遍路は水を補給していたことがわかる。この水場間の距離は、当時の人々が水場を必要とするのに最適化された距離であると考えることができる。遍路道は1200キロメートルといわれており、往時の人々でさえ50日前後かかったというから、1日平均24キロメートル移動していたことになる。当然その途中で2〜3回は水分を補給する必要があったであろう。また、その水場の多くに弘法大師伝説があり、その水質は遍路道以外の水に比べてミネラル分が高い濃度を示した。つまり、先人たちはミネラル分豊富な水場を遍路道に求め、体調の維持を図ったものと推察することができる。」と書いてありました。
 あらためて2017年2月28日から3月15日までの四国88ヵ所遍路の写真を見てみると、弘法大師と水に関わる写真が何枚か見つかりました。しかも、今は喉がかわくと近くのコンビニで飲みものを買ったり、あるいは道路のわきにある自販機で調達もできますが、昔はそれができなかったわけです。つまり、飲み水が遍路道になければ、お参りもできなかったのですから、最低限の水場は必要です。
 それらを考えると、今はどこでも各地の銘水がペットボトルで手に入りますし、自宅で北海道や九州の水だって味わうことができます。
 それでも、いつかはこの本に書いてある名水を求めて、旅をしてみたいと思いました。
 下に抜き書きしたのは、第7章「水質が生み出した名水」に書いてありました。
 私も修行時代に、近くの閼伽水を汲みに毎朝通うのですが、そこでは、虫などの小さな生きものを殺さないように柄杓の上に網杓を置きました。最初はなぜそのような面倒なことをするのか疑問でしたが、すべての生きものを大切にするためと知り、感動したことを覚えています。
 また、この「アクア (aqua)」というのはラテン語で「水」を意味する言葉ですが、そこから「水色」や「透明感のあるもの」といった意味でも使われ、トヨタの車の名前にも採用されています。

(2026.3.15)

書名著者発行所発行日ISBN
名水と日本人(中公新書)鈴木康久・河野 忠中央公論新社2025年9月25日9784121028754

☆ Extract passages ☆

「広辞苑」によると閼伽水とは、「仏に供える水」とある。この語源を研究した高村弘毅は、「閼伽とはインドのサンスクリント語の"argha"からきており、英語で水を意味する"aqua"の語源といわれている。古く中国において閼伽、阿伽と音訳され、水のことを″アカ″と呼ぶようになったと思われる。

(鈴木康久・河野 忠 著『名水と日本人』より)




No.2521『看脚下』

 裏千家十五代家元千 玄室さまが亡くなられたことをニュース番組で知り、びっくりしました。
 私は、もともと表千家のお茶を習っていたので、ほとんど関わりはないのですが、お茶仲間には裏千家の人たちもいて、掛け物や道具の書付などを見る機会もありました。また裏千家の月刊茶道誌「淡交」なども読むこともあり、巻頭言や茶道具や和菓子などの特集記事も楽しみでした。
 この淡交というのは、十四代家元の淡々斎の斎号にちなんでいるそうで、荘子の「君子之交淡若水(君子の交わりは淡きこと水の如し)」を典拠としているそうです。十五代は鵬雲斎で、参禅の師、大徳寺の後藤瑞巌老師による斎号で、後日、「えらい斎号を付けてしまった。だからあんたは世界中を飛び回っている」と話したことがあると、この本に書いてありました。
 でも、それは時代もあり、たとえば新型コロナウイルス感染症が流行るときには、それをしたくても出来なかったと思います。また、この本を読んで、あの時代だからこそできたということも、たくさん書いてありました。
 やはり、どんな人でも、その時代のなかで生きているということのようです。
 この本の中に、「私は何処へ出かけても思うのだが、ご縁はどこにでもある。確かに一目で相性が良いと思う事もあるが、チャンスがあれば人と人は真心で結び合うものだ。」と書いてありますが、私もそう思います。ネパールによく出かけたのも、たまたまネパールの方から「ネパールの国花であるシャクナゲについて教えて欲しい」と言われ、彼も私の自宅を2度ほど訪ね、家族的なつき合いを重ねました。
 今でも、ときどきメールが来て、いろいろなことを話すのですが、コロナ禍以降はなかなか訪ねられなくています。
 そういえば、あのネパールのアンナプルナ周辺をトレッキングしているときに、毎朝、ヒマラヤの山々を眺めながら、お茶を点てていました。地元のお菓子があればそれを食べ、なければ日本から持っていった一口羊羹でした。お抹茶と茶筅さえあれば、どこででもお茶を点てることができます。ときどきに、シェルパの人にもお抹茶を薦めましたが、おいしいとは言うものの、なんか無理しているような雰囲気でした。
 ところが、最近は、このお抹茶も海外で人気だそうで、日本でもお抹茶が高くなり、品不足にもなってきました。抹茶をつくる茶樹を育てるには、少なくても4〜5年はかかるそうで、すぐには対応できないそうです。おそらく、生産を増やしたころには、抹茶ブームも下火になってしまうこともあり得ます。なかなか、農産品というのは、お米だけでなく難しいようです。
 千家もわび茶につながりますが、利休の一畳半の茶室について、「狭い空間ではあるが決して「わびしい茶」では無い。「わび」は「さび」と共に難しい概念である。「さび」が徹底的な自己純化だとすると、その自己すら抹消する事を「わび」と言ったのではないかと思われる。枯れ果ててゆく中に生き生きとした新しい創造の精神を宿す「わび」の茶を利休は目指したのであろう。」とあり、「さび」と「わび」を端的に説明しています。
 下に抜き書きしたのは、「大和魂の日本へ」に書いてありました。
 私も修行のときからお茶を習ったこともあり、このようなことは、よくわかります。人は、特に濃茶の場合は一碗を飲み回すので、和やかでなければできません。新型コロナウイルス感染症が流行したときには、飲み回すことなどできず、そもそもお茶会すら開くことはできませんでした。それが仲間内ですらそうでした。
 まさにお茶は、平和だからこそできると、今も想います。
 それにしても、大和魂という言葉を持ち出してくるあたり、時代を感じますが、今の日本に必要なものは「日本人が日本人らしくなるためには、茶道を習い人様に対する思いやり、そして何より自己意識の高揚を得る事である。」といいます。やはり、生まれながら茶道家元になるべく生まれてきたと感じました。

(2026.3.12)

書名著者発行所発行日ISBN
看脚下千 玄室淡交社2025年12月15日9784473046949

☆ Extract passages ☆

 茶道という文化の力は強い。人間生活において文化は極めて必要であり、その総合性多様性の中で茶道の「一碗のお茶でもてなす」「人様の為の和やかさ」「一碗をすすめ合う心での話し合い」こうした働きがお人同士の絆を深めるのである。茶道には敵も味方もなく和合そして誠意と共に主客を一体にさせる。
「一碗のお茶は人間を人間たらしめる」と父から教わった。誠にその通りと思い、海外へその心を広げたのである。

(千 玄室 著『看脚下』より)




No.2520『天下の茶道具、鑑定士・中島の眼』

 お茶をやっていることもあり、茶道具には関心があり、この本を見つけました。副題は「へうげもの名品名席」実見記で、「あとがき」によると、実際に訪ねて解説するというテレビ番組の依頼から始めたことのようです。
 ただ、著者は、なんといってもテレビ東京系列の「開運!なんでも鑑定団」のレギュラーでもあり、なかなか大変だったようですが、趣味家にとっては直接手にとって名品を観たり、席入りできればすごいことだと思いました。
 なかでも、第4話の「付藻茄子」は、静嘉堂で2024年9月10日から11月4日まで「特別展 眼福 大名家旧蔵、静嘉堂茶道具の粋」が開催され、そこに展示されたので私も10月4日に観てきました。しかも、最近は写真を撮っても良いことが多く、ここでもしっかりと撮ってきました。だから、今でもときどきそれらをながめることができます。
 この本では、「信長はこれを終生愛玩して離さず、「つくも」は本能寺の変(1582)に罹災することになる。本能寺の火事場から掘り出され豊臣秀吉に献上され、後に豊臣氏滅亡となる元和元年(1615)、大坂夏の陣で大坂城炎上による罹災で塵芥となって灰に埋れることになる。大坂城落城後に家臣の進言により、徳川家康が茶入の探索を試みることになり、塗師の藤重藤元・藤巌親子が城跡に赴き、昼夜兼行で土灰を飾い分ける。やがて数点の茶入の破片がより分けられるも「つくも」は見当たらず、更に二度目の探索をして茶入数点の細片を得、ようやくにしてそれらしき破片を飾い分けることに成功する。そして藤重親子の漆工の妙手のもとに「つくも」は修復されて、家康の御覧に召されるのだ。」と書いてあります。
 この本に、静嘉堂文庫美術館で撮影した「つくも」のレントゲン写真が載っていますが、これほどに割れたものを火事場からふるいわけ、再現したことに改めて驚きました。
 また、これを静嘉堂文庫で見たときにも、その由来は知っていても、まったく気づけなかったことも思い出します。そのときに撮ってきた写真を見ても、わかりません。その説明のなかに、静嘉堂の茶道具コレクションの第1号とされると書いてあったのも印象に残りました。
 このときの特別展では、この「つくも」の他に、大名物の「紹鴎茄子」や「木葉猿茄子」、「樋口肩衝」、「佐々肩衝」、「小肩衝」、「稲葉瓢箪」など、名だたる茶入の名品が並び、いかに昔から大切にされてきたかがよくわかります。
 そのなかに、「千利休 竹茶杓 銘 両樋(替筒 六閑斎)」もあり、古い竹筒には何も書いてなく、替筒の六閑斎のものに、「宗易造 両樋」とありました。
 この本によれば、「茶杓というものは、利休在世の頃は銘が付けられてなかったのではないか。ほどよき竹を削り、水屋の棚に数本が寄せられていたのだと思われる。その中から茶会の雰囲気に合ったものを選んで使い分け、気に入った竹が手に入ればまた補充したのではないか。伝えられる共筒の茶杓は、携帯用あるいは贈り物にするための贈筒が伝来したと考えるのだ。保存のためや伝来を記し銘を付けるためにも後世の茶人は筒を新調している。」とあり、この説もありえると思いました。
 また、茶杓の丈は畳み目十二半と書いてあり、そういえば、無意識で茶杓を18p前後にしていました。やきり、使い勝手が一番で、作法もそこから来ているようです。
 最近は懐石でも主菓子でも華美になってきているようですが、古い茶道具を見ると、ほとんどがしっとりとしていて、あまり目立たないものが多いようです。あの薄暗い茶室で見ればなおさらです。この本にも出ていますが、古伊賀水指「破袋」を五島美術館で観たことがあり、その圧倒的な存在感に驚きました。
 おそらく、この本の副題にある「へうげもの」の代表ではないかと思います。もともと「へうげる」というのは、ふざけるとかおどけるという意味ですから、まさか、こんなにも壊れてしまったものを、丁寧に水漏れしないように漆で留めて、使うのですから素人にはなかなか判断が付かないと思います。これを古田織部が豊臣秀頼の家臣大野主馬に約束の品として渡したときに、大野主馬がどのような顔をして受け取ったのか、興味があります。
 下に抜き書きしたのは、第27話「利休が織部に与えた形見の茶杓」にあったものです。
 これは、「泪」という銘で、古田織部と細川三斎が境へ蟄居する利休を淀の船着き場に見送りにいったときに利休より授けられた茶杓といわれています。この「泪」と「ゆがみ」です。
 私も茶杓を削るので、ここに書いてあることはよくわかります。そういえば、四国八十八ヶ所をお詣りしたときに削ったものに「遍路」と名づけたことなどもあり、その茶杓を使うと、そのとき時の風景まで蘇ります。

(2026.3.10)

書名著者発行所発行日ISBN
天下の茶道具、鑑定士・中島の眼中島誠之助淡交社2012年7月2日9784473038180

☆ Extract passages ☆

先ず茶杓というものは茶人本人が削った茶道具であるということで、茶杓には茶人その人の人柄から制作当時に置かれた境遇などが投影しているものだ。さらには茶杓が作られた当時の風土や文化があり、茶人を取り巻く社会情勢から歴史の語り部が生れてくる。だからたとえ利休の削った茶杓であっても、語りの少ない単調な作品もあるはずで、茶杓を削った時に魂を入れるか入れないかで値打ちに高低の差が付いてくる。その点で「ゆがみ」と「泊」は茶杓の中の最高峰に位置するものだ。

(中島誠之助 著『天下の茶道具、鑑定士・中島の眼』より)




