☆ 本のたび 2018 ☆
学生のころから読書カードを作っていましたが、今時の若者はあまり本を読まないということを聞き、こんなにも楽しいことをなぜしないのかという問いかけから掲載をはじめました。
海野弘著『本を旅する』に、「自分の読書について語ることは、自分の書斎や書棚、いわば、自分の頭や心の内部をさらけ出すことだ。・・・・・自分を語ることをずっと控えてきた。恥ずかしいからであるし、そのような私的なことは読者の興味をひかないだろう、と思ったからだ。」と書かれていますが、私もそのように思っていました。しかし、活字離れが進む今だからこそ、本を読む楽しさを伝えたいと思うようになりました。
そのあたりをお酌み取りいただき、お読みくださるようお願いいたします。
また、抜き書きに関してですが、学問の神さま、菅原道真公が49才の時に書いたと言われる『書斎記』のなかに、「学問の道は抄出を宗と為す。抄出の用は稾草を本と為す」とあり、簡単にいってしまえば学問の道は抜き書きを中心とするもので、抜き書きは紙に写して利用するのが基本だ、ということです。でも、今は紙よりパソコンに入れてしまったほうが便利なので、ここでもそうしています。もちろん、今でも、自分用のカードは手書きですし、それが何万枚とあり、最高の宝ものです。
なお、No.800 を機に、『ホンの旅』を『本のたび』というわかりやすい名称に変更しました。最初は「ホンの」思いつきではじめたコーナーでしたが、こんなにも続くとは自分でも本当に考えていませんでした。今後とも、よろしくお願いいたします。
No.1601『ダライ・ラマの猫』
今年の最後に読んだのがこの本で、とてもおもしろかったです。副題が「ネコが伝えてくれる幸福に生きるチベットの教え」で、主人公がネコなので、夏目漱石の『吾輩は猫である』みたいな雰囲気です。
しかも、ダライ・ラマの飼っているネコという設定で、もちろんフィクションだとわかっていても、なぜか、本当にダライ・ラマがネコに話しかけたり、人と会っているときの様子が本当らしく感じたり、もしかしてノンフィクションではないかと思いもしました。それぐらい、臨場感がありました。
しかし、訳者も「ただ、ひとつ心配なことがある。本書の書き手でもあり、主人公でもあるネコの「アタシ」があまりにもリアルにいきいきとダライ・ラマとの日々の様子を語ってみせるので、好奇心旺盛な読者が「ダライ・ラマの猫」に引き寄せられて、こぞってダラムサラの例の有名なカフェを訪れ、毛並みのふさふさとしたヒマラヤンがブルーの目を大きく見開いて、おやつをもらいに身をすりよせてくるのを待ちわびるのではないか。もちろん、これはフイクションであるから現実に「ダライ・ラマの猫」が書かれたとおりに存在するわけではない。それなのに、法王の膝の上で今日も喉をグルグル鳴らして気持ちよさそうに来客との会話に耳を傾けているネコの姿が目に浮かんでくる。この胸に抱きじめてみたいくらいかわいい法王様のネコだ。」と書いているように、私も読んでいるうちに、虚構と現実の境目がだんだんと薄れてきました。
この本は、ある意味、チベット仏教を知るための手引き書のようなもので、ネコの語りを通して、エコロジーやベジタリアンのこと、さらにはカリスマ・グルまで、いろいろなことを取りあげています。つい、興味の向くままに読んでいると、いつの間にかチベット仏教の深い森のなかに迷い込んだかのようでした。そして、「本当の幸せとは何か」という難しいことを、何となく理解できたように思えるのは、やはり著者の手腕のようです。
私が興味を持ったのは、ダライ・ラマとブータンの女王さまの会話で、女王さまが菩提心の行がなぜそんなに功徳が大きいのですかと問われたことに対し、「徳のパワーは、ネガティブなパワーよりもずっとずっとパワフルなんです。しかも、菩提心以上の徳はありません。菩提心を開発しようとすれば、私たちは外側ではなく、内なる資質にフォーカスします。自分のことだけではなく、他者が幸福であるようにと想起します。その場合、今生だけの短い時間軸で未来を限定して考えているのではないのです、パノラマのような広大な見方で考えるのです。」と話したことです。
そして、このこれらの行をするのは、特別に考えるのではなく、毎日の生活のなかにどこにでもあると言います。そして、「布施行をするときは、人に施しをしている場合も、ネコに食事をあげる場合でも、どんなときでも同じように考えるのです」と具体的なことを取りあげています。
下に抜き書きしたのは、ダライ・ラマの料理人を25年も勤めてきたという設定のミセス・トリンチとのやりとりです。
ここに仏教の神髄があるように思いました。私は、なぜ、宗教が戦争の引き金になるのか不思議でした。宗教はむしろ平和な世界にするための教えではないかと思っています。
このダライ・ラマの言葉を聞いて、他の宗教は相手を無理矢理にでも改宗させようとするからいろいろな問題が起きてくるのではないかと思いました。そして、幸せになるには、先ず他者を幸せにすることですという言葉に納得しました。
この1冊が、今年最後の本でよかったと、改めて思いました。
(2018.12.31)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
ダライ・ラマの猫 | デビット・ミチー 著、梅野泉 訳 | 二見書房 | 2018年11月25日 | 9784576181707 |
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☆ Extract passages ☆
「もうこちらに来て料理をするようになって25年にもなりますがその間、私を改宗させようとなさったことがありませんね。それはなぜでしょぅか?」
「なんておかしなことを!」と、ダライ・ダマは大笑いした。安心させるように彼女の手を取り、こう言った。「仏教の目的は人々を改宗させることではないのです。もっと幸せになるための道具を提供しているのです。それによって、より幸せなカトリック教徒、より幸せな無神論者、より幸せな仏教徒となることができるのです。さまざまな実践法があると思います。あなたはそのうちのひとつに習熟していますね」
ミセス・トリンチは眉を吊り上げた。
「ちょっと粋なパラドックスですね」法王は続けた。「幸せになるための最上の方法は他者を幸せにしてあげることです」
(デビット・ミチー 著 『ダライ・ラマの猫』より)
No.1600『なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?』
芸術家はほとんどが生活より自分のしたいことを優先するので、なんとなく金持ちとは縁がなさそうですが、ピカソはとても裕福だったとある本で読んだことがあります。でも、ゴッホは映画のなかでもほとんど生活臭がなく、清貧そのものでした。その違いは何なんだろう、というのがこれを読もうとしたきっかけです。
でも、副題にあるように、「これからを幸せに生き抜くための新・資本論」で、お金にしばられない生活をするためのさまざまなことが書かれています。まさに「お金の正体を知れば、僕たちはもっと自由に生きられる」ようです。
では、同じ画家なのになぜピカソは金持ちになれたのかというと、著者は、「新しい絵を描くとなじみの画商を数十人呼んで展覧会を開き、無意識に競争させることによって値段と名声を上げていた。そして日常生活においては、少額の支払いであつても好んで小切手を使った。なぜなら、ピカンは当時から有名で、彼が買い物の際に小切手を使えば、それをもらった商店主は、換金しないだろうと考えたためだ。商店主は、直筆サイン入りの小切手として飾るなり、タンスにしまっておいたほうがよいと考えるに違いなかった。そうすることで、ピカソは実質的に現金を支払うことなく買い物を済ませることができたのだ。」と答えています。
つまり、自分の名声をどのようにつくり、そして、それをどうやってお金に換えるかというノウハウをしっかり持っていたということです。
ところがゴッホは生活のほとんどを弟のテオの援助に頼っていたので、生前に売れたのはたった1点だけだったそうです。でも、だからといって、どちらが画家としてよかったのかという問題ではありません。むしろ、それを際立たせることによって、見えてくるものがあります。
たとえば、このピカソの絵の売り方についても、画商に競争させるだけでなく、作品を描いた背景や亥となども詳しく説明したといいます。これなどは、むしろ現代のほうが強くなってきていて、「もはや人は、モノを買わない。モノの機能はすでに十分であり、先進国では必要量の数倍にのぼるモノが生産されている。人は、「つながり」と「物語」にお金を投じるのだ。ソーシャル・ファンディングによる調達は、"今″の時点を評価するのではない。"過去″に積み上げて来た関係。つながり、"将来"産み出す価値、その物語への参画意欲が鍵となるのだ。」と書いています。
たしかに今の時代は、モノの売れなくなってきたことで、コマーシャルやネット販売などで購買力をなんとか引きだそうとしているようです。必要だから買うというよりは、なんとなくかっこうよさそうだからというような感じです。
そういえば、この本のなかで、「お金で本は買えるけれど、知識や知恵は買えない」というフレーズが載っていましたが、たしかにすべてがお金では買えません。むし、お金では買えないものにすごい価値があったりします。今の時代は、そのお金で流れがぼけてしまい、ホンモノの価値が見えにくくなってきています。おそらく、著者は、そのことも言いたいのではないかと感じました。
下に抜き書きしたのは、21世紀のキーワードは「所有ではなく使用」だということだそうで、そのことについて説明してある箇所です。
これなどは、今の情報化社会そのものです。
(2018.12.28)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか? | 山口揚平 | ダイヤモンド社 | 2013年3月7日 | 9784255010830 |
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☆ Extract passages ☆
忘れないでほしいことは、21世紀のキーワードが「所有でなく、使用」だということ。お金も、部屋も、車も、会社も、人間関係も、あらゆるモノについて人びとは所有を放棄していく。その代わり、いつも使える状態」、あらえるモノにアクセスてきる状況にしておくことが大切である。
まるで、ネットワークの世界のクラウド・コンピューティングのように、自分の持っているもの、自分そのものを世界のあちこちに偏在させていく。つまり、自分は意思を持った単なる機器(デバイス)となる。モノだけでなく、知識も情報も持たない。その代わり、常に世界と自分を″同期"させ続けるのだ。
(山口揚平 著 『なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?』より)
No.1599『人生の「ねじ」を巻く77の教え』
日東精工(株)は、ねじを造っている東証一部上場の会社だそうで、本社は京都府綾部市にあります。そのメーカーの企画室がまとめた本で、ねじそのものにも興味がありますが、会社がまとめた本というのはどのようなものかというのにも関心がありました。
読んでみるとなかなかおもしろく、2日ほどで読み切ってしまいました。ねじというのは特殊でもなんでもないのですが、やはりトップメーカーなりの創造性がありました。
たとえば、77の1番目は、「3つの「あ」を武器にして努力しよう」とあり、そこには、「まず一つめの「あ」は「あし(足)」。情報化の今日、フットワーク、機敏な行動力はきわめて大切な武器となります。パソコンの前に座りきり、ネットからの情報に頼りきりは、この際禁物と心得てください。二つめの「あ」は「あせ(汗)」です。額に汗する一生懸命な、真摯な姿勢は昔も今も変わらない尊い武器だといえるでしよう。そして三つめの「あ」は「あたま(頭)」。いうまでもなく、アイデア、知恵で勝負せよということですね。脳にも汗をかかせましょう。」と書いてありました。
この3つの「あ」は、もともとある京都のタクシー会社の運転手さんの合い言葉だそうで、それは「あいさつ(挨拶)」「あいそう(愛想)」「あんぜん(安全)」の3つですが、それを自分の会社に置き換えて使っているそうです。
このような工夫が楽しいです。ほとんどの創造性というのは、あるなんらかの先人の知恵があって、そこにさらに新たなものがつけ加えられたりするようです。ある意味、温故知新もあったりするわけで、これは古いからダメだとは言い切れないと思います。
この会社は、ねじをつくる製造会社なので、「拭く」と「磨く」とは大違いだとか、「点と点」や「線と線」をつなぐという言葉も使われています。そのようなつながりの結果が、そのときには予測できなかったことが結果としてつながっていくこともあるというのは、なるほどと思いました。
そういえば、3だけでなく、1についても、いろいろと書いています。たとえば、「一」という字を調べてみることを提案しています。この「一」の意味は、「「はじめ」「物事の最初」という意味は当然ですが、「すべて」といわれると、そうだったなと思います。「一天にわかにかきくもり」といえば、空全体を表します。「心を一つにする」といえば「同じ」という使い方です。そのほか「もっぱら」などというと「ひたすら」とか「ある一つのことに専念するさま」を指すようです。それに辞書によれば、「最上」「最高」の意味もありますね。知っていると思うことも、ときには調べ直すと視野が広がります。」といいます。
つまり、今まで、このような意味があるとだいたい考えていても、意外とおもしろい解釈があったりして、最近はほとんどパソコンだけで仕事ができますが、辞書で遊ぶことも大切だと感じました。
下に抜き書きしたのは、77のうちの第3番目の教えですが、オカシイものをオカシイと感じて動くことです。
これは、製造工程だけでなく、会社の組織とかやり方などにも通じます。たとえば、最近多くなってきた大企業のデータの不正や改ざん、さらにはその他のコンプライアンス違反など、おそらく中にいれば気がつくようなオカシイことも含まれます。
これなどは、普通の日常生活のなかでもありうることで、オカシイと思ったときになおしておくと、そうすると、意外と簡単に手直しできますが、後になればなるほど手直しができなくなります。これは特に大事なことだと思います。
(2018.12.25)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
人生の「ねじ」を巻く77の教え | 日東精工(株) 企画室 | ポプラ社 | 2014年5月13日 | 9784591140055 |
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☆ Extract passages ☆
たとえば、書類がサカサマに差し込んであったとします。それを見て、今すぐ困らないからとそのままにしておくのか、やっばり変だ、居心地が悪い、直しておこうと手が出せるかどうか。みなさんはいかがですか。
エンジンの音がいつもと違う。ちょっとオカシイと感じるセンスが事故を未然に防ぎます。オカシイものをオカシイと感じ、それをすぐに正そうとする心、これは仕事において
大切な感覚です。
(日東精工(株) 企画室 著 『人生の「ねじ」を巻く77の教え』より)
No.1598『蒐める人』
副題は「情熱と執着のゆくえ」で、いわば、前回の『旅する本の雑誌』は旅とのつながりで本を考えるのですが、これは本そのものを蒐めるのが主で、それにいかに情熱と執着をもってきたのかということについて書いています。
でも、『蒐める人』というのは、蒐集癖のあるということだから、本だけではなくいろいろなモノだってあるわけです。そういえば、最近の古本屋さんは本と何かを組み合わせるコラボみたいなのがありますが、古本が売れなくなると、その流れもだんだん増えてきそうです。私はコーヒーを飲みながら本を読むのが好きですが、本に合うマグカップとか、本に合うおやつとか、いろいろありそうです。とくにおやつなどは、本を汚さないことが大切ですから、その工夫をこらした小物の紹介とか、考えているだけでも楽しそうです。
さて、第1章は「本は世間に還元するものー稲村徹元ー」、第2章は「江戸川乱歩『貼雑年譜』ができるまでー戸川安宣+花谷敦子ー」、第3章は「『日曜研究会』と昭和庶民文化研究ー串間努ー」、第4章は「何者にもならぬ法ー河内紀−」、第5章は「私の見てきた古本界70年ー八木福次郎−」、第6章は「古本屋という延命装置ー佐藤真砂−」、第7章は「いかにして古本好きになったかー南陀楼綾繁−」、巻末対談「人の話しを記録する」ということー都築響一×南陀楼綾繁ー、です。
こうして目次を見てみると、軸足は古本にありそうで、読んでみた後も、そのように思えます。それでも、やはりネット時代になると古本屋も変わってきますが、それ以前の古本屋の世界にも興味があります。
たとえば、佐藤真砂さんの「ネット以前の古書の世界を知っておいてよかったと思うのは、失敗の経験ですね。高く買ったものが売れなくても、勉強代だと思えばいい。 いまの若い人たちはネットによって失敗を回避できているかもしれないけれど、失敗しないと判らないことも多いと思います。そういう失敗の経験があるから、私は博打を打てるのかもしれないですね。 いま、私が買いたいと思うものは、世の中に一点しかないようなものだから、相場もない。それをどう売ろうかと入札までの短い時間で腹を決めることができるから、思い切って入札できるんです。」ということなどは、たしかにあると思います。今の人たちは、相手に断られるとイヤだから最初から声を掛けないそうですが、やはりイヤな思いとか失敗とかしないと成長しません。
この本のなかで、古書目録の話しがけっこう出てきますが、私のところにも、「生物関係 古書目録」鳥海書房発行が送られてきます。200ページを越す内容ですが、カラー版のところもあり、見ているだけでもワクワクします。いちおう頒価500円となっていますが、無料で送ってきます。
これは、今あるかどうかはわからなくても、ときどき見ているだけで、生物関係の本を通してその全体像が見えてくるような気がします。
今の時代は、新刊書だけでなく古書なども売れなくなってきているといいますが、おそらく、なくなるということは絶対にないと思っています。また、電子ブックも平行して売られていますが、だからといって、紙の本がなくなるとは思っていません。
下に抜き書きしたのは、第6章の「古本屋という延命装置ー佐藤真砂−」のなかのフレーズです。
たしかに、こう考えれば、本や紙に刻印されたものだけでなく、さらに間口を広げれば、博物館で収蔵されるべきものまで含まれます。でも、延命装置というよりは、次の時代に伝えるバトンのようなものかもしれません。
(2018.12.23)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
蒐める人 | 南陀楼綾繁 | 皓星社 | 2018年8月20日 | 9784774406589 |
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☆ Extract passages ☆
古本屋って、本を、と云うか、書かれたもの・時代が刻印されているものを、次の世代まで生き延びさせるための延命装置なんですよ。私は過去の遺産はなるべく減らさないほうがいいと思っています。だから余計、同業者もまだ気がついていないものに目がいくんでしょうね。とるに足りないものや小さなものを、ひとつでも多く、世の中に残してやりたいんです。そのために、 お客さんに興味を持ってもらうためにはどうすればいいのかを考えています。私の目の前にある、いまは私しか知らないかもしれない小さな存在を無事着地させてやるためにはどうするのがいいのか。考え込んでしまうことが多くなってきているんです。
(南陀楼綾繁 著 『蒐める人』より)
No.1597『旅する本の雑誌』
12月18日から19日にかけて、仙台市に孫に会いに行ってきました。そのついでに、毎年この時期に開かれている「仙台光のページェント」を見たいと思い、1泊することにしました。泊まったのは光のページェントが開かれている定禅寺通りに近い三井ガーデンホテルです。
ホテルでは入る前に買った賣茶翁の上生でお抹茶を飲み、この本を少しだけ読みました。やはり旅には旅つながりの本がよく、いつもは文庫本なのに、今回は来るまできたので重さや大きさも関係なく、この『旅する本の雑誌』にしました。
この本のなかに出てくる高頭佐和子さんの「遠征読書」という言葉は、遠くまで出かけて読書するということですが、あくまでも観光とかレジャーを楽しむというよりは、長い移動中の読書が目的です。私も今年、2回ほど大人の休日倶楽部で遠くまで新幹線などで旅をしましたが、その間にゆっくりと本を読むことができましたし、移り変わる風景のなかで読むのもいいなあ、と思いました。しかも一人旅なので、旅の中でも意外と本に集中できます。これからもこのような旅を続けていきたいと思っています。
第1章は「地域別攻略! 本好きによる本好きのための2泊3日ガイド」で、北は北海道から南は沖縄まで、番外編としてはニューヨークのブルックリンの個性派書店まで載っています。ちょうど、12月6日から9日まで、米沢市と沖縄の子どもたちの交流で、わが家にも小学5年生の児童が1名ホームスティしたので、そのときに沖縄の名物にヤギ汁というのがあると知りましたが、この本にもそれが出ていました。
それと、この本を読んで行ってみたいと思ったのは九州の小鹿田で、「この日の最後は民藝の創始者である柳宗悦の名著「日田の皿山」の舞台、小鹿田へ。1日に3本出ているバスに乗るもよし、 レンタカーを借りるもよし。市内から車で30分ほどの山間部に昔のままの陶芸の里がある。柳たちが訪れ感激した、あの時からほぼ変わっていない自然と共に生きる人々の暮らしや仕事が広がる景色を堪能しつつ、10軒ある窯元を順番に見て好みのお皿を買い求めよう。ほぼ窯元しかいない集落で、登り道添いに隣り合わせに家があり、すぐに全体を回れる。原始的な営みに触れ、経済社会についても考えさせられる。」と著者の原茂樹は書いてありました。
第2章は「本と旅する 読んで旅する その1」、第3章は「東京で本の旅」、第4章は「本と旅する 読んで旅する その2」、第5章は「本の旅 お出かけメモ」です。私も旅するときには必ず本を持って行きますが、意外とその選定に時間がかかります。むしろ、その選定を楽しんでいるから時間がかかるようです。
ただ、本を読んで、そこを旅するということはほとんどなく、この第2章と第4章はこれからの旅の参考になるかもしれません。
この本を読んでも、旅にはその土地の食べものが出てきますが、私の仙台の旅では牛タンでした。今回、始めて食べたのが牛タンのたたきと角煮などで、とても美味しかったです。そして、牛タンにはやはり麦飯が合うと思いました。そういえば、牛タンのテールスープも美味でした。
今までは牛タンといえば牛タン焼きでしたが、この次に仙台に行くときには「牛タンの洋風煮込み」も食べてみたいと思いました。
下に抜き書きしたのは、国立天文台の渡部潤一先生の「星空散歩の道案内」に出てくる『大望遠鏡「すばる」誕生物語』小平桂一著の解説のなかに出てくる文章です。
やはり、科学といえどもテクノロジーの支えがなければできないこともあります。この「大望遠鏡はロマンなんです」というのが、いかにも毎日大空を眺めている人の言葉です。
また、渡部先生は、「最近は効率を求めすぎていて、専門的なことだけ知っていればいいような風潮があるけれど、人生を貧しくする考え方だと思います。効率みたいなことを突き詰めると余裕がなくなり視野が狭くなる。世の中は文化的に豊かなんだと認識できる環境は、とくに子どもにとって重要で、本は世界をやさしく広げてくれます。これからIT化が進み、出版の形式がどうなろうと、本は大事なものですね。」ともいいますが、ほんとうにそうだと思います。
(2018.12.20)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
旅する本の雑誌 | 本の雑誌編集部 編 | 本の雑誌社 | 2018年7月27日 | 9784860114169 |
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☆ Extract passages ☆
大望遠鏡はロマンなんです。天文学者は大きな望遠鏡を作って誰も見たことのないものを見たい。天文学はこうして発展してきた学問なんですよ。四百年以上前は望遠鏡がないから肉眼で見えるものがすべてでした。惑星では水星、金星、火星、木星、土星の五つまで。天体望遠鏡が登場すると、今度は土星の外側に天王星を確認でき、太陽系が三倍に広がった。さらに天王星の外側に海王星が見つかります。次は天体写真が登場し、天文学者は「望遠鏡で空を見る」から、「写真に写った肉眼では見えない星まで見る」となり、冥王星を見つけることができました。今は望遠鏡の進化と共に引き続き外側を探している状況で、それが第9惑星と言われているものです。
いくら技術が進歩してもまだ見えないところが宇宙にはある。各国の研究者が一生懸命探し、競っています。
(本の雑誌編集部 編 『旅する本の雑誌』より)
No.1596『脱! 暴走老人』
実は、私も市役所の受付で、大声で怒鳴っている老人を見たことがあります。なぜ、あんなにも大きな声で怒鳴る必要があるのかわからないので、しばらく様子を見ていました。しかし、収まる気配はなく、ますますいきり立ち、どうしようもないようで、矢面に立たされた若い市役所職員はただただ頭を下げていました。
そういえば、昔から老人というと、いつもニコニコとして好々爺というイメージでしたので、ほんとうにビックリしました。
でも、最近はそのような話しをよく聞くので、なぜなんだろうと思っていました。そのときに出合ったのが、この本です。副題は「英国に学ぶ「成熟社会」のシニアライフ」です。私も二度ほどイギリスに行き、なんとなく、向こうのお年寄りの姿を見ていて、楽しげに植物園や博物館などを見てまわったり、ベンチに腰掛けて談笑している姿をほほえましく感じています。
著者は、シラキュース大学の修士課程を出て、国連機関やITベンチャー企業や情報通信サービスのコンサルティング業務などを経て、現在はイギリスに住んでいるそうです。やはり、旅行だけでその国のことはわからないので、住んでみて始めていろいろなことがわかります。そういう意味では、とても楽しく読みました。
たとえば、「日本人が年齢や肩書き、性別といったものに基づいて社会的な役割を決めようとするのは、 コミュニケーションコストの最適化や効率化を重視した結果なのです。一方で、ヨーロッパなどの古代から交易や放牧を営んできた地域では、人間関係で重視する要素が異なります。こうした地域では人や物が移動し、多様な人が交わるのが常ですから、いつも特定の人々と同じ作業をやるというわけではありません。異なる文化の人と出会い、さまざまな情報や物を交換することが富の蓄積につながります。したがって、相手との関係性を確認しながら秩序を保つといったことの重要性が低くなる一方で、大事になるのは相手との取引がどんな利益を生むかを瞬時に見極めることです。こうした地域ではうまく交渉を進めるために相手の面白さや特徴をつかむことの方が大事になりますから、相手の年齢を気にすることはあまり意味がないわけです。」とありました。
なるほど、日本人は年齢を聞くことで、その人の環境やものの考え方など、いろいろな情報がわかります。つまり、それだけ世代間の均質化があるということです。それと比べて、ヨーロッパなどの人たちは、個人主義ですし、一人一人が違っていて当たり前の世界ですから、年齢などを聞いても、ほとんど相手のことがわかりません。それなら、聞いても仕方ないと思うのでしょう。それらが経済や社会のシステムにも大きな影響を及ぼしているといいますから侮れません。
そういえば、著者の経歴にあるシラキュース大学というのは、アメリカ合衆国ニューヨーク州シラキュースにある私立大学だそうです。そこの行政学は、全米1位にランキングされるほど有名で、どうりでその方面からの話しが多いと後から納得しました。
そして、最後にこれら暴走老人の背景としては、「日本の老人が暴走してしまう背景には、社会に自分の居場所がないこと、経済的な不安があること、健康状態が良くないことなど、彼らが置かれているさまざまな状況が見え隠れします。暴走する高齢者は寂しさや不安、不満の感情を抱いてぉり、人生を楽しんでいるように見えません。誰かにかまってほしいために店員さんに文句をつけたり、駅員さんに暴言を吐いたり暴力をふるってしまったりするのです。」と書いてあり、なるほどと思いました。
でも、それは考え方次第です。私は今月初旬に一人で旅をしてきましたが、一人旅は気楽でいいものです。誰に相談しなくても、自分の行きたいところに行けるし、自分の食べたいものを食べられます。朝、目を覚まして、まだ眠ければそのまま寝ていてもいいわけで、まったくの自由です。しかも大人の休日倶楽部パスで4日間15,000円でJR東日本のなかなら乗り放題です。年に3回しかないですが、月1回はあってもいいと思っています。そうすれば、暴走老人も少しは減るのではないかと勝手に思っています。
今回の一人旅でも、駅内の売店やコンビニなどで買い物をしましたが、ヨーロッパなどには意外とスーパーなどの大型店が少なく、個人商店が多いそうです。その理由を下に抜き書きしました。
これなども、これからの高齢化社会には考えなくてはならないことのようです。
(2018.12.17)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
脱! 暴走老人 | 谷本真由美 | 朝日出版社 | 2018年10月20日 | 9784255010830 |
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☆ Extract passages ☆
スーパーや大型店の商品は品質が若干微妙で、品物の管理も日本に比べるとずさんです。そこで働いている人たちはあくまで「雇われている」という感覚なので、仕事が雑になりがちです。その点、個人商店ならお客さんは「自分のお客様」、商品は「自分の店の品物」ですから、商売にも熱が入るわけです。こうした昔ながらの個人商店は、特に高齢者にとっては助かります。車や交通機関を利用しなくても行けますし、店主とも顔見知りなので、重いものを家まで配達してもらったり、欲しいものを注文して取り寄せてもらったりすることもできます。
なじみの店をつぶさないように、値段が少し高めでもその店に行くようにしているという人たちもいます。このような個人商店のビジネスの存続まで考えて行動する人たちの存在も、私にとっては新鮮でした。
(谷本真由美 著 『脱! 暴走老人』より)
No.1595『脳で悩むな! 腸で考えなさい』
この本の表紙を見たとき、脳という漢字と悩むという漢字は似ている、と思いました。もしかすると、おもしろいかも、と思い手に取り読むことにしました。
副題は「…心のモヤモヤは腸が解決…」とあり、考えてみると、お腹の調子がよいときには、なんとなくすべての調子がよいように思いました。そういえば、「腸内細菌を味方にする30の方法」などを読んだことがありますが、たしか、著者は回虫などを研究していたことを思い出しました。
著者は現在77歳だそうですが、「ただし、私たち年代は、無理は禁物です。どんなに「楽しい」「好き」と思うことも、自分のペースでゆったりとした気持ちで行うことです。若い頃のようにガツガツ取り組む必要はないのです。好きなことを持ち、ゆっくりと自分のペースでできるのは、人生を長く生きてきた私たちに贈られる特権のようなものでしょう。世の中のしくみをもっとも熟知し、経験にもとづく開けた視野で物事をとらえられる70代こそ、最高に「脂ののっている世代」だと思うのです。」と書いていて、なるほどと思いました。
自分の子どもたちも自活しているし、仕事だって、それほど根を詰めてしなくてもいい歳です。著者の言うとおり、自分のペースでゆったりとするばいいようです。だとすれば、私自身も、そろそろそのように生きたいと思いました。今は、もし日帰りできるところなら1泊し、もし1泊しなければならないところなら2泊するというように、余裕を持って出かけるようにしています。
この本を読んで、ビックリしたのは、よく腸内フローラといいますが、生後1年のうちにその組成がほぼできあがるといいます。そして、それは生涯変わらないそうです。さらに善玉菌とか悪玉菌という言葉は聞いたことがありますが、一番多いのが日和見菌だそうです。著者の言葉によれば、「日和見菌には、その名の通り、ことの成り行きをうかがって、優位なほうの味方をする性質があります。善玉菌が少し増えるといっせいに善玉菌に協力し、逆に悪玉菌が少し増えると、なだれを打って悪玉菌に協力するのです。つまり、腸内細菌の大半を占める日和見菌が、どちらに味方するかによって、私たちの体調はまったく違ってくるというわけです。」といいます。
たしかに、このような性格の人は実社会にもいると思いますが、自分の体内にもいるかと思うと、ちょっとイヤな気がします。でも、考えてみると、体調がよいと思えるときには、ますますよくなるような気がしますし、いったん悪くなると、ますます悪くなりそうに思います。それが日和見菌の仕業だとしたら、やはりなんとかしなければなりません。
つまり、あまり完璧にしようとしてもできないような身体の仕組みがあるということです。だとすれば、著者はいい意味での日和見に生きてもいいのではないかと提案しています。
下に抜書きしたのは、増大した不安を消す手っ取り早い方法として書いてあるところです。それは性格を変えるよりは、まず食事を変えることだそうです。
これなら意外と手軽にできるかもしれない方法です。興味があったら、ぜひ試してみてください。
(2018.12.14)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
脳で悩むな! 腸で考えなさい(青萠堂新書) | 藤田紘一郎 | 青萠堂 | 2017年7月28日 | 9784908273070 |
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☆ Extract passages ☆
カナダのマックマスター大学のフォスター博士らは、腸内細菌と脳の働きの関係について、無菌マウスと正常マウスを比較して研究しています。結果、無菌マウスには不安を感じる行動が多く見られ、セロトニンを感知するセンサーも少なかったのです。
腸内細菌が少ないと不安が増大しやすくなるのです。ですからまずは、食物繊維の多い野菜や海藻、キノコ類をもっと食べて、腸内フローラを豊かに育てることです。腸のご機嫌をとることです。
また、背内側前頭前野の働きを活性化させるためには、脳の血流が大事です。ウォーキングや水泳などの有酸素運動を行って体を適度に動かしましょう。
(藤田紘一郎 著 『脳で悩むな! 腸で考えなさい』より)
No.1594『吉行和子・冨士眞奈美 おんなふたり 奥の細道 迷い道』
「奥の細道」という文字に惹かれて読み始めましたが、やはり女優さんだからこそ出版されたタレント本みたいでした。
それでも、独特の感性があり、芭蕉もこの人たちにかかるとこのような解釈になるのか、と思いました。
たとえば、「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」です。これは、もともと湯殿山のことは里に下りたら口外しないというのが約束です。それを「語られぬ」と表現したようですが、彼女らは『「湯殿にぬらす袂」の女がいて、それについてちょっと語れないんですよってことでしょう(笑)。そこは詳しくは聞かないでくださいって。』とあっけらかんと想像しています。
これは現代的ですよ、と相方が言うわけですから、まったく新しい解釈です。
でも、考えてみれば、俳句はどのように解釈してもいいわけで、それが芭蕉の作品だからといって、伝統的な解釈をしなければならないという決まりはありません。そういえば、「まゆはきを俤にして紅粉の花」という句も、綺麗で色っぽいでしょ、と言ってますが、そういわれれば、そう思えてきます。
これは尾花沢の鈴木清風宅から山寺の立石寺への旅の途中、羽州街道か山寺街道沿いに広がる紅花畑を眺めながら詠んだといわれています。だから、色っぽいとはいうものの、風景として詠んでいるという解釈もできそうです。
そして、後半部分には、冨士眞奈美さんの自選句集43句と吉行和子さんの自選句集31句が掲載され、さらにお互いに相方の句について語っています。そして、第5章では、「人生って…」でまた対談し、最後は、それぞれに「あとがきにかえて」を書いています。
話しのかみ合わないところもあり、やはり個性派俳優だなと思いましたが、それでも友人ですから、合うとか合わないというより、言葉にはできない相性というのがありそうです。
下に抜書きしたのは、冨士眞奈美さんが句会はおもしろいと話したところです。この言葉のあとで、吉行和子さんが「時間たつわよね」といいますから、よっぽど楽しいということでしょう。
著者二人がいろいろな句会に参加しての感想ですから、お二人に俳句というのが趣味的にも合っているようです。
(2018.12.12)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
吉行和子・冨士眞奈美 おんなふたり 奥の細道 迷い道 | 吉行和子・冨士眞奈美 | 集英社インターナショナル | 2018年8月29日 | 9784797673579 |
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☆ Extract passages ☆
団塊の世代の人も多いし、良い遊びだと思うわ。だって鉛筆と紙があれば句作が出来るんだから。それに、会費だって自分の飲み食いだけ心配すればいいんだから。一月一回三、四千円で遊べればとても良いと思う。頭の体操にもなるし、珍しく自分のことを考える。あんまり人って自分のことを考えないのよね。俳句は自分のことを考えないと出来ないから。自分のことを考えるとどんどん深入りしていって、やっぱり本当にアルバム捲るところまで行ってしまうのね。
(吉行和子・冨士眞奈美 著 『吉行和子・冨士眞奈美 おんなふたり 奥の細道 迷い道』より)
No.1593『くらべる日本 東西南北』
「はじめに」に、この本は日本全国の文化や風俗の地域ごとの違いを紹介すると書いてあり、表紙の写真は、西のスコップとして園芸用の移植ベラと東のスコップとして角形のスコップが載っています。やはり、山形では、スコップといえば、雪片付けをしなければならず、「角スコ」とも言いますが、間違っても移植ベラをスコップとは言いません。
表紙からして、そうですから、日本の東西南北には相当な違いがありそうです。最初は、この本を旅行に持っていき、そこには自分の故郷との違いは何かとか考えてみようと思ったのですが、この本はちょっと変形本で、写真もたくさん載っているので、重いんです。旅行には、重い本は不向きなので、帰ってきてから読み始めました。
さて、この東西のスコップですが、工業規格やメーカーの定義では、「足をかけられるものがシャベル、足のかけられないのがスコップ」とか、「シャベルは掘るもの、スコップはすくうもの」というそうで、その基準からいえば、雪かきに使うスコップはすくうとはいうものの足をかけることもあるので、どちらで呼んでもいいわけです。でも、著者はなぜ逆になったのかは、その理由はよくわからないと書いていました。
おもしろいと思ったのはコンニャクで、滋賀県の近江八幡市のコンニャクは赤色だそうで、これは三二酸化鉄という食品添加物で色づけしたものです。でも、味はまったく普通のコンニャクと同じだそうで、鉄分を多く含んでいるので、貧血には良さそうです。でも、山形の玉コンニャクは珍しい形だそうで、山形では普通にお土産屋さんの店頭でも売られています。だからではないでしょうが、コンニャクの消費量の全国一は山形市だそうです(2016年調べ)。
ところが、コンニャクイモの生産では日本一の群馬県は、全体の90%を越えているそうですが、前橋市の消費量は38位です。著者が取材に行ったときに聞いたところによると、コンニャク畑や工場で働いているからわざわざ買わない、ということだそうです。
ということは、山形市の場合はコンニャクの購入金額では第1位ですが、隠れた消費量では群馬県なのかもしれないということでしょう。そういえば、玉庭在住の方から、自分で育てたコンニャク芋からつくったというコンニャクをいただいたことがありますが、野性味があり、とてもおいしかったです。
下に抜き書きしたのは、同じ県内でも違いがあります。たとえば、山形県内でも米沢市などの芋煮は牛肉に醤油味つけですが、庄内に行くと豚肉に味噌味だそうです。だとすれば、仙台市の芋煮は庄内と同じなのはなぜと思います。
だから、著者たちは、全国文化圏マップを作りたいそうです。そのようなマップをつくれば、意外なことがいろいろと出てきそうで楽しみです。
(2018.12.10)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
くらべる日本 東西南北 | おかべたかし 文、山出高士 写真 | 東京書籍 | 2018年8月8日 | 9784487811281 |
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☆ Extract passages ☆
同じ県内でも、日本海側の鶴岡市や洒田市といった庄内地方では仙台市と同じ「豚肉&味噌味」なのです。
このように同じ県内で文化が異なる理由は、今の県境というものが、文化を基準に引かれたものではないからです。そもそも現在の47都道府県になったのは、明治以降のこと。言うまでもなく、今の文化というものは、それ以前から連綿と受け継がれてきたものですから、現在の県境で文化がきっばりと分かれるはずがないのです。ですから「★県では、☆を食べる」と報じられると、「俺の周りではそんなことはない」という人が出てくるのは、ある意味、当然のことなのです。
(おかべたかし 文、山出高士 写真 『くらべる日本 東西南北』より)
No.1592『イギリス、日本、フランス、アメリカ、全部住んでみた私の結論。日本が一番暮らしやすい国でした。』
この本は、旅ではわからない、その国に住んでみてはじめてわかることを書いてあるようで、これも今回の大人の休日倶楽部パスの旅に持っていきました。
最近の本の題名はかなり長くなってきてますが、これなどもそうとう長いようです。でも、目次を見なくても、この題名だけでかなり内容が類推できるので、それはそれなりにいいことです。
この本もそうですが、旅関係の本は、どちらかというとあまり知られていない出版社が多いようで、昨日読んでいた彩図社や、この本の泰文堂なども、あまり記憶にないようです。だからといって、内容にはほとんど関係ないので、ただ、楽しく読ませていただきました。
そういえば、イギリスに行った時に、日本と違って建物の中古物件も意外と高く、若い時には安いものを買い、それに自分でリフォームしたり、庭を手入れしたりして、買った時よりも高い値段で売り、次は自分の身丈に合った物件を探し出し、それらに手を加えていくということを聞きました。日本では考えられないようなことですが、ケンブリッジ近くの不動産屋さんに行くと、一番高いのが古風なかや葺き屋根の民家でした。
この本でも、「米英仏でリフォームが盛んなわけは、中古住宅の価値が下がらず、改装・改築次第で価値を上げることが可能な点にあります。日本の住宅市場のように、中古は価値が下がるばかりと決まっていると、リフォームの出費がもったいないから止めておこう、という考えになるのも当然です。」とありました。とくに庭造りなどを見てきたからでしょうが、植物のフェスティバルなどがあると、植物そのものだけでなく、園芸用品など、さらには庭造りのための服装などもあり、楽しいものでした。また、植物の種などの販売もあり、根気よく植物たちとつき合っていく姿勢が見られました。
また、よくイギリスは食事が不味いといいますが、私の場合はそうでもなかったのですが、たしかにバリエーションは少ないような気がしました。意外とメニューも簡素で、手書きだったりもしました。この本では、それについて自分のフランスに住む夫の両親の例を掲げていますが、「彼らは月〜木曜の間、ひき肉ステーキ、豚肉のソテー、ポトフ、キッシュ等、10品ほどをローテーションで作り、金曜日は魚のムニエル、土曜日は肉屋のローストテキン、日曜日は市販のビザを食べます。金曜から日曜のメニユーは固定されていて、もう何十年も変わつていません。これらの主菜に、つけあわせのゆで野菜、生野菜サラダ、バゲツト、食後のチーズかヨーグルト、そして果物が毎回つくのですが、日本人家庭の献立に比べてとてもシンブルなのがお分かりいただけるでしようか。副菜は基本的にいつも同じで、変わるのは主菜だけ。栄養バランスはすでに副菜で取れているので、献立に頭を悩ませる必要がない。ちなみにどの主莱・副菜も調理時の味つけはほぼ無しで、食べるときに各自が塩コショウやマスタードを加えるというお手軽さです。」と書いています。
たしかに、日本では毎日毎日食事の内容を変えるのが当たり前のようで、それには日本食だけでなく、西洋料理や中華料理、さらにはエスニック料理なども含まれます。私の知り合いのネパール人は、毎日ほとんど同じものを食べています。聞くと、これがおいしいから、毎日でもいいといいます。しかし、日本人なら飽きてしまいそうです。
下に抜き書きしたのは、日本人と他の国の人たちの衛生観念についてのことです。
先日、ある本を読んでいると、日本人は一日の疲れをとるために入浴するが、西洋人は体臭が強いこともあり、これから仕事という朝にシャワーを浴びると書いてありました。やはり、これなども、1日のたまった穢れをその日のうちに洗い流そうとする意識なのかもしれません。
昨日、7日の夕方に自宅に帰りましたが、今月1〜9日まで皇居乾通りの通り抜けができると聞き、7日の午前中に行ってきました。今年はたまたまですが、春の通り抜けのときにもサクラを見てきたので、平成最後の年の記念になりました。
(2018.12.8)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
イギリス、日本、フランス、アメリカ、全部住んでみた私の結論。日本が一番暮らしやすい国でした。 | オティエ由美子 | 泰文堂 | 2014年11月1日 | 9784803006124 |
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☆ Extract passages ☆
衛生観念について胸に手を当てて考えてみると、日本人である私にとって一番大事なのは、精神的な意味で「ケガレ」を避けることなのかもしれない、と思います。実際に汚いかどうかより、「ソトは汚いものであり、ウチにはそのケガレを持ち込んではいけない」という感覚があるのではないか。葬式の後は塩でお清めするのと同じ精神―実際に清められたかどうかよりも、清めの儀式をすることで心の安寧を得るのと同じ精神が、日本的衛生観念の形成に影響している気がするのは、考えすぎでしようか。
(オティエ由美子 著 『イギリス、日本、フランス、アメリカ、全部住んでみた私の結論。日本が一番暮らしやすい国でした。』より)
No.1591『世界「誰も行かない場所」だけ紀行』
旅に出ているときには、なるべく旅関連の本を読みたいと思っています。そこでこの本を持ち出そうとした表紙を外したら、表紙の写真はモロッコの真っ青にそめられた家々の壁でしたが、本体にはモノトーンのマダガスカルのバオバブの写真が載っていました。このマダガスカルは、昨年の9月にイギリスに行ったときに、ある方から来年はいっしょにマダガスカルに行きましょうと誘われていました。
ところが数ヶ月経ったときに、その方から、今マダガスカルはペストが流行っていて、とても危険だから少し予定を延ばしたほうがいいと連絡が入りました。それは当然です。今どきのペストは空気感染もするといいますから、危険を冒してまでも行けません。でも、行きたいという思いはそのままですから、あっという間にこの本を読んでしまいました。しかも、最後にこのマダガスカルのことを書いてありました。
この本は「誰も行かない場所」の紀行文ですが、おもしろいと思ったのは、意外と知られた国でもあるクウエートですが、「クウエートは石油で潤い、国民の大半は海外の大学に通ったり、旅行に行って、大金を使い人生を謳歌しているように見える。 一方、出稼ぎに来ている人たちは、本国では仕事がなくて貧しくても、ここには働き口があって幸せになっている人もいるようだ。また、出稼ぎ労働者の国にとってみれば、人口が多すぎて働き口がない自国の人をクウェートで雇用してもらい、送金によって金が流入するのは喜ばしいことだろう。クウエートは『究極のボランティア国家』なんじやないのか、そんなことを思う。」とあり、それも一理あると思いました。
ただ、それが幸せかどうかというと、違うような気がします。石油という燃える水が出ただけで、一生何もしないで生活できるというのは、意外と残酷なことではないかと思うのです。アルベール・カミュの書いた『シーシュポスの神話』みたいなもので、同じことを何度繰り返しても、結局は同じ結果にしかならないのです。つまり、結果はほとんどわかり切っているのですから、徒労というよりはむなしさが感じられそうです。
この本のなかで興味を持ったのは、今でも風葬を行うインドネシアのトルニャン村で、「チベットなどで行われている鳥葬では鳥が遺体を食べてくれるが、ここでは虫が分解してくれる。茅の中には約3週間、骨になるまで放置されるようだ。怖いというより、遺体が放置されていることに奇妙な感覚を覚えた。日一那も他の人も死臭は全然匂わないと言っていたが、鼻のイイ俺は死体特有の少し酸っばい匂いを感じる.この周りに植えられているタムニャンと言われる木からはよい香りが発生し、遺体の死臭や腐敗臭をかき消すそうだ。」とあり、妙に生々しい風葬の現実がありました。
その他にもいろいろといつかは行ってみたいところがありましたが、私はほとんどが植物からみなので、それはあまり載っていませんでした。唯一、それがマダガスカルで、この本を読み、ガイドとのトラブルが主に書かれていましたが、やはり行ってみたいと思いました。
下に抜き書きしたのは、このマダガスカルのことです。
マダガスカルには、8種類のバオバブがあるそうですが、私にはその種類より、あの大地に立ち並ぶバオバブの風景を自分の目で見てみたいのです。やはり、いつかと言わずに、ここ数年のうちに行ってみたくなりました。
今日は諏訪のあたりを巡ってから、東京に着きました。今夜は晴れそうなので、イルミネーションで有名な「青の洞窟」や泊まっている近くの東京ミッドナイトタウンの「スターライトガーデン」でも見ようと思ってます。
(2018.12.6)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
世界「誰も行かない場所」だけ紀行 | 嵐よういち | 彩図社 | 2016年1月16日 | 9784801301177 |
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☆ Extract passages ☆
バオバブは全部で10種類あるが、そのうち8種類がマダガスカルで確認されていて、3種類がモロンダバ付近で群生している。 一説には5000年以上生きるとも言われているバオバブの本は、本の中のキングである。車は並木道周辺を徐行し、しばらくバオバブを観察する。存在に圧倒され、車を停めて撮影をする。ときおり、村の子どもたちが寄ってきてフレンドリーに接してくる。村人が荷台を牛にひかせている姿がバオバブに溶け込んでいて非常にいい。少し走ると、ガイドブックなどに載らている『愛し合うバオバブ』がある。これは、2本の木が絶妙に絡まり、男女が抱き合っているような珍しい形である。
この一帯に群生しているバオバブは主に3種類である。
「グランデイデイエリ」は枝が上に向かって伸びている。
「ザー」は幹がいささか浅黒くなっている。『愛し合うバオバブ』は「フエイ」で、幹は主に徳利型になっている。
世界最大の樹木と言われているバオバブは上下が逆さまになったようなユニークな形で旅行者に人気があり、地元の人には精霊が宿る木として信仰され続けてきた。
(嵐よういち 著 『世界「誰も行かない場所」だけ紀行』より)
No.1590『おかげさまで、注文の多い笹餅屋です』
今年の6月25日から28日まで、大人の休日倶楽部パスを利用して、東北1周してきました。そして、26日はお昼前に青森駅に着き、そこでレンタカーを借りて、太宰治の故郷の金木町や三内丸山遺跡などをまわりましたが、実は12月4日から7日まで、またしても大人の休日倶楽部パスを利用して旅をしています。
その旅の間に読んだのがこの本で、これもなにかの縁かもしれません。この本の著者も金木町で暮らしていて、しかも保育所を60歳の定年で退職してから始めたのが、この笹餅作りです。そして、75歳のときに「笹餅屋」の屋号で起業し、加工所を造り、そこで寝泊まりをしながら今でも作っています。しかも、昭和2年2月14日の生まれですから、現在92歳です。最後の「桑田ミサオ史」によれば、新潮145p、体重47.5s、だそうで、それで27sの米袋を担ぐのですからスゴイです。著者は、もし、この米袋を担げなかったらやめることにしているそうで、それも潔いと思います。
この本のなかで、なるべくほとんどのものを手作りすると書いていますが、これは母親からの教えで、「"十本の指は、黄金の山だ"ということです。"この指さえ動かしていれば、お金に不自由することもない。だから、何でも作れるものは、覚えておきなさい"と。ものを作る時は、何にも考えないでしょう。一心になれる。それがいいんです。」といいます。
その流れのなかで、60歳になって畑をするようになり、夫の実家のおばさんに「畑と話できなくてはだめだ」と言われ、そこまでにどのぐらいかかるかと聞くと、「水が欲しい。肥料が欲しって聞こえるまでには、10年かかるな」といわれたそうです。それなら、まだ70歳なので、ぜひ、やってみようと思ったといいます。
そのチャレンジ精神がすごいところで、下に抜き書きしたのは、定年になっても新しいことに挑戦する大切さです。
これは、ぜひ見習いたいと思います。また、著者自身、「もし年金だけで、暮らしていくのに精いっぱいだったら、こういうことはできませんでした。無人直売所ができて、そこで稼いだ15年で、貯金が600万円ほどできたから実現できたことです。お餅や赤飯だけではなく、山のきのこや山菜を採って売って、6万円稼いだ月もあります。そのお金があったから、好きなことができたのです。笹餅を売って、何とか食べていけて、利益が少し出れば、今度はその分で、ほかの人に何かできます。」と書いてあるのも、印象に残りました。
私は、前回の大休で金木町の斜陽館に行き、その近くの食堂で、「太宰治ラーメン」を食べました。そのなかに、細竹が入っていました。今思えば、この近くの山で悪阻だけも採れると書いてあり、なるほどと思いました。もし、このときに、この本を読んでいれば、きっとミサオばあちゃんの笹餅も食べていたと思います。これだけは、ちょっと残念です。
今日は松本市に泊まっています。ここの「宝来屋餅店」には、名物の「てっぽう巻き」というあんこを板状の豆餅で巻いてあるのがあるそうです。これでも、食べてみようと思っています。
(2018.12.5)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
おかげさまで、注文の多い笹餅屋です | 桑田ミサオ | 小学館 | 2018年1月22日 | 9784093885980 |
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☆ Extract passages ☆
定年して、何をしたらいいのかと迷っている人も多いでしょう。よく、こんな年になって新しいことを始めるなんて、と言う方もいます。でもどうか、自分でこれはできない、いい年をしてこんなことをしては恥ずかしいなどと決めつけないでください。悩んだりするくらいならば、思いきって新しいことに挑戦してみてください。そのことが、後半生をいかに楽しくしてくれるか、今の私には、そのことだけは自信を持って言えます。
(桑田ミサオ 著 『おかげさまで、注文の多い笹餅屋です』より)
No.1589『医者の本音』
お医者さんが本音で書けるのは、現役を引退したか、そろそろ引退の時期になっているかの場合が多く、若手のお医者さんが本音で書いたら、仲間内からとんでもないバッシングを受けそうです。だから、この本もある程度の年齢になった方かな、と思っていたら、後ろの著者略歴を見たら、1980年生まれと書いてありました。
だったら、意外とおもしろい話しが書いてあるかなと思いました。そして読むと、これからお医者さんに関わる年代の私としては、とても参考になりました。副題は「患者の前で何を考えているか」です。それがわかれば、とてもつき合いやすくなりそうです。
それともうひとつは、たとえばガンになったときに、気が動転してしまい、何を聞いていいかわからなくなります。そのようなとき、著者は、
1.そのがんの治療に慣れているか(一年で何人くらい担当しているか)
2.どんな予定で検査や治療を進めるつもりか
3.私・家族にできることは何か
を聞くといいと答えています。でも、特に1番目などのような質問は、相手のお医者さんの心証を悪くするような気がして、なかなか聞けないと思います。でも、著者は、「がんの治療は、ときにあなたの命を左右することがあります。ぜひ遠慮なく、聞いてみてください。」と書いています。たしかに、命にかかわることですから、そのような非常時には聞いてもいいのかもしれません。
それと興味を引いたのは、研修医のときに、「前医は絶対に批判するな」と習ったそうです。そして、お医者さんの仲間うちの格言に「後医は名医」というのがあるそうです。
これは、「後医とは、患者さんを治療経過の「後」で受け持った医者のことです。「後医は名医」とは、「(時間的に)後のほうになって患者さんを診たら、経過もわかるし症状が多く出て全体像がわかる。情報量が違うので、診断はつけやすいし治療もうまくいくだろう。だから後から担当した医者は、いつも名医のように見える」という意味です。」と書いています。
そういわれれば、なるほどです。もしかすると、時間が経てば病気も回復のほうに向かっているかもしれないし、治らなくても病気の全体像が少しずつはっきりしてきます。つまり、「後医」の反対語は「前医」ですから、これらを考えても、前医は圧倒的に不利だとわかります。
お医者さんの世界は、外から見てもなかなか分からないところばかりですが、このように書かれれば、なるほどと思えることがたくさんあります。そして、お医者さんも意外と患者さんと同じように考えているとわかり、いささかホッとしました。
下に抜書きしたのは、たくさんの死をみてきた著者が、もし自分ならどういうふうに死にたいと思っているかに答えたものです。もちろん、死は誰にでも必ずやってきますから、お医者さんの立場から考えて、どのような死に方なら楽に逝けるのかということでもあります。
(2018.12.3)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
医者の本音(SB新書) | 中山祐次郎 | SBクリエイティブ(株) | 2018年8月15日 | 9784797396874 |
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☆ Extract passages ☆
・肝臓のがんや肝硬変などで、肝不全になって逝く
・事故で一瞬にして逝く
……理由は、「どちらも苦しくないから」です。一つ目の肝不全は、体にアンモニアという毒素がたまっていきぼんやりとしたなか、眠るように旅立ちます。二つ日の事故は、一瞬の出来事ですから痛みも恐怖も何も感じず旅立つことができます。
結局のところ、私は痛いことと苦しいことが嫌なのです。これは、痛みや苦しみでつらそうな患者さんをみている医療者みなが、似たような回答をするように思えます。
(中山祐次郎 著 『医者の本音』より)
No.1588『不倫』
よくマスコミなどで、不倫で叩かれていることがあります。それを不倫バッシングというそうですが、最近、とくに多いような気がします。しかも、立ち上がれないほどバッシングされるので、仕事だけでなく私生活なども大きく影響され、さらに家族や親族まで巻き込んでしまうようです。
それでもなくならないところをみると、おそらく人間の進化の過程での戦略があるのではないか、それを最新の脳科学でその謎にせまろうとしたのがこの本だそうです。
たまたま図書館の新刊のところに並んでいたので借りてきたのですが、8月23日に購入したと記載がありました。これまで、何人の人が読んだかはわかりませんが、最近の過剰な不倫バッシングのなぜを読んだだけでも日本人の精神構造がわかりそうです。つまり、「不倫に対して最大のブレーキになるのは、不倫をした人間に対するサンクションです。社会的名誉や地位、あるいは財産を失う人、あるいは共同体から排除される人が見せしめとなって、不倫を思いとどまらせるのです。」と書いています。
しかし、それでもなくならないというのは、著者は、「「責任感」や「共感」といった高次の脳機能を担っているのは、前頭前皮質という脳の中の比較的新しい部位です。前頭前皮質は性的な快楽などに関わる報酬系(脳の原始的な部分)から遠い場所にあり、また、アルコール等で麻痺しやすい部位でもあります。そのため、理性では「夫(妻)を裏切れない」と思っていても、酒の勢いで目先の欲望に負けてしまうということが容易に起こります。」とあり、そういえば、お酒の席がきっかけという話しを聞いたことがあると思いました。さらにこの人間の共同体から排除されるかもしれないという恐怖もあります。
ただ、「排除の恐ろしさが想像できない人、「自分はなんとかなるだろう」「自分だけはバレないだろう」と思っている人には、ブレーキにはなりません。」と著者も書いています。そして、不倫はなくならないし、不倫バッシングもなくならないといいます。
でも、動物のなかでしっかりと「一夫一婦」を守るのがプレーリーハタネズミだそうです。この本では、「プレーリーハタネズミは、オスとメスが結ばれると、24時間あたり15回から30回の頻度で交尾をくりかえし、その後も互いにぴったり寄り添い、毛繕いするようになります。オスは夫婦関係ができる以前は穏やかな性質ですが、特定のメスと結ばれた後、そのメス以外のプレーリーハタネズミを見つけると、オス、メスを問わず激しく攻撃するようになります。彼らはいったん「つがい」ができると、終生そのパートナーと添い遂げます。人為的にオスとメスを引き離し、他の異性を与えても、新たなカップルはなかなかうまくいかないこともわかっています。さらにはパートナーが死去した後、他の異性から求婚されても、それを攻撃して退けるほどです。」とあり、まさに理想的な「一夫一婦」ですが、凶暴性を帯びるというのが気にかかります。
そして、あまりにも嫉みの感情から起きる過剰なバッシングは、あまり意義のあるものではなさそうです。でも、不倫が脳科学の立場から考えると、これほど深い意味があったのかとビックリしました。
下に抜書きしたのは、孫が生まれたときに読んだ本のなかに、「カンガルーケア」というのがあり、なるほどと思いました。でも、それがもともとはコロンビアの新生児ICUで生まれたものとは知りませんでした。
(2018.11.30)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
不倫(文春新書) | 中野信子 | 文藝春秋 | 2018年7月20日 | 9784166611607 |
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☆ Extract passages ☆
現在では分娩後すぐに母親の胸の上で赤ちゃんを抱っこして哺乳をさせたり、触れ合ったりしながら、しばらくの期間一緒に過ごす「カンガルーケア」(早期母子接触)を推奨
する声が、欧米でも広まってきています。……
コロンビアでは医師や看護師の数に対して入院者が多すぎ、呼吸器系の問題と感染症からこのICUでの死亡率が70%にも及んでいました。そこで、未熟児の体温を保ち、必要なときに母乳を飲めるよう、生後しばらくの期間、母親と子どもが肌を触れあうよう促したことに始まります。
カンガルーケアが子どもの健康状態の維持・改善に非常に有効であるということば、多くの研究者が認めるところです。また、10歳になってもカンガルーケアを受けた子どものほうがそうでない子どもよりストレス反応が弱く、母子関係も良好であることが報告されています。
(中野信子 著 『不倫』より)
No.1587『イギリスではなぜ散歩が楽しいのか?』
11月19日に毎年恒例の例大祭を終え、なんとなく気持ちが楽になりました。すると、どこかへ行ってみたいと思ったり、行ったことのあるところを思い出したりします。そのひとつがイギリスで、この本を見つけました。
副題が「人にやさしい社会の叡智」で、風景だけでなく、福祉なども充実している様子を、永住権を持っている著者が書いています。だから住んでみないとわからないことが、はっきりと書かれています。
私の場合は、何度かイギリスに行ったとしても、そのほとんどは植物関係なので、植物園のことは少しはわかるとしても、生活や福祉のことまではまったくわかりません。それで、読もうと思ったのです。
たしかに、イギリスへ行くと、公園が多く、植物園もとても整備されています。また街並みも整っていて、そこを歩いているだけで、なんとなくイギリスに来たと思います。この本では、「イギリスにいると、仕事に疲れた時など、しばらく周囲の通りを歩くだけでも、ほっと心がほぐれる。街のあちこちにある公園の木々の緑が、目の疲れを癒してくれる。古い時代の意匠をまとった味わいのある建物が、安心感と心地よさを与えてくれる。」と書いています。
たしかに、場所によってはイギリスの中世に迷い込んだかの雰囲気の残るところもあります。しかし、それもこの前のところで、偶然に残ったのではなく、人為的な努力のたまものだといい、そのこともしっかりと書いています。そして、日本でも、「せめて、地域の建物の高さだけでも秩序をもたせ、広告の看板を規制したら、ずいぶんすっきりした街並になるはずだ。」と指摘しています。
日本の場合は、地方はまだ豊かな自然が残ってはいますが、残念ながら過疎化で、整った自然というよりは、荒れ放題の自然が残されています。森林なども、手入れがされないので、むしろ荒廃しているようです。
この本に書いてあるようなやさしい自然というのは、人為的な努力なくしては保ちえないもので、たとえるなら、武蔵野の風景のようなものです。これは自然と人間との共生で生まれたもので、自然にできたものではありません。長い年月の過程で、保たれてきた自然なのです。そのような自然が日本各地でなくなってきていますが、イギリスにはたくさん残っています。そこを歩けば、楽しいわけです。
下に抜書きしたのは、イギリスの良さを描きながらも、日本人の良さを考えさせられるところです。それを狩猟民族と農耕民族の違いといってしまえば簡単ですが、おそらく、長い間のその民族なりの生き方が少なからず影響しているのかもしれません。
このようなことは、日本人が外国に長く暮らしているからわかるもので、この本を読んでとても参考になりました。
(2018.11.28)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
イギリスではなぜ散歩が楽しいのか? | 渡辺幸一 | 河出書房新社 | 2005年5月30日 | 9784309243382 |
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☆ Extract passages ☆
一度、販売した商品の情報を提供し続けることを義務と考え、それに沿って行動すれば、顧客もまた、その誠実さを記憶してくれる。日本人の顧客も同じ農耕民族だからである(この点は重要である)。B氏は、外資系企業のセールスマンらしくない律儀さが気に入られ、その後、多くの顧客と取引を成功させた。
何事にもスピードと効率が求められる現在、次から次に新しい狩猟の場を求めて動き回る敏捷さも必要であろう。その敏捷さは、狩猟民族の優れた点である。
しかし、販売者の責任を認識して過去に取り扱った商品にこだわり、情報を提供し続ける姿勢もまた大事である。それは、ひとつの土地をていねいに耕し、そこでまた新たな花を咲かせ、実を結ばせる農耕民族の努力である。
(渡辺幸一 著 『イギリスではなぜ散歩が楽しいのか?』より)
No.1586『キリンの一撃』
19日のお祭が終わったので、少しはホッとしましたが、やはりゆっくりしたいという気持ちが先行して難しい本は読みたくありません。
そんなとき、目に付いたのがこの本で、表紙のキリンのイラストがなんともおかしく、つい読み始めました。副題は、「サヴァンナの動物たちが見せる進化のスゴ技」です。
著者は解説によるとフランスの若手科学解説者だそうで、アフリカのジンバブエでも研究をしたことがあるそうです。2014年からは、活動の拠点を東南アジアに移し、タイから情報発信を続けています。
この本は、そのジンバブエにいたときに書いたブログが元になってできたそうで、だからサヴァンナの動物たち、つまりハイエナ、キリン、ガゼル、シマウマ、アンテロープ、ゾウ、水牛、シロアリ、フンコロガシ、ミツアナグマ、ライオンなどが描かれているわけです。
私は、むしろ最後のほうに書かれているサヴァンナから砂漠になってしまう過程のことに興味を持ちました。それは、「樹木が生き延びるには、ほかの樹木と一緒に生きる必要があるのだ。つまり木が増えるのは、すでに木がある場所である。逆に、植物におおわれていない場所は乾燥し、風によって侵食される。新しい植物の定着に必要な最後まで残っていた栄養素も、土壌を維持する根がなくなると急速に失われ、植物の成長はきわめて困難になる。こうして木が少ないところには、ますます木がなくなる。重要なのは、木々におおわれている地面が開催を下回ってしまった時には、生態系が一気に崩壊し、木々が消滅して、砂漠化が起こるということである。」と書いています。
ということは、砂漠化させないためには、植物のある状態とない乾燥状態の植生のレベルの閾値を下回らせないことです。
ところが、これがなかなか難しく、その閾値を超えてしまうと一気に乾燥化してしまうのです。もともとアフリカなども、緑あふれる地帯だったそうですが、サヴァンナから砂漠になってしまったところがたくさんあります。
また、だいぶ前のことですが、シマウマの縞は黒地に白か、白地に黒かという話しを聞いたことがありますが、エディンバラ大学の発生学者J・B・L・バードは、縞がひと続きの帯とはならず、斑点の集まりと不連続な斑紋になってしまっている異常なシマウマを見つけだし、黒地に白縞と結論づけています。
では、なぜ、そのような縞に進化したのが生き残ったのかというと、「カモフラージュ効果」ではないかといいます。この本では、8つほどその理由を挙げていますので、機会があればぜひ読んでみてください。でも、それらはあくまでも仮説ですから、もしかすると、別な本当の理由があるのかもしれません。
下に抜書きしたのは、トムソンガゼルがチーターに襲われるときの場面のことです。やはり、野生の世界には、単なる弱肉強食の世界だけではなく、いろいろな生き方があると思いました。
もちろん、このようなことは動物界では例外的なことではないそうで、このような行動は、ギリシアの神の名前をとって「プロテウス行動」と呼んでいるといいます。つまりプロテウスは「自分をつかまえることができた者に未来を予言することを約束した」からだそうです。それぐらい、つかまえることは簡単ではないということです。
(2018.11.25)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
