
☆ 本のたび 2026 ☆
学生のころから読書カードを作っていましたが、今時の若者はあまり本を読まないということを聞き、こんなにも楽しいことをなぜしないのかという問いかけから掲載をはじめました。
海野弘著『本を旅する』に、「自分の読書について語ることは、自分の書斎や書棚、いわば、自分の頭や心の内部をさらけ出すことだ。・・・・・自分を語ることをずっと控えてきた。恥ずかしいからであるし、そのような私的なことは読者の興味をひかないだろう、と思ったからだ。」と書かれていますが、私もそのように思っていました。しかし、活字離れが進む今だからこそ、本を読む楽しさを伝えたいと思うようになりました。
そのあたりをお酌み取りいただき、お読みくださるようお願いいたします。
また、抜き書きに関してですが、学問の神さま、菅原道真公が49才の時に書いたと言われる『書斎記』のなかに、「学問の道は抄出を宗と為す。抄出の用は稾草を本と為す」とあり、簡単にいってしまえば学問の道は抜き書きを中心とするもので、抜き書きは紙に写して利用するのが基本だ、ということです。でも、今は紙よりパソコンに入れてしまったほうが便利なので、ここでもそうしています。もちろん、今でも、自分用のカードは手書きですし、それが何万枚とあり、最高の宝ものです。
なお、No.800 を機に、『ホンの旅』を『本のたび』というわかりやすい名称に変更しました。最初は「ホンの」思いつきではじめたコーナーでしたが、こんなにも続くとは自分でも本当に考えていませんでした。今後とも、よろしくお願いいたします。
No.2567『私たちはどう老いるのか』
著者の本は、雑草に関するものなどを中心に、いろいろ読んでいますが、『私たちはどう老いるのか』という題名をみたときに、人間の老いと植物とをどのように描くのかと思い、読むことにしました。たしかに、植物の話しは出てきますが、自分の生死観みたいなものもあり、ときどき植物に関するものもあるというような感じでした。
たとえば、人間にも植物にもある程度のストレスがないとダメだそうですが、鯉を輸送するときにも必要だとは思いもしませんでした。「鯉を空輸するときに、鯉だけを水槽に入れておくと、死んでしまう。しかし、水槽の中に数匹のピラニアを入れておくと、その緊張感から、鯉が死ななくなるという。」と書いてあり、たしかにストレスは必要かもしれませんが、鯉にしてみれば過度の緊張にさらされ続けられるのではないかと心配するほどでした。
また、おもしろいと思ったのは、人類の祖先にホモ・サピエンスとネアンデルタール人がいたことは知っています。ではなぜ、ネアンデルタール人がホモ・サピエンスよりも力が強く、知能も高かったといわれているのに、私たちホモ・サピエンスが生き残ったのかと問われれば、なぜだろうと思います。
著者は、「ネアンデルタール人は、単独で生きていく能力に優れていた。 一方、ホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人よりも弱い存在だったため、寄り添って助け合って生きていた。そして、結果として協力し合うホモ・サピエンスが生き残ったと考えられているのである。その後、ホモ・サピエンスはさらに集まってムラを作り、クニを作り、助け合う社会を高度に複雑化させていった。そして、現代の文明社会が築かれたのである。」といいます。
そういえば、だいぶ前に「強いものは生き残れない」という本を読んだことがありますが、たしかにそういわれればそのようです。つまり、私たちはひとりでは生きていけないということです。
ところが、今の世の中から、戦争がなくならないのはなぜでしょうか。しかし、この本のなかには、それについての答えはありませんでした。
しかし、植物については、ヒントになるようなものがありました。それは「ハコベは、花が咲くときは上向きについている。しかし、花が終わると下向きになる。こうして、他の花が目立つようにするのである。花が終わったら、次の花のために潔くゆずる。上を向いているのは、今が盛りの花ばかり。だからタンポポやハコベの花畑は美しいのである。」とあり、私もよくこのタンポポの話しを子どもたちにします。
つまり、「おれがおれがという我」を押さえことも大切なことだと言います。
やはり、新しいものにゆずるとか、次にゆずる、後進にゆずるということもしないと、世の中はぶつかってしまいます。よく、独裁者は孤独だといいますが、自分が他を蹴落として独裁者になったのだから、自分もいつ誰かに蹴落とされるかと心配になります。
そういう意味では、植物の生き方に学ぶべきことはたくさんあると思います。もちろん、「老い」についても同じことだと思います。
下に抜き書きしたのは、第4章「アスファルトのすき間に幸せがある」に書いてありました。
たしかに進化するというのは、ある意味、革新的な効率化とスピードアップも計られています。今流行のAIだって、たしかに便利ですが、その反面、ブラックボックスのなかで何があるのか怖いと思うときもあります。
私も植物が好きですから、裸子植物と被子植物の違いなどは知っていましたが、この譬えは新しいものだけがいいとは限らないことをズバリ言い切っています。そう考えれば、寒いところに裸子植物の針葉樹などが多いのもうなづけます。
つまりは、若者だけでなく、幅広い年代がいるからこそ世の中は成り立つように思います。
(2026.7.25)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 私たちはどう老いるのか(小学館文庫) | 稲垣栄洋 | 小学館 | 2025年12月10日 | 9784094075243 |
|---|
☆ Extract passages ☆
じつは、新しいタイプである被子植物は、水を吸いあげる仕組みも、画期的なシステムを進化させていた。それまでの古いタイプの植物は細胞から細胞へとバケツリレーのように水を運搬していたのに対して、被子植物は、道管という水道管のような通水専用の空洞組織を発達させて、根で吸いあげた水を大量に運搬することを可能にしたのである。……ところが、である。
道管の中の水が寒さによって凍結すると、氷が溶けるときに生じた気泡によって、つながっていた水の柱に空洞が生じてしまう。こうして、水のつながりに切れ目ができると、うまく水を吸いあげることができなくなってしまうのだ。
一方、裸子植物は、細胞から細胞へ確実に水を伝える時代遅れな方法で、水を運んでいる。この古いシステムが功を奏して、水が凍るような寒い地域で強みを発揮することができるようになったのである。
(稲垣栄洋 著『私たちはどう老いるのか』より)
No.2566『やめることリスト』
本の題名を見たとき、すぐに内容を理解できず、副題の「仕事に最適化された思考」を手放す、というのを見て、なるほどと思いました。
どうも日本人は、ほとんど仕事を中心において動くので、すぐに働くことを考えてしまいます。もちろん、それも大切なことですが、私のような後期高齢者になってもそのままの生活をしていたら、まさに生きている甲斐がないのではないかと思うときがあります。そろそろ、自分のしたいことを中心に据えてみたいと思っていたときに、この本に出合いました。
書いてある内容からみると、早稲田大学を卒業して、Forbes JAPAN編集部や日本経済新聞社を経て、日経BPで書籍編集者として活躍したことまではわかります。しかし、最近の女性の著者の年齢をプロフィールに書いてないのが多く、ちょっと気になり調べてみると、なんと2026年現在34歳だそうです。
思い切りよく優良企業を辞めてベルギーに留学したことから、ある程度は若いと思ってましたが、それまで仕事中心だったということからそれなりのキャリアを積んでいたのかとも感じていました。ある意味、やはり年齢で考えることも善し悪しだと思いました。
そのベルギーでの体験から得たことがたくさん書いてあり、たとえば、「日本では「休むこと――怠けること」と捉えられがちですが、本来は逆なのかもしれません。立ち止まり、外に向かう力をいったん手放すからこそ、また次に進むための上台や気力が養われる。むしろ自分の内面を見つめる時間こそ、人をしなやかに、そして強くしていくのだといまでは感じています。私自身も彼らを真似るなかで、「五感で感じる」「しっかり眠る」「日々の変化を感じ取る」といった生活を意識的に取り戻しました。すると心のゆとりが生まれ、アイデアや活力が湧きやすくなったのです。効率を求めて削ってきたものの中にこそ、実は創造力の源泉が潜んでいるのだと実感しました。」と書いてありました。
たしかに、休むことは悪いことではありません。私も海外に行くとよく思うのですが、日本人は朝から晩まで出歩いてばかりいます。しかし、欧米の人たちは、ホテルのプールサイドや芝生などで日光浴をしたり、眠っていたりします。私もそれを真似て、ホテルのテラスなどてのんびりと本を読んだりするようになってきました。
キリスト教圏などには安息日があり、あまり動かないという習慣がありますが、日本人は稲作文化ということもあり、毎日なにかしら動いていないと安心できなくなっているのかもしれません。
また、なるほどと思ったのは、友だちと会う約束をすれば、なるべくことわるようなことはしませんが、ベルギーなどでは「今日はあまり気分がのらないから、別な日にしよう」と軽く言うそうです。おそらく、これは気分がのらない状態で無理に会うことのほうが誠実ではないからと書いてありましたが、それにも一理あります。
やはり、文化の違いというか、生活習慣にはその国なりの考え方があります。昔から「郷に入っては郷に従う」ですが、せっかくの機会なので、いいことは取り入れたほうがいいと思います。
それと、ベルギーは、日本よりも交通の便が悪かったり、宅配の便利さもなく、だからこそ、「不便さのなかには、思いがけないつながりが生まれる余地がある。けれど、便利さのなかでは、人と人が出会う″偶然の接点″がどんどん失われていくのです。助けなければ誰かが困り、自分もいつか助けられる側になるかもしれない。そんな循環があるから、助け合いが「文化」として生き続けているのです。」とあり、これなどは今の日本でも田舎にはこのような助け合いが残っているように感じます。
それで、昔のように重いものを持って歩いている人を見ると、車に乗せたりはしなくなりましたし、隣近所に味噌を借りたりすることもなくなりました。いや、できなくなってしまったのかもしれません。
たとえば、子どもを部活などで送り迎えするときなどに、親が共働きなどでいなかったりすればと考えますが、基本的に他の子どもを乗せないといわれれば、仕方ありません。そういう意味では、あまり不便さを感じないからこそ助け合いがなくなってきたとも考えられます
下に抜き書きしたのは、第7章『「やりたいことがある」は偉くない』に書いてありました。
もちろん、やりたいことがあるというのは悪いことではなく、それだけで偉いというわけではないという意味です。
このあとに、「IKIGAI」について書いてあり、2016年にスペインのエクトル・ガルシア氏とフランセスク・ミラージェス氏が、日本語の「生きがい」に着日し、その意味を探究した本がこの「IKIGAI」です。そのなかでは、生きがいを「好きなこと」「得意なこと」「人や社会に貢献できること」「報酬を得られること」の4つが重なるところにあるものとして説明しているそうです。そういう意味では、夢はあくまでも夢ですが、生きがいは今いる場所から考えているわけで、こちらの方がすっきりとしてわかりやすいです。
(2026.7.23)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| やめることリスト | 雨宮百子 | 大和書房 | 2026年5月1日 | 9784479798507 |
|---|
☆ Extract passages ☆
入り口で人を見極めようとするポテンシャル採用の名残が強い以上、最初に語られる将来像が、その人の価値を左右してしまうのです。
結果として、「何がしたいの?」と早くから問われ、将来のビジョンを語れないことに不安を覚え、違和感を抱いても立ち止まりにくくなっていきます。
けれど、テクノロジーの発展によって、仕事のかたちは急速に変わり続けています。かつて当たり前だった職業が姿を消し、数年前には存在しなかった仕事が次々と生まれているのです。
そんな時代において、人生の早い段階で「ひとつの目標」を固定すること自体が、現実とずれ始めているのかもしれません。
(雨宮百子 著『やめることリスト』より)
No.2565『旅する絵描き』
今回も題名のなかに「旅」という文字が入っていて、私もつくづく旅好きだなと思いました。
副題は「パリからの手紙」で、唐突に「ぼくは今パリにいる。」と書き出しにあり、しかもアパルトマンで書いているとあるから、しばらくは住むような雰囲気です。そして、2週間ほど滞在します。すると、ホテルの主人は、それなら「家具付きアパルトマンの方がずっと得だよ」といい案内してくれました。
そのパリに滞在するきっかけになったのが、入口に「Relieur-Doreur A.M.」と書かれた仕事場の窓からのぞいていると、「窓ガラスの向こうで光の粒子がゆれた。老人は仕事の手を止め、鼻めがねのまま外を見た。目があった。その眼は今の今まで手もとの仕事に集中していた眼だ。するどかった。だがすぐに、眼にいたずらっこのような表情がひろがり、やさしいじいさんの顔になった。ぼくはどきどきしながら思いきり微笑み返した。窓ガラスの向こうの姿がすっと左へ消えたかと思ったら、さっきの紙片が貼ってあった扉が開いて、じいさんが出てきた。「見るか?」――ぼくは耳までまっ赤になったのが自分でもわかった。でも、じいさんはとても自然なやり方で、ぼくを扉の中に招き入れてくれたんだ。紙と羊皮とさまざまな機械と工具と、はこりでいっぱいの工房に――。これが、ぼくとRelieurじいさんの出会いのすべてだ。そして、ぼくがここに留まることになった物語の「はじまり」だ。」と書いています。
ちなみに、Relieurというのは製本屋で、Doreurというのは金箔師、つまり金の型押しで文字や装飾を手作業で造る職人のことだそうです。
そのRelieurじいさんに興味を持ち、毎日通うことになります。そういえば、私もネパールで製本をしてもらったことがあり、自分の名前が入っています。たしか、大きな本屋さんの片隅に受付があり、翌日にはできていました。これは今でも私の宝物ですが、革製ですから、おそらく私が生きている間はばらけたりはしないはずです。
また、だいぶ前ですが、国立国会図書館のなかを案内してもらったときに、普段は入れない製本室や古い虫食いのある本を修理するところも見せてもらったことがあり、とても興味を持ちました。おそらく、著者は、絵描きですから、製本だけでなく、Relieurじいさんの仕事や生き方にも関心を持ったのかもしれません。
そうそう、この本の16ページに、「公園」と書くべきなのに「公演」と印刷してあり、もし、訂正する機会があれば直してもらいたいと思います。
じつは、私もこの程度の間違いはときどきしますが、なるべく何度か読み直して訂正します。やはり、同じ人が読み直しても、同じような間違いをしやすいので、他の人の校正作業が必要だと思います。
この本に興味を持ったのは、表紙のこれから旅立とうとする写真が良かったのと、なかに描かれたエスキスがほのぼのと感じられたからでもあります。この「エスキス」というのは、フランス語の素描、下絵などを意味する言葉だそうです。
下に抜き書きしたのは、Yに部屋のスケッチを同封し、手紙を出すときの話しです。
私も、ゴッホは好きで、福島会場では機会がなく見ることができなかった「大ゴッホ展 夜のカフェテラス」展を、東京の上野の森美術館で2026年5月29日(金)〜2026年8月12日まで開催されるので、なんとか見たいと思っているのですが、なにぶんにも大人気らしく、予約が必要だったりするようです。
どうも、昔から予約をしてまで行こうとはなかなか思えなく、今回もまだ考え中です。8月12日までの開催なので、そろそろ決めないとダメかなと思ってます。
でも、いわれてみれば、たしかにゴッホの作品には窓の絵が多いような気がします。
(2026.7.20)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 旅する絵描き | 伊勢英子 | 平凡社 | 2007年6月15日 | 9784582833621 |
|---|
☆ Extract passages ☆
スケッチ中の窓とベッドの間に描きかけの絵があるだろう。ぼくはあんまりうれしくて、大きなキャンバスを買ってきてもうさっそく制作にとりかかっているんだ。この部屋の窓からの風景――あのイヌアカシアの大樹だ。ほんもののキャンバスの大きさは60センチ×120センチ、一対二の比率は、最晩年のゴッホが好んだそれだ。小さなイーゼルも画材屋さんでねぎって買った。そして同封のもう1枚のスケッチは、まさにその樹と今朝鳥呼び男がいたので思わずスケツチしたものだ。
窓って不思議な存在だよね。1週間前にぼくをとらえたのも窓だった。ゴッホは転々と居場所を変えたけど、未知の土地に着くとまずそこで窓からの景色を描いた。やがて外へ出て少しずつ描く範囲を広げていったという。今のぼくには、ゴッホの絵に窓の絵が多い理由がよくわかるよ。
(伊勢英子 著『旅する絵描き』より)
No.2564『たびたび』
前回の『紀行とエッセーで読む 作家の山旅』の続きということで、今回は漫画家のさくら ももこ さんの旅を読みました。
というのも、孫といっしょに「ちびまる子ちゃん」よく見ていたこともあり、どのような旅をしているのかと興味がありました。というのも、1992年12月1日掲載の「さくらももこさんインタビュー」のなかで、「ネタ探しは大変ですか。」の問いに、「わざわざ探すというより、普段の生活の中で気付いたことをエピソードにしています」と答えていて、旅のなかにも「ちびまる子ちゃん」的なものがありそうでした。
もともとこの本は、最新版なのですが、初出は2000年から2002年の『富士山』で、これは巻末の朝井リョウの特別寄稿「非日常も日常」のなかに、「『富士山』は、著者が″ひとり編集長″となり、記事の企画、取材、執筆、漫画、イラスト等の殆どを手がけた"ひとり雑誌″だからだ。数ある著者の刊行物の中でも特に著者濃度が高いというか、ちょっとした落書き部分にまで目を凝らしたくなる楽しさでいっぱいなのである。例えるならば、″会員以外の人が読んでも面白い、さくらももこファンクラブの会報″みたいなイメージだろうか。」と書いてありました。
たしかに、読んでみると「かなりリラックスした雰囲気のものが多い」という印象がありました。
たとえば、京都の旅では、「京都のお菓子はおいしい物がありすぎるほどいろんなのがある。お団子、くずきり、麩まんじゅう、もち菓子、あんみつ、わらびもち、白玉、まっ茶味のなんかいろんなお菓子、ちょっと考えただけでももう片っばしから食べたい。私は、モチがらみの食べ物が好きなのだ。それがわらびもちでもくずもちでもぎゅうひでも白玉粉を丸めたモチであっても、モチ状になってて粘りがあってちょっとコシがあればおいしそうだと感じてしまう。単なるドラ焼きならばそそられる興味は三十パーセントだが、それが″モチ入リドラ焼き〃というだけで興味は七十〜八十パーセントにハネ上がる。」といいます。
ところが私は、どちらかというとモチ入りよりもアンだけのシンプルなドラ焼きが好きだし、バターなどが入っていたら、それだけで食べる気がしなくなります。やはり、お菓子は素材そのものが大切で、シンプルだけで美味しいのが大切だと思っています。
そういえば、麩まんじゅうだって、青のりが練りこまれていただけで、避けてしまいます。もちろん、わらびもちだって、ワラビから採取される本わらび粉を用いただけならいいけど、芋やタピオカや葛などのデンプンを混ぜたものなら食べなくてもいいと思ってます。
さすが絵心を持っていると思ったのは、ミッフィーの産みの親、ディック・ブルーナさんをオランダのユトレヒトという町に訪ねて行ったときのことですが、「あのシンプルな絵は、ものすごく吟味してデフォルメされ、無駄な部分をはぶき、必要なエッセンスだけで描かれている。それがいかに難しく、どれほど洗練されたセンスが要求されることか。そのうえ、そこにかわいらしさや優しさまで加わり、誰が見てもほのぼのとした気持ちになるような作品を作っているのだから素晴しい。稀有な才能を持った作家なのだとつくづく思う。ブルーナさんは、原稿を描くのにすごく時間がかかるそうだ。シンプルで完成された線を描くためのデッサン、下絵、そして均一の大さで全ての主線を描く作業、色づけ、これらを少しの狂いもなくこなすために時間がかかるのだ。」と書いてあり、なるほどと思いました。
傾向はまったく違いますが、どこかに自分と似たようなところを感じていたのではないかと思います。
下に抜き書きしたのは、「美しき夏の富良野」に書いてありました。
というのも、私自身もここには2022年7月1日から9日までと、2024年6月30日から7月7日までの二回ともほぼ同じところに行ったこともあり、すごく思い出すきっかけになりました。今でも、富良野はもちろんのこと、大雪山の旭岳の山麓で見た高山植物の多彩さをまた見たくなります。これは自分の車で仙台港から苫小牧港までフェリーで行き、富良野周辺も走ります。
そういえば、この本のなかに出てくる新富良野プリンスホテルに2024年の時には2泊したので、その館内の様子も手に取るようにわかりました。実際に書かれたのは2002年以前ですが、それほど変わっていないということです。気球も乗りたいと思ったのですが、風があると飛ばないし、ロープにつながれたままではおもしろくもないのでやめました。この本で知ったのですが、夏はフリーフライトができないとわかり、なるほどと思いました。
(2026.7.18)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| たびたび | さくら ももこ | 新潮社 | 2026年3月25日 | 9784104073061 |
|---|
☆ Extract passages ☆
ケンとメリーの木がよく見える場所で車を停めてもらって外に出てみると、一面に小麦畑が広がっていた。
早くも広瀬君(※同行したカメラマン)は写欲丸出しになり、シャッターを切りまくっていた。どこを見ても絵になるのだから、いくら撮っても撮り足りないだろう。
「まだまだこれからいっばい撮る所があるんだから、もう行くよ」と広瀬君をやっと車に連行し、また走り出したとたん、さっき運転手さんが言ってたパッチワークの丘という所にさしかかった。
広瀬君は「…あっ、あの、ここも…」と小声で主張したので、ここでもまた車を停めてもらった。運転手さんは「ここから見える丘は、畑の作物の種類によって畑ごとの色が違うので、まるでパッチワークみたいに見える事からそう呼ばれてるんですが、こんなふうに見える場所は他にもいっぱいありますよ」と教えてくれた。
(さくら ももこ 著『たびたび』より)
No.2563『紀行とエッセーで読む 作家の山旅』
文庫本としては350数ページもあり、読み応えもあるかなと思ったのですが、作家の山旅の抜粋のようなものばかりで、どこでやめても、どこから読み始めてもいいので、つい、ヒマなときしか読まなくなりました。
最初に持ち出したのは、5月28日から奥日光に行くことになり、旅先の宿でも読もうと思ったのですが、そのときは100ページほど読んで、それからはヒマなときだけ引っ張りだし読み続け、つい最近になり読み終わりました。それでも、懐かしい作家の名前が出てくると、昔読んだものなどが蘇りました。
たとえば、堀辰雄の「雪斑(はだれ)抄」のなかに、野辺山のところが出てきますが、「やがて、野辺山駅に着いた。白い、小さな、瀟洒とした建物で――いや、もうそんなことはどうでもいいことにしよう。――それよりか、僕はその小さな駅に下りかけて、横書きの「野辺山」という三文字が目に飛びこんできた途端に、なにかおもわずはっとした。いままではさほどにも思つていなかった「野辺山」という土地の名がいかにも美しい。まあ何んという素朴な呼びかたで、いい味があるのだろう。そうして此処まで来て、その三文字をなにげなく口にするとき、はじめてそのいい味の分かるような、それほどこの土地の一部になりきってしまっている純粋な名なんだなとおもった。」とあります。
素朴の朴が原文では僕でもなく、木偏になっていましたが、古い本などを読んでいると、意外とおもしろい当て字があったりします。私が野辺山駅に行ったのは、小海線の甲斐小泉駅近くにある「平山郁夫シルクロード美術館」に行く途中でした。ここ野辺山駅の標高は1345.67mで、JRグループの中で最も高い場所にある駅として知られています。なので、私も停車時間内で駅舎と電車や標識などを撮りました。そういうこともあったので、昔から堀辰雄の「大和路信濃路」などを読んでいたものとして、興味を持ちました。
その流れでは、林芙美子の「戸隠山」に、「私は山だの湖だのが大変好きです。去年の夏は北海道や樺太を歩いて来ましたが、旅の大半は山や湖や沼を見るのについやしました。大雪山や阿寒の山々はすばらしいものでした。私が、本当に山好きになったのは67年前信州の戸隠山へ登ってからです。いまのように山の上まで自動車が通じていない時で、四里の山径は歩いて登るのでした。今では東京近くの小さい山々へ登るにも、百貨店のマークのはいったリュックゃピッケルを持っている人達が多いのですが、その頃は菜っぱで包んだ握り飯一つと手拭を首に巻いて下駄で登ったものでした。」と書いてありました。
そういえば、島木赤彦の「女子霧ヶ峰登山記」のなかに、「雨具もなし、おまけに二人は下駄がけ」とあり、今では考えられない装備で山登りをしていたようです。
この戸隠に行ったのも、信濃三十三観音札所をお詣りするためで、きっかけは新型コロナウイルス感染症の影響で善光寺が7年に1度の「善光寺前立本尊御開帳」を1年遅らせたので、この機会にと思い立ち、2022(令和4)年5月16日に行き、その後、2023年9月に行ったときには、戸隠神社の奥社、中社、宝光社、九頭龍社、火之御子社の五社すべてを参拝しました。今でも記憶に残っているのは、シラヒゲソウやシシウド、サラシナショウマなどが咲いていたことです。またあの杉並木も荘厳な感じがしました。
そういえば、秋田三十三観音の札所をまわっていたとき、金山町の森合峠のところに田山花袋の石碑を見つけたことがあります。それには、「日本一周」抄 「金山の一夜」の抜粋が彫られていて、月山の美しい姿を伴侶として歩きながら、金山町に宿泊した情景を描いています。
この本では、田山花袋の「山水小記」(抄)を取り上げていますが、そのなかに「ある日私は羽前と羽後との間に横たわっている大きな峠を一日かかって越した。」と書いてありました。峠の名前などはなく、そこが私の行ったことのある森合峠かどうかはわかりませんが、この後の文章に『「雲の峰いくつ崩れて月の山」例の芭蕉の句の中にも立派な写生があるのであった。私は一日の疲労を忘れたようにしてその夕暮の色に彩られた遠い山の姿に見入った。旅情は湧き上った。私は駆けるようにして峠を下りて行った。』とあり、先の石碑と通じるところがありました。
また、この本には歌人や俳人、詩人などの文も入っていて、たとえば齊藤茂吉の「ふる郷に入らむとしつつあかときの板谷峠にみづをのむかな」や、若山牧水の「としよりの喜ぶ顔はありがたし残りすくなきいのちを持ちて」などを読んで、たしかにこの人生そのものも山あり谷ありそのものだと感じました。
下に抜き書きしたのは、与謝野晶子の「高きへ憧れる心」に書いてあったものです。
日本人は、どちらかというと、山を征服するという考え方はなく、一種の山に対する憧れのようなものです。私自身も高校生のときには山岳部に入り、毎週のように山登りをしていたのでわかりますが、山に登っただけで、なんとなく心が落ち着くから不思議です。
ただ私の場合は、頂上でおにぎりを食べて、文庫本を読んで、眠くなったらそのまま昼寝をしてしまうだけです。それでも、不思議と帰りのバスに乗り遅れたということはなかったようです。
これは今も同じで、電車のなかで眠ってしまっても、下りる駅の近くになるとめを覚まします。自分でも不思議だと思いますが、目覚ましを使うこともありません。
(2026.7.16)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 紀行とエッセーで読む 作家の山旅(ヤマケイ文庫) | 山と渓谷社 編 | 山と渓谷社 | 2017年3月1日 | 9784635048286 |
|---|
☆ Extract passages ☆
実際、高い山などへ登って見ると、空気一つでも新鮮清涼で、地上の生活の俗気と炎熱とが急に一掃されるのを覚える。山上から俯瞰した大地の濶い景色も心を爽快にする。人間が高きに憧れる心を幾分でも満足させることの出来るのは、唯だ高い山に登る以外に方法がない。それだけ登山は楽しいものである。
(山と渓谷社 編『紀行とエッセーで読む 作家の山旅』より)
No.2562『たまさかの古本屋 シマウマ書房の日々』
この本の題名に使われている「たまさか」を広辞苑で調べてみると、「たまさか(偶さか)」とは、「思いがけないさま(偶然であるさま、たまたま)という意味と、まれであること(めったにないこと)という意味もあるそうで、副詞として「たまさか(に)旧友と出会う」のように、思いがけない偶然や滅多にない出来事を表す際に使用されるという例も表示されています。
また、「シマウマ書房」の名の由来は、「古本についての言葉で、まだ新刊でも流通しているような年数の浅い本のことを「白い本」、戦前の本などのようにすでに絶版となって古書でしか人手できない本を「黒い本」と呼ぶことがある。シマウマ書房という店の名前には、そのどちらも並ぶ場所という意味が含まれている。」とあります。
その流れでいくと、私も行く「ブックオフ」は、ほとんどが「白い本」で、比較的新しい本を格安で買えるということのようです。
この本の元になったのは、朝日新聞の東海・地域面で2014年からコラム「本の虫」というのを3名ほどのメンバーで連載しているそうで、その自分担当の部分などにさらに書き下ろしなどを含め、高校生のような若い人たちにも読んでもらえるような内容を心がけたそうです。
どうりで読みやすく、わかりやすく、おもしろかったです。
私もこの「本のたび」を続けているので、ある程度本の虫かもしれませんが、ときどき、自分の本棚を眺めて、それらの本が自分のところに来たときのことを考えたりします。もちろん、本屋さんで買ってきたのが一番多いのですが、献本を受けたり、たまたま海外の古本屋さんで見つけたものなどもあり、背表紙を見ているだけで飽きないです。
この本のなかにも、「それぞれの生活の場にあって年月を経た本棚には、持ち主の職業や趣味が反映され、さらにはその時々の必要や興味の変遷がうかがえる。なぜか少し傾向のちがう本が紛れているなと思うと、お嫁に行った娘さんが残していったものであったり、背表紙の変色の具合とその本の年代から、ご主人がいつ頃までタバコを吸っていたかということが推察できたりもする。個人的には、派手な演出やポップの売り文句で飾られた書店の店頭よりも、こうしたプライベートな本棚に並んでいる本の姿に惹かれるし、そんな魅力を自分の店の棚にも残しておきたいと思う。本というのは、もちろん1冊ごとにもその良さがあるけれど、あれこれいろんな本を続けて読むなかで、星座のように点と点がつながって、何かが見えてくることもある。」と書いてありました。
これはまったく実感します。たまたま入って古本屋さんで、とてもニオイが気になり、すぐ出てきたこともありますし、何時間いても見ているだけで飽きない居心地の良いところもあります。本屋さんでも古本屋さんでも、長居する人は嫌われるかもしれませんが、そういうときには、必ず何冊か買ってから出てきます。
下に抜き書きしたのは、「古本の買い取り」に書いてありました。
そういえば、私も学生のころに、よく神保町の古本屋街に足を運んでいましたが、いつも、この古本はここにいるだけでもますます古本になってしまうのではないかと思うこともありました。でも、もし古本屋さんがなければ、本は使い捨てになってしまうかもしれないし、それこそもったいないと思います。
別なところで、古本は「注文して入荷する商品ではなく、いろんな巡り合わせのなかで自分のもとにやってきた本を扱っている。いずれも一点もので、目の前にあるこの一冊が売れたら、次にまた同じ本を扱えるとは限らない。なかには遠い町まではるばる出かけて買い取ったものもあるし、あえてうちの店を選んで託された蔵書ということもある。それだけに、ただ売れればいい、お金になれ
ばそれでいいとは思っていない。本当にこの本を読みたいと思った人、必要としている人につなげるのでなければ、あえてこの労の多い仕事を続けている意味がない。」と書いていますが、これこそ本音だと感じました。
私も昔は小さな図書館をつくり、地域の人たちに少しでもホント触れ合う機会をつくりたいと思ってましたが、なにぶん、本は場所を取るし、重いし、管理するのは大変だと気づき、なるべくなら公立図書館で借りてきて読むことにしました。
そういれば、借りる期限があるので、むしろ手もとにあるよりは早く読むことができます。
(2026.7.13)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| たまさかの古本屋 シマウマ書房の日々 | 鈴木 創 | 亜紀書房 | 2025年12月26日 | 9784750519005 |
|---|
☆ Extract passages ☆
いまの時代、古本屋に通う人はそれほど多くはない。それでも、地道に営業を続けていれば、毎日それなりの来客はある。それぞれの棚の前を、通り過ぎる人、立ち止まる人。本を手に取ったものの。ぱらっと開いただけで戻す人もいる。そんなある日、ついにその一冊を抜き出して、レジまで持ってくるお客さんが現れる。
そうやって無事、次なる読者につなぐことができれば、その本はそれからしばらく持ち主の家の本棚に収まって(数年から数十年?)、年月を過ごすことになる。やがて手放されるときが来ても、ふたたび古本屋に持ち込まれれば、そこをしばらくの居場所として、また次の出合いを待つことができる。
そんな具合に、大事に読み継がれる本というのは、読者から古本屋へとバトンのように渡り、著者が亡くなったあとも時代を超えて残っいく。いま、シマウマ書房に並んでいるのも、そんな途上で巡ってきた本たちである。
(鈴木 創 著『たまさかの古本屋 シマウマ書房の日々』より)
No.2561『本のある場所を訪ねて』
著者の南陀楼綾繁さんがわが家を訪ねてくれたのは、2020年のコロナ禍のときでしたが、川西町のフレンドリープラザで新潟市の北書店の佐藤雄一店長とのトークイベントをするとのことでした。そのときの話しは、後に2021年11月30日に発行された『古本マニア採集帖』(皓星社)に掲載されています。
これはこの本の「はじめに」にも書いてありますが、36人(34組)の「古本マニア」の話を採集した標本箱だそうです。そういえば、このなかで、「『森へ――ダリウス・キンゼイ写真集』(アポック社出版局 1984)という大判の本だった。アメリカ開拓時代の森の伐採を撮影した写真集で、中上健次が解説を書いている。「『BE-PAL』で紹介されているのを見て、本屋に注文したらすでに絶版でした。その後、ブータンに行ったとき、たまたまこの出版社の社長と同室になったんです。後日、彼がこの本を送ってくれました」本への執着が呼びおこしたような出会いだ。偶然だが、必然でもある。」と書いていて、たしかに私もたんなる偶然でも、その後の交流からして必然だったような気がしています。
この「本のある場所を訪ねて」は、まちの本屋さんだけでなく、小さな出版社や地方出版などの本に関わる人たちをたずね歩き、そこで本と関わり合いながら生きている人たちの生の声を直接聞いてきた記録です。おそらく、私のところへ訪ねてきたときと同じように、時間をかけてしっかりと記録したもので、7年間にわたっているといいます。
そういえば、福岡の「里山社」社主清田麻衣子さんとの特別インタビューで、清田さんが「イベントの数が増えてくると、すべてに同行するのは難しくなってくるんですが、できるだけ、いろいろな地域に行くようにはしています。今は、インターネットでたくさんの情報が得られる時代ですけど、ネットでは見えないことも、やっぱり多いなと感じるんです。ふだん乗らない路線に乗って、その土地の空気を知る。現地で実際に人と会って、話をする。そのなかで、自分がこれまで、インターネットや本だけで見聞きしてきた情報の外側に、どれだけ多くのものがあったのかということを実感することになります。編集者としてのリターンは、やはり大きいと思っています。」と話すと、著者は、「現地で見たこと、聞いたことが、その後の企画に影響することもあるんでしょうか?」と聞くところがあります。
おそらく、それはあるんでしょうね、というような雰囲気です。
私もよく一人旅をして、まったく見ず知らずのところにいくと、インターネットや本で読んだとしても、それ以上のことをたくさん体験します。それこそが、生の経験だと実感します。
また、図書館にもよく行くほうですが、最近は「まちライブラリー」ということもよく聞きます。これは代表理事の蟻井純充さんに2021年6月に取材したそうで、初めて詳しいことを知りました。このまちライブラリーの定義は、「@一般社団法人まちライブラリーに「まちライブラリー」として申請し、登録されたもの。A所有・寄贈された本を活用した場(移動型、臨時型も含む)を設定している。B設置された本を開覧または貸出できるようにしている。」だそうです。
つまり、個人宅や病院、カフェから商業施設まで、さまざまな場所に本棚を設置するだのようです。これなら、わざわざ遠くの公立図書館に行かなくても、本と人をつなげることができます。まさに、私的な図書館活動です。
これだと、そんなに大げさに考えなくてもできそうですし、読み終わった本を次の人にバトンタッチできそうです。つまりは、本が間に入っただけで、人と人とのつながりにもなります。
そして、この本の「おわりに」の最後に、『「本のある場所」を訪ねる私は、結局のところ、そこにいる人に会いにいっているのだろう。』と結んでいて、私を訪ねてくれた著者の親しげな風貌を思い出しました。
下に抜き書きしたのは、第5章「本のビオトーク 本を残し、次代に伝える」に書いてありました。
これは、2022年8月に青空文庫の呼びかけ人の野口英司さんと八巻恵美さん他に取材したものだそうで、青空文庫そのものは1997年7月7日にノンフィクション作家の富田倫生さんら4人の呼びかけでまとまったそうです。そして、ホームページを公開したのが同年9月11日ですから、すでに28年ほど経っています。
それぞれの思いは違っていても、いつもどんなところにでも本は欠かせない、という思いは変わらないということだと感じました。
以前はまったく読まなかったのですが、あるとき、本を持って行かなかったので見てみてると、そういえば若いときにこの本を読んだことがあると思い読んだことで、ときどき読むようになりました。使い始めてみると、これはこれでとても便利なものです。
でも、私は、電子書籍よりも、1ページ1ページをめくりながら読むほうが好きです。
(2026.7.10)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 本のある場所を訪ねて | 南陀楼綾繁 | 教育評論社 | 2026年3月11日 | 9784866241289 |
|---|
☆ Extract passages ☆
青空文庫は、呼びかけ人がそれぞれもつ思いが合わさって生まれた。
富田さんは絶版になった自著を電子化して公開したいと考えた。また、電子出版を推進するボイジャーの社員だった野口英司さんは、アメリカの「プロジェクト・グーテンベルク」(1971年開始)に匹敵する電子図書館が日本でもできると考える。そして、編集者の八巻美恵さんはかつて発行してぃた『水牛通信』のような雑誌を、ネット上でつくりたいという思いがあった。
(南陀楼綾繁 著『本のある場所を訪ねて』より)
No.2560『世界が驚愕した江戸の医学』
最近、ある人と話しをしていて、クマが街中に出てくるようになったのはクマの頭数が増えたからではないかといいます。昔は、クマ1頭から毛皮から熊胆、そして肉まで、余すところなく利用できたのにというのです。
そういえば、なぜ熊胆が売れなくなったのかという話しから、たしかに「日本薬局方」にも収載されていて、医薬品医療機器等法(薬機法)上の「医薬品」に該当するそうです。しかし、個人的にそれらを製造し販売することはできないので、それは法律違反になります。ただ、昔から、マタギといわれる人たちが熊胆を取りだし作っていたわけで、それを漢方薬屋さんが買って売っていたわけです。つまり、問題は猟師が薬局か否かということです。ここが法解釈上のグレーゾーンになっているように思います。
また、薬ではなく食材として販売するには、今度は食品衛生法とのからみがあります。とくに、肝胆系臓器は寄生虫や微生物汚染のリスクもあるため販売は難しいというのが行政見解です。つまり、どちらにしてもなかなか難しい法解釈がありそうで、それなら手を出さないほうがいいということになります。
ただ、現在のように市街地にクマが出没するようになれば、対策のひとつとして昔のように撃ったクマを余すところなく利用するという考え方もあると思います。ちなみにこの本には、熊胆のような動物由来の漢方薬はあまり出てこないのですが、植物由来のものはある程度取り上げられています。
たとえば、「享保の改革で有名な八代将軍、徳川吉宗は、国産薬草の探索と栽培を振興するため、全国に採薬使を派遣しました。これは、当時の幕府の財政は逼迫していましたが、薬は欠かすことができなかったからです。なかでも薬用人参の調達は中国からの輸入に頼らざるを得ず、さらなる財政悪化を招いたことから、国内における同一・類似薬草を求めたのでした。」という話しも載っています。
また、鍼灸などもよく利用されていたようで、「鍼灸による診断は、主に「四診」と呼ばれる東洋医学独自の診断法に基づいて行われます。四診は西洋医学で用いられる超音波検査や血液検査とは異なり、身体全体を総合的に捉え、不調の原因を探り出すのが特徴です。四診とは、患者の顔色、身体の様子を見る望診、呼吸音や口臭を見る聞診、患者に質問を投げかけ、情報収集を行う問診の診断方法です。それと患者さんの身体に直接触れて診る触診です。これらによって「気の充実度」、「臓腑・経絡の異常、陰陽バランス」などを推察するのです。」と書いてあります。
でも、最近のお医者さんは、患者を見ないでパソコンの画面ばかり見ていると批判されることもありますから、この四診のようにしっかりと向き合う姿勢はいいかもしれないと思いました。
では、なぜ、この本の題名にもなっている世界が驚愕した江戸の医学というのはなにかということについて、具体的には指摘していないのですが、おそらく、華岡青洲の全身麻酔を取り上げているところをみると、それもそのひとつではないかと思います。それについては、「青洲は、中国の医学書などを参考にしながら、麻酔薬の研究を重ねました。チョウセンアサガオ、トリカブトなどいくつかの生薬(薬草)を組み合わせ、1804年に「通仙散」という麻酔薬を完成させました。1804年、青洲は乳ガンを患った女性にこの麻酔薬を投与し、手術を行いました。その結果、麻酔は成功し、手術は無事に終わったのでした。この青洲の業績は、当時の日本だけでなく、世界の医学史においても重要な意味を持ちます。西洋医学で全身麻酔が行われるようになるのはそれから40年近くも経ってからのことでした。」とあります。
たしかに、このことは世界も驚くことだったのかもしれませんが、その当時は鎖国をしていたので、それが諸外国まで知れ渡ったのかどうかはよくわかりません。それでも、40年も先駆けていたということはすごいことです。
それとはまったく違うことですが、春と秋の2回、皇居乾通り一般公開されることがあり、私も行ったことがありますが、その乾通りにあるのが「道灌濠」です。そして江戸城への輸送路として活用された「道三堀」というのがあり、それは天正18(1590)年に徳川家康の命により造られた江戸初の人工の水路だったそうで、もしかするとその濠が続いていたのかもしれないと思いました。その堀の南岸に幕府の侍医、曲直瀬家(2代目道三)の屋敷があったことから、道三堀と呼ばれたといわれています。道つながりといえばそれまでですが、この「道三堀」は明治43(1909)年に埋め立てられたそうで、詳しいことはわかりません。
下に抜き書きしたのは、Chapter4「蘭学による医療革命開始」に書いてあったものです。
「解体新書」は杉田玄白と前野良沢によって翻訳されたと思っていましたが、中川淳庵も良沢邸に集まって翻訳をしていたそうです。しかも、最初は杉田玄白も中川淳庵もオランダ語は読めず、良沢が多少オランダ語の知識もあるだけだったそうですが、2年ほどで翻訳の目処がつき、翌年の1774年に玄白の友人である奥医者の桂川甫三経由で将軍に献上したことで観光できるようになったといいます。
でも、「ターヘル・アナトミア」を見て、さらに小塚原の競馬で実際の腑分け(解剖)を見て、これを翻訳しようと思ったところがすごいと感じました。これが時代の勢いというか、これは是非とも必要だという強い思いなのかはわかりませんが、その後の日本に大きな影響を与えたことは間違いありません。
(2026.7.6)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 世界が驚愕した江戸の医学(SUPERサイエンス | 齋藤勝裕 | シーアンドアール研究所 | 2026年4月22日 | 9784863545076 |
|---|
☆ Extract passages ☆
「解体新書」が刊行されるとその影響は大きく、早速、江戸に蘭学者の集団が形成されました。日本の近代科学はこのときに始まったともいわれています。
これを契機にオランダ語の理解が進み、医学だけでなく、天文学、地理学などさまざまな分野の書籍が翻訳・出版されるようになりました。蘭学は、その後、江戸だけでなく、京都、大坂など各地に広がりました。
解体新書が医学に与えた影響としては、次のようなことが挙げられています。
・人体の内外を客観的に観察する医学観をもたらしたこと
・漢方医学にない器官として膵臓〈「解体新書」での訳語は大機里爾(オーキリイル)〉などを指摘したこと
・現在でも使用されている「神経」「軟骨」「頭蓋骨」などの適切な訳語を作⊃たこと
(齋藤勝裕 著『世界が驚愕した江戸の医学』より)
No.2559『遅咲きというしあわせ』
副題が「焦らず、騒がず、静かに「時」待つ」で、自分の遅咲きの経験から導き出したような言葉です。
著者も歯車の噛み合わなくなることを何度も経験し、そこから無理矢理抜け出そうとしても抜け出せないということがあったそうです。「こうなったら、打つ手はこれしかない。気持ちを落ち着けて、次のチャンスを待つことだ。まずは、目の前にある、今すべきことに集中する。気持ちがすさんでいる時こそ、何かに没頭する時間が必要になる。没頭するためには、大いに遊ぶべきである。真剣に遊ぶべし。そして、次のチャンスを待つのだ。」と書いてます。
たしかに、この世の中、何をやってもうまくいくときもあれば、まったくダメなときもあります。しかし、そういうときこそ、何かに没頭することが大切だと私も思います。それで何度か救われたこともあります。いわば、気持ちの切り替えです。
ただ、私のように後期高齢者になると、体の不調も多くなります。そのような時には、「なるほど、歳を取るとはこういうことか、と日々発見がある。面白いことだが、面白がってばかりもいられない。どう折り合いをつけるか、考えなければ長もちしないからだ。……まずは、自分の身体が発する声に耳を傾けることだ。その日の調子をしっかりと把握することから始まる。それができていなければ、せっかく咲いた花も枯れてししまう。その上で、「頑張りすぎない」こと。急に張り切ったり無理をしたりはしない。休息も十二分に取る。特に重要なのは睡眠だ。」と書いてあり、この「自分の身体が発する声に耳を傾けること」が大切だと思います。
だから、一人旅の場合は、とくに旅先で不調になったら困るので、1泊の場合は2泊、2泊のとこには3泊することにし、無理な日程は組まないことにしています。以前は、1日で美術館を3つも4つも回れたのですが、今は多くて2つ、理想は1つだけを観ることにしています。そして、館内の施設でゆっくりと食事もします。そうすると、その美術館の印象もだいぶ残るような気がします。
それと、1度観たことがある常設展でも、年を重ねてから観ると、また違った印象を受けます。やはり、これなども時間の醸成が必要なのかもしれません。
そういえば、最後のほうの「失敗したって人生の残りはわずかだ」に書いてあったものですが、「もし、あなたが高齢者もしくはそれに近いなら、ためらうことはない。やりたいことは、躊躇せず変革を選び、挑戦をすべきである。そもそも失敗したとしても、そのダメージを抱えて生きる時間は限られているではないか。挑戦・変革することは、たとえ何歳であっても、そこからの人生を自由