No.2519『ロンドン、物語りのある旅』

 イギリスには、2014年7月4日から15日までと、2017年8月29日から9月7日まで行ったことがあり、どちらもロンドンには必ず寄りました。
 というのは、着くのも帰るのもロンドンのヒースロー空港なので当然ですが、ロンドンにも行きたいところがたくさんあるからでもあります。とくに印象に残っているのは、この本では取り上げていませんが、イギリス王立キューガーデンで、2回ともその前後に寄りましたし、続けて訪ねたこともあります。ここで見せてもらったジョセフ・ダルトン・フッカーの『Rhododendrons of Sikkim Himalaya』は、今でもときどき思い出すこともあり、次に訪ねたときに復刻版を手に入れました。
 また、ここのバックヤードや標本館も忘れられない思い出です。だから、そのほとんどが植物つながりですが、それでも、たまたまTate Modernで開かれていた「マチス展」を見た後に、4階のレストランで食べた食事、とくにアスパラガスのサラダがおいしかったです。
 そういえば、キューガーデンでたまたま歓迎会があり、園内の研究施設の野外でバーベキューがあり、若い研究者たちがハンバーガーを次々と焼き、自分でプレートにそれとサラダや肉などを盛り付け、飲みものを持って、好きな場所に移動して食べたことも楽しい思い出です。イギリスの食事はあまりおいしくないといいますが、この本にも「イギリス人は探検や音楽好きだったサンドウィッチ伯のように熱中しやすく、好奇心あふれる人たちだ。例えば政治であったり、鉄道やジェット機、あるいはゴルフやサッカーであったり。世界は食よりももっと面白いことであふれている!そう信じていたイギリス人は食事に重きをおかず、パッションをその他の領域へ向けた。鉄道を走らせ、テレビを作り、体外受精を成功させ、現金自動預け払い機を開発し、ウェブの概念を具現化した。あるいはこうとも言う。このサンドイッチ精神が、七つの海を制したのである。」と書いています。
 でも、ロンドンではなかったのですが、イーリー大聖堂近くの「The Old Fire Engine House」という小さなレストランで食べたウサギ肉料理がとてもおいしかったのを覚えています。そういえば、2017年9月にイギリスにいったときには、エジンバラまで足を伸ばしたのですが、泊まったホテル近くに「soderberg」というパン屋さんがあり、エジンバラ植物園に向かう途中にあったので2日間続けてそこで朝食を食べました。
 だから、イギリスの食事はおいしくないというのは、昔はいざ知らず、今はそういうことはないような気がします。
 そういえば、そのエジンバラ植物園の標本館で、ダーウィンの標本を見せてもらったときには、大興奮でした。しかも、その標本には、「Collected by Charles Darwin Voyage of the Beagle 1831-1836」と書いてあり、まさにビーグル号で世界一周したときに採取したものでした。そして、帰国の飛行機に乗るためにロンドンに寄ったときに、自然史博物館に行き、2階への踊り場にあるダーウィン大理石像で写真を撮りました。
 今考えても、そうとう興奮していたと思います。
 もし、またイギリスに行く機会があれば、この本で紹介していた、ロンドンで唯一生き残っているアンティーク版画の専門店、「グロヴナー・プリンツ」にいってみたいと思います。この本には、「ナイジェル&ヘンリエッタ・タルボットのご夫婦がコヴェント・ガーデンの中心で創業し、はや半世紀になる。扱っているのは主に18〜19世紀の版画で、テーマは自然界、肖像、風刺、ロンドンの建築や風景、スポーツや娯楽、外国・探検、古地図など多岐にわたる。20世紀に入ってからのモダン・エッチングも扱っていて、たいていアーティストの直筆サインが入っているので、とても人気があるそうだ。」とあり、最近、イギリスの古い本の石版画を集めているので、興味があります。
 そして、そのときには、もう一度、Earl's Court駅前のパブのフィッシュ&フライを食べてみたいと思ってます。
 下に抜き書きしたのは、「ノース・ケンジントン 玉虫色にきらめく移民カルチャーの交差点、異なる声に耳をすませば」に書いてありました。
 先月の衆議院選挙でも、この移民問題を取り上げた政党はありましたが、その公約を聞くと、消極的な意見が多かったように思います。しかし、No.2518『多様性とどう向き合うか』でも取り上げましたが、統計によれば、2025年6月末時点で、395万人余りの外国籍の住民が日本で暮らしています。それを考えない訳にはいかず、将来的にはもっと増えることはほぼ確実です。
 だとすれば、ここに抜書きしたことも大いに参考になるはずです。
 もちろん、良いことばかりではありませんし、悪いことだってあります。その両方を受け入れる度量が求められているのかもしれません。また、何世代にもわたって暮らしていくと、昔は外国籍ではあっても、日本人と仲良くできるのではないかと期待しています。

(2026.3.07)

書名著者発行所発行日ISBN
ロンドン、物語りのある旅江國まゆ自由国民社2025年12月22日9784426131265

☆ Extract passages ☆

 もともとこの辺りはネイティブの白人が住むところへ、カリブ圏やモロッコ、東アフリカ諸国からやってきた最初の移民が降り立った地だ。イギリスでは第二次世界大戦後に国を建て直すため、英連邦その他の国々から労働力を募ったのだった。特にカリブ圏から「ウインドラッシュ号」と呼ばれる船に乗ってきた人たちは「ウィンドラッシュ世代」と呼ばれ、ちょうど三世たちが今、成人を迎えている。このエリアの近代の歩みは、ひとえに移民との融合の歴史にほかならない。
 イギリスが50年代から70年代にかけて移民受け入れ政策を試行錯誤していた頃、ポルトガルやスペインなど欧州の貧しい地域からもノース・ケンジントンに大勢が移住してきた。メルティング・ポットと化したこの地は人種的な摩擦を多く経験してきたが、次第に友人となり、ときに家族となり、理解を深めた結果、21世紀に入った頃にはなんとか融合が形になってきた。

(江國まゆ 著『ロンドン、物語りのある旅』より)




No.2518『多様性とどう向き合うか』

 最近、よく多様性という言葉を聞くので、どう向き合えばいいのかと思い、読むことにしました。
 この多様性というのは、この本によると、「広義では、私たちはそれぞれいろいろな違いを持って生きているということです。ジェンダー、性的指向・性自認、国籍、エスニシティ、障害の有無、身体的特徴、年齢、学歴、社会経済的状況、家庭環境、価値観、思想、宗教など私たちはそれぞれ多岐にわたる違いを持って生きています。……多様性という言葉が現在使われるとき一般的に意味されているのは、人それぞれいろいろな価値観、考え方、生き方、属性があるのでそれを個性として尊重し、互いに受け入れ合うことが大切だということでしょう。」と、「はじめに」のところに書いています。
 とくに日本の場合は、横並びの同調圧力が強いこともあり、共に生きることを考えるときには必要な考え方です。よく、空気を読むといいますが、それこそが同調圧力です。
 では、この日本に外国人はどのぐらい暮らしているのかというと、「法務省は毎年2回(6月末と12月末)、在留外国人数を公表しています。在留外国人は3カ月以上の在留資格を有する中長期在留者と特別永住者が含まれ、それらを合わせた直近の数字では、2025年6月末時点で、395万人余りの外国籍の住民が日本で暮らしています。」と書いてあり、びっくりしました。
 さらに、「国立社会保障・人口問題研究所が2023年に公表した日本の将来推計人口では、2070年に総人口は8700万人にまで減少する一方、外国人の人口は939万人に増加し全体の10.8%を占めると試算しています。」とあり、外国人はますますふえていくようです。
 だとすれば、外国人だけでなく、多様な人たちとつき合わざるを得ないことになります。
 この多様性という言葉が使われ始めたのは1960年代のアメリカだそうで、多国籍な合衆国ですから人種や宗教など、いろいろな人たちが同じ地域に暮らしていたからです。まさに、いっしょに暮らすために必要とされたのが多様性という考え方です。でも、その今でも同じでしょうが、その当時ならなおさら、多様性を受け入れるということは、大変なことです。おそらく、口で言うほどたやすいことではなかったと思います。
 この本には、「いろいろな違いを持つ人と共に生きるのは、そう容易いことではありません。立場、価値観、考え、生活様式、生き方、仕事観などが異なれば、現実問題として軋轢が生じることや納得できないことも多々あるでしょう。いやいや妥協しなければならないこともあるでしょう。お互いが折り合いを付けて新たな自己と他者の関係を模索していくのは困難なものです。だからと言って「多様性と共生することは面倒だし難しいからあまり関わらないようにしよう」と言って終わってしまっては元の木阿弥です。」と書いています。
 つまり、いくら面倒くさいとはいえ、そうしなければ、世の中は複雑化するばかりで、混乱してしまいます。
 今の世の中でも同じことで、ますます多様化してしまうことは目に見えていますから、少しでも多少の違いを乗り越えて共感しあうことが大切です。
 下に抜き書きしたのは、第5章「他者の生きづらさを自分ごととする」にありました。
 そこには、共感というのは、「それは自然発生的な感情というよりは意識的に培う能力であり想像力です。その気になれば誰もがある程度は養えるものですが、培おうとしなければ身につかないものでもあります。」と書いてあり、自分からそういう感情を持つようにしなければ身につかないのだから、その意識を持つことが必要です。
 そうしなければ、国内が混乱すると、それが国外に飛び火すれば戦争だって起こります。まさに、多様性とどう向き合うか、それが今問われているように思います。

(2026.3.03)

書名著者発行所発行日ISBN
多様性とどう向き合うか(岩波新書)岩渕功一岩波書店2025年12月19日9784004320944

☆ Extract passages ☆

 共感は多義的で簡明に定義するのが難しぃ言葉ですが、他者の立場に立ってその人の心情や経験(そして苦難や生きづらさ)を想像し理解(しょうと)する能力といえるでしょう。それは自然発生的な感情というよりは意識的に培う能力であり想像力です。その気になれば誰もがある程度は養えるものですが、培おうとしなければ身につかないものでもあります。
 よく混同されるのは同情です。同情は、他者との距離感を縮めることなく、他人ごととして可哀想だと憐れんだり思いやる感情です。また、寛容のように自己と他者の不均衡な関係性に向き合うことなく、やや上から日線のものとなりがちです。英語でも同情はシンパシーで共感はエンパシーと区別されていますが、ここでは培う能力である点に力点を置いて、共感力と言っておきたいと思います。

(岩渕功一 著『多様性とどう向き合うか』より)




No.2517『旅 ドロップ』

 「旅」という言葉に惹かれて、図書館で借りてきたのですが、なぜ著者が「山形小説家」というのかはわかりません。でも、昨年の2025年に山形県内で開かれた「山形小説家・ライター講座」の講師を務めています。そのときは、井上荒野さんや角田光代さんも山形県立図書館で講師をしています。
 まあ、そんな細かいことは抜きにして、息抜きに読むにはいいと思います。
 もともとドロップというのは、「落下する」とか「しずく」などの意味がありますが、私は缶入りドロップスのイメージがあり、色とりどりのキャンディです。でも、同じ飴でも、ソフトキャンディやハードキャンディもありますが、ドロップはハードタイプで、口のなかで時間をかけてゆっくりと味わうことができます。
 そういう意味では、この本もゆっくりと味わうことが大切だと思います。
 この本のなかに、「はみだす空気」というのがあり、空気がどこからはみ出してくるのだろうと思いながら読んでいると、ラジオからでした。それもインターネットラジオで、私もパソコンで聞ける海外ラジオを聴いたことがあります。
 そのときは、この日本で現地の生の声が聞こえるということだけで満足していたのですが、「なにしろ空気がはみだしてくるのだ。北欧の局の番組を流せば、部屋の空気がたちまち北欧みたいになり、アメリカの局の番組を流せば、俄然そこはアメリカになる。おもしろい。どの局を選ぶかによって、自分の部屋が中国になったリスペインになったり、(もちろん日本の局も入るので)湘南になったりする。移動なしで旅先にいるみたいなものだ。これは、ラジオだからこそできることで、たとえばテレビで紀行番組を観たとして、画面に北欧やアメリカや中国やスペインの、街なみや自然や人々 が映っていても、そのテレビのある部屋がその国になったような気はしない。外国の空気は四角い画面のなか、ブラウン管の向うのどこか遠くにあるのであって、こちら側にはみだして来たりしない。音は融通無碍だ。目に見えないから、部屋じゅうに漂う。そこらじゅうを満たす。」と書いてあり、なるほどと思いました。
 たしかに、ラジオだからそう思えるので、テレビではできない芸当です。これは真似てみたいと思います。
 そういえば、昔、映画を観ながら英会話を覚えようというものがあり、買うと高いので試しに図書館で借りてきて観てみたのですが、それほど効果はなかったようです。というのは、返す日までに飽きてしまって、やはり買わなくてよかったと思いました。
 私も同感だと思ったのは、著者の母親が旅から帰ってくると、「ああ、よかった、家がまだあって」とよく言うそうです。私も、特に海外から帰ってきたりすると、わが家が見えると、ホッとします。この本のなかに「留守にしているのが半日であれ数日であれ数週間であれ、家がまだあるのは決してあたりまえではないのだ。火事にもならず地震で崩れもせず、車が突込みもせず犯罪者にあがり込まれもせず、ちゃんと家がそこにあることは。建物だけのことではない。そこに自分の居場所が「まだある」ということ。旅にでて、家から物理的に離れただけじゃなく、一時的にとはいえ気持ちも離し、たぶん一瞬家のことを忘れさえして、それなのに「まだ」帰る場所があるというのは、考えてみれば奇蹟に近い。」と書いてます。
 今でもときどき思い出すのですが、東日本大震災のとき、私はスリランカに行っていて、山から戻ってくると、ホテルのフロントの方が日本で大変なことが起こっていると教えてくれました。すぐにわが家に何度も電話をかけ、やっとつながって話しをすると、わが家の被害はまったくないけれど、成田からわが家に戻れるかどうかわからないという話しでした。それが何を意味しているのか、まったくわからず、成田空港に着いて初めてそのことが理解できました。
 それでも、成田からバスで東京駅八重洲口まで来て、新幹線では帰れないことがわかり、タクシーで羽田空港まで行き、あと10分で出発という直前に1席が空き、そこに乗せてもらい、山形空港まで飛びました。ところが、積雪のため着陸許可が出ないということで、蔵王上空を旋回し、そろそろ羽田に戻らなければならないというそのとき、やっと着陸許可がおりました。真っ白な滑走路に着陸したときには、拍手が起きました。そこまで息子に迎えにきてもらい、なんとかその日のうちにわが家に着き、ホッとしました。その帰る途中の道のなんと暗かったことか、何も食べてなかったので赤湯のココスにまわりましたが、食材の不足から数品しかなかったのが今でも印象に残っています。
 このような経験をしているので、「ああ、よかった、家がまだあって」と私も思うのです。
 下に抜き書きしたのは、「平安時代の旅」にあったものです。
 これは著者が「更級日記」を現代語訳したときに考えたそうですが、たしかに昔の旅は、女性ならなおさら大変だったと思います。私も、昨年、二度ほど津軽三十三観音をお詣りしたのですが、山道が多く、人里離れていたりすると、どこからかクマが出てくるのではないかと不安でした。
 往復で1時間ほどかかる第25番札所松倉観音堂のときには、近くの方にいっしょに上っていただいたので、なんとかお詣りできましたが、お詣りの時間が30分ほどなので、スマホも通じない山の中に1時間30分もいたことになります。
 もし、クマ騒動がなければ、一人歩きは慣れているのでなんともないのですが、さすがクマは怖いです。

(2026.2.28)

書名著者発行所発行日ISBN
旅 ドロップ江國香織小学館2019年7月6日9784093886994

☆ Extract passages ☆

 旅の目的は、一応神仏参りだったりするのだが、実質的には断然風景を見ることで、いい景色を眺める、ということへの彼らの憧憬と情熱と偏愛ぶりは、ただごとではない。逆に、景色が悪いと途端に興ざめする。その姿勢は徹底していて、日常生活のなかでも、何より景色に心をふるわせ、桜が散ってしまっただけで大泣きしたりする。利那的な人々なのだ、シュールなまでに"いま″を生きている。お客様が帰ったときにもよく泣くのだが、考えてみればそれも道理で、物理的に離れれば、もう二度と会えないかもしれないのだ。連絡手段が皆無(手紙はあったが、郵便システムはもちろんないので、直接届けに行くしかない)だった上、″方違え″の習慣があり、みんなしょっちゅう引越しをしていたらしいのだから、行方不明や音信不通も日常茶飯事だったと思われる。