キリンの一撃 | レオ・グラッセ 著、鈴木光太郎 訳 | 化学同人 | 2018年8月10日 | 9784759819724 |
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☆ Extract passages ☆
チーターは跳ね、突進し、不運なガゼルをつかまえようとする。ところが、このガゼルは機転をきかせ、ジグザグに走り出す。走る速さではチーターには勝てないので、まっすぐ走ることは死を意味する。しかし、走る方向を5秒おきに突然変えると、チーターは獲物を一瞬見失い、スプリンターとしての能力が発揮できなくなる。こうしてガゼルは逃げ切る。逃げ切る時の軌道はまったく予測不能だ。研究者たちは、逃げるガゼルが次にどの方向に向きを変えるのかが予測できないこと、そしてこの行動が攻撃を逃れるためにきわめて有効だということを示してきた。
(レオ・グラッセ 著 『キリンの一撃』より)
No.1585『「死ぬとき幸福な人」に共通する7つのこと』
お祭の前後に読んだので、手にとってはほんの少し読み、また何かをしてから読むということで、集中して読むことができませんでした。
でも、この本はあまり難しい内容でないこともあり、それでも理解できましたが、それがなんとなく予想できたので、選んだともいえます。
題名が死ぬときとありますが、それに限らず、いつでも幸せと感じつつ生きたいのは誰しも同じではないかと思います。そのための話しが載っていて、慌ただしい時ではありましたが、ホスピス医の著者らしい書き方でした。
とくに私ぐらいの年齢になると、今まで普通にできていたことができなくなることもあります。とてももどかしく感じられたり、気落ちしてしまったりします。でも、この本には、「元気なときにこだわっていたもの、大事にしていたものは、体力や気力が充実し、物事が順調に運んでいるときならば、日々を生きるための指針や支え、張り合いになりますが状況が変われば「重い柳」になり、苦しみのもとになります。何らかの事情で働けなくなったり家事ができなくなったり、料理人が病気によって味覚障害になってしまったり、外科医が、老化に伴う視力の低下によって細かい作業ができなくなってしまったり……。そんなとき、こだわりや誇りを持っていた人ほど、生きる支えを失ったと感じ、「自分はもうダメだ」 と思い悩んでしまいがちだからです。そのような苦しみの中で、心の穏やかさを取り戻す方法は一つしかありません。こだわりを持ち大事にしてきたけれど、どうしてもできなくなってしまったこと、自分の手に余ることを「ゆだねる」のです。」と書いてありました。
ちょっと長い引用になりましたが、たしかにそうです。
任せるしか方法がないとわかってはいるのですが、それがなかなかできないのです。私の場合は、何か別なことに興味を持ち、それに全力投球したいと思うことで、いくらでも任せきることができます。それしかない、と思うからなかなか手放せないので、新たな関心を見つけ出せばいいのではないかと思います。
下の抜書きでいえば、AとDとFに一番近いかもしれませんが、考え方としてはそれらすべてに通じるものがあると思います。これは、最初の「はじめに」に書いてある死ぬ瞬間まで幸せに生きるためのことです。
たしかになるほどと思いますが、実際にそう思うことはなかなか難しいようです。元気なうちに少しずつこのような考え方にかえていくことが大切ではないかと思いました。ぜひ、皆さまも考えてみてください。
(2018.11.21)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
「死ぬとき幸福な人」に共通する7つのこと | 小澤竹俊 | アスコム | 2018年8月27日 | 9784776210054 |
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☆ Extract passages ☆
@自分で自分を否定しないこと。
Aいくつになっても、新しい一歩を踏み出すこと。
B家族や大切な人に、心からの愛情を示すこと。
C一期一会の出会いに感謝すること。
D今、この瞬間を楽しむこと。
E大切なものを他人にゆだねる勇気と覚悟を持つこと。
F今日一日を大切に過ごすこと。
(小澤竹俊 著 『「死ぬとき幸福な人」に共通する7つのこと』より)
No.1584『「言葉にできる」は武器になる。』
著者は(株)電通のコピーライターやコンセプターをしていて、まさに言葉を操る仕事をしています。しかも、東北六魂祭などの立ち上げにもかかわっているそうですから、いろいろな意味で言葉をとても大事に考えていると思い、読み始めました。
「はじめに」のところで、言葉の役割などを取りあげていますが、「「伝わる言葉」を生み出すためには、自分の意見を育てるプロセスこそが重要であり、その役割をも言葉が担っているのである。自身の経験を思い出してもらえば分かりやすいが、人は多くの場合、言語は違えども、言葉で疑問を持ち、言葉で考え、言葉で納得できる答えを導き出そうとしている。言い換えるならば、自分という存在や自分の考え、価値観と向き合い、深く思考していく役割も、言葉が担っているのだ。もしかしたら今も「そうか」「確かに」など、頭の中で表に出ない言葉を発していたのではないだろうか。」と書いています。
つまり、ほとんどのことが言葉で表現することによって理解されるということです。それぐらい、言葉というのは大事だということでもあります。
ちょっとした言葉から、とんでもない大問題が起きてしまったり、ささいな言葉から喧嘩になってしまったり、そう考えれば、確かにそうだと思います。そういう意味では、たしかに題名のように、『「言葉にできる」は武器になる。』ようです。
だからこそ、自分が必死になったり、何とか伝えたいと思っていると、その思いが言葉の重みになってくるのでしょう。
その重みが人の心に響くので、つまりは言葉そのものよりもそれを発するがわの人間次第ということになるのかもしれません。
下に抜書きしたのは、その意味からも、それらの思いが細部に宿ることが大切だと著者は書いています。
もちろん、それらの単純な積み重ねではなく、その思いの源泉になるようなものとか、その人の思想や哲学とかが問われるのかもしれません。つまり、言葉を選ぶだけでなく、たくさんの経験や思考の積み重ねなどから言葉を繰り出すということが大切だと感じました。
この本のなかに出てくる、「見つめる鍋は煮えない」というヨーロッパの諺は、あるイギリスの方から聞いたことがあります。向こうでは、暖炉などに鍋などをかけてゆっくりと煮炊きをするので、そのような情景が浮かんできます。私も、頼まれた原稿などは、なるべく早く書き、それを数日寝かせておいてから、再び読み直し訂正します。ほとんど訂正個所がないときもありますが、全体的には小さな訂正個所がいくつか見つかります。
やはり、「見つめる鍋は煮えない」というか、推敲の大切さというか、それなりの時間は必要だと思います。
明日、11月19日はここの例大祭です。1年で一番大きなお祭りなので、本などを読む時間はなさそうです。そのかわり、それが終われば、ゆっくりと読書の時間をつくりたいと思っています。
(2018.11.18)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
「言葉にできる」は武器になる。 | 梅田悟司 | 日本経済新聞出版社 | 2018年8月25日 | 9784532320751 |
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☆ Extract passages ☆
実際、心が揺さぶられるスピーチや感動的なプレゼンは、話し手が人生を賭けて成し遂げたいという姿勢に満ちている。言葉を磨くことは、語糞力を増やしたり、知識をつけることではなく、内なる言葉と向き合い、内なる言葉を用いて考えを深めながら自分を知ることから始まると言えよう。……
大切なのは、自分の考えや思いを把握していることである。その内容を伝えるためには、難しい言葉も、耳ざわりのいい言葉も、美しい言葉もいらない。人の心を動かすのは、話
している本人の本気度や使命感であり、生きる上で感じてきた気持ちが総動員された、体温のある言葉なのだ。
(梅田悟司 著 『「言葉にできる」は武器になる。』より)
No.1583『人生は、いくつになっても素晴らしい』
何の前知識もなく読み始めると、著者は世界最高齢のスーパーモデルだそうです。でも、モデルにはまったく興味も関心もないのですが、その年齢で世界の一流ブランドのランウェイモデルやファッション誌のカバーモデルとして現在も活躍していると知り、少し読んでみたいと思いました。
女性の年齢は聞かないものだそうですが、1928年生まれの満90歳ですから、おそらく書いても怒られることはないでしょう。むしろ、90歳で現役のモデルというのは、すごいことです。
しかも、この本を読んでみると、いろいろなことを経験していて、夫を亡くしてから70歳でモデル業に復帰したといいますから、見事な人生です。
この本のなかで書いているのですが、よく若さの秘訣はなんですかと聞かれるそうで、「そもそも歳を重ねるということに対して、否定的な気持ちがまったくありません。健康であるために気をつけていることは、きちんと食べること、睡眠をとること、そしてエクササイズをすることです。特別なことはしていません。……運動が大好きなのが、私の元気の秘訣です。好奇心を持ちポジティブに取り組むことで、内面からも健康的であることを心掛けています。あと、たくさん笑うことも重要。笑顔はシワとりと同じくらい美の効果があると思います。誰でも歳をとるのですから、それも楽しむのが大切です。」と答えているそうです。
よく長生きしている方にうかがうと、あまり深く考えないこととか、いつも笑顔でいると答えていますが、やはり、たくさん笑うことはこのことからもとても重要だと思います。
それと、やはり前向きで楽天的なものの考え方が大切だ、とところどころに書いています。
たとえば、「抗うよりも、受け入れる」の項で、「明日がどうなるかはわからない。誰にとってもそうですが、この年齢になるとそれが切実な思いとして心のどこかにあり、毎日を大切に生きよう、と強く思って日々を過ごしています。…… 私は生まれつき前向きで楽観的な性格です。モデルの仕事にこれがとてもプラスだったと思います。」と書いています。
それにしても、いくら前向きで楽天的だとはいっても、90歳までモデルとして仕事をしていることは素晴らしいことだと思います。著者は、60歳まで白髪が気になり染めていたそうですが、きっぱりとやめたそうです。ところが、不思議なことに、髪を染めなくなったら、仕事が前よりも増えたといいます。これも、自然さ、ありのままがいいという証しではないかと思いました。
下に抜書きしたのは、この本の一番最後の「しあわせを自分で探す」の項のその最後の言葉です。
おそらく、最後の最後の言葉なので、一番伝えたいことではないかと思い、ここに抜き書きしました。興味があれば、ぜひ読んで見てください。
(2018.11.15)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
人生は、いくつになっても素晴らしい | ダフネ・セルフ 著、西山 佑 訳 | 幻冬舎 | 2018年6月20日 | 9784344033160 |
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☆ Extract passages ☆
生きていくうえで大切なのは、与えられた環境の中で、良いときも悪いときも、いかに、しあわせを自分で探していくか、なのではないかと思うのです。
日々、自分の力を発揮し、誰かのために働くことができる――これ自体が生きていることのご褒美だと私は思います。
(ダフネ・セルフ 著 『人生は、いくつになっても素晴らしい』より)
No.1582『アジア的シンプル生活術』
実は、この題名の前に「旅で覚えた」という前書きがあり、そして「アジア的シンプル生活術」とあります。たしかに、アジアに行くと、気候が熱帯だったり亜熱帯だったりして、着るものも住まいも意外と簡素です。食べものだって、今年の9月に行ったクララ州では、バナナの葉にどさっとご飯が盛られ、何種類かのカレーがあり、それらを手でかき混ぜて食べます。それが南インドのミールスと呼ばれる食事で、なくなるといくらでもつぎ足してくれます。値段は食べた量に関係なく、30ルピーぐらいだそうです。そうそう、ここにパリパリに揚げたせんべいのようなパパダムがあれば、それで終わりです。これだけ食べても、とてもおいしかったです。
それがネパールに行くと、朝昼晩、毎食がダルスープとカレーで、これでよく飽きないものだと思いますが、ネパール人に聞くと、これがおいしいから毎日食べてもいいんだといいます。おそらく、日本人だったら、もっといろいろなものを食べたいというはずです。
この本を読んで、たしかに今の日本人はほとんど必要のないものまで蓄えていて、部屋を狭くしているように思いました。ただ、著者は、本と各地で買った布だけはなかなか減らせないといいます。さしずめ、私は本を減らすのが苦手です。住まいを建て替えるとき、なんとか半年かけて本を減らしたのですが、また少しずつ増えてきて、本棚からあふれ出し、床上にも積み重なってきました。だから、せめて、本棚だけにしようと毎年思うのですが、なかなか実行できずにいます。
そういえば、この本の中にも、「好きなモノをどうしても手元に置きたい時代も、じつはあった。自分には似合わないとわかっていても、それでも分不相応な贅沢を楽しみたい頃も、やっぱりあった。でも、今は、好きなモノのすべてを手元に置こうとは、もう思っていない。だって、旅行中は好きなモノを全部持って歩けるわけではなかった。どうしても必要なモノから順番にバックパックにつめて、無理なく背負って歩けるだけの重さになったら、それでおしまい。」と書いてありました。
たしかに、そうだと思います。実は、今日、ある方にある物を上げたら、私などにはもったいないから持っていたら……」と言われましたが、「いや、ちゃんと心のなかにそれも思い出として大事にしまってありますから」と答えました。言い終わってから、ちょっときざっぽかったかな、と思いましたが、そろそろ終活の準備をしてもいい年齢です。
今、整理できないのが本なので、それ以外はなるべくなくしておきたいと思っています。本だと、この前の整理のときに、ブックオフに来てもらって片付けましたが、それだといつでもできそうです。たとえ、自分が動けなくても、指示さえすればいいわけですから。
下に抜書きしたのは、最初に書いてあった「あったらいいな」は「なくても平気」に書かれていたものです。特に旅に出るときには、重い荷物は動くときの足かせになります。
私も、最初の海外旅行のときよりもだいぶ荷物を少なくしてますが、それでも奥地に行くと、ほとんど買えないので、つい持っていきますが、使わずに持ち帰るものもあり、次の時には持って行かないようにしています。
持たない、ということは、相当な覚悟と心構えが必要だと思っています。
(2018.11.13)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
アジア的シンプル生活術 | 向山昌子 | 朝日新聞社 | 2002年8月5日 | 9784022577719 |
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☆ Extract passages ☆
基本は、ひとつ。
「これがあったらいいだろうな」と思うモノは、たいてい、なくてもだいじょうぶ。だから、置いていく。
「あれとこれ、どっちにしよう?」なんて迷ったときは、両方ともいらない。
旅の途中だって、モノは入りこむ。「あ、これ、かわいい! ひとつくらい増えてもいいや」なんて油断しているとあっという間に荷物は増えていく。
(向山昌子 著 『アジア的シンプル生活術』より)
No.1581『ヒマラヤに学校をつくる』
今年の秋の読書週間も11月9日まででしたが、今年の標語は「ホッと一息 本と一息」だそうです。でもこの本は、ネパールの貧困や教育を受けられないなどの問題を抱えている現実を突きつけられてるようで、気楽な書き方ではありますが、一息よりため息が出そうでした。
しかも、私がネパールを最初に訪れたのは2000年で、それから何度も行きましたが、目的はシャクナゲを見ることですので、なかなかこのような問題意識もありませんでした。しかも、私を受け入れてくれたビノードさんは、カトマンドゥでもいくつかの会社を持っている方で、その家にホームスティをしていても、おそらくこの本に出てくるようなネパールの人たちとは出会わなかったでしょう。
やはり、本の良さは、自分が体験できないことでも、それなりに知ることができるということだと、改めて思いました。
それにしても、副題にあるように、「カネなし、コネなしの僕と、見捨てられた子どもたちの挑戦」というのは、すごいことです。著者は、外国に行きたいという夢を、先ずは鍼灸師の免許を取り、22歳で誘われたからというそれだけの理由でとりあえずネパールに行きます。しかも、ほとんどあてもなく、60万円を持って出かけたわけですから、若いというのはすごいことです。私が始めてネパールに1人で行ったのは、2000年のときですから、ちょうど50歳でしたが、それでもいろいろな不安はありました。
この本を読むと、そのときのことがダブって感じられ、一気に読んでしまいました。
私もネパール国内の混乱やマオイストのことなど、考えさせられることがたくさんありましたが、それ以降のことで、2015年4月25日に起こったマグニチュード7.2の巨大地震の影響がとても心配です。この本を読むと、約9000人が犠牲になったそうです。私の友人からのメールでも、古都のパタンやバクタプルなどの建造物も壊滅的な被害を受けたということでした。ここには何度も行き、広場に並べられた骨董品を見ながら、何度も歩き回ったところです。
しかも、この本の著者は、その一番大変なときに体調を崩し、帰国せざるを得なかったそうです。おそらく、心配で心配で、居ても立ってもいられなかったのではないかと思います。しかし、その病気は精密検査の結果、膀胱内の尿管口付近にガンが見つかったそうで、手術をすることになったそうです。しかし、病気になれば、先ずそれを治すことが先決で、それは仕方のないことです。
しかし、結果的には、ネパールの人たちに「ヒマラヤ小学校」を任せることになったといいます。私の友人の話しでも、日本ネパール友好協会の人たちがネパールに水力発電装置を寄付することになり、その設備一式を発注しようとしたとき、日本の機械はとても優秀でいいけれど、ネパール人にはとても直せない、だからネパールの水力発電の機械なら直せるから、ぜひネパールのものをお願いしたいということになったと聞き、なるほどと思いました。やはり、手助けはしてもずっとはできないので、いつかは向こうの人たちに任せるというのが大切だと思います。
下に抜書きしたのは、リタという少女が日本に来て、支援活動をしていたときに著者が感じたことです。そして帰国して、そのときのことをヒマラヤ小学校の子どもたちに日本訪問の話しを聞かせているときも、そう思ったそうです。
そしてリタは、2013年に法科大学を卒業して弁護士になり、現在は児童労働者の救済に奔走しているそうです。小学校を建てるということも大事なことですが、そこで育った子どもたちが希望を持ってがんばっていることこそ、多くの子どもたちの励ましになるような気がします。
(2018.11.10)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
ヒマラヤに学校をつくる | 吉岡大祐 | 旬報社 | 2018年9月13日 | 9784845115549 |
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☆ Extract passages ☆
子どもたちはお金や物がうれしいわけではない。彼らは常に自分たちを見て欲しい、自分たちの存在を認めて欲しいと願っているのだ。努力に対する誰かの認証があるからこそ、彼らは明日に向かって頑張れるのだ。
(吉岡大祐 著 『ヒマラヤに学校をつくる』より)
No.1580『星野リゾートのおもてなしデザイン』
星野リゾートには関心がありながらも、まだ2ヵ所しか泊まったことはありません。というのは、どちらかというと一人旅が多いので、なかなかその機会がないのです。
でも、経営に行き詰まった旅館やホテルを再生させてきた実績は、すごいもので、そのノーハウはどのようなものかと思い、読み始めました。たしかに、そのようなものはありますが、やはり、意識の改革というか、経営者も従業員も今までのやり方から脱却しなければならないと思いました。「はじめに」のところで、「星野リゾートを支えるソフト面には3つの特徴がある。それが「日本旅館メソッド」「マルチタスク」「フラットな組織文化」だ。日本旅館メソッドとは、迎える側がさまざまな趣向を凝らし、お客はそれを楽しみにして宿を訪れるという日本の旅館文化をベースにした考え方であり、もてなし方を指す。具体的には、その土地ならではの魅力を発見し、磨き上げ、お客に提供するという取り組みだ。星野リゾートはあらゆる拠点でこの考え方を徹底している。」と書いてあり、そういえば、昨年の夏に孫を連れて行った磐梯山温泉ホテルでも、赤べこの絵付け体験をしたり、ハーブティをつくったりと、楽しかったことを思い出しました。
しかも、その作り方を教えてくれる方が、どこかで見たことがあると思ったら、フロントにいた方で、これがさまざまなことをするマルチタスクだと思いました。
さらに「フラットな組織文化」というのは、この地域の魅力などを発見する「魅力会議」で定期的に開かれているそうで、そこでも職位に関係なく台頭な関係で議論できるそうです。だから、意外と若者向けの企画が多いのかな、と思います。
そういえば、この本の締めのところで、総支配人座談会があり、そこのなかで渡部賢星野リゾートオペレーション統括本部長が、この魅力会議の現場で、「私たちが重視していることは2つ。1つは、相手のアイデアを絶対に否定しないこと。次に、アイデアの幅を狭めないよう、最初はコスト面を無視して、自由に発想してもらうこと。」と話しているのがとても印象的でした。
得ていて、上からの目線でそんなことは絶対にできないとか、それをするのにいくらかかるかわかるのか、などと相手の意見を封じて仕舞いがちです。それでは、新しい考え方も出てこないわけです。
下に抜書きしたのは、「星のや」ブランドのランドスケープデザインを手がけているオンサイト計画設計事務所の長谷川浩己さんの言葉です。
このことは、自分自身が生まれ育ったこの小野川温泉にもそのまま考えさせられるようなことです。よく、人を地域を変えるのは「よそ者、若者、ばか者」といいますが、ある意味で、これに当たるのかもしれません。
今年で平成が終わり、来年から新しい年号に変わります。それも、ひとつのきっかけにはなると思っています。
(2018.11.8)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
星野リゾートのおもてなしデザイン | 日経デザイン 編 | 日経BP社 | 2018年6月25日 | 9784822259051 |
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☆ Extract passages ☆
そこにしかない固有のものは「資源」になります。例えば植物ひとつとっても、北海道には北海道の植物があり、バリにはバリの植物がある。その場所の気候風土や文化、そこにある材料と仲良くして、来る人に満足してもらえるものが出来れば、その方がどう考えても無理がないし、よそのまねをする必要もない。それが私が考える自然、つまり「あるべきように存在していること」だと思います。
でも、地元の人もそれがよく分からないんですよね。長く居過ぎているからでしょう。
(日経デザイン 編 『星野リゾートのおもてなしデザイン』より)
No.1579『知の古典は誘惑する』
この本は、岩波ジュニア新書のなかでも「知の航海」シリーズといわれ、日本学術会議が中学生や高校生に贈る「学術への招待状」だそうです。しかも、この時期は秋の読書週間でもあるので、これを選びました。
いくら中学生や高校生を対象としているといっても、古典の知識からすればほとんど同レベルです。むしろ、簡単に解説してもらったほうがわかりやすいと思っています。
たとえば、有名な『古事記』でも、拾い読みはしたものの、すべてを読んだわけではなく、さらに本居宣長の『古事記伝』は、教科書で習っただけで、その内容もほとんどわかりません。この本では、編者の小島先生が、「『古事記』は難読の書物でした。宣長はその全文読解に30数年にわたって取り組みます。そうして1798年に完成したのが、彼の代表作とされる『古事記伝』です。『古事記伝』は注釈書の形式をとっています。すなわち、『古事記』の本文を段落分けし、1段ごとに、本文で使われている語の意味説明、それにもとづく文意の解釈と、こうした作業によって解明できた登場人物たちの考え方・感じ方についての宣長の批評が付けられています。本居宣長『古事記伝』は、完成前に刊行が始まりこれまた30数年をかけて全巻が印刷・出版されました。完結したのは1822年で、すでに宣長死後20年が経っていました。」と書いています。
教科書などでは『古事記伝』は知ってはいましたが、そんなにも長い時間をかけて出版されたことは、始めて知りました。
では、そもそも古典というのはと考えると、なかなか焦点が定まりませんが、この本の「はじめに」のところで、11月1日が「古典の日」だと書かれています。これは2012年に「古典の日に関する法律」で制定されたそうで、その第2条の「定義」に、「この法律において「古典」とは、文学、音楽、美術、演劇、伝統芸能、演芸、生活文化その他の文化芸術、学術又は思想の分野における古来の文化的所産であって、我が国において創造され、又は継承され、国民に多くの恵沢をもたらすものとして、優れた価値を有すると認められるに至ったものをいう。」とあります。
つまり、文化芸術と学術と思想の3つの分野を考えているようで、だとすれば、いろいろな古典が考えられると思います。でも、この本では、代表的なもの、『古事記』、『論語』、『老子』、『法句経』、『ヒトーパデーシャ』、『トーラー』、『ゴルギアス』、『方法序説』の8つを取りあげています。このなかで、『ヒトーパデーシャ』はインドの動物を主人公にした寓話で、『トーラー』はいわゆる旧約聖書です。また、『ゴルギアス』はプラトンの初期の作品で、『方法序説』はこの第4部が「私は考える、ゆえに私は存在する」と書いていていますが、デカルトの本です。いずれも有名というよりは古典中の古典で、読んだことはなくても、誰もが知っているものです。
それらを、その専門家の立場から、わかりやすく解説してくれるのでよく理解できます。
そういえば、「日本人も一人だけ、霊仙(りょうせん)三蔵という人がいます。霊仙は、最澄や空海と同じときに遣唐船にのり、中国で三蔵法師となり、その国に骨を埋めました。」ということをこの本で知りました。
下に抜書きしたのは、『法句経』を取りあげた岡田真美子氏の最後の締めの言葉です。
つまり、古典とは、いつまでも色褪せないもので、長い時間をかけて読み継がれてきたものと考えることができます。この「こんこんと湧き出る清水」という言葉は、池田亀鑑著『古典学入門』の冒頭に書かれているそうです。
(2018.11.6)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
知の古典は誘惑する(岩波ジュニア新書) | 小島 毅 編著 | 岩波書店 | 2018年6月20日 | 9784005008759 |
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☆ Extract passages ☆
ダンマバダ、ジャータカなどの経典は、いまも人々の心を動かし、行動することを励まし続けています。そこに記された教えが、絶えずそのように新しく生きられているわけです。ですから、これらの経典は、生きた文章であるという意味で、真の古典と呼んでいいのではないかとわたくしは考えてきました。みなさんも、この「こんこんと湧き出る清水」のようなダンマパダの文章から、滋味豊かな知恵を受け取ってくだされば幸いです。
(小島 毅 編著 『知の古典は誘惑する』より)
No.1578『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』
秋の読書週間に入ったので、何か本つながりのものを読みたいと思って図書館に行くと、新刊コーナーで一番最初に目に付きました。ちょっと厚さがあるので、背表紙まではっきりとわかったことと、あまり聞いたことがない出版社ということも気になりました。でも、厚いといっても、348ページなのに写真もあるので、スーッと読むことができました。
このモンテレッジォという村は、始めて聞いた地名ですが、このイタリアのトスカーナの山奥の村から本を担いで行商に出ていたというだけでも、なんか不思議な話だと思いました。しかも、表紙には「本と本屋の原点がそこにある」と書いてあり、読書週間に読むには最適な1冊だと思いました。
この本で知ったのですが、1953年から「露天商賞」という文学賞のようなものを設けていて、その賞金は規範によれば、「受賞作を少なくとも二千部以上は実行委貝会が買い上げ、そのうち半分の部数は刑務所や病院、生活困窮者の支援所などの図書室へ寄贈すること。残り半分は、全国の露店商たちに配本して売り広めてもらうこと」とあり、今でも毎年受賞者を発表しているそうです。これって、日本の「本屋大賞」の先駆けではないかと思いました。
では、なぜ本の行商なのかというと、「青空の下で自由に選んだ一冊を捲ってみると、ページの間から渋い匂いが微かに薫る。新刊の甘酸っぱいインクの香りは初々しい。本屋は、露店の端で静かに控えている。客が知りたそうにすると、(はい、なんでしょう?)と、目で伺いを立てる。本を選ぶのは、旅への切符を手にするようなものだ。行商人は駅員であり、弁当売りであり、赤帽であり、運転士でもある。」と書いていて、これこそ、本を行商して歩く大切さなのではないかと思いました。そして、さらに、「本を読むことが好きで選んだ道ではなく、本を持つ人たちのために本屋になったのである」とあるから、その思いは確かなものだと感じました。
でも、この始めて聞くモンテレッジォという地名や、旅する本屋さんのことなど、なぜ日本人が書いているのか不思議でした。いくら東京外語大のイタリア語学科を卒業しているとはいえ、これを書くには相当な資料も必要ではなかったのかと思いました。すると、この本の中ほどに、「本、本、本。山に囲まれている。書棚にはもう入り切らず、テーブルの上にも空きはない。椅子の上に置こうとしたら、すでにコピーの束が占拠していた。見渡す限りの紙の山は、山村モンテレッジォに関する資料だ。隙間でワープロを打ち、インターネットで検索し、山の陰で電話をかけ、谷間でメモを取る。コーヒーもモンテレッジォに見守られて、飲む。パスタのトマトソースでも飛ばして借りてきた本に染みを付けたら一大事、と、このところ食事はパニーニなど、乾いたものが多い。」とあり、それだけの資料を集めて書くというエネルギーを感じました。
下に抜書きしたのは、出版社が一番聞きたい「売れる本」についての話しです。
これらを考えれば、おそらく、いくら電子書籍が便利で手軽だといっても、紙の本は絶対になくならないのではないかと思いました。やはり、「紙と余白の大切さ」は、ほんとうに大切だと私も思います。
まさにこの本は、この秋の読書週間に読むにふさわしい1冊だったと、改めて感じました。
(2018.11.3)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語 | 内田洋子 | 方丈社 | 2018年4月17日 | 9784908925290 |
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☆ Extract passages ☆
「売れる本というのは、ページに触れるときの指先の感触や文字組み、インクの色、表紙の装丁の趣味といった要素が安定しているものです。(あの出版社の本なら)と、ひと目でお客に品格をわかってもらうことが肝心ではないでしょうか」
いの一番に、紙と余白の大切さを挙げた。
本を見抜く眼力は、学校などで勉強して習得したのではない。親から子へ、子から孫へと本を運び続けて、自然と身に付いた技だった。
(内田洋子 著 『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』より)
No.1577『勝てる脳、負ける脳』
今年も秋の読書週間が始まりました。期間は10月27日(土)〜11月9日(金)までの2週間です。今年の読書週間の標語は、「ホッと一息 本と一息」だそうで、なんともほっこりしたものです。
それでも、秋の夜長、のんびりと本でも読んで、ゆったりと珈琲でも飲みたいと思っています。
さて、この本は、内田暁氏がスポーツライターで、小林耕太氏は同志社大学生命医科学部情報学科准教授だそうで、専門は神経科学だそうです。つまり、「一流アスリートの脳内で起きていること」を専門の立場から書いているということで、読んでみました。というのは、先日、全米オープン女子シングルトーナメントで優勝した大坂なおみ選手とセリーナ・ウィリアムズ選手の試合を見ていて、いかにテニスがメンタルなスポーツかと思ったからです。まさに、テニスの技術そのものより、メンタルの強いほうが試合を有利に進めたという印象でした。
この本では、脳と肉体との関係を、「非常に興味深いのは、脳と肉体の関係性は、肉体が脳の支配下に収められているというような、単純な主従関係ではないことだ。それどころか、脳の機能そのものが肉体の動きによって変化し、書き換えられ、鍛えられていく点にこそある。例えば、右利きのテニス選手が何度も何度もサーブの練習をする時、脳内では右手に対応する部位が刺激され、神経のつながりが強化されていく。あるいは、サッカー選手が来る日も来る日もドリブルを繰り返すと、足の甲の感覚を司る脳の部位が拡張し、ボールを捕らえる感度が日に日に鋭敏になっていくのだ。」と書いています。
つまり、身体を鍛えればそれでいいというわけではなく、脳も刺激され部位が拡張するというから、本当に不思議だと思います。脳はすべてを牛耳っていると思っていましたが、主従関係ではなく、相互に連携をしているということです。
だから、たんなる思い込みであっても、それなりにモチベーションが高まるそうです。このことを、1975年に、アメリカの心理学者リチャード・ミラー(Richard Miller)博士らが実験をおこなったそうです。それは、「数学の能力に差のない学生たちを3つのグループに分け、その1つに「君たちは数学の才能がある生徒」、もう1つには「数学を一生懸命勉強しているグループ」だと告げ、最後のグループは対照群とするため、特に何も告げなかった。そして、2週間後に学生たちに数学のテストを受けさせたところ、前者の2グループは、対照群よりも良い結果を残したのだ。この結果は、「自分たちは優れている」「頑張っている」という先入観が、パフォーマンスの向上につながることを示唆している。」といいます。
さらにイエール大学のグレゴリー・ウォルトンとコロラド大学のジェフリー・コーエンは、決して回答の導き出せない数学の問題を出して解かせたそうですが、このときも「君の誕生日は、とある著名な数学者と同じだ」とウソの情報を伝えたにもかかわらず、思い込みから他の学生に比べ、解けない問題に取り組む時間が70%も長かったそうです。つまり、この場合もモチベーションが高まったということになります。
下に抜書きしたのは、直接にはスポーツと関係ないことですが、年をとっても黙読の能力は衰えないと書いてありました。
たしかに、年をとればとるほど身体はいうことをきかなくなり、どんどんとできないことのほうが多くなってきます。しかし、本を読む黙読は年をとってもその能力は衰えないというから嬉しくなりました。
皆さんも、ぜひ読んで見てください。
(2018.10.31)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
勝てる脳、負ける脳(集英社新書) | 内田 暁、小林耕太 | 集英社 | 2017年11月22日 | 9784087210071 |
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☆ Extract passages ☆
文章を声に出して読む速度を計測すると、アスリートの成績と同様に、年齢とともに次第に口が回らなくなっていく。しかし、肉体を使わず黙読する能力は、年齢の影響を殆ど受けないことが分かっている。むしろ、黙読の速度は言語的知識に強く依存し、語彙のような言語的知識は歳を重ねても衰えることがないため、老人が若者より速く黙読することもありえるのだ。
(内田 暁、小林耕太 著 『勝てる脳、負ける脳』より)
No.1576『一瞬の宇宙』
著者のKAGAYAさんの本を始めて読みましたが、写真集と読み物とが合体したような内容で、何度か見直したり、読み直したりしたので、意外と時間がかかったようです。でも、読み終わって、改めて全体を見てみると、今までの写真集にはない、独創性が感じられました。
最初の「ウユニ塩湖で星の野原に立つ」という章で、「自然はいつも味方してくれるわけではありません。どんなに願っても自然がわたしの思うとおりの姿を現してくれるとは限らないのです。わたしはただ自然に与えられた世界の中で、できる限りのことをするしかありません。今回、わたしが目的に向かう勢いに同調して、力になってくれた人に出会えたのが幸運でした。パスカルさんは延々と塩原を走ったり、キャンプをしてくれたり、全力で付き合ってくれたのです。そのおかげで夢のような体験ができたと思っています。全力で何かに向かって走っているとき、わたしの熱意を理解して協力してくれる人に出会えることがしばしばあります。わたしはその人たちに助けられ、目標に導かれていると感じています。」と書いていますが、今月初めまで南インドに行っていた自分の経験からも、現地の人たちの協力が欠かせないということを実感しました。とくに、今回の場所は、8月のモンスーンの影響による大雨で100万人以上の人たちが緊急避難されたそうで、さらに道路も至る所で分断され、唯一のコーチン国際空港も閉鎖されたと聞き、とても心配しました。しかし、現地のカルカッタ大学(University of Calcutta)の先生からのメールで、今ならなんとか道路も通れるようになったと連絡があり、行くことにしました。
そして、10月3日に帰国したのですが、5日からまたモンスーンの影響で大雨が降り、私たちが行ったところに入れなくなったと報告がありました。本当にラッキーだったよといわれましたが、たしかによかったです。ここでは、12年に一度しか咲かないという花を見たので、もし、次の機会に見るとすれば12年後になります。とても年齢的にはその山まで行くのはできないと思います。ほんとうにラッキーだった、というのが実感です。
やはり、風景との出会いも人との出会いから生まれるようです。現地の人に助けていただかなければ、おそらく何もできないです。もし、強力な助っ人がいれば、自分が考えていた以上の素晴らしい風景と出会えるかもしれません。
この本のたくさんの写真を見ながら、風景との出会いも、花との出会いも、ほとんどのことが一期一会かもしれないと思いました。
下に抜書きしたのは、「とことんやりたかったし、やらずにはいられなかった」という章の、「幼少期から変わらない自分」というなかに書かれていた文章です。
たしかに、夢中で何かをしていると、それが完成したときにはなんとなく虚脱感というか、寂しささえ感じます。だからこそ、早く次の目標を掲げて何かをやろうとするのかもしれません。
旅をしていても同じで、その旅の途中で、次の旅の計画を立てることもあります。これも、達成感を味わいたいというよりは、早く次のことを始めたくてうずうずしているからのようです。
(2018.10.28)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
一瞬の宇宙 | KAGAYA | 河出書房新社 | 2018年6月30日 | 9784309027036 |
☆ Extract passages ☆
何か目的の写真が撮れたとか、長期間制作していた作品が完成したときに、祝杯をあげるような気分になるかというと、わたしはそうではないのです。成し遂げた喜びもうやむやのまま、また次のことをいそいそとやり始めてしまうのです。「完成」とは、創る作業が「終わる」ことで、ひどく寂しい。結局、わたしが本当に好きなのは、何かを追っているとき、道具を揃えて準備をしているとき、初めての道へ向かうとき、問題を解決しているとき。そのあたりなのかもしれません。
(KAGAYA 著 『一瞬の宇宙』より)
No.1575『十二支の民俗史』
イノシシについて調べたついでに、十二支の亥年についてもみてみようと思って、この本もいっしょに図書館から借りてきました。たしか、他の干支のときもその部分だけ読んだみたいなので、今回も亥年のところだけを読みました。
でも、やはり民俗史から考えた干支なので、いのしし年の年に関してというよりは、イノシシと民俗についての話しがほとんどでした。たとえば、宮崎県椎葉村の猪狩り儀礼についてとか、その村の銀鏡神社に伝わる狩法神事だとか、やはり視点のあて方で中味もまったく違う内容になります。
それはそれでおもしろいと思いましたが、こちらとしては来年の亥年についての話しを探していたので、猪狩りの儀礼とか神事といわれても、あまり興味は湧きませんでした。
それでも、最近はこの置賜地方にもイノシシが出没すると聞いていたので、『本草綱目訳義』のイノシシの項に、「此獣山中ニ多シ、ヨク茂タル鹿ノ谷二日中二隠テ、夜ハ外二出田畠ヲ荒ス、毎夜通ル道ガ定ル故ニ、シシ道卜云テ深山二道スジアリ、人ノ通路ノ如シ、形ハブタニ似テ大ナリ」と書いてあるそうで、イノシシは昔から田畑の作物を荒らすことが多かったということを知りました。
ただ、問題なのは、東日本大震災で福島県内にある原発が事故を起こし、放射能が拡散し、人が住めなくなったことで、野生の動物たちがわが物顔に増え続けているということです。もし、それらがこの置賜地方にもやって来ているとすれば、たとえイノシシの頭数制限をしても、それらはただ廃棄するしかなく、それだって、そのまま廃棄していいかどうかさえわからないと思います。とてもやっかいな問題です。
下に抜書きしたのは、よくイノシシとブタは同じようなものだといいますが、それをよくまとめてあったので、引用しました。
イノブタというのもよく聞きますが、下に書いてあるような事情があったとは、始めて知りました。
(2018.10.26)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
十二支の民俗史 | 佐藤健一郎・田村善次郎 著、工藤員功 写真 | 八坂書房 | 2000年11月30日 | 9784896944662 |
☆ Extract passages ☆
豚は猪を馴化して肉用家畜としたものであることは周知のことである。豚の祖先種とされている猪は、アジアイノシシとヨーロッパイノシシの二種である。ヨーロッパ、西アジア、中国などで独自に、それぞれの土地に棲息する猪を飼い馴らして家畜としたものだと考えられている。アジアイノシシ、ヨーロッパイノシシは別種だという説もあるが、これらの間では交配によって正常な繁殖力を持った雑種が生まれるので同一種内の亜種だという意見が強い。いずれにせよ現在、世界各地に飼育されている豚の多くは、家畜化されたアジアイノシシまたはヨーロッパイノシシの子孫そのままの純血種ではなく、それらの交雑によって作出された改良種である。
また、豚と猪も交配が可能であり、日本では、その交配種であるイノブタが作出され食膳に供されているのはよく知られているところである。ちなみに、イノブタは第二次世界大戟中から戦後にかけての食糧統制時代に、猪は食肉統制の対象外になっていたことに着目した知恵者が生産したのが始まりで、この人は大もうけしたという。イノブタは豚よりも美味しいという評判を得ているが、イノブ夕間の交配を続けるとその味は豚に近づくという。
(佐藤健一郎他 著 『十二支の民俗史』より)
No.1574『イノシシ母ちゃんにドキドキ』
最近、米沢市内でもイノシシが出没していると聞きましたが、以前からの言い伝えでは、イノシシは足が短いので、雪が積もるところでは歩きにくく、ほとんど棲息していないといいます。それでも最近は目撃者がいるそうで、これも暖冬化で積雪が少なくなったからかな、と思っていました。
そう思っていたら、そういえば来年は亥年だから、少しイノシシのことも調べてみようと思い、図書館でこの本を見つけました。
ところがほとんどなく、たまたま目に付いたのがこの本で、写真もあるのでわかりやすいかと思いました。この本の著者は、1930年大分市の生まれといいますから、この本を書いているときは米寿ちょっと前ぐらいです。しかも、パンの耳で餌付けをして、それを観察して書いたものですから、ちょっと感情移入しているかもと思いました。それでも、大分市西部の「小僧迫」(こぞうざこ)という場所で2010年10月から1年半、ほぼ毎日のように母ちゃんと著者が呼ぶ一家の生活ぶりを克明に書いていて、楽しく読めました。これほど間近で観察できたのも、餌付けをしたからでしょう。
イノシシというと雑食性で、棲息環境も里山に近い産地が多いといいます。だからこそ、人が住むところと近く、昔から田畑の作物を荒らすといわれ、山村の農家はその害を防ぐのに苦労したといいます。
この本には、「なんでも食う。これがイノシシの食性でした。ピーマンは食べませんなあ。唐辛子は一本だけが根っこの毛根を食われておりました。柿もミカンも、ヒガンザクラのサクランボウも、ちゃんと食ってくれました。おかしいのは「田中種」というビワが、球も大きくて、みずみずしいのに、食われていないのです。酸っぱいことを知っているのですなあ。白菜、時無し大根、キャベツ、葉物はほとんど食ってくれました。大根だけはなぜか、あんまり食わんのですがなあ、旨くないのでしょうかなあ。植込みの八重ツバキやらサツキやらの花が、辺り一面に散り敷いて、畑までマッカッカになる時期があるのですがなあ。イノシシたちがぜーんぶ食ってくれるのですよ。これは助りましたなあ。」と書いています。
これを読むと、たしかに雑食性のような気がしますが、イノシシはイノシシなりに、食べるものを選んでいるのかもしれません。
著者は、最後にイノシシなどの野生動物たちと共生するとして、「農作物への加害はすこしは許容し、野生動物の個体があまり成育しないうちに、捕獲や射殺によって食肉を得る手法が成り立てば、典型的な「相利共生」の概念にも適合する野生動物対策になりそうな気がしますがのう。また、別の立場から考えても、野生動物は自分で自然のものを採食してエネルギーを蓄えており、それにたいして、飼育下動物類は、成育する過程において、相当な人為的エネルギーを与えなければ育たぬ、という事実にも目を向けてほしいものですなあ。野生動物を食うということは、実はエネルギーの節約にも通ずることになりそうですがのう?」と、独特な語り口で提言しています。
下に抜書きしたのは、イノシシというと猪突猛進という言葉がすぐに思い出されますが、実はゆったりした動物だそうです。これは初耳でした。
おそらく、ほとんどの人が猪突猛進のイメージがあるでしょうが、このゆったりとした動作は、この本を読めばわかります。それがわかる一部をここに抜書きしました。興味のある方は、この一部だけでも読んでみてください。
(2018.10.23)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
イノシシ母ちゃんにドキドキ | 菊屋奈良義 | 白水社 | 2012年10月10日 | 9784560082423 |
☆ Extract passages ☆
だいたいが、イノシシという動物は、あんまりけたたましく慌てる生き物じゃないようですがのう。いつでもポッリボツリと、ゆっくり歩いてくるのですよ。音も立てずになあ。……
平生のユックリ、ユッタリは、イノシシたちが、非常のときに備えて、エネルギーの消耗を防いでおるのではなかろうか、と思うちょるのですわい。逃げ出す時の素早さも、イザという時の攻撃の物凄さも、生命を保全するための唯一の防御行動に用いるエネルギーを保全しておるからこそできる行動で、生命保全のための基本的なエコスタイルじゃろうと思えてならんのですがのう。
(菊屋奈良義 著 『イノシシ母ちゃんにドキドキ』より)
No.1573『人とどうぶつの血液型』
文章の書き方と、すべての漢字にふりがなが入っているので、この本の対象は小学生からのようです。でも、血液や血液型などについては、ほとんど知らないので、図書館から借りてきて読みました。
しかも、動物にも血液型があるの、と聞かれると、それはあるでしょうが、それ以上のことはわからないのです。つまり、人間の血液や血液型と同じようにほとんど知らなかったということがこの本を読んでいてわかりました。しかも、人間の場合は、体重の約13分の1が血液の量だそうで、たとえば体重が50sなら約3.8リットルの血液が体内を流れているそうです。この血液が短時間で全血液量の約20%が失われると出血性ショックとなり、さらに30%以上の出血があると命を失うといわれているそうです。
そのように大切な血液ですから、少しでも知っていたほうがいいと思います。
そういえば、血は赤いのはヘモグロビンが赤いからですが、血液のQ&Aで「赤くない血はあるんですか?」という質問に、「たとえば、タコの血は青色です。タコの血球には、赤色のもとであるへモグロビンではなく、「ヘモシアン」というタンパク質があります。このヘモシアニンは鋼を含んでいて、酸素とむすびつくと青色になります。このほかに、緑色の血をもつトカゲもいます。」と答えています。でも、トカゲの尻尾を切ったときに緑色の血が出てきたらビックリしますよね。
また血液型のQ&Aで、「A型、B型の次がC型ではなく、O型なんですか?」という答えが、「ランドシュタイナーが血液型を発見したときは、A型、B型、C型の3種類に分けられていました。その後、4番目の血液型であるAB型も発見されました。C型の赤血球は、ほかの血清と混ぜてもすべて凝集しなかったことから、呼び方が0(ゼロ)型に変わり、0(ゼロ)の形
がアルファベットの"O"に似ていることからO型と呼ばれるようになり、現在のA型、B型、O型、AB型の呼び名になったという説があります。ヨーロッパやアメリカでは、今でもO型を0(ゼロ)型と呼ぶことがあるそうです。」とあり、これはおもしろいと思いました。
では、最初の輸血というのをこの本から抜き書きすると、「人への輸血は、1667年にフランス人の医師、ドニが貧血と高熱がある青年に約200ミリリットルの子羊の血液を輸血したのがはじまりとされています。この輸血で青年はみるみるうちに回復し、さらには諸説ありますが、おこりっぽい性格から子羊のようにおとなしい性格に変わったと、記録されています。その後もドニは、患者さんたちに子羊の血液を使って輸血の治療をしていましたが、そのなかの1人の患者さんが重い副作用で亡くなってしまいました。このことにより、ドニは殺人者として裁判にかけられてしまいます。最終的にドニは無罪となりましたが、これがきっかけで、フランスでは輸血が禁止されてしまいます。」とあり、この後150年以上もヨーロッパなどの国では輸血をしなかったそうです。
でも、最初の輸血が羊の血を使ったとは、とてもびっくりしました。
そして、動物の場合は、たとえばニワトリですが、血液型が14種もあり、A、B、C、D、E、H、I、J、K、L、P、R、Hi、Th、だそうです。しかも、ニワトリの体温は40.6〜43.0℃もあるそうで、そういえば昔、ニワトリを抱いたときに温かかったことを思い出しました。
またウシの場合は、血液型がA、B、C、F-V、J、L、M、N、S、Z、R-S、Tの12種類だそうです。とくにウシのB型は動物のなかでも多様だそうで、300種類以上の複雑な血液型抗原があるといいますから、驚きです。なぜウシの場合を載せたのといわれれば、私が丑年産まれということだけの理由です。
下に抜書きしたのは、植物にも血液型に似た成分をもっていますかという質問に答えたものです。答えは、植物によっては、人の血液型抗原に似た成分をもっているということですが、興味のある方は下の抜書きを見てみてください。
(2018.10.20)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
人とどうぶつの血液型 | 近江俊徳 編著 | 緑書房 | 2018年8月20日 | 9784895313476 |
☆ Extract passages ☆
たとえば、サトイモやブドウはABO式血液型でいうO型と判定されるH抗原をもっています。アオキというアオキ科の植物はA型、ツルマサキというニシキギ科の植物はB型、ソバはAB型に似た成分をもっています。
(近江俊徳 編著 『人とどうぶつの血液型』より)
No.1572『人間にとって病いとは何か』
歳を重ねてくると、病気がとても近くにいるような気がします。いつ病気になっても、おかしくはないと思うようになります。たまたま、今年の春に受けたドックでは、特別に注意するようなところはなかったのですが、それでも安心できないのが病気です。だからといって、いつも意識するのは疲れます。
それでその病気は、人間にとってどのような作用があるのかと考えていたら、この本を見つけました。著者の考え方はある程度推定できるので、書いてあることも少しは推定できると思いました。でも、もしかして、新たな話しでもあればと思いながら読みました。もちろん、何度も書いていることなどもありましたが、夫の三浦朱門が亡くなったことなどについても書いてありました。
もともとこの本は、『小説幻冬』の2016年11月号から2018年4月号に連載された「体が教えてくれる生きる智恵」を改題し加筆修正したものだそうで、このように題名を変えただけで、内容の印象もだいぶ変わるものだと思いました。おそらく、体が教えてくれるのは病気だけではないでしょうが、病気によって人生が変わってしまうことはたくさんありそうです。あの病気さえしなければ、という思いもあります。私の知り合いで、ちょうど駅長になれるかどうかのときに、ヘルニアで何ヶ月か入院してしまい、とうとう駅長にはなれなかったといいます。でも、その病気が直接の原因ではないかもしれないのに、そう考えたほうが本人は気楽なのかもしれません。
そして必ず老いてきますし、病気にもなります。でも老人になると、著者は、「老人になってたった一つ世間に報いられることは、せめて機嫌のいいおじいさん、おばあさんでいることなのだ。そうすれば、社会も老人たちの生活を維持することに、それなりの興味や情熱を持ってくれる。」といい、私もいつも機嫌のいいおじいさんになりたいと思います。
この本で、「人生というものは、安定よりもむしろ変化が基本だからだ。子供は成長し、親をおいて就職したり、結婚したりする。子供に、「親より好きな人ができることが許せない」という親の存在にも未だに時々出会う。しかしそれは、かわいさを失うから子供の背丈が伸びないでいてほしいと思うのと同じくらい、残酷な心情だ。」と書いていますが、たしかに人生にはいろいろな変化があり、そのなかには病気もあります。
変化を怖がっていては、何も新しいことはできませんし、むしろ変化に対応できる強靱な身体と精神を持つ努力をすべきです。とすれば、その変化を楽しむぐらいのゆとりが必要ではないかと思います。
下に抜書きしたのは、著者が外国に行ったときに感じたことで、直接には病気と関わりのないことです。でも、食べものなら、すぐには影響はないかもしれませんが、長い間にはすごく影響が出てくるものです。
でも、宗教というのは、日本ではあまり明確にはわかりませんが、食べるものから着るものまで、いろいろ変わります。だから、その変化を楽しむことができなければ、海外に出かける意味もなくなります。
(2018.10.18)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
人間にとって病いとは何か(幻冬舎新書) | 曽野綾子 | 幻冬舎 | 2018年5月30日 | 9784344985018 |
☆ Extract passages ☆
同じ土地に、ユダヤ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒が住んでいる土地がある。すると会社の同僚でも、信仰が違えば一応気を遣わねばならないことが増えて、面倒でもあるが、便利なこともある。
イスラム教の休日は金曜日、ユダヤ教は土曜日、キリスト教は日曜日である。だからキリスト教徒たちは、日曜日に食料品などで買い足りないものを思い出したら、日曜日でも開いているイスラム教徒かユダヤ教徒のスーパーに買いにいけばいい。異教徒には売らないなどということは誰も言わないからである。
日本のスーパーは休みがなくて便利だが、大抵の宗教は店を開けない休日があるから、こういう形で、信仰を楯に棲み分けをする手もあるのだ、と教えられる。
(曽野綾子 著 『人間にとって病いとは何か』より)
No.1571『未来製作所』
前回の『矢上教授の「十二支考」』もそうでしたが、これも小説だとは思いもしませんでした。未来はこのようになる、というフィクションだとは思ったのですが、後から考えれば、それも小説のひとつの題材にはなると気づきました。つまり、またしても、最近はなかなか読む機会のない小説を読むことになったのです。
プロローグにもありましたが、この本は10編の「ショートショート」です。このショートショートというのは、「短くて不思議な物語」だそうで、アイディアの飛躍を含む文芸スタイルという位置づけです。ちなみに、ウィキペディアで調べてみると、「ショートショート(英: short short story)は、小説の中でも特に短い作品のこと。簡易的に「短くて不思議な物語」とされることもある。定義は諸説あり、短編小説や掌編小説、ショートストーリーとは異なる独自のジャンルといわれることが多いが、それらを区別しない場合もある。ジャンルは、SF、ミステリー、ユーモア小説など様々。アイデアの面白さを追求し、印象的な結末を持たせる傾向がある。」と書いてありました。
この本は5人の作品を載せていて、まだ誰も経験をしたことのない未来を描いています。その5人は、掲載順に、田丸雅智、小狐裕介、北野勇作、松崎有理、太田忠司の各氏です。1人2編の作品ですから、これで10編になります。
どれがおもしろかったかというよりは、どれも個性があり、意外性があり、これらのショートショートをつくるヒントになったのは、何かなあ、と思いました。すると、なんとなく人生のなかにあったのではないかと思うようになりました。
たとえば、小狐裕介さんのあとがきには、「モノづくりに携わる人々の情熱・愛情・誇り。そういったものをいつも側に感じながら作品を書かせていただきました。」とあり、どのような作品にもこだわりがあると感じました。
プロローグには、移動やものづくりがこの先どうなっていくのだろう、ということに焦点を当てた作品です、と書いてありましたが、たしかにこの先、どんな世界になるのか、考えただけでもワクワクします。
下に抜書きしたのは、そのプロローグに書いてあったもので、著者の一人田丸雅智さんが担当しています。
まったく偶然にも、小説を続けて読むことになりましたが、あっという間に読めてしまう本もいいものだと思いました。
(2018.10.16)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
未来製作所 | 田丸雅智他 | 幻冬舎 | 2018年6月20日 | 9784344033146 |
☆ Extract passages ☆
こんな世界が来るかもしれない。
こんな世界が来ればいいな。
これはさすがにないだろう。いや、でも待て。ひょっとしたら――。
(田丸雅智他 著 『未来製作所』より)
No.1570『ふしぎな県境』
この本で、県境マニアなるものが存在すると始めて知りました。つまり、県境マニアとは、この本の副題の「歩ける、またげる、愉しめる」を県境というあまり気にもならないことを愉しみとしている方々のようです。
最初は、ちょっとマニアックだなあと思いながらも読み進めていくと、その愉しさも少しずつわかるような気になってきました。たとえば、京都府木津川市と奈良県奈良市の境界線上に建てられている「イオンモール高の原」です。この建物のちょうど真ん中あたりを県境が走っているそうです。
しかも、そのショッピングモール内に県境を示すラインが引いてあり、しかも店内は「平安コート」と「平城コート」とにエリアも分かれているそうです。もちろん、平安は平安京、つまり京都をあらわし、平城は平城京、奈良のことです。つまり、エリアも県境をたくみに織り込んでいるということらしいのです。
さらに、法人税や固定資産税などは敷地面積に応じてそれぞれの自治体に納めているそうですが、地方消費税は入口が京都府にあったので全額京都府に納めていたそうですが、奈良県側の抗議で、現在はやはり面積による按分ということになっているそうです。でも、考えてみると、もし店内で急に体調が悪くなった場合などはどこの救急車が来るのかとか、事故があったときにどこの警察に連絡するのかとか、いろいろありそうです。さらにゴミ処理や上下水道などのことなども、考えると眠れなくなりそうです。でも、ゴミ処理は奈良県と京都府にそれぞれ2ヵ所ずつあるそうで、テナントごとに違うといいますから、慣れるまで大変そうです。
まさか、県境の違いで、このようなことまであるとは思いもしませんでした。
当然のことながら、県境があることで、道路や歩道などの造りや管理などにも違いがあります。この本では、東京都練馬区と埼玉県新座市が取りあげられていて、町の印象まで違うと書いていました。というのは、新座市は準工業地帯で工場や駐車場などがあり、練馬区の大泉学園町は風致地区に指定されていて、建築や樹木の伐採にも一定の制限が加えられているそうです。
だから、違うのは当たり前かもしれませんが、すぐ隣からがらりと変わるというのも、不思議な世界です。
なかには、長野県飯田市と静岡県浜松市の県境のように、「峠の国盗り綱引き合戦」というおまつりのように、綱引きで勝ったほうが、1メートルだけ国境を動かすというものもあるそうですが、実際に県境が動くわけではなく、1987年から始めたイベントです。しかも、行司役は中立的な立場の豊橋市がするそうで、むしろ県境を通して仲が良いからこそのおまつりです。
下に抜書きしたのは、福島県と山形県、新潟県の3県にまたがる飯豊山のことです。ここには、著者が「盲腸県境」と呼んでいるところがあるそうで、種を明かすとそれは山道であり、参拝道のようです。
私たち山形県民にすれば、飯豊山は山形の山ではないかと思いがちですか、歴史を紐解けば、新潟県の山であり、福島県の山でもあったということです。しかも、その裁定が宮城県、長野県の大林区署、つまりは今の森林管理局が実際に登って実地調査をしたというから、昔からあまり利害関係のないところにゆだねるということが公正な方法だったのかもしれません。
(2018.10.15)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
ふしぎな県境(中公新書) | 西村まさゆき | 中央公論新社 | 2018年5月25日 | 9784121024879 |
☆ Extract passages ☆
飯豊山は古来越後の山だとし、境界線は分水嶺上に引くべしとする実川村の主張に対し、一ノ木村はひとつずつ反論し、とくに境界に関しては、境内地も道路敷きも一ノ木村の地籍となっているとして、実川村の主張を真っ向から否定した。
結局、当事者同士での話し合いでは解決がつかず、福島県と新潟県は1892年に内務大臣の裁定を仰ぎたいと、当時の内務大臣に上申した。
しかし、そこからばったりと記録がなくなる。飯豊山の県境問題が再び記録に現れるのはそれから16年も経った1908年(明治41年)である。
この年、宮城県、長野県の大林区署(現在の森林管理局)、一ノ木村、実川村の関係者が実際に飯豊山に登山し、実地調査を行い、同年9月13日、東蒲原郡郡役所で、裁定が行われた。
この裁定で、宮城、長野両大林区とも一ノ木村の主張を全面的に認め、飯豊山神社の境内地と登山道は一ノ木村に帰属すると決まった。
この裁定により、飯豊山神社の参道は福島県の一ノ木村の領域だということになり、紛争はおさまり、細長い県境が残った。
(西村まさゆき 著 『ふしぎな県境』より)
No.1569『矢上教授の「十二支考」』
そろそろ来年の十二支のことを調べておかなければと思っていたとき、この本を見つけました。題名からすると、十二支に関する矢上教授の個人的な見解でも書いてあると思いました。まさか、ミステリーとはつゆほども感じませんでした。
でも、本の最初に主な登場人物が書いてあり、ちょっと不思議だとは思いましたが、それでもまだ、ミステリーとは思いもしませんでした。
ところが読み進めていくうちに、これは十二支について考える本ではなく、十二支をモチーフにしたミステリー小説だと思いました。でも、ミステリーですから、その先を知りたくなり、つい読んでしまい、いつの間にか最後まで読み切っていました。でも、おそらくミステリー小説を読むのは始めての経験ですから、これはこれで楽しい時間でした。これにはまる気持ちも少しは理解できました。
初めのところに、南方熊楠の『十二支考』が出てきたのも、十二支について書いてあると勘違いした理由です。そういえば、上野の国立科学博物館で「南方熊楠生誕150周年記念企画展 南方熊楠−100年早かった智の人−」というのが2017年12月19日から2018年3月4日まで開催され、そのなかに自筆の『十二支考』の原稿が展示されてありました。それは「虎」の項で、多くの情報を集めてそれらをまとめ上げていく研究姿勢が強く感じられ、感動もしました。だから、この本も南方熊楠が出てくるぐらいだから、それなりのことが書いてあると思ってしまったようです。
そして、熊楠の『十二支考』にも「丑」の章だけがないとして、この本では「曰く、室町時代に薬師如来を本尊とする寺がこぶし野町中心部に創建された。そして守護神である十二神将はやや時代が下ってから、それぞれ独立した信仰の対象として町の外辺に配置された。こぶし野町は、十二の方角を守る十二神将に取り囲まれているのだ。ただし、例外がひとつだけある。十二のうち、なぜか丑の方角の神社だけが現存しない。サイト内にあったこぶし野の観光マップを見ると、十一の神社が十一の方位に明らかに意図的に置かれ、そしてぼっかりと北々東丑の方角だけが欠けている。」と書いてありました。
そして、殺人事件なども巻き込みながら、ミステリーは続いていきます。
下に抜書きしたのは、なぜ丑の方角だけ神社がないのかという理由を、卯津貴さんの言葉から類推した内容です。
ミステリーの種を明かすようでこの抜書きを載せようか、載せないかと迷ったのですが、本筋にはほとんど影響がなさそうなので載せることにしました。たしかに、入るところがあれば出て行くところも必要だというのは、至極当然なことですが、最終的にはミステリーも当たり前のところに落ち着くと思いました。
でも、読んでみて、このようなミステリー小説も楽しいと思いました。
(2018.10.13)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
矢上教授の「十二支考」 | 森谷明子 | 祥伝社 | 2018年8月20日 | 9784396635510 |
☆ Extract passages ☆
入って来てしまった災厄を、どうしたらいいか。
現実としては、なすすべもなく災厄が消滅するのを待っている以外に、どうしようもない時代が長かったはずだ。でも、心のよりどころがほしくて神や神社を作り出す人間の心理は、災厄の処理についても何か考え出すはずだ。
「来たモノ」は「どこかへ去るモノ」でもある。卯津貴さんの言う、水の流れと同じように。
流れこむモノがあるなら、出口も必要ですから。
自分のところにいつまでもいてほしくない、早く出ていってもらいたい、災厄なのだから。
だから、丑の神社はあえて破壊した。卯津貴さんの言葉は、そう解釈すべきではないのか。
(森谷明子 著 『矢上教授の「十二支考」』より)
No.1568『分かちあう心の進化』
8月末に『学ぶ脳』を読んだときに、この岩波科学ライブラリーにもいろいろとおもしろそうな本があると知り、今回はこの本を読むことにしました。
もともとこの本は、NHKラジオ「こころをよむ」のシリーズのひとつで、2017年10月から12月の3ヶ月間、13回にわたって放送した話しがもとになっているそうで、さらにそのときの考えを深めてまとめたのだそうです。そのときの題名が『こころの進化をさぐる――はじめての霊長類学』だったといいます。
それら霊長類とながくつき合ってきて感じたことを、最後の「あとがき」に書いています。それは、「集団の暮らしの基本は母子のきずなです。あおむけの姿勢で安定するあかんぼうがいて、あおむけの姿勢ゆえに、まなざしと微笑みを交わし、声で呼び交わし、自由な手で物を操ります。それが人間に特有な目、つまり黒目(瞳孔)と白目(きょう膜)のはっきりした目や、豊かな表情によるコミュニケーションを発達させました。声によるコミュニケーションが言語の基盤となり、物を操作する能力が多様な道具を生み出します。母子だけでなく、父親がいて、仲間がいる集団生活で、教えない教育・見習う学習を基盤としつつも、食物を、さらには情報や経験を、互いに分かちあうようになりました。ゲノム(全遺伝情報)によらず、生後の学習を通じて身につける文化が、行動を律するようになります。自分一人が生き延びるのではなくて、仲間と互いに助けあいながら生きる。そのためには、見たものを見たままに受け取るのではなく、見たものの意味を理解し、見たものを「いつ、どこで、だれが、なにを」というひとつの物語として、仲間と互いに分かちあうことが重要になりました。そうした経験や情報を分かちあうために言語が生まれました。さらに、その分かちあうという行為の源として、心に愛が生まれたと考えています。愛とは、互いに分かちあい、助け合い、敬い、慈しむことです。愛とは、「いま、ここ、わたし」の世界から始まって、未来や過去に思いをはせ、あなたに、そして遠くで苦しんでいる人にまで心を寄せることです。」とあり、少し長い引用となりましたが、おそらく著者がこの本のなかで、一番いいたかったことではないかと思い、抜き書きしました。
つまり、霊長類を研究するということは、自分自身を知るということ、人間を知ることでもあります。
人間はなぜ家庭を持ち、愛を育み、人のためにボランティアをするのかなど、この文章のなかに、すべてつまっています。
この本を読んでいて印象的だったのは、レオという若いチンパンジーが急性脊髄炎になり、首から下がまったく麻痺したそうです。だから、あおむけでずっと寝ていると、床ずれがおきて、見ているだけでもたまらなかったといいます。しかし、レオは病気になる前と同じようにやんちゃでいたずら好きで、めげている様子が感じられなかったといいます。
つまり、チンパンジーは「いま、ここ」という場所で生きているだけで、先々のことまで考えないからではないかと著者はいいます。しかし、人間は先々のことまで想像してしまい、心配のあまり絶望してしまうのではないかといいます。たしかに、そのような傾向はあると思います。
お釈迦さまは、過ぎ去った過去のことをいくら考えても過去は過去だし、未来のことをいくら考えてもどうしようもない、だからこの今を精一杯生ききるしかないといったそうです。でも、やはり先々のことを考えてしまうのが人間という生き物です。
