☆ 本のたび 2017 ☆
学生のころから読書カードを作っていましたが、今時の若者はあまり本を読まないということを聞き、こんなにも楽しいことをなぜしないのかという問いかけから掲載をはじめました。
海野弘著『本を旅する』に、「自分の読書について語ることは、自分の書斎や書棚、いわば、自分の頭や心の内部をさらけ出すことだ。・・・・・自分を語ることをずっと控えてきた。恥ずかしいからであるし、そのような私的なことは読者の興味をひかないだろう、と思ったからだ。」と書かれていますが、私もそのように思っていました。しかし、活字離れが進む今だからこそ、本を読む楽しさを伝えたいと思うようになりました。
そのあたりをお酌み取りいただき、お読みくださるようお願いいたします。
また、抜き書きに関してですが、学問の神さま、菅原道真公が49才の時に書いたと言われる『書斎記』のなかに、「学問の道は抄出を宗と為す。抄出の用は稾草を本と為す」とあり、簡単にいってしまえば学問の道は抜き書きを中心とするもので、抜き書きは紙に写して利用するのが基本だ、ということです。でも、今は紙よりパソコンに入れてしまったほうが便利なので、ここでもそうしています。
なお、No.800 を機に、『ホンの旅』を『本のたび』というわかりやすい名称に変更しました。最初は「ホンの」思いつきではじめたコーナーでしたが、こんなにも続くとは自分でも本当に考えていませんでした。今後とも、よろしくお願いいたします。
No.1464 『ちょっとそこまで ひとり旅 だれかと旅』
年末のバタバタとしたなかでも読めるものとして選んだのが、この本です。まったくその通りで、気楽に読めるし、どこで止まっても、読み返さなくてもそのまま読めました。たしかに旅も肩肘張らないお気楽な旅が多かったので、それもよかったのかもしれません。
それと、その度ごとに旅費が書いてあり、交通費とか宿泊費、拝観料やおやつ代まで、しっかりと細かく書かれていました。これが役立つかというと、あまりそうではないような気がします。というのは、出版されたのは2013年ですから、4年ほど経っていますし、お店そのものだって、いつまでも続くとは限りません。でも、書かれていると、なんとなく概算がわかり、その程度で行けるかもしれないと思えます。
著者は、イラストレーターだそうですが、どのようなものを描いているのかわかりませんし、その著書もあるようですが、読んだこともありませんでした。まったく知らないで読むのも、たまにはいいものです。
印象に残ったのは、福井の福井県立恐竜博物館の館内の展示にあった1節について書いてあるところです。『「良識のある科学者はその仮説が正しいことを示す証拠ではなく、間違っていることを示す証拠を探す」 何度も何度も検証することによって、証明されていくという世界。ティラノサウルスの背中には羽毛があった! 最近、そんな説が浮上してきたらしいんだけど、少し前に亡くなった研究者は知らないまんまである。生涯をかけて研究したことがころりと覆されることだってあるわけで、でもだからって無駄じゃないんだよなぁ。』です。
たしかに、科学というのは、仮説をたてることから始まりますが、そのほとんどがいつかは覆されてしまうようです。でも、その地道な作業は大きな進歩につながっていると思います。あるいは、そう思わないとやっていられないような気もします。
同感したのは、「いつでも行ける場所であっても、次回も同じ旅ができるわけではない。気分、気候、体調。それぞれのバランスで旅の温度は決まっていく。同じ旅はもうできない。それをなんとなくわかっているから、いつまでもなごり惜しいのだと思った。」という神奈川の茅ヶ崎や江ノ島の旅でのつぶやきです。そうそう、まったく同じ旅なんてできないし、したいと思ってもそれは無理です。先ずは体調が一番で、それに気分が添ってきますし、気候はなんとも仕方のないことです。
下に抜き書きしたのは、イラストレーターの仲間たちと東京の深大寺に出かけたときのことです。
たしかに、仕事の内容で違うかもしれませんが、このように考えることって、大事だなと思いました。
(2017.12.30)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
ちょっとそこまで ひとり旅 だれかと旅 | 益田ミリ | 幻冬舎 | 2013年6月25日 | 9784344024168 |
☆ Extract passages ☆
イラストレーター同士で仲良く遊んでいたりすると、たまに不思議がる人もいる。
「だって、ライバルでしょう?」
うーん、でもそれはちょっと違う。大きくいえばライバルなのかもしれないけれど、みんな違う絵だし、同じものを自分には描けないということもわかっていて、いいなぁ、すごいなぁ、と思ったら、わたしは友達の絵を買うことだってある。自分の部屋に飾ってあるのは、人の絵ばかりだ。
好きな絵が一貫している、というのは、実はプロとしてはいいことではない気がする。自分とはまったく違う絵だけど素晴らしいと思える。そういう心って大切だし、それは、どんな仕事についても同じことのように思える。
(益田ミリ 著 『ちょっとそこまで ひとり旅 だれかと旅』より)
No.1463 『茶の世界史 改版』
またまた新書版ですが、今の師走の時期はなにかと慌ただしくて、つい持ちやすい文庫本か新書版が多くなります。これだと、どこでも読めますし、持ち上げて読むときなどは、あまり腕に負担がかかりません。
この本の初版は、1980年12月20日で、2016年4月5日まで37版を重ねています。それが改版となって、2017年11月25日に発行されたので、読むことにしました。副題は、「緑茶の文化と紅茶の社会」です。
とはいえ、この本に掲載されている資料は、ほとんどが明治や大正時代までのもので、ほとんどが古いものです。だからこそ、お茶が明治初めのころは生糸とお茶の輸出の割合が高かったと知り、ビックリしました。「はじめ生糸と茶の農産物輸出から出発した日本経済は、日清・日露の戦争をへて産業革命を達成し、綿工業から重工業を育成する段階に達していた。茶の輸出ほ、明治20年には生糸についでなお第2位(総輸出額の14.5パーセント)を占めていたが、明治30年代中頃には、日本の輸出品は輸出額において、生糸、綿織物、マッチ、綿糸、石炭の順で、それにつづいて銅、茶、綿織物がくるといった調子で、茶はもはや明治初年のように日本の運命を左右する産業ではなくなっていた。大正元年になると、茶は総輸出額のわずか2.6パーセントへと低落し、ついに綿織物、麦稈真田にも追い抜かれて、往年の面影はまったくなくなっていた。しかも世界の大勢からみて、茶の世界市場はまぎれもなく紅茶が支配していた。」そうです。
紅茶といえば、やはりイギリスですが、そのイギリスでも18世紀はじめごろは、輸入量で比べてみると緑茶が約55%で、紅茶が約45%だったそうで、それが逆転するのは18世紀の半ばぐらいで、その間、たった半世紀のことだそうです。嗜好の変化って、意外と早いものだと思いました。今では、おそらく紅茶が95%ぐらいではないかと思います。イギリスのお宅に招待されても、コーヒーが出てくることは先ずありません。
そういえば、イギリスの王立キューガーデンの園長室でも、紅茶が出され、それをゆっくりと飲みながら話し込んでいたのが思い出されます。
日本でも、その紅茶を作って外国に売り出そうとしたことがあったそうですが、タイミングが悪く、そのころからインドやスリランカの紅茶が世界中に輸出され、それまで輸出していた中国もシェアが奪われてしまったそうです。
しかし、今の日本のお茶は、抹茶などの精神的な文化として外国ではとらえられているそうで、だからこの本の副題にも「緑茶の文化」ということが取りあげられているのかもしれません。そういえば、先日の23日、クリスマス茶会と銘打って米沢市内の料理屋さんでお茶事がありました。正式な正午の茶事ですが、お菓子だけはちょっとクリスマスっぽく、ケーキなどが干菓子のかわりに出ました。これは、10年以上も続いているお茶事ですが、毎年、その道具組も楽しみにしています。
下に抜き書きしたのは、イギリスの紅茶文化についての話しです。まさか紅茶を輸入することから帝国主義が展開され、地球の東西に広がっていったという説明に、少し納得しました。そして、ある意味、それだけではないだろうと思うのですが、人というのは嗜好品には弱いことから、これもひとつの考え方だと思いました。
(2017.12.28)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
茶の世界史 改版(中公新書) | 角山 栄 | 中央公論新社 | 2017年11月25日 | 9784121805966 |
☆ Extract passages ☆
ゾムバルトはかつて、近世初期の資本主義をつくり出したものは奢侈であると主張したが、イギリスのティはまさに物質的奢侈を経済発展に導いた最大の契機となった。しかも、茶も砂糖もいずれも海外からの輸入に依存せざるをえなかった商品であったという意味では、とくに対外的経済活動に刺激を与えた。こうして紅茶文化は18世紀の重商主義時代を生み出したばかりでなく、重商主義時代の典型的文化として形成されることになるのである。だからそれは本質的に一種の帝国主義ともいうべき外向的性格、つまり植民地支配を志向した攻撃的侵略的性格をもつようになる。いいかえると、紅茶文化は紅茶帝国主義として展開してゆくのである。そして紅茶帝国主義を支えた柱は二つあった。一つは西インド諸島における砂糖植民地の確保であり、いま一つは中国茶の支配、あるいは植民地における茶樹の栽培とその生産・確保であった。こうして紅茶帝国主義は一つは西インド・大西洋方面へ、いま一つは東洋へと、東西に両翼をひろげたグローバルなスケールで展開されてゆくのである。
(角山 栄 著 『茶の世界史 改版』より)
No.1462 『皮膚は「心」を持っていた!』
たまたまですが、青春新書が続きましたが、まったくの偶然です。普通、本を選ぶときには、ほとんど出版社で選ぶことはありません。
でも、学生時代のときに会った方は、岩波書店の本しか買わないと言うのがいて、ビックリしたことがあります。おそらく、これは極端な例ですが、おそらくあまり出版社を気にする方はいないんではないかと思います。
ところでこの本ですが、下に抜き書きしたのが皮膚そのものはとても原始的な感覚器官だということの説明です。このように説明されると、なるほどと思います。
考えてみると、脇にいるだけで、なんとなく安心できたり、なんでもやれそうだったり、とても心強く感じることがあります。ただ、これは心理的な効果だろうと思っていたのですが、アメリカの心理学者のサイモン・シュナル氏らがある実験をした結果を載せています。
それは、「実験参加者たちを坂のふもとに連れて行き、その坂の角度を推測してもらった。このとき参加者たちを「友人が側にいる」群と、「1人で」推測する群に分けて調べた。
すると、友人と一緒に推測した人は、1人で推測した人に比べて、坂の傾斜を「ゆるい」と判断したのである。もちろん、坂の傾斜の度合いが変わるわけはない。しかも、その傾斜をゆるいと推測する度合いは、友人との親密度が高いほどに大きかったのだ。親しい人がそばにいることで、同じ坂でも傾斜をゆるく感じるというわけである。坂道だけではなく、「駅までの道のりの判断」「重い荷物を背負って上る階投の高さの判断」「痛みに耐えられる程度」などについても、同じ現象が起こった。つまり人は、困難がそこにあっても、親しい人がそばにいるだけで、たとえ触れていなくても、その困難を軽く感じるようになり、苦痛がやわらぐのだ。」といいます。
ということは、別に触れていなくても、そこに脇にいるだけでいいわけで、それだけで皮膚は「心」を持っているとは言えません。
でも、昔は赤ちゃんをあまりだっこばかりしていると「抱き癖」がつくといわれていましたが、ある保育園の園長先生に聞くと、そんなことはないので、いつでも抱きしめてよいといわれたのが今でも強く印象に残っています。アメリカなどでは、なるべく早い段階で子どもを一人で寝せるというし、どちらがいいのか迷ってしまいますが、現在では西欧の人たちも子供達と触れ合うことを大事にしているそうです。この本にも、「オキシトシンの受容体は2歳くらいまでにはほぼ決まってしまうため、この時期までにたくさんだっこして鮮を強めることが重要だ。一方でこの時期に子どもをだっこすることで、母親のほうにもオキシトシンがたくさん分泌されるため、それまでの「女性脳」が「母親脳」に変わっていく。母親脳に変わると、例えば子どもが泣いて訴えている理由がわかるようになったり、子どもを自分よりも優先させて守ろうとしたりするようになる。これらはいずれもオキシトシンの作用によるものだ。もちろん、この時期にたくさん触れられなかったら一生絆を築けないわけではない。どの時点からでも信頼関係を取り戻すことはできるが、遅くなるほど時間がかかるということなのだ。」と書いています。
このオキシトシンというのは、いわゆる脳内物質で、日常的に触れ合うことで効果が増していくそうです。そして、この物質は他社との信頼性を高めたり、愛情を強くしたり、ポジティブな作用をもたらすといいます。だから、乳児期にたくさん親たちと触れ合うと情緒が安定し、性格がおだやかになるそうです。しかも、この本には、学習や記憶を促すので知能指数も高くなるという結果も出たということです。
もし、興味があれば、読んで見てください。ある意味、目から鱗の話しもたくさんあります。
(2017.12.25)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
皮膚は「心」を持っていた!(青春新書) | 山口 創 | 青春出版社 | 2017年8月15日 | 9784413045193 |
☆ Extract passages ☆
例えば視覚なら目、聴覚なら耳、嗅覚は鼻、味覚は口といったように、ほかの4つの感覚は、使う器官が限定されている。決して耳でものを見たり、鼻で音を確認したりはできない。
しかし、触覚は少し違う。かかわっているのは全身を覆う広い皮膚であり、すべての感覚のベースとなり、全身で感知することができるのだ。その分、快や不快、不安や恐怖や喜び、興奮など、いろいろな感情とも直結しているのが触覚であるといえる。
なぜ、五感はすべて触覚から派生していったのだろうか。
皮膚は、かつては五感のすべてを感じ、処理することができる臓器だったと思われる。目がない生き物や耳がない生き物はたくさんいるが、そんな生き物でも皮膚感覚だけは持っている。そして進化の過程で皮膚の一部が時間をかけて目や耳に分化していったのである。
だから人間の皮膚にも、原始の生物の時代に持っていた機能が残っているようなのだ。
(山口 創 著 『皮膚は「心」を持っていた!』より)
No.1461 『英語にできない 日本の美しい言葉』
そういえば、だいぶ前になりますが、日本語の「もったいない」という言葉がケニアのワンガリ・マータイさんが「MOTTAINAI」と使い始めて世界に広がったことがありましたし、「おもてなし」などもキャンペーンに使われたこともありました。
この「もったいない」は、もともとは「物体(もったい)」と書いて仏教用語で、「勿体無い」は、「不都合である」とか「かたじけない」などの意味で使われていました。それを、環境問題では3R、つまり Reduce(リデュース)はゴミとなるものを減らすこと、Reuse(リユース)は再使用すること、Recycle(リサイクル)は再利用すること、の3つです。これにRespect(リスペクト)、つまりもったいないという気持ちです。それをそのまま日本語の「もったいない」をつかって、世界に発信したのです。そして、環境分野で初のノーベル平和賞を受賞しました。
また、「おもてなし」は、東京五輪の誘致のときに使われたことは、ほとんどの人が記憶しているのではないかと思います。この本を読んで、普段は意識しない言葉でも、なるほどと思うのがたくさん掲載されていました。
始めて聞くのは「香の物」です。よくお茶の懐石料理のときに、最後におこげに薄い味をつけて湯桶という器に入れて出しますが、それといっしょに香の物が出ます。一般でも、漬物を香の物ともいいますが、なぜこのような名前になったのかわかりませんでした。
ところがこの本に解説が出ていて、「香木を焚いて、その香りをよく味わうことを「聞香」と呼びます。聞香の遊びとして、何種類もの香木を用意し、それぞれの香りを聞き分けて(聞香ですから、「嗅ぐ」でなく「聞く」というのです)、銘柄を当てようとする遊びのことを「組香」といいます。組香の際、口の中の臭気をリセットし、嗅覚を整え、聞香に集中する目的で、大根の漬物をつまんでいました。その漬物のことを「香の物」と呼んでいたのです。「糠漬け」や「漬物」よりも、雅な感じのする言い方ですね。今では、大根の漬物に限らず、幅広く漬物のことを香の物と呼んでいます。」と書いてありました。
なるほど、と思いながらも、大根の漬物などつまんだら、そのニオイに逆に惑わされないかと心配になりますが、意外と語源というのは、このようなものなのかもしれません。
下に抜き書きしたのは、「お払い箱」についてです。よく、要らなくなったものを捨てるときに使う言葉ですが、それが伊勢神宮とつながりがあるとは思ってもいませんでした。
おそらく、この『本のたび』を読んでくださる方々も、まさかと思うのではないでしょうか。だから、ここで抜き書きさせてもらいました。
(2017.12.22)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
英語にできない 日本の美しい言葉(青春新書) | 吉田裕子 | 青春出版社 | 2017年10月15日 | 9784413045247 |
☆ Extract passages ☆
語源になったのは、少し漢字の違う「お祓い箱」。中世から近世にかけて、伊勢神宮には、御師(おんし)という、伊勢神宮への参拝や信仰を世話する人がいました。伊勢神宮から遠く離れた地域にも檀那(信者)がいましたが、彼らはそう頻繁には伊勢神宮には行けません。そこで、彼らに、お札や暦などの入った箱を配付していました。それがお祓い箱です。
お札は年が改まると、寺社に持って行きますね。お祓い箱も同じです。翌年になると、新しいお祓い箱が届けられるので、前のものは用済みになります。
このお祓い箱と「払う(取り除く、捨てる)」という言葉のしゃれで、「お払い箱にする」という言葉ができたのです。
(吉田裕子 著 『英語にできない 日本の美しい言葉』より)
No.1460 『北欧とコーヒー』
最近、北欧のデザインが気になり、おそらくは8〜9月にイギリスに行ったときにケンブリッジでポーランドのマグカップを買ったことがきっかけではないかと思います。最近では、No.1451 『北欧の日用品』を読んだり、つい最近はスカーゲン(SKAGEN)のウルトラスリムという時計を買ったりして楽しんでいます。
でも、北欧とコーヒーとは、なんとなく結びつかず、だから読んでみたくなったようです。「はじめに」のところに、「国民のひとりあたりのコーヒーの消費量が世界一のフィンランドを筆頭に、北欧の人々はコーヒーを愛する」と書いてあり、なるほどと思いました。つねにコーヒーを飲んでいれば、コーヒー文化も育ちそうだし、私がイギリスで買ったマグカップにも、自然と惹かれる優しさを感じたからかもしれません。たった1杯のコーヒーにも、北欧らしさがありそうです。
と思いながら読むと、デンマークではじめての日本人バリスタになった鈴木康夫さんは、なぜ北欧のコーヒーが美味しいかというと、「まず、豆がいい。これは、第1回ワールド・パリスタ・チャンピオンのロバート・卜ーレセンの影響が大きい。彼はオスロに2軒のカフェと、焙煎所を経営する人物なのですが、彼のおかげで北欧にいい豆が入るようになったと思います。北欧のコーヒーは浅煎りといわれますが、どこもそうではありません。トップクラスの豆を仕入れ、その豆の個性を引き出そうとすると、結果的に浅煎りになるんです。あと、デンマークの人々はみんなでレベルアップしよう、情報を共有しようと意識が高い。だから、全体的にパリスタのレベルが高くなるし、職業として成り立っているんだと思います」と話しています。
では日本のコーヒーはなぜブレンドが多いのかというと、良い豆が手に入らなかったので、それでブレンドにして味を工夫からだといいます。もちろん、それだけではないでしょうが、なるほどと思わせるひとつの説です。
では、この北欧のコーヒーの味が日本人にも美味しいのかというと、必ずしもそうではなくて、フィンランドに留学した経験のある建築家の関本竜太さんは、フィンランドではじめて飲んだコーヒーの感想は、「すっぱい!」というのが第一印象だったそうです。その味は、これまで味わったことのない浅煎りのコーヒーで、とても衝撃的だったといいます。しかし、そのコーヒーの味より、むしろカフェという場所そのものが、とても印象に残ったといいます。やはり、ここでも、北欧のデザインの優秀性が立証されています。
下に抜き書きしたのは、寺田寅彦が32歳の春にドイツに留学したとき、北欧を訪れた際に体験したことです。
たしかに、抹茶をいただく茶碗も、その材質はもちろんのこと、口造りがとても重要です。厚くても薄くても飲みにくいだけでなく、味も違って感じられます。
おそらく、寺田氏もそのようなことを感じたからこその言葉ではなかったかと思います。
この本は、このコーヒーの味覚に影響するカップなどの写真も80個ほど掲載しています。そして、それだけでなく、カフェの紹介など、すべてにわたってたくさんの写真を掲載して説明しています。それがこの本の一番の特徴で、楽しく読み、見ることができました。
(2017.12.20)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
北欧とコーヒー | 萩原健太郎 | 青幻舎 | 2015年7月27日 | 9784861525063 |
☆ Extract passages ☆
茶わんの縁の厚みでコーヒーの味覚に差異を感ずるという興味ある事実を体験した。
(萩原健太郎 著 『北欧とコーヒー』より)
No.1459 『出羽三山』
山形県内に住んでいれば、一度は出羽三山に行ったことがあると思いますが、関東から南の人たちにとっては知らないかもしれません。そういう意味では、岩波新書から出羽三山についての本が出るというのはいいことです。
しかも、副題は「山岳信仰の歴史を歩く」というもので、一般向けですから、取っつきやすいと思います。しかも、読んでみると、偏ったところもなく、いろいろな立場から解説されていて、とてもよかったと思います。
「はじめに」で山岳信仰とは何かというところから書き始め、第1章は「出羽三山の歩み」、第2章は「出羽三山参りと八方七口」、第3章は「羽黒修験四季の峰」、第4章は「出羽三山を歩く」ということで、昔の絵図を手がかりとして歩きながら解説をしています。次の第5章は「湯殿山と即身仏」、第6章は「山岳信仰と食文化」と続きます。
この流れをみれば、ある程度、出羽三山の概略を知ることができます。
山形といえば、歌人の斎藤茂吉も有名ですが、そのことにも触れ、「山形県上山市出身の歌人である斎藤茂吉(1882-1953)は、15歳になった時に出羽三山に参詣しており、それは明治29年(1896)のことであった。その記録は彼の随筆集『念珠集』に収録されているが、それによると、参詣前に毎朝水浴びして精進したり、虫などを殺さないようにしたり、一厘銭を塩で磨き清めて賽銭を用意したりと、江戸時代とさほど変わりのない参詣習俗が存在していた。三山参りの行程は、上山を夜明け前に出発して本道寺で泊まり、翌朝早く志津に着いて、そこで先達を頼み、悪天候の中を湯殿山へ詰り、志津へ戻って、泊まったという。彼の長男である精神科医の斎藤茂太(1916-2006)と次男である作家の北杜夫(1927-2011)もまた、15歳になった時点で茂吉に連れられて三山参りに同行している。」と書いています。
そういえば、ここ置賜地区でも、昔は成人儀礼として湯殿山に行くということは知っていましたが、斎藤茂吉も行ったとは知りませんでした。また、最上川は古くから水運として利用されてきたということは知っていましたが、道中日記によると、夜船の利用もあったそうで、今の夜行バスで寝ているうちに目的地まで運んでもらうというようなことをしていたと知り、驚きました。
また、全国でも特に湯殿山に多いといわれる即身仏について、行者が即身仏になられてからとくに尊崇されたと思っていましたが、「たとえば、文政12年(1829)に入定した鉄門海上人の場合、彼の名を刻んだ石碑が庄内地方に31基あるのだが、建立年の判明する21基のうち最も早いものは寛政9年(1797)で、没後に建立されたものは、大正3年(1914)のただ1基である。また、筆者が岩手県二戸市九戸城祉で見出した湯殿山碑にも、鉄門海の名が刻まれており、文化9年(1812)の建立であった。すなわち、近代以前において信者の崇敬をより集めていたのは、宗教活動を展開していた生身の宗教者としての一世行人であったといえよう。」と書いてありました。
ということは、即身仏になったから尊崇されたのではなく、むしろ実際の宗教活動が尊崇を集めたということです。これはとても大事なことで、もう少し調べてみたいと思いました。
下に抜き書きしたのは、出羽三山の修験者と薬についてです。
私が行ったことのある大峯山の洞川では、陀羅尼助という胃腸薬が有名で、花供入峰で訪れた行者のほとんどが買い求めていました。しかも、実際にそれを飲むと、軽い胃痛などは簡単に治り、とても重宝してます。
(2017.12.18)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
出羽三山(岩波新書) | 岩鼻通明 | 岩波書店 | 2017年10月20日 | 9784004316817 |
☆ Extract passages ☆
たとえば、高山植物のコマクサは、現在では自然保護のために採取が禁じられているが、胃腸薬として用いられた。木曽御岳の山麓では、薬草を原料に百草丸と呼ばれる胃腸薬が製造販売されており、木曽路の宿場町でお土産として盛んに販売されている。同じく大峰山麓の洞川でも、陀羅尼助と呼ばれる伝統的な生薬が製造販売されていて、やはり参詣者のお土産としてたいへん人気を集めている。ただ、残念ながら、出羽三山においては、薬草の採取に関する記録はあまりみられないようであり、戸川安章が、当帰という薬草に他の薬草をまぜて、羽黒山の三の坂上や装束場の薬湯小屋で飲ませたと記す程度にすぎない。
(岩鼻通明 著 『出羽三山』より)
No.1458 『ヒトは何故それを食べるのか』
この本の編集企画は、一般財団法人医療経済研究所と社会保険福祉協会で、著者は佐竹元吉、正山征洋、和仁皓明の3人です。副題は、「食経験を考える63のヒント」です。
だいぶ前から考えていたのですが、食というのは文化で、それも何百年もかかる経験の裏付けによるものだと思っていましたが、この本でも流れはそのようです。
この本はもともと編集企画されたサイトが運営する「健康食品フォーラム」に平成27年6月から平成29年3月まで連載されたものだそうで、それに加筆・修正したものです。
人は食べなくては生きていけず、そのバランスも大切です。もともと日本には山菜などや島国ですから魚だけは豊富に獲れたでしょうが、魚を除くと、今の食生活とはだいぶ違うようです。和仁氏は時代的に1.弥生時代に始まる「大陸文化の伝来」、2.室町後期あたりの「南蛮文化の伝来」、3.明治維新以降の「欧米文化の伝来」、4.第二次世界大戦後の「米国文化の伝来」と4つに分けていますが、たしかにそのときの変化はすごかったのではないかと思います。
でも、この本を途中まで読み、でも、なぜ人はそれを食べるのか、と聞かれても、どう答えていいかわからないとのではないかと思いました。つまり、自分の身体を維持するためには食べられるものしか食べられないし、それをなぜといわれても困ります。たしかに、食にはいろいろなドラマもあるし、故事来歴もあります。今に至るには、長い歴史もあり、海外からパッと入ってきたばかりのものもあります。
そんな疑問を持ったときに、和仁皓明氏の「「食」とは、人類が、安全であることを前提に、栄養の代謝維持ならびに嗜好を満足させるために経口的に物質を摂取する行動です。そして摂取する物質が「食資源」すなわち食べ物です。…… その自然条件の下で、食べ物をどう入手するか、入手した食べ物をどう調理するか、その食べ物をどう蓄えるか、その食べ物をどう分配するかといった、その地域の人々が持っている知恵が必要になります。これは食を成立させるために必要な「人間の技術」です。」という文章に出会いました。なるほど、食べるということは、そうです。さらに、たとえばイスラム教徒が豚肉を食べないとかヒンドゥー教徒が牛肉を食べないなどの宗教上の制約や、日本でもお正月にお重ね餅を神さまに供え、お雑煮としてその土地の産物を入れて食べたりという食習慣だったあります。その展では、そこには何故という疑問もありそうです。だとすれば、継続的に食べ続けてきたものには、それなりの理由があります。
たとえば、インドの結婚式に出たことがありますが、この本でも、「インドでは紀元前5世紀頃、ウコンは仏陀の護摩壇に捧げる植物とされていました。また、インドの結婚式ではウコンを火にくべて結婚のお祝いをします。インドの人たちは、神聖なウコンで、人生の出発に力を借りているようです。ウコンは、肝機能を向上させる、胆汁の分泌を促進させる、食欲を増進させる、血流を改善する、免疫力を高める、腸内環境を整える、脳機能を活性化させるなどの効果があるといわれています。」と書かれていました。
この本では、このウコンのように、特定の食べものを取りあげて、詳しく解説してあるのもあり、とても興味深く読みました。
そういえば、インドの友人は、インドで癌が少ないのは、このウコンをいつも食べているからだと言っていたのを、この文章で思い出しました。
下に抜き書きしたのは、ミョウガと物忘れについての話しです。
これはとても有名な仏教説話ですが、ちょっと笑えるところもあり、ここに掲載しました。ぜひ、読んでみてください。
(2017.12.15)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
ヒトは何故それを食べるのか | 佐竹元吉他 | 中央法規 | 2017年11月10日 | 9784805855881 |
☆ Extract passages ☆
お釈迦様の弟子の一人に周利槃特(しゅりばんとく)という者がおりました。彼は自分の名前さえ憶えられないほどの物忘れのひどい人でした。そこでお釈迦様は名札を与え、それを身に着けていたといいます。彼の死後、塚からはみたことのない草が芽生えてきましたので、常に名札を携えていた槃特を偲び、茗荷(名荷)と名付けたそうです。
茗荷には「鈍根草」の別名がついています。これには修業中の子どもが空腹のあまり、側に置いてあった茗荷の料理に手をつけたところ、周りの人が「修業中の若い者は物忘れをしないために茗荷は食べないものだ」と言ったところ、子どもは「空腹を忘れるために茗荷をもっと食べる」と言った、との笑話があります。
この伝説を受けてかどうかは定かでありませんが、江戸落語に「名荷宿」という噺があります。これは、旅籠屋の夫婦が大金入りと思しき胴巻きを預けた旅人に、胴巻きを預けたことを忘れさせようと茗荷の大ご馳走をプレゼントしました。ところがその旅人は旅籠代を支払うことを忘れて旅立ったとのお目出度いお話です。
(佐竹元吉他 著 『ヒトは何故それを食べるのか』より)
No.1457 『スイカのタネはなぜ散らばっているのか』
引き続き稲垣栄洋氏の本を、とても興味深く読みました。
でも、内容がどこかで読んだことがあると思いながら、途中のササのところで、思い出しました。そして、最後の参考文献のところに、すでに読んだことのある3冊が掲載されていました。だから、なんとなく、ところどころ似たような記述があったようです。
この3冊の中でもおもしろかったのは、「身近な植物に発見!種子たちの知恵」で、著者は多田多恵子氏です。2008年の出版ですから、10年ほど経っていますが、植物の話しはそう変わるわけではなく、今でも楽しめます。
さて、この本ですが、オナモミの実の話しはなるほどと思いました。それを抜き出すと、「オナモミの実の中には、細長い種子が2つ入っている。やや長い種子は「先んずれば人を制す」とばかりに、早く芽を出す。早く芽を出せば、他の植物よりも有利に成長することができるのだ。まさに、ことわざのとおりである。しかし、状況もわからないまま早く芽を出すのは危険すぎる。除草剤がまかれたり、耕されたりすれば全滅してしまう可能性もある。そこで、「急いては事を仕損じる」状況に陥ったときに備えて、やや短い種子が遅れて芽を出すのである。そもそも迅速な方がよいか、慎重な方がよいかは、状況によって変わる。そうだとすれば、両方に備えておいた方がよい。そこで、オナモミは性格の異なる2つの種子を用意しているのである。」といいます。
たしかに、この世のなかは、何があるかわからないので、このように2つのタイプを準備しておくというのもいいアイディアです。だから、このような話しを聞くと、自然界というのはとても不思議なことばかりと思っていますが、それなりの理由があるということがわかります。