(江國香織 著『旅 ドロップ』より)




No.2516『柚木沙弥郎 旅の手帖』

 著者の柚木沙弥郎さんの仕事は、NHKの日曜美術館などで何度か拝見してますが、本になったのを読むのは初めてです。
 副題は「布にめざめたインドの旅」で、1972年12月24日から1973年1月13日、1975年12月20日から1976年1月8日、1982年12月27日から1983年1月6日、1983年3月30日から4月10日、と4回の旅の記録です。なぜか年末からと年度末からの旅が多いような気がします。
 私もインドには何度か行きましたが、私と重なるのはボンベイとカルカッタ、カトマンズぐらいですが、今はボンベイはムンバイになり、カルカッタはコルカタと読み方も変更になっています。
 そういえば、私もカトマンズ郊外のドゥリケルに行ったことがありますが、友人の親戚が経営しているホテルに泊まり、ホテルのボーイに案内されてシャクナゲを見に行ったことがあります。著者は、「ここはヒマラヤを見るのに世界的にいい場所とのこと。右端に工ベレストがほんのつぶの様に見える。工ベレストは一番遠いのだ。ここから車で行ける処まで行き、歩いて3ヶ月かかる由。くれた地図を見ながら山の名を聞く。右側から左まで全部の山が見える。天気は最高、やつばり午前中は山を見るには適さない。この辺は茶店1つあるでなし。自然そのままで本当に美しい。カトマンズに来てヒマラヤを見たのだから一同満足した。」と書いています。
 でも、私はトレッキングをして歩いていると、朝早くからヒマラヤが見え、午前11時ころから雲がかかり始め、午後からはまったく見えなくなりました。これは季節的なこともあるでしょうが、私の場合は植物を見るためにネパールに行くので、3月から4月にかけてが多いのです。
 しかも、茶店が少ないところでは、炊事用具をもって行くこともあり、どこででもチャイを飲むことができます。テントも、ある程度は決められているのかもしれませんが、見晴らしの良いところに設営してもらってました。だから、明るくなってくると、テントの入口を開けてヒマラヤの山々を見ていると、どこからかキッチンボーイがチャイを運んできてくれて、それから顔を洗うための金だらいにお湯を入れてもってきてくれます。
 このようなときが、まさに至福の時です。
 この本で、著者は買いものの話しがよく出てきますが、「2、3買い物をする家に連れてゆかれた。キャメルベルトがある家があった。Tak氏がここのは高い、明日、バルメル行きの途中の村にあるからよせと云う。それで買わなかったのが運のつきで、とうとう買えない事になってしまった。」と書いてあり、このキャメルベルトを買うのも旅の目的のひとつだったのに、残念なことでした。
 これなどもよくあることで、この先にもっと良いものがあるし安いといわれると買うのをためらいますが、じつはそれから先はなかなか出合えないということも多々あります。
 実は、マダガスカルに行ったときに、ここは世界最大の高品質のバニラビーンズの産地なので、買うつもりでいましが、選んでいるうちに買い損なってしまい、とうとう首都のアンタナナリボで高いものを買わざるをえなくなったことがあります。
 やはり、いいと思ったときに買わないと、なかなか次はないようです。
 下に抜き書きしたのは、「インド 布の生涯」にあったものです。
 インドは伝統的にも布を大切にするところで、僧侶が身につける袈裟も、もともとは糞掃衣といい、その名前からもわかるように、使えなくなって捨てられたボロ布を集めて作ったのが由来です。また、格子状に縫い合わせているところから、水田のように見えるということで、「福田衣」ということもあります。
 どちらにしても、布を使えなくなるまで使い切るという発想は、すごいと思います。

(2026.2.25)

書名著者発行所発行日ISBN
柚木沙弥郎 旅の手帖柚木沙弥郎平凡社2025年10月20日9784582839920

☆ Extract passages ☆

 山本耀司という服飾のデザイナーがいますけれど、この人が持ち主の体になじんだ服というものに自分は嫉妬を感じる、と言ったことがあります。そういう使い込んだ衣服の風合いといいますか、暖かさ、そういうものをインドに行くと直接に実感できる。そういうとこに私は一番、魅力を感じると思います。布の生涯、言い過ぎかもしれませんけれど、出来たところから、いよいよボロになってなくなってしまうまでの経過。

(柚木沙弥郎 著『柚木沙弥郎 旅の手帖』より)




No.2515『こだま標本箱』

 この本は、題名のおもしろさで選んだのですが、分類的にはフィクションです。だから、本作品は実在の個人・団体等とはいっさい関係がありません、とことわっています。ただ、読むときには、こだまそのものをどのようにして標本にするのかとか、いろいろと考えました。
 それは読み進めることでわかってきましたが、『読楽』の2024年6月号から2025年3月号に掲載されたものを加筆修正したものです。この『読楽』というのは、もともとは1967年10月に創刊された『問題小説』の後身で、2012年1月号よりリニューアル・新創刊されたものです。現在は、紙版の刊行ではなく、電子書籍版のみの発行になっているそうで、どちらも1度も読んだことのない文芸誌です。
 題名だけで選ぶと、このようなこともあり、それはそれで新しい本にチャレンジする楽しみでもあります。
 内容は5編あり、1.幸せの香、2.水を染める色は、3.木々の声音、4.柳の下に眠る、5.神隠しの山、です。それぞれに違ってますが、流れは同じ「喫茶こだま」で、主な登場人物も同じです。
 そして、それらが微妙に混じり合って最後の「神隠しの山」につながっていくような構成です。
 「水を染める色は」のなかで、賀見社(かみやしろ)は、「標本っていうのは、姿形があって、見てわかるものだろう。伝説には形がないからね。でも、彼は形にこだわってる。逸話を語るよりずっと、目の前に存在するものには人に伝える威力がある。カッパの伝説だって、カッパのミイラを目の前にすれば、その存在感は強烈だ。ただの伝説じゃなくて、本当にいるんだってことを、強く印象づけられるんだからね」といい、所有する「喫茶こだま」のなかに、たくさんの伝説につながるコレクションを置いてあります。
 たしかに形があるというのは、存在感はありますが、私はそのものによって違ってくると思います。たとえば、このなかに出てくる「トンボ玉のかんざし」は、それを知っている人にとっては記憶の形見のようなものかもしれませんが、それが伝説とは言えないようで、だからこそ、近くの人たちの共通の言い伝えのようなものを集めることも必要だったのではないかと思います。
 ただ、この話しに出てくる井戸じまいのなかに、お祓いをした後に長い竹の筒を立てるというのは知りませんでした。これは、「息抜きというもので、そこから井戸の神さまが出ていけるように立てるのだそうだが、実は、井戸にたまっていたガスや湿気を抜くためだという。井戸がなくなることで生じる地盤の異状を防ぎ、他の水脈に影響が出ないよう、地下水を自然の状態に戻すための息抜 きだ。井戸は、ただ埋めればいいというものではないらしい。」と書いてあり、なるほどと思いました。
 やはり、今までその水をつかわせていただいた感謝だけでなく、これから先もなるべく水環境を護っていく配慮もあったのではないかと感じました。
 今は、蛇口をひねるとすぐ水が出てきますが、私の子どものころは流れ水を家のなかに引き込み、それで食器などを洗ったり、洗濯をしている家庭もありました。飲み水などは、大きな瓶に汲んできて入れ、それを使うので、その労力も大変だったと思います。
 また、これは「神隠しの山」で、賀見社は、今も昔も神隠しという現象が言い伝えられてきたのは、「神隠しに遭って、帰ってきたという人がいて、語ったからだ。その話は、本当でもうそでも、不慮の事故なんかより、ずっと人の興味を引いて、心に残ったことだろう」といいます。
 たしかに、これだと納得できます。神隠しにあった人が帰ってきて話さなければ、伝わらないということはありえます。たとえば、三途の川まで行き帰ってきた人が、たしかに川があって、向こう岸から呼ぶ声も聞こえてきたが、こちら側からも戻れという声があり、それで戻ってきたという話しもあります。
 しかも、これは日本だけでなく、外国でも川のイメージがあるから不思議です。臨死体験をした人たちの手記のなかにも書いてありました。
 世の中というのは、自分が見たことがないという理由だけで、すべて否定はできないのではないか、あるいは見えている世界だけがすべてではないのではないか、と思いながら、読み続けました。
 下に抜き書きしたのは、3.「木々の声音」に出てくる常盤百絵さんの言葉です。彼女は、いわばもう一人の主人公です。
 この木は自宅の間近にかかるケヤキの木を切りたいという話しから進むのですが、もともとはこの木だけの問題ではなく、河原近くにあったケヤキの大木から挿木で増やしたものだそうで、それほど大木でもないケヤキの木が伝説化する過程もおもしろかったです。
 抜き書きした言葉のように、伝説になったからこそ生き延びてきたものもあります。そういえば、各地の三十三観音札所詣りをしていると、道路の真ん中に木があり、それを避けるかのように両側に道があったり、不自然にその木を避けるように道路が曲がっていたりするのを見ることがあります。
 中には、看板が立ててあるのもあり、もしかすると、そこにもいろいろな伝説が伝わっているのではないかと思いました。

(2026.2.22)

書名著者発行所発行日ISBN
こだま標本箱谷 瑞恵徳間書店2025年10月31日9784198660833

☆ Extract passages ☆

 伝説は、禁忌を生み出して、人を縛るものであるかのように感じてきた。でも、人を動かすものでもあるのかもしれない。
 古びてもなくさない、守るという方向は、とてもエネルギーのいることだ。それでも守らねばならないと、強く印象づける方法が、伝説の他にあるだろうか。この本がただの木なら、もうなかった。

(谷 瑞恵 著『こだま標本箱』より)




No.2514『会社は「本」で強くなる』

 副題は『マネーフォワード 会社で取り組む「読書経営」』で、本好き人間としては、読んでみたくなる題名です。ただ、マネーフォワードという会社は知りませんでしたが、この本の説明によると、「クラウド会計や家計簿アプリなどを展開する」会社のようです。現在は創業13年で売上高400億円で、社員数2,900人に急成長しているようです。
 読み始めて最初のほうに、「ラーニング・アニマル」という言葉が出てきて、これはいいな、と思いました。「辻は、グーグルが組織開発で重視する「ラーニング・アニマル」という言葉が好きだという。すなわち、「常に新たな学びを貪欲に吸収する人」が集まる組織でなければ、厳しい競争の中で生き残れない。」といい、私もその通りだと思います。
 ただ趣味で学ぶというなら、アニマルにならなくてもいいでしょうが、それが仕事でしかも多くの人たちに影響を及ぼす立場なら、学びの姿勢も大切です。
 だから、辻さんと起業の構想を共に練り上げたという瀧俊雄さんの言葉に、「例えば、「自分が言いたいことを代弁してくれるような本」ばかりを読んでいないか、と自間することがあります。人間は、どうしても自分にとって心地良い意見や考えにひかれやすいものです。けれど、読書が"癒やし"や"快感"だけに終始してしまっては、自分の視野を広げることはできません。むしろ、「ちょっと苦しい」「自分とは合わない」「読み進めるのが大変」と感じる本にこそ、真の成長のヒントがあると思うのです。あえて"苦役"となる読書に挑む。そうすることで、読解力や思考力、ひいては知的なスタミナが鍛えられていきます。気軽に摂取して気分が良くなるだけの読書ではなく、負荷がかかるけれども後から効いてくる、内側から変化をうながすような読書です。良薬口に苦し。負荷をかけた分だけ知性は育つと感じています。」と書いてあり、なるほどと思いました。
 私自身も、途中までなんとか我慢して読み続けていくと、後半になってからおもしろさがやっとわかってくるような本もあります。そして、後々から思い出すのも、そのような本が多いようです。
 よく筋肉を鍛えるにはある程度の負荷をかけなければならないといいますが、知力だってそれが必要だと改めて思います。
 それと、この本に、「読書はインプットだけではなく、アウトプットを通じて自分の血肉になるものです。」と書いてありました。だいぶ前に、お茶の師匠から、習っているだけでは上達しない、教えて初めてわかることもある、といわれたことがあります。
 たしかに、その通りです。インプットとアウトプットが組み合わされて、はっきりと理解できるようになります。そのためには、人に話すということは、とても大切なことです。
 下に抜き書きしたのは、第1章「急成長するマネーフォワード 飛躍の秘訣に「本」があった」のなかにあったものです。
 たしかに、問いがあることで、本を読んでいると深く深く考えるようになります。そして、複眼を持つように、多角的な視点にもつながります。だから、私も学生のころから、これはという文章を書き写したり、これは忘れないようにしようと思うと、抜書きしています。
 今になってみると、それらを読み返すことはほとんどありませんが、自分の書棚の背表紙を見ただけで、何が書いてあったかを思い出します。もし、読みっぱなしだったら、思い出すことも極端に少なかったと思います。
 それと継続することが大切で、この『本のたび』も今回でNo.2514ですから、ここに掲載した本だけでも2,514冊読んだことになります。このコーナーをつくったのは、2006年4月22日でしたから、もう20年になります。
 最初の本は、『世界の窓 〜Windows〜』で、ベルンハルト.M.シュミットさんの窓を写した写真集でした。今でも写真集はときどき見ますが、ここではあまり取り上げてないようです。

(2026.2.19)

書名著者発行所発行日ISBN
会社は「本」で強くなる宮本恵理子日本経済新聞出版2025年10月15日9784296121618

☆ Extract passages ☆

「問いがないと、本はただ通り過ぎてしまうんですよね」
 読書について語るとき、辻が繰り返し口にする言葉である。読書とは、単に知識を得る手段ではない。問いを持つことでこそ、本の内容は読者に深く届き、自分の行動や言葉へと昇華されていく。読書とは、問いの生成装置であり、思考の土壌であると位置づける。
 目の前に差し出された1冊、導かれるように手に取った1冊を読み込み、「自分の中でどの一節が引っかかったか」「それはなぜか」「そこから自分は何をするか」というプロセスを踏んで、内省と共有を行う。

(宮本恵理子 著『会社は「本」で強くなる』より)