下に抜書きしたのは、人間以外の生き物は笑わないといいますが、チンパンジーは笑うと書いてあるところです。
チンパンジーは手話サインも覚えるし、図形文字だってわかるといいます。驚いたのは、瞬間記憶は人間より優れているそうで、著者は、その進化の過程でその瞬間記憶という能力を人間は失ったのではないかといいます。たしかに、何かを得るということは、何かを失うということで、いろいろなことのなかにトレードオフというものがありそうです。
(2018.10.10)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
分かちあう心の進化(岩波科学ライブラリー) | 松沢哲郎 | 岩波書店 | 2018年6月14日 | 9784000296748 |
☆ Extract passages ☆
チンパンジーも笑います。人間はワッハッハッハッと笑いますが、チンパンジーの笑い声はハッハッハッハッとかすれて聞こえます。笑い声が出てくる文脈は同じです。子どもが遊んでいるとき、くんずほぐれつして、くすぐられて、この笑い声が出てきます。
ただし、人間ならば、おもしろい光景に出くわしても笑いますね。バナナの皮を踏んですべった、その格好がおもしろいと、声をたてて笑います。が、チンパンジーではそういうことはありません。基本的には、身体的な接触がともなわないと笑い声をたてません。
なにより、決定的に違うのは発声法です。
(松沢哲郎 著 『分かちあう心の進化』より)
No.1567『シーア派とスンニ派』
著者は池内恵さんですが、名前は恵と書いて「さとし」と読むそうです。この本では、氏名のわきにローマ字でふられていたので、すぐに読めました。これはとてもいいと思いました。
著者は1973年生まれで、中東問題にとても精通しているようです。副題にも、「中東大混迷を解く」とあり、いかに中東問題が複雑なのかわかります。とくに日本人にとってイスラム教は少し遠い存在ですし、テレビなどを見ているとシーア派とスンニ派という言葉もよく出てきます。それで、中東問題というよりは、イスラム教のなかで、シーア派とスンニ派というのはどのように違うのかを知りたいと思い、読み始めました。すると、日本でいう宗派とは、だいぶ違うようです。
それは、「中東では、イスラーム教徒であれキリスト教徒であれ、それぞれの宗教の規範に基づいて生活を営み、宗派で政治・社会的なコミュニティを形成しているのが通常である。この社会政治的実体としてのコミュニティと、それぞれのコミュニティが結びつく拠りどころとなる規範や法のいずれをも指して、「宗派」と呼ぶのである。」ということで、たとえば仏教の一つの宗派が真言宗とか浄土宗とかという感覚とは違うようです。
つまり、宗派の争いといっても、純粋な意味での宗教の争いではなく、いろいろなところで結びついているので、ごちゃごちゃになりやすいのではないかと思いました。
でも、私的に考えると、もともと中東はフランスなどが植民地として勝手に部族が治めていたところを勝手に線引きし国としたのだから、おそらくそこに住む人たちはあまり国境などの意識はなかったのではないかと想像します。だから、もともとの部族のときに戻りたいという人たちがいたり、他国の援助のもとで国家の体裁を整えたいという人がいたり、それぞれの思惑で動いているような気がします。
それらが、もっとも分かりやすい宗派という形で国をつくろうとしている、それが今の状況ではないかと思います。著者は、「宗派による社会の分断は、各国に広がっていく。「アラブの春」の異議申し立ての運動が体制崩壊に到る前に収まった、サウジアラビアやバーレーンといったぺルシア湾岸アラブ産油国でも、宗派による結集と、宗派間の対立は激化した。バーレーンでは多数派のシーア派を、スンニ派の王朝が支配する形になっている。サウジアラビアの多数派はスンニ派だが、一割程度のシーア派が湾岸の東部州に集住する。そこはサウジの財政の命綱であり、王政の権力の源泉である油田を抱える地域である。ぺルシア湾岸地域はエネルギー資源だけではなく、同様に揮発性の高い宗派を抱え込んだ、中東の「火種」なのである。」と書いています。
たしかに、油田がなければ、ここまで危うい状況にはならなかったかもしれませんが、それ以外にもイスラエルの問題などもあります。おそらくこれからも世界に及ぼす問題が出てくると思うので、せめてイスラム教のシーア派とスンニ派とを知っただけでもこの本を読んでよかったと思います。
下に抜書きしたのは、スンニ派とシーア派の関係について書いてあるところです。
日本では、スンニ派もシーア派もイスラム教と考えますし、その宗派の違いなどもほとんど知りません。さらにその相互関係などは、マスコミなどの報道でもほとんど触れられませんし、おそらく、それほどの関心もなさそうです。でも、この本を読んでみて、いままで何となく混乱していた考え方が、少しは整理できたように思います。
これからの世の中の動きは、イスラム世界を抜きにしては語れないような気がしますので、もし興味を持ったなら、ぜひ読んで見てください。
(2018.10.7)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
シーア派とスンニ派(新潮選書) | 池内 恵 | 新潮社 | 2018年5月25日 | 9784106038259 |
☆ Extract passages ☆
スンニ派が優位の権力関係と、それを不正義なものとして認識し記憶するシーア派。この対比はイスラーム史とイスラーム教の教義を確然と分け、相互に相互を支え合う鏡像のようなものである。歴史上、特に初期のイスラーム史では、多くの場合はスンニ派が支配者の側に立ってきた。それに対抗する勢力を正統化するためのイデオロギーとして、シーア派の教義は形成された。シーア派は、預言者ムハンマドの高貴な血筋を引く人物をイマームと仰ぎ、象徴的な指導者として推戴することで、反体制派の結集軸となった。
このように権力と支配の所在と継承をめぐる闘争、体制と反体制の相互関係と、それぞれが掲げる象徴という、もっぱら政治的な経緯から、スンニ派とシーア派の教義の相違が発生し、長い期間を経て、それぞれの教義に従って社会生活を営むコミュニティが、各地に分化して定着したのである。
(池内 恵 著 『シーア派とスンニ派』より)
No.1566『50歳からの鉄道旅行』
著者は旅行ライターで、副題は「新幹線・特急乗り放題パスで楽しむ」とあり、JR東日本の「大人の休日倶楽部パス」などのことです。
実は、今年の6〜7月にかけて、このパスを使って、新潟から秋田、青森などをまわって東京まで行き、山形新幹線で帰宅しました。これで3泊4日で交通費は15,000円です。しかも、指定席を4回取ったのですが、6回まで無料で取れるとのことでした。だから、自分で実際に体験した後なので、この本に書かれていることはすぐに理解できました。
ただ、行程表などは、その時々で変わりますから、参考程度にしかならないのですが、それでも実際に計画を立てるときには役立ちそうです。
それにしても、年を取るということはイヤなことと思っていましたが、このような「大人の休日倶楽部パス」も使えるようになるし、各地の美術館や博物館などもシニア割引きなどがあり、楽しみも増えます。上野の国立科学博物館などは、特別な企画展以外は無料で入ることもできます。
この本を読んで、いろいろな「大人の休日倶楽部パス」の使い方があるなあ、と思いました。たとえば、新幹線の指定乗車券は高いので、まっすぐ目的地に向かうのですが、それをあえて、各駅に停まって楽しむこともありだと思いました。上野駅と新青森駅の間には22の駅があるそうですが、そのいくつかの駅で下車して、近くの名所を観光して歩くというのは、そうとう時間にゆとりのある年代しかできそうもありません。私も今年の6月下旬に新青森駅から東京駅まで東北新幹線に乗りましたが、たしか新青森駅が8時35分発で、東京駅着が12時4分着でした。新青森駅から東京駅までの区間で停車したのは、盛岡駅までは各駅に停まっていたのですが、その先は仙台駅、大宮駅、上野駅しか停まりませんでした。
だとすれば、盛岡駅やその手前の駅などで下車しその近くの名所を巡り、また東北新幹線に乗れば、これぐらい余裕のある旅はないでしょう。でも「大人の休日倶楽部パス」なら、どこで下りても、どこで乗ってもいいわけですから、このような旅もできるわけです。
また、まとめて3泊4日という旅ももちろんありますが、4日間自宅に戻るようにすれば、宿泊料もかからないので、一番格安の旅ができます。そういえば、私の知り合いで、東京なら博物館や美術館などがたくさんあり、いろいろな展示会をしているので、4日間、毎日東京に出かけ、美術館などを巡ったという方がいました。考えてみれば、そのような旅もあるわけで、1泊2日を2回してもいいわけです。
この本を読んで、「大人の休日倶楽部パス」も使い方次第で、いろいろな楽しみ方があると思いました。私は今年の6月に始めてフリー切符で旅をしましたが、次の機会には、いろいろな旅を考えてみたいと思います。旅というのは、予定を考えているだけでもワクワクします。
そういえば、車の旅から途中で本を読むということはできませんが、鉄道の旅なら、車中でゆっくりと本も読めます。これも大きな楽しみです。
下に抜書きしたのは、著者自身がいう半額分岐駅についてです。これは、たとえば「大人の休日倶楽部パス」なら東北フリーパスは15,000円ですので、普通に買えば3万円を越す金額になるその分岐点のことだそうです。
この他にも、採算分岐点なども書いてあり、これらのフリーパスを買うときの基準にはなりそうです。ただ、「大人の休日倶楽部パス」は普通でも3割引きで買えるので、ムリしてその時期に行くというのも考えものだと思いました。やはり、旅は、そこの一番いいときに行くのが基本です。
(2018.10.4)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
50歳からの鉄道旅行(だいわ文庫) | 小林克己 | 大和書房 | 2015年12月15日 | 9784479305682 |
☆ Extract passages ☆
「東京から大人の休日倶楽部パスを利用し、通常運賃の半額で往復できる駅」を半額分岐駅としている。33頁の表の通り、東北新幹線が八戸駅、秋田新幹線が雫石駅である。
両駅を含む、七戸十和田(十和田湖温泉郷や焼山まで1時間弱)や新青森、弘前、田沢湖、角館、秋田までは、日帰り・3泊4日を問わず、半額で行けることになる。
盛岡(はやぶさで往復2万9480円)もほぼ半額で行ける。
(小林克己 著 『50歳からの鉄道旅行』より)
No.1565『世界中で迷子になって』
この本の題名を見て、旅のときに読むといいかも、と思っていましたが、いざ開いて見ると、「旅に思う」というのは三分の一ぐらいで、あとは「モノに思う」ということで、ほとんど買い物に関することでした。でも、ゆるい本なので、気楽には読めますが、旅への心の高まりにはほとんど寄与しなかったみたいです。
旅についての文章で気づいたのは、「旅、というのは、いかにも人生のおまけである。旅しなくとも生きていくことは可能だ。また時間的・経済的・精神的に条件が整わなければ、いくら貧乏旅行だったとしても、旅しょうなどと人は思いつかない。旅は決して人生の重要事項ではない。けれど、そのおまけであるような旅に、こんなにも深く影響を受けることがある。半年間の長期旅行だろうが、二泊三日の滞在だろうが、旅との出合いが、旅した人の価値観や人生や性質を変えてしまうこともあるのだ。趣味はなんですかと訊かれると、私はつい「旅」と答えるが、趣味にはとどまらない異様な力を、旅というものは持っていると思う。」というところは、たしかにと思いました。
私も、旅は楽しいから出かけるだけで、そこに大それた意味などないし、ただ有意義な時間を過ごしたいという気持ちが優先しています。でも、10数年経っても、なぜか思い出すことなどがあり、もしかすると、あのときのことがあって今がある、と思うこともあります。
つまり、無意識でありながらも、相当な影響を受けている旅もあるということです。また、その時に行かなければ、そのときの旅は、そのときしかできません。自分の年齢のこともありますし、そこの場所が変化することもあります。たとえば、中国四川省の九寨溝は、おそらく大地震で環境が激変してしまい、今ではあの素晴らしい風景を眺めることはできないと思います。ネパールのカトマンドゥ周辺なども同じです。見る人間の心が変化するだけでなく、自然環境までも変化するのです。
そういえば、カメラをただ単に好きというか、カメラという機械そのものが好きというカメラマニアが昔はいました。今はデジカメになり、それほどカメラそのものに興味を持つ人は少なくなったようですが、そもそもカメラは写すものです。よく撮れてなんぼのモノです。ところが、本も同じように読むだけでなく、たた積んでおいて楽しむ方もいると聞きます。それってホントかな、と思いましたが、この本でも、「本はつまり本である、と気づけたのもよかったことのひとつ。いくら高くても、本は本であってアクセサリーではないのだから、読まないと意味がない。本を所有することはよろこびではあるのだが、しかしやっぱり、さらなるよろこびは読まないかぎり得られない。」と書いてありますから、やはりそういう人もいるみたいです。
下に抜書きしたのは、「あとがき」にあたる「〈文庫書き下ろしエッセイ〉2016年未来の旅」のなかに出てきます。たしかに、年齢とともに変わることや変えたくなくとも変わってしまうこともあります。でも、自分で積極的に変えようとすることもあり、それが旅のような気がします。
同じところを再び訪ねてみると、そのようなことがありありとわかるかもしれません。それと、旅が変わったのはインターネットの存在もそうです。今では、ほとんどの情報をネットで検索し、電車や飛行機などの予約も宿の手配もほとんどネットだけでできます。それも、世界中ですから、まったく旅の仕方も概念をも変えたと思います。
(2018.10.1)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
世界中で迷子になって(小学館文庫) | 角田光代 | 小学館 | 2016年8月10日 | 9784094063233 |
☆ Extract passages ☆
かつて旅した場所をふたたび訪れる、というのは、想像していたよりなかなかおもしろいし、興奮的な旅だと知った。町や人の変化が直接的にわかる。同時に、変化しない本質的なものも感覚でわかる。過去とはまったく違う町のように感じられても、ときおりふっと、過去が二重写しになることがある。そのとき、たじろぐくらいなつかしさを覚える。この「なつかしい」という感情は、私が旅で味わうはじめてのものだった。
その地を旅していた若き日の自分が、ちらりと垣間見えることにも驚いた。なんて暇で、なんてこわいもの知らずで、なんて自由だったんだろうと思わずにいられない。そう気づくと、ちょっとした喪失感を覚えるが、その喪失感のなかで、いや、あんな旅は二度とごめんだという気持ちもある。旅の変化を私はずっとおそれていたけれど、もし変化しなかったら、それはそれでつらいことだったろうとも思うのだ。
(角田光代 著 『世界中で迷子になって』より)
No.1564『初期仏教』
せっかくインドに行くので、出たばかりの岩波新書の『初期仏教』を持ってきました。
しかも、この本の一番最初に、「仏教は、インドで生まれた。」と書いてあり、このこと自体わかりきったことですが、インドに行くならその地で読んでみたいと思ったのです。ところが、旅で疲れた頭にはすっきりとは入ってこなくて、時間ばかりかかってしまいました。でも、インドで読んでいるということだけは、なんともいえず気持ちのよいものでした。
たしかインドには7〜8回は来ていると思いますが、ここケララ州は初めてです。ところが、6月からモンスーン・シーズンが始まり、8月に入り2週間ほど降り続いた大雨で洪水になり、各地で交通が遮断されたり土砂崩れが起きたりしています。9月3日のインド内務省の発表では、今回の大雨でのインドでの死者数が1,459人に達したと発表しました。また、ケララ州だけでも、死者数は 488人だそうです。これは洪水による被害としては「今世紀最悪」だといいます。
それでも12年に一度しか咲かない花という誘いに負けて、来てしまいました。
そうそう、この本の話しですが、副題は「ブッダの思想をたどる」ということで、第1章は仏教が登場するまでの歴史です。そして第2章と第3章は、初期仏教について論じようとするときに必要な資料について、そして第4章から第6章までは、本来の目的である初期仏教の思想を解説するという流れになっていました。
たしかに、お釈迦さまが説かれた初期仏教を知るということはとても大切なことですが、その裏付けになる資料も少なく、だからこそ、第2章と第3章でそれらについて詳しく書いているのでしょうが、それでも、2,500年も前のことですからまさに手探り状態です。でも、ここインドで説かれたものですから、なんとなくわかったような気持ちになります。むしろ、それがこわいことで、だから何度も何度も読み返しました。
たとえば、四無量心については、「ブツダは、ブラフマン神のいる天界(梵天界)に生まれ変わる道を説く祭官に対して、ブラフマン神を見た者はいるのかと尋ねる。三ヴエーダに通じる祭官たちのなかに、そしていにしえの師たちのなかに、ブラフマンを実際に自分の目で見た者はいるのか、と。いないと答えた祭官に、ブツダはこう告げる。それは、「私は美しい女性を愛している」と言いながら、その女性について容姿も名前も知らない男のようなものだ。そして、ブツダは、祭官たちが執行する祭式に代わって、梵天界に生まれ変わるための「四梵住」という瞑想を教える。四梵住とは、「一切を自己として」すなわち一切の生類を自己と同様だとみなして、慈しみ(慈)、憐れみ(悲)、喜び(喜)、平静(捨)な無量の心で四方を満たすことである。「無量の心」だから、四梵住は「四無量心」とも呼ばれる。」と書いてありました。
この喩えを聞いただけでも、とても分かりやすく、ほとんどの人たちに受け入れられたのではないかと思いました。それまでの教えは、どちらかというと女性や不可触民たちに教えるということは許されていませんでした。ところが仏教は、誰にでも門戸を開いたのです。ただ、出家者の規則などに関しては、一般の人たちには関係ないことなので、それは伝えなかったといいます。たとえば、戒などは、「原語「シーラ」は、習慣を意味する。言葉の意味としては「良い習慣」も「悪い習慣」も含みうるが、言うまでもなく、仏教の「戒」とは良い習慣を意味し、身につけるべき正しい行動様式を指している。」と分かりやすく解説しています。
つまり戒とは、良い行いを習慣化することにより、自然に振る舞えるようにというのが大事なことで、他の宗教のような神に誓うというようなことはないそうです。
これらを読んでみて、特に感じたことは、仏教は他の宗教と違って、創造神や宇宙原理などを立てるのではなく、「高貴な者」となるべく修行をし悟りを得るような生き方を示しただけです。この「高貴な者」は「アーリヤ」とお釈迦さまは言っていたそうですが、インドの古代社会では四姓のうち祭官・武人・庶民からなる「再生族」だけをアーリヤといっていました。再生、つまり生まれ変わりより、解脱しその輪廻を停止し悟った者こそアーリヤだとしました。この転換こそが仏教では大事なのではないかと思いました。人は平等だ、その考え方が如実に表れています。そして、死後の世界も明らかにしなかったというのは、わからないことにあまり関わらないこと、それが大切なことだということです。
下に抜書きしたのは、生き物の世界は弱肉強食ですが、それを古代インドでは「魚の法則」と呼んでいたそうです。
でも、このような世界だからこそ、輪廻という考え方で倫理が守られてきた部分もあります。このことから今の世の中を考えてみると、今さえ良ければという人たちが多くなり、ますます監視社会になって住みにくくなってきたように思います。そろそろ考え直さなければならないときが、来ているのではないでしょうか。
(2018.9.27)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
初期仏教(岩波新書) | 馬場紀寿 | 岩波書店 | 2018年8月21日 | 9784004317357 |
☆ Extract passages ☆
古代社会において、死によって人間は無に帰し、死後の世界はないと人々が考えるなら、倫理よりも目先の利益が優先され、力の強い者が弱い者から搾取する世界になってしまう。仏教を含め、古代インドでは、そのような弱肉強食を「魚の法則」と呼んだ。
死後を信じない人が圧倒的に多い近代社会で、罪人必罰の制度が整備されていく理由はここにある。近代社会は、地上に自業自得の制度を実現して、「罪を犯すと罰を受ける」という潜在意識を人々に植え付ける。監視技術の向上に伴って、現代社会が監視社会へ向かうのは、その意味で当然である。
(馬場紀寿 著 『初期仏教』より)
No.1563『西南シルクロードは密林に消える』
旅を続けていて、少しは読み応えのする本と思って、解説を含めて533ページのこの本を持ってきました。
しかも、私が行ったところがいくつも重なっているので、それを思い出すのもいいかな、と思って持ったきたのです。ところが、ムンバイまでの飛行時間と、コーチまでの飛行機の乗り換え時間がだいぶあり、なんとなくスラスラと読めて、気がついたら、読み終わっていました。やはり、ムンバイのチャトラパティ・シヴァージー国際空港から国内線に乗り換える時間が9時間ほどあったのがよかったようです。そして、コーチン国際空港に着いたのは、夜明け前の午前4時30分でした。
さて、この本ですが、中国四川省も雲南省も、そしてミャンマーもインドのベンガル州も行ったことがありますが、ここに出てくる奥地までは行っていません。そういう意味では、まさに秘境ですが、今では少しずつ開放されているようです。たとえば、私がミャンマーに行った2013年ころは、まだビクトリア山などは許可がなければ入れませんでしたし、その許可もなかなか出なかったようです。
この本に出てくるようなゲリラが地域を支配しているところでは、もちろん政府の許可なんて出ないでしょうし、身の安全も図れないようなところで、中国などの公安に見つかれば許可なし入境で捕まえられます。しかも、この本では、そのような憂き目にもあっています。この辺りの話しは、とても臨場感がありました。その場所を知っているからこその大変さもわかりました。
このところの部分は、解説者の関野吉晴氏の文章がとてもわかりやすく、「彼の作品を見ていると波潤万丈で、読者をドキドキハラハラさせるものが多いが、それは彼が失敗を恐れず、トラブルを回避せず、むしろ目的を遂行するためには、常に前に出ようとする姿勢によるものだろう。それが彼の表現力と重なって、読者をはらはらとさせる。この本の国境を越える時のトラブルは彼の真骨頂だ。まず通常の旅行者は密入国など考えない。国境を越えるときの不安はせいぜいワイロを欲しがる税関をどのように処理して、くぐり抜けるかぐらいのものだ。インドシナでは、密入国は地続きの隣国同士の行き来ならば日常茶飯事だ。しかし、怪しい者(日本人あるいは欧米人というだけで怪しい)がばれると、厳罰が待っている。密入国はわざわざトラブルをおこしに行くようなものなのだ。ところが高野は非合法にミャンマー国境を越えたことは8回、国境の検問で捕まり追い返された未遂を含めると、11回になるという。確かに旅でトラブルを避けてばかりいると、つまらない旅になる。トラブルを通じて、様々な気づきや発見があり、その地の民族性、国民性、政治や社会、文化がわかることが多いからだ。」と書いています。
ここに、この本のハラハラドキドキのすべての理由が書かれているように思いますが、普通のツアーではなかなか体験できないことばかりです。
私もほとんどの海外旅行は、個人的な旅ですから、ツアーとこの本に書かれているような旅の間にありますが、この本を読むと、それでも限りなくツアーに近いものだと思います。では、このような旅をしてみたいかといわれれば、してみたいような、してみたくないような気持ちです。もう少し若ければしてみたいと思うかもしれませんが、古希の身では、とてもこのようなことはできません。
そういえば、よく秘境という言葉を使いますが、著者は、「それは「外国人にとって」という意味だ。「秘境」なんて相対的なものの言い方で、現地の住民にとっては単なる「おらが土地」である。」と書いていますが、まさにその通りです。
下に抜書きしたのは、著者自身が最後に考えた西南シルクロードについての文章です。つまり、この西南シルクロードはロードではなく、モノが動いただけのこと、だからこそ途中で西南シルクロードも道がなくなり、消えてしまったということのようです。だから著者も、ロードを通ったのではなく、「モノ」として運ばれたに過ぎないと考えたみたいです。私もなるほどと思いました。
(2018.9.24)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
西南シルクロードは密林に消える(講談社文庫) | 高野秀行 | 講談社 | 2009年11月13日 | 9784062765015 |
☆ Extract passages ☆
これは道をたどっているのとは明らかにちがう。私は「モノ」として運ばれていたのだ。
モノである以上、途中でどういう事態に陥るかわからない。誰かに気に入られれば、そこで消費され、あるいは権力者に没収され、またあるいは単に被損したり、密林に失われたかもしれない。中国へ逆戻りした可能性だってある。だから、私は、このルートを「戦後初めて中国からビルマ経由でインドまで旅した旅行者」ではなく、「戦後初めて中国からビルマ経由でインドまで運ばれたことを確認された交易品」なのである。かつてこの地域を通って運ばれたシルク、宝貝、竹の杖といった品物がそうであったように。
(高野秀行 著 『西南シルクロードは密林に消える』より)
No.1562『母なるガンディー』
19日の午後から上京し、夜には成田駅近くのホテルに泊まっています。そして、20日の午前中にインドに向けて出発しました。
この本は、そのインドというといの一番に出てくるマハトマ・ガンディーについて書いたものです。著者は仏教学者ですから、おそらくはその精神性について書いてあるのではないか、もしかすると、今までの視点とは違うものがあるのではないかと思いながら読みました。
そして、読み始めてすぐに、たしかに今までのガンディー伝ではあまり取りあげられてこなかったことが書いてあり、たしかにガンディーという存在はわかりにくいと思いました。普通なら、ガンディーは「インドの父」という表現が多いのに、なぜ「母なるガンディー」なのか、です。著者は、そのことを「おそらくガンディーの心の中には、男女の差が暴力的なものと非暴力的なものとの差に対応しているという直覚のようなものがあったのではないでしょうか。政治的暴力や社会的暴力は、「男性性」に由来する……そんな認識があったからこそ、暴力から真に自由になるためには、男性そのものを乗り越える以外に道はない、とガンディーは考えていたのでしょう。つまり、ガンディ一による非暴力の追求――そのいわば「最終段階」が、自らの心の中に「母性を獲得しょう」とする欲求を生んだのではないでしょうか。」と提起しています。それなども、普通の人にはなかなか理解できないことです。さらに厳格なブラフマチャリア(禁欲)を自らに課し、それを夫婦や家族にも同じように対したというからますますわかりにくいです。
そのことを著者はお釈迦さまの出家と同じようなものと位置づけてますが、おそらくそれに近いものがあったように思います。違うのは、家族にも献身的な奉仕の心を求めたことで、妻のカストルバーイの逸話として、「たとえば、アシユラムで不可触民たちと共に暮らし始めたころ、ガンディーはカストルバーイにアシェラムのトイレの汚物を捨てる役割を命じました。インドのカースト制度の中にあってはそのような役割は不可触民によって担われてきたため、カストルバーイは当初泣いて拒みました。しかし、ガンディーはけっして許さず、そればかりか、妻がいやいやながら汚物を処理するのではなく、「喜びながら行なう」ことまで要求したのです。」とあり、今でもこのカースト制が続いているインドで不可触民と生活を共にするということの難しさを考えると、それだけでもすごいことだと思います。それがさらに「喜びながら行なう」ということは、とてもとてもすごいことだと感じます。
よく、ガンディーは断食をしましたが、それが政治や経済に及ぼすとは誰も考えなかったと思います。もともと断食は人のためにするものではなく、自分自身のためにするまったく個人的な行為です。でも、それによって不利益をこうむる人たちにとっては「政治的な脅迫」と呼ぶ人もいたそうで、それだけ影響力があったということの裏返しです。今はハンストとして知られていますが、これだってガンディーが始めたことではないかと思います。しかし、これは誰でも影響力を行使できるかというとそうではなく、それなりの知名度というか、ある程度の実績がないと効果はないと思います。
そういえば、ちょうど帰国予定日の10月2日が「ガンディー生誕記念日」で祝日になっていました。また、2007年6月に国連総会で採択された「国際非暴力デー」も、このガンディー生誕記念日に由来するそうです。
下に抜書きしたのは、ガンディーの宗教性についてです。たしかにヒンドゥー教徒ではありましたが、その他の宗教にも敬意を持って接していたそうです。
このアシユラムというのは修道場ですが、今でも多くの宗教の言葉で祈りが捧げられているというから驚きです。でも、そのことが曲解されると、最後は狂信的なヒンドゥー教徒によって暗殺されてしまいましたから、世の中は不可思議なものです。この本で、今までほとんど知らなかったガンディーの素顔に触れたようで、とても興味深く読むことができました。
(2018.9.21)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
母なるガンディー | 山折哲雄 | 潮出版社 | 2013年12月20日 | 9784267019647 |
☆ Extract passages ☆
よく知られていることですが、ガンディーは暮らしていたアシユラムで、日々の祈りの中でヒンドゥー教のみならずさまざまな宗教の祈りの言葉を取り入れていました。聖書の祈り、仏典の言葉、「南無妙法蓮華経」の題目、イスラム教やユダヤ教の祈りまで、さまざまな言葉を日々唱えていました。
ガンディーが創設したアシユラムはいまもインド各地にあり、修行者たちが暮らしています。私もそのいくつかを訪ねたことがありますが、ガンディーの教えを受け継ぐ修行者たちは、いまもそのように諸宗教の祈りを毎日唱えています。
それこそが、ガンディーの「宗派を超えた宗教性」を象徴するものだといえるでしょう。ただし、そのような姿勢を保ちつつ、ガンディーはあくまでもヒンドゥー教徒であり、ヒ
ンドゥーの教えが彼の生き方の核になっていたのです。
(山折哲雄 著 『母なるガンディー』より)
No.1561『ある日、カルカッタ』
明日の飛行機でインドに行くので、前日は成田のホテルに泊まりました。そこまでの電車の中とホテルでほとんど読んでしまいました。
今回の旅は12年に一度しか咲かない花を見ることが目的なので、読む本は数冊しか持ってきていないので、読み過ぎてはちょっともったいないと思いましたが、なんともすらすら読めました。でも、数カ所で、以前読んだことがあるかもしれないと思いましたが、他に楽しみがないので読み続けました。
おそらく明日はカルカッタ、これをキーボードでたたくと「現在はコルカタといいます」と出て、そういえば、始めてインドに来たときもここが中心でした。この空港を出たときに、ムッとした熱気と人混みとは、今でも忘れられません。それぐらい強烈な印象でした。
もちろん、この本を選んだのも、インドに行くからと思ったのですが、実際は、短編の集まりで、ほとんどがインドとは関わりなく、加持のやビールなどの話しが多く、あまり興味はありませんでした。それでも旅行記のようなものもあり、やはり旅の途中で読むにはいいかな、と思いました。
そういえば、「ベルギー 眠れるビール」という小品のページには、なぜか、柱の部分に「ある日、カルタッタ」と印刷されていて、ちょっと笑ってしまいました。おそらく、この刷だけなのか、それとも2001年2月に単行本として刊行されたときからのものか、考えてしまいました。
この「ある日、カルタッタ」に出てくる貧富の差は、今でも同じようで、日本では考えられない世界です。この本には、「P32」
そういえば、ガンジス川も昔からほとんど変わらなく流れているような気がしますが、濁ってミルクティーのようだと表現していますが、それでもインドの人たちにとっては聖なる川です。著者は、「ガンジスは動詞の川ぞ歯を磨く体を洗う洗濯をする」と詠んでいますが、ここでは火葬をした人間さえも流してしまいます。そして、それが最高の供養だといいますから、まさに聖なる川そのものです。
下に抜き書きしたのは、インドの子どもたちとほほえみで仲良くなるという部分です。たしかに、ほほえみは世界の共通語ですが、ところによっては、変に解釈される場合もあるので、気をつけたほうがいいこともありそうです。
(2018.9.19)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
ある日、カルカッタ(新潮文庫) | 俵 万智 | 新潮社 | 2004年3月1日 | 9784101413211 |
☆ Extract passages ☆
P45
飯豊山は古来越後の山だとし、境界線は分水嶺上に引くべしとする実川村の主張に対し、一ノ木村はひとつずつ反論し、とくに境界に関しては、境内地も道路敷きも一ノ木村の地籍となっているとして、実川村の主張を真っ向から否定した。
結局、当事者同士での話し合いでは解決がつかず、福島県と新潟県は1892年に内務大臣の裁定を仰ぎたいと、当時の内務大臣に上申した。
しかし、そこからばったりと記録がなくなる。飯豊山の県境問題が再び記録に現れるのはそれから16年も経った1908年(明治41年)である。
この年、宮城県、長野県の大林区署(現在の森林管理局)、一ノ木村、実川村の関係者が実際に飯豊山に登山し、実地調査を行い、同年9月13日、東蒲原郡郡役所で、裁定が行われた。
この裁定で、宮城、長野両大林区とも一ノ木村の主張を全面的に認め、飯豊山神社の境内地と登山道は一ノ木村に帰属すると決まった。
この裁定により、飯豊山神社の参道は福島県の一ノ木村の領域だということになり、紛争はおさまり、細長い県境が残った。
(俵 万智 著 『ある日、カルカッタ』より)
No.1560『定年後の知的生産術』
この本を手にとってみて、この題名は何をさして生産術とするのか、ちょっと理解できなかったのです。もちろん、定年になったとしても、知的なことは必要ですし、それが必ずしも生産とは結びつかなくてもいいと思っていたからかもしれません。でも、定年になれば、知的であろうとなかろうと、自分の好きなことをすればいいと思っていたので、理解ができなかったようです。
でも、表紙の裏を開くと、「定年退職後こそ、クリエイティブに、好きな研究、夢や目標に向かって打ち込むチャンスである。これまでの仕事や人生で得た経験が、意外な組み合わせによる新しい発想や、本質を見抜く聴力に通じる。時間的・金銭的な余裕が比較的あることは、シニア世代の大きなアドバンテージである。本書は定年後のクリエイティブ・シニアを応援する一冊。役に立つ情報の取捨選択法、資料整理術、最終的には著書の刊行へ。「知」の発信者になるノウハウを開陳。充実した知的生括へ、ようこそ。」と書いてあり、それで始めて納得しました。
つまりは、定年後の時間などのゆとりのなかで、知を磨き、本まで出版しようという手引き書のようです。そんなこととは知らずに、ただ、知的生産術とは何かな、と思っただけで読み始めたのでした。
読んだからといって、本を出さなければならないとは思いませんし、そのようにしてできた本があるとすれば、それこそ本の取捨選択にひっかかり、ゴミ情報やノイズ情報といわれかねません。ノウハウ本を読まなくても書ける人なら、出版もありではないかと思います。
そういえば、この本のなかで、書店の良さは思いもかけない本と出会うことだといい、「自分の好きなコーナーや棚では、いつものとおり楽しい時間を過ごすだろう。しかし棚から棚へ歩くと、ネット書店のリストなどでは一生見ることのない、興味深い本に出会う可能性がある。それもまた楽しいものだ。「本屋(古本屋)をうろつく」ことは、筆者が知る知的な人々に共通する楽しみでもある。むしろ専門書などはアマゾンへの発注で良いとしても、「世の中を観察するためのスタート地点は書店にあり」とは、筆者の信念。書店でなくとも、図書館でもデパートでも、とにかく自分の足で歩き、自分の目で見て観察することである。」といいます。
たしかに、私も書店の良さは実際に本を手にとって確かめられるところで、本の重さや装幀の良さ、さらには古本屋に行くと、あの独特の本のニオイもまたいいものです。よし、気に入った本を探すぞ、という気持ちになります。
下に抜書きしたのは、リンカーンは「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」というのに通じますが、その通りだと思います。原文では、「Every man over forty is responsible for his face.」ですが、男というのがミソです。
でも、女性も同じで、思いやりのある人はやさしい顔をしていますし、明るく前向きの人はほがらかで明るい顔をしているようです。つまり、どちらにしても、長年の積み重ねが顔にも表れるということのようです。
(2018.9.16)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
定年後の知的生産術(ちくま新書) | 谷岡一郎 | 筑摩書房 | 2018年4月10日 | 9784480071354 |
☆ Extract passages ☆
人間というのは恐ろしいもので、よこしまなことばかり考えている人の顔は「よこしまな顔」になっていく。バカなことばかりする人は「バカ顔」になっていく。すべてのタイプが判別可能とは言わないが、人間は一定年齢に達したとき自分の顔に責任を持たなければならないと信じている。
逆から言えば、顔の造作や化粧の上手・下手などは、どうでもよいことで、前向きに努力を重ねることで人の顔は良くなっていく(はずだ)。うわべの顔の造作に騙されるは――若い間は仕方がないとして、年を重ねてそうであるなら――これまで一所懸命に努力を重ねて向上心をもって生きていなかった可能性が高い。
(谷岡一郎 著 『定年後の知的生産術』より)
No.1559『古希に乾杯! ヨレヨレ人生も、また楽し』
私もちょうど今年が古希なので、この題名を見ただけで、なんとなく読んでみたくなりました。
ヨレヨレはイヤですが、そうかといっても古希になればパリッとはできないけど、それでも楽しいなあ、と思って生きたいと願っています。楽しく笑って生きて行ければ、それで御の字です。いろいろと願っても、できることもあればできないこともあるのが人生です。だんだんとそういうことがわかってくるのも、古希という区切りなのかもしれません。
でも、できないからといって、それにいつまでもこだわっていては、苦しくなります。ある意味、明るいプラス思考が必要です。著者は、「ま、いいか!」と流してしまうのがいいと書いていますが、それも楽しく生きるひとつのコツかもしれません。
この本には、著者の恩師の話が載っていて、「プラス思考への転換は今からでも決して遅くありません。いや、高齢になった今だからこそ、残された人生を1秒でも無駄にしないで楽しむ工夫をしたほうがいいですよね。私の高校の恩師が、いよいよ亡くなるという時に、家族に話した言葉があります。私は、その言葉に感銘を受けました。それは、「これから一生に一度しかない死ぬということを体験できるので、ワクワクしている」という言葉です。好奇心の強かった先生らしい言葉でした。」と書いています。
死ぬことさえワクワクさせてくれるなら、ほとんどのことにワクワクできそうです。ワクワクして生きていれば、おそらくすべてが楽しくなります。だとすれば、古希であっても、喜寿であって、おそらくは米寿であっても、楽しく生きられると思います。
やはり、用は考え方次第です。
とくに男性は孤独に弱いとこの本には書いています。その理由を、「オスが獲物をとるために意識を1点に集中させやすくなっているのに対して、メスのほうは子育てのために防衛本能が強く働くという、本能的なしくみが影響しているのかもしれません。」と書いていますが、だからといって、それが欠点とは書いてません。むしろ、一点突破する場合もあり、その集中力こそ、大きな発見につながるかもしれないのです。
つまり、このような男女の特性を考えて、だとすればそれを生かすような気持ちで楽しめばいいわけです。1つのことに集中して生ききることも素敵な生き方です。
下に抜書きしたのは、産婦人科医の昇幹夫さんの言葉だそうですが、なるほどと思いました。
たしかに「従わず」という気持ちに老人の気概みたいなものを感じますが、それだって、程度問題です。あまりに従わないでいると、何を言っても聞いてくれないからと嫌われてしまいます。もしかすると、誰からも声がかからないかもしれません。
やはり、年を重ねたら、その重ねてきた生き方からにじみ出る雰囲気のようなものが大切かな、と思っています。それも、前提として、清潔でいることが肝要です。
(2018.9.13)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
古希に乾杯! ヨレヨレ人生も、また楽し | 弘兼憲史 | 海竜社 | 2017年7月28日 | 9784759315486 |
☆ Extract passages ☆
「さからわず、いつもにこにこ 従わず」、いい言葉ですね。この姿勢を貫き、毎日の生活を愉しむべきです。そうすれば、少なくとも嫌われずにすみます。同じ長生きをするなら、嫌われて生きるより好かれて生きるほうが、圧倒的に楽しく人生を締めくくることができます。とは言っても、従属的で笑っているのは表向きで、実は自分の芯はしっかり持っているという姿勢が、この「従わず」の5文字にはっきり示されています。いい意味で「したたか」ですね。
(弘兼憲史 著 『古希に乾杯! ヨレヨレ人生も、また楽し』より)
No.1558『知の越境法』
著者の池上彰氏を知らない人はいないと思いますが、おそらくフリージャーナリストとしては一番マスコミ等で見る機会があるのではないかと思います。それだけ、知られているということです。
NHK出身ということも知られていて、選挙速報などでもユニークな視点から解説され、もしかするとこの本の題名や、あるいは副題の『「質問力」を磨く』などから、独特な視点がわかるのではないかと思いながら読みました。
たとえば、「人の話を聞くときは、必ず相手と斜め45度になるように座ります。これはとても大事なことです。正対するとまるで経営側と労働側の労使交渉になってしまいます。……この「斜め45度」というのは、取材を重ねているうちに、こうするといい、と気がつきました。別にこの人と仲良くならなくてもいいというなら、正面でいいわけですが、インタビューという限られた場では、待策ではありません。」といいます。やはり、長い間の経験がインタビューにも生かされているわけです。
そういえば、著者自身の取材の方法を「ゆるやかな演繹法」と呼んでいるところがあります。
それは、「取材の仕方には、ざっくり分けて「帰納法」と「演緯法」があると思います。帰納法とは、調査・研究対象を数多く調べることで、ある特徴を見つけ出す手法です。演緯法は、あらかじめ立てた仮説が正しいかどうかを検証する方法です。これを取材にあてはめると、帰納法は、とりあえず現地に行って、徹底的に調べることで、自分なりのテーマやストーリーを見つけ出す手法です。行きあたりばったりのところがあるので、幸運の女神がほほえめば実りの大きい取材になりますが、そうでないと、まとまりのないものになりかねません。……場合によっては、「こういう内容ではないかと思って現地に入ったが、意外な事実があった」と、手の内を明らかにすることもあります。それが番組の魅力になります。私が"ゆるやかな演緯法"と呼ぶのは、このことです。」と書いています。
たしかに、海外では、いくら下調べを入念にしたとしても、何があるかわかりません。そのようなときは、この「ゆるやかな演繹法」は役に立ちそうです。でも、私は、どちらかというとほとんど下調べをしないで行くタイプで、だから何を見ても新鮮ですが、当たり外れもあります。それは仕方がないと、割り切っています。
しかし、国内の場合はもう一度行くということが比較的簡単にできますが、海外の場合はなかなかそうはいきません。たった1回だけ、ということもあります。そのようなときには、この"ゆるやかな演緯法"は役に立ちそうです。
では、あなたはできるか、と言われても、はっきりできるとは言えそうもありません。だったら、このような本をいくら読んでも意味がないのではないかといわれそうです。でも、まったくの無意識と、少しは頭のどこかに残っているというのとでは、違うような気がします。自己弁護するわけではないのですが、詳しく下調べをしていくと、その調べたことをムダにしたくないと思うのか、それに足を引っ張られてしまうことがあります。だったら、無垢のままに行ったほうがいいと思っているのです。
下に抜書きしたのは、終章の「越境=左遷論」のなかに出てくる外からの目の大切さについての文章です。この辺りでは、ハグレモノではなく、ヨソモノを使う場合が多いのですが、意味するところは同じです。
これは町おこしでよく使われる言葉ですが、いろいろな場面でも大切なことだと思います。だから、自分自身もこのような部分を大切にしていかなければと思っています。
(2018.9.10)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
知の越境法(光文社新書) | 池上 彰 | 光文社 | 2018年6月20日 | 9784334043599 |
☆ Extract passages ☆
よく町おこしに欠かせないものとして、「ワカモノ、バカモノ、ハグレモノ」が挙げられます。その町に古くから住んでいる人が、自分の町のよさを改めて認識するのは難しい。いままでとは違った目で見ることのできる人となれば、若者、ばか者、はぐれもの(あるいは余所者)が必要になってくるというわけです。
いま地方でおらが町の魅力を見つけるために、外国人をアドバイザーにしているところがあります。ただの山あいの田圃となだらかな丘陵にしか見えない風景が、異国の人の目にかかると、別の価値を放ち始めるのです。
東京郊外のただの小高い山にしか見えなかった高尾山が、外国人にはエキゾチックに見えるらしく、大変な人気スポットになり、今度はその評判を聞いた日本人観光客がこぞって訪れるようになりました。
(池上 彰 著 『知の越境法』より)
No.1557『芸は人なり、人生は笑いあり 歌丸ばなし2』
よく笑点を見るので、その司会ぶりはやはり名人だと思っていました。でも、残念ながら、2016年5月22日までその司会を務められ、その後もときどき笑点などで見ていましたが、残念ながら2018年の7月2日、お亡くなりになったそうです。
この本は、2018年6月7日発行ですので、もしかすると最後の本になったのかもしれません。
この本の『後生鰻』という落語に、歌丸さんの奥さんの冨士子さんが出てきますが、よく三遊亭円楽さんが話題にします。でも、ほとんどマスコミにも出ないので分からなかったのですが、歌丸さんより4歳年上で、同じ横浜真金町の出身だそうです。つまりは、幼なじみみたいなもので、悪口をいいながらもいい夫婦だったようです。
この本のなかには、落語の合間に「噺のはなし」というコーナーがあり、落語の解説だけでなく、その落語についての自分の思いなども書かれていて、とても興味深く読みました。
たとえば、『小間物屋政談』の後の「噺のはなし」では、「初演は1980年、あたくしが長らく独演会をしていた三吉演芸場でした。でもその時は、お客さんの反応が芳しくなかった。噺が硬すぎるように感じて、それで自分でお蔵人りにしてしまった。長いことそのままになっていましたが、朝日名人会のプロデューサーに勧められて、また演じるようになりました。噺百遍といいますが、何度も高座にかけるうちに見えてくるものがあるんですね。噺の無駄がわかり、客席の反応を見てよくなっていったんだと思います。」と書いています。
この噺百遍という話しを聞いて、私は毎回違う話しをしようと心がけていたのですが、むしろ、同じ話しをすることによって、見えてくるものがあると知り、とても参考になりました。そして、落語というのは、このような本で読むよりは、直接、演芸場の雰囲気のなかで味わうものだと思いました。
やはり、本からでは、あの独特の話しぶりや間の取り方、声の調子などが伝わってきません。だから次は、なんらかの音源でゆっくりと聞いてみたいと思いました。
下に抜書きしたのは、『ねずみ』の後の「噺のはなし」に出ていたものです。
ところは仙台で、甚五郎利勝という彫り物細工物で名を残した方の話しです。歌丸さんは、この甚五郎物が好きだそうで、その理由も書いています。
これらの話しを読んでいると、あの笑点での優しい司会ぶりが見えてくるようです。ご冥福をお祈りいたします。そういえば、このお悔やみの話しも、『長命』という落語に出てきました。
(2018.9.7)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
芸は人なり、人生は笑いあり 歌丸ばなし2 | 桂 歌丸 | ポプラ社 | 2018年6月7日 | 9784591159224 |
☆ Extract passages ☆
甚五郎物の好きな理由は、人情噺でありながら、必ず噺の中盤で奇跡のような展開が起きるところ。奇跡といっても、唐突に起きるわけじゃありません。甚五郎という、その名を全国に知られた彫り物師の、奥に秘めたような力がここぞという時に発揮されて、奇跡のような出来事が起きる。
『ねずみ』は貧しい親子の噺ですが、屈託のない少年とのやりとりもなんともいえず味わい深い。
(桂 歌丸 著 『芸は人なり、人生は笑いあり 歌丸ばなし2』より)
No.1556『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』
私は美意識を意識しているわけではないのですが、好きなので、出かけたところにたまたま美術館や博物館などがあると、観てしまいます。今年の6月下旬に東北の旅をしたときも、4日間でしたが、毎日1ヵ所美術館をまわりました。
だからなのか、この本を見つけたときには、ほとんど迷うことなく、読むことにしました。副題は『経営における「アート」と「サイエンス」』で、ほとんど経営感覚はないのですが、ただ美意識という語彙に惹かれただけのようです。
でも、読んでみると、たとえば、ヘンリー・ミンツバーグの本に出てくるそうですが、「ミンツバーグによれば、経営というものは「アート」と「サイエンス」と「クラフト」の混じり合ったものになります。「アート」は、組織の創造性を後押しし、社会の展望を直感し、ステークホルダーをワクワクさせるようなビジョンを生み出します。「サイエンス」は、体系的な分析や評価を通じて、「アート」が生み出した予想やビジョンに、現実的な裏付けを与えます。そして「クラフト」は、地に足のついた経験や知識を元に、「アート」が生み出したビジョンを現実化するための実行力を生み出していきます。」といいます。
たしかに、今までは、どちらかというと「サイエンス」や「クラフト」が重要視されていましたが、それ以前は、「クラフト」だけだったようです。それが、最近では、「アート」も必要だということで、この本が書かれています。
この本では、いくつもの裏付けのようなことを書いていますが、その中でもおもしろいと思ったのは、ミシガン州立大学の研究チームの話しで、それはノーベル賞受賞者、ロイヤルアカデミーの科学者、ナショナルソサエティの科学者、一般科学者、一般人という5つのグループに分けて、それぞれに「絵画や楽器演奏等の芸術的趣味の有無」について調べたのだそうです。その結果は、「ノーベル賞受賞者のグループは、他のグループと比較した場合、際立って「芸術的趣味を持っている確率が高い」ことが明らかになりました。具体的には、ノーベル賞受賞者は、一般人と比較した場合、2.8倍も芸術的趣味を保有している確率が高かったんですね。ちなみにノーベル賞受賞者のグループほどではないにしても、高水準の実績がないと参加できないロイヤルアカデミーとナショナルソサエティについては、それぞれ1.7倍と1.8倍となった一方で、一般科学者のグループについては、一般人との違いはほとんど見られませんでした。」と書いてありました。
そういえば、私の友人の科学者も、趣味はバイオリン演奏ですから、出かけるときにはいつもバイオリンをかかえていったといわれるアインシュタインの姿とダブります。今年の3月の退官のお祝いの席で、その演奏を聴きましたが、さすがオーケストラでも演奏したといわれるだけの力量を感じました。
下に抜書きしたのは、エリートには哲学が必要だということです。たしかに、イギリスなどに行くと、植物園のリーダーたちは、自分たちの考え方がしっかりしていて、将来のことまで考えています。
ところが、日本では哲学とか宗教学とか、土台となる教育が欠けているので、考え方そのものが浅いような気がします。だから、大きな企業でさえも、考えられないようなコンプライアンス違反をしてしまうのかもしれません。ほんとうに、なぜ、という疑問しか浮かばないのですが、その組織のなかにいると、知らず知らずのうちに朱に染まってしまい、慣れてしまうようです。
だからこそ、今の時代だからこそ、美意識とか哲学とか、さらには文学とかが必要だと思いました。
(2018.9.6)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?(光文社新書) | 山口 周 | 光文社 | 2017年7月20日 | 9784334039967 |
☆ Extract passages ☆
システムの内部にいて、これに最適化しながらも、システムそのものへの懐疑は失わない。そして、システムの有り様に対して発言力や影響力を発揮できるだけの権力を獲得するためにしたたかに動き回りながら、理想的な社会の実現に向けて、システムの改変を試みる。
これが現在のエリートに求められている戦略であり、この戦略を実行するためには、「システムを懐疑的に批判するスキル」としての哲学が欠かせない、ということです。
(山口 周 著 『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』より)
No.1555『生命のバカ力』
この本の題名は『生命のバカ力』ですが、パソコンで文字を打ち出すと「バカ力」は、本当は「バカ力(ちから)」なのですが、「バカカ(バカか)」と言われているような気になります。そこで、この本では、『生命(いのち)のバカ力(ぢから)』と仮名を振っています。これだと、誰も間違うことはありませんし、副題は「人の遺伝子は97%眠っている」で、それだけでなんとなく書かれている内容が見えてくるような気がします。
今では遺伝子情報のほとんどがわかってきていますが、その遺伝子のすべての働きまでわかってはいないようで、ただ眠っているだけなのか、もうすでに使われなくなっているのか、それなどもわからないといいます。よくわからないので、ジャンクと表現する研究者もいるそうですが、ほんとうにがらくたなのかどうか、それも疑問だと著者はいいます。
ただ、この分野の研究はまさに日進月歩ですから、この本が出版されて15年ほど経っていて、現在とはすこしかけ離れたところがあるかもしれません。それでも、たとえば、「遺伝子に書かれていないことは、どんな天才にもできません。しかし、遺伝子に書かれていることなら、どんな凡人にも可能です。その潜在能力を、なんらかのきっかけでONにすることができるなら。そして、その可能性は、誰もが等しくもっています。私たちの能力とは、新しく身につけるものというより、もともともっているもので、問題は、それをいかに目覚めさせるかだと思います。人間の遺伝情報には、まだ90〜97パーセントもの不明部分があるのだから、どんな潜在能力が眠っているか、想像もできません。無限に近い力が、私たちの内部には眠っているはずです。少なくとも、私たちが頭で「こうであればいいのに」とか、「こうあってほしい」と考える範囲のことは、ほとんどが可能になると思います。環境の変化や外からの刺激だけでなく、心のもち方や精神的な作用によっても、眠っていた遺伝子を目覚めさせることができます。」と書いていますが、そうであれば、凡人にもかなりの可能性がありそうです。
そして、むしろ、あまりにも知識がありすぎると、それに縛られて新しいことができないともいいます。ソニーの創業者である井深大氏に著者が聞いたことがあるそうですが、ソニーを世界的な企業に育てられたのは玄人だったからではないかと話してくれたそうです。
そういえば、私もそれに近い話しをうかがったことがありますが、ある建設会社の社長さんは、大工さんでなかったからこそ大きな会社にできたといいます。これも素人だからこそ、大工さんなどの、多くのひとたちの声にも耳を傾け、自分の経験に縛られなかったからこそ、自由な発想ができたのではないかと思います。
また、研究費にも自腹を切るということも、なるほどと思いました。すべて人任せでは、最後まで責任はとれません。研究費を捻出するために、生命保険をかけ、自分を担保に差し出してこそ、命をかけられるのです。
下に抜書きしたのは、著者の祖母がよく、「天に貯金する」という話しをしてくれたそうですが、この農家のタネまきのたとえも話してくれたそうです。
今の時代は、たとえば林業などもそうですが、自分が木を植え、子も育て、その成果を孫が受け取るというような気の長いサイクルでは動かなくなってきています。自分がタネを蒔いて、自分がその収穫もしなければ満足しないようです。
そのような短いサイクルでは、できないこともありますから、もい少し長いスパンで考えることも大切だと、この本を読み、感じました。
(2018.9.3)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
生命のバカ力(講談社 +α新書) | 村上和雄 | 講談社 | 2003年7月20日 | 9784062722032 |
☆ Extract passages ☆
農家の重要な作業の一つに、ふせ込みというのがあります。春に種をまくためには、冬のあいだに土に堆肥などの栄養分を十分に与えておくことです。大きな収穫を期待するなら、十分なふせ込みをしておかなければなりません。これを怠けると、満足な実りを得ることができません。
人生も同様で、いまはどんなに苦しくても、将来の収穫のための準備を怠ってはいけないということを、祖母は「天に預けておく」という表現で私を諭していたのです。
(村上和雄 著 『生命のバカ力』より)
No.1554『学ぶ脳』
前回読んだ『絶対にミスをしない人の 脳の習慣』のなかに、著者は、電車に乗って「ボーっとしている」時間が大切だと書いていました。それを、「電車でボーっと脳内整理」と表現し、ボーっとしている時間も脳は動いているし、電車のなかだと他の人から話しかけられることもないし、電話に出ることもない、余計な雑念を遮断できるから、理想的なところだといいます。
それを読んでいたとき、この『学ぶ脳』を見つけ、その副題が「ぼんやりにこそ意味がある」でした。つい、手にとって読み、自宅に戻ってからゆっくりと読みましたが、なかなか難しい内容でした。
それでも、副題通り、「実は脳は刺激を受け行動をしている時にだけ活動するわけでなく、一見休んでいると思われる状況(安静時)でも活発に活動していることが分かっている。しかもその脳活動では、脳のいくつかの領域がネットワークを形成して活動し、そうしたいくつかのネットワークが互いに協調したり、切り替わったりしている。」と書いてありました。
しかも、日中に脳が消費するエネルギーの半分以上は、安静時の脳の活動で消費されているというから驚きです。つまり、エネルギーから考えても、ぼんやりとていることがいかに大切かがわかります。
この本のなかでおもしろいと思ったのは、子どものときはたくさんの疑問を大人たちにぶつけていたのが、だんだんと年を重ねるにしたがってその疑問を解いた他図ことが少なくなります。この本では、その理由を「不確定な状態、すなわち疑問を持つような状態は、ストレスとして捉えられるという脳研究がある。この結果から示唆されることは、人は大人になるにつれて、疑問を持つ状態を回避しようとして、分からないことには触れないようにする、「知らないことを知らない」とする態度が知らず知らずのうちに備わってくる。そのために自ら不確定なことや分からないことを認めることになる疑問を発するという行為が減るのではないかと考えられる。大人になって学びの意欲が減ったり、創造性が低くなったと感じるのは質問力の低下が原因であるが、それはさらに深いところでは、「知らないことを知らない」とすることで無知を認めるというストレスを避ける、長年の学びの結果であると考えられる。」と書いています。
つまり、質問するのが恥ずかしいからではなく、疑問を持つことがストレスで、そのストレスを回避するために知らないことを脳が関知しなくなるということです。でも、考えてみると、このほうが問題で、だからこそ、意識的に疑問を持つようにして、その疑問を解こうとしなければならないのではと思います。
下に抜書きしたのは、マルチタスクは意外と効率がよくないと書いてあるところです。
私も、昔はラジオを聞いたりして勉強をしていたのですが、このようにはっきりと効率が悪いといわれれば、そうかもしれません。そういえば、前回の『絶対にミスをしない人の脳の習慣』にも、なるべく1つのことに集中するとミスは少なくなるとかいてありました。
でも、今でも私は、演奏だけのCDはよく聴きながら本を読んだり、書いたりしています。でも、このような難しい本は、音楽を聴きながら読めるようなものではなく、何度も繰り返し読んでも、わからないところはありました。
(2018.8.31)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
学ぶ脳(岩波科学ライブラリー) | 虫明 元 | 岩波書店 | 2018年4月5日 | 9784000296724 |
☆ Extract passages ☆
歩きながら携帯電話を操作し、メールをチェックしながら食事を取る人もいる。しかしマルチタスクの状況は脳の働きからすると、実はあまり効率の良い使い方ではないことが分かっている。なぜなら、マルチタスクの際には、脳はそれぞれの課題の間を早く切り替えているに過ぎないので、注意に盲点が生じることと、また、切り替わった際には再度課題に対応するには十分な脳の準備ができていないため、シングルタスクの時よりもパフォーマンスが低下しやすいからである。
(虫明 元 著 『学ぶ脳』より)
No.1553『絶対にミスをしない人の 脳の習慣』
たまたま図書館にあったので、借りてきて読みました。著者は精神科医だそうで、そういう意味では、参考になることもあるかな、と思ったのです。
でも、絶対にミスをしない、なんてことはあるはずもなく、人間のすることに絶対という言葉はないと思っています。でも、やはりミスはしたくないので、最後まで読みました。ではそのミスの原因は何かというと、この本には、「集中力の低下」「ワーキングメモリの低下」「脳疲労」「脳の老化」の4つしかないといいます。
私は本を読むと、必ず気に入ったところをメモするので、このメモが集中力を高めると知り、なるほどと思いました。その理由はというと、「「書く」ことによって、脳幹の網様体賦活系(RAS)が刺激されるためです。RASとは、いうなれば、私たちの脳内における「注意の司令塔」です。RASから大脳皮質全体にノルアドレナリン系、セロトニン系、アセチルコリン系神経が投影され、注意と覚醒をコントロールしています。」ということだそうです。やはり、専門的な網様体賦活系(RAS)などという用語を使われると、何となく納得する部分とそれって本当かなという半信半疑です。でも、本を読んでメモをとることを50年以上も続けていると、良いとか悪いとかというよりも、半ば習慣化しています。
この文章の前に、「メモを書くことで、集中力が高まるので、その瞬間の「聞き間違え」の可能性が減ります。加えて、記憶力も高まるので、メモを見なくても、そこに書いた内容を長い期間にわたって覚えている確率が高まるのです。」とあり、これはすぐに納得しました。
やはり、自分がつねに体験していることは納得できますが、脳の内部のことになると、その知識がないせいか、納得するのに時間がかかります。
著者は、そのプロフィールのなかで、月20冊以上の読書を大学生のころから30年以上継続しているとありますから、相当な読書家です。私もこの『本のたび』を書いてから、13年ほど経っています。今回でNo.1551ですから、簡単に計算すると月10冊程度です。でも、若い時はもっと読めましたが、それでも月20冊まではいかないと思います。
この本でも、本を読むことはワーキングメモリの鍛錬になると書いてありますから、これからも少しばかり視力が衰えても読書だけは続けていければと思っています。
そういえば、何か大変なことや腹ただしいことがあったとしても、「笑い」で水に流すといいと書いてあります。その根拠は、「科学的に言うと、「笑い」によって、交感神経優位から副交感神経優位に切り替わるのです。つまり、「リラックス」作用です。交感神経優位の状態では、アドレナリンが分泌されています。それが副交感神経に切り替わると、アドレナリンのスイッチがオフになる。つまり、感情が整理されて、きれいさっぱり忘れられる、ということです。」とあります。
このことも、さても参考になりそうで、あまり深刻に考えずに、笑い飛ばすといいようです。
下に抜書きしたのは、スタンフォード大学で行われた研究です。
たしかにこの本でも1日7時間は睡眠をとりなさいと書いていますし、自分の体験からもそうだと思います。この本の最後のところで、究極のストレス発散法は運動と睡眠です、と書いてあります。
そういえば、最初に書いてあったミスの原因の「集中力の低下」「ワーキングメモリの低下」「脳疲労」までは、この睡眠と深く関わっています。
(2018.8.28)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
絶対にミスをしない人の 脳の習慣 | 樺沢紫苑 | SBクリエイティブ | 2017年10月17日 | 9784797393736 |
☆ Extract passages ☆
スタンフォード大学で行われた、男子バスケットボール選手を対象とした興味深い研究があります。10人の選手に40日間、毎晩10時間ベッドに入ってもらい、日中のパフォーマ
ンスの変化を記録しました。80メートル走のタイムとフリースローの成功率を毎日記録したのです。同大学のバスケ部には、セミプロレベルの運動能力の高い選手が集まっていた
ため、睡眠時間を増やしても目立った効果は出ない、と予想されました。
しかし実際は、2週間、3週間、4週間と時間が経過するごとに、すべての選手のパフォーマンスは改善し、最終的には80メートル走のタイムは0.7秒縮まり、フリースローは0.9本、3点スローに関しては1.4本(10本中)多く入るようになったのです。
また、反応時間(集中力)を調べる検査でも、選手たちは「すごく調子がいい」「ゲーム運びがよくなった」とパフォーマンスが改善され向上しているのを実感したのです。
(樺沢紫苑 著 『絶対にミスをしない人の 脳の習慣』より)
No.1552『名言の真実』
ほとんどの人が一度は聞いたことがありそうな名言が、実はまったく違う意味だったり、本人がそのようなことを話してもいないのに名言として伝わっていたり、名言には裏側があるといいます。
そのようなことが「はじめに」に書いてあったので、これはおもしろそうだと思いました。
たとえば、よくマスコミが使う「ペンは剣よりも強し」という名言は、「直接的な暴力の手投を持っていなくても、偉大なる統治者=権力者がペンで書いたサインひとつで暴力を抑え込めるということ。要するに、軍隊より、軍隊に命令できる政治家のほうが強いということだ。」と解説しています。
どうも、今の世の中を見ているようで、あまりにも当たり前過ぎるようです。権力者の側近が忖度し、いくら周りでいろいろと騒いでも、最後はそのまま押しつぶしてしまうのですから、やはりペンのほうが強いということです。
そういえば、今年の6月下旬に青森に行き、そこからレンタカーで金木町の斜陽館に行きました。太宰治といえば、「二十世紀旗手」の副題として使われた「生れて、すみません」というのが有名ですが、この本によると、この言葉を考えたのは詩人の寺内寿太郎で、そのいとこの山岸外史が友人であった太宰に話し、それを拝借したというのが真相らしいです。それで寺内は山岸に猛攻撃をし、今度は山岸が太宰に指摘し、謝罪したそうです。でも、つまりは太宰のものとして現在も伝えられているのですから、寺内も悔やんでも悔やみきれないのではないかと思います。
この本では世界の偉人の名言も取りあげていますが、よく、山登りの方が使う「そこに山があるから」登るのだという言葉も、どこにでもある山ではないそうです。「そこに山があるからだ」と言ったのはジョージ・マロリーですが、アメリカの雑誌の取材を受けたときに、「なぜ、あなたはエベレストに登るのですか?」という質問を受け、「そこにそれがあるからだ」と答えたそうです。つまり、エベレストという特別な山に登ることについての問答で、そんじょそこらの山ではなかったのです。
しかし、日本では、「そこに山があるからだ」という禅問答のような使い方がされるようになりました。でも、この言葉は、ほんとうにマルリーが発言したという映像の記録が残っていないので、もしかすると、記者がこのように伝えたのが一人歩きしている可能性もあるそうです。
また、古い名言では、古代ローマの風刺詩人であるユウェナリスの健全な精神は、献膳な肉体に宿る」という語句も、まったく違う意味だそうです。一般には、「身体が健全であれば、健全な魂が宿る」というような意味で使われますが、じつはこの本には、「原典には「健やかな身体に健やかな魂が願われるべきである」と書かれている。つまり、「健全な肉体に、健全な魂が宿ればいいのになぁ」という願望であり、実際には「そうでないことが多い」という意味なのだ。その証拠に『風刺詩集』のなかでユウェナリスは、この言葉の前に、美しい肉体の持ち主が不倫に走るなど、健全な肉体に不健全な精神が宿った例を列挙している。」と書いてありました。
つまりは、そうではないからこそ、そうあってほしいという願望の言葉が生まれたようです。やはり、ユウェナリスは風刺詩人だということです。
下に抜書きしたのは、室町時代の世阿弥の能楽書「花鏡」に載っている「初心忘るべからず」です。初心というと、どうしても最初の気持ちという限定的な意味で考えますが、実はすごく深い意味だと、この本で知りました。
ぜひ、下を読んでみて、考えてみてください。
(2018.8.25)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
名言の真実 | 出口 汪 監修 | 小学館 | 2018年4月21日 | 9784093885997 |
☆ Extract passages ☆
世阿弥は「ぜひとも初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず」と、3つの初心があると述べている。
@若いころに失敗や苦労の末に会得した芸を忘れなければ、そこから上達した芸のありようも正しく認識できる。A年齢に応じたその時々の芸を学び、それをはじめて学んだときの境地を忘れなければ、芸の幅が広がる。B体力が衰えてきた老後には、その体力に見合う芸を学ぶ姿勢が必要だ。いまだ自分は未熟で未完成であると考えれば、芸は後退せずさらに向上すると世阿弥は説く。芸道の厳しさや奥深さを教えているのだ。