かつ豊かにしてくれるのだ。」とあり、たしかにそうだと思いました。
これからいくら生きても10数年だとしたら、今、やらなければ一生後悔して生きることになります。たとえ、新たなことに挑戦したとしても、できることは限られているとしても、しないよりはしたほうがいいのは、老若男女、みな同じです。
今は、今しかない、というのは真実です。
下に抜き書きしたのは、「未来のために今を憂うのは無駄な時間だ」に書いてありました。
これは、著者の連れ合いがレバノン支局からエジプト支局に転勤したときに同伴して行ったときのことです。やはり、旅行者として行けば、ゆつくりと考える時間もなければ現地の人たちとの触れ合いもないのでエジプトの人たちの時間の感覚まではわからないと思います。
そういえば、岩波文庫の「ブッダ最後の旅」大パリニッバーナ経によれば、お釈迦さまの最後の言葉は「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』と。」と書いてあります。つまり、時間は止まることなく一瞬一瞬が過ぎ、決して過去に戻ることもありませんし、明日何が起きるかもわかりません。だとすれば、今、このときを大切にし、修行を続けなさいというような意味になります。
この最後の言葉に、世の中をどのように捉えるのか、今何をすべきなのかが凝縮されているように思います。
また著者も、この「エジプトでの体験によって、私の時間の概念は根底から変わった」といいます。
(2026.7.3)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 遅咲きというしあわせ | 下重暁子 | 徳間書店 | 2026年3月31日 | 9784198661403 |
|---|
☆ Extract passages ☆
しかしエジプトの人々は、時間を「今、この場」から始まるものとして生きている。未来は「今、この瞬問」から生まれていくものであり、誰をも縛るものではない。
夜の砂漢を行く老人にとって、何時に到着するかを考える以前に「着いた時が到着時刻」なのだ。目的地や予定に追われることがないから、不安や焦りがない。
私たちは、未来の予定に縛られているから不安になる。人生を俯蹴して定年や結婚、住宅ローンなど、すべてを「逆算」で考えてしまう。だが、本来の時間とは、今、自分が生きているこの場から先へと静かに流れていくものなのだ。……
ピラミッドを眺めながら思った。近視眼的な時間を生きていては、あの規模のものは到底作り上げることはできない。出来上がった時が完成の時。そんな感覚だったのではないか。
(下重暁子 著『遅咲きというしあわせ』より)
No.2558『脳がないのにクラゲも眠る』
私は枕に頭を付けるとすぐに寝てしまうので、あまり睡眠には関心がないのですが、この本の題名の『脳がないのにクラゲも眠る』を見て、そういえば人間も含めて、眠るってどういうことかと興味を持ちました。
昔は、脳を休ませるために睡眠をとるのではないかと聞いたことがありますが、じつは違っていて、この本には「私は眠気の元を睡眠負債に比例する脳の疲れと呼んでいて、……覚醒時間に比例して起床後に徐々に増えていきます。そして眠る前に最高値に達して、眠った時間に比例して減少します。もし、増加の速度と減少の速度が1対2であれば、16時間覚醒後、8時間の睡眠で、翌日の起床時までには脳の疲れが完全になくなって、前日と同じ量まで戻ることになります。例えば、普段より少し早起きした日は睡眠負債は普段より早く増え始めるので、夜は早く眠くなります。逆に寝坊すると、睡眠負債が遅く増え始めるため、眠くなる時間が遅くなります。いつも通り起きた日でも、途中で昼寝をしてしまうと、そこで睡眠負債が減ってしまうので、やはり眠くなる時間が遅くなります。」と書いてありました。
つまり、睡眠というのは、寝だめもできないし、夜早く寝たとしても朝には早く目が覚めるということです。
では、本当に脳のないクラゲも眠るのかという本の題名ですが、なんかネタばらしのようにもなりますが、「サカサクラゲは浮いているより水底でさかさまになっていることが好きで、容器の底に近いところで傘を開いたり閉じたりしています。底が動く容器の中に入れて、底だけ下に動かしてクラゲを浮いた状態にすると、すぐに下に向かって泳いで、底に近づきます。ところが、夜になると、この傘の開閉回数が昼間の3分の2程度と少なくなることに加えて、底の位置を変えても、しばらく浮遊したままになり、眠っているような変化を示しました。また、この夜の時間帯に、20分ごとに10秒間の水流を当てて、刺激をして動かしたところ、翌日の日中の活動量が落ちました。しかし、起きている昼間に同じような刺激を与えても、その後の活動の量に影響はありませんでした。これらの結果から、夜の休息状態には睡眠とみなせる特徴が認められました。」とありました。
研究者というのは、いろいろな観察をしてデータを集め、そこから新たな視点を見つけたり、今までの仮説を覆すような発見をしたりするようです。かなり時間と手間のかかるものもあり、今の時代に逆行するような手間暇を惜しまない作業です。つまり、好きでないとできないと私は思います。
たとえば、私は植物が好きで、とくにシャクナゲなどは種子を播いて育ててます。それが花を咲かせるまでは、10年から40年ほどかかるものもあり、今年播けば、生きているうちには花を見ることもできません。それで、その実生のなかには、私好みの花が生まれてくる可能性もあり、たとえば、2001年にネパールの友人からいただいた種子のなかから、本来は黄色い花が咲くのに複色系のものが生まれています。
また、実生して50年ほどになる浙江省自生のシャクナゲが、今年もたくさん花を着け、地元紙にも掲載されました。まさに、手間暇を掛けてもできるということは、好きだからこそできると思います。
子どものころ、渡り鳥などはいつ餌を獲り、いつ眠るのだろうかと考えたことがあります。たとえば、イルカについては、この本では、「イルカは完全に寝てしまうとからだの動きが止まって沈んでいきます。15分ぐらいは息を止めていられるので、浅い所なら大丈夫ですが、外洋で15分ぐらい眠ってしまい200mも沈んでしまうと、さすがのイルカでも、そこから海面に浮上するまでに息が切れてしまうかもしれません。だからイルカは、基本的に深い海では寝ずに24時間ゆっくり泳いでいます。でもそれでは脳が睡眠を取ることができないので、1日4時間から8時間ぐらい、完全には寝ずに泳ぎ続けながら右の脳と左の脳をかわるがわる寝かせて脳を休ませているそうです。脳波を見るとそれがよくわかります。なお、水族館にいるイルカは、水槽が浅く熟睡して沈んでもおほれることもないですし、敵もいませんから、ぐっすり両方の脳を休ませる睡眠をとります。夜になると、水槽の底で、仰向けにゴロゴロとなって眠ることもあるそうです。」と書いてありました。
そういえば、人間の場合でも、脳梗塞などで右の脳が損傷すると、体の左側にその障害が現れるといいます。だとすれば、右の脳と左の脳を互い違いに使うということもなるほどと思います。でも、いくら考えても、脳というのは不思議だと思います。
下に抜き書きしたのは、第2章「睡眠研究の歴史と睡眠の意義」に書いてありました。
私も、悪い夢を見るとなにか悪いことが起こるかもしれないと思うことがありますが、そもそもほとんど夢を見ないというか、見ても忘れてしまうのか、悪いことも起きません。だから、この話しには納得です。
ただ、この夢と現実を見分ける方法がないというから、むしろ、こちらのほうが怖いと思います。はっきり夢だとわかることもありますが、なかには「女性が一人で家で寝ている間に乱暴された夢を見て、本当のことだと思って警察に電話したという例もかなりあります」と書いてありました。
もし、その夢のなかで、相手の顔をはっきり覚えていて、それで訴えられたら、災難です。
(2026.6.30)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 脳がないのにクラゲも眠る | 粂 和彦 | 朝日新聞出版 | 2026年2月25日 | 9784022631442 |
|---|
☆ Extract passages ☆
なお、悪夢を見るのは、精神状態が悪いのではないかと心配される方がいます。心的外傷後ストレス障害(PTSD)の場合のように病的なこともありますが、全く普通の人でも、夢の7割は怖い内容をともないます。これは、レム睡眠の時には、脳の中での扁桃体という部分が常に活性化するためです。扁桃体はいろいろな情動で活性化しますが、特に負の情動である嫌な気持ちや怖い気持ちの時に強く活性化するため、夢に嫌な思いを付け加えてしまうのです。つまり、悪い夢を見ることのほうが多いですから、それだけで心配する必要はないです。
(粂 和彦 著『脳がないのにクラゲも眠る』より)
No.2557『アズキの起源』
和菓子が好きで、和菓子といえばあんこ物が多く、その原料のアズキには関心もありました。わざわざ、アズキの花の写真を撮りに行ったこともあります。
この辺りでは、8月の旧盆ころに咲くのですが、ただ、朝早く咲き、午前中にはしぼんでしまうので、撮るタイミングが難しかったです。それでも、あの黄色い花を撮れたときには、朝露で足元が汚れたにもかかわらず、大満足でした。
このアズキ、だいぶ前に調べたときには中国原産と書いてあり、だから中国名の小豆と書くのだと思いました。でも、小豆と書いて中国では「シャオトゥ」と読むのに、なぜアズキと読むのかまではわかりませんでした。
ところが、この本には、「実は、「あずき」というのは「やまとことば」なのである。中国では「小豆」あるいは「赤豆」と書いてシャオトゥと呼ぶ(大豆はタートウ)のだが、その漢字が伝わってきた後でさえ、日本人はアズキをアズキと呼び続けたわけだ。なので、それだけ重要な食べ物だったのだろうなということは想像できる。そしてアズキの語源については、二つの有力な説がある。1つは「あ」は赤を、「ずき」は煮崩れるとか溶けるとかいう意味を表すとする説である。……もう1つは、「あ」は赤、「ずき」は「つぶき(粒木)」が転じたものとする説である。赤い粒のなる植物、は確かに分かりやすいが、どっちかというと前者の方がより有力視されいるようだ。」と書いてありました。
なるほど、どちらの説も「あ」は赤ということなので、いかにアズキは赤い色が大事かということがわかります。
それにしても、原種が「ヤブツルアズキ」だとして、それが赤くて粒も大きくなるまでは本当に長い道のりだったのではないかと思います。そもそも、他の植物が栽培されるまでもとんでもなく長い年月がかかっているはずです。その野生植物を作物とするまでの過程を「栽培化」というそうですが、「その過程で起きた最も重要な変化は「種子の体眠性の消失」(種まきをすれば一斉に発芽すること)、「脱粒性の消失」(完熟した種子や果実が植物体から落ちないこと)、および「可食部大型化」(食べる部分が大きくなること)の3つである。」と書いてます。
このことは、他の食物のことを書いた本のなかにもありましたが、この3つがとても大事ことです。
たとえば、ほぼ毎日食べるお米にしても、ジャポニカ米とインディカ米があることや、おそらく中国南部の雲南省あたりが原産地かもしれないということなどは知っています。ところが、はっきりしたのは意外と新しく、「しかし2025年に、ついに決定的な結論が出た。栽培イネと野生イネ、合せて1000を超える系統のゲノム解析をして、交雑が起きた経緯まで含めて明らかにしたのである。その結果、ジャポニカ米は約1万1000年前に中国南部で、インディカ米は約7000年前にインド北東部で、それぞれ独自に栽培化されたことが明らかになったのだ。その後、ジャポニカ米は西に、インディカ米は東に広がり、互いに交雑することによつてより洗練されたジャポニカ米とインディカ米が形成されるに至った。また、中国の長江流域の遺跡調査から、2万年以上前の地層から野生イネの痕跡が、そして1万1000年前の地層からは栽培化されたイネの痕跡が見つかるに至った。すなわち、我々日本人が毎日食べる日本米の起源は、1万1000年前の長江流域にあることが決定づけられたのである。」と書いてありました。
そういえば、だいぶ前に中国雲南省を訪ねたときに、校倉造りの建物を見つけ、そのときにここら辺りがイネの原産地かもしれないと感じましたが、まさに当たらずとも遠からずでした。
しかし、日本にお米が入ってきたのは弥生時代だといいますから、そうとう昔の話しです。ところがアズキは、縄文時代から栽培されていたということなので、それ以上に長いつき合いです。著者は、この本の最後に、「本書を読み終えたなら、近くのお店で和菓子を買ってきて、それを頬張りながら縄文時代に思いを馳せてみて欲しい。お米とのお付き合いは3000年だけど、アズキさんとのお付き合いは1万年なんだなぁ、と。」と書いてました。
つまり、著者がこの本を書くことになったのは、2025年5月29日発行のScience誌第388巻6350号に、「アズキの起源が日本である」という論文が掲載されたからです。なるほど、これもまた、栽培イネと同じように、新しい発見だと思いました。
下に抜き書きしたのは、第3章「アズキの歴史と我が家の歴史」に書いてあったものです。
私も、よく和菓子を食べますが、普通は砂糖などは、よく「国内製造」と書いてありますが、これは食品表示基準(原料原産地表示制度)では、重量の割合が一番多い原材料に原料原産地の表示が義務化されていて、お菓子の場合は比較的砂糖の割合が一番多いため、原料原産地表示の対象となっているからです。
それでも、アズキの場合にだけ「北海道産」とあるのを不思議だと思っていました。その理由が書いてあり、なるほどと思いました。さらに、昔は「赤いダイヤ」などと呼ばれ、先物取引されていた理由もこれでわかります。
私の古くからの知り合いで和菓子屋さんがいて、最中はほとんどがアズキなので、昔は高くなりすぎて売れば売るほど赤字になったとよく話していました。なるほど、これもよくわかりました。
(2026.6.28)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| アズキの起源 | 内藤 健 | 東京書籍 | 2026年3月30日 | 9784487818884 |
|---|
☆ Extract passages ☆
よく和菓子のパッケージに書いてあるじゃない、「北海道産アズキ使用」って。あれは何で「国産」じゃなくてわざわざ「北海道産」と表示しているのかと言うと、北海道みたいに気温が低いところでアズキを育てると、生長や成熟がゆっくりになるのだけど、そうすると種子も澱粉が詰まった大粒のアズキになるからなの。だから北海道産表示は、高品質なアズキを使ってますよというアピールなのだ。ちなみに北海道の寒さはアズキが生き延びられる限界ギリギリのラインで、例年より寒い年には冷害で収穫が激減してしまうこともある……また脱線した。
(内藤 健 著『アズキの起源』より)
No.2556『生きるための哲学』
裏表紙に、「生きるための哲学など必要ない人は幸福である」と書いてあり、なるほどと思いました。
この本は、もとは2008年12月にPHP研究所から新書として刊行された『「生きづらさ」を越える哲学』を大幅に訂正し、改題したものだそうで、たしかに今、生きづらさをかかえている人が増えているのも事実です。子どもたちの不登校も増えていますし、なかなか就職もできない人もいます。おそらく、自分でいかんともしがたいと思っている人もいます。
だとしたら、このような本も必要ではないかと思い、読み始めました。また、プロフィールに山形大学客員教授とあり、さらに京都医療少年院に勤務されたこともあり、現在は大阪府牧方市の岡田クリニック院長をされているそうです。
それはともかく、「はじめに」のところで、「自分が直面している事態を、どう受け止めればよいのか、どう考えて選択を行えばいいのか。自分に降りかかっているものは一体何なのか。なんの意味があるのか。この苦しさをどうすれば乗り越えていけるのか。どう受け止め、どう考えれば、この困難でつらい状況に押しつぶされずに、生き抜いていくことができるのか。人がそう感じ、苦しみ、悩むとき、人は正解のない問題に、自分なりの答えを出そうとしている。正解のない問いを問うこと、それこそが哲学するという営みであり、まさに万物の霊長たる人間だけが示す特性である。」と書いてあり、やはり人はパンのみで生きるのではないと強く感じました。
まさに、学問としての哲学ではなく、生きるための、生存を支えるための哲学が必要だということです。
この本のなかには、抜き書きしたいのが多くあり、久しぶりに読書カードを何枚も書きました。
そのなかでも、ヘルマン・ヘッセの場合は、子どもの時から甘えられる親はいなくて、結婚も3度もしています。「大人になるにつれ、子どものときのように甘えられなくなるのが普通だ。スキンシ
ップやハグのような、優しく心地よい接触を求めたくても、そうした欲求は、表に出しにくいし、なかなか満たされることはない。一人前の大人としてのプライドや建前、社会的立場が、子どものように甘えることを困難にする。それが唯一許される相手が、恋人や夫婦の関係だが、不幸なことにお互いが安全基地としての役割をうまく果たせていないことも多い。新婚の頃は例外として、次第に
体に触れあったりすることも、気恥ずかしさや鬱陶しさの方が強まって、めつたにしなくなる。本音で語ったり、苦しさを共有することさえなくなっていく。一緒に暮らしながらも、心のつながりは希薄なものとなっていく。良い伴侶に巡り会えるほど幸せなことはない。伴侶が互いにとって安全基地となるか否かで、人生の質は大幅に左右される。」と書いています。
たしかに、子どもにとっても大人になっても、信頼できる安全基地は必要です。子どもにとっての安全基地の話しはよく聞きますが、たしかに大人になつてからも安全基地があるというのは、大切なことです。
この本のなかで、自殺や自傷を繰り返すS子さんのことが書いてありますが、結局は安全基地になるところがなかったということです。やはり、S子さんにとって「結局、ほしかったのは、変わらない愛情なのである。ひねくれて、いじけた、愛情不足の心さえも有無を言わせずに包んでくれる、限りない不動の愛なのである。それをしっかりと確かめることができさえすれば、大きな安心感が次第に蘇り、もう自分や相手を傷つけたり、試す必要もなくなっていく。」とあり、なるほどと思いました。
そして、「とらわれとは不思議なものである。頭にかぶせられた袋のようなもので、取れてしまえば、布きれに頭を突っ込んでいただけのこと、ただ向きを変えればよかったのだとわかるのだが、とらわれているときは、それが容易ではない。七転八倒した末に、半ば諦めの境地になり、力が抜けてきたころ、ふと気がついたら取れているのである。」と続き、それを自分で取るしかないのだと思いました。
下に抜き書きしたのは、第6章「絶望を希望にカエル哲学」に書いてありました。
ここに出てくる「パブロフの犬」という現象は、条件反射の例としてよく知られていますが、いったん条件反射を強制されたとしても、それを消すことができるとは初めて知りました。だとすれば、どんな生きづらさがあったとしても、必ず解決策はあるということです。
また、スペインのバルセロナにある世界遺産「サグラダ・ファミリア」のメインタワーである「イエスの塔」が、2026年6月に完成し、アントニ・ガウディ没後100年の節目となる6月10日に記念式典が執り行われたそうです。まさに、建設開始から140年以上の時を経ています。
ところが、ガウディは経済的困窮と病弱のために、建築学校を留年しながらも卒業し、やっと建築家になった矢先に姉の子の知的障害を持つ姪っ子のロサを引き取らざるを得なくなります。それで恋愛にも恵まれず、生涯結婚することもなかったのですが、40年過ごしたロサを亡くし、それまでいかにロサに支えられていたかを悟ったといいます。
ここには、パール・バックやベートーベン、ヴィクトール・フランクルの例なども書いてありますが、どんなに生きづらさをかかえていたとしても、それがすべてマイナスではなく、大きなプラスになっていたことがわかります。
もし、今、生きづらさをかかえているとしたら、ぜひお読みいただくことをお勧めします。
(2026.6.25)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 生きるための哲学(河出文庫) | 岡田尊司 | 河出書房新社 | 2016年11月20日 | 9784309414881 |
|---|
☆ Extract passages ☆
1924年レニングラード(現サンクトペテルブルク)は、大洪水に見舞われた。ロシアの生理学者イアン・パブロフの実験室も、浸水の被害に遭ったが、そこには、実験用の犬たちの飼育室もあった。幸い、溺れてしまう前に、間一髪人たちを救い出すことができたのだが、実験を再開してみると、獲得したはずの条件反射が起きなくなっていることに気がついた。もう一度条件付け操作をすると、条件反射が起きるようになったが、試しに、命に危険が迫るような状況を再現すると、また犬たちからは、身についたはずの反応パターンが消えていたのである。
さらに、もっと驚いたことに、極限状況に遭遇した犬は、性格まで正反対に変わってしまっていた。大入しかった犬が狂暴になったり、暴れん坊だった犬が逆に穏やかになったりした。まるで、心が入れ替わったように、行動様式が逆転してしまったのである。
(岡田尊司 著『生きるための哲学』より)
No.2555『寂しさへの処方箋』
副題は「芸術は社会的孤立を救うか」ですが、もともとは集英社発行のPR誌「青春と読書」の2024年2月号から2025年7月号に連載した「シン芸術立国論」を元に加筆・修正したものだそうです。
とくに最近は、社会的に孤立することも多いようで、その心の隙間を芸術が埋めることができればいいと私も思っています。そうすれば、いくぶんなりとも、気持ち的には楽になるかもしれないと思います。
著者自身は、「大学での私の仕事の一つは、このような社会における芸術の役割について教えることだ。学生には主に、これを「芸術そのものの役割」「コミュニティ形成や維持のための役割」そして「経済活動など目に見えて利益となる役割」の3つに分けて考えるとわかりやすいのではないかと伝えてきた。1つ目は100年、1000年単位のもの。2つ目は数十年、数百年単位のもの。そして3つ日は5年、10年で答えが出るもの。この点もまた全体を文化政策の問題として捉えた場合には、限られた予算をバランスよく配分することが肝要だ。これはたとえば環境行政と、よく似ている。目の前のドブ川をきれいにすることも大事だが、100年後、200年後の人類のためにCO2の削減もしなければならない。小さな自治体であっても、その義務からは逃れられない。文化政策も同じような要素がある。」と書いています。
たしかに、芸術の役割といわれても、なかなか理解しにくいものです。大切だとはわかるのですが、それがどのように大切かといわれると説明するのが難しいのです。
でも、著者がいうように、3つにわけて考えると、少しは理解できます。さらに、環境問題と似たものと考えると、なるほどと思います。アメリカの大統領が地球は温暖化などしていないという考え方も、いかに文化的に低いのかも、よりわかります。つまり、先々のことがよく見えていないのかもしれません。
でも、わかるとか、わからないという判断基準も必要かもしれませんが、知っているとか知らないとかいう視点だけでもいろいろな問題があります。たとえば受験でも同じです。記憶力がいいとか悪いとか、それだけで判断されても困ります。
しかし、試験というのは、はっきりと学力がわかるようにするための方法なのだから、それは仕方のないことだという考えもあります。しかし、若者の一生を左右する大切なことなのに、それだけで判断するのはちょっと性急過ぎるように思います。著者は、「もう一つの大事な視点は、そもそも努力だけを価値尺度にして大丈夫なのかという点だ。確かに一生懸命努力する人も社会にいてくれなくては困るのだが、それだけでは安定性に欠ける。第一努力した人間だけが出世できる強国なシステムを作ってしまっては、たとえば働き方改革は永遠にできないだろう。「ちょっと休みませんか?」と言える人間も組織には必要だ。努力は苦手だが発想の素晴らしい人や、なぜか人を和ませられる人も持続可能な社会には必要だろう。だいたいが、努力を最上の価値とするのは、東アジアなど一部の国の特別な倫理観だ。世界を見渡せば「何を言ってるんだ、人生もっと楽しもうよ」という国や民族だって、たくさん存在するだろう。」と書いてます。
そういえば、海外に行くと、西欧人はホテルにいてものんびりと日光浴をしたり、昼寝をしたり、食事をしたりして過ごします。ところが日本人などは、朝早く朝食を食べ、観光に出かけて、夕方まであちこちまわってきます。しかも、ホテルなども変えるので、大きな荷物を持って移動するのです。
しかし、私はなるべくホテルを変えないようにしているので、ほとんどの荷物は部屋のなかに置いてあるので、身軽に出かけられます。ときには、早くホテルに帰り、のんびりと芝生で昼寝をしたりします。すると、その時間が、とんでもなく貴重な体験のような気がしてきます。
やはり、ものは考え方次第です。
たしかに、努力は大切ですが、それだけを価値尺度にするのは、これからはいささか無理があると思います。ときには、あまり無理をしないで、のんびりとすることも考えないと、せっかくの人生をきゅうきゅうとして過ごすことになります。
下に抜き書きしたのは、第7章「文化格差、体験格差」に書いてありました。
私も、機会があれば遠くまで出かけて、美術館や博物館巡りをしますが、なかなか毎月というわけにはいかないので、もしもっと都会に近ければと思うときもあります。しかし、都会は便利なようで不便なことも多そうで、お年寄りが重い荷物をかかえて駅構内を歩いているときなどは思います。もし、わが米沢なら、車で出かけて、すぐ脇の駐車場に駐めて買いものをすれば、歩くことも少ないし、重い荷物を持つこともあまりありません。
だから、若いときには、仕事は田舎でして、月に1回ぐらいは都会に出かけて、文化的なものに触れるというのが理想かなと考えたこともあります。しかし、若いときにはなかなか実行できませんでしたが、年を重ねることでJR東日本の大人の休日倶楽部パスなどを使い、比較的安く出かけることができるようになりました。
たしかに、今の世の中は格差が開きすぎているようで、少しでもその差を埋めるようにしていかなければならないと思います。
(2026.6.22)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 寂しさへの処方箋(集英社新書) | 平田オリザ | 集英社 | 2026年2月21日 | 9784087214017 |
|---|
☆ Extract passages ☆
たとえば味覚を育てるのに、美味しいものと不味いもの、安全なものと危険なものを子どもに両方食べさせ、「ほら、こっちが美味しいでしょう、安全でしょう」と教える親はいない。美味しいもの、安全なものを食べさせ続けることによって、不味いもの、危険なものを吐き出せる能力が育つはずだ。あるいは「○○鑑定団」といった骨童品の目利きを育てる際も、本物、いいものだけを見せ続けるのだと聞く。そのことによって偽物を直感的に見分ける能力が培われる。できるだけ若いうちから、理屈ではなくセンスを身体に染み込ませていかなければならない。逆に言えば、本物やいいものに触れる環境にある者だけが、この身体的文化資本を獲得できる。
(平田オリザ 著『寂しさへの処方箋』より)
No.2554『本を読めなくなった人たち』
私はこの『本のたび』を書き連ねているぐらいですから、本は大好きです。ところが、近くの本屋さんはだんだんとなくなり、立ち読みしながら本を選ぶ楽しみも少なくなってしまいました。
そして、この本を見つけたときには、本を読まないということではなく、読めなくなったということに大きな衝撃を受けました。たしかに、多くの人たちは、スマホを肌身離さず、スマホさえあれば何でもできると思っているようです。だから、わからない言葉があればすぐ調べますし、ニュースだってスマホで読みます。
ところが、興味があるから調べるのですが、インターネットの場合はそれが顕著に出ます。この本には、塾講師のBさんが「僕が小さい頃って、たとえば歌番組なんかだと、聞きたくもない演歌が流れていました。だから子供でも演歌が口ずさめた。興味がないものも、とりあえず見たり聞いたりする習慣が養われました。だけど今の人がネットで触れる文章や動画って、自分の好みのジャンルばかりじゃないですか。アルゴリズムでリコメンドされるにしても、自分から探しに行くにしても、興味のあるものしか取りに行かないし、見ない。興味のない事柄に関しては一切触れなくていいのがインターネットです。それに慣れてるから、興味のない説明なんて聞かないし、頭に入らない」といいます。しかし、本を読むことなどで未知や未体験に触れることも大切だし、脳だって使わなければ錆びついてしまいます。それより、使わなくたっていいと考えていまいます。
この本の副題は「コスパとテキストメディアをめぐる現在形」で、本を読むことをコスパ(コストパフォーマンス/費用対効果)やタイパ(タイムパフォーマンス/時間帯効果)で考えること自体、私には理解できませんでした。この『本のたび』の冒頭に、「今時の若者はあまり本を読まないということを聞き、こんなにも楽しいことをなぜしないのかという問いかけから掲載をはじめました。」と書いてますが、楽しいから本を読んできました。まったく趣味の世界です。これを書いたのが、2006年4月22日ですから、まるっと20年前です。私は、そのときから、本を読むことを知らない人たちが多くなると感じていました。
著者がこの本を書こうとしたきっかけは、「怒り。それが本書執筆の原動力だった。苦しくとも、なんとか最後まで書き上げることができたのは、怒りが自分を駆り立てていたからである。もはや今の時代、生成AIに書けない(生成AIにはその情報を取る手段がない)内容のものしか本にする意味はなく、こちらとしても書く気が起こらない。その意味では、足で稼いだ生の声を元に、怒りという感情を燃料にして書かれた本書は、2026年に書物として世に出される意義を一応は満たしていると信じる。」と書いています。
それはそうでしょう。自分の生業のライターという仕事を有形無形のさまざまな阻みとなってきているのですから、それに対する怒りだけでなく、不安や失望もあると思います。だから、「あとがき」の最後に、4歳の息子が大人になるころには、本はどのような存在になっているのか、また、自身が本を書いてるだろうかと疑問を投げかけています。
この本のなかで、なるほどと思ったのは、「本は建築に近い。建築物は、外観、間取り、柱の配置、使用する建材、設備や装飾など、膨大な諸要素で構成されているが、その構造ひとまとまりの提示こそが建築表現のすべてであり、要約したり分解したりして語ることはできない。それ全体の、そのままの提示でしか表現できない性質の芸術だ。読書が、短縮できない時間的体験にその価値を置くのは、建築が、そこを訪れてある程度の時間を過ごさなければ鑑賞したとは言えないことに似ている。」と書いてあるところです。
そういえば、4月の下旬に上野の東京文化会館が大規模改修により令和8年5月7日から2年ほど休館すると聞き、そこから国立西洋美術館を見てみようと思いました。また、それにともない「フォレスティーユ精養軒」の営業もできなくなるので、昭和36年の営業開始からのメニューに載っている「チャップスイ」を食べました。この国立西洋美術館の建設はル・コルビュジエが基本設計を行い、東京文化会館は師弟関係にある前川國男が設計したそうで、それらの建築には多くの関連性があるそうです。
それらを考えながら、国立西洋美術館で開催されている「北斎 冨嶽三十六景 井内コレクションより」を観るために地下3階まで下りました。
そのときのことを思い出すと、「本は建築に近い」というのが実感できます。
建築というのは、全体を見渡すことが大切で、部材や細部にばかりこだわると理解できなくなります。本だって同じで、わからない言葉が出てきても、読み飛ばして流れをつかむことが大切なときもあります。だから、手もとに辞書を置いたりもしますが、ほとんどは紙をはさんでおいて後から調べます。
いちもそのようにしているので、この言葉には共感しました。そして、それら建築物との出合いや、そのなかで出会ったことなどを思い出したりすると、その旅の途中で読んだ本までもつながってきます。
下に抜き書きしたのは、第2章「本を読まない人たち――〈わかりみ〉と〈おもしろみ〉」にありました。
たしかに、〈わかりみ〉だけを考えれば、コスパを重視するのも理解できます。しかし、〈おもしろみ〉については、コスパもタイパも関係ありません。しかも、ネットに頼ってばかりいると、いつの間にか絞り込まれた情報だけになってしまい、個性もなくなります。よく個性を尊重しさらに能力を伸ばそうといいますが、それすら紙に書いた餅のようになってしまいます。
私も山登りをするので、登山のたとえはよくわかりますが、これからも〈おもしろみ〉のある本に出合いたいと思っています。
(2026.6.19)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 本を読めなくなった人たち(中公新書ラクレ) | 稲田豊史 | 中央公論新社 | 2026年2月10日 | 9784121508614 |
|---|
☆ Extract passages ☆
「わかりやすい」文章は、たしかにとっつきがいい。読み終わって「理解・共感・同意」するのも気持ちがいい。しかし本のページを閉じてしまえば、あるいはスマホやPCの画面を閉じてしまえば、それで探求の旅は終わる。
しかし「おもしろい」文章はしばしば、読者がもともと持っていなかった視点の提示から始める。読者は頭を使わなければならない。聞いたこともない概念、初めて触れる考え方の枠組み、使ったことのない言葉がひしめき合う。ゆえに途中で脱落する者も多いが、乗り越えられた者はまったく新しい思考のフレームを得られる。新しい問いが自然と湧きあがってくる。探求の旅はそこからスタートする。
すなわち、〈わかりみ〉とは疑間が解かれて思考を止める際の感情、〈おもしろみ〉とは問いが生成されて思考が始まる際の感情であるとも言える。登山にたとえるなら、〈わかりみ〉とは頂上に到達した際の達成感、〈おもしろみ〉とは頂上から世界を見晴らし、その広大さに喜びをもって圧倒される感覚――と言えるのかもしれない。
(稲田豊史 著『本を読めなくなった人たち』より)
No.2553『クマは都心に現れるのか?』
昨年は、クマ騒動に明け暮れたような気がしますが、この題名のように都心にクマが現れたらと思うとぞっとします。
そういえば、青葉区木町通2丁目にあるマンションの敷地内にとどまっていた体長1.5メートルほどのクマが、14時間後の4月19日午後7時半ごろに駆除されたというニュースがありました。仙台市はよく行くのでわかりますが、近くに東北大学病院もある、いわば街中です。近くに広瀬川が流れているとはいえ、まさかこんなところにクマが出るとはと思うようなところです。
その記憶がまだ残るうちにこの本を見つけたので、読むことにしました。
ては、なぜこのような状況になってきたのかというと、著者は「かつては奥山にクマがすみ、平地に人が住み、中山間地域に人がいて林業や農業をしており、その中山間地域がクマと人を隔てるバッファー(緩衝地帯)になっていた。しかし、農業人口の高齢化と後継者不在、過疎化などによって中山間地域が消失し、バッファーとして機能していたエリアがなくなってしまった。一方、動物たちはしたたかに、人がいなくなったところに分布を広げていく。その結果、人とクマの間の物理的な距離が縮まってきた。人とクマの居住地が隣り合うような、あるいは重複するような状況が各地で生じてきたのである。」と書いています。
たしかに、私の子どものころから今まで、野生のクマと出合ったことはありません。むしろ、ある人がクマを獲ったと聞くと、珍しくて見に行ったこともあります。小国では、昔からクマ祭りが行われていますが、遠くからも見学に来るといいます。
しかし、ここ数年、近くにクマが出たという話しを聞きますし、小町山自然遊歩道でも、杉の木の皮がクマによってはがされる被害も確認できました。そして2025年になると、街中にも現れたというニュースか流され、最近は怖さを感じます。
そのなかでも、「クマという生き物は非常に好奇心が強い動物である。同時に、特に食べ物に対し、とても探索能力の高い動物でもある。これまで、これらの強い好奇心と食べ物への高い探索能力を人の前で出すことは少なかった。なぜなら、人への警戒心がストッパーになっていたからだ。ところが、こうした警戒心が抜けてしまうと、ただ好奇心の強い探索能力の強い動物としてのクマになる。人や人の生活圏に対する好奇心が芽生え、警戒心が弱まったり、警戒の閾値が低くなったりした状態で食べ物があることを察知すれば、そこを徹底的に探索する。」といいます。
だから2025年のクマ騒動のときも、屋敷内の柿の木にクマが何度も来たとか、米置き場に来て、袋を破って食べたとかいう話しがいくつもあります。私がこの本を読んでびっくりしたのは、子グマが大きくなる前にオスによる子殺しがあるというのです。しかも、それで命をなくす子グマが7割以上もあるらしいです。
よく、ライオンの殺しは有名で、いろいろな本にも書いてありますが、クマも同じで、「オスは子殺しによってメスを発情させて交尾を促す動物である。この行動により、オスから受ける一つの圧として、子連れの母親が人里へ追い出されてしまうようなケースも十分に考えられる。海外のある地域で観察された子育て中の親子グマは、オスが子殺しをする繁殖期の間、あえて人間が住んでいる場所の近くにいることが多かったという。一般的にオスのほうが人間への警戒心が強いので、人間のいる場所には近付いてこないことが多い。母親は、こうしたオスの警戒心の強さを利用して、人間の近くで子育てをするのである。この事例では、秋になると母親は子を連れて奥山に戻っていったという。」と書いてありました。
だとすれば、2025年のクマ騒動の一端も、母クマがオスを警戒して、人の暮らすところに下りてきたのかもしれないと思いました。
それと、なぜクマの好む広葉樹のドングリが豊凶を繰り返すのかという問題です。それも、この本に書いてあり、「クマが出没しないために、山にドングリが実る広葉樹を植林し、クマの食べ物を増やしたらいいのではないかという話もよく聞かれる。しかし、山にクマの秋の食べ物であるドングリが実る木を植えても、クマの大量出没はなくならない。むしろ出没の規模が大きくなり、より多くのクマを捕獲しなくてはいけなくなるだろう。理由としては、ドングリの 豊凶は、樹齢に関係なく広範囲で同調する。したがって、新しく植栽しても豊凶はなくならない。さらに、広葉樹林を増やせばクマの食べ物を増やすことになる。数を増やすことにつながる、過去40年間のクマの状況を見てわかる通り、森が広がればクマの数は増える。」といいます。
つまり、ドングリは植物の性質上、まわりの木々と同調してしまうようで、成るときはいっせいに成り、実らないときにはいっせいに実らなくなるそうです。しかも、ブナの場合は、前年の秋に豊凶が推測できますが、ミズナラやコナラ、クリなどは花が咲いたとしても実がなるかどうかは別な問題でそれがわかるのは8月ころにならないとわかりません。
やはり、自然界というのは不思議なもので、なぜ同調するのかもはっきりとはわからないようです。
下に抜き書きしたのは、第5章「クマとの共存――人とクマの新たな関係を築く」にあったものです。
たしかに、あんなにも凶暴な熊をそのままにしておいていいのか、という意見もあります。しかし、人が日本に住むようになったずっと前からクマがいたようです。それを後からきた人がすべて奪ってよいという論理はありえません。
やはり、著者がいうように、クマとの共存を図るのがよりベターだと思います。そして、クマの棲むところと人が住むところをゾーンで分けて、なるべくなら関わらないようにするとかなさそうです。やはり、クマに襲われたら、困ります。だから、人を襲うようなクマは駆除するしかないとは思いますが、その関係を築くまではいろいろな軋轢があるのは仕方ないような気がします。
(2026.6.16)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| クマは都心に現れるのか?(扶桑社新書) | 小池伸介 | 扶桑社 | 2026年3月1日 | 9784594102272 |
|---|
☆ Extract passages ☆
私の答えはこうだ。確かにクマは植物の種子を運ぶという役割を持っている。他の鳥やサルに比べると非常に広い範囲で、非常にたくさんの種子を運ぶ。森の中の植物の繁殖を助ける上で、他の種子の散布動物が持っていない役割をクマが果たしているのは間違いない。つまり、森が森であるためにはクマも必要な存在であると言える。だが、九州からクマがいなくなってまだ80年しか経っていない。植物の寿命は100年、200年だ。植物の世代交代は、気の遠くなるような時間軸で繰り広げられる。毎年毎年果実を何万粒も実らせ、種子を動物や風を使ってどこかにまき、その中から一粒か二粒でも根付いて成長してくれれば、世代を更新できて大成功というようなことを連綿とやってきたのだ。
(小池伸介 著『クマは都心に現れるのか?』より)
No.2552『理科の先生のメガネ』
副題は「かけてみると世界が変わる」です。
たしかに、サングラスをかけると日差しを和らげることはできますが、色が変わってしまいます。この本のなかで、多面的と多角的の違いが出ていて、たとえば、「あの人が嫌い」などとネガテイブな感情が湧いてきたときには、「嫌いになった行動の原因を想像して、なぜその人がそのような行動をとったのかを別の視点で考えてみる。これを「多角的」に考えると言います。例えば、行動を起こしたのには事情があり、仕方のない理由だったかも知れません。あなたのためを思って行動していたのかも知れません。そんなことを想像するとちょっとは気持ちが楽になるかも知れません。また、嫌いになった人の良いところに無理やり目を向けてみると、良い面も発見して見直すかも知れません。これを「多面的」に考えると言います。多面的と多角的はとても似ているので、これらの違いをもう一度整理します。多面的に考えるとは「いろいろな立場や見方で考える」こと。多角的に考えるとは「いろいろな方法を考える」ことです。」と説明しています。
たしかに、ものの面と角では、目の付けるところが違います。「面」とは、小学校3年生で習う常用漢字ですが、顔、表面、仮面、方向、平らな広がりなどを意味します。また「角」は、小学校2年生で習う教育漢字だそうですが、物の尖った部分や図形の角度などを指します。
そう考えると、たしかに違うことはわかりますが、意外とそこまで厳密に使い分けてはいないような気がします。
それと同じで、観ると見るも違います。この本では、「観る」は、眺めるという英語のseeではなく、英語のobserveだといいます。つまり、「そのものの特徴をとらえるためにじっくりと見ることです。……「観る」と「気付く」は表裏一体です。観察の「観」はじっくりと見ること、「察」は気付くことです。観ることによって新たな気付きが生まれ、気付くことでより観ようとします。」と書いています。
私はなんとなく目に入ってくるのを「見る」といい、自分の気持ちを込めてじっくりと見ることを「観る」と考え、博物館や美術館などでは「観る」を使います。
そして、気に入った絵や陶磁器などは、鉛筆で気付いたところを書いたりしますが、最近はスマホで写真を撮ってもいいところが増えました。やはり、自分の考えをまとめるには、文章にしたり、絵を描いたり、人に話をしたりすると記憶に残ります。最近の若者は、codoを書いてアプリをつくることもしているようです。
やはり、見たり聞いたりしたことをそのままにしておかないで、なんらかの形で残すことも大切です。そういう意味では、私の場合は、植物を説明するのは難しいので、毎日の変化を写真を撮って残しています。それをパソコンに記録しておき、ときどき引っ張りだして見ています。それがまた楽しいのです。
下に抜き書きしたのは、「はじめに」のなかに書いてあったものです。
よく、学校で習うものは、ほとんどが忘れてしまい、あまり役に立たないといわれますが、国語とか算数などはそれなりに役立ちます。また、理科なども、科学的に思考法を身につけることで、役立ちます。そう考えれば、学校で習ったものは、陰に陽に、それなりに役立つと思います。
忘れてしまうのは、試験のときだけ一生懸命に勉強するので、それが終われば身につかないのかもしれません。この本は、中高生のために書いたと「おわりに」に書いてありました。その最後に、理科の先生になってほしいとは思いませんが、「でも自然に目を向けて身の回りに気が付く人になって欲しいと思っています。目を見開き、丁寧に世の中を観ると新たな気付きが生まれます。私が目指す寛容な社会の実現のためには気付ける人が必要です。最も大切な力は「気付く力」です。寛容な社会の中で、自分らしく、そして誰かのことを思いやりながら生きていくことができるのならば、それが「幸せ」だということではないかと思います。」と書いています。
たしかに、この「気付く」ということは、とても大切なことで、気付くからこそいろいろな問題も解決できると思います。
(2026.6.13)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 理科の先生のメガネ(ミネルヴァ サイエンス ライブラリー) | 矢野充博 | ミネルヴァ書房 | 2026年2月20日 | 9784623099948 |
|---|
☆ Extract passages ☆
学校で理科を学ぶ意義をものすごく簡単にまとめると二つです。あなた自身の人生を豊かにするためと、科学の発展に貢献するためです。もう少し丁寧に言うと、自然の事物や現象を観察する感性や心を磨きます。そして、自然に対する理解やものの考え方を身に付けます。先人たちが見付け出した原理や法則について学び、これからの生活に役立つ力を養います。これらのことが心豊かに生きていける世界の実現や科学の発展に貢献することに繋がります。
(矢野充博 著『理科の先生のメガネ』より)
No.2551『人間とは何だろうか』
副題は「脳が生み出す心と言葉」で、本文は対話形式になっていて、いわば小説のような仕立て方です。だから、とても取っつきやすく、難しい問題でもわかりやすいと思いました。
たとえば、イヌをめぐる対話では、『「たしかに、英単語を何百、何千と覚えても、それらをうまく組み合わせない限り、英語で話せるようにはならないわ」と筆子はしきりとうなずいていた。「そう、人間には組み合わせを作る能力があって、その能力こそが「知能」なの。たとえば、十個の名詞と、十個の動詞を互いに組み合わせただけでも、「○○が○○を○○した」といった文を何百と作れるわけ」「今までそんな簡単なことも思いつかなかったな。要するに、単語より組み合わせのほうが大切なんですね」と富人もうなずく。「そういうこと。だから人間の言語獲得と、犬の単語学習とは、科学的に比べることすらできないのよ。専門家でも、そうした基本的なことを分かろうとしない人が意外と多いのよね……」と江田が眉を寄せた。』と書いてあり、人間の語学獲得の様子を描いています。
これを考えれば、外国語も同じで、単語をいくら覚えても話せない、ということがよくわかります。
だから、実際に外国に行き、そこで生活するには覚えざるを得ないから、なんとか話せるようになるのかもしれません。私も、もう少し若かったら、もし語学留学でもしていたら、もしかすると話せるようになったいたかもしれないと思いました。
たしかに、正面切って『人間とは何だろうか』と話しかけられたら、とっさには答えようがありませんが、このように、言語獲得などに限定して話しをすると、なんとなくわかるような気がします。
このなかで、代田は「それは、脳の神経回路のプログラムとしてあらかじめ備わっていると考えるしかない。教わらないんだからね、当然さ。それに鳥の鳴き声とは違って、そのプログラムは具体的な言葉そのものではなく、言葉のまとまりを生み出す能力なんだろう」と話します。だから、犬や鳥などと違って、その能力を使って、詩を書いたり、歌を作曲したりできるのだと説明します。さらに、筆子は「鳥はいくら美しい鳴き声で歌えても、創作はしませんからね」と応じるのです。
このように、古代人や現代人とも対話しながら、人間とはなんだろうと考えます。
私がこれはと思ったのが、「自ら体験していないことは、記憶に基づく想像力が十分に働かないのです。感情といった深い体験を伴わない知識だけでは、相手の気持ちを想像するのに限界があるということです。曇りのない目で対象を見ることが苦手な人では、片想いは当たり前ですし、わだかまりや争いごとがなかなか氷解せず、互いに疑心暗鬼になってしまいがちです。」という点です。