No.2513『旅するタネたち』

 この本は、2008(平成20)年5月に発行されたNHK出版『身近な植物に発見! 種子たちの知恵』を再構成し、加筆修正して文庫化したものだそうです。
 著者の本は、何冊か読んでいるので、少しダブルところもありますが、植物には興味があり、たのしく読むことができました。副題は「時空を越える植物の知恵」で、「はじめに」のところで、「タネはいわばマイクロカプセル。みずからの設計図である遺伝子と、芽が育つための栄養が詰め込まれています。新しい場所で新しい世代を担うべく、タネたちは旅立つのです。しかし、「旅立つ」といっても、そこは植物。簡単にはいきません。動物と違い、植物は自由には動けないのです。旅に出るには、小道具なり作戦なりが必要です。風に乗るパラシュートや翼、水に浮くコルクに自動発射装置、さらにはかぎ爪や色仕掛けで動物をヒッチハイクしたりするなど、タネたちは驚くほど巧みな道具や作戦を持っています。タネはときに、時間をも飛び越えて旅をします。厳しい季節をタネの形でやり過ごすのは一年草。暑すぎる夏や寒すぎる冬、あるいは乾いた季節も、小さくとも頑丈なカプセルでならしのげます。」と書いてあり、この本の内容が表されています。
 タネのままでも、けっこう長生きだと思ったのは、ブータンで採取してきたネパレンシス・ピプタンサス(Piptanthus nepalensis)のタネを15年以上も保管していたのですが、ネパールに行ったときにその花を見つけ、保管していたことを思い出し、帰国してからまいてみました。すると、だいぶ発芽したのです。そのことから、「19世紀のアメリカで、ある生態学者は、野生植物の種子を小分けにして上に埋め、歳月をおいて掘り出しては発芽能力の有無を調べる実験を開始しました。弟子から孫弟子へと引き継がれた研究の結果、メマツコイグサを含む数種の種子は、土の中でなんと80年以上も発芽能力を保つことがわかりました。明るい環境でないと育たない草のタネは、芽を出すタィミングを見定めています。そこがほかの植物の陰であれば、種子は何十年でも眠り続けてチャンスを待ちます。興味深いことに、発芽と開花、その2つのタイミングを計っているのは同じフィトクロムという物質でした。」と書いてあり、自分が経験したことを思い出したのです。
 経験といえば、ここ小町山自然遊歩道にも、この本に掲載されている植物があります。
 おもしろいと思ったのは、ゲンノショウコで、「花には紅と白の2タイプがあります。そして、おもしろいことに、源平合戦さながら、西日本には紅花が、東日本には白花が多く見られるのです。中間地帯にあたる近畿地方や東海地方などでは、しばしば紅白が混生し、中間色の淡いピンクも見られます。標高の高い山には白が多く、低地には紅色が多いという傾向もあるようです。花色の違いは遺伝的なもので、花びらで赤い色素のアントシアンがつくられるかどうかで決まります。」とあり、小町山自然遊歩道には白花も紅花も、その中間色の淡いピンク色のゲンノショウコもあります。
 旧三沢公民館の近くには、白花がありますから、基本的にこの辺りのゲンノショウコは白花だと思います。しかし、小町山自然遊歩道に紅花を植えた記憶もありませんから、タネでここまで運ばれてきたようです。
 しかも、小野小町居所跡手前の芝草の中だけにあるので、その芝草に混じって持ち込まれたのかもしれません。毎年、写真を撮っていますが、白花が先に咲いて、それから紅花が咲いて、その中間の時期にピンク色が混じるようです。
 小町山自然遊歩道に花があるときには、雨降りのときをのぞいて、ほぼ毎日カメラを持って写真を撮りに行きますが、毎日毎日、自然が動いているようで、新しい発見があります。まさに自然はワンダーランドです。
 下に抜き書きしたのは、第2章「動物を利用するタネたち」に書いてありました。
 近くの小町山自然遊歩道には、マタタビが生えていて、花が咲くころになると葉がハンゲショウのように部分的に白くなります。それで花を探すと、この本に出ているサルナシの両性花のように、雌花があります。それと同じような雌花なので、来年咲いたときに、この雄花もイミテーションなのか調べてみたいと思います。
 でも、イミテーション花粉でも、それを餌にハチをおびき寄せるというから自然界って不思議なことだらけです。

(2026.2.16)

書名著者発行所発行日ISBN
旅するタネたち(ヤマケイ文庫)多田多恵子山と渓谷社2024年10月1日9784635050050

☆ Extract passages ☆

 サルナシには、花が咲いても実のならない株があります。雄株と雌株があり、雄株の花は雌しべが退化した雄花ばかりなのです。一方、雌株には雌しべL雄しべの両方を持つ両性花が咲いて実ができます。
 両性花には多数の雄しべがあり花粉も出ていますが、この花粉は中身のないイミテーションで、雌しべにつけても実はできません。それでも雄しべを切り取った花は結実が悪くなります。もともと花に蜜のないサルナシは、イミテーション花粉を餌にハチをおびき寄せているのです。ちなみに数は多くありませんが、同じ株に両性花と雄花をつける両性株も存在します。

(多田多恵子 著『旅するタネたち』より)




No.2512『となりの陰謀論』

 No.2510『フェイクニュースを哲学する』を読んだとき、そこに陰謀論というのが載っていて、今の時代にまさかとは思いましたが、この本を見つけ、読むことにしました。
 本というのは、1冊読むことによって、そこに書かれていることから、もうちょっと知りたいと思い、次の本を読む、そして次々とつながっていくものです。
 この本の「はじめに」のところに、陰謀論を生み出し増殖させるのは、「人間の中にある「この世界をシンプルに把握したい」という欲望と、何か大事なものが「奪われる」という感覚です。これらの欲望や感覚は一部特定の人間だけが持つというよりは、社会状況に応じて誰の中にも芽生えてくるものだからです。」と書いてあります。
 だとすれば、ちょっとした心の隙間に、いつでも入り込むもので、だからこそ、常日頃気を付けなければならないと思います。
 特に今はネット社会です。SNSなどを使って瞬時にいろいろな情報を個人でも流すことができます。著者は、それらのことから、「陰謀論の日常化」という言葉を使っています。つまり、「ソーシャルメディアの時代においては、陰謀論コミュニティの中の誰かがふと思いつきで投稿したネタが思いがけず拡散すれば、それだけで陰謀論の新作が誕生するようになりました。もはや陰謀論者は事件が起きるのを待つ必要さえなくなったのです。自らの興味関心の赴くまま、陰謀論コミュニティのメンバーが思いついたことをどんどん投稿し、そのうちのいずれかが広く共有されるようになればそれで新作陰謀論が誕生したことになるのです。」といいます。
 ネット社会以前なら、陰謀を広めるためには、特定のコミュニティや冊子などを通すしか方法はありませんでした。それすら、大手のマスメディアに相手にもされず、ホンの偶然に広まることがあった程度です。しかし、今や、陰謀論が日常化し、いつでも誰でも流せるようになりました。
 これはとてもこわいことですが、日常化したものをそのままにしておくこともできないと思います。
 この本では、「糸巻き遊び」のエピソードを取り上げていますが、「実現困難な欲望の充足に振り回されながらいつも寂しい思いをするくらいなら、自分の欲望を疑似的に叶えるための環境を自らつくり出し、その世界の中で自らの欲望を疑似的に満たそうということです。彼の視界に映るのは、「あたかも」、自分がいて欲しいと望むその時にいつでも母親が自分の傍にいてくれる世界です。 この「あたかも (as if)」の世界をつくり出そうとする衝動こそが、人間の文化を生み出すエネルギーです。満たされない欲望を疑似的に充足するために、人間は子どもも大人も、「あたかも」自分の本物の欲望が満たされるかのような世界をつくり出して、その世界の住人となって疑似的な希望や欲望が満たされる経験を通してそれなりの幸福感を得るのです。」と書いています。
 つまり、現実から自由になるために空想の世界に生きるようなもので、本来はこれで解決できるものではありません。これでは、「ごっこ遊び」とほとんどかわりません。
 下に抜き書きしたのは、第3章『「陰謀論政治」はなぜ生まれるか』に書いてあったものです。
 これを読みながら、そういえば、日本でも郵政民営化の選挙のとき、このような流れがあったのを思い出しました。
 しかも、それで落下傘候補を出したり、いろいろな手を尽くして、選挙に大勝しました。ということは、一般人も、是か非かとか、単純でわかりやすさをもとめているのかもしれません。ただ、後から考えれば、たしかにそれだけの争点で選挙をするのがよかったのか、あるいは悪かったのかは疑問です。
 そして、その忠誠心テストが終わってからは、ほとんどの人たちはこの話題に触れることを避けようとしたそうです。ということは、これはまさに踏み絵のようなもので、それにはなるべく関わりたくないという姿勢だったようです。しかし、今年に入り、ベネズエラへの軍事攻撃して大統領を拘束したりするなど、世界の多くの人たちは、それすら許してしまうのかと疑問に思っているのではないでしょうか。

(2026.2.13)

書名著者発行所発行日ISBN
となりの陰謀論(講談社現代新書)烏谷昌幸講談社2025年6月20日9784065401354

☆ Extract passages ☆

真面目な政策について頷くことは容易いでしょう。しかし、荒唐無稽な「ユダヤの世界支配と闘うのだ」というトンデモ話を持ち出された時に、真顔でそれを「素晴らしい」というためには自分の中にある常識や良識を捨て去らねばなりません。誰にでも多少の抵抗はあったはずです。それゆえ、本物の忠誠心が試されることになるわけです。……
 1.6襲撃事件の後、トランプは共和党内の反トランプ派と対立を深める中、「共和党のトランプ化」を推し進めてきました。2022年の中間選挙の際に、トランプは2020年大統領選で大規模な不正が行われたという「不正選挙陰謀論を信じるか否か」という問いを各候補者に突きつけていきました。そして、不正選挙陰謀論に賛同する人間にはトランプの推薦を与え、賛同しない人間にはRINO(Republican In Name Only:名ばかりの共和党員)というレッテルを貼り、RINOが立候補する選挙区にはトランプが推薦する人間を対立候補として送り込んだのです。まさに、忠誠心を測るリトマス紙として陰謀論を用いたのです。

(烏谷昌幸 著『となりの陰謀論』より)




No.2511『馬のこころ』

 今年午年なので、馬のことを知ろうと、いろいろ読みましたが、この本はとてもおもしろく、一気に読んでしまいました。副題は「人の相棒になれた理由」ですが、帯に「知れば、きっと馬に会いたくなる」とあり、ほんとうに馬を見てみたいと思いました。
 とくに、馬の表情など、痛みを感じているヒトと家畜の表情などの図は、見れば見るほど、たしかにそうだと思うし、「内眉を上げているイヌの表情」などは、かわいそうで何とかしてあげたくなります。それ以上に、あの大きなウマの目を見ていると、いろいろな表情があり、まさに目で表現する俳優さんのような感じです。
 そういえば、今は日本だけでなく外国にも野生馬はいないそうで、「野生馬は、世界中を探しても、もうどこにも存在しない。野生馬のように見えるウマであっても、すべて、その祖先をたどれば、一度はヒトの繁殖管理下に置かれ、家畜化された歴史をもつ。一度家畜化された後、遺棄されたり、逃亡したりして、現在では、野生馬のような暮らしに戻っているウマを「再野生化したウマ」とよんでいる。御崎馬も、例にもれず、再野生化したウマである。また、都井岬で暮らす御崎馬は、繁殖をコントロールされていない、自由に繁殖交配をしている個体群であり、これは世界を見ても希少である。」と書いてあります。
 そういえば、この御崎馬をテレビで見たときには、風にたてがみをなびかせ、みるからに野生馬のような雰囲気がありましたが、そうではなかったようです。しかも、現在、日本の在来馬は8種類で、1,600頭ほどだそうで、この御崎馬とトカラ馬は100頭弱しかいないそうです。
 そういえば、今年のお正月に午年の話しをしたときに、ウマつながりの慣用句として、「馬が合う」という言葉を紹介しましたが、これはもともとは乗馬から生まれた言葉ださうです。「乗り手と「馬が合わない」ときにはウマがまったく指示を聞かず、ウマとヒトが調和して運動することができない。一方で、乗り手と「馬が合う」と、乗り手の能力以上の力をウマが発揮してくれることがあり、ウマとヒトの動きも調和する。技術の高い乗り手と能力の高いウマのペアが必ずしもベストな成績を残すとは限らないのだ。その人の乗り方や性格が、そのウマの性格に合っていれば、技術の劣る人のほうがそのウマのパフオーマンスを向上させることができる、ということも少なからずある。」そうで、著者が馬術部時代の経験からもそのように感じたそうです。
 だから競馬も、いかに巧みなジョッキーでも、馬との相性があり、予測が難しいのかもしれません。
 しかも、著者が静内研究牧場でウマを観察していると、「彼らは、放牧地の広い範囲に牧草が生い茂っているにもかかわらず、仲間のウマと鼻を突き合わせるくらい近くで、ともに草を食べるのだ。」そうで、そういう光景を見ていると、「ウマは仲間と一緒に何かをすることを好んだり、仲間とのつながりをもつことを求めたりする性質や、寛容な性質を、持ち合わせているのだと感じた。」といいます。
 この本のなかで、おもしろいと思ったのは、馬には友だちをとられたくないという行動や、嫉妬みたいなものもあるそうです。その嫉妬はメス馬のほうが多いというから、なんか人間にも相通じるものがありそうで、ほほえましいものを感じました。
 下に抜き書きしたのは、3「よく見て、学んで、頼る」の最初に書いてあったものです。
 たしかに、ウマは敏感で繊細な動物だとは思っていました。というのも、那須の南が丘牧場で孫が馬に乗りたいというので、1人で乗ったのですが、その前に乗った人の馬の動きと違い、小さな子どもだからなのかゆっくりと歩いていたような気がしました。馬から下りて、馬といっしょに写真を撮ったのですが、こころなしかポーズをとってくれたような気がしました。とてもいい思い出で、10年以上経った今でも思い出します。

(2026.2.10)