(出口 汪 監修 『名言の真実』より)
No.1551『日本の美徳』
このお盆に読もうと思っていたのですが、次々と読みたい本が出てきて、つい後回しになってしまいました。ほとんどが瀬戸内寂聴さんとドナルド・キーンさんとの対談で、第5章の「人を許せる人」と第6章の「運命の糸に導かれて」だけがそれぞれが書いたものです。
しかもお二人は同い年だそうで、96歳です。長生きすれば、それだけいろいろな経験を重ねていますから、お話しも弾みますし、含蓄のある言葉も出てきます。
たとえば、瀬戸内寂聴さんの「その昔、宇野千代さんが長生きしたいと努力なさっているのを見て、「なんでそんなに長生きしたいんですか?」とお訊ねしたら、長く生きると、秋に木の葉がはらりと自然に落ちるように、命が尽きる。痛くないし、苦しまない。「だから私は長生きしたいのよ」とおっしゃったのが頭にあるんです。若いと、まだ本当は死ぬ命ではないから、身体が逆らう。それで苦しいんだそうです。だから私も、生ききって、はらりと落ちる。それがいいなと思って。」と話され、なるほど、ただ長生きをしたいというのではなく、痛くなく苦しまないために長生きするというのもあり、だと思いました。
やはり、ものは考えようです。ただ、何をしたいというよりは、何らかの大きな目標なり目的があったほうが良いようです。そうすると、目指す方角がはっきりして、進みやすくなります。
ドナルド・キーンさんは、第6章の「運命の糸に導かれて」のなかで、「未来を担う子どもたちへ」という題で、3つのことをアドバイスしています。
先ず1つは、読書をすることで、なるべくならすぐれた日本文学を読むことを薦めています。そのなかでも、古典を読んでほしいといいます。それも難しい原文からではなく、読みやすい現代語訳でいいといいます。
そして2つめは、外国簿を学ぶことを薦めています。自分の国を知るためにも、外国語を学ぶことが大切で、日本をより深く知ることになるといいます。
そして3つめは、旅に出ることだといいます。とくに多感な時期に旅をすると、それがたいへん貴重な体験になると書いています。そして自分も父親に頼んで9歳のときにフランスの出張に連れて行ってもらい、言葉が通じず、とても残念な思いがしたそうです。それで、フランス語だけでなく、日本語や中国語など、8〜9ヵ国の外国語を学ぶきっかけになったそうといいます。
やはり、その場に立ってみてわかることがあり、それが実体験になるから、それこそ生きた学習になります。
下に抜書きしたのは、ドナルド・キーンさんが戦時中に体験したことで、この体験が日本文学を研究するきっかけになったとご本人も述べています。
これは、日本語学校を卒業した後で、ハワイで奥州した文書の翻訳をさせられたとき、その奥州された木箱のなかに日本兵が書いた日記が見つかり、翻訳したのださうです。その当時、アメリカでは、兵士はどんなことがあっても日記をつけてはいけないと言われていたことをこれで知りましたが、これを読んでなるほどと思いました。でも、作家の日記は、瀬戸内寂聴さんによると、「いつか活字になって誰かに読まれることを、どこかで意識しているはず」といいますから、ある意味、作家の日記は文学作品といえるのかもしれません。
(2018.8.23)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
日本の美徳(中公新書ラクレ) | 瀬戸内寂聴、ドナルド・キーン | 中央公論新社 | 2018年7月10日 | 9784121506245 |
☆ Extract passages ☆
日本軍の兵士の日記には、当人が日々本当に感じたことが書かれていました。日本にいるときは、「軍議旺盛なり」などと勇ましいことを書いている。ところが、船が南方に向かい、しばらくしてから隣の船がアメリカの潜水艦にやられ、初めて恐怖を感じるんです。すると日記の調子も変わってきます。南太平洋の島に到着すると、食べ物もないし、水もほとんどありません。そのうえみんな次々とマラリアにかかり、毎日のようにアメリカの空爆がある。極限状態に置かれた人の心情が書かれていたり、お正月に豆が十三粒あり、三人でどう分けたらいいのか、といったことも書いてありました。
私は、初めて日本人の心に接したと思いました。そして、涙を禁じ得なかった。
日記には、戟争そのものに疲れ果てた人の告白もあったし、敵であろうとも人は殺せないと書いた兵士もいた。あらゆる告白がありましたが、ある意味でどんな文学より私の心に深く訴えかけるものがありました。
(瀬戸内寂聴、ドナルド・キーン 著 『日本の美徳』より)
No.1550『日本という不思議の国へ』
著者は、東北学を提唱したことでも有名で、1992年東北芸術工科大学の助教授になったことで、山形ともつながりがあります。著者紹介を見ると、現在は学習院大学教授や福島県立博物館長などをしているそうです。
私にとっては、やはり東北学を提唱したことの印象が強く、2011年の東日本大震災のときには、その復興構想会議委員などをつとめられ、被災地を訪ね歩き、公演
シンポジュームなどをおこなったようです。
この本は、外国人の日本旅行記から見えてくるものを中心にまとめていますが、そういえば、『植物学者モーリッシュの大正ニッポン観察記』を読んだときのことを思い出しました。モーリッシュは植物学者ですから、日本の植物などを通して日本を見ていますが、この本では民俗学者や人類学者、さらには写真家などの目を通して日本を見ると、あらためて異質な日本が見えてきます。おそらく、日本人では気づかないような、外国人だから気づいたというようなことが、いろいろと指摘されています。
たとえば、第1章のパーシヴァル・ローエルの「日本人は場所を賞でるだけではなく、また時を賞でる」と書いています。著者も、「たしかに、われわれの古典的な美意識のなかでは、ある場所は日の出に、月夜に、春に、秋に、と訪れるべき時が決まっている。もっとも眺めのよい場所には茶店があり、やさしい娘がいて茶や菓子を運んでくる。男たちはみな詩人となり、たがいに即興の詩や歌を披露しあって楽しむ。自然の美しさはいわば大衆化されており、「私一人の楽しみ」は求められない。」といいます。
ということは、西欧のように美は貴族などの限られた人たちの独占物ではなく、広く大衆化されているということです。誰でもが楽しめる日本人独特の美意識だと強調しています。このことは、ヨーロッパの美術館に行けば、すぐ理解できます。ほとんどが国王や貴族たちの住まいなどに飾られてきたものです。
ところが日本では、美は物より風景などのとらえどころのない意識が中心です。だから、そこには金銭もそんなには必要なく、美を感じる心があればそれでいいわけです。
また、第4章のセース・ノーテポームは、和菓子について、「和菓子でどれほど美しい展示物が作れるかという、美のクライマックスにほかならない。溶けてなくなってしまう芸術品の、その場かぎりの美術館。」とまで激賞しています。
著者によると、ノーテポームは別のところで、「商品の包装について、とても洗練されたパフォーマンスであることが指摘されている」そうです。つまり、和菓子だけではなく、その包装についても芸術品だといいます。だから、「この国ではしばしばそうであるように、美は細部に宿っている」という言葉が出てくるのです。
たしかに、私も和菓子が大好きなので旅に出ると必ずその地の銘菓を買い求め、お抹茶を飲むのですが、本当にきれいだし、とても美味しいです。その包装も凝っていて、竹皮に包まれていたり、和紙に包まれていたりします。まさに、これこそが日本という感じがします。
下に抜書きしたのは、第7章「生きられた縁側と庭から」で、エマニュエル・マレスの文章です。
日本人でも、庭師の仕事は知っていると思いますが、ここまで踏み込んで考える人は少ないと思います。しかも、自らの体験から述べているので、とても説得力があります。
私も京都の庭を観るのは好きですが、作庭の舞台裏まで思いを巡らすことはありませんでした。これから、庭を観るときには、参考にしたいと思います。
(2018.8.21)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
日本という不思議の国へ | 赤坂憲雄 | 春秋社 | 2018年7月20日 | 9784393424599 |
☆ Extract passages ☆
掃除を体験したことによって、私の庭の見方は大きく変わった。基本的には高いところから低いところへとゴミを集めるので、手帯で地面を掃いていると庭の全体の構造とその地形、微妙な高低差までわかってくる。また、普段なら絶対見えない石の裏も覗くことができる。石を据えた人がどの部分を見せ、どの部分を隠すことにしたのか。大変な時もあったけれども、こうして舞台の裏を垣間みることができた。
(赤坂憲雄 著 『日本という不思議の国へ』より)
No.1549『日本百銘菓』
お盆であちこちからお菓子をいただきますが、これは食べたことがない、というのは意外と少ないようです。
ということは、いただくお菓子が毎年恒例になっていたり、自分が好きでないと無難な菓子を選んでしまうのかな、と思っています。
私は、知らないところに行くと、必ずそこの銘菓を食べたいと思い、だから抹茶や茶筅なども持っていきます。最近は、旅向きの小さな抹茶碗を持って行くことも多くなりました。6月下旬の東北の旅も、駅近くのお菓子屋を訪ね、気に入った菓子を買い、抹茶を点てて、それと並べて窓際で写真を撮ったりします。そういう意味では、この本の著者と似たようなものかもしれません。
「はじめに」にも書いてありますが、深田氏の『日本百名山』の百になぞらえているそうですが、山と違い、お菓子は全国どこにでもあり、その数は相当数あります。だとすれば、そのなかから、百を選ぶのはとても大変そうですが、どこかで区切りをつけなければ選べません。そこで、著者は、第1章では「死ぬまでに食べたい絶品銘菓15」、第2章「原点を伝える逸品銘菓20(上)」、第3章「原点を伝える逸品銘菓20(下)」、第4章「迷わず選びたい出張土産10」、第5章「歴史・風土が生きる伝統銘菓15」、第6章「知る人ぞ知る実力派銘菓10」、第7章「「和洋折衷」が楽しい新感覚銘菓10」第8章「唯一無二のユニーク銘菓10」、第9章「本当は教えたくない我が偏愛銘菓10」、です。
最初からこのような区分けをすれば、その基準で選ぶわけですから、なんとかなりそうだと思いながら読みました。
おそらく、この本に出てくるお菓子の半分以上は食べたことがあるようです。若い時には、食べたお菓子をピックアップしていたのでかなり正確でしたが、40歳代からは菓子辞典の後ろの索引に○印をつけるだけにしたので、いささか不明瞭です。
でも、車で通っていても、美味しそうなお菓子やさんのところにはほとんどまわって買いますし、行くと決まれば、その辺りの銘菓を調べて行きます。だから、行ったところの銘菓は、ほとんど食べていると思います。
下に抜書きしたのは、昨年3月に伊勢参りをしたときに赤福本店に行き、そこで名物の「赤福」を食べたことを思い出しました。
この赤福の名の由来は知らなかったのですが、ここに書いてあり、なるほどと思いました。それと、羊羹などの棒状のものを棹物といいますが、それについても、練り羊羹は小豆と寒天と砂糖を混ぜ、煮詰めて練り上げたものを大きな羊羹舟といわれる容器に流して固めてつくるそうです。ある職人に言わせると、「舟には棹が付き物だからではないか」と話してくれたそうですが、たしかにそれも粋な名づけ方だと思いました。
この本を読んで、まだ食べてないもののなかで、ぜひ食べてみたいお菓子をノートにピックアップしました。ネットで調べると、通販もできるところがありますから、もう少し暑さが和らいできてから、とってみたいと思っています。
(2018.8.18)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
日本百銘菓(NHK出版新書) | 中尾隆之 | NHK出版 | 2018年7月10日 | 9784140885550 |
☆ Extract passages ☆
宝永四年(1707)、伊勢神宮の内宮前にて創業した。白い餅は川底の小石を、女性職人が指先で入れる三筋の餡は、五十鈴川の流れを表現している。歯応えがほどよい餅に、きめ細かで滑らかな小豆のこし餡。いつ食べてもうっとりする。それが門前茶屋のにぎわいをつくり、土産銘菓としても不動の人気を保ち続けている理由だろう。
「赤福」の菓名は、赤子のような真心で自分や他人の幸福を慶ぶ意味の「赤心慶福」に由来する。
(中尾隆之 著 『日本百銘菓』より)
No.1548『カラー新版 ネコを撮る』
お盆でバタバタとしているので、どこで本を閉じても、どこからでも読み始められて、さらにこの暑いときでも頭をあまりつかわずに読めるもの、と考えてこの本を選びました。
今、読み終えて、その選択が間違っていなかったと思います。
カラー版なので写真もきれいだし、ネコの思いもかけないショットがあり、暑い中でも楽しく読み、眺めることができました。
でも、先ずはネコを探して、すぐに撮影すると思っていたら、人間の撮影と同じように挨拶が大事だと知り、ビックリしました。著者は、「「おはようございます」撮影よりも先に僕がすること、それが挨拶だ。まず、出会った住人に必ず挨拶。そして、そばにネコがいるようなら、まずは飼い主の了解を得てから、かたわらに佇むネコたちに挨拶。世界中のどこに行っても変わらず、これが撮影に先だって初めにすることだ。さらに外国では、もうひと踏ん張り。その国の言葉で「私は怪しいものではありません」と紙に書いてもらうこともある。詰も弾むし、これが意外に効果的だ。」といいます。
たしかに、大の大人が地面に寝そべってネコの写真を撮っていると、やはり疑われやすいと思います。だから、スペインでは、そんなにネコが好きなら、持って行けと手渡されそうになったこともあるといいます。そのようなとき、言葉の通じない外国では、手書きのメモも大切なコミュニケーションの手段です。
それよりなにより、ネコを探して歩くと、「健康になれる。モデルネコを探すには、ひたすら歩く。どこにネコがいるのか、それを知るために、街を隅々まで歩く。知らず知らずのうちに、本格的なウォーキングをしているようなものだ。おまけに、歩くことによって街のでき方や歴史に至るまでわかってくる。城下町なら城下町のよさがわかってくる。何より朝の空気は気持ちがよい。ネコを撮るということは、知らず知らずに健脚になり健康にもよく、街を知るということでもある。」といいます。
たしかに、私も花を探しながら歩くと、しらないうちに、すごく歩いていることがあります。最近は万歩計をつねに持って歩くので、それも記録していますが、海外だと2万歩も歩くときがあります。まさに好きだからこそ、勝手に探しながら歩いてしまうようです。
では、プロとアマチュアの違いは何かというと、著者は、「シャッターチャンスは1日に何回もあるわけではないし、1週間の取材でもおそらくシャッターチャンスは、2回か3回あるかないかだ。シャッターチャンスに撮れるか撮れないかというのが、プロとアマチュアの差かもしれない。そのシャッターチャンスを逃したら、もうプロとしては失格だ。そのシャッターチャンスに1週間という時間を費やしているのだから。」といいます。
でも、私はそのシャッターチャンスそのものも、プロは引き寄せてしまうような気がします。あるいは、アマチュアは、そのシャッターチャンスをシャッターチャンスとは思わないということもありそうです。やはり、プロとアマチュアの違いは大きいと思います。
下に抜書きしたのは、ネコを見たときに興奮したとしても、それを言葉で表現するのはなかなか難しいですが、写真だとその興奮を形にとどめることができます。
そういう意味では、写真の表現力はスゴイと思いました。そういう気持ちで、もう一度この本を見てみると、たしかにその興奮が伝わってくるようでした。
たかがネコの写真ですが、ネコ好きはたくさんいそうなので、このような本が出版されるのもうなづけます。
(2018.8.15)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
カラー新版 ネコを撮る(朝日新書) | 岩合光昭 | 朝日新聞出版 | 2018年5月30日 | 9784022737717 |
☆ Extract passages ☆
ネコを見たときに、興奮したりする。ライオンだったら、その興奮はさらに倍増する。これは、普通の感情だ。
「だから、どうでしたか?」
「いや、すごかったですよ」
「どうすごかったんですか?」
「とにかくすごかったですよ」
なんて、言葉にできないヒトも多いが、自分が何を感じたかというのが写真になれば最高なのだ。言葉で言い表せないことも写真ではできるだろう。
自分が何を見たか、何を感じたか、それが写真になる。
(岩合光昭 著 『カラー新版 ネコを撮る』より)
No.1547『人は、老いない』
何ごと3回、お盆が近いからというわけでもないのですが、今回も「老いる」についての本を読みました。つい、手にしたような感じで、頭のどこかに「老い」が迫ってきているのかもしれません。
しかも、題名の『人は、老いない』ということに、なんとか希望を見いだしたいと思っているのかどうかですが、それはいくら考えてもできない相談です。人は必ず老いて死ぬことに決まっています。むしろ、生まれたときから死に向かって歩いてきたともいえます。
そういえば、この本のなかで、「老後を考えるようになることで、目が自分の方だけに向いてしまい、外に目を向けたり、人のために何かをするという方向に向かわなくなってしまう。それこそが、老後を意識することの弊害だ。そして、自分のことだけを考えることは、かえって自分の人生を危うくする。人のために動き、尽くしてこそ、人は自分のために動き、尽くしてくれるからだ。」と書いてありましたが、私の少ない経験からだけでも、老いてくると、自分のことしか考えられないような気がします。
だから、自分だけはそうはなりたくないと思って、この本を読み始めたのではないかと、あとから思いました。
この本にも書いてありますが、「老いるということは、しだいに自分の力だけでは生きていくことが難しくなり、誰かの力に頼らなければならなくなるからである。人に頼らざるを得なくなったとき、相手がこころよく世話を焼いてくれるには、頼る側がどういった人間であり、どんな人間性を持つかが問われる。誰だって、性格の悪い人間の世話はしたくない。不愉快な思いしかしない相手では、とてもつきあってはいられない。」と思うのは当然です。してもらうのは当然、というような態度では、誰でもイヤになってきます。
もし赤ちゃんだったら、あの天使のようなほほえみを返されれば、ほとんどの人は喜んでなんでもしようと思うはずです。もし下の世話であっても、ほとんどの人は汚いという気持ちより、早くすっきりとさわやかにしてあげたいと思うはずです。
でも、それが老いてきてそのようなことになれば、やはり汚いという気持ちのほうが先行すると思います。仕方ない、と思いながらすると思うんです。
だからといって、すべての人が赤ちゃんのようなかわいらしさを具えているかというと、そうではありません。むしろ、少ないと思います。
だとすれば、どうすればいいかというと、この本では、「何らかの形で尊敬される人間になる」ことが必要だといいます。つまり尊敬に値する人間であるかとうかが、老いたときにこころよく世話を焼いていくれるかどうかにつながるというわけです。
でも、これはそうとう意識的に自分をそのようにもっていかないと、いつの間にか自分中心にものごとを考えるようになりそうです。この辺りが、老いるときの気持ちの持ち方のようだと思いました。
下に抜書きしたのは、ほとんどの人が老いてくると、時間をもてあますといいます。でも、それでは、せっかく長生きできるようになった意味がありません。
それを少しでもなくすのが、やはり好奇心です。そのことについて書いてあるので、もし興味があれば、ぜひ読んで見てください。
(2018.8.12)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
人は、老いない(朝日新書) | 島田裕巳 | 朝日新聞出版 | 2017年6月30日 | 9784022737236 |
☆ Extract passages ☆
隠居後の生活を、ただの余生にしてしまうのか、それとも第二の人生としてそこに新たな道を見出していけるのかは、好奇心の有無で決まる。
好奇心は、持とうと思って持てるものではない。持たなければならないと思ったときには、すでに好奇心は自分のなかから失われてしまっている。
好奇心は、実は積み重ねである。一つのことをなしとげたとき、その先がはじめて見えてくるからだ。
本を書くという作業に当てはめれば、1冊書き終えると、次に書くべきことが見えてくるのだ。書かなければ、その次のテーマは見えてこない。
扉を開けば、次の扉があるわけで、開かなければ、その前にたたずんで、無為な時間を送るしかない。
(島田裕巳 著 『人は、老いない』より)
No.1546『歳を取るのも悪くない』
前回が『科学者が解く「老人」のウソ』ということもあり、このつながりで読むことになりました。私も、ときどきは歳を取るのもいいものだと思うことがあり、それでつい手にしたようなものです。
では、何がいいのかというと、世間の常識から少しずれても歳だから仕方がないと思ってもらったり、イヤなことは体調が悪いからと言って断ったり、究極は忘れてしまったというのですが、これはなかなか信じてもらえないようです。
だから、養老さんの歳を取ったら何がいいのかにも関心はありました。もし可能ならば、それを使おうという下心もあったようです。しかし、それは各人、それぞれに違うようで、同じように使えるとは限らないと思いました。それでも、たとえば、ルールに関しては、「今でもルールなんていつ破ってもいいと思っています。そう思わされたのは、やっぱり
教科書に墨を塗った経験をしたからかもしれないね。都合が悪ければ墨を塗ればいいってことは、誰かの都合でできたルールも、都合が悪ければ変えればいいってだけの話でしょ。」といいます。
つまりは、あまりに固定観念でがんじがらめになるより、自由に考えることも大事だということでしょう。そして、自分の経験から、学生運動のときにも、こんなことと思っても、精一杯のことをしてきたといいます。そのときのことを振り返って、「今にして思えば、学生運動が激しくなって、我関せずって逃げ出した人たちは、その後、ろくな目にあっていない気がする。その場は逃げ出すことができても、そのあと、もっと大きな問題にぶつかっている。問題や対立から逃げる人は、次に同じ状況になったときにも逃げるでしょう。いつまでたっても逃げ続ける。つまり、学ぶ気がない。今いる場所で学んでおけば、どこにいっても学べると思えるようになる。つまり、目の前のことを必死にやっている限りは、自分が育ち続けるし、変わり続けます。」と言い切ります。
私もその学生運動の真っ最中に大学にいたのでわかりますが、ここから何が生まれるのか、ちょっとわかりませんでした。だんだんと暴力的になり、それが新たな潮流になるとは考えられませんでした。暴力は、さらに暴力を生み出し、その連鎖のなかで、すべてが空しく感じられてきました。
でも、今考えると、それもあの時代のひとつの表現で、今の我関せずという姿勢よりも、少しは良さそうな気がします。
そういえば、この新書がなぜ「ラクレ」というのか、このシリーズを何冊かは読んでいるのですが、今まであまり気にも留めませんでした。でも考えても分からないので、そのままにしていたら、最後のところに「ラクレ」とはフランス語でla clef=鍵という意味だそうです。ここの説明では、「情報が氾濫するいま、時代を読み説き指針を示す「知識の鍵」を提供します」と書かれていました。
下に抜書きしたのは、先ずは身体を動かすことが大切だということについての話しです。この前段で、著者の養老さんが東大で教えていたときに感じたことで、子育てというのは身体を使わせて知識を身につけさすことが必要だといいます。このことは、やはり医者としての卓見だと思いました。
(2018.8.10)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
歳を取るのも悪くない(中公新書ラクレ) | 養老孟司・小島慶子 | 中央公論新社 | 2018年6月10日 | 9784121506276 |
☆ Extract passages ☆
子どもは感覚から入るから、体を動かさないと何も始まらないですよ。障害児の教育をやっている人なら、よく知っています。体が動かないからといって、じっとさせたままだと育ちません。無理にでも歩かせて、自力で移動できるようにするというのが第一です。動けるようになると、驚くべきことに、言葉が出てきます。昔は動けないと寝かせておいたけれど、今は身体をベルトで吊るしたり、負荷を軽くするようにして、動かすようにする。そうすると、次の段階に入れます。
僕たちにとっては当たり前のことだけれど、ちょつと動けば、世界が変わるでしょ?赤ちゃんは生まれたばかりのときに上を向いて寝ているけれど、寝返りができるようになって、それからハイハイで移動するようになると、世界が変わる。それが脳にも入ってくるわけですよ。また動けば、また変わる。自力で動いて、絶えず世界が変わるフィードバックがないと、脳みそは訓練されません。体を使って動いたら、どんどん刺激が入ってきて、外界を理解しょうとする。子どもに体を使わせろというのは、そういうことです。
(養老孟司・小島慶子 著 『歳を取るのも悪くない』より)
No.1545『科学者が解く「老人」のウソ』
自分が古稀になり、正真正銘の老人になったのですが、なんとも実感が湧かないのです。まだまだやりたいことが、次々と出てきて、落ち着かないのです。
それで、この本を見つけ、「科学者が解く」という枕詞に誘われて読み始めました。
著者は、「寿命」には3つの原則があり、
(1).経験数一定の法則で、"死のスイッチ"が入る
(2).子供のために親の"死のスイッチ"が入る
(3).仲間に貢献しないと"死のスイッチ"が入る
というもので、"死のスイッチ"というのが、なんともおどろおどろしい感じですが、なんのことはない、それが寿命だということです。とくに(3)はなるほどと思いましたが、人というのは誰かのために何かをやったときにアドレナリンが出て、生きる喜びが湧いてくるといいますから、まっとうな意見です。
著者は、人生を2つに分けて、50歳までを第一の人生とし、「生物的に意味のある人生」としています。だから、「時には他人を蹴落としたり、出し抜いたりすることもあるのです。また、子供も高校、大学進学など学業やスポーツなどに励まなければならない時期ですので、家族として協力して全力を注がなければなりません。つまり、自分の健康、家族の健康、仕事、勉強、出世、持ち家のための借金……などすべてについて全力を挙げる時期なのです。だから、ちょっとした体の不調などでもドキッとしますし、ある意味ですべてが緊張感をもっている人生の時期であるのが第1の人生の大きな特徴です。」と書いています。
だからこそ、第二の人生は、仲間に貢献することが大切だとしているのかどうかはわかりませんが、50歳を過ぎれば生物的に生きるというよりは、人間として生きるという意味合のようです。私は、そういう意味では、還暦が新しい生き方をするいいきっかけではないかと考えています。
考えてみると、この世の中は、いろいろな意味で生きにくくなってきたようにも感じられます。経済だけではなく、環境問題などもそうです。今年の夏は猛暑というよりは、気象庁では「暑さの災害」とまで言い切っています。しかし、人間はあまりにも快適な環境では、むしろ寿命は短くなるかもしれません。
この本では、「無菌環境で育てたマウスは通常の環境に置くと病気にかかりやすいという実験結果があります。私たちの体も、無菌状態に近い生活が続くと、病気に耐えられなくなるのではないでしょうか。私たちを取り巻く環境には、バイ菌と呼ばれる細菌、ウイルス、有毒物質、発ガン性物質などが身の回りにあります。それらの有害物質や人間の目から見ると有害に見える生物と関係しながら、私たちは生きています。極端に言えば、細菌やウイルス、有毒物質、発ガン性物質がないと、私たちは生きることができないというぐらい、相互の関係は密接です。」と書いています。
だからといって、単純に環境問題とこれらのことを同一視はできないでしょうが、少しは類似性がありそうです。そう考えれば、こんな時代でも、なんとか生きて行けそうな気がします。
下に抜書きしたのは、50歳過ぎの第二の人生で、健康にも不安を感じる年代ですが、そのときに気をつけたいこととして書いてあります。その方法がユニークで、自分の身体に「大切」だと言い聞かせることだそうです。
つまり、自分自身を元気に保つための1つの方法ですが、この自分に言い聞かせるという考え方は意外と効果がありそうです。ぜひ、自分でも声がけをやってみたいと思いました。しかも今日は2018年8月8日、八の末広がりの日です。
きっと、声がけも届くと思います。
(2018.8.8)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
科学者が解く「老人」のウソ | 武田邦彦 | 産経新聞出版 | 2018年4月13日 | 9784819113342 |
☆ Extract passages ☆
「大切だ」と言い聞かせる方法は、まず「柔軟体操、軽い体操、関節の運動」などで必要性を訴えることです。次に、体がコラーゲンとヒアルロン酸を作るための原料がなければダメです。その原料は何かというと、簡単に言えばアミノ酸などですから、肉と糖です。最近は糖尿病になるからと心配して糖分を摂らない人がいますが、糖はヒアルロン酸に必要です。肉と糖がないと、膝と腰を守るための"長い鎖″が作れないのです。
よく肉の好きな老人は元気だと言われますが、若い時より老人になってからの方が、良質の栄養が必要で、節約や粗食はあまりお勧めできません。
(武田邦彦 著 『科学者が解く「老人」のウソ』より)
No.1544『昆虫たちの不思議な性の世界』
この本は、孫と夏休みの旅行で東京に行き、葛西水族館と上野の科博の「昆虫展」などを見て、読みたくなった1冊です。
どちらかというと、昆虫よりは植物のほうが好きなのですが、わが家の孫たちは、それに似たのか、どうも昆虫は苦手のようです。でも、ある方から「昆虫展」の招待券をいただき、それで見たのですが、孫は思いの外楽しかったようです。私も、昆虫たちの奇想天外の生き方に興味を持ちました。
副題は「進化するムシたちのラブストーリー」で、研究者としての目の付け所がユニークで、読み進めることができました。そして読み終えてから、この本が3,800円+税と知り、図書館から借りてきてよかったと、改めて思いました。発行は一色出版で、発売元は悠書館で、どちらもあまりなじみのないところです。だから、出版部数も少ないので、しかも研究者の発表のための本みたいで、おそらく読者数も限られているのではないかと思いました。
でも、だからこそ、このようなしっかりした本は、図書館でそろえて、それがとてもおもしろかったら、次は自腹で買えばいいわけです。
編者の「あとがき」に、「私たち執筆者はみな、子供の頃から昆虫が大好きでした。しかし、昆虫の何がそんなに魅力的だったんだっけ? 立派なツノのかっこよさ、色とりどりの模様、いつまでも見飽きない不思議な行動、大事に飼うと増えていくのも楽しかった。そうか、昆虫の楽しさに共通するキーワードは昆虫の「性」の多様さだった!そこで改めて自分たちが今どんな研究をやっているのか思い出してみると、なるほどそれは昆虫の性に深く関わることばかり。そうか、僕らは実は昆虫の性を研究していたんだ、よし「昆虫の性」をテーマにしてみよう!――こんな風にして本書はできました。」と書いてあり、先ず昆虫が好きだったことが昆虫研究者として最優先のことだと思いました。だから、このような一見地道な研究でも、続けてこられたのではないかと感じました。
とくにビックリしたのは、昆虫には真逆の生殖器があるという記述で、「トリカヘチャタテのメスは、オスに乗りかかり、ペニスをオスに挿入して精子を受け取るのである。何故このようなオス・メスの役割が逆転した交尾がおこなわれるのであろうか?トリカヘチャタテのオスは、交尾の際に精子だけでなく栄養カプセルもメスに渡すのである。この栄養カプセルの生産はオスにとって大きな負担となるため、結果としてオスはメスに比べ交尾行動がおこないにくくなった。つまり、オスに比べれば負担が軽いメスの方が交尾に積極的になることで、オス・メスの役割が逆転した交尾行動が生じたのである。」と書いてありました。
なるほど、どんなに変わっていても、それなりの理由があると知り、ビックリはしましたが納得しました。おそらく、人間も、しらないだけで相当変わっている人もいるかもしれませんが、それだって、何らかの理由がありそうです。昆虫を知るということは、ある意味、人間を知ることにもつながるような気がしました。
今回見た「昆虫展」でも、ヤンバルテナガコガネの「ホロタイプ標本」が展示されていました。これはヤンバルテナガコガネの基準となる標本ですから、1つの種につき世界に1点しか存在しないそうです。だから、説明にも、管理担当者が最後まで公開をためらったと書かれていました。それを考えただけでも、相当貴重な標本です。
このヤンバルテナガコガネは、現在は国の天然記念物に指定されていますが、生息域の多くが米軍演習地であり、しかもハブの生息地であることから、なかなか調査が進まないようです。
下に抜書きしたのは、編者が「第3章 愛をささやく昆虫たちのことば」の最後に締めくくった言葉です。たしかに、突き詰めて考えてみると、昆虫が鳴くのも、光るのも、匂いを出すのも、すべて相手を求めてのことです。つまり、離れている相手に想いを伝えるためのものです。
そう考えれば、今までのようにお気楽な気持ちで、これら虫たちのことを考えられなくなるかもしれません。
(2018.8.5)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
昆虫たちの不思議な性の世界 | 大場裕一 編 | 一色出版 | 2018年6月30日 | 9784909383037 |
☆ Extract passages ☆
日本の美しい里山風景に趣を添える初夏のホタルや、夏の真っ盛りを告げるセミの大声、秋の夜長をしんみりと彩るコオロギの歌――私たち日本人に季節の移り変わる情緒を伝えるこれらの虫たちも、その虫たちの立場になって考えてみると、身の危険と裏返しの限界まで求愛戦略を進化させた過激な生きざまが見えてくるのである。
(大場裕一 編 『昆虫たちの不思議な性の世界』より)
No.1543『いのりの海へ』
8月1〜2日にかけて、孫と夏休みの旅行に出かけ、その間に読もうと持って行った本です。副題に「出会いと発見、大人の旅」とあり、旅つながりで読もうと思ったのです。
ところが、孫といっしょだと、ケガをさせないようにとか迷子にならないようにとか、一人旅の何倍も気を遣わなければならず、なかなか本も読めませんでした。唯一の時間は、孫が寝てからで、それからゆっくりと珈琲を飲みながら、読みました。
海を描くところが何ヶ所か出てきますが、おそらく、著者が海辺育ちだから、ちょっとした郷愁かもしれません。と思って、後ろのプロフィールをみると、北海道函館市とありました。なるほど、やっぱりそうでした。著者は1944年生まれですから、やはり思い出すのは育ったところです。私も旅に出ていて、帰ってきて、自宅を見ると、なんとなく懐かしく感じますから、長い間、帰ってないとすればなおさらです。
そういえば、6月下旬に東北一周の旅をしましたが、そのとき、青森でレンタカーを借りて太宰治の生家、斜陽館に行きました。この本でもその描写があり、「太宰は明治42年この家で津島家の六男として生まれた。昭和16年、彼は、衰弱した母を見舞うために10年ぶりでこの家に戻る。……ひんやりした畳の感触、大きな仏壇。時間が止まったかのような錯覚が私を襲う。……「斜陽館」は、太宰の過去が白いページから陽炎のように立ち上がるところである。」と書かれていて、この大きな仏壇の前に私も座り、この家の重さを実感しました。
そして、太宰治が生まれたという部屋で、太宰が書いた『斜陽』の文庫本を持って自撮りしたことなども思い出しました。
また、この本の「あとがき」に書いてあった「老いることによって得た孤独の特権」というようなものも感じました。この歳になっての一人旅は、時間からも自由になれて、そこそこの旅立つ勇気も少しは残っています。新しい経験は、自分と真正面から自分に向き合う時間でもありました。
そういえば、今月25日と26日に行く予定の別所温泉の北向観音のことも書いていますが、25日は善光寺にお詣りし、翌26日にここをお詣りする予定になっています。ここには、「長野善光寺は未来往生を、ここで現世利益を祈願すると、その願いが叶うとされ」とあり、ほんとうにそうなれば有り難いと思いながら読みました。また。ここ別所温泉には、安楽寺というお寺に、鎌倉時代末期に建造された国宝の八角三重塔があるそうで、一見すると四重に見えるそうですが、初層は庇なので、やはり三重塔だそうです。
たまたま読んだ本に、これから行く予定のところの名所などが書かれていると、やはりまわりたくなります。ある本を読み、昔は長野善光寺と別所の北向観音を対にしてお詣りしたとありましたが、現世と未来のことだったようです。
下に抜書きしたのは、前回読んだ三浦綾子著『一日の苦労は、その日だけで十分です』につながるもので、この本では「三浦文学の聖地 旭川」という題で書いてある部分です。
この三浦綾子記念文学館は、旭川駅の近くにあり、亡くなる前年の平成10年に旭川市民を始め、多くの読者によって建てられたそうです。そこを訪ね、帰りの飛行機までの時間を美瑛まで足を伸ばしたときのことを書いていますが、やはり人を育む環境というのもとても大事だと思いました。
(2018.8.2)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
いのりの海へ | 渡辺憲司 | 主婦之友社 | 2018年3月15日 | 9784829208601 |
☆ Extract passages ☆
出発の飛行機までの時間、美瑛に車を走らせる。どこまでもまっすぐの道。見渡す限りに広がる平原。広大な自然が育む生きることへの愛の恵みを思う。
大地のいのりがこの地に鼓動している。「愛は寛容である」と聖書の一節が浮かんで来るような光景であった。
(渡辺憲司 著 『いのりの海へ』より)
No.1542『一日の苦労は、その日だけで十分です』
この著者の本は何冊も読んでいますが、そのどこかに、7年間も脊髄カリエスでギブスベットに寝ていて、寝返り1つもできなかったときのことが思い起こされる部分があるように思います。しかもその脊髄カリエスは肺結核の併発から発病したもので、その期間を入れると13年だそうです。しかも24歳で発病したのですから、相当な苦痛があったと思います。
そして、それを乗り越えたからこそ、その後の生きざまがあったと思うのです。この本のなかで、旭川在住の優佳良織の織り元、木内綾さんのことを書いた「痛い目に遭っても」という文章のなかで、「人生には往々にして意地悪がひそんでいるものだ。結婚しょうとした直前に病気になったり、善意が悪意に取られたり、思わぬ妨害にさらされたりする。だが木内さんのように、意地悪をされたことに対して、感謝する思いがあふれたなら、これはもう人生の達人と言える。私は改めて木内さんの仕事を思ってみた。あの深みのある優佳良織の色は、こうした思いが織りこめられているのではないだろうか。すばらしい仕事をする人は皆、挫折、失望、中傷等々痛い目に遭っているのかも知れない。」と書いています。
たしかに、いろいろなことを乗り越えたからこその高みがあるはずです。それが意地悪や挫折などがひどければひどいほど、そこからの高みはさらに高く感じられます。
でも、著者のように、長い闘病生活と、その間の洗礼で強い信仰心が芽生え、夫婦でクリスチャンで強い信仰心をお持ちだからこそ高みに登れたともいえそうです。さらにさまざまな病気になりますが、大腸ガンのときの文章も、なるほどと思いました。
それは、「がんという病いを得ることで、人はハッと立ち止まり、命は限りあることを思い出し、生のなんたるか、とう生きるべきかを、考えることができます。死を思うことで生を考え、生をみつめることで、命あるものに等しく与えられる「死」というものを受け入れられるようになる。そのような機会が与えられたと思うと、病いもまた神の恵みなのだと、私は素直に受け取ることができたのでした。」という文章で、これこそが信仰心により支えられたのではないかと思いました。
よく仏教徒でも、人は生まれたときから死に向かって歩いているようなものだといいますが、ほとんどの人は、なんらかのきっかけがないとなかなかそうは思えません。その意味では、ガンという病気は、その大きなきっかけになります。
これは、クリスチャンとか仏教徒とか、ある特定の宗教だけの話しではなく、すべての信仰心がきっかけになり得ると思います。そうでなければ、そのような宗教は似非宗教です。
下に抜書きしたのは、コップも使い方で値が変わることについて話してくれたところです。おそらく、お母さんは、どんな人でも人のお役に立つのだと伝えたかったのではないかと思います。
私の場合は、よく、コップの形について、どこから見るかによって変わるという話しをします。また、このコップの話しは、中味の多い少ないなどの話しとしても使えそうです。
(2018.7.31)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
一日の苦労は、その日だけで十分です | 三浦綾子 | 小学館 | 2018年4月25日 | 9784093886185 |
☆ Extract passages ☆
私は23歳の年から肺結核を患い、長い療養生活を送ることになった。そんなある日、母が私の枕もとでこんなことを言ってくれた。
「綾ちゃん、コップ一つでも使い方によって値が変るんだって。水を入れたら水呑みでしょう。花を入れたら花瓶でしょう。痰を入れたら痰コップになるでしょう」
私はなるほどと思った。その頃私は、来る日も来る日もギプスベッドに寝たっきりで、おそらく暗い顔をしていたのではないだろうか。
(三浦綾子 著 『一日の苦労は、その日だけで十分です』より)
No.1541『Q&Aでわかる中国人とのつき合いかた』
ここ数年、毎年中国に行く機会がありますが、中国の方たちとつき合うと、あれっ、と思うこともあります。やはり、なかなかなじめないこともあります。
でも、彼らのそぶりを見ると、そんなにこだわっていない様子なので、彼らにしては当たり前かもしれないとも思います。そんなとき、この本に出合いました。
しかも、中国人と日本人のコラボ本のようで、どちらの気持ちも書かれています。しかも、Q&A形式なので、とてもわかりやすく、そのほとんどが正解でした。つまり、意外と中国の方たちの考え方が理解できているということです。これは、ほんとうにうれしかったですね。
たとえば、「あなたは、中国人エンジニアは食事の時間が近づくと、どうして仕事に集中できなくなると思いますか。」という設問で、「A 中国では昼食を提供する飲食店が少なく、遅い時間帯に行くと食べられないから。」と、「B 中国人は健康な体を維持するのには、食事がだいじと考えているから。」の2つから答えを選ぶようになっています。このときの答えは、Bだそうです。
その理由は、「中国には昔から、「民は食を天(一番大切なもの)とする」という慣用句があります。つまり、人びとにとって食べることは何よりもだいじなのです。生産性が低
かった昔はもちろんのこと、今でもこれは守られています。80年代までは、友だちどうしのあいさつは、「ご飯食べた?」でした。以前は「生活は大丈夫?」という気づかいを示し、昨今では 「食事の時間だよ。ちゃんと食べた方が体にいいよ」と確認し合うのです。」と書いてありました。
そういえば、始めて中国に行った30年以上前には、お昼時になると、すぐに近くの食堂に入り、食事を1時間以上もかけてしていました。今は、毎年同じ運転手ということもあり、ある程度昼食の時間に遅れても、行程に合わせたり、美味しそうな食堂を探したりしています。ときには2時間以上遅れても、そんなにイライラはしないようです。しかも、時間的な余裕がないときには、30分程度で昼食をすまし、その代わり夕食に時間をかけたりします。この設問のように、食事は大事なことだと思っているようです。
そういえば、奥地に行くと、ほとんど冷たい飲みものはないのですが、この本に、「中国人に大きな影響力をもつ漢方医学は、生食や冷たいものは体を冷やし、体に負担をかけるので、避けるべきと考えています。中国人は夏でも温かい飲み物を飲みたがり、ビールも冷やして飲む習慣がない理由がここにあります。」と書いてあり、なるほどと思いました。
でも、日本人は夏に生ぬるいビールは飲みたくないそうで、氷をもらって入れた方がいましたが、あまり美味しくないということでした。
そういえば、この本に、飲食店の「準備中」のことが書いてあり、確かにそうだと思いました。それは、準備中という札が下がっていれば、中国人などは「只今一生懸命支度中」と思ってしまうといいます。まさか、準備中が「本日休業」の意味だとは思いもしません。また、「空港内では喫煙をご遠慮ください」や「館内では撮影をご遠慮ください」という婉曲な表現も、なかなか理解できないそうです。
この「ご遠慮ください」というのは、ほとんどの日本人なら「禁止」とほぼ同じように考えますし、禁止と書くより、なんとなくやわらかい言い方になり、つい使ってしまいます。
この他にも、いろいろな違いが載っていて、とても興味深く読ませてもらいました。
下に抜書きしたのは、中国の人たちの大げさな言い方です。やはり、「白髪三千丈」の世界だと思いますが、このように中国の方に説明されると、それはそれで納得できました。もちろん、あの広大な大地に住んでいるわけですから、気持ちも大きくなるというわけでしょうが、なんとも日本人の私にはすんなりと理解できそうもありません。
ただ、異文化を理解するように、わかろうとする気持ちは大事だと思いました。抜き書きした部分の……のところに、中国で使うたとえが書かれているのですが、簡略体の中国語とピンインなのでここに掲載することはできなかったので、ご了解いただきたいと思います。
(2018.7.28)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
Q&Aでわかる中国人とのつき合いかた | 本名信行・羅華 | 大修館書店 | 2018年4月20日 | 9784469213690 |
☆ Extract passages ☆
その一つの理由は、モノは大きいほうが価値があるという中国人の考え方です。家や車はなるべく大きいものを買い、贈り物も大きいものを選びます。大きいものがよいという考え方は、実体のあるものにかぎらず、人の性格や雰囲気などにも当てはまります。たとえば、心が広い人や大きくて立派な建物などをはめるときに、「大気」(器が大きい)という言い方をします。
また、中国人が大げさな言い方を好むもう一つの理由は、はとんどの聞き手がその「真意」を分かっているからでしょう。……話す側は意図を鮮明に伝えるため、物事のスケールを大きくする方法を使います。聞く側はそれに応じて、拡大された核心を把握するに留まらず、話し手の気持ちも感知します。
(本名信行・羅華 著 『Q&Aでわかる中国人とのつき合いかた』より)
No.1540『植物のひみつ』
この著者の本は、何冊か読んでいますが、植物のすごさが伝わるような書き方をしていて、なるほどと思いながら読んでいます。この本の副題は、「身近なみどりの"すごい"能力」で、あえてみどりとした意味があまりよくわかりませんが、もしかするとジャガイモやバナナも取りあげているからかもしれません。
この2つの他に、ウメ、アブラナ、タンポポ、イネ、アジサイ、ヒマワリ、キク、イチョウ、の10種類を取りあげ、詳しくその"ひみつ"を説くという設定です。
でも、この10種類は、いずれもおもしろい植物たちで、おそらくたとえ1種類だけでも1冊の本が書けそうです。
これらのなかでも、たとえばウメの項目にあった梅干しはなぜアルカリ食品なのか、ということについても、その事実は知っていても、なぜと問われるとわからない方も多いと思います。梅干しは、とても酸っぱいのになぜアルカリ食品なのかというと、この本には、「「ある食品が、酸性であるか、アルカリ性であるか」は、味で決められるのではないのです。その食品を燃焼させたあとに残る物質で、決まることになっています。梅干しを燃やすと、"酸性"といわれるクエン酸は残りません。梅干しが燃えたあとには、カルシウムやマグネシウム、カリウムなどが多く残ります。これらの物質は、アルカリ性をもたらすものなのです。そのため、からだをアルカリ性にするという意味で、梅干しはアルカリ性食品といわれるのです。」とわかりやすく書いてありました。
つまり、食品を食べて消化されて身体に残るのは、その燃焼させたあとに残る物質と同じだという考えです。これで、納得です。
春の地元の小学生たちの野外観察では、よく、タンポポをとりあげますが、タンポポの花茎が空胴であるという話しをしていませんでした。でも、考えてみればそれも不思議なことで、この本では、しおれた花が乾燥し、そして空気も乾燥しているタイミングをとらえて、タンポポの花茎が伸びて、綿毛が広がるのですから、「速く高く伸びるためには、栄養分を使って中身の詰まった茎をつくっていては、時間がかかりすぎます。一方、花茎が空洞だと、伸びるために栄養分をあまり必要としません。そのため、敏速に高く伸長することができます。」と書いています。
さらに、「綿毛が風に乗って飛んで行ってしまったあとは、花茎には、何の役割もありません。」から、倒れない程度の空洞でもその役割はできますし、タンポポにも無駄なことになりません。つまり、最低限の役割と最大の効果をねらえば、空洞でもいいということです。
考えてみると、茎が空洞の植物はありますから、早く、速やかに成長する方法として考えれば、納得できそうです。さすが、植物は動けないからこそ、いろいろと考えているといえます。
下に抜書きしたのは、イチョウの葉の黄葉が、毎年、どこでも同じようにきれいな色をしている不思議についてです。
というのは、モミジなどの紅葉は、年により場所により、そのときそのときです。それは寒暖の差や紫外線の強さなど、いろいろによって変化するからですが、黄葉もそれと同じと思っていました。でも、イチョウの黄葉は、ほぼ毎年同じです。しかも、山形でも福島でも、その環境がいくら変わったとしてもほぼ同じです。そのことについて書いてありました。
もし、それって不思議だ、と思う人はぜひ下の抜書きを見てみてください。
(2018.7.25)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
植物のひみつ(中公新書) | 田中 修 | 中央公論新社 | 2018年6月25日 | 9784121024916 |
☆ Extract passages ☆
秋に葉っぱが黄色くなるのは、黄色い色素が新しくつくられるのではなく、すでにつくられて隠れていたものが姿を見せるためです。……
葉っぱの線色の色素は「クロロフィル」、黄色の色素は「カロテノイド」という名前です。緑色のクロロフィルは、光合成に必要な光を吸収する主な色素です。カロテノイドも光を吸収し、その光も光合成に使われます。
クロロフィルは、春からずっと緑色の葉っぱの中で、主役を務めます。……温度がだんだん低くなると、緑色の色素が分解されて葉っぱから消えていきます。そのため、隠れていた黄色い色素がだんだん目立ってきて、葉っぱは黄色くなります。
(田中 修 著 『植物のひみつ』より)
No.1539『蜂と蟻に刺されてみた』
この本の題名に惹かれて読み始めたのですが、もともとの題名は、『The Sting Of The Wild』で、Stingは針などで刺すことですから、あまり刺されてみたというような意味ではなさそうです。
それでも、この研究は2015年のイグ・ノーベル賞を受賞していますから、そういう題名であっても不思議ではなく、この本を読んだあとでは、なるほど、いい題名だと思いました。副題は『「痛さ」からわかった毒針昆虫のヒミツ』です。
では、今までの経験から、ミツバチに刺されて一番痛かったのはと聞かれ、最後のほうで「最悪の経験をしたのは、妻と二人でのんきにタンデム自転車をこいでいたときだ。新鮮な空気をいっぱい吸いたくて、口を大きく開けていた。そこにミツバチが飛び込んできて、私の舌を刺したのである。ものすごい激痛だった。舌を噛んだときよりも痛かった。本当に応えた。どうしようもなく痛かった。ミツバチに刺されてこれほど痛かったことはない。急いで止まって、自転車から降り、石に腰をおろして、両手に顔をうずめているよりほかなかった。永遠とも思える三分間が経過し、何とかまた自転車をこげるようになった。」と答えています。
著書のなかでも、ミツバチに刺されると痛いと何度も書いてますから、相当痛かったようです。最近、日本ではヒアリが海外の荷物に紛れて入ってきたというニュースのなかで、殺人アリなどと表現しているマスコミもありましたが、ミツバチよりも痛くないそうです。しかも、ヒアリの仲間には、小さなヒアリがいて、その巣のわきに自分の巣穴を掘って、隣の巣からエサなどを盗み取りながら生きている「盗っ人ヒアリ」もいるというから、昆虫の世界はいろいろです。
この本で、ニホンミツバチとオオスズメバチの闘いを書いていますが、別な本で読んで感動したことがあります。この本には、オオスズメバチが「すぐそばまで近づいてきたら、すかさず、何百匹ものニホンミツバチの密集部隊が攻撃をしかけ、オオスズメバチの脚や触角や翅などを捉えてがんじがらめにする。そのあと登場するのが、実にみごとな必殺技なのだ。ニホンミツバチはオオスズメバチを刺そうとはしない。そんなことをしても無駄なのだろう。実は、ミツバチには体温調節能力があり、自分で体温を上げることができる。寒さの厳しいカナダや北日本の冬を巣箱の中で越せるのも、この能力があってこそと言える。ニホンミツバチはこの能力を用いて体温を上昇させるとともに、代謝を高めて二酸化炭素を大量に放出し、密集した蜂球の真ん中にいるオオスズメバチを蒸し殺しにかかるのである。蜂球内部の温度は45〜47℃、酸化炭素濃度は3.6%(人間の呼気とほぼ同じ)にまで上昇する。温度と二酸化炭素濃度がここまで上がるとオオスズメバチは死んでしまうが、ニホンミツバチは大丈夫。50℃まで耐えられるからだ。」と書いています。
こうなれば、さすがのオオスズメバチでさえも、死んでしまいます。でも、それでもオオスズメバチはミツバチの巣を襲うといいますから、自然界はまさに生きるための闘いです。そういえば、アフリカのミツバチはゾウの弱点を知っていて、眼とか胴の脇側などを狙って刺針攻撃をして、ゾウを追い出すといいますから、すごいものです。そのことを覚えたゾウは、もう二度とその巣には近づいて来ないそうです。だからアフリカの農民は、耕作地をぐるりと囲むようにハチの巣を作らせて、農作物や人間をゾウの被害から守るといいます。
やはり、自然はどこかでバランスをとっているようで、そのバランスを少しでも崩すと、おかしな方向に進みかねないと思いました。
では、最強の毒針を持つアリはいうと、サシハリアリだといいます。下に抜き書きしたのは、そのことについて書いてあるところですが、最強に君臨すると、結局はそのサシハリアリ同士が敵対するということが、とても興味を引きました。まるで、人間同士みたいです。
でも、考えてみると、そうだからこそ、最強がいつまでも最強であり続けることができないということにもなります。そして、着かず離れずが一番よさそうです。
(2018.7.22)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
蜂と蟻に刺されてみた | ジャスティン・O・シュミット 著、今西康子 訳 | 白揚社 | 2018年7月2日 | 9784826902021 |
☆ Extract passages ☆
サシハリアリはなかなか素晴らしい生活を送っているようにも見えるが、すべてがうまくいくわけではない。人間の場合と同様、サシハリアリの最悪の敵はサシハリアリ自身かもしれない。時折、コロニー間で大戦争が勃発し、敵対する十数組が死闘を繰り広げるのだ。その結果、巣と巣の距離がしだいに離れていく。エアガン用ターゲットにあいたBB弾の穴のようにランダムではなく、巣と巣がみな等間隔になっていくのである。コロニー問の距離が20メートルを切ると、それ以上離れている場合に比べて死亡率が有意に高くなる。コロニーの平均寿命はわずか2.5年だが、寿命を締めている最大の要因はこのコロニー間の戦闘なのである。
(ジャスティン・O・シュミット 著 『蜂と蟻に刺されてみた』より)
No.1538『園芸少年』
最近は小説を読まなくなったな、と思いながらも、この本の題名だけで選びました。すると、これが小説でした。しかも、著者は、『非・バランス』で第36回講談社児童文学新人賞を受賞したそうで、さらに2008年には『Two Trains』で第57回小学館児童出版文化賞を受賞したそうです。
通りでスラスラと読めるだけでなく、サーッと頭に入り込みました。そして読み終わってから、やっぱり小説もいいもんだな、と思いました。
この本の表紙の裏に「空に凜と芽を伸ばす植物の生長と不器用な少年たちの姿が重なり合う、高1男子・春から秋の物語」と書かれていましたが、まさにその通りです。高1男子は3名で、偶然出合うことになりますが、それぞれ個性的ですが、なんとなくある秘密の場所で語り合ううちに園芸部に入ってしまいます。
なんでもそうですが、最初から好きというよりは、関わり合うことでいろいろなことを知り、その関わり合いから好きになってしまうということもあります。人は見た目ではないといいながらも、普通はその見た目で判断します。それでもめげずに植物たちと触れ合うことによって成長し、さらには自然にも関心が向いていきます。
このあたりは、さすが児童文学者の本領発揮です。
大人は忘れて仕舞ったようなことでも、子どもの純な気持ちがあちらこちらにちりばめられています。
でも、小説は、なんとなくコメントのしようがなく、人それぞれだと思ってしまいます。だから、ここにはあまり書きません。
ぜひ読んでいただき、そこから自分なりの感じ方をしてもらえればいいのではないかと思います。
下に抜き書きしたのは、篠崎くんが、今までほとんど関心を示さなかった花たちと関わり合い、知るようになって、いろいろな花たちを知るようになったところです。
知るから関心が広がり、さらにいろいろなことを知るようになるという、そのような雰囲気がよくでている場面です。
先ずは、できるとかできないとかいうより、やってみるということの大切さが、ここにあると思いました。子どもさんにもわかると思いますので、ぜひ親子で読んでみてほしい1冊です。
(2018.7.18)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
園芸少年 | 魚住直子 | 講談社 | 2009年8月7日 | 9784062156646 |
☆ Extract passages ☆
知っている花が増えると、家の近所や通学途中の道路に、急に花が増えた。
もちろん、そんな気がしただけで、前からあったのだろう。でもこれはど花や草がたくさんあるなんて、花壇ができあがっても無反応の生徒と同じように、それまでのおれは、本当に気がつかなかったのだ。
今では歩道や人の庭の花を見るたび、「これはベゴニアだ」とか「あれは黄色のジニアだ」と思う。通りすぎたあとで「今の花はなんだったんだろう」と振り返ることもある。
よく手入れされた鉢や花壇を見ると、嬉しくなった。
(魚住直子 著 『園芸少年』より)
No.1537『行こう、どこにもなかった方法で』
著者の名前は初めて聞きますし、代表を務めるバルミューダ株式会社という名前も初めてです。どのような仕事をしているのかもわからなかったのですが、この本の題名は、なんとなくいろいろなことを予感させてくれたようで、読むことにしました。
やはり、育ちもすごいことですが、17歳で高校を中退してスペイン、イタリア、モロッコなどを放浪するというのもすごいことです。その旅立ちに成田空港で父親が背中を押すようにしてくれたことが、とても印象に残りました。
著者は、このときのことを「結局、あの日が私にとっての巣立ちの日だった。すべての晴乳類は何かに守られ、保護されながら育つ。それをする場所として動物には巣があり、人間には家がある。そこには親と子それぞれの葛藤があり、愛があり、粋がある。しかし子供は、家の外にいる時でも家族に守られているのだ。外をブラブラしている時も、いたずらをしている時も、バイクで走っている時も、どんな時も見えない大きな傘の下にいて、家族に守られている。やがて子供たちは大きな体と判断能力を身につけ、自分の力で生きていくために巣立っていく。」と書いています。
でも、17歳で地中海沿いを放浪したことで、著者は何を得たのかというと、「結局のところ、あの旅で私が手に入れたのは自信なのだと思う。それは、成功する自信とか、何かをうまくいかせる自信ではなく、それ以前の基本的な感覚、自分は生きていけるという感覚だ。行きたい場所を選び、自分の身を心配し、守り、そこまで移動する。たくさんのものを見て、おいしいものも食べている。仕事をしているわけではないが、生きていけているかどうかと言えば、紛れもなく、生きている。」と書いています。
つまり、そのあとで、バンド活動をしたり、独学で製品の設計や製造をやるのも、ほとんどが手探り状態です。それでもなんとなくやって行けたのは、やはり放浪で得た自分自身に対する自信のような気がします。
自信がなければ、何をやっても中途半端です。絶対やれると思うから、諦めないのです。
それでも、この諦めないという著者の姿勢は見事です。並ではないと思います。
そのような性格は、著者自身も認めていますが、親の育て方です。お金があるからとか、ないからとかいう範疇ではありません。なくても海外に出かける母親のバイタリティは見事としかいいようがありません。
下に抜き書きしたのは、スペインから戻ってきて約10年間、ロックスターになろうとしてがんばってきたけれどできなかったときの台詞です。
しかも、そのどん底のなかで結婚をしたわけですから、すごいことです。でも、昔は1人では暮らせなくても2人なら暮らせると言ったそうですが、なるほどと思いました。
(2018.7.16)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
行こう、どこにもなかった方法で | 寺尾 玄 | 新潮社 | 2017年4月20日 | 9784103509417 |
☆ Extract passages ☆
夢が終わるのは、可能性が失くなった時ではない。そもそも可能性は、失くならない。夢は、そのオーナーの情熱が失くなった時に終わるのだ。
人生には、どんなに望んでもできないことがある。本当はもっと早く気づくべきだったかもしれない。私の場合、愚かにも二十代が終わる頃になって初めて気がついた。
(寺尾 玄 著 『行こう、どこにもなかった方法で』より)
No.1536『50歳からの人生術』
この本は、精神科医の著者が長年中高年の心のケアをしてきたことから、「お金・時間・健康」などについていろいろと書いています。
やはり、経験からのアドバイスは貴重なもので、たとえば、趣味は多いほうがいいというのは、なるほどと思いました。著者は、「もし旅行なりスポーツなり、ひとつの趣味、ひとつの楽しみ方しか知らなかったら、それができなくなったときの喪失感は大きいものがあります。しかし、複数の楽しみを知っている人は、「あれがダメなら今度はこれ。それもダメなら今度はあっち」という具合に、上手に乗り換えることができます。……さらに、趣味の種類は、「ひとりでできるもの」と「多人数でやるもの」を持っていると楽しいでしょう。元気なときは多くの人と交わり、それができなくなっても、ひとりでできる趣味を持っている人は、柔軟で、強い「人間力」を持っていると言えます。」と書いてあり、そういえば、私もお茶を始めたのは、そのような理由もあったことを思い出しました。お茶にはお菓子がつきものだし、いくら年を重ねてもできるし、一人で飲んでも、みんなで飲んでも楽しい世界です。しかも、お茶の世界は、まさに日本文化をすべて含むような、奥の深さがあります。
たとえば、茶室という建築物、茶庭などの露地、料理、お花など、さらには道具には木地や竹、焼物、金属、いろいろな素材の組み合わせがあります。さらに季節感も大切なので、春夏秋冬、それぞれにふさわしい道具組があります。まさに、数えれば切りがありません。
この本の中で、なるほどと思ったのは、「キョウイク」と「キョウヨウ」です。「キョウイク」といえば、すぐに教育と思いますし、「キョウヨウ」といえば教養と考えてしまいます。でも、この本によると、「「キョウヨウ」は、今日、したい用事や、しなければならない用事があること。「キョウイク」は、今日、行くところがあること。」だといいます。なんとも言い得て妙な表現だと書いていますので、おそらくどこかからの引用かもしれませんが、いい表現です。
また、副題が「お金・時間・健康」となっていますが、たしかにお金や財産も大切ですが、「知力も財産」だと書いています。ある意味、年を重ねてくると、いろいろな経験もすてきているので、相当な知恵も身につけていると思います。だとすれば、それを生かすようなことも考えれば、50歳からの人生も楽しくなると思います。
下に抜き書きしたのは、笑いが免疫力を高める、そのメカニズムの説明です。
よく、笑いが免疫力を高めるとか、痛みを軽減させるとか、いろいろ書いた本がありますが、そのはっきりしたメカニズムまで触れているものは少ないようです。
これを読むと、50歳からの人生は、よく笑いうことも大切なことで、それが健康にもつながると思います。ぜひ、一生、笑顔ですごしたいと願っています。
(2018.7.13)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
50歳からの人生術(中公新書ラクレ) | 保坂 隆 | 中央公論新社 | 2018年2月10日 | 9784121506115 |
☆ Extract passages ☆
まず、笑うことによって脳内の神経伝達物質のひとつである神経ペプチドがつくられます。次に、その神経ペプチドが、血液やリンパ液を通じて体の隅々にまで行きわたります。すると、NK細胞が神経ペプチドによって活性化されるのです。
その結果として、病原菌やがん細胞が攻撃され、病気の治癒率が高まるとされています。
悲しみや怒りといった感情を自分自身で起こすことは、なかなか難しいものですが、笑いの感情は自分自身でコントロールできると言われています。たしかに、意識的に笑ったり、笑顔をつくつたりすることは、そう難しいことではありません。
(保坂 隆 著 『50歳からの人生術』より)
No.1535『亀屋伊織の仕事』
先月下旬の東北一周の旅では、抹茶や茶碗、茶筅などを持って歩き、泊まったところの近くのお菓子を調達して、お抹茶を楽しみました。たとえば、秋田では、駅ビルのなかにあった三松堂(中通5-7-8)の上生や麩まんじゅう、そして青森ではレンタカーを借りたこともあって、ホテルから少し離れた二階堂(本庁1-6-11)の上生やわらび餅を買いました。
東京に出てきてからは、ミッドナイトタウンの中に入っている虎屋の上生をいただきながら、お抹茶を飲み、ゆったりとした時間を楽しみました。
だから、毎日お抹茶とお菓子は欠かさなかったというわけです。そのような時間を過ごした後なので、つい、この『亀屋伊織の仕事』を手に取りました。
でも、じつはこの京都の亀屋伊織には、苦い思い出があります。というのは、京都で修行していたとき、たまたまあるお寺でお抹茶をいただき、そこで食べた干菓子がとても美味しかったので、それを買いに京都市内の亀屋伊織に行きました。看板がとても小さく、本当にここがお菓子屋さんかと思うような店構えでした。そして、思い切って入ってみると、お菓子はなく、タンスのようなものがあるだけでした。
そこで、お菓子をお願いしたら、今はないということで、体よく断られました。そのことを京都の方に話すと、それは「一見さんお断り」のお店だったそうです。
つまり、しかるべき方の紹介がなければ買えないということです。そこで、あまりにも気分が悪いので、そのあとは一度も行ったことがありません。ちなみに、同じ京都にある笹屋伊織は、山形県内の大沼山形本店にもあり、全国30数カ所に店舗があり、どこでも買えますが、この亀屋伊織は干菓子専門で、このお店しかなく、しかも干菓子だけを扱うので菓子ダンスしかなかったのです。
でも、古くからそのままの形や味なのかというと、実は違うようで、著者は、「こうして毎月私どものお菓子の紹介をさせていただいておりますが、このようなお菓子の意匠や取り合わせは、もちろん江戸期からのものもあるかと思いますが、多くは明治時代に今日につながる基盤ができあがったと考えられます。それは、私どもが創業以来の家を離れなければならないほどに逼迫した時代に私どもと親戚関係にあった画家の今尾景年(1845-1924)と、道具商の松岡嘉右衛門によるところが大きいと思われます。」と書いています。
ということは、これからも姿勢を変えずに作り続けるということは大切でしょうが、いつ何が起きるかわからない時代にはそれなりの考え方を変えないと継続は難しいということになります。今はお茶をする人たちも減っていますし、畳の上に座れないという若者も多くいます。先月に行ったお茶席もイスに座って飲む立礼式しかありませんでした。
つまり、伝統を守るということは、ある意味、変わり続けるということかもしれません。ある菓子職人に聞くと、昔は甘いほうが好まれたが、今はあまり甘いとむしろ嫌われてしまうといいます。なかなか同じものを造りつづけるということは、難しいことのようです。
それでも著者は、「「相変わらず」と申して憚らない私どものお菓子ですが、そこにはさまざまな歴史が沈潜しています。一方で、絶えず巡ってくる季節はいつも新鮮そのもので、私たちの気持ちもその都度新しくなります。私ども作り手と、お客様が、お茶という目的のなかで同じ時代、同じ季節を共有している以上、「相変わらず」は古びることがないと
思っているのであります。」といいます。
下に抜き書きしたのは、干菓子というのはそれを盛るお盆にあげて見栄えがするかどうかが大切です。私もお茶をしているのでわかりますが、それは大きな違いと現れます。
だから、この「お盆が喜ぶ」という表現は、まさにお茶らしい表現だと思いました。私もいつか、どこかの知らないところで、味わった後で、お菓子の銘や造ったところを聞き、これがあの一見さんお断りで食べられなかった亀屋伊織の菓子か、とつぶやいてみたいものです。
(2018.7.10)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
亀屋伊織の仕事 | 山田和市 | 淡交社 | 2011年2月25日 | 9784473036971 |
☆ Extract passages ☆
ところで、私どものお菓子は仕事場で完成するものではないと考えております。お茶席に、二種三種と取り合わせて盛られたお盆が運ばれて、お席全体との調和のなかから何らかのイメージを膨らませていただくことではじめて完成するお菓子であります。私どもの手を離れたお菓子が、それぞれのお席で私どもの想いをこえて育んでいただけるようであるため、やはりお菓子は控えめで、作りすぎてはいけないのだと思います。
「おうちのお菓子やったらお盆が喜びます」
このようなお言葉を頂戴することがございます。私どもにとっては、誠に菓子屋冥利につきる思いがするのでございます。
(山田和市 著 『亀屋伊織の仕事』より)
No.1534『たしなみについて』