たとえば、テレビなどで世界遺産を放映したとしても、そのニオイとか喧噪とか、もっといえば空気感みたいなものは伝えられません。現地の食べ物だって、自分が食べてみなければ味もなにもわかりません。よく、イギリスに美味しいものはないといいますが、私の少ない経験のなかでも、美味しかったという料理はたくさんあります。今でも思い出すのがウサギ料理です。名物のフィッシュアンドフライだって、たしかにお店によって味は違いますが、美味しいところはあります。
また、世界中が自分の国中心の、たとえばアメリカファーストなどを主張していますが、それでは相互理解はできません。だから、意見と意見のぶつかり合いが起き、理解するというよりは、ぶつかったままで進みません。それで、世界平和などできるわけはありません。
そして、結局は力と力のぶつかり合いで、戦争になってしまうのです。
下に抜き書きしたのは、第7章「スーパーインテリジェンスをめぐる対話」のなかに出てくる話です。
たしかに、最近の力と力による紛争は、核の傘の論理なんて空論かもしれないと思うようなことばかりです。とくに、ドローンによる空爆などは、ひと型ロボットではないというだけで、軍人の代わりのようです。しかも、命令された通りに動くだけでなく、殺人をする心理的動揺などまったくなく、まさに戦争の道具です。
もし、それらが結託して人間に反旗を翻したらと思うと、まだSFの世界ですが、このまま進めば、そうなるかもしれない不安は残ります。
(2026.6.10)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 人間とは何だろうか(河出新書) | 酒井邦嘉 | 河出書房新社 | 2025年12月30日 | 9784309631998 |
|---|
☆ Extract passages ☆
「科学技術の産物は、それ自体に元から価値があるわけではなく、それをどう利用するかは人間次第ですからね」
「そうそう、石器や青銅器、鉄器などの発明も、文明の利器として使うのか、武器として使うのか、あらかじめ決まっていたわけではないですよね」と筆子。
「火薬やダイナマイト、そして原子力も同じでしょう。宇宙開発もまた、軍事力と背中合わせですからね」と富人が付け加えた。
井田は眉をひそめて言った。
「いわゆるデュアルユースの議論すら経ることなく、自律型ロボット兵器のように、人間がコントロールできない破壊兵器がすでに開発されています。それらをいかに使わないかも人次第なんですよ」
(酒井邦嘉 著『人間とは何だろうか』より)
No.2550『おいしい文藝 まるまる、フルーツ』
このシリーズは、「ずっしり、あんこ」や「こぽこぽ、珈琲」などを読みましたが、何れも食べ物に関する随筆です。いろいろな人の、いろいろな見方考え方がわかり、短い文章ながら要点をついていて、なるほどと思ってしまいます。
この本は、私の大好きなフルーツなので、あっちを読んでも、こっちを読んでも、つい同意してしまいます。季節によって果物も変わるので、春夏秋冬と果物を対比させて記憶していることもあります。
たとえば、夏ならば、やはりスイカです。この本のなかでも、堀江敏幸さんの「西瓜の味」では、スイカの切り方もいろいろだとわかります。これには、「ミカンの皮をどちら側から剥くか、実についている繊維を取るか取らないかという問いとおなじで、正解なんてどこにもないのに、育った環境でたまたま教えられたやり方がぜったい正しいとみな信じ込んでいる。」と書いています。
また、京都にいたときのことですが、スイカに砂糖をかけて出されたときには、びっくりしました。私はスイカには塩だとばかり思っていたので、それは衝撃的でした。また、中国に行ったときに、スイカのジュースがあり、試しに飲んでみたのですが、砂糖水にスイカの味が少ししただけでした。
中国といえば、だいぶ前のことですが、道路のわきに「果皮箱」というのが置いてありました。この本の戸板康二さんの「くだものの皮」にも書いてあり、それは昭和48年に訪中文化代表団の副団長として訪中したときのことでした。そこには、「中国の都市の広場や公園に置かれているゴミ入れには、「果皮箱」と書いてある。むかしは紙屑でも何でも道に散らかし放題だったという話を聞いたが、新しい中国になって、すっかり清潔になったのだ。果皮はもちろん、くだものの皮だが、北京や上海のホテルで、食卓に最後に運ばれて来るのは、リンゴが多い。」とあり、私の記憶ではそのリンゴも小さくてあまりおいしいものではありませんでした。
私自身の思い出では、中国語を教えてくれた山大大学院の学生がお里帰りをするときに連れていってもらったのですが、上海から蘇州まで汽車に乗ると、その窓際のフックにレイシをぶら下げて食べたことです。1つむしり取っては食べ、また取っては食べして、蘇州に着くころにはほとんどなくなりました。
また、夏といえばメロンもそうですが、今ではほぼ年がら年中お店には出ているようです。向田邦子さんの「メロン」という文章には、「一度でいい。一人で一個、いや半分のメロンを食べてみたいと思っていた。ひとりで働いているのだから、しようと思えば出来ないことはないのだが、果物に三千円も四千円も払うことは冥利が悪くて出来ないのである。」と書いてあります。
じつは、私も常々思っていて、2024年7月に北海道の富良野に行ったときに、たまたま知り合ったメロン農家の方から格安にわけていただき、車の後部座席にたくさん載せて帰りました。しかも、苫小牧西港から出るフェリーのなかでも、夕張メロンと沖縄マンゴウを食べ比べしたりして、帰宅した翌々日に仙台にそのメロンをお土産に届けるという理由で、1泊しました。そのときに、大きな富良野メロンを持っていき、食べる少しまえに冷蔵庫に入れ、半分に切って、それを全部食べようとしましたが、一気には食べられませんでした。半分を残し、翌朝にも食べましたが、1個まるまるはチャレンジしたもののできませんでした。向田さんも「私は平常心をもってメロンと向かい合うことができない」と書いていますが、私も少し構えてしまいます。やはり、たかがメロンされどメロンです。
そういえば、生島治郎さんの「吉行淳之介とドリアン」という文章のなかに、バンコクへ吉行淳之介さんと旅行したときに、ホテルでドリアンが出なかったので、ホテルのルームボーイに頼んで市場に連れて行ってもらい、買ってきて部屋で食べたといいます。生島さんはおいしくなかったといいますが、私が2015年にカリマンタンのバリッパパンの露店で食べたドリアンは、これぞ果物の王様だと思える味わいでした。でも、ホテルには持ち帰ることはできず、残念な思いをしました。
今でも覚えていますが、中は白っぽいのとオレンジ色のものなどがあり、いくつか割ってもらい、食べ比べをしました。
この本のなかで、モモが好きというのを何人も書いていますが、三浦しをんさんの「夏の思い出」のなかに、「いただき桃」というのがあり、「桃をくださったかたの気持ちが感じられるからこそ、よりいっそうおいしいのだろう。桃は私にとって特別な果物だ。麗しい外見のなかにひそむ、天上の果実のごとき甘さ。桃の形状は尻というより、もしかしたら心や魂といったものを象徴しているのかもしれないと思う。」とちょっとオーバーな表現のところがあります。でも、それだけに、モモが一番好きだという作者の思いが伝わってきます。
下に抜き書きしたのは、光野桃「果物の一夜」に書いてあったものです。
その一夜とは、父がボーナスをもらって帰ってきたときのことで、いろいろな果物、スイカ、葡萄、甘夏、パイナップル、ビワなどですが、そのなかに紙に1つ1つ包まれた水蜜桃があったそうです。そのときの様子を描いているのですが、まさに果物好きがよく伝わってきます。
ただ、この後にサクランボを食べるとときのことも書いてありましたが、水蜜桃を食べているときのようなおいしさが、あまり伝わってきませんでした。やはり、山形県人としては、もっとサクランボの美味しさがストレートに伝わるような書き方をして欲しかったと思います。山形のサクランボは、今までは「佐藤錦」が一番でしたが、今は晩生の「紅秀峰」や500円玉よりも大きな「やまがた紅王」などもあり、さらにおいしくなっています。
(2026.6.6)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| おいしい文藝 まるまる、フルーツ | 杉田淳子、武藤正人 編 | 河出書房新社 | 2016年8月30日 | 9784309024950 |
|---|
☆ Extract passages ☆
果物を食べる幸せ 果物ではない、お菓子でもない、それは幸せというものを形にしたとしか思えない味だった。滴り落ちる果汁と、細かい網の目を重ねたような果肉の中に、どこまでも沈み込んでいきたくなるような陶酔感。スライスされたはかない一片を金属のフォークの味とともに噛み締める、いつもの物足りない感じとはまったく違う。芯の近くの、すこし苦みのある青い味も爽やかだった。生まれて初めてまるごと食べる桃に、わたしはただ恍惚となっていた。
(杉田淳子、武藤正人 編『おいしい文藝 まるまる、フルーツ』より)
No.2549『運命まかせ』
この本は、「週刊新潮」の2023年6月29日号から2024年7月4日号まで連載していた「曖昧礼讃ときどきドンマイ」から抜粋し、加筆修正したものだそうです。
私は、昔からほとんど週刊誌を読まないので、この連載は知らなかったのですが、読んで見ると著者の生き方がよくわかります。著者自身も「絵画と違って文学は頭脳的行為です。思想と観念をもとに、言語という媒体を通して創作されていくものですが、絵画は全くその反対の肉体的行為です。文学の理性や知性に対して絵画は感性と、直感というか、霊感によって、自我を飛び越えた、普遍的領域に魂を飛翔させる宇宙的理念へのアプローチを試みようとするところがあります。」と書いていますが、そうではない作家もいるのではないかと思いました。
そういえば、三島由紀夫が市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部に押し入り、割腹自殺を遂げたのが1970年11月25日でした。その当時、私は大学生で、その前に池袋の東武デパートで開催された「三島由紀夫展」を観たのが11月14日でした。なぜ、覚えているかというと、たまたま図録を買い、今も持っていますが、蔵書印に1970年11月14日と書かれているのです。
つまり、その11日後に三島事件が起きたわけで、著者は「市ヶ谷の自衛隊に突撃する車の中でも全員で高倉健の「唐獅子牡丹」を合唱するなんて、死を目前にしたその瞬間まで三島さんは遊んでいます。どこかで死を超越したところがなければ、本気で遊べないように思います。三島さんの遊びは、どれも悪意がありますが、芸術は悪意の所産ですから、悪意があって当然です。」と書いています。
この本を読みながら、あのときに観た「三島由紀夫展」のことを思い出し、ついでに図録も引っ張り出して見ました。本というのは不思議なもので、いろいろなことがこんがらがって記憶していたとしても、それが何らかのきっかけでつながり始めます。だから、そういう意味でも、本はおもしろいと思うのです。
著者は、もともと積極的に生きるというよりは、流れに任せてしまうところがあるそうです。まさに優柔不断というか、曖味な態度をとってしまうことが多いそうです。それでも、どちらかを選択しなければならないときがあれば、「そんな利害的な側面に出合った場合は、損得で判断しないで、どっちが楽しいか、面白いかで判断するようにしています。損得で判断するとそこにエゴが入つて、大事なことを見逃がしかねません。今は得かも知れないけれど時間の経過でそれが損に早変りすることだってあります。だけど面白いか、楽しいかでの判断にはエゴが介在しません。だから、結果はこちらの方が有利だったということにもなりなねません。」といいます。
今年は午年です。午の話しで有名なのが、「人間万事塞翁が馬」です。辞書的な意味は、人生の幸・不幸は予測不能であり、何が良くて何が悪いか後にならないと分からないというたとえです。まさに、著者の言うとおり、何が有利かはわからないので、それならば「どっちが楽しいか、面白いかで判断する」のもありです。私も、どちらを選んでいいかわからないときには、このような判断をすることもあります。
下に抜き書きしたのは、第1章「五感が朦朧としたままの世界」に書いてあったものです。
著者は、難聴で、しかもに腱輪炎なのでときどき絵筆を左手に持ち替えたりするそうですが、やはり左手だと正確なデッサンが難しいといいます。しかも、視力も落ちてきて、ときには眼鏡も訳に立たないそうです。それでも、朦朧とした自分の絵を観ておもしろいといいます。さらに花粉症で、五感が昨日しなくなってきたといい、だから第六感が頼りだというわけです。
そういえば、今年の4月5日に放送された日曜美術館は「旅するモネ 新しい光を求めて」でしたが、そのなかでもクロード・モネは白内障を患っていたと話していました。今年は没後100年を迎えたこともあり、アーティゾン美術館でも、「モネ没後100年 クロード・モネ ー風景への問いかけ」の特別展が2026年2月7日から5月24日まで開催されました。
私はたまたま大学の同期会が5月21日に開かれたので、これに参加しながら、この特別展も観てきました。これは、オルセー美術館所蔵の約90点に加え、国内の美術館や個人所蔵作品などを併せて約140点展示され、風景画家としてのモネの魅力満載でした。どちらかというと、モネというば睡蓮が有名ですが、故郷のノルマンディや印象派を確立したアルジャントゥイユ、そしてブルターニュやロンドン、ヴェネツィアへと旅して描いた作品もありました。
著者がいうように、ハンデを感じさせない画業に、私はベートーベンの耳が聞こえないのに偉大な作曲をした姿と重なる部分を感じました。
(2026.6.3)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 運命まかせ(新潮新書) | 横尾忠則 | 新潮社 | 2026年2月20日 | 9784106111150 |
|---|
☆ Extract passages ☆
残こされたのは第六感。だからこの第六感が頼りです。第六感は子供の頃から特技のひとつで、現在も健在です。画家のモネは白内障のために、晩年の絵は、ほとんど見えないまま描いていました。まあ、殴り描きですが、このハンディを生かした絵によってモネは抽象画家の先駆者になっています。僕も腱鞘炎のために、かなり、具象画が抽象化して、内心は喜んでいます。ルノワールも手が不自由で、手に筆を巻きつけて描いていたといいます。ハンディはハンディのままで元の健康な状態に戻す必要はないように思います。加齢と共に肉体のあちこちに想像もしないハンディが現われますが、それはそれで、老齢の自然体だと認識すれば、また新たな世界が開け、未知の体験が可能になって、「面白い!」と思えばいいんじゃないでしょうか。
(横尾忠則 著『運命まかせ』より)
No.2548『物語化批判の哲学』
ちょっと難しそうな題名ですが、副題は「〈わたしの人生〉を学びなおすために」です。たしかに、ときには学びなおすことも大切ではないかと思い、読むことにしました。
著者は、序章「人生は「物語」ではない」のところで、「世界は物語だけでできているわけではない。人生そのものは物語ではないし、物語的に生きることが常に善いわけでもなく、美しいわけでもない。私にとって人生とは、さまざまなことが巻き起こり、出会いと別れがあり、楽しい会話や鮮やかな瞬間があるものであるが、それらを、特別、物語の形で語りたいとは思わない。物語的ではない生を私は生きられている。」と書いています。
最近のテレビ番組のなかで、いかにも物語風に着色したような報道があり、これって盛りすぎではないかと思うときがあります。また、スポーツ番組でも、物語になりそうなところだけをピックアップして流す傾向があり、ちょっと嫌な感じもしていました。そのようななかで、この本を見つけたのです。
たしかに、多くの人たちは、強い物語の引力に引き寄せられたりするのは多いかもしれないが、その物語がすべてだと思ってしまう危険性もあると思います。
では、なぜ、物語化すると悪いのかというと、著者は、「まず、物語を通した理解の願いはときに誤解と欺肺に陥る。自分に馴染みのある物語を使って他人を理解しようとするとき、それは抑圧をもたらす。第二に、物語を通じて画面の向こうの誰かと情動をリンクさせたいという願いは、その人がもともと持っていた情動が、誰かの思惑通りに上書きされてしまうことや、可能だった別の仕方での情動理解の可能性を狭めてしまうことにつながる。誰かのデザインした情動に、自分の情動がチューニングし始めてしまうのだ。第三に、物語を用いた自己像の探求は、ときに、凝り固まった自己像を作り出す。自分のアイデンティティを確立することが行きすぎると、特定のあり方の枠に自分をはめて、硬直化したアイデンティティを生きることになってしまう。」といいます。
やはり哲学しようとすると、なんとも難しく表現してしまうようですが、なんどか読むと、なんとなく理解できます。つまり、私がテレビなどを見ていて感じる盛りすぎではないかというような感情です。
著者は、この後で、ゲームやパズル、そしてギャンブルなどを取り上げます。
たとえば、ゲームなどで、行き詰まるとリセットという手段がありますが、それについて、「現代のデバイスやアプリ、SNSは一瞬でリセット(アカウント削除・引越し)できる仕組みを備え、気まずい関係や失敗を「なかったこと」にしやすくなっている。確かに、苦しい関係からはいくらでも逃げるのがいい。しかし、もしその関係が大事だと思うのならば、関係がこじれ、失敗が積み重なったとしても、そこからもう一度挑戦し、続けていく道を選ぶこともできる。現実には、たとえ一度リタイアしたとしても、別の形で人生を「続ける」ことが可能であり、ぜひとも続けなければならない。」と書いています。
やはり、このリセット癖がつくと、世の中のすべてがリセットできるような感覚になるかもしれません。だから、いとも簡単な動機で人を刺したり、SNSで脅迫したりなどもするようです。でも、この世界では、簡単にリセットなどできません。むしろ、それを引きづって歩くしかないのです。
よく、若い人たちが時間をもてあまして、退屈だという話しをするのを聞いたことがありますが、年を重ねて何もすることがなくなってからいうなら、わからないわけでもありません。つい、退屈だから、ゲームをしたりギャンブルをしたりしていては、もったいないと思います。
この本のなかで、退屈の哲学を論じたマリウシュ・フィンキェルシュタインの解説を載せています。
1つ目は「状況的退屈」と呼ばれる。これは、日の前の状況に関心が湧いてこず、そこから自分が離れている状態だ。たとえばあなたが高校一年生で、まったく知り合いのいない三年生の卒業式を眺めているとき、あなたは状況的退屈の状態にある。
第2に、状況的退屈が日常的に繰り返されると、「慢性的退屈」の状態になる。
第3に最も深い退屈としての「実存的退屈」がある。これは人生全体に対して退屈している状態で、関心を向ける対象も、向けるべき方向性もない気分だ。
と書いています。この高校生の卒業式のたとえは、よくわかります。だとすれば、退屈をそのままにしないで、退屈でないようにその矛先を向けていくことが必要です。
下に抜き書きしたのは、第5章「おもちゃ批判の哲学」に書いてありました。
たしかに、おもちゃ的主体の場合は、物語の整合性を守ろうとしないし、あえて統一性を意図的に無視することもあります。もし、子どもだったら、今、やりたいことをするだけです。まさに、SNSのようなものです。今、見たいから見る、それだけです。だからといって、その内容にこだわるわけでもなく、たまたま出てきたことに興味を示すだけです。
だとしたら、今の時代を暗示するのは、子どものようなおもちゃ主体のようなものかもしれないと思いました。著者は、最後のほうで、「人は物語的であるほど、ゲーム的であるほど、パズル的であるほど、ギャンブル的であるほど、人生の意味を見つけやすいのかもしれない。おもちゃ遊びの中には、人生のだいそれた意味はあまりない。物語のようなエモさも、ゲーム的なフロー状態も、パズル的なハッとする経験も、ギャンブル的な崇高も、何もない。ただ、朗らかな遊びの雰囲気がそこにある。そして、飽きたら終わって、次の遊びをはじめたり休んだりする。」と書いていますが、意外とそのようなものかもしれない、と思いました。
(2026.5.31)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 物語化批判の哲学(講談社現代新書) | 難波優輝 | 講談社 | 2025年7月15日 | 9784065399644 |
|---|
☆ Extract passages ☆
ゲームは明確な勝敗や目的を与えることで、人々に熱中の動機を与える。競技系ゲームであれば相手に勝つことが目標になり、RPGであればラスボス打倒やレベルアップなど、成功や成果を得るための手続きを踏んでいく。
ゲーム的主体は、こうしたゲーム的構造を生き方に反映させる。人生のこの先のキャリアを見据えて、人生を「攻略」していく。たとえば、子どもの将来もまたゲーム的に考え、どのような学校に行かせて、どのようなスキルを身につけさせるかを算段する。
だが、おもちゃ的主体は「ゴールを目指す」「最適解を探す」といった動機に無頓着である。特段未来のことを考えずに、いまやりたいことをする。ゲームに勝つことを目指さないし、もしかしたらルールすら無視する。
(難波優輝 著『物語化批判の哲学』より)
No.2547『卵 その誕生がすべてを変えた』
地球の誕生から始まり、生物が海から陸に上がり、石炭紀には昆虫が支配するようになり、パンゲア大陸が形成されるようになった3億年前の世界も描いています。
この本には、「バングア大陸はゆっくりと形成されていったが、合体が始まったのは石炭紀のことだった。今からおよそ3億年前、その当時の古代大陸ローラシア(現在のヨーロッパ、アジア、北アメリカにあたる)が、ゴンドワナ大陸(現在のアフリカ、南アメリカ、南極、オーストラリア、インドにあたる)、さらにはシベリアとぶっかって、地球の表面積の3分の1を覆う1つの大陸が誕生した。大陸合体の余波はいたるところに現れた。まず、大陸同士が結合することによって海岸が消失し、地球の最も生産的な領域の多くが消減した。そのせいで、豊かな岩礁生態系と多様な生物コミュニティを擁していた重要な生態系ゾーンが奪われてしまった。」と書いてありました。
たしかに、知識としては大陸が移動を繰り返し、長い時間をかけて大陸が移動し、さらに浸食が進み、また移動するというダイナミズムによって今のような姿になったということはわかります。でも、それが何億年もかけてといわれると、その時間の果てしなさに圧倒され、たんなる知識として残るだけです。
この本は、その地球の動きのなかで、生物も変化し、そして卵という進化が生まれた流れをたどります。そして哺乳類の胎盤の役目などを追い、胎盤をもつ哺乳類が世界の生態系の最上層に位置するまでを解き明かします。この胎盤は、哺乳類の体で唯一の使い捨ての器官だそうで、母親から栄養をもらったり、酸素を取り込んだりしています。
その他に、「少なくともヒトの場合では、胎盤の最初の役目がホルモンの分泌であり、ヒト絨毛性ゴナドトロピン(hCG)というその糖タンパク質ホルモンには、月経を止める作用がある。尿をかけるタイプの妊娠検査薬はこのホルモンに反応する。また、オスの胚は胎盤が分泌するそれらのホルモンのはたらきで睾丸が成長する。プログステロンもまた胎盤から分泌されるホルモンで、胚を子宮壁に着床させ、子宮の収縮を防いで胚が成長を続けられる安全な環境を作り出す。エストロゲンも胎盤から供給されるホルモンで、成長後期に胚への血液供給を増やす役割を担う。」とあり、だいぶ前に、男性は子宮のなかで男性になると聞いたことがありますが、それがこのようなホルモンの作用のようです。
まさに、人体は不思議で、未知に溢れています。
だからこそ、この本は何度も読み返さないと理解できないところもたくさんありました。卵はとても大切だということはすぐにも理解できたのですが、そのひとつひとつの流れがいまいちつかめなかったようです。
そういえば、「ニワトリと卵はどちらが先か?」という問題がありますが、これは卵が先ということはほとんどの方が知っていると思います。この本を読めば、さらにその謎がわかるようになると思います。
下に抜き書きしたのは、第11章「母体に食い込む胎盤の進化」に書いてありました。
今、どこの国の予算にも限りがあり、今年になってからは、博物館や美術館の予算も削られようとしています。とくに博物館は、今までの収納施設だけでは限界があり、だからといって新たな施設をつくる予算も確保できないそうです。そうすれば、今まで収蔵してきた貴重な品々を処分してしまうしか方法はありません。
しかし、この抜き書きしたことでもわかるように、それらは貴重というよりは、処分してしまえば永久に取り戻すことはできません。だからこそ、今まで大切に保管してきたのです。
以前に、DDTが使われ、鳥の個体数が減少したということも、博物館の卵の標本があったからこそ、わかってきたことです。さらに今の激しい気候変動に際しても、それらの博物館資料がなければ、経年観察はできなくなります。しっかりした科学的調査とその結果が示されたから、DDT農薬の使用がほとんどの先進国で禁止されることになったのです。
(2026.5.28)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 卵 その誕生がすべてを変えた | ジュールズ・ハワード 著、喜多直子 訳 | 河出書房新社 | 2026年2月28日 | 9784309310022 |
|---|
☆ Extract passages ☆
博物館は過去数十年にわたり、気候変動が卵とそこから産まれ出る生物に及ぼす影響を測定する最良のツールの一つとして機能してきた。世界の博物館には、250年にわたって収集されてきた500万
個の卵の標本、記録、データが保管されている。卵は博物館で保管されるほかの標本とは異なる。適切に保存すれば腐敗する心配がない。保存液による保管などといった手間がほとんどかからず、それぞれの標本には繁殖生態や食性などの記録がDNAの断片に化学的に保存されているのだ。現在は電子顕微鏡や分光光度計などを用いて卵をスキャンすることができ、遺伝子配列を解析したり、炭素同位体を採取して放射性炭素年代を測定したり、試料をスキャンしてデジタルフォーマットで保存したり、それを共有したりもできる。地球の変化を知るためのデータを収集するには、これ以上ない試料といえるだろう。
(ジュールズ・ハワード 著『卵 その誕生がすべてを変えた』より)
No.2546『ルポ 人が減る社会で起きること』
副題は「秋田「少子高齢課題県」はいま」で、著者は毎日新聞秋田支局の記者で、上海支局長を経て、秋田支局次長も経験したそうです。この本のなかに、青森県のことにも触れていますが、生まれは青森県だそうです。日本は現在、世界最速ペースで少子高齢化ですが、もちろん秋田県も例外ではなく、まさに秋田は日本の未来でもあると書いてありました。
たしかに、山形県も同じで、山形県の人口は2025年5月1日の時点で、99万9378人となり、100万人を割り込んでしまいました。これは1920(大正9)年以来105年ぶりだそうです。つまり、秋田県と同じように少子高齢化が進んでいるということです。また、この本なかでも、クマの町中での出没回数に触れていますが、山形県内でも同じで、2025年4月から2026年3月でみても前年比3倍超の急増だそうです。たとえば、山形市の場合でも3月中旬時点で350件以上の目撃が報告されているそうです。
それにつれて、人との接触から人的被害も増えており、秋田県自然保護課の担当者によると、クマの活動が活発になるのは午前も午後も4〜8時ころだそうで、特に早朝と夕方が危険だといいます。そういえば、新聞配達の方が被害に遭われましたが、早朝の配達だったと思います。
この本のなかに、秋田大学医学部附属病院の高度延命救急センター長の中永士師明(なかえはじめ)医師によると、「予防の面では、クマが出没しそうな場所にいる場合は顔を覆うことができるヘルメットやライダースーツなどの着用が望ましい。クマよけのスプレーも市販されていますが、いざという時にはとっさに取り出すのはなかなか難しいでしょぅ。ヘルメットやスーツを頻繁に着脱するのは手間かもしれませんが、顔ゃ頭をまずガードすれば傷は浅く済みます。もう少し簡便に着用でき、防弾チョッキのような材質の新たな防護具の開発を県などの行政には期待しています」と話しています。
そういえば、10年ほど前に岩手県八幡平に行ったときに、顔を包帯で包んでいた方がいましたが、その方もクマに顔をやられたそうです。昨年のニュースを見ていても、やはり顔付近のケガが多かったようです。
もし、顔にキズがつき、目や鼻などが損傷すれば、大変なことになります。目が見えなくなったり、耳が聞こえなくなれば、生活にも支障をきたします。だとすれば、中永先生の話はもっともです。
また、著者が「ある雪の伝統行事に出かけたところ、地元の女性たちが手作りの漬物やおしるこを無料でふるまっていた。味が良く、料金を払いたいと申し出ると、「いりません。これは私たちの気持でやらせてもらっていることで、お金に結びつけるのは嫌いです」と断られた。「賽銭として100円で十分です」とも言われた。」と書いています。
そういえば、2022(令和4)年に何度か秋田三十三観音札所詣りをしましたが、いろいろなお寺でお茶菓子をいただきました。なかには、夏の暑いときに冷たいお茶のペットボトルをもらったこともあります。秋田って、やさしい人が多いな、と思ったのですが、この本を読んで、無料もいいけど、持続的に続けるにはそれなりの収益も必要ではないかと思いました。おそらく、若い人たちにとっては時間的な負担ばかりではないと思います。また、金銭ですべて解決できるわけではないのですが、四国の高齢者が山野の葉などを採取して現金収入にしていると聞いたことがあります。
また、やり甲斐につながることもあり、これからはそのようなことも考えなければならないのではないかと思いました。
下に抜き書きしたのは、第1章「人口減少の現在地」に書いてあったものです。
これは私も知らなかったのですが、著者がニッセイ基礎研究所の人口動態リサーチャーの天野馨南子(かなこ)氏の講演で聞いたそうです。
私も最近の民主主義は大きな曲がり角にきていると思っていたので、これなどもそのひとつだと思いました。この話のきっかけは、2007年に知事が法定外目的税により年間約25億円を新たに確保して、それを財源に子育て施策を実行したいと提起したそうですが、県議会だけでなく地元紙や県民からも反対の声が上がり撤回せざるを得なかったそうです。
つまりは、多数決の下では人口比率の高い60代の意見が最優先されるということです。でも、その当時から少子高齢化が心配されていたのですから、自分たちのことだけではなく、将来を考えたら、子育て世代のことをもっと考えなければならないと思います。
(2026.5.25)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| ルポ 人が減る社会で起きること | 工藤 哲 | 岩波書店 | 2025年4月23日 | 9784000245586 |
|---|
☆ Extract passages ☆
「シルバー民主主義」とは、「有権者全体の中で高い割合を占める高齢者向けの施策が優先される政治」、あるいは「少子高齢化の進行で有権者に占める高齢者(シルバー)の割合が増し、高齢者層の政治への影響力が増大する現象」を意味する。シルバー民主主義が進むと、「選挙当選を狙う政治家が、人口多数派の中高齢者層に付度・配慮した政策を優先的に打ち出すようになる」「ただでさえ人口少数派である若年層の意見が聞こえにくい社会、つまり政治に反映されにくい」といった弊害が起こり得る。その結果、多数決制度を採用する先進国では世代間の不公平が増大することも予測される。
(工藤 哲 著『ルポ 人が減る社会で起きること』より)
No.2545『60歳からの人生を変える22の発想』
著者の名は、正訓と書いて、「ただし」と読むそうです。もともとは大学病院で小児外科医として働いていて、治療方法のない解離性脳動脈瘤になり、いろいろと考えた末に44歳のときに開業医になられたそうです。
お医者さんですから、自分の病気の大変さはわかっていたとしても、自分なりの生き方をしていることにすごいと思いました。お医者さんだからできるというよりは、どんな仕事についていたとしても、学べることはたくさんありそうです。
たとえば、「ぼくの経験では、重い障害を持った子の家族って決して暗くはない。もちろん、ケアに疲れてうつっぽくなってしまった人も見たことがあるが、大多数はそうではない。おそらく、つらいことを何度も経験しているのだろう。腹が据わっているように見えるし、つまらないことにこだわったりしない。そういう人と話すと、自分の知っている常識は狭いものだと分かる。障害児を育てるのはしんどいという単純な思い込みが間違っているということも知ることになる。医師としてはもちろん、人として視野が広がる。」を読んだときは、私も「大変だろうな」とつい同情していまいますが、なるほどと思いました。そういえば、テレビなどを見ても、苦しんだ先の明るさみたいなものを感じたことがあります。
また、よく、忙しい人ほど時間の使い方がうまいといいますが、著者もまた、そのようです。書斎の壁に時間割を白いペイントマーカーで書いて貼りだしているそうです。
それについて、「タイムスケジュールに(ある意味で)縛られた生活が、本当に楽しいのかと問われれば、今は楽しいと断言できる。時間を大切にしているという実感があるから。それにぼくは、作家という大切な副業があるので、こうした時間管理をしないと原稿は書けない。……この時間割を毎日ちゃんと守っているかと聞かれれば、それは必ずしもそうではない。だけど、時間割があると、グラグラしないで済む。「あ、もう21時になった、読書にしよう!」とか切り替えができる。時間管理はぼくにとって極めて大事だ。」と書いています。
しかも、61歳のころからお酒を飲まないことにしたそうで、ますます時間の管理がよくできるようになったそうです。じつは私もまったく飲まないので、夕食後は個人的な時間になり、本を読んだり、パソコンでホームページをつくったりしています。しかも、寝る時間は毎日午後11時30分ぐらいで、枕に頭を置くとあっと間に眠りに落ちます。
著者は、小学3年生のころから本を読むことが好きになり、今もずっと続いているそうです。しかも、読みっぱなしではなく、自分で書評活動もしているそうで、おそらく、これが大切だと思います。私自身も読書カードをつくっていて、気になった文章や字句を抜き書きして、それらを基に、このような『本のたび』を書き続けています。これは、振り返ってみると、今回でNo.2544ですから、2,544冊は読んだことになります。でも、ここに載せない専門書などもあり、これが始まったのは2006年4月22日でしたから、それ以前も同じか、今以上のペースで本を読んでいました。ちなみに、読書カードは大学生のころからの習慣で、今では何万枚あるかもわからないぐらいです。
著者は、「読書は最高の趣味であり、娯楽であり、また学びになる。ぼくの読書習慣は小学3年生の頃から始まっている。もちろん趣味と言えるものは読書以外にもあって、音楽を聴くのも大好きだし、映画を観るのも最高に楽しい。音楽と映画は中学1年生の頃から趣味になった。……同じ趣味でも、読書には特殊性があると思う。音楽は耳に入ってくるもので、その情報をそれ以外には変換できない。映画も同様に目に入ってくる視覚情報はそれ以外の何ものでもない。ところが読書は字を追う。文字情報を脳の中に入力して、それを音や映像に変換するわけで、その変換の仕方は読者の自由である。そこには、イマジネーションを膨らませる楽しさがある。」といいます。
私も、その通りだと思います。
昔は、よく音楽を流しながら本を読むこともありましたが、最近はなぜか集中できなくて、抜書きするときにだけ音楽をかけています。また映画もほとんど観なくなりました。そのような時間があれば、つい本を読んでいます。
下に抜き書きしたのは、第2章「仕事の中におもしろさを見つけるコツ」に書いてありました。
どんなにしんどくても仕事なら続けざるを得ないので、その中におもしろさを見つけられれば有難いというものです。著者は成人と小児の検診の違いを書いていますが、とくに赤ちゃんの発達は個人差が大きく、なかな診断も難しいといいます。
でも、そんなときには、ここに抜書きしたように、いろいろな人たちに相談するということも大切だと思います。まさに、「知恵というのは、書物の中にはなく、人の経験の中にあったりする。」とは確かにそうだと思います。
やはり、どんな世界でも、知らないことは知ったふりをしないで、謙虚に尋ねるという姿勢が大切です。
(2026.5.22)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 60歳からの人生を変える22の発想(小学館新書) | 松永正訓 | 小学館 | 2026年2月7日 | 9784098255047 |
|---|
☆ Extract passages ☆
答えが見つからないときは、先輩のベテラン小児科医に教えてもらったりする。さすがに長く医者として生きている先人は、いろいろな知恵を持っている。なるほど、そういうやり方があるのか。医学書には書いていないなと思いながら、保護者と相談しながら一緒にやっていくとうまくいく。知恵というのは、書物の中にはなく、人の経験の中にあったりする。
(松永正訓 著『60歳からの人生を変える22の発想』より)
No.2544『辺境アジアの東北をめぐって』
前回のNo.2542『生きものは遊んで進化する』は、本の題名に遊びが入っていましたが、今回は著者の名についていました。しかも、本の発行日も同じ2026年2月28日でした。著者は1974年に埼玉で生まれ、『映像の境域』(森話社)でサントリー学芸賞を受賞したこともあるそうです。
東北地方というと、昔は方言がきつくてわかりにくいとか、文化的にも遅れているとか、いろいろといわれていましたが、今は日本全国どこも同じようなチェーン店があり、そこには同じような大きな看板があり、地方色というものがまったくなくなってきました。私の個人的な感覚では、むしろ地方の独自性が失われてきたように感じます。
著者は、日本だけでなく、アジア各地の東北にスポットを当て、旅した記録をここに載せてありますが、私も中国には何度も行ってますが、ほとんどが雲南省や四川省で、中国東北部を訪ねたことは一度もありません。ほとんどが植物を観る旅ですから、南西部のほうが植生は豊かなので仕方がありません。インドやミャンマー、ネパールやブータンなどにも行きましたが、インドは仏跡を訪ねたのですが、それ以外は植物を観るためでした。
そういえば、タイの昆虫食に触れたところもありましたが、雲南省のタイ族が多く住んでいる「胆扎旧街」に行ったときに、昆虫食のお店が並んでいるところがありました。そこで、イナゴなどもあったので、食べられると思い、料理をしてもらいましたが、何種類かの虫料理だったので、ひとつひとつ調べながら食べました。なかには、コオロギやタケムシなどもあり、味わうというよりは試食というような感じでした。
第1部が「日本の東北とサハリン」、第2部が「満州(中国東北部)とシベリア」、第3部は「東北タイのフィールドワーク」です。第2部で取り上げられていたのが画家の香月泰男氏と詩人の石原吉郎氏です。
香月泰男氏の絵は、新日曜美術館の特集で何度か観たことがあり、それを思い出しながら読みました。あのシベリアでの過酷な体験があのように暗い絵を描かせたのかもしれないと思いましたが、それにしても描かなければならないという画家としての使命感のようなものもあったのではないかと思いました。
私はどちらかというと植物などでもフィールドワークが好きなので、一番興味を持ったのは第3部は「東北タイのフィールドワーク」です。とくに、カムプーン・ブンタヴィーの『東北タイの子』という著作と、これを原作とした映画『東北タイの子』、監督・脚本ウィチット・クナーウットの比較がおもしろかったです。
おそらく、原作が映画化されたとしても、必ず違いはありますし、どこに焦点を当たるかでも違ってきます。この本の著者は、「タイの東北地方における文化や生活に関心をもったのは、最初に『東北タイの子』の映画版を見たからだった。カムブーン・ブンタヴィーによる原作小説は原題を『Luk Isan(イサーンの子ども)』といい、1976年にタイで出版されて数々の賞を受賞し、国内外で彼を著名な作家にまで押しあげる代表作となった。映画も同じタイトルで1982年に、タイの名匠であるウィチット・クナーウット監督によって映画化された。しかし、映画版は原作小説の重要なテーマや登場人物の設定などを受けつぐものの、場面転換、物語構成、セリフなどに大きく手を加えており、原作小説とは異なる物語やトーンをもっている。原作小説を翻案として改変したというよりは、映像によるストーリーテリングのかたちに落としこむために必要な操作をしたのだと考えられる。」と書いています。
どちらも見ていないので詳しくはわからないのですが、著者は、「原作が自伝小説として、イサーンにおける千ばつ時のきびしい生活ぶりと人びとのヴァイタリティを強調したのに対し、映画板はシビアな東北の生活のなかにも生のューモラスな面があることを強調する。」としています。
私としては、どちらにも興味があり、これらが手に入るかどうかはわからないのですが、自分でそれぞれのよそを確認してみたいと思いました。
いつも思うのですが、映画でもテレビでも映像というかたちで目の前に描かれると、たしかに迫力はあります。でも、その映像に縛られて、それ以外の様子を感じることはなかなかできません。しかし、文章だと、まさに行間を読むこともでき、想像力が広がります。まさに、それが読書の醍醐味でもあります。
私は写真も好きなので、映像から醸し出される雰囲気などから感じることもあり、どちらも捨てがたい魅力があります。
下に抜き書きしたのは、第1部「日本の東北とサハリン」に書いてありました。
昨年から津軽三十三観音札所をまわっていて、あと8ヶ寺ほど残っているので今年も行こうと思っているのですが、ここでも指摘しているように、なぜか北海道のアイヌ語の地名と似ているところがいくつかありました。もっと詳しく調べてみるとありそうですが、目的は観音詣りなので、それほどの時間的なゆとりはありません。
それでも気づくのですから、もし、機会があれば調べてみたいとこの本を読んで思いました。
ここにも書いているように、「東北などの本州にも最近になるまで、蝦夷と呼ばれる異族の人たちが暮らしていた」といいますが、私が住む近くの地名にも、もともとはアイヌ語から派生した言葉が元になっているのではないかと思うものがあります。
そういう意味では、このような本を読むことによって、自分たちの身近なところに興味を持つことの大切さを感じました。
(2026.5.19)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 辺境アジアの東北をめぐって | 金子 遊 | アーツアンドクラフツ | 2026年2月28日 | 9784911356128 |
|---|
☆ Extract passages ☆
いうまでもなく、日本列島は和人という単一民族だけが暮らしてきた土地ではなく、複数の異なる言語や文化をもつ人たちが長いあいだ混住してきた島々の連なりである。それは、津軽海峡沿いのアイヌ語地名を考えることひとつをとっても見えてくることだ。北海道だけではなく東北などの本州にも最近になるまで、蝦夷と呼ばれる異族の人たちが暮らしていた。アイヌ語の地名を数多く残したことから、彼らはアイヌ語族であったといえる。そして、半島や岬のような入り組んだ地形がつくる襞の奥の奥へとわけ入っていけば、そこには必ずといっていいほど小さな浜(オタ)や集落があり、彼らの記憶や痕跡が地名というかたちで刻みこまれている。
(金子 遊 著『辺境アジアの東北をめぐって』より)
No.2543『生きものは遊んで進化する』
私は人間にとって遊びは大切だと思っているので、この本の題名を見て、すぐ読もうと思いました。
ところが、いくら興味があるといっても、前回に引き続き取っつきにくく、理解するには何度も読み返さなければならないところがありました。それでも、最後まで読むことができました。
この本の「はじめに」のところに、スミソニアン国立動物園のパンダの話しが載っていましたが、私も中国四川省の成都パンダ繁育研究基地に行ったときにも同じような印象を持ちました。パンダたちが転げ回ったりでんぐ返しをしたり、じゃれ合って遊んでいるのを見て、これは遊んでいると思いました。人間と同じで、小さいパンダほどそういう動きをするのです。
その仕草がまた、とても可愛いのです。それで、そのときのことを思い出し、昨年にそのとき撮ってきた写真を使って自分用のしおりをつくったぐらいです。
この本にも、遊び時間が長い幼少期を過ごす動物の方が行動の柔軟性もありそうだといい、大人になっても飢えていたり脅威を感じていたりするときの動物は、リラックスしているときほど遊ばないそうです。でも、だからといって、リラックスしすぎていても遊ばないというから不思議です。
そして、ある行動を遊びと見なすには次のような特製が備わっていなければならないと、バートハートは『動物の遊びの起源』(2005年)のなかで主張しています。
「第一に、遊びは「機能のないもの」でなければならない――つまり、生存や生殖にまつわる動物のニーズに明白なかたちで役立つものであってはならない。
第二に、遊びは完全に自発的に生したものでなければならず、外部からの影響に対する、強制された反応であってはならない。
第三に、遊びはその動物のほかの行動と明らかに異なっていなければならない。
第四に、遊んでいるときの動物の動きは反復的であり、したがって変化に富む探索活動と区別されるものでなければならない。ただし、その動きはさまざまな順序で部分的な改変をともなって繰り返され、したがって単調な常同行動の動きと区別されるものでなければならない。
第五の、そして最後の特性として、遊びが起きるのはその動物が栄養面で満たされ、安全で健康であるとき、かつ外部からの影響によって行動を強制されているのでないときに限られるとバーグハートは主張した。」
と書いてありました。
これに沿って、いろいろな動物たちの行動や遊びがこれ以降の各章に書いてあり、それがとても興味深く、研究者たちもいろいろと工夫しながら、遊びについての考察を進めています。
これらを読むと、たしかに動物たちは子どものときほど遊ぶし、オスのほうが多く遊ぶようです。さらに、食べ物が十分あることや時間にも余裕がないと遊べないようで、たしかに人間も同じようです。遊ぶということは、いろいろな余裕も時間も大切で、だからこそ、そこに創造性が生まれてくる可能性もあります。
著者は、「遊びは社会的・文化的な制約から解放され、それを超越する手段になるだけではない。遊んでいる者の心のなかでは、物理的な制約から――体から、さらには空間と時間からも――解放
され、それを超越する手段にもなる。遊びの場合、その解放は限定的かもしれない。夢のなかでは、それが完璧になる。……夢が体のない遊びなら、遊びは体のある夢と言えるのではないか。」と書いています。
たしかに、私たちは夢を見ても思い出したり思い出せないこともあり、楽しい夢もこわい夢もあり、それらが遊びだとは思えないのですが、夢のなかで遊んでいる可能性もあります。
遊びとは直接には関係がないのですが、動物たちの能力には桁外れのものがあると思うときがあります。この本のなかでも、私たち人間よりもはるかに幅広い感覚を備えている動物たちがいるとして、「サメが濁った海中でも獲物を狩れるのは、頭部に点々と散らばる、ゼリー状の物質で満たされた孔のおかげだ。ロレンチーニ器官と呼ばれるこの構造は電気伝導性の生体構造であり、獲物とその周囲の水の電荷のわずかな差を感知できる。ミツバチは地球の磁場を感じとれる。その仕組みはまだ完全には解明されていないが、おそらく腹部の細砲の内側を覆う磁性物質が関係していると見られる。ミツバチが飛ぶと、小さな正電荷が蓄積する。この電荷と花の負電荷とのあいだに生じる引力に肢の毛か反応し、ミツバチはその毛の導きにしたがって花までたどりつける。ミツバチが飛来したら、花の電荷が変化する。不思議に思ったことがある人のために言っておくと、その電荷の変化のおかげで、花蜜のたくわえが空になっていることを後続のミッバチが知り、その花に寄らずに通過できるのだ。」と書いています。