書名著者発行所発行日ISBN
馬のこころ(岩波科学ライブラリー)瀧本彩加岩波書店2025年11月14日9784000297394

☆ Extract passages ☆

 ウマはもともと、捕食される側の動物であるため、臆病で、警戒心が強く、自分の身に危険が迫ると、いち早く逃げる傾向をもっている。突然の大きな音や声にびっくりしたり、急に物や人が動くのを怖がったりするのも、自分の身に危険が迫ったときにすぐに反応できるよう、敏感で繊細な性格を持ち合わせているためだろう。
 そうしたウマの敏感で繊細な性格を示すエビソードは枚挙にいとまがない。私が馬術部に所属していたときのエピソードをいくつか紹介しよう。工事現場の音はウマが最も怖がる音の1つである。馬場でウマに乗って運動していたとき、後ろから突如聞こえてきた「ドドドドド」というドリル音にウマが驚いて暴走することがあった。また、ブルーシートや部員が着ているレインコートが風に吹かれてフワッと舞ったり、傘がパッと開いたりするのも苦手て、ビクッと身震いするだけでなく、ときには横っ跳びして、落ち着かなくなることもあるため、乗っている場合も、曳いている場合も、注意が必要だった。……
 ウマはまた、ヒトに怒られるのを予期することもできる。

(瀧本彩加 著『馬のこころ』より)




No.2510『フェイクニュースを哲学する』

 この本は、一昨年の9月に出されたものですが、そのころはアメリカ大統領選挙でインターネットを通じてフェイクニュースだけでなく、相手を陥れるような、目を疑うようなものまでネットを通じて拡散し、これはちょっとひどいのではないかと思いました。
 それで、ドナルド・トランプが大統領になったのですが、その流れがさらに強まってきた感がします。この本の「序章 フェイクニュースとは何か」に、「たとえば、嘘をつく人は自分の主張に反する証拠を持ちだされれば、嘘を取り繕おうとしてその証拠を何らかの仕方で否定し、反証、つまり反対の証拠を示そうとするだろう。この点で、嘘はまだ真実を検証するゲームの上俵に乗っている。それに対して、でたらめを言う人はそのような証拠に対して反証しようとさえせず、端的に無視する。つまり、真実を語る人と嘘をつく人は真実を検証するゲームのなかで反対の立場に立っているのに対して、でたらめを言う人はそもそもそのゲームの土俵に乗っていない。このような真実に対する態度の違いは、でたらめを言う人を負けることのない「無敵」の状態にしてしまう。」と書かれていますが、まさに無責任な言いっ放しが多く、絶対に間違っていたという反省がないのは困ります。でも、それこそが無敵の状態にするというからなすすべもありません。
 つまり、言いたいことをいい、聞きたくないことは無視し、何ごとも自分の思ったことを優先するというような感じです。今年早々の1月3日、ベネズエラのマドゥロ大統領夫妻を拘束した軍事作戦も、麻薬撲滅を名目とはしていますが、あちこちからは石油資源と地政学的野心が見え隠れするという話しが聞こえてきます。
 今までのマスメディアにも良いところと悪いところはありますが、それなりの役割はありました。この本には、「集めた情報はすべて発信されるわけではなく、発信する情報とそうではない情報の選別が行われているからである。その選別には、大きく分けて2つの基準がある。それは、伝えるに値する情報か否か、そして信頼できる情報か否かという基準である。マスメディアはこれらの基準に照らして、大衆に伝えるべき情報をふるいにかけるフィルターの役割を果たしてきた。このような既存のマスメディアと比較したとき、インターネットの登場は大きな転換をもたらした。そのひとつは情報が瞬時にまた広く伝えられていくことであり、その影響はこれまでみてきたとおりである。もうひとつの転換は、従来はマスメディアのフイルターを通して伝えられていた情報が、インターネットの登場によってフィルターなしに直に人々に届けられるようになった点である。」と書いています。
 たしかにフィルターなしで、生の情報が良い場合もありますが、フィルターがかからないことによって、情報そのものの信頼性が損なわれることもあります。まさに清濁併せ持った情報です。だから、自分でそれらをすべて判断しなければならず、相当詳しく調べないと情報に流されてしまいます。
 私自身の経験でも、最近はフェイクニュースが多くなってきたと感じでいます。だからといって、インターネットの情報のすべてが悪いわけではなく、それを利用しない手はありません。
 著者は、そのことを、「誤謬を過度に恐れてネット上の情報に対して臆病になりすぎることなく、かといってそれを無謀なまでに信じすぎることもない中間のところで、インターネットを活用する知的な勇気をもち続ける必要がある。その際には、真理を気にかける知的な真摯さを保ちながら、ネット上の証言がなされる状況に応じて信頼性を評価する知的な自律性を発揮できるようにすること。これが、リアル社会の場合以上に必要なこととなる。」といいます。
 少し悪いところがあるから全部ダメということではなく、良いところと悪いところを自分で見極めながら、上手に利用するということではないかと思います。
 下に抜き書きしたのは、終章「真偽への関心は失われていくのか」に書いてあったものです。
 まさに、今のインターネット社会の忙しさを象徴していますが、著者は、このようなときだからこそ、ウィトゲンシュタインがいうように「どうぞ、ごゆっくり」であるべきだといい、先ずは急ぎすぎないことだといいます。
 これはいろいろなところにあてはまるもので、たとえば、オレオレ詐欺だって、冷静に時間をかけて考えれば騙されているということがわかるはずです。だから騙すほうは、急がせて考える時間をなくすようにするわけです。
 本当に今の世の中は忙しすぎます。また、それが今の世の中だから仕方ないと考えているかもしれませんが、まさに「そんなに急いでどこへ行く」のかと聞きたいぐらいです。
 この本を読んでから、ますます物事をゆっくり時間をかけて考えようと思いました。

(2026.2.8)

書名著者発行所発行日ISBN
フェイクニュースを哲学する(岩波新書)山田圭一岩波書店2024年9月20日9784004320333

☆ Extract passages ☆

大量の情報に素早くアクセスすることを可能にしたインターネットは、情報収集にかかる時間を節約することでわれわれの考える時間を増やしてくれるのかと思いきや、むしろ一つひとつの情報とじっくり向き合う時間をわれわれから奪っている。スマホを開けばいつでも最新の情報を手に入れることができるが、その情報がいったい何を意味するのか、本当に正しいものなのかを考える前に、目の前の画面はすぐに新たな情報へと切り替わってしまう。矢継ぎ早に追加されていくSNSでのコメントに急き立てられて、その情報の理解も不十分なまま、その情報の真偽も明らかでないまま、何らかのリアクションを迫られてしまう。このように、情報が次々に更新され、絶えず判断を急かされるなかで、われわれは事柄の真偽について考える余裕そのものを失いつつある。

(山田圭一 著『フェイクニュースを哲学する』より)




No.2509『時の一針一針』

 この本は、著者も出版社も何もわからず、たまたま題名の『時の一針一針』に惹かれて読むことにしました。副題は「人生という布に縫い込まれたメモワール」で、これもちょっと気になりました。なぜ一針なのかは、読むうちにわかり、「私たちは通常、人生で、特に人生を変えるようなことをするときは、理由があって行うものが、当時の私には理由がなかった。日本に移住した理由が分かるようになったのは、何年も経ってからだった。それが、私が言う、「時間の縫い目」なのだ。縫い目はそこにあり、一針一針で織り合わされている。取り除くことはできない。しかし、その織物の全体にわたって振り返って初めて、それらを認識することができる。それらの一針一針は、あなた自身が想像するよりも輝き、あなたの人生の物語を形作るために織り合わせられているのだ。」と書いてあるところもありました。
 著者がいう一針一針で織り合わされている1枚の布が、その人の人生ということになるようです。だとすれば、1ヶ所でも不都合なところがあればほぐれてしまうことや、裂けてしまうこともあり、だからこそ一針一針が大切になるようです。
 最初の「プロローグ」には、「私は、私たちが今存在する時空の点を描くために、布の縫い日の一針の比喩を選んだ。飛行機での旅のような物理的な体験であろうが、芸術との出会いのような精神的な体験であろうが、何かが起こるたびに針はその時間の布を貫く。日本語の「針」という単語は、この比喩にうってつけである。縫う針もあれば、コンパスや時計などの針もある。つまり、布の中を動く針は、自分の進むべき方向を指し示すコンパスの針であると同時に、時間を示す時計の針でもあるのだ。」とあり、意外と日本的な感覚もあると気づきました。
 すると、その記憶の縫い目には、山形出身の井上ひさしのことが書いてあり、しかも千葉県市原市に住んでいたころ、著者がそこに居候をしたこともあるといいます。さらに井上ひさしが当時の妻好子さんと3人の娘を連れて初めての海外旅行をしたオーストラリアで案内もしたことがあり、手紙もたくさんいただいたそうです。
 著者は、「何年もの間、私は彼から多くの手紙を受け取ったが、それは彼独特の完璧主義者の手で書かれた楷書の文字だった。草書は一切ない。彼は原稿用紙のマス目に、まるで田植えをしているかのように、丸みを帯びた独特の文字を一文字一文字はっきりと書き込んでいく。」と書いていますが、私も川西町の遅筆堂文庫で読んだ本の書き込みを見て、原稿にある丸文字と同じだと思いました。
 そして、その近くの井上ひさしコーナーのすぐ近くで、一晩過ごしたことがあり、今ではいい思い出です。また著者の「田植えをしているかのように」という表現も、なるほどと思いました。
 著者は、その他に坂本龍一や唐十郎、別役実、大江健三郎などとも交流があり、海外の人たちとの交流を含めて、まさに「人生という布に縫い込まれたメモワール」に満ち満ちています。もちろん、知っている人も知らない人もいますが、1人の人間の一生に多くの人たちが関わり合っているということがよくわかります。
 読み終わって、なんとなく読んだのに、意外とおもしろかったので、昨日は立春で、これから暦の上での信念なので、いい1年になりそうです。
 下に抜き書きしたのは、『語感と時間のデザイン――「美の一針一針』に書いてありました。
 たしかに、線香が燃え尽きるまでの時間というのは、いかにも日本的で、それを感じた著者の繊細さも日本に長く住んだことのある美意識です。
 この後に、ジュンサイの話しもありますが、「じゅんさいを早く食べようとすると、お箸の先からどんどん滑っていく。その形といい、その「つかみどころのなさ」といい、じゅんさいは確かに、日本の食文化の典型的な「デザイナー食品」だ。そして、日本の食文化そのものはおそらく、「時間のデザイン」が現れた最良の例だろう。」と書いています。
 正午の茶事に出てみるとわかりますが、時計をもって席入りするのは厳禁ですが、その流れのなかで時間を感じることはあります。そして4時間という時間のなかで、お茶の世界が成り立っていることがよくわかります。

(2026.2.5)

書名著者発行所発行日ISBN
時の一針一針ロジャー・パルバース作品社2025年11月10日9784867931202

☆ Extract passages ☆

 寺子屋では線香が燃え尽きるまでの時間が一回のレッスンの時間となった。現在の学校の授業は60分か90分であることが多いが、おそらく昔の教育者は、若者が一つの科目に最適に集中できる時間の目安が現在の教育者より現実的だったのだろう。
 線香時計は、それ自体が産業革命の工場のタイムレコーダーや、学校で授業の開始と終了を知らせる鐘の先駆けと言えるだろう。

(ロジャー・パルバース 著『時の一針一針』より)




No.2508『空海の文字とことば』

 弘法大師空海に関する本は、いろいろと読んでいますが、たまたま図書館の返却本のコーナーにあったので、借りてきました。よく、本をネットで注文するという方も多いのですが、このような本との出合いは、図書館や書店でないと難しいのではないかと思います。私の場合は、ネットで注文するのは、早く手に入れたいときや、古本で一般の書店では見つからないものなどが多く、ある意味、仕方ないから使うというものです。
 それと、この本は真言宗の宗祖としての空海ではなく、日本や中国に残された文物や人なりに光りを当てたもので、今までの空海論とはひと味違います。たとえば、いろは歌にしても、『「いろは歌」は47音であるが、実は空海の生きていた当時は日本の音は48音だった。ア行の「工」とヤ行の「エ」の区別があったからである。「いろは歌」は、この2音が区別されずに1音になってから作られたのであるから、空海より後の時代のものなのである。十世紀後半に作られたものというのが通説になつている。』とあり、伝説をそのまま掲載するのとは違います。
 それでも、「伝説では平仮名を作ったのが空海であるというのもある。それでは片仮名はだれが作ったかというと吉備真備だという。」という話しも載せていて、この吉備真備は717年と752年の2度も遣唐使になった方で、さすが伝説になるほどの知識はあったようです。
 そういえば、この「いろは歌」を版画にしたのが棟方志功で、たまたま昨年の7月に津軽三十三観音札所詣りのついでに東京の日本民藝館に寄り、「空海といろは」という作品を見てきました。これは、いろはを上下に配し、その間に「空海をたのみまゐらす心もて はるばる土佐の國へ来にけり」と彫られてありました。
 そして、このコーナーだけが写真撮影ができたので、とても印象に残っています。
 次の9月29日から10月3日まで津軽三十三観音札所詣りに行った時には、青森県立美術館で佐野ぬいの「まだ見ぬ「青」求めて」展を見て、その絵筆の多さにびっくりしました。それだけで、ひとつのコーナーになっていました。
 この「空海の文字とことば」を読むと、「文房生活を楽しむ道具が文房具であり、その品数は幅が広い。たとえば、次のようなものが文房生活を楽しむ品物と見なされた。琴、古楽器、古硯、名石、古銅器、帯飾り、古鏡、盆栽、古墨跡、筆架、筆洗、水滴、古今石刻、墓誌拓本、法帖、古画、古画幅、山水盆、香木、名筆、古印、こういう品物を棚に飾り、鑑賞していたのである。」と書いてあり、画家の絵筆とは違うでしょうが、手もとにいろいろなものが必要だということはありそうです。
 私も若いときには古い墨を集めたことがあり、中国に行くようになってからは、古い硯や紙などを見つけて買っても来ました。やはり、人間というのは、いろいろと集めたがるようです。
 下に抜き書きしたのは、プロローグの「空海と書」に書いてあったものです。
 たしかに博物館などでみると、空海の書は風格があり、「五筆和尚」といわれるほど、多彩な書です。でも、ある意味、伝説的な風合いもあると思っていたのですが、これで納得です。
 でも、いい筆があるから書がうまいというわけでもなく、その筆も自分で作ったようで、こだわりもあったようです。
 そして、この本の最後に、「空海の愉しみ」のなかで、「毎日が学びの連続であった空海にとって、しばしの愉しみとなっていたのが、筆作りと喫茶であったと思う。空海の筆作りは、日本の筆に大きな変化をもたらした。筆作りの職人との連携を大切にしている態度こそ、これ以後の文房具発展の基礎を作ったともいえよう。空海は唐代の人に飲まれていた茶を飲んでいた。保存のために加工した餅茶を砕き、湯に入れて茶にする。おそらく日常的に茶を飲んだ最初の日本人であったろう。そして、空海最大の愉しみは教育であった。それをどの程度「愉しめた」か。その成果を残念ながら見てとることはできない。」と書いてあります。
 そういえば、No.2505『共感の論理』のなかで、学習指導要領の話しを載せましたが、「実際に新課程の教育を受けた児童が社会の中核を担うようになるのは、さらに約20年後である。指導要領の構想からは実に40年が経過している。」とあり、まさに教育の成果が出てくるのは、半世紀になるのではないかと思います。だとしたら、さすがの空海でも、見届けるところまではいかなかったようです。
 また、空海が日本で初めて民衆のための学校、綜芸種智院を建てましたが、この名前について、「この「綜芸種智」の名については、「綜芸」と「種智」と分けて説いているものがあるが、これは互文であって、たとえば「十七条憲法」の「上和下睦」が「上下和睦」の意味であるように、「綜種」(さまざま)なる「芸智」(学問知識)であろう。「綜」は「総」と同じで、すべる、すべ集めるの意。音も本来は「ソウ」である。『易経』繋辞伝上に「其の数を錯綜す(錯綜其数)」とある。」と書いてあり、その根拠も示しています。