この本が最初に雄鶏社から刊行されたのは、1948年2月です。だから、今、たしなみという言葉すらも失われつつあるから新書化されて刊行されたのかもしれませんが、ちょっと時代的な書き方が目立ちます。なんとなく、上から目線を感じてしまいます。
私は、著者の日本的なもののよさを見る目に興味がありますが、だからといって、人を見る目とは違います。先月の26日に太宰治が産まれた斜陽館に行ってきましたが、彼は、その育ちをなんとか普通の人のようにしたいと願いながら酒や薬物に溺れてしまいました。でも、この本には、その上流社会の浮き上がった生活を肯定するような雰囲気があります。たとえば、「お葬式に行くと知らない人だらけです。ぜんぜん知らないならまだしもの事。知っているくせに知らない人達ばかりです。彼等は殆どたのしげにさえ見えます。口先では神妙にお悔みをのべて、悲しそうな顔をして、そうして事実は、「自分は生きでいる」とでも言いたげな、ある種の優越感にあふれて居ます。そして、ともすれば、私自身までその中にひきずりこまれそうになる、……人間とは何という弱いものでしょう。結婚式においてもそうです。心からたのしいのは僅かの人達で、後はただ見物人でしかありません。だまって居ても目はあきらかにお互の品定めをやって居ます。その日は、ほんとうに幸福をねがって居る人の表情ではありません。ああ、ほんとうにいやなものは結婚式とお葬式です。馬鹿馬鹿しいものは社交界です。」と書いていますが、私はそう思いません。
今どき、社交界などというのが存在するのかどうかもしりませんが、葬式や結婚式がこのようなものだとは思いません。本当に寂しいし、本当に楽しいことだってあります。イヤなら出席しなければいいだけの話しです。
それでも、ファッションをいくら整えても、中味が大切だという意見には賛成です。ここでは、「頭は使わなければさびつきます。人間も磨かなければ曇ります。若い頃美男だった人が三十になるとふつうの男になり、四十すぎると見られなくなるのは、みんな自分のせいです。時間のせいではありません。本来ならば、人間は老人になればなる程美しくなっでいい筈です。又実際にそういう例も沢山あります。英国人の中でもことにいいのは老紳士、と昔から相場はきまっていますが、つらつら思えば偶然そうなったのではない様です。」と書いています。
たしかに、私もイギリスには行ったことがありますが、素敵な老紳士はいますが、今は、日本だって同じようにいます。でもここで書いているように、老人になればなるほど美しくなるというのは、相当な努力が必要だと思います。ある程度の経済力も必要です。もちろん、私もそうなりたいとは思いますが、それこそが内からにじみ出てくるものではないかと思っています。モノマネしても、ダメなようです。
下に抜き書きしたのは、お茶や能などの型についての話しです。たしかに型をまず習得しなければ、その先には進めません。もしそれだけの習得がなければ、型を破ることさえできません。
私もお茶をするのでわかりますが、型を覚えてさらにそれにこだわらなくできれば、それはとても楽しい境地です。でも、そこまで行くのが大変なのです。
(2018.7.7)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
たしなみについて | 白洲正子 | 河出書房新社 | 2013年8月30日 | 9784309022086 |
☆ Extract passages ☆
若い人達は、とかく型にはまる事をいやがります。自由であること、――成程それ以上のいい事はない様です。けれども、見渡した所世の中には、型にあらざる物はないと言っても言いすぎではない程、上は宗教から、芸術から、生活に至るまで、型にはまってない物は一つとしてありません。言葉でも、衣類でも、食器でも、法律でも、教育でも、習慣でも、紙でもペンでも。虎の皮を腰にまいたケーブ・マンにならないかぎり、「世の中」という一つの枠は、私達をかたくきつくしばりあげています。それも、たった一人で、人跡絶えた山奥にでも住まぬ以上、そうです。一人でも、人間にあったら、もう其処に一つの約束が出来上ります。それがいやなら、相手を殺してしまうより他ありません。面倒くさいきずなを、こんがらかった糸でも切る様に、ズタズタに切りさかぬかぎり、社会人たる私達は、何といおうと、型にはまらないで暮すわけには行きません。思えば、自由ということは、実に淋しいことであるのです。
(白洲正子 著 『たしなみについて』より)
No.1533『絶景本棚』
旅のなかでも自宅の机の前でも、時間さえあれば本を読んでいますが、知らず知らずのうちに、その本が山のように積み重なっています。
この本は、どちらかというと、本棚の写真集みたいなものです。あまり文章がなく、たくさん積み重ねられた本を眺めるだけです。それが、いかにも自分の本棚をながめているかのようで、不思議な錯覚に陥ります。
もともとは本の雑誌の書斎訪問連載「本棚が見たい!」の書籍化第1弾だそうで、まさに本棚がその蔵書家の世界を知らず知らずの間に語っているようです。
全部で4章に分けられていて、第1章は「百花繚乱篇」で、松原隆一郎、京極夏彦、荻原魚雷、渡辺武信、成毛眞、今尾恵介、幅允孝の7名です。そして第2章は「不撓不屈篇」で、根岸哲也、喜国雅彦、日下三蔵、永嶋健一郎、祖父江慎、細谷正充、宮田珠己、名久井直子の8名です。
そして第3章は「泰然自若篇」で、境田稔信、吉田豪、藤脇邦夫、北原尚彦、春日武彦、松村幹彦、中野善夫、勝峰富雄、加藤文、都築響一、日暮雅通の11名です。第4章は「一球入魂篇」で、鏡明、新井素子、嶋浩一郎、川出正樹、西田薫、近藤隆、鳥海修、森英俊の8名です。ですから、この本で取りあげた人たちは、全部で34名です。
どこの本棚が一番いいかと尋ねられたら、私は一番最初に取りあげられた松原隆一郎氏の螺旋階段を上りながら眺められる本棚と答えます。やはり収容力からいっても、見た目からも、どこに座ってでも本を読むことができるのが、やはりいいと思います。
もちろん、本棚というのは、結果的にそうなってしまったということもありますが、書庫を設計する段階からきちんとしていたほうがいいに決まっています。でも、みんながみな、そうできるわけではないので、いつの間にか積み重なっていたということです。
私のところの本棚も、これと似たり寄ったりですが、それでもどこに何があるかわかるので、自分でも不思議です。
下に抜き書きしたのは、作家で古書収集家の北原尚彦氏の書庫の本棚についての記述です。「本の雑誌」2016年2月号に掲載されたものだそうですが、そのすごさがこの文章からも伝わってきます。
(2018.7.4)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
絶景本棚 | 本の雑誌編集部 編 | 本の雑誌社 | 2018年2月25日 | 9784860114114 |
☆ Extract passages ☆
もうひとつの顔は書庫の本棚だ。五畳半の書庫に隙問なく収められた本棚は十五棹。本棚の上にも古い本と古い雑誌が山と積まれていて、本棚に並んでいない本のほうが多いくらい。ミステリー、ホームズ、ヴィクトリア朝関係、古典SF、レアな文庫、古本研究関係、SF、幻想文学とジャンルごとにわけているらしいが、棚の本は基本的に前後二重、ところによっては三重にも並べているため、本棚裏地図というのをパソコンに作って管理している。もっとも棚の前にも本が山積みで、手前の本すら見えなくなつてきているので、「今後は表地囲も作ったほうがいいかも」と真剣に悩んでいる様子なのである。
(本の雑誌編集部 編 『絶景本棚』より)
No.1532『人生を変える旅』
大人の休日倶楽部パスでのJR東日本のエリアの旅も終わりましたが、この旅で持って行く文庫本を探しましたが、この本も候補の1冊でした。
でも、そんなには読めないと思い、持ってはいかなかったのですが、今、帰ってから読みました。いろいろな人が書いてあるので、途切れ途切れの時間でも、読むことができました。
もともとは1998年9月に旅行仁より刊行された『世界の果てまで行きたいぜ!』と、2000年2月に同じく旅行仁より刊行された『世界が私を呼んでいた!』を再編集して、改題、加筆してできたのだそうです。
編集者の『旅で眠りたい』(新潮文庫)や『スローな旅にしてくれ 』(幻冬舎文庫)などは読んでいましたが、いろいろな旅人の編集されたこのような本は、初めてです。短い文章は、なんとなくダイヤモンド・ビッグ社発行の『地球の歩き方』みたいな書き方でした。それでも、数ページにわたって書いてあるものは、かなり経験豊富な旅の達人で、おもしろく読むことができました。
たとえば、「カルムイク共和国交遊録」のなかに出てくる「エリスタではメルゲンたちにあちこち案内してもらったが、真っ先に連れて行かれたのは、仏教寺院だった。チベット仏教を信仰するカルムイク人の、いわば心の故郷である。そして、市内観光の最後に案内されたのは、カルムイク人のルーツをひもとくカルムイク博物館。ここに来て、それまで漠然としかわからなかったカルムイク民族の歴史が、ようやく見えてきた。」といいます。考えてみれば、もともとカルムイク共和国すら知らないのですから、なるほどと思いました。
そして、メルゲンさんたちの母や祖母はスターリン時代に少数民族弾圧によってシベリア送りになり、さらに海を渡って北海道に行き、一時的に日本に亡命していたといいます。だから、日本人に対して、とても優しかったんだと思い至りました。そのようなことは、日本の歴史教科書にも掲載はなく、ほとんどの人が知らないと思います。だからこそ、海外に出かけてみるという価値もあります。
そういえば、私も旅に出ると、その国の博物館や美術館などにはできるだけ時間を見つけてまわるようにしています。大人の休日倶楽部パスでのJR東日本のエリアの旅でも、秋田県立美術館や青森県立美術館、東京の永青文庫と山種美術館をまわりましたが、それぞれに特色があり、とてもよかったです。
とくに海外の場合は、人類学者の増田 研さんが書いていた「調査をしたり、人々と渡り合っていろんなトラブルに巻き込まれている日常では、この人たちは本当に異文化の人々だと思い知らされて、おなじ人間でありながらこうまで理解し合えないものだろうかと愕然とすることがままある。いくら勉強したところでやはり言葉の壁は大きくて、「疎外感」が薄皮のようにまとわりつく。」といいます。しかし、あるちょっとしたきっかけで、そのふだんの悲しい思いがふっと消えるときがあるそうです。だからこそ、調査が続けられているのかもしれませんが、誰かがしなければその溝は埋まらないと思います。それって、とても大事なことです。
下に抜き書きしたのは、写真家の小林紀晴さんの文章ですが、彼は「旅での最初のコミュニケーションはいつもカメラだ」と言うところにも、同感です。
とくに言葉が通じない場合でも、カメラを指さし、これで撮っていいかとジェスチャーで尋ねると、ニコッと笑顔が返ってくると、ほとんどはOKサインです。そして、撮った写真をデジタルカメラで見せると、さらにニコニコします。これで、なんども多くの出会いがありました。
(2018.7.2)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
人生を変える旅(幻冬舎文庫) | 蔵前仁一 編 | 幻冬舎 | 2003年11月10日 | 9784344404519 |
☆ Extract passages ☆
旅をしながらその国や人、食べ物、知らない言葉というものを見ながら、本当は自分自身を見ている。外的刺激を受けて、僕は僕を見ている。
そして、それは写真もやはり同じなのだ。僕は旅の中で、できるだけ考えないでシャッターを押そうと意識的にこころみる。言葉にできないその時の気持ちを切り取り、定着させたい。だから風景を見ていても、眼の前の風景はどこまでも眼の前から遠い。僕にとってのアジアとは一つにはそういう空間である。
(蔵前仁一 編 『人生を変える旅』より)
No.1531『ツアンポー峡谷の謎』
6月25日から28日まで、大人の休日倶楽部パスでJR東日本のエリアを旅してきました。列車の旅は、意外と本もゆっくり読めて、とても快適でした。
この本は、以前から読むつもりで買っておいたのですが、文庫本で540ページもあると、なかなか一気に読むことができなくて、ついそのままになっていました。ところが、今回のような列車の旅は、車窓を眺めたり、また本を読んだりして過ごすしかなく、26日の金木町の斜陽館までは太宰治の「斜陽」を読み返しましたが、その晩からこれを読み始めました。27日は新青森駅を9時52分に出て、東京駅に3分ほど遅れて13時7分に着きましたが、その間もほとんどこの本を読んでいました。そして、ホテルや帰りの山形新幹線の中でも読み、米沢駅近くになってページを確認すると、440ページまで読んでいました。そして、翌29日の朝にこの本を読み終えました。
やはり、旅の間に読むのは、旅の本がいいようです。
そういえば、このF.キングドン-ウォードの『植物巡礼 ―― プラント・ハンターの回想 ――』(塚谷 裕一訳、岩波文庫)を読んだのは、ネパールに行ったときで、シャクナゲの写真を撮りながら、朝や夕方に読みながら、そのプラントハンターの大変さを身を以て感じていました。
また、『青いケシの国』は単行本だったこともあり、中国雲南省の中甸、今は香格里拉(シャングリラ)といってますが、そこで青いケシを見つけて自宅に帰ってきてから読みました。いつかはこのヒマラヤの青いケシを見てみたいと思っていたのですが、やっと窪地に見つけたときにはそこに座り込み、何枚も写真を撮りました。
また、角幡唯介氏の『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』を読んだときは、中国雲南省の大中甸に行くときでした。やはり、旅に関する本は、そのようなときに読むと、なんとなく自分の身に迫るものがあります。
この本のなかで、最初の第1章「チベット」のところに書いてあることですが、どうしても外国についてのことは「一つは読書から得られたもの、いま一つは体験からのもので、これはけっして一致することはない。最初の読書によるものは、実際に、客観的なものであり、第二の体験による方は、主観的なものである。」と書いてありますが、たしかに私自身もそのような印象があります。本で読んだことと、実際にその場に立ったこととでは、まったく印象が違います。今、特急いなほ5号に乗り、海辺の駅に停車していますが、潮の香りがします。そのような香りとか気温などというのは、本ではまったくわかりません。やはり、百聞は一見に如かず、です。
また感動的な部分は、「少し離れた所で何かをちらりと見たのだが、これは私を喜ばせるというよりか仰天させるものだった。これこそなにあろう、あらゆる色彩の中でも最も稀な、色鮮やかなオレンジ色の花をつけたシャクナゲだったのだ。……この木は、斜面をいくらか上った所、このもつれた樹林の真只中に生育していて、これこそ永いこと私が追い求めていたものだったのだ。ところがとうとう、私のうっとりした目の前で、オレンジ色の管をもつれ合わせたキンナバリヌム型のシャクナゲを見つけるという栄誉に浴したのだった。多くの人なら、その多肉質の明るい赤色した管状の花で美しく着飾ったロドデンドロン・キンナバリヌムを知っている。これを通して射し込む太陽の光で、辺りに漂う葡萄酒色の香気に包まれるようになり、これこそ最も愛くるしい品種の一つなのである。」といささか興奮気味にこれを書いています。
私がこのシャクナゲを見たのはブータンで、そのときの1株を今でも大事に栽培しています。ところがなかなか挿し木がうまくいかず、少しは増やしたいと思ってはいるのですが、なかなかできずにいます。
この本のなかで、植物学者と著者のような植物収集家との違いを「植物学者にとって、発見することで喜びが完成する。ところが植物収集家は、商業的な量を満たす商品を見つけることで、たっぷり充実した満足感に浸るのである。」と書いていますが、著者はもともと定職がなく、求めに応じて辺境の地の植物の種子などを収集してきたのですから、そういう思いが強くでたのではないかと思います。
私もときどき植物学者の方たちと行くので、このような気持ちはよくわかります。でも、今は昔と違って、外国でも国内でも勝手に植物を採ってはいけないので、もうプラントコレクターというのは仕事として成り立ちません。
下に抜き書きしたのは、9月28日にラサから1通の伝言が届いたときのことです。ダライ・ラマ猊下はとても植物が好きだとは聞いていましたが、F.キングドン-ウォードのところまでタネを送ってほしい旨の連絡があったと知り、興味をいだきました。
(2018.6.29)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
ツアンポー峡谷の謎(岩波文庫) | F.キングドン-ウォード 著、金子民雄 訳 | 岩波書店 | 2000年5月16日 | 9784003347829 |
☆ Extract passages ☆
これにはなにか栽培のできそうな草花の種子を、チベット政府宛に送ってくれまいか、という問い合わせであった。ダライ・ラマは、大変に草花を愛好されておられるので、ラサ郊外にある彼の個人的な離宮のノルブ・リンカ、すなわち宝石庭園には、非常に沢山の草花が育っているが、彼はこれを慈しみをもって世話をし栽培しているという。当然ながら、わ
れわれはチベット政府に対し、また、とくにチベットに滞在し、旅行する許可を与えて下さった猊下に対し、幾分なりとも感謝の気持を表わせる機会の持てたことを、喜んだのであった。そこで私は簡単に栽培できるサクラソウ、メコノプシス、その他、人目をそそるような草花のざっと四十種ほどの種子を、ラサに向けて急送したのだった。何年かたったら、きっとだれか英国人がこういった稀少植物がラサの庭園で、育っているのを見かけることだろう。
(F.キングドン-ウォード 著 『ツアンポー峡谷の謎』より)
No.1530『斜陽』
この本を約50年ぶりに読み直しました。というのは、25日から「大人の休日倶楽部パス」で、JR東日本の各線に乗り、26日に青森まで来て、午後からレンタカーで金木町の斜陽館まで行きました。
もし、時間があればと思っていたのですが、田舎館村の田んぼアートも、まだ稲が伸びずきれいな絵柄にはなっていないということで、青森から金木町に行きました。ですから、自宅を出て米坂線で坂町まで行き、そこから特急いなほ5号で秋田まで来て1泊し、翌26日には、つがる1号で青森まで来る車中で、読み終えました。だから斜陽館に行く前に読んでしまったということになります。
その車中で、この本とサクランボの写真を撮り、記録に残しました。そういえば、太宰治といえばサクランボ、今年は没後70年ということで、6月19日に東京都三鷹市の禅林寺で「桜桃忌」があったそうで、それを知らずにこうして金木町まで来たのも何かの縁かもしれません。
この「斜陽」は、1947年の7月〜10月まで「新潮」に載ったのが最初だそうですが、まだ私は生まれていません。だから、その時代的な背景はあまりわかりませんが、この小説の中に出てくる直治の遺書の中にでてくる思いも、私にはちょっと理解できないものがありました。たとえば、「僕は、僕という草は、この世の空気と陽の中に、生きにくいんです。生きて行くのに、どこか一つ欠けているんです。足りないんです。いままで、生きて来たのも、これでも、精一ばいだったのです。僕は高等学校へはいって、僕の育って来た階級と全くちがう階級に育って来た強くたくましい草の友人と、はじめて附き合い、その勢いに押され、負けまいとして、麻薬を用い、半狂乱になって抵抗しました。それから兵隊になって、やはりそこでも、生きる最後の手段として阿片を用いました。姉さんには僕のこんな気持、わからねえだろうな。僕は下品になりたかった。強く、いや強暴になりたかった。そうして、それが、所謂民衆の友になり得る唯一の道だと思ったのです。」というくだりです。
でも、太宰治が生まれたこの斜陽舘に行って、その育った環境を知ると、なんとなくわかったような気になりました。それほど、生まれ育ちに違いがあった時代だったようです。
酔狂にも、この斜陽舘の生まれた部屋で、この本を手にして記念撮影をしました。さらに、この斜陽舘の全体を眺められる場所に昔の赤いポストがあったので、その手紙の投入口の横にこの本を置き、その写真も撮りました。おそらく、それを見ていたら、何をしているのかいぶかったに違いないのですが、誰も見ていないからそのようなことをしてしまったのです。
この斜陽舘から、次は三内丸山遺跡を見ましたが、むしろ縄文時代のおおらかな生き方に興味を持ちました。まだレンタカーを返すには時間があったので、近くの青森県立美術館の『絵画の絆「フランスと日本」展』を観ました。そのなかに広島県立美術館で観たものがだいぶあり、懐かしく思いました。
そういえば、この「斜陽」もそうですが、今回の旅は、もしかすると回顧の旅だったのかもしれません。
下に抜き書きしたのは、直治の遺書のなかに出てくる文章です。これを読みながら、なんとなく作者のうめき声が聞こえてくるようでした。
そして、小説の抜書きは、なかなか選べないというのもありました。本当に久しぶりに小説を読みましたが、著者の生まれ育った斜陽舘を訪ねながら読んだということもあり、とても楽しむことができました。
(2018.6.26)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
斜陽(ぶんか社文庫) | 太宰 治 | ぶんか社 | 2009年11月1日 | 9784821153190 |
☆ Extract passages ☆
人間は、みな、同じものだ。
これは、いったい、思想でしょうか。僕はこの不思議な言葉を発明したひとは、宗教家でも哲学者でも芸術家でも無いように思います。民衆の酒場からわいて出た言葉です。蛆がわくように、いつのまにやら、誰が言い出したともなく、もくもく湧いて出て、全世界を覆い、世界を気まずいのにしました。……
イヤな言葉だと思いながら、僕もやはりこの言葉に脅迫せられ、おびえて震えて、何を仕様としてもてれくさく、絶えず不安で、ドキドキして身の置きどころが無く、いっそ酒や麻薬の目まいに依って、つかのまの落ちつきを得たくて、そうして、めちゃくちゃになりました。
(太宰 治 著 『斜陽』より)
No.1529『ゆるいつながり』
この本で、著者を始めて知りましたが、副題の「協調性ではなく、共感性でつながる時代」というところに共感しました。
やはり、今はネットの時代で、簡単に世界中の人たちとつながることがてきます。ということは、そのつながりに、それなりのやり方があるのではないかと思いながら読んでいました。
この題名の『ゆるいつながり』というのは、それが「メインになる時代には、オリジナリティがないと豊かな人問関係は築けないでしょう。オリジナリティというのは、つまり「個人のブランディング」ということ。それを自分で考えて、自分でつくっていかなければいけない時代に、ますますなってきたと思うのです。」と書いてありました。
そして、この「ゆるいつながり」がメインの時代には、昔のタテ社会のような強制力は通用しなくなり、そのようなものの考え方も違ってくるといいます。たとえばネットが普及してきたにより、「たとえば飲食店の場合、立地が悪いとお客さんはあまり来てくれませんでした。立地のよい所に店を構えるのが経営の王道であって、昔から料理人は独立するときに、よい場所を借りようとしていました。けれども今日では、立地が悪くてもすごくお客さんが集まっている店が増えているのです。」といいます。
そういえば、私の近くでも、山間部にありながら、県外からも蕎麦を食べに来ているようで、おいしいということが一番でしょうが、食べた人たちがそれをSNSなどで発信してくれるからだと思います。そこには、共感を呼ぶような発信もあるでしょうが、ヘイトに近いような発信もあり、それによって大きく影響されるようになってきたと思います。
この「ゆるいつながり」のメリットは、著者によれば、@生き方の選択肢が増える、A柔軟な発想につながる、Bクリエイティブになれる、Cチャレンジ精神を維持できる、D自由になれる、E人間関係のストレスが減る、F出る杭は伸ばされる、と書いてありました。
下に抜き書きしたのは、著者はよく旅をしているその理由を書いてあるところです。
たしかに、いろいろなことに興味があり、いろいろな人たちに出会えれば、この世の中は楽しくなります。そういえば、今日から「大人の休日倶楽部パス」で、JR東日本の各線に乗り、東北一周をします。これから出発しますが、先ずは米沢駅から米坂線で坂町駅に行き、そこで乗り換えて、日本海側を青森駅まで途中で泊まりながら進みます。
一番の楽しみは、その列車の中で、どのような本を読むかということで、本選びにさんざん悩みました。最初は河口慧海の「チベット旅行記全5巻」の文庫本を読もうと考えたのですが、活字が小さく、揺れる列車のなかでは目が疲れてしまうことに気づきました。だから、活字の読みやすい本を2〜3冊ぐらいを持って行くことにしました。
先ずは、米沢駅発午前10時29分に間に合うように出発です。
(2018.6.25)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
ゆるいつながり(朝日新書) | 本田直之 | 朝日新聞出版 | 2018年3月30日 | 9784022737588 |
☆ Extract passages ☆
わたしがなぜ頻繁に旅をしているのかというと、いろんなことを知りたいからです。食べたことのない料理を食べたり見たことのない文化に触れたり、なにか新しい生き方をしている人に出会ったり――。
そこには、よいものも悪いものもあるけれど、とにかく世界にはさまざまな生き方や考え方があるということを知ることが重要なのです。そうでないと、一つの価値観に自分自身が凝り固まってしまう。
その意味では、旅をすることもいろんな人に会うことも読書も、そしてSNSも同じだと思っています。
(本田直之 著 『ゆるいつながり』より)
No.1528『絶対、人に話したくなる「時間」の雑学』
著者は著述家で、もとは科学系出版社の編集者をしていたそうです。たしかに読んでみると、時間という難しい問題をなるべく平易に分かりやすく書いてあり、最後まで読み終えました。
では、時間の概念をしっかり把握できたかといわれると、なかなか「はい」とは答えられません。つまり、やはり難しいけど、少しはとっかかりをつかめたような気がします。
そういえば、ベルグソンの『時間と自由』を岩波文庫でだいぶ昔に読みましたが、ほとんどわかりませんでした。それから考えると、少しはわかったような気がしています。
たとえば、1日24時間はみんな同じですが、人にはそれぞれのテンポというのがあります。それを「パーソナル・テンポ」というそうですが、これを知るには、自分で机などを指で連続してタッピングするのだそうです。これで通常の間隔は0.4秒から0.9秒の間だそうですが、これが日常のすべての行動にあらわれてくるそうです。
この本では、「たとえば、全員で同じテンポの作業を強制されると、テンポの速い人にとっても、遅い人にとってもストレスとなるのです。パーソナル・テンポより速い作業をさせられると、心拍数が上がるという実験結果があります。逆にパーソナル・テンポより遅い作業をさせられても、心拍数が上がるという結果が出ています。」と書いてありました。
ということは、できることなら、自分のパーソナル・テンポに合わせて仕事をすれば、ストレスも少なく、ミスも防げるということになります。
また、おもしろいと思ったのは、普段は時計がなぜ右回りなのかと考えもしないのですが、それにもそれなりの理由があって、この本では、「通説となっているのは、遠い昔に使われていた日時計が右まわりの起源である説です。……しくみは単純そのもの。棒を1本地面に立てて、その棒の影の動きにしたがって目盛を地面に刻んだわけです。そのとき、北半球では、太陽の影の動きが"右まわり"となります。日時計をもっとも早い時期に使い始めたのは、北半球のエジプトで紀元前4000年から紀元前3000年ころといわれています。」と説明してました。
ということは、南半球では、太陽の陰が"左回り"になりますから、もし南半球で日時計が発明されていたら、今、使っている時計も左回りになっているかもしれないといいます。
そういえば、オーストラリアやニュージーランドに行ったときに、水の渦が右回りだったので、おそらく北半球では左回りのようです。やはり、北半球のことは、いつでもできると思っているので、かえってそのままになっていたようです。これを難しい言葉で説明すると、「コリオリの力」が働いて起こる自然の摂理なのだそうです。
下に抜き書きしたのは、1年を短く感じるか、長く感じるか、について書いてあるところです。いろいろな考え方があると思いますが、これもその1つではないかと思います。
(2018.6.22)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
絶対、人に話したくなる「時間」の雑学(PHP文庫) | 久我勝利 | PHP研究所 | 2018年4月16日 | 9784569768304 |
☆ Extract passages ☆
積極的に新しい仕事にチャレンジする。いままで行ったことのない場所に旅行をしたり、体験したことのない趣味にどんどん挑戦したりする。そのような人にとっては、決して1年が短いとは感じられないでしょう。単調な日々を送っている人たちよりは1年が長いはずです。
結論をいうと、1年間の"記憶の量"がたくさんあればあるほど、1年は長く感じられるということです。
反対に、記憶の量が少なくなればなるほど、1年は短く感じられるようになるのです。
(久我勝利 著 『絶対、人に話したくなる「時間」の雑学』より)
No.1527『伊藤雅俊 残す言葉』
著者の伊藤雅俊氏はセブン&アイ・ホールディング名誉会長で、もう一人の末村 篤氏は元日経の特別編集委員だそうです。おそらく、伊藤氏が自分で書いたり、末村氏が聞いてまとめたりして本にしたようですが、最後に載っている「人物伝 最後の大商人、伊藤雅俊とその時代」を読むと、その2人の個性がはっきりとわかります。
伊藤氏は自分が歩んできた道を淡々と語っているかのような書き方ですし、末村氏の文章はいかにも新聞記者らしいまとめ方をしていて、とてもおもしろかったです。
このセブン&アイ・ホールディングは、傘下にイトーヨーカ堂、セブン-イレブン・ジャパン、デニーズジャパン、ヨークベニマルの上場企業があります。いずれも名だたる企業ですから、それらを育てた伊藤氏の歩みを読んでみたいというのが手に取ったきっかけです。
そして、読んでみると、その時代の流れもあるでしょうが、本人が「創業は、それ自体が大変なことですが、一度築いた信用を維持する守勢も、創業に劣らず大変なこと」といい、それが商売の原点であり、経営の要諦だといいます。たしかに、そり気持ちを持ち続けたからこそ、あのバブルの時代も着実に業績を延ばし、そのバブル後もほとんどその影響を受けずに経営できたのではないかと思います。
そういえば、私の世代は、アメリカの経営学といえばピーター・F・ドラッカー(1909〜2005年)ですが、日本で一番親しくされていたと書かれていて、そのことを始めて知りました。たとえば、「私にとって先生は、判断の座標軸であり、人生の羅針盤のような、かけがえのない存在でした。なぜ、私にとって先生がそのような存在でありえたのかというと、先生は、私がその人生観、歴史観、世界観に共感し、人格に全幅の信頼を寄せることができ、スケールの大きさや包容力、深い思想性と温かい人間味の点で、自分はこうありたいと考える、もう一人の自分だったからだと思います。アダム・スミスが言うところの、「自分の心に棲む公平な観察者」だったのかもしれません。」と書いてあり、まさに全幅の信頼を寄せているのが文字からもうかがうことができます。
ただ、ちょっと気になったのは、末村氏が「為さざる経営」と表現していることです。たしかに、「社員に当事者意識を持たせて創意工夫を引き出し、実力の何倍もの力を発揮させる独特なリーダーシップの有り様は、本人が「俺がやらせた」と言わない限り表に現れず、本人はそう言わなかったからブラックボックスに収まっている。」といえます。でも、それだって、その方向性を示すとか、それなりの判断があってのことで、それを「為さざる経営」といわれれば、ちょっと言い過ぎではないかと思います。
自分でも「出来過ぎの人生」と言ってますが、それはあくまでも謙遜であって、持って生まれた性格かもしれませんが、やはり「自制の人」という印象が強く感じられました。
下に抜き書きしたのは、自分が経営者として判断するときのことについてです。
よく「鳥の目」という鳥瞰するというのは聞きますが、「魚の目」というのは始めて聞きました。潮の流れを読むというのは、たしかに魚だと思いました。ここに出てくる先生というのは、ドラッカー氏のことです。
(2018.6.19)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
伊藤雅俊 残す言葉 | 伊藤雅俊・末村 篤 | セブン&アイ出版 | 2018年3月1日 | 9784860087616 |
☆ Extract passages ☆
私は経営者として物事を判断する際に、足元で起きている小さな具体的な変化を見逃さない「虫の目」、些事にこだわらず全体の変化を僻撤する「鳥の目」、そして、世の中の潮の流れの変化を感じ取る「魚の目」の三つが大切だと思っています。先生はこの三つの確かな目を持つ巨人でした。
(伊藤雅俊・末村 篤 著 『伊藤雅俊 残す言葉』より)
No.1526『毎日、続ける』
副題が「97歳 現役ピアニストの心豊かに暮らす習慣」で、前回の『暮しの手帖』元編集長だった松浦弥太郎さんの『ご機嫌な習慣』とダブっているような感じです。
でも、著者はピアニストですから、その長い経験から話すひと言ひと言が慈愛に満ちていて、それが心豊かににつながっているかのようです。簡単に読めますが、何度か繰り返すと、その都度に新しい発見があります。
著者自身も、「ピアニストにとって恐ろしいのは「簡単な名曲」です。『エリーゼのために』にしても、ベートーヴェンがそこにこめた「美」の究極を見つけ出し、表現するのは大変な仕事です。…… むずかしいことをマスターするのは、たしかな進歩であり、成長です。一方で、たやすいことを極めるという方向の成長もあります。むずかしくはないことにじっくり時間をかけて取り組み、掘り下げていくことも、やりがいのあるチャレンジだと思います。」と書いていますが、たしかにそのような面もあるなと納得しました。このミラノの女性ピアニストというのは、イタリアのミラノに年老いた音楽家たちのための老人ホームがあり、そこを取りあげたドキュメンタリー番組のなかで、ひとりの女性ピアニストが『エリーゼのために』をほとんど動かなくなった指で一日中弾いているのだそうです。
そのことと、流れは同じですが、「私の出す、かすかな弱音について、「魂や芸術性を感じる」といっていただくことがあります。この弱音は、若いときには出せなかったものです。「正確さ」や「力強さ」は、年を重ねるごとに保つのがむずかしくなります。でもその代わり、若いときにはもち得なかった繊細さやしなやかさ、複雑さといったものも備わっているはずです。」といいます。
いわゆる年を重ねて磨いてきた味といえるようなものかもしれませんが、それはあると思います。そして、それこそが97歳までピアニストを続けてきた理由かもしれません。
そして、現在、「トークコンサート」という独特のスタイルを確立して、「音がお話ししている」ということを実感してもらえるようなコンサートなのだそうです。もし機会があれば、ぜひ聴いてみたいと思いました。
下に抜き書きしたのは、ハイドンの巧みな「休符」について書いたところの部分です。著者自身も、大腿骨の骨折で入院したときに、「神様がくれた休日」だと考え、病室で音楽のCDを聴き続けたそうですから、まさに実感に裏付けられた「休符」だと思います。
(2018.6.16)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
毎日、続ける | 室井摩耶子 | 河出書房新社 | 2018年2月28日 | 9784309026527 |
☆ Extract passages ☆
楽譜には、音という言葉でお話がつづられています。ハイドンの楽譜の途中に置かれた小さな休符には、この先に展開する物語へとつながる動きがこめられています。それを発見したときには感動しました。
人間もまた、立ち止まって休むときがあります。それをただ何もしない「お休み」ととらえるか、「次に進むための時間」ととらえるかで、その意味はまったく変わります。……
「休符」のときをどう過ごすか。それによって、人生の音色も変わるのかもしれません。
(室井摩耶子 著 『毎日、続ける』より)
No.1525『ご機嫌な習慣』
本そのものが新書版より少し大きく、ちょっと読みやすそうだったので、手にしました。すると、装幀もよく、その写真が朝食のテーブルで、グラノーラとフルーツ盛り合わせ、そしてコーヒーらしきもので、なんとなくアメリカンチックな雰囲気でした。
そういえば、この本のなかで、始めてグラノーラをアメリカで食べたときのことが書いてあって、「ほのかに甘くて、サクサクで香ばしく、噛めば噛むほどに味わいが楽しめて、
しかもグラノーラからにじみ出た、甘くてスパイシーなうま味と、ドライフルーツの風味が、ミルクに混ざって一体化した、その豊潤なおいしさといったら、今まで味わったことのない、この世にこんなにおいしい食べ物があるんだ、という驚きでしかなかった。」といいます。
私自身はグラノーラもシリアル食品も好きではなく、いくら栄養があるとか、身体にいいといわれても、ほとんど食べません。でも、それしかなければ食べますが、あまりおいしいとは思ったことがありません。
この本を手にしたときは、著者のことはまったく思い浮かばず、後から、そういえば『暮しの手帖』の編集長だったかな、という程度のことを思い出しました。プロフィールをみると、現在は、株式会社おいしい健康取締役で、文筆業やクリエイティブディレクターをされているそうです。
でも、毎日の習慣がいつもご機嫌だというのはちょっと憧れるので、読み始めました。たしかに、文体は読みやすく、いかにも花森安治さんのような書き方でした。
なかでも、これはいいと思ったのは、「はじめてのこころ」で、著者はこれについて、「「はじめてのこころ」とは、たとえば、働く、人と関わる、食事をする、学ぶ、遊ぶ、考える、作る、など、そういった毎日のいつものことに、できるかぎり、はじめての気持ちで向き合うということ。いわば、初々しい自分でいること。毎日、何事に対しても、うきうき、わくわく、どきどき、一生懸命な、初心者であり、新人でありたい。そういう日々の歩み方を大切にしたい。「はじめてのこころ」で向き合うと、なにもかもが学びになるからだ。」と書いています。これがいいと思ったのは、おそらく私自身も、一度読んだ本のなかの言葉を忘れてしまい、また読んでみて、あれ、これって読んだことがあったような気がすると思い直し、カードを調べてみると、たしかに数年前か数十年前に読んだことがわかったりします。でも、それはとても有り難いことで、普通は思い出さないことが、同じ本を読んだからこそ気づけたようなものです。やはり、「はじめてのこころ」は大切だし、学びの基本かなとも思いました。
また、アメリカで学んだことで、一番大きなことは「即答力」だといいます。つまり「「即答」とは、聞かれたことについて、やみくもに早く答えればいいということではない。仕事や暮らしにおいて、チャンスというのは日々、人や、出来事や、そのときの環境から自分に与えられている。しかし、チャンスは、自分の目の前に留まってはくれず、現れたと思ったら、あっという間に通り過ぎてゆく。「即答」とは、そのチャンスを逃がさないための心持ちであり、知恵であり、感謝の姿勢でもある。」といいます。
下に抜き書きしたのは、著者が考える「美しさ」についての文章です。「美しさ」というのは、なかなか抽象的でわかりにくいことですが、それをあえて言葉にしたような印象があります。
でも、さすが文筆業からなのか、わかりにくいことをそれなりにまとめていると思いました。そして、美しさというのは自分で見つけに行くこと、自分の心で生み出すものとあり、なるほどと思いました。
(2018.6.13)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
ご機嫌な習慣 | 松浦弥太郎 | 中央公論新社 | 2018年2月25日 | 9784120050534 |
☆ Extract passages ☆
美しさとは、親切と真心、そして工夫のあらわれです。それらは人が人を一所懸命に思う心そのものです。人が人というのは、誰かが誰かをでもありますし、自分が自分をということでもあるでしょう。そういう姿勢や働き、夢中の果てに、ほわっとまばゆく輝くひかりのような。目に見えない、けれども、あたたかくて、やわらかで、限りなく安心する確かな喜び、そして深い悲しみのような。今の自分を助けてくれる大きなやさしさのような。……
最後にもう一度。美しさとは、誰かに与えられるものではなく、自分で見つけにいくこと。そして、自分の心で生み出すものなのです。
(松浦弥太郎 著 『ご機嫌な習慣』より)
No.1524『歩く』
ヘンリー・ソローといえば、ほとんどの人は『森の生活』の著者という位置づけみたいですが、生前に刊行された本はもう1冊あり、『コンコード川とメリマック川の一週間』です。
この『歩く』は、プリンストン版「ソロー全集」に所収されているそうで、それを訳出したのがこの本です。
これはたまたま図書館で見つけたもので、ヘンリー・ソローと聞いて、私もすぐに『森の生活』を思い出し、読みたくなりました。そして、この本を読んで始めて知ったのですが、じつはガンディーもソローの「市民政府への抵抗」の一部を翻訳して、自らが編集していた『インディアン・オピニオン』誌に載せたこともあったそうです。
そして、これがあの有名な「塩の行進」のきっかけになったようで、この本では、「当時、イギリスの統治下で、インド洋から採取することを禁じられていた塩をとるため、アラビア海へ向かって380キロの道のりを歩き始めようとしていた。夕べの祈りの集会にはガンディーが日頃親しくしている知人、子供たちがいた。1日約20キロ、24日間も歩き続けた。4月5日、海辺につき、翌朝、ガンディーは海水につかり、岸へ戻ると波が残した塩を拾い上げた。イギリス政府専売以外の塩を所有すると処罰される、という法にふれた瞬間である。1ケ月後、ガンディーは逮捕される。」と書いています。
ネットで調べると、グジャラート州アフマダーバードから同州南部ダーンディー海岸までの約386kmを行進し、3月12日から4月6日まで続いたとさらにくわしく記されていました。
この抗議行動が、インドのイギリスからの独立運動の重要な転換点になったといわれています。まさにソローの数年間の人頭税を払わなくて逮捕され、刑務所に入ったこととよく似ています。このことは、後半の「歩く人ソローについての覚書」に書かれていました。
そういえば、この覚書に、ソローはたいへんスイレンが好きだったといいます。それは、「彼は散歩の途中でスイレンを眺める。すべての植物の中で、地上のバラ、そして水上のスイレンがとりわけ好きであった。その香りは何と甘く、健康的であることか。その根は泥の中にあるが、白い花びらの何と純粋なことか――。スイレンは時間の花でもある。夏の日の出前、太陽の光がかすかに水面にとどいた瞬間、眠っていたスイレンの白い花が開く。屋外にいる時間が長い者、水辺を歩く者にしか、幸運は訪れない。ソローは自然が刻々と姿を変えることをだれよりもよく知っていた。」とくわしく書いてありました。
スイレンといえば、フランスの画家クロード・モネが有名ですが、スイレンの花言葉は、「清純な心」とか「信頼」ですから、ソローにはとても似合っていたように思います。
下に抜き書きしたのは、歩くことの大切さを述べたもので、歩くことは冒険であるというのは、いかにもソローらしい考えです。
でも、あるお医者さんに聞くと、人は足から年をとっていくといいますから、歩くことはとてもいいことです。私もほぼ毎日、小町山自然遊歩道を歩きますが、やはりたくさん歩いたときのほうが体調はいいようです。
(2018.6.10)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
歩く | ヘンリー・ソロー 著、山口 晃 編・訳 | ポプラ社 | 2013年9月10日 | 9784591135846 |
☆ Extract passages ☆
人は年をとるにつれて、じっと座って家の中で仕事をする能力が増してきます。人生のたそがれが近づくにつれて、彼の習慣は夕方向きになっていきます。そして最後は日没の直前に外へ出て、半時間ほど必要な散歩をするだけになります。
しかし私が語っている歩くことは、病人が決められた時間に薬を飲んだり、ダンベルや椅子を振りまわすような運動とは似ても似つかないものです。それ自体が一日の大胆な取り組みであり、冒険なのです。もし、あなたが何かを始めたいと思うなら、生命の泉を探しに行くべきです。
(ヘンリー・ソロー 著 『歩く』より)
No.1523『「長生き」に負けない生き方』
この本は、『「いつ死んでもいい」老い方』(講談社刊)を改題し一部訂正や加筆をして文庫本にしたものだそうで、単行本は2011年11月に刊行されました。
この本の題名は、私は前のほうがわかりやすいと思いますが、「長生き」に負けないというと、なんとなく意味がごちゃごちゃになりそうです。あるいは、長生きに勝つも負けるもない、と言いたくもなります。おそらく、つまりは、元気で長生きできればそれはそれでいいということではないかと思いました。
著者は、「好きなことは、人の迷惑にならない限り、なんでもする。若い人に遠慮する必要はない。天は自ら助くる老人を助くるはずである、と信じて老いの細道を命ある限り力いっぱい歩いてゆく。穴があったら落ちればいい。その先のことを考えたりするのは、いくらヒマでも、時間の浪費である。」と言っています。
でも、好きなことをするというのは、自分がその好きなことがなければわけで、何もすることがないからついテレビを見て一日を過ごすことになるようです。私はいろいろしたいことがあるので、ほとんどテレビは見ませんが、ではすきなこととは、裏を返せば、夢中になることと言い換えられます。著者は、その夢中になるということも、「家屋も住まぬとすぐに荒れる、というが、仕事をはなれた人間も急に活力を失って老い込む。……年をとると刺激が乏しくなる。われを忘れてということもすくない。それで心もしぼむのである。とにかく夢をつくって、それに頭をつっこんで夢中になる。自分の夢ができなければ、人の夢を描いて夢中になる。」と書いていて、自分に夢中になるものがなければ、人が夢中になっているものをお手伝いすることもいいことだといいます。
これはある意味、目から鱗でした。もし、自分が旅行に行けなかったら、自分の家内や家族が旅行に行けるようにしてあげることもあり、ということです。これなら、いくらでも探せそうです。
著者が一貫して書いているのは、仕事中になくなることが理想だといいます。たとえば、自分自身の弟が仕事時間外だったけれど、食堂でミーティングをして、終わって帰ろうとして自分の車のエンジンをかけたとたんに心臓発作であつけなく死んでしまったそうです。近親者は、あんまり仕事が忙しかったからだと言っていたそうですが、著者は、「弟は幸福だった。一生でいちばん充実した日々を送っていて、フト、足をふみ外して、あの世へ行ってしまった。だいいち、死など考えるヒマもなかった。私は、モンテーニュの「死ぬのは、仕事の最中がいい」ということばを胸に、弟の死をむしろ祝福した。」と書いています。
私も、だんだんと衰えて、自分のことが自分でできなくなってからも生きたいとは思いません。せめて、自分で食べ、自分でトイレにいけることぐらいはと思っています。
下に抜き書きしたのは、どう考えても心配しそうにないネコでさえもその心配で殺されてしまうというイギリスのことわざについてです。著者は、もともとは英文学がご専門ですから、これを掲載させてもらいました。
なるほど、英語でも韻を踏んだり調子の良さなどもあると思い、納得しました。
(2018.6.7)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
「長生き」に負けない生き方(講談社+α文庫) | 外山滋比古 | 講談社 | 2016年7月20日 | 9784062816816 |
☆ Extract passages ☆
イギリスに Care kills the cat. (心配がネコを殺す) ということわざがある。ケア(care)キルズ(kills)キャット(cat)の3語がいずれも[k](ク)音ではじまっているから調子がすこぶるよろしい。このことわざ、つまりは、心配ごとは体の毒、ということであるが、「ネコは、九つの命をもつ」(A cat has nine lives.) というもうひとつのことわざを踏まえている。そういうつよいネコでさえ、心配には勝てずに命をおとす、というのである。
(外山滋比古 著 『「長生き」に負けない生き方』より)
No.1522『まかせる力』
5月28日の報道ステーションで、元プロテニスプレーヤーの松岡修造さんと田明さんの対談があり、たまたま見ました。もちろん、松岡さんはスポーツキャスターですから、今回のメーンテーマは「V・ファーレン長崎」が中心です。その取り組みがとても斬新で、興味を持ちました。収録は長崎県諫早市でおこなわれたそうです。
それを見た後で、たまたまこの本を見つけました。もちろん、すぐに読み始めました。
この「まかせる」というのは、自身のことを考えても、ほんとうに難しいことだと思います。でも、何れは誰かにまかせなければならず、またまかせなければ大きくもなれません。その見極めが難しいと思います。
著者の一人、ジャパネットたかた創業者の田明氏は、「大事なことなので何度でも言います。「まかす」ためには、まず「まかそう」とする人間が信頼されなければならない。皆が共感する信念を持ち、その実現のために日々努力を惜しまないという生き方を見せなければならないのです。」といいます。
そういえば、現在は息子さんに社長をまかせ、自分は「V・ファーレン長崎」の社長となり、念願のJ1昇格を成し遂げました。そのことを報道ステーションは取りあげ、さまざまな取り組みを紹介していました。あの誰にでも親しそうに声をかける姿に、選手も観客も、相手チームの応援者からも慕われていることがテレビ画面からもわかります。
さすがの松岡修造さんも、いつもは元気を与えるような立場なのに、反対に元気をもらったような雰囲気でした。それほど、明るくエネルギッシュでした。
この本では、あのテレビでみるような甲高い声ではなく、しっかりと会社経営に関わってきた姿が伝わってきます。また対談形式だからこそ、とてもわかりやすく、理解しやすかったのではないかと思います。
そういえば、著者の一人、新将命氏の言葉で、「近海でイワシを獲る漁師たちが、生きたままイワシを持ち帰ろうとする際に、船中の生け簀などの中にナマズを1匹混ぜることがあるというのです。イワシは環境変化に弱く、生け簀に仲間たちばかりがいると、死んだり弱ったりする。そこに、見たことのないよそ者のナマズが1匹混ざっていると、「誰だ、こいつは」という緊張感が生じ、鮮度がよいまま持ち帰れるとのことでした。」という漁業関係者の話しも印象に残りました
下に抜き書きしたのは、新将命氏の「理念」についての言葉です。同氏は理念こそが会社にとって必要なもので、この話しの前に「この理念には、三つがあります。一つが「ミッション」で、会社は何のために存在しているかという根本の部分。次が「ビジョン」で、どうなりたいという「あらまほしき姿」。次が「バリュー」で、何(株主か顧客か社員か等) を大切にしているかです。こうした理念が定まっていない会社は、良い会社になれない。なぜならサステイナビリティ、持続可能性が担保できないからです。つまり、理念は会社の存続にとって十分条件ではありませんが必要条件であるということです。」と書いています。
そして、この理念のない会社は、短期の目標・数字だけを追うことになりやすいと結論づけています。
それを読んで、なるほどと思ったので、ここに抜書きをさせてもらったのです。
(2018.6.4)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
まかせる力(SB新書) | 田 明・新 将命 | SBクリエイティブ | 2018年2月15日 | 9784797393729 |
☆ Extract passages ☆
しごく単純なもので、「ファン(FUN)であれ」というものです。ニュージャージー州の総本社によく出張しましたが、ジェームズ・バークという全世界9万人のトップがよく言っていました。「仕事や経営で結果を出したければ、いつもファン(FUN)であれ」と。ファン、つまり楽しいな、面白いなと思っていると一種の自己暗示状態になつて、明るく人を鼓舞することを言うようになる。結果、仕事に良い結果がもたらされ組織も成長するというものです。
(田 明・新 将命 著 『まかせる力』より)
No.1521『茶道をめぐる歴史散歩』
お茶を続けてきて、もう40年を越しますが、いつまでたっても上達しません。特に、お茶の先生が亡くなられ、自分たちで楽しみながらしているせいか、ときどき作法の本を見なければならないときもあります。先生がいれば、すぐに直してくれるのですが、やはり指導者というのは大切なものだと改めて感じています。
それでも、好きだから続けているのでしょうが、この本に書いてあるような故事来歴も好きで、今の時代まで残ってきたのにはそれなりの理由があるような気がしています。
たとえば、5月27日のNHKの「新日曜美術館」でも取りあげていた松平不昧公ですが、この本にも、「彼は、もともと、鋭気峻烈な人物であったので、それをやわらげるため、家臣たちは茶道を、彼にすすめたという。確かに、茶の湯を学んで、鷹揚な気分は滴養されていったが、依然として、ひたむきな精神は、決して失われていなかった。その一つの結晶が、列挙される膨大な茶器購入である。」のように記されていました。その記録が有名な『雲集名物』であります。
そういえば、米沢市内の鰻屋さんでお茶会をしたとき、松平不昧公自作の竹の花入れがあり、そこにツバキ1輪が生けられていたのを今でも覚えています。おそらく、2006年の暮れの忘年の茶事だったと思うのですが、ちょっと曲がった煤竹が青々としたツバキの葉をひきたてていました。
道具というのものは、そのようなものです。いつまでも印象に残り、消えたと思っていると、先日の「新日曜美術館」を見たときのように思い出すのです。特に不昧公は、その番組のなかでも話されていましたが、古今の名器に通じ、優れた眼識と豊かな鑑識力を持っていたそうです。
この本には、茶道とはいいながらも、他の人たちもとりあげていて、たとえば松尾芭蕉の「只、此の一筋に繋がる」の文章では、「初めのうちは、器用な人はちやほやされるが、最後には、同じことを、何度も何度も練習する不器用の人が、結局はその技を、確実に身につけていくようである。それ故、基本的な稽古が、あらゆる、ならいごとで、強調されるのであろう。」と書いていて、早く覚えるのがいいとは限らないといいます。
私も、よくお茶の先生に、器用な人は早く覚えるが、中味がともなっていないと言われました。でも、そんなこんなで、今もお茶をしていますが、習い事などというのは、続けることが大事なようで、それが正道なのかもしれません。
下に抜き書きしたのは、武野紹鴎の大黒庵について書いてあるものです。
紹鴎は、京都四条の夷堂の隣に住んでいたので、自ら、大黒庵という額を掲げていたそうで、そこから下に抜き書きした袋棚の話しが出てくるわけです。そして、村田珠光のお茶をさらに侘茶にすすめたのが紹鴎で、そういう意味では、中国風の文化を「真」とすれば、それを日本人好みの「草」にくずしていったともいえます。
そういえば、紹鴎の言葉に「きれいにせんとすれば結構に弱く、侘敷せんとすれば、きたなくなり」(『紹鴎門弟への法度』)というのがあるそうですが、あまりにも極端に走ることを戒めていると思います。まさに、「和」の心です。
NHK「新日曜美術館」でも取りあげていた松平不昧公の展示会が、「没後200年 特別展 大名茶人・松平不昧 ―お殿さまの審美眼―」という題で、三井記念美術館で開催されています。期間は2018年4月21日(土)〜2018年6月17日(日)までだそうで、何とか見に行きたいと思っています。
(2018.5.31)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
茶道をめぐる歴史散歩 | 井上辰雄 | 遊子館 | 2009年5月15日 | 9784946525988 |
☆ Extract passages ☆
紹鴎は、袋棚をはじめて考案したといわれるが、その時も、紹鴎は「我が名をば 大黒庵といふなれば 袋棚にぞ 秘事はこめける」という狂歌を添えたという(『南坊録』)。
ちなみに、京の四条にあったという大黒庵は、後に堺、南宋寺境内の天慶院に移されている。
(井上辰雄 著 『茶道をめぐる歴史散歩』より)
No.1520『種子法廃止でどうなる?』
今年の4月「主要農作物種子法」が廃止されましたが、あまりニュース等で流れなかったようで、その審議過程も知らないうちに可決されたような印象でした。
私もシャクナゲ等の種子を採取するので、その重要性は少しはわかるつもりです。というのは、だいぶ前の話ですが、アメリカから個人輸入でシャクナゲの苗木を取り寄せて育てていたのですが、花が咲いてみると、なんとなく違うのです。おそらく、長い間、原種といわれるシャクナゲから種子を採取しているうちに、何らかの原因で交雑したようです。
そうなれば、それは原種ではなく、交配種です。原種は、あくまでも野生のもので、人が手を加えたものではないのです。
この本のなかで、たとえば稲の場合では「原原種」というそうですが、それは農業試験場などの都道府県の試験研究機関で育てられています。そして「原種」というのは、その「原原種」を農業振興公社とか種子センターなどの公的機関で栽培し、されをさらにJA種子部会などに組織されている採種農家が増産するということになっているそうです。つまり、その増産した品種を、厳しく審査し合格した種子が、一般の農家に供給されてきたのだそうです。
だから、この重要な種子法が廃止されるとは考えてもいなかったのですが、2016年10月の規制改革推進会議農業ワーキング・グループと未来投資会議の合同会合ではじめて提起され、1年後の2017年4月に「主要農作物種子法を廃止する法律案」が成立しました。
この本に書いてある農文協編集部の説明によると、廃止の理由は、
@種子生産者の技術向上により、種子の品質は安定している。都道府県に一律に種子生産・供給を義務づける必要性が低下している。
A多様なニーズに対応するため民間の力を借りる必要がある。
B種子法があるために、都道府県と民間企業の競争条件は対等になっておらず、公的機関の開発品種がほとんどを占めている。
といいます。でも、種子そのものの問題としては、種子を起業の競争原理にさらせば儲かる種子しか生産しなくなり、多様な品種がなくなる可能性が高くなり、非常時に対応できなくなりそうです。だからこそ、主要な種子は公的機関がやってきたのであり、それを廃止理由にするのにはムリがあると思います。食料というのは、人間が生きるためには絶対に必要なもので、車とかスマホなどとは同じように考えられないはずです。
そこには、最近の政府主導のあり方に、追随しているかのような印象を受けます。そういえば、下町の金沢米店の砂金さんの、「規制緩和は、自由競争を唱えつつ、強者による何でもありの強者のための自由がその正体なのだ」という意見に賛成です。
下に抜き書きしたのは、この本のなかで、「種子法廃止はアグロバイオ企業による農と食の支配に道を開く」を書いた安田節子氏の1節です。
誰が考えても、この種子の保存は大切なことだとわかるはずなのに、国民がほとんど知らないうちに種子法廃止の流れになってしまったことに危惧を感じるのは、私だけではないはずです。政治家たちも、もう少し国民の食の大切さをしっかりと考えてほしいと感じながらこの本を読みました。
(2018.5.28)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
種子法廃止でどうなる?(農文協ブックレット) | 農文協 編 | 農山漁村文化協会 | 2017年12月5日 | 9784540171697 |
☆ Extract passages ☆
「種子の保存」とは、播いて、育成し、種子を採る、このサイクルを繰り返すことなのだ。播かれなくなった種子は消える。一度失われた遺伝子資源は、二度と同じものを手に入れることはできない。農試が担ってきた各地に適応した多様な遺伝子資源の保存こそ、冒頭に触れた食卓の豊かさや地域の食文化の土台であり、なにより食料安全保障の要なのだ。
(農文協 編 『種子法廃止でどうなる?』より)
No.1519『寿命の9割は腸で決まる』
この時期は、シャクナゲの花が咲いたり、山野草などもたくさん咲くので、ほぼ毎日、小町山自然遊歩道に行って写真を撮ります。戻ると、その撮った写真を整理するので、なかなか本を読む時間をつくるのが大変です。気がつくと、読書ペースはだいぶ落ちていますが、まあ、花は1年にたった一度ですからそれに気持ちが向くのは仕方のないことです。
この本の題名のように、寿命は腸でその9割が決まるとは考えていませんが、以前聞いた「腸は第二の脳」というフレーズが気になっていて、読むことにしました。でも、たしかに寿命に大きく関わっていると読み終わって思います。
この「腸は第二の脳」という説明は、「腸は「セカンド・ブレイン(第2の脳)」と呼ばれることがあります。この「セカンド・ブレイン」とは、アメリカのコロンビア大学医学部の解剖・細胞生物学教授であるマイケル・D・ガーション教授によって命名されました。小腸・大腸を合わせた腸には、脳と同様に神経系、内分泌系などが存在し、脳の神経細胞数的150億個と比較すれば少ないものの、脳に次いで神経細胞数が1億個と2番目に多いので、ガーション教授は、腸は「セカンド・ブレイン (第2の脳)」だとしたのです。」とありました。
そして、その説明をさらに読むと、なるほどと思いました。
では、この腸にいちばん良い食事はというと、著者は「地中海式和食」だといいます。つまり、日本の和食に地中海型食生活をプラスしたものです。そういえば、2017年(平成29年)7月18日に105歳で亡くなられた日野原重明氏は、食事は少食で毎日オリーブ油を飲んでいたと聞いたことがあります。そして健康法は、運動と粗食だと自らおっしゃっています。そして、今の若者は食生活が豊か過ぎるから、老化が早いのではないかと心配していたそうです。
著者は、昔からの和食で、出汁のうま味を使って料理されたものだといいます。そして、「地中海式和食とは、家庭料理のなかにオリーブオイルや植物性乳酸菌を上手に取り入れて、美味しく健康的に食べる方法なのです。地中海型食生活と和食の違いは、オリーブオイルを摂るか摂らないかと、発酵食品(植物性乳酸菌)や出汁を多く摂るか摂らないか、この2点だけです。」と書いています。
そういえば、1985年には都道府県別男性平均寿命のランキングで沖縄県が第1位だったそうですが、2000年には26位まで下がったそうです。その原因は、1975年当時の65歳以上の方たちは、植物繊維が豊富で低カロリーや低脂肪の質素な食事をしていたから長生きできたといいます。ところが、その後、食事が欧米化するにしたがって、男性の平均寿命も下がり続けてきたのだそうです。だから、和食も昔ながらの食事のことです。
下に抜き書きしたのは、ファイトケミカルについての文章です。最近、よく聞く言葉ですが、なんとなくわかったようなわからないような言葉だったので、なるほどと思いました。やはり植物はスゴイと思いました。人間は植物に嫌われたら、1日も生きていけないというのがよくわかります。
それと、野菜を食べる順番もあるそうで、これも目から鱗でした。ついでに、それも書き写しますと、「野菜など食物繊維を多く含んだ食材は、食事の最初に食べたほうがいいでしょう。先に述べたように、食物繊維には、肉などに含まれる動物性脂肪を吸着して体外に排出する作用があります。先に食物繊維を含む食品を食べておくことで、あとから入ってくる肉などの脂肪を包み込み、体内に吸着するのを防ぐことができるのです。また、野菜を先に食べることで、血糖値の上昇カーブをなだらかにすることもできます。」ということでした。
(2018.5.25)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
寿命の9割は腸で決まる(幻冬舎新書) | 松生恒夫 | 幻冬舎 | 2018年1月20日 | 9784344984820 |
☆ Extract passages ☆
ファイト(フィト)はギリシャ語で「植物」、ケミカルは英語で「化学」という意味ですから、ファイトケミカルとは日本語で「植物がつくる化学物質」と訳されます。またファイトケミカルは植物だけがつくれる成分であり、ヒトや動物にはつくり出せません。その意味でもたいへん貴重な成分です。
日光を多く浴びた野菜や果実ほど、ファイトケミカルをたくさん含んでいるといわれますが、このファイトケミカルには3つに大別される重要な働きがあります。抗酸化作用、免疫を強める作用、がんを抑える作用です。
(松生恒夫 著 『寿命の9割は腸で決まる』より)
No.1518『東京 マニアック博物館』
孫の夏休み旅行を計画していたとき、東京に行きたいということで、いろいろと探しました。ディズニーランドはアトラクションでの待ち時間がもったいない、八景島シーパラダイスは遠すぎるなどと考えると、なかなか適当なところが思いつきませんでした。
そんなとき、図書館に行くと、この本を見つけ、このなかには孫が喜ぶ施設があるのではないかと思い借りてきました。開いて見ると、私もぜひ行って見たいところがいくつかありました。
たとえば、「樫尾俊雄発明記念館」です。ここはカシオ創業者の一人である樫尾俊雄氏が実際に住んでいたところをそのまま公開した記念館で、よく考えごとをしていた部屋にも入ることができるそうです。思えば、中学生のころ、ある旅館でカシオの計算機を買ったので見せてもらったことがあります。たしか値段は10万円ほどしたと聞きましたが、その当時の金額ですから相当高いものだったと思います。その計算機の第1号機「14-A」も展示され、今も動くというから驚きです。重さは140Kg、値段は書いてありませんが、ネットで調べてみると485,000円ですから、高価な計算機です。
そして、さらに見てみたい博物館は、「ブレーキ博物館」です。まさか、このような博物館があるとは思ってもいませんでした。これは墨田区江東橋近くにあり、中川ライニング工業墨田営業所の2階にあるそうです。
考えてみると、車でも電車でもブレーキがあるから走れるわけです。だからこのブレーキは日常のさまざまなところで活躍していて、まさに縁の下の力持ち的存在です。館内には、整備不良で自動車のブレーキの効きが悪くなった状態をシュミレーションで体験できるそうで、これはぜひやってみたいと思いました。
それと、「太鼓館」というのもおもしろそうです。これは台東区西浅草の太鼓や神輿の老舗「宮本卯之助商店」の資料館だそうで、日本だけでなく、アジアやアフリカ、ヨーロッパ、アメリカなどの太鼓や打楽器なども展示しているそうです。ここの特徴は、展示している太鼓の多くを実際に叩けるところで、ときどき来館者同士で自然とセッションが始まることもあるそうです。これも、楽しそうで、一度は訪ねてみたいと思いました。
この本は写真が多く、見ているだけでも楽しくなりますが、抜書きする文章は、ほとんどありません。いつもはこの下のところに、これだけは伝えたいというところを抜書きするのですが、それもほとんどなく、仕方ないので、監修者の町田忍氏の「マニアック博物館の楽しみ方」の一部をここに掲載させていただきました。
ここに出てくる江戸東京博物館でのモースのコレクション展は、2013年9月14日から12月8日まで開催されたそうです。町田忍氏は、この本でも紹介されている「三十坪の秘密基地」の名誉館長をしているということなので、その思いが伝わるのではないでしょうか。
(2018.5.21)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
東京 マニアック博物館 | 町田 忍 監修 | メイツ出版 | 2018年3月20日 | 9784780419993 |
☆ Extract passages ☆
コレクションをしたり関心を寄せたりするモノの基準は、庶民生活で愛用され、なおかつ安くて、でも歴史があまり知られていないモノ。銭湯、納豆、霊枢車、甘栗、牛乳瓶の蓋、蚊取り線香、くじらの缶詰、インスタントラーメン…挙げればキリがありません。美術舘や博物舘にあるような工芸品は大切にされますが、庶民生活に密着したモノほど記録に残り難いんですよ。江戸東京博物館でモースのコレクション展が開催されましたが、あの人が明治時代に日本に来て、庶民の日用品をアメリカに持ち帰ったからこそ残すことができたんです。
(町田 忍 監修 『東京 マニアック博物館』より)
No.1517『いとも優雅な意地悪の教本』
最後まで読んでも、「優雅な」という形容詞をなぜ使ったのかと、「教本」の意味があまりよくわかりませんでした。
この本は、『すばる』の2016年5月号から12月号まで連載されたものだそうで、それに加筆・修正したそうです。この本では、樋口一葉や夏目漱石、ムラサキシキブや清少納言など、いろいろな作家の作品も取りあげて、意地悪の本質に迫っています。
たとえば、樋口一葉についてですが、「樋口一葉の文章は流麗でリズミカルに進んで行く。だから、その流れに乗って行く人は、そこになにが善かれているのか分からないまま、平気で心地よく流れて行く。その流れに乗っかれないのは、文語体の文章に慣れていなくて、いちいち立ち止まって「これはなんのこと?」と意味を拾おうとする人だけですが、そういう人は途中でお手上げになって、樋口一葉を投げ出すでしょう。」と書いています。しかも、樋口一葉は頭がいいから、たとえば、「ジェットコースターに乗せられて、「途中であなたの悪口を書いた小さなプラカードをどこかで出しますから、気づいて下さいね」と言われたって、そんなもん分かりやしないのが普通です。」が、それをできるといいます。
樋口一葉をそのようなほめ方をするのを聞いたのは、この本が初めてです。私には、彼女の文章はとてもリズミカルだというぐらいしかわからず、そこに意地悪を感じたことはありませんでした。
でも、この本のなかで、中国について書いてある文章をみて、なるほどと思いました。それは、「中国には「善の対極にある悪」というものが存在しないので、「悪いことをした」という壁にぶつかって、その「悪いこと」がストップをかけられるということがないのです。「私のしていることはまだ"正しい″の範囲内だ」と考えて、「正しくない」の方向に大分はみ出した末に、(自分も含めた)誰かに「もう正しくないぞ!」と指摘されて止まるか、それでも「"そんなことない!″とバッくれて、一向に改めない」というようなことになるわけですね。」という文章を見て、特に今の中国の外交などを考えると、納得できます。
つまり、悪は正しくないこと、という儒教の教えで、正しくないことは「よくないこと」ということになり、だから正しいことだけをするという考え方です。ということは、「正しい」と思ってやれば、すべてよいことということになり、なんでもできるということになります。ちょっと詭弁のような気がしますが、そう考えるとなるほどと理解できます。
下に抜き書きしたのは、暴力と意地悪の違いについて書いているところです。
たしかに、その違いはわかりますが、言葉の暴力というのもあり、その違いは言葉の使い方や単純さのようで、すぐわかってしまうのは言葉の暴力に多そうです。でも、著者は、意地悪には洗練を必要とする「知的かつ優雅な行為である」となんどか言っていますが、私は根っこは同じような気がするので、優雅な意地悪というのはないのではないかと思いました。