まさに、その特殊な能力については、驚くしかないのですが、ある程度わかってきたことや、まだ解明されていないものもあり、まだまだ興味が湧いてきます。
下に抜き書きしたのは、第4章「ちょっとラットをくすぐってみよう」に書いてあったものです。
ブラウンは、全米遊び研究所の創設者であるスチュアート・ブラウン氏で、臨床心理学者でもあります。
これを読むと、今の子どもたちのゲーム依存はこれからどうなるのか、とても心配になります。本当の遊びがなくなり、画面上で遊ばせられているわけで、だからいつも一人でいても寂しくもないし、最近はAIと会話しているという若者も多いそうです。
だとすれば、ますます生身の人間との会話が少なくなり、これからの社会はどのようになっていくのか想像すると怖くなります。
(2026.5.16)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 生きものは遊んで進化する | デイヴィット・トゥーミー 著、梅田智世 訳 | 河出書房新社 | 2026年2月28日 | 9784309310015 |
|---|
☆ Extract passages ☆
ブラウンはこう述べている。「それぞれの研究チームにとって予想外だったのは……人口統計学的背景にかかわらず、暴力性の高い反社会的な男性の生活全体をつうじて、通常の遊び行動がほぼ欠如していたことである」。勉強ばかりで遊ばないとジャックは鈍感な人間になる、ということわぎがあるが、それどころか危険な人間にもなってしまうようだ。ブラウンは一動物の遊びの欠如にかんする客観的知見と人間における臨床的知見との関連は、まだ証明されていない」と釘を刺している。とはいえ、この点は認めている。「皮質下の生理学的特性や解剖学的構造は類似しており、遊びを奪われた動物は攻撃を自制できない、あるいは群れのメンバーとうまく社交できないことが実証されている」。
(デイヴィット・トゥーミー 著『生きものは遊んで進化する』より)
No.2542『人はなぜ記憶するのか』
本のなかには、すぐ楽しさがわかるものもありますが、なかには取っつきにくく、途中で読むのをやめようかと思うものもあります。
この本は、どちらかというと後者に属し、なかなか興味をもてなくて、それでも読み進めるとだんだんとおもしろさがわかってきました。なるほど、そういう意味だったのか、と思ったのが誰でも年になると経験する何を探しにきたのかわからなくなることです。これは記憶障害などではなく、「きっと読者にも経験があるに違いないが、どこかの部屋に入ったときになぜその部屋に来たのかがわからなくなることがある。記憶障害を起こしたわけではない。これは記憶研究の世界で「イベント境界」と呼ばれるものから生まれるごく普通の現象だ。……イベント境界で文脈が変化すると、エピソード記憶は大きな影響を受ける。壁が物理的な境界となって家のなかを個々の部屋に分けているように、イベント境界も過去の経験の時系列を扱いやすい大きさに区切っている。一個のイベントの途中で得た情報よりも、イベント境界で起きた物事の情報のほうが記憶されやすい。なぜかというと、海馬はイベント境界が終わるのを待ってから一個のイベントの記憶を保存しているらしく、そのことが近年いくつもの研究で示唆されているからだ。」と書いています。
私はまだそういうことはあまりないのですが、知り合いのなかには、けっこういるようです。でも、記憶の研究者でもあるそうなので、あまり心配はなさそうです。
では、頭のなかのこんがらかった記憶を取り出すには、何が必要なのかというと、著者は、「散らかった心のなかで記憶を目立たせておくにはどうすればいいのか。答えは「注意」と「意図」である。注意というのは、私たちが見るもの、聞くもの、考えていることに優先順位をつけるための脳ならではのやり方だ。」といいます。そして、意図というのは、「あとで見つけやすい記憶を形成するには、意図の力で注意を導いて具体的な物事に固定させる必要がある」そうです。
つまり、ある程度の優先順位をつけ、その順位の高いのから意識的に何度か思い出すようにするということです。私の場合は、車のカギはここ、カバンはここ、カバンのなかにはこれとこれを入れておく、などというようにいつもの場所を決めておきます。そうすると、急に出かけなくてはならなくなったとしても、すぐに見つけ出すことができます。
これなどは記憶しておくというよりは、自分なりのルーティンにしているので、ほとんど無意識にしているので、考えることもありません。そして、新しいことは、その間に挟み込めばいいので、考えることも最小限ですみます。
この本のなかで、「人間の脳は記憶する機械ではない。「考える」機械である。私たちは自分の経験を整理することで、いま暮らしている世界を理解できるようにしている。干渉の餌食になることなく世界の複雑さに対処するには、脳のもつ強力な情報整理ツールを活用すればいい。それが「スキーマ」である。」と書いています。
これなども私のしているルーティン化のようなものではないかと思います。この「スキーマ」というのは、「できるだけ少ない労力で大量の情報を処理・整理・解釈できるようにするための一種の心的な骨組みのことだ。人間の脳がスキーマを使って新しい記憶を組み立てるやり方は、建築家が青写真を使って家を設計するやり方に似ていなくもない。建築の青写真は、建物の構造に関する最小限の情報(壁、ドア、階段、窓など)を描いた地図のようなものであり、すべてがどうつながっているかを示している。青写真は抽象的なものなので何度も繰り返し使用できる。」とあります。
これなども、だいぶ前に読んだ脳の省力化と同じことで、青写真というか型のようなものをつくっておき、それに合うものはそのまま、違うところだけ新たに考えればだいぶ楽になります。
ただ、これにも問題はあり、同じ間違いを何度もしてしまうことがありそうです。だから、知っているとかわかっているからとの理由で、毎回同じようにするのではなく、ときどきは検証してみるということが大切です。
下に抜き書きしたのは、第7章「振り返って未知と対峙する――新しいもの・予期せぬものへと記憶が導く」に書いてありました。
ここにあるように、好奇心のある人は、窓口も広いと思っていましたが、精神的にも「開放性」があれば、たしかに多くのものやことが入り込むことができます。もちろん、学習効果もあると思うので、多面的にもなります。
私もことあるごとに好奇心を持つようにしてきましたが、この本を読んで、それも間違いではなかったと思いました。また、好奇心こそ、若くいるためには必要だと思っています。
(2026.5.13)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 人はなぜ記憶するのか | チャラン・ランガナス 著、梶山あゆみ 訳 | 早川書房 | 2025年12月15日 | 9784152104861 |
|---|
☆ Extract passages ☆
好奇心による学習効果の最も高い人は、「開放性」と呼ばれる性格特性でも高いスコアをとることが私たちの研究からは示唆されている。このことは別の研究結果ともうまくなじむ。何かというと、開放性をもつことが、単に学問の追究に興味があること以上に学習効果をうらなう指標になると示されているのだ。開放性で高いスコアをとる人は型破りな考えを受け入れやすく、信念や文化的慣行の多様性を尊重し、新しい場所や新しいテーマを探究するのを厭わず、特定の日標や成果がなくても学習するのを楽しむ傾向にある。
(チャラン・ランガナス 著『人はなぜ記憶するのか』より)
No.2541『戦場のベーカリー』
この本をゴールデンウイークのさなかに読んでいたのですが、5月3日の地元の山形新聞の「読書」欄に、この「戦場のベーカリー」が取り上げられていました。タイトルは「過酷な日常の豊かな食卓」で、締めくくりのなかで、「本書を読み終えた私が最初にしたことは、近隣のウクライナ料理店を検索することであった」と記していました。この本には、ウクライナ料理のレシピ集も載ってはいましたが、先ずは食べて見たいと私も思いました。
副題は「戦下のウクライナでパンを焼く」で、すでに3年以上も侵略され戦下にあるウクライナは、今、どうしているのかと非常に心配です。特に、最近はイスラエルやアメリカのイラン軍事作戦もあり、ニュースで伝えられることも少なくなってきたので、なおさらです。
それと、ウクライナやロシアの戦死者の数や戦況についてや、ミサイル攻撃を受けた建物などの映像は知ることができても、そのなかで生きるウクライナの人々の生活がなかなか伝えられません。まして、日々の生活の食べることなどについては、まったくわかりません。
ところが、この本は、その食べるパンだけでなく、ウクライナの食すべてについての現地からのレポートです。今、どのようにして食事を準備して、それをどのように運んで、そして食べるかまで、事細かに伝えています。ウクライナの人々にとっては、「パンは日常の食べ物だが、ウクライナという国では歴史的・文化的に重要な意味を持つ。ウクライナは世界の半分のために小麦を育て、主要な祝日や祭典では儀式用の特別なパンを焼くことも多い国であるし、1930年代にソ連のスターリン政権が人為的に起こした飢饉「ホロドモール」での恐ろしい経験を経て、「食べ残したパンは、たとえ固くなっても捨ててはいけない」とだれもが教わって育つ国でもある。」だそうです。
考えてみれば、ウクライナの人たちにとってのパンは、日本のお米と同じようなものかもしれません。なにがなくても、お米さえあれば、なんとかなります。
だからといって、それだけで人間は暮らせません。いくら戦時下だからといって、勝つまではという言葉だけでは困ります。オデーサ出身で31歳のヴラドさんは、もともとはレストランでシェフをしていたそうですが、軍の料理人になり、「前線ですら食材が不足したことはない、とヴラドさんは胸を張った。たくさんの野菜やじゃがいもが送られてくるし、あらゆる種類の肉や魚、りんごやバナナまであるという。ウクライナで大活躍の郵便宅配業者〈ノワ・ポシュタ〉のおかげで、故郷からの小包みや、通販で頼んだちょっとした品を戦時下でも受け取ることができている。きれいな水の確保が最大の課題だが、ヴラドさんは1日3回まともな食事を提供しつづけていることがいちばんの誇りだという。」と話しています。
たしかに、日々の生活のなかでも食べることは大切ですが、命をかけた前線で戦う兵士たちにとっては、何よりも食べることが安堵を感じるときのようです。一番びっくりしたのは、ウクライナでも宅配便があり、しかも戦時下でも機能していることです。日本でも、人里離れたところでも宅配便があればなんとか生活できます。それが、戦時下で配達してくれるというのですから、びっくりです。
しかし、パンを必要としている戦時下の最前地まで届けるというのは、まさに命がけです。もちろん、すべてボランティアですが、それらの地域にも協力者がいるようで、「車で現れた男性の案内で、次の検問所を抜けてアントニウカヘ入った。そこは最も危険なレッドゾーン内の町で、橋を渡ればすぐにロシア軍の占領地域だった。だれも長居したいと思わない場所だった。あたりは静まう返り、重たい毛布をかけて町の通りを黙らせたかのようだった。車から急に飛び降りなくてはならない場合に備えてシートベルトを外し、速度をあげて走り抜けたほうがいいような場所だった。恐れ知らずのディマさんがタイミングを見計らってスマートフォンで配達の様子を撮影するなか、チームは大急ぎで残りのパンを地元ボランティアの家へ運び込んだ。それがすむと、ヴラドさんはアクセルを踏み込んでまっすぐミコライウヘ戻り、任務をやり遂げたことにほっと胸をなでおろした。」とあります。
著者もまるで探偵小説のようだと書いてますが、私はそれ以上の命がけの冒険小説ではないかとさえ思いました。
この本には、食事に関するものだけでなく、ウクライナ北東部ハルキウ州のカミアンカ村に住むヴァレリイ・ヴェルツンさんは、農場を経営していたそうですが、2022年にロシア軍に占領され、2022年9月のイジューム解放後に農場へ戻って初めて被害の全容を知ったそうです。
「しばらくして、ようやく農場を見に行くことが許された。「そのときはまだ、敷地じゅうにバタフライ地雷があった。だからそうっと慎重に足を踏み入れて、あたりを見まわして、少し泣いて、それで終わり。すぐに帰らなきゃならなかった」。ロシア軍の〈グラド〉のミサイルが詰まった大きな木箱がまだそのへんに残っていた。「木箱に腰をおろして、心のなかで思った。感情的になっちゃだめだ。俺の仕事は再建を始めることであって、感情的になったら自分が壊れてしまうだけだって」。これは初めての経験じゃない、と彼は自分に言い聞かせた。「俺は18年かけて農場を築いた。俺が来る前は、ここにはなにもないも同然だった。建物が2、3軒あっただけで、ほかのものは全部自分の手でつくりあげたんだ」と話します。
このような状況下であっても、農場を再建する切なる思いを語る姿に、なんとも切なくなりました。たった数ヶ月の間に、農地に地雷をばらまくロシアという国の残酷さもそうですが、その地雷を除去するための命がけの作業にもなんとも言えないものを感じました。
それでもヴァレリイさんは、「元の姿にきっと蘇る。この土壌を放っておけるわけがないだろ。肥沃なことで有名な、ウクライナの本物の土なんだから。ウクライナはごくふつうのヨーロッパの一国家になって、なにもかもうまくいくさ」と語ります。
これで、ますますウクライナを応援したくなりました。もしかすると、こうして『本のたび』に取り上げただけでも多くの人たちに伝わるかもしれません。いや、そう願っています。
下に抜き書きしたのは、第18章「気鋭の若手料理人たち」に書いてあったものです。
これは、ウクライナを代表する料理人のイェウヘン・クロボテンコさんの言葉です。これでは、ロシアがクリミア半島を制圧したときと同じように、短期間で同じようにできるともくろんでいたとしても、できるわけはありません。ウクライナの人たちの不屈の精神は、このような食べるものを自分たちで作って食べるという、あまりにも自然な営みから生まれているように感じました。
やはり、生きるための最低限の食さえなんとかなれば、いくら力尽くで制圧しようとしても、できるものではありません。しかも、ロシアは何度も何度も同じようなことを繰り返してきたのです。なんとも不思議な国です。
現在、日本は食料自給率がカロリーベースで約38%と低い水準に留まっています。これは先進国の中でも最低レベルなので、政府は2030年度までに45%への向上を目標としています。
ところが、「生産額ベース」で自給率をみてみると、日本の食料自給率は61%になります。この差は、つまり畜産物の飼料のほとんどを輸入に依存していて、さらに種子や肥料の原料も多くを輸入に頼っています。それらを計算すると、もしかすると食料自給率はもっと低下するかもしれません。
(2026.5.10)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 戦場のベーカリー | フェリシティ・スペクター 著、藤沢町子/齋藤 匠 訳 | 原書房 | 2026年3月25日 | 9784562076628 |
|---|
☆ Extract passages ☆
ここウクライナでは、すべての店や会社が閉鎖しても、みんなこう言っていました。『心配いらない、なんだって庭にあるからね』。ここでは食は贅沢品ではなく、もっと根本にあるものなんです。食料がなかったときの記憶がまだ鮮明に残っていますから」。そしていうまでもなく、ウクライナには隣国の暴力に立ち向かうなかで生まれた絆がある。「それもまたわたしたちのDNAに刻まれています。生まれてからずっとロシアの近くで暮らしていますから、脳みそに抵抗が刻まれているんです、そう、抵抗がね。仲間がいれば、なんでもできます。敵の姿がはっきり見えていれば、団結することができます。助けが必要なら、わたしは手を差し伸べます。料理をしてほしければ、わたしは料理をします。これは生死に関わることで、生き続けるための根源的な本能なのです。
(フェリシティ・スペクター 著『戦場のベーカリー』より)
No.2540『炎上で世論はつくられる』
SNSはとても便利ですが、ときにはフェイクやデマなどもあり、良い面と悪い面がかなりあると思っています。だからといって、すべてを否定はできませんから、その判断がなかなか難しいと思ってます。それで、この本を読むことにしました。副題は「民主主義を揺るがすメカニズム」で、とくにアメリカの大統領選挙などをみていると、それがよくわかりました。
でも、日本でも一昨年ころからの選挙では、そのような動きがよく見られるようになり、たしかに大きな流れになっていると感じます。
おそらく、著者は、『炎上で世論はつくられる』とは思っていなく、むしろ継承を鳴らしているのではないかと思いながら読みました。すると、最後の「あとがきにかえて」のところで、「本書のタイトルに掲げた「炎上で世論はつくられる」とは、炎上が世論の形成にどのような揺らぎや偏りをもたらすのかを示しつつ、その背後にあるメカニズムを明らかにしようとするものである。炎上や分断は確かに厳しい現実だが、そうした揺らぎに向き合い、より確かな議論の十台となる制度や文化を築いていくのもまた、私たち自身なのだ。」書いています。
つまり、むしろ炎上などに頼ることなく、しっかりとした民主主義が確立されることを願っているようです。
そして炎上に参加する人たちは、「自分を悪人だとは思っていない。むしろ「自分は正しいことをしている」と信じ、その信念に基づいて行動している。それは正義という名を借りた衝動であり、ときに他者の人生さえも一変させる力を持つ。正義感というものは非常に厄介だ。戦争・紛争においても、当事者となっている国々はそれぞれ自分が正義の中にいると考えている。正義感は、時に苛烈な暴力まで生み出してしまうのだ。だからこそ、私たちは「その正義は本当に必要か」を、一度立ち止まって考える必要がある。」といいます。
今、世界各地で戦争や紛争が起きていますが、自分たちが侵略していると思っているのではなく、むしろ、自分こそ正義のために戦っていると考えていると思います。
また、昨年から今年の選挙においても、SNSは今まで以上に影響を及ぼしたようです。今まではSNSが「信頼している」かどうかとか「利用している」かどうかが一致しないと思われていたのが、この本に書いてあったように、「たとえ信頼はしていなくても、手元で簡単に見られて、いつでも最新の情報が流れてくる。だから、つい見てしまうし、情報源として頼ってしまう。こうした日常的な接触のなかで、選挙や政治の情報も流れ込み、それがそのまま投票行動につながるようになっている。」と分析しています。
つまり、「2024年に見られたSNSと選挙の連動は、SNSの力が突然強まったから起きたのではない。むしろ、社会全体がその情報空間の中で暮らすようになったからこそ起きた現象である。幅広い世代において、SNSは「特別な場所」ではなく、生活の一部となった。その便利さと、どこにいてもつながっているという常時接続性が、政治や選挙という分野にまで深く入り込んできたのだ。」といいます。
たしかに、とくに今回の衆議院選挙では、うまくSNSを使っていた政党が議席を確実に伸ばしたことは間違いなさそうです。でも、その反面、政策論争はあまりみられず、イメージ戦略が多かったように思います。これからは、ますますAIが多用化されれば、何が候補者の意思かフェイクなのかさえ、わかりにくくなってきそうです。
とくにAIによるフェイクは、いろいろな意味で危険です。この本には、「大量のフェイクの中で本物を見抜くことが難しくなること。第二に、事実であっても「フェイクだ」と言い逃れる余地が常に存在してしまうこと。この「嘘つきの配当」は、フェイクを仕掛ける側だけでなく、事実を突きつけられた側にも強力な武器を与えてしまう。私たちは今や、映像や音声といった「動かぬ証拠」さえ動かされてしまう時代に生きている。これまで以上に検証を重ねる姿勢が求められる一方で、人々の心が一度「これはフェィクだ」と思い込んでしまえば、その思い込みを解くことは極めて難しい。」と書いてありました。
現に、イーロン・マスク氏が、地震の音声だったにもかかわらず、これは「フェイクだ」と主張したことがあったとも記されています。これは本当にこわいと思います。
だからといって、フェイクニュースを取り締まるために、厳罰にするということも問題があります。先ず、フェイクかどうかを見極めることが難しいことです。また、法律で取り締まることも事実
上の検閲法として機能することもあるからです。
たとえば、この本で紹介されているのが、2022年にロシアで成立した「フェイクニュース法」です。「表向きは「虚偽情報の拡散を防ぐ」という名目であるが、実際の運用は大きく異なる。政府や軍の活動に批判的な言論を取り締まるために使われているのが現実である。この法律は、 ロシア軍に関する「虚偽の情報」を流布した者に最大で15年の禁錮刑を科すことを定めている。その後、対象は政府機関や国外活動にも広げられ、適用範囲は次第に拡大していった。結果として、どの発言が「虚偽」とみなされるかは当局の判断次第となり、批判的な声を封じ込める強力な道具になってしまったのである。」といいます。
これでは、まさに言論統制か検閲です。
つまりフェイクや誹謗中傷に対抗するためには、ある程度の法整備をしなければならないと思いますが、規制を厳しくすると言論統制につながるし、まさに諸刃の剣です。だから、運用には細心の注意が必要になります。
下に抜き書きしたのは、第3章「フェイク」に書いてあったものです。
たとえば、電話サギなどでも、公的機関や大手企業を名乗って信頼させようとしたり、警察官や弁護士まで装うなどますます手口が巧妙になってきています。ニュースなどをみると、それなりの立場の人たちも騙されたり、まさか自分がなどという話しを聞きます。
おそらく、この下に書いてあるように、「自分は騙されない」という人は自信過剰だったり、謙虚さが欠けているのかもしれません。お互いに気を付けましょう。
(2026.5.6)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 炎上で世論はつくられる(ちくま新書) | 山口真一 | 筑摩書房 | 2026年1月10日 | 9784480077233 |
|---|
☆ Extract passages ☆
米国ユタ大学のベンジャミン・ライオンズ教授らの研究では、「二ュースを見抜く力に自信がある人ほど、実際の真偽判定テストの成績が低い」という結果が示されている。これは「知識の錯覚」と呼ばれる現象である。知識や判断力があると思い込むことで、かえって検証を怠り、誤情報に足をすくわれるのだ。
この結果は私たちに重要な示唆を与えてくれる。リテラシー教育や批判的思考の訓練は確かに有効だが、それ以上に「自分も編されるかもしれない」という謙虚さが欠かせないということだ。フェイク情報の拡散に加担するのは、無知な人だけではない。むしろ「自分は間違えない」と思っている人こそが、最も危うい参加者になり得るのである。
(山口真一 著『炎上で世論はつくられる』より)
No.2539『食べ物が変えた世界史』
日本は大型連休のまっただ中ですが、仕事柄、ほとんど家にいます。こういう時には、どこから読み始めても、どこで読み終わっても影響のない、このような本が一番です。副題が「ビフォーとアフターが一目でわかる」で、また『「空腹」が歴史を動かした! 世界を変えた60の食べ物』とも書いてありました。
たしかに人間は食べなくては生きていけませんし、今までも世界を変えてしまった食べ物もすぐ思い浮かべられます。たとえば、この本にも出てくるトマトやジャガイモなどもそうです。この本では、調理法も載っているので、楽しく読むことができました。
調味料も同じで、たとえばトウガラシは南米原産で、世界中で使われるようになったのは、コロンブスがアメリカ大陸からスペインに持ち帰ったからです。この本には、「コショウを求めて航海に出たコロンブスは、1492年、西インド諸島に到達します。その場所をインド(アジア)だと思い込み、トウガラシをコショウとして持ち帰りました。トウガラシの刺激的な辛さはヨーロツパではあまり受け入れられなかったようで、イタリア南部やハンガリーなどを除いて定着しませんでした。ヨーロツパに伝わった当初は、「食べると死ぬ」とまで言われていたとされます。」と書いてあります。
ところが、ヨーロッパからインドを経てアジアに持ち込まれると、むしろそこから世界中に広がっていきます。とくに中国の四川省の名物、麻婆豆腐などは、現地で何度か食べましたが、そのままは食べられず、辛みをだいぶ押さえてもらいやっと食べました。そういえば、ブータンなどでも、秋になってトウガラシを収穫すると屋根に干すので、あちこちこのトウガラシ色に染まるといわれるぐらいです。だから、当然いろいろな料理に使われ、みな辛みも強く、ある程度手加減して料理をしてもらいました。
そういえば、韓国などもキムチにはこのトウガラシは欠かせないので、特に寒い地域ではたくさん使うようです。
ところが、コーヒーはほとんどの国に広がり、多くの人たちに飲まれています。このコーヒーは、「エチオピア高原に自生していたコーヒーノキの実は古代から飲食に用いられてきました。15世紀には、イスラームの神秘主義者がその覚醒作用を修行のために用いるようになります。イスラーム世界では「カフワ」(コーヒーの語源。元はワインなどの意)と呼ばれ、豆の焙煎によって香りと風味が引き立てられるようになると、一般にも普及していきました。コーランによって禁酒が定められているイスラーム教ですが、コーヒーは嗜好飲料として僧侶だけでなく、大衆にも広がり、16陛紀になると「カフェハネ(コーヒーハウス)」という専門店が登場し、コーヒーを媒介とした社交文化をつくっていきます。」と書いてありました。
つまり、この「カフェハネ」が、今のカフェにつながっています。とくにイギリスではコーヒーハウスで格安でおいしいコーヒーが飲めると評判になり、多くの人たちが集まるようになり、そこが議論の場にもなったそうです。だから、今のカフェより、だいぶうるさいお店だったようです。
イギリスといえば、フィッシュ&フライがソールフードですが、私もイギリスの食事はおいしくないと聞いていたのですが、おそるおそるこれを食べてみると、そのレストランのフィッシュ&フライはとてもおいしかったです。この本には、「フィッシュ&フライは、タラなどの自身魚とジャガイモのフライをセツトにした、150年以上前からあるイギリスの伝統的なファーストフードです。白身魚の衣揚げはユダヤ人の食文化に出来し、ジャガイモのフライはベルギーで生まれたものです。この2つを組み合わせた背景には、産業革命がありました。都市では工場で働く労働者が急増、蒸気船もつくられて漁業が盛んになり、魚が安く手に入るようになりました。労働者たちは安くて腹持ちのよい食事を求めて、魚とジャガイモのフライを一緒に食べるようになったのです。魚を大量に大手できたのは、漁場をめぐる他国との争いに勝利したからでした。」とあり、もともとはファーストフードですから、料理というよりは、手軽さが受けたようです。
私がイギリスで食べたものでおいしかったのは、ウサギ肉料理で、昔、子どものときに食べたことがありましたが、格段に洗練された味わいでした。これは、だいぶ田舎のレストランでしたが、今でもはっきりと覚えています。
下に抜き書きしたのは、第1章「人類と「食」の歩み」に書いてありました。
下に書いてあるように、古代エジプトの時代から食べられていたタマネキですが、日本に入ってきたのは明治時代だそうです。しかも、匂がきついこともあり、なかなか広まらなかったそうですが、日本の気候が栽培に適していたことや西洋料理が広まってきたなどにより、今ではいろいろな料理にも使われています。
(2026.5.3)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 食べ物が変えた世界史 | かみゆ歴史編集部 編 | 毎日新聞出版 | 2025年12月30日 | 9784023341692 |
|---|
☆ Extract passages ☆
古代エジプトでは、タマネギが食材としてだけでなく、魔力を持つ食べ物として神殿に奉納されることもありました。儀式の際には首からタマネギを吊り下げている様子が墳墓の壁にも描かれており、昔から重要な食べ物として扱われていたことがわかります。……
タマネギやその仲間のニンニクは古くから食べると力が湧き上がるものとしてみられており、医学の父と呼ばれるヒポクラテスもその薬効を唱えるほどでした。古代ギリシアではオリンピックに出る選手に与え、ローマ帝国では戦いに赴くローマ兵やコロッセオで戦う剣闘士に振る舞い力をつけさせたとか。そんなタマネギパワーを公共事業に使ったのがエジプトです。エジプトではピラミッド建築の労働者にタマネギやニンニクを与えていたのです。これもまた強壮作用を利用して重労働を乗り切らせようとしたのかもしれません。あの巨大なピラミッドは、タマネギがなければ完成しなかつたかもしれないのです。
(かみゆ歴史編集部 編『食べ物が変えた世界史』より)
No.2538『したたかな寄生』
副題は「脳と体を乗っ取り巧みに操る生物たち」で、脳と体をどのようにして操るのかと興味を持ちました。そして、外部から入って操れるなら、もしかすると人間の身体もそのように操れれば、病気を治す薬などにも応用できるのではないかと思いました。
それにしても、寄生して生きる寄生者というのは、どのようにして、そうした生活を身につけたのか不思議です。副題は「脳と体を乗っ取り巧みに操る生物たち」で、冬虫夏草やカッコウの托卵などは知っていましたが、そのカッコウでさえ、ホオジロだったのが見破られ、オナガにに変えざるを得なくなり、それも托卵に気づかれ、オオヨシキリになってきたといいます。まさにだましだまされの世界ですが、2013年に発表された論文には、アフリカに生息するカッコウの1種、カッコウハタオリがいかに根気よく執拗に托卵するかが書かれているそうです。
また、そのような寄生する生きものをうまく利用するのが人間です。たとえば、農作物にアブラムシがつくと農薬で駆除するのですが、アブラムシはすぐに薬剤抵抗性があるので、定期的にそれを変えざるをえなくなります。そこで考え出されたのが、アブラムシを食べるテントウムシを使うという方法です。しかし、テントウムシには羽があるのでどこへでも飛んでいってしまいます。「そこで、自然界に存在するさまざまな個体の中から、飛翔能力の低いナミテントウを探し出し、それらを何度も交配し、遺伝的に飛ぶことができないナミテントウの系統を作り出そうとしました。そして、30世代、交配と選抜を繰り返し、飛ぶ能力を欠くナミテントウを作り出すことに成功しました。この飛ばないテントウムシは、発育して成虫になった後も作物に定着します。また、その子孫も親と同じく飛ぶ能力がないので、ハウス栽培などの施設で生まれる次世代以降にも防除効果が期待できます。この「飛ばないテントウムシ」は2014年からハウス栽培向けの生物農薬として発売されています。」と書いてあります。
その駆除方法と少し似ているのが、周囲の植物の成長を阻害するアレロパシーを利用した農薬の開発です。さらに、ヘアリーベッチなどのカバークロップ(被覆作物)による雑草抑制や、さらにはマリーゴールドを用いた線虫駆除なども環境負荷が低いということで使われるようになってきました。やはり、このような研究も、寄生ということの研究から導き出されることもあります。
そういえば、冬虫夏草は見たこともあり、ちょっと異様な姿をしていますが、その仕組みというか工夫はすごいものです。この本には、「この菌に寄生されたアリは、ほぼすべての個体が正午近くに死ぬべき最終地点に到達し、日没に死に至り、その後、菌がアリの頭を突き破って発芽してきます。そして、菌はこの時間帯さえも操作しているようです。アリが葉脈に最後に咬みつくのは正午ですが、実際にはアリは日没まで生きています。これは、アリの頭を突き破って発芽するプロセスを、涼しい夜の間におこなうための戦略と考えられています。そして、アリの死骸を媒体として菌が周りにどんどんと増えていき、夜になると菌の発芽した子嚢果からゾンビパウダーよろしく葉の上から菌の胞子をまき散らし、その下にいるアリをゾンビ化していくのです。このように、ゾンビアリを作る菌はアリの行動を支配するだけでなく、その場所と時間までも操作する驚くべき戦略を持っています。」とあります。
米沢市内に住んでいた清水大典氏は、この冬虫夏草の第一人者で、1994年には「原色 冬虫夏草図鑑」を著しています。あるとき、直接お聞きしたのですが、この冬虫夏草が見つけやすいところがあるそうで、これもきのこの1種である子のう菌類で土中の昆虫類に寄生した菌糸から地上に子実体をつくるそうです。だとすれば、そのような菌が好む環境があり、そこを見つければいいのかもしれないと思いました。
下に抜き書きしたのは、第8「あなたがいないと生きられないの! 蜜依存にさせるアカシアの木」に書いてありました。
この蜜依存にさせるというのは、「アカシアアリは蛹から羽化すると、まずアカシアの蜜を食します。その一日の蜜はまるで毒のように、アリの体中を巡り、本来持っていたショ糖を消化する酵素を阻害するのです。こうして、幼虫時代には持っていた糖を分解する酵素であるインベルターゼが不活性化し、一生元に戻ることはなく、結果としてアカシアの蜜以外は消化できなくなってしまいます。」ということで、アカシア以外の蜜は受け付けなくなるようです。
(2026.4.30)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| したたかな寄生(幻冬舎新書) | 成田聡子 | 幻冬舎 | 2017年9月30日 | 9784344984707 |
|---|
☆ Extract passages ☆
アリは他の昆虫からアカシアの本を守るだけではなく、植物からも守ろうとします。アリアカシアに他の植物のつるが巻き付くとそれを切断し、周りの値物が成長してアリアカシアが日陰にならないよう駆除するといったことまでしてくれるのです。そのため、アリアカシアのアリを駆除すると、アリアカシアは成長しなくなり、1年以内にそのほとんどが枯れてしまいます。
このように、アカシアの木はアカシアアリに棲む場所と甘い蜜を与え、アリはアカシアを守り世話をします。このような関係は互いに利益を享受しながら進化してきた共生の関係のように見えます。しかし、この関係はお互いに得をする共生関係というよりは、アリを依存症にすることで自分から離れられなくするようなアカシアの本の巧みな戦略が潜んでいたことが、メキシコのシンベスタブ・ウニダード・イラプアト研究所のマーティン・ヘイルらの研究チームによって2005年に明らかとなりました。
(成田聡子 著『したたかな寄生』より)
No.2537『物語のある花図鑑』
厚みのあるきれいな本で、花の物語も添えられた絵も楽しく読むことができました。
花それぞれに物語があるのはわかりますし、ひとつの花にいくつも物語がありそうです。私にも思い出の花があり、その一番は「ヒマラヤの青いケシ」です。これを初めて野生で見たのは中国雲南省の中甸で、そこには青いケシの仲間が3種もありました。なかでも青いのが1996年に見た M.horridula で、次に出合ったのが2016年7月の白茫雪山への途中でした。どちらもヒマラヤ近くで、その空の青さを花に映したような雰囲気がありました。この本にも、ヒマラヤに咲く青いケシは「奇跡の象徴」と書いてありました。
ケシといえば、この本でも取り上げられていたアヘンの材料になるオピウム・ポピー(Papaver somoniferum)は、イギリスのケンブリッジとオクスフォード大学の両植物園で見ました。日本の植物園では、どこも公開していないので、花とラベルと写真を撮ってきました。
それと違うのがいわゆるポピー(Papaver rhoeas)で、これもイギリスのウイズレー・ガーデン(WisleyGarden)の果樹園の庭にたくさん咲いていて、この本には、「カナダやイギリスなどでは毎年11月11日は「ポピーの日 Remembrance Day」。赤いポピーの造花を胸につけたり、花を飾ったりして、戦没者を追悼する記念日です。この習慣はカナダの軍医ジョン・マクレーの詩"In Flanders Fields"がきっかけでした。第一次世界大戦中、激戦地フランドルで親友を失った彼がその悲しみをポピーに託しました。亡くなった無数の兵士が埋められた大地から芽生え、彼らが流した血のような赤いポピーが揺れる様子を綴った詩は多くの人の心をとらえ、戦没者を記憶に留めるための象徴の花になっていったのです。古代から現代まで、大切な人を失った人々にとって、癒しと安らぎの花であり続けるのでしょう。」と書いてありました。
今、世界のあちこちで戦争があり、戦没者も増えています。戦争を始めるのはちょっとしたきっかけですが、戦争を終えるのはとんでもない困難さがあります。これはニュースを見ただけでも、よくわかります。
しかも、核が抑止力ということもこれからはなくなり、いつ実際に使われるか不安な状況です。この本には、ポピーの花言葉のひとつに「思いやり」もあるそうです。力で押さえつけるのではなく、お互いに思いやりをもってものごとを解決してほしいと思います。
この本の中で、興味を持ったのがキンモクセイの原産地は月であるというところで、「誕生伝説のヒロインは天女の嫦娥(じょうが)。中国では絶世の美女といわれる女性のひとりで、夫は弓名人のげい(常用外漢字)。彼が西王母からいただいた不老不死の薬を盗んで飲み、嫦娥は月に逃げていきます。ある秋、下界の杭州を見下ろすと、西湖が広がり、湖面が月に照らされ光っていました。あまりの美しさに見とれた嫦娥は思わず踊り出します。キンモクセイの小枝を手に舞うたびに、花と種子がぱらぱらぱらぱら、雫のように地上へこばれ落ちていきました。その種子が大地で芽吹いて根づき、人間界でもキンモクセイの花を愛でることができるようになったのです。」という花物語です。
私も松江城のお堀沿いに歩いているときに、その香りで咲いていることを知ったり、福島市の医王寺でキンモクセイの大木を見たりして、なんとかわが家にも育てたいとなんどかチャレンジしましたが、寒さに弱いらしく、ダメでした。キンモクセイがダメならギンモクセイでもと思いましたが、これも同じように寒さに弱く、育ちませんでした。
アンズは中国では名医を象徴する花木だとは知っていましたが、孔子との物語があることは初耳です。この本には、「アンズは学業成就、立身出世のシンボルでもあります。儒教の祖、孔子がアンズの木の下で弟子たちを教え導いたからです。その学問所は「杏壇」と呼ばれます。中国の吉祥画ではツバメと一緒にアンズの花を描くのは合格祝いの宴に参加できる喜びを表し、本とアンズは昇進成就で試験や仕事の願いによい組み合わせ。果実の核「杏仁」は誠実な心を象徴します。人に信頼される優れた人物を目指して愛でたい花です。」とあります。
お医者さんの話は、杏林大学などもあり、知っている方も多いと思いますが、孔子と結びつき、しかも試験や仕事の願いを表すとなれば、新学期が始まったこの時期だからこそ、なるほどと思いました。
下に抜き書きしたのは、第2章「日本の古典に登場する花」に書いてありました。
山形県では、一昨年も昨年もサクランボ、特に佐藤錦が不作で、予約していたものも送れなかったそうです。私も食べておいしいのは、やはり佐藤錦ですが、最近は晩生の「紅秀峰」も大粒で果肉が硬く、とても甘いのが特徴です。
収穫はまだ先のようですが、ハウス栽培の早出しは少しずつ出回っていますが、高価です。露地ものはこれからですが、サクラの木が豊穣の象徴であるように、今年こそ豊作になってほしいと願っています。
(2026.4.27)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 物語のある花図鑑 | 杉原梨江子 文・板垣夏樹 絵 | エクスナレッジ | 2025年12月1日 | 9784767834832 |
|---|
☆ Extract passages ☆
日本人はサクラといえば花を思い浮かべますが、西洋ではサクランボなのだとか。果実は快楽のシンボル。一度食べ始めたらおいしくて止まらないように、秘めた快楽ほど心そそられ、やめられない、しかし希望が儚く消え去ることも暗示する果実です。
キリスト教では楽園の果実。マリアが夫ヨセフにサクランボを取ってくれるように頼んで拒絶されたとき、サクラの枝が自らたわみ、マリアの手の届くところまで下げてくれたことから、マリアの聖なる木。処女の美しさを表し、たわわに実をつけたサクラの木は豊穣の象徴です。
(杉原梨江子 文・板垣夏樹 絵『物語のある花図鑑』より)
No.2536『環境イメージのデザイン』
そもそも環境イメージってなんだろうと思っていたら、この本を読みながら、人はいろいろなイメージをいだきながら話していると思いました。つまり、話しながら、そのイメージは頭の中での想像に過ぎないのですが、それを人に話すことによって共感することはできると考えたからです。
著者は建築学科出身ではありますが、どちらかというと環境デザインというか、女子美術大学の教授で、しかも2023年から日本インテリア学会会長をつとめていることもあり、いわゆる建築家ではなさそうです。もっと広い意味での、いわばランドスケープを含めたような総合的住環境デザインではないかと思います。
たとえば、ロジャー・パーカーの「大きな学校、小さな学校」という著書を紹介していますが、私たちも漠然とですが、大きな学校と小さな学校の良い面と悪い面を考えます。しかし、それは特に理論的にまとまったものではなく、なんとなくそうではないかと思うだけです。しかし、ここに書かれているように、「大きな学校とはアメリカ合衆国カンザス州の市街地の高校で2,000人を超える生徒がいる。小さな学校とは生徒数80人から150人くらいの高校で農村部にある4校である。合計5校が調査対象となった。行動場面の数は大きな学校で189あったのに対して、小さな学校の数は50弱であった。しかし行動場面の種類については小さな学校でも大きな学校の75パーセントを有していて行動場面の数ほどの大差はなかった。通常授業を除いてカウントされた行動場面の種類は、屋内スポーツ、屋外スポーツ、ダンス、水泳、選挙、レクレーション活動のための会議、ボランティア活動などであった。このような行動場面に、小さな学校の大半の生徒は10種類以上は参加している。一方で大きな学校では生徒によるばらつきが大きく、参加数の少ない生徒がかなりいる。より多様な行動場面に参加している生徒の割合が高いのは小さな学校の方であった。また3年生に限ると大きな学校の一つの行動場面への参加者数は中央値で36人であるのに対して、小さな学校の参加者数は4校の中央値の平均が11人である。つまり小さな学校の3年生は大きな学校の3年生よりも、それぞれの行動場面で、より責任のある役割につく可能性が高い。」とまとめています。
このように数値化されると、よりわかりやすいので、いろいろな対策も立てやすいと思います。だからといって、大きな学校がいいとか、小さな学校がいいとかいうような問題ではなく、それぞれに一長一短があるようです。ただし、この例より児童数の極端に少ない小さな学校になれば、いろいろな制約も考えられます。たとえば、野球は9人集まらなければできないのがルールですから、もし集まらなければできなくなります。私の住むところでも、1校だけでは集まらないので、野球チームをつくり、他校の児童たちにも参加してもらっているようです。
それでも、少子化に向けて学校統合を考えていても、米沢市のようにいったん決まった統合化も予算の都合で先延ばしになるようです。そういう意味では、このような学校教育環境デザインという考え方を取り入れることは大切だと思います。
それにしても、教科書のサイズが変わり、それによってランドセルが変わり、教室の机なども変わると知り、びっくりしました。教科書はたしかにカラフルになり読みやすくなったのはわかりますが、それでいろいろなものが変化するというのはたしかにあり得ることです。
また、この本の表紙のイラストに、いろいろなものが描かれていて、そのなかにチンパンジーとバナナもありました。これは何を意味するのかと思いながら読んでいると、第章の「それぞれの見ている世界は違う」のなかで、ゲシュタルト心理学者のコフカ(1886〜1941年)の取り上げた挿話が載っていました。
それは、「2頭のチンパンジーが別々の檻に入れられ、天丼からは魅惑的なバナナが吊るされている。そのバナナがぶら下がっている場所から3メートルほど離れた場所に箱がある。檻の中には他に何もない。一方のチンパンジーはしばらくすると箱のところまで走ってバナナの下に箱を運んだ。彼はそれを踏み台代わりにしてバナナを手にする。もう一方のチンパンジーの方はといえば機転が利かずに何度もジャンプに失敗した後、観念して箱に上がり憂鬱そうに座ってしまった。」というものです。
たしかに、失敗し考えることもなく箱に座っているチンパンジーは知能が低いというよりは、人間だってこのような幅の狭い考え方から抜けられないこともあるという反省材料のような気がしました。まさに人の振り見て我が振り直せです。
つまり、どこを見るかによって世界も違うし、考え方も変わってきます。そういう意味では、「不思議の国のアリス」に出てくる道案内の話しと同じです。この本には、「空間は普遍的な概念だが、自分(主体)の位置を考えると少なくとも3つの違う場所を考えることができる。自分の今いる場所を「ここ」とすれば、近いところは「そこ」、遠いところは「あそこ」だ。遠くの「あそこ」を自分の目的地と決めているなら、近くの「そこ」でどちらに進むべきかは大事な選択だ。しかし目的地が決められない時には、どちらに進んでも同じである。それよりも歩み続けることの方が大事だ。」という話しは、とても参考になると思いました。
下に抜き書きしたのは、第4章「世界を冒険するとき」に書いてありました。
これはルイーズ・チャクラが、「子ども時代の場所と愛着」という論文でモデルを示して解説したものだそうですが、私の子どものときの思い出と照らし合わせても、おおむねこのような子ども時代だったと思います。
家の裏山に板などをもって行き、秘密基地を作ったり、自室を改造して、ベットの下に家族にわからないような空間をつくったりもしました。今、このように考えると、たしかにひとつの成長段階を踏みながら成長してきたと思います。
(2026.4.25)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 環境イメージのデザイン | 横山勝樹 | 技報堂出版 | 2026年1月30日 | 9784765526609 |
|---|
☆ Extract passages ☆
愛着はもともと母親に向けられる感情であるのだが次第とその範囲が広がっていく。安心を求める内向きの引力がある一方で、遠方の魅力に惹かれる力も成長と同時に強く働いてくるからだ。5歳までの子どもは保護者の間近で遊ぶことを好むが、6歳から11歳の子どもは自宅の近所で友だちだけで遊ぶようになる。そしてそれと同時に近隣の緑地などで親から離れた自分たちだけの「秘密基地」を求めて探索範囲をひろげていく。12歳以上の青年期には離れた繁華街にも遊びに行くようになる。しかし一方で家の中のプライバシーの守られた場所に引きこもることもある。このような内向きと外向きの力のバランスの中で母親への愛着心が次第と場所への愛着へと拡張され、それと同時に子どもの行動範囲も拡がっていく。それは自己を社会的にあるいは創造的に確立する実践の場を求める行動と言える。
(横山勝樹 著『環境イメージのデザイン』より)
No.2535『木を知る・木に学ぶ』
この本は、4〜5年前に購入していたのですが、いつでも読めると思いながら、なかなか読めなかった一冊です。ところが、副題の「なぜ日本のサクラは美しいのか?」を見て、急に読んで見たくなりました。
サクラに関する話しは、ほとんどがすでに知っていることなので、あまり参考にはならなかったのですが、菌根菌の話しはとても興味を持ちました。「菌根菌のことが注目されたのは、ニュージーランドにアメリカ産のラジアータマツを植林したときです。羊の飼育のために牧草地を開墾したのですが、世界的に羊の需要が落ち込んだこともあり、空いた牧草地にマツを植林しました。ところが、何度植えても生長が悪く、うまく育ちません。たまたまアメリカの土をつけたまま植林したら、今度はすくすくと育ったのです。前述のとおり、アメリカの上にいる菌根菌がいないとラジアータマツはうまく生育できなかったのです。それから菌根菌の研究が飛躍的に進歩しました。菌根菌にもいろいろな種類があり、本との相性もあります。」と書いてありました。
よく、マツタケなども、アカマツがあればどこでも生えてくるのではなく、マツタケはいわば主にアカマツの根に共生する菌根菌だそうです。生育地は、樹齢が約20〜40年ほどのアカマツがあり、比較的栄養が少ない乾燥した砂地や花崗岩地帯のアカマツ林に発生しやすいそうです。そして、アカマツから光合成で得た栄養を受け取るかわりに、ミネラルや水分を供給するという共生関係にあるようです。