(2026.2.1)

書名著者発行所発行日ISBN
空海の文字とことば(歴史文化ライブラリー412)岸田知子吉川弘文館2015年11月1日9784642058124

☆ Extract passages ☆

……空海は、皇太子に狸毛の筆を献上した時の添え状「春宮に筆を進むる啓」(『性霊集』巻四)に、
 能書は必ず好筆を用う。
また、
 臨池は字を逐いて筆を変ず。
と書いている。つまり、字のうまい人は必ずよい筆を用いる、字を書くときは書体に従って筆を変える、という意味で、「選ばず」どころか「選べ」と言っているのである。

(岸田知子 著『空海の文字とことば』より)




No.2507『旅行屋さん』

 この本の表紙を見たときに、「旅行屋さん」って、なんだろうと思いました。すると最初に、昔は商売に「屋」をつけて、豆腐屋さんとかパーマ屋さん、かつぎ屋さんなどと呼んだと書いてあり、なるほどと思いました。旅行を商売にしたから旅行屋さんかと納得しました。
 それと副題に「日本初の旅行会社・日本旅行と南新助」とあり、私の日本旅行に勤めていた人を知っていたので、読み始めました。最後のところに、「本作品は歴史に材を取ったフィクションです。実在の人物、出来事を事実として描くものではありません。」と書いてあり、書き下ろし作品です。
 しかし、日本旅行のホームページの「おかげさまで創業120年!」には、「南新助は、1885年(明治18年)に現在の滋賀県草津市で生まれ、家業である国鉄(現在のJR)草津駅構内における列車の乗客相手の商売を手伝っていました。当時の草津駅は乗降客が非常に多く賑わっていたため、彼は「列車を利用して、何か新しいことができないだろうか」と日々考えていたそうです。そんなときに知ったのが、汽車券の団体割引制度。「この制度を利用して団体旅行を計画すれば、多くの人が気軽に旅行できるようになり、喜んでもらえるのではないか」。と書いてあり、この本に出てくる内容とほとんど違いはなさそうです。
 それにしても、最初に行った団体旅行の先は、伊勢神宮なのか高野山なのかはわからないそうで、本のなかでは伊勢神宮になっていました。この辺りが創作ということなんでしょう。だからこそ、作者としては想像をふくらませることができ、書いてみたいと思うのかもしれません。
 そういえば、私のところでも国鉄との共催旅行で、取り扱いが日本旅行や東急観光などもありました。その最初が「大正4(1915)年には、鉄道院の熊本運輸事務所の依頼により、(伊勢・奈良・大阪・宮島廻遊団)450名の委嘱を受けている。これがのちの国鉄共催団体旅行の嚆矢となり、以後、国鉄共催の団体旅行が次々と企画されることになった。」と書いてあり、ちょっと懐かしく思い出しました。
 今のように個人が気軽に旅行ができる環境がないときだからこそ、せめてお世話する添乗員が付いていれば安心だということです。切符だって駅に行かなければ買えないし、泊まる旅館だって電話などで予約をしなければならず、今とはまったく違います。そういえば、泊まる旅館やホテルを予約してもらうのに、手数料も取られたような記憶があります。今の若い人たちには、笑い話にしか聞こえないことも、旅先ではいろいろありました。
 たとえば、海外の団体旅行などでは、旗を持った案内人の後に、みんながそろって歩く姿を見て、このような旅行だけはしたくないと何度も思いました。だから、海外に行くときは、ほとんどが個人か少人数でしたが、何度かネパールに連れていったことがあり、添乗員の苦労がよくわかりました。お土産を買うときも、値切るのが常識とガイドブックに書いてあったからと何でも値切るのです。しかも、私を探して値切らせるので、嫌な役目だなと思いました。
 それでも、旅というのは楽しいものです。この本には、旅行屋さんに参加した方から、「でもな……あの楽しかった思い出は、一生の宝やで。金や着物は誰かに盗まれたり、使ってしもたらおしまいやけど、思い出は誰にもとられへん宝になるで」と新助さんに話したというエピソードが載せられていましたが、ほんとうにそうだと思います。
 私も昔はアルバムに旅の写真を貼っていましたが、今ではパソコンのなかにみな納まっています。写真だけでなく、そのとき使った地図や行程表まで入っているので、即座に画面に映し出すことができます。まさに、私の宝物です。
 下に抜き書きしたのは、「8.余話として」に書いてありました。
 私のところでも、最初は鉄道での参拝がほとんどでしたが、それが貸し切り列車になり、バスになり、現在では自家用車になってきました。宮内の熊野大社も同じようですが、ここに書いてあるように、ここから鉄道の参拝団が始まったと知り、感慨深いものがあります。
 よく、「旅は道連れ世は情け」ということわざがありますが、これは江戸時代からのことわざだそうです。しかし、これもこの本に出てくるころの時代までの話しで、今はその意味さえも知らない人たちが増えているようです。

(2026.1.28)

書名著者発行所発行日ISBN
旅行屋さん河治和香実業之日本社2025年11月1日9784408538884

☆ Extract passages ☆

 ……団体参拝の推進は、はからずもその宗教の伝道にもつながっていった。
 遠忌に全国から信徒を集結させる……ということは、それはど画期的なことであった。それは、鉄道という新しい交通手段ができたからこそ可能になったのであり……そして、〈旅行屋〉という新しい商売があってこそ成立したともいえる。
 こうして明治44年3月1日から7日まで、勅会ではなかったものの朝廷より大師号が下賜され、遠忌法要は全国からの信徒とともに毎日つつがなく行われた。この期間中、青森から、鹿児島から……全国各地から数多くの参拝者が知恩院にぞくぞくと参集した。

(河治和香 著『旅行屋さん』より)




No.2506『日本人と植物』

 著者は、仙台市の生まれで、東北大大学院の薬学研究科博士課程を修了し、現在、日本薬科大学客員教授で日本薬史学会会長を務めているそうです。そして、2025年度「日本薬学会教育賞」を受賞したとプロフィールに書いてありました。
 私も薬学関係の方との交流があり、興味もあるので、たまたま手にしたのですが、読むことにしました。
 海外に行って帰ると思うのですが、日本ほど緑豊かな国はないと思います。この本にも「日本はとても植物資源に恵まれた国でもあって、21世紀初めの調査では、わが国には約7000種の植物が自生しており、そのうち約2900種が日本の固有種という。これは世界的にも、とても豊富な植物資源といえる。しかし一方、わが国自生の植物のうち、現在、1690種が絶滅危惧種とされていることにも注目しておきたい。」と書いてありますが、緑豊かな国もありますが、植物の種類は単調で、日本ほど多様性はありません。しかも、四季の変化がない国もあるので、なおさらです。
 それにしても、日本の固有種や自生植物の1690種が絶滅危惧種とは驚きです。さらに動物などを含めた日本の生物の絶滅危惧種は、環境省の2020年版のレッドリストによれば、3,716種が掲載されているので、これまたびっくりしてしまいます。
 そういえば、地元の小学生に近くの自然を身近に感じてもらうために野外学習をしたことがあり、そのときに毒草のトリカブトを見つけ、説明したことがあります。この本でも、奈良時代の養老律令にもこのサリカブトのことが書いてあるそうで、「トリカブトの塊茎を植えると、その年の芽が出、綺麗な花を咲かせるが、晩秋に掘り上げると、今年芽がでた芋の脇に小芋がっく。この今年できた小芋を附子(ぶし)という。一方、その親芋の方を鳥頭(うず)という。それはこの芋の形や色がカラスの頭に似ているからである。」ということです。
 地元ではあまりニリンソウは食べないのですが、この葉とトリカブトの葉が似ていることもあり、食中毒を起こすことがあります。その小学生の野外学習でも、トリカブトのすぐ近くにニリンソウが生えていたので、見比べてもらうと、本当にそっくりです。ただ、植物に詳しい方だとわかるのですが、ニリンソウの株のなかにトリカブトが混ざっていたりすると、間違いやすいようです。
 この小学生の野外学習も、三沢地区の「春の山野草展」の一環でしたが、それを後援している米沢山野草会の初代会長さんが、「薬という漢字は、くさかんむりに楽しむと書くから、植物に親しむのが一番の薬になる」とよく話していました。
 ところが、この本には、「学生時代に、薬という字は、草を患者さんの頭に乗せて楽にさせるという意味からできたと習った。この話、くさかんむりは間違いないが、「楽」とぃうところは、ちょっと違っているようである。実は「楽」というのは、薬を調製するときに植物材料を薬研でゴリゴリと細かく潰す音のことを示すのだそうである。だから、たとえば楽器は、楽しい器、あるいは器を楽しむことではない。楽な器でもない。これは音を出すとぃぅところから来ているのである。」と書いてあり、なるほどと思いました。
 この話しは、日本薬史学会会長さんがいうのですから、間違いはなさそうです。
 また、感覚的には民間薬と漢方薬は違うとは思っていましたが、じつは「一般に単味、すなわち、ひとつの植物だけで、そして、主に本人や家族などの判断で、ゲンノショウコ、カキの葉などが使われる」のが民間薬というそうです。そして、漢方薬というのは、「原則として複数の生薬を組み合わせたもの」だといいます。
 つまり、葛根湯という漢方薬は、「麻黄(マオウ)、桂皮(ケイヒ)、芍薬(シャクャク)、甘草(カンゾウ)、大棗(タイソウ)、生姜(ショウキヨウ)、葛根(カッコン)の7種の漢方処方用薬の配合からなる漢方薬」ということになります。
 なるほど、これではっきりと区別がついたように思います。
 下に抜き書きしたのは、第5章「現代の日本人と植物」に書いてあった植物の話しです。
 私がマダガスカルに行ったのはコロナ禍が始まる前年の2019年9月から10月にかけてです。ニチニチソウがガンに効くという話しを聞いたことがあり、9月27日にサカラヴァ湾近くで野生種を見つけたときには、夢中で写真を撮りました。
 このマダガスカルの旅では、たくさんの植物の思い出がありますが、やはり一番はバオバブだったと思います。あのムルンダヴァのバオバブの並木道は3日間通いましたが、行くたびごとに新たな風景を見ているような気持ちでした。

(2026.1.25)

書名著者発行所発行日ISBN
日本人と植物船山信次原書房2025年12月1日9784562075782

☆ Extract passages ☆

 身近な花卉園芸植物として、ニチニチソウ(キョウチクトウ科)は、現在、わが国では真夏の花壇を彩る代表的な植物となっているが、もともとは遠くマダガスカル島からやってきた植物である。ニチニチソウからは近代薬であるビンカロイコブラスチンやビンクリステンという名前の付いたアルカロイドが得られ、これらは小児白血病などに応用されることから、ニチニチソウは現代医薬の原料植物でもある。ただし、通常の観賞用に栽培されるニチニチソウではアルカロイドの合有量は極めて少ないことから、製薬会社は含量の多いニチニチソウを原料としている。それでも大量の原料植物からごく少量のアルカロイドが抽出単離されるものである。

船山信次 著『日本人と植物』より)