そういえば、日本ではあまりアーモンドの木というのはなじみがないのですが、今年の9月にイギリスに行ったときに訪ねた方の庭には、アーモンドの木が植えてあり、ちょうど実がなっていました。サクラと同じ仲間ですから、花もきれいで、この本には、「アーモンドは、日本語では「扁桃」(へんとう)と呼ぶ。古来、「桃」は果実の代表であった。サクラの木になる実は桜桃であるし、胡の国(古代中国で、北方や西方の異民族の住む地域)から来た桃が胡桃である。アーモンドは平たい形から、「扁桃」となった。風邪のときに膨れる扁桃腺は、アーモンドの実に似ていることから名づけられている。」といいます。
桃は縁起もいいし、美味しいから果物の代表格である、といわれれば納得です。それが桜桃につながるとは、考えてもいませんでした。
下に抜き書きしたのは、ホウレンソウの話しですが、いかにも日本的ないいとこ取りです。
でも、身近な野菜でありながら、意外と知られていないようなので、ここに掲載しました。ぜひ、読んでみてください。
(2017.12.12)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
スイカのタネはなぜ散らばっているのか | 稲垣栄洋、西本眞理子 絵 | PHP | 2017年9月20日 | 9784794222985 |
☆ Extract passages ☆
ペルシアで栽培が始まったホウレンソウは中国に伝えられて発達した。こうしてできたのがホウレンソウの東洋種と呼ばれるものである。この東洋種が江戸時代に日本に伝えられた。東洋種は葉が薄いのでおひたしに適しているのが特徴である。
一方、ヨーロッパヘはイスラム教徒を介して広がっていった。こうして発達したのが西洋種である。西洋種は東洋種と違って葉が厚く、崩れにくいので、バターやオリーブなどの油で加熱する料理に適している。……
日本では江戸時代までは東洋種を栽培していたが、明治以降になると西洋種も伝えられた。ペルシアで誕生し、東と西へ別々の道を歩んだホウレンソウだが、地球の東回りと西回りとで、日本で再び出会ったのである。
そして、日本では、東洋種と西洋種の両方の良さをあわせ持った雑種が作られた。私たちが食べているホウレンソウのほとんどは、東洋種と西洋種の雑種である。まさに和洋折
衷。
(稲垣栄洋 著 『スイカのタネはなぜ散らばっているのか』より)
No.1456 『怖くて眠れなくなる植物学』
前作も読みましたが、「面白くて眠れなくなる植物学」で、これはほんとうにおもしろくて、あっという間に読んでしまいました。でも、この本の題名の「怖くて」と植物が結びつかず、ちょっと違和感があり、それでも読んでみました。やはり、それは考え方の違いのようで、毒草といえども薬にもなりますし、どちらかというと人間が勝手に怖いと思っているだけのようです。
たとえば、植物は自分の分身をいとも簡単に作れるといっても、その植物の構造を考えれば、当たり前のことです。たとえば、ショウジョウバカマはその葉先に自分の分身を作って、それでも殖えます。しかし、それだけだと親の領域が狭くなるだけでなく、いろいろな不都合も出てきます。この本では、有性生殖のメリットとして、「自分のコピーは、すべて同じ性質を持っていますから、弱点もすべて同じです。どんなに増えていたとしても、もし、自分が苦手な環境になれば、全滅してしまうかも知れません。しかし、他の個体と遺伝子を持ち寄って子孫を作れば、さまざまな性質の子孫を作ることができます。そうしておけば、どんなに環境が変化しても、いずれかの子孫は生き残る可能性があるのです。」と書いています。
まったくその通りで、短期的にはコピーでもいいでしょうが、長期的にはやはり有性生殖のほうがいいわけです。つまり、これだって、ちょっと考えれば当たり前のことで、怖くもなんともありません。
この本のなかでおもしろいと思ったのは、「ハテナ」という生物で、「ハテナは単細胞生物で、べん毛を持って動き回る動物です。ところが、体は緑色で葉緑体を持っているように見えます。じっは、ハテナは体内に緑藻類を共生させていて、緑藻類が光合成で生産した栄養分で生活しているのです。ハテナの不思議なのは細胞分裂です。細胞分裂をすると、
分裂した片方は、緑藻類を体内に持ちますが、もう片方は緑藻類を持たないので栄養分を得ることができません。すると、緑藻類を持たない方は、捕食のための口を持ち、エサを食べるようになるのです。このようにハテナは植物的な生き方をするものと、動物的な生き方をしているものがあります。本当に不思議な生き物です。」と書いてあり、このハテナは植物なのか動物なのかと考えてしまいました。
おそらく、これが分類の限界なのかもしれず、その中間型というのはもっとありそうです。だからハテナという疑問形の名前がついたのかもしれません。
下に抜き書きしたのは、ドードーが人間の手により絶滅したときに、カリヴァリアの木も絶滅したという話しです。
でも、もしかするとその他の動植物も大きな影響を受けたかもしれず、それはわからないだけです。このドードーは「不思議の国のアリス」で有名になりましたが、この剥製をイギリスの自然史博物館で見たことがあります。その大きな目を見ると、なぜか寂しげでした。ガラス越しでしたが、なるべく光の反射が目立たないように気をつけながら、何枚も写真を撮りました。今でも、たまに見ますが、やはり、寂しげです。
自分の仲間がまったくいなくなる、これこそが、眠れなくなるほど怖い話しではないかと思いました。
(2017.12.10)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
怖くて眠れなくなる植物学 | 稲垣栄洋 | PHP | 2017年7月28日 | 9784569836645 |
☆ Extract passages ☆
昔、モーリシャス島に生息していた飛べない鳥、ドードーが絶滅すると、不思議なことに、島に生息していたカリヴァリアという木も絶滅をしてしまいました。カリヴァリアの実は固く、ドードーしか食べることができません。そして、ドードーはこの木の種子を散布する役割を果たしていたのです。
自然界では、一つの生物が単独で暮らしていることはありません。複雑に関係しながら、暮らしています。
(稲垣栄洋 著 『怖くて眠れなくなる植物学』より)
No.1455 『秘すれば花なり 山頭火』
今年の3月、四国88ヵ所巡礼したのですが、ところどころに山頭火の句碑があり、出生はたしか山口県なのに、と思いました。帰ってから調べると、最晩年に四国遍路をしたそうで、だから残っているのかもしれません。
山頭火の句で一番に想い出すのは「分け入っても分け入っても青い山」(草木塔・43歳)ですが、第73番札所の出釈迦寺の参道わきには、「山あれば山を観る」という山頭火の大きな句碑が建っていました。おそらく、ここから捨身ヶ嶽でも眺めながら詠んだのではないかと思いました。
では、なぜ「秘すれば花」という世阿弥の言葉を持ち出したかというと、著者は山頭火の句の表現にこの言葉のような意味付けをしています。それは「一つには、素朴で平明な表現についてです。彼は、歳を経るにしたがって、旬の言葉を省いて短くし、漢字をも省略して、しごく素朴で平明にしてきた、というところがあります。二つには、私的な感情を表に出さない慎ましさについてです。彼は個人的な情を、生のままで表現することを極力慎み、感謝の思いまでも飲み込んだままで、表に出そうとはしていません。三つには、農耕社会が伝えてきた、自然を神聖化した伝統がありました。これらを私は、山頭火の「秘すれば花」と呼ぶこととしました。」と書いているところです。
山頭火は、9歳で母が入水自殺をしたことがある種のトラウマになっていたと著者はいいますが、たしかに、54歳のときに詠んだという「うどん供えて、母よ、わたしもいたたきまする」という句は、そのときの日記に「かなしい、さびしい供養」とは書いていますが、母を想う気持ちは素直に伝わってくるようです。
また、山頭火は57歳で亡くなりますが、その前に詠んだという「濁れる水の流れつつ澄む」という句は、放浪しながらも心は澄み切ってくるような気分だったのではないかと思います。放浪は自由な時間がたくさんありますが、生活そのものは不自由だらけで、そのアンバランスが句を詠むきっかけになっているような気さえします。
下に抜き書きしたのは、山頭火が慕っていたのは芭蕉と良寛だったといいますが、その良寛さんとの比較に触れたところです。
ただ、この本で気になったのは、良寛さんが大忍国仙禅師について出家し、岡山の玉島の円通寺で修行をするのですが、この本では4年後の22歳のときに放浪を始めたと書いていますが、私が円通寺に行き確認したときには10年間ここで修行をしたと聞きました。この4年という年数は何を根拠に書かれているのか知りたいものです。
また、最後のほうで、山頭火が岡倉天心の「茶の本」を読んでいたというところで、「日本の茶の文化が、はるばるインドからもたらされたという、そのルーツを語るところに興味をもち、自らも日本文化の伝承役を務めようとしたからでした」と書いています。でも、日本の茶の文化は中国から伝わり、日本独自の文化に育っていったことは間違いないことと思います。むしろ、千利休につながる茶道などは、キリスト教の影響があるともいわれ、一碗を飲み回す作法などはそうかもしれません。また、にじり口などは、朝鮮などの影響も考えられ、日本独自の茶の文化になっていったように思います。
(2017.12.7)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
秘すれば花なり 山頭火 | 西本正彦 | 春陽堂 | 2017年8月31日 | 9784394903314 |
☆ Extract passages ☆
良寛が、純粋で生一本の性格だったのに対して、正一は熱が入るとぞっこんのめり込みますが、いったん冷めてしまうと、変身することもなかなかの早業といった風でした。
両者とも、曹洞宗に出家した後に放浪していますが…。
良寛が、孤独と沈黙の課題を持って修行した誠実な求道僧であったのに対して、山頭火は、読経して報謝をいただいて歩くという、一介の修行僧でした。
(西本正彦 著 『秘すれば花なり 山頭火』より)
No.1454 『暮らしのなかのニセ科学』
科学というと、なんとなく物事がはっきりしていて、論理整合性があると思ってしまいます。それを巧みに利用しようとするのがたくさんいるわけです。そんなことを考えていたときに、この本を見つけ、読んでみると、こんなにもニセ科学があるのかとビックリしてしまいました。
もちろん、科学といっても、仮説の段階のものもあれば定説といわれるものもあります。もし仮説であれば、それはあくまでも仮の論理であり、将来にひっくり返る可能性だってあります。科学の粋を集めた原子力発電だって、絶対に安全だといわれながら、想定外ということもあります。科学ならすべてを想定して考えなければならないような気がしますが、想定外といわれてしまうと、何を信じればいいのかと思ってしまいます。
この本には、ほとんどの健康食品やサプリメントが取りあげられていますが、そのほとんどがうたい文句ほどの効果は実証されていないそうです。私もこの歳になるといろいろと体調にも不安があり、飲んでみようかなと思っていましたが、この本を読んで、その気持ちもなくなりました。でも、まさか名の知れた会社のものであってもそうかと思うと、ちょっと不信感が先に立ちます。
では、なぜ騙されるかというと、この本では船井幸雄氏のマーケティング論に注目し、「船井氏によると、「先覚者」(人口で言うと2%ほど)は、インドのサイババ(不治の病を治したり、何もないところから灰や指輪などを出すと称した「超能力」の持ち主)をすぐに信じて、彼に会いに行ってしまうような人たちです。……第二のタイプは「素直な人」(20%)です。「先覚者」の言うことに素直に耳を傾けます。第三のタイプは「普通の人」(70%弱)です。最後が「抵抗者」(10%弱)。50歳以上の男性に多いと言います。職業的には学者、マスコミ人などです。船井氏は「抵抗者」は無視すると言います。第一の「先覚者」の3、4割が動き出すと、「素直な人」の半分くらいが同調し、さらにそれに「普通の人」が追随してブームが起こります。ですから、船井氏が推薦する「驚きの技術」をまず「先覚者」に伝え、彼らを動かすことが必要です(船井幸雄『これからの10年驚きの発見』サンマーク出版、1997年)。」と描いています。
なるほど、良くも悪くも、そのような流れを作り出すことが流行を作り出すことなのでしょう。ということは、たった2%の人を信じさせればいいわけで、もしこれがニセ科学だとしたら、やはり怖いものがあります。
だとしたら、やはり普通にバランスのとれた食事をして、適度な運動をして、あまりストレスをためないようにすればいいと思いました。
下に抜き書きしたのは、一時よく言われた焦げたものを食べるとガンになるかもしれないというものについてです。これを読むと、ほとんど心配いらないことのようで、これからは焼け焦げたサンマも焼き肉もたくさん食べられそうです。
また実際に、1978年にがん研究振興財団から公開された「がんを防ぐための十二ヵ条」には「ひどく焦げた部分を食べない」とありましたが、2011年に公開されたものにはなくなっているそうです。マスコミなども、衝撃的なことはすぐに話題にしますが、解除されたものにはあまり関心を示さないようですが、これも大切な情報ではないかと思います。
やはり、人はそれなりの学者といわれる人に科学的手法で説明されるといかに弱いかという論拠にもなります。ぜひ、読んで見てください。
(2017.12.5)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
暮らしのなかのニセ科学(平凡社新書) | 左巻健男 | 平凡社 | 2017年6月15日 | 9784582858471 |
☆ Extract passages ☆
実は、焦げの発がん効果は大変弱いのです。この動物実験を行った研究者は、「実際に、焼き魚の皮の焦げや焼き肉の焦げを食べて腫瘍ができるのには、サンマなら2万尾の焼き魚の皮を(毎日)食べ、時間にして10〜15年はかかる」と述べています。
ヒトの細胞が魚の焼け焦げ物質により変異を起こす可能性ほ、ラットの数十分の一程度でしかない、という新しい実験結果も出ています。個人的には、焦げは大変弱い発がん性しか持っておらず、気にするはどのことはないと考えています。気になる人は、よくかんで食べることです。だ液には、その発がん性を抑制する働きがあるからです。
(左巻健男 著 『暮らしのなかのニセ科学』より)
No.1453 『したたかな寄生』
昔、寄生という意味で、パラサイトという言葉が流行ったことがありましたが、この本の副題が「脳と体を乗っ取り巧みに操る生物たち」ということで、ちょっと怖そうです。
でも、読んでみると、たしかに怖いのですが、このような生き方をしている生物たちもいると知り、興味を持ちました。
たとえば、「アカシアは自分のトゲに小さな穴を用意して、アリが棲みやすいような居住空間を作り出します。この穴にアカシアアリの女王がやってきて、棲みつき、働きアリたちが生まれると、アカシアは、葉や茎にある花外賓腺という器官から甘くてミネラルたっぷりの蜜をアリたちに与えます。すると、その働きアリたちはアカシアの木を守る行動をします。アリアカシアに近寄ってくる虫をパトロールをしながら探し出し、発見すると素早く攻撃して追い払います。自分の体よりも大きな敵に対しても働きアリたちは集団で襲いかかり、毒液を吐きかけたり、尻についている毒針で刺したりします。アリは他の昆虫からアカシアの木を守るだけではなく、植物からも守ろうとします。アリアカシアに他の植物のつるが巻き付くとそれを切断し、周りの植物が成長してアリアカシアが日陰にならないよう駆除するといったことまでしてくれるのです。そのため、アリアカシアのアリを駆除すると、アリアカシアは成長しなくなり、1年以内にそのほとんどが枯れてしまいます。」というのがあります。
これはお互いに助けたり助けられたりの共生関係かと思ったのですが、じつは、アリアカシアの甘い蜜にはアリを依存症にしてしまうのだそうです。さらに読むと、アリはもともとしょ糖を分解する酵素、インベルターゼを持っているのですが、この甘い蜜を食べるとこれが不活性化して消化できなくなるそうです。つまり、アリアカシアの木の蜜しか食べることができなくなり、つまり依存してしまうということです。ここにアカシアの利己的な戦略があったということです。
考えてみると、怖いことですが、このようなアリ植物は、世界で約500種ほどあるそうです。
そういえば、寄生といえば、カッコウの托卵も他の鳥の巣に産んで子育てを任せてしまうので、そう言えなくもなさそうです。でも、この本を読んで、カッコウの托卵もいろいろと大変だと思いました。この本では、「日本では、数十年前までカツコウはホオジロに托卵をしていましたが、近年、ホオジロはかなり高い確率でカツコウの卵を見破れるようになり、托卵が失敗するようになりました。そこで、カツコウは托卵先を別種の鳥に変更し、今度はオナガに托卵するようになりました。オナガはこれまでカツコウに托卵された経験がなかったため、地域によっては托卵が始まって5年から10年で、オナガの巣の8割がカツコウに托卵されているという大被害を被っていました。そのせいで、オナガの個体数は5分の1から10分の1まで減少していました。このままいくと、オナガは絶滅へ向かってまっしぐらでしたが、オナガの方に次第に対抗手段が確立していったのです。」と書いています。
つまり、相手の鳥が騙されている間はいいのですが、だんだんと自分の卵ではないとわかってしまうと、任せることは難しくなります。ところが、今度は、今まで1個の卵を産んでたのですが、2013年に発表された論文では、カッコウは仮親の巣に何度か通い、数個の卵を紛れ込ませ、仮親を混乱させてしまうということでした。
おそらく、カッコウは托卵をし続けたことで子育てができなくなったとも考えられますが、そのあたりはまだ謎だそうです。
下に抜き書きしたのは、人間に対するウィルスの影響についてです。よく腸内細菌の効用についてはいろいろな話しを聞きますが、まさか、人の感情に影響を与えるとは思ってもいませんでした。しかし、このように実験で示されると、やはり、なるほどと思うしかありません。
(2017.12.3)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
したたかな寄生(幻冬舎新書) | 成田聡子 | 幻冬舎 | 2017年9月30日 | 9784344984707 |
☆ Extract passages ☆
私たちが脂肪質の食品を摂取すると、腸の内側の細胞受容体によって脂肪酸が検出され、神経信号が脳に送られます。このとき、腸は単に食べた食品の種類を脳に伝えるだけではないのです。被験者のグループを2つに分け、1つのグループには、食塩水を与え、もう1つのグループには脂肪酸を与えます。その後、悲しい気持ちになるような写真を見せたり、音楽を聴かせたりし、脳のスキャンを用いて被験者の感情を観察します。その結果、脂肪酸を与えられた被験者は、食塩水を与えられた被験者よりも悲しみを感じにくくなっており、約半分程度になっていたことがわかりました。
さらに、脳がストレスを感じると、腸が「グレリン」という物質を増加させます。このグレリンはホルモンの一種で、空腹を感じさせると共に、脳内のドーパミンの放出を促進させるため、不安やうつ症状を軽減します。
(成田聡子 著 『したたかな寄生』より)
No.1452 『中国では書けない中国の話』
この題名を見たときに、たしかにそうかもしれない、と思いました。だから読んだのですが、著者は『ニューヨーク・タイムズ』などに書いた文章を集めて、そして編集したそうで、どちらかというとそのような視点で書いてあります。
だから、このような本が中国で出版できるかどうかはわからないのですが、直感的には、やはり難しいのではないかと思います。
ただ、日本に関しての記述はほとんどなく、ほんの少し反日デモのことに触れているだけです。中国といえば、海賊版が横行し、粗悪な偽物も多いといいますが、今ではかなり改善されてきたようです。でも、この記事を書いたのは2013年3月14日ですから、そのままここに抜き書きしますと、「私に言わせれば、根本的な原因はやはり、海賊版や粗悪な偽物の需要が中国にあることだ。30年あまりの経済発展を経て、中国はアメリカに次ぐ第二の経済大国になった。しかし、いまもなお1億人以上の人たちは、1日の収入が1ドルに満たない。物価が高騰している中国では、おびただしい数の貧困層が海賊版と粗悪な偽物を求める市場を支えている。彼らは正規版の質のよい商品を買う余裕がなく、安価な海賊版と粗悪な偽物を購入するしかない。彼らの生活は、有毒のコメ、粉ミルク、野菜、ハム、饅頭、玩具、偽物のタマゴ、石膏入りの麺に取り囲まれている。毎日、毎年、質の劣る食品を食べ、質の劣る日用品を使っているのだ。彼らの多くは、知識や映画や読書によって自分の運命を変えようとしているが、正規版の図書を買う財力はない。安い海賊版の図書を買うしかないのだ。」と著者はいいます。
このような書き方では、やはり中国では書けないと思いましたが、なるほどと理解できました。需要があるから供給があるという、資本主義の理念が中国でも同じだと知り、むしろ不思議な感じさえしました。
また、「清代の『笑林広記』という本に、こんな笑い話がある。とても長い竹竿を持って、城門をくぐろうとする人がいた。縦に持っても通過できず、横に持っても通過できない。すると、老人が助言した。竹竿を2つに折れば、通れるじゃないか。」というのがあるそうです。これはグーグルの会長であるシュミット氏が中国本土の検閲を拒否して問題化したときのことですが、もし中国で金儲けをしたければ、たとえ不合理なことでも、中国の政府の指示に従わなければならないということです。もし1本のまま通りたいといえば、それは難しいということで、そこが中国ですといいます。
でも、西欧の人はなかなか理解できないでしょうが、今回訪中したトランプ大統領は、さすがビジネスマンですから、大きな金額の取引の前に、人権問題も領土問題もスルーしてしまったようです。つまり、長い竹竿を2つにも4つにも下りたたんで、中国政府と商取引をしたのではないかと思います。
下に抜き書きしたのは、中国の未来は民主化か革命かの2つしかないと著者はいいます。でも、それもかなり難しいのではないかと思っていて、最後に1つのジョークを紹介しています。
これがなかなかエスプリの利いたもので、最初につぶしておくしかなかったような言い方です。ちょっと味わって読んで見てください。
(2017.12.1)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
中国では書けない中国の話 | 余華 著、飯塚 容 訳 | 河出書房新社 | 2017年8月30日 | 9784309207322 |
☆ Extract passages ☆
中国の未来には、民主か革命か、二つの道しかないと思う。いずれにしても、道のりは遠い。1つには、共産党が自ら特権を手放すことはないだろうから。追い詰められた状況の中で、少しずつ放棄することになる。また、政府が莫大な予算をつぎ込んでいる安定維持の現状の下で、バラバラになっている箸たちが結集するのはかなり難しい。
1921年7月1日、中国共産党の13人の代表は、北洋軍閥政府の警察の追っ手を逃れるために上海を離れ、嘉興の南湖に浮かぶ船の上で第1回の会議を開いたという。今年の7月1日、胡錦濤総書記は中国共産党成立90周年大会で講話を発表し、共産党の偉大な功績を数え上げた。これと同時に、きわめて不謹慎なジョークがネット上で流行している。ある人が言った。「タイムトラベルができるなら、1921年7月1日の嘉興の南湖に戻りたいよ」別の人が「戻って何をするんだ?」と尋ねると、その人は答えた。「警察に通報するのさ!」
(余華 著 『中国では書けない中国の話』より)
No.1451 『北欧の日用品』
副題が「ずっと使いたい一生もの」とあり、北欧のデザインの流行に流されないものの良さとは何か、を知りたいと思い、読み始めました。
たまたま、今年の9月にイギリスのケンブリッジで見つけたマグカップが、やはり北欧のものでした。その落ち着いたデザインに、なぜか不思議な魅力があり、まだ使っていませんが、机に飾ってあります。
この本によると、北欧には優秀なデザイナーとつくり手たちがいて、それがひとつのプロダクトとして活動しているそうです。そして、使いやすく、より美しく、そして長く使って欲しいという想いでつくられているといいます。そういえば、名作だけでなく、イケアの家具なども、シンプルでありながら個性が感じられ、近くにお店がないのでなかなか使えないのが残念です。
この本のなかで、一番欲しいと思ったのが「アトモスフィア(atmosphere)」のメタリックなデザイン地球儀です。そこでネットで調べてみると、オブジェとしても秀逸で、値段は37,800円でした。ところが大きさは幅30×奥行き30×高さ38cmで重さが約1.3Kgだそうで、それをどこに飾るかで悩んでしまいました。やはり、飾る場所がなければ買ってもしょうがないので、現在考慮中です。
それでは、今、持っているものはというと、カメラの「ハッセルブラッド」です。これは6×6cmの正方形のフィルムカメラで、レンズも3本持っています。もともとは上から覗くタイプのウエストレベルのファインダーで、しかもそこに映し出される像は、逆に見えます。ちょっと使いずらいので、メータープリズムファインダーを使って撮っていました。でも、現在はほとんど使っていません。というのは、ほとんどがデジタルカメラになってしまい、フィルムの現像もままならないからです。
たしかに、宝の持ち腐れですが、このカメラだけは、ただ持っているだけでちょっと豊かな気持ちになれる不思議なカメラです。ときどき触ってみて、これを買った時の気持ちを思いだしています。
アトモスフィアの地球儀の次に欲しいと思ったのは、スティグ・リンドペリの「ベルサ」のコーヒーカップです。このベルサとはスウェーデン語で葉≠意味するそうで、葉脈まできっちりと描かれた葉が、とてもみずみずしく感じられます。たしかに規則正しいのですが、とても大胆な絵柄で、これでコーヒーを飲んでみたいと思いました。これはシリーズものだそうで、テーブルウェアのいろいろが揃っているみたいです。
このような明るい食器で、朝ご飯が食べられたら、とても楽しい1日がはじまりそうです。値段はわかりませんが、これからネットで調べてみます。
下に抜き書きしたのは、フィンランドのカイ・フランクのデザインについて述べたところで、彼は生涯、庶民のためのデザインを貫いたそうで、「フィンランドの良心」と呼ばれていたそうです。
変わったものとか奇抜なものは誰の目にも付きやすいでしょうが、ある意味、普通ということは、とても難しいことではないかと思います。
(2017.11.29)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
北欧の日用品 | 萩原健太郎 | X-Knowledge | 2015年6月9日 | 9784062884433 |
☆ Extract passages ☆
カイ・フランクは建築家ではないのだが、その日本人建築家がどのような家を理想としているかはわかった。カイ・フランクを知る人は皆、近いイメージを抱くのではないだろうか。
カイ・フランクのデザインは普通なのだ。足す必要も、引く必要もない。人は普通といわれることに抵抗感を覚えることが少なくないが、デザインの現場においで、スタンダードの基準に据えられるカイ・フランクは単純にすごいと思う。
(萩原健太郎 著 『北欧の日用品』より)
No.1450 『福島第一原発1号機冷却 「失敗の本質」』
福島第一原発1号機がメルトダウンして、6年半を越えましたが、廃炉作業そのものの道筋も決まらず、まだまだ未解決な部分も多いと聞きました。そのようなとき、この本を見つけ、先ずは現在の状況を知りたくて、読み始めました。
1号機から3号機までの3つの原子炉から生み出された核燃料デブリは、推定で880トンあり、とくに1号機の場合は早くに核燃料が溶け落ちたこともあり、格納容器の床のコンクリートの奥深くまで浸食している可能性が高いそうで、このコンクリートと混ざり合ったデブリの取り出しは、さらに難しいと指摘されているそうです。だから、40年と言われている廃炉作業の費用が、公表されている見積もりで8兆円ですが、おそらく、これだけで済みそうもないというのは素人でもわかります。
最初は、原子力発電は電気料金を安くできるといわれていたそうですが、これぐらい高くつくものはなく、それ以上に現在の英知をもってしても放射能汚染を食い止める方法はないといいます。本当に、末代に大きな負担をしいるものだと痛感します。
この本を読んで、廃炉作業が困難を極めているとわかっただけでなく、初動作業のまずさ、たとえば1号機の冷却作業の遅れなど、いろいろな問題も6年半の間にわかってきているといいます。それらをまとめたものが、この本というわけです。
現在、この核のごみの処分は大きな問題で、これが進まないことには、福島第一原発の廃炉作業もできないということになります。この本では、「「核のどみ」と呼ばれる、一般の原発から出る高レベル放射性廃棄物の処分場はおろか、原発を解体する際に出る低レベル放射性廃棄物の処分場すら決まっていないのが現状である。猛烈な放射線を発するデブリを積極的に受け入れる自治体があるとは思えず、最終処分場選びは難航を極めるだろう。処分場設置費用を含めると、廃炉費用はさらに天文学的な金額に膨らむ公算が大きい。私たち国民が負担する最終的な請求書の金額はいくらになるのか、誰一人答えることはできない。」と書かれていました。
ところが、11月14日付けの新聞によると、「原発の使用済み燃料から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場の候補地選定をめぐり、資源エネルギー庁や原子力発電環境整備機構(NUMO)が開いている全国説明会で、広報業務を委託していた業者が謝礼を約束して大学生を動員していたことが14日、わかった。NUMOによると、動員で集まった学生は東京や愛知、大阪、兵庫、埼玉の5会場の計39人。業者は12人が集まった埼玉会場では1万円の謝礼、他会場では学生が所属するサークルへの物品などの提供を約束していた。埼玉会場で問題が発覚したため現金の支払いはなかったという。」とあり、このようなことでは、国民の理解が得られないばかりか、ますます進まなくなるのではないかと思いました。
もともと、放射性廃棄物の処分をどのようにするかが決まっていなかった段階で、原発が建設され、稼働してしまったことが大きな問題です。必ず出る放射性廃棄物に責任を持って処理できない以上、やはりすべきではなかったと私は思います。
この本を読んで、更にそのように感じました。
下に抜き書きしたのは、この本の「エピローグ」に書かれていることですが、吉田所長と原発の修復機器の開発メーカーの小林社長とが、一晩ともに語り合い、翌朝、再び福島第一原発の免震棟に向かう途中に事故後一度も戻っていない所長官舎に寄りたいと言ったそうです。
ここに、多くの方から信頼されていた吉田所長の原点があるように思いました。
(2017.11.27)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
福島第一原発1号機冷却 「失敗の本質」(講談社現代新書) | NHKスペシャル『メルトダウン』取材班 | 講談社 | 2017年9月20日 | 9784062884433 |
☆ Extract passages ☆
「ちょっと待っていて下さい。持ち出すものがあるから」車を停めると、吉田は、小走りで家の中に入っていった。5分程が経った頃だろうか。家から出てきた吉田を見て、小林は、あっと言葉を失った。戻ってくる吉田の胸には、十数冊もの単行本と数珠が愛おしむように抱き抱えられていたのだ。
本はすべて『正法眼蔵』全集だった。鎌倉時代の仏教者・道元が自己を探求しながら死の直前まで生と死の真相について書き連ねてきた全87巻ある書物である。難解をもって知ら
れるこの書物を吉田が愛読していたことを、小林は思い出した。不意に、小林の脳裏に「覚悟」という言葉がよぎり、しばらくの間、その言葉を頭から消し去ることができなかった。
車は、再び免震棟に向けて走り始めた。吉田と小林は、何事もなかったかのように世間話を続けた。吉田が所長官舎から持ち出してきたものについては、二人とも一言も触れなかった。
吉田は、この半年後、食道がんが見つかり、1年7カ月務めた福島第一原発の所長を退任する。懸命の闘病生活が続いたが、2013年7月9日、還らぬ人となった。58歳だった。
(NHKスペシャル『メルトダウン』取材班 著 『福島第一原発1号機冷却 「失敗の本質」』より)
No.1449 『インターネットは自由を奪う』
この本の副題は、「〈無料〉という落とし穴」で、たしかにインターネットの世界には〈無料〉というのがかなりあります。
たとえばソフトもそうですが、ゲームだってそうです。でも無料だといいながら、会社を経営していくためには必ず資金は必要で、どこかでもうけているはずです。たとえば、グーグルだって、ばく大な広告料の収入があるから次から次へと大きな会社を買収できるわけですし、あらたな投資先に巨額な投資もできるわけです。
たとえば、私がホームページを作り始めたのは、1997年ごろで、翌年の1月1日にリンクしました。最初は、訪問者も数人程度で、その数を確認するのも楽しみのひとつでした。それが2000年を越したあたりから急激に訪問者も増えて、そのカウンターさえも取り外しました。もちろん、ホームページ作成ソフトもなかったので、HTLM言語で試行錯誤しながら作りました。