だから、昔は里山も芝刈りや枯れ葉などを利用するために人が入っていたのですが、今ではそのようなこともなくなり、さらには松枯れなどの影響もあり、マツタケがとれなくなってなってきています。
それらを考えると、植物と菌との関係は、マメ科に窒素を供給する根粒菌だけではなく、もっといろいろなことがあるようです。
この本を読んでさらに興味を持ったのは、植物の寿命についてです。以前は接ぎ木や挿し木などで、いくらでも同じ遺伝子を持った個体を増やすことができるとは思っていました。たとえば、ソメイヨシノも、たった1個体から増殖されたサクラなので、毎年恒例のサクラ開花前線などもつくりやすいわけです。私も、シャクナゲのいい個体が見つかると、接木などで増やしていましたから、とてもなじみのある話しです。
ところが、「DNA解析が飛躍的に進んだために、現在では何万年もの間同じ個体が分化して生長し続けている樹木が発見されています。写真はオーストラリア王立植物園で育てられているロマテイア・タスマニカ(Lomatia tasmanica)という樹木です。4万年ほど前に発生した個体から同心円状に周囲に株が広がり、現在では100株ほどがバラバラに生存しています。各株のDNAは同じなので、古い時代に円の中心にあった株から株別れしたものだといわれています。」とこの本には書いてあります。
そういえば、イギリスのキューガーデンで見た「Wollemia nobilis」は、生きた化石といわれ、最も古い化石は2億年前のものもあるそうです。それが1994年にオーストラリアのシドニーから200Kmほど離れたウォレマイ国立公園内の渓谷で発見されました。ナンヨウスギ科ウォレミア属ですが、日本では「ジュラシック ツリー」ともいいます。
これらを考えると、世界には、まだまだ不思議な植物があると思います。ただ、知らないだけですから、もっともっと知りたいとも思います。
私はシャクナゲが好きなので、つい、それに関する記述を見つけると何度も読んでしまいます。たとえば、サツキとツツジについてですが、この本には、「江戸時代の園芸書には、サツキとツッジを分けて品種群が語られていました。その流れが現在も続いているので、ツツジと分けて語られるサツキですが、ツツジとの交雑も進み明確に区別しにくくなっています。目安としては雄しべの数で、サツキは5本、ツツジは大半が10本です。その他、冬季にツツジは半落葉しますが、サツキはしません。新芽はツツジが花後、サツキは開花時に伸び出します。開花期はツツジが先でサツキが遅れるなどです。」とあり、たしかに今は交雑が進み、はっきりとは区別できないものもあります。
どちらも、挿木で意外と簡単に増やすことができるし、シャクナゲのように栽培も難しくないので、つい興味を失いがちですが、年を重ねてくると、早く花を見ることができるなどの利点もあると思うようになってきました。
下に抜き書きしたのは、第3章「木の歴史――ブナ」に書いてあったものです。
昨年から津軽三十三観音札所詣りを始め、2度ほどお詣りしたのですが、その第25番札所の「松倉観音堂」は五所川原市前田野目鞠ノ沢にあり、山道に入るとほぼ等間隔に「津軽三十三観音石像」が立っていました。その付近にはブナ林が広がり、ほとんど人気のない自然林のような風景でした。ここ梵珠山は、縄文時代から磐座をご神体とする信仰があったそうで、西の赤倉、東の松倉というそうで、赤倉というのは岩木山の登山道のひとつで、赤倉神社付近にもブナ林があるそうです。
また、ブナで思い出すのがニュージーランドで見た南極ブナで、ものすごく太い木々が立ち並んでいました。ブナの木は、寒いところに自生しているというのが実感できました。
(2026.4.22)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 木を知る・木に学ぶ(ヤマケイ新書) | 石井誠治 | 山と渓谷社 | 2015年8月1日 | 9784635510059 |
|---|
☆ Extract passages ☆
2万年ほど前の氷河期には、海面が下がり、日本海には対馬暖流が流れ込んでいませんでした。日本海側の多雪地帯には、冬の豪雪はなく乾燥していました。ブナは冬乾燥してしまう地域では、次世代の若木が生育しにくくなります。当時のブナは花粉分析の結果、分布がかなり南に偏っていたようです。氷河期が終わり、海水面が上昇するにしたがい、対馬暖流が日本海に流れ込むようになると、冬の北西の季節風が海水温の高い対馬暖流から水分補給を受けて、日本海側の山に雪を降らせます。雪が降ると、前年秋に結実したブナの種子は、乾燥する間もなく雪の下の湿度100パーセント、気温零度の世界で生き延びることになります。冬の間種子からは根が出て、雪解けまでには種子に十分な水分が入ります。
雪解けすぐの明るい林床で双葉を広げて、ブナの種子は育っていきます。雪がないとブナの種子はうまく発芽しにくいのです。海面が下がっていた雪のないころには、新潟あたりまで南下していたブナが、その後1万年くらいかけて日本海側を北上しました。現在は北海道黒松内低地まで分布を広げています。いまでもゆっくりですが、北上していることがわかっています。
(石井誠治 著『木を知る・木に学ぶ』より)
No.2534『植物の謎』
新書版で私の本棚で一番あるシリーズものは、この「BLUE BACKS」で、ざっと見て35〜6冊はありそうです。なかでも多いのが植物関連のもので、半分以上は占めています。
もともと植物が好きといっても、花が咲くときれいだと思う程度ですから、植物の不思議さは考えても、その生理までは思いもしませんでした。しかし、不思議をたどって行くと、なぜか植物が本来もっている仕組みまで考えます。そして、植物のすべてを知ろうと思い、このような本も読むことになりました。
副題は「60のQ&Aから見える、強くて緻密な生きざま」で、もともとは日本植物生理学会のホームページ(http://jspp.org/)に寄せられた質問とその回答をもとに編集したのがこの本です。そういえば、以前に「これでナットク! 植物の謎」を読んだことがあり、まだ手もとにもあります。「これでナットク! 植物の謎 part 2」も2013年に出ていますから、これで3冊目のようです。
よく思うのですが、植物によって葉のギザギザが違い、たとえばヤツデなんかも葉の切れ込みの違いから名づけられたようです。今までに見たなかでおもしろかったのは、南インドの「Ficus krishnae」で、葉の基部の部分が裏側に折り返すのです。まさに、ポケットのように見えました。
この本では、植物の鋸歯は「……持つ意義としては、葉面境界層を薄くすることが挙げられます。葉面境界層とは、葉の真上に存在する空気のよどみのことです。鋸歯があると空気の渦ができるため、この空気のよどみがかき混ぜられることになり、平均境界層は薄くなります。それにともない、光合成速度は上昇し、蒸散速度も上昇します。したがって、効率よく光合成生産をおこなうには、鋸歯は都合のいい性質といえるでしょう。一方、鋸歯を持つ葉は、ちぎれやすいといった力学的観点における問題があります。これらを勘案すると、短期間で光合成生産をおこなう落葉樹の葉は、鋸歯を持つと有利であるといえるかもしれません。」とあり、たしかに難問のようです。
考えてみれば、植物の身になって考えるということはできないので、あくまでも、「そうではないか」ということのようです。なかには、はっきりとわかることもありますが、なかなかわかりにくいこともあり、やはり謎めいていることかもしれません。
それでも、比べてみるとはっきりとわかるものもあり、たとえば小石川植物園で育てているショクダイオオコンニャクの大きさは、シロイヌナズナと比較すると、「葉(葉身)の長さを比べると、シロイヌナズナの1〜2cmに対して、ショクダイオオコンニャクはその100〜200倍の約2mでした。ところが、葉の気孔の両側にある細長い細胞(孔辺細胞)の長さは、シロイヌナズナの15μmに対して、ショクダイオオコンニヤクは約3倍の40〜50μmです。孔辺細胞以外の細胞の面積でも、シロイヌナズナの500〜1000μm2に対して、ショクダイオオコンニャクは2000μm2でした。この結果から、ショクダイオオコンニャクが大きいのは、細胞が大きいからではなく、細胞の数が多いからだということがわかります。動物と同じく植物の個体の大きさも、細胞の大きさによるのではなく細胞の数によることになります。」と書いてあり、このように数字で書き表されると疑いの余地がありません。
下に抜き書きしたのは、第5章「細胞と代謝」に書いてありました。
植物のなかには、とてつもなく長生きの例があり、たとえば大賀ハスは、大賀一郎博士が1951年に千葉県検見川の縄文時代の地層からハスの実を発見し、発芽・開花させたもので、約2,000年前のハスの実です。 というのも、縄文・弥生時代の地層から発掘されたのですからまさに「世界最古の花」といってもいいかもしれません。
今では、日本各地で株分けされた大賀ハスが、6月中旬から7月上旬までピンク色の花を咲かせます。しかも、千葉県の天然記念物や千葉市の花にも制定されているそうです。
そういえば、2086年4月にブータンのウラ(Ura)峠付近で見つけた「ネパレンシス・ピプタンツス(Piptanthus nepalensis)」の種子を持ち帰り、それをそのまま部屋のなかに置き、15年ほど経ってネパールでも見たので思い出し播いてみると、ほとんどが芽出しをしました。これはマメ科の常緑ないし半常緑の低木で、ネパールや中国雲南省などにも分布しています。今では種子も持ち出してはダメになりましたが、その当時は大丈夫で、今でもその残りの種子が部屋のどこかにあるようです。
もう少しあたたかくなったら、試しに、またその種子を播いてみたいと思いました。
(2026.4.19)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 植物の謎(BLUE BACKS) | 日本植物生理学会 編 | 講談社 | 2024年3月20日 | 9784065348383 |
|---|
☆ Extract passages ☆
農林水産省の農業生物資源ジーンバンクでは、約15万種(種、品種、変種などの合計)の種子を−1℃と−18℃の2種の温度、乾燥条件で保管しています。5年ごとに−1℃保管の種子で発芽試験をして、発芽率80%以下になったものは、−18℃保管種子を用いて増殖栽培をして種子を更新、保管にまわしています。このことは、植物種子には10年以上生存するものもあることを意味しています。
また、茎頂、腋芽などの器官小片を、特殊な保存液でゆっくりと低温馴化してから極超低温(液体窒素−196℃)で保管する方法もとられています。
(日本植物生理学会 編『植物の謎』より)
No.2533『「ふつう」ってなんだろう』
副題は「病気と健康のあいだ」で、たしかに、病気でもないし健康でもないという間のような感覚はありそうです。
その言葉に惹かれて、読むことにしました。読むにしたがって、「ふつう」ってなかなか難しい問題を含んでいることがよくわかります。著者は、この「ふつう」について、「おわりに」のなかで、「……それでも「ふつう」を見直すことには、どんな意味があるのでしょうか?1つには、「ふつう」がもっている「押しつけがましさ」を少しでも和らげることができるのではないか、ということです。「ふつうは、こうでしょ」と言われると、それに従わなければいけない気持ちになります。でも、「その『ふつう』は、どうやってできたのだろう」と知っておけば、「ふつう」に無理に合わせすぎなくてもよくなるかもしれません。もう1つ、私のひそかな野望は、この本を読むことで、病や障害というテーマをこえて、広く社会のあり方について思いをめぐらせる「想像力」が養われることです。」と書いていて、たしかに「これがふつうです」といわれれば、自分は変わっているのかもしれないと考えてしまいます。
私の場合は変わっていると言われてもどうってことないのですが、もし、身体的な障害などがあれば、少しは気になると思います。最近は、障がいもひとつの個性だとする意見もあり、少しずつ改善されつつありますが、それでも多くの人たちは悩んでしまいます。
だとすれば、「病気と健康のあいだ」に、いろいろな違いがあり、それだってふつうとあまり変わりないと思えれば、それほど気になることも少なくなりそうです。
著者も、「ふつう」という考え方が、私たちの頭の中にある個人的な思いこみだけではなく、社会的な大きな仕組みによって作られているとすれば、なかなか変えることは難しいといいます。つまり、国の法律や制度、さらには子どものときからの学校や家庭でのルール、そして日々流れてくるテレビやネットの情報などにも関わってきます。
つまり、ものの考え方などを変えなければいつまでも「ふつう」に振り回されていまいます。
また、繊細さについても心理学的な説明がされています。繊細というのは、広辞苑によれば2つの意味があるといいます。1つは、「物の形が細く小さく、ほそぼそとして優美なさま(例:繊細な柄)
で、もう1つは、「感情や感覚がこまやかで、微妙であるさま」です。
ところが心理学では、「外からきた刺激を深く(Deep)処理することが原因となって、刺激を受けやすく(Overstimulated)、感情的な反応が強く(Emotional)、人に共感じやすく(Empathy)、ちょっとしたことに敏感である(Sensitivity)という性質があるからだというのです。これらの特性の頭文字をとって「DOES」と呼ばれることもあります。ただし、これは精神疾患ではありません。あくまで、人間の気質や特徴の傾向の一つで、世の中の人びとの5人に1人はHSPかそれに近い特性とされています。こうした繊細さのために、ストレスがたまって、その結果うつ状態になることはあり得るでしょう。しかし、「繊細」過ぎることそのものは病気や障害とイコールではありません。」といいます。
私は、これまで繊細というのは良いイメージで、ほとんど悪く考えたことはありません。お茶をしていると、指の先ひとつにも神経が行き届いていて、細やかな振る舞いが繊細さにつながるとさえ思っていました。でも、この繊細さのために「ストレスがたまって、その結果うつ状態になることはあり得る」といわれれば、やはり悪いイメージにつながります。
考えてみると、何にでも程度というものがあり、度を超えると悪くなるのかもしれませんが、日本の伝統的な作法には、繊細さがつきものだと思っています。
下に抜き書きしたのは、第3章「病気と健康の創造力」に書いてあったものです。
これには思い出があり、各地の苗字を調べていたときに、「肥満」という苗字が三重県松阪市にあるということで、さらに調べてみると、全国で30人ほどいるそうです。その由来は、「昔、ある村で村人が旅をしている僧を家に泊めた。旅立ちの日、僧は泊めてくれたお礼として石をくれた。不思議な事に、その石は、なぜか時がたつにつれて、太るように大きくなっていき、それと同時に村が栄えるようになったとか。実はその旅をしていた僧とは、かの有名な弘法大師(空海)だったのである。村人は、この石にあやかって名字を「肥満」にしたという言い伝えが残っている。」とあり、なるほどと思いました。
そういえば、インドで一人旅をしていたときに、たまたま知り合った人が美人だというので見ると、だいぶ太っていました。彼がいうには、インドの美人は、肌が少しでも白っぽくて、太り気味の人だそうです。
この説明ではナイジェリアのようで、懐かしく思い出しました。そして、本来は、グアテマラの人たちのようになんでも測定するのは奇妙な行為だという考えに大賛成です。
(2026.4.16)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 「ふつう」ってなんだろう(講談社現代新書) | 美馬達哉 | 講談社 | 2026年1月20日 | 9784065423318 |
|---|
☆ Extract passages ☆
最近は西洋文化の影響が強くなって変化してきたようですが、ナイジェリアでは、女性の身体サイズが大きいことは、その家族が経済的に豊かであることの象徴として賞賛されていました。また、フイジーでは、身体サイズが大きいことは、そのコミュニティが食物を平等に分け合っていることを意味し、互いに助け合う絆の強さを示すものとして肯定的に考えられています。さらに、グアテマラでは、そもそも、測定は物品の売買に関わる行為であって、人間の体重や腹囲を測定するのは奇妙な行為として笑いや怒りの対象となるといいます。なお、海外文献では、日本の「力士」も大きい身体サイズを肯定する文化の一例として紹介されています。
(美馬達哉 著『「ふつう」ってなんだろう』より)
No.2532『和菓子迷宮をぐるぐると』
題名だけで選んだので、内容もほとんど確認せず、借りてきました。
いざ、読み始めると小説だとわかりましたが、そのまま読み続け、読み終わりました。ということは、興味のあることなので、とてもおもしろかったです。
私もほぼ毎日、お抹茶を点て、和菓子を食べていますが、それをSNSで流すようになって、数年は経っています。ある方から、そんなに毎日お菓子を食べて、病気の心配はないですか、という質問を受けたこともあります。
それでも、年2回は血液検査などをしていますが、今のところ心配はなさそうです。
よく、洋菓子よりは和菓子の方が身体に優しいといわれますが、それはバターや生クリームなどの脂質をほとんど使用しないので、低脂質・低カロリーであるからのようです。さらに、餡子ものなどの原料である小豆などは、自然素材だし、食物繊維なども含まれているので、意外と腹持ちもよいのです。
だから、健康志向の方やダイエット中の人たちにもいいようです。
ただ、私の場合は、単純にお抹茶に合うからという理由ですが、お茶会でも主菓子や干菓子なともほとんどが和菓子です。たとえば、クリスマス茶会などでも、主菓子は上生で、「聖夜」とか「雪」、「サンタクロース」などという西洋の要素を和の繊細さで表現したものがほとんどです。
ということは、和菓子は日本古来の季節感や、最近流行りのものまで、いろいろと表現することができます。もちろん洋菓子もいろいろな変化はあるでしょうが、たとえばイチゴショートケーキなどは、季節で変わることはほとんどありません。秋になると栗を使ったケーキも出てきますが、モンブランなどはいつでもお店に出ています。
ところが、たとえば岐阜県中津川市の「すや」では、栗きんとんなどは新栗が出る9月ごろからその原料がなくなり次第に終了します。まさに、季節限定の商品です。
この本のなかで、河合涼太に質問された華房伊織が、「人は美しいものを単純に美しいと思うだけでなく、どうして美しいのかを知りたいと考えます。自然界で美しいというのはどういう意味を持つのかと考えるひともいれば、人間はなぜその形を美しいと感じるのかと考えるひともいる。美を数式で表すというのも、そうした美への探求のひとつの道筋なのでしようね」と答えます。
河合涼太は、もともと物理工学科の学生で、大学院に行こうとしているぐらいですから、数式にも強く、ちょっと理屈っぽい性格ですから、このように返答したようです。
でも、このあとに「タジマモリ製菓専門学校」に入っても、その科学的思考が菓子作りにも生かされ、たしかに理詰めではありますが、新たな菓子への思考にもつながります。
この華房伊織は和菓子作りの達人ではありますが、素人で無作為に作った菓子には太刀打ちできないこともあるといいます。
彼が、ある陶芸家を訪ねたときに、自作の鬼まんじゅうを自作の皿に盛って出してくれたそうです。それを見て、とても美しいと思い、大きな衝撃を受けたそうです。すると、その陶芸家は、「わたしは自分が思ったとおりにできた焼き物は割って捨てます。自分の意図の及ばないところから生まれる美を求めているからです」と話したそうです。華房伊織は、それまで「美とは人間の美意識に
よって磨かれるものだと信じてきたのです。しかし目の前にあるのは細工をしないという細工によって作られた皿と菓子でした。それが美しい。僕がどんなに頑張っても到達できない美しさがそこにはありました。」と弟子のリン・ティンに話します。
つまり、同じように作ろうとしても、違うものにしかならない、それはなぜかというと、「僕には不作為の美を作る力がないから」と言い、自分でコントロールできないものを作ることはできないということらしいです。
ということは、真似ることはできても、それは違うということのようです。たしかに、世の中にはこれと似たようなものがたくさんあるような気がします。よく、贋作にもこのようなものがあり、真似ようとするとことからくるかたぐるしさみたいなものがあり、またぎこちなさも感じます。だから、本物を良くみることで、その違いがわかるようになるます。
下に抜き書きしたのは、第4章「新春和菓子コンテスト」に書いてあったものです。
これは、「タジマモリ製菓専門学校」の和菓子担当の先生、胡桃沢篤秋が話したことですが、それ以前に「餡だけではない。和菓子そのものが迷宮だ」といい、それがこの本の題名にもなっています。
たしかに、どんなことでも、これでいいと思ったときから進歩はなくなります。むしろ、退歩するといっても過言ではありません。
そういう意味では、さらっと言っているようでも、本当に大切なことだと思います。
(2026.4.13)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 和菓子迷宮をぐるぐると | 太田忠司 | ポプラ社 | 2021年2月15日 | 9784591169445 |
|---|
☆ Extract passages ☆
「ピアノは1日練習を休むと、鈍った指を戻すのに3日かかるそうだ。菓子作りも、まあそこまでシビアじゃないけど、似たようなところがある。同じレベルを維持するのには平生の努力が必要なんだよ。自分は90点出せるからってサボったら、あっと間に点数は下がる」
彼は寿莉に言った。
「だから、頑張りつづけるんだ」
(太田忠司 著『和菓子迷宮をぐるぐると』より)
No.2531『カモシカと進化をめぐる冒険』
ここ、小町山自然遊歩道にもニホンカモシカのなわばりがあるらしく、ときどき出合うことがあります。でも、このニホンカモシカは意外とおとなしく、ジッと見ていて、私が目を離したすきに動き出します。
そういえば、ある本に、ニホンカモシカはあまり目が良くないと書いてあり、だからこちらをジッと見ているのかなと思いました。でも、詳しくはわからないので、たまたまこの本を見つけ、読むことにしました。
著者が調査をする前に、岸元良輔さんと落合啓二さんという研究者が、ニホンカモシカの社会について調査研究したのがあり、それによると、
●カモシカは基本的に単独で生活し、時折4頭以下の群れが観察される
●群れの構成は母と子のペアもしくは大人のオスとメスのペアが基本
●雌雄ともに同性の大人に対しなわばりをもち、オス同士もしくはメス同士がなわばりの境界付近で出会うと追いかけなどの激しい攻撃行動が起こる
●1頭のメスのなわばりに1頭のオスがなわばりを重ねることにより、一夫一妻制の配偶システムをもつ
●稀にオスが複数のメスのなわばりを含む大きななわばりを防衛することにより、一夫二妻もしくは一夫三妻が観察される
とあります。著者も、これだけわかっていれば、新たに研究することもないではないかと書いてますが、読み続けてみると、いろいろな発見があります。
自然というのは、なんとも奥が深いというのがよくわかります。そういえば、小町山自然遊歩道のニホンカモシカだって、いまだにオスかメスかわからず、ペアがいるのかさえわかりません。
研究するというのは、本当に大変だと思ったのは、「ものすごい暴風雨の中で半日ほど調査をし、「いや俺も動き回ってる場合じゃないな」と悟り、観念してステーションヘ引き返した。台風のときはカモシカも人も動き回らないほうが安全というのは共通のようだ。また、1メートルくらいのドカ雪が降った直後もカモシカはほとんど動かなかった。理由は雪山を自分で歩いてよくわかったが、移動するのが普段の10倍くらいしんどくなるのだ。ってか、ツボ足じゃ身動きをとるのもやっと。頑健な足腰をもつカモシカといえど、降雪直後に普段と同じように動き回るのは難しいようだ。」とあり、これだって、台風のさなかでも大雪のときでも、フィールドに出てみなければわからないことです。部屋のなかでそうではないかと思っただけでは、研究ではないのです。
この「ツボ足」というのは、著者の脚注によれば、「スキーやスノーシューなどの道具を使わずに、積もったばかりの深い雪の上を歩くこと。足が雪に沈み込み、壺のような形をした足跡かできる。スキーやスノーシューに比べて体力を消耗しやすい。」と書いてあり、私も小さいころは輪かんじきを履いて野山に入りました。ところが、3月ごろの朝のかた雪のころになると、長靴のままどこでも歩けるので、とても楽しかったことを思い出します。
今年も、なんどか長靴だけで小町山自然遊歩道を歩きながら、野生動物たちの足跡探しをしました。もちろん、そのなかにはニホンカモシカの足跡もあり、ワクワクしました。
下に抜き書きしたのは、第1章「有蹄類の楽園」に書いてあったものです。
蹄は捕食者から逃れる役割があるとは思ってもいませんでしたが、そういえば、No.2511『馬のこころ』のところで、「ウマはもともと、捕食される側の動物であるため、臆病で、警戒心が強く、自分の身に危険が迫ると、いち早く逃げる傾向をもっている。突然の大きな音や声にびっくりしたり、急に物や人が動くのを怖がったりするのも、自分の身に危険が迫ったときにすぐに反応できるよう、敏感で繊細な性格を持ち合わせているためだろう。」と抜書きしましたが、改めてなるほどと思いました。
やはり、野生動物たちは、その進化の過程で、失ったものや改めて獲得したものなどがあり、そして今があると思います。この本のなかで、シカが増えすぎてニホンカモシカの生存が脅かされていると書いてありましたが、それは人が自然のことを知らずに勝手にいろいろな手を下すからです。たとえば、シカやクマが増えすぎたことだって、同じようなものです。
そういう意味では、このような研究も大切なことだと強く思いました。
そういえば、この本のなかに、ニホンカモシカの年齢について書いてあり、「カモシカの角には溝がある。これは木の年輪と同じように年毎に刻まれる。捕獲した際にこれを見ることで齢査定ができる」と書いてあり、これなども初めて知りました。
(2026.4.10)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| カモシカと進化をめぐる冒険 | 田隼人 | 文一総合出版 | 2025年11月30日 | 9784829972625 |
|---|
☆ Extract passages ☆
有蹄類が共通でもつ「蹄」と「少ない指」という特徴は、地上を速く走るために特化した形態で、まさに捕食者から逃れるための適応といえる。硬い角質でできた蹄は力強く地面を蹴り出せるし、少ない指は四肢の動きを前後方向に固定して、蹴り出した力をより効率的に推進カヘと変えることができるのだ。有蹄類の祖先はもともと5本指で、蹄じゃなくて普通の爪(釣爪)をもっていたと考えられている。これに対し現生偶蹄目は主蹄と呼ばれる2本の指で体を支える。また奇蹄目のウマ科にいたってはたったの1本の指で体を支えている。
(田隼人 著『カモシカと進化をめぐる冒険』より)
No.2530『沈黙は猛毒、お喋りは百薬の長』
著者の石川恭三氏とは、杏林大学でバリバリと仕事をしているときに、ある講演会でお会いし、たまたま懇親会でも隣り合わせの席だったこともあり、親しくお話しをする機会がありました。この本にも出ていますが、著者はほとんどお酒を飲まないので、お茶の話しをしたり、このなかにも書いてあるような健康の話しをしたりしたと記憶しています。
とくに、笑顔の効用の話しもあり、それで思い出したのが、下に抜き書きをしたことです。また、本のことなどにも触れ、この本のなかで、「作品に登場してくる人たちの人生を疑似体験しながら、自分の人生について考える機会が得られることは読書のメリットである。そして、読書を通して未知の言葉と出会ったり、頭の中で冬眠していた言葉が党醒して動き出してくるのを感じて心がはずんでくる。年をとると体の動きが鈍くなり行動範囲が狭くなっているが、読書を介して言葉の翼を大きく広げて、未知の広い世界を飛翔していることを実感している。」とあり、私も似たようなことを感じたことがあります。
そういえば、最近のコマーシャルで宮沢りえが「いちいち面倒じゃないですか」と言い、レコード盤を磨いているタモリが「面倒だからいいんじゃないの」と答えるのがあります。たしかに、ある程度年を重ねてくると、面倒なことでも楽しく感じるときがあります。この本でも「面倒くさいことをすることで世間とつながっている面があるのは事実で、それをやらないでいると世間が狭くなっていく。そこで、面倒くさいと思っても、やったほうがいいかもしれないという気持ちがあったら、それを嫌々我慢してやるのではなく、面白がってやってみることにしている。ちょつと芝居がかつているのだが、これが結構、うまくいくから人間の心理は不思議である。これは、笑うから楽しくなり、泣くから悲しくなるのと同じで、面白がってやっているうちに本当に面白くなるのである。」といい、私もこれはあると思いました。
たとえば、カメラでもシャッターを押しさえすればそれなりに撮れますが、レンズを交換したり、フィルターをつけたり、露出やシャッタースピードを変えたりして撮ったほうが、出来はともかくとして楽しいのです。そしてなにより、そうして撮った写真だから、いつまでも記憶のなかに残っていたりします。
逆に、何でも簡単にやってしまっていたら、それこそ記憶に残らないばかりか、なんでもありきたりになってしまいます。
また、江戸時代後期の松戸藩主の松浦静山の言葉に、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」というのがあるそうです。これを著者は、「表目に出たときはどうしてそうなったのかわからないことがあるが、裏目に出たときはその原因はたいてい明らかである。そして、裏目に出たときはその原因がわかっているだけに、二度と同じような轍を踏まないように肝に銘じるはずである。私の周囲にいる人たちの中で、裏目の多い人生を送ってきた人に思慮深い人が目立つのはそのせいなのかもしれない。私もやることなすことすべてが裏目に出て、もうどうにでもなれと開き直ったことが何度かあった。それでもそのときどきで、がむしゃらに打開策を講じて何とか切り抜けてきたのだが、振り返ってみると、裏目に出たことから多くのことを学んだ。」と書いています。
おそらく、うまくことが運んだときには、あまりその前後のことを考えないかもしれませんが、失敗したり裏切られたりしたときには、いろいろな気づきがあります。だから後々まで覚えているのかもしれません。この言葉は、東北楽天ゴールデンイーグルスの名誉監督、野村克也氏の座右の銘として話題になったことがあり、覚えている方もいるかと思いますが、失敗を真摯に分析すべきであるという戒めでもあります。
下に抜き書きしたのは、「美顔術」のなかにあったものです。
これは、いわばおとぎ話のようなもので、講談社刊の香原志勢著「顔の本」のなかにあったそうで、著者が要約して紹介したものです。
著者は、「このおとぎ話で興味深いのは、お面のような柔和な顔をするように常に心がけているうちに、そのような顔になったという点である」と書いていますが、私はそのお面に合わせて柔和な顔つきにせざるを得なかったので、それがいつの間にか顔の表情まで変えてしまったのではないかと思いました。つまり、最初は強制的にでも柔和な顔にしていても、だんだんと強制されなくてもできるようになり、それが自然と身についたのではないかと想像しました。
私もよく、笑顔になるには、笑顔になりたいと常に思っているだけで笑顔になれるという話しをします。最初は作り笑いでもなんでもいいから笑顔を心がけているうちに本物の笑顔になるということです。
(2026.4.7)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 沈黙は猛毒、お喋りは百薬の長 | 石川恭三 | 河出書房新社 | 2016年10月30日 | 9784309025056 |
|---|
☆ Extract passages ☆
「むかし、むかし、ある国の勇猛な王様は恐ろしい顔をしていたために、妃のなり手が見つからなかった。そこで王様は、一人の賢者のすすめで、お面つくりの名手が作った柔和な面差しの面をつけることにした。それは王様の顔にぴったりとあてはまり、もはやお面とは見えないどころか、正真正銘の王様の顔と言っていいほどだった。柔和な顔になった王様は遠い国から美しい気立てのいい妃を迎えることができ、妃ともども幸せな日々を過ごすようになった。だが、王様は妃に自分の本当の顔を隠していることに良心の呵責を覚え、思いきってお面を取る決心をして、自分の部屋で面を取りはずしてみた。そして、恐る恐る鏡の中の自分の顔を覗いてみると、かつての恐ろしい顔ではなく、すっかり柔和なお面通りの表情の顔になっていた。王様はその顔で妃の前に立ったのだが、妃は王様がお面をはずしたことにまるで気づかなかった。王様はもう自分の秘めた悩みを告白する必要がなくなり、妃と末永く幸せに過ごした。めでたし、めでたし」
(石川恭三 著『沈黙は猛毒、お喋りは百薬の長』より)
No.2529『香をたのしむ』
私も茶道をしていることで、香と少しは関わりがあります。そして、京都で1年ほど過ごしたことがあり、その記念に、京都の松榮堂で伽羅や沈香、そして線香も買ってきました。伽羅は、山形ということもあり、銘「紅花」と銘「花かづら」、沈香はお茶で使えるようにといろいろなものを選びました。
今回、改めて松榮堂のホームページを見ると、伽羅を原料にした「五雲」はなくなり、「春陽」も9,900円ということでした。買ったのは、もう50年以上も前のことですから、今では伽羅もなかなか手に入らないようです。
さて、この本ですが、「日本の癒し 4」で、「ハートフルグランスのすすめ」という副題がついています。
香も、茶十徳と同じように「香十徳」があり、一休宗純が書き残しているそうです。それをこの本の最後に、著者と対談をしている(株)香十の社長の稲坂良弘氏が現代語にまとめたので、それによると、「(1)感覚を研ぎ澄ます (2)心身を清浄にする (3)汚れなどを除く (4)眠気を覚ます (5)孤独を癒す (6)多忙時に心を和ます (7)多くても飽きない (8)少なくても足りる (9)長く保存できる (10)常用しても無害」と書いてます。
これは茶十徳と同じようなもので、こちらは明恵上人が、京都の栂尾高山寺の庭に茶の種を蒔き、お茶を飲むことの効用を広めたことから、仏教色が濃く出ています。ちなみに、(1)諸佛加護 (2)五臓調和 (3)孝養父母 (4)孝養父母 (5)壽命長遠 (6)睡眠自除 (7)息災延命 (8)天神随心 (9)諸天加護 (10)臨終不乱、となっています。
このお茶の場合は、もともと薬として日本に招来されてきたことがよくわかります。しかし、香も仏教とは深い関わりがあり、この本のなかで稲坂良弘氏は、「日本の香りの歴史は、6世紀の仏教伝来から形成されてきました。香木や香りのよい漢方生葉等の香料を焚き、人々の祈りや願いをかぐわしい香りに託す。こうした宗教的儀式が広がる一方で、香を焚く習わしは、貴人たちの優雅な生活文化のひとつとなり、室町時代には、たいた香木を当てる香り遊びが発展して芸道となり、「香道」が生まれました。」と書いています。
考えてみると、香というのは奥が深く、香りも煙が立つからわかるだけで、いわば透明な存在です。それが、日本人の心に響いてきたわけですから、ほんとうに不思議です。京都で手に入れた香もだいぶ残っているので、これからは香を楽しむ時間的なゆとりも持ちたいと思いながら、この本を読みました。
下に抜き書きしたのは、序章の「香りが世界を豊かにする」に書いてあったものです。
たとえば、茶道も華道もそうですが、すべてに香りがつきものです。茶道の場合は、炭点前のときに、風呂のときは香木、炉の場合は練香を使いますが、さらに香木は木地の香合が多く、練香のときには陶器のものが多くなります。
私は植物も好きですが、花の香りも強いのと弱いの、さらにはほとんど香りのないものもありますが、それも花の個性です。一昨年の夏に北海道の大雪山に行った時の帰りに富良野のラベンダー畑に寄り道をしたのですが、さすがハーブの代表格だけあって、あたり一面に花の香りがしました。もちろん、乾燥させると、さらにいい香りになります。
これを書きながら、今思い出したのですが、体調の悪いときに中国四川省に行ったときに、空港から車で街に移動した途端にその街に漂うニオイにむせかえるようでした。まったく食欲もなくなり、名物の担々麺などはまったく受け付けず、味のほとんどない麺を食べていました。
ところが2〜3日過ぎると、そのニオイもほとんど気にならなくなり、どこでも何を食べても大丈夫になり、成都名物の陳麻婆豆腐店の伝統的な麻婆豆腐も食べることができました。そして、むしろ、その街中のニオイが旅の1つの思い出になったのは不思議です。
(2026.4.4)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 香をたのしむ | 一条真也 | 現代書林 | 2010年1月21日 | 9784774512259 |
|---|
☆ Extract passages ☆
一日だけでなく、わたしたちの一年も、香りとともにあります
日本には四季という季節のアクセントがありますが、春には梅や桜の香りが、夏にはスイカや夏ミカンの香りが、秋には松茸や秋刀魚の香りが、そして冬には鍋料理や日本酒の熱爛の香りが、それぞれの季節の素晴らしさを彩ってくれます。
そして、わたしたちの人生そのものも、香りとともにあります。……
時間だけでなく、香りは空間の思い出とも結びついています。これまで旅行した、さまざまな街の匂い、パリ、ロンドン、ローマ、アテネ、マドリッド、イスタンブール、ドバイ、ソウル、台北、上海……それぞれの街の様子を思い出すとき、そこにその街に漂っていた香りが脳にフラッシュバックしてきます。
考えてみれば、香りというものがなかったら、わたしたちの人生は何と味気ないものでしょうか。
そう、香りが、人生を、そして世界を豊かにするのです。
(一条真也 著『香をたのしむ』より)
No.2528『おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ 2』
今回も村上ラヂオシリーズで、図書館で聞いたら、3巻までしかないということで、今回で終わりです。しかも、新年度を迎えましたから、そろそろ新しい本に出合いたいです。
先ずはとりあえず、この本についてですが、「anan」の2009年10月21日号、2010年3月3日号、そして2010年3月24日号から2011年3月23日号まで連載されたもので、加筆修正してまとめたものだそうです。
今回も「あとがき」というか、「挿絵をさせてもらって」は、大橋歩さんです。
内容はそのときどきのことなので、何もつながりはなく、どこから読み始めても、どこで読み終わっていいので、どちらかという気楽に読めます。ただ、No.2527『村上ラヂオ』で「スーツの話」で出てくる内容と「ミラノ・コルティナ冬季五輪」で、選手に授与されたメダルの破損のことをからめて書きましたが、この本の「スーツを着なくちゃ」のローマの話しはダブっていました。まあ、それはそれでいいんだけど。
でも、本についての思いなどは私と似たようなところがあり、「それでもたまに自分の本棚を見渡し、幾多の引っ越しを生き延びてきた古い本の背表紙を眺めていると、「そうか、僕という人間は結局のところ、本によってつくられてきたんだな」と実感する。何しろ、多感な青春時代を通して、書物による情報のインテイクが圧倒的だったので、そのへんでとりあえず人間がひとつ出来上がってしまっている。「女たちが私という人間をつくった」なんてさらっと言えるとかっこいいんだけど、そうじゃなくて、僕の場合は本です。もちろん「女たちが私にいくつかの変更を加えた」くらいのことは言えるけど。」と書いてます。
私も、本を読みながら疲れてくると、たまに本棚に並んだ背表紙を眺めながら、いろいろと考えるときがあります。これほど、本が並んでいても、ほとんどダフらないのも、我ながらすごいと思うときもあります。
そういえば、私もサラダが大好きで、とくにシーザーズ・サラダをよく選びます。この本には、正当なレシピが書いてあり、先ずはロメインレタス、具はクルトンと卵黄とパルメザン・チーズだけで、味付けは上質のオリーブオイル、すりおろしたガーリック、塩、胡椒、搾ったレモン、ウースター・ソース、ワイン・ビネガーと書いてありました。
また、「本格的なレストランに行くと、料理人がテーブルまで来て、実際に目の前でこれだけの材料をささっと混ぜ合わせてくれる。これはなかなかの見物です。ハーヴァード大学の正門近くにある某レストランには、「脱構築シーザーズ・サラダ」というメニューがある。要するにばらばらに材料を持ってきて、「あとは自分で組み立ててくださいね」というだけのものなんだけど、ネーミングが知的でかっこいいですよね。場所柄っていうか、さすがに」とあり、私も、そのようなレストランで「脱構築シーザーズ・サラダ」というものを食べてみたいと思いました。
作家って、なぜ、このように次々といろいろな話しが書けるのか不思議ですが、著者は、最初は書きたいものがないので先にタイトルだけを作り、そのタイトルに合う話しを見つけてきたといいますが、おそらく、様々な経験をしてきたからこそ、その引き出しも多いのではないかと思います。そうでなければ、若い女性誌の「anan」に連載はできないし、この村上ラヂオも3巻までは出せないと思います。
続けてこのシリーズを読んでみると、改めて引き出しの多いことにびっくりしました。
下に抜き書きしたのは、「もうやめちまおうか」に書いてありました。
たしかに、会社が大きくなると、なぜか無理をしなくなるというか、無難なことばかり手がけるようになるような気がしますが、これからはそうとう大胆なことをしていかないと流れにすら乗れなくなってきます。それだけ、世の中の動きが速くなっているようです。
だとすれば、あまり突拍子もないことでも困りますが、ある程度は冒険も必要になってくるような気がします。
(2026.4.2)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ 2 | 村上春樹 文、大橋 歩 画 | マガジンハウス | 2011年7月7日 | 9784838722501 |
|---|
☆ Extract passages ☆
僕は二十歳のときにある文芸誌の新入賞をとって、いちおう作家としてデビューした。出版社に挨拶に行ったら、出版部長みたいな人に「君の作品はかなり問題があるか、まあ(※適当に)がんばりなさい」とかなり素っ気なく言われた。そのときは「そうか、僕には問題があるのか」と素直に思って帰ってきた。(※ニュアンス)
ピートルズと比べるのもおこがましいけれど、会社って「問題があるもの」が好きじゃないんだなとつくづく思う。不揃いなもの、前例のないもの、発想の違ったものを、それはほとんど自動的に排除していく。そんな流れの中で、個人として「腹をくくれる」社員がどれくらいいるかで、会社の器量みたいなものが決まっていくような気がする。
(村上春樹 文『おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ 2』より)
No.2527『村上ラヂオ』
No.2526『サラダ好きのライオン 村上ラヂオ 3』を読んでいるうちから、この前作を読んでみようと思い、米沢市立図書館のホームページから、この村上ラヂオシリーズを予約しました。
ところが、古い本だったからかどうかはわかりませんが、予約はなっておらず、受付で新たに探してもらうと、書庫に入っているとかで、ちょっと時間がかかりました。それでも、その間に新しい本を探すことができ、さらに『村上ラヂオ』と『おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ 2』の2冊も借りることができました。
さて、この本ですが、最初に「スーツの話」のなかで、「40歳になったときに「そうだ、もう若くないのだし、そろそろまっとうな格好をして、まっとうな大人の生活をしよう」と決心したんだよね。だからスーツを作り、革靴も買い込んだ。ちょうどローマに住んでいるときだったので、妥当な値段でなかなか見事な服か買えたし、そういう服を着て「お出かけ」をする場所もあった。イタリアって立派な服を着ていないと、レストランに行ってもひどい席に通される。とにかく身なりで人を判断する国で、人格とか能力とか、日常生活のレベルではそんなものほとんど関係ない。何はともあれ、とりあえずは外見。だからみんなびしっとした格好で決めている。まあそれはそれで潔いと言えなくもないんだけど…。」と書いてあり、そこで思い出したのが、先月に開かれた「ミラノ・コルティナ冬季五輪」で、選手に授与されたメダルの破損が相次いでいることが組織委員会から発表がありました。これは「8日にアルペンスキー女子滑降で優勝したブリージー・ジョンソン(米国)が表彰式直後にリボンが外れるなど破損した金メダルを報道陣に見せ、「興奮して飛び跳ねたら、いきなり落ちた」と語った。」とか、女子スキー距離複合で銀メダルを獲得したエバ・アンデション(スウェーデン)は「メダルが雪の中に落ちて真っ二つに割れてしまった」と話している。」とか、いくつかの問題があるといいます。
思うに、デザインを重視するあまり、品質の保持まで至らなかったのかもしれないと、このローマのスーツの話しを読んで思いました。
でも、私もスーツなんて着たくはないし、ネクタイも締めたくはないので、公式の場に出かけるときにしか着ないのですが、最近はそのような場にも出る機会がなくなり、どこへ行くにもジーンズですませるようになってしまいました。
この『村上ラヂオ』も、「anan」の2000年3月17日号から2001年から3月3日号まで連載されたもので、そこから抜粋、加筆修正してあるそうです。今から25年ほど前の話題ですが、今でも通じることがあり、楽しく読みました。ただ、本そのものもだいぶ古く、古書店に並んでいてもまったく違和感がないほど茶色っぽくなっていました。
そこで、自分の本棚を見てみると、なかには茶色っぽく日に焼けた本もあり、それを引っ張り出すと、懐かしくもあり、なかなかいいもんだと思います。だから、この本も最後まできっちりと読みました。
この本のなかに、よその国で料理を食べながら、「料理って結局のところ、「空気つき」なんだよね」というフレーズがあり、妙に納得しました。私にもそのように思える料理があり、今でもその料理を思い出すと、そこの風景や人々の流れなどが目に浮かびます。
そういえば、孫といっしょにドーナツを食べに行くこともあり、なぜドーナツには穴が開いているのだろう、揚げやすいからかな、いつから誰が始めたのかな、と思っていました。さすが、著者で、「ドーナッツの穴が初めて世界に登場したのは1847年のことで、場所はアメリカのメイン州のキャムデンという小さな町。とあるベイカリーで、ハンソン・グレゴリーという15歳の少年が見習いとして働いていました。その店では揚げバンを毎日たくさん作っていたんだけど、中心に火が通るまでに時間がかかって効率が悪かった。それを見ていたハンソン君はある日、パンの真ん中に穴をあければ、熱のまわりがずっと早くなるんじゃないかと思って実行してみた。すると揚がる時間もたしかに早くなったし、出来上がった輪っか状のものも、かたちこそ奇妙だけど、かりっとしておいしくて食べやすかった。「おいおい、どうなっとるんかね(駄洒落)、ハンソン?」「うん、これって悪くないですよ、旦那」。というような次第でドーナッツが誕生した。そんな風にさっき見てきたみたいにきっぱりと説明されちゃうと、「おいおいほんとかよ」と眉に唾をつけたくなるけどちゃんとした本に載っていたから本当の話みたいだ。」と書いてありました。
下に抜き書きしたのは、「すき焼きが好き」に書いてありました。
私も、なぜ坂本九の「上を向いて歩こう」がアメリカでは「スキヤキ」という題名になったのか不思議でした。いくら考えても、なんのつながりも見当たりません。この本に書いてあったのを読んで、これならわからないのは当然だと思いました。
世の中って、意外とこんな脈絡のないところから生まれることもあると知り、明後日から学校や官庁などは新年度を迎えるんだな、となんとなく思いました。
(2026.3.30)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 村上ラヂオ | 村上春樹 文、大橋 歩 画 | マガジンハウス | 2001年6月8日 | 9784838713141 |
|---|
☆ Extract passages ☆