No.2505『共感の論理』

 私は日本の教育は、ある程度、しっかりしていると思ってたので、副題の「日本から始まる教育革命」を見て、読むことにしました。
 明治時代の始めに、地球上のある国を後世に残したいのは日本だという話しを聞いたことがありますが、今の世界のニュースをみていても、そう思います。ある意味、日本人ぐらい他の人に親切な国民はいないと思います。これは、戦後の教育のおかげという部分もありますが、長い目で見ると江戸時代の寺子屋までも考えなければならないようです。
 よく、学習指導要領が出ると一時的に話題に上りますが、「日本の教育の指針となる学習指導要領は、10年ごとに改訂され、世界の変化に対応しようとしてきた。新たな指導要領が告示されると、小学校から順に新しい教育課程が実施され、最終的に高校へ行き渡るまでに約7年を要する。必然的に新しい指導要領の教育の効果が評価される前に、次の指導要領の策定を始めざるをえない。しかし考えてみれば、実際に新課程の教育を受けた児童が社会の中核を担うようになるのは、さらに約20年後である。指導要領の構想からは実に40年が経過している。」と書いてありました。
 つまり、教育というのは、とてつもない時間と労力がかかっているわけで、もし間違った教育方針が示されれば、それを訂正するには、また同じように長い時間と労力がかかるということになります。
 それで思い出すのは、この本にも書いてありましたが、しつけは「つ」のつくうちにしなければならないという話しです。「それは「九つ」以後の数には「つ」がつかないことから、生涯にわたって常に発動可能な道徳と価値観を身につけるには、九つまでにそれを教え込まないと手遅れになるということである。道徳/価値観を「内面化」するということは、誰も見ていなくても、罰則などがなくとも価値観に沿った行動が自然に取れるようになることを指す。」と書いています。
 よく昔は、誰も見ていなくても、お天道さまが見ているから、悪いことはできないと教えられました。その影響もあるのか、ほとんど誰も通らないような赤信号でも、ちゃんと停まらないと気分的に嫌な感じがしたりします。よくフランス人などは、誰も通らないなら、たとえ赤信号でも渡ってしまうといいますが、なかなかそれができないのが日本人です。コント赤信号のように、「みんなで渡ればこわくない」というのは、普通の人は渡らないからこそのコントです。
 そういう意味では、これからの社会は、いかに環境を視野に取り込むかという時代になります。著者は、「近代を牽引してきた戦略・計算・理性中心の価値観とは異なる、新たな価値観として「共感的な利他主義」が今、求められている。そしてそれこそが、脱近代化した新たなパラダイムヘ移行する鍵になる。人類がこれからも生き延びるためには、人間が本来持っている「共感」という貴重な能力を再発見し、自然との関係を回復することが不可欠である。」といいます。
 まさに、いろいろなものに共感できる日本人のもっている資質がこれからは大事になります。そのためにも、日本の教育、たとえば国語教育では、他者に共感すると同時に相手を理解し、そして自分も変わることも重視されています。仏教では、「自己(我)」と「他者(他)」の関係を表す言葉に、「自他不二(じたふに)」があります。そして、自己と他者が対立することを「我他彼此(がたひし)」といいます。
 この「我他彼此」は、日常でも使う「がたぴし」の語源で、戸や物などがきしむ音を表す擬態語です。また、人間関係や物事が対立してしまい、うまくいかない状態をあらわす言葉でもあります。たとえ、難しい言葉を使ったとしても、その内容は意外と理解できるのが日本人です。それも、教育のおかげかもしれません。
 下に抜き書きしたのは、第2章「共感の論理」に書いてありました。
 私の近くにある草木供養塔にも、「草木国土悉皆成仏」の文字が彫られていて、元小学校の校庭なので、よく目にしていました。ある意味、物心が付いたときから、自然と一体であると考えていたようで、今でも、自然のなかに身を置くとさわやかな気を感じます。

(2026.1.21)

書名著者発行所発行日ISBN
共感の論理(岩波新書)渡邉雅子岩波書店2025年9月19日9784004320791

☆ Extract passages ☆

草木国土悉皆成仏とは、草や木、国土など心を持たない非情のものでも、人間など心を持ったものと同様に仏性があるから成仏できるという意味の仏語である。先に述べた心学の思想にも生きており、その言葉を直接知らずとも現代の日本人にも自然に受け入れられている。「花になりきってみよ」「風になりきってみよ」「モノになりきってみよ」といった呼びかけに対し、子どもが大きな抵抗を感じることなく共感しながら心情の投影を行えるのは、仏教や心学に根ざした自然観が社会に共有されていることの表れである。動物、植物、そしてモノにすらなりきる読解の方法は、世界の教育方法から見ればこれもかなり特殊なものである。すべてのものになりきり共感できることを、まさに身をもって体験し、その訓練が日常的に繰り返されることで、それと意識されずに綴方と読解を通して日本の伝統的自然観は保持されてきた。

(渡邉雅子 著『共感の論理』より)




No.2504『むずかしいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く』

 この本のなかに、亡くなられた方々の話がよく出てきますが、ご自身が2016年7月7日に亡くなったことを私は知りませんでした。そういえば、だいぶ前に読んだ『大往生』や『永六輔・職人と語る』などは、本棚のどこに納まっているのかさえ忘れてしまいました。
 この本は、毎日新聞に2009年4月18日から2013年12月7日まで連載したものを再編集し、加筆修正したものだそうです。「あとがき」で、これは「バンセン」だといいますが、つまり「番組宣伝」の略で、「読んでから聞く 聞いてから読む」というようなコラムが一冊になったものです。
 まさに著者の人生そのもののような本で、自称、“旅の坊主”、“ラジオ屋”、“テレビ乞食”、“遊芸渡世人”、“男のおばあさん”などいろいろな肩書きというか、それだけ幅の広い生き方をしてきた方でもあります。この本にも出てきますが、昔の放送界のことを知りたいとさだまさしさんが近づいてきたそうですが、さださんが著者のことを「右も左も、上も下もない人」「何かに傾向することもない」「一つの主義主張にくみすることもない」「誰かが何かひとつのことにこだわりすぎていると、横から近づいて、プッと針を刺して、ニュートラルに戻すようなところがありました」と評しているぐらいです。
 私的には、どうもあのしゃべり方はなかなかなじめず、本は読みましたが、せっかく川西町のフレンドリープラザに来たときも聴きに行きませんでした。今思えば、せっかくの機会だったのに行けばよかったと思いました。
 この本のなかで、随所に「楽しくなければ嫌」というような話しがあり、たとえば、黒柳徹子さんとの掛け合いで、『「永さん、もっとハツキリとわかるようにお話しして、言葉がよくわからない」誰もが遠慮して触れない僕の言葉遣いをズバリと言ってくれるところが「友情」なのである。60年以上になるつきあいの中で言いたいことを言い合ってきた。かって徹子さんが歯の治療で、フガフガしている時に僕がそのことを指摘したことがあった。そのお返しとのこと。ありがたくいただく。』という言葉には、悪意はまったくなく、むしろ相手を思う気持ちすら感じます。
 だから、ケガをして歩けなくなったときに、車いすを選ぶ際にも「どんなのがあるの』と好奇心旺盛なところを見せていたそうです。これは見習わなければならないと私は思います。
 もちろん、すべて楽しさだけを求めるのではなく、むしろ、大変なときだからこそユーモアだけは忘れてならないと思います。また、この本には、なるほどと思うところも多く、たとえば、食事をするときの「いただきます」も、命をいただく感謝の心だと思っていましたが、この本には「あなたの生命を私の生命にさせていただきます」とあり、このほうが命のバトンを渡しているようで、より有難いと思いました。
 前回のNo.2503『記憶するチューリップ、譲りあうヒマワリ』を読むと、野菜などの植物たちも、なんらかの方法で助け合って生きています。だとすれば、その命をいただくわけですから、ちゃんと役立てますという気持ちもつけ加えることも大切ではないかと思いました。
 また、原発震災以降の話しのなかに、ある手紙のなかに「天災には言いようのない悲しみがあり、人災には言いようのない怒りがあります」と書いてものがあったそうですが、これは名言だと思いました。言いようのない、ということは言葉では表しようのないほどのことであり、むしろそれが切々と伝わってくるかのようです。
 著者の本を読むと、いろいろと含蓄のある言葉がよく書いてあります。まさに、書いてもしゃべっても、芸になります。あるとき、「若い時、徳川夢声さんの話芸に圧倒され、淀川長治さんの話術に浮き浮きした」と話すと、話芸と話術はどう違うのですかと聞かれてしまったそうです。
 そこで著者は、「話芸は師匠のいる伝統芸、話術は一代限りのキャラクター。だから古典落語は話芸、新作落語は話術。どちらが上というものではない。そして今のラジオはその話術に支えられていると思う。話術にも見事な話術と粗末な話術がある。話術は漫才、コントなど対談も含まれる。」と書いています。
 たしかに話術というのは、その人の個性から生まれるもので、伝えられるものではないような気がします。
 下に抜き書きしたのは、第5章「芸の力」のなかに書いてあったものです。
 これは米倉斉加年さんが宇野重吉さんからよく言われたことだそうです。たしかに、セリフは「強弱」ではなく、「高低」だと思いました。私もここはというときには、つい大きな声になりがちですが、むしろ言葉に意識的に力を込めることも大切ではないかと思いました。

(2026.1.18)

書名著者発行所発行日ISBN
むずかしいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く永 六輔毎日新聞社2014年1月30日9784620322346

☆ Extract passages ☆

 米倉さんの説明はこうである。「宇野重吉先生によく言われました。
 舞台のセリフの声は『強弱』ではない。『高低』だ。
「強弱』だと「弱』の部分が聞こえなくなる。『高低』は声が届くから日本の古典芸能は言葉がよく聞こえるだろう。セリフは強弱じゃない、高低だ。近頃の芝居のセリフは高低を大切にしていない」

(永 六輔 著『むずかしいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く』より)




No.2503『記憶するチューリップ、譲りあうヒマワリ』

 これは植物行動学の本で、日本ではあまりなじみのない分野ですが、私は昔から興味を持っていました。だからちょっと厚めの本ですが、読むことにしました。ところが、理解しにくいところもあり、なかなか進まず、最後まで読むのに1週間以上もかかりました。
 それでも、興味のある分野なので、読み通したことに満足です。題名の『記憶するチューリップ、譲りあうヒマワリ』という話しは、本のなかのわずか数ページで、ここに引用しますと、「ニンニクが芽を出すために必要なのは、冬の記憶だ。ただ春が来るというだけでは、生命は出現せず、十分な長さの寒さが欠かせない。この冬の記憶は、「春化」と呼ばれている。リンゴやモモの木は、それがないと花も果実もつけない。春になると真っ先に咲くチューリップ、クロッカス、スイセン、ヒヤシンスも、十分な春化を必要とする。温暖な地方では、園芸店でチューリップの球根を買うときには、球根を植えるまえに冷蔵庫で数週間冷やさないと花が咲きませんよ、と店員から注意を受けるだろう。」と書いてあり、クロッカスや水仙などと並べて冬の寒さに当てないと華が咲かないというだけの話しでした。
 これは、サクラなどでも同じで、開花予測なども、一番寒くなったときからの基準で積算温度で計算するようです。だから、そうとう昔からわかっていたことですが、2018年9月から10月に訪ねた南インドのケララ州のコーチンから約130qほど離れた西ガーツ山脈にある山間のムンナールで12年に1度だけ咲くクリンジ(学名はStrobilanthes kunthianus)で、キツネノマゴ科イセハナビ属です。
 前回咲いたのは2006年で、このクリンジの花は40種ほどの品種が存在し、ほとんどが青い花が咲きます。それを現地で見てみたいということで行きましたが、なぜ12年に1度咲くのかはわかりませんでした。この近くはニルギリ紅茶の産地の一つで、紅茶畑が広がっていました。標高は1,500mほどで、クリンジの花は明るい薄青色のベル形でした。
 ここへの途中では、ゾウに乗ったり、船に乗ったり、移動方法も独特で、久しぶりにインドの風景を楽しみました。
 また、譲りあうヒマワリについては、「2017年には、ヒマワリの近親同士を隣に並べて畑に植えることで最大47パーセント油の収穫量が増えることを、アルゼンチンの研究者が発見した。ヒマワリをかつてなかったほど密集させて植えたところ、近くで育つヒマワリはつねに地下で攻撃しあうと考えられていたのだが、その反対のことが起こった。地上では、隣りあう近親を日陰にしないように茎を曲げたのだ。栄養を奪いあっている徴候もなかった。茎をまっすぐ伸ばすよう強制せず、曲がったまま成長させると、油の生産量は大幅に増加した。」そうです。
 たしかに、譲りあうといわれれば、そのようですが、その前に、植物のなかには、近い縁故と遠い祖先などでも、譲りあう程度が違うといいますから、そのほうがなぜだろうと思いました。
 それよりおもしろいと思ったのは、日本にも自生しているアキノキリンソウは、「捕食者による脅成が少ない平和な場所に生えているアキノキリンソウは、稀に攻撃を受けると、かなり特殊な、近親にしか解読できない化学的警戒を発する。ところが、より危険な場所に生えているアキノキリンソウは、生物学的な近親だけでなく、その地域のアキノキリンソウすべてが簡単に理解できる化学的な言葉で周囲に信号を送る。」というから驚きです。
 そういえば、小町山自然遊歩道にもアキノキリンソウの群落があり、今年の秋には、今までとは違ったアキノキリンソウが楽しめそうです。
 この本のなかで一番興味を引いたのはウミウシで、アメリカ合衆国の大西洋岸の水のあるところに生息しているそうです。なにがおもしろいかというと、動物と植物の境界線が曖昧だからです。つまり、動物だったのが植物になったりするようで、藻を取り込むことで形を変えるのです。
 この本では、「生まれたばかりのころは茶色っぱく、赤い斑点がついている。この生物の初期の生活にはひとつの日標がある。バウケリア・リトレアという細長い緑藻の房を探すことだ。それを見つけると、藻の細胞壁を破り、ストローで吸うように、透明な藻の管だけを残してその細胞を飲んでしまう。藻の細胞は、光合成を行う葉緑体が入っているため明るい緑色をしている。顕微鏡だと、ウミウシがまるでタピオカ入りのお茶を飲んでいるように見える。明るい緑色のタピオカがひと粒ずつ口に入っていく。ウミウシは細胞を消化するが、葉緑体は損なわれずに体内に残り、枝分かれした内臓に分散する。ウミウシ自身が、こうして茶色から鮮やかな緑色に変わる。緑藻は数本飲めばそれで足りる。そして、光合成を始める。必要なエネルギーはすべて太陽から取り入れる。どのようにしてか、まさに植物のように光から栄養を取る葉緑体の遺伝的能力を獲得している。」と書いてあり、この仕組みというか、なぜ可能なのかはわかったいないそうです。
 もしこれらが解明されれば、いろいろな意味でエネルギー革命につながりそうです。
 下に抜き書きしたのは、第4章「鋭敏な感覚」のなかにあったものです。
 私の孫が小学生のころに、オジギソウの不思議を夏休みの自由研究で取り上げたのですが、このエーテル麻酔の話しでも知っていれば、ちょっとおもしろい展開になったかもしれません。でも、小学生ですから、そこまでするのも、ちょっと考えたかもしれないので、話題としてはおもしろかったのではないかと思いました。

(2026.1.15)

書名著者発行所発行日ISBN
記憶するチューリップ、譲りあうヒマワリゾーイ・シュランガー 著、岩崎晋也 訳早川書房2025年8月25日9784152104557

☆ Extract passages ☆

通常の状態だと、オジギソウはわずかに触れるだけで広がった葉を開じ、日よけのブラインドのようにきれいに折りたたまれる。触りつづけていると、ふいに葉全体が茎のところから、力を抜いた手首のようにだらりと垂れ下がる。これには目的がある。もしあなたがケムシなら、自分が食べている葉が急に垂れ下がったら落ちてしまうだろう。だが、オジギソウにエーテル麻酔をかけると、いくら触っても葉が閉じなくなる。
 マメ科の植物の苗は、通常は巻きひげを20分ほど回転させ、踊っているように見える。ところがジエチルエーテルで麻酔をかけると、巻きひげを内側に丸め、揺れるような動きは止まる。ジエチル エーテルが消えると回復し、また回転しはじめる。