ですから、インターネットが自由を奪うと、どこがと思ってしまいますが、たしかに最近はあまりにも情報が1ヵ所に集まりすぎて、ちょっと不安を感じてはいました。便利ではありますが、そり便利さゆえにその裏には何かがあるかもしれないと思っていました。
著者は、この本の中でも触れていますが、イギリスで生まれ、かつてはオーディオカフェという音楽系ウェブサイトの運営会社をしていた、いわばシリコンバレーの身内でもあります。でも現在は著述業やコメンテーターなどもしていて、アメリカに住んでいます。
彼がいうには、インターネットから失われたものは、「90年代前半、インターネットの支配権がティム・バーナーズ=リーのような学者からジム・クラークのような実業家へと移ったころにインターネットから失われたものについては、簡潔にまとめることができる。経済の中心地がウォール街から西部へ移るにともない、インターネットからは共通の目的意識も、道徳意識も、さらには魂さえも失われてしまった。そして、金がそれらにとってかわった。金はKPCBなどのベンチャーキャピタル企業からどっと流れこんだ。アマゾン、フェイスブック、グーグルのようなIT企業が成功するにともない、イノベーションの資金源は政府からベンチャーキャピタル企業に移っていったのである。」と具体名を挙げて書いています。
たしかに、2000年までのインターネットは山のものとも海のものともわからないような、不可思議な世界でしたが、誰でもパソコンを使えるようになると、爆発的に拡大してきました。最初は今日は何人見てくれたのかと思いながらホームページを作っていましたが、今では訪問者のカウンターを外してしまいました。つまり、あまりにも多い方々が訪れるようになり、あまり意味をなさなくなったからです。
この本を読んで、なるほどと思ったのは、『「カメラは嘘をつかない」と最初にいったのが誰であれ、きっとインスタグラムを使ったことがなかったのだろう。コダクロームがありのままを容赦なく突きつける窓として設計されたとすれば、インスタグラムはその反対に、お世辞のうまい鏡につくられた。』ということでした。
昔はプリクラで撮ったこともありますが、最近のものは色白にできたり、目が大きくできたり、細身に撮れるということでしたが、つまりインスタグラムはそれと同じ延長線上にあるわけです。本来は写真は、細部までシャープにきめ細やかに撮るのですが、今は昔のお見合い写真のようなものが喜ばれるということです。これって、いわばナルシストと同じで、ある種の現実逃避のようです。
下に抜き書きしたのは、たとえばグーグルの検索を利用することで、タダだと思っていたのに、サンドイッチマンにされていたという、とても象徴的なところです。
でも、これはある意味、真実です。そして、プライバシーが守られていると思っていても、どこからか漏れ出てくるというのも、やはり事実です。
今、インターネットにはまっているなら、ぜひ読んでいただきたい1冊です。
(2017.11.24)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
インターネットは自由を奪う | アンドリュー・キーン 著、中島由華 訳 | 早川書房 | 2017年8月25日 | 9784152097033 |
☆ Extract passages ☆
検索エンジン、Gメール、SNSのグーグルプラス、ユーチューブといったサービスを無料で提供するグーグルは、欲のない非営利団体であるかのように売りこむ一方で、何も知らないユーザーから大いに搾取するビッグデータ企業のなかでも、その手法がきわめて巧妙である。すでにユーザーの投稿記事や写真をそのまま広告にしていて、そういう広告が、グーグルのディスプレイネットワークを構成する200万のウェブサイトに掲載され、10億人に閲覧されている。もちろんグーグルも、フェイスブックと同様に、もともとは善意を持っていたのだが、いまやユーザーをディスプレイ広告に利用し、自社の広告ビジネスに役立てている。われわれは対価をもらわずに商品にされているばかりか、グーグルの広告を掲示するビルボードになっている。昔むかし、二枚の広告板、いわゆるサンドイッチ板を体にかけて街頭を行ったり来たりする仕事があった。そのサンドイッチマンは企業から報酬をもらっていたが、現代のわれわれは報酬なしに同じことをしているのだ。
(アンドリュー・キーン 著 『インターネットは自由を奪う』より)
No.1448 『植物の不思議』
ほとんど写真集のような雰囲気なので、「西永 奨 写真、西永 裕 著」と写真撮影者のほうが先に書かれていても、あまり違和感はありませんでした。副題は、「ミクロの博物学」ということで、表紙の写真や中味の写真を見てもミクロのどこの部分かさえも想像ができませんでした。むしろ、アートさを感じ、これは植物のどこの部分なのかと推理する楽しみもありました。
しかも、これらの写真は普通のカメラで写せるものではなく、電子顕微鏡を駆使し、さらにはパソコンで加工しなければならないそうで、一般の人には絶対に撮れない世界です。ただ、パソコンで彩色するためなのか、写真のように見えないこともあります。
それと感じたのは、ここまでミクロの世界を拡大すると、花もきれいとか美しいとかではなく、ちょっと気持ち悪いかも、と思いました。たとえば、エリカ(ツツジ科)位の拡大だと雰囲気も伝わりますが、ネジバナ(ラン科)の毛状突起のように拡大されると、「不気味なパワーを感じさせる」と著者も書いています。やはり、なんでも度が過ぎると、違和感を感じます。
ただ、この本を見て、拡大すると花もこのような構造をしているのだとわかり、ある意味、感動もしました。たとえば、サクラソウですが、その花粉は三溝孔型で、ほぼ完全な球形です。その直径は約9ミクロンといいますから、電子顕微鏡でも使わないと見えない世界です。でも、その花粉も桜色をしていて、とてもきれいでした。
このような本は、やはり、見てみないことにはわからないと思います。
下に抜き書きしたのは、「はじめに」の最初に書いてあるもので、この本がどのような本かを説明してあります。残念ながら、この本の写真家は2014年7月に突然死去されたそうですが、この本の著者は実の兄であり、残された画像や資料を整理しながら、この本を刊行されたそうです。
ということは、この本は兄弟で刊行されたもので、おそらく、いろいろな思いが込められていることと思います。
もし、興味があれば、ぜひ開いて見てみてください。
(2017.11.20)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
植物の不思議 | 西永 奨 写真、西永 裕 著 | 秀和システム | 2017年9月15日 | 9784798050591 |
☆ Extract passages ☆
本書は、電子顕微鏡(SEM:Scanning Electron Microscope)によるアート的写真で世界的に知られる故西永奨(1955〜2014年)の作品で構成した植物画像図鑑である。20歳の頃、スウェーデンの医学写真家レナート・ニルソンの写真集「人体の驚異」(1974年小学館刊)に大きな感銘を受けた彼は、新潟大学医学部解剖学教室の支援を受けて、1985年頃からSEMによる写真制作を開始。最初はモノクロームだった画像作品にコンピュータソフトで彩色を施し、それまで医学的な研究資料だったSEM画像に対して、アート的な表現領域を開拓した。その作品に対する評価は、国内はもとより海外にも広がり、科学専門の世界的な写真エージェンシーであるイギリスのScience Photo Libraryには約1800点が収録されている。
(西永 奨 写真、西永 裕 著 『植物の不思議』より)
No.1447 『たどりつく力』
初めてフジコ・ヘミングの名前を聞いたのは、たしかドキュメンタリー番組『フジコ 〜あるピアニストの軌跡から』だったと思います。このとき、世の中にはピアニストになる夢を諦めきれず、今もそれに挑んでいる方がいるというような印象でした。しかも、両耳が聞こえないとか、極貧の生活だとかいうのを知り、さらにその印象が強まりました。
そういえば、その耳が聞こえなくなったのは、この本によれば、右耳が16歳のときに中耳炎をこじらせてまったく聞こえなくなっていたそうです。そして左の耳は、バーンスタインの推薦でウィーンで「フジコ・ヘミング ピアノ・リサイタル」を開く1週間まえに飲んだ市販の風邪薬の影響などで聞こえなくなったそうです。つまり、このリサイタルはまったく聞こえない状況なので、結果は惨憺たるものだったそうです。この聞こえない生活は2年間ほど続いたそうです。しかし、現在でも左耳は回復はしていても、聞こえにくいそうで、「初めて会った人は、私がその人の声を十分に聞き取ることができないため意思の疎通ができず、気難しいタイプだと思われます。確かに、男性の低い声や小さい声の人はよく聞き取れません。女性でも、おしとやかにしゃべる人の声は聞きにくいですね。耳が聞こえなくなったベートーヴェンが、人に誤解されるのを杷憂して、転々と住居を変えた気持ちはよくわかります。私も、いまのパリの家に落ち着くまで、何度か引っ越しを余儀なくされました。」と書いています。
しかし、この本を読んでいても、あまり悲壮感は漂ってこないのは、著者のあきらめではなく、持って生まれた明るさかもしれません。あるいは、今を受け入れながら生きていくのがいいと思っているのか、さらに現世をピアニストとして生きぬくという強い意志から生まれてくるのか、はたまたいろいろなことが合わさっているのかもしれません。
いい生き方だと思ったのは、自分がたとえ生活に困っていたとしても、それ以上大変な生活をしている人を見ると惜しげもなく渡してしまうところです。たしかに、この世の中は、上を見ても下を見ても切りがないですが、そうとはわかっていても、それができるかというと、先ずは自分自身のことを考えてしまうのが多いと思います。
おそらく、必ず神さまに助けてもらえると考えているのか、越えられない試練はないと思っているのか、その強さをみたような気がしました。
下に抜き書きしたのは、「エピローグ」の前に書いてある文章です。おそらく、今の自分のピアニストとしての思いではないでしょうか。この言葉の前に、歳を重ねると「暗譜」が大変になってくると書いていますから、それを受けてのことです。
しかし、この本のなかで、1952年にコルトーが75歳で来日され、そのときの演奏がマスタッチが多いと酷評されたそうです。しかし、それでも彼の演奏は心に響き、いかにも人間的でほほえましいと書いています。つまり、そのような演奏でも、心で聴けば人生を豊かにしてくれるといいます。
だから、フジコ・ヘミングは、最後までピアノを弾き続けると思いました。
(2017.11.16)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
たどりつく力 | フジコ・ヘミング | 幻冬舎 | 2016年5月30日 | 9784344029538 |
☆ Extract passages ☆
私は「音楽家は生涯勉強すべきだ」と思っていますし、練習を怠ることは、作曲家に対して失礼だと考えています。
いい加減な練習の結果をステージの上で披露し、聴きにきてくれたお客さまを失望させることはできません。
でも、年々、歳はとっていきます。これは止めようがありません。
そのなかで、いま自分にできる最高のことをする。それが私のモットーです。
演奏を聴いてくれる人は、リピーターも多いでしょう。その人たちに常に新しい面を示さなければ、演奏を続ける意味はありません。
私という人間が懸命に努力し、ピアノでいまの自分を表現する。その心意気を音楽から受け取ってもらえれば、ピアニストとしての自分の使命は果たせた、と心から思えることでしょう。
(フジコ・ヘミング 著 『たどりつく力』より)
No.1446 『小さな習慣』
小さな習慣って、どういうことなんだろうと思って読み始めましたが、簡単に言ってしまえば階段を上るのも最初から最後まで一歩ずつ上るようなものです。
でも、そこはアメリカの本ですから、ちょっと科学的な味付けがされていて、微に入り細に入り、丁寧に書いています。ちょっと煩わしいほど、何度も繰り返し書いています。これなら、おそらく、誰でもできるようになるかもしれません。
もともと小さな習慣というのは、この本では、「小さな習慣には多くの長所があります。応用の幅が広く、いつもポジティブな気持ちでいられます。ひとつの達成が次の達成につながり、つねに成功できるため、自然に自己肯定感が高まります。もちろん、小さな習慣として始めた行動がやがて本物の習慣に変わっていきます。小さな習慣の基本は、こんなに簡単でいいの? と思うくらいの課題を自分に与え、それをほんのわずかな意志の力を使って実行するというものです。」といいますから、やはり誰でもできるというのがこの本の役割でもあります。
もちろん、続けるには続けたいという意思が大切で、その意思の力を消耗させる5つの原因が、メタ分析でわかったといいます。このメタ分析というのは、この本によれば、「特定のトピックについての複数の研究を集め、その分析から重要な結論を引き出そうとする「研究に関する研究」のこと」です。そして、再び引用すると、「2010年に、「自我消耗」に関する83の研究についてのメタ分析がおこなわれました。自我消耗は基本的には意志の力や自制心の低下と同じことを意味するので、これらの用語は置き換え可能なものとして使うことにします。このメタ分析から、自我消耗の原因の上位5つは、努力、困難の自覚、否定的な感情、主観的な疲れ、血糖値だとわかりました。」と書いています。
つまり、これら5つのことが意思の力を弱めるということなので、これらの原因をなくすようにすればいいということです。
たとえば、5つ目の血糖値というのは、疲れたときに甘いものを食べると疲れが吹っ飛ぶといいますが、それと同じです。この本では、ブドウ糖を補って血糖値を上げるなどの工夫をするといいます。
そして、具体的な方法として、第6章として、「大きな変化をもたらす「小さな習慣」8つのステップ」を書いています。もし、これらのことを知りたければ、とても読みやすいので、自分で読んでみることをお勧めいたします。
下に抜き書きしたのは、最後のほうに書かれていることで、ステップが小さすぎることはないという説明のところです。たしかに、最初から期待を小さくしておけば、もっとやりたくなるでしょうし、だからといって最初からグレードアップしてしまったら挫折があるかもしれません。
ぜひ、下の文章を読み、小さな習慣でも繰り返すことによって本物の習慣になるかもしれないと思いました。
(2017.11.13)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
小さな習慣 | スティーヴン・ガイズ 著、田口未和 訳 | ダイヤモンド社 | 2017年4月26日 | 9784478065778 |
☆ Extract passages ☆
ステップが小さすぎると思うのは、小さな習慣に間違った角度からアプローチしている証拠です。どんなに大きなプロジェクトも、小さなステップで構成されています。すべての有機体が微小な細胞が集まってできているのと同じです。小さなステップを使うと、自分の脳をうまくコントロールできます。意志の力が弱まっているときには、小さなステップが前に進むためのただひとつの方法になるかもしれません。小さなステップを愛することを学べば、信じられないほどの成果を得るでしょう。
大きな進歩を遂げたくて仕方がないというときには、そのエネルギーを小さな目標をこなしたあとの"おまけ"に使ってください。
(スティーヴン・ガイズ 著、田口未和 訳 『小さな習慣』より)
No.1445 『すごい古書店 変な図書館』
今年の読書週間は10月27日から11月9日まででしたが、その最後あたりに読んだのがこの本です。読書週間だから読んだというのではなく、最近はなかなか神保町に行けないなあ、と思ったら、つい読みたくなっただけのことです。
神保町には学生のころはいつも行っていましたし、卒業してからも上京の折には必ずまわって、あの独特のニオイに郷愁を感じていたのですが、ここ最近はちょっとご無沙汰です。おそらく、古書店から古書目録が送られてきたり、ブックオフやアマゾンで手軽に古書が買えるようになってきたことなどもその1つの理由ですが、その買った重い古書を持ちながら歩くのが辛くなってきたこともあります。では、送ってもらえればといっても、その送料で古書ならあと数冊は買えると思うとつい持ち帰り、あとから手や肩が痛いと思うのです。それでも、買い集めた古書は、ホテルからダンボールに入れて送るのですから、その重さを味わうのも楽しみみたいなものです。
一番の理由は、自宅を建て直すときに、その本の整理が大変だったからです。本の買い取り業者に頼んだのですが、そこまでは自分で整理しなければならず、半年ほどかかりました。それで持っている本の8割程度を処分したのですが、何だかんだといつの間にか、また本に囲まれてしまいました。また、あのときの苦しみを味わうのかと思うと、つい古書を買うのにも慎重にならざるを得ないのです。
さてさて、この本ですが、最近は本屋さんがなくなりつつあるといいますが、古書店は若い人たちも始める方もいるそうで、とても頼もしく感じました。ほとんどが本が好きという方々で、だからこそ起業できるのかもしれません。
そもそも、この本は、2013年1月から2017年2月まで「本屋はワンダーランドだ」「この図書館が面白い」のタイトルで連載していたものに加筆訂正したものだそうで、だから今年に入ってからオープンした古書店も入っていたようです。ただ残念なのは、ほとんどが東京23区内で、最後の成田山仏教図書館だけが千葉県です。
この本を読んで、いくつもなるほどという言葉に出会いました。たとえば、阿佐ヶ谷の「銀星舎」でのことですが、「客が店を選ぶと同時に、店も客を選ぶんだ」という言葉に、古書店の矜持を見たような気持ちでした。また、北品川の「KAIDO books & coffee」では、「背表紙を見て、日本中を旅できる」スペースがあると知り、これもそうだそうだと思いました。
じつは私も、ヒマなときに、自分が読んできた本の背表紙を眺めながら、ちょっと気になる本を引っ張り出して読み直すことがあります。背表紙を見ただけで、読んだ本が鮮やかに想い出すこともあり、背表紙っておもしろいと思っていたので、即、納得でした。
この本で紹介した図書館で行ってみたいと思ったのは、いくつかありますが、なかでも「日比谷図書文化館」です。しかも公立なのに、「カフェで蓋付き飲み物を買って持ち込むこともOK」だといいますし、閲覧席には電源やLANケーブルも付いているそうですから、自宅で読んでいるのとほとんど変わりないようです。そうそう、日本カメラ博物館にはなんどか行きましたが、ここにも「JCIIライブラリー」があるそうで、次に行ったときには、ぜひまわってみたいと思います。
下に抜き書きしたのは、「植物と古本、どちらも売ります」というカフェも併設された古書店です。
しかも、カフェでは、多肉植物も出すというから不思議な体験もできます。根津にあるといいますから、根津美術館にでも行ったときにでも、ぜひまわってみたい古書店のひとつです。
(2017.11.10)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
すごい古書店 変な図書館(祥伝社新書) | 井上理津子 | 祥伝社 | 2017年9月10日 | 9784396115166 |
☆ Extract passages ☆
根津一丁目の交差点から言問通りを東大前方向へ少々急な弥生坂を上がる。300メートルほどで、緑の植物と古本が並ぶ店が見えてくる。「弥生坂 緑の本棚」は(おそらく)日本中にここしかない、植物と古本の両方を売る店だ。
「花屋に28年間勤めていました。いつぞや廃棄する分厚い本をくりぬいた植木鉢を使うことがあったのが、植物と本を組み合わせようと思ったきっかけです。2016年の2月に開店しました」と、店主の綱島側光さん。
(井上理津子 著 『すごい古書店 変な図書館』より)
No.1444 『言葉の羅針盤』
この著者の本は、たしか初めて読んだと思うのですが、とても切れのある文章で、読みやすかったです。そこで、うしろのプロフィールをみると、詩集も出しているようで、なるほどと思いました。
今、これを読んでいるときは、「読書週間」の真っ最中で、その読書についても「探していた人と出会うように、本ともめぐり逢ったという経験、あるいは、自分で書物を選んだというより、書物に呼ばれたとしか言い得ない出来事も起こる」とか、「独りでなくてはできないこととは何だろう。食べることは独りでもできるが誰かと一緒に食べてもいい。散歩もそうだ。これらは独りでもできるが、独りでなくてはできないことではない。しかし、本を読むこと、文章を書くことは独りでなくてはできない。別な言い方をすれは、本を読み、文章を書くことを生活に取り入れるだけで、人は「独り」の時空を作り出すことができる。」という言葉などは、ズーッと記憶に残りそうです。
でも、昨年、ある図書館に泊まろうという企画で、1晩図書館に泊まったことがありましたが、その夜に自分で読んだ本について語る時間がありました。すると、自分だけの解釈というのがわかったり、みんなも同じように感動していたとかを知ったり、それはそれで楽しい時間でした。
でも、基本的には、著者がいうように、本を読むということは、1人になるということだと思います。たとえば、電車の中で本を読むと、隣の人のことも気にならないし、近くで美味しそうなものを食べていても、そのニオイもあまり感じません。むしろ、ときどき本から目を離して車窓を見ると、今、旅をしているという旅情すら感じられます。
そういえば、この旅についても、著者は、「旅行にはいつも行き先が存在する。詳細な日程が決まっていなくても、どこへ行くかについてのゆるやかな計画がある。だが、旅は行き先がなくても成立する。むしろ、未知なる場所に赴こうとするとき、その心の中ではすでに旅は始まっている。さらにいえは、旅とは、物理的にとんなに遠くに行ったとしても、自らの内なる原点に還っていこうとする人生の挑みのようにも感じられる。人は、真の旅を求める。ほとんと本能的にそれを希求する。」と語りますが、それだって、なるほどと思います。
昨年の夏でしたが、ある団体から旅の話しをしてほしいということで、1時間ほど講演をしましたが、旅と旅行の違いなどから話し始めました。やはり、旅にはロマンを感じますし、ある種の冒険に似たような気分もあります。
下に抜き書きしたのは、「味読」についての文章です。
たしかに味わいながらゆっくりと本を読むということは、大事なことだと思います。でも、それは著者がいうように「熟読」とは感覚的に違うと思います。それをうまく表現しているので、ここに掲載させてもらいました。
機会があれば、ぜひこの本も読んでみてください。
(2017.11.08)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
言葉の羅針盤 | 若松英輔 | 亜紀書房 | 2017年9月7日 | 9784750515175 |
☆ Extract passages ☆
「味読」という表現がある。「熟読」という言葉にはどこか、頭で読むという語感が残っでいるが、味読には、それとはまったく別種の感覚が生きている。甘い言葉、苦い言葉と口にすることがあるように、私たちには言葉の「昧」を感じるカがある。
見た目がよくても美味しくない料理があり、見た目は今一つだが、食べれは全身に染みわたるようなものもある。言葉も同じだ。
(若松英輔 著 『言葉の羅針盤』より)
No.1443 『理系脳で考える』
著者は元日本マイクロソフト社の社長で、今は投資コンサルティング会社をしているそうですが、ちょっとユニークな本も書いています。この本の副題は「AI時代に生き残る人の条件」で、興味をそそる題名です。
ある意味、パソコンの黎明期から活躍しているわけですから、やはりAIに対してもそれなりの考えがあるのではないかと思い、読み始めました。
最初は、理系脳って何、と思っていたのですが、具体的な例を挙げて、それなりの解説をしていました。でも、核心部分はちょっとわからず、中ほどの「理系脳は、新しいことに興味があって刹那主義。必要以上に過去を振り返り、ネガティブになってうじうじすることはない。過去は過去と割り切れる。理系脳は、コミュニケーションとは正しく伝えることが一番だとわかっている。もしも正しく伝えることを優先させた結果、無礼だとかコミュニケーションが下手だとか言われても、気にする必要がないことを知っている。だから、周囲と楽しく盛り上がれなかったとしても、がっくりして自分を責めるようなことはない。それに、同じような考えの持ち主とは素晴らしい切れ味でコミュニケーションができる。これほど楽しく刺激的な会話はない。つまり、理系脳になれば、余計なことに頭を悩ませなくてすむようになるのだ。」ということのようです。
たしかに、理系脳というのは、興味を感じたり、できるできないと考えるよりは、先ずはやってみようと思うのでしょう。おそらく、科学者たちも、同じような実験や計算式をなんども繰り返しながら、仮説を立て、またそれらを検証すべく日夜研究しているのではないかと想像します。
そういえば、20年ほど前のことですが、ある植物分類学者と中国雲南省の奥地へ行ったときに、そこにあるといわれて案内されたのですが、その目指す植物がたまたま山火事で全滅してしまっていました。私はショックでした。でも、彼は、ここにあったものがなくなってしまったということも1つの大切な情報だといいました。たしかに、それはそうかもしれませんが、それを見に行った私にとっては、しかも2日間が無駄な時間だったように思えたのです。
でも、今になってみると、彼の言うことがよくわかります。いろいろな経験を重ねてくると、あるとかないとかの情報も、両方とも大切なことだと思えるようになってきました。
そういえば、著者は、書評サイト「HONZ」代表も務めているそうですが、書評を書くときの具体例として、「〈総括@〉→〈総括A〉→〈エピソード@〉→〈エピソードA〉→〈著者〉→〈挿絵や装丁〉→〈想定読者〉→〈まとめ〉」と書くとよいといいます。
たとえば総括@は全体の要約でここだけ読んでもよいように短く書くそうです。そして総括Aは、ある意味、ダメだしの部分で、もう少し説得力を持たせるためです。そしてエピソードは本からの引用で、これは私もほとんど実践しています。そして、挿絵や装丁はこの本に興味を持った方への追加情報みたいなもの。そして、この本がどのような読者に向けて書いているかというようなもので、読んでみたいと思わせるようにするといいます。そしてまとめは、文字通りのまとめです。
たしかに、このように書くこともありますが、あまりに型どおりに毎回書いてしまうと、ちょっとつまらないと思います。むしろ、一番興味深く読んだところを中心に書くのもありです。私の場合は、どちらかというと型にはまらない書き方ですが、ときどき振り返って読み直すと、また同じような流れで書いていると思うことがあり、それはむしろ反省の材料です。
下に抜き書きしたのは、最新のデバイスはおもしろいと書いてあるところですが、むしろ、そのおもしろがり方の世代間の違いについてのコメントになるほどと思いました。
たしかに、私たちのころと、今の子どもたちでは、その興味の持ち方とか方向性はやはり違うと思います。個人的には、著者がアスキーにいるころから知っていて、ほぼ毎週「週刊アスキー」を読んでいました。それ以前から、自分でパソコンの中を開いてみたり、自分で部品を組み込んだりしていましたし、その後はほとんどパソコンを自作してました。
でも、そんなことを孫に話してみても、ちんぷんかんぷんの様子で、違う国の人の話しのように聞いているようです。
(2017.11.05)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
理系脳で考える(朝日新書) | 成毛 眞 | 朝日新聞出版 | 2017年8月30日 | 9784022737298 |
☆ Extract passages ☆
物心ついたときから身近にあるものに、ある程度の年齢になった子どもは関心を示さない。たとえば、コピーが不思議、カラーレーザープリンターが不思議という子どもはほとんどいない。その動作原理を知りたがりすごさに酔いしれたくなるのは、ガリ版やいまひとつなインクジェットプリンターを知っている世代ばかりだ。
だから子どもに「すごい」と思わせるには、その子どもの世代にとっても衝撃的に新しいデバイスを与えるに限るのだ。
前にはできなかったことができるようになるという経験をすると、驚き、それがどうなっているのかを知りたくなるはずだ。中には、分解して中を見てみたいと思う子どもも出てくるだろう。そうなったら、デバイス代など安いものだ。
(成毛 眞 著 『理系脳で考える』より)
No.1442 『世界の美しい窓』
考えてみると、この『本のたび』で一番最初に取りあげたのが「No.1『世界の窓 〜Windows〜』でした。だからというわけではありませんが、今でも「窓」を見るのが好きです。もちろん、Windowsといってもパソコンとはなんらのつながりもないのですが、考えようによっては、窓と外の世界はつながっています。
この本でも、窓を外から見たり、内から見たりしています。たとえば、外から見ると意外と気づかないのですが、ステンドグラスを内側から見ると、太陽の光でさらに色彩が鮮やかになり、見事な風景となります。今年の9月2日にピーターパラの「ピータラパラ大聖堂」のなかに入ったのですが、ちょうど翌日のミサの準備として聖歌隊の練習をしていていました。その声と重奏なパイプオルガンの音色を聞きながら大きなステンドグラスを見ていると、それだけで中世の時代に紛れ込んだかのような雰囲気でした。
この本でも、フランスの「サン=ドニ大聖堂」の丸窓のステンドグラスやスペインのバルセロナにある「サグラダ・ファミリア」のステンドグラスを通過する光のスクリーンを紹介していますが、ほんとうにきれいです。
また、窓は、内側から見ると、自然の光や風などが吹き込み、大きく視界も広がります。この本では、イギリスのロンドンにある「テート・モダン」美術館の最上階の窓を紹介していますが、ここから見ると、セント・ポール大聖堂のドームがよく見えますし、テムズ川にかかる近代的な橋も見えます。ここからイギリスの古くて新しいものが一望できます。ここで食事をしたのですが、この風景に見とれてしまい、何を食べたのかも覚えていません。
日本の窓では、いくつか載っていますが、印象的だったのは白川郷の多層民家の窓です。三角形の屋根裏部屋みたいなところに、それに合わせるかのように3つの窓があり、何れも正方形の小さな障子窓です。おそらく、冬の寒さは厳しいでしょうから、見晴らしよりも北風が入り込まないように小さくなっているのではないかと思います。でも、写真でみると、薄暗いなかに、小さな生島とから入り込む光がとても明るく感じられました。これは障子窓ということもあり、太陽光線の強い輝きが、しっとりした落ち着きのある輝きに変えてしまうのかもしれません。
私が白川郷に行ったのは3月のまだ雪の残る時期でしたが、昔は道路も閉鎖され、陸の孤島のようになっていたようです。そこで春を待ちながら、ときどきはこの小窓から外をのぞきこんだのではないかと想像したりしました。
この本で紹介された窓で、一度は見てみたいと思うのが、「イエール大学ベイネック稀覯本図書館」です。竣工は1963年ですが、ホールの中央にそびえる書架の周囲がガラスで覆われていて、一望できるそうです。普通、本は劣化をきらうのでなるべく太陽光線を直接あてないようにしているのですが、ここもそうならないような配慮をしながら、空間全体を見渡せるよう工夫してあるということです。
下に抜き書きしたのは、この本の最初に書いてある文章で、おそらくこの本が窓をこのように見ているということでもあります。そして、この後に、「選りすぐりの世界の美しい窓を紹介する」とありますから、この本を眺めているだけで、世界の美しい窓を眺めたり、その窓から眺めたような気になれるようです。
(2017.11.02)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
世界の美しい窓 | 五十嵐太郎 他編 | エクスナレッジ | 2017年10月4日 | 9784767823409 |
☆ Extract passages ☆
ファサードを人間の顔に見立てるならば、まず窓は目になるだろう。すなわち、目が顔の印象をつくりだすように、窓は建築の表情を決定する大きな要素である。もちろん、目になぞらえられるのは、窓から光を室内に採り入れるだけではなく、窓を通じて部屋にいる人間が外の風景を眺めるからだ。また空気を入れ換えることも窓に求められる機能である。エアコンなどの空調設備が現在ほど整っていない近代以前には、より一層重要な役割を果たしていた。とすれば、通風のための窓は鼻や口にも似ていよう。一般的には扉から人やモノは出入りするが、ときには窓がそのように使われることだってある。ともあれ、窓辺には人々のふるまいが表出し、天候や時間帯によって、開け閉めしたり、もしくはカーテンやブラインドを使うなど、窓はその様態が変化に富む建築の部位なのだ。
(五十嵐太郎 他編 『世界の美しい窓』より)
No.1441 『雑草が教えてくれた日本文化史』