どうして『上を向いて歩こう』が『スキヤキ』になったのか前々から疑間に思っていたんだけど、この前ある本を読んで疑問が氷解した。ケニー・ボール楽団というイギリスのディキシーランド・ジャズのバンドが、この曲を最初に録音したとき、"uewomuite-arukoh"という題がみんなどうしても覚えられなくて、スタジオで誰かが「面倒だから『スキヤキ』って呼ぼうや」と言い出して、それがそのままレコードのタイトルになってしまったということだ。アメリカで坂本九のオリジナルが発売されたときにも、そのタイトルが流用された。たしかに乱暴なタイトルなんだけど、それはそれでよかったのかもしれない。覚えやすいし、親しみがもてる。おまけに僕はすき焼きが好きだから、「べつにそれでいいじゃん」とすぐに納得してしまう。
(村上春樹 文『村上ラヂオ』より)
No.2526『サラダ好きのライオン 村上ラヂオ 3』
実は村上春樹の本は1冊も読んだことがなく、そもそもベストセラーになった本にはまったく興味がなく、むしろ、あまりにもたくさんの人たちが読んでいるなら、ひとりぐらい読まないのがいてもいいんではないかと思っていました。
とこが、この本を図書館の片隅で見つけてしまい、絵が大橋歩さんなのでひょうひょうとしていて、つい借りてきてしまいました。そして、いっしょに借りてきたほかの本をみな読んでしまい、残っていたのはこれだけです。それで読んだのですが、おもしろかったです。
しかも、前回のNo.2523『ロシアを決して信じるな』は、あまりにも日本では考えられないような怖さを感じたのですが、この本は雑誌「anan(アンアン)」に連載されていたことから、ちょっと軽いノリも感じられました。さらに、この本は2012年に発行されたのですが、雑誌の「anan」は1970年3月20日から刊行されていたそうで、今も続いているのです。
そこで、そうそうに米沢市立図書館のホームページから、この村上ラヂオシリーズを予約しました。
この本の中で、私も海外でチップでだいぶ悩んだことがあり、「ただ僕の個人的な経験からすると、細かいことは考えずに(考えてもしようがない)、「まあこれくらいだろう」とおおよその見当をつけてやっいくのがいちばん良いみたいだ。コツは、とにかく自信をもってやってのけることです。おどおどしてはいけない。相手の目を見て、にっこり笑って「はい、ありがとう」と迷いなく手渡す。荷物を通んでもらったりしたときは、適当な額の小銭をあらかじめポケットに用意しておいて、そこにさっと手を突っ込み、ろくに確かめもせず差し出す。そういう勢いみたいなのがわりに大事です。」とあり、なるほどと思いました。
そういえば、馴れない海外でチップの金額や渡すタイミングがわからなかったりしたけれど、私はチップの習慣のない日本から来ているわけだし、そんなにおどおどすることもないと思います。どこでも同じですが、勢いも大切で、それで押し切ることもありだと思いました。
また、私は着る服にほとんど無頓着ですが、著者の「僕はどのような観点から見てもおしゃれとは言えないし、いつもどうでもいいような服しか着ていないんだけど、何はともあれすべての服は自分で買います。下着から靴下から野球帽まで、自分で探して選んだものじゃないと、どうも気持ちが落ち着かない。考えてみたら衣服というのは、小説家にとっての文体に似ているかもしれない。他人にどう思われようと、批判されようと、そんなことはどうでもいい。「これが自分の言葉で、これが自分の文体だ」と確信できるものを用いることで初めて、心にあるものを具体的なかたちにできる。」と書いてあり、これが私の体裁だと思っていればいいと考えました。
私の場合は、ほとんどズボンはいつもエディーバウアーのジーンズで、型番も決まっていて、まだ着ていないものも数着あります。だから、上着だけ決めればいいので、選ぶのは簡単です。まあ、着物にこだわらないし、選ぶ時間ももったいないので、ここ数十年ぐらいはこのスタイルにしています。
これで東京でも海外でも、夏も冬もこれで通します。寒暖の差は上着で調節しますが、これだってほとんど悩むことはありません。これが私の文体、じゃなくてスタイルです。
そういえば、著者が喫茶店などで編集者と打ち合わせするときに、「僕がシンプルにコーヒーを頼んでいるのに、自分はフルーツパフェを注文した、文芸誌の男性編集者がいた。狭いテーブルに原稿を広げて話してるんだから、そんなややこしいもの注文するなよな、とか思うんだけど、正面切ってそんなことも言えないし……。」と書いてあり、もしかすると、私もあまり空気を読んだりしないほうなので、フルーツパフェを注文するかもしれないと重い、苦笑いしてしまいました。
そもそも、食べることは大好きなので、なるべくなら一人で食べることも多く、これだと誰に遠慮することもないので気楽です。そういう意味では、食事も旅も、ひとりが好きです。
下に抜き書きしたのは、「昼寝の達人」に書いてあったものです。
じつは私も昼寝は得意で、いつでもどこでも寝ることができます。著者は、きっちり30分で目が覚めると書いてますが、私の場合は目覚ましなど使わなくても、15分から30分の間でも寝る前に思っているとその時間で目が覚めます。だから、旅行先の電車のなかでも安心して眠れますし、枕がかわっても影響はありません。だから、いまだかつて睡眠導入剤もアルコールのお世話になることもありません。
この抜書きしたところは、私自身の経験からも、なるほどと思いました。人って、だんだんと馴れてくるんですよね。
(2026.3.27)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| サラダ好きのライオン 村上ラヂオ 3 | 村上春樹 文、大橋 歩 画 | マガジンハウス | 2012年7月9日 | 9784838724505 |
|---|
☆ Extract passages ☆
長く人生を生きていると、ひどいことを言われたり、ひどいことをされたりという経験がどんどん積み重なっていくから、それがむしろ通常のことになってしまう。「こんなことでいちいち傷ついてちゃ、やっていけねえや」と開き直れるようになるし、その刃先をうまく急所からはずすコツを覚える。
そういうのができるようになると、もちろん気持ち的には楽なんだけど、考えてみればそれはつまり、僕らの感覚が鈍くなっていくということですね。傷つかないように厚い鎧を着たり、皮膚を固くしたりすれば、感じる痛みは減るけれど、そのぶん感受性は鋭さを失っていく。若いときのような生き生きとした新鮮な目で世界を見ることができなくなる。要するに僕らはそういうマイナスと引き替えに、現実的な生きやすさを身につけていくわけだ。まあ、ある程度仕方ないことなんだけどね。
(村上春樹 文『サラダ好きのライオン 村上ラヂオ 3』より)
No.2525『なぜ、人はアートに惹かれるのか』
私自身もほぼ毎週のように、NHKの「新日曜美術館」を観ているので、アートに惹かれているかといわれれば、その通りだと思います。
ただ、私の場合は工芸品、特に陶磁器に興味があり、それが若くして茶道を習ったこともあり、お茶道具そのものにも興味があります。また、それらを揃えないとお茶会もできないので、それなりに道具も持っています。
副題は「知識人や富裕層がアートを買う理由、美と所有の本質」で、知識人や富裕層でなくても、きれいだと思うものは手に入れたいと思うのが自然です。
その結果、一番使う茶道具は抹茶碗なので、それが一番多くあるようです。
この本を読んで、久しぶりにカードを7枚も書き抜きしましたが、それだけおもしろく読みました。また、画廊という、あまりなじみの少ないところの代表が書いたということも、ある意味、興味を持ちました。たとえば、アートの値段はどのようにして決まるのかということについて、「大きく分けると、美術市場にはプライマリー・マーケットとセカンダリー・マーケットの二つがあります。まず、プライマリー・マーケットとは、作品が制作されて最初に世に出る市場のことです。作家と画廊(画商)が話し合い、作家の活動歴や展覧会歴、評価の高さなどを総合的に考慮して価格が設定されます。いい換えれば、作家自身が初めて世に送り出す価格であり、ここでの価格形成は将来の評価の基準点にもなります。一方、セカンダリー・マーケットは、一度誰かの手に渡った作品が再び流通する市場などが典型的です。この場合は株式や不動産と同じように、需要と供給のバランスによって値段が変動します。人気が高まれば価格は上がり、需要が落ちれば価格も下がることになります。」とあり、なんとなくは予想していましたが、納得しました。
そういえば、NHKの番組でゴッホの絵の話しがあり、弟のテオドルス・ファン・ゴッホが画商をしていて、さらにその妻ヨーによって絵が売れ出したことを知りましたが、まさにそのプライマリー・マーケットまでもって行くことが大切だと思いました。
もちろん、見る方の立場からいえば、まず「きれいだ」「おもしろい」「自分は好きだ」だと素直に絵と向かい合うことだと思います。ただ素人は、なかなかすぐにはわからないこともたくさんあります。
ではなぜ、わかりにくいのかを、著者は、「それは、アートの鑑賞法が二重構造になってしまっていることです。ロマン主義以降の伝統では、作品を前にして自らの感情で受け止め、そこに心を投
影して鑑賞する方法が基本でした。一方、現代アートでは、作家が込めた意図やコンセプトを読み解くことが求められます。ところが現代の美術館には、感情で味わうべきロマン主義的作品と、知的に解釈することを前提とした現代アートが、同じ空間に並んで展示されているのです。見る側は、どの作品をどのように鑑賞すればよいのか戸惑い、結果として「アートは難しい」「よくわからない」という感覚を抱いてしまいます。つまり、感情で味わう方法と、意図を読み解く方法という二つの鑑賞法が併存していること自体が、アート理解を複雑にしている大きな要因なのです。」とはっきりと書いています。
でも、わかりにくいから、なぜだろうと考える楽しみもあります。たとえば、書でも、くずされた文字の方がなんて読むのだろうと考えたり、全体のバランスを見たり、落款などを観賞したり、いろいろなアプローチがあります。もし、それが楷書で書いてあれば、すぐに書の内容に入ってしまいそうで、文字としての美しさに踏み込まないような気がします。
もちろん、わかりやすさも大切なことだとは思いますが、日本人は正三角形よりは不等辺三角形のほうが、なんとなく意味深に感じます。
下に抜き書きしたのは、第1章「人はなぜアートに惹かれるのか」に書いてありました。
そういえば、私も大学生のころにある骨董屋さんに行くと、そこの主人から「先ずは本物の良い物だけを見ることです。だから美術館でもいいから見続けると、良いものとそれ以外のものとの区別が付くようになると教えられました。
この本のなかに、直接画家のベルナール・シャロワさんに、作品鑑定をお願いしたときに、『「その作品をひと目見てシャロワは「これは俺が描いたものじゃない。ひどい出来の偽物だ」と怒り出しました。そして次のように語りました。「自分に敬意を持って模写をしてくれるのはかまわない。ただしこの絵のように私のサインを入れて売ろうとするのは許せない。シャロワはこんなに下手なのかと思われて私の名前に傷がつくからだ。それに、偽物が市場に流通すると、質の悪い絵の数が多くなって本物の価値も値段も下がってしまう』と怒っていたそうです。
それはそうでしょう。自分の作品でもないのに、サインをして売ろうとするのは詐欺です。画家にしてみれば、絶対に許せない行為です。
昔から、悪貨は良貨を駆逐するといいますが、まさにその通りです。まがい物でも、自分で飾っておくのはいいのではないかという方もいるでしょうが、ヨーロッパと同じように、没収するぐらいの手段をとるべきだと私は思います。そうでないと、安心して美術鑑賞もできなくなりそうな気がします。
私は美術鑑賞が好きなので、美術館や博物館にもよく行きますが、機会があれば旅に出かけてもまわります。昨年は、津軽三十三観音札所を2度ほどお詣りしましたが、そのついでに青森県立美術館で開催されていた佐野ぬいさんの「まだ見ぬ「青」求めて」展や、棟方志功没後50年記念展などを見ましたし、青森から東京まで足を伸ばし、日本民芸館で「棟方志功展」を見ることができました。
やはり、東京は美術館でも博物館でもたくさんあり、行くたびごとに訪ねますが、地方にもユニークな施設があります。年を重ねてくると、大規模な企画展よりも、小さな施設でゆっくりと観賞してみたいと思うようになりました。
いずれにしても、興味を持つということはいいことで、労苦をいとわないようになります。だから、ここに抜書きしたことには納得です。
(2026.3.24)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| なぜ、人はアートに惹かれるのか | 橋芳郎 | 晶文社 | 2025年12月1日 | 9784794980311 |
|---|
☆ Extract passages ☆
日常的に「良いもの」に触れ続けることで、物事の本質を見抜く力、つまり「良いものと、そうでないものを見分ける力」を養らているのです。
この「目」は、アートの世界だけに留まりません。ビジネスにおける判断、人間関係の構築、あるいは日々の暮らしのなかでの選択など、人生のあらゆる場面でその真価を発揮します。
何が本物で、何が偽物か。何が価値を持ち、何がそうでないのか。
その判断基準となる揺るぎない「軸」を、富裕層はアートを通じて得ているのです。
彼らにとってアートとは、富の象徴である以前に、次世代の人間性や感性を育むための、不可欠な「生きた教材」なのかもしれません。
(橋芳郎 著『なぜ、人はアートに惹かれるのか』より)
No.2524『ひのえうまに生まれて』
今年は丙午で、何かと話題になる出生率ですが、著者も丙午の生まれだそうで、女性の立場からこの丙午をどのように考えているのかと思い、読み始めました。
副題は「300年の呪いを解く」で、この元になった寛文6(1666)年に生まれた八百屋お七のときまで、さかのぼって考えています。その間、今年を含めて6回合ったわけで、それで300年というわけです。
この本のなかでも指摘してましたが、丙午の問題は前年から始まるようですが、この本も小説新潮2024年12月号から2025年9月号まで連載していた「ヒノエウマってどんな馬?」を改題して出版されたようです。それで第10章になり、最後に鈴木保奈美さんと吉川徹さんと著者で丙午当事者鼎談を掲載しています。
その鼎談のなかで、吉川さんが「振っていただいて申し訳ないのですが、やはり内午って女性のトピックなんですよね。僕たち男性は丙午の生まれだけれど、女性たちの伴走者に過ぎない。」と答えていたのが印象的でした。たしかに、私もそうですが、ほとんど意識してないし、暦を見て初めて気づくぐらいですから、やはり女性側の意識だと思いました。
そして、「1966年生まれの方々を対象に、今回、独自に行なった丙午アンケートにおいても、丙午に生まれて損をしたと思っている人よりも、得をしたと思っている人の割合の方がずっと多い。受験の時の有利さといった実利的な「得」の他にも、「六十年に一度のレア感がある」「特別感、優越感があった」という意見も。」あったそうです。
もちろん、一部には、結婚してないとわかると、「あ〜丙午なんだ、だから結婚できないのね」と言われることもあったそうですが、それは結果論の話しで、それで破談するとかというような実害はあまり載っていませんでした。ということは、普段はあまり意識されていないようで、なにかあると、もしかして丙午だからという程度なのかもしれません。
今年の丙午についても、ほとんどマスコミなどで取り上げることもなくなり、むしろ取り上げれば時代錯誤も甚だしいと避難されそうです。
このような流れから、著者は、「男性は無理をして女性より「上」にいなくてもよくなったし、女性は男性に従わなくても生きていくことができるようになった。結婚・離婚に関する自由度も大幅
に増し、男が女に食われるなら食われるで「まぁ、いいか」という世となったのだ。そんな世の人々に、丙午迷信は響かないことだろう。子供は丙午のせいではなく少子化の流れに従って減少し続け、2027(令和9)年の丁未になっても増加することはなく、減り続けるに違いない。」と結論づけています。
私も、そうだと思います。昔の話しを今も引きずっていくなんて、むしろおかしな話しです。しかも、たった1つの出来事から、むしろ脚本された内容で伝わることそのものが不思議です。でも、考えてみると、今までまことしやかに伝えられ続けてきたことに怖さを感じます。
下に抜き書きしたのは、第9章「寛文の丙午 その後」に書いてあった八百屋お七の話しです。
このことを、お七が処刑された3年後に刊行された、井原西鶴の「好色五人女」に収められたから、一般に広がっていったようです。しかし、これはあくまでも「恋草からげし八百屋物語」という物語ですから、おもしろおかしく脚色されたものです。
つまり、この丙午問題の張本人は、井原西鶴かもしれません。というのも、もともと干支も陰陽五行も中国から渡ってきたものですが、その中国語圏では、「赤馬紅羊劫」ということで、午も未も「火」の気を持つということから、災害の多い年といわれているそうです。だとすれば、今年と来年は丙午と丁未ですから、気を付けなければならないといわれています。
ところ変わればなんとやら、でいろいろな考え方がありますが、人に迷惑を掛けるような風評はほどほどにしてほしいと思います。
先ずは、すでに丙午という300年も続いた迷信は、次の60年後には誰も知らないということになりそうです。
(2026.3.21)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| ひのえうまに生まれて | 酒井順子 | 新潮社 | 2026年1月15日 | 9784103985129 |
|---|
☆ Extract passages ☆
丙午伝説の起源とされているのは、享保の丙午の1つ前、寛文6(1666)年の丙午に生まれた一人の女性、すなわち八百屋お七だ。
簡単に言うとお七は、「恋に夢中になるあまり放火事件を起こした、丙午生まれの女」である。陰陽五行説においては、十干の「丙」も十二支の「午」も火の気を持つとされることから「火」への連想が強まり、そもそもは「丙午の年は火事が多い」といった迷信が主に語られていた。
しかし次第に、「丙年の女は夫を食い殺す」系の迷信の勢いが増していく。享保、天明、弘化と時代が下っていくにつれて火事系の迷信はあまり語られなくなり、丙午の女はとにかく強くて男を不幸にするという説が広まるように。
(酒井順子 著『ひのえうまに生まれて』より)
No.2523『ロシアを決して信じるな』
この本の題名を見て、ロシアがウクライナに侵攻して以来の動きを見ていても、読んでみたいと思いました。
著者は、ロシアのウクライナ侵攻に伴うロシア政府による日本への報復措置として、ロシア連邦への入国を恒久的に禁止されたときに、「なぜリストに入ったのか、おそらく私は本当のことを言い過ぎたのだと思います。ロシアでは本当のことを言ってはいけない、それだけではなく疑問を持ってもいけないというのが、プーチン政権下でのロシア人の姿。もし私がリストに入っていなかったら、私のロシア問題についての発言が、何らかのプーチン政権からの圧力を受けての発言と思われていたかもしれない。リストに入ることによって逆にホッとしたというのが本音です」と語っています。
このときの無期限の入国禁止の対象者リストには、当時の岸田文雄首相や林芳正氏、松野博一氏、高市早苗氏などを含め63名がリストアップさています。
テレビやネットを見ていてもわからないのがロシアですが、少しでも知ろうと思います。でも、知ったからといってどうなるものでもないとわかっています。それでも、知るってことは大切です。
先月の2月8日に衆議院議員選挙がありましたが、ロシアの投票所ではウオッカを売っていると知り、びっくりしました。「ロシアはいまでも、選挙のときに、パンや塩などの食料品にまじってウオッヵが格安で販売されている投票所が見受けられる。パンや塩が投票所で売られているのも珍しいが、どう考えてもアルコールを売るのは正気の沙汰ではないだろう。一杯ひっかけて投票を、ということなのか。戸惑うわたしの問いかけは、モスクワ在住の友人によって一笑にふされてしまった。「ウオッカを飲んで、ロシアの将来をしっかり考えて投票しようということだよ」。わたしの正義感は、無残な敗北を喫した。」と書いていて、さらに2020年7月1日に実施されたロシア憲法改正の国民投票では、「友人からの写真を見て驚いたのは、投票箱が透明なアクリル樹脂で作られていることである。箱のなかが丸見えなのだ。投票用紙はB4のサイズであり、遠目にも賛否の「レ点」を入れる箇所が一日瞭然である。選挙管理委員は学校教師や医師などが務めており、有権者の顔と名前をふだんからよく知っている。だれが反対票を投じたのか、すぐにわかるのである。」とあり、これでは反対のしようがないわけです。
そういえば、だいぶ前に、アメリカもロシアでも自由について語ることは自由ですが、ロシアでは語った後の自由までは保証されていない、という話しを聞いたことを思い出しました。
つい最近のことですが、2月6日にロシアの首都モスクワで軍情報機関の幹部ウラジミール・アレクセイエフ中将が銃撃され、すぐに病院で治療を受けているそうです。その狙いはよくわかりませんが、物騒な話しです。
ロシアといえば、毒殺が有名ですが、その背景には、2006年のリトヴィネーンコ氏の場合には、「発症から23日間も生死の境をさまよった。痛みが強く、苦しみが大きく、たとえ生き残っても強い不安を一生かかえていくことになる。本人だけではなく、家族や友人、支援者に恐怖心を植えつけ、実行者を割り出そうという熱意をそぐのである。」と書いてあり、いわば殺すのが目的というよりは、敵対者への警告や見せしめの意味もあるそうです。
だとすれば、そのような恐怖のなかで、政府の政策に反対するというのは、そうとう強い意思がなければできないわけで、その居場所さえわからないとすれば、なおさらです。
この本によれば、ロシアのなかで富裕層といわれるのは10%ぐらいで、貧しい人たちは全体の半分ぐらいだそうです。このような状況のなかで、今の生活が変わると信じられるわけもなく、どんなにがんばってもどうなるものでもないと思ってしまいます。
だから、ロシア人が常日頃しばしば口にするフレーズが、「他人のポケットに手を突っ込んで生きる」というのだそうです。
この本を読みながら、ウクライナとの停戦もその後の平和も、その実現には遠い道のりが待っているような気がします。
下に抜き書きしたのは、第4章「決して信じるな――ロシア人は嘘八百」に本当に書いてありました。
まさに、この本の題名通りです。むしろ、ここまで書いて良いのかと思いますが、だからこそ無期限の入国禁止の対象者リストにのせられたのもわかります。つまり、この本に書いてあることに間違いはないというお墨付きをもらったようなものではないかと思いました。
(2026.3.18)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| ロシアを決して信じるな(新潮新書) | 中村逸郎 | 新潮社 | 2021年2月20日 | 9784106108969 |
|---|
☆ Extract passages ☆
交渉には相手がおり、問題解決にむけて互いに真っ向から冷静に話し合っても、そう簡単に埒が明かないものだ。だから、まずは相手を油断させるために嘘の約束を交わす。その内容が相手にとって、不利なものにならないのがコツのようだ。
こうして交渉の主導権を、秘かに握る。そうはいっても嘘はばれるわけで、多くの場合、相手は激昂し、冷静さを喪失する。でもお人好しの人間は、「そんなはずはない」と相手の本心を探ろうと、積極的に関わってくる。その場合、さらに新しい嘘をつけば、相手はホッと安心する。安心させるために、さらなる嘘を重ねていく。まさにロシア人に毒を盛られるのである。
どんなにお人好しといっても、最後には不信感を抱き、交渉への熱意を消失させるはずだ。しかし、ロシア人は嘘がばれてしまっても「悪いのは嘘をついた自分たちではない。気づいた相手に非がある」と開き直る。ロシアの流儀は、交渉のはじめに嘘をついておく、つまり、嘘から交渉をスタートさせるというものだ。
(中村逸郎 著『ロシアを決して信じるな』より)
No.2522『名水と日本人』
副題は「起源から百名水まで、文化と科学でひもとく」で、もともとお茶が好きなこともあり、水にも関心はあります。旅に出かけると、名水と書いてあるところを見つけると、ペットボトルに汲んで、その晩のお抹茶を点てるときに沸かして使います。
そういえば、北海道の旭岳に行ったときも、その途中で「大雪旭岳源水公園」を見つけ、そのときに泊まった旭岳温泉「ホテルベアモンテ」でお抹茶を楽しみました。お菓子は、富良野の菓子司新谷の「へそのおまんじゅう」でした。
私は地元の東光の酒蔵に行ったときに、酒をつくるときの水を飲ませてもらったことがありますが、味も素っ気もないような水でした。おそらくそういう水がお酒造りには適しているのかもしれないと思いました。
この本には、「酒の神様を祀る京都の松尾大社にある「亀の井」は、酒樽の中に入れるとお酒が腐らずに、美味しいお酒ができるといわれ、京都のみならず日本中の酒造会社が汲みに来る。水質を調べてみると、日本ではごく稀にしか見られない、マグネシウムイオンがカルシウムイオンより高濃度を示す水であった。」とあり、なるほどと思いました。
というのも、2023年3月下旬に四国に行きましたが、その目的はその春から始まるNHKの朝の連続テレビ小説「らんまん」の撮影を見学するためでした。その合間に、牧野富太郎の生まれた佐川町に行くと、彼の実家は酒屋さんで、ときおり酒が腐ったりするので経営が大変だったということです。だとすれば、この松尾大社にある「亀の井」の水を少し入れるだけでそれが防げるというなら、これぐらい有難い話しはありません。
もともと、酒造りには硬水が適しているそうですが、現在は酒造りの技術も向上していて、軟水でもおいしいお酒ができるそうですが、昔は酒造りに適している水を求めて酒蔵が並んでいたようです。また、それだけ、水の味にも敏感だったようです。
日本で名前のついた水場で一番多いのが弘法水だそうですが、弘法大師のお膝元の四国八十八カ所霊場をお詣りしたときにも、何ヶ所かで見つけました。この本には、「遍路道上には80ヵ所ほどの湧水が分布することが明らかとなり、平均すると15キロメートルに1ヵ所ずつ水場が存在することがわかった。お遍路が3〜4時間かけて歩く距離に相当し、この程度の間隔でお遍路は水を補給していたことがわかる。この水場間の距離は、当時の人々が水場を必要とするのに最適化された距離であると考えることができる。遍路道は1200キロメートルといわれており、往時の人々でさえ50日前後かかったというから、1日平均24キロメートル移動していたことになる。当然その途中で2〜3回は水分を補給する必要があったであろう。また、その水場の多くに弘法大師伝説があり、その水質は遍路道以外の水に比べてミネラル分が高い濃度を示した。つまり、先人たちはミネラル分豊富な水場を遍路道に求め、体調の維持を図ったものと推察することができる。」と書いてありました。
あらためて2017年2月28日から3月15日までの四国88ヵ所遍路の写真を見てみると、弘法大師と水に関わる写真が何枚か見つかりました。しかも、今は喉がかわくと近くのコンビニで飲みものを買ったり、あるいは道路のわきにある自販機で調達もできますが、昔はそれができなかったわけです。つまり、飲み水が遍路道になければ、お参りもできなかったのですから、最低限の水場は必要です。
それらを考えると、今はどこでも各地の銘水がペットボトルで手に入りますし、自宅で北海道や九州の水だって味わうことができます。
それでも、いつかはこの本に書いてある名水を求めて、旅をしてみたいと思いました。
下に抜き書きしたのは、第7章「水質が生み出した名水」に書いてありました。
私も修行時代に、近くの閼伽水を汲みに毎朝通うのですが、そこでは、虫などの小さな生きものを殺さないように柄杓の上に網杓を置きました。最初はなぜそのような面倒なことをするのか疑問でしたが、すべての生きものを大切にするためと知り、感動したことを覚えています。
また、この「アクア (aqua)」というのはラテン語で「水」を意味する言葉ですが、そこから「水色」や「透明感のあるもの」といった意味でも使われ、トヨタの車の名前にも採用されています。
(2026.3.15)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 名水と日本人(中公新書) | 鈴木康久・河野 忠 | 中央公論新社 | 2025年9月25日 | 9784121028754 |
|---|
☆ Extract passages ☆
「広辞苑」によると閼伽水とは、「仏に供える水」とある。この語源を研究した高村弘毅は、「閼伽とはインドのサンスクリント語の"argha"からきており、英語で水を意味する"aqua"の語源といわれている。古く中国において閼伽、阿伽と音訳され、水のことを″アカ″と呼ぶようになったと思われる。
(鈴木康久・河野 忠 著『名水と日本人』より)
No.2521『看脚下』
裏千家十五代家元千 玄室さまが亡くなられたことをニュース番組で知り、びっくりしました。
私は、もともと表千家のお茶を習っていたので、ほとんど関わりはないのですが、お茶仲間には裏千家の人たちもいて、掛け物や道具の書付などを見る機会もありました。また裏千家の月刊茶道誌「淡交」なども読むこともあり、巻頭言や茶道具や和菓子などの特集記事も楽しみでした。
この淡交というのは、十四代家元の淡々斎の斎号にちなんでいるそうで、荘子の「君子之交淡若水(君子の交わりは淡きこと水の如し)」を典拠としているそうです。十五代は鵬雲斎で、参禅の師、大徳寺の後藤瑞巌老師による斎号で、後日、「えらい斎号を付けてしまった。だからあんたは世界中を飛び回っている」と話したことがあると、この本に書いてありました。
でも、それは時代もあり、たとえば新型コロナウイルス感染症が流行るときには、それをしたくても出来なかったと思います。また、この本を読んで、あの時代だからこそできたということも、たくさん書いてありました。
やはり、どんな人でも、その時代のなかで生きているということのようです。
この本の中に、「私は何処へ出かけても思うのだが、ご縁はどこにでもある。確かに一目で相性が良いと思う事もあるが、チャンスがあれば人と人は真心で結び合うものだ。」と書いてありますが、私もそう思います。ネパールによく出かけたのも、たまたまネパールの方から「ネパールの国花であるシャクナゲについて教えて欲しい」と言われ、彼も私の自宅を2度ほど訪ね、家族的なつき合いを重ねました。
今でも、ときどきメールが来て、いろいろなことを話すのですが、コロナ禍以降はなかなか訪ねられなくています。
そういえば、あのネパールのアンナプルナ周辺をトレッキングしているときに、毎朝、ヒマラヤの山々を眺めながら、お茶を点てていました。地元のお菓子があればそれを食べ、なければ日本から持っていった一口羊羹でした。お抹茶と茶筅さえあれば、どこででもお茶を点てることができます。ときどきに、シェルパの人にもお抹茶を薦めましたが、おいしいとは言うものの、なんか無理しているような雰囲気でした。
ところが、最近は、このお抹茶も海外で人気だそうで、日本でもお抹茶が高くなり、品不足にもなってきました。抹茶をつくる茶樹を育てるには、少なくても4〜5年はかかるそうで、すぐには対応できないそうです。おそらく、生産を増やしたころには、抹茶ブームも下火になってしまうこともあり得ます。なかなか、農産品というのは、お米だけでなく難しいようです。
千家もわび茶につながりますが、利休の一畳半の茶室について、「狭い空間ではあるが決して「わびしい茶」では無い。「わび」は「さび」と共に難しい概念である。「さび」が徹底的な自己純化だとすると、その自己すら抹消する事を「わび」と言ったのではないかと思われる。枯れ果ててゆく中に生き生きとした新しい創造の精神を宿す「わび」の茶を利休は目指したのであろう。」とあり、「さび」と「わび」を端的に説明しています。
下に抜き書きしたのは、「大和魂の日本へ」に書いてありました。
私も修行のときからお茶を習ったこともあり、このようなことは、よくわかります。人は、特に濃茶の場合は一碗を飲み回すので、和やかでなければできません。新型コロナウイルス感染症が流行したときには、飲み回すことなどできず、そもそもお茶会すら開くことはできませんでした。それが仲間内ですらそうでした。
まさにお茶は、平和だからこそできると、今も想います。
それにしても、大和魂という言葉を持ち出してくるあたり、時代を感じますが、今の日本に必要なものは「日本人が日本人らしくなるためには、茶道を習い人様に対する思いやり、そして何より自己意識の高揚を得る事である。」といいます。やはり、生まれながら茶道家元になるべく生まれてきたと感じました。
(2026.3.12)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 看脚下 | 千 玄室 | 淡交社 | 2025年12月15日 | 9784473046949 |
|---|
☆ Extract passages ☆
茶道という文化の力は強い。人間生活において文化は極めて必要であり、その総合性多様性の中で茶道の「一碗のお茶でもてなす」「人様の為の和やかさ」「一碗をすすめ合う心での話し合い」こうした働きがお人同士の絆を深めるのである。茶道には敵も味方もなく和合そして誠意と共に主客を一体にさせる。
「一碗のお茶は人間を人間たらしめる」と父から教わった。誠にその通りと思い、海外へその心を広げたのである。
(千 玄室 著『看脚下』より)
No.2520『天下の茶道具、鑑定士・中島の眼』
お茶をやっていることもあり、茶道具には関心があり、この本を見つけました。副題は「へうげもの名品名席」実見記で、「あとがき」によると、実際に訪ねて解説するというテレビ番組の依頼から始めたことのようです。
ただ、著者は、なんといってもテレビ東京系列の「開運!なんでも鑑定団」のレギュラーでもあり、なかなか大変だったようですが、趣味家にとっては直接手にとって名品を観たり、席入りできればすごいことだと思いました。
なかでも、第4話の「付藻茄子」は、静嘉堂で2024年9月10日から11月4日まで「特別展 眼福 大名家旧蔵、静嘉堂茶道具の粋」が開催され、そこに展示されたので私も10月4日に観てきました。しかも、最近は写真を撮っても良いことが多く、ここでもしっかりと撮ってきました。だから、今でもときどきそれらをながめることができます。
この本では、「信長はこれを終生愛玩して離さず、「つくも」は本能寺の変(1582)に罹災することになる。本能寺の火事場から掘り出され豊臣秀吉に献上され、後に豊臣氏滅亡となる元和元年(1615)、大坂夏の陣で大坂城炎上による罹災で塵芥となって灰に埋れることになる。大坂城落城後に家臣の進言により、徳川家康が茶入の探索を試みることになり、塗師の藤重藤元・藤巌親子が城跡に赴き、昼夜兼行で土灰を飾い分ける。やがて数点の茶入の破片がより分けられるも「つくも」は見当たらず、更に二度目の探索をして茶入数点の細片を得、ようやくにしてそれらしき破片を飾い分けることに成功する。そして藤重親子の漆工の妙手のもとに「つくも」は修復されて、家康の御覧に召されるのだ。」と書いてあります。
この本に、静嘉堂文庫美術館で撮影した「つくも」のレントゲン写真が載っていますが、これほどに割れたものを火事場からふるいわけ、再現したことに改めて驚きました。
また、これを静嘉堂文庫で見たときにも、その由来は知っていても、まったく気づけなかったことも思い出します。そのときに撮ってきた写真を見ても、わかりません。その説明のなかに、静嘉堂の茶道具コレクションの第1号とされると書いてあったのも印象に残りました。
このときの特別展では、この「つくも」の他に、大名物の「紹鴎茄子」や「木葉猿茄子」、「樋口肩衝」、「佐々肩衝」、「小肩衝」、「稲葉瓢箪」など、名だたる茶入の名品が並び、いかに昔から大切にされてきたかがよくわかります。
そのなかに、「千利休 竹茶杓 銘 両樋(替筒 六閑斎)」もあり、古い竹筒には何も書いてなく、替筒の六閑斎のものに、「宗易造 両樋」とありました。
この本によれば、「茶杓というものは、利休在世の頃は銘が付けられてなかったのではないか。ほどよき竹を削り、水屋の棚に数本が寄せられていたのだと思われる。その中から茶会の雰囲気に合ったものを選んで使い分け、気に入った竹が手に入ればまた補充したのではないか。伝えられる共筒の茶杓は、携帯用あるいは贈り物にするための贈筒が伝来したと考えるのだ。保存のためや伝来を記し銘を付けるためにも後世の茶人は筒を新調している。」とあり、この説もありえると思いました。
また、茶杓の丈は畳み目十二半と書いてあり、そういえば、無意識で茶杓を18p前後にしていました。やきり、使い勝手が一番で、作法もそこから来ているようです。
最近は懐石でも主菓子でも華美になってきているようですが、古い茶道具を見ると、ほとんどがしっとりとしていて、あまり目立たないものが多いようです。あの薄暗い茶室で見ればなおさらです。この本にも出ていますが、古伊賀水指「破袋」を五島美術館で観たことがあり、その圧倒的な存在感に驚きました。
おそらく、この本の副題にある「へうげもの」の代表ではないかと思います。もともと「へうげる」というのは、ふざけるとかおどけるという意味ですから、まさか、こんなにも壊れてしまったものを、丁寧に水漏れしないように漆で留めて、使うのですから素人にはなかなか判断が付かないと思います。これを古田織部が豊臣秀頼の家臣大野主馬に約束の品として渡したときに、大野主馬がどのような顔をして受け取ったのか、興味があります。
下に抜き書きしたのは、第27話「利休が織部に与えた形見の茶杓」にあったものです。
これは、「泪」という銘で、古田織部と細川三斎が境へ蟄居する利休を淀の船着き場に見送りにいったときに利休より授けられた茶杓といわれています。この「泪」と「ゆがみ」です。
私も茶杓を削るので、ここに書いてあることはよくわかります。そういえば、四国八十八ヶ所をお詣りしたときに削ったものに「遍路」と名づけたことなどもあり、その茶杓を使うと、そのとき時の風景まで蘇ります。
(2026.3.10)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 天下の茶道具、鑑定士・中島の眼 | 中島誠之助 | 淡交社 | 2012年7月2日 | 9784473038180 |
|---|
☆ Extract passages ☆
先ず茶杓というものは茶人本人が削った茶道具であるということで、茶杓には茶人その人の人柄から制作当時に置かれた境遇などが投影しているものだ。さらには茶杓が作られた当時の風土や文化があり、茶人を取り巻く社会情勢から歴史の語り部が生れてくる。だからたとえ利休の削った茶杓であっても、語りの少ない単調な作品もあるはずで、茶杓を削った時に魂を入れるか入れないかで値打ちに高低の差が付いてくる。その点で「ゆがみ」と「泊」は茶杓の中の最高峰に位置するものだ。
(中島誠之助 著『天下の茶道具、鑑定士・中島の眼』より)
No.2519『ロンドン、物語りのある旅』
イギリスには、2014年7月4日から15日までと、2017年8月29日から9月7日まで行ったことがあり、どちらもロンドンには必ず寄りました。
というのは、着くのも帰るのもロンドンのヒースロー空港なので当然ですが、ロンドンにも行きたいところがたくさんあるからでもあります。とくに印象に残っているのは、この本では取り上げていませんが、イギリス王立キューガーデンで、2回ともその前後に寄りましたし、続けて訪ねたこともあります。ここで見せてもらったジョセフ・ダルトン・フッカーの『Rhododendrons of Sikkim Himalaya』は、今でもときどき思い出すこともあり、次に訪ねたときに復刻版を手に入れました。
また、ここのバックヤードや標本館も忘れられない思い出です。だから、そのほとんどが植物つながりですが、それでも、たまたまTate Modernで開かれていた「マチス展」を見た後に、4階のレストランで食べた食事、とくにアスパラガスのサラダがおいしかったです。
そういえば、キューガーデンでたまたま歓迎会があり、園内の研究施設の野外でバーベキューがあり、若い研究者たちがハンバーガーを次々と焼き、自分でプレートにそれとサラダや肉などを盛り付け、飲みものを持って、好きな場所に移動して食べたことも楽しい思い出です。イギリスの食事はあまりおいしくないといいますが、この本にも「イギリス人は探検や音楽好きだったサンドウィッチ伯のように熱中しやすく、好奇心あふれる人たちだ。例えば政治であったり、鉄道やジェット機、あるいはゴルフやサッカーであったり。世界は食よりももっと面白いことであふれている!そう信じていたイギリス人は食事に重きをおかず、パッションをその他の領域へ向けた。鉄道を走らせ、テレビを作り、体外受精を成功させ、現金自動預け払い機を開発し、ウェブの概念を具現化した。あるいはこうとも言う。このサンドイッチ精神が、七つの海を制したのである。」と書いています。
でも、ロンドンではなかったのですが、イーリー大聖堂近くの「The Old Fire Engine House」という小さなレストランで食べたウサギ肉料理がとてもおいしかったのを覚えています。そういえば、2017年9月にイギリスにいったときには、エジンバラまで足を伸ばしたのですが、泊まったホテル近くに「soderberg」というパン屋さんがあり、エジンバラ植物園に向かう途中にあったので2日間続けてそこで朝食を食べました。
だから、イギリスの食事はおいしくないというのは、昔はいざ知らず、今はそういうことはないような気がします。
そういえば、そのエジンバラ植物園の標本館で、ダーウィンの標本を見せてもらったときには、大興奮でした。しかも、その標本には、「Collected by Charles Darwin Voyage of the Beagle 1831-1836」と書いてあり、まさにビーグル号で世界一周したときに採取したものでした。そして、帰国の飛行機に乗るためにロンドンに寄ったときに、自然史博物館に行き、2階への踊り場にあるダーウィン大理石像で写真を撮りました。
今考えても、そうとう興奮していたと思います。
もし、またイギリスに行く機会があれば、この本で紹介していた、ロンドンで唯一生き残っているアンティーク版画の専門店、「グロヴナー・プリンツ」にいってみたいと思います。この本には、「ナイジェル&ヘンリエッタ・タルボットのご夫婦がコヴェント・ガーデンの中心で創業し、はや半世紀になる。扱っているのは主に18〜19世紀の版画で、テーマは自然界、肖像、風刺、ロンドンの建築や風景、スポーツや娯楽、外国・探検、古地図など多岐にわたる。20世紀に入ってからのモダン・エッチングも扱っていて、たいていアーティストの直筆サインが入っているので、とても人気があるそうだ。」とあり、最近、イギリスの古い本の石版画を集めているので、興味があります。
そして、そのときには、もう一度、Earl's Court駅前のパブのフィッシュ&フライを食べてみたいと思ってます。
下に抜き書きしたのは、「ノース・ケンジントン 玉虫色にきらめく移民カルチャーの交差点、異なる声に耳をすませば」に書いてありました。
先月の衆議院選挙でも、この移民問題を取り上げた政党はありましたが、その公約を聞くと、消極的な意見が多かったように思います。しかし、No.2518『多様性とどう向き合うか』でも取り上げましたが、統計によれば、2025年6月末時点で、395万人余りの外国籍の住民が日本で暮らしています。それを考えない訳にはいかず、将来的にはもっと増えることはほぼ確実です。
だとすれば、ここに抜書きしたことも大いに参考になるはずです。
もちろん、良いことばかりではありませんし、悪いことだってあります。その両方を受け入れる度量が求められているのかもしれません。また、何世代にもわたって暮らしていくと、昔は外国籍ではあっても、日本人と仲良くできるのではないかと期待しています。
(2026.3.07)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| ロンドン、物語りのある旅 | 江國まゆ | 自由国民社 | 2025年12月22日 | 9784426131265 |
|---|
☆ Extract passages ☆
もともとこの辺りはネイティブの白人が住むところへ、カリブ圏やモロッコ、東アフリカ諸国からやってきた最初の移民が降り立った地だ。イギリスでは第二次世界大戦後に国を建て直すため、英連邦その他の国々から労働力を募ったのだった。特にカリブ圏から「ウインドラッシュ号」と呼ばれる船に乗ってきた人たちは「ウィンドラッシュ世代」と呼ばれ、ちょうど三世たちが今、成人を迎えている。このエリアの近代の歩みは、ひとえに移民との融合の歴史にほかならない。
イギリスが50年代から70年代にかけて移民受け入れ政策を試行錯誤していた頃、ポルトガルやスペインなど欧州の貧しい地域からもノース・ケンジントンに大勢が移住してきた。メルティング・ポットと化したこの地は人種的な摩擦を多く経験してきたが、次第に友人となり、ときに家族となり、理解を深めた結果、21世紀に入った頃にはなんとか融合が形になってきた。
(江國まゆ 著『ロンドン、物語りのある旅』より)
No.2518『多様性とどう向き合うか』
最近、よく多様性という言葉を聞くので、どう向き合えばいいのかと思い、読むことにしました。
この多様性というのは、この本によると、「広義では、私たちはそれぞれいろいろな違いを持って生きているということです。ジェンダー、性的指向・性自認、国籍、エスニシティ、障害の有無、身体的特徴、年齢、学歴、社会経済的状況、家庭環境、価値観、思想、宗教など私たちはそれぞれ多岐にわたる違いを持って生きています。……多様性という言葉が現在使われるとき一般的に意味されているのは、人それぞれいろいろな価値観、考え方、生き方、属性があるのでそれを個性として尊重し、互いに受け入れ合うことが大切だということでしょう。」と、「はじめに」のところに書いています。
とくに日本の場合は、横並びの同調圧力が強いこともあり、共に生きることを考えるときには必要な考え方です。よく、空気を読むといいますが、それこそが同調圧力です。
では、この日本に外国人はどのぐらい暮らしているのかというと、「法務省は毎年2回(6月末と12月末)、在留外国人数を公表しています。在留外国人は3カ月以上の在留資格を有する中長期在留者と特別永住者が含まれ、それらを合わせた直近の数字では、2025年6月末時点で、395万人余りの外国籍の住民が日本で暮らしています。」と書いてあり、びっくりしました。
さらに、「国立社会保障・人口問題研究所が2023年に公表した日本の将来推計人口では、2070年に総人口は8700万人にまで減少する一方、外国人の人口は939万人に増加し全体の10.8%を占めると試算しています。」とあり、外国人はますますふえていくようです。
だとすれば、外国人だけでなく、多様な人たちとつき合わざるを得ないことになります。
この多様性という言葉が使われ始めたのは1960年代のアメリカだそうで、多国籍な合衆国ですから人種や宗教など、いろいろな人たちが同じ地域に暮らしていたからです。まさに、いっしょに暮らすために必要とされたのが多様性という考え方です。でも、その今でも同じでしょうが、その当時ならなおさら、多様性を受け入れるということは、大変なことです。おそらく、口で言うほどたやすいことではなかったと思います。
この本には、「いろいろな違いを持つ人と共に生きるのは、そう容易いことではありません。立場、価値観、考え、生活様式、生き方、仕事観などが異なれば、現実問題として軋轢が生じることや納得できないことも多々あるでしょう。いやいや妥協しなければならないこともあるでしょう。お互いが折り合いを付けて新たな自己と他者の関係を模索していくのは困難なものです。だからと言って「多様性と共生することは面倒だし難しいからあまり関わらないようにしよう」と言って終わってしまっては元の木阿弥です。」と書いています。
つまり、いくら面倒くさいとはいえ、そうしなければ、世の中は複雑化するばかりで、混乱してしまいます。
今の世の中でも同じことで、ますます多様化してしまうことは目に見えていますから、少しでも多少の違いを乗り越えて共感しあうことが大切です。
下に抜き書きしたのは、第5章「他者の生きづらさを自分ごととする」にありました。
そこには、共感というのは、「それは自然発生的な感情というよりは意識的に培う能力であり想像力です。その気になれば誰もがある程度は養えるものですが、培おうとしなければ身につかないものでもあります。」と書いてあり、自分からそういう感情を持つようにしなければ身につかないのだから、その意識を持つことが必要です。