(ゾーイ・シュランガー 著『記憶するチューリップ、譲りあうヒマワリ』より)




No.2502『見えない妻 聞こえない夫』

 副題は「ふたつの世界で目指す金メダル」で、見えない妻高田千明は全盲クラスの走り幅跳び、聞こえない夫高田裕士はデフリンピック日本代表選手初のプロアスリートで、どちらも陸上競技選手です。
 普通なら、同じ陸上選手でも競技が違うので交流はないそうですが、それが不思議と出会いがあって結婚するのです。まさに「縁は異なもの味なもの」ですが、いざ結婚するとなればいろいろな障害はあります。でも、それらを一つ一つ乗り越えていきます。
 私が興味を持ったのは、東京2025デフリンピックが2025年11月15日から26日まであったので、ときどきニュースなどで日本人選手の活躍を見ていたからです。このデフリンピックというのは、「デフ(Deaf)」は英語で「耳がきこえない」という意味なので、聴覚障害のあるアスリート(デフアスリート)を対象とした国際総合スポーツ競技大会のことだそうです。しかも、オリンピックと同じように4年に1度、夏季と冬季大会が開催され、今回の東京大会は、初めて日本で開催されただけではなく、100周年記念大会という大きな節目の大会でした。
 そんなこともあり、この本を見つけたときには、即読むことにしました。
 この本を読んでいて、目が見えないのに走り幅跳びをするということは、怖くないのかと先ず思いました。昨年の12月下旬に読んだ No.2497『言葉にすれば願いは叶う』のなかに、アンドレアス・ハイネッケの「タイアログ・イン・ザ・ダーク」という話しを載せましたが、何も見えない暗さを体験させるのとはまったく違います。フィールドで助走して空中に飛び出すのです。これで怖くないわけはありません。
 高田千明さんは、走り幅跳びの助走についてこう答えています。『「怖さは克服できません。どうしても着地で失敗した経験がトラウマとして残っているからです」あるとき、いつもの15歩ではなく13歩の助走で踏み切ったことがあった。砂場に着地できず、手前の地面へ。骨折はしなかったものの、それ以来、「恐怖心」という魔物にとりつかれてしまった。「いまでも怖さはあります。これからも克服するのはむずかしいと思う。だから考え方を変えました。恐怖という感覚と共存しながら記録を伸ばす。走り幅跳びの宿命だと思って無理やり自分に納得させてます。そう考えないと跳べないでしょ」』というのです。
 普通なら、その恐怖心をなんとか克服したいと思うのでしょうが、恐怖心はなくならないと割りきって進むというのは、むしろすごいことです。だからこそ、記録を伸ばし続けられるのかもしれません。
 では、高田裕士さんはというと、5大会連続の代表で、日本のデフアスリートで初めてプロ活動を始めた先駆者です。しかし、年齢的なこともあり、だんだんと若いアスリートたちが成長し、記録を伸ばして近づいてきます。それは、同じ境遇者の立場からいえば、選手層が厚くなることでいいことですが、プロのアスリートとしては追い詰められることになります。
 この本には、東京2025デフリンピックの結果は載っていませんでしたが、高田裕士の公式ウェーブサイトには、「平日の日中ですが、自国開催、地元・東京開催なので、ぜひ会場に足を運んで、直接パワーを送っていただけると嬉しいです! みんな見にきてくれー!」というところで、終わっていました。
 しかし、東京新聞によると、「位置に付き、光で合図するスタートランプの色が、走り出しの号砲を示す「青になったと見えた」。駆け出してすぐ、やり直しを示す旗が上がり、自身に失格が告げられた。反応時間は、フライングを示すマイナスの表示。モニターでも確認すると、他の選手にあいさつし、レーンを離れた。」と書いてありました。
 たしかに残念な結果ではありますが、おそらくやりきったという満足感を味わったのではないかと思います。
 下に抜き書きしたのは、第9章「裕士 東京デフリンピックへの挑戦」の中にある「世界デフ陸上競技選手権大会」のなかの一コマです。
 ここにあるように、手話も国によって違うけれど、手話で世界中のアスリートがつながっていくのは素晴らしいことです。しかし、同じ日本のなかに、2つの違う手話があるとは思っていませんでした。しかし。帝京大学医学部附属病院の耳鼻咽喉科にいた田中美ク先生は、「なんでもいいの。日本手話でも、日本語対応手話でも、指文字でも、口話でも。方法は関係ない。あらゆる方法を使い、『モノには名前がある』ことを理解して、『読む』『書く』能力を身につける。そうして充実した社会生活を送ってほしい」と話していて、とても感銘を受けました。
 おそらく、世界デフ陸上競技選手権大会に参加したアスリートたちも、同じような気持ちだったのではないかと思いました。

(2026.1.10)

書名著者発行所発行日ISBN
見えない妻 聞こえない夫篠原通良中央公論新社2025年10月10日9784120059551

☆ Extract passages ☆

 それぞれの国で手話はちがうといわれている。日本なら日本手話、アメリカならアメリカ手話。しかし、手話は国境を軽々と越えていくように感じる。日話の言語とはまったく異なる広がり方をしているのではないだろうか。手話という言語が羽をつけて空間を行き来する。興奮が漏れ出たのだろうか、ノドの奥から絞り出すような音が、観客席の間にポロポロとこばれ落ちていく。

(篠原通良 著『見えない妻 聞こえない夫』より)




No.2501『薬なければ病なし』

 この本の題名を見て、たしかに薬がなければ病もないかもしれない、と思い至り、読むことにしました。じつは、これは勘違いで、私は新薬が出れば、それに対抗するかのように新しい病気が生まれるような気がしていました。ところが、図書館で借りてきてから、少し読み始めて、改めて表しを見ると、「薬剤師・毒島花織の名推理」とあり、ミステリーのシリーズものらしいとわかりました。まったくミステリーには興味がなく、それでも子どものときにコナン・ドイルのシャーロック ホームズなどを読んだ記憶はあります。
 そういえば、2017年9月にイギリスに行ったときに、以前から行ってみたかったエジンバラ植物園にも寄りました。そのとき、駐まったホテルの近くに、「The CONAN DOYLE」というお店を見つけ、写真を撮ったこともあります。
 その程度ですから、自分からミステリーを読むことはなかったのですが、勘違いから読み始めると、読まずに返却するのも申し訳ないと思い、つい、最後まで読み続けました。
 興味を引いたのは、薬剤師が主役ですから、薬の話しが多くでますが、アルコールに弱い人の話しもあり、毒島さんは「体内に人ったアルコールは、酵素の働きによって二段階に代謝される。アルコールに含まれるエタノールは、ADHという酵素の働きでアセトアルデヒドという物質になり、その後にALDHという酵素の働きで酢酸になり水と二酸化炭素に分解されるそうだ。」と話します。
 つまり、このALDHの働きに個人差があるために、お酒に強い人と弱い人がいるということらしい。これは民族的な違いもあって、日本人の37〜38%は低活性型、6〜7%は非活性型であるといわれています。さらに、この非活性型はモンゴロイドにのみみられる特徴だそうで、白人や黒人には低・非活性型はいないようです。
 だから、ヨーロッパのように、ワインを水がわりにがぶがぶ飲んだとしても平気なわけですが、私の場合は非活性型で、間違ってもそのような飲み方はできません。
 それにしても、薬剤師の毒島花織という苗字は、珍しいと思います。出身の北海道では、そんなに珍しい苗字ではないそうですが、毒島と書いて「ぶすじま」と読むそうで、疑問を持ちながら読んでいると、第2話の「眠れない男」のなかで、本人が『「ちなみにですが、毒島の毒はトリカブトのことを指しているんですよ」と今度は薬剤師が話をはじめた。「トリカブトは毒のある植物ですが、昔から葉としても重宝されていたんです。漢方ではトリカブトを煎じて使います。興味深いのはその呼び方で、同じ漢字を使うのに、薬として使うときは附子(ぶし)、毒として使うときは附子(ぶす)と読ませます。毒島の毒はそのぶすが転用されたという説もあるようです」』と話します。
 そういえば、わが家の近くにもトリカブトが自生していて、調べたことがあるのですが、トリカブトは心臓の薬としても使われているそうで、微量なら薬ですが、ちょっと量を間違えると、命にかかわることがあるそうです。また、実際にそれで亡くなった方もいるそうで、まさに「生兵法(なまびょうほう)は怪我のもと」です。
 下に抜き書きしたのは、第6話「肝油ドロップとオブラート」に出てきます。
 そういえば、小さいころに肝油ドロップをなめたことを思い出し、すごく懐かったです。おそらく甘いものが少ないので、それで喜んでなめたとは思いますが、1粒ではあっという間になくなります。もう1粒ほしいと、何回思ったかわかりません。
 それと、現在はオブラートを使う時がありますが、まさか、下に書いてあるのが正式な使い方だとは思いませんでした。
 たまには、勘違いして本を読むこともいい、と思いました。

(2026.1.7)

書名著者発行所発行日ISBN
薬なければ病なし(宝島社文庫)塔山 郁宝島社2024年7月17日9784299056702

☆ Extract passages ☆

 あれは直接口に入れて飲み込むものじゃない。
 水が入ったコップを用意して、薬を包んだオブラートをその中に入れるんだ。
 するとオブラートはコップの水の中でゼリー状になる。
 それスプーンですくい上げて、日に入れるとスルッと飲み込めるってことらしい。

(塔山 郁 著『薬なければ病なし』より)




No.2500『書を学ぶあなたへ』

 今年最初の本は、書道家の石川九揚さんで、副題が「夜の沈黙の中で ひとり静かに 墨を磨れ」です。
 この副題を見ただけで、読んでみたくなりました。しかも、年頭に当たり、No.2500から始まるわけで、これぐらい続けば三日坊主といわれなくてもすみそうです。
 著者の「九揚」という雅号について、「わが師・垣内楊石先生に書道部へ入部したことを報告に立ち寄った時、「名前をやる」と言われた。福井県を象徴する川「九頭龍川」の「九」に、福井県を忘れるなという意味(田舎的な発想ですね)。さらに当時前衛的、天才的とさわがれた美術家「瑛九」にあやかっていい仕事をせよという意味の「九」を重ねたと説明された。むろん、中国では「九」が「究極数」である。それに師の「楊石」から一字「楊」の字。併せて「九楊」である。」とあり、さらに「ぼくの名前を下に敷くのだからな」とも言われたそうです。
 私も、著者の「書とはどういう芸術か」(中公新書)を読んだとき、この雅号はどのような意味かと考えていたので、よくわかりました。
 そして、私も「九」について、祖父から「十が幸せだとすると、九はその一歩手前だから、とてもいい数字だなんだ」とよく教えられたこともあり、なるほどと思いました。
 また、思い出したのは、私も少しばかり書道教室に通ったとき、先生からいくつかのお手本を借りて、臨書をしたことがあります。そのときに、なぜ人まねをしなければならないのか、よくわからず、顔真卿をお手本にしました。この本には、「臨書の目的は書を読み解くことがひとつ。字形、運筆、配置・配列、そしてそれらの綜合的構成法を読み解くこと。他のひとつは運筆。筆の傾き。筆尖の通った跡、速度を忠実に辿ること。そしてその上にそびえる世界というべきものを知ること。」とあります。たしかに、若いと自らの書を創作したいと思いますが、それなりの修練も必要です。
 さらに、「現代書の大先輩は「自己の書をかく場合は面白味は殆どない――真の趣味と謂ふのは臨書にある」とまで言った。この心境に早く到達できるといい。また言った「臨書をするのは御馳走を食ふやうなもので自分の書をかくのは料理をするやうなものだ」と。」と続けます。
 たしかにうまい比喩ですが、だからこそ臨書を見たり書いたりすることは大切だということです。
 今、40年ほども経って考えてみると、その当時の臨書に対する取り組みはここまでの意識はなかったと思います。もし、もうちょっと早く、このような本を読んでいたら、もう少しは書について深まっていたような気がしました。
 そういえば、書道展に行ったときに、展示されている書を見ながら、筆をもって書くようになぞっている方を見たことがあります。この「次は指でなぞってみる。書かれた状態を自分の内に再現し、その運筆と同調することだ。すんなりと同調できるもの、どうも運筆に違和感の残るものなど、さまざまだろう。しかし、指でなぞることによって、全体を鑑賞するだけでは見えなかったものが見えてくる。どこからどのように筆が入り、その圧力は、筆蝕はどんな感じで、どのような速度で、どのような方向で筆が運ばれ、どのような問合いで次の画や文字へ繋がっていくかを考察するのだ。」という文章を見つけて、合点がいきました。
 おそらく、その方も、ここに書かれているように書かれた書をなぞっていたのかもしれません。
 この本を読み、書というものに対して、いろいろなことを学びました。これから書道家になれるわけでもありませんが、筆を持つときには、これらのことを思い出しながら書いてみたいと思います。
 下に抜き書きしたのは、「随想的エール」の中の「矯(た)めつ眇(すが)めつ」に書いてありました。
 私もある講演で、この「矯める」ことについて話したことがありますが、そのときには、いくら弓矢の名人でも曲がった矢をそのまま使っては的に当てることはできないので、常に真っ直ぐになるように矢を矯め直すことが大切だと言ったように記憶しています。
 今年最初の『本のたび』ですから、今年1年、ときどきは自分を矯め直しながら、過ごしたいと思います。

(2026.1.5)

書名著者発行所発行日ISBN
書を学ぶあなたへ石川九揚芸術新聞社2025年10月31日9784875867418

☆ Extract passages ☆

書だけには限りませんが一番大切な問題は何かと言うと、それを一語でいうと《矯めつ眇めつ》だと思うのです。
 《矯めつ》という字は矢が左側にあるように、曲がった矢を真っ直ぐにするあるいは真っ直ぐなものを曲げたりするということ。《矯めつ》というのは最後の所をきれいにていねいに磨き上げると言ってもいいと思います。
 《眇めつ》は目を細くして眺めるここです。目を細くすると何が見えるかというと、非常に大極的にものが見えてくる。自分の作品であっても遠くから目を細めてみると、いろいろなことが見えてくる。そういう《矯めつ眇めつ》の時間と空間を自分の生活の中に入れていかないといけない。

(石川九揚 著『書を学ぶあなたへ』より)




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