(2018.5.18)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
いとも優雅な意地悪の教本(集英社新書) | 橋本 治 | 集英社 | 2017年9月20日 | 9784087208993 |
☆ Extract passages ☆
暴力というのは、実行行為だけではなく言葉の上だけであっても、単純な行為なので、「誰がやったか」はすぐに分かります。「誰がやったか」が分かる上に、単純な行為はその単純さゆえに、簡単に伝播します。つまり、暴力は簡単に応酬され、簡単に連鎖を生むということです。
ところが、意地悪というものは、暴力と違って複雑な行為です。「誰がやったか」がすぐに分かってはいけないというのは当たり前で、「なんのことなのかよく分からない」というのが意地悪です。
(橋本 治 著 『いとも優雅な意地悪の教本』より)
No.1516『「おいしさ」の科学』
誰しも美味しいものには目がないと思いますが、では、それを美味しいと思うのはなぜ、と聞かれるとなかなか答えられないのではないかと思います。もちろん、私も無理なので、たまたま手に取ったこの本を読むことにしました。
でも、5月12〜13日は、「第42回三沢 山野草展」の開催で、その前は準備などでとても慌ただしく、なかなか本を読むことができませんでした。この時期は、いつもそうですが、今年もバタバタと過ごしてしまいました。
それでもなんとか読みましたが、わかったかというと、なんとなくですが、おいしいを科学的に分析しても、意外とつまらないと思いました。
たとえば、肉のおいしさはというと、「味の中心になるのは、主にアミノ酸であるグルタミン酸と核酸関連物質であるイノシン酸によるうま味です。筋肉中のグリコーゲンが分解されてできた乳酸が酸味になり、グルコース-6-リン酸という糖などが甘味になります。食肉は解体後、熟成させてから出荷されます。そのときにできたアミノ酸やペプチド、核酸関連物質などに加え、脂肪が肉特有の味やコクになっていると考えられています。さらに、複雑な味のバランスをとる成分ができることもわかっています。」と書かれていますが、たしかにいろいろなうま味成分があり、それらが美味しいと思わせるというのはわかります。でも、それでもなんとなく、おいしさの秘密がわかったという気持ちにはなれません。
ただ、よく、「肉は腐る直前がおいしい」といわれますが、腐るというのは腐敗菌が繁殖し、食べられなくなることです。でも「熟成肉のおいしさは、うま味が増すことに加え、独特のやわらかさや熟成肉特有の複雑な香りの要素が大きいのです。熟成肉は硬い赤身肉をおいしく食べるために工夫されたものです。」という説明には、ほんとうに納得できました。
やはりおいしさには秘密があり、なぜがあると思いました。
お米のおいしさについても、「米の魅力は、魚でも野菜でもどんなおかずにも合うこと、そして食べ飽きないことにあります。これは、ご飯の味が非常に淡白なことによるものです。ご飯を口に入れただけではほとんど味はせず、噛みしめるとかすかな甘味やうま味を感じます。また、いくら噛んでも味は変わりません。」とあります。
たしかに、飽きないし、どんなおかずとでも相性がいいようで、和食でも洋食でも、中華でも、白いご飯があるとおいしいと思います。また、この本には、ご飯を中心として和食は、栄養のバランスもいいと書かれていました。だからこそ、世界的にもそれが認められ、和食が広がっています。
下に抜き書きしたのは、最初のほうに書かれている「おいしい」ということは、すなわち「食べてよい」ということだといいます。
やはり、人は何だかんだと言ってみても、食べなくては生きていけない存在です。だとすれば、これは食べられるか食べられないかという見極めは、とても大事なことです。その見極めの一つが「おいしい」ということだとこの本には書かれていました。
(2018.5.14)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
「おいしさ」の科学(BLUE BACKS) | 佐藤成美 | 講談社 | 2018年3月20日 | 9784065020517 |
☆ Extract passages ☆
実はおいしさは舌や口の中ではなく、脳で感じています。食べ物を食べるとき、まず食べ物のにおいを感じ、食べ物の色や形を認識し、口の中に入れます。口の中では味はもちろ
んのこと、かたい、やわらかいなどの食感を感じ、耳では「ポリポリ」といった食べ物の音を聞いています。
このように、私たちは、喚覚、視覚、味覚、触覚、聴覚の五感を使って食べ物のあらゆる情報を受け取っています。脳は五感を使って食べ物の情報を受け取ると、それを食べてよいか悪いか判断します。食べてよいと判断すれば、おいしいと感じるしくみになっており、必要な栄養素を摂取するのです。
(佐藤成美 著 『「おいしさ」の科学』より)
No.1515『生物学の基礎はことわざにあり』
岩波ジュニア新書は、ジュニア向けとはいえ、内容もバラエティに富んでいて、説明もしっかりとしています。だから、新刊があると、今までもそうとう読んでいると思います。
この副題は「カエルの子はカエル?トンビがタカを生む?」とあり、いずれも言い習わされたことわざです。おそらく、知らない人がいないし、その意味もほとんどの方は知っているのではないかと思います。
この本を読んでいるときは、ちょうど12〜13日に地区の山野草展があり、その前に地元の小学生3〜4年生に山野草や自然の話し、さらには実際に山に入ってさまざまな活動をします。だから、子どもたちにいろいろとお話しをするので、そのおもしろい話題でもないかと思いながら読みました。
そして昨日9日には、外孫に会いに行き接していると、似ているような部分と似ていないようなところなどもあります。この本には、父由来の染色体が母由来の染色体の一部を含み、母由来の染色体は父由来の染色体の一部を含むと書いてあります。これではあまりよく分からないのですが、染色体そのものも多様化しているということです。つまり「ヒトは23対、合計46本の染色体を持つので、2の23乗種類(838万8608種類)の精子ないし卵子が生じる可能性があり、精子と卵子の合体した受精卵では、組み合わせの数は、2の23乗×2の23乗通りになります」ということです。父母という2種類の要因によっても、子どもの遺伝子は非常に多様化するというのが、これでもわかります。
まさに、一人一人がとても貴重な存在です。
そういえば、昨年の9月、イギリスのエジンバラ植物園の標本館でダーウィンが直接採取した標本を見せてもらいました。とても感激しましたが、ダーウィンが提唱した進化論も、この本で簡素に解説していました。それによると、
@生物の持つ形質は同一種のなかでも違いがあり、また、形質変異により常に多様化する可能性を秘めている。
Aそのなかで環境に最もよく適合した形質を持つ個体が子孫を多く残せる(適者生存と自然選択)。
Bこのような過程を長く踏むことで、新しい生物種も生まれ、種の進化がもたらされた。
とまとめています。この進化論は、まだ突然変異とかさまざまな資料が少ない時代に、このような仮説を提唱するというのは、やはりすごいことだと思います。これで生物学も大きな飛躍ができたのではないかと思いました。
下に抜き書きしたのは、ヒトの長寿をユタ大学の人類学者クリステン・ホークス氏らのまとめた見解です。たしかにヒトを育てるには長い時間がかかりますし、今朝のニュースを聞いていると、新潟では小学2年生の女児が線路に放置され、死亡したということです。こんなとんでもない危険も潜んでいるわけですから、親だけでなく、祖父母、さらには地区全員で見守り育てるようなことが大切ではないかと思いました。
やはり、進化は必要だからこそそのように進んでいくわけで、いろいろと考えると生物学とことわざとの関連性はかなりあると思います。興味があれば、ぜひ読んでみてください。
(2018.5.10)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
生物学の基礎はことわざにあり(岩波ジュニア新書) | 杉本正信 | 岩波書店 | 2018年3月20日 | 9784005008698 |
☆ Extract passages ☆
ヒトの子どもは未熟に生まれ、無事育つには親の助けが必要です。食物を探したりするためにいそがしい母親にとっては、おばあちゃんが子育てを助けることは、たいへんありがたいことです。万一、母親が死んでしまっても、おばあちゃんがいれば子どもは生きのびることができるでしょう。したがって、長寿の遺伝子は進化の過程で子孫に引き継がれる可能性があるということになります。
ホークスらはこのような効果を「grandmothering」と名付けましたが、筆者らはそれを著書『老化と遺伝子』で、「おばあちゃん効果」と訳しました。
(杉本正信 著 『生物学の基礎はことわざにあり』より)
No.1514『トマトはどうして赤いのか?』
長かった大型連休も、今日で終わります。一般の人たちにとっては、楽しみでしたでしょうが、私は忙しく過ごしていました。その合間に読んだのがこの本です。この本も、どこで読み終えてもいいので、忙しいときには、とても有り難いものです。
副題は「身近な野菜を科学する」とあり、さまざまな野菜の不思議を、科学的に解明するというような本です。たとえば、ダイコンの辛みはどうしてあるのかとか、どこの部分が一番辛いのかというような話しがたくさん出ています。このダイコンについては、ダイコンのツルツルした上の部分は「胚軸」といわれるもので、下の部分は根っこが肥大したものです。それを頭に入れておくと、「胚軸は、根で吸収した水分を地上に送り、地上で作られた糖分などの栄養分を根っこに送る役割をしています。そのため、胚軸にあたる上の方は水分が多く、甘いのが特徴です。……一方、ダイコンの根の部分は、辛いのが特徴です。根っこは、地上で作られた栄養分を蓄積する場所です。しかし、せっかく蓄えた栄養分を虫や動物に食べられてはいけないので、辛味成分で守っているのです。ダイコンは下になるはど辛味が増していきます。ダイコンの一番上の部分と、一番下の部分を比較すると、下の方が十倍も辛味成分が多いのです。」のように説明されると、なるほどと思います。
そういえば、だいぶ昔ですが、エジプトのピラミッドをつくる人たちの水分補給にこのダイコンを食べさせたと聞いたことがありますが、スイカも原産地は熱帯アフリカのサバンナ地帯や砂漠地帯だそうですから、むしろダイコンよりスイカのほうが水分補給には良さそうです。
また、この本で、レタスを手でちぎっただけのサラダを「ハネムーンサラダ」というのを始めて知りました。これは、「Lettuce alone(レタスのみ)」という英語の発音は、「Let us alone(私たちだけにして)」という風に聞こえます。そのため、ハネムーンサラダと呼ばれているのです。」と書いてありました。
これを見たときに、新婦は若いのであまり料理が得意ではなく、そのような簡単なものしか作れないからではないかと、思いました。
でも、ヨーロッパでは、生食をするのはレタスぐらいで、ほとんどは火を通して食べていたそうで、日本でもサラダが食べられるようになったのは、比較的新しいものです。しかもこのレタス、これに含まれるラクチュコピクリンには、催眠を促す効果があるといいますから、眠れないときにはぜひ試してみてください。
下に抜き書きしたのは、ニンニクを食べると身体にいいのはなぜかという問いに答えているところです。
いいということは、よく聞きますが、どのようにして身体によく効くのかという点に関してはなかなかわからないと思います。興味があれば、ぜひ読んでみてください。
(2018.5.6)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
トマトはどうして赤いのか? | 稲垣栄洋 | 東京堂出版 | 2012年9月10日 | 9784490207903 |
☆ Extract passages ☆
じつは強い殺菌作用を持つニンニクの成分は、大なり小なり多くの生物にとって有害なものです。そのため、ニンニクを食べると有害な毒を排除しようと人間の体内の免疫力は高まり、防御体制に入ります。そして、人間のさまざまな生理作用が活性化されるのです。
また、さらにはニンニクの成分に刺激された人体は、臨戦態勢を取り、体内のナチュラルキラー細胞の働きを強めて、病気に対する免疫力を高めます。……
ニンニクやタマネギの刺激成分であるアリシンには、悪玉コレステロールを減らして血をきれいにし、血液の流れをさらさらにする働きもあります。
(稲垣栄洋 著 『トマトはどうして赤いのか?』より)
No.1513『もっと「話が面白い人」になれる雑学の本』
大型連休の忙しいときには、どこでも読み休めるような本がいいので、このような雑学本にしました。これだと、とっさに本を閉じても、前後のつながりがないので、読み続けられます。
そういえば、今年はサクラの開花が早く、しかもツボミから一気に満開になったみたいです。というのも、3月になって暖かい日が続いたばかりでなく、冬が寒かったことにもよります。
この本では、「桜の場合、春に花が散って青葉が出る頃には、もう次のつばみが葉の陰にできています。このつぼみの芽は夏の陽に照らされ、秋風に吹かれ、やがて厳しい冬を迎えます。実はこの冬こそ桜の開花ホルモンにとっては大切な経験なのです。厳しい冬の寒さを通って、春になると再び暖かくなります。つまり、いったん冷えてから、また暖かくなるこのプロセスを経ると桜の開花ホルモンは始動するのです。」と説明しています。
ということは、春になった暖かい日が続いたから開花が早まったのではなく、冬の寒さがとても厳しかったという前提が必要だったということになります。
おそらく、人間も同じで、いつも生暖かいなかで生きていると、なかなか花開きませんが、少し厳しい現実を体験すると、早く大人になるような気がします。
またこの本には、記憶力を増す方法なども書いてあり、「人間の記憶能力というのは、刺激する感覚が多いはど高められ、記憶が頭に定着しやすくなる」といいます。ということは、ただ黙読するより声を出して読んだ方が記憶に残りやすいし、さらにはメモをとりながら読めば、もっと記憶にとどめておくことができます。
たしかに、このようなことは経験済みですが、どうも声を出して読むのはなかなかできないので、メモだけはしっかりとるようにしています。これは大学生のころからしていることで、メモもずーっとB6の情報カードを使っています。以前は京大式とかいいましたが、今はコクヨの「シカ-13」の情報カードです。
このカードもたくさんたまり、なんとかしなければと思っているのですが、まさか捨てるわけにも行かず、今でも大切に保管しています。そして、ときどき眺めながら、20年前はこんな本を読んでいたと思い出したり、これなどは誰かに話すときにいいかもなどと考えるきっかけにしたりしています。
下に抜き書きしたのは、誰でも社長になると「社長らしくなる」という科学的な理由です。ということは、社長になるべくしてなるのではなく、ある意味、どんな人でも社長になると社長になるというから不思議なものです。
ただ、注意しなければならないのは、社長になったというだけで自分がえらくなったかのような錯覚に陥り、社長としての自覚に欠けるようになることです。だから、むしろ、社長というのは大変な思い責任がありますから、それまで以上の努力が求められることは間違いないことです。
(2018.5.3)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
もっと「話が面白い人」になれる雑学の本(知的生きかた文庫) | 竹内 均 編 | 三笠書房 | 2012年5月10日 | 9784837981169 |
☆ Extract passages ☆
なぜそうなるのか、アメリカの研究者がサルのボスを詳しく調べ、その研究結果をまとめました。それによると、ボスになった途端、ボスザルには神経伝達物質の一つであるセロトニンが2倍も増えることがわかったのです。そして、この物質は部下の信頼の厚いボスザルほど多く、部下にないがしろにされているボスザルには少ないということもわかってきました。
これはサルの実験からだけではなく、大学のサークル活動で、リーダーとそうでない学生の血液中のセロトニンを調べた結果でも、歴然とした差が出ています。
つまり、人間は想像している以上に環境に左右されやすい動物なのです。環境によって体の中の化学物質の量が変わり、その結果行動が変わり、性格も変わってしまうのでしょう。
(竹内 均 編 『もっと「話が面白い人」になれる雑学の本』より)
No.1512『この世はウソでできている』
この本の題名に先ずは惹かれ、でも、すべてがそうと言い切れないだろう、とも思いました。たしかにウソは多そうですが、そう言い切っては、なんかもの悲しいような気もしてきます。
ということは、先ずは読んでみなければと思い、読み始めました。この本も、たまたま手元にあったので、中国雲南省の旅に持って行った1冊です。
他国の空の下で読むと、少しは囚われないで読めるかな、とも思いました。
この本のなかで、「科学的言説も結局は多数決で決まってしまうような傾向になってしまっている。そうなると科学は、多数派と同じパラダイムの人に対しては好意的だけれども、異なるパラダイムのものに対してはシビアなシステムと化してしまう。」という意見は、なるほどと思いました。いかに自分で正しいと思っていたとしても、それを学会などで発表したとすれば、それを支持してくれる方がいなければ、一般的には受け入れてもらえません。
そういう意味では、科学も多数決で決まると言えなくもなさそうです。でも、世の中には、たとえ孤立しても、誰も支持してくれなくても、しっかりとした仮説を組み立てる人もいます。私的には、そのような学者をこそ、支持したいと思っていますが、だからといって、それで世の中が変わるわけでもありません。
でも、もし、そこに何にも利権が絡まなければ、押しつぶされることも、抹殺されることもないでしょうが、大きな利権があるなら、そのままにしてもらえそうもなく、犬の遠吠え扱いにされてしまうかもしれません。
著者は、だから「そんな科学にだまされずに生きるのは、難しい」といいます。
たとえば、「国の法律や規制と結びついた儲け話にはかならずといっていいほど国民の「健康」や「安全」のためにといった大義名分がついてまわるのだ」というのも、うなづける話しです。
下に抜き書きしたのは、なぜクレーマーが増えているのか、ということについて書いたところです。この考えは哲学者の鷲田清一氏が2011年3月11日に発生した東日本大震災によってあらわになったことから、生活に必須なインフラをすべて他人任せにしていくプロセスから生まれたのではないかといいます。
これを読むと、なるほどと思いますが、おそらくすべてがそうではないとも思います。著者の『この世はウソでできている』という題名のように、そう言い切ったほうが分かりやすいからという理由のような気がしました。
でも、本当にこのほうが理解しやすいと思いました。ぜひ読んでみてください。
そういえば、この鷲田氏の『「待つ」ということ』という本を読んだことがありますが、いかに今の人たちは待つことができないか、なぜできなくなってきたか、ということを鋭い視点で本質を突いていました。これもあわせて読んで見てください。
(2018.4.30)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
この世はウソでできている(新潮文庫) | 池田清彦 | 新潮社 | 2016年2月1日 | 9784101035291 |
☆ Extract passages ☆
人々は、水が出なくなれば水道局にクレームを言い、停電になれば電力会社にクレームを言う。供給を完全に他者に任せて依存してしまっているから、何かあって供給路が断たれてしまったときには自力でそれらを手に入れるということができない。ただただ供給者にクレームを言うことしか方法がなくなってしまっているのだ。自分では何もできないから、文句をつけること以外に解決方法を思いつかないのである。
それが習い性になると、何においても、ちょっと解決がつかないことがあったらすぐに、他人に文句を言う。そんな人が増えていくのは必然である。
(池田清彦 著 『この世はウソでできている』より)
No.1511『説得の極意』
著者の本は始めて読みますが、名前の「季」というのは、「とき」と読むそうです。そこで今どきのキラキラネームかと思ったのですが、パソコンで入力すると出てきたところをみると、そうではないようです。
副題は、「相手の「絶対に譲れない!」を「OK!」に変える」とあり、そのように説得するときの極意を書いてあるそうです。読んでみると、たしかにそのヒントは随所にみられ、なるほどと思いました。
たとえば、全体の立場としては、下に抜き書きして載せてありますが、そのひとつ、著者の考える傾聴のポイントは、次の3つを掲げています。
1.「無条件の肯定的関心」(受容)
2.「共感的理解」(共感)
3.「相手との信頼関係」(ラポール)
です。そしてさらに「私たちにとって傾聴の最大の目的は、情報の収集と分析です。だからこそ、無条件の肯定的関心を寄せ、相手の話に耳を傾けなければなりません。繰り返しますが、人が最も関心を寄せている相手は自分です。即座の批判や反論などをせずに話を聴いてあげるだけでいいのです。共感し理解しようとする姿勢を示すことによって、こちらを信頼してくれるようになり、信頼関係(ラポール)が形成されます。」と書いています。
たしかに、聴くというのはその漢字からもわかるように、注意して耳を傾けてとどめることで、ただ聞くということではありません。広辞苑にも、そのようなことが書かれていました。だからこそ、理解しようとする態度が相手に伝わることで、なお一層信頼関係が築かれることになります。このラポールというのは、もともとは心理学の用語だそうで、「セラピストとクライアントとの間の、互いに信頼し合い、安心して感情の交流を行うことができる関係が成立している心的融和状態を表す」のだそうです。
そして、最終的にお互いが「トゥルーリー・ウイン・ウイン」になるのが著者の弁護士としての役目だそうで、そのためには、「交渉における相手の立場や利益も考えなければ交渉は現実化しません。依頼人の利益を最大限に考えつつも、交渉が実現し、その後の両者の関係がうまく持続するように、つまり「トゥルーリー・ウイン・ウイン」を実現するのが私の務めです。」と言います。
下に抜き書きしたのは、著者が交渉するときの立場で、この「先生の立場」になってするということです。考えてみれば、自分の子どものときの先生たちも、たしか、このような考え方であったように思います。でも、なかには、いきなり自分が履いていたスリッパで頭を叩くという先生もおられましたが、今では懐かしい思い出です。
そして、先生の立場、すなわち大人になるということは、次の3つのキーワードに基づくのだそうで、「1つは「脱中心化」、2つ目は「傾聴」、3つ目は「論理的思考」ということです。つまり、「脱中心化」を獲得するためには「傾聴」することが必要であり、「傾聴」は「論理的思考」をするための前提となる」と、著者は考えています。
(2018.4.26)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
説得の極意 | 川瀬 季 | 大和書房 | 2018年3月1日 | 9784479796305 |
☆ Extract passages ☆
子どもの頃、同級生と喧嘩をしてしまい、先生に仲裁された経験をお持ちの方もいらっしやると思います。交渉力を高める鍵は、自らを「先生」の立場(子どもに交じった一人だけの大人の立場)とすることです。
そうすれば、あなたは問題のポイントを見抜き、どうすればいいかを判断し、大人の仲裁案を提示できる人になれるでしょう。不満や悩みを抱えた子どもに対して、解決案を提示することもできるでしょう。納得しない子どもが満足を得られるように交渉することが可能となるでしょう。
(川瀬 季 著 『説得の極意』より)
No.1510『出発前の「海外旅行のクスリ箱」』
本来は出発前に読むのがいいのでしょうが、旅先に持ち込んで読みました。でも、このような本は、やはり旅立つ前に読んで、しっかりと肝に銘じておくことが大切だと感じました。
でも、このような本を読むと、かえって心配が増えてしまい、ちょっと食欲が落ちても、どこか悪いのではないかと思ってしまいます。そこで考えてみると、山に入り、食べるところがなくて昼食を抜いたので、腹が減りすぎて食欲がなくなったことに気づきました。何度も海外に来ているので、ほとんど心配をしたことがなかったのですが、この本の影響なのか、いろいろと気になりました。それでも、友人の勧めで、今回は破傷風のワクチンを接種してきたので、少しは安心できます。
今日は4月22日ですが、中国雲南省の河口に泊まっています。ここはベトナムとの国境線にあり、目の前にあるソンホン川が国境です。川向かいの町はベトナムのラオカイで、いくつもの橋でつながっています。
昨日までは雲南省の文山や馬関などの山を歩きましたが、ここ河口は亜熱帯の気候で、暑いぐらいです。山形のまだ雪の残るところからここに来ると、身体のほうがなかなか馴染まないようです。でも、ここにはおもしろい植物がたくさん自生していて、時間を忘れて歩き回り、疲れたと思うと、もう夕方でした。
そういえば、5〜6年の前のことですが、ミャンマーでいっしょに来た方が腹痛を訴えて、そのとき薬学部の先生が便の色などを聞いていましたが、この本にもその記述がありました。それによると、下痢が重症かどうかの見分け方は、「高熱(39度以上)が出る、下痢が1日に5回以上、そして3日以上続く、便の色が変わる(米のとぎ汁のようで白いなど)、便に血が混じる、便が異様に臭い、渋り腹で腹痛を伴うなどの時は重症かもしれない、というシグナルです。下痢が続くと便とともに体から水分が失われます。そこで水分の補給を心がけないと脱水症状を起こしてしまいます。」と書いてあり、脱水症状も続くと危険だそうです。
下に抜き書きしたのは、よく聞く「エコノミー症候群」についてです。この名前から、長く狭い飛行機の座席に座っていると発病すると思っていましたが、それだけではないそうです。こうした状況下で起こり得る健康障害としては、「深部静脈血栓症」というのがあり、それとほとんど同じような症状のようです。
また、この障害の発見は、意外にも戦争のときと知り、ビックリしました。
この予防策としては、「@長時間、座ったままの姿勢でいることを避け、時々体を動かす、そのために通路を歩く、A下半身の運動をして血液の循環を促す、Bこまめに水分を補給し、血液の流れを促進させる、などが効果的です。」とありますから、ぜひやってみてください。
そういえば、昨年の夏、イギリスに直行便で行った時に、飛行機に12時間30分ほど乗っていましたが、途中でなんどか通路を歩いたり、トイレを待っているような振りをして背伸びをしたり、何度か座席を離れました。後付になりますが、それがとても良かったと知り、これからもそうしようと思いました。
(2018.4.23)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
出発前の「海外旅行のクスリ箱」(講談社+α文庫) | 大利昌久 | 講談社 | 2008年3月20日 | 9784062811897 |
☆ Extract passages ☆
深部静脈血栓症は、動脈を通って体の隅々に送り出された血液が、心臓へと戻ってくる静脈の中で流れが悪くなり、その結果、血の塊(血栓)がつくられて、血液循環が止められたり、血液の流れに支障をきたすという病気です。
長い間座っていて、足がむくんだ経験はありませんか。足の静脈は心臓から最も遠い場所にあり、重力の影響で血液がたまりやすい、いわば血液の渋滞ポイントです。これに加えて、長時間、同じ姿勢で座っていると血液の循環がさらに悪くなり、血栓ができる可能性が高くなります。
ちなみに、この病気が知られるようになったのは1940年、第二次世界大戟の最中にロンドンが大空襲に見舞われた時でした。防空壕の中に避難していた高齢者が多数亡くなるという事故が起こり、その原因を調査したところ、長時間じっと座り込んでいたことから、深部静脈血栓症を発症したものと判明したのです。
(大利昌久 著 『出発前の「海外旅行のクスリ箱」』より)
No.1509『一度は行きたい 日本の自然風景』
4月14日の午後に山形新幹線で東京へ出て、そこから京成線で成田駅の近くのビジネスホテルに泊まりました。そして、翌15日には、成田空港第1ターミナル南ウィングから午前8時55分発中国国際航空で上海へ飛び、さらにそこで乗り換えて昆明長水国際空港に着きました。時間にすれば、成田から上海までは2時間35分でしたが、上海から昆明までは3時間20分でした。といううことは、飛行機の違いはあったとしても、中国国内の方が時間がかかったということになります。
ここ雲南省には、何度も来ていますが、やはり四季如春といわれるところだけに、とても過ごしやすいところです。
でも、このようにいいところは、日本にもあると思い、選んだのがこの『一度は行きたい 日本の自然風景』です。タイトルには、「バラエティに富んだ美しい日本の自然風景100か所を収録」とあり、地図作りの出版社がつくったものなので、100MAPも付録に付いていました。
もちろん、一種の旅行ガイドブックみたいなものですから、写真が多く、文章はその紹介文程度しかありません。サーッと見ていると、あっという間に終わってしまいます。でも、自分が行ったところと、まだ行ったことがないところを分けたり、これから行くにはどれとどれを組み合わせたほうがいいとか考えながら見てみると、楽しくなります。
よく、旅行は、行く前の計画も楽しいといいますが、たしかにそうです。いつ行けるかわかりませんが、行くとすれば、いつの季節が一番きれいだとか、そこの場所に行く時間帯はなどと考えると、たった1ページでも、いくらでも空想が広がります。やはり、旅行のときには、旅行の本がいいようです。
でも、中国に来ていて、日本の風景を思い浮かべるのも不思議なことです。そして、中国には中国らしい風景があり、日本には日本らしい自然風景があると思いました。雲南省は乾季と雨季がありますが、今は乾季です。だからほとんど雨は降りません。どこもカサカサに乾き、しっとりしたところがありません。ところが、この本に掲載されている日本の自然風景のほとんどが瑞々しく感じられます。そして滝とか川とか、そして海岸線とか、水そのものが主役のようなところが多いようです。
やはり日本は水の多い島国です。しかも、美味しい名水もあり、だから美味しい食べものや飲みものもあります。外国に出て、始めて日本の良さを知るといいますが、たしかにそのような面はあると思います。
下に抜き書きしたのは、イントロダクションに書かれていたもので、やはり地図作りのときがこの本をつくるきっかけになったと書かれていました。
もちろん、まだまだ行っていないところがありますので、これからそれらを訪ね歩きたいと思っています。
(2018.4.20)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
一度は行きたい 日本の自然風景 | 昭文社編集部 | 昭文社 | 2018年1月1日 | 9784398145642 |
☆ Extract passages ☆
ページをめくるだけで、ふと仕事の疲れを忘れて、癒やされる。そんな本を作りたい――。こんなひと言から、本書は始まりました。
全国のさまざまな旅行ガイドブックを作っていると、「日本ってほんとうに美しい」と思うことが多々あります。国立公園や世界遺産、多彩な100選などの枠にとらわれることなく、気になった風景を一冊にまとめたら、より多くの人に日本の美しさが伝わるのでは…と考えました。
(昭文社編集部 編 『一度は行きたい 日本の自然風景』より)
No.1508『運は人柄』
著者の名前は知らなかったので、先に後ろのプロフィールを読むと、漫画原作者と書いてありました。私はほとんどマンガを読まないので、知らなかったのですが、代表作に「築地魚河岸三代目」や「東京地検特捜部長・鬼島平八郎」などがあるそうです。
今、日本のマンガは、世界的に有名ですから、自分が読まないからといって、もしかすると、そこにはとんでもないおもしろさが隠されているかもしれないと思い、この本を読むことにしました。
漫画家として成功するには、著者は「才能・努力・運」だといい、その割合がおおむね「才能1・努力2・運7」だといいます。つまり、成功するためには運が7割ほどしめるということです。しかも、その「運」とは「人柄」だといいますから、必要な「コミュニケーション・スキル」を高めさえすれば、なんとかなるといいます。
でも、そういわれれば、希望も湧いてくるというものです。それで、ついその先も読み続けました。
この本には、当然ですが漫画のことが多く出てきますが、1つだけ映画のことも取りあげられています。それは『インビクタス/負けざる者たち』というアパルトヘイトを撤廃した南アフリカのネルソン・マンデラ大統領とラグビーの南アフリカ代表チーム「スプリングボクス」を描いたものだそうです。私は観ていないのでわかりませんが、この本によると、マンデラさんがアパルトヘイト撤廃で揺れる「スプリングボクス」(選手は白人ばかりでした)を、白人と黒人の和解、団結の象徴にしようとするストーリーです。
著者はこの映画を観たときに、テーマがなにかよくわからなかったそうです。でも、あるとき、「ハッ!」と、この映画は挨拶や声掛けの力を描いたのではないかと気づいたそうです。つまり、「「些細なことでもいいから言葉をかける」ことが世界を変える。ポッンポッンと雨が降りはじめたように落としていった波紋でも、やがて大きく連鎖して広まると奇跡を起こし得る。この映画はそんな言葉の持つ力、強さ、日頃から言葉を発することの意味と重さをテーマとして描いたのではないかと感じるのです。」といいます。
だから、たんなる日常の挨拶でも、ちょっと一言、たとえば「おはよう」の後になんでもいいから一言加えてみるといいのではないかと。そうすれば、たしかに習慣としてだけではない、話しのきっかけになると私も思いました。
また、私たちが想像する漫画家というのは、締め切りに追われて不摂生な日常というイメージがありますが、著者もそういう漫画家もいるが、なかには60代や70代になっても第一線で活躍していたり、意欲的に新作を発表したりする漫画家もいるそうです。そのようなタイプの方には、「共通した日課がありました。それは「散歩」と「昼寝」をよくすること。……科学的な根拠こそわかりませんが、この状況をみるに散歩と昼寝はストレス発散に大きな効果があり、またなんの副作用もなく心身を健康にしてくれるにちがいありません。というわけで、わたしも実践しています。」とあり、なるほどと思いました。
下に抜き書きしたのは、故松下幸之助氏の有名な話しです。やはり、このような名言には普遍性があり、時代が変わっても言葉の意義は失われないと思います。
そして、自分は運がいいと思えるってことは、とても大事なことだと考えました。
(2018.4.16)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
運は人柄(角川新書) | 鍋島雅治 | KADOKAWA | 2018年2月10日 | 9784040821658 |
☆ Extract passages ☆
有名な話ですが、松下電器(現・パナソニック)の創業者で「経営の神様」と呼ばれる松下幸之助は、人を採用する際の面接で必ず「きみは運がいいか〜」と尋ねたそう。そこで、「わたしは運がいいです」と答えた人間を基本的には採用していたというのです。松下幸之助の本心こそわかりませんが、「自分は運がいい」と思っている人間は、生まれ育った環境に恵まれていたと推測したくなります。すべてとは言い切れないにせよ、その多くが親や兄弟、友人などから愛されて可愛がられた経験があるはずです。
愛され、可愛がられたからこそ、他者から助けられて勝負に勝ったり、さまざまな局面を打開した経験や記憶がある。つまり、人柄がいい人間の"証拠″を持っているのです。
(鍋島雅治 著 『運は人柄』より)
No.1507『本の本 夢眼書店、はじめます』
著者の夢眼ねむさんって、知らなかったけど、自分でアイドルをしていますと書いてます。でも、自分のことをアイドルっていうの、ちょっと違和感がありました。
しかし、本が好きということは、しっかりと伝わってきて、アイドルだからこそ物怖じしないでどんなところへでも、どんな人でも、はっきりと聞けるのかな、と思いました。
しかし、著者も最近の本離れのことは気にしていて、それを何とかしたいという思いが、夢眼書店をはじめるきっかけになっているようです。しかも、何ごとにも積極的で、たとえば、少年ジャンプの編集部を訪ねて、編集者から、「帯をアイドルの方に書いていただけたら、それこそ作家さんも嬉しいはずです」といわれ、「「夢眠書店オリジナル帯」か……。やろうかな。」というところなどは、いかにも若いという印象です。
この本で知ったのは、今までこの『本のたび』でも、便利そうだからという単純な理由でISBNの欄を設けていたのですが、意外に大事なコードだったようです。その理由をこの本から抜き出してみると、説明してくれたのは日本出版販売株式会社の古幡さんで、「(国際標準図書番号)の略語です。数字の配列には意味があって、頭3桁の978は固定、その次の4が日本を表しています。その次から出版者記号、書名記号、チェックデジットという並びになっています。……昔からある出版社さんほど2桁くらいの小さい番号を持っています。新しい出版社さんだと6〜7桁が出版者記号になっている。その続きの番号がその出版社から出ている書籍に割り振ることのできる番号なんですが、全部で13桁というのは変わらないので新しい出版社さんはど残りの桁数が少なくなります。たとえば出版者記号が6桁の場合は書名記号が2桁分なので、100冊しか流通できなくなっちゃう。」ということだそうです。
でも、それ以上の本を出版したいとすれば、新しい出版者記号を取得するしかないそうで、だから老舗の出版社だと2桁の記号なので、書名記号はたくさん使えるということになります。なんか、新しい出版社には不利なようですが、ISBNがないと本を流通できないので、仕方がないのかもしれません。
下に抜き書きしたのは、クラフト・エヴィング商會という装幀デザインなどを手がける吉田篤弘さんが、浩美さんの「物語の扉を作ること」という言葉の流れから本屋さんについて語ったことです。
たしかに本屋さんとしては立ち読みばかりが増えれば困りますが、それがとても大事なことだという発想は、とてもユニークだと思いました。
だとしたら、図書館でイスに腰掛けて読んでも同じことなので、これからはただ借りてくるだけでなく、それもしてみたいと思いました。
(2018.4.13)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
本の本 夢眼書店、はじめます | 夢眼ねむ | 新潮社 | 2017年11月30日 | 9784103513810 |
☆ Extract passages ☆
本屋さんというのは、常に新しいものが入ってきて、毎日、変動があって新しい扉が生まれる、そういうところだと思います。かけらや言葉を拾いあげる、という話が出ましたけど、一番言葉を拾えるのは、本屋さんで立ち読みすることなんです。タイトルを見て、「さて、どんな本だろう?」となったとき、その本のすべてを知ろうとするのではなく、パラパラッとめくってほんの何行か読む。その「拾い読み」で偶然読んだ言葉に何か感じるところがあったらメモしておく。そこから生まれたものがたくさんあります。本をめくるたび
言葉が発見されて、それがまた違う言葉と出会って広がっていく。そんな遊びを日常的にできるのは本屋をおいて他にないんですよ。
(夢眼ねむ 著 『本の本 夢眼書店、はじめます』より)
No.1506『撮ってはいけない』
最近、とくにSNS投稿が増えてきて、食事しながらもスマホで撮っている人もいるぐらいです。しかもインスタ映えするとかしないとか、撮るのが当たり前のようにして撮っているようです。
そこで気になったのが、どこでもそんなにも写真を撮って、それを考えもしないでSNS投稿をして拡散してもいいのかという疑問です。名所で写真を撮れば、必ずバックに人は写るし、その他のものも写ってしまいます。だとすれば、それは著作権に抵触しないのかと心配になります。撮影禁止と書いてあれば、当然、撮ってはいけないということがすぐにわかりますが、何にも書いてなければどこでも撮ってもいいのかというと、そうでもなさそうです。
そういえば、たまたま自撮りで撮って、帰ってから写真を整理していたら、後ろに人が写り込んでいたということもあります。あるいは、有名なショーウィンドーの前で写真を撮っていると、なんとなく撮っていいのかどうか、気になることもあります。私はそういうときには、人を少し入れて、撮ったりもしますが、やはり気になっていました。
この本では、写り込みについて、「写真や動画を撮る場合、スタジオ撮影でもなければ、被写体のバック(背景)には人物や乗り物、建物など様々なものが写り込みます。その中には、「付随対象著作物」といって、他人が著作権をもつ絵画やポスター、BGMやライブ演奏など著作隣接権のある実演や有線放送などもあるのです。この付随対象著作物は例外的に、著作権者の許可なしに利用できることになつています(法30条の2、102条1項)。」と説明しています。
この本を全部読み終えると、今まで気にしながら撮っていたのが、ほとんど著作権などには抵触しないことがわかったり、とても参考になりました。
これからは、自分だけで楽しむならいいでしょうが、SNSなどに投稿すると、誰にでも見ることができることになり、さまざまな問題が出てきます。それなども、いわゆる常識の範囲内だからいいということではなく、それなりの配慮は必要だと思いました。
それと、この『本のたび』もそうですが、本を読んで、これはいいと思う箇所を引用したりします。これなどについても書いてあり、とても参考になりました。ちなみに、この引用について認められるのは、
@公表された著作物であること
A引用の必然性があり、引用部分が明確になっていること
B必要最小限の正当な範囲内の引用で、引用部分と自分の著作部分との「主従関係」が明確になっていること
C出所を明示してあること
だそうです(著作権法32条1項)。
下に抜き書きしたのは、レストランなどで写真を撮ることについての著作権の問題です。最近、特に多いように感じますが、あまりにもワイワイと騒ぎながら撮っているのをみると、ちょっと迷惑ではないかと思います。
ある程度のマナーは、どんなときにでもあると思います。そういう意味では、「一声かける」というのはいいと思いました。
(2018.4.10)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
撮ってはいけない | 飯野たから | 自由国民社 | 2017年11月17日 | 9784426123758 |
☆ Extract passages ☆
撮影禁止の店でなければ、客は出てきた料理を撮ることは自由です。ただ、貸切や個室でない限り、周りに他の客がいることもあります。他人に迷惑をかけないように撮影してください。たとえば、フラッシュや自撮り棒、三脚などの使用はNGです。
ルール上は何の問題もなくても、店の人に「撮ってもいいですか」と声をかけた上でシャッターを切るのが、撮影者としてのマナーでしょう。
(飯野たから 著 『撮ってはいけない』より)
No.1505『お金をかけない「老後の楽しみ方」』
平均寿命もますます伸びて、定年退職後の人生も長くなってきました。考えてみると、65歳で定年になったとしても、日本の男の平均寿命は80.98歳(2017年調べ)ですから、16歳も老後が続くことになります。しかも、年金は下がる一方で、暮らし向きはそれにつれて下降気味です。
だとすれば、なるべくお金をかけないで老後を楽しくすごそうと考えるのは当然です。途中で、病気になって医者にもかかれないのでは困りますから、ある程度の蓄えは必要です。それだって、どれだけ生きるかによって違ってきます。せっかく長生きしたのに、お金のことで心配ばかりしていては楽しくありません。
著者は、『養生訓』を書いた貝原益軒のことに触れ、「多少の貯余曲折を経ながら「余人に代え難し」と言われて長く職にあり、71歳でようやく退官を許されます。益軒が自分の人生を思う存分に楽しみ出したのは、それからなのです。益軒は39歳と当時としてはかなりの晩婚でしたが、22歳年下の妻・東軒とは人も羨む仲睦まじさで、在官中も二人連れだって諸国を旅してまわっています。二人は共通の趣味を持っていました。益軒は琵琶、東軒は箏の名手。益軒の還暦の祝いの席では、二人で合奏を披露したそうです。退官後、益軒はさらに書物の著述に没頭しますが、かたわらで東軒がかいがいしく清書をしていたと伝えられます。著述の合間には音楽や芝居、旅に遊び、友人との交流を楽しんで暮らしますが、益軒あるところには必ず東軒の姿があり、「粋な夫婦」と評されていました。ところが正徳3(1713)年、益軒が84歳のときに、ずっと年下だった東軒を先に喪います。益軒はしばらくの間、気鬱になったのかと心配されるほど落ち込みますが、やがて気力を取り戻すと『養生訓』を上梓。しかし、東軒の後を追うように85年の生涯を閉じました。」と書いています。
ちょっと長い引用になりましたが、その当時の平均寿命は40〜50歳程度でしょうから、84歳の貝原益軒の書いた『養生訓』は、大変な評判で、何版も刷られたそうです。
やはり、この貝原益軒のような生き方こそが、老後の楽しみ方のひな形かもしれません。同じ趣味を持ち、お互いに支えたり支えられたりして、友だちとの交流もあり、さらに旅もしています。
むしろ、お金をかけないで、少ないお金で楽しむ工夫をするからこそ、有意義な人生を送れるのかもしれません。新聞などを読むと、老後の蓄えを高額な配当をうたい文句でだまされるということがよく出ています。老後はいくらあれば足りるということではなく、今あるお金でなんとかするという考えが必要ではないかと思います。
下に抜き書きしたのは、石庭で有名な竜安寺にある「知足の蹲踞」のことから、どんなに財があったとしても、欲が深ければ貧しいといいます。
この蹲踞は私も見たことがありますが、真ん中に「口」の字が彫られていて、まわりからそれを見ると「吾唯足知」とあり、「吾唯足るを知る」と読むことができます。つまりは、考え方次第だというわけです。
(2018.4.7)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
お金をかけない「老後の楽しみ方」(PHP文庫) | 保坂 隆 | PHP研究所 | 2013年7月17日 | 9784569760346 |
☆ Extract passages ☆
私たちが老いに向かうといっても、ある日いきなり老いていくわけではなく、それまで暮らしてきた住まいもあれば、暮らしの道具もある。衣食住のうち食はその都度求めなければならないでしょうが、衣や住は、いまあるもので十分足りているはずです。
いまあるもので「我慢する」のではなく、いまあるもので「充足する」。その切り換えができるかどうかが大切です。
すなわち、老後を豊かなものにできるかどうかは、年金の額や資産の多少などよりも、その切り換えができるかどうかにかかっているといえるでしょう。
「あれも欲しい、これも欲しい」という思いにとらわれているかぎり、永遠に充足は訪れません。
(保坂 隆 著 『お金をかけない「老後の楽しみ方」』より)
No.1504『私のエッジから観ている風景』
著者の名前は、ある人たちにとってはすぐに在日コリアンだとわかるそうですが、私は副題の「日本国籍で、在日コリアンで」をみないと、わかりませんでした。
そういえば、修行していたとき、1年ほど京都に住みましたが、そこは部落差別が今の残っていたようで、京都で長くいた人たちはすぐにわかるということでした。私はまったくわからず、というよりも何のこだわりもありませんでした。しかし、この本を読むと、やはりこだわるのは在日コリアンで、そのことを知っている人たちもある意味、こだわっているのではないかと思いました。知らなければ、こだわりようもない、というのが私の印象です。
しかし、同じ韓国料理でも、在日コリアンの、というよりは著者の家庭の韓国料理は、たとえばキムチなどでも漬けるのにコンブや魚醤を使うそうで、韓国で食べられているキムチとは違うそうです。ということは、同じ韓国国内でも違うのは当たり前で、地方によって、また家庭によってもみな違うということになります。いわれてみれば、日本の漬物だって、地方によっても家庭によっても、みな違うことと同じです。そう考えれば、違って当たり前と思いますが、差別を見つけ出すかのようです。
たとえば、関東大震災のあとに朝鮮人虐殺が起きたということは知っていましたが、それは1923年のことです。ところが阪神淡路大震災のときも2011年の東日本大震災のときも、さらには2016年の熊本地震のときも、その虐殺が起きないかと不安になったということです。著者は、「ネットを見ていると、何より不安を増大させたのは、2013年に起きたヘイトスピーカlたちによるデモだった。あのデモをきっかけに、多くの人たちが在日コリアンへの憎悪を表に出すことをためらわなくなった。「あの震災をきっかけに大きく変わった」という紋切り型の言葉をよく聞くが、それは私には生命を脅かす言葉として響いている。もし今、東京で直下型の大地震が起きたとしたらどうなるのだろう。私は災害が原因で死ぬことよりも、ヘイトスピーカーによる偏見に固められたデマによって、殺されるのではないかと不安になっている。」と書いていますが、おそらくその歴史を知らない人たちは、考えもしないことだと思います。
それよりも、韓国の慰安婦像をめぐる問題のことなど、たしかに忘れてはならないことですが、表だって指摘し糾弾することでもないと考える日本人も多いのではないかと思います。ある意味、早く解決して、みんな仲良くできたほうが良いと思う人たちだっているはずです。私もいつまでもいがみ合うよりは、仲良くできたほうがいいと思っています。
この本を読んで、「韓国では8月15日を「光復節」と呼んでいるが、大日本帝国によって、自由を奪われていた植民地の人々にとってはまさに「光が復び戻った日」であるのだ。」と知り、なるほどと思いました。どちらから観るかによって、まったく違うというのはこれでもわかります。
下に抜き書きしたのは、憲法についてのことです。たしかに憲法第9条第2項前段の「戦力の不保持」などは、まったく有名無実化しており、だからこそ改憲の話しがときどき出てくるのかもしれません。
でも、たしかに「キレイゴト」かもしれませんが、それにも理由があると感じました。改憲より、それを理想として護持するというのもあるのではないかと思います。
(2018.4.4)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
私のエッジから観ている風景 | 金村詩恩 | ぶなのもり | 2017年12月19日 | 9784907873035 |
☆ Extract passages ☆
「憲法」をただの「キレイゴト」として考える人たちがいるかもしれない。それは一面においては事実だ。しかし、時には人々の権利を奪う為政者への有効な武器にもなっていく。アメリカにおいて公然と黒人差別があった時代、キング牧師は常に合衆国憲法の理念に従うことを政府に求め続けた。それは憲法に書いてある「キレイゴト」を頑なにまで信じたからだった。自分たちの生きにくい世の中をどのようにしていくのか。そんなときに希望の光になったのは憲法という「キレイゴト」だった。
(金村詩恩 著 『私のエッジから観ている風景』より)
No.1503『オスは生きてるムダなのか』
この本の題名を見て、男なら衝撃を受けるのではないかと思います。絶対そのようなことはない、と思いたいんです。
これを読んでいたのは4月1日のエイプリルフール前後ですから、なんともウソっぽいと思いました。でも、最後まで読んでみると、たしかにあまり役に立っていない面もあるし、もしかして、将来はいらなくなるのではと考えさせられました。
たとえば、遺伝子の基本は、「体の中の遺伝子は男でも女でも基本的に同じである。違いはたった一つ、SRY(精巣決定遺伝子)があるかないかだ。この遺伝子はY染色体上にあり、SRYが働くと男になり、働かないと女になる。SRYは男になるためのスイッチで、ここから次々とさまざまな遺伝子のスイッチが入っていって、男になるための物質が作られる。女にも男になるための遺伝子は存在するが、ほとんど働かないのだ。だからSRYがあっても働かないと女になる。男と女の遺伝子レベルの違いはごく小さいのだ。」そうですが、違いはごくちいさいといわれても、その差は大きいと思います。
やはり、男と女では基本的には同じだとしても、役割はそれなりに違います。むしろ同じようにと考えても、できることとできないことはあります。
つまり、ヒトの性決定をするのはSRY遺伝子で、これが働くと次から次へと男らしさを決定する物質をつくる遺伝子にスイッチが入るそうですが、それは「SRYが働く前すなわち妊娠七週目まではまだ男女の差が分化しておらず、外見的には見分けがつかないのだ。したがってそのほんの少しの間だけSRYの働きをブロックしてしまえば、SRYがあっても男になれない。SRYは男を作る最初のスイッチを入れる遺伝子なのだ。あとはドミノ倒しのように、男になるのに必要な遺伝子のスイッチが次々と入っていく。最初のスイッチが入らないとドミノが倒れず、女になるのだ。」ということです。
つまり、女性はそのまま女性ですが、男性の場合は、妊娠後8週目からの遺伝子の働きで急激に男性化するようです。さらに、脳の女性化と男性化は、受精後14週から20週の間らしく、そんなことをどうやって調べているのか、それのほうが疑問です。
下に抜き書きしたのは、なぜ寿命があるのかという問いに答えたようなところです。もちろん著者の言い分ですから、これが正しいとは思いませんが、たしかにこのような理由もあるかもしれません。
つまり、これはなぜ生物は死ぬのかという意味につながり、なかなか難しい話しです。もし興味があれば、ぜひ読んでみてください。
(2018.4.2)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
オスは生きてるムダなのか(角川選書) | 池田清彦 | 角川学芸出版 | 2010年9月25日 | 9784047034693 |
☆ Extract passages ☆
個体が寿命をもつ根源的な理由は、恐らく子孫を残した後の個体は、進化的見地からは、生きていてもムダだという所にあるのだと思う。
自然選択は子孫の数を増やすことには味方したが、個体の寿命を延ばすことには冷淡だったことは確かである。寿命が長くても、子孫を残すことができなければ、進化的には何の意味もない。さらには子孫を作れなくなった親が資源を独占していると、子どもの資源がなくなるというやっかいな問題もある。……
もう一つの問題は寿命が長く、世代交代の遅い生物は進化の速度が遅くなることだ。
(池田清彦 著 『オスは生きてるムダなのか』より)
No.1502『大人のための言い換え力』
サッと読んでみて、なるほどという箇所が多く、これは読まなければと思いました。
この『本のたび』を書いていても、なんか、気の利いたいい言葉はないか、とよく考えますが、この言い換えについてもそうです。もう少し、別な言葉で言い換えができないかとよく思います。
この本では、言い換えの表現を「言い換えには全体として、「ぴったり」の表現を目指す方向と「ゆったり」の表現を目指す方向の、二つの対立する方向があることがわかるでしょう。……服で考えると、ぴったりの服は身体のラインをはっきり見せるもの、ゆったりの服は身体のラインを想像させるものと考えることができるかもしれません。ぴったりの服とゆったりの服は一長一短です。ぴったりの服は身体にフィットするのですが、ときにはきつく、息苦しく感じられます。これにたいし、ゆったりの服は着ていて楽なのですが、ときにはゆるく、だらしなく感じられます。服の場合、どんな場所のどんな場面でどんな人と過ごすかというTPOが重要になりますが、言葉の言い換えも同じです。どんなジャンルのどんな内容をどんな相手に届けるかで言い換え方が変わるのです。文章がうまいと言われる人は、文章のTPOをわきまえ、それに合わせた表現の引き出しを使い分けています。」と書いています。
たしかに、文章は、TPOも大事ですが、相手が理解できるように書くことも必要です。つまり、よくわかってもらわないと困るわけです。
この『本のたび』などは、相手というよりも、自分自身の読書旅みたいなものですから、自分の記録として残ればいいとも思いますし、今の時代はだんだんと本を読まなくなってきたようなので、なんとか本を読む楽しさを伝えたいという気持ちもあります。いろいろな思いが重なって、前回で1,500回を越えたように思います。
そういえば、現実問題として、相手にストレートに伝わればいいというわけでもなく、かえってそのことから相手を傷つけたり、相手から恨まれたりすることもあります。著者は、「言葉というのは明快に伝わればよいとはかぎりません。現実世界では、明快に伝わった結果、さまざまな支障が出ることがありますし、一面的なものの見方だけが伝わることも
あるのです。あえて輪郭をぼかすようなものの言い方をすることで、伝えなくてもよい情報がそぎ落とされ、言葉にしたくない、あるいは、したくてもできないという気持ちも含めて読み手に伝わります。正確な表現の持つ息苦しさや生々しさへの感度を高めることもまた、表現の幅を広げることにつながります。」と書いています。
そう考えると、言葉というのは難しいですが使わないわけにはいかない大事なものです。だからこそ、「大人のための言い換え力」というのが大切になります。ぜひ、機会があれば、読んで見てください。
下に抜き書きしたのは、メールやFacebookなどのことを考えると、不用意に言葉を書くことで大きな影響を受ける時代です。
ここで使っているような「心のフィルター」をしっかりと整えておかないと、困った事態を招くかもしれません。だから、以前に増して、言葉使いが難しくなったといえそうです。
(2018.3.31)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
大人のための言い換え力(NHK出版新書) | 石黒 圭 | NHK出版 | 2017年12月10日 | 9784140885383 |
☆ Extract passages ☆
私たちは、ネガティブなことを含め、心のなかではいろいろ思うわけですが、さいわい、心の言葉は、私たちがそれを口にさえしなければ、外に漏れていくことはありません。で
すから、社会生活を送るうえで、私たちは心の言葉がダダ漏れにならないよう、心のフィルターを整えておくことが必要です。とくに、メールやLINE、Facebookなどに心の言葉を気やすく書いてしまうと、記録にも残りますし、転送・拡散されて被害が簡単に広がる時代です。書くという行為の敷居が下がった時代だからこそ、文字にする言葉に細心の注意が必要な時代が到来したように感じます。
(石黒 圭 著 『大人のための言い換え力』より)
No.1501『旅好き、もの好き、暮らし好き』
この本は、旅という題名がちょっとだけ入っていることもあり、何度か旅行の時に持ち出したのですが、現地の本屋さんでおもしろい本を見つけたりすると、それを読んでしまい、そのまま読まずに持ち帰ったしまったこともあります。
そこで、3月24日に上京したときには、行きの新幹線のなかで先に読んでしまいました。これで、後は持ち帰ることもありません。めでたしめでたし、です。
第2章の「暮らし好き」の旅のしかたにあった旅のパッキングは、さすがインテリアプランナーだな、と思わせるところがありました。抜き出してみると、「使いもしないものを、何かの用心に、とやたら詰め込む心配性。文明国へ出かけるのに、旅先で簡単に手に入るものをわざわざ持っていく苦労性。新しく買うものをまったく予定に入れないで、めいっばい詰め込まないと気が済まない空間恐怖症。これらのことに思い当たる人は、たぶん、住まいに関しても収納がいちばんの悩みだと思う。スペースを生かすこととスペースを節約することはまったく思想が違うのだ。」と書いてありました。
私も、若いときには、もしかして使うかもしれないというものまで、スーツケースに入れて持ち歩き、とうとう一度も使わないで持ち帰ったものもありました。そして、何度か旅を経験すると、今度はスーツケースがガラガラになるほど入れるものがなくて、帰りのお土産選びには、ゆとりさえありました。
最近はさらに少なくなり、スーツケースを小さなものに替えようかな、と思うぐらいです。もちろん、体力がなくなってきたこともあり、さらにパッキングの重要性を感じていました。
また、旅といえば、パリの老夫婦の「年をとったら、絶対に車の旅だね。犬も欠かせない旅の伴侶だわね」という話しを聞いて、著者自身も、「年をとると船の旅というのが多いらしいけれど、私は絶対車の旅だ。いろんなトラブルも起きるけれど、行く先々で現地の人たちの生活スタイルに溶け込んで、現地の料理を習って自分で作って、自分たちで旅の暮らしをかたち作りたい。」と思ったと書いています。
私自身も昨年、来るまで四国88ヵ所巡礼の度に出かけましたが、車だからこそまわれたと思います。もし、泊まるところが見つからなければ、自分の車のなかでも眠れるという安心感は、常にありました。結局、一度も車のなかで寝ることはありませんでしたが、旅にはその安心感は大事です。
また、園芸大国のイギリスに行ったときも、庭に古い農具などが立てかけてあり、その庭の歴史みたいなものを語りかけていました。そういえば、キューガーデンの近くのレストランに、木製の一輪車があり、それに季節の花が植えられていましたが、これも素敵でした。この本では、「私が勝手に想像するに、伝統の国では、植木鉢でさえ古いものを愛する。新しいピカピカの植木鉢の並んだ庭なんて、にわか仕立ての園芸みたいですてきじやないとばかにする。ずっと昔から敷地の一部のように、目立たず朽ち果てたようなガーデンチェアや植木鉢のほうが、古い建物にも暮らしのスタイルにもよく馴染む。先祖代々受け継がれてきたもののような顔したものを愛する良き趣味なのだ……」と想像で書いています。
なるほど、そうかもしれない、と思いました。
下に抜き書きしたのは、著者の一貫したスタンスである「好き」こそがものごとの出発点だと書いてある、最後のページの部分です。
考えてみれば、好きだからこそ我慢もできるし、耐えることだってできます。その山あり谷ありを歩くことで、さらに好きになれば最高です。そういえば、なんだか、私自身もそのような考え方で進んできたようです。
(2018.3.28)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
旅好き、もの好き、暮らし好き(ちくま文庫) | 津田晴美 | 筑摩書房 | 2001年1月10日 | 9784480036179 |
☆ Extract passages ☆
何度もいうが、「好き」はものごとの出発点だ。なぜ自分はこれが「好き」なのだろうと考えて分析して具体的にしていくことが人間的な行為なのだと思う。自分の「好き」を具体的にしたり理論立てたりすることは、ものを作る行為の始まりだと思う。不断の「好き」が実を結んで初めて、生活のなかに自分のスタイルを実感できるのではないかしら。
(津田晴美 著 『旅好き、もの好き、暮らし好き』より)
No.1500『幕末日本探訪記』
だいぶ前から読んでみたいと思いながら、なかなか読めないでいました。しかし、昨年の8〜9月にイギリスに行き、ロバート・フォーチュンの出身地であるエジンバラなどにも行ったことで、再び読んでみたいと思いました。そして今年に入ってから、冬の暇な時期に少しずつ読みました。
そして、読み終わったとき、偶然にもこの本が No.1500 でした。もう1,500回にもなったんだ、というのが率直な感想です。もちろん、ここまでというような区切りも最初からありませんし、ただ書き続けてきたというに過ぎません。おそらく、ここまでこれたのは、ただ単に本を読むことが好きだったというだけの理由です。
これからも、淡々と読み続けたいと思っています。
さてこの本ですが、イギリスのロバート・フォーチュン(Robert Fortune)が1860年から1年余り、日本と中国の北京を中心に植物採集旅行をしたときの、いわば見聞記です。彼は植物学者でプラントハンターでもあり、さらに商人としても活躍しました。まさに多才な活躍をしたことから、この本もその当時の日本をつぶさに観察して書いています。
たとえば、プラントハンターらしく、「私の最初の質問は、私がシナでいつも訪ねていたような大きな仏教寺院が、神奈川周辺にあるかどうか、ということであった。私がこの事柄を知りたかった理由は、僧侶のいる仏教寺院の境内には、樹木が大切に保存されているからだった。ことに寺の中庭には必ず、その国の珍しい樹木類が装飾的に多く植えられているものである。」と書いてあり、今までの経験から、どこに珍しい植物が植えられているかを知っていたからです。
その当時、もちろん植物園などというのはありませんし、野生から探し出すのは時間的にも大変なことなので、このような判断をしたのではないかと思います。
また、江戸の染井村を訪ねたときには、「日本の植木屋には、寒気に弱い植物を保護栽培するための温室はまだできていなかった。その代り棚のある小屋を用意するのが常で、寒い冬の間、弱い植物を保護するために、みんな一緒くたに詰め込んでいる。そこでサボテンやアロエのような南米の植物を注目した。それらはまだシナでは知られていないのに、日本へは来ていたのである。実際それは識見のある日本人の進取の気質をあらわしている。かわいらしいフクシヤの種類があったが、また別の外来種も目についた。」と書き、その当時の日本の園芸文化の高さをよくみています。
この染井村で作られたのが桜の「ソメイヨシノ」で、その当時から有名な植物の生産地であったことがわかります。
また、日本にいたときに起こった英国公使館襲撃や生麦事件のことなども詳細に記述していて、そのときのイギリス側の受け止めなども書いていますから、歴史的な参考資料にもなりうるものです。そこで感じたのは、その当時の幕府が弱体化し、それらを抑える力もなくなりつつあったが、開国をしたことで、新たに外国人の居留地周辺に監視所を設けたり、住まいが襲われないようにと監視に来ていたことなどを知りました。
この開国により、新しい文化が入り込み、そのことについても、著者はいろいろと書いています。たとえば、下に抜き書きしたのは、馬の蹄鉄についてのことですが、日米修好通商条約の締結後に初代駐日公使となったタウンゼント・ハリス(Townsend Harris)氏から学んだということが、これでわかります。
まさに、自分が見たり聞いたりしたことというのは、その時代の鏡です。日本人が感じたことと、外国人から見て感じたこととは違います。その違いから、いろいろなことがわかります。読むのに相当時間がかかりましたが、読んでみて、ほとんうによかったと思いました。
そういえば、最後のほうで、著者が北京の八里荘という町に行ったときのことが書かれていて、そこの墓地で「シロマツ」を見つけたとあります。これは樹皮が乳白色で、葉の緑も在来種より薄いけれど、その樹形がとてもおもしろいと記しています。私もこのシロマツが以前から欲しいと思っていて、たまたま日本のある大学付属の薬草園にあったので、それを昨年の3月にいただいたばかりです。
まだ、雪のなかですが、春になったら、棚の一番日当たりのよいところに置いて、大事にしようと思っています。
(2018.3.25)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
幕末日本探訪記(講談社学術文庫) | ロバート・フォーチュン 著、三宅 馨 訳 | 講談社 | 1997年12月10日 | 9784061593080 |
☆ Extract passages ☆
ハリス氏がはじめて江戸に駐在した時、彼の馬は仕来りの蹄鉄が打ってあった。それまで日本の馬は、わらじをつけるか、何もつけなかったか、どちらかであった。ある日、ひとりの役人がハリス氏の所に来て、彼の馬の借用を頼んだが、その馬を必要とする目的については、十分質問もしなかった。この変わった願いは聞き届けられて、しばらくしてから、当然のことながら馬を返して来た。数日後、馬を借りに来た役人がアメリカ公使館に来て、重大な機密として、ハリス氏に語った所によると、大老〔井伊掃部頭〕がハリスの馬の蹄鉄を調べるために、使者を派遣したという。その後は大老の馬も同じ様式で蹄鉄を打ち、他の役人の馬もすべて同様に蹄鉄をつけたそうだ。
(ロバート・フォーチュン 著 『幕末日本探訪記』より)
No.1499『電車が好きな子はかしこくなる』
副題が「鉄道で育児・教育のすすめ」で、なぜ鉄道が育児や教育と関わりがあるのか、と考えたところから読むことにしました。
今は車の時代ですし、特に地方に行けば行くほど、なかなか鉄道に乗る機会は少なくなっています。自分自身だって、たまに東京へ出て行くときだけは山形新幹線に乗ったり、都内の電車や地下鉄に乗りますが、それだって年に数回程度です。いつかは、大人の休日倶楽部パスを15,000円で買って、JR東日本全線を4日間乗り放題の旅をしてみたいと思っていますが、このパスの有効期間は年に3回しかなく、今年は第1回が2018年6月21日(木)〜7月3日(火)、第2回が2018年11月29日(木)〜12月11日(火)、そして第3回目が2019年1月17日(木)〜1月29日(火)です。これでは、仕事との日程の調整がなかなかつかず、未だ、出来ずにいます。もしかすると、そのような気持ちが下地にあったから、このような本を読みたかったのかもしれません。
では、実際に子どもたちが鉄道にどのような興味を持ち、どんなふうに子どもの世界を豊かにするのかというと、この本では、「子どもの世界の中で、鉄道への興味は、実際に乗る、おもちやで遊ぶ、名前や種類などを覚える、路線図や時刻表に興味を持つ、などなど年齢に応じた様々な経験で構成されています。これらは子どもの生後半年くらいからの成長発達に応じて、よい刺激を提供します。」と書いてありました。
たしかに、孫たちも米沢駅から赤湯駅まででしたが、とても楽しんで乗っていました。そういえば、幼稚園でもそのような企画があり、自分でお金を出して切符を買ったと喜んで教えてくれました。そういうことを考えると、たしかに子どもたちには、いい経験になったと思います。
そういえば、子どもというのは、とくに男の子の場合はコレクションをするのが楽しみですが、そのことについても、この本では、「鉄道好きの子どもは鉄道をテーマに自分の世界を作り、玩具を集めたり、知識を吸収したりして、一つひとつ要素を積み上げていきます。この所有の積み重ねは、おもちゃを集めることに限ったものではありません。子どもは、知識も一揃え納待がいくまでシリーズとしてコレクションしたいと思うようです。車両の名前を次から次へと暗記したり、鉄道図鑑を読んで内容を丸ごと頭に入れたりしてしまう子も多いです。これらの行為は所有原理に関わることです。3、4歳になると、頭の中に知識を取り入れて、その知識を整理していく働きは、一生の中で一番と言ってもよいくらいの活動期を迎えます。この頃に、全国各地の列車の名称を覚えたり、路線の駅名をすべてそらんじたりする子もいるでしょう。このように、伸ばせる時期に伸びるものをフルに伸ばすというのは、子どもの成長には大切です。」と書いています。
このなかの図鑑というのは、私も大事なものだと思いますし、今でも、植物図鑑などはよく見ます。すると、今まで気づかなかった植物があったりして、新たな発見もあり、楽しいものです。だから手元には、いろいろな図鑑をそろえています。