そうしなければ、国内が混乱すると、それが国外に飛び火すれば戦争だって起こります。まさに、多様性とどう向き合うか、それが今問われているように思います。
(2026.3.03)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 多様性とどう向き合うか(岩波新書) | 岩渕功一 | 岩波書店 | 2025年12月19日 | 9784004320944 |
|---|
☆ Extract passages ☆
共感は多義的で簡明に定義するのが難しぃ言葉ですが、他者の立場に立ってその人の心情や経験(そして苦難や生きづらさ)を想像し理解(しょうと)する能力といえるでしょう。それは自然発生的な感情というよりは意識的に培う能力であり想像力です。その気になれば誰もがある程度は養えるものですが、培おうとしなければ身につかないものでもあります。
よく混同されるのは同情です。同情は、他者との距離感を縮めることなく、他人ごととして可哀想だと憐れんだり思いやる感情です。また、寛容のように自己と他者の不均衡な関係性に向き合うことなく、やや上から日線のものとなりがちです。英語でも同情はシンパシーで共感はエンパシーと区別されていますが、ここでは培う能力である点に力点を置いて、共感力と言っておきたいと思います。
(岩渕功一 著『多様性とどう向き合うか』より)
No.2517『旅 ドロップ』
「旅」という言葉に惹かれて、図書館で借りてきたのですが、なぜ著者が「山形小説家」というのかはわかりません。でも、昨年の2025年に山形県内で開かれた「山形小説家・ライター講座」の講師を務めています。そのときは、井上荒野さんや角田光代さんも山形県立図書館で講師をしています。
まあ、そんな細かいことは抜きにして、息抜きに読むにはいいと思います。
もともとドロップというのは、「落下する」とか「しずく」などの意味がありますが、私は缶入りドロップスのイメージがあり、色とりどりのキャンディです。でも、同じ飴でも、ソフトキャンディやハードキャンディもありますが、ドロップはハードタイプで、口のなかで時間をかけてゆっくりと味わうことができます。
そういう意味では、この本もゆっくりと味わうことが大切だと思います。
この本のなかに、「はみだす空気」というのがあり、空気がどこからはみ出してくるのだろうと思いながら読んでいると、ラジオからでした。それもインターネットラジオで、私もパソコンで聞ける海外ラジオを聴いたことがあります。
そのときは、この日本で現地の生の声が聞こえるということだけで満足していたのですが、「なにしろ空気がはみだしてくるのだ。北欧の局の番組を流せば、部屋の空気がたちまち北欧みたいになり、アメリカの局の番組を流せば、俄然そこはアメリカになる。おもしろい。どの局を選ぶかによって、自分の部屋が中国になったリスペインになったり、(もちろん日本の局も入るので)湘南になったりする。移動なしで旅先にいるみたいなものだ。これは、ラジオだからこそできることで、たとえばテレビで紀行番組を観たとして、画面に北欧やアメリカや中国やスペインの、街なみや自然や人々
が映っていても、そのテレビのある部屋がその国になったような気はしない。外国の空気は四角い画面のなか、ブラウン管の向うのどこか遠くにあるのであって、こちら側にはみだして来たりしない。音は融通無碍だ。目に見えないから、部屋じゅうに漂う。そこらじゅうを満たす。」と書いてあり、なるほどと思いました。
たしかに、ラジオだからそう思えるので、テレビではできない芸当です。これは真似てみたいと思います。
そういえば、昔、映画を観ながら英会話を覚えようというものがあり、買うと高いので試しに図書館で借りてきて観てみたのですが、それほど効果はなかったようです。というのは、返す日までに飽きてしまって、やはり買わなくてよかったと思いました。
私も同感だと思ったのは、著者の母親が旅から帰ってくると、「ああ、よかった、家がまだあって」とよく言うそうです。私も、特に海外から帰ってきたりすると、わが家が見えると、ホッとします。この本のなかに「留守にしているのが半日であれ数日であれ数週間であれ、家がまだあるのは決してあたりまえではないのだ。火事にもならず地震で崩れもせず、車が突込みもせず犯罪者にあがり込まれもせず、ちゃんと家がそこにあることは。建物だけのことではない。そこに自分の居場所が「まだある」ということ。旅にでて、家から物理的に離れただけじゃなく、一時的にとはいえ気持ちも離し、たぶん一瞬家のことを忘れさえして、それなのに「まだ」帰る場所があるというのは、考えてみれば奇蹟に近い。」と書いてます。
今でもときどき思い出すのですが、東日本大震災のとき、私はスリランカに行っていて、山から戻ってくると、ホテルのフロントの方が日本で大変なことが起こっていると教えてくれました。すぐにわが家に何度も電話をかけ、やっとつながって話しをすると、わが家の被害はまったくないけれど、成田からわが家に戻れるかどうかわからないという話しでした。それが何を意味しているのか、まったくわからず、成田空港に着いて初めてそのことが理解できました。
それでも、成田からバスで東京駅八重洲口まで来て、新幹線では帰れないことがわかり、タクシーで羽田空港まで行き、あと10分で出発という直前に1席が空き、そこに乗せてもらい、山形空港まで飛びました。ところが、積雪のため着陸許可が出ないということで、蔵王上空を旋回し、そろそろ羽田に戻らなければならないというそのとき、やっと着陸許可がおりました。真っ白な滑走路に着陸したときには、拍手が起きました。そこまで息子に迎えにきてもらい、なんとかその日のうちにわが家に着き、ホッとしました。その帰る途中の道のなんと暗かったことか、何も食べてなかったので赤湯のココスにまわりましたが、食材の不足から数品しかなかったのが今でも印象に残っています。
このような経験をしているので、「ああ、よかった、家がまだあって」と私も思うのです。
下に抜き書きしたのは、「平安時代の旅」にあったものです。
これは著者が「更級日記」を現代語訳したときに考えたそうですが、たしかに昔の旅は、女性ならなおさら大変だったと思います。私も、昨年、二度ほど津軽三十三観音をお詣りしたのですが、山道が多く、人里離れていたりすると、どこからかクマが出てくるのではないかと不安でした。
往復で1時間ほどかかる第25番札所松倉観音堂のときには、近くの方にいっしょに上っていただいたので、なんとかお詣りできましたが、お詣りの時間が30分ほどなので、スマホも通じない山の中に1時間30分もいたことになります。
もし、クマ騒動がなければ、一人歩きは慣れているのでなんともないのですが、さすがクマは怖いです。
(2026.2.28)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 旅 ドロップ | 江國香織 | 小学館 | 2019年7月6日 | 9784093886994 |
|---|
☆ Extract passages ☆
旅の目的は、一応神仏参りだったりするのだが、実質的には断然風景を見ることで、いい景色を眺める、ということへの彼らの憧憬と情熱と偏愛ぶりは、ただごとではない。逆に、景色が悪いと途端に興ざめする。その姿勢は徹底していて、日常生活のなかでも、何より景色に心をふるわせ、桜が散ってしまっただけで大泣きしたりする。利那的な人々なのだ、シュールなまでに"いま″を生きている。お客様が帰ったときにもよく泣くのだが、考えてみればそれも道理で、物理的に離れれば、もう二度と会えないかもしれないのだ。連絡手段が皆無(手紙はあったが、郵便システムはもちろんないので、直接届けに行くしかない)だった上、″方違え″の習慣があり、みんなしょっちゅう引越しをしていたらしいのだから、行方不明や音信不通も日常茶飯事だったと思われる。
(江國香織 著『旅 ドロップ』より)
No.2516『柚木沙弥郎 旅の手帖』
著者の柚木沙弥郎さんの仕事は、NHKの日曜美術館などで何度か拝見してますが、本になったのを読むのは初めてです。
副題は「布にめざめたインドの旅」で、1972年12月24日から1973年1月13日、1975年12月20日から1976年1月8日、1982年12月27日から1983年1月6日、1983年3月30日から4月10日、と4回の旅の記録です。なぜか年末からと年度末からの旅が多いような気がします。
私もインドには何度か行きましたが、私と重なるのはボンベイとカルカッタ、カトマンズぐらいですが、今はボンベイはムンバイになり、カルカッタはコルカタと読み方も変更になっています。
そういえば、私もカトマンズ郊外のドゥリケルに行ったことがありますが、友人の親戚が経営しているホテルに泊まり、ホテルのボーイに案内されてシャクナゲを見に行ったことがあります。著者は、「ここはヒマラヤを見るのに世界的にいい場所とのこと。右端に工ベレストがほんのつぶの様に見える。工ベレストは一番遠いのだ。ここから車で行ける処まで行き、歩いて3ヶ月かかる由。くれた地図を見ながら山の名を聞く。右側から左まで全部の山が見える。天気は最高、やつばり午前中は山を見るには適さない。この辺は茶店1つあるでなし。自然そのままで本当に美しい。カトマンズに来てヒマラヤを見たのだから一同満足した。」と書いています。
でも、私はトレッキングをして歩いていると、朝早くからヒマラヤが見え、午前11時ころから雲がかかり始め、午後からはまったく見えなくなりました。これは季節的なこともあるでしょうが、私の場合は植物を見るためにネパールに行くので、3月から4月にかけてが多いのです。
しかも、茶店が少ないところでは、炊事用具をもって行くこともあり、どこででもチャイを飲むことができます。テントも、ある程度は決められているのかもしれませんが、見晴らしの良いところに設営してもらってました。だから、明るくなってくると、テントの入口を開けてヒマラヤの山々を見ていると、どこからかキッチンボーイがチャイを運んできてくれて、それから顔を洗うための金だらいにお湯を入れてもってきてくれます。
このようなときが、まさに至福の時です。
この本で、著者は買いものの話しがよく出てきますが、「2、3買い物をする家に連れてゆかれた。キャメルベルトがある家があった。Tak氏がここのは高い、明日、バルメル行きの途中の村にあるからよせと云う。それで買わなかったのが運のつきで、とうとう買えない事になってしまった。」と書いてあり、このキャメルベルトを買うのも旅の目的のひとつだったのに、残念なことでした。
これなどもよくあることで、この先にもっと良いものがあるし安いといわれると買うのをためらいますが、じつはそれから先はなかなか出合えないということも多々あります。
実は、マダガスカルに行ったときに、ここは世界最大の高品質のバニラビーンズの産地なので、買うつもりでいましが、選んでいるうちに買い損なってしまい、とうとう首都のアンタナナリボで高いものを買わざるをえなくなったことがあります。
やはり、いいと思ったときに買わないと、なかなか次はないようです。
下に抜き書きしたのは、「インド 布の生涯」にあったものです。
インドは伝統的にも布を大切にするところで、僧侶が身につける袈裟も、もともとは糞掃衣といい、その名前からもわかるように、使えなくなって捨てられたボロ布を集めて作ったのが由来です。また、格子状に縫い合わせているところから、水田のように見えるということで、「福田衣」ということもあります。
どちらにしても、布を使えなくなるまで使い切るという発想は、すごいと思います。
(2026.2.25)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 柚木沙弥郎 旅の手帖 | 柚木沙弥郎 | 平凡社 | 2025年10月20日 | 9784582839920 |
|---|
☆ Extract passages ☆
山本耀司という服飾のデザイナーがいますけれど、この人が持ち主の体になじんだ服というものに自分は嫉妬を感じる、と言ったことがあります。そういう使い込んだ衣服の風合いといいますか、暖かさ、そういうものをインドに行くと直接に実感できる。そういうとこに私は一番、魅力を感じると思います。布の生涯、言い過ぎかもしれませんけれど、出来たところから、いよいよボロになってなくなってしまうまでの経過。
(柚木沙弥郎 著『柚木沙弥郎 旅の手帖』より)
No.2515『こだま標本箱』
この本は、題名のおもしろさで選んだのですが、分類的にはフィクションです。だから、本作品は実在の個人・団体等とはいっさい関係がありません、とことわっています。ただ、読むときには、こだまそのものをどのようにして標本にするのかとか、いろいろと考えました。
それは読み進めることでわかってきましたが、『読楽』の2024年6月号から2025年3月号に掲載されたものを加筆修正したものです。この『読楽』というのは、もともとは1967年10月に創刊された『問題小説』の後身で、2012年1月号よりリニューアル・新創刊されたものです。現在は、紙版の刊行ではなく、電子書籍版のみの発行になっているそうで、どちらも1度も読んだことのない文芸誌です。
題名だけで選ぶと、このようなこともあり、それはそれで新しい本にチャレンジする楽しみでもあります。
内容は5編あり、1.幸せの香、2.水を染める色は、3.木々の声音、4.柳の下に眠る、5.神隠しの山、です。それぞれに違ってますが、流れは同じ「喫茶こだま」で、主な登場人物も同じです。
そして、それらが微妙に混じり合って最後の「神隠しの山」につながっていくような構成です。
「水を染める色は」のなかで、賀見社(かみやしろ)は、「標本っていうのは、姿形があって、見てわかるものだろう。伝説には形がないからね。でも、彼は形にこだわってる。逸話を語るよりずっと、目の前に存在するものには人に伝える威力がある。カッパの伝説だって、カッパのミイラを目の前にすれば、その存在感は強烈だ。ただの伝説じゃなくて、本当にいるんだってことを、強く印象づけられるんだからね」といい、所有する「喫茶こだま」のなかに、たくさんの伝説につながるコレクションを置いてあります。
たしかに形があるというのは、存在感はありますが、私はそのものによって違ってくると思います。たとえば、このなかに出てくる「トンボ玉のかんざし」は、それを知っている人にとっては記憶の形見のようなものかもしれませんが、それが伝説とは言えないようで、だからこそ、近くの人たちの共通の言い伝えのようなものを集めることも必要だったのではないかと思います。
ただ、この話しに出てくる井戸じまいのなかに、お祓いをした後に長い竹の筒を立てるというのは知りませんでした。これは、「息抜きというもので、そこから井戸の神さまが出ていけるように立てるのだそうだが、実は、井戸にたまっていたガスや湿気を抜くためだという。井戸がなくなることで生じる地盤の異状を防ぎ、他の水脈に影響が出ないよう、地下水を自然の状態に戻すための息抜
きだ。井戸は、ただ埋めればいいというものではないらしい。」と書いてあり、なるほどと思いました。
やはり、今までその水をつかわせていただいた感謝だけでなく、これから先もなるべく水環境を護っていく配慮もあったのではないかと感じました。
今は、蛇口をひねるとすぐ水が出てきますが、私の子どものころは流れ水を家のなかに引き込み、それで食器などを洗ったり、洗濯をしている家庭もありました。飲み水などは、大きな瓶に汲んできて入れ、それを使うので、その労力も大変だったと思います。
また、これは「神隠しの山」で、賀見社は、今も昔も神隠しという現象が言い伝えられてきたのは、「神隠しに遭って、帰ってきたという人がいて、語ったからだ。その話は、本当でもうそでも、不慮の事故なんかより、ずっと人の興味を引いて、心に残ったことだろう」といいます。
たしかに、これだと納得できます。神隠しにあった人が帰ってきて話さなければ、伝わらないということはありえます。たとえば、三途の川まで行き帰ってきた人が、たしかに川があって、向こう岸から呼ぶ声も聞こえてきたが、こちら側からも戻れという声があり、それで戻ってきたという話しもあります。
しかも、これは日本だけでなく、外国でも川のイメージがあるから不思議です。臨死体験をした人たちの手記のなかにも書いてありました。
世の中というのは、自分が見たことがないという理由だけで、すべて否定はできないのではないか、あるいは見えている世界だけがすべてではないのではないか、と思いながら、読み続けました。
下に抜き書きしたのは、3.「木々の声音」に出てくる常盤百絵さんの言葉です。彼女は、いわばもう一人の主人公です。
この木は自宅の間近にかかるケヤキの木を切りたいという話しから進むのですが、もともとはこの木だけの問題ではなく、河原近くにあったケヤキの大木から挿木で増やしたものだそうで、それほど大木でもないケヤキの木が伝説化する過程もおもしろかったです。
抜き書きした言葉のように、伝説になったからこそ生き延びてきたものもあります。そういえば、各地の三十三観音札所詣りをしていると、道路の真ん中に木があり、それを避けるかのように両側に道があったり、不自然にその木を避けるように道路が曲がっていたりするのを見ることがあります。
中には、看板が立ててあるのもあり、もしかすると、そこにもいろいろな伝説が伝わっているのではないかと思いました。
(2026.2.22)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| こだま標本箱 | 谷 瑞恵 | 徳間書店 | 2025年10月31日 | 9784198660833 |
|---|
☆ Extract passages ☆
伝説は、禁忌を生み出して、人を縛るものであるかのように感じてきた。でも、人を動かすものでもあるのかもしれない。
古びてもなくさない、守るという方向は、とてもエネルギーのいることだ。それでも守らねばならないと、強く印象づける方法が、伝説の他にあるだろうか。この本がただの木なら、もうなかった。
(谷 瑞恵 著『こだま標本箱』より)
No.2514『会社は「本」で強くなる』
副題は『マネーフォワード 会社で取り組む「読書経営」』で、本好き人間としては、読んでみたくなる題名です。ただ、マネーフォワードという会社は知りませんでしたが、この本の説明によると、「クラウド会計や家計簿アプリなどを展開する」会社のようです。現在は創業13年で売上高400億円で、社員数2,900人に急成長しているようです。
読み始めて最初のほうに、「ラーニング・アニマル」という言葉が出てきて、これはいいな、と思いました。「辻は、グーグルが組織開発で重視する「ラーニング・アニマル」という言葉が好きだという。すなわち、「常に新たな学びを貪欲に吸収する人」が集まる組織でなければ、厳しい競争の中で生き残れない。」といい、私もその通りだと思います。
ただ趣味で学ぶというなら、アニマルにならなくてもいいでしょうが、それが仕事でしかも多くの人たちに影響を及ぼす立場なら、学びの姿勢も大切です。
だから、辻さんと起業の構想を共に練り上げたという瀧俊雄さんの言葉に、「例えば、「自分が言いたいことを代弁してくれるような本」ばかりを読んでいないか、と自間することがあります。人間は、どうしても自分にとって心地良い意見や考えにひかれやすいものです。けれど、読書が"癒やし"や"快感"だけに終始してしまっては、自分の視野を広げることはできません。むしろ、「ちょっと苦しい」「自分とは合わない」「読み進めるのが大変」と感じる本にこそ、真の成長のヒントがあると思うのです。あえて"苦役"となる読書に挑む。そうすることで、読解力や思考力、ひいては知的なスタミナが鍛えられていきます。気軽に摂取して気分が良くなるだけの読書ではなく、負荷がかかるけれども後から効いてくる、内側から変化をうながすような読書です。良薬口に苦し。負荷をかけた分だけ知性は育つと感じています。」と書いてあり、なるほどと思いました。
私自身も、途中までなんとか我慢して読み続けていくと、後半になってからおもしろさがやっとわかってくるような本もあります。そして、後々から思い出すのも、そのような本が多いようです。
よく筋肉を鍛えるにはある程度の負荷をかけなければならないといいますが、知力だってそれが必要だと改めて思います。
それと、この本に、「読書はインプットだけではなく、アウトプットを通じて自分の血肉になるものです。」と書いてありました。だいぶ前に、お茶の師匠から、習っているだけでは上達しない、教えて初めてわかることもある、といわれたことがあります。
たしかに、その通りです。インプットとアウトプットが組み合わされて、はっきりと理解できるようになります。そのためには、人に話すということは、とても大切なことです。
下に抜き書きしたのは、第1章「急成長するマネーフォワード 飛躍の秘訣に「本」があった」のなかにあったものです。
たしかに、問いがあることで、本を読んでいると深く深く考えるようになります。そして、複眼を持つように、多角的な視点にもつながります。だから、私も学生のころから、これはという文章を書き写したり、これは忘れないようにしようと思うと、抜書きしています。
今になってみると、それらを読み返すことはほとんどありませんが、自分の書棚の背表紙を見ただけで、何が書いてあったかを思い出します。もし、読みっぱなしだったら、思い出すことも極端に少なかったと思います。
それと継続することが大切で、この『本のたび』も今回でNo.2514ですから、ここに掲載した本だけでも2,514冊読んだことになります。このコーナーをつくったのは、2006年4月22日でしたから、もう20年になります。
最初の本は、『世界の窓 〜Windows〜』で、ベルンハルト.M.シュミットさんの窓を写した写真集でした。今でも写真集はときどき見ますが、ここではあまり取り上げてないようです。
(2026.2.19)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 会社は「本」で強くなる | 宮本恵理子 | 日本経済新聞出版 | 2025年10月15日 | 9784296121618 |
|---|
☆ Extract passages ☆
「問いがないと、本はただ通り過ぎてしまうんですよね」
読書について語るとき、辻が繰り返し口にする言葉である。読書とは、単に知識を得る手段ではない。問いを持つことでこそ、本の内容は読者に深く届き、自分の行動や言葉へと昇華されていく。読書とは、問いの生成装置であり、思考の土壌であると位置づける。
目の前に差し出された1冊、導かれるように手に取った1冊を読み込み、「自分の中でどの一節が引っかかったか」「それはなぜか」「そこから自分は何をするか」というプロセスを踏んで、内省と共有を行う。
(宮本恵理子 著『会社は「本」で強くなる』より)
No.2513『旅するタネたち』
この本は、2008(平成20)年5月に発行されたNHK出版『身近な植物に発見! 種子たちの知恵』を再構成し、加筆修正して文庫化したものだそうです。
著者の本は、何冊か読んでいるので、少しダブルところもありますが、植物には興味があり、たのしく読むことができました。副題は「時空を越える植物の知恵」で、「はじめに」のところで、「タネはいわばマイクロカプセル。みずからの設計図である遺伝子と、芽が育つための栄養が詰め込まれています。新しい場所で新しい世代を担うべく、タネたちは旅立つのです。しかし、「旅立つ」といっても、そこは植物。簡単にはいきません。動物と違い、植物は自由には動けないのです。旅に出るには、小道具なり作戦なりが必要です。風に乗るパラシュートや翼、水に浮くコルクに自動発射装置、さらにはかぎ爪や色仕掛けで動物をヒッチハイクしたりするなど、タネたちは驚くほど巧みな道具や作戦を持っています。タネはときに、時間をも飛び越えて旅をします。厳しい季節をタネの形でやり過ごすのは一年草。暑すぎる夏や寒すぎる冬、あるいは乾いた季節も、小さくとも頑丈なカプセルでならしのげます。」と書いてあり、この本の内容が表されています。
タネのままでも、けっこう長生きだと思ったのは、ブータンで採取してきたネパレンシス・ピプタンサス(Piptanthus nepalensis)のタネを15年以上も保管していたのですが、ネパールに行ったときにその花を見つけ、保管していたことを思い出し、帰国してからまいてみました。すると、だいぶ発芽したのです。そのことから、「19世紀のアメリカで、ある生態学者は、野生植物の種子を小分けにして上に埋め、歳月をおいて掘り出しては発芽能力の有無を調べる実験を開始しました。弟子から孫弟子へと引き継がれた研究の結果、メマツコイグサを含む数種の種子は、土の中でなんと80年以上も発芽能力を保つことがわかりました。明るい環境でないと育たない草のタネは、芽を出すタィミングを見定めています。そこがほかの植物の陰であれば、種子は何十年でも眠り続けてチャンスを待ちます。興味深いことに、発芽と開花、その2つのタイミングを計っているのは同じフィトクロムという物質でした。」と書いてあり、自分が経験したことを思い出したのです。
経験といえば、ここ小町山自然遊歩道にも、この本に掲載されている植物があります。
おもしろいと思ったのは、ゲンノショウコで、「花には紅と白の2タイプがあります。そして、おもしろいことに、源平合戦さながら、西日本には紅花が、東日本には白花が多く見られるのです。中間地帯にあたる近畿地方や東海地方などでは、しばしば紅白が混生し、中間色の淡いピンクも見られます。標高の高い山には白が多く、低地には紅色が多いという傾向もあるようです。花色の違いは遺伝的なもので、花びらで赤い色素のアントシアンがつくられるかどうかで決まります。」とあり、小町山自然遊歩道には白花も紅花も、その中間色の淡いピンク色のゲンノショウコもあります。
旧三沢公民館の近くには、白花がありますから、基本的にこの辺りのゲンノショウコは白花だと思います。しかし、小町山自然遊歩道に紅花を植えた記憶もありませんから、タネでここまで運ばれてきたようです。
しかも、小野小町居所跡手前の芝草の中だけにあるので、その芝草に混じって持ち込まれたのかもしれません。毎年、写真を撮っていますが、白花が先に咲いて、それから紅花が咲いて、その中間の時期にピンク色が混じるようです。
小町山自然遊歩道に花があるときには、雨降りのときをのぞいて、ほぼ毎日カメラを持って写真を撮りに行きますが、毎日毎日、自然が動いているようで、新しい発見があります。まさに自然はワンダーランドです。
下に抜き書きしたのは、第2章「動物を利用するタネたち」に書いてありました。
近くの小町山自然遊歩道には、マタタビが生えていて、花が咲くころになると葉がハンゲショウのように部分的に白くなります。それで花を探すと、この本に出ているサルナシの両性花のように、雌花があります。それと同じような雌花なので、来年咲いたときに、この雄花もイミテーションなのか調べてみたいと思います。
でも、イミテーション花粉でも、それを餌にハチをおびき寄せるというから自然界って不思議なことだらけです。
(2026.2.16)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 旅するタネたち(ヤマケイ文庫) | 多田多恵子 | 山と渓谷社 | 2024年10月1日 | 9784635050050 |
|---|
☆ Extract passages ☆
サルナシには、花が咲いても実のならない株があります。雄株と雌株があり、雄株の花は雌しべが退化した雄花ばかりなのです。一方、雌株には雌しべL雄しべの両方を持つ両性花が咲いて実ができます。
両性花には多数の雄しべがあり花粉も出ていますが、この花粉は中身のないイミテーションで、雌しべにつけても実はできません。それでも雄しべを切り取った花は結実が悪くなります。もともと花に蜜のないサルナシは、イミテーション花粉を餌にハチをおびき寄せているのです。ちなみに数は多くありませんが、同じ株に両性花と雄花をつける両性株も存在します。
(多田多恵子 著『旅するタネたち』より)
No.2512『となりの陰謀論』
No.2510『フェイクニュースを哲学する』を読んだとき、そこに陰謀論というのが載っていて、今の時代にまさかとは思いましたが、この本を見つけ、読むことにしました。
本というのは、1冊読むことによって、そこに書かれていることから、もうちょっと知りたいと思い、次の本を読む、そして次々とつながっていくものです。
この本の「はじめに」のところに、陰謀論を生み出し増殖させるのは、「人間の中にある「この世界をシンプルに把握したい」という欲望と、何か大事なものが「奪われる」という感覚です。これらの欲望や感覚は一部特定の人間だけが持つというよりは、社会状況に応じて誰の中にも芽生えてくるものだからです。」と書いてあります。
だとすれば、ちょっとした心の隙間に、いつでも入り込むもので、だからこそ、常日頃気を付けなければならないと思います。
特に今はネット社会です。SNSなどを使って瞬時にいろいろな情報を個人でも流すことができます。著者は、それらのことから、「陰謀論の日常化」という言葉を使っています。つまり、「ソーシャルメディアの時代においては、陰謀論コミュニティの中の誰かがふと思いつきで投稿したネタが思いがけず拡散すれば、それだけで陰謀論の新作が誕生するようになりました。もはや陰謀論者は事件が起きるのを待つ必要さえなくなったのです。自らの興味関心の赴くまま、陰謀論コミュニティのメンバーが思いついたことをどんどん投稿し、そのうちのいずれかが広く共有されるようになればそれで新作陰謀論が誕生したことになるのです。」といいます。
ネット社会以前なら、陰謀を広めるためには、特定のコミュニティや冊子などを通すしか方法はありませんでした。それすら、大手のマスメディアに相手にもされず、ホンの偶然に広まることがあった程度です。しかし、今や、陰謀論が日常化し、いつでも誰でも流せるようになりました。
これはとてもこわいことですが、日常化したものをそのままにしておくこともできないと思います。
この本では、「糸巻き遊び」のエピソードを取り上げていますが、「実現困難な欲望の充足に振り回されながらいつも寂しい思いをするくらいなら、自分の欲望を疑似的に叶えるための環境を自らつくり出し、その世界の中で自らの欲望を疑似的に満たそうということです。彼の視界に映るのは、「あたかも」、自分がいて欲しいと望むその時にいつでも母親が自分の傍にいてくれる世界です。
この「あたかも (as if)」の世界をつくり出そうとする衝動こそが、人間の文化を生み出すエネルギーです。満たされない欲望を疑似的に充足するために、人間は子どもも大人も、「あたかも」自分の本物の欲望が満たされるかのような世界をつくり出して、その世界の住人となって疑似的な希望や欲望が満たされる経験を通してそれなりの幸福感を得るのです。」と書いています。
つまり、現実から自由になるために空想の世界に生きるようなもので、本来はこれで解決できるものではありません。これでは、「ごっこ遊び」とほとんどかわりません。
下に抜き書きしたのは、第3章『「陰謀論政治」はなぜ生まれるか』に書いてあったものです。
これを読みながら、そういえば、日本でも郵政民営化の選挙のとき、このような流れがあったのを思い出しました。
しかも、それで落下傘候補を出したり、いろいろな手を尽くして、選挙に大勝しました。ということは、一般人も、是か非かとか、単純でわかりやすさをもとめているのかもしれません。ただ、後から考えれば、たしかにそれだけの争点で選挙をするのがよかったのか、あるいは悪かったのかは疑問です。
そして、その忠誠心テストが終わってからは、ほとんどの人たちはこの話題に触れることを避けようとしたそうです。ということは、これはまさに踏み絵のようなもので、それにはなるべく関わりたくないという姿勢だったようです。しかし、今年に入り、ベネズエラへの軍事攻撃して大統領を拘束したりするなど、世界の多くの人たちは、それすら許してしまうのかと疑問に思っているのではないでしょうか。
(2026.2.13)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| となりの陰謀論(講談社現代新書) | 烏谷昌幸 | 講談社 | 2025年6月20日 | 9784065401354 |
|---|
☆ Extract passages ☆
真面目な政策について頷くことは容易いでしょう。しかし、荒唐無稽な「ユダヤの世界支配と闘うのだ」というトンデモ話を持ち出された時に、真顔でそれを「素晴らしい」というためには自分の中にある常識や良識を捨て去らねばなりません。誰にでも多少の抵抗はあったはずです。それゆえ、本物の忠誠心が試されることになるわけです。……
1.6襲撃事件の後、トランプは共和党内の反トランプ派と対立を深める中、「共和党のトランプ化」を推し進めてきました。2022年の中間選挙の際に、トランプは2020年大統領選で大規模な不正が行われたという「不正選挙陰謀論を信じるか否か」という問いを各候補者に突きつけていきました。そして、不正選挙陰謀論に賛同する人間にはトランプの推薦を与え、賛同しない人間にはRINO(Republican In Name Only:名ばかりの共和党員)というレッテルを貼り、RINOが立候補する選挙区にはトランプが推薦する人間を対立候補として送り込んだのです。まさに、忠誠心を測るリトマス紙として陰謀論を用いたのです。
(烏谷昌幸 著『となりの陰謀論』より)
No.2511『馬のこころ』
今年午年なので、馬のことを知ろうと、いろいろ読みましたが、この本はとてもおもしろく、一気に読んでしまいました。副題は「人の相棒になれた理由」ですが、帯に「知れば、きっと馬に会いたくなる」とあり、ほんとうに馬を見てみたいと思いました。
とくに、馬の表情など、痛みを感じているヒトと家畜の表情などの図は、見れば見るほど、たしかにそうだと思うし、「内眉を上げているイヌの表情」などは、かわいそうで何とかしてあげたくなります。それ以上に、あの大きなウマの目を見ていると、いろいろな表情があり、まさに目で表現する俳優さんのような感じです。
そういえば、今は日本だけでなく外国にも野生馬はいないそうで、「野生馬は、世界中を探しても、もうどこにも存在しない。野生馬のように見えるウマであっても、すべて、その祖先をたどれば、一度はヒトの繁殖管理下に置かれ、家畜化された歴史をもつ。一度家畜化された後、遺棄されたり、逃亡したりして、現在では、野生馬のような暮らしに戻っているウマを「再野生化したウマ」とよんでいる。御崎馬も、例にもれず、再野生化したウマである。また、都井岬で暮らす御崎馬は、繁殖をコントロールされていない、自由に繁殖交配をしている個体群であり、これは世界を見ても希少である。」と書いてあります。
そういえば、この御崎馬をテレビで見たときには、風にたてがみをなびかせ、みるからに野生馬のような雰囲気がありましたが、そうではなかったようです。しかも、現在、日本の在来馬は8種類で、1,600頭ほどだそうで、この御崎馬とトカラ馬は100頭弱しかいないそうです。
そういえば、今年のお正月に午年の話しをしたときに、ウマつながりの慣用句として、「馬が合う」という言葉を紹介しましたが、これはもともとは乗馬から生まれた言葉ださうです。「乗り手と「馬が合わない」ときにはウマがまったく指示を聞かず、ウマとヒトが調和して運動することができない。一方で、乗り手と「馬が合う」と、乗り手の能力以上の力をウマが発揮してくれることがあり、ウマとヒトの動きも調和する。技術の高い乗り手と能力の高いウマのペアが必ずしもベストな成績を残すとは限らないのだ。その人の乗り方や性格が、そのウマの性格に合っていれば、技術の劣る人のほうがそのウマのパフオーマンスを向上させることができる、ということも少なからずある。」そうで、著者が馬術部時代の経験からもそのように感じたそうです。
だから競馬も、いかに巧みなジョッキーでも、馬との相性があり、予測が難しいのかもしれません。
しかも、著者が静内研究牧場でウマを観察していると、「彼らは、放牧地の広い範囲に牧草が生い茂っているにもかかわらず、仲間のウマと鼻を突き合わせるくらい近くで、ともに草を食べるのだ。」そうで、そういう光景を見ていると、「ウマは仲間と一緒に何かをすることを好んだり、仲間とのつながりをもつことを求めたりする性質や、寛容な性質を、持ち合わせているのだと感じた。」といいます。
この本のなかで、おもしろいと思ったのは、馬には友だちをとられたくないという行動や、嫉妬みたいなものもあるそうです。その嫉妬はメス馬のほうが多いというから、なんか人間にも相通じるものがありそうで、ほほえましいものを感じました。
下に抜き書きしたのは、3「よく見て、学んで、頼る」の最初に書いてあったものです。
たしかに、ウマは敏感で繊細な動物だとは思っていました。というのも、那須の南が丘牧場で孫が馬に乗りたいというので、1人で乗ったのですが、その前に乗った人の馬の動きと違い、小さな子どもだからなのかゆっくりと歩いていたような気がしました。馬から下りて、馬といっしょに写真を撮ったのですが、こころなしかポーズをとってくれたような気がしました。とてもいい思い出で、10年以上経った今でも思い出します。
(2026.2.10)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 馬のこころ(岩波科学ライブラリー) | 瀧本彩加 | 岩波書店 | 2025年11月14日 | 9784000297394 |
|---|
☆ Extract passages ☆
ウマはもともと、捕食される側の動物であるため、臆病で、警戒心が強く、自分の身に危険が迫ると、いち早く逃げる傾向をもっている。突然の大きな音や声にびっくりしたり、急に物や人が動くのを怖がったりするのも、自分の身に危険が迫ったときにすぐに反応できるよう、敏感で繊細な性格を持ち合わせているためだろう。
そうしたウマの敏感で繊細な性格を示すエビソードは枚挙にいとまがない。私が馬術部に所属していたときのエピソードをいくつか紹介しよう。工事現場の音はウマが最も怖がる音の1つである。馬場でウマに乗って運動していたとき、後ろから突如聞こえてきた「ドドドドド」というドリル音にウマが驚いて暴走することがあった。また、ブルーシートや部員が着ているレインコートが風に吹かれてフワッと舞ったり、傘がパッと開いたりするのも苦手て、ビクッと身震いするだけでなく、ときには横っ跳びして、落ち着かなくなることもあるため、乗っている場合も、曳いている場合も、注意が必要だった。……
ウマはまた、ヒトに怒られるのを予期することもできる。
(瀧本彩加 著『馬のこころ』より)
No.2510『フェイクニュースを哲学する』
この本は、一昨年の9月に出されたものですが、そのころはアメリカ大統領選挙でインターネットを通じてフェイクニュースだけでなく、相手を陥れるような、目を疑うようなものまでネットを通じて拡散し、これはちょっとひどいのではないかと思いました。
それで、ドナルド・トランプが大統領になったのですが、その流れがさらに強まってきた感がします。この本の「序章 フェイクニュースとは何か」に、「たとえば、嘘をつく人は自分の主張に反する証拠を持ちだされれば、嘘を取り繕おうとしてその証拠を何らかの仕方で否定し、反証、つまり反対の証拠を示そうとするだろう。この点で、嘘はまだ真実を検証するゲームの上俵に乗っている。それに対して、でたらめを言う人はそのような証拠に対して反証しようとさえせず、端的に無視する。つまり、真実を語る人と嘘をつく人は真実を検証するゲームのなかで反対の立場に立っているのに対して、でたらめを言う人はそもそもそのゲームの土俵に乗っていない。このような真実に対する態度の違いは、でたらめを言う人を負けることのない「無敵」の状態にしてしまう。」と書かれていますが、まさに無責任な言いっ放しが多く、絶対に間違っていたという反省がないのは困ります。でも、それこそが無敵の状態にするというからなすすべもありません。
つまり、言いたいことをいい、聞きたくないことは無視し、何ごとも自分の思ったことを優先するというような感じです。今年早々の1月3日、ベネズエラのマドゥロ大統領夫妻を拘束した軍事作戦も、麻薬撲滅を名目とはしていますが、あちこちからは石油資源と地政学的野心が見え隠れするという話しが聞こえてきます。
今までのマスメディアにも良いところと悪いところはありますが、それなりの役割はありました。この本には、「集めた情報はすべて発信されるわけではなく、発信する情報とそうではない情報の選別が行われているからである。その選別には、大きく分けて2つの基準がある。それは、伝えるに値する情報か否か、そして信頼できる情報か否かという基準である。マスメディアはこれらの基準に照らして、大衆に伝えるべき情報をふるいにかけるフィルターの役割を果たしてきた。このような既存のマスメディアと比較したとき、インターネットの登場は大きな転換をもたらした。そのひとつは情報が瞬時にまた広く伝えられていくことであり、その影響はこれまでみてきたとおりである。もうひとつの転換は、従来はマスメディアのフイルターを通して伝えられていた情報が、インターネットの登場によってフィルターなしに直に人々に届けられるようになった点である。」と書いています。
たしかにフィルターなしで、生の情報が良い場合もありますが、フィルターがかからないことによって、情報そのものの信頼性が損なわれることもあります。まさに清濁併せ持った情報です。だから、自分でそれらをすべて判断しなければならず、相当詳しく調べないと情報に流されてしまいます。
私自身の経験でも、最近はフェイクニュースが多くなってきたと感じでいます。だからといって、インターネットの情報のすべてが悪いわけではなく、それを利用しない手はありません。
著者は、そのことを、「誤謬を過度に恐れてネット上の情報に対して臆病になりすぎることなく、かといってそれを無謀なまでに信じすぎることもない中間のところで、インターネットを活用する知的な勇気をもち続ける必要がある。その際には、真理を気にかける知的な真摯さを保ちながら、ネット上の証言がなされる状況に応じて信頼性を評価する知的な自律性を発揮できるようにすること。これが、リアル社会の場合以上に必要なこととなる。」といいます。
少し悪いところがあるから全部ダメということではなく、良いところと悪いところを自分で見極めながら、上手に利用するということではないかと思います。
下に抜き書きしたのは、終章「真偽への関心は失われていくのか」に書いてあったものです。
まさに、今のインターネット社会の忙しさを象徴していますが、著者は、このようなときだからこそ、ウィトゲンシュタインがいうように「どうぞ、ごゆっくり」であるべきだといい、先ずは急ぎすぎないことだといいます。
これはいろいろなところにあてはまるもので、たとえば、オレオレ詐欺だって、冷静に時間をかけて考えれば騙されているということがわかるはずです。だから騙すほうは、急がせて考える時間をなくすようにするわけです。
本当に今の世の中は忙しすぎます。また、それが今の世の中だから仕方ないと考えているかもしれませんが、まさに「そんなに急いでどこへ行く」のかと聞きたいぐらいです。
この本を読んでから、ますます物事をゆっくり時間をかけて考えようと思いました。
(2026.2.8)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| フェイクニュースを哲学する(岩波新書) | 山田圭一 | 岩波書店 | 2024年9月20日 | 9784004320333 |
|---|
☆ Extract passages ☆
大量の情報に素早くアクセスすることを可能にしたインターネットは、情報収集にかかる時間を節約することでわれわれの考える時間を増やしてくれるのかと思いきや、むしろ一つひとつの情報とじっくり向き合う時間をわれわれから奪っている。スマホを開けばいつでも最新の情報を手に入れることができるが、その情報がいったい何を意味するのか、本当に正しいものなのかを考える前に、目の前の画面はすぐに新たな情報へと切り替わってしまう。矢継ぎ早に追加されていくSNSでのコメントに急き立てられて、その情報の理解も不十分なまま、その情報の真偽も明らかでないまま、何らかのリアクションを迫られてしまう。このように、情報が次々に更新され、絶えず判断を急かされるなかで、われわれは事柄の真偽について考える余裕そのものを失いつつある。
(山田圭一 著『フェイクニュースを哲学する』より)
No.2509『時の一針一針』
この本は、著者も出版社も何もわからず、たまたま題名の『時の一針一針』に惹かれて読むことにしました。副題は「人生という布に縫い込まれたメモワール」で、これもちょっと気になりました。なぜ一針なのかは、読むうちにわかり、「私たちは通常、人生で、特に人生を変えるようなことをするときは、理由があって行うものが、当時の私には理由がなかった。日本に移住した理由が分かるようになったのは、何年も経ってからだった。それが、私が言う、「時間の縫い目」なのだ。縫い目はそこにあり、一針一針で織り合わされている。取り除くことはできない。しかし、その織物の全体にわたって振り返って初めて、それらを認識することができる。それらの一針一針は、あなた自身が想像するよりも輝き、あなたの人生の物語を形作るために織り合わせられているのだ。」と書いてあるところもありました。
著者がいう一針一針で織り合わされている1枚の布が、その人の人生ということになるようです。だとすれば、1ヶ所でも不都合なところがあればほぐれてしまうことや、裂けてしまうこともあり、だからこそ一針一針が大切になるようです。
最初の「プロローグ」には、「私は、私たちが今存在する時空の点を描くために、布の縫い日の一針の比喩を選んだ。飛行機での旅のような物理的な体験であろうが、芸術との出会いのような精神的な体験であろうが、何かが起こるたびに針はその時間の布を貫く。日本語の「針」という単語は、この比喩にうってつけである。縫う針もあれば、コンパスや時計などの針もある。つまり、布の中を動く針は、自分の進むべき方向を指し示すコンパスの針であると同時に、時間を示す時計の針でもあるのだ。」とあり、意外と日本的な感覚もあると気づきました。
すると、その記憶の縫い目には、山形出身の井上ひさしのことが書いてあり、しかも千葉県市原市に住んでいたころ、著者がそこに居候をしたこともあるといいます。さらに井上ひさしが当時の妻好子さんと3人の娘を連れて初めての海外旅行をしたオーストラリアで案内もしたことがあり、手紙もたくさんいただいたそうです。
著者は、「何年もの間、私は彼から多くの手紙を受け取ったが、それは彼独特の完璧主義者の手で書かれた楷書の文字だった。草書は一切ない。彼は原稿用紙のマス目に、まるで田植えをしているかのように、丸みを帯びた独特の文字を一文字一文字はっきりと書き込んでいく。」と書いていますが、私も川西町の遅筆堂文庫で読んだ本の書き込みを見て、原稿にある丸文字と同じだと思いました。
そして、その近くの井上ひさしコーナーのすぐ近くで、一晩過ごしたことがあり、今ではいい思い出です。また著者の「田植えをしているかのように」という表現も、なるほどと思いました。
著者は、その他に坂本龍一や唐十郎、別役実、大江健三郎などとも交流があり、海外の人たちとの交流を含めて、まさに「人生という布に縫い込まれたメモワール」に満ち満ちています。もちろん、知っている人も知らない人もいますが、1人の人間の一生に多くの人たちが関わり合っているということがよくわかります。
読み終わって、なんとなく読んだのに、意外とおもしろかったので、昨日は立春で、これから暦の上での信念なので、いい1年になりそうです。
下に抜き書きしたのは、『語感と時間のデザイン――「美の一針一針』に書いてありました。
たしかに、線香が燃え尽きるまでの時間というのは、いかにも日本的で、それを感じた著者の繊細さも日本に長く住んだことのある美意識です。
この後に、ジュンサイの話しもありますが、「じゅんさいを早く食べようとすると、お箸の先からどんどん滑っていく。その形といい、その「つかみどころのなさ」といい、じゅんさいは確かに、日本の食文化の典型的な「デザイナー食品」だ。そして、日本の食文化そのものはおそらく、「時間のデザイン」が現れた最良の例だろう。」と書いています。
正午の茶事に出てみるとわかりますが、時計をもって席入りするのは厳禁ですが、その流れのなかで時間を感じることはあります。そして4時間という時間のなかで、お茶の世界が成り立っていることがよくわかります。
(2026.2.5)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 時の一針一針 | ロジャー・パルバース | 作品社 | 2025年11月10日 | 9784867931202 |
|---|
☆ Extract passages ☆