今年の読書週間は、10月27日から11月9日までですが、この間に何冊読めるかわかりませんが、以前より読むスピードが遅くなったことだけは間違いありません。よく言えば、丁寧に読むようになったかもしれませんが、ちょっと冷静に考えると、集中力がなくなり、眼も悪くなったからかもしれません。
でも、本を読むことは、今でも楽しくて楽しくて、なんとか時間をつくろうとします。とくに、最近は、旅行先で読むことの楽しさに目覚めました。まったく知らない土地で、誰も知らない人たちの間でゆっくりと本を読む、と考えただけでなんともワクワクしてしまいます。
そういえば、今年の8月下旬から9月上旬まで、イギリスに行きました。ロンドンからエジンバラまで、電車で移動したのですが、車窓にひろがる風景は、とても広々とした麦畑や牧草地がひろがっていました。でも、同じ島国である日本と比較してみると、「日本の植物数は約5300種で、そのうち日本にだけ生息している固有種が約1800種ある。これに対して、英国は植物が約1600種、そのうち固有種がわずか約160種である。また、魚類は日本は約3850種、うち固有種が約420種であるのに対し、英国は約315種で固有種はゼロである。」と書いてあり、生きものはとても少ないのです。しかも、ムギは忌地を起こすので、毎年つくることはできず、知力が回復するまで休ませないとダメなんだそうです。
ところが日本の場合は、植物相が豊かで、水も豊富にあるので、場所によっては二期作としてコメとムギを作ることもできますし、水田というのは忌地を起こしにくいので、毎年コメを作れます。だから、イギリスのように広々とした農地がなくても、狭いところで集約的な農業ができるのです。
また、イギリスなどの農業は、知力を回復させるために「休閑地」を設け、休ませます。だからこそ、キリスト教の影響もあり、日曜日には休むということの意義も早くから考えられてきます。しかし、日本の場合は水を見たり、雑草を刈ったり、それを肥やしとして使ったり、休んでいてはできなくなります。だから、休みというのは、なんとなく悪いような気がしたり、どのように休んでいいのかさえもわからなくなります。もちろん、今の人たちはほとんどが勤めていますから、休みの日は当然の権利として考えているようです。
この本を読むと、いかに雑草が日本人の性格に影響を与えているのかがわかります。自分では気づかないのですが、休むということ1つにしても、やはりイギリス人とは違うような気がしました。
また、とくに印象に残ったもが、ある農家の方が「農業には、あきらめる心とあきらめない心が必要だ」とおっしゃっていたことです。
たしかに農業は自然に左右されやすい仕事です。良いときもあれば、なんともならないことだってあります。まさに自然の恵みと災害の狭間で仕事をしているようなものです。だからこそ、諦めざるを得ないときもあれば、それでも毎年種を蒔き、あきらめないで育て続けていくしかないのです。この強さが日本人の心のなかで醸成され、災害に負けない強い心を培ってきたのかもしれません。
下に抜き書きしたのは、植物が生きていくためのCSR戦略です。読んでいただくとわかりますが、強い植物が必ずしも成功するわけではなく、強くてもその力を発揮できないところはいくつもあります。そのすき間に生きることも戦略であったり、とくに雑草といわれる植物は、Rタイプ、つまり「攪乱耐性型」といわれるもので、変化の激しい道路や耕作地で生きていくための方策なのです。
してみると、雑草は生き強いというよりは、人間の生活に合わせて、工夫しながら生きてきたのではないかと思います。この本の中でも、「雑草は予測不能な環境に生きる植物である。いつ耕されるかもわからないし、いつ草取りをされるかもわからない。……明日、何が起きるかわからない環境では、のんびりじっくりと成長している暇はない。一気に成長して花を咲かせて種子を残さなければ、命をつなぐことができないのである。そのため、雑草は成長が早いのだ。人間が草取りをすればするほど、より成長が早く、早く花を咲かせる個体が生き残るようになる。つまりは、人間が成長の早い雑草を選抜しているようなものだ。」と書いています。
だとすれば、この雑草というのは、日本人の性格にも大きな影響を与えているのではないかと思えてきます。
(2017.10.31)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
雑草が教えてくれた日本文化史 | 稲垣栄洋 | A&F | 2017年10月1日 | 9784990706586 |
☆ Extract passages ☆
Cタイプは競合型である。Cタイプは、競争を意味する「Competitive」の頭文字を取っている。Cタイプは競争や競合に強い。いわゆる「強い植物」である。
しかし、強い植物だけが成功するかと言えば、そうでもないところが自然界の面白いところである。じつは自然界には、Cタイプが力を発揮できないような状況も多いのである。 Cタイプが力を発揮できない場所で、成功するのがSタイプとRタイプである。
Sタイプは「Stress tolerance」である。これはストレス耐性型と呼ばれている。このタイプは過酷な環境下に生育する植物である。植物にとっての「ストレス」とは、生息に不適な環境である。たとえば水がないという乾燥条件や光が当たらないという被蔭条件や、気温が低いという寒冷な環境がストレスとなる。Sタイプは、このストレスにめっぽう強いのである。たとえば、砂漠に生えるサボテンや氷雪に耐える高山植物がSタイプの例である。じつと我慢の「忍耐タイプ」なのである。
そしてRタイプは、「Ruderal」である。Ruderalは「荒地に生きる」という意味だが、日本語では「攪乱耐性型」と呼ばれている。攪乱というのは、「かき乱すこと」を言う。つまりは、予測不能な変化である。R対応は、変化の激しい環境に適応しているのである。
(稲垣栄洋 著 『雑草が教えてくれた日本文化史』より)
No.1440 『ノミのジャンプと銀河系』
今年の読書週間は、10月27日から始まり、 標語は「本に恋する季節です!」だそうです。
しかし、今さら、本に恋するなんてないと思っていたのですが、この本を見つけて、昔の初恋に出会ったような気持ちでした。
最初は、この題名を見たときには、なぜノミのジャンプと銀河系と同列なのかと思いましたし、そのあまりにもかけ離れたギャップに、戸惑いもしました。読み進めるにしたがって、そんなにも違和感を感じさせない著者独特の語り口に、なんとなく納得させられてしまいました。
でも、科学的な裏付けがありながら、どこかで、いつの間にか、ノミのように論理のジャンプがあり、なぜそこからこのような結論が導き出されるのか不思議な箇所もありました。それだって、いわば椎名ワールドのようなものだと思いました。
昔は、この著者の本を何冊も読み、ワクワクしたものでした。世界のどこにでも出没して、そこで冒険を繰り返しながら、いつの間にか読者を引っ張り込むような書き方に、つい時間を忘れて読んでいました。
ところが私のほうもオーストラリアやニュージーランド、カリマンタンなどに行くようになり、人の書いたものより、自分自身が体験したほうが何十倍も楽しいと思うようになり、いつの間にか読まなくなっていました。ところが、たまたま、この本を手に取り、昔に読んだときの興奮を想い出し、読むことにしたのです。すると、私がまだ体験したことのない、極寒の地などの話しに、またまたワクワクしながら読みました。
たとえば、カリブーの話しで、「殺したカリブーはそこに1時間ほど放置し、全身を鎮静化させてから解体する。それからみんなで生肉を食べる。そのとき胃袋を破る。100キロぐらいのカリブーだったら胃袋だけで5キロぐらいあり、ぱんばんに膨らんでいる。ナイフを入れると中から半分消化された苔や雑草が緑のお粥のようにドロリと出てくる。イヌイットはそのドロリを生肉にジャムかバターのようにこってりなすりつけて味のアクセントにする。人間の胃袋では苔はなかなか消化できないが、カリブーの消化能力を利用して普段食べられない旬の植物性ビタミンを(つまりサラダ、というよりも胃酸くさいから苔の酢の物といったほうがいいかな……)そうやって得ているのだ。カリブーの生肉はうまい。あらゆる肉のなかでも最高のうまさだと思った。」と書いています。
以前はエスキモーと言っていたのが、「生肉を食べる人」という意味もあるので避けられるようになったと聞きましたが、この文章を読む限り、食文化の違いのような気がします。むしろ、極北で生きる人たちの生活の知恵でもあるようです。
下に抜き書きしたのは、以前、ウラジロストックに行ったことのある人に聞いたのですが、冬でも自動車のタイヤは夏タイヤをはいていると聞き、ビックリしたものです。その理由がここにはっきり書いてあったのです。
このいろいろな体験の中から導き出される椎名ワールドは、やはり、今でも色褪せないと思いました。
また、もし新刊が出たら、真っ先に読みたいと思います。
(2017.10.28)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
ノミのジャンプと銀河系(新潮選書) | 椎名 誠 | 新潮社 | 2017年6月25日 | 9784106038105 |
☆ Extract passages ☆
極寒ではスキーやスケートもできない、ということを初めて知った。スキーもスケートも体重をかけた板や金属の刃のエッジなどで氷や雪を圧し、その摩擦で瞬間的に抽出される「水分」を潤滑剤にして滑走する仕組みになっている。温度が低すぎると圧力で生まれた水分も一瞬のうちに凍ってしまうから、そのような滑る「仕組み」に至らないのだ。
積もった雪も粉のようにサラサラだから屋根からのツララもできない。なにもかもフツーの常温世界の冬の感覚は通じないところなのだ。
(椎名 誠 著 『ノミのジャンプと銀河系』より)
No.1439 『ものづくり 日本の源流』
最近、日本のものづくりがときどき取りあげられているので、この本を見つけたときに、それを思い出しました。
たしかに、日本のものづくりは素晴らしいと思っていたのですが、ニュースで神戸製鋼のデータ改竄などの不正が見つかり、なんとも不可解な気持ちになりました。
しかし、日本人はもともと誠実で勤勉だというのが国際的な評価でもありました。この本でも、「世界が日本人の良さとして挙げる「礼儀正しい」「勤勉」「清潔好き」「性質が柔和」など数々ある中に「ものづくりに強い興味を抱く性質」であることも、良い特徴として含まれると思う。」と書いていますがその通りだと思います。ところが今度は、資格を持たないものが自動車の最終検査をしたのが発覚し、社長がそれを謝罪し再発防止まで述べたのに、その後もやっていたとの報道があり、なんとも締まりの無い会社だと思いました。
なぜ、このような国になってしまったのか、不思議です。以前は、たとえ話だとしても、「子供を世間に送り出すとき母親は、中国では「編されないようにしなさい」と言い、韓国では「一番になりなさい」といい、日本では「人に迷惑をかけないように」という。」そうです。この人に迷惑をかけないということは、悪いことをしないということにもつながっています。それがやはり、薄れてきていて、わからなければいいというような風潮さえ生まれてきているような気がします。
この本を読んでビックリしたのは、「各地の戦国大名がとんでもない数の鉄砲を所有していた。『鉄砲を捨てた日本人』(中公文庫)という書物によれば、その頃、日本だけが鉄砲の大量生産に成功している。ヨーロッパよりもアラビアよりも日本は工業国で、その輸出品は鉄砲であり、鉄砲伝来以来の少なくとも2世紀間ぐらいは、世界有数の武器輸出国であったという。当時のイギリス軍全体の鉄砲所有数は、日本の上位大名6名が所有した鉄砲の数よりも少なかったというのだから凄まじい。しかも世界最大の武器輸出国になるまでに、さはどの時間がかかったわけではない。……これは本物だとわかるや否や、たちまち技術を磨き上げて海外に輸出するだけのパワーを有していたわけである。」と書いてあったところです。
ポルトガル人から種子島時尭(ときたか)が法外な金額で買ったたった2挺の火縄銃から、ここまで工夫や改良を重ねながらものづくりがおこなわれたと知り、これだけでこの本を読んでよかったと思いました。他のたばこのものづくりなど、著者にとっては思いで深いかもしれませんが、今の時代とってはほとんど懐古趣味のようなもので、あまり興味もありません。
下に抜き書きしたのは、江戸時代の職人の位置づけですが、多くの人たちにとっては西洋のような身分制度ではなく、職制のようなものだったのではないかと思います。むしろ、工も商も豊かな生活をしていたみたいですし、何より自由でした。そして、職人は、この本では左甚五郎の例を出していますが、今もその作例が残っているぐらいです。
おそらく、このようなものをつくりだす人たちがあまり賞賛されなくなり、むしろ汗水を流さないで簡単にお金を稼ぐ人たちがマスコミに登場するようになって、世の中がおかしくなってしまったのではないかとさえ思います。このことは、もっともっと考えなければならないことで、農業なども従事者がいなくなればそう簡単にはその技術を学べなくなってしまい、食べるものに事欠くことになります。海外から輸入すればよいという簡単な問題ではない、と思っています。
(2017.10.24)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
ものづくり 日本の源流 | 酒井陽太 | 方丈社 | 2016年12月14日 | 9784908925030 |
☆ Extract passages ☆
職人とは、自ら身につけた技によって、手作業で物を作り出すことを生業とする人のこと。江戸時代の士農工商における「工」にあたる人たちである。確かに表向きは、身分的に低い位置にいたけれども、工も商もはとんど無税に近いので、豊かといえば豊かだったし、職人は決して蔑まれていなかった。それどころか、腕のいい職人は尊敬を集めていた。
(酒井陽太 著 『ものづくり 日本の源流』より)
No.1438 『江戸の旅人 書国漫遊』
著者の杉浦日向子という名前を見たときに、「あれっ、今はいないのでは?」と思ったのが第一印象です。それで調べてみると、1958(昭和33)年〜2005(平成17)年とあり、やはり、なくなられていました。
でも、それから12年も経って新刊が出るというのは、ちょっと不思議ですが、今でも人気があるという裏返しでもあるのでは、と思い直しました。本の最後のほうには、ここに収録された書評は、『毎日新聞』の書評委員として、1993年8月30日から2000年9月3日の朝刊に寄稿されたものだそうで、それ意外のも数編あるそうです。
だとすれば、何の不思議もなく、あの江戸風俗研究家としての文章に触れられるかもと思い、読み始めました。おそらく、この本の題名も、そこをねらったような気がします。
たとえば、『日本糞虫記』塚本珪一著、青土社の本の書評は、「フン虫や菌類は、排泄物や死体を分解して植物を育む豊かな土壌を造る。彼らは、死から生への連環のつなぎ目を担う、自然界というネックレスの留め金部分である。そして、ペンダントヘッドとして、中央に重くぶら下がるのが、我々人間だ。「ピラミッドの頂点に立ったものは何をしてもよいように思ってしまうのが常である。たまたま頂点に立った人間がいつのまにか地球は自分たちのものであると思ってしまったのである」。著者は人間の倣慢を憂い、虫たちへ鎮魂歌を捧げるのだが、本書の魅力は、それがしかつめらしい警告とならず、長文のラブレターとなっているところだ。」とあり、なんとなく、江戸文化の香りが漂ってくるような文章でした。
どこが、といわれると困りますが、「しかつめらしい警告とならず」という辺りも、川柳に通じるような機微を感じました。
また、外国の本に対しても、『今日は死ぬのにもってこいの日』ナンシー・ウッド著、金関寿夫訳、めるくまーる、という本も、よかった。その原著を少し引用すると、
「もしもおまえが
枯れ葉ってなんの役に立つの?ときいたなら、わたしは答えるだろう
枯れ葉は病んだ土を肥やすんだと。
おまえはきく、冬はなぜ必要なの?
するとわたしは答えるだろう
新しい葉を生み出すためさと。(中略)」
という、散文とも詩ともいえるような言葉に、なるほどと思いました。
そこで、本屋さんに行くのももどかしく、さっそくネットでその本を注文したぐらいです。
まだ、その本は手元に届いていませんが、おそらく明日か明後日には届くと思うので、すぐにでも読んでみたいと思っています。書評の本の楽しみは、このように自分が知らなかった本との出会いをつくってくれることのようです。
下に抜き書きしたのは、『イワシの自然誌』平本喜久雄著、中公新書、の書評の一部です。イワシというのは漢字で書くと「鰯」ですが、1匹や2匹では弱いかもしれませんが、たしかに、ここに書かれているように種としては強いのです。その群れとしての強さが、このような表現をすると、実感としてわかります。
(2017.10.21)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
江戸の旅人 書国漫遊 | 杉浦日向子 | 河出書房新社 | 2017年4月30日 | 9784309278346 |
☆ Extract passages ☆
1尾のイワシは4万個の卵を産む。イワシは卵から成魚まで、すべての段階で捕食される。生後50日(約15ミリ)までに、およそ99パーセントが消耗する。3ケ月(40ミリ)のマシラスの生存率は、0.00数パーセント。15センチほどの1歳魚は、4万個のうちから生き残った、たったの数尾となる。大量に産んで、大量に捕食されつつ、かれらは1億年以上をすごしてきた。
(杉浦日向子 著 『江戸の旅人 書国漫遊』より)
No.1437 『海外旅行 そんなことしちゃダメダメ!』
たまたま海外旅行に持って行った本でしたが、読み残しがあり、そのことを思い出したので、続きを読みました。
2001年の出版なので、ハウツー本としては賞味期限切れと思ったのですが、変わらない旅の注意事項みたいなものもあるのではないかと思いながら、読んだのでした。そして、たしかに時代は変わっても、注意すべきことは変わらないと改めて思いました。
たとえば、「一つの皿を何人かで食べるのに慣れている日本人は、一人に一皿ずつ出てくる欧米の食事スタイルでも、他人の食べているものがおいしそうだと、交換してちょっと食べてみるということがよくある。だが、個人主義の発達した欧米人にはこういったことは敬遠される。周りの人に見苦しい印象を与えるから、やってはいけないことなのだ。」と書かれていますが、これは本当です。
というのは、初めてイギリスに行ったときに、ある方の家に招待され、食事に誘われたときのことです。そこでは、絶対に食べものをシェアしないでくださいといわれました。もし、食べられないときには、残してもいいですよとも言われたのです。
その点、中国料理はもともと皿盛りですから、好きな料理を好きなだけ食べられますから、気が楽です。しかも、ほとんどの国に中華料理屋さんはありますから、それを利用するのもいいかもしれません。今年の9月にもイギリスに行きましたが、イギリスで泊まったのがアールズコート駅の近くで、ホテルまでの道筋に「Dragon Place Chinese Restaurant(龍祥小菜館)」があり、そこで食べました。というのは、前回も泊まったホテルは違うのですが、ここは2度食事をした記憶があります。
また、海外では、交通ルールも違うこともあり、これも要注意です。この本には、「海外で歩くときは車にくれぐれも注意しよう。日本では車よりも歩行者優先で、歩いている人がいれば車は遠慮して止まったりスピードを緩めてくれる。だが、海外の場合は別。「どうせ車が止まってくれるだろう」という考えは通用せず、どちらかといえば「歩行者よりも車優先」の社会。日本の交通ルールは海外では通用しないことが多い。また、多くの国では車が右側通行なので、日本とは逆。これを勘違いして事故にあうケースも少なくないので、注意が必要だ。」と書いています。
これも経験がありますが、ニュージーランドでレンタカーを運転していたとき、ニュージーランドに数年過ごしていた方が隣りに乗り、列車の踏切のところで、ここでは一時停止をしてはいけない、ここで停まると後ろから追突されますよ、と教えてくれました。たしかに、日本では、踏切の一時停止はルールですが、ここでは停まらないのがルールだそうです。
下に抜き書きしたのは、撮影禁止についての話しです。私は、以前から気をつけているのですが、案外、無頓着な方もおられるようです。
よく、外国で日本人がスパイ容疑で捕まったというニュースを見ますが、撮影禁止のところで撮ってしまったとか、カメラを持っていたというだけの理由で職務質問を受け、外国語がわからず、そのまま捕まってしまう場合もあるそうです。
日本国内ならいざ知らず、一部の海外では命取りになることもあります。場所によっては、ビルのすき間に引き込まれないように、あるいは車に連れ込まれないようにと、歩道の中央を歩きなさいというところもあります。そういう意味では、海外旅行をすると、いかに日本が安全で過ごしやすいのかを再確認できます。
(2017.10.18)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
海外旅行 そんなことしちゃダメダメ!(KAWADE夢文庫) | 平成暮らしの研究会 編 | 河出書房新社 | 2001年3月1日 | 9784309493777 |
☆ Extract passages ☆
観光旅行で訪れた地で、ビデオやカメラでの記念撮影は当然のことだが、建物によっては館内撮影禁止のところもあるので注意が必要だ。
それ以上に、国によっては空港や飛行機、港や船が撮影禁止になっている国があるので気をつけなければいけない。
多くは何かしらの紛争を抱えている国で、軍の施設や警察施設が撮影禁止なのはわかるとして、ただの風景を写しているつもりでも、どこかにそれが入ってしまう可能性もあるから要注意。
アフリカ諸国では、基本的に空港、航空機、艦船、警察署は撮影禁止。その近くでは、カメラを所有しているところを見られただけでも、あらぬ疑いをかけられるから、首からぶら下げたりなど絶対にしてはいけない。
罰金、カメラ没収くらいですめば幸いというほど、厳重な警戒の国だってあるのだ。かならずバッグにしまっておくこと。
(平成暮らしの研究会 編 『海外旅行 そんなことしちゃダメダメ!』より)
No.1436 『見落とされた癌』
著者は1995年に、日本人で初めてミドル級世界王座に挑戦し、獲得した元プロボクサーですが、あまりボクシングに興味がなく、知りませんでした。この本を読んで、初めて知ったのです。
しかもプロとしての総試合数が25戦で、勝ちが24回、負けがたったの1回で、KO勝ちが18回という、すばらしい成績を残しているそうです。
でも、強いはずのプロボクサーでも、いざ癌になるとそうとは限らないと知って、ちょっとは安心しました。むしろ、それほど、癌という病気は怖いと改めて思いました。
読んでいるうちに、チャンピオンだから精神的にも強いということはないそうで、そういえば、悟りきったような顔をしていた禅師さんが、癌にかかって泣き叫んだということを聞いたことがありますが、やはりみんな同じだと知り、むしろホッとしたことを思い出したりしました。
この本は、著者が中心に書いていますが、意外とおもしろかったのは「妻の視点」です。これが4篇あり、その中でも「妻の視点A 治療」で、そこには「抗癌剤は打てば打つほど、だんだん体調が悪くなっていくように見えました。たとえば手術の場合、その直後はすごく大変ですが、そこから日に日に回復していく姿を見られます。しかし、抗癌剤治療は日に日に弱っていく姿を見ているような感覚でした。手術後の様子が"子供の成長″とすれば、抗癌剤は"老人の老い″と同じようなイメージです。なので、抗癌剤治療を見ているほうが辛いです。日に日に、昨日できたことができなくなっていき、「次はどうなっていっちゃうんだろう……」、「どこまで苦しんでいくんだろう」と、そばで見ていて不安になってしまうんです。抗癌剤を打つと、食べられないものが出てきたり、発疹が出てきたり、いろんな症状が出てくるので、とにかく不安でした。」と書いてあり、これは患者自身より、脇で看病しているからこそ見えてくると思いました。
たしかに、不安というのは、先が見えないからこそ生まれるもので、たとえ大きな手術でさえ、数日も経つと日に日に良くなるのがわかってきて、明るい希望が湧いてきます。もう、そうなればしめたものです。
そういえば、昨年の10月9日の甲子日にここで結婚したイスラエルのお医者さんの卵が、1年経った今年の10月6日に訪ねてきて、今、泌尿器科医になっているということでした。私は、とっさに、口から入ったものは必ず出さないと困るから大事な診療科だと言いました。後から考えても、やはりそうだと思います。
ある病院のホームページには、「泌尿器科は腎臓と尿管、膀胱、尿道などの尿路と、前立腺、精巣、陰茎などの生殖器の疾患が対象です」と書いてありましたが、ほんとうにいろいろな疾患が対象だとわかります。
この本のなかで、ノートに書くというのがありますが、これはいいことだと思います。人間の記憶は、意外と当てにはならず、間違えると間違ったままの記憶として残ります。でも、ノートに書き記すことにより、なんどか見直すきっかけにもなり、間違えを訂正することもできます。それ以上に、主治医に説明するときの最高の資料です。医師は患者の何気ないところから、病変に気づくこともあるそうですから、自分では当たり前のことと思っても、やはり書いておくと後々のためになります。
下に抜き書きしたのは、人間の身体の再生機能についてです。たしかに、これは奇跡に近いようなことまで起こります。
だから、著者が「あとがき」の最後で書いている、「一番大事なことは、前向きに生きること。笑顔で楽しく、前向きに生きていくこと。」、これが一番大事だといいます。やはり、最後は、誰にもどうなるかはわからないのですから、前向きに楽しく生きていくことが最も大切ではないかと思いました。
(2017.10.16)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
見落とされた癌 | 竹原慎二 | 二葉社 | 2017年6月25日 | 9784575312614 |
☆ Extract passages ☆
……人間の身体の再生機能は素晴らしいと思う。小腸が膀胱の代わりをしてくれるなんて。人間の身体は不思議だ。医学で説明できないことだってザラに起こる。
声帯を摘出したのに独自の発声を習得し、普通にしゃべれるようになった女の子をテレビで見た。医者も驚いていた。
知り合いは脳梗塞で左半身が麻痺したが、鏡を真ん中に置いて動くほうの手足を動かして左も動いているんだと脳に錯覚をさせるトレーニングを諦めずに続けた結果、本当に左も動かせるようになった。人間は身体の一部分を失っても周りの臓器が機能を補ったりする。
奇跡は、どこまでも自分のカを信じて努力した者にしか起こらない。
(竹原慎二 著 『見落とされた癌』より)
No.1435 『日本人の信仰』
日本人は、ビザを取得するときに「無信仰」と書いてしまい、変な目で見られることもあるとよく聞きます。たしかに、外国では、信仰を持たないと人間として認めてもらえないような風潮もあると聞きましたが、この本によると、外国でも信仰を持たない人が増えているそうです。
ただ、日本人のいう無信仰とは違うようで、そのことについて、この本では丁寧に書いています。
では、日本人の無信仰といのうは、下の抜き書きのところを見ていただくとわかりますが、いままでのいろいろないきさつがあるようです。だから、日本人の考える宗教と、キリスト教やイスラム教の考える一神教でも違います。たとえば、イスラム教の場合は、この本によると、「イスラム教には教団にあたる組織がない。スンニ派やシーア派は学派であり、それが一つの教団を形作っているわけではない。これは、イスラム教のもっとも重要な特徴で、また、外部の人間が理解していない特徴である。仏教でもキリスト教でも、教団や宗派が存在し、信者はそれぞれの組織に所属する形になっている。組織があるからこそ、信者に対しては規制がかかり、戒律なども課されるわけだが、イスラム教では組織がない以上、それがないのだ。果たしてイスラム教は宗教なのか。そうした疑問さえ生まれてくる。」といいます。
そういわれれば、そうです。何年か前にイスラム教の結婚式に出席したことがありますが、コーランのようなものを唱えている人は普通の人で、聞くと、唱え方がうまいからということでした。つまり、僧侶とか牧師とかにあたる人はいないそうです。
それでも、それを聞いていると、なんとなく意味すらわからないにも関わらず、有り難いような気になってきます。そういえば、今年の9月2日にイギリスのピーターバラ大聖堂に行ったら、土曜日ということで聖歌隊が練習をしていました。この本でも「キリスト教の教会、とくに天井の高い教会で聖歌隊が賛美歌を歌えば、そこには、神が、あるいは聖霊が降臨しているかのような雰囲気が漂う。あるいは、イスラム教におけるコーランの朗唱、アザーンも、同様の感覚を与えてくれる。」と書いてますが、まさにその通りでした。
しかも、パイプオルガンの響きが反響し、なんともいえない気持ちになりました。最初は、写真を撮っていたのですが、いつの間にかイスに座り、ジーッと聞き入ってしまいました。やはり、信仰というのは、その場の雰囲気もあります。たとえば、今年の3月に伊勢神宮に参拝したのですが、人が歩くときの玉砂利の音しか聞こえません。それでも、ここは神聖なる神域だと感じられました。
本宮では、しっかりとお参りしたのですが、この本によると、「現在の神社では正式な参拝の作法として勧められている「二礼二拍手一礼」というやり方が定まったのは、明治に入ってからのことだった。1875(明治8)年に出た『神社祭式』がもとになっている。それまでは、神社で拍手を打つようなことはなかった。合掌するのが基本のやり方で、しかも、座り込んで祈ったのである。これが実際にどういうものかは、黒沢明監督デビュー作である『姿三四郎』を見ればいい。三四郎と闘うことになった村井半助の娘は、神社の前にひざまずき、父の無事を祈っている。」といいます。
下に抜き書きしたのは、日本人がどのような宗教を信じていますかと問われたときに、「無宗教」と答えてしまうことがあります。そのときの「無宗教」についての話しですが、おそらく、これだけではなく、明治のときの神仏分離とか、日本人の「無」に対する思いとか、いろいろありそうです。
でも、下の抜き書きした部分も、その大きな理由ではないかと思い、書き出しました。
(2017.10.13)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
日本人の信仰(扶桑社新書) | 島田裕巳 | 扶桑社 | 2017年7月1日 | 9784594077426 |
☆ Extract passages ☆
日本人は宗教ということばを聞いたとき、新宗教のことを頭に浮かべ、逆に、既成宗教、一般の神道や仏教については、宗教としてはとらえない傾向がある。伊勢神宮に参拝に行
っても、そこを宗教としてはとらえない。仏教式の葬儀をあげる場合にも同じで、それは宗教ではないととらえるのである。
無宗教には、「無新宗教」の意味があると考えてもいい。新宗教の強引な布教や政治の世界への進出、そして続発するスキャンダルが、宗教そのもののイメージを定めることにもつながり、それで無宗教を標榜する人間が増えたのである。
(島田裕巳 著 『日本人の信仰』より)
No.1434 『道草の名前』
真四角の本で、表紙に野草のイラストが描かれ、ちょっと目立っていました。しかも、その3種の野草は、とても身近なもので、オオイヌノフグリとシロツメグサとイヌタデでした。
この本のなかに取りあげられている「道草」は、ほんとうにどこにでも生えているような植物たちですが、その隠れた性質にビックリします。たとえば、つい最近まで咲いていた露草ですが、この雄しべには3種類あるそうです。「本当にいるのは1種類で、あとの2つはなんとオトリだ。花の奥にある鮮やかな黄色のX字型の雄しべはハチやアブをおびき寄せるが、これはオトリで実は花粉はほとんどない。もう一つの花の中央にあるY字型の雄しべは昆虫に花粉を食べさせる用のこれまたオトリ。これらで手間取っている間に、長く伸びた地味な色の2本の本命雄しべで、虫の体に花粉をたっぷりつける。虫を騙す巧みな仕掛けを持つ、したたかな植物だ。」といいます。
そこで、まだ少し咲いていた露草を見てみると、たしかにその通りの雄しべがありました。やはり、実際に自分の目で確かめてみるとよくわかります。
しかも、遠くから全体として見ているだけだとわかりませんが、近づいて、まさに虫眼鏡などを持って見てみると、その巧妙なからくりが見えてきます。
また、「ワルナスビ」の生命力にもビックリしました。名前からして、いかにも悪そうですが、花言葉は「いちずら」だそうで、それにしてもやっかいなイタズラものです。英語では、「ソドムのリンゴ(Apple of Sodom)」とか「悪魔のトマト(Devil's tomato)」とかいわれるほど、嫌われているそうですが、その説明を読むとそれがわかります。
そこには、「明治頃に、牧草に混ざって日本に広まった雑草。牧草などに混ざると家畜が中毒を起こしてしまうので厄介だ。さらに食物にも悪い影響を与え、連作障害なども起こす原因に。このワルナスビ、繁殖力、生命力ともに強く、根絶やしにするのが本当に難しい。地面の下に地下茎を這わせて増え、草刈りをしてもすぐに芽を出す。また耕せば、バラバラにちぎれた根の断片がそこから再生し、さらに増えてしまう。軍手をしていても痛いほど、茎にはピッシリとトゲが生え、手作業で抜くのも大変で、かと言って地下茎で増えるので除草剤もあまり効かない。しかも種子の寿命はなんと百年以上!」とありました。
なるほど、この生命力の強さは半端じゃありません。悪ガキという範囲を超えているとさえ思えます。
下に抜き書きしたのは、「カラスノエンドウ」ですが、どうしても「カラスのエンドウ」と勘違いされやすいようです。
でも、この説明を読むと、なるほどと思います。さらに「花外蜜腺」のことを聞くと、その戦略のすごさにビックリするはずです。さらに、「カスマグサ」の名の由来をみて、笑ってしまうかもしれません。
ぜひ、子どもといっしょに読んでみてほしい1冊です。
(2017.10.10)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
道草の名前 | 稲垣栄洋 監修・加古川利彦 絵 | マイルスタッフ | 2017年5月1日 | 9784295400691 |
☆ Extract passages ☆
人間が食べるエンドウ豆によく形が似ていて、でも小さくて人間があまり食べないから、カラスでも食べるエンドウ、名付けてカラスのエンドウ…ではない。実は「野エンドウ」がベースで、熟したサヤが真っ黒になることから、カラスが付いた。似た仲間に「スズメノエンドウ」というのもあるが、それはカラスノエンドウよりも小さいのでスズメと名付けられ、さらにこの2種類の中間のサイズのものは、カラスとスズメの間、ということで「カスマグサ」(力とスの問の草)。なんだか適当な名前だが、それも雑草の面白さかもしれない。
カラスノエンドウのスゴイところは「花外蜜腺」というものを持ち、本来、花の奥にある蜜を、花と茎の付け根の部分から出す。そうやってアリを呼び寄せ、アリたちに蜜の報酬を与えることで、用心棒の役割をさせている。例えば毛虫やアブラムシなど葉や茎を薔る害虫がよじ上って来ても、アリが大事な蜜を守るため、そこにいて追い払ってくれる。
(稲垣栄洋 監修・加古川利彦 絵 『道草の名前』より)
No.1433 『爺は旅で若返る』
著者の方はわからなかったのですが、題名の『爺は旅で若返る』というのが気に入り、読んでみました。「爺」は「じじい」と読ませるのだそうです。
たしかに、吉川潮氏は1948年生まれ、島敏光氏は1949年生まれですから、私とほとんど同年代です。つまり、旅に対する考え方も似ているかと思いながら読みました。
でも、似ているところもあれば、これは違うというところもあり、やはり、旅は十人十色のようです。だからこそ、おもしろいと思いますが、吉川氏はどちらかといえば一人旅ですが、選び方は「大人の休日倶楽部」やツアー専門の旅行業者からの案内からのようです。でも、その方が間違いはなさそうですが、旅を組み立てる楽しみは半減しそうです。
私の旅は、植物関係のときには大学の先生たちが企画して、フィールドワークをしたり、標本館や資料館などで調べたりしますが、ほとんど予約などをしてくれます。また、一人旅の場合は、すべてを自分で決めて行くことにしています。ときには、まったく予約をしないで、行き当たりばったりの旅を楽しむこともあります。このときには、行き先だけを決めますが、それ以外はまったくのフリーです。
また、島氏は海外のツアーが多いようで、それも旅行の専門家が選んでくれるから間違いはなさそうですが、それにも一長一短はあります。間違いがないほうがいいのですが、ハプニングが旅の印象に強く残ったりするので、それも善し悪しです。ただ、命にかかわるとか、みんなに迷惑がかかるようなハプニングは困りますが、少し刺激的なほうがおもしろかったりもします。
だから、いくら爺の旅でも、それらがあったほうがピリリとした旅になります。もともと旅は、日常的なことから非日常的なことへ切り替えることですから、いつもはあり得ないことがあるのは当然です。だから、吉田氏が「よく中年の女性が旅行から帰って来て茶の間に入り、お茶を飲みながら「やっぱりうちが一番ね」と言うでしょう。それは旅という非日常から日常に戻った安堵感が言わせるので、「だったら旅行なんかに行くな」ととがめてはいけません。旅が好きな私だって非日常は1週間が限度です。アメリカ旅行の時、1週間家を空けて帰宅した瞬間ほっとした覚えがあります。皆さんもたまにはつかの間の非日常を楽しみませんか。」というのは、わかるような気がします。
そういえば、私はインドに何回か行きましたが、島氏がいう「一概に「インド人は〜」などと一括りにすることはできませんが、それにしてもインド人は、日本人と比べるとやっぱり全体的に「濃い」です。姿形も性格も濃く、その上、しつこい、ねちっこい、はしっこいという三つ「こい」が加わります。しかも料理は油っこい。人間関係で心が疲れ、カレー料理で胃が疲れ、身も心もクタクタになります。そこに持ってきて暑い。インドの季節はホット・ホッター・ホッテストの三つ。というジョークがありますが、その刺激がまた病みつきになるのです。」ということも、よくわかります。でも、一対一でつき合ってみると、ほんとうに人間味があります。チップひとつにもそれが現れたりすると、チップの存在が疎ましく思わなくなります。やはり、旅は、何度もなんども行ってみなければわからないと思います。
下に抜き書きしたのは、最後の「対談」で、吉川氏が述べていることですが、これは私もやっていることです。自分で荷物が持てなくなったり、さらには自分で自分のことができなければ、旅はできません。そのためにも、これだけは日頃から鍛えておくべきだと思います。
(2017.10.7)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
爺は旅で若返る | 吉川 潮・島 敏光 | 牧野出版 | 2017年7月28日 | 9784895002158 |
☆ Extract passages ☆
まず基本は歩けることだね。脚を悪くしたり膝を悪くしたり腰を悪くしたりする、ということで歩けなくなっちゃう。これが一番怖いから気をつけること。普段から、鍛えておかないとダメだね。タクシーやバスを使わず移動は電車で、あとは歩く。そういうふうに俺は心がけているよ。旅先で歩けなくなったらおしまいだから。もう一つ、高齢者で怖いのは骨折。足腰鍛えてないと転ぶし、転ぶと骨折の危険がある。これが悪循環になっちゃうからね。読者のみなさん、肝に銘じておいてください。ちなみに、俺は歩数計を使っているんだけれど、都内にいるときには大体5千歩から7千歩。旅先に行くと必ず1万歩は超えている。旅先だとほんとに歩くんだよな。これも若返りの秘訣かもしれないね。旅先だと、見たいものがありそれが目的となって歩くということなんだな。精神的にもいいよね。
(吉川 潮・島 敏光 著 『爺は旅で若返る』より)
No.1432 『50代から本気で遊べば人生は愉しくなる』
著者の片岡鶴太郎さんは、なかなか正体がつかめない雰囲気があり、いろいろなことにチャレンジしているようです。
モノマネ芸人だと思っていたら、いつの間にかプロボクサーになっていたり、俳優さんかなと思っていたら、書画も書くし、やっぱりいろいろな顔を持っていることは間違いなさそうです。
最近は、テレビに出ないなあ、と思っていたときに、この本を見つけ、読んでみました。すると、そのいろいろな顔のなりたちを書いていて、なるほどと思いました。そして、受験勉強でさえも、「分からないことがあったら、分かるところまでレベルを下げていく。そして、分かったら次に進む。分からなかったら、やり直す。分からないところをそのままにして次に進むと、その先には大きな落とし穴が待っています。自分が納得したら次のステップに進み、納得しなかったらもう1度やる。それが私の中のひとつの核になっています。」というから、驚きです。
一般的な人なら、なかなかそこまで戻ってやり直すというのは、できないかもしれません。そして、自尊心もありますから、そこまでわからないとは、思いたくもないでしょう。でも、ほんとうにわかるところまで戻らないと、理解はできないと思います。
だからこそ、「おわりに」の最後に、自分の好きな言葉を記していますが、「汝の立つところ深く掘れ、そこに必ず泉ある」というのが、あるのではないかと思いました。
たしかに、この本を読むと、諦めずにそこに向かって必死に進むその姿が見えてきます。幸いにも、そこに泉があったからこそ、このような言葉を最後に書き残すことができたような気がします。
下に抜き書きしたのは、この本の「はじめに」のところと、役者の話しのところで出てきますが、「守破離」という師弟関係の言葉だそうです。
これなども、ときどきテレビ等で見かける姿を思い浮かべると、すごく理解できます。そして、生き方の参考にもなると思います。
(2017.10.4)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
50代から本気で遊べば人生は愉しくなる(SB新書) | 片岡鶴太郎 | SBクリエイティブ(株) | 2017年4月15日 | 9784797388411 |
☆ Extract passages ☆
ものごとをはじめる、そして上達していくには、真似てみることが大切だと言われます。芸ごとの世界でも、型を真似ることからはじめるのが上達の第一歩となります。
それは「守破離」という師弟関係の基本を説く言葉にもあります。
まずは師匠の型をとことん真似ます(守)。
真似るのが上達したら「自分としてはこうしたい」と工夫しながら磨きをかけ、師匠の型を破る段階に発展します(破)。
さらにはその型から離れ、自分の独自性を発揮する境地に達するのです(離)。
(片岡鶴太郎 著 『50代から本気で遊べば人生は愉しくなる』より)
No.1431 『暮らしの文房具』
著者は土橋正さんですが、苗字を「どばし」と読むのか「つちはし」と読むのかと考えて、それなら著者紹介を見ればでているかもと思ったのが、この本を手にするきっかけです。
それによると、「つちはし」と読むことがわかりましたが、職業はステーショナリー・ディレクターと書かれていました。そして、そこには文具の商品企画やPRのコンサルティングなどをするとあり、文具ウェーブマガジン「pen-info」では、文具コラムなど、海外の文具展示会レポートなどさまざまな情報を発信しているそうです。
もともと、私も文房具が大好きですから、楽しく読ませていただきました。一番使う筆記具が万年筆だというのも、私もそうですから、すごく理解できます。やはり、万年筆は筆圧をほとんどかけずにスラスラと書けることもいいですが、長く使い込む楽しみもあります。ペン先が、書けば書くほど自分のくせになじんでくれるし、書きやすくもなります。でも、万年筆なのに、10年ほど使うと使えなくなるのはちょっと困ります。昔なら、直して使うということもありましたが、今では、万年筆を直してくれるところも近くにはありません。一度、上野にあると聞いて行ったことがありましたが、シェーファーの古いタイプで、部品がないといわれたこともあります。
今のお気に入りは、パイロットの「JUSTUS 95」で、その日の気分でペン先の柔らかさを変えられるのがいいです。それと、たまには、ペリカンの茶縞の「スーベレーン M800」を使うときもあります。
やはり、万年筆には選ぶ楽しみみたいなものもあり、気分によって30本程度並べてみることもあります。
下に抜き書きしましたが、文房具には使い捨てもありますが、永く使えるものもあり、まさに「ジワジワ」と喜びがわき起こってきます。それも、文房具の楽しみのひとつです。
また、この本には、「旅には、日常という繰り返しの日々から強制的に引き離してくれる力がある。特に海外だったりするとあらゆる点が日常と違う。空気も違うし、土の色も違う、歩いている人の服装も違えば、歩くスピードも違う。そうした印象も2〜3日も見続けていると次第に新鮮さが薄らいでいってしまう。だから、私は旅に行く時は必ず手帳を携えて、肌で感じた深?な印象を書き残すようにしている。それは、写真ではなかなか残せない。」と書かれていましたが、私も野帳を必ず持っていきます。その中に旅の予定だけでなく、さまざまな情報などもあらかじめ書き入れてあるので、いつでも使えます。特に海外の場合などは、その旅だけに使う1冊の野帳ですから、いろいろなことが書き込まれていて、20年ほど経って見てみても、そのときの印象などが生き生きと甦ってくるような気がします。
ただ、写真でも、ある程度は残せると思っていて、文章にしてしまうとなかなか伝えきれないことなどを写真で残しています。今どきのカメラは、月日や時間だけではなく、場所やカメラを向けた方向なども記録してくれます。さらに、使ったカメラの機種やレンズまで後からわかります。昔は、露出やシャッタースピードなど、1枚1枚記録していたのがウソのようです。
ちょっと話しはずれてしまいましたが、この本は文房具好きにはいいと思います。
(2017.10.2)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
暮らしの文房具 | 土橋 正 | 玄光社 | 2017年9月1日 | 9784768308875 |
☆ Extract passages ☆
文房具は永く使えるものが多い。鉛筆は1本を使い切るのにタップリと時間がかかるし、万年筆は今私の手元にあるもので20年以上使い続けているものもある。ひとつの文具を永い時間をかけてじっくりとつきあっていくというのはいいものである。新しい文房具を買った時は、「ワクワク」という喜びがある。ひとつのものをじっくりと永く使い続けている時には「ジワジワ」とした、また違った喜びがわき起こってくる。
(土橋 正 著 『暮らしの文房具』より)
No.1430 『わたしの好きな 子どものうた』
子どもたちがお花畑で並んでいるような絵に惹かれて、読んでみました。
絵本のような、随筆のような、絵は子どものうたにふさわしく、子ども中心ですが、文章は身辺雑話のようです。
それでも、子どものうたにふさわしい内容で、サラッと読めるのですが、もう1度読んでみると、なかなか味わい深く感じました。
たとえば、「どしょっこ ふなっこ」ですが、これの文章は、下に抜き書きしたものですが、このような文章は子供心がわからなければ、なかなか書けないのではないかと思いました。
でも、それよりなにより、やはり画家ですから絵はメルヘンチックで、とても優しい雰囲気です。これを切り抜いて、どこかに飾っておきたいような絵です。たとえば、木製の雅味のある額に入れ、さりげなく壁面にでも掛けておけばいいと思います。
あるいは、4枚ほどまとめて額に入れ、春夏秋冬の季節を全部まとめて飾るのも楽しいと思います。たとえば、「春がきた」と「ほたるこい」、そして「案山子」、「雪」です。この4枚を横に並べて1枚の額に入れれば、いつでも飾っておけそうです。
もし、ここから1枚をといわれれば、77ページにあった「夕焼け小焼け」の絵です。田んぼの近くで遊ぶ子どもたちがいて、小高い丘の上にはお寺があり、そのわきに鐘撞き堂があり、今にもその鐘の音が聞こえてきそうです。すると、いっせいに子どもたちは家路を急ぎます。空は夕焼けで、カラスが3羽飛んでいます。
そして、もう1枚おまけといわれれば、7ページの「春がきた」といううたの絵です。
これは山里のサクラを描いていて、遠くの山にはまだ雪が残っています。それでも山里はサクラが咲き、春爛漫です。その雰囲気がすごく伝わってきます。
この1枚を見ているだけで、なんとも心が和やかになりそうです。著者の絵には、そのような雰囲気が漂っています。
(2017.9.30)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
わたしの好きな 子どものうた | 安野光雅 | 講談社 | 2017年4月19日 | 9784062205436 |
☆ Extract passages ☆
童謡というにはあまりに面白くて、こんな歌があっていいものかと思うほどだった。川に住む、どじょうやふなにとって、水面が凍るとたしかに、誰かが天井をはったのか、と思うかもしれない。
そう言えば、わたしの育った家に小さな池があった。その頃は寒くて、氷がはって、雪がその上に積もって、あ、これではあの金魚たちも凍死するな、と思っていたが、驚くなかれ、春がきて氷が一人前に溶けると、死んだと思った金魚などがゆうゆうと泳いでいるのだった。
(安野光雅 著 『わたしの好きな 子どものうた』より)
No.1429 『サルの子育て ヒトの子育て』
以前は、野生のサルが里に下りてくるのは初冬のころで、山に食べものがなくなり、里の柿の木が赤く熟したころでした。
ところが最近では、いつも山里のどこかにいて、農作物を荒らすことから、嫌われる存在になってきています。私のところの畑も、以前はトウモロコシやジャガイモ、ナス、キュウリなどを作っていましたが、収穫間近になると、先にサルに食べられてしまうので、作らなくなりました。付近の畑は、みなそうです。すると、さらにヒトの多いところまで出没し、さらにやっかいな動物になりました。
でも、母ザルが子ザルを抱えたり、背に背負ったりしている姿を見ると、やはりかわいいものです。
だから、この本の題名を見つけたとき、すぐに読んでみようと思いました。
それにしても、ヒトの子育てと似ているところがあると思いました。それは、下に抜き書きしましたが、たとえ野生といえども、四肢に障害を持つ子ザルでも、群れの猿たちに護られて、しっかりと育っていくというのは、感動でした。そして、今の時代を振り返り、子育てを放棄してしまう親もいることを考えると、ちょっと考え込んでしまいます。
もしかすると、似ているというよりも、少し劣りつつあるのではないかとさえ思います。
また、やはりと思ったのは、1950年代のアメリカで、心理学者のH・ハーローがアカゲザルを用いて実験したことです。今では、このようなことをすると、動物虐待だといわれてしまうかもしれませんが、「この実験は子ザルが何を求めているのかを、端的に教えてくれました。子ザルが求めたのは、空腹を満たしてくれる哺乳瓶付の代理母ではなく、肌触りの良い「布の母」でした。空腹を満たすことは生存に不可欠なことです。ところが子ザルは、生理的欲求である空腹を満たすということが叶わなくても、身体接触が心地よい「布の母」をずっとずっと強く求めたのです。子ザルが生きていくためには、しがみついて気持ち良いもの、すなわち温もりが必要だったのです。つまり、子ザルにとつての母ザルは、ミルクを与えてくれる存在ではなく、温もりを与えてくれる存在だったのです。本当の母ザルだったら、腕と胸を使って、子ザルを抱き入れているでしょう。代理母の「布の母」でさえ、子ザルがこれほど求める存在なのですから、胸に抱き入れてくれる本物の生きた母ザルは、子ザルにとっては何にも代えがたい存在なのです。」と書いています。
ある意味、産みの親より育ての親にも通じるのかもしれませんが、子どもに必要なものは家庭の温もりが一番だと思いました。
しかし、共働きが当たり前になり、子どもたちと過ごす時間が少なくなり、家庭料理も出来合いのものになってしまえば、やはりちょっと違うのではないかと思うのです。お金も大事ですが、お金で買えない大切なものもたくさんあります。この本を読みながら、そのようなことを考えさせられました。
そして、サルとヒトとの子育てで一番違うのは、「ほめる」ことだそうです。そこの部分をちょっと長いのですが抜き書きしますと、「子が食べるときだけでなく、いろいろなところで、「ほめる」、「ほめられる」関わりが母と子の間で行われています。もちろん、母だけでなく、父も、そして、子と関わる多くの人々も母と同じようにほめることをしています。子がハイハイした、立ち上がった、伝い歩きした、ひとりで歩いたなど、その子が歩く動作を獲得するまでだけでも、子の動きを目にした親や周囲のヒトたちはさまざまな「いいね」の合図を送って、はめているのです。言葉の獲得でも同じことです。もちろん、触ってはいけないものを触ったり、危ないことをしたりすれば、「ダメ」の合図を送ります。ざらに、ヒト以外の動物でははとんどできない「教える」ということを、ヒトはします。子に教えながら、子が頑張って努力したり、少しでもできたりすると、「できたね」、「すごい」などの言葉ではめているのです。しかも、教える側からのはめる言葉がなくても、ちょっとした表情や動作が無意識のうちに出て、ほめていることが子に伝わるのです。ヒトは教えることが多いからこそ、ほめることも多くなるのです。だから、ヒトは誰でも「はめる」子育てをしているのです。」とありました。
(2017.9.28)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
サルの子育て ヒトの子育て(角川新書) | 中道正之 | KADOKAWA | 2017年8月10日 | 9784040821313 |
☆ Extract passages ☆
ニホンザルは優劣順位が明瞭であるために、子ザルは母ザルや母ザルの姉妹であるおば、さらには祖母などにはくっつくことはあっても、母ザルが親しくしていないオトナのサルたちにくっつくことはとても珍しいことです。でも、四肢に障がいを持つ子ザルたちは、母ザルとは親しくないメスや順位の高いオスともくつついて過ごすことがあります。つまり、許してもらっているのです。このような寛容な社会だからこそ、ハンディキャップを持った子ザルたちも生存できるのだと思います。私は先天性四肢障がいの子ザルを通して、母ザルは子ザルの障がいに応じた柔軟な子育てができるという事実だけでなく、母ザル以外のサルたちも豊かな寛容性を示すという事実を知ることができました
(中道正之 著 『サルの子育て ヒトの子育て』より)
No.1428 『檸檬』
「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧おさえつけていた。焦躁と言おうか、嫌悪と言おうか……」という書き出しで始まる梶井基次郎の『檸檬』を読んだのは、忘れて仕舞うほど昔の話しですが、それが変形版で、げみのイラスト入りなのを見て、また、読んでみたくなりました。
表紙絵は、この後に「酒を飲んだあとに宿酔ふつかよいがあるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。」というのからヒントを得たのか、飲んでいるような姿でした。でも、その場がどこなのか、おそらく京都なのでしょうが、ちょっと不明です。
そういえば、京都ではない、そこから何百里も離れている先代とか長崎とかへ行っている錯覚を起こそうと努めていると書いています。それは、「私は、出来ることなら京都から逃出して誰一人知らないような市へ行ってしまいたかった。第一に安静。がらんとした旅館の一室。清浄な蒲団。匂いのいい蚊帳と糊のよくきいた浴衣。そこで一月程何も思わず横になりたい。希わくはここがいつの間にかその市になっているのだったら。――錯覚がようやく成功しはじめると私はそれからそれへ想像の絵具を塗りつけてゆく。何のことはない、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。」と書いています。
たしかに、遠くのどこかへ行ってみたいという気持ちは、私にもあります。でも、母港のような家庭があるからこそ、安心して行けますが、それがなければ、ちょっと不安かもしれません。
下に抜き書きしたのは、檸檬を寺町通りの果物屋で1個買ったのを持って、丸善に入っておこなった象徴的なことです。
不思議と、ここだけは鮮明に覚えていました。
そして、この本の特徴でもあるげみのイラストが、その象徴的なことを具体的に描いています。そのイラストが、とても気に入りました。
そして、それをそのままにして、何食わぬ顔をして丸善を出ていって、10分後にその黄金色に輝く恐ろしいバクダンが美術の棚を中心にして大爆発をすると妄想するのです。
私もそれを想像して、爆発するというよりは、たった1個の檸檬は本として出版された画集より、現実的な重みがあると解釈しました。やはり、コピーよりは、実物のほうがおもしろいと思いました。
(2017.9.25)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
檸檬 | 梶井基次郎+げみ | 立東舎 | 2017年7月19日 | 9784845630561 |
☆ Extract passages ☆
私は手当り次第に積みあげ、また慌しく潰し、また慌しく築きあげた。新しく引き抜いてつけ加えたり、取去ったりした。奇怪な幻想的な城が、その度に赤くなったり青くなったりした。
やっとそれは出来上がった。そして軽く跳りあがる心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上出来だった。
(梶井基次郎+げみ 著 『檸檬』より)
No.1427 『そして、ぼくは旅に出た。』
この本の表紙写真を見て、カナディアン・カヌーの先端だけがあり、その先に真っ青な湖らしきものが写っていました。裏を見ると、その同じような湖と鬱蒼と茂る岸辺だけが見えます。いつかは、こんなところを巡ってみたいと思わせるような風景でした。それで、つい読むことになってしまいました。
読んでみると、著者が、ほとんどカメラの知識もなく、ただ大自然の中で仕事をしたいと思い、夢のなかにオオカミが出てきたことをきっかけにして、写真集で惹かれたジム・ブランデンパーグという写真家に弟子入りしたいと思い、実行に移したことを書き記したものです。
著者も話していましたが、上手くいかなかったからこそ、順調にことが運ぶこともあり、日本を出る前にジムに手紙を出しておいたそうですが、結果的には届いたいなかったのです。でも、「〈もし……あの手紙が届いていたら、はたしてジムに会えただろうか?〉おそらく、無事に届いていたら、断りの手紙が戻ってきただけかもしれない。返事がこなかったからこそ、ぼくはここに来る決心をして、その結果ジムに会えた。だとしたら、すべてがうまくいくことだけが人生にとって大切なことではないのかもしれません。」と書いてあり、たしかにそうかもしれない、と私も思いました。
そういえば、著者は、「今夜眠る場所を自分で決めることができる。それだけで、こんなにも自由を感じるのはなぜなのでしょう。私有地として占有されることもなく、誰もが平等に利用できる……。そんな広大な自然が地球上にまだ存在していることが、とてもありがたく思えます。」と書いていますが、これだって、実行したからこそわかったことです。先ずはやってみる、それが大事なことだと思います。
私も写真を撮るのが好きなので、この本に書かれてあることがよくわかりますが、それにしても、ほとんど写真の技術もないのに、写真家を職業としたいと思うこと自体、やはり若さだと思います。
ある程度の人生経験を重ねれば、写真家とか画家とか、それ相当な知識と技術が伴う仕事は難しいし、さらに感性などといわれればどうしていいのかさえわからなくなります。
でも、若いと、いろいろと考えないからこそ、そこに飛べ込めます。もし、失敗しても、いくらでもやり直す時間があるわけですから。そして、それが人生の肥やしにさえなると思います。
そういう意味では、この本を読んで、とても刺激になりました。
下に抜き書きしたのは、時間は巻き戻しできないという、まったく当たり前のことですが、意外と普段は考えていないことと思います。それを写真を撮るということの実感から述べているところで、これも納得できました。
写真には、「もし」とか「たとえば」ということはなく、目の前の事実しか写せません。お昼に真夜中の写真は、絶対に撮れないのです。それが写真のおもしろさでもあります。
天気にしても、晴れの日は陰影の強いものしか撮れませんし、曇りのときには光も柔らかくなり、晴れた日には影になったところもよく見えて、きめ細やかに写すことができます。同じ風景でも、天気次第なのです。そこに写真の醍醐味があると思っています。
(2017.9.24)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
そして、ぼくは旅に出た。 | 大竹英洋 | あすなろ書房 | 2017年3月15日 | 9784751528686 |
☆ Extract passages ☆
時間は二度と巻き戻すことができない。それもまたあたりまえのことですが、真剣に写真を撮ってみて改めて強く実感しました。いまこうしているうちにも、光はどんどん変化しているのです。そう思うとぼくは焦るような気持ちになり、また次の被写体を探さなくてはと、あたりを見わたしました。
(大竹英洋 著 『そして、ぼくは旅に出た。』より)
No.1426 『ぼくの美術ノート』
この本を見たとき、表紙が青と赤の斜め格子できれいだと思ったのですが、裏は真っ白で、値段もISBNコードもなにもなく、あっさりを通り越して、シンプルすぎると思いました。
でも、中は必要なところはカラーで印刷されていて、やはり美術の本はカラーで紹介されなければ伝わらないものがあると実感しました。
しかも、内容は本の装丁だったり、お菓子の包み紙だったり、レコードのジャケットなどもありいろいろですが、やはりデザインが中心にあると思いました。そもそも、著者は多摩美術大学のグラフィックデザイン科の卒業だそうで、編集者だったり絵本作家だったりと多才です。この本は、初出が「芸術新潮」ですので、それらを加筆・修正し単行本にしたそうです。
だから、いろいろな内容が入り、どこで読むのをやめてもいいので、気楽に読めました。
なかでも一番取りあげられたのは小村雪岱(こむら せったい)で、彼は大正から昭和初期にかけて活躍した日本画家、そして版画家、挿絵画家、装幀家と多岐にわたっています。この本では、あまりとげあげられていない歌舞伎の舞台装置や、映画の舞台美術などにも焦点を当てています。
たとえば、雪岱自身は歌舞伎の舞台装置について、「所作事の舞台装置は簡単で、背景の山なり松なり雲なりを描けばいいので、極くたやすいことのやうに思はれるが、事実は反対で、普通の舞台装置以上に所作事の舞台となると頭を痛めるのである。演技者の扮装、色彩、持物から、演技中舞台を如何に右し左し、前後して踊るか、その形、身振りまでを充分知りつくした上で、背景の山なり松なり雲なりを、その演技に順応するやう配置、考案するので、ただ美しい山、美しい雲を描くだけではすまないのである。」と「『春琴抄』のセット―藝術における眞實について」で書いているそうです。
下に抜き書きしたのは、「サバービアの英雄」と題した箇所からのもので、写真は時代を証言するのではないかというところです。ビル・オーエンズの写真集『Suburbia』(1972年)に載っているのはリッチーという少年で、2007年に出版された『BILE OWENS PHOTOGRAPHS』という写真集には、30年後のリッチーが同じ場所で同じようなライダー姿で登場しています。
それらを比較して、このような言葉が引き出されているのです。
それと、写真でいいと思ったのは、最後に掲載されている林忠彦の「犬を負う子供たち」です。1946年に撮影されたそうですが、1人の子供がしっかりと犬を帯で背負っています。おそらく、犬が何かの理由で歩けないから背負っているのでしょうが、だとすれば食べるものも分け与えていると思います。
あの時代、自分たちもやっと食べているときに、犬を背負い、食べものを分けて暮らしていることに優しさを感じます。著者は、「林忠彦は、撮影時に、犬と食べ物を分かち合っていた少年たちを見て、「将来に希望をつないだ」と語っていたそうです。現代がどんなにひどくても、戦争の時代に比べたら良い時代だと、この写真は教えてくれているような気がします。」と書いていますが、たとえ戦争体験はなくても、その怖さははっきりとわかります。
しかも、最近のニュースを見ていても、絶対に戦争は起こらないとは言い切れないのが現実です。
(2017.9.20)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
ぼくの美術ノート | 原田 治 | 亜紀書房 | 2017年2月25日 | 9784750514932 |
☆ Extract passages ☆
何かを失ってしまえば、逆にノスタルジックな幻影がこの写真集から立ち現われてくるかもしれません。時代の証言でもある写真ほ、時代を経るにつれて、新たな視点を獲得して、新たな人を魅了することでしょう。
(原田 治 著 『ぼくの美術ノート』より)
No.1425 『日本十二支考』
そろそろ来年の干支のことを考えなければと思っていたら、この本と出会いました。今年の正月に発行されたもので、この手の本としては、比較的新しいものです。そこで、来年の戌やその次の亥のことなどを中心に読みました。主要参考文献も含めれば、433ページもあり、それを精読するには相当時間もかかります。もし、子年にでもなれば、そのときにもう一度読めばいいわけで、それらはあっさりと流し読みです。
さて、犬と人間との付き合いですが、「犬は人とともに縄文時代、列島に渡ってきた。ニホンオオカミが列島で犬になったのではなく、すでにユーラシア大陸で野生のオオカミから犬になっていた種が行動をともにしたのだ。後の時代になると、異なる民族が異なる犬を連れて渡ってきた。今日では縄文時代にも弥生時代にも、渡来は度々起きていたと考えられているが、縄文犬、弥生犬と大別して呼ばれる。先住の狩猟採集民は犬を大切に飼い、埋葬したが、新たに渡来した農耕民で犬を食べる習慣をもっていた人びとは、はとんど埋葬しなかった。」そうです。
つまり、縄文人にはそのときにいっしょに渡ってきた縄文犬がいて、その次に稲作とともに渡ってきた弥生人には弥生犬がいたということで、しばらくは混じり合うことはなかつたそうです。
そういえば、犬の昔話で有名なのが「花咲かじいさん」だと思いますが、その話の流れをみな知っている方も少ないのではないかと思います。
そこで、ちょっと長いのですがここに引用してみると、
「犬が関係するもっとも有名な物語は「花咲爺」だろう。拾ってきた犬を正直爺さんはとても可愛がっていた。あるとき、犬がワンワンと吠えた場所を掘ってみると大判、小判がザックザックと出てきた。隣に住むいじわる爺さんはうらやみ、この犬を無理やり借りてきて追い回し、つまずいた場所を掘ると糞がたくさん出てきた。そこで腹を立ててたたき殺し、松の木の下に埋めてしまった。
正直爺さんは哀しみ、松の木を持ちかえって臼をつくった。ひいてみると大判、小判がザックザックと出てきた。いじわる爺さんは臼を横取りする。そして、ひくと糞がたくさん出てきた。ますます腹を立て、臼を叩き割って火にくべてしまった。
正直爺さんは泣いて、灰だけでもとザルに入れて持ち帰り、枯れ木にのぼってまいてみると、枝々が桜の花を咲かせた。そこに大名一行が通りかかり、殿様に頼まれてたくさんの花を咲かせたので、多くのごほうびをもらった。いじわる爺さんが灰をうばって枯れ木にまくと、殿様の目に灰が入り、家来たちにさんざんこらしめられてしまった。正直爺さんは長者となり一生を終えたという。
犬から松、松から臼、臼から灰へ。動物、植物、つくられたもの、無機物へと、どんな姿になっても、やさしくしてくれた主人に幸せをもたらし続ける。正直爺さんは枯れ木に花を咲かせても、美しい桜に目をうばわれるばかりではなかっただろう。灰が消えていく空を見上げ、犬の忠義に思いを馳せたにちがいない。」と書かれていました。
下に抜き書きしたのは、狛犬についての話しです。狛犬とも高麗犬とも書きますが、どちらにしても、外来起源であることは間違いなさそうです。
よく、俗説では、「誕生時に・阿」、「死んだ時に・吽」、つまり事が生まれてから死ぬまでを意味しているといったり、阿は陽、吽は陰、だから口を開けているのは雄で、口を閉じているのは雌だとか、いろいろいわているようです。
しかし、下に書かれていることを読めば、ツノのないのが獅子でツノのあるのが狛犬で、向かって右側にあるのが獅子で、左側にあるのが狛犬ということがわかります。
もし、来年の初詣でこのような話しが出れば、間違いなくハナダカです。この『本のたび』を読んでいて良かったと思われるかもしれません。
(2017.9.18)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
日本十二支考(中公叢書) | 濱田 陽 | 中央公論新社 | 2017年1月10日 | 9784120049293 |
☆ Extract passages ☆
想像上の霊獣、狛犬は少なくとも平安時代から登場する。舞楽や図画の中に現れ、また、天皇、皇后の座所や寺院、神社を守護する像として造形されてきた。ペアで置かれることが多く、向かって右側、口を開けているのが獅子、左側、口を閉じているのが狛犬だが、両方とも狛犬と呼ばれることも多い。中東やインドに由来する獅子、左の狛犬に一角があるため霊獣、チベット産の狆、それ以外の外来犬、熊など様々な起源説がある。高麗犬とも書かれ、半島の使節が日本の皇室にもたらした特別な犬が起源との説もある。
(濱田 陽 著 『日本十二支考』より)
No.1424 『世界の夢の本屋さんに聞いた素敵な話』
この本は、横長の変形本で、本棚に収納するには収まりが悪いだろうな、と思いました。でも、図書館や本屋さんでは、目に付きやすく、それはそれでいいのかもしれないと思いました。
今、個人経営の本屋さんは、日本だけでなく、世界でもなかなかたいへんなようです。だからこそ、本屋さんの大切さを考え、このようなきれいな装丁の本を出版したのかもしれません。前書きでも、大型チェーン店と違うのは、「オーナーが自ら料理するカフェで食事をするのと、自動販売機で買ったものを食べるのと違うように」と書いています。
たしかに、そうだと思います。本がたくさんあれば本屋さんというのではなく、そこに強い思い入れが必要です。
そういえば、この本に書いてる言葉で、ルーシー・ディロンは「本屋のない町は魂のない町だ」というのがありますが、昔ならそのまま納得できますが、今なら本屋さんがなくても通販で買えるので、なくても平気です。しかし、本を手にとって選ぶ楽しさはなくなるので、それはちょっとイヤです。ニューメキシコ州にある「モビー・ディケンズ書店」のジェイ・ムーアさんは、「お客さんは店に喜んで来てはくれるんだが、オンライン並みの品ぞろえや値段でなければ買ってくれないんだ」と話し、とうとう2015年には店を閉じています。
ということは、地元の本屋さんを大事に思うなら、地元の本屋さんから本をちゃんと買わなければならないということです。
本屋さんというと、だいぶ昔に見た「ユー・ガット・メール」という映画がありますが、その本屋さんのモデルになったのがニューヨーク市の「ブック・オブ・ワンダー」だそうです。このことを、「脚本を書いたノーラ・エフロンとデリア・エフロンの2人は、長年この店の客にして良き友人だった。さらに、メグ・ライアンは役作りのためにこの店で1日働
いた。1985年、ブックス・オブ・ワンダーはウイリアム・モロー社と共同で出版部門を立ち上げ、児童書の出版も手掛けるようになった。」と書いています。
また、日本では、神田神保町の古本屋街が取りあげられていますが、この付近は1877年ごろから学生街になり、それ以降、次々に古本屋が誕生したという説明でした。しかも、本が日に焼けないように、ほとんどの古書店が北向きだと書かれていましたが、行ってみると、そうでもなさそうな気がします。でも、この本のイラストは、昔の神保町の雰囲気がよく出ていました。
下に抜き書きしたのは、ニューヨーク市で1997年から開いている「BOOK CULTURE」という本屋さんのオーナーの言葉です。
この本屋さんは、『タイムアウト』誌で、2014年のアッパー・ウエスト・サイド最高の店に選ばれたそうです。
このぐらい、時間の経つのも忘れて本を読ませてくれる本やさんなら、相当居心地がいいんでしょうね。
(2017.9.15)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
世界の夢の本屋さんに聞いた素敵な話 | ボブ・エクスタイン 著、藤村奈緒美 訳 | (株)エクスナレッジ | 2017年2月15日 | 9784767822860 |
☆ Extract passages ☆
「哲学者のマーシャル・バーマンは、うちの店ですっかりくつろいで、読んでいるうちにすっかり没頭していました。店にやってきて棚を眺め、それから1時間以上読みふけるんです。たいてい午後に姿を現すんですが、時間が経つにつれてどんどん姿勢が崩れていくんですよ。
初めは立っていたのが、壁に寄りかかり、それから床に座り込みます。座った姿勢から、最後には通路のコンクリートの床に寝そべって、片手で哲学の本を広げ、もう片方の手でひげの生えたもじゃもじゃ頭を支えて、この世に何の憂いもないといった様子でしたね」(くりす・ドーブリン、オーナー)
(ボブ・エクスタイン 著 『世界の夢の本屋さんに聞いた素敵な話』より)
No.1423 『575 朝のハンカチ 夜の窓』
著者の名は知らなかったのですが、この本の題名がちょっとおもしろくて、興味を引かれました。それで読んだのですが、2015年からNHKのEテレの『NHK俳句』の司会を担当しているそうです。
よく、俳句は世界一短い芸術だといわれたり、ペンと紙さえあれば始められるといいますが、ある意味、そうかもしれません。著者は、『NHK俳句』にゲストとして招かれ、今ではその司会までしているそうですから、素養があったのでしょう。でも、このような世界は、素人には上手も下手もあまり関係ないような気がします。むしろ、少しずつ親しんでいれば、それだけで季節を感じたり、いろいろできます。
この本では、「俳人には「あいにく」という言葉がないと言われます。桜の花を見て詠むつもりで行ってみたら花がもう散っていた。晴れの予報に基づいて、晴れについての季語を頭に入れて行ってみたら雨が降ってきた。そうなっても「あいにく散ってしまっていた」「あいにくの雨」ではない。散っていたら散っている様を、雨なら雨を詠むだけのこと。頭の中でいくら準備しても、はじまりません。人生は予測不可能な事態の連続です。言ってみれば、吟行は人生そのもの。その予測不可能性を受け入れ、楽しむ姿勢も養えます。」と書いてあり、だとすれば、その場そのときの出会いが大切だということです。
そして、それを続けていれば、いろいろな物の見方や感じ方になじんでいくような気がします。
ふたたび、この本の1節を書き出しますと、「そこそこ長く生きていると、自分とは違うペースや違うタイプの人に助けられる経験も、多々します。そのたびに「ああ、自分はこれまでなんて狭い視野で人を見ていたんだろう」と思います。尺度が1本しかなかったと。言葉ひとつとっても、若いときは人からそのまま受け取り、過敏に反応していたけれど、今は「それはつまり、こういう気持ちで言ったのだろう」と別の言葉に置き換えてみられるようになりました。あくまでも、若いときの自分比であり、まだまだ不寛容なところが多いの
だけれども、昔よりはずいぶん生きやすくなっています。」となっていけば、俳句とつき合うことによって、さらに歳を重ねていくことで生きやすくなるかもしれません。
よく、年を重ねれば重ねるほど、大変なことが多くなるといいますが、そればかりでなく、気が重ければ気楽に断ったり、自分のペースで物事をすすめていくこともできます。
下に抜き書きしたのは、俳句の季語とその時間についてのことです。たしかに、俳句の時間は円環的で、どこへでも自由自在に行けるのが強みのような気がします。
最近は、『NHK俳句』だけでなく、『プレバト!』などでも人気があり、もちろん奥は深いのでしょうが、親しみやすさがあるのではないかと思います。この本でも薦めていますが、機会があれば、ぜひ俳句にも親しんでいただきたいものです。
(2017.9.13)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
575 朝のハンカチ 夜の窓 | 岸本葉子 | 洋泉社 | 2017年3月17日 | 9784800311740 |
☆ Extract passages ☆
私たちが生きている日常の時間は直線的な時間です。誰にとっても等しく、誕生からはじまり死へと向かっています。その流れは一方向で不可逆です。が、俳句に親しむと、「またあのころが巡ってくる」と、いわば円環的な時間の感覚が加わります。この感覚を持てるのは、これからエイジングしていくうえで大きな安心と癒しにつながる気がします。よく「俳句をすると季節を感じるようになる」と言いますが、それは単に夏から秋への移り変わりを捉えるセンサーの精度が上がるといった意味ではない。季節の巡り、万物の何か大
きな巡りの中に自分はいるという感覚を、自然と持てることだと思うのです。そしてそれこそが、俳句の真髄ではないかと。
(岸本葉子 著 『575 朝のハンカチ 夜の窓』より)
No.1422 『夫婦で行く意外とおいしいイギリス』
この本もイギリスの旅で持って行った1冊ですが、9月7日に帰国してからも読んでいました。
というのも、この本は、14日間のツアーに参加して書いたそうで、それだけで本を書くことができるのかと思いました。No1421の『英国生活誌U』は、旅行や滞在をなんども繰り返して書いてあり、なるほどということも多々ありました。ところがこの本は、ツアーの前後にイギリスの歴史やその街のことなどを調べて書いてあるところが多く、自分が感じたことは食べものや雰囲気だけみたいです。
考えてみても、たった14日間でイギリスのスコットランドからロンドンまでを一気に駆け巡るわけですから、目の前を通り過ぎる風景を眺めているしかありません。やはり、旅はその街を歩いてみることが大切だと今回も思いました。
たまたまピーターバラで、泊まるホテルが私だけ違い、駅前からだいぶ離れていました。距離にして2qほどでした。そこで、駅前に泊まった方の部屋に大きなスーツケースを預け、その日に必要なものだけをリックに詰めて行きました。鉄道の線路を越え、「ソープ・ロード」を周りの家並を眺めながら歩きました。「ロングソープ・パークウェイ」の手前を右折し、「ペーターバラ スクラプチャー 公園」の近くにそのホテルはありました。しかも、比較的最近に建てられたもののようで、部屋も大きく、きれいでした。
むしろ、駅前の昔風のホテルより、料金も安く、快適に過ごせてよかったと思いました。それよりなにより、その道路わきには、いろいろな植物の生け垣があり、写真を撮りながら歩くと、あっという間にペーターバラ駅に着き、そこで仲間たちと落ち合い、エジンバラに向かいました。やはり、歩かないと、見えない風景もたくさんあるということです。ここペーターバラでは、あの有名なピーターバラ大聖堂にも行きましたが、翌日が日曜日のミサがあるらしく、聖歌隊が一生懸命練習を重ねていました。だから、見ている間中、重奏なパイプオルガンと歌のハーモニーを聞くことができました。その帰る途中でには、大きなショッピングセンターにまわり、孫たちのお土産のTシャツを買ったりしました。
それでも、この本を読んだことで、イギリスの長い歴史を知ることができました。他の本を読んでもわかることですが、たとえば、エジンバラのところでは、「城内にはたくさんの建物があるが、現存する最も古い建物は12世紀の聖マーガレット礼拝堂だ。このマーガレットは重要な人物である。ハンガリー王のイシュトバーンの孫だが、イシュトバーンが娘をイングランド王に嫁がせたということで、イングランド王エドマンドニ世の孫でもあるのだ。マーガレットの弟はイングランドの王位継承者だった。その弟がイングランドでウィリアム征服王に戦いを挑み、失敗して姉と弟が逃げ出した船が嵐にあって難破した。そして、マーガレットは岸にあがったところで、スコットランド王マルコム三世に会ったのだ。マルコム三世には妻があったが、マーガレットに恋をし、妻の死後結婚した。マーガレットはそれまでのスコットランドが異端的なコルンバ派教会だったのを、ローマ教会から僧を呼び寄せて正しいローマ教会のものにしたり、立派な教会をいくつも作ったり、外国から工匠を招き、手工業、学業、商業を奨励したりした。つまりスコットランドをサクソン風(イングランド風)に改革したのだから、意味が大きい。」と書いてあり、やはりもともとはスコットランドらしさがあったのだから、2014年にイギリスから分離独立の是非を決める投票がおこなわれたのかもしれないと思いました。しかも、その2014年の7月に私もイギリスに行ったし、投票は9月18日でしたから、強く記憶に刻まれています。
下に抜き書きしたのは、イギリスでよくおこなわれている「アフタヌーン・ティ」についてです。私は古くからなじんだ風習と思っていたのですが、考えてみれば、紅茶がなければできないことなので、比較的新しいのではと考えていました。
そういえば、このアフタヌーン・ティに何回か招かれたことがありますが、前回のイギリス訪問のときのウイズレー・ガーデン近くのお宅にお邪魔したときでした。というのも、いっしょに行った仲間の1人とそこの娘さんがチェロの合奏をして、それを聴きながらでした。
このときも、イギリス人は、時間にゆとりがあると感じられました。
(2017.9.12)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
夫婦で行く意外とおいしいイギリス(集英社文庫) | 清水義範 | 集英社 | 2016年8月25日 | 9784087454833 |
☆ Extract passages ☆
アフタヌーン・ティーは19世紀前半に、ベッドフォード公爵夫人アンナがきっかけを作ったのだそうだ。当時の貴族社会の食生活は、朝の食事は盛りだくさんで、昼食は軽くすませた。夕食は音楽会や観劇の後、夜八時頃になるのが普通だった。昼食から夕食までの時間が長いので、お腹が減ってかなり苦痛だったらしい。
そこで公爵夫人は午後三時から五時頃の問に、お茶を飲みながらサンドイッチやケーキを食べることを始めた。訪問客の夫人たちを応接間に通し、お茶とティー・フードでもてなしたのだ。これがお客に喜ばれ、貴夫人たちの間で習慣となっていった。
19世紀半ばになると、女性の午後の社交の場として中流階級にも広まり始めた。当時、中流以上の女性は外で働くなどもってのほかと考えられていたので、女性は時間をもて余していたのだ。そんな女性たちにとってアフタヌーン・ティーは希有な社交の場としてありがたいものだったようだ。
(清水義範 著 『夫婦で行く意外とおいしいイギリス』より)
No.1421 『英国生活誌U』
題名が『英国生活誌U』とありますから、おそらく『英国生活誌T』もあるかもしれませんが、副題が「紅茶のある風景」なのでイギリスの旅に持っていきました。しかも、文章だけでなく、イラストも著者が描いたものだそうで、カラーで載っていて、さらに白黒写真もありました。
この本を読みながら、今、ここにいると何度も思いました。本を読みながら、その世界に浸れることは最高の気分です。
たとえば、行くときの飛行機はブリティッシュ エアウェイズ」の直行便ですが、その男性のアテンダントは、野も物や食事を渡した後に必ず「エンジョイ」とつけるのです。最初は、ほとんど、その意味はわからなかったのですが、この本を読んでなるほどと納得しました。つまり、「エンジョイ」とは、「イギリス人が日常生活の中で、もっとも頻繁に使うのは、この"enjoyment"の動詞である"enjoy"とか、形容詞の"enjoyable"である。これは形容詞の"happy"とか"lovely"同様、もっともよく使われる単語に違いない。このことは、つまりイギリス人にとって、生活をエンジョイ〃しているか否かが、きわめて重要な意味をもっていることにほかならない。ふだんわれわれの生活の中には、勤勉とか努力とか熱意とか誠実とか、さまざまな目標があるけれども、どうやらイギリス人には、これらの徳目よりも「楽しさ」が先行する。むろんわれわれの日常生活には、楽しいことばかりではなくて、苦しいことも多いのであって、同じ人間である以上、イギリス人だって同じことだと思う。しかし、それでもなお彼らは「楽しさ」にこだわりをもつ。」と書いてありました。
この他にも、「自分の生活の中での、"enjoyment"を大切に考える場合には、当然他人のそれにも寛容でなければならない。より多くの"enjoyment"を得ようと考える人間の多い社会では、それだけ社会も寛容でなくてはならないのである。たとえばクリスマス・シーズンには、ほとんどのイギリス人はその時期を"エンジョイ"しょうとするため、交通機関からレストランまで、すべて休業状態になってしまう。旅行者とか、異邦人は、このうえなく不便な生活を強いられることになる。当のイギリス人にとっても、不便は不便であろう。」とあり、そういえば、前回の2014年のイギリスの旅では、地下鉄の工事で、一駅間を歩かざるをえませんでしたが、日本なら影響のない深夜に工事をして、始発に間に合わせるようにするのではないかと思いました。しかし、それも、このような考え方に起因するのかもしれないと思いました。
やはり、実際に生活してみないとその国の人たちのことはわからないかもしれません。
この旅に出かける前に、東京の小石川植物園でお茶を楽しみました。すると、園長さんがニュートンのリンゴが今落ちたばかりだからと見せてくれました。とても小さなリンゴで、やはり、昔の品種改良されていない品種だからだと思っていました。ところが、イギリスで見たリンゴは、ほとんどが小さくて、日本のリンゴを見慣れている私にとっては、あまりにも小さく感じるのでした。著者も、「P26-7」と書いてました。
そういえば、ロンドンで泊まったのは、以前泊まったところの筋向かいのホテルでしたが、朝食付きで3泊でした。その朝食に果物はバナナと小さなリンゴで、そのまま積み重ねてありました。どうして食べるのかとみていると、ほとんどがそのまま丸かじりでした。しかも、野菜類はないので、おそらくこれがビタミンCの摂取なのかもしれません。
そういえば、西洋の油絵を見ていると、果物などの静物画がありますが、あれは装飾のために置いてあるというよりは、それなりに必要だからなのかもしれません。
また、イギリスの風景を描いた油絵のなかに、カヤ葺き屋根の家をみることがありますが、今回も訪ねた家もそのような家でした。まさに、童話に出てくるようなかわいらしい大きな家で、その丸っこいカヤ葺き屋根は、予定では来年葺き替えるということでした。以前は世界をまたにかけて仕事をしていたのですが、今はリタイアして、このような田舎で、好きなことをして暮らしているようです。この本にも「イギリスのリンゴは、ほとんど小ぶりで、日本のように大きなリンゴを見かけることはない。リンゴは年中八百屋の店先に並んでいる。」とありましたが、まさにそのようでした。
おそらく、本を読んだだけではその実感は薄かったかもしれませんが、今回も訪ねてみて、その生き方に「エンジョイ」という言葉がそのまま感じられました。
下に抜き書きしたのは、イギリスが園芸大国だといわれる気候との関係です。どこに行っても大きな公園があり、ほとんどの植物園も無料です。たしかに、緑は多く、これが「グリーン・カントリー(緑の国)」といわれるゆえんだと思いました。
(2017.9.10)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
英国生活誌U(中央文庫) | 出口保夫 | 中央公論社 | 1994年11月18日 | 9784122021815 |
☆ Extract passages ☆
イギリスの夏をひと口で言うなら、パラダイス的という形容が、ぴったり当てはまるかと思う。地理的に見れば、イギリスの緯度は、北海道よりも北に位置するのだから、夏でも気温が25度をこえることが少ない。まるで避暑地のような気温で、空気はからっとして、ロンドンのような大都市でも空は青々としている。
その反面イギリスの天候は変わりやすいので、晴れているかと思うと、急に雨が降り出したりすることもあるが、その雨とて決して長雨やどしや降りになることはなく、パラパラと降る程度で、ちょっと町角で雨やどりをしていると、やがて雲の切れ間から、明るい陽がさしてくる。
実はこういう気象は、自然の草木や花ばなには、大変よいものらしく、樹木は鬱蒼と枝葉を茂らせ、花ばなは色どりもあでやかに咲き誇る。われわれがイギリスの夏の美しさで目を見張るのは、その自然の豊かさではないだろうか。ロンドンのような都市には、かならず広大な公園が各地に拡がっているし、郊外や地方へ行っても、そこにはより豊かな自然との調和がある。
(出口保夫 著 『英国生活誌U』より)
No.1420 『イギリス的「優雅な貧乏暮らし」の楽しみ』
この本の題名の「優雅」と「貧乏」とは、なんとなく相容れない対極にあるように思うのですが、今、イギリスにいると、そう思えないから不思議です。
イギリスというと、すぐ階級社会だとか、服装や生活なども形式張った感じがすると思いますが、たしかに行ってみるとフォーマルな環境で育っているような雰囲気はあります。今回で、まだイギリスは2度目ですから、はっきりとはわからないのですが、それでも、伝統があるからこそ、そのなかに埋もれることなく個性を発揮したいと思っているらしいのです。つまり、個性というのは、形式的な制約が多ければ多いほど、憧れると思います。
たとえば、お茶の世界もそうで、お点前の形はすべて決まっています。だからこそ、それ以外のところで、なんとか自分らしさを発揮したいと思うわけです。それがおもしろいところです。
また、日本でも、以前は縁側でお茶を飲んだり話しをしたりということがありましたが、イギリスの午後の紅茶もそのような雰囲気があるそうです。著者は、「イギリスでは、初対面の人でも好意の表れとしてよくお茶に誘う。もちろん居間まで通すのだが、その気安さは昔の上がりかまちや縁側のお茶に近いと思う。外で出会った気持ちそのままに居間でお茶を飲み、お喋りを楽しむことができるし、用事があれば席を立ってそのまま帰ることができる。日本でいうと喫茶店でお味りするくらいの気分だろうか。気楽な付き合いができるのだ。また家の中にいて、ふと庭の花のきれいさに気がついたら、その気持ちのまま居間の掃き出し窓から気軽に外へ出ることができる。日本のように庭ばきを足でさぐったり、玄
関から靴を運んでくる面倒もなく、庭が身近でとても気楽に足を運べる場所なのだ。」といいます。
なるほど、これが靴のまま今まで入る良さなのだ、と思いました。ということは、まったくプライベートな空間は寝室ということになり、だから寝室の洋服ダンスと合体して靴箱があるようなのです。そう考えれば、今回の招待を受けたときも、納得できることがいろいろとありました。
実際にイギリスを旅しながら、この本を読むと、ほんとうに納得できます。
今回のイギリスの旅でも聞いたルーラル・リトリート(Rural Retreat)というのは、訳すと「田舎の隠れ家」というそうです。そういえば、9月2日に訪ねた元外交官の家もそのような雰囲気の家でした。仕事を退職され、何年もかかってこの家を見つけたそうで、近くの美しい田園風景とマッチしています。
この庭も、野鳥が好きということで、多くの鳥たちが集まるような仕掛けが随所に見られます。実のなる木、水辺のある池、樹々の森、まさにここは野鳥の楽園になりそうです。つまり、これらは手作りの庭で、ここから萱葺屋根の家を眺めているだけで、心が安らぎます。
おそらく、ご夫妻は、現役時代はバリバリ仕事をこなされ、老後はカントリーサイドに家を買って引っ越してきて、家造り、庭づくりを楽しみながら趣味に生きているようです。まさにイギリスの理想的な生き方をされているようです。
下に抜き書きしたのは、イギリス人の物に対する考え方の一端を示すようなことです。たしかに、話しをされるときも、静かにささやくように話すのが上流社会の人たちだといいます。
このことも、今回のイギリスの旅で出会った方々と話しをして、実感しました。
(2017.9.7)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
イギリス的「優雅な貧乏暮らし」の楽しみ(集英社be文庫) | 吉谷桂子・吉谷博光 | 集英社 | 2003年10月25日 | 9784086500449 |
☆ Extract passages ☆
イギリスには「Study to br quiet」という言葉がある。静かであることを学べという意味だが、静かな世界というのは、実は情報量が多い。その究極はなんといっても庭だろう。ちょうど庭つきの家に住み始めた私は、庭に置く椅子は木に限ると、自分たちのベンチを探し始めた。店員に手入れを聞くと「ウチのは良い木を使っているから放っておけば美しいシルバーにウェザードしますよ」と言う。Weathered ! なんと適切な表現だろうか!チークの香りたつ真新しいベンチを庭に運び込んだときには、晴れがましくも恥ずかしいような気持ちがしたものだが、最初のひと夏で庭の景色になじみ始め、3年めには店員の言った美しいシルバーに近づいていった。一雨ごとに座ったときの気分が周囲の草花に親密になっていくように感じられる。買ったときにはどこにでもある「製品」だったものが、自然環境のなかで使われるうちに色越せ、苔が生え、シミがつき、少しカケが入って、私のベンチとしてでき上がったのだ。
(吉谷桂子・吉谷博光 著 『イギリス的「優雅な貧乏暮らし」の楽しみ』より)
No.1419 『無意味な人生など、ひとつもない』
今、旅行中なので、やはり文庫本が多くなります。しかも、イギリスなので、飛行機に乗っている時間も長く、時差ボケを防ぐためにもなるべく寝るようにしています。
でも、寝てばかりいられないので、簡単に読める本を持ってきました。たとえば、この本です。
だいたい、書く内容も想像できますし、理解もできます。抜き書きすることもほとんどないので、気楽に読めます。たとえば、「若々しさを保つということは、外見のことで言えば、限界があると思います。しかし内面に限界はありません。内面が柔軟で、感情豊かで充実している人は、表情も豊かでとても若々しい。そうした人はとても魅力的です。私は、肉体的に若さを追い求めるのではなく、成熟した人間の魅力を増していくような努力をしていこうと考えています。」ということは、おそらく誰でもそう思っているかもしれません。
でも、思っていても、いざとなると忘れてしまい、アンチエイジングに走ってしまうのです。ダメとわかっていても、もしかすると、ちょっとだけでも、と思うのです。
やはり、なくしてしまうものを考えるよりは、これから確実に増えていくものを数えていくほうが、間違いなくストレスはたまらないと思います。もし、体力が落ちてきたら、少しでもそれを遅らせるような体力維持をしながらも、別な方法でそれを補完するということもできます。
そういえば、私がお茶をやろうとしたのも、いくら歳をとったとしてもできるのではないかと思ったからです。しかも、美味しいお菓子やお抹茶をいただければ、それだけでも楽しいものです。
著者は、「よく「興味本位」と言いますが、まさにそれです。「必要か否か」で選択するのではなく、「興味があるか否か」を見定め、興味のあるものに関わっていくようにするのです。」といいます。つまり、物事を選択するときに、「必要か否か」ではなく、「興味」で選ぶということです。
私は、どちらかというと、「興味」より、「おもしろそうなこと」を選んでいるような気がします。だから、おもしろがるということも大切だと思っています。
下に抜き書きしたのは、「気休め」の効用について書いてあるところです。普通は、「気休め」というと一時の気休めとかいうように、その場だけのような意味合で使いますが、ここでは、もうちょっと広い意味で使っています。
たしかに、言われれば、その通りだと思います。
良い言葉には、相手に対してだけでなく、自分自身にとっても、良い結果をもたらしてくれるような気がします。
(2017.9.4)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
無意味な人生など、ひとつもない | 五木寛之 | PHP研究所 | 2017年3月8日 | 9784569835709 |
☆ Extract passages ☆
この「気休め」という言葉を、私は文字通りの意味で受け止めています。気休めは、「気を休める」ということ。その場だけのことだとしても、日々の緊張を和らげることができたら、意味のあることなのではないでしょうか。
私たちは、いつもどこかに不安を抱え、緊張して生きています。私はその原因は、私たちが死のキャリアであること――必ず死ぬという宿命を持った生き物だからではないかと思うのです。普段はそのことは忘れてしまっていますが、こころや気、体が弱った時には、頭をもたげてくるのではないでしょうか。それはどんなに明るい気質の人でも、体の強い人であっても同様です。
(五木寛之 著 『無意味な人生など、ひとつもない』より)
No.1418 『知的な老い方』
著者は1923年生まれですから、まさに老い方のベテランかもしれないと思い、読むことにしました。こういうことは、やはり経験者でなければ、わからないことだらけだと思います。
最初になるほどと思ったのは、「これまで、われわれは、人生をせいぜい、1万メートル競走くらいに考えてきた。短命社会である。ところが、長生きが進んで、人生コースはマラソンなみに長くなった。1万メートルのレースでは折返し点がないが、マラソンにはある。停年退職は、さしずめ人生マラソンの折返し点に当たる。ここでへばってしまったのでは人生、失敗である。折返してからが、勝負のしどころで、それまでの順位などあっというまにひっくりかえすことがしばしばできる。見ているものにとってもマラソンのおもしろさはそこにあるといってよい。」と書いています。
たしかに、還暦でさえ、人生50年のときには珍しかったかもしれませんが、今や100歳でも、新聞に載るのは敬老の日ぐらいです。だとすれば、還暦がマラソンの折り返し地点でもおかしくはなさそうです。
もともとこの本は、展望社より『老楽力』という題名で2012年5月に刊行されたもので、それを文庫化するときに改題し、再編集したそうです。そういえば、あの当時は、『○○力』という言葉が流行り、老人力や家族力などというのもありました。でも、改題されたことで、2017年4月25日に第7刷発行とありますから、相当売れたのではないかと思います。やはり、名前というのは、大事です。
年をとってくると、困るのが忘れてしまうことです。とくに、場所や人の名前など、簡単なことが比較的忘れやすいようです。でも、著者は、「老人は、忘れることを怖れてはいけない。もの忘れをしたら、頭は健康であると自信をもってもよい。ただ、忘れるばかりで、新しく、おもしろい、楽しいことを頭に入れてやらないと、本当に機能低下をおこすお
それがある。なるべく、楽しいことを多くつくり、それを待つようにするのである。……どんどん忘れ、どんどん新しいことを考える。人間の楽しみ、その中にあり」と書いています。
そういえば、楽しみにしていることが目の前にあると、時間の経つのは早く感じるし、先ずは元気でいないとと思うと、元気で暮らるようです。
これは、ヨーロッパのある国で調査したときの話しだそうですが、「社会学の研究者たちが、老人は、いつ死ぬかという調査をした。亡くなった人の誕生日を調べて、亡くなったのはその前か後か、というのである。それによると、死亡率は誕生日の50日前くらいから急に低下する。つまり、死ななくなる。誕生日で最低になる。当日に亡くなる例はほとんどない。ところが誕生日がすぎると、また、死亡率が急上昇する。もちろん誕生日前よりもはるかに高い。」ということだそうです。
つまり、誕生日はみんなで楽しくお祝いをしてくれるので、それが近づけば期待値も上がります。当然、誕生日は楽しいでしょうが、過ぎてしまえば、何か期待するものでもなければ黄昏のような日々になってしまいます。
ということは、先々に楽しいことや明るい希望があれば幸せだということになります。逆に、それら目指すものがなければ命を縮めるかもしれないということです。
下に抜き書きしたのは、ノルウェーで調査したことですが、まさかと思ってしまいましたが、何度か読み返してみると、もしかして、とか、そうかもしれないと思い返しました。
知らない、ということも大事なことで、まさに知らぬが仏かもしれません。
(2017.9.1)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
知的な老い方(だいわ文庫) | 外山滋比古 | 大和書房 | 2017年2月15日 | 9784479306368 |
☆ Extract passages ☆
中年のサラリーマン2000人を集める。それを2つのグループに分けて、1000人ずつにする。一方のグループにはまったく何もいわず、何もせず、そのままにしておいた。他方のグループには何人もの医師をつけて、定期的に健康のアドバイス、診察を行った。……
2年後に、両グループの健康状態をチェックしたところ、医師からいろいろと注意を受けていたグループの方が、不健康で病気にかかっている人が多いという結果であった。
いかにも理屈に合わないようであるが、おそらく、医者のアドバイス、診察を受けることで、気に病んだり、落ち込んだりすることが、放っておかれたグループよりもずっと多かったと想像される。
(外山滋比古 著 『知的な老い方』より)
No.1417 『蕎麦の旅人』
副題が「なぜ、日本人は「そば」が好きなのか」で、著者自身も「そば」が好きで、ホームページ「蕎麦の旅人」を平成19年から主宰していているそうです。
いわば、蕎麦好きが高じて、蕎麦の本まで書くことになったようなものです。だから、この1冊に、蕎麦のいろいろなことがつまっていて、とても読み応えのある本でした。装丁も凝っていて、284ページもあり、資料も充実しています。
私の家族も蕎麦が好きなので、食べに行ったときに、なぜ、蕎麦屋には「庵」のつくのが多いのか、などという話しをしてみたいと思いました。
これは、この本によると、「享保〜天明の頃、浅草に浄土宗で知恩院の末寺、一心山極楽寺称往院があり、その境内に「道光庵」があった。道光庵の庵主は信州出身でそば打ちの名手といわれ、所望されれば自らそばを打って振る舞っていたのであるが、その評判が広まり大勢の人が押し寄せるようになった。安永6年(1777)には、「富貴地座位」(店をランクづけする評判記)の麺類の部のトップを飾るまでになったのである。ついに親寺の称往院の和尚が、「蕎麦禁断の碑」(天明6年・1786)を建て集まる人々を門前払いするまでになった。この道光庵の名声にあやかろうと、江戸の蕎麦屋が競うようにして「庵」を屋号につけたといわれている。」のだそうです。
私は、てっきり、お茶室のような狭いところで営業するお店が多かったのかな、と勝手な想像をしていたのですが、そうではなかったようです。
それでも、お寺と蕎麦は、深い関係があったようで、門前には今でも蕎麦屋さんが多いです。また、そもそも蕎麦のルーツにも、善光寺や深大寺、出雲大社など、この本にもいろいろと掲載されています。たとえば、戸隠蕎麦もそのひとつで、「そばと寺社の関わりは全国各地にあるが、戸隠は標高1000mを超える山間地で日照時間も短く稲作・麦作には不向きなため、古くからそばが生活に深く密着していたのだ。千年に及ぶ両者の関係を物語るかのように、毎年11月には「新そば献納祭」が戸隠神社・中社で催される。」といいます。
おそらく、戸隠は修験道とのつながりもあり、蕎麦が修験者の携帯食になったり、五穀断ちをしても、そのなかに蕎麦は入らないので、とても貴重な食料だったに違いありません。
蕎麦が採れ、美味しい水があれば、あとは蕎麦を打つ技術だけですから、修験者だけでなく、いろいろな人がそれを伝えていったのではないかと思います。さらに、蕎麦のおもしろいところは、伝えられていく途中で、その地方色を組み入れ、そこの郷土食として残ってきたことだと思います。
下に抜き書きしたのは、蕎麦を純粋に植物としてみた場合の特性です。これを考えただけで、蕎麦はとくに山間部の人たちに必要とされ、大切にされてきたのかということがわかります。
そういえば、30年ほど前にブータン王国で蕎麦を食べたことがありますが、この本によると、日本人の約17倍も食べているそうで、たしかにそれだけ厳しい自然環境だったと思い出しました。そしてネパールでは、蕎麦の花が赤いということを知りました。
でも、世界で一番蕎麦を栽培している国は、ロシアだそうで、2013年の統計では35.5%で、ほとんどを国内で消費しているそうです。
蕎麦は、日本だけのものではないということが、この本を読んで、よくわかりました。
(2017.8.29)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
蕎麦の旅人 | 福原 耕 | 文芸社 | 2017年7月15日 | 9784286184180 |
☆ Extract passages ☆
他家受粉であるために媒介する虫(蜂)が必要で、花数の割には結実が少なく生命力の弱い植物であるだけでなく、無限伸育性、倒伏性、脱粒性等、安定多収に向かない性質を全て備えているといっても決して過言ではない。
ところが一方では、吸肥力・吸水力が抜群で痩せた土地や酸性土壌、山間の冷涼、傾斜地などでもすくすくと生育するしたたかさを併せ持っている。
また播種から収穫まで75日(早生では55日)といわれるほどの短期栽培が可能であるため、土地を遊ばせない「つなぎの作物」(キャッチクロップ)としても重宝された。
またソバの農法は粗放的であるが、これには前述の特性に加えて、ソバの他感作用(アレロパシー)の強さが挙げられる。ルチン・カテキンなどの他感物質が他の植物の生長を抑制するためである。
(福原 耕 著 『蕎麦の旅人』より)
No.1416 『東京・和菓子手帖』
出張すると、必ず持って行くのが抹茶と茶筅で、それさえあればお抹茶を飲むことができます。もちろん、お抹茶には和菓子で、それはなるべくなら現地調達です。
昔は和菓子の本に食べたものに印をして、まだ食べたことのないものを探しました。だから、大きなデパートに行くと、かならず地方の銘菓を並べてあるので、そこで手に入れたりします。ところが、それを続けていると、そのお店に行かないと買えない和菓子の存在が気になり、わざわざそこに出かけたりします。
また、それを買うために、泊まるホテルをその近くに予約したりもしました。そのようなことを何十年もしていると、食べたいと思っていた和菓子のほとんどを食べました。
それで、この本を見つけ、読むことにしたのです。
それでも、予約の必要な和菓子はなかなか食べたことがないのですが、それ以外はほとんど食べたことがありました。ただ、「みつばち」の小倉アイスや「ちもと」のかき氷などは、食べたことがありません。というのも、それらは和菓子とは思っていないからです。私的には、お茶に合う和菓子でないとダメなので、その範囲内で選んでいます。
とくに最近は、上生が一番季節感があり、お抹茶にも合うような気がして、「とらや」や駿河台下の「さゝま」などで買います。この本で、ここ「さゝま」の主人が笹間という苗字だと、初めて知りました。学生のころからここらはときどき行った界隈ですが、その時にはその存在すら知りませんでした。つまり、興味がない、ということはそういうことです。
ところが今では、その和菓子を探して、宿まで決めるのですから不思議なものです。おそらく、これはお抹茶をいただくようになってからのことで、茶と菓子はなくてはならないもののようです。
そういえば、その菓子によって飲み物も選びます。洋菓子なら、先ずはコーヒーで、ときには紅茶もいいものです。最近は、中華菓子の場合は温かいウーロン茶も飲みます。たとえば月餅やあんまん、肉まんなどのときです。
そういえば、どら焼きはお茶でもコーヒーでもどちらでもいいですが、この本には、「焼きたてを袋に入れてもらうと、ほのかな温かさとズッシリとした重みが手の中で嬉しいのである。持ち帰る間に待ちきれなくて食べてしまいたくなるけれど、少し落ち着いてからの方が皮と餡とが馴染んでしっとりと、おいしいらしい。できたて、焼きたてが一番おいしいとは限らないのだ。」と書いてあり、なるほどと思いました。
読み終わって、「本書で掲載した和菓子店リスト」をみたら、◎印のついた店舗は地方発送、取り寄せが叶と書かれていたので、あるお店の掲載されたホームページをクリックしてみると、「見当たりません」とありました。今は和菓子屋さんが少なくなっているご時世だからと思ったのですが、それでもちょっと寂しくなりました。
やはり、和菓子は季節を大切にするお菓子ですから、なるべくなら発送してもらうより直接伺って買い求めたほうがいいと思いました。
下に抜き書きしたのは、「とらや」についての話しですが、今年の5月16〜18日に東京で開催されている茶の湯に関する展示会を観て回ったときに泊まったのが、出来たばかりの「レム六本木」でした。すぐ近くにミットナイトタウンがあり、そこに「とらや」も入っていて、直営店でそこでお菓子を食べたり上生も買うこともできます。3日で3回通ったら覚えられたようで、ちょっと恥ずかしい思いがしました。
(2017.8.25)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
東京・和菓子手帖 | 渡辺有子 | 山と渓谷社 | 2008年3月20日 | 9784635080026 |
☆ Extract passages ☆
この栗粉餅は最高においしい秋のお菓子。その年採れた新栗だけを使った、本当に贅沢で滋味豊かなお菓子だ。栗の状態で販売の時期も年ごとに少し、変わるという。しっとりとしたなんともいえない食感でこれを頂きたくて秋を待ち遠しく思う。お茶のお稽古で知ったお菓子なのだが、四季のある、よさを改めて実感する。
その他、秋の上菓子もとらやらしい色彩で目を惹く。青山通りにあるお店はその暖簾が立派にたなびき、そそられる。老舗の風格はやはり安心できる。併設された喫茶も落ち着きがあって、ゆっくりとお菓子とお茶が楽しめる。たまにだけれど、行くとゆったりとした気持ちになれるので気に入っている。年に2回、開かれる和菓子にまつわる展示も興味をひ
く。
(渡辺有子 著 『東京・和菓子手帖』より)
No.1415 『脳はこんなに悩ましい』
この文庫本は、もともと2012年12月に新潮社から単行本として刊行されたものを文庫化したものです。だから、ヒマなときにどこにでも持ち出して読めるのですが、結局は家の中だけで読んでしまいました。
また、池谷祐二さんと中村うさぎさんとの対談なので、話し言葉ということもあり、気楽に読むことができました。ある意味、脳というとてつもなく不可解なものを、とてもわかりやすく感じたのは、著者たちの力量もあるでしょうが、対談ということもその1つの要素だと思います。
たとえば、科学と神さまの関係などは、「中村 「そもそもなぜ指は5本なのか」という問いには答えられない。「Why」は神の領域なのか。 池谷 「神様がそう作ったから」としか言いようがないわけです。私はまだ無宗教ですけれど、それでも、こうして「神」を持ちだした答え方をせざるをえない。苦しい時の神頼み(笑)。ヒトの指は5本ですが、鳥は4本、馬は1本です。その差について「Why」の答えを真正面から問えるのが、宗教や哲学だと思うのです。ほら、こう考えれば、もう答えが出ましたね。「神」とは何か――それは「科学ではわからないナニか」のことです。」ととても明快に答えてくれます。
そういえば、池谷さんは、先輩科学者の多くが次第に宗教に近づいているという話しもされていますが、このことと少しは関連がありそうです。
また、脳と人とのダマし合などについても、「池谷 自分を他人と比較したときの心理状態を調べたデータがあります。女性がスレンダーな人を見たときに、脳のどこが活動するのか。「不安」の回路でした。不安は重要な感情です。人は不安を感じたときに、予備的行動を始めます。「あんなにスレンダーでうらやましいな」と思ったら、対処するための行動を起しますよね。ですから、不安は向上心と表裏一体ですね。 中村 なるほど。たしかにイヌやネコは、どう見てもほかの仲間と自分を比較していないよね。人間だけが、ほかの人間と自分を比較できている。 池谷 ええ。イヌやネコには、そもそも自分が見えていません。鏡を見ても映っているのが自分だとわからない。自己や自我という概念がないようです。」と、著者たちの会話が理解に導いてくれます。
たしかに、脳はすべての行動を制御していますが、だからこそ、わからないよりはわかったほうがいいと思います。脳の考え方をわかって行動すれば、効率も良さそうです。ただ、困ったことに、人というのはつむじ曲がりで、普通の人が考えないようなことをしたがることもあります。そう考えれば、脳は悩ましい存在のようです。
下に抜き書きしたのは、本心からの笑いでなくても、単なる作り笑いでも、たとえばペンを歯で「イーッ」と噛むだけでも楽しくなるそうです。しかも、その実験もこの本には掲載されています。
作り笑いでも、人は楽しくなり、報酬系の活動も変化するなら、笑顔になったほうがいいと思います。
先ずは、下の文章を読んでみてください。
(2017.8.24)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
脳はこんなに悩ましい(新潮文庫) | 池谷祐二・中村うさぎ | 新潮社 | 2015年11月1日 | 9784101329239 |
☆ Extract passages ☆
池谷 臨床療法ですすめるのは、ゲラゲラとした大笑いより、微笑みに近い穏やかな笑いでしょう。「笑い」と「微笑み」では、脳の状態が違うんですよね。脳の電気刺激の実験では、刺激具合を調整して「笑い」と「微笑み」を作り分けることもできるんですよ。刺激で人工的に「微笑み」を作ると、実際、よい気分になる。臨床療法の場合もそうで、笑う必要はなくて、「作り笑顔」でいいのです。
(池谷祐二・中村うさぎ 著 『脳はこんなに悩ましい』より)
No.1414 『最後の辺境』
私は、どうも秘境とか辺境とか、奥地のイメージに弱いのですが、この時期、ゆっくりと本を読むような時間が少なくなるので、写真を見ながら文章を読む、というようなこの本に惹かれました。
副題は、「極北の森林、アフリカの氷河」です。これも言葉だけでも、読んでみたいと思いました。
内容は、1979年のカラコルムの五大氷河から始まり、2003年のバイカル湖まで、8章に区分けされています。もっと詳しく見ると、第1章「地図の空白部を歩く カラコルムの五大氷河〈1979年〉」、第2章「黄河源流の幻の山 アムネマチン〈1981年〉」、第3章「極北の森林限界 ブルックス山脈〈1995年〉」、第4章「世界最大の水量を誇るイグアスの滝〈1998年〉」、第5章「赤道直下の高山氷河 アフリカ〈1999年〉」、第6章「豊かな水に恵まれた巨木の森 北アメリカ西部沿岸〈1999年〉」、第7章「地上最後の秘境 コンゴ川流域の熱帯雨林〈2000年〉」、第8章「聖なるバイカル湖〈2003年〉」、です。
こうして目次を見てみると、著者の写真家として歩いてきた道筋が見えてくるようです。一番活動していたのは1998年から2000年で、ここだけでこの本の半分を占めています。また、おそらく一番印象に残っているのは、1979年のカラコルム五大氷河で、著者は、「今となると4ケ月にわたった氷河の旅はすべてが美しい想い出となっている。しかしどんなに時間が経過しても鮮明によみがえってくる記憶がある。そんな光り輝く眩しいような時間、逆に若しかったり厳しかったりの経験をいくつか取り上げてみたい。」と書いています。
読んでいて、一番ワクワクしたのは第3章で、「200キロ圏内には我々2人以外、人間はいない筈だ。自然の奥深い懐に入り込んだ喜びが湧いてくる。しかし一方で、すべての責任を自分たちだけで全うしなければならないことを考えると身の引き締まる思いがする。動物たちが水を飲みにくる水辺を出来るだけ離れ、山に近い小高い段丘に移動しテントを張った。」と書いています。
このような大自然のなかに身を置くという高揚感と、近くにはグリズリーやムースなどの大型動物がいて襲われるかもしれないという恐怖感と、あるいはオオカミの遠吠えやオーロラに感動したり、普通ではなかなか体験できない様子が生き生きと綴られていました。
下に抜き書きしたのは、同じ第3章の森林限界についてのことで、東北の高山でもこのような森林限界は見られます。
でも、ここの森林限界は、植物さえも生息できなくなるような、本当の限界のようです。おそらく、世界にはこのような本当の森林限界はいくつもあるのでしょうが、そこに至るまでの道筋はとてつもなく難儀なものでしょう。それを考えると、写真家というのはとても過酷な仕事だと思いました。
(2017.8.20)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
最後の辺境(中公新書カラー版) | 水越 武 | 中央公論新社 | 2017年7月25日 | 9784121024442 |
☆ Extract passages ☆
森林限界とは山肌をはい登る森林が寒冷、強風、雪など自然の猛威によって阻まれ、生息できなくなる限界辺りをいう。この現象は高山だけではなく、植物が必要とする水を補給できなくなる砂漠や、低温によって生存できなくなる極地でもみられ、ブルックス山脈地域がタイガ(森林)が無くなりツンドラに移行する境界にあたる。
標高を高めることによって現れてくる疑似ツンドラともいえる高山帯は日本にも存在するし、ヒマラヤやヨーロッパアルプスでも馴染んできた。しかし極地に近い低緯度のツンドラは、私は足を踏み入れた経験がなかった。
(水越 武 著 『最後の辺境』より)
No.1413 『遊行を生きる』
旧盆も16日を過ぎると、少しゆっくりできますが、19〜20日と東京小石川植物園に行く予定なので、なんとなく慌ただしく過ごしています。
この本は、副題が「悩み、迷う自分を劇的に変える124の言葉」で、その言葉だけでなく、言いたいことがゴシック体で濃い文字で印刷されているので、とてもわかりやすかったです。しかも、それらの言葉も、何度も繰返し繰返し書いてあるので、言いたいことがわかります。
この本は、もともと月刊『清流』で2012年5月号から連載されたものを、1年以上かけて大幅に書き換えたものだそうです。5年がかりの連載ですから、その間には考え方が変わったり、時代が動いたりしているでしょうから、ある程度の書き換えは必要でしょう。
その中でも、一番多く出てくるのは、いい言葉というフレーズで、たとえば「いい言葉は、間違いなくいい人生をつくります。そしていい人生は、いい言葉を生みだします。生みだされたいい言葉が、ほかの人たちに広がり、それぞれの人生が豊かに変わっていくのです。いい言葉は不思議な力をもっています。」と何度も書いています。
そもそも、この本の題名の「遊行」というのは、著者は、『「遊行」とは、人によっては、解脱、煩悩から自由になることを目標にする時期だといいます。でも僕は字の通り、「遊び、行く」と考え、フラフラしてもいいと考えています。この時期こそ、自分の好きな仕事や、やりたいことをするときでもあるのです。「遊行」を、死に向かうための厳かな時間と考えず、野垂れ死にしてもいいほどに自由になれる時間と考えると、人生がおもしろくなります。人生が楽になります。』と書いています。
たしかに、子どもの時に時間も考えずに遊びほうけていたときは楽しくて、帰りたくなかったものです。いくら呼びに来られても、隠れたりもしました。
だとすれば、今は楽しいことをしていても、誰も呼びに来るわけではないし、迷惑をかけない限り、そのまま続けていてもいいわけです。そのような自由さがあってもいいのではないか、と思います。
下に抜き書きしたのは、第5章の最後に書かれている文章で、小見出しは『「遊行」を意識するとチャレンジ精神が湧いてくる』です。「遊行」は、若い人でも中高年でも、たとえ難病や障害、ガンで苦しんでいる人も、熱く生きられるはずだといいます。
つまり、人生は短いし、いいときもあれば悪いときもあり、そのような波は必ずあります。だから、ある意味、おもしろいのです。真っ平らなところでは、ろくな風景しかありませんが、高低差があったり障害があればあるほど、そこには絶景もあります。
それに出合うためには、やはりチャレンジ精神やハングリー精神が必要だと著者は最後に言っています。
(2017.8.18)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
遊行を生きる | 鎌田 實 | 清流出版 | 2017年2月1日 | 9784860294540 |
☆ Extract passages ☆
僕たちは遊ぶ人間、ホモ・ルーデンスなのです。楽しみ尽くすことが大事なのです。病気で寝たきりになっていても、スーパーまで、自分で買いたいものを自分の目で選ぶために、車イスででも小さな「旅」を始めればいいのです。じっとしていないことです。小さな「遊行」なら誰でもできるのです。……
ほんの少し考え方を変えればいいのです。もっと力を抜いて、壁にぶち当たっていけばいいのです。新しい人生がきっと待っているはずです。
所詮、人間はいつかは死ぬのですが、それまでにまだいろんなことができるんだ……、そう考えれば、人生はおもしろくなっていくはずです。
(鎌田 實 著 『遊行を生きる』より)
No.1412 『遺すことば 作家たちのがん闘病記』
旧盆なので、なんとなくバタバタしてるのですが、ちょっと時間があくと本を読みたくなります。だから、このような時は、なるべく数ページで読み切りになるものがいいので、しかもお盆という亡くなった方を思い出す時期なので、この本を選びました。
そういえば、8月9日の山形新聞の第1面に「高齢患者 がん治療控える傾向」という記事が載っていて、国立がん研究センターが8日に発表したそうです。その内容は、75歳以上の患者には手術後の抗がん剤投与をはぶくなど、患者が高齢になるほど積極的な治療を控える傾向があるということでした。さらに2008年にがんと診断された人の5年五の生存率も発表し、それによるとすべてのがんの生存率は65.2%で、前年よりわずかに上昇したそうです。
たしかに、がん治療そのものは日々めまぐるしく進化しているようですが、85歳以上になると2割ほどは痛みを緩和するだけで、なるべく薬の副作用や手術による身体の負担を減らそうとしているそうです。
そう考えれば、この闘病という言葉は、ちょっと古くさい感じがしました。今は、闘うより、あまりじたばたしないでゆったりと構えた方がストレスも少なくていいと考える時代です。この本の中で、作家の井上ひさしさんの奥さん、井上ユリさんは、「私の姉(米原万里・作家)もがんで闘病した末、2006年に亡くなりました。告知を受けた姉は徹底的に自分
の病気について調べ、抗がん剤を嫌がって民間療法にも積極的に取組みました。その様子を知っていたこともあってか、ひさしさんは「自分は自然科学の素養もないし、医学の基礎知識もない。いくら勉強したって日々専門の病気と関わっている医者に追いつくはずもないから、病気については一切勉強しない」と決めました。昔からひさしさんは、信頼した人に自分をまるごと「預ける」ことができる人。大江先生に出会って信頼できると感じ、その治療方針にただひたすら従うことにしました。」と書いています。
これは、とても大事なことで、自分を預けきれる気持ちにならなければできないことです。途中で、気持ちが変わってしまったりすれば、預けることができなかったということです。最後の最後まで、信頼して預けきれるというのは、相当強い意志がなければできないと私は思います。
普通は、途中で挫折し、精神的にまいってしまい、ウツになるかもしれません。
この本の中で、瀬戸内寂聴さんは、「一日中横になっていると、よくない考えが浮かんできました。自分が死ぬとは思わない一方で、生きつづけることが苦しく感じられてきました。ふと気づくと、私は鬱状態になりかけていたのです。「いけない、鬱になってはダメ!」そう胸のうちで言って、どんどん落ち込んでいく気持ちを必死に奮い立たせてました。あの頃に私が本当に悪戦苦闘していた相手は、腰の痛みよりも、鬱になりかけている自分でした。世の中には寝たきりで鬱になる人が多くいますが、長く寝ていたら鬱になるのは当たり前なのです。」と書いています。
そういう意味からも、あまり闘うという強い気持ちよりも、それを淡々と受け止め、あまり落ち込まないことも必要だと思いました。
下に抜き書きしたのは、青山文平さんの「それどころじゃない」という一番最初に載っている文章からですが、この究極の選択という言葉になるほどと思いました。
そして、作家だからもっぱら小説のことを考えるので、普通の人なら、自分の好きなことを考えたり、したりすればいいのではないかと思いました。でも、できることなら、このような選択はしたくないと思いながら、やはりせざるを得なくなるのかな、と思いました。
やはり、がんという病気はイヤなものだと、改めて思いました。
(2017.8.15)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
脳はこんなに悩ましい(新潮文庫) | 池谷祐二・中村うさぎ | 新潮社 | 2015年11月1日 | 9784101329239 |
☆ Extract passages ☆
"究極の選択"というのが流行ったことがありました。2つの選択肢があって、どちらも選びたくはない札です。それでも、一枚を選ばなければならないとしたら、どちらを採るかというものです。医療は常に、この"究極の選択″を求められます。私はそこまでは、ない知恵を絞って、がんばって取り組みます。しかし、選んでしまったら、あとはもう神頼みです。病との命の綱引きは、人の手のみには余る気がします。やることはやったと覚悟を決め、神様の助けを仰いで、もっぱら小説のことを考える。ほとんど参考にならないかもしれませんが、それが私の、がんと折り合っていく流儀です。
(池谷祐二・中村うさぎ 著 『脳はこんなに悩ましい』より)
No.1411 『卵より先のニワトリばなし』
100ページにも満たない、とても読みやすい本で、おそらく酉年だから出したのではないかと思われました。といいながら、私も酉年だから読んでみようと思ったのです。
読んでみて納得したのですが、この本が干支シリーズの11冊目だそうで、来年の戌年で完結するということでした。私もある会誌に干支について書いているので、興味をもって読みましたが、いわば古典からの抜粋がほとんどで、新鮮さは感じられませんでした。
それでも、ニワトリのことわざについてのコーナーでは、知らなかったことがいくつか載っていて、たとえば、「卵を見て時夜を求む」というのは、「まだ卵のうちから、鶏(成鳥)となって時を告げるのを期待するが如く、性急に成果や効果を求めること。」と書いてありました。
たしかに成果を求めるのは大切なことですが、そればかりを念頭において行動するのは困ります。さらに出来もしないうちから、それを期待しては、期待されるほうもプレッシャーがかかります。
また、「陶犬瓦鶏」というのもここで知ったのですが、「瀬戸物の犬と素焼きの鶏。転じて、それらしい形が具わっているだけで、何の役にも立たないこと。」という意味だそうです。
たしかにそうで、最近は見栄えだけ、あるいはSNS映えすればいいというのが多く見受けられ、もう少し中味を充実してほしいと思います。見かけ倒しでは、ほんとうに困ります。
さらに、「一鶏鳴かば、万鶏歌う」というのもあり、これは「安易に他人の意見に同調する様子」をいうそうです。政治の世界でも、一強は長続きしないようですから、強いところになびくのは考えものです。むしろ、自分自身の考え方をしっかり保つのがいいようで、安易に随うのはどうかと思います。
そういえば、コラムの8にインドの諺が載っていて、「鶏鳴かずとも朝は来る」というものです。その意味するところは、自分がいなければ世の中はまわらないと思うかもしれないが、それは単なるうぬぼれで、「自然の理法は人間の営為を凌駕する」そうです。
それにしても、酉年だから「鶏冠にくる」ことばかり起きるのかどうかはわかりませんが、もう少しおだやかな時代になってほしいものです。
下に抜き書きしたのは、『醒睡笑』という17世紀初頭のころの本に載ったお話しです。これは全8巻あるそうですが、「巻之1」にあります。
なぜ、これを選んだかというと、ただ単純に短いお話しなので、ここに合うのではないかと思っただけです。特別な理由はありません。
そういえば、小さいときに、ニワトリのことを「コケコッコウ」と呼んでいたことを、この話しで思い出しました。
(2017.8.12)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
卵より先のニワトリばなし | 福井栄一 | 技報堂出版 | 2016年12月15日 | 9784765542500 |
☆ Extract passages ☆
有馬の湯治客が、温泉宿の主人に訊ねた。
「鶏という鳥は、羽をバタバタさせて、『トッテコウ』と鳴くんだよねえ?」
主人日く、「お客さん、それは、他所の鶏のことですよ。この有馬の鶏は、年がらねんじゅう、羽をカサカサ(瘡瘡)いわせては、『カッケコウ(脚気効)、カッケコウ(脚気に効あり)』と鳴くんですよ。」
(福井栄一 著 『卵より先のニワトリばなし』より)
No.1410 『MOA美術館』
MOA美術館には、一度は行って見たいと思いながら、なかなか行く機会がありません。それでも、姉妹館の「箱根美術館」には、箱根の知り合いを訪ねたときにゆっくり見学しました。そのときの、あの青々とした苔の庭を今でも思い出します。その後も、何度か計画を立てたのですが、そのたびごとにつぶれたり変更になったりしています。
今では、半分あきらめていますが、それでも機会があればと秘に思っています。そんな折に、この本を見つけました。
この本で知ったのですが、今年の2017年2月5日にリニューアルオープンしたそうで、あきらめていた気持ちがまたまた盛り上がってきました。基本設計とデザイン監修を手がけたのは、現代美術家・杉本博司と建築家・榊田倫之が主宰する「新素材研究所」だそうで、この本の特別協力者として杉本博司と「新素材研究所」は載っています。
そして、杉本氏は「私はMOA美術館にある数々の日本文化の至宝を、その最高の光りと場で見てみたいと思った。足利義政が慈照寺「東求堂」で見た光り、千利休が茶室「待庵」で見た光り。そうした前近代の光りを美術館の内部に実現する為に、私は前近代の素材にこだわった。それは、屋久杉であり、黒漆喰であり、畳だった。美術館という近代装置の内に前近代を見せるという使命を、私は自身に課したのだ。難題解決の試行錯誤の果てに、私は最先端の光学技術を舞台裏に忍び込ませることに成功した。私の中では最も古いものが、最も新しいものに変わるのだ。」と語っています。
この本の内容は、第1章が「絵画」、第2章は「仏教美術」です。第3章は「書跡」、第4章「陶磁器」、第5章「木工・漆芸・金工」となっています。まさに日本の美術を網羅したような内容ですが、とくに興味を引いたのは「仏教美術」です。
たとえば、遊行や儀式のための仏具で、錫杖の頭や五鈷鈴なども写真で載っていました。その中でも、奈良時代に鉄で造られた錫杖頭は重要美術品に指定されていて、円錐形の主軸に反転したハート形の輪が特徴的で、頂上には九輪の塔が載っています。これなどは、初めて見る形で、シンプルながらとても個性的です。
また、「妙法蓮華経 授記品」は平安時代の12世紀の紙本着色で、重要文化財に指定されています。
そういえば、このような「妙法蓮華経」の書写はいろいろなところで見ていますが、とても印象に残ったのが三井記念美術館で見たもので、今でも思い出します。その見返絵はお釈迦さまがインドの霊鷲山で説法している姿でしたが、それを見て、翌月にはインドに行ったぐらいですから、相当気に入ったようです。
下に抜き書きしたのは、「妙法蓮華経 授記品」の説明ですが、これを読むだけでもなんとなく想像できます。
もちろん、実際に見ればそのほうがいいに決まっていますから、いつかはぜひ拝見したいものです。
(2017.8.11)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
MOA美術館 | MOA美術館 監修・著 | 東京美術 | 2017年2月1日 | 9784808710750 |
☆ Extract passages ☆
平安時代以降、妙法蓮華経は数多く書写された。とくに平安時代後期には、華麗な装飾を施した装飾経が数多くみられ、『平家納経』や『久能寺経』などはその代表的なものである。本図は、装飾経の典型的な一例で、見返絵には庭に咲く満開の桜を前に、縁先で語りあう男女の貴人を描く。本文は一行が17字、114行にわたり、金銀泥の界線のなかに謹厳に書写されている。
(MOA美術館 監修・著 『MOA美術館』より)
No.1409 『ちいさい言語学者の冒険』
本を選ぶ場合、「まえがき」や「はじめに」とか、目次を見てからのときもありますが、装丁や著者などで選ぶ場合もあり、いろいろです。
でも、この本は、「まえがき」を読んで、即選びました。それには、「私たち大人が自力で思い出せない、「ことばを身につけた過程」、直接のぞいてみられない「頭の中のことばの知識のすがた」を、子どもたちの助けを借りて探ってみましょう。子どもたちはそうした知識をまさに試行錯誤しながら積み上げている最中です。大人の言うことを丸覚えにするのでなく、ことばの秩序を私たちが思うよりずっと論理的なやり方で見いだし、試し、整理していく――子どもたちが「ちいさい言語学者」と呼ばれるゆえんです。この本は、そんなちいさい言語学者たちの冒険にお供して実況する、というイメージで書きました。」と書いてありました。
そこで、もし子どもの学ぶやり方がわかれば、もしかすると、苦手な外国語の習得にも役立つのではないかと思ったのです。
でも、毎日毎日、日本語をマンツーマンで勉強していて、しかもスポンジのように頭に何でも吸収できる子どもとは簡単に比較できないと読むにしたがって思いました。でも、そのやり方などは少し真似のできることもあるのではないか、とも考えました。
それにしても、普段何気なく使っている日本語ですが、いざその使い方を質問されればわからないこともたくさんあります。たとえば、初めて「ライマンの法則」というのを知りましたが、それは『「おんな」+「こころ」は「おんなごころ」で「こころ」が濁音化(連濁)するけど、「おんな」+「ことば」で「おんなごとば」になることはない、なぜだろう?という問いの答えは「ライマンの法則」とよばれています。ふたつめの語にすでに濁音が含まれていると連濁は起こらないのです。言われてみると目からウロコだし、むしろどうしてこれまで知らずにいられたんだろう? この法則を初めて知ったとき、私自身はそう感じました。』ということです。
たしかに、私も目からウロコでしたが、この法則に気づいたのは、ベンジャミン・スミス・ライマンという明治時代にアメリカから日本に招かれた鉱山技術者だそうです。やはり、日本人ならほとんどためらうことなく使っているので、なぜという疑問も感じないでしょうが、改めて言われれば、やはり不思議です。
これをみて、日本語もときどきは外国人から見てもらうことの大切さを感じました。あわせて、日本人の特質だって、外国人からみれば、いろいろ興味深いものが見えてくるかもしれません。
下に抜き書きしたのは、子どもの学習は親が教えただけではダメで、子どもが自分でやってみて納得しなければ習得は難しいということです。たしかに、孫を見ていても、「自分でやる」ということがとても多いのです。できるできないというよりは、自分でして見たいと思っているようで、その気持ちも大事なんだと思いました
もし、子育てしているなら、ぜひ読んでほしい1冊です。
(2017.8.9)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
ちいさい言語学者の冒険(岩波科学ライブラリー) | 広瀬友紀 | 岩波書店 | 2017年3月17日 | 9784000296595 |
☆ Extract passages ☆
子どもはどうやら、一般化できるルールを見いだすことにつながりそうな場合だけ、周囲から得られる情報を参考にしているようです。そのルールが、たとえ大人の文法としては間違っていても、当の子どもがそれでやっていけると思っている段階では、その反例となるような大人の正しい用例も、指導もスルー。ただし、新たな一般化規則が見いだせそうであれば、また大人のことばを参考にしてみたりする。そうして自分で試行錯誤を繰り返していく。……なんでもかんでも「ジブンデー・ジブンデー」と主張する精神は、ことばの習得にまで、古今東西、二貫して及んでいるというわけです。
(広瀬友紀 著 『ちいさい言語学者の冒険』より)
No.1408 『家訓で読む戦国』
図書館に行って見つけた1冊で、副題が「組織論から人生哲学まで」とあり、たしかに戦国時代のいつ死ぬかわからない時代においては、次の代に伝えておきたいいろいろなことがあったのではないかと思いました。
そういう意味では、今の時代もそうで、政治も経済もなかなか先を読めない時代です。そう考えると、読んでみたいと思いました。
興味深かったのは、「多胡辰敬家訓」の1節で、『「矢ノ箆(の)ヲタムルニ、火ノ入ヤウアリ、タメヤウアリ。人ヲタムルモ、ソレゾレノ人ノ心ニヨリテ異見ヲモケウクンヲモスベシ。」とある。「矯める」というのは、まがっているものをまっすぐにすることをいい、矯正の意味である。人はそれぞれちがいがあるのだから、その人に合った「異見」で矯めなければ意味がないと指摘していたことがわかる。現在は、「意見」の字が一般的に使われているが、当時は「異見」の字を使っている。この方が意味は通る。』と書いてありました。
たしかに、意見という言葉より、「異見」のほうがわかりやすいし、理解しやすいと思います。
しかも、人の上に立つ指導者こそ、人の異見を聞くべきで、それを遠ざけると、ますます幅が狭まってきて、井戸の中の蛙になってしまいます。それでは、広い視野が保てません。本当に、「異見」というのは巧みな表現だと思います。
また、武田信玄の家訓ともいうべき「甲陽軍鑑」には、いろいろなことが納められていますが、とくに自分の身に照らして考えてみると、「40歳までは勝つように心がけ、40歳からは負けないように心がけるべき」ということが書いてありました。
たしかに、いくつになっても攻めの態度は大切かもしれませんが、ここで言いたいことは、「老境に入ったら、勝つことよりも、むしろ負けないようにしろ」ということであったのではないかと著者はいいます。おそらく、信玄の時代の40才は、今では還暦のころに該当するらしいが、やはり、攻めることと同じように守ることの大切さも大事だと恒に考えていたからこそ、このような言葉になったのではないかと思います。
下に抜き書きしたのは、「早雲寺殿廿一箇条」の第5条の文章です。これは北条早雲の話したことで、とくに「あるをハあるとし、なきをハなきとし」という文章がいいと思いました。早雲は、若い頃、建仁寺や大徳寺で修行したといわれていることから、この禅の心がこのような言葉となって現れたような気がします。
このなかでわかりにくいのは、「正直・憲法にして」ですが、この意味するところは、「正直な気持ちで、正義感をもって」ということだそうです。つまり、憲法とは「公平とか正義」というようなことのようです。
(2017.8.6)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
家訓で読む戦国(NHK出版新書) | 小和田哲男 | NHK出版 | 2017年4月10日 | 9784140885154 |
☆ Extract passages ☆
一、拝ミをする事、身のおこなひ也。只こゝろを直にやハらかに持、正直・憲法にして、上たるをハ敬ひ、下たるをハあハれミ、あるをハあるとし、なきをハなきとし、ありのまゝなる心持、仏意冥慮にもかなふと見えたり。たとひいのらすとも、この此心持あらハ、神明の加護有之へし。いのるとも心まからハ、天道にはなされ申さんとつゝしむへし。(第五条)
(小和田哲男 著 『家訓で読む戦国』より)
No.1407 『歩いてわかった 地球のなぜ!?』
孫と一緒に福島県の「あぶくま洞」に行ったときに、持って行った本で、泊まった「星野リゾート 磐梯山温泉ホテル」でも読みました。
今回は翌日に福島県立博物館にまわり、磐梯山近くの隆起や噴火などをジオラマを使って説明していましたが、この地球のダイナミズムはすごいものです。写真が多いので、孫にも見せました。ただ、理解できたかどうかはわかりません。
著者は現在、茨城県立土浦第一高等学校の教諭で、北大大学院で「環境科学」の博士号をとったということです。この本は、51のテーマに別け、登山者になったり観光旅行をして地元の人に尋ねたりするような流れでまとめてあります。しかも、写真だけでなく、図も多く、とてもわかりやすいと思いました。
この本を読んでいて思い出したのが、なぜ、コーヒーの名前にブルーマウンテンとかキリマンジャロという名前がつくのかです。その理由は、コーヒーを栽培する場所につながっているからでした。この本では、「コーヒーの栽培条件は,成長期に高温多雨,結実期に乾燥していること,排水が良好であること,年平均気温が20℃前後で,気温の年較差が小さく日較差が大きいこと,肥沃な土壌があること,霜が降りないことである。これらの条件に当てはまるのは,赤道と南北回帰線の間で,その範囲はコーヒーベルトとよばれる。コーヒーベルトの中であっても,低地では気温の日較差が小さいため,良質にはならない。つまり熱帯の高原地帯の気候は,良質なコーヒーの栽培条件に合致する。これが,高原のコーヒーに味わい深さをもたらす理由である。」と書いてあり、しかも、これをコーヒーを飲みながら読んでいました。
たしかに、歩かなければわからないことはたくさんありますし、自分の目で見てみないことには疑問もわいてこないかもしれません。たとえば、オーストラリアに行ったときに、バンクシアという植物を見て、この実は山火事にならないとその実が割れないと知り、ここは山火事が多いのだろうと思いました。しかも、山火事の跡らしきところもありました。
この本には、火をよぶユーカリとして、「ユーカリは自分で火をつけない。そのかわり火を招き寄せる。葉や樹皮の油分を,光合成によって蒸発させ,自然発火をうながすのである。ユーカリの葉や樹皮には油分が多く,そこから立ちのぼる引火性のガスが一帯の森をおおう。ここに夏の高温,落雷,風でこすれあう枝の摩擦などがきっかけとなり,山火事が発生する。シドニー西方のブルーマウンテンズ地域は,ユ−カリが出す霧状の油分が太陽に輝き,山々が青くかすんで見える。そこからブルーマウンテンズと名づけられた。」といいます。
もちろん、ユーカリが焼け焦げてしまえば元も子もなくなりますが、それでもバンクシアと同じように地面に落ちていた実が、その火であぶられ硬い殻からはじけ飛び新たな芽生えになります。実際にそのような新しい小苗を見つけると、自然の力強さが実感できました。
また、今年の3月に四国八十八ヵ所巡礼をして、最後に高野山をお詣りするのが恒例だそうで、徳島港から和歌山港までフェリーに乗って行きました。そこから伊勢をまわり、帰宅の途中で白川郷に寄りました。というのは、多層民家のかや葺きの屋根が雪でおおわれている様子を見てみたかったのです。実際に中に入ると、とても広くてビックリしました。そして2回に上がると、そこで蚕を飼っていたようです。
この本を読み、その白川郷と蚕、さらに硝石とのつながりを知りました。おそらく、あまり知られていないと思うので、ここに抜き書きしました。
(2017.8.2)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
歩いてわかった 地球のなぜ!? | 松本穂高 | 山川出版社 | 2017年4月25日 | 9784634151154 |
☆ Extract passages ☆
武将が欲する硝石を,白川郷・五箇山では地場にあるもので製造できたのである。硝石は硝酸カリウムからなり,窒素を含む。その窒素分のもとにするのは蚕の糞や人馬の尿である。それらにヒエの葉や茎,山野草を混ぜ,家屋の囲炉裏近くの床下に掘った穴に入れる。その硝石床を季節ごとに切り返し,原料を追加していくと4〜5年で硝石ができるのである。この際,蚕の糞は,硝石化反応を進める硝化菌のはたらきに欠かせないカルシウム分を多く含むので,原料として特に重要である。その蚕の飼育に,切妻造りの家屋がマッチした。
(松本穂高 著 『歩いてわかった 地球のなぜ!?』より)
No.1406 『女と男の品格。』
そういえば、「大人の流儀」という本を読んだことがありますが、この本も「週刊文春」に連載されたもので、2010年12月30日・2011年1月6日合併号から2017年3月9日号までのものから抜粋、修正されたものです。
もともと週刊誌ですし、Q&A形式ですから、とても読みやすく、語り口もちょっと突き放したような感じで、品格とは何かを考えさせるようなものでした。
たとえば、読書が好きな14歳の中学男子には、「読書が辿り着くところは、君が、運命の一冊に出逢うことにあるんだ。素晴らしい読書は、それが小説であれ、伝記であれ、旅行記であれ、人生の中で何度か読み返すことができる1冊の良書に出逢うことにつきるかもしれないね。1冊の本でも、10代で読んだ時と50代で読んだ時では、その年齢の時々で、それまで気が付かなかったものの発見があるんだ。」といいます。そして、1冊の良書に出逢うことは人生において1人の友人に出逢うことと同じ価値があるといいます。
そして、その後で、「あとはアドバイスとしては、すぐにわかる本は底が浅い。本というものはわからない所が必ずある。それがやがて人生の経験とともに理解できる日が来る。そう考えると、読書はそれだけでは意味がないということだ。本を読むかたわらで、きちんと日々を生きてる人にこそ良書との遭遇があるということだ。」といい、本だけからの知識だけでは意味がないといいます。
ここが、この著者の1番言いたいことではないか、と思いました。そして、もともとは女とか男とかの品格ではなく、人間としての品格を問うているのかもしれないと思いました。
もちろん、この本のなかには、女とか男の品格というものに直接触れているところもたくさんありますが、その先に人間としての品格もあるのではないかと思います。
よく還暦とは人生の再スタートだという人もいますが、私はそれまでの人生が女とか男としての生き方だとすれば、還暦からの人生はむしろ人間としての生き方が問われているような気がします。それと同じです。
とても気軽に読める本ですが、読み返してみると、また別な読み方ができる本だと思いました。
下に抜き書きしたのは、単独行動が好きで、旅行も一人旅が多いという24歳の女子会社員の質問に答えたものです。著者も基本は一人旅だといい、その一人旅がなぜいいのかを語っている部分です。
でも、質問の相手が女性ということもあり、私には必要かどうかはわからない、と正直に答えています。
それでも、私は若い時こそ一人旅をしていただきたいと思っています。
(2017.7.29)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
女と男の品格。 | 伊集院 静 | 文藝春秋 | 2017年5月20日 | 9784163906539 |
☆ Extract passages ☆
なぜ一人で旅をした方がいいか、と言うと、旅の目的が、素晴らしい景色を見ることであっても、世界遺産のようなものを巡るものであっても、美味しいものを食べるものでも、見物が終った後、食事が終った後で、人は旅先でしか感じ得ないものに出逢うことがあるんだ。
それは、自分が何者かを見つめる時間を、旅は与えてくれるということなんだ。その時間と出逢うためには、実は旅の中に、何もしない時間がなくてはダメなんだ。訪ねた土地をただ目的なく歩くとかね……。
(伊集院 静 著 『女と男の品格。』より)
No.1405 『「山の不思議」発見!』
副題は「謎解き登山のススメ」で、「山の不思議」とつながっています。たしかに、山に登ると、風景の素晴らしさや花々のきれいさに心を奪われてしまいますが、その存在の不思議さに心を寄せると、また新たな楽しみが生まれてくるようです。
というのは、毎年、大学の先生たちと海外に植物を見に行くのですが、いろいろなことを知っている方に聞くと、不思議というよりはその必然性がわかります。不思議の謎を解くというのは、ある意味、知的好奇心をくすぐります。
おそらく、それが著者のいう「知的登山」や「謎解き登山」ということのようです。
たとえば、よく月山に行くのですが、ここはとても高山植物の種類が多いだけでなく、いつ行ってもなにかかにかの植物を見ることができます。多くの残雪があるので、そのとけたところから花が咲き出すからです。しかも、そのような場所は、いくらか窪地になっています。
この本には、「残雪のあるところはなぜ窪むのでしょうか。これについては平標山(たいらっぴょうさん)や月山で調査がされており、雪解け水による侵食はほとんど生じていないといいます。しかし雪解けが極端に遅れるところは植物の生育が困難になってしまい裸地が出来るために、秋口に強い雨があると雨水による表土の侵食が起こって窪みが出来るようです。」と書かれていて、やはり月山などもその調査対象になっているようです。
著者は「おわりに」のところで、山登りをたんなる記録達成や早さを競うスポーツととらえることに苦言を呈していますが、私もせっかく山に登るなら、ゆっくりと楽しみながら登ってほしいと思っています。きれいな高山植物を眺めたり、雄大な山々の風景を望んだり、山には平地では味わえない素晴らしさに充ち満ちています。私も元山岳部ですから、百名山を登ってみたいという希望はありますが、山頂に立つより、その周辺部の高山植物に興味があります。それらの植物たちをゆっくりと写真におさめたいと思っています。
そういえば、山に登ると気がつきますが、風が強くて、植物たちが肩を寄せ合って生きています。でも、ところどころに風で浸食されて窪地になっているところがあり、そこにはミヤマウスユキソウやガンコウランなどが生育しています。ここは写真を撮るにも好都合な場所で、ときどき風がピタッと止むこともあります。
この本には「じつは風食という現象は日本の高山ではけっして珍しいものではありません。しかし日本列島を除けばそう簡単に見られるものではなく、世界を見渡してもスコットランドやチベット高原、パタゴニア、南極半島辺りで観察できるに過ぎません。日本列島の山岳は冬季、3000メートル級では世界一風の強い地域ですが、朝日連峰はそれらを含めて最も風の強い地域の可能性が高いように見えます。したがってこの高さでは世界で最も風の強い場所である可能性さえ出てきます。」と書かれていて、著者自身も朝日連峰で身体が吹き飛ばされそうな強い風と雨に遭遇し、山小屋に戻らざるを得ないような体験をしたそうです。
でも、このような高山植物が針葉樹もハイマツも生えていないような過酷が環境で生きているのかというと、その答えがこの本の最後のところに書かれていました。それを下に抜き書きしましたので、ぜひ見てみてください。
(2017.7.26)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
「山の不思議」発見!(ヤマケイ新書) | 小泉武栄 | 山と渓谷社 | 2016年12月15日 | 9784635510431 |
☆ Extract passages ☆
吹きさらしと吹き溜まりの起こる場所では針葉樹もハイマツも生育できないので場所が空き、そこに風衝地の植物群落や風背側の雪田周辺を好む植物群落が初めて分布可能になります。この吹きさらしと吹き溜まりが原因になって生じる植生分布を「山頂現象」、あるいは「山頂効果」と呼んでいます。低温と雪、強風にさらされる冬山の環境は厳しく、ときに遭難を引き起こすこともあるので恐れられることが多いのですが、私たちは冬の強風と多雪があるからこそ高山植物が分布しているのだということを理解すべきでしょう。
一方、日本の山は夏にはかなり高温になりますが、そのおかげで高山植物も生育できるようになっています。
(小泉武栄 著 『「山の不思議」発見!』より)
No.1404 『樹木たちの知られざる生活』
副題が「森林管理官が聴いた森の声」とあり、つねに樹木たちと向き合ってきた方が書いた本です。実務家の書いた本は、それなりの体験から書かれているので、とても興味があります。
読んでみると、著者はドイツのボンで1964年に生まれたそうですから、もともとは都会っ子でしたが、だからこそ、樹々や自然や興味があり、大学も林業を専攻したそうです。でも、今どきの林業は、経済的な安定を求めるなら営林署などの公務員しかないようです。日本では、この営林署も大幅に縮小され、小さな組織になってしまいました。
だから、自然と発言力もなくなります。
そこで、著者はフリーの営林者になることにしたそうで、著者の考えに賛同したヒュンメルや近隣のヴェアスホーフェンという自治体が行政府に森林管理を任せるのをやめて、直接に個人的な契約を結んで森林の保護と管理を委託したそうです。
まさに、寄らば大樹の蔭ではなく、その樹々1本1本を大切にしたいがために公務員からフリーランスになったわけです。おそらく、相当な決断が必要だったのではないかと思いますが、それだけ、森や樹々に対する思いが強かったのかもしれません。
そういえば、私も2014年の7月4日から15日まで、イギリスに行きましたが、そのときに出会ったドイツ人がウィズレー・ガーデンで仕事をしていて、午後の紅茶に誘われました。その自宅にうかがうと、庭に好きな草花を植えていて、とてもゆったりした生活をしているように感じました。2人姉妹の上の娘さんは、チェロを弾いてくれ、その演奏を聴きながら午後の紅茶をいただきました。
もちろん、ウィズレー・ガーデンの植物たちも生き生きしていたのですが、それを管理している方も生き生きしています。
この本にも書かれていましたが、「経済的効果だけが、私たちが森林を大切にすべき理由ではない。森には、私たちが守るべき謎と奇跡がある。葉でできた屋根の下では、毎日たくさんのドラマと感動の物語が繰り広げられている。森林は、私たちのすぐそばにある最後の自然だ。そこではいまだに、冒険をしたり、秘密を見つけたりすることができる。」と書かれています。
たしかに、森はワンダーランドです。毎日行ってみても、毎日違う表情を見せてくれます。だから楽しいのです。
もちろん、季節で大きく変化します。その変化はある日、突然やって来ます。
私も小町山自然遊歩道を管理しているから、よくわかるのですが、森はほんとうに楽しい空間です。ただ、それを楽しむためには、それなりの学習と経験が必要です。
この本には、その実体験がたくさん書かれていて、読んでいてわくわくします。
たとえば、樹齢については、「樹木の世界では年齢と弱さは比例しない。それどころか年をとるごとに若々しく、力強くなる。若い木よりも老木のほうがはるかに生産的であるということは、私たち人間が気候の変動に対抗するとき、本当に頼りになるのは年をとった木だということを示している。この研究結果を見るかぎり、森林を活性化させるためには木々を若返らせるべきだという主張は誤りだったといえるだろう。ただし木材の利用という点では、年老いた樹木は価値が下がることもある。菌類が幹の内部を腐らせるからだ。それでも生長が止まることはない。気候変動に対抗する手段として森林を利用するなら、私たちは自然保護団体と意見をともにして、木々を長生きさせなければならないのだ。」とあります。
たしかに、樹々の成長はゆるやかですが、その樹齢は驚くほどの寿命を保っています。たとえば、現存の木ではアメリカのカリフォルニアにある「ブリッスルコーン・パイン」は約4,800年というからすごいものです。日本の縄文杉も7,200年といいますが、科学的根拠は少しなさそうです。
下に抜き書きしたのは、最初のところに書かれている木の伝達速度ですが、ほんとうにゆっくりしています。でも、何百年も生きるわけですから、こせこせしていないのです。このおおらかさを、私も見習いたいと思いました。
(2017.7.23)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
樹木たちの知られざる生活 | ペーター・ヴォールレーベン 著、長谷川 圭 訳 | 早川書房 | 2017年5月25日 | 9784152096876 |
☆ Extract passages ☆
ブナもトウヒもナラも、自分がかじられる痛みを感じる。毛虫が葉をかじると、その噛まれた部分のまわりの組織が変化するのがその証拠だ。さらに人体と同じように、電気信号を走らせることもできる。ただし、その速さはとてもゆっくりしていて、人間の電気信号は1,000分の1秒ほどで全身に広がるが、樹木の場合は1分で1センチほどしか進まない。葉のなかに防衛物質を集めるまで、さらに1時間ほどかかるといわれている。
緊急事態のときでさえこの速さなのだから、樹木はやはりおおらかな存在なのだろう。
(ペーター・ヴォールレーベン 著 『樹木たちの知られざる生活』より)
No.1403 『泥があるから、花は咲く』
お坊さんの本が続いていまいましたが、これはまったくの偶然です。この本の著者は、特別尼僧堂堂長と正法寺住職、さらには無量寺東堂も兼務されているそうですが、多くの本も書かれていて、まさに多方面に活躍されています。
ただ、題名について考えてみると、この花が蓮の花ならいいのですが、たとえば他の花ならおそらく枯れてしまいます。蓮の場合は、泥池であっても根に空気を通す穴があるので窒息はしないのですが、他の花は根に空気を取り込めないので、枯れるのです。すべての花が泥があるといいわけではなく、むしろ泥があっても咲くのは例外中の例外です。
何年か前になりますが、ある医師会で「植物に学ぶ」という題名で講演をしたことがありますが、植物の多様性にはすごいものがあります。だから、泥の中でも生きられるし、土のない樹木に着生しても生きられるのです。ただただ、植物の生き方には感心させられます。
この本にもどると、たとえば、お釈迦さまの在世当時の話しとして、「ピンズル尊者とウダエン王は幼なじみでした。一方はすべてを捨てて出家をされ、お釈迦さまのお弟子となり、ご修行の末、ピンズル尊者と呼ばれるような聖者となられました。一方はいくつかの国を征服して、ならびなき大王になられたのです。あるとき、ピンズル尊者が故郷のコーサミーを訪れ、林中で坐禅をしているということを伝え聞いたウダエン王は、多くの家来や女官をしたがえ、美々しく王としての装いをととのえて尊者を訪ね、こういいました。「私は今、諸国を征服して、その威徳の盛んなことは天日のごとくである。頭には天冠をいただき、身には瓔珞をまとい、多くの美女たちも左右にかしずいている。どうだ、羨ましくないか」。尊者はたった一言、「吾に羨心(せんしん)なし」と答えられました。「ちっとも羨ましくないよ」というのです。ピンズル尊者とウダエン王と、幸せの中味が大きく違って
いることに気づきます。」とあり、たしかに人それぞれに幸せの中味は違います。
だからこそいいわけで、みんな同じ幸せを求めるとすれば、そこに必ず争いが起きてきます。
では、人と争わないで生きるにはどうすればいいのかといえば、あまり人と同じような考え方をしないというのもひとつではないかと思います。そのためにも、自分自身を見つめるというか、自分をちょっと遠くから見てみると、自分というのが少しはわかるのではないかと思います。
この本では、「滝の外へ出なければ滝全体を見ることはできないように、山を出なければ山全体を見ることができないように、人生の外へ出なければ自分の人生の展望はできません」と言います。
では、人生の外へ出るとはどういうことかといいますと、安泰寺の内山興正老師は「棺桶の中に入り、そこから振り返って見よ」と言ったそうです。
つまり、たんなる外部から見るということではなく、自分が死んだつもりで、そこから見つめ直すという強い姿勢です。ある意味、自分はいつ死んでも悔いはない、という気持ちにも通じる言葉です。
そのぐらいの気概がなければ、自分自身を突き放して見ることはできないのかもしれません。そういえば、内山興正老師の師匠である沢木興道老師は、「坐禅とは見渡しのきく高い山へ登るようなものだ」と言ったそうですが、それにも一脈通じるものがあります。
下に抜き書きしたのは、水と氷の話しです。
たしかに水も氷も、もともとは水ですが、その性質はまったく違います。それを人生の話しにたとえたのが巧みです。このような話しがこの本にはたくさんありました。
(2017.7.19)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
泥があるから、花は咲く | 青山俊董 | 幻冬舎 | 2016年12月10日 | 9784344030428 |
☆ Extract passages ☆
水と氷にたとえてみましょう。水と氷はもとは一つのものですが、氷とこりかたまると一つの器には入っても違った器には入らず、無理に入れようとすると両方が傷つきます。水ならばどんな器にも、またどんな小さな隙間にも入ることができ、両方とも傷もつけず、むしろ自分を汚しながら相手を清めてゆくことができましょう。
氷とこりかたまったら、自分の心ばかりではなく、人の心も氷らせ、花も魚も氷らせてしまう。水ならばその中で魚もわが住み家として命の歌をうたうことができ、人も泳ぎ、舟も走ることができます。
(青山俊董 著 『泥があるから、花は咲く』より)
No.1402 『雨の日に感謝』
著者は、現在、観音寺の住職で、高野山真言宗の教学部長だそうで、他にも「あじさいの会」を主宰しているそうです。
この本の題名も、なんとなくアジサイのイメージにダブっているような気がします。そして、表紙の絵も、その蛙の姿が、むしろ雨を喜んでいるかのようです。
晴れの日に感謝は当たり前で、雨の日にも感謝ということのようですが、晴れも雨もあるからこの世はいいのであって、それが極端だと困るのです。でも、最近の異常気象は、おそらく人間が大きく関わって起きているから心配なのです。
そういえば、前回の本も僧侶の書いた本でしたが、なぜか、今回もそうです。とくに選んだ訳ではないのですが、おそらく、お盆が近いから自然と眼が行くのかもしれません。
この本のなかで、「1+1=2とならないところに、この世のもどかしさがあります。たとえば、真面目に生きている人が不幸な目に合ったり、努力しているのに結果に恵まれなかったり、この世の不合理を感じます。しかし、その逆もあります。ガンで死の宣告を受けていたのにそのガンが消えて助かったり、採用試験で不合格だと思っていたら、繰り上げ合格したり、思いがけないことが起こります。結果の見えないことは不安ですが、またそれがこの世のぉもしろ味なのだと思います。」と書いてあり、たしかにそうだと思ったりします。
とくにこのような本は、1回読んだり見ただけでは、なかなかピントこないこともあり、何度か読んでいるうちに納得できたりします。
でも、人生はどちらかというと、なかなか納得できないことのほうが多く、なぜなんだろうと思うこともあります。そういうときこそ、「雨の日もあるよなあ!」と思います。すぐに晴れなくても、必ず晴れるし、サッと薄日が射すことだってあります。
ほんとうに、1+1=2にならないことがあると思います。
でも、だからこそ、飛び切り大きな思いがけないいいこともあるわけで、1+1=10 になることだってあります。さらに、−1×−1=1ということだってあります。
つまり、人生は計算通りにはいかないということです。
下に抜き書きしたのは、花から人生を学ぶという1節です。たしかに、植物から人生を学ぶことはたくさんあり、私もある医師会の記念講演で「植物から学ぶ」という題名でお話しをさせていただいたことがあります。
著者も、あじさいの会を主宰してますから、だいぶ植物には関心があるのではないかと思います。
アジサイといえば、「あじさいは六月に咲く花だと思っているようですが、秋にもう一度咲くあじさいがあります。季節はずれに咲いたあじさいを見つけた人の喜びようは大変なものです。みんなと同じ時に咲かなくても、自分のペースで咲いた方が、希少価値があがるのではないでしょうか。」というような話しも載っていました。
(2017.7.17)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
雨の日に感謝 | 小籔実英 | PHP | 2017年5月30日 | 9784333027583 |
☆ Extract passages ☆
咲く花にこの世のご縁を学び 散る花にこの世の無常を学ぶ
この詩、花から人生を学ぶ最たるものです。
自分の花を咲かせようと思っても、自分だけの力では、決して咲きません。色んなご縁があってはじめて咲くのです。その美しく咲いた花には、いつまでも咲き続けて欲しいと思います。しかし、必ず散っていきます。それは、この世が無常だからです。
人の営みもこの花と同じです。花から人生の最も大切なことを学ぶことができます。
(小籔実英 著 『雨の日に感謝』より)
No.1401 『お坊さんがくれた 涙があふれて止まらないお話』
この本は、月刊誌『PHP』に連載された「読みきり小説」2011年9月号から2014年12月号までのものだそうです。
読みきりですから、ちょっとの時間で読めますし、あらすじを追わなくても、それなりに理解できます。土日の忙しいときには、このような本もいいな、と思いました。
著者は、あるお寺の住職だそうで、肩書きは児童文学作家です。おそらく、読みやすさはそのあたりからもきているようで、何編か読んでいると、その流れや行き着くところが見えてきます。おそらく、それが安心して読める理由かもしれません。
そういえば、テレビドラマの「水戸黄門」だって、ほぼ流れが読めますし、おきまりの最後の台詞などもみんなわかっていながら見ているのと同じような心境ではないかと思います。名前をつけるときの思いとか、不幸に陥りながらも家族の支えで立ち上がるとか、いろいろあっても、人が感動するのはやはり同じようなことです。
たとえば、「希望の絵」という小説は、聡明な女性になってほしいと願い「智恵」と名づけたとか、その智恵さんが児