下に抜き書きしたのは、幼少時などはとくに車のほうが移動するときに楽ですし、人にも迷惑をかけないと思いますが、むしろマナーを身につけさすためには電車のほうがいいということです。
たしかに、これは大切なことだと思ったので、ここに抜書きしました。
とくに幼児期は、ただ楽だからとか、便利だからというだけの理由で電車を使わないというのは考えなければと思いました。
(2018.3.22)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
電車が好きな子はかしこくなる(江東新聞社新書) | 弘田陽介 | 交通新聞社 | 1997年12月15日 | 9784330844176 |
☆ Extract passages ☆
近年発表された調査に、幼少期の生活習慣として車に乗る機会が多いことは、子どもの倣慢さを高めること、別の言葉で言えば道徳性を下げてしまうことを実証した興味深い研究があります。この筑波大学の谷口研究室による調査研究では、幼少期の車移動の多さを尋ねる質問と倣慢さを尋ねる質問の相関が調べられています。車内でのマナーなどがまったく問われない私的空間である車では、確かに子どもが学ぶことは少ないでしょう。それに対して、マナーが重視される公的空間である電車移動の方が、子どもにとっては道徳性を学びうる可能性が高いというのは想像できます。
電車内での経験はとても大切な社会経験です。
(弘田陽介 著 『電車が好きな子はかしこくなる』より)
No.1498『緑の庭で寝ころんで』
まったく著者のことも知らず、ただ表紙絵のピアノを弾く女性と周りの動物たちや草花などが楽しそうで、それで手に取っただけです。
読んで始めて知ったのですが、『羊と鋼の森』で本屋大賞2016を受賞したそうで、そういえば今までこの本屋大賞なども気にしたことはなかったことに気づきました。どうも、私の読書は一般からはだいぶ離れたところを行っているようです。もちろん、ただ好きで読んでいるだけですから、誰に文句をいわれる筋合いでもないのですが。
著者は1967年の生まれですから、昭和42年、だとすれば私は高校3年生、まさに青春まっただ中のころに生まれたということになります。
あんまり関係ない話しですが、この本の多くが月刊「fu」2013年10月号から2017年10月号までに掲載されたものと、それ以外の媒体に発表されたものだそうです。ほとんどが日常のありふれたことが話題なので、サラッと読めるし、深く考えることもなく読み終わりました。ところが、読み終わってから気になるところを思い出し、6枚ほどカードをつくりました。
たとえば、「第23回 笑顔」のところの「歳をとってようやくわかることがある。そのひとつが、笑顔は大事だ、ということ。笑顔には力がある。人に好かれたいから笑うんじゃない。人が好きだから笑う。笑顔って、相手のことも自分のことも肯定しているしるしだと思う。…… がんばって生きていればいるほど、笑顔から遠ざかってしまう。それじゃもったいない。笑えばいい。笑うといい。私も、もっと、もっと、笑えばよかった。もしかすると、歳を重ねて、どうしたって笑えないような場面を何度か経験して、それで初めて笑うことの大切さに気づくのかもしれない。私ほもう今ではいっぱい笑える。人よりも大きな声で笑って、子どもたちに恥ずかしがられたりするくらいだ。わかるよ。よく笑う大人っ
て、がさつで、無神経に見えていた。でもね。はんとうは、笑ってこその人生なんだよ。」というところは、そうそう、笑ってこその人生ですよね、と相づちを打ってしまいました。
また、「普段はあまり丁寧にはできない手順を楽しみながら、お茶を丁寧に掩れるという行為は、自分を丁寧に扱うことと似ていると思った。自分を労わりたいときに、おいしいミルクティーを飲みたくなるのだ。そういえば、紅茶はこれまでをふりかえるための飲みもので、コーヒーはこれからのための飲みものだと、どこかで読んだことがある。しばし考えて、自分で書いた小説の中に出てくる言葉だったと思い出した。たまにはいいことを書くんだな、私。ふふ。自画自賛だ。」というところなどは、たしかに自画自賛だとは思いながらも、つい、そうそうと思ったりもしました。
下に抜き書きしたのは、第5章「羊と鋼と本屋大賞」のところの最初に出てくる「ピアノの中の羊」に書かれていることです。おそらく、題名からして、本屋大賞を受賞した『羊と鋼の森』という本の中身に触れたところではないかと思いました。
これを読んで、ニュージーランドで出合った道路をはみ出るほどのヒツジたちも、昔のヒツジと違うのかな、と思いました。でも、あの広大な平原でのびのびと育っているところをみると、少しは日本のヒツジたちよりもストレスのない良い毛が採れるのではないかと考えました。
(2018.3.20)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
緑の庭で寝ころんで | 宮下奈都 | 実業之日本社 | 1997年12月24日 | 9784408537177 |
☆ Extract passages ☆
「この時代のピアノは、今のピアノにはない音を出せるんですよ」段
ピアノの材質がいいのだという。決して高級なピアノだったわけではない。でも、当時は、鍵盤の表面は今のような樹脂ではなく、象牙だった。鍵盤の奥につながるハンマーも、組み立てに使われる接着剤も、今とは材質が違ったのだという。
「昔は、いい羊がいたんです」
彼はいった。羊? どういうことだろう。よくわからなくて聞き返すと、「ピアノの弦を鳴らすハンマーは、フェルトを固めてつくられています。フェルトは羊の毛でしょう。その羊が、昔は野原でのびのびといい草を食べて育ったんですよ。今はなかなかそうはいかない」
その途端、私の目の前に、広々とした草原で羊たちがのどかに草を食んでいる様子が浮かんだ。草原に風が吹き、草や葉が音を立てる。そこから音楽が生まれるのを感じた。
(宮下奈都 著 『緑の庭で寝ころんで』より)
No.1497『働く人の養生訓』
養生訓といえば、すぐ思い出すのが貝原益軒の『養生訓』ですが、この本を書いたのは83歳のとろといわれていて、さらに85歳まで長生きしています。もちろん、今の時代の85歳ではなく、江戸時代のこのころの平均寿命は30〜40歳といわれていますから、本当に長生きでした。だから、空前のベストセラーにもなり、まさに健康関連の本の元祖みたいなものです。
著者の若林さんも、「この著書には、食べ物・飲み物・寝起き・衣服・心の持ちよう・住居の環境など生活上のすべてにわたり気を付けるべき事柄があり、非常に細かく語られています。貝原益軒は『養生訓』に書いたことを自ら実践し、その当時としては長寿の85歳まで生きることができました。」と書いています。
この『働く人の養生訓』でも、いろいろなアドバイスをしていますが、睡眠不足が認知機能を低下させるといいます。それを、「2003年にべンシルバニア大学とワシントン州立大学が行った実験です。普段7〜8時間眠る習慣がある健康な成人48名を「4時間睡眠・6時間睡眠・8時間睡眠」のグループにランダムに振り分け、14日間実験を続けます。また、3日間徹夜というグループも対照のため作りました。結果、6時間睡眠という、ちょっと寝足りないけれども睡眠不足とまでは言えない状態が2週間続くと、2日間徹夜したときと同じ程度にまで認知機能が低下してしまったのです。」とあり、たしかに徹夜をすると考えるのが面倒くさくなったりしますが、それも納得です。そして、「ほんの少し寝たりない」ということでも、それが続くと徹夜したと同じような認知機能の低下がみられるということにビックリしました。これは気をつけなければと思いました。
それと、スマホでSNSを使うのと、たとえばパソコンなどのようなある程度広い画面でSNSを使うのとでは、同じ内容でもいやな気分になりやすいといいます。その根拠は、「これは、スマートフォンを見る姿勢と、画面との近さに関連があるのではないかと私は考えています。スマートフォンをのぞき込むとき、たいてい目と画面はかなり接近しており、猫背の状態で長時間読み続けることが多いものです。」と書いてあり、もしかするとそうかもしれないと思いました。
人は、意外なことから影響を受けやすいものです。よく知られているものに「プラセボ効果」というのがありますが、この本では、その反対の「ノセボ効果」についても書いてありました。それは、「有名な実験で、ハーバート・シュピーゲル博士が行ったものでは、協力者である兵士に対して催眠術をかけ、「これから熟したアイロンで前腕に触れるから」と宣言し、実際には鉛筆で触れたところ、兵士はその部位に痛みを感じ、水膨れを生じた……というものです。」。
この「プラセボ効果」や「ノセボ効果」を考えると、いかに人の心が身体にも影響を与えるかということがわかります。
下に抜き書きしたのは、よく運動選手などが使うルーティンについてのことです。たしかに集中力を高めるということでは有用なことですが、もしそれができないときのことを考えると、そうとばかりはいえないようです。
そのルーティンに幅を持たせるというのは、たしかにありだと思います。
(2018.3.17)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
働く人の養生訓(講談社+α新書) | 若林理砂 | 講談社 | 2017年11月20日 | 9784062915113 |
☆ Extract passages ☆
理由なく複雑な手順にこだわったり、ちょっとそこから外れてしまったりすると、メンタルに悪影響を及ぼして「きっと悪いことが起こる」「今日は運が悪くなる」など、余計な不安感を呼び覚ますことになります。
もともとうまくいくように習慣づけていったことが結果的に悪影響を及ぼすようになるとしたら、せっかくの習慣が台無しだと言えるでしょう。……たとえば、朝はこのカップでこの銘柄のコーヒーを飲まないと調子が狂う、靴を履くときは左足から、おやつに毎日同じように甘いものをつまむ、……
こういった場合は、「このルーティンをなくさなければならない!」と躍起になって執着を取り払おうとする必要はありません。できるだけそのルーティンに自覚的になっておいて、次善の策をいくつか作っておくことが大切です。いわば、ルーティンに幅を持たせる……上・中・下というか、松竹梅のランクを付けておくのですね。
(若林理砂 著 『働く人の養生訓』より)
No.1496『アートの力』
この本の題名をみて、単純にアートは絵画か彫刻か、そのようなジャンルのものではないかと思いました。
ところが、実際に読み始めると、まったく違っていて、「本書で論じてきたアーツマネジメントの現場は、荒れ果てた村、障がい者の施設、高齢貧困者の集住地区、病院、過疎地、被災地、虐殺地、紛争地、スラムなどといったところだ。一口でいえば、社会的困難や苦難を抱えこみ、日常的な社会生活から排除されがちな人々のいる場所だ。」というところでの、アートの力です。
つまり、そのようなところでは、相当なインパクトがなければできませんし、関心も持ってもらえません。最初に取りあげられていたインドネシアのセラム島での活動も、村長の強いリーダーシップがあればこそですが、それなりの歴史的背景もなければ牽引できません。ある程度の住民たちが納得しなければ、それなりの成果は期待できません。
この本のなかで、カリフォルニア大学の生物学者であったハーディンの「コモンズ(共有地)の悲劇」という論文が紹介されていますが、なるほどと思いながら読みました。コモンズの悲劇というのは、「ここに共有の牧草地があり、多くの牧夫がそこで牛を飼っている。全体の頭数がまだ少ないときには何ら問題は起こらない。各人が牛を増やしていっても牧草地には余力があるからだ。だが牛の数が増えるにつれて余力はなくなり、しだいに混雑してくるであろう。やがて、これ以上増やし続ければ牧草は回復不能なダメージをこうむる臨界点に到達する」という事態だ。ハーディンの主張の眼目は、人間が合理的に行為するかぎり、私たちは臨界点を踏み越えてしまうという点にある。つまり自分だけ違反しても全体には影響はないだろうと思う行動が、最終的には共有地の壊滅的荒廃を招き、ひいては自分にもはね返ってくる。しかも私たちはなかなかそういう行動から逃れることができない。それを乗り越えるためには共有地の倫理、それも強い倫理が必要になる。「出入り自由」には大きな責任が伴うのである。これは当然だろう。」というものです。
たしかに、このような問題は、いろいろなところで起きやすいものです。でも、この悲劇を解決するには、相当強いリーダーシップを持つ存在とか、確固とした倫理なども必要になります。しかし、言葉では簡単に言えますが、現実問題としては非常に難しいと思います。今の地球の温暖化対策の各国の取り組みをみてもそれがわかります。先ずは自分のことを考え、それから他のことを考えるという自己中心の人間の性が見えてきます。でも、なんとかしなければならないというのは、自明の理です。
下に抜き書きしたのは、2006年5月27日の早朝に起きたジャワ島中部大地震の災害から再生させるための支援活動をして2年ほどたったときの話しです。
これを読んで災害を風化させてはいけないという気持ちと、いつまでもそこに立ち止まっていては前に進まないというジレンマのようなものを感じました。支援はたしかに必要ですが、いつまでもそれに頼っていてはという気持ちの葛藤です。それがインドネシアのパートナーから言われたということに、言葉の重みを感じました。
(2018.3.15)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
アートの力(大阪市立大学人文選書) | 中川 眞 | 和泉書院 | 2013年4月20日 | 9784757606616 |
☆ Extract passages ☆
さて、震災から2年ほどたったときのことだ。私はジョグジャカルタの被災地でショッキングなことを言われた。
「これまで支援してもらってありがたかったんだけど、これ以上、支援というスタンスで僕たちとつき合ってほしくないなあ」
2年ほどたつと、住居もほぼ元通りになり、村の風景は以前と変わりなくなった。復興も一段落した。私は、心や文化の復興には時間がかかるから、支援を続けるつもりで会議に臨んでいた。そこでパートナーからこう言われたのだ。驚いた。彼の発言は「支援をされ続けると援助慣れしてしまって、自らが何かを切り拓いていくという気概がなくなる」という主旨だった。
(中川 眞 著 『アートの力』より)
No.1495『僕はLCCでこんなふうに旅をする』
今はLCCといいますが、昔はそのままずばり、格安航空券といってました。風説では、団体用のチケットをばら売りしたり、余ったチケットだから安いのではといってました。
でも、この本では、だいぶ前はそれもあったそうですが、今までの航空運賃との違いは予約システムの違いが一番大きいそうです。この本では、「航空運賃を決める要素を大きく分けると、燃油費、人件費、機材のリース代や空港使用料など人件費を除いた経費の3つになる。かなりアバウトな割合に分けると、それぞれ3分の1ずつといわれている。このなかでコストを削ることがなかなか難しいものが燃油費だといわれている。……それまで航空券を予約するには電話か直接オフィスに出向いていた。レガシーキャリアは、そのために自社の販売オフィスや窓口を用意していた。加えて、旅行会社にも販売を委託していた。これらにかかる費用は大きかった。オフィスを維持するためには賃料や人件費がかかった。旅行会社へ支払うマージンやキックバックなどもかなりの額になった。日本では旅行会社が肥大化し、航空会社の一存では価格も決められない状況になっていった。これらのコストをほとんどカットしたのがLCCの販売方法だった。問屋、販売店といったこれまでのビジネスモデルを、インターネット販売に一本化することで、LCCは旅行会社と決別した新しいビジネスモデルを航空業界にもたらしたわけだ。」といいます。
そもそも、今までの航空会社というかレガシーキャリアとLCCの違いはというと、意外と明確ではないようです。この本でも、「アメリカに生まれ、ヨーロッパ、東南アジアや東アジアと広がっていったLCCだが、当然、インドやロシアの空も飛びはじめている。ロシアのLCC――。限りなくLCCとしか見えない航空会社はある。そのあたりはLCCの定義の問題になってしまう。LCCとレガシーキャリアの区別がつきにくくなっている。内容を突き詰めていくと、機内食になるという人が多い。無料の機内食を出すか、出さないか……が境界だと。」と書いてますし、第3章の「LCCの今」では、区別が難しいだけでなく、中間クラスのLCCも登場してきたといいます。
第4章では、「LCCの落とし穴」で、なかなか難しいインターネット予約などや、その付随する大変さなども書いてあり、とても参考になります。さらに最後の「資料」では、その実体験や日本に就航しているLCC各社のデータなども掲載されています。これなどを読むと、確かに大変なこともありますが、一番のメリットは航空券の安さです。そういえば、2016年の3月に台湾の中央山脈に行きましたが、このときはそれぞれに台湾の台北・桃園空港に直接集合しました。それで、それぞれの航空券の料金を比較したら、バラバラでした。同じ場所に来るのに、こんなにも違うとは本当にビックリしました。
でも、この本を読むと、さらにキャンペーン価格の場合などは安いと知り、さらに驚きました。だから下に抜き書きしたような不安が起こるのかもしれません。
下に抜き書きしたのは、このようなLCCの一番の不安を明快に解説してくれているところです。なるほど、これを読むまでは私も漠然とそう思っていましたが、考えてみると、もし事故が起これば取り返しの付かない事態に陥ってしまいますから、一番気にしている部分かもしれません。
今は、仙台空港からも「ピーチ」や「スカイマーク」、「タイガーエア台湾」などが飛んでいるそうです。一度、仙台からも利用してみたいと思いました。
(2018.3.12)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
僕はLCCでこんなふうに旅をする(朝日文庫) | 下川裕治 | 朝日新聞出版 | 2017年11月30日 | 9784022619167 |
☆ Extract passages ☆
LCCへの不安のなかに、「安い中古機を使っているのではないか」というものがある。新しい飛行機を買っていたら、これだけ安い運賃を導けないのでは……と。機材の古さが気になるのは、古さが事故の原因にもなるからだ。これまで世界で起きた航空機事故を見ても、やはり古い機材はトラブルを起こしやすい。
しかし実際にLCCに乗ってみるとわかることだが、機材はかなり新しい。それは素人でもわかるほどだ。その理由は燃費と整備費用だという。新造機のほうが中古機より燃費がいい。費用対効果がいいわけだ。整備費が安くすむメリットもある。LCCはそのシェアをのばしているから資金調達も難しくない。レガシーキャリアに比べ、新しい機材が多いことがLCCの特徴でもある。
(下川裕治 著 『僕はLCCでこんなふうに旅をする』より)
No.1494『気象災害から身を守る大切なことわざ』
最近は地球温暖化の影響なのか、自然災害が増えているような気がします。今年にはいってからも、草津白根山の本白根山で3000年ぶりに噴火したとか、蔵王山でも噴火警戒レベルを2に上げたとか、いろいろな話しが伝わってきます。
そんなこともあり、副題の「豪雨・台風・津波……日本人が言い伝えてきた知恵と行動」などが書いていることから、ちょっと興味を持ちました。たとえば、火山爆発の前兆として、『地熱はなはだしきことあれば火山爆発の前兆なり』や『山里にて一夜の問に樹木の花咲くことあれば大噴火近し』などもあり、今ではあちこちにその温度変化をはかる計測器が備えられているようですが、昔はなかったわけです。それでも、地熱が高くなるとわかっていたようで、だからこそ、このような言い伝えが残ってきたようです。
もちろん気象災害ですから、この他にも台風や風水害など、多方面にわたっていますが、今年の冬はとくに厳しく、北陸などでは国道8号線に1,500台もの車が立ち往生して、2〜3日もまったく動かなかったそうです。国道が止まれば物流にも影響し、生活にも支障が出てきます。車のマフラーが雪で覆われてしまい、排気ガスで亡くなられた人もいます。まさに、今年の大雪は、今まであまり降らなかったところにも降り、都市部も大混乱に陥ったそうです。
そういえば、この真冬のときのことわざに『寒(かん)きつければ土用きつし』というのがあり、まさに半年先の夏の暑さを予報するような言葉です。それに近いものに『冬の寒気強ければ翌夏に暑気強し』や『冬より春にかけて寒さ長引けば酷熱来る』などもあり、あまりにも寒かったり暑かったりすると、その反動もあるから気をつけなさいということです。
そういえば、この辺りでは、「寒離れ」という言葉が残っていて、今年の2月5日からは大寒波が来て、大雪だけでなく、例年よりだいぶ寒い日が続きました。
寒いのも大変ですが、夏の暑さも困ります。ちょうどいいのがいいとは思いますが、なかなかそのようにはならないようです。
下に抜き書きしたのは、東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市の石碑にも、「地震があったら高所に集まれ」と刻んだものがいくつもあつたそうです。しかし、地震の記憶が薄れていくにしたがい、その石碑の存在もしらなかったという人が多かったそうです。それでは困るとして、今回の津波の到達ラインに桜の木を植えることにしたそうです。
その理由や意義などを詳しく書いてあるので、ぜひ読んでみてください。
過去に何度も大地震で大きな被害を受けながらもその教訓を生かせないとは、たしかに残念です。この桜の木が記憶の歯止めになればいいと思いました。
(2018.3.10)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
気象災害から身を守る大切なことわざ | 弓木春奈 | 河出書房新社 | 2017年12月5日 | 9784309227207 |
☆ Extract passages ☆
陸前高田市では、津波の避難に役立てようと、東日本大震災の津波の到達ラインに桜の木が植えられています。
なぜ桜なのでしょうか。昔から、津波に幾度となく襲われている三陸一帯には、津波の到達点に、数多くの石碑が建てられています。しかし、これらの石碑の存在を知らない人も多いといいます。形としては残っているものの、記憶には残っていないことが多いのだそうです。
「認定NPO法人桜ライン311」の佐々木良麻さんは、そのことに悔しい思いを抱き、津波の悲惨さを忘れないようにと、多くの人の記憶に残る桜を植える活動を行なっています。
毎年、3月と11月の週末に全国のボランティアが集まり、陸前高田市内の津波到達地点に桜の木を植樹しています。津波到達地点の土地を持っている方に許可をとり、しだいにその範囲を拡大しているということです。
平成29年(2017)3月までに、1227本の桜の木が植樹されました。陸前高田市内の津波到達ラインは延べ170キロにも及ぶので、そこに10メートル間隔で桜の木を植えるとなると、目標は1万7000本になるそうです。
(弓木春奈 著 『気象災害から身を守る大切なことわざ』より)
No.1493『この星の忘れられない本屋の話』
日本の本屋の話しではなく、この星のということは地球全体のことかな、と思いながら読み始めました。そういえば、ちょっと前のことになりますが、世界の行ってみたい本屋さんという企画本があり、これがおもしろかったので、この本もというわけです。
でも実際には、編者であるヘンリー・ヒッチングスが世界の各地から選んだ作家15人に、「人生のある時点で個人的な関わりを持った(あるいはいまも持ち続けている)身近な本屋や古本屋にまつわる話を綴ったアンソロジー・エッセイ集」です。
編者がこのようなテーマを選んだのは、日本もそうですが、世界のどの国でもインターネットなどの普及で、どこの町の本屋さんでも急激に減りつつあるという現実があるからではないかと思います。この15日の作家たちの出身は、出版元であるイギリスが3人で、ウクライナ、コロンビア、旧ユーゴスラビア(ボスニア・ヘルツェゴビナ)、中国、エジプト、ケニア、アメリカ、ドイツ、イタリア、インド、デンマーク、トルコと、いろいろな地域から選ばれています。そういう意味では、どの国でも、日本と同じような本屋さんの問題を抱えているといっても過言ではなさそうです。
おもしろいと思ったのは、前日読んだNo.1489『わたしの名前は「本」』のところで、本の匂いに触れたところがありましたが、この本でも、編者のヘンリー・ヒッチングスが、「古本には人を刺激する匂いがある。鼻の悪いワイン愛好家の蘊蓄みたいに聞こえるかもしれないが、古本というのは、アーモンドとバニラ、植物性の甘さ、湿った木材、さらにはマッシュルームもかすかに混じったような香りを漂わせている。その匂いをかいでいると、まるでそこが森の中で、暗い茂みの先に黄金色が広がっていて、別の時代や場所へひとつ飛びに飛んで行けそうな気がするのだ。」と書いています。
このバニラの香りという表現は同じだし、もしかすると、本好きな人間とそうではないのとの区分けは、この本の匂いに由来するのかもしれないと思いました。つまり、本の嫌いな人たちは、この本のにおいを「臭い」と無意識のうちに感じているのかもしれません。
この本を読んで、本好きというのは、世界のどこにいても、ほとんど同じようなことを考え、しているのだと思いました。
下に抜き書きしたのは、「ふたつの本屋の物語」を書いたフアン・ガブリエル・バスケス氏の文章です。原文はスペイン語ですが、それをアン・マクリーン氏が英訳したものだそうです。
たしかにいい本屋さんというのは、どこの国でも似たようなものだと感じました。この本屋さんには何があるかわからない、いわば宝探しみたいなワクワクする興奮がいいのです。それが通販だと、自分のわかる本を探すにはいいのですが、その先のワクワク感がありませんし、立ち読みの楽しさもありません。
この本を読んで、新刊書店でも古書店でも、ワクワクして探す楽しみのある本屋さんを、自分たちも大事にしていかなければならないと思いました。本当に、なくなってから気づいても、それでは遅すぎます。
(2018.3.8)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
この星の忘れられない本屋の話 | ヘンリー・ヒッチングス 編、浅尾敦則 訳 | ポプラ社 | 2017年12月7日 | 9784591156650 |
☆ Extract passages ☆
いい本屋というのは、本を探しに行って、思いも寄らぬものを見つけて帰ってくるという、そんな場所である。そのような形でもって文学的会話の幅が広がっていくし、私たちは自分の経験を無限に押し広げていくことができるのだ。そしてインターネットは、このような楽しみまで、私たちから奪おうとしている。ウェブサイトでは、実は何も発見することができないのである。なぜなら、アルゴリズムが私たちの探しているものを予測して――そう、数学的に――それがあるところへ私たちを導いているので、予想外のものと遭遇するチャンスがないのである。導かれていく先は、私たちがすでに知っている場所でしかないのだ。
(ヘンリー・ヒッチングス 編 『この星の忘れられない本屋の話』より)
No.1492『座右の寓話』
寓話って、もともとは教訓的な内容を、他の事柄にかこつけて、たとえ話のようなものですから、この本の副題のように「ものの見方が変わる」のを最初から期待しているわけです。それを座右にしていたら、ものの見方がころころ変わりそうで、ちょっと怖いというのが最初の印象です。
だから、これはおもしろいという話しだけを拾い読みしようと思いました。ところが、読んでみると、やはりうまいもので、このような見方もあるよな、とつい時間をかけて読んでしまいました。
なかでも、「エレベーターと鏡」という話しも人間の真理を巧みに読んでいるところがおもしろく、「エレベーターの待ち時間が長すぎる。何とかしてほしい。改善されなければこのビルから出ていく」。こんなクレームが、オフィスビルに入っているテナントから上がってきた。解決策として出たのは、エレベーターを増設すること、最新式の高速エレベーターに取り替えることだった。しかし、どちらも莫大なコストがかかってしまう。そんなとき、ある社員がこう提案した。「各階のエレベーターの前に大きな鏡を置きましょう」。その通りにしたら問題は解決した。ほとんどの人が鏡を覗きこみ、服装や表情、化粧の状態をチェックするようになった。」という話しです。
この場合は、最初のクレームの待ち時間を短くしてほしいという解決にはなっていないのですが、結果的に待ち時間を長いとは感じさせなくなったというわけです。つまり、問題を巧みにすり替えたようなもので、人間の心理を読んだからこその解決策です。
おそらく、このようなものの考え方を変えただけで、いろいろな解決法がありそうです。たしかに正面突破もありますが、みんながよければ、このような変則的な解決もあるといえます。
もうひとつは、ユダヤ人の考え方です。だからこそ、世界中に散らばっていても生きていられると思いました。それは「こんなユダヤ人ジョークがある。「ユダヤ人は足を折っても、片足で良かったと思い、両足を折っても、首でなくて良かったと思う。首を折れば、もう何も心配することはない」。失ったものを数えるな。残っているものを数えよ。そして、残っているものがあることに感謝し、それを最大限に活かそう。これは真実である。」と書いています。
これもいろいろなところで語られる言葉のひとつで、自分がまだ持ってないところから探そうとせずに、自分自身がすでに持っているところから幸せを探しなさいというようなものの考え方です。
それにしても、首が折れて死んでしまえば、それもまた永遠に心配から解放されることだからめでたいというところが、とてもすごいブラックユーモアみたいです。
下に抜き書きしたのは、「生クリームに落ちた3匹のカエル」ですが、オチの部分が意外で、これはおもしろいと思いました。しかも、生クリームに落ちるとは、間違っても日本でつくられる寓話ではないので、ぜひ読んでみてください。
行動するものが最後は結果を得るといいますが、この寓話を読むと、万が一つでもその可能性があればやってみることだと思いました。
(2018.3.5)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
座右の寓話 | 戸田智弘 | ディスカヴァー | 2017年12月15日 | 9784799322048 |
☆ Extract passages ☆
3匹のカエルが、生クリームの入った桶の中に落ちてしまった。一匹目のカエルは「すべては神様のお考え次第だ」と言って何もしなかった。すぐに命がつきた。
2匹目のカエルは、足をばたつかせて必死でもがいた。ただただ同じ場所をかき回しては、沈み、浮き上がることを繰り返した。2匹目のカエルが叫んだ。「もうダメだ。どうせ死ぬのに、こんなに苦しい思いをするのはばかげている。不毛な努力の果てに、疲れ切って、死んでしまうなんて割に合わない」。カエルはもがくのもやめ、白い液体に飲み込まれて
いった。
3匹目のカエルはこう考えた。「どうしたらいいんだ? 死が近づいているのは分かっている。でも、僕は最後まで戦うぞ」。カエルはひたすら足をばたつかせ、同じ場所をかき回し続けた。すると、足が固いものに絡みつくようになった。なんと、カエルが生クリームをかき混ぜているうちに、生クリームがバターになったのだ。驚きながらもカエルはひとっ飛び、桶の縁に飛び乗り、嬉しそうな鳴き声を上げながら帰っていった。
(戸田智弘 著 『座右の寓話』より)
No.1491『お坊さんにならう こころが調う 朝・昼・夜の習慣』
今さら、お坊さんに習うこともないけど、どのような話しをしているのかな、という興味から読み始めました。
著者は、臨済宗国泰寺派全生庵住職で、静岡県の龍澤寺専門道場で11年間ほど修行されていたようです。そして、2003年から全生庵の住職をされていて、さまざまな活動をされているとプロフィールには書かれています。
この本のなかで、著者の父親のお師匠さんは山本玄峰という昭和の傑僧と呼ばれたひとで、つねづね「心配はしないほうがいい。しかし、心配りはしなきゃいけない」と口酸っぱく修行僧に言っていたそうです。たしかに、心配りをちゃんとできれば、人との関係はうまくいくと思います。
この本のなかで、よく出てくる言葉は「ありのまま」ということです。「どうしようもないところに身を置くと、ありのままを受け入れるしかなくなります。すると、苦は苦であっても気にならなくなる。実際に道場では、夏になると必ず3キロぐらい体重が減っていました。冬になると、3キロぐらい太るのです。暑さ、寒さをそのまま受け入れて暮らしているから、体が自然にそれに対応して変化するわけです。冷暖房があるから、「寒い寒い」「暑い暑い」と文句を言うことになるのです。思い切ってスイッチを切ってしまう時間をつくる。すると、苦痛もそのまま受け入れることができる心が育つはずです。」と言っています。
でも、最近の夏の暑さは異常ですから、これをそのまま実行して熱中症にでもなったら災難です。そういえば、「自分のためのごほうびの時間はいらない」と言いますが、ある程度、自分自身に対するごほうびを考えると、やる気になってくるように思います。
毎日、おんなじことの繰り返しだと、メリハリがなくなるます。そんなときには、もうちょっと頑張れば今まで欲しかったものを買ってもいいよ、というと、やる気も出てきます。それは必要なことではないかと思います。
下に抜き書きしたのは、「学ぶ」とは「真似ぶ」だといい、修行も結局は先輩がやっていることを見て、真似ているといいます。
その真似ることから、だんだんと心を学んでいくといいます。考えてみると、日本の伝統的な芸事、お花もお茶もすべて師匠のやることを真似ることから始まります。
(2018.3.2)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
お坊さんにならう こころが調う 朝・昼・夜の習慣 | 平井正修 | ディスカヴァー | 2017年11月10日 | 9784799321942 |
☆ Extract passages ☆
「学ぶ」という言葉の語源は「まねぶ」、つまり「真似ぶ」だという話は有名です。何事も、最初は真似から始まります。
修行道場の生活も、全部、真似です。台所仕事をするときにも、ごはんの炊き方から何から、ろくに教えてはもらえません。先輩がやっているのを見て、真似して覚えるわけです。
さらに言えば、修行を通じて、お釈迦さまの真似をしているわけです。坐禅もまさにそうです。お釈迦さまが坐禅で悟りを開いたというので、その真似をしているのです。
(平井正修 著 『お坊さんにならう こころが調う 朝・昼・夜の習慣』より)
No.1490『まるまる、フルーツ』
No.1469で読んだ『こぽこぽ、珈琲』を図書館に返すついでに、この「おいしい文藝」既刊の『ずっしり、あんこ』と『まるまる、フルーツ』はありませんか、と係の方に尋ねました。すると、すぐ調べてくれて、『ずっしり、あんこ』はあるけど、『まるまる、フルーツ』はないから、もし読みたいならリクエストしますかといわれ、お願いしました。
その借りた『ずっしり、あんこ』は読んだのですが、2月中旬になってリクエストした『まるまる、フルーツ』が入りましたという連絡を受けました。そこで、2月19日から23日まで、蔵書点検のため休館するとのことなので、その前に借りてきました。
もともと私はフルーツが大好きですし、山形はフルーツ王国なので、食べる機会もたくさんあります。この本の中でも、巌谷國士『さくらんぼ』のなかで、戦争中に米沢に疎開し、食べるものが少ないときにこのさくらんぼをたくさん食べたことで、今でも、好きな果物はと問われるとさくらんぼと答えるそうです。そして、「世の中にこれほどかわいいものがあるだろうか」と書いていますから、懐かしさもあるのでしょうが、やはり美味しかったのだと思います。
私のさくらんぼの好きな食べ方は、冷蔵庫でしっかりと冷やし、それを器に入れ、まだ誰も入っていない風呂に入りながら、その冷たいさくらんぼがのどを通るのを確かめながら味わうのが最高です。これだといくらでも食べられますが、さくらんぼは食べ過ぎると胸焼けするのでほどほどでやめるようにしています。
また、山形の果物で絶品がラフランスです。これは食べ頃が難しいのですが、ちょうどいい熟れ具合で食べると、その香りといいのど越しのなめらかさといい、最高の果物です。
そういえば、子どもたちが小さいとき、毎年、福島の桃狩りに行ったことも思い出のひとつです。あの、手で皮をむきながら食べるときのみずみずしさは、腕までしたたり落ちる果汁をなめながら食べると、わざわざここまで来て良かったと思います。子どもたちも大きくなり、親とは行かなくなり、それ以来福島にも桃狩りに行かなくなりましたが、今度は孫でも連れて行ってみたいと思います。
昨年末に仙台に行ったときに、フルーツバイキングがあると聞き、行ってみました。たまたまほとんどが予約なのですが、1組だけ入れたので、何度もお替わりをして堪能してきました。次は、断られるとイヤなので、必ず予約をしてから行かなければと思いました。
海外の果物の思い出は、インドネシアのカリマンタンで食べたドリアンが最高でした。ホテルには持ち込めないということで、仕方なく露天で買ってその場で割ってもらい食べましたが、果肉のクリーム色のとか赤味のあるものとか何種類かあったので、毎日、食べていました。そういえば、ジャックフルーツやバンレイシなど、始めて食べた果物もあり、まさに果物三昧でした。たしか、食事を少なくして、果物をたくさん食べていました。
下に抜き書きしたのは、光野桃『ボーナスと果物』の1節ですが、父のボーナスが出たので、家族全員が好きなだけ果物を食べたというところです。ここに出てくる果物を数えたら、スイカ、バナナ、ブドウ、巨峰、マスカット、ビワ、オレンジ、甘夏、檸檬、桃、サクランボです。
私も旅行などに出かけると、一人で果物屋やデパートに行き、カットフルーツをたくさん買い込んで来て、それを冷蔵庫に入れて置いて、ヒマがあると食べています。以前よりは食べられなくなりましたが、果物好きは、年を重ねてもあまり変わっていないようです。
(2018.2.27)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
まるまる、フルーツ(おいしい文藝) | 杉田淳子、武藤正人 編 | 河出書房新社 | 2016年8月30日 | 9784309024950 |
☆ Extract passages ☆
「きのうね、パパのボーナスが出たのよ。だからきょうほ特別、果物食べ放題!! 好きなものを好きなだけ食べていいわよ」
一人一人に白い皿を配りながら、母が華やいだ声で言った。
木のテーブルの上にはすでに色とりどりの果物が山盛りになっている。いい香りが家中に満ちていた。……
わたしはまだ心の中で「うわぁ、うわぁ」と叫び続けていた。興奮でどこから手をつけていいのかわからない。しかし最初に食べるものは、すでにはっきりと決まっていた。桃だ。まるごと手でつかむと、皮を剥くのもそこそこに、その柔らかい丸みにむかって唇を思い切り突進させた。
果物ではない、お菓子でもない、それは幸せというものを形にしたとしか思えない味だった。
(弓木春奈 著 『まるまる、フルーツ』より)
No.1489『わたしの名前は「本」』
本が本のことを語るという設定なので、おもしろいと思いました。だって、本が何かを本当に語ったら、それこそ本モノでしょうから。
本そのものの歴史などは、ある程度、知ってはいますが、電子書籍が出てきてから、それを本といっていいのかどうか、ちょっと迷います。たしかに、今年になってから出版された『広辞苑 第7版』は10年ぶりの改訂版ですが、いくつか間違いが指摘され、その訂正は次の改訂版のときだそうです。だとすれば、電子版ならすぐにでも訂正できるから、良さそうな気もします。
しかし、この本の作者も語っていますが、「ページの角が折れるほど読まれるスリルを味わえない」というのは、やはり残念です。それと、本には独特のにおいがあり、本と電子書籍とが話し合う設定のところでは、「本にはにおいがあるにきまっているじゃないか。本に夢中になることを、"本に鼻を突っこむ"(nose in a book)というだろう?」と話しかけます。さらに、「確かに、アメリカの作家、レイ・ブラッドベリ(1958−2012)の小説『華氏451度』には、「本はナツメグとか異国のスパイスのにおいがすることをご存知かな?子どもの頃、本のにおいをかぐのが大好きでね」と、老教授フェーバーが主人公のモンターグに語る場面がある。そしてわたしは電子書発に語った。古代ローマ時代、ヴェラムでできていたときのわたしはサフランの香りがしていたし、ヴィクトリア朝の時代には、わたしの紙はラベンダーやバラの花びらが貼りつけてあったので、その香りがした。それから、すぐに、こういった。もちろん、すべての本が同じにおいがするわけではない。しかし、本に慣れ親しんだ人の鼻は、ワインのソムリエの鼻のように、熟成した木のパルプの香りにヴァニラの香りがかすかにまじったようなにおいをかぎとることができる。それはまるで、森そのものが、わたしに古代の知恵の香りを押印してくれたかのようだ。」と熱く語ります。
たしかに、私も本にはその本がたどってきた経歴みたいなかおりを感じることがあります。それが複雑に絡み合ったのが、古本屋のにおいです。それをかび臭いという人もいれば、これこそが古本のにおいだと思う人もいます。私もどちらかというと、神田神保町の古本屋巡りが好きなので、古本屋に入ったときのあの独特のにおいが好きです。いかにも、今、古本屋にいるというようなにおいです。これなども、絶対に電子書籍には真似のできないものです。
おそらくは、紙の本と電子本とがその利用のされ方で併存していくような気がしていますが、フィルムカメラとデジカメのように、あまりにも格差が広がらないようにとは思っています。でも、これらは、今後の利用者がそれぞれに関わり合いながら決めていくことですから、それにしたがうしかありません。
下に抜き書きしたのは、図書館についての話しで、昔のローマの公衆浴場には図書館もあり、表紙と裏表紙は木の板だったそうですが、ほんとうに風呂に浸かりながら読んでいたのだろうかと気になりました。おそらく、その当時の本は相当貴重だったでしょうから、もしお風呂のなかにポトッと落としたりしたら、たいへんな騒ぎになりそうだと思ったからです。
私なら、大自然のなかで、ノンビリとコーヒーでも飲みながら、本を読む時間を楽しみたいと思うのですが、そういえば、川西町のフレンドリープラザ内にある遅筆堂文庫で、1晩泊まりながら、思いっきり本を読むことができたのは、これも楽しかったですね。
(2018.2.25)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
わたしの名前は「本」 | ジョン・アガード 作、ニール・パッカー 画、金原瑞人 訳 | フィルムアート | 2017年11月25日 | 9784845916245 |
☆ Extract passages ☆
ご存じのとおり、無料で本を借りて家に持って帰れるところが昔もあったし、いまもある。ただし、一定の期間を超えると遅延料金を払わなくてはならないこともある。
そういう場所は、シュメール人には「記憶の家」と呼ばれていたし、エジプト人には「魂をいやす場所」と呼ばれていたし、チベット人には「宝石の海」と呼ばれていた。
もちろん、図書館のことだ。
わたしの記憶にある限り昔から、図書館があった。そして本が増えるにつれて、図書館も大きくなっていった。はるか昔、図書館員は「粘土板の番人」として知られ、図書館は「粘土板の家」として知られていた。わたしが粘土板に書かれていた時代だ。あるアッシリアの王は、粘土板の収集が大好きで、自分の図書館を持っていて、そのなかには、粘土板を焼く窯まで作り付けてあった。焼きたての本も読めたのだ!……アルゼンチンの詩人、作家、エッセイストのホルへ・ルイス・ボルヘス(1899−1986)はこう言ったそうだ。「わたしは昔から、天国とは図書館のような場所だと想像していた」。
(ジョン・アガード 作 『わたしの名前は「本」』より)
No.1488『百歳の力』
以前からこの本を読んでみたいと思って手には取ってみたのですが、著者の墨を用いた抽象表現なるものもわからないし、歳をとるという実感もあまりありませんでした。
ところが、今年は古稀だといわれ、とたんに歳を感じ始め、さらに図書館の棚にこれらのコーナーがあったこともあり、読むことにしました。結果的には、前回読んだ『すごいトシヨリBOOK』の流れと同じになってしまいました。
それでも、さすがに著者は墨をつかうアーティストなので、墨そのものに関する話しもあり、極上の墨は、「中国の乾隆帝の時代につくられた墨が、いちばんいいとされている。中国の文化を極致まで高めた皇帝で、本人が非常にそういうものが好きだった。その墨は、どこかの谷間に生えている松の根を燃やして、はるか高いところまで昇ったいちばん軽い煤だけを集めて固める。それを頂煙墨と言って、いい墨の代名詞となった。そして、当時の文人は、西湖の水がいいと言って、遠くまで汲みに行って、その湖の水で墨を磨った。墨を磨るのは、12歳ぐらいの、無心で、あまり力の強くない子ども。大人の力で磨る墨では得られない、子どもが磨る墨色がいちばん美しいからと、墨童という童を雇った。それくらい、墨というのは繊細に取り扱われていた。」といいます。
そういえば、だいぶ前の話ですが、中国語を習っていたときに、その山大の学生が出身地の杭州に一時帰郷するというので、ついていったことがあります。そのとき、この西湖にも行き、その近くにある西冷印社にも行きました。ここには文房四宝が並べられていて、紙とか墨、朱肉なども買いました。この朱肉は今でも使っていますが、深味のある陰影で、とても重宝しています。ただ、墨は日本の墨と違い、ちょっと硬そうで、今でもそのままとってあります。
また著者は、自分の美意識の目覚めについて、「いわゆる色彩感覚は、空の色、草の色、花の色など、自然の色で養われ、それとは別に、襲色の美しさは、私に強い印象として残っている。あの時代の人の着物は、グレーとか茶色とか、非常に地味だったことは事実。昔の人の普段着は、みんなそういう地味な色合いでした。でも、羽織や着物の裏から赤や藍などがちらりと見えて、狭の色の襲は、ちょうど私の目の高さだった。だから、私の色彩感覚をいちばん最初に目覚めさせたのは、母の袂だと思う。」と書いています。
たしかに、十二単を考えてみても、着物をかさねるというのは、日本の伝統的なもので、そのかさねた微妙な色合いが特徴です。また江戸時代の裕福な町民たちは、見えるか見えないかわからないところに、上等なものを着たそうで、そのような文化もあります。
百歳という長寿の生き方も、百歳を過ぎての作品には90歳のときにはない何かある、と考えれば、歳をとるのもいいことだと思えてきます。たくさんの紙を無駄にしているといいながらも、今も精力的に作品を描いている著者の姿に、ある種の感動を感じます。
下に抜き書きしたのは、著者はもともと習字を教えていたこともあって、生徒がお手本通りに書くのに少し抵抗があったといいます。でも、教えるには、最初は形から入るのは当然ですし、それからだんだんと個性のある文字が書けるようになります。
その辺の所を書いてあるので、創造することを考えながら読んでみてください。
(2018.2.23)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
百歳の力(集英社新書) | 篠田桃紅 | 集英社 | 2014年6月22日 | 9784087207439 |
☆ Extract passages ☆
学校などでも、お手本どおりに書く生徒を褒めて、いい点数をつける。お手本どおりというのは、すなわち偽物をつくるということ。偽物をつくることを賞讃し、奨める。たとえばゴッホの「ひまわり」の絵を見て、その複製をうまく描いたからといって、その人は賞讃に値するのか。そこに新しい価値はないですよ。
その生徒にしかつくれないものをつくったら、それが上手でなくても独創的であれば、褒めて、その子の才能を伸ばしてやる。そのほうが私はよっぽどいいと思いますね。そうすれば、この世に、もっと多くの独創的なものが生まれるでしょうしね。
(篠田桃紅 著 『百歳の力』より)
No.1487『すごいトシヨリBOOK』
おもしろい題名の本だと思いながら読み始めたら、「はじめに」のところに、「「すごい」(ひらがな)、「トシヨリ」(カタカナ)、「BOOK」(英語)と表記がばらばらなのは、老人自体がいろんなものの混成で、その内面にも、老人的なもの、老人らしからぬものが混在しているものです。年を取りながら、自分自身がそう実感しているからです。」と書いてありました。
たしかに、年をとってくると、意外なところで年を感じたり、まだ若いと思えたりしますから、なるほどと思いました。いろいろと経験しているからこそ、いろいろな楽しみもあるはずだし、副題の「トシをとると楽しみがふえる」というのもよくわかります。
そういう意味では、下に抜き書きしたような、自分自身を見つめ直すことも必要だと思います。
自分を見つめ直すということは、ありのままに見るということで、これが意外と難しいようです。つまり、ありのままに見ると、イヤなので、つい、自分の良いように見てしまいます。だから、老いてくると、よく「人生の秋」といいますが、言い得ている表現です。著者は、「秋が来れば当然、冬が来る。冬が来たら普通、春が来るわけですが、老いの非常に残酷な点は、春はもう来ない。二度と来ないというのが、老いの無慈悲なところです。「体はしわくちゃだけど、心はまだまだ若い。我々は万年青年だ」なんて、元気のいいお年寄りもいますが、ようするに現実を見ていないだけです。「体は老けても心は老けてない」というのは錯覚で、「心は老けてない」と思うこと自体が、まさしく老化のしるしといえます。自分では「心は若い」と思っているけれど、心という見えないものを当てにしてるだけ。鏡に映るシワだらけの自分の顔が本当の年齢で、心も当然、シワだらけです。」と、はっきりと書いています。
つまり、そうなんです。じたばたしてもあがいてみても、老いは確実に来ています。見たくないから、なるべく見ないようにしているだけです。でも、少しはできることがあります。この本でも趣味を持つとか旅行をするとかのアドバイスをしています。
私は年をとればとるほど、清潔にしていたいと思っています。ただでさえ、不潔に見えやすいのですから、これは最低限のおしゃれだち思っています。だから、著者は、「年寄りがおしゃれをしていても、誰も何も言いません。本当に、誰の視野にも入っていないのです。誰かにほめてもらおうなんて、それはもう、そんなこと絶対にあり得ない。むしろこれが、一番の楽しさかもしれません。老いてからのおしゃれは、自分だけの楽しみ。」と書いていますが、まったくその通りだと思います。
人のためにおしゃれをするのではなく、自分のためにするのですから、ある意味、自分さえよければいいわけです。しかし、たまには「奥さんにケチをつけられると不愉快だっていう人もいます。そういう場合、「見るに見かねて」だと思うので、意見を聞いたほうがいい。」とアドバイスしています。
それはそうです。毎日、いっしょにいるわけですから、自分さえよければという理由にはなりません。ときどきは着るもののアドバイスをもらう、買い物にもつき合う、そうすれば、会話も弾みそうです。
下に抜き書きしたのは、「はじめに」に書いてあるところで、このような気持ちがあれば老いるのも楽しいだろうなと思いました。
やはり、最後は気の持ち方です。楽しいと思えば生きがいも感じられるし、もう少しで終わりだと考えれば、寂しくもなります。自分で楽しみを見つけ出すためにも、ぜひ読んでみましょう。
(2018.2.21)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
すごいトシヨリBOOK | 池内 紀 | 毎日新聞出版 | 2017年8月15日 | 9784620324586 |
☆ Extract passages ☆
自分が老いるというのは初めての経験で、未知の冒険が始まるのだから、「こういうことはこれまでなかった」とか、「これぞ年寄りの特徴」とか、日々、気がついたことを記録するための、「自分の観察手帳」を作ったのです。
さらに……「77には世の中にいない」という「予定」を立てました。……77の時にはもういないから、その前にコレをしておこう、億劫だけどアレもしよう、ちょっと贅沢してみよう……こんなふうに、「もういない」としたほうが、決断しやすいというのが自分の判断です。
年を取る中で、得るものよりもなくしたもののほうが多い。これから生きる時間よりも、生きてきた時間のほうがはるかに多い。そんな目に見えない「収支決算」も」気づくつど、すぐ書き込むことにした。記憶の切れ端がヒョツと浮かぶとメモをして、それだけだと何の記憶かわからなくなるから、小さな絵をつけて、暇な時にちょっと色をつけたりする。
これは過去の時間をもう一度生き直す「小さな復活劇」です。
(池内 紀 著 『すごいトシヨリBOOK』より)
No.1486『経験をリセットする』
久しぶりに哲学書のようなものを読みましたが、副題は「理論哲学から行為哲学へ」で、おそらく理論を駆使するものではなく、いろいろなところから行為を通して考えよう、というような本です。
だから、韓国の済州島やアメリカの西海岸や東海岸、モンゴル、日本の八丈島や熊野、千葉、東日本大震災で大きな被害を受けた福島へと旅しながら哲学的思考をするわけです。第1章で「吟遊する哲学」を展開し、そのなかで、「吟遊する哲学とは、ある種の「捨てる覚悟」のことかとも思える。時間と労力をかけて獲得し、修得したものを、みずから捨てるのである。この捨てるところが、新たな経験の出現の場所でもある。」と書いています。
つまり、経験をして、それを捨てて、また経験をする、その繰り返しのなかに行為哲学があるのかもしれないと思いました。
だから、いろいろなところでいろいろなことをして、そして考えて、また次の場所に行く、という繰り返しがあるようです。この中でも、とくに印象的だったのは、やはり福島です。著者は「フクシマ」とカタカナで書いていますが、そこには東日本大震災の福島第一原発事故のことがあり、今までの福島と違うフクシマになってしまったというイメージがあるのではないかと思います。
そして時間が経てば経つほど、その感覚も違ってくるといい、無視につながっていくといいます。この無視はたんなる非注意でもなく、「無視は、これらとは異なる。それぞれの体験的生と身体動作にとって、余分だと思われるものを無視し、本人の脳にとってノイズにしか感じられないものをおのずと無視する。足の裏の触覚性感覚を思い起こしてみればよい。多くの感覚を無視することによって、はじめて自然な歩行が成立する。だがこの無視は、他面、有効なものと無効なものとの選択を見過ごし、少々の失敗や過失にも反応しなくなり、現実性の変容をまるでそれがないかのように見過ごしていく。この無視に対応するのが、遂行的注意という実践能力であり、まさにこの注意が向くことによって現実が初めて成立する。近所の商店街で四週間も前に閉店していた商店に気づかないことがある。この注意が向かないことで、閉店という現実が四週間もの間成立していなかったのである。」といいます。
この無視はさらに過酷な労働環境でも、世界有数の原発の技術水準を備えていたとしてもこのような無視が起きてしまい、見落としの失敗につながるのだといいます。ということは、おそらく、想定外のことだったとしても、このような原発事故は、どこでも起きうる可能性があるということです。
しかも、起きてしまえば、個々人の一生の時間とは比べものにならないようなとてつもなく長い時間がかかり、考えることすらできない時間のスパンのなかで苦しむことになります。
下に抜き書きしたのは、その原発事故で故里を追われた人たちの待つということを書いてあるところです。
この「真綿の重さを感じ続ける日々が続く」というところに、原発汚染の先の見えない苦悩が漂っていると感じました。
もし、機会があれば、図書館から借りてでも、この第4章の「フクシマ・ランドマーク」は読んでみてほしいと思いました。
(2018.2.19)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
経験をリセットする | 河本英夫 | 青土社 | 2017年9月30日 | 9784791770120 |
☆ Extract passages ☆
先々の予期があれば、待つことはできる。だが待つということが選択になっていないことがある。待てない日々を待つ。待つということとは異なる仕方で待つ。それは日々充実して生きるということより、耐えることに近い。展開見込みがあれば、ともかくも人間は待つことができる。五年、十年と待つのである。だが待つことにならない遅延と延期があり、それは多くの人にとってどうしたら待つことになるのかを試行錯誤するような体験である。明日処刑の日がやって来るという緊迫感でもなく、誰も支えてくれる人はいないというどん詰まりの個体感とも異なり、むしろ真綿の重さを感じ続ける日々が続くのである。
(河本英夫 著 『経験をリセットする』より)
No.1485『今を楽しむ』
副題が「ひとりを自由に生きる59の秘訣」とあり、これからの時代はひとり暮らしも多くなるし、いろいろな問題も起こるかもしれないと思っていたので、それに惹かれて読みました。
著者は、お医者さんですが、退官して組織などを離れ、「ひとり」で住んでいるそうです。だからこそ、そのひとりの良さというか、楽しさを語れるのかもしれません。そして、ひとりだからこそ、いろいろなものから自由に生きられるようです。
著者は、ひとりの時間のメリットを、
@惑わされない
A自由に考えられる
H自在に動ける
としています。その理由は「他人に惑わされない時間というのは、「自決する力」を高めます。自決とは、他人ではなく自分で決める意思であり、その態度のことです。この力が強ければ、たとえば集団内に身を置いていても、周囲に左右されることがありません。逆にこの力が弱ければ、いつも周囲に左右されます。自由に考えられる時間は、「想像する力」を高めます。自在に動ける時間は「幅広い関心を持つ力」を高めます。」と書いています。
この自決力、想像力、関心力は、今のような情報過多の時代には、とくに大切なことで、いろいろなものに流されないためにも必要なことです。
どうも、今の若者たちは、空気を読むとか、周りの動向を気にしますが、自分自身の考え方とか生き方とか、若くなければできないことをしてほしいと思いますが、意外と消極的のようです。むしろ、ひとりになると寂しいのか、いちもスマホなどで友だち同士の連絡を取ったりしているようです。
だとすれば、このような本は、若い人にこそ読んでもらいたいと思います。
もちろん、男性と女性でも、ひとりに関する考え方は違うようです。その違いを著者は、医者として医学的な根拠を上げていますが、なるほどと思いました。それは、ちょっと長いのですが引用しますと、「性を決定する性染色体は、男性が]Y、女性が]]です。ヒトは基本的に女性で、Y染色体に乗っているSRYという領域の存在が男性化を引き起こさせます。]]を持つ女性では、片方の]染色体に異常があっても、もう一方が補うことで異常が発現しにくくなっています。一方、男性では、Y染色体には]染色体のように相同性(相対する同じような形)の染色体がないので、Y染色体に異常があると疾病として発現してしまいます。Y染色体は男系祖先(男子)の遺伝子をそのまま継承しますが、長い時間の流れにおける修復(組み替え)作業がほとんど行われない特性から、環境変化に弱く、たくさんの遺伝子が退化してきました。一方、感染症などウィルス由来疾患に対する免疫力をつかさどる遺伝子は]染色体に乗っています。加えて、私たちの細胞には「ミトコンドリア」があります。ミトコンドリアは酸素や栄養素を吸収し、生命活動をする上で必要なエネルギーを生み出す小さな器官であり、ミトコンドリアの活性・不活性は、私たちの健康を左右する大きな要因です。このミトコンドリアは、実は「母系遺伝」によるものです。男性の遺伝子はミトコンドリア内で消失してしまいます。これを「抹殺される」と表現する科学者もいます。」ということです。
これを読むと、なぜ女性の方が長生きなのかとか、いろいろなことがわかってきます。もちろん、個人差はあるでしょうが、遺伝子レベルで違うということは、納得せざるをえないということでもあります。
そういえば、センテナリアン、つまり100歳を越えた長寿者のことで、調べてみると細胞の炎症度合いが一般の老人に比べて十分の一の低さだったといいます。つまり、病気になる主因は炎症だそうで、これが低いということは、発病しにくいということになります。
その低さのカギはCTRP遺伝子群だそうで、それを下に抜き書きしました。
(2018.2.16)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
今を楽しむ | 矢作直樹 | ダイヤモンド社 | 2017年7月12日 | 9784478102831 |
☆ Extract passages ☆
その炎症のうち、慢性炎症のカギとしてカリフォルニア大学医学部のスティーブン・コール教授らが研究を進めているのが、CTRA遺伝子群です。この遺伝子群はストレスを受けると活発化し、満足感が高まると沈静化します。
興味深いのは、その満足感は「自己快楽」(食欲、性欲、娯楽など)よりも、むしろ「社会貢献」、つまり人助け、奉仕、団らんなど利他心によって高まるそうです。自利よりも
利他で、慢性炎症が治まる可能性が高いということなのです。
(矢作直樹 著 『今を楽しむ』より)
No.1484『花緑の幸せ入門』
この本を初めて見たとき、柳家花緑という落語家を知らなかったので、植物系の本ではないかと思いました。それでも、図書館から借りてきたので、あまり深く詮索もせずに家で読み始めて、落語家さんの本だとわかりました。そういえば、表紙さえ詳しくは見なかったようで、右下にその落語家さんの写真が載っていました。そういえば、どこかで見たことがあると後から思い出しました。
紹介を読むと、22歳で戦後最年少の真打ちになったそうで、それよりなにより、あの人間国宝の5代目柳家小さんの孫でした。そんなこともなにも知らず読んでみて、祖父の七光りの大変さもわかりました。でも、自分には学習障害があり、通知表はいつも1か2と書いてあり、しかも漢字がわからず本も読めなかったと知り、そこまであけすけに話していいものだろうかと心配もしました。まあ、落語家さんだし、今が順調であれば、それもいいとは思いましたが。
そういえば、前回読んだ『他人をバカにしたがる男たち』のなかに出てくる「健康社会学」という学問の健康という趣旨がわからないと書きましたが、この本には健康心理学を専門とするスタンフォード大学で博士号をとったケリー・マクゴニガル氏の話が出てきます。彼は健康心理学者として、ストレスは病気の原因になると考えてきたそうですが、1998年にアメリカで成人を対象とした調査から、別な考えを持つようになったといいます。それは、「その調査というのは、1年間で感じたストレスの量や、ストレスが健康に悪いと思うか、という単純な質問でした。8年間の調査で、参加した3万人のうち誰が亡くなったのかをまとめました。すると、強度のストレスを受けている人たちのなかで、「健康にとってストレスは悪い」と考えていた人たちの死亡リスクが、そう思っていない人に比べて、43%も高かったそうなんです。この調査結果から、研究者たちは、「ストレスだけで人は死ぬ」ことはなく、むしろ「ストレスは健康に悪いと思い込む」ことこそ、寿命を縮めることになるという結論を出したんです。」と書かれていました。
ということは、「ストレス」が全て悪いものではなく、そのとらえかたで「良きもの」にもなるという考え方です。ある意味、プラシーボ(偽薬効果)ともいえるかもしれませんが、思い込みが悪いのかもしれません。
著者自身の言葉でおもしろいと思ったのは、「どんなにカレンダーで日にちを区切ってみても、グルグル回る時計の針を見つめてみても、沈む夕日や昇る朝日に感動しても、体験出来るのは「今」だけです。生まれた瞬間から死を迎える瞬間まで、最初から最期まで、我々は今しか体験出来ずに終わってゆく。それが「人生」と呼んでいるものらしいです。」という考え方です。
よく、過去・現在・未来というように考えますが、考えてみれば過去にも未来にも行けるわけはないのです。つまりは、現在を行ききるしかないんです。過去や未来を考えると、そこには思い悩んだり、不安になったりする時間がありますが、この今だけに心を馳せていれば悩むすきも生まれてこないと著者はいいます。この本の表紙に「スピリチュアル風味」と書いてあるのが、このような部分のようです。
下に抜き書きしたのは、和歌山県の西本真司先生がおこなった実験から導きだされたもので、笑いについての考え方です。体操をするかのように笑うというのは、とてもおもしろい考えだと思いました。
ぜひ読んでいただき、毎日を笑顔ですごしていただきたいものです。
(2018.2.14)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
花緑の幸せ入門(竹書房新書) | 柳家花緑 | 竹書房 | 2017年8月11日 | 9784801911741 |
☆ Extract passages ☆
「形から入る笑いの療法というのを実験しています。落語、漫才、喜劇、コメディ映画などの笑える対象を見聞きして面白い、楽しいと感じて自然と笑うのではなく、全く笑いの対象がない状態でも体操をするように自らが笑い声を出し、笑顔を作ることで、心身を癒す療法のことなんです」……
ようするに人間は形からでもいい、つまんなくてもいい。笑いたくなくてもいい。それでも「笑う」という行為を意識的にするだけで、身体にいいという結果が出たんです。
(柳家花緑 著 『花緑の幸せ入門』より)
No.1483『他人をバカにしたがる男たち』
著者名を見ただけではわかりませんでしたが、後ろに載っている紹介を見て、そういえばニュースステーションの気象予報をしていたことを思い出しました。でも、その方がこのような題名の本を書くのか、それは読みながら、少しずつわかってきました。
紹介にもあるように、「人の働き方は環境がつくる」として、いろいろな活動をしているようです。この人と環境に関わにスポットをあたる学問が健康社会学というそうで、著者の説明によると、「心理学が「個」にスポットをあて、「個」が強くなることを目的にするのに対し、健康社会学では「個を強くする環境」をゴールにします。人は想像以上に環境の影響を受けます。SOCも、「環境で育まれる力」です。もちろん人が環境を変えることもありますが、人の力ではどうにもならない環境もある。人は社会的文脈の中でかたどられていくのです。」と書いています。このSOCという単語はこの本に何度も出てきますが、それは「Sense Of Coherence」の略で、日本語に訳すと「首尾一貫感覚」だそうです。つまり人生のつじつま合わせができる力ということのようです。
でも、たしかに人は環境に強い影響を受けるというのはわかりますが、この健康社会学という「健康」の趣旨がよくわかりません。もし、このことについて書いてある本でも見つけたら、改めて読んでみたいと思いました。
たしかに、老害といわれることは、よく聞きます。私の仕事では、あまりないようですが、それでも少しはあるようです。たとえば、自分たちの考えが正統派だと思っていて、若い人たちの新しい考え方をほとんど聞きもしないで否定してしまいます。おそらく、長い経験が自信につながっているのでしょうが、時代は刻一刻と変化してます。ある気象予報士に聞きますと、今の異常気象のときには過去のデータがあまり役立たないそうです。あまりにも、突発的なことが多すぎて、過去にはなかったことも多いといいます。そういえば、昔は夕立というのはありましたが、ゲリラ豪雨などというのはなかったように思います。
よくスポーツなどでルーティンという言葉を使いますが、これは「ルーティンは、2人以上のメンバーを巻き込んだ観察可能な、日々の反復性のある行動と定義される「日常の当たり前」です。そもそも人間は生物学的に、周期性、規則性のある行動を好む傾向を持っているので、ルーティンは、人間の生きる力の大きな基盤となります。一緒にルーティンを共有することで、同じグループのメンバーだという安心感が芽生え、「自分はこのグループの盲だ」という帰属意識が芽生える。」といいます。
たしかに、人はなるべく当たり前のことを当たり前にしているときが、一番楽なような気がします。ということは、これはスポーツだけでなく、日常においてもルーティン化すると、生きるのにすごく楽になると思いました。
下に抜き書きしたのは、老害を引き起こす人とそうでない人の違いは思考方法だそうで、その研究をしてきたスタンフォード大学教授のキャロル・ドゥエック博士の「成長できる人とできない人の違い」についてです。
読むとあまりにも当たり前のことなのですが、それをできる人とできない人って、やはりいるんだと思いました。
(2018.2.12)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
他人をバカにしたがる男たち(日経プレミアシリーズ) | 河合 薫 | 日本経済新聞出版社 | 2017年8月8日 | 9784532263485 |
☆ Extract passages ☆
成長する人は「学びたい」という「成長する思考態度」をもっていて、逆に、成長できない人は「固定された思考態度(fixed mindest)」をもっていると結論づけました。「成長する思考態度」の人は、「私の人生は、学んだり、変化したり、成長したりする、連続した過程である」と考え、"今"を成長への通過点と捉えていました。自分に対する批判や他人の成功など、普通だったら向き合いたくないことに出合っても、ありのままを真摯に受け止め、吸収し、進化する。喪失感に苛まれることがあっても、それらのストレスをむしろ自らの成長の糧します。
一方、「固定された思考態度」の人は"今″の自分に固執する。自分に都合の悪い批判は退け、自分をよく見せるために、他人を蹴落とすような言動をとる。
常に"今″の「自分は失敗しているか、成功しているか?」「賢く見えるか、バカに見えるか?」「受け入れられているか、排除されているか?」「勝者か、負け犬か?」と、他者と
の比較で物事を捉え、自分の優位性にこだわり続けます。
(河合 薫 著 『他人をバカにしたがる男たち』より)
No.1482『あなたのまわりのデータの不思議』
最近は、いろいろなデータに振り回されているような気さえしますが、この本の副題は「統計から読み説く」とあり、その統計も実体とかけ離れているのではないかと思うときがあります。
たとえば、昔からの集会などで、主催者発表と警察発表で違うのは当たり前のように思うほどです。また、政治のことでも、世論調査や内閣支持率など、いろいろな統計がありますが、誰がどのように集計しているのか、と思います。
また、選挙のときの当落速報も、開票とほぼ同時ぐらいに当確が出たりすると、そうかもしれないけど、まだ選管から発表もないうちからそんなことをしてもいいのか、と思います。しかも、過去には何度か当確が取り消されたこともあるので、そんな予想屋みたいなことをしなくてもいいのにと思ってしまいます。だって、数時間後には、正式な得票が発表されるのですから。
この本では、データを収集するときの基本的留意点として、
(1)だれがやっても同じような状況が得られること
(2)何回観測を行っても条件が変わらないこと
(3)既存データを利用するときは,データの出所をよく調べて,だれが,だれのために,いつ,どんな目的で集めたデータであるかを,確かめること
だそうです。