寺子屋では線香が燃え尽きるまでの時間が一回のレッスンの時間となった。現在の学校の授業は60分か90分であることが多いが、おそらく昔の教育者は、若者が一つの科目に最適に集中できる時間の目安が現在の教育者より現実的だったのだろう。
線香時計は、それ自体が産業革命の工場のタイムレコーダーや、学校で授業の開始と終了を知らせる鐘の先駆けと言えるだろう。
(ロジャー・パルバース 著『時の一針一針』より)
No.2508『空海の文字とことば』
弘法大師空海に関する本は、いろいろと読んでいますが、たまたま図書館の返却本のコーナーにあったので、借りてきました。よく、本をネットで注文するという方も多いのですが、このような本との出合いは、図書館や書店でないと難しいのではないかと思います。私の場合は、ネットで注文するのは、早く手に入れたいときや、古本で一般の書店では見つからないものなどが多く、ある意味、仕方ないから使うというものです。
それと、この本は真言宗の宗祖としての空海ではなく、日本や中国に残された文物や人なりに光りを当てたもので、今までの空海論とはひと味違います。たとえば、いろは歌にしても、『「いろは歌」は47音であるが、実は空海の生きていた当時は日本の音は48音だった。ア行の「工」とヤ行の「エ」の区別があったからである。「いろは歌」は、この2音が区別されずに1音になってから作られたのであるから、空海より後の時代のものなのである。十世紀後半に作られたものというのが通説になつている。』とあり、伝説をそのまま掲載するのとは違います。
それでも、「伝説では平仮名を作ったのが空海であるというのもある。それでは片仮名はだれが作ったかというと吉備真備だという。」という話しも載せていて、この吉備真備は717年と752年の2度も遣唐使になった方で、さすが伝説になるほどの知識はあったようです。
そういえば、この「いろは歌」を版画にしたのが棟方志功で、たまたま昨年の7月に津軽三十三観音札所詣りのついでに東京の日本民藝館に寄り、「空海といろは」という作品を見てきました。これは、いろはを上下に配し、その間に「空海をたのみまゐらす心もて はるばる土佐の國へ来にけり」と彫られてありました。
そして、このコーナーだけが写真撮影ができたので、とても印象に残っています。
次の9月29日から10月3日まで津軽三十三観音札所詣りに行った時には、青森県立美術館で佐野ぬいの「まだ見ぬ「青」求めて」展を見て、その絵筆の多さにびっくりしました。それだけで、ひとつのコーナーになっていました。
この「空海の文字とことば」を読むと、「文房生活を楽しむ道具が文房具であり、その品数は幅が広い。たとえば、次のようなものが文房生活を楽しむ品物と見なされた。琴、古楽器、古硯、名石、古銅器、帯飾り、古鏡、盆栽、古墨跡、筆架、筆洗、水滴、古今石刻、墓誌拓本、法帖、古画、古画幅、山水盆、香木、名筆、古印、こういう品物を棚に飾り、鑑賞していたのである。」と書いてあり、画家の絵筆とは違うでしょうが、手もとにいろいろなものが必要だということはありそうです。
私も若いときには古い墨を集めたことがあり、中国に行くようになってからは、古い硯や紙などを見つけて買っても来ました。やはり、人間というのは、いろいろと集めたがるようです。
下に抜き書きしたのは、プロローグの「空海と書」に書いてあったものです。
たしかに博物館などでみると、空海の書は風格があり、「五筆和尚」といわれるほど、多彩な書です。でも、ある意味、伝説的な風合いもあると思っていたのですが、これで納得です。
でも、いい筆があるから書がうまいというわけでもなく、その筆も自分で作ったようで、こだわりもあったようです。
そして、この本の最後に、「空海の愉しみ」のなかで、「毎日が学びの連続であった空海にとって、しばしの愉しみとなっていたのが、筆作りと喫茶であったと思う。空海の筆作りは、日本の筆に大きな変化をもたらした。筆作りの職人との連携を大切にしている態度こそ、これ以後の文房具発展の基礎を作ったともいえよう。空海は唐代の人に飲まれていた茶を飲んでいた。保存のために加工した餅茶を砕き、湯に入れて茶にする。おそらく日常的に茶を飲んだ最初の日本人であったろう。そして、空海最大の愉しみは教育であった。それをどの程度「愉しめた」か。その成果を残念ながら見てとることはできない。」と書いてあります。
そういえば、No.2505『共感の論理』のなかで、学習指導要領の話しを載せましたが、「実際に新課程の教育を受けた児童が社会の中核を担うようになるのは、さらに約20年後である。指導要領の構想からは実に40年が経過している。」とあり、まさに教育の成果が出てくるのは、半世紀になるのではないかと思います。だとしたら、さすがの空海でも、見届けるところまではいかなかったようです。
また、空海が日本で初めて民衆のための学校、綜芸種智院を建てましたが、この名前について、「この「綜芸種智」の名については、「綜芸」と「種智」と分けて説いているものがあるが、これは互文であって、たとえば「十七条憲法」の「上和下睦」が「上下和睦」の意味であるように、「綜種」(さまざま)なる「芸智」(学問知識)であろう。「綜」は「総」と同じで、すべる、すべ集めるの意。音も本来は「ソウ」である。『易経』繋辞伝上に「其の数を錯綜す(錯綜其数)」とある。」と書いてあり、その根拠も示しています。
(2026.2.1)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 空海の文字とことば(歴史文化ライブラリー412) | 岸田知子 | 吉川弘文館 | 2015年11月1日 | 9784642058124 |
|---|
☆ Extract passages ☆
……空海は、皇太子に狸毛の筆を献上した時の添え状「春宮に筆を進むる啓」(『性霊集』巻四)に、
能書は必ず好筆を用う。
また、
臨池は字を逐いて筆を変ず。
と書いている。つまり、字のうまい人は必ずよい筆を用いる、字を書くときは書体に従って筆を変える、という意味で、「選ばず」どころか「選べ」と言っているのである。
(岸田知子 著『空海の文字とことば』より)
No.2507『旅行屋さん』
この本の表紙を見たときに、「旅行屋さん」って、なんだろうと思いました。すると最初に、昔は商売に「屋」をつけて、豆腐屋さんとかパーマ屋さん、かつぎ屋さんなどと呼んだと書いてあり、なるほどと思いました。旅行を商売にしたから旅行屋さんかと納得しました。
それと副題に「日本初の旅行会社・日本旅行と南新助」とあり、私の日本旅行に勤めていた人を知っていたので、読み始めました。最後のところに、「本作品は歴史に材を取ったフィクションです。実在の人物、出来事を事実として描くものではありません。」と書いてあり、書き下ろし作品です。
しかし、日本旅行のホームページの「おかげさまで創業120年!」には、「南新助は、1885年(明治18年)に現在の滋賀県草津市で生まれ、家業である国鉄(現在のJR)草津駅構内における列車の乗客相手の商売を手伝っていました。当時の草津駅は乗降客が非常に多く賑わっていたため、彼は「列車を利用して、何か新しいことができないだろうか」と日々考えていたそうです。そんなときに知ったのが、汽車券の団体割引制度。「この制度を利用して団体旅行を計画すれば、多くの人が気軽に旅行できるようになり、喜んでもらえるのではないか」。と書いてあり、この本に出てくる内容とほとんど違いはなさそうです。
それにしても、最初に行った団体旅行の先は、伊勢神宮なのか高野山なのかはわからないそうで、本のなかでは伊勢神宮になっていました。この辺りが創作ということなんでしょう。だからこそ、作者としては想像をふくらませることができ、書いてみたいと思うのかもしれません。
そういえば、私のところでも国鉄との共催旅行で、取り扱いが日本旅行や東急観光などもありました。その最初が「大正4(1915)年には、鉄道院の熊本運輸事務所の依頼により、(伊勢・奈良・大阪・宮島廻遊団)450名の委嘱を受けている。これがのちの国鉄共催団体旅行の嚆矢となり、以後、国鉄共催の団体旅行が次々と企画されることになった。」と書いてあり、ちょっと懐かしく思い出しました。
今のように個人が気軽に旅行ができる環境がないときだからこそ、せめてお世話する添乗員が付いていれば安心だということです。切符だって駅に行かなければ買えないし、泊まる旅館だって電話などで予約をしなければならず、今とはまったく違います。そういえば、泊まる旅館やホテルを予約してもらうのに、手数料も取られたような記憶があります。今の若い人たちには、笑い話にしか聞こえないことも、旅先ではいろいろありました。
たとえば、海外の団体旅行などでは、旗を持った案内人の後に、みんながそろって歩く姿を見て、このような旅行だけはしたくないと何度も思いました。だから、海外に行くときは、ほとんどが個人か少人数でしたが、何度かネパールに連れていったことがあり、添乗員の苦労がよくわかりました。お土産を買うときも、値切るのが常識とガイドブックに書いてあったからと何でも値切るのです。しかも、私を探して値切らせるので、嫌な役目だなと思いました。
それでも、旅というのは楽しいものです。この本には、旅行屋さんに参加した方から、「でもな……あの楽しかった思い出は、一生の宝やで。金や着物は誰かに盗まれたり、使ってしもたらおしまいやけど、思い出は誰にもとられへん宝になるで」と新助さんに話したというエピソードが載せられていましたが、ほんとうにそうだと思います。
私も昔はアルバムに旅の写真を貼っていましたが、今ではパソコンのなかにみな納まっています。写真だけでなく、そのとき使った地図や行程表まで入っているので、即座に画面に映し出すことができます。まさに、私の宝物です。
下に抜き書きしたのは、「8.余話として」に書いてありました。
私のところでも、最初は鉄道での参拝がほとんどでしたが、それが貸し切り列車になり、バスになり、現在では自家用車になってきました。宮内の熊野大社も同じようですが、ここに書いてあるように、ここから鉄道の参拝団が始まったと知り、感慨深いものがあります。
よく、「旅は道連れ世は情け」ということわざがありますが、これは江戸時代からのことわざだそうです。しかし、これもこの本に出てくるころの時代までの話しで、今はその意味さえも知らない人たちが増えているようです。
(2026.1.28)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 旅行屋さん | 河治和香 | 実業之日本社 | 2025年11月1日 | 9784408538884 |
|---|
☆ Extract passages ☆
……団体参拝の推進は、はからずもその宗教の伝道にもつながっていった。
遠忌に全国から信徒を集結させる……ということは、それはど画期的なことであった。それは、鉄道という新しい交通手段ができたからこそ可能になったのであり……そして、〈旅行屋〉という新しい商売があってこそ成立したともいえる。
こうして明治44年3月1日から7日まで、勅会ではなかったものの朝廷より大師号が下賜され、遠忌法要は全国からの信徒とともに毎日つつがなく行われた。この期間中、青森から、鹿児島から……全国各地から数多くの参拝者が知恩院にぞくぞくと参集した。
(河治和香 著『旅行屋さん』より)
No.2506『日本人と植物』
著者は、仙台市の生まれで、東北大大学院の薬学研究科博士課程を修了し、現在、日本薬科大学客員教授で日本薬史学会会長を務めているそうです。そして、2025年度「日本薬学会教育賞」を受賞したとプロフィールに書いてありました。
私も薬学関係の方との交流があり、興味もあるので、たまたま手にしたのですが、読むことにしました。
海外に行って帰ると思うのですが、日本ほど緑豊かな国はないと思います。この本にも「日本はとても植物資源に恵まれた国でもあって、21世紀初めの調査では、わが国には約7000種の植物が自生しており、そのうち約2900種が日本の固有種という。これは世界的にも、とても豊富な植物資源といえる。しかし一方、わが国自生の植物のうち、現在、1690種が絶滅危惧種とされていることにも注目しておきたい。」と書いてありますが、緑豊かな国もありますが、植物の種類は単調で、日本ほど多様性はありません。しかも、四季の変化がない国もあるので、なおさらです。
それにしても、日本の固有種や自生植物の1690種が絶滅危惧種とは驚きです。さらに動物などを含めた日本の生物の絶滅危惧種は、環境省の2020年版のレッドリストによれば、3,716種が掲載されているので、これまたびっくりしてしまいます。
そういえば、地元の小学生に近くの自然を身近に感じてもらうために野外学習をしたことがあり、そのときに毒草のトリカブトを見つけ、説明したことがあります。この本でも、奈良時代の養老律令にもこのサリカブトのことが書いてあるそうで、「トリカブトの塊茎を植えると、その年の芽が出、綺麗な花を咲かせるが、晩秋に掘り上げると、今年芽がでた芋の脇に小芋がっく。この今年できた小芋を附子(ぶし)という。一方、その親芋の方を鳥頭(うず)という。それはこの芋の形や色がカラスの頭に似ているからである。」ということです。
地元ではあまりニリンソウは食べないのですが、この葉とトリカブトの葉が似ていることもあり、食中毒を起こすことがあります。その小学生の野外学習でも、トリカブトのすぐ近くにニリンソウが生えていたので、見比べてもらうと、本当にそっくりです。ただ、植物に詳しい方だとわかるのですが、ニリンソウの株のなかにトリカブトが混ざっていたりすると、間違いやすいようです。
この小学生の野外学習も、三沢地区の「春の山野草展」の一環でしたが、それを後援している米沢山野草会の初代会長さんが、「薬という漢字は、くさかんむりに楽しむと書くから、植物に親しむのが一番の薬になる」とよく話していました。
ところが、この本には、「学生時代に、薬という字は、草を患者さんの頭に乗せて楽にさせるという意味からできたと習った。この話、くさかんむりは間違いないが、「楽」とぃうところは、ちょっと違っているようである。実は「楽」というのは、薬を調製するときに植物材料を薬研でゴリゴリと細かく潰す音のことを示すのだそうである。だから、たとえば楽器は、楽しい器、あるいは器を楽しむことではない。楽な器でもない。これは音を出すとぃぅところから来ているのである。」と書いてあり、なるほどと思いました。
この話しは、日本薬史学会会長さんがいうのですから、間違いはなさそうです。
また、感覚的には民間薬と漢方薬は違うとは思っていましたが、じつは「一般に単味、すなわち、ひとつの植物だけで、そして、主に本人や家族などの判断で、ゲンノショウコ、カキの葉などが使われる」のが民間薬というそうです。そして、漢方薬というのは、「原則として複数の生薬を組み合わせたもの」だといいます。
つまり、葛根湯という漢方薬は、「麻黄(マオウ)、桂皮(ケイヒ)、芍薬(シャクャク)、甘草(カンゾウ)、大棗(タイソウ)、生姜(ショウキヨウ)、葛根(カッコン)の7種の漢方処方用薬の配合からなる漢方薬」ということになります。
なるほど、これではっきりと区別がついたように思います。
下に抜き書きしたのは、第5章「現代の日本人と植物」に書いてあった植物の話しです。
私がマダガスカルに行ったのはコロナ禍が始まる前年の2019年9月から10月にかけてです。ニチニチソウがガンに効くという話しを聞いたことがあり、9月27日にサカラヴァ湾近くで野生種を見つけたときには、夢中で写真を撮りました。
このマダガスカルの旅では、たくさんの植物の思い出がありますが、やはり一番はバオバブだったと思います。あのムルンダヴァのバオバブの並木道は3日間通いましたが、行くたびごとに新たな風景を見ているような気持ちでした。
(2026.1.25)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 日本人と植物 | 船山信次 | 原書房 | 2025年12月1日 | 9784562075782 |
|---|
☆ Extract passages ☆
身近な花卉園芸植物として、ニチニチソウ(キョウチクトウ科)は、現在、わが国では真夏の花壇を彩る代表的な植物となっているが、もともとは遠くマダガスカル島からやってきた植物である。ニチニチソウからは近代薬であるビンカロイコブラスチンやビンクリステンという名前の付いたアルカロイドが得られ、これらは小児白血病などに応用されることから、ニチニチソウは現代医薬の原料植物でもある。ただし、通常の観賞用に栽培されるニチニチソウではアルカロイドの合有量は極めて少ないことから、製薬会社は含量の多いニチニチソウを原料としている。それでも大量の原料植物からごく少量のアルカロイドが抽出単離されるものである。
船山信次 著『日本人と植物』より)
No.2505『共感の論理』
私は日本の教育は、ある程度、しっかりしていると思ってたので、副題の「日本から始まる教育革命」を見て、読むことにしました。
明治時代の始めに、地球上のある国を後世に残したいのは日本だという話しを聞いたことがありますが、今の世界のニュースをみていても、そう思います。ある意味、日本人ぐらい他の人に親切な国民はいないと思います。これは、戦後の教育のおかげという部分もありますが、長い目で見ると江戸時代の寺子屋までも考えなければならないようです。
よく、学習指導要領が出ると一時的に話題に上りますが、「日本の教育の指針となる学習指導要領は、10年ごとに改訂され、世界の変化に対応しようとしてきた。新たな指導要領が告示されると、小学校から順に新しい教育課程が実施され、最終的に高校へ行き渡るまでに約7年を要する。必然的に新しい指導要領の教育の効果が評価される前に、次の指導要領の策定を始めざるをえない。しかし考えてみれば、実際に新課程の教育を受けた児童が社会の中核を担うようになるのは、さらに約20年後である。指導要領の構想からは実に40年が経過している。」と書いてありました。
つまり、教育というのは、とてつもない時間と労力がかかっているわけで、もし間違った教育方針が示されれば、それを訂正するには、また同じように長い時間と労力がかかるということになります。
それで思い出すのは、この本にも書いてありましたが、しつけは「つ」のつくうちにしなければならないという話しです。「それは「九つ」以後の数には「つ」がつかないことから、生涯にわたって常に発動可能な道徳と価値観を身につけるには、九つまでにそれを教え込まないと手遅れになるということである。道徳/価値観を「内面化」するということは、誰も見ていなくても、罰則などがなくとも価値観に沿った行動が自然に取れるようになることを指す。」と書いています。
よく昔は、誰も見ていなくても、お天道さまが見ているから、悪いことはできないと教えられました。その影響もあるのか、ほとんど誰も通らないような赤信号でも、ちゃんと停まらないと気分的に嫌な感じがしたりします。よくフランス人などは、誰も通らないなら、たとえ赤信号でも渡ってしまうといいますが、なかなかそれができないのが日本人です。コント赤信号のように、「みんなで渡ればこわくない」というのは、普通の人は渡らないからこそのコントです。
そういう意味では、これからの社会は、いかに環境を視野に取り込むかという時代になります。著者は、「近代を牽引してきた戦略・計算・理性中心の価値観とは異なる、新たな価値観として「共感的な利他主義」が今、求められている。そしてそれこそが、脱近代化した新たなパラダイムヘ移行する鍵になる。人類がこれからも生き延びるためには、人間が本来持っている「共感」という貴重な能力を再発見し、自然との関係を回復することが不可欠である。」といいます。
まさに、いろいろなものに共感できる日本人のもっている資質がこれからは大事になります。そのためにも、日本の教育、たとえば国語教育では、他者に共感すると同時に相手を理解し、そして自分も変わることも重視されています。仏教では、「自己(我)」と「他者(他)」の関係を表す言葉に、「自他不二(じたふに)」があります。そして、自己と他者が対立することを「我他彼此(がたひし)」といいます。
この「我他彼此」は、日常でも使う「がたぴし」の語源で、戸や物などがきしむ音を表す擬態語です。また、人間関係や物事が対立してしまい、うまくいかない状態をあらわす言葉でもあります。たとえ、難しい言葉を使ったとしても、その内容は意外と理解できるのが日本人です。それも、教育のおかげかもしれません。
下に抜き書きしたのは、第2章「共感の論理」に書いてありました。
私の近くにある草木供養塔にも、「草木国土悉皆成仏」の文字が彫られていて、元小学校の校庭なので、よく目にしていました。ある意味、物心が付いたときから、自然と一体であると考えていたようで、今でも、自然のなかに身を置くとさわやかな気を感じます。
(2026.1.21)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 共感の論理(岩波新書) | 渡邉雅子 | 岩波書店 | 2025年9月19日 | 9784004320791 |
|---|
☆ Extract passages ☆
草木国土悉皆成仏とは、草や木、国土など心を持たない非情のものでも、人間など心を持ったものと同様に仏性があるから成仏できるという意味の仏語である。先に述べた心学の思想にも生きており、その言葉を直接知らずとも現代の日本人にも自然に受け入れられている。「花になりきってみよ」「風になりきってみよ」「モノになりきってみよ」といった呼びかけに対し、子どもが大きな抵抗を感じることなく共感しながら心情の投影を行えるのは、仏教や心学に根ざした自然観が社会に共有されていることの表れである。動物、植物、そしてモノにすらなりきる読解の方法は、世界の教育方法から見ればこれもかなり特殊なものである。すべてのものになりきり共感できることを、まさに身をもって体験し、その訓練が日常的に繰り返されることで、それと意識されずに綴方と読解を通して日本の伝統的自然観は保持されてきた。
(渡邉雅子 著『共感の論理』より)
No.2504『むずかしいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く』
この本のなかに、亡くなられた方々の話がよく出てきますが、ご自身が2016年7月7日に亡くなったことを私は知りませんでした。そういえば、だいぶ前に読んだ『大往生』や『永六輔・職人と語る』などは、本棚のどこに納まっているのかさえ忘れてしまいました。
この本は、毎日新聞に2009年4月18日から2013年12月7日まで連載したものを再編集し、加筆修正したものだそうです。「あとがき」で、これは「バンセン」だといいますが、つまり「番組宣伝」の略で、「読んでから聞く 聞いてから読む」というようなコラムが一冊になったものです。
まさに著者の人生そのもののような本で、自称、“旅の坊主”、“ラジオ屋”、“テレビ乞食”、“遊芸渡世人”、“男のおばあさん”などいろいろな肩書きというか、それだけ幅の広い生き方をしてきた方でもあります。この本にも出てきますが、昔の放送界のことを知りたいとさだまさしさんが近づいてきたそうですが、さださんが著者のことを「右も左も、上も下もない人」「何かに傾向することもない」「一つの主義主張にくみすることもない」「誰かが何かひとつのことにこだわりすぎていると、横から近づいて、プッと針を刺して、ニュートラルに戻すようなところがありました」と評しているぐらいです。
私的には、どうもあのしゃべり方はなかなかなじめず、本は読みましたが、せっかく川西町のフレンドリープラザに来たときも聴きに行きませんでした。今思えば、せっかくの機会だったのに行けばよかったと思いました。
この本のなかで、随所に「楽しくなければ嫌」というような話しがあり、たとえば、黒柳徹子さんとの掛け合いで、『「永さん、もっとハツキリとわかるようにお話しして、言葉がよくわからない」誰もが遠慮して触れない僕の言葉遣いをズバリと言ってくれるところが「友情」なのである。60年以上になるつきあいの中で言いたいことを言い合ってきた。かって徹子さんが歯の治療で、フガフガしている時に僕がそのことを指摘したことがあった。そのお返しとのこと。ありがたくいただく。』という言葉には、悪意はまったくなく、むしろ相手を思う気持ちすら感じます。
だから、ケガをして歩けなくなったときに、車いすを選ぶ際にも「どんなのがあるの』と好奇心旺盛なところを見せていたそうです。これは見習わなければならないと私は思います。
もちろん、すべて楽しさだけを求めるのではなく、むしろ、大変なときだからこそユーモアだけは忘れてならないと思います。また、この本には、なるほどと思うところも多く、たとえば、食事をするときの「いただきます」も、命をいただく感謝の心だと思っていましたが、この本には「あなたの生命を私の生命にさせていただきます」とあり、このほうが命のバトンを渡しているようで、より有難いと思いました。
前回のNo.2503『記憶するチューリップ、譲りあうヒマワリ』を読むと、野菜などの植物たちも、なんらかの方法で助け合って生きています。だとすれば、その命をいただくわけですから、ちゃんと役立てますという気持ちもつけ加えることも大切ではないかと思いました。
また、原発震災以降の話しのなかに、ある手紙のなかに「天災には言いようのない悲しみがあり、人災には言いようのない怒りがあります」と書いてものがあったそうですが、これは名言だと思いました。言いようのない、ということは言葉では表しようのないほどのことであり、むしろそれが切々と伝わってくるかのようです。
著者の本を読むと、いろいろと含蓄のある言葉がよく書いてあります。まさに、書いてもしゃべっても、芸になります。あるとき、「若い時、徳川夢声さんの話芸に圧倒され、淀川長治さんの話術に浮き浮きした」と話すと、話芸と話術はどう違うのですかと聞かれてしまったそうです。
そこで著者は、「話芸は師匠のいる伝統芸、話術は一代限りのキャラクター。だから古典落語は話芸、新作落語は話術。どちらが上というものではない。そして今のラジオはその話術に支えられていると思う。話術にも見事な話術と粗末な話術がある。話術は漫才、コントなど対談も含まれる。」と書いています。
たしかに話術というのは、その人の個性から生まれるもので、伝えられるものではないような気がします。
下に抜き書きしたのは、第5章「芸の力」のなかに書いてあったものです。
これは米倉斉加年さんが宇野重吉さんからよく言われたことだそうです。たしかに、セリフは「強弱」ではなく、「高低」だと思いました。私もここはというときには、つい大きな声になりがちですが、むしろ言葉に意識的に力を込めることも大切ではないかと思いました。
(2026.1.18)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| むずかしいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く | 永 六輔 | 毎日新聞社 | 2014年1月30日 | 9784620322346 |
|---|
☆ Extract passages ☆
米倉さんの説明はこうである。「宇野重吉先生によく言われました。
舞台のセリフの声は『強弱』ではない。『高低』だ。
「強弱』だと「弱』の部分が聞こえなくなる。『高低』は声が届くから日本の古典芸能は言葉がよく聞こえるだろう。セリフは強弱じゃない、高低だ。近頃の芝居のセリフは高低を大切にしていない」
(永 六輔 著『むずかしいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く』より)
No.2503『記憶するチューリップ、譲りあうヒマワリ』
これは植物行動学の本で、日本ではあまりなじみのない分野ですが、私は昔から興味を持っていました。だからちょっと厚めの本ですが、読むことにしました。ところが、理解しにくいところもあり、なかなか進まず、最後まで読むのに1週間以上もかかりました。
それでも、興味のある分野なので、読み通したことに満足です。題名の『記憶するチューリップ、譲りあうヒマワリ』という話しは、本のなかのわずか数ページで、ここに引用しますと、「ニンニクが芽を出すために必要なのは、冬の記憶だ。ただ春が来るというだけでは、生命は出現せず、十分な長さの寒さが欠かせない。この冬の記憶は、「春化」と呼ばれている。リンゴやモモの木は、それがないと花も果実もつけない。春になると真っ先に咲くチューリップ、クロッカス、スイセン、ヒヤシンスも、十分な春化を必要とする。温暖な地方では、園芸店でチューリップの球根を買うときには、球根を植えるまえに冷蔵庫で数週間冷やさないと花が咲きませんよ、と店員から注意を受けるだろう。」と書いてあり、クロッカスや水仙などと並べて冬の寒さに当てないと華が咲かないというだけの話しでした。
これは、サクラなどでも同じで、開花予測なども、一番寒くなったときからの基準で積算温度で計算するようです。だから、そうとう昔からわかっていたことですが、2018年9月から10月に訪ねた南インドのケララ州のコーチンから約130qほど離れた西ガーツ山脈にある山間のムンナールで12年に1度だけ咲くクリンジ(学名はStrobilanthes kunthianus)で、キツネノマゴ科イセハナビ属です。
前回咲いたのは2006年で、このクリンジの花は40種ほどの品種が存在し、ほとんどが青い花が咲きます。それを現地で見てみたいということで行きましたが、なぜ12年に1度咲くのかはわかりませんでした。この近くはニルギリ紅茶の産地の一つで、紅茶畑が広がっていました。標高は1,500mほどで、クリンジの花は明るい薄青色のベル形でした。
ここへの途中では、ゾウに乗ったり、船に乗ったり、移動方法も独特で、久しぶりにインドの風景を楽しみました。
また、譲りあうヒマワリについては、「2017年には、ヒマワリの近親同士を隣に並べて畑に植えることで最大47パーセント油の収穫量が増えることを、アルゼンチンの研究者が発見した。ヒマワリをかつてなかったほど密集させて植えたところ、近くで育つヒマワリはつねに地下で攻撃しあうと考えられていたのだが、その反対のことが起こった。地上では、隣りあう近親を日陰にしないように茎を曲げたのだ。栄養を奪いあっている徴候もなかった。茎をまっすぐ伸ばすよう強制せず、曲がったまま成長させると、油の生産量は大幅に増加した。」そうです。
たしかに、譲りあうといわれれば、そのようですが、その前に、植物のなかには、近い縁故と遠い祖先などでも、譲りあう程度が違うといいますから、そのほうがなぜだろうと思いました。
それよりおもしろいと思ったのは、日本にも自生しているアキノキリンソウは、「捕食者による脅成が少ない平和な場所に生えているアキノキリンソウは、稀に攻撃を受けると、かなり特殊な、近親にしか解読できない化学的警戒を発する。ところが、より危険な場所に生えているアキノキリンソウは、生物学的な近親だけでなく、その地域のアキノキリンソウすべてが簡単に理解できる化学的な言葉で周囲に信号を送る。」というから驚きです。
そういえば、小町山自然遊歩道にもアキノキリンソウの群落があり、今年の秋には、今までとは違ったアキノキリンソウが楽しめそうです。
この本のなかで一番興味を引いたのはウミウシで、アメリカ合衆国の大西洋岸の水のあるところに生息しているそうです。なにがおもしろいかというと、動物と植物の境界線が曖昧だからです。つまり、動物だったのが植物になったりするようで、藻を取り込むことで形を変えるのです。
この本では、「生まれたばかりのころは茶色っぱく、赤い斑点がついている。この生物の初期の生活にはひとつの日標がある。バウケリア・リトレアという細長い緑藻の房を探すことだ。それを見つけると、藻の細胞壁を破り、ストローで吸うように、透明な藻の管だけを残してその細胞を飲んでしまう。藻の細胞は、光合成を行う葉緑体が入っているため明るい緑色をしている。顕微鏡だと、ウミウシがまるでタピオカ入りのお茶を飲んでいるように見える。明るい緑色のタピオカがひと粒ずつ口に入っていく。ウミウシは細胞を消化するが、葉緑体は損なわれずに体内に残り、枝分かれした内臓に分散する。ウミウシ自身が、こうして茶色から鮮やかな緑色に変わる。緑藻は数本飲めばそれで足りる。そして、光合成を始める。必要なエネルギーはすべて太陽から取り入れる。どのようにしてか、まさに植物のように光から栄養を取る葉緑体の遺伝的能力を獲得している。」と書いてあり、この仕組みというか、なぜ可能なのかはわかったいないそうです。
もしこれらが解明されれば、いろいろな意味でエネルギー革命につながりそうです。
下に抜き書きしたのは、第4章「鋭敏な感覚」のなかにあったものです。
私の孫が小学生のころに、オジギソウの不思議を夏休みの自由研究で取り上げたのですが、このエーテル麻酔の話しでも知っていれば、ちょっとおもしろい展開になったかもしれません。でも、小学生ですから、そこまでするのも、ちょっと考えたかもしれないので、話題としてはおもしろかったのではないかと思いました。
(2026.1.15)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 記憶するチューリップ、譲りあうヒマワリ | ゾーイ・シュランガー 著、岩崎晋也 訳 | 早川書房 | 2025年8月25日 | 9784152104557 |
|---|
☆ Extract passages ☆
通常の状態だと、オジギソウはわずかに触れるだけで広がった葉を開じ、日よけのブラインドのようにきれいに折りたたまれる。触りつづけていると、ふいに葉全体が茎のところから、力を抜いた手首のようにだらりと垂れ下がる。これには目的がある。もしあなたがケムシなら、自分が食べている葉が急に垂れ下がったら落ちてしまうだろう。だが、オジギソウにエーテル麻酔をかけると、いくら触っても葉が閉じなくなる。
マメ科の植物の苗は、通常は巻きひげを20分ほど回転させ、踊っているように見える。ところがジエチルエーテルで麻酔をかけると、巻きひげを内側に丸め、揺れるような動きは止まる。ジエチル
エーテルが消えると回復し、また回転しはじめる。
(ゾーイ・シュランガー 著『記憶するチューリップ、譲りあうヒマワリ』より)
No.2502『見えない妻 聞こえない夫』
副題は「ふたつの世界で目指す金メダル」で、見えない妻高田千明は全盲クラスの走り幅跳び、聞こえない夫高田裕士はデフリンピック日本代表選手初のプロアスリートで、どちらも陸上競技選手です。
普通なら、同じ陸上選手でも競技が違うので交流はないそうですが、それが不思議と出会いがあって結婚するのです。まさに「縁は異なもの味なもの」ですが、いざ結婚するとなればいろいろな障害はあります。でも、それらを一つ一つ乗り越えていきます。
私が興味を持ったのは、東京2025デフリンピックが2025年11月15日から26日まであったので、ときどきニュースなどで日本人選手の活躍を見ていたからです。このデフリンピックというのは、「デフ(Deaf)」は英語で「耳がきこえない」という意味なので、聴覚障害のあるアスリート(デフアスリート)を対象とした国際総合スポーツ競技大会のことだそうです。しかも、オリンピックと同じように4年に1度、夏季と冬季大会が開催され、今回の東京大会は、初めて日本で開催されただけではなく、100周年記念大会という大きな節目の大会でした。
そんなこともあり、この本を見つけたときには、即読むことにしました。
この本を読んでいて、目が見えないのに走り幅跳びをするということは、怖くないのかと先ず思いました。昨年の12月下旬に読んだ No.2497『言葉にすれば願いは叶う』のなかに、アンドレアス・ハイネッケの「タイアログ・イン・ザ・ダーク」という話しを載せましたが、何も見えない暗さを体験させるのとはまったく違います。フィールドで助走して空中に飛び出すのです。これで怖くないわけはありません。
高田千明さんは、走り幅跳びの助走についてこう答えています。『「怖さは克服できません。どうしても着地で失敗した経験がトラウマとして残っているからです」あるとき、いつもの15歩ではなく13歩の助走で踏み切ったことがあった。砂場に着地できず、手前の地面へ。骨折はしなかったものの、それ以来、「恐怖心」という魔物にとりつかれてしまった。「いまでも怖さはあります。これからも克服するのはむずかしいと思う。だから考え方を変えました。恐怖という感覚と共存しながら記録を伸ばす。走り幅跳びの宿命だと思って無理やり自分に納得させてます。そう考えないと跳べないでしょ」』というのです。
普通なら、その恐怖心をなんとか克服したいと思うのでしょうが、恐怖心はなくならないと割りきって進むというのは、むしろすごいことです。だからこそ、記録を伸ばし続けられるのかもしれません。
では、高田裕士さんはというと、5大会連続の代表で、日本のデフアスリートで初めてプロ活動を始めた先駆者です。しかし、年齢的なこともあり、だんだんと若いアスリートたちが成長し、記録を伸ばして近づいてきます。それは、同じ境遇者の立場からいえば、選手層が厚くなることでいいことですが、プロのアスリートとしては追い詰められることになります。
この本には、東京2025デフリンピックの結果は載っていませんでしたが、高田裕士の公式ウェーブサイトには、「平日の日中ですが、自国開催、地元・東京開催なので、ぜひ会場に足を運んで、直接パワーを送っていただけると嬉しいです! みんな見にきてくれー!」というところで、終わっていました。
しかし、東京新聞によると、「位置に付き、光で合図するスタートランプの色が、走り出しの号砲を示す「青になったと見えた」。駆け出してすぐ、やり直しを示す旗が上がり、自身に失格が告げられた。反応時間は、フライングを示すマイナスの表示。モニターでも確認すると、他の選手にあいさつし、レーンを離れた。」と書いてありました。
たしかに残念な結果ではありますが、おそらくやりきったという満足感を味わったのではないかと思います。
下に抜き書きしたのは、第9章「裕士 東京デフリンピックへの挑戦」の中にある「世界デフ陸上競技選手権大会」のなかの一コマです。
ここにあるように、手話も国によって違うけれど、手話で世界中のアスリートがつながっていくのは素晴らしいことです。しかし、同じ日本のなかに、2つの違う手話があるとは思っていませんでした。しかし。帝京大学医学部附属病院の耳鼻咽喉科にいた田中美ク先生は、「なんでもいいの。日本手話でも、日本語対応手話でも、指文字でも、口話でも。方法は関係ない。あらゆる方法を使い、『モノには名前がある』ことを理解して、『読む』『書く』能力を身につける。そうして充実した社会生活を送ってほしい」と話していて、とても感銘を受けました。
おそらく、世界デフ陸上競技選手権大会に参加したアスリートたちも、同じような気持ちだったのではないかと思いました。
(2026.1.10)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 見えない妻 聞こえない夫 | 篠原通良 | 中央公論新社 | 2025年10月10日 | 9784120059551 |
|---|
☆ Extract passages ☆
それぞれの国で手話はちがうといわれている。日本なら日本手話、アメリカならアメリカ手話。しかし、手話は国境を軽々と越えていくように感じる。日話の言語とはまったく異なる広がり方をしているのではないだろうか。手話という言語が羽をつけて空間を行き来する。興奮が漏れ出たのだろうか、ノドの奥から絞り出すような音が、観客席の間にポロポロとこばれ落ちていく。
(篠原通良 著『見えない妻 聞こえない夫』より)
No.2501『薬なければ病なし』
この本の題名を見て、たしかに薬がなければ病もないかもしれない、と思い至り、読むことにしました。じつは、これは勘違いで、私は新薬が出れば、それに対抗するかのように新しい病気が生まれるような気がしていました。ところが、図書館で借りてきてから、少し読み始めて、改めて表しを見ると、「薬剤師・毒島花織の名推理」とあり、ミステリーのシリーズものらしいとわかりました。まったくミステリーには興味がなく、それでも子どものときにコナン・ドイルのシャーロック ホームズなどを読んだ記憶はあります。
そういえば、2017年9月にイギリスに行ったときに、以前から行ってみたかったエジンバラ植物園にも寄りました。そのとき、駐まったホテルの近くに、「The CONAN DOYLE」というお店を見つけ、写真を撮ったこともあります。
その程度ですから、自分からミステリーを読むことはなかったのですが、勘違いから読み始めると、読まずに返却するのも申し訳ないと思い、つい、最後まで読み続けました。
興味を引いたのは、薬剤師が主役ですから、薬の話しが多くでますが、アルコールに弱い人の話しもあり、毒島さんは「体内に人ったアルコールは、酵素の働きによって二段階に代謝される。アルコールに含まれるエタノールは、ADHという酵素の働きでアセトアルデヒドという物質になり、その後にALDHという酵素の働きで酢酸になり水と二酸化炭素に分解されるそうだ。」と話します。
つまり、このALDHの働きに個人差があるために、お酒に強い人と弱い人がいるということらしい。これは民族的な違いもあって、日本人の37〜38%は低活性型、6〜7%は非活性型であるといわれています。さらに、この非活性型はモンゴロイドにのみみられる特徴だそうで、白人や黒人には低・非活性型はいないようです。
だから、ヨーロッパのように、ワインを水がわりにがぶがぶ飲んだとしても平気なわけですが、私の場合は非活性型で、間違ってもそのような飲み方はできません。
それにしても、薬剤師の毒島花織という苗字は、珍しいと思います。出身の北海道では、そんなに珍しい苗字ではないそうですが、毒島と書いて「ぶすじま」と読むそうで、疑問を持ちながら読んでいると、第2話の「眠れない男」のなかで、本人が『「ちなみにですが、毒島の毒はトリカブトのことを指しているんですよ」と今度は薬剤師が話をはじめた。「トリカブトは毒のある植物ですが、昔から葉としても重宝されていたんです。漢方ではトリカブトを煎じて使います。興味深いのはその呼び方で、同じ漢字を使うのに、薬として使うときは附子(ぶし)、毒として使うときは附子(ぶす)と読ませます。毒島の毒はそのぶすが転用されたという説もあるようです」』と話します。
そういえば、わが家の近くにもトリカブトが自生していて、調べたことがあるのですが、トリカブトは心臓の薬としても使われているそうで、微量なら薬ですが、ちょっと量を間違えると、命にかかわることがあるそうです。また、実際にそれで亡くなった方もいるそうで、まさに「生兵法(なまびょうほう)は怪我のもと」です。
下に抜き書きしたのは、第6話「肝油ドロップとオブラート」に出てきます。
そういえば、小さいころに肝油ドロップをなめたことを思い出し、すごく懐かったです。おそらく甘いものが少ないので、それで喜んでなめたとは思いますが、1粒ではあっという間になくなります。もう1粒ほしいと、何回思ったかわかりません。
それと、現在はオブラートを使う時がありますが、まさか、下に書いてあるのが正式な使い方だとは思いませんでした。
たまには、勘違いして本を読むこともいい、と思いました。
(2026.1.7)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 薬なければ病なし(宝島社文庫) | 塔山 郁 | 宝島社 | 2024年7月17日 | 9784299056702 |
|---|
☆ Extract passages ☆
あれは直接口に入れて飲み込むものじゃない。
水が入ったコップを用意して、薬を包んだオブラートをその中に入れるんだ。
するとオブラートはコップの水の中でゼリー状になる。
それスプーンですくい上げて、日に入れるとスルッと飲み込めるってことらしい。
(塔山 郁 著『薬なければ病なし』より)
No.2500『書を学ぶあなたへ』
今年最初の本は、書道家の石川九揚さんで、副題が「夜の沈黙の中で ひとり静かに 墨を磨れ」です。
この副題を見ただけで、読んでみたくなりました。しかも、年頭に当たり、No.2500から始まるわけで、これぐらい続けば三日坊主といわれなくてもすみそうです。
著者の「九揚」という雅号について、「わが師・垣内楊石先生に書道部へ入部したことを報告に立ち寄った時、「名前をやる」と言われた。福井県を象徴する川「九頭龍川」の「九」に、福井県を忘れるなという意味(田舎的な発想ですね)。さらに当時前衛的、天才的とさわがれた美術家「瑛九」にあやかっていい仕事をせよという意味の「九」を重ねたと説明された。むろん、中国では「九」が「究極数」である。それに師の「楊石」から一字「楊」の字。併せて「九楊」である。」とあり、さらに「ぼくの名前を下に敷くのだからな」とも言われたそうです。
私も、著者の「書とはどういう芸術か」(中公新書)を読んだとき、この雅号はどのような意味かと考えていたので、よくわかりました。
そして、私も「九」について、祖父から「十が幸せだとすると、九はその一歩手前だから、とてもいい数字だなんだ」とよく教えられたこともあり、なるほどと思いました。
また、思い出したのは、私も少しばかり書道教室に通ったとき、先生からいくつかのお手本を借りて、臨書をしたことがあります。そのときに、なぜ人まねをしなければならないのか、よくわからず、顔真卿をお手本にしました。この本には、「臨書の目的は書を読み解くことがひとつ。字形、運筆、配置・配列、そしてそれらの綜合的構成法を読み解くこと。他のひとつは運筆。筆の傾き。筆尖の通った跡、速度を忠実に辿ること。そしてその上にそびえる世界というべきものを知ること。」とあります。たしかに、若いと自らの書を創作したいと思いますが、それなりの修練も必要です。
さらに、「現代書の大先輩は「自己の書をかく場合は面白味は殆どない――真の趣味と謂ふのは臨書にある」とまで言った。この心境に早く到達できるといい。また言った「臨書をするのは御馳走を食ふやうなもので自分の書をかくのは料理をするやうなものだ」と。」と続けます。
たしかにうまい比喩ですが、だからこそ臨書を見たり書いたりすることは大切だということです。
今、40年ほども経って考えてみると、その当時の臨書に対する取り組みはここまでの意識はなかったと思います。もし、もうちょっと早く、このような本を読んでいたら、もう少しは書について深まっていたような気がしました。
そういえば、書道展に行ったときに、展示されている書を見ながら、筆をもって書くようになぞっている方を見たことがあります。この「次は指でなぞってみる。書かれた状態を自分の内に再現し、その運筆と同調することだ。すんなりと同調できるもの、どうも運筆に違和感の残るものなど、さまざまだろう。しかし、指でなぞることによって、全体を鑑賞するだけでは見えなかったものが見えてくる。どこからどのように筆が入り、その圧力は、筆蝕はどんな感じで、どのような速度で、どのような方向で筆が運ばれ、どのような問合いで次の画や文字へ繋がっていくかを考察するのだ。」という文章を見つけて、合点がいきました。
おそらく、その方も、ここに書かれているように書かれた書をなぞっていたのかもしれません。
この本を読み、書というものに対して、いろいろなことを学びました。これから書道家になれるわけでもありませんが、筆を持つときには、これらのことを思い出しながら書いてみたいと思います。
下に抜き書きしたのは、「随想的エール」の中の「矯(た)めつ眇(すが)めつ」に書いてありました。
私もある講演で、この「矯める」ことについて話したことがありますが、そのときには、いくら弓矢の名人でも曲がった矢をそのまま使っては的に当てることはできないので、常に真っ直ぐになるように矢を矯め直すことが大切だと言ったように記憶しています。
今年最初の『本のたび』ですから、今年1年、ときどきは自分を矯め直しながら、過ごしたいと思います。
(2026.1.5)
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
| 書を学ぶあなたへ | 石川九揚 | 芸術新聞社 | 2025年10月31日 | 9784875867418 |
|---|
☆ Extract passages ☆
書だけには限りませんが一番大切な問題は何かと言うと、それを一語でいうと《矯めつ眇めつ》だと思うのです。
《矯めつ》という字は矢が左側にあるように、曲がった矢を真っ直ぐにするあるいは真っ直ぐなものを曲げたりするということ。《矯めつ》というのは最後の所をきれいにていねいに磨き上げると言ってもいいと思います。
《眇めつ》は目を細くして眺めるここです。目を細くすると何が見えるかというと、非常に大極的にものが見えてくる。自分の作品であっても遠くから目を細めてみると、いろいろなことが見えてくる。そういう《矯めつ眇めつ》の時間と空間を自分の生活の中に入れていかないといけない。
(石川九揚 著『書を学ぶあなたへ』より)
◎紹介したい本やおもしろかった本の感想をコラムに掲載します!
(匿名やペンネームご希望の場合は、その旨をお知らせください。また、お知らせいただいた個人情報は、ここ以外には使用いたしません。)
タイトル画面へ戻る