たしかに、統計は、調査対象者に申告してもらって集めるわけですから、その回答が間違いないとは言い切れません。知らないのに知っている振りをしたり、結果的にウソをついてしまう場合だってあります。でも、だからといって、すべての統計が無効だとか、あまり役立たないということではなく、ある程度の流れを知ることができたり、判断するときの材料になることもあります。
下に抜き書きしたのは、タイで毎年4月初旬におこなわれている兵役のくじ引きについてです。タイでは、18歳から21歳までの男性は徴兵に応じる義務がありますが、この選抜方法がくじ引きで、その様子をテレビなどでも全国に生放送されるそうです。
しかも、赤紙をひくと2年間の兵役ということですから、なんか、日本の戦前の赤紙みたいなものだと思いました。これには、おそらく相当なドラマが繰り広げられるのではないかと想像しました。
くじといえば、宝くじをすぐ思い浮かべる人もいるでしょうが、この本で、宝くじをおもしろく解説していました。それは、「タカラくじ≠宝くじ、タカラクジ=多空くじ(多くの空くじ)、タカラクジ=多仮楽くじ(多くの人が仮の楽しみのための夢見代)」と記号で書いてありました。
たしかに、宝くじは買わなければ絶対に当たりませんが、買ったからといっても、おそらく上のような記号で終わりなんでしょうね。
(2018.2.10)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
あなたのまわりのデータの不思議 | 景山三平 | 実教出版 | 2017年10月10日 | 9784407344615 |
☆ Extract passages ☆
東南アジアの国タイでは毎年4月、戸籍上の男性でその年に21歳になるモノすべてが対象のくじ引きがおこなわれます。このくじに当たると、通常2年間の兵役に就くことになるそうです。このくじ引きは、ツボのなかに赤紙と黒紙が入っていて、赤紙なら軍隊へ、黒紙をひけば免除という単純なしくみとなっています。それぞれの紙の枚数は、その地域での若者の数や必要な新兵の数により決まるようです。
(景山三平 著 『あなたのまわりのデータの不思議』より)
No.1481『日本の美仏 50選』
この題名のなかの美仏は、「みほとけ」と読むそうで、日本の仏様は、「まるで生きた姿のごとき「美」があってこその仏像」だからだそうです。
もともと、この本は『BAN』という月刊誌に「美仏めぐり」ということで66回連載した記事から50の仏像を選んだそうです。ここで取りあげなかったなかにも、たとえば奈良や京都などのものはいずれも優れたものではありますが、全国の仏像をまんべんなくということもあって、取りあげなかったそうです。
でも、そのおかげか、地方の意外と知られてない仏像などもあり、とても興味深く読ませてもらいました。
たとえば、神奈川県の浄楽寺の『不動明王』像ですが、著者も最高の不動明王というぐらい、素晴らしいお姿をしています。運慶作と伝えられ、像高は135.5pです。私もいくつか不動明王を拝ませてもらっていますが、力強くにらんでいるような攻撃的なお姿は、なかなかありません。時代が下ると、いかにも約束事のような形だけで、気迫のこもった表情は見られなくなります。この本では、醜いと表現していますが、その根拠として「この像の造り方を述べた淳裕(890〜953年)の『不動一九相観』の中にもあるように《像容は卑しく肥満した童子形。……額は水滴のような皺。左目を閉じ、右目を開く。右唇の下の歯を噛む。左唇を外へ返しだす。……体の色は青色で醜く、盆怒の姿》などと、最初から醜くなるように造られているのです。」と書いています。
ということは、これも約束事ですが、おそらくこのような決まりがないと、それらしいお姿にはならないのでしょう。だとすれば、それらも仏像の見所のひとつのようです。
さらに、仏師という漢字は日本にしかなく、仏像の最高傑作を造るために仏教や経典などを学び、僧侶として制作にあたったと書いています。そこに単なる超国家というイメージではなく、彫刻そのものを充実させる力が働いているといいます。
でも、これは日本だけでなく、たとえばチベットでは、ドロアーというのは仏画、特に曼荼羅を描くのですが、ほとんどが僧侶であり、修行の一環として描いています。そこに共通するのは、仏教には儀軌があり、その決まり事を知らなければ彫ったり描いたりできないということもあります。つまり、仏教に精通していなければだめなので、必然的に僧侶ということになります。そして、そのほうが心を込めた製作がより可能になると思います。
下に抜き書きしたのは、福岡市太宰府市にある観世音寺の『大黒天』立像についての文章です。平安時代のもので、国の重文に指定されていて、宝蔵に安置されているそうです。
作者は不詳で、クスノキの一木造り、像高は171.8pだそうです。もし、機会があれば、ぜひ拝ませていただきたい仏像のひとつです。
(2018.2.8)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
日本の美仏 50選 | 田中英道 | 育鵬社 | 2017年9月11日 | 9784594078164 |
☆ Extract passages ☆
観世音寺の『大黒天』立像はこの福の神の系統ですが、しかしまだ古い要素を残しており、顔は盆怒の像になっています。耳の上には、焔髪が立っています。その古風な頭巾といい、服といい何か神像を思わせます。なぜなら、体部の肉づきは穏やかで、衣文も浅く薄く刻まれているので、総じて神像を思わせるのです。この『大黒天』立像は平安中期の作ですが、その先駆と言えるのではないでしょうか。……
おそらく、観世音寺の『大黒天』立像は、そうした大国主命の姿が隠れていると考えられるようです。袋を背負っているのは、因幡の白兎の伝説において、八十神たちの荷物を入れた袋と言えますし、表情は、忿怒と言うより慈愛と苦慮の表情が見てとれます。そして、ほかの大黒天に見られる要素を、できるだけ捨象した姿をしており、神仏融合の彫刻の優れた例として、観世音寺の『大黒天』立像を見ることができるのです。
(田中英道 著 『日本の美仏 50選』より)
No.1480『日本百名山 山の名はこうしてついた』
日本百名山のすべての名前の由来を知りたいと思ったのではなく、せめて地元の山の名前ぐらい知っていてもいいかな、と思ったのです。
しかも、この時期は、節分の星祭も終わり、雪があるので比較的ゆっくりできるので、本も読めるのです。
この題名の「日本百名山」は、もちろん深田久弥の名著ですが、そこでは1つの山を2,000文字ほどで書いてあるので、その山の由来を詳しくは説明していないのもあり、それでこの本を書いたといいます。でも、この本を読んでも、山の名前の由来を数々取りあげてはいますが、いまいち決定打がないようです。そもそも、由来などというのは、自然発生的に生まれた場合などは、後付けになってしまいます。しかも、その検証はできないのが普通です。それをいくらいろいろと述べても、らちがあきません。
それでも、つい、最後まで読みましたが、登ったことがあったり、地元近くの山だったりすると、記憶にも残ったようです。
たとえば、毎日見ている吾妻山については、「総称の「吾妻」についてはこれまで、『日本書紀』景行紀の日本武尊の東征伝承の「吾妻はや」の歌から、と説く向きが盛んだが、「吾妻」の使用例は九州・中国・関東・東北に及び、舞台があまりにも広範囲に過ぎる。アケ(明)ツマ(端)の略(賀茂真淵・大槻文彦)・アサ(朝)ツ(助詞)マ(間)の略で「東方」説も、九州や中国地方の例の説明がつかない。むしろ、ア(上)ツマ(詰)で「上詰まりの地形」を呼んだのではないか。わが国では古来、△型の屋根様式を「切妻」と呼ぶ。なお、東大巓・西大巓の「巓」の用字は他に例を見ないが、地元民がこの難解で書きにくい字を使っていたはずがない。実は全国各地で、「頂上」を呼ぶ方言用例にテッ〜とかテン〜…などの用例が多数ある。漢字「天」の字は立った人を表す「大」の上に一を付け「人間の脳天」を示した指示文字で、和語にも比較的早く導入されたか。」と書いてありました。
下に抜き書きしたのは、後立山連峰の主峰、白馬岳のことについて述べてあるところです。この本では、「山名いろいろコラム」が7編載っていますが、その6番目です。この白馬岳は標高2,932mあり、日本三大雪渓のひとつである白馬大雪渓があり、高山植物の群落があちこちに見られるそうです。しかし、私もいつかは登りたいと思いながら、なかなか行けない山です。
だからというわけでもありませんが、白馬岳「しろうま」と読むのか「はくば」と読むのか気になっていました。
このコラムを読んで、なるほどと思いました。おそらく、全国にはこのようにだんだんと本来の意味がら遠ざかっていくこともあるのではないかと思います。そういえ意味では、この山の名の由来を考えてみることは、意義のあることではないかと思いました。
(2018.2.7)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
日本百名山 山の名はこうしてついた(祥伝社新書) | 楠原祐介 | 祥伝社 | 2017年11月10日 | 9784396115210 |
☆ Extract passages ☆
現在のJR大糸線は、南北双方から路線が延伸された。昭和7年年11月20日、同線は信濃森上駅まで延伸され、その途中駅として白馬駅が開業した。山名はあくまで「代掻き馬」の雪形に対して「白馬」の二文字を当てたものである。明治以降、訓読みの地名を音読化は時代の趨勢だが、少女趣味の「白馬の王子様」ではあるまいし、この地名をハクバと読むのは"地名文化の破壊"そのものだろう。
(楠原佑介 著 『日本百名山 山の名はこうしてついた』より)
No.1479『きずなと思いやりが日本をダメにする』
この本の題名を見て、むしろきずなと思いやりが日本を救うのではないかと素直に思いました。だって、東日本大震災のときも、きずなや思いやりが多くの人たちを感動させたし、実際にも救われたという方もいました。
そして、この「最新進化学が解き明かす「心と社会」」というのを見て、先ずは読んでみようと思いました。しかも対談ですから、難しい話しであったとしても、わかりやすいのではないかと思いました。
実際に読んでみると、「思いやり」というのは、空気を読んだり、相手を傷つけたりしないようにすること、つまりは議論や衝突をできる限り回避して、無難に収めましょうということです。そういえば、今の若い人たちは、異性との付き合いも、傷つくのが怖いからとか、傷つけられたくないからと、最初からそれを求めないといいます。それでは、何もしないで諦めてしまうことにつながります。
もともと、個性を大事にしたり、多様性に重きをおくなら、きずなや思いやりを前面に出してはできないことです。むしろ、後ろに引っ込めておかないと、できない相談です。
おそらく、このような本の題名を考えたのは、とくに若い人たちへのメッセージではないかと思いました。
よく日本人は周りとの軋轢を好まないといいますが、それはラグビーと野球との違いで山岸氏が紹介していますが、「受け売りなのですが、ラグビーは他の団体競技と違って、試合中にコーチや監督が指示を出さないと。監督はいるのだけれども、試合の際にはスタンドで観戦するだけなのだそうです。つまり、練習には監督は口を出すが、本番は選手の自主的な判断にすべてゆだねるそれがラグビーの醍醐味なのだそうです。」といいますと、長谷川氏は「言われてみたら日本人の好きな野球はいつも監督から選手がいちいち指示を受けていますよね。」と反応していました。
たしかに、ラグビーの場合は、あの緊迫した試合の最中にいちいち監督の指示を仰いでいたら負けてしまうでしょうが、選手一人一人が状況を判断するというのは、理にかなっていると思います。
どうも、日本人はすべてに対して、指示を仰ぐというのが板に付いていて、それが野球の人気からもうかがえると思いました。
そういえば、おもしろいと思ったのは、ジョナサン・ハイトの論文を紹介したところで、そのなかで「ここに殺菌済みのゴキブリ(の死体)があります。このゴキブリは実験用として清潔な環境の中で飼育されたものなのですが、念のためにどんな細菌でも生き残れないほど高温になる圧力釜を使って、殺菌処理をしています。さて、このゴキブリの死体をリンゴジュースの中に入れ、茶こしでこしてコップに入れました。あなたはこのジュースを飲めますか?」と質問するのです。
対談者は二人とも飲めるといいますが、もしあなたなら飲めますか?私なら、飲み物がこれしかないなら飲みますが、ムリしてまでは飲まないと思います。つまり、それほどゴキブリに対する偏見があるのかもしれません。
下に抜き書きしたのは、幸福と時間の関係で、幸福というのは時間の終わりにならないとわからないのではということです。よく、臨終のときに、自分の一生が走馬燈のように思い出されるといいますが、そのときになって始めて自分は幸せだったといえるのかもしれません。
だとしたら、あまり幸福ということを考えながら、生きていても仕方ないというのが対談者の考えのようです。たしかにそれも一理ある、と思いました。
(2018.2.6)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
きずなと思いやりが日本をダメにする | 長谷川眞理子・山岸俊男 対談 | 集英社インターナショナル | 2016年12月20日 | 9784797673326 |
☆ Extract passages ☆
山岸 幸福や絶望といった感情は我々が過去を振り返ったり、未来を想像したりするから生起するのであって、つまり、そこにはかならず時間というものが関わっている。
で、絶望という感覚が「自分の将来には何一ついいことが想像できない」ということから起きるものだとするならば、幸せはどうでしょう。幸せという言葉の定義にもよるでしょうが、私は幸福というのは「もうこれ以上、何も要らない」という充足の感覚と結びついていると思う。そして、それは分かりやすくいえば「時間よ、止まれ」ということですね。
長谷川 たしかに人間が過去のことを思い出して、そこに幸福さを見出すのは「あのときにはすべてがあった」という感情かもしれませんね。言い換えると、そこからは幸せは失われる一方で、いいことは一つもないという感傷がそこにある。あのときのままでいたかったという気持ちが根底にあるでしょうね。
(長谷川眞理子・山岸俊男 対談 『きずなと思いやりが日本をダメにする』より)
No.1478『種子』
副題は「人類の歴史をつくった植物の華麗な戦略」で、原作は「The Triumph of SEEDS」ですから、種子の勝利とでも訳したほうがいいかもしれません。でも、種子のいろいろな工夫があり、それはまさに戦略といえます。
そういえば、遺跡から掘り出したハスの種子を播いて花を咲かせた大賀ハスなども有名ですが、土のなかにはたくさんの種子が埋もれていて、成長する機会を狙っています。進化論で有名なダーウィンは、自分で大さじ3杯分の池の泥から537個の種子を発芽させたとき、「モーニングカップたった1杯の泥の中にこんなにも入っていた!」と感嘆符を使ったそうです。著者は、科学の世界ではほとんどこの感嘆符は使われないが、それほど衝撃的だったのではと書いています。
この本のなかで、たとえばコーヒーノキは、「首尾よく発芽するためには、豆の中にある小さな根と芽をカフェインから遠ざける必要がある。そのために、コーヒーノキは急速に水を吸い上げて、準備の整った芽や根の細胞に水を送り込んで膨張させ、先端の成長点を外側へ押し出す。豆から外へ出ることができて初めて、芽や根の細胞分裂が起こり、本当の成長も始まるのだ。いったん発芽が始まると、さらに興味深いことが起こる。芽が伸びるにつれて、縮みつつある内胚乳からカフェインが漏れ出して、まわりの土壌の中に広がっていくのだ。近くにある別の植物の根の成長を抑えたり、他の種子の発芽を妨げたりしているようだ。」と書いています。
つまり、コーヒーノキは、自分で自分の領域に他を寄せ付けないように自らのカフェインを放出するというのです。それは、人に頼らずに自分で除草剤をまくようなものです。
しかも、この後の方で、花の蜜に少しばかりのカフェインを使い、ミツバチを何度も花におびき寄せているというからその戦略はしたたかなものです。人もコーヒー依存するようですが、ミツバチだってコーヒーに依存するようです。
あるとき、ふと、トウガラシにあまり辛くないのととんでもなく辛いものがあるのはなぜだろうと思ったことがありますが、この本にその答えが書いてありました。それは、「湿潤な森林は菌類と菌類を果実から果実へ運びまわる昆虫が多いので、トウガラシが種子を辛くするのは明らかに利点があるが、菌類がさほど生えない乾燥した環境では、種子を辛くすると水分不足に陥り、種子生産に悪影響が出る可能性があるので、辛味の生成はトウガラシに不利に働く。雨量、昆虫、菌類、カプサイシンの生産に費やすエネルギーという各要因がバランスをとるなかで、利点と欠点の動的関係が生じ、その結果として辛味が進化したのだ。そう考えれば、現在栽培されているトウガラシの祖先は、気候や生息域、生息環境が変化したせいで、辛くない形態をすっかり失ったのだと説明することもできよう。生活空間が湿気を帯びて、カビが増えると、トウガラシは辛味で応酬したのだ。」とあります。
まさに種子は、自分が最適な状態で生育できるように働くということです。人に辛さを提供するためではなく、あくまでも自分をまもるために辛くなっていたということです。
下に抜き書きしたのは、コムギやコメなどの穀物とレンズマメやヒヨコマメなどのマメ類の輪作についてです。
これも長い歴史があり、しっかりと補完し合っているようです。この本を読んでみて、種子の戦略のおもしろさを知りました。もし興味を持ったら、ぜひ読んでみてください。
(2018.2.3)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
種子 | ソーア・ハンソン 著、黒沢令子 訳 | 白揚社 | 2017年12月15日 | 9784826901994 |
☆ Extract passages ☆
輪作は害虫の発生を抑える効果もあるが、それに劣らず重要なのは、マメ科の植物には土壌中の窒素を固定する働きがあるので、次に植える穀物の自然の肥料になるのだ。イネ科とマメ科の作物を組み合わせる栽培法は、農業と同じくらい歴史が古い。野生植物の栽培植物化が行なわれたところでは、ほとんど例外なくとられてきた方法だ。……
こうした協働作用は作物の栽培だけでなく、食卓でもうまくいっている。でんぶん質の穀物とタンパク質が豊富な豆類は、味と栄養の両方において補完し合うからだ。
(ソーア・ハンソン 著 『種子』より)
No.1477『道なき未知』
森さんの本はいろいろと読んでいますが、ちょっと変化のある考え方をするので、わりあい好きです。
たとえば、「同じ趣味の人とつき合いたい、と言う人がいるけれど、どうせなら違う人間の方が面白いし、チームとしても有利だ。ピッチャばかりでは野球はできない。ボーカルばかりではバンドは組めない。違う資質の者が集まってこそ協力し合える。ビジネスだったらなおさら、できるだけ考え方の違う人間と組んだ方が有利なのである。だから、自分と考え方が違う他者を大事にする心を持つべきだ。異なる意見を理解することが、人間の大きさというものだし、なにより、それが自分の利となる。反対意見に耳を傾け、ライバルのやり方にも学ぶ。感情的に好き嫌いで片づけるような問題では全然ない。」という考え方も、なるほどと思います。
ある人は、意見を異見と考える人もいますし、反対意見にカッカッと怒り出す人もいます。でも、十人十色ですから、考え方もいろいろあって当然ですが、面と向かっていわれれば、その通りと思っても違う意見を言う人もいるわけです。
そう考えれば、著者のこの言葉の通り、感情的に好き嫌いで片付けられるものではないと私も思います。
もともと、この本は、月刊誌『CIRCUS』に連載されたものですが、それが1年で休刊になり、その4年後に隔週連載のネット公開となったものだそうです。それに新たに8回分を書き加え、全体で48話にして出版されたもののようです。
本題のように、道にこだわって書いてあるようですが、何度も鉄道模型のことが出てきたり、「奥様(あえて敬称)」などという語句が出てきたり、おそらくは連載なので、途中から読み始めた方のための繰り返しかもしれませんが、ちょっとくどいような気がしました。
でも、自分も写真を撮るのでよくわかりますが、「たとえば、カメラで写真を撮るとき、何を写すか、どういう構図にするのか、という決断が最大の仕事である。「さあ、撮るぞ」と決まったら、シャッタを押すだけだ。あとは機械がやってくれる。写真を撮るという仕事は、実は写真を撮る動作を起こす以前にすべて終っているのである。世間で観察される仕事の多くは、このカメラがやる段階の作業でしかない。何をいつ行うのか、という判断をしている人が、本当の仕事をしているのだ。」という考え方は、たしかにそうだと思いました。
今どきのカメラは、全自動ですから、シャッターを押すだけで撮れます。しかもデジタルで、何枚撮ってもいいわけですから、そのたくさん撮ったなかから自分のお気に入りを選べばいいわけです。しかも手ぶれ防止ですから、気楽にシャッターを押せますし、ある程度の写真は誰にでも撮れます。
しかし、その最初の「何を写すか、どういう構図にするのか」というところが最大の問題で、そこがプロとアマの違いです。その決断こそが、ほとんうの仕事というわけです。
下に抜き書きしたのは、本の題名につながる文章で、一番最後の「第48回 未知こそが教養である」というところに書かれていたものです。
つまり、知らないことが悪いことではなく、知らないからこそ、その先の未知につながるというわけです。
ぜひ読んでみて、道の先の未知に触れてもらいたいと思いました。
(2018.1.31)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
道なき未知 | 森 博嗣 | KKベストセラーズ | 2017年11月25日 | 9784584138243 |
☆ Extract passages ☆
道の先にあるものは未知だ。なにかがありそうな気がする。この予感が、人を心を温める。温かいことが、すなわち生きている証拠だ。
したがって、行き着くことよりも、今歩いている状態にこそ価値がある。知識を得たことに価値があるのではなく、知ろうとする運動が、その人の価値を作っている。
(森 博嗣 著 『道なき未知』より)
No.1476『ずっしり、あんこ』
No.1469で読んだ『こぽこぽ、珈琲』を図書館に返すついでに、この「おいしい文藝」既刊の『ずっしり、あんこ』と『まるまる、フルーツ』はありませんか、と係の方に尋ねました。すると、すぐ調べてくれて、『ずっしり、あんこ』はあるけど、『まるまる、フルーツ』はないから、もし読みたいならリクエストしますかといわれ、お願いしました。その手続きをしている間に、この『ずっしり、あんこ』を探して持ってきてくれました。
今、それを読んでいるのですが、もともと和菓子大好きですから、とてもおもしろく、興味深い話しも載っていました。
たとえば、平松洋子さんの「再会の味」のなかで、「つくねいもを摺りおろして砂糖と上用粉、またほ上新粉を混ぜた生地で餡を包んで蒸してこしらえる。いもの汁気と粘り気だけ、手ごねでこしらえる薯頚饅頭は、あらゆる饅頭のなかでもっともむずかしいと言われるが、気温や湿度、いもの質などすべてを見極めながら砂糖の加減や練り具合などを決め、生地を「しめて」いく。生地を調えたら手早く作業しなければ、生地がだれる。その店の職人の技量は、この饅頭をつくらせれば一目瞭然とも言われる。」というのがあり、お菓子屋さんでなんでこんなにも薯蕷饅頭の味が違うのかと思っていたら、これを読んでなるほどと思いました。
たしかに、お茶席の上生として出てくる織部饅頭などの薯蕷饅頭は、そのしっとりした味わいにはその色合いとともにおいしくいただきますが、なかには同じ薯蕷饅頭とはとても思えないものもあったからです。
なるほど、薯蕷饅頭を造らせると職人の技量がわかるというのであれば、それも納得です。
また、漫画家の手塚治虫氏の文章にも、さすが描くことを仕事にしている方の見方だと感心しました。それは、「和菓子は芸術的で美しい、とは誰でも言うことだが、もう一つ、かわいらしい、という重要な要素がある。なでてしまいたくなるような小ささ――外国でデザートにうず高く出るケーキを、ペろりと平らげてしまうような人種にほ、この小さく可憐な菓子の情緒はわかるまい。賞味する、ということばは本来賞でることで、腹をふくらませることではないのだ。…… 和菓子独特のよさは、一目で季節を感じさせる点である。ことに京和菓子は京都を訪れる度に店のショーケースの中の色どりががらりと変っていて、それだけで京都の四季を感じさせる。まるで季節がわりを察していち早く咲き始める野の花のごとく、見事にワンテンポ早く和菓子は変り身を見せるのである。その季節を表わす色どりはまさに魔術的で、感嘆に価する。ぼくの仕事の上でも大きな参考になる。月刊誌や週刊誌に描いていると、いかにいち早く季節のカラーを絵の上に盛り込むかが宿命的な条件だからである。」と書いてます。
このなかで、「かわいい」というのは、ある意味、今の漫画ブームにつながるようなものです。さすが卓見だと思いました。これは、なかなか外国の人たちには理解できないことかもしれませんが、最近の若者なら、わかるかもしれません。
そして、手塚氏は、この和菓子をつくることは自分の仕事とまったく同じような創造性と、最大級の賛辞をおくっています。
下に抜き書きしたのは、この本に直接書いた作家のものではないのですが、なるほどと思ったので、ここに掲載させてもらいました。それは荒俣宏氏の「粒の神秘」に出てくる発酵学者の小泉武夫氏の言葉です。
もちろん、これが正解ということはありませんが、「粒餡」か「漉餡」かという永遠の問題に投げかける、1つの考え方であるとは思います。
では、あなたはどちらが好きですか、と問われれば、粒餡ですが、モノによっては漉餡のほうが素材を生かしていると思うときもあります。
(2018.1.29)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
ずっしり、あんこ(おいしい文藝) | 杉田淳子、武藤正人 編 | 河出書房新社 | 2015年10月30日 | 9784309024196 |
☆ Extract passages ☆
この小泉さんがおっしゃるには、「漉し餡と粒餡の対立は古代以来の根深いもので、粒食文化と粉食文化の対決に由来するんです。つまりコメとパンの闘いですよ。とくに、あずきは赤飯とも関係して、コメと同等のものです。わたしも解は粒餡こそ本来であると考えます」とのことだった。
(杉田淳子、武藤正人 編 『ずっしり、あんこ』より)
No.1475 『オトコの一理』
始めて読む作者ですが、図書館から借りてきて、なんのこだわりもなく読み始めました。むしろ、前回の「デザインの仕事」の寄藤文平さんの本の装丁の仕事を読んだこともあって、この文庫本のデザインがとてもいいと思いました。いかにも、オトコが好みそうなものを写真で載せ、そこに赤文字で大きな真っ赤なゴシックの活字で本の題名と著者名を入れてありました。
その好きそうなものとは、時計と万年筆と手帳とメガネとライターです。今の時代は禁煙化が進み、あまりライターに凝る人は少なくなってきたでしょうが、私の若い頃は「デュポン」がいいとか、「ジッポ」のクラシカルなところがいいとか、言っていました。手帳なども、流行り廃りがあり、一時、「システム手帳」が流行ったことがありました。
そう考えてくると、時計だって、スマホで間に合いますし、おそらく万年筆だって、過去の筆記具になっているかもしれません。
しかし、私は今でも常使いは万年筆だし、しかもボトルインクでないと、カートリッジインクではすぐになくなってしまい、とてももったいないんです。しかも、ボトルインクは、最近の定番は、セイラーの「極黒」で、顔料インクの真っ黒なのが気に入っています。それをパイロットの「JUSTUS95」に入れて使っています。以前はシェーファーやペリカンなども使っていましたが、このパイロットの万年筆は、ペン先の柔らかさを変えられるので、とても重宝してます。
この本でも、「実は俺は、万年筆を何本も持っている。……特に万年筆は、価格から言っても確かに文房具の王様である。シンプルで堂々とした(モンブラン)、今の万年筆の基
礎を作った(ウォーターマン)、デザイン性に優れた(カランダッシュ)。何本もの万年筆を買っては、その都度一時的な満足感を得ていた。万年筆ほど所有欲を満たす物は、あまりないかもしれない。だが使いやすいかといえば使いにくい。万年筆は、常に使い続けてこそ、自分に合ってくる。」と書いています。
たしかに手書きそのものも少なくなり、年賀状をもらっても、宛名すらもワープロが増えているから、むしろこれからは希少価値かもしれないと思ってしまいます。
この流れで出てくる「男には時に、自分の持ち物を見せびらかさねばならない時があるのだ」という文章がありますが、むしろ、隠れて一人で悦に入っているのも男ではないかと思いました。というのは、私は、どちらかというと一人で楽しんでいるタイプだからかもしれません。
下に抜き書きしたのは、「文庫を持って街に出る」というところに出てくる一文です。
私も、出かけるときには必ず文庫本を持って出かけるので、何冊か買い置きしていて、そこから持ち出します。旅行のときなどは新書版を持って行くときがありますが、やはり基本は文庫本です。
だから、この文章には、とても共感しました。男というのは、良い悪いだけではなく、こだわりも必要だとこの本を読みながら思いました。
ただ、今どきの若者には、ちょっと伝わらないものがあるのでは、と感じたのも事実です。そういえば、本はスマホでも読める時代ですから。
(2018.1.27)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
オトコの一理(集英社文庫) | 堂場瞬一 | 集英社 | 2017年9月25日 | 9784087456370 |
☆ Extract passages ☆
本屋には、時間を削ってでも足を運ぶべきである。あそこは夢の国だ。あらゆる人のあらゆる人生が、それほど広くないスペースに詰まっている。
(堂場瞬一 著 『オトコの一理』より)
No.1474 『牧野富太郎 植物博士の人生図鑑』
去年の3月、四国88ヵ所巡礼のときに、訪ねたのが高知県立牧野植物園です。以前から行ってみたいと思ってはいたのですが、四国はやはり遠く、なかなかその機会がなかったのです。
しかし、この機会を逃しては四国88ヵ所巡礼もできないと思い、思い切って2月28日に出かけました。その四国88ヵ所の第31番札所五台山竹林寺のすぐ近くにあるのが高知県立牧野植物園です。しかも、駐車場の一部供用できるぐらいの近さでした。
そして、行く前に、ある植物研究者から、植物園のなかに昔の遍路道があるので、歩き遍路の方は無料で園内を通ることができると教えられていました。でも、正門から入場料を払って入りました。そして、園内で、その昔の遍路道を見つけ、少しばかり歩いてもみました。とても風情があり、小さな野仏もありました。
昨年の年末に、図書館でこの本を見つけたときには、すぐ借りる手続きをしました。その中には、高知県立牧野植物園で見た資料もたくさん載っていて、そればかりでなく、あの竹林寺の五重塔や石段の先にあった大師堂なども思い出されました。
竹林寺の本堂は、文殊堂ともいわれ、入母屋造で国の重要文化財にも指定されています。ここはサクラの名所でもあり、春のサクラの咲く頃にもう一度訪ねてみたいと思いました。
さて、この本を読んで始めて知ったのが、標本をつくるときに使った古新聞紙のことです。これが現在でも大切に残されているのだそうです。そこの部分を抜き書きすると、「東京大学法学部の明治新聞雑誌文庫には、「牧野新聞」というコレクションがある。牧野没後、東京都立大学(現首都大学東京)牧野標本館で標本の整理が進められていた際、明治文庫が、標本が取り出された後の新聞を譲り受けたもので、総数約5000枚、タイトル517種。樺太から北海道、沖縄、中国、台湾、朝鮮、アメリカなど発行が諸地域にわたり、現存しない珍しい地方紙が多く含まれている。なかには戦禍でほとんどを焼失した、戦前の沖縄(琉球)の新聞もある。牧野の標本用としての役目を終えた新聞紙が、資料として別の価値を持ち、その名を冠して、活用されている。」といいます。
普通は廃棄してしまう古新聞紙も、このようにたくさん集まると、貴重な資料になることが、これでわかります。もちろん、その価値を知っている人がいたからこそ、残ったのですが、それを伝えてきた人たちのこともすごいと思いました。
それと、この本には、1900(明治33)年当時の小石川植物園の写真が載っていますが、たしかに樹木などは大きく成長していますが、その場所はどこの部分だかすぐわかります。ということは、全体の姿はほとんど変わっていないということです。そこに温室内の様子も写真で紹介されていますが、東日本大震災の時の被害で、現在建て替えが進められていますが、そこから埋蔵文化財が発見され、その調査が終わり次第に建設されるそうです。
牧野富太郎は、本当に植物が好きだったということは、この本を読むとよくわかります。そして、1954年の92歳のときに、5月1日付けで高知の知人に宛てた葉書も紹介されていますが、それによると、
我が庭の草木を何時も楽しがり
我が庭の草木の中に吾れは生き
日日に庭の草花看る楽のし
庭廣く日々、草を眺め居り
庭廣く百花次ぎから次ぎと咲き
新緑の四方(よも)の景色の得も言へず
蛇の目傘張ってニロギを釣りに出る
石灰屋附近の山を化粧させ
青柳の橋は宛かも虹の様
サバ鮎は高知名物他には無い
孕みの山、山ざくら咲き風致好き
とあり、現在、練馬区立牧野記念庭園になっている自分の庭を眺めながら、その視線の先には遠い故里の思いがあったようです。この記念庭園には記念館も併設されているので、いつかは訪ねてみたいところです。
下に抜き書きしたのは、山野は自然の教場であるというところに書いてある文章です。
たしかに、植物分類をする人は、フィールドが一番です。植物が生えているところを直接見ると、そこからいろいろなことがわかってきます。まさに、山野は自然の教場だと思います。
(2018.1.25)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
牧野富太郎 植物博士の人生図鑑(CORONA BOOKS) | コロナ・ブックス編集部 編 | 平凡社 | 2017年11月24日 | 9784087456370 |
☆ Extract passages ☆
何といっても植物は採集するほど、いろいろな種類を覚えるので植物の分類をやる人々は、ぜひとも各地を歩きまわらねばウソである。家にたてこもっている人ではとてもこの学問はできっこない。日に照らされ、風に吹かれ、雨に濡れそんな苦業を積んで初めていろいろの植物を覚えるのである。
(コロナ・ブックス編集部 編 『牧野富太郎 植物博士の人生図鑑』より)
No.1473 『デザインの仕事』
デザインというのは、ちょっと特殊な仕事だと思っていたら、この本を読むと、そうでもないらしいと思いました。というのは、「たとえば、イラストの仕事というのは「○○さんらしいね」みたいにラベルを貼られる個性ほど、すぐに消費されて一過性で終わってしまうんです。すごく脚光を浴びたイラストレーターであっても、みんなに「○○さんっていいよね」「○○さんらしい表現だ」としばらく騒がれていたと思ったら、半年後には「まだ、○○さんに頼むんですか?」「もう、○○さんという時期でもないだろう」と言われている世界でしたから。当のイラストレーターの方の表現そのもののクオリティが高いままであったとしても、です。……僕は、ひとつの個性とされる作風が消費されきってしまう前に、次の新しい機軸になるような作風を生み出していこうと考えたわけです。」と書いてあり、すべての仕事にこのようなことはあると思ったからです。
特に何かを創造するということは、他にはないことをと考えると、そんなにも簡単には思いつかないでしょう。だとすれば、それがその人の個性だと固定されてしまうと、やはり、このように一過性で終わってしまうようです。それでは、継続的に仕事はできないので、そう思われる前に新しいことを創造しなければならず、どんな世界もそれはそれで大変なんだと思いました。
著者は、いろいろな装丁の仕事もしていて、私が読んだ本もこの本で取りあげられていました。たとえば、『ボクは坊さん』とか同じ白川さんの『坊さん、父になる』などですが、昨年の3月に白川さんの自坊にお詣りにいくと、なるほどというようなこじんまりとしたお寺でした。手書きの題名とイラストがとても印象的でしたが、これだと装丁でも本を選んでもらえるかも、と思いました。
それほど、装丁は大事ですし、惹きつけるものです。著者は、この装丁の仕事は批評から始めるといいます。「批評から仕事を進めるというプロセスでは、基本的には、「凹んでいる場合は補えばいい」「すごく突出していたら伸ばせばいい」という考え方からデザインをすることになるんです。」と書いていますが、この凹んだり凸びだしたりするのが、普通の人にはわからないのです。
下に抜き書きしたのは、「最後の一歩」としての仕上げについてのことです。私はこれは大事なことだと思いますが、それにあまり時間をかけてばかりでは仕事にならないということです。それはわかりますが、その一手間こそ、プロとしての矜持ではないかと思うのですが、毎日の仕事となるとすべてをそうすることはできないのでしょう。
それはわかる、と思いながら、アマチュアならいくら時間をかけてもいいわけで、しかも自分さえいいと思えれば、その自己満足でも楽しいわけです。ということで、この本を読みながら、自分で新しい名刺のデザインをしてみました。このような本を読みながら、デザインを考えるのは、ほんとうに楽しい作業でした。
じゃあ、出来は、といわれても、まだ印刷にまわしていないので、結果は出ていません。しかも、紙質の選択もまだなので、もう少し楽しみたいと思っています。
(2018.1.23)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
デザインの仕事 | 寄藤文平 著、聞き書き 木村俊介 | 講談社 | 2017年7月25日 | 9784062206624 |
☆ Extract passages ☆
最後の一歩をあきらめれば効率が劇的に良くなるんですよ。
それだけに、仕事の量が増えて、効率の良さを考えなければならなくなった時に、多かれ少なかれ圧縮せざるをえないプロセスでもあります。ただ、その「やらなくてもほとんどの人にはわからないその最後の一歩」は、デザイナーから見ればわかるものです。そこのところをきちんとやっている仕事を見かけると、「いい仕事しているな」と感じますね。文字のバランスを取り直す。ナカグロと言われる「・」の上下の空間をきちんと詰める。バッと見ではわからないことをものすごく厳密にやるという、際限のない世界がそこにはあります。
(寄藤文平 著 『デザインの仕事』より)
No.1472 『蔵書一代』
著者のものは、「月刊ペン」などでよく読みましたが、それ以降はなかなか読む機会がなく、たまたま手にしたこの本で、懐かしく思ったほどです。
この本を書いたとき、つまりは去年ですが、82歳だそうです。そろそろ終活の時期でしょうが、それもあって自分の蔵書を始末することを書いたのがこの本です。副題は「なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか」です。私も還暦の時に自宅の建て替えで蔵書を始末しなければならなくなり、同じような思いがあったので、とても共感できました。
私の場合は、集めた本の約8割ほどをブックオフに引き取ってもらいましたが、その選定には半年ほどかかりました。その2割で我慢をして新しい自分の部屋の本棚に並べたのですが、それが今ではその本棚に2列に並んだり、あふれた本がその手前に平積みされたりしています。いちおう、床は本をたくさん置くからということで、しっかりと補強してもらったし、本棚も倒れないように金具で止めてもらいましたが、それでも天井まで積み重なった本を見ると、怖いときがあります。
でも、それでも、確実に本は増え続けています。孫には、この本は全部あげるからと言うと、「ホント、うれしい!」といいますが、おそらく大人になったら、こんな本はいらないというかもしれません。いや、きっと言うでしょう。
そもそも蔵書というのは、たんなるコレクションとは違い、著者は、「蔵書というものはジャンルを問わず、最小限バランスのとれた普遍的な群書の形において、所蔵者の人格、人間性を表現しているものではあるまいか。コレクションとは単なるものの集積で、趣味嗜好、興味、こだわりの表現に過ぎない。」と言っています。
私もそう思いますし、たんなる骨董趣味やお宝とも違います。違うと思っています。
そういえば、著者は、「平安時代の芸亭以後、知的渇望や学問への情熱は書籍の収集によって満たされ、一定規模の群書は図書館として開放されるという、絶えることのない循環現象を生み出してきた。書物に即して知識を得たいという読書マインドと、書物を大切にし、手許に置きたいという愛書マインドとが人生の一定期間内に醸成され、はじめて書物を守り、空自があれば埋めていくというような蔵書マインドが形成されるのではないだろうか。」といいますが、おそらく、ブックオフなどに行くと、本のリサイクルのような感覚で取り扱っているような気がします。
でも、東京に出張した折などに、神保町に行くと、あの古本屋独特のニオイと、雰囲気が残っていて、学生時代に戻ったような気になります。そして、近くの喫茶店に入ると、もうすっかりその気になってしまいます。でも、そこには今どきの学生はほとんどいません。やはり、ちょっと寂しい気持ちがします。
最近の若い人たちは本をあまり読まないと聞きますが、おそらく調べものがあれば、パソコンで検索できるからでしょう。百科事典などは、まったく無用の長物でしかなくなりました。でも、1冊ずつ時間をかけて手に入れた本には、愛着があります。誰がなんと言おうと、これからも本は確実に増えていくこと間違いありません。
下に抜き書きしたのは、横浜から525q離れた岡山の中山間部の吉備高原に永住するつもりで蔵書も移したときの思いです。
しかし、そこに14年間住んだものの、2011年に再び横浜に舞い戻ったのですが、自分の蔵書を並べて置いたときの気持ちは、このようなものだと私も思います。この「書物の背文字は、いろいろなことを想起させてくれた」というところは、今でも、自分の本の背文字を眺めていると、いろいろなことが思い浮かび、ときどき感慨にふけってしまいます。
(2018.1.20)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
蔵書一代 | 紀田順一郎 | 松籟社 | 2017年7月14日 | 9784879843579 |
☆ Extract passages ☆
蔵書に即していえば、自分の蔵書を――一部ではあるが、はじめて整然と並べ、一定の距離をおいて、遠近法のような感覚で眺めることができたのも、予想以上の喜びだった。自分が何を読んできたかということ、その時代背景ということや、今それらの本の前にいる自分自身の立ち位置といった、重要なことがらである。……
これらの書物の背文字は、いろいろなことを想起させてくれた。
(紀田順一郎 著 『蔵書一代』より)
No.1471 『退屈すれば脳はひらめく』
この本の副題、「7つのステップでスマホを手放す」を見て、そういえば、今どきの若者たちは、ヒマさえあればスマホをいじっているからなあ、と思いました。もちろん、目に悪いとは思いますが、ある種の中毒ではないかとさえ思っていました。だから、この本を見つけたときには、即、読むことにしました。
その最初の疑問も、みんながスマホに感じていることと同じでした。著者は番組の編集ディレクターなので、そのホストを務めるポッドキャスト番組で、1週間にわたって「退屈すれば脳はひらめく」というプロジェクトを企画し、2万人以上のリスナーが参加したそうです。それがこの本の土台になっているそうで、さらにそこから進化しているそうです。
そういえば、先日のニュースで、SNSで絶えず自撮りの写真を投稿しているのは、ある種の精神疾患だとするのが流れていましたが、これはいわば「自撮り(セルフィー)依存症」と呼ばれるものだそうです。この「セルフィー依存症」という造語が生まれたのは2014年のことで、米精神医学会(APA)が疾患として分類することを検討中だというフェイクニュースの中でのことです。とはいえ、この本でも、スマホを常に使い続けることの依存性を強く指摘しています。
たとえば、メアリー・ヘレン・インモルディーノ=ヤング博士は「私たちはまるで条件づけされたマウスのように、しょっちゅうスマホをチェックせずにはいられない。責任ある社員や友人でいるためだけなら、そこまでチェックしなくてもいいはずなのに。といいます。つまり、人は習慣的な行動によっていつの間にか反射神経のようになってしまい、そのように習慣づけられると、断ち切ろうとしてもなかなか断ち切れなくなってしまうそうです。
やはり、これでは薬物中毒と同じで、相当な努力をしないとその依存性を断ち切ることは難しくなります。
それでは、新しい考えや見方ができなくなり、独創性も生まれなくなります。先月12月29日付けの西日本新聞によると、HISの会長兼社長の沢田秀雄さん(66)が、今年の3月から、たった1人で3カ月から半年間の世界旅行に出るということです。もちろん、目的は視察でしょうが、上場企業のトップが3ヶ月から半年も不在というのは異例だそうです。その理由として本人は、「最近は自分の発想が豊かでなくなった。世界の変化から刺激を受けたい」と話したそうです。そして、「私が長い間いなければ、これまで私の指示待ちだった部下が自分で考えて決めるようになり、人が育つ」とし、一人旅の危険性についても「人間死ぬときは死ぬ」ということです。
もちろん旅行社ですから、それなりの情報や何かのときの対応はできるでしょうが、まさにこの本のスマホを手放すというイメージととても似ていると思いました。
下に抜き書きしたのは、これらを開発する中心であるシリコンバレーの人たちのことです。自分たちが開発したり推し進めたりしている幹部たちが、自分の子どもたちにはそれらをあまり使わせたくないというのは、ちょっと考えると不思議なことです。そういえば、スティーブ・ジョブスの本を読んだとき、自分の子どもたちには、テクノロジーを制限していると書いていましたが、彼らはその弊害をしっかり知っていたからではないかと思いました。
ちなみに、このシュタイナー教育とは、「オーストリア生まれのルドルフ・シュタイナーが1919年にドイツで始めた教育実践です。子どもの体と心の発達観に基づく12年間の体系的なカリキュラムを持っています。知性だけでない子どもの心や体、精神性をも含めた全人教育を目指し、そのためには教育そのものが芸術行為であることが大切だと考えています。」と相模原市にあるシュタイナー学園のホームページには書かれてありました。
(2018.1.17)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
退屈すれば脳はひらめく | マヌーシュ・ゾモロディ 著、須川綾子 訳 | NHK出版 | 2017年10月30日 | 9784140817261 |
☆ Extract passages ☆
『ニューヨーク・タイムズ』は2011年のある記事で、イーベイの最高技術責任者をはじめ、グーグルやヤフー、アップル、ヒユーレットパッカードの経営幹部やエンジニアが、カリフォルニア州ロスアルトスにある、テクノロジーとは無縁のシュタイナー教育の学校に子どもを通わせてると伝えました。シリコンバレーのこの学校では、木製のテーブル(おもちやから家具まで自然の素材を使う方針)を囲んで料理や編み物などをさせ、7年生〔日本の中学1年生〕になるまではコンピューターに触れさせない方針です。なぜならコンピューターは、子どもたちが「健全な肉体、規律と自制心を保つ習慣、創造性や芸術性に富んだ表現力、柔軟で明敏な頭脳を開花させる能力を妨げる」かもしれないから。
(マヌーシュ・ゾモロディ 著 『退屈すれば脳はひらめく』より)
No.1470 『ひまわりは枯れてこそ実を結ぶ』
この本は図書館から借りてきて読んでいるのですが、表紙を開くと、そこに著者のサインが入っていました。
なぜ、図書館の本にサイン入りがあるのか、ちょっと不思議ですが、著者は1918(大正7)年7月2日のお生まれですから、今年で満100歳になります。
その著者が「岐路に立ったら、私は困難な道を選びます。人生は、Y字形になっていて朝から晩まで選ばなければなりません。その時私は困難な道を選ぶ。そのほうがずっと発見がある。具合のいい時はいい気になつてもうそれ以上にはなれません。困難な道はしくじりも多い。でも、しくじった時に、次の道が開けてくる。」というのですから、すごいことです。
だから、この本の中でも、引っ越しを繰り返したとあり、葛飾北斎が生涯に何十回と居を変えたといい、自分は数えれば30何回の転居だったと書いています。そして、「私にとって新しい住居や旅は、どんな努力も及ばない、自己改造への方法です。私の中に眠る未知の因子に火を灯してくれるような気がいたします。」と言いいますから、画家としてのインスピレーションのもとだったのかもしれません。
そういえば、私も旅に出ると、すべて自分でしなければならないにも関わらず、なんとなくウキウキしてしまいます。不思議と足取りも軽くなったような気もします。そして、ほとんど博物館や美術館などを訪ねて、疲れると美味しいものを食べます。それだけで、今自分は自由なんだという実感がふつふつと起きてきます。そして、ビジネスホテルの狭いバスタブに沈むと、もうそれだけで楽しくなります。
たしかに、旅は自分を変えてくれるものですが、転居となると、そうもいきません。7〜8年前に自宅の改築で引っ越しをしましたが、半年も前から準備をして、少しずつ片付け、この際だからと本棚の本もだいぶ整理しました。でも、完成すると、またそこに運び込まなければならず、もうしたくないと思いました。
それを30何回かもするわけですから、大変なことです。
とくに印象に残ったのは、最初に書いてあった「自然を師として学んだ私の絵は、人に見せるためでなく、刻々に移ろう命の不思議を描きとめたい一心から生まれたものです。その瞬問、瞬間の感動と私との一騎打ちの痕跡でしかありません。私が確かに生きているという瞬間――今日という日だけがあるのです。過ぎた昨日には戻れませんし、明日の未来はどうなるか見当もつきません。季節も、雲や月の形も、一日として同じ日はない。それが"現在″という時間なのです。「長生きですね」と言われますが、齢がたまっただけのこと。歳を取ったから偉いなんて、冗談じゃない。去年より偉くなった、なんてそんな馬鹿なことはありません。人間は生きている限り、未熟なのです。」という言葉です。
下に抜き書きしたのは、最後の第4章のなかに出てくる言葉です。この第4章は「一生は毎日が初体験――老いと向き合う」ですが、そのなかの1節ですから、現実味があります。
(2018.1.14)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
ひまわりは枯れてこそ実を結ぶ | 堀 文子 | 小学館 | 2017年11月21日 | 9784093885874 |
☆ Extract passages ☆
年を経るごとに、わからないことが増えていきます。それだけに生きているのが楽しい。知る喜びがたくさん残されているということですから。
(堀 文子 著 『ひまわりは枯れてこそ実を結ぶ』より)
No.1469 『こぽこぽ、珈琲』
この題名の「ぽこぽこ」というのは、サイホンやドリップなどからコーヒーがしたたり落ちる音かな、と思いました。でも、考えてみると、昔、山でよく使ったパーコレーターの蓋の部分の透明の部分に下から突き上げるコーヒーの音とも思えてきました。まあ、どちらにしても、それらコーヒー器具がコーヒーを抽出する音に違いはなさそうです。
私も学生時代は、自分でコーヒーの豆を買ってきて、イギリス製の手回しのミルでごしごしと挽いてコーヒーを入れていました。
そうそう、このコーヒーは人を興奮させたり抑えたりするといいますが、寺田寅彦「コーヒー哲学序説」には、「コーヒーが興奮剤であるとは知ってはいたがほんとうにその意味を体験したことはただ一度ある。病気のために一年以上全くコーヒーを口にしないでいて、そうしてある秋の日の午後久しぶりで銀座へ行ってそのただ一杯を味わった。そうしてぶらぶら歩いて日比谷へんまで来るとなんだかそのへんの様子が平時とはちがうような気がした。公園の木立ちも行きかう電車もすべての常住的なものがひどく美しく明るく愉快なもののように思われ、歩いている人間がみんな頼もしく見え、要するにこの世の中全体がすべて祝福と希望に満ち輝いているように思われた。気がついてみると両方の手のひらにあぶら汗のようなものがいっぱいににじんでいた。なるはどこれは恐ろしい毒薬であると感心もし、また人間というものが実にわずかな薬物によって勝手に支配されるあわれな存在であるとも思ったことである。」と書かれていて、こんなにもすごい興奮作用があるのかと、少し疑いもしました。
おそらく、1年も飲まなかったということや、いろいろな飲み物がなかった時代だからかもしれませんが、これではまさに薬物のようなものです。
でも、この本の随所に喫茶店が学生のたまり場であったとありますが、たしかにそうでした。私も、大学の講義が終わると、すぐに喫茶店に行くと、必ず誰か知っている学生がいました。コーヒー1杯で、何時間も粘って、話し込んでいました。とくに、朝はモーニングサービスがあり、食パンの焼いたのにマーガリンが塗ってあり、そこにゆで卵が1個付きます。それを朝ご飯がわりに食べるのです。だから、今でも、朝食にゆで卵があると、ご機嫌です。
また、滝沢敬一「カッフェー・オーレー・オーリ」のなかの、「日本には、何本か短い棒を帯にはさんで、客に呼ばれて行く風習の地方があった。腹がくちくなると一本ずつ抜きとるもので、棒の多いはど、先方に対してよけい敬意を表したことになる。」というのを知り、これは初耳でした。
私もお茶会などに招待されると、着物の帯をしっかり結んだりすると、腹がきつくて、なかなか食べられません。だからといって、緩くしておくと、なんともだらしなさそうで、サマになりません。このような棒をはさんでおくと、双方にとっていいことです。
下に抜き書きしたのは、永江朗「コーヒーと袴」からで、これはコーヒーが気を落ち着かせてくれるというものです。いわば、スポーツのときのルーチンみたいなものです。
でも、この通りにコーヒーを入れれば、ほぼ、間違いなく美味しい珈琲ができそうです。
もちろん、この本を読みながらも、この「本のたび」を書きながらも、コーヒーは飲みました。やはり、コーヒーは今も大切な飲み物ものです。
(2018.1.12)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
こぽこぽ、珈琲(おいしい文藝) | 杉田淳子、武藤正人 編 | 河出書房新社 | 2017年10月30日 | 9784309026190 |
☆ Extract passages ☆
カップを選び、お湯を沸かし、豆を挽く。やかんのお湯をホーローのポットに移し、サーバーにドリッパーを載せる。ドリッパーにお湯を少し注いで、ドリッパーとサーバーを暖める。ペーパーフィルターの端を折って、ドリッパーに敷く。そこに挽いた豆を入れる。ドリッパーにお湯を数滴垂らし、蒸らしている間にサーバーのお湯をカップに移す。ドリッパーにお湯を少しずつ注ぎ、豆が膨らみきったら止め、豆が縮んだらまた注ぐ。この繰り返し。
一連の動作を無心で続けているうちに、さっきまでの苛立ちが消えていく。たぶん、型にはまったことの反復は、心を落ち着かせる効果があるのではないか。
(杉田淳子、武藤正人 編 『こぽこぽ、珈琲』より)
No.1468 『わたしの世界辺境周遊記』
この本は、もともと岩波のPR誌『図書』に2016年8月号から12月号までの5回、連載したものがもとになっているそうです。
私が著者の本を読んだのは、『雲表の国ーチベット踏査行』などで、どちらかというと紀行文が多いのですが、専門は日本近代史や自由民権思想史などだそうです。生まれは1925年ですから、今年で満93歳です。さすが、世界のあちこちを歩いた方は違います。しかも、以前に訪ねたところもありますが、それをちゃんと記録して残してあるんですから、たいしたものです。
副題のような「フーテン老人ふたたび」のフーテンとは、前作が『フーテン老人世界遊び歩記』からきているようですが、もう20年ほど前のものです。これが岩波同時代ライブラリーの1冊ということで、今回も岩波書店から出版されました。表紙にフーテンの寅さんが使うようなトランクの写真が載っていて、それが旅愁を誘っているようです。
この本のなかで特に印象に残ってのは、玄奘三蔵の旅についてで、「西暦629年、唐の都長安(西安)を密出国し、タクラマカン砂漠から天山山脈を北に越え、中央アジアの大草原の今のキルギス、カザフスタンを通り、アフガニスタンの山中を大迂回してバーミヤンに出、大石仏に礼拝したあと、ガンダーラ国(今のパキスタン)に下っている。それからインドにいたる長い道のりだ。……玉門関の西には強力な吐蕃(チベット王国)があり、また遊牧民の突厥王国などがあって、当時の唐のカではそこまで支配が及ばなかった。そこで法師は高昌国王の斡旋、紹介により、突厥王に旅の安全を保障されて、その支配下の地域を迂回したのである。」というヵ所を見つけ、その迂回した理由がわかりました。
すべて歩くしかなかった時代に、わざわざ遠回りをするというのは、相当な理由がなければなりません。ある本には、高昌国王からの要請があったからだと書いていましたが、もしかすると、それもあったかもしれません。
というのは、下に抜き書きしたようなことが実際にあったからです。
この本には、昔の旅物語りが多いと思っていたら、2015年にベトナムに行ったということも載っていました。これはハノイからサイゴンまでで、4、5年ほど海外旅行をしていなかったのでパスポートの期限も切れていて、新たに10年旅券をとったと書かれていました。ということは、満99歳まで、世界中どこでも行けるということで、さすが著者だと思いました。
やはり海外に出かけるというと、荷物も多くなり、心理的な緊張もあると思うのですが、この本を読む限り、行きたいという気持ちのほうが先行していて、どこにも大変だということを書いたところを見いだせませんでした。
むしろ、その旅行の途中で、次はどこに行きたいと考えるのですから、いろいろなところに行けるわけです。さて、私は、今年はどこへ行きたいのか、そろそろ忙しいお正月が終わるので、これから考えたいと思っています。
下に抜き書きしたのは、玄奘は密出国者しながらも、インドまで行き、多くの文物を持ち帰ることができたのはなぜかに答えたものです。
しかし、帰路には高昌国に立ち寄る約束も、すでに滅ぼされたと知り、最短距離で中国に帰ったのです。でも、玄奘の功績は、多くの後援者の存在があったからこそではないかと思いました。
(2018.1.9)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
わたしの世界辺境周遊記 | 色川大吉 | 岩波書店 | 2017年11月14日 | 9784000612319 |
☆ Extract passages ☆
それにしても玄奘が密出国者でありながら、たくさんの従者や牛馬をつれていられたのは何故か。それには訳がある。かれは途中の仏教国、高昌国の王から手厚い礼遇と歓待を受けたのである。王は玄奘に傾倒し、礼拝し、懇願した。「この国には数千の憎がいる。これらを悉くあなたに師事させる故、長くここに留まってくれないだろうか」と。
王は先を急ぐ玄奘を引き留め、みずから盤をささげて食事の給仕をし、情をもって動かそうとした。だが、玄奘は絶食してこれに対抗した。断食四日、国王も断念。その代わり「天竺からの帰路には三年間ここで供養を受けて頂きたい。さしあたり一か月、般若経の講義をしてく
れること」を約束させ、妥協したのである。
この高昌国王が出発の日に、4人の臣を玄奘の従者とし、法服30領を新調し、寒さ対策に頭巾、手袋、靴など数多く整え、別に黄金100両、銀銭3万枚、綾絹500疋を、インドに往復する20年間の旅費として寄進し、馬30頭、人夫25人を添えてくれたという。さらに、沿道24国の王たちに依頼状をつくり、持たせてくれた。玄奘に対する高昌国王の愛敬の情が
いかに大きかったか、これらが示している。
(色川大吉 著 『わたしの世界辺境周遊記』より)
No.1467 『もっと知りたい ターナー 生涯と作品』
ターナーという画家の存在は、ほとんど知らなかったのですが、たまたま2014年7月にイギリスへ行き、それもたまたまロンドンのテート・モダーンで美術館で「マチス展」があることで、それを見て、ついでに館内を見てまわり、あと見た大きな絵がターナーの絵でした。その説明を見ると、イギリスの代表的な画家だそうで、何点かの作品かが展示されていました。
そして、テート・ブリテンには、そのターナーの作品だけを集めた「クロア・ギャラリー」があり、相当数の作品があるということでした。そこで日を改めてそこに行くと、そのコーナーを入った正面には、この本でも紹介されている自画像(この本の説明によると、「自らの容姿を卑下していたターナーは、自画像はもちろん、他人に肖像を描かれることも嫌った。本図は例外のひとつで、きちんとした服装を身につけ、信念に満ちたまなざしをまっすぐにこちらに向けている。ロイヤル・アカデミーの準会員に選出されたことを記念して描いたとも憶測されている。)も展示されていて、しかも写真を撮ってもいいことから、何枚か観賞しながら撮影してきました。
そのなかでも、「ヴァティカンから望むローマ:ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ」という長い題名の絵はとても大きく、この本で確認すると177.2×335.3pもあるということです。付近には誰もいなかったので、この前で記念撮影をしました。こういうときは、写真撮影ができるということは有り難いものです。
また、スコットランドの風景を描いた水彩もあり、この本によると、「ターナーは生涯に6回、スコットランドを訪れている。最初の2回は、スコットランドのピクチャレスクな風景を求めての旅であったが、1818年の3度目の訪問以降は、主としてウォルター・スコットに関係した出版物の挿絵のための素材収集を目的としていた。エディンバラ出身のスコットは、『ァイヴァンホー』(1820年)をはじめとする歴史小説で国民的作家としての人気を誇っていた。31年の4度目のスコットランド訪問時には、スコットに招かれて彼の屋敷アポッツフォードにも立ち寄っている。ターナーが文学作品のために描いた挿絵はきわめて評判が高かったため、出版業者たちはこぞって彼を起用したがった。」ということです。
そういえば、昨年9月にエディンバラに行ったときに、大きなスコット記念塔があったのですが、やはりスコットはとくに人気があるようで、その彼がターナーとも交流があったとすれば、なるほどと思いました。
2014年のときにテート・ブリテンでターナーの写真は、約10枚ぐらい撮ったのですが、その半分はこの本でも紹介されていました。それらを改めて見ながらこの本の解説を読むと、また新たな発見がありました。お正月で忙しいのですが、その合間に絵を見るのもいいものです。
下に抜き書きしたのは、「あとがき」にあるターナーのことです。
たしかに、今でもイギリスでは人気のある画家で、とても評価の高い画家のひとりです。ただ、日本ではどうかといいますと、2013年の秋に東京都美術館で「ターナー展」が開催されましたのを見たことがあります。そのときに知ったのですが、夏目漱石が「坊ちゃん」という小説のなかでターナーについて触れているそうです。
(2018.1.7)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
もっと知りたい ターナー 生涯と作品 | 荒川裕子 | 東京美術 | 2017年11月10日 | 9784808710941 |
☆ Extract passages ☆
ターナーが活動したのは200年近く前のことだが、今日なお、彼はイギリス美術のなかで別格の地位を保ち続けている。本人が遺言で望んだこととはいえ、ひとりの画家に対して、国が専用の展示ギャラリーを新たに建設した例は、少なくともイギリスにおいてはほかにない。彼が国家に遺贈した2万点もの作品に関しては、テート美術館によって詳細なデータベースが作成され、ウェブ上で公開されている。1984年に、彼の名を冠して創設された「ターナー賞」は、いまや現代美術における最も権威ある賞のひとつとなっている。2011年には、ターナーゆかりの地であるマーゲイトに、彼の作品の展示を含め多様な文化活動の拠点として、「ターナー・コンテンポラリー」が完成した。かつてターナーがトウィッケナムに建てた家は、2017年までに修復を終えて一般に公開されている。
このように見てくると、画家ターナーに対する評価は、もはや絶対的なものであるのは明白である。
(荒川裕子 著 『もっと知りたい ターナー 生涯と作品』より)
No.1466 『大人もおどろく「夏休み子ども科学電話相談」』
今年もいろいろなことに興味を持ち、いろんなことをしてみたいとおもっていますが、たまたまこのような本と出会いました。途切れ途切れにしか読む時間はなかったのですが、もともと子どもたちに話すということが前提なので、とてもわかりやすく、疲れた頭でも理解できました。
編著は、NHKラジオセンター制作班ですが、「夏休み子ども科学電話相談」制作班と本には書かれていました。おそらく、子どもたちの相談に直接当たった人たちが中心になって、まとめたのではないかと思います。
このなかでも、「タネなしのスイカやブドウがあるのに、タネなしモモやサクランボはなぜないのですか?」という質問は、とてもおもしろかったです。大人はブドウなどのタネなしはジベレリン処理をするぐらいはわかっていますが、三倍体といわれるとわからなくなります。この説明がとてもわかりやすく、「タネを作るときに、おとうさんのオシベのほうからもらう遺伝子が1セット、おかあさんのメシベのほうも遺伝子を1セット持ってて、それが合わさって2セットになるんやね。そういうのを普通の植物で二倍体って呼んでるの。それをね、薬を使ったり、ほかの方法を使ったりして三倍体ってのを作るんですよ。遺伝子は1セットずつ持たさないと、ちゃんとしたタネにならないのね。でも、三倍体は、どうやって分けたら1セットずつになるのかわからないの。それでね、タネが作れないうちに実がどんどん大きくなって、結局、タネなしになるの!」というものです。
これなら、ほとんどの子どもはわかってくれるのではないかと思いました。
下に抜き書きしたのは、魚の年齢についての話しです。
いつも食べてはいるのですが、そういわれれば魚にも年齢はあるはずです。ただ意識してなかったということでしょう。
やはり、子どもの「魚の『とし』は、どうやって数えればいいのですか?」という問いに、なるほどと思いました。この質問をしたのは福島県内の小学校2年生です。
この他の方法としては、魚の耳の中にカルシウムのかたまり、耳石(じせき)というのを見る方法などもあるそうですが、魚の研究者以外はちょっとできないのではないかと思います。
いくら科学といっても、取っつきやすさも大切なことですから、このような本が出版されることも大事だと思いました。
(2018.1.5)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
大人もおどろく「夏休み子ども科学電話相談」(サイエンス・アイ新書) | NHKラジオセンター制作班 編著 | SBクリエイティブ | 2017年7月25日 | 9784797390643 |
☆ Extract passages ☆
回答者 お魚にウロコがあるでしょ。このウロコを1枚はがしてみると、大きな魚のウロコ、たとえばタイだとか、スズキだとかの大型の魚のウロコは、1枚が大きいから、肉眼で 見ると年齢がわかるんです。虫メガネを使うともっとわかります!じゃあ、どこを見るかっていうと……ウロコって詳しく見たことないよね?
質問者 まだ、見たことないです
回答者 そしたらね、おうちで、おかあさんがごはんを作ってくれるときに、『紅ショウガ』って使うでしょう? 赤い色をしてるよね。その液を、おかあさんから少しもらって、魚の体からとった1枚のウロコを、その紅ショウガの液の中に、ちょっとだけ入れておくの。10分ぐらいでいいかな。それでウロコを見ると、今まではよく見えなかったところに、赤い色の濃いスジが出てきます。そのスジを数えるとね、魚の歳がわかるんです!これが一番簡単な方法ね。
(NHKラジオセンター制作班 編著 『大人もおどろく「夏休み子ども科学電話相談」』より)
No.1465 『漢詩花ごよみ』
年末年始の忙しい時期でも、この本なら読めそうと思い、いつも脇に置いていました。
副題は「百花譜で綴る名詩観賞」で、漢詩の他に、日本漢詩5首などを含め、全部で51首取りあげられています。しかもすべてが花を詠み込んだもので、たとえ覚えられなくても、カードに記録し、ときどきは眺めたいと思いながら、読みました。
すると、杜甫の詩でツツジを詠んだのを見つけ、しかも764年に四川省の成都で春を迎えたとき、53歳のときの作品です。それをここに書き出すと、
絶句
江碧鳥愈白 江碧(こうみどり)にして鳥愈(いよ)いよ白く
山青花欲然 山青くして花然(も)えんと欲す
今春看又過 今春看(みす)みす又過ぐ
何年是帰年 何れの日か是れ帰年ならん
この意味するところは、「川は深緑 水鳥は ますます白く 深緑の山 青々として 赤い花 燃えたつよう この春も みるみるうちに また過ぎてゆく いつになったら 故里に 帰れるのやら」ということのようです。
杜甫の故郷は河南省鞏県市ですが、ひひでいう故里というのは、もしかすると官司ですから長安の都を指しているのかもしれません。
でも、ツツジに限ってみると、この本では、「蜀の花は躑躅、レンゲツツジか」、と書いてありますが、おそらくスィムズィー(R.simsii)のことで、中国では映山紅とか唐杜鵑といいます。
実際に四川省でこの花を見たことがありますが、まさに山が燃えるように赤くみえるほどでした。映山紅という名前も、そのようなところから来ているのではないかと思います。
この他にもカードに抜き書きしたのはいくつかありますが、これらの漢詩を中国語で読めればさらに印象が深まると思います。それができないのが、ちょっと残念です
下に抜き書きしたのは、白居易のソバの花を詠んだ詩です。この本によると、このソバの花を最初に詩に詠んだのは、白居易だそうです。
そういえば、ネパールなどにはピンク花のソバがありますが、この情景からは日本と同じ白い花しか思い浮かびません。まだ月明かりでソバの花を見たことはありませんが、機会があればぜひ見てみたいものだと思っています。
(2018.1.3)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
漢詩花ごよみ | 渡部英喜 | 亜紀書房 | 2017年3月1日 | 9784750514956 |
☆ Extract passages ☆
村夜
霜草蒼蒼虫切切 霜草(そうそう)は蒼蒼として虫は切切たり
村南村北行人絶 村南村北行人(こうじん)絶え
独出門前望野田 独り門前に出でて野田(やでん)を望めば
月明蕎麦花如雪 月明らかにして蕎麦(きょうばく)花(はな)雪のごとし
霜あびた草 老いたよう 秋の虫 か細く鳴き
村の南 村の北も 道行く人は 絶えはてた
ただ一人 門前に出て 野のはたけ 眺めれば
月明り ソバの花 雪のよに 真っ白だ
(渡部英喜 著 『漢詩花ごよみ』より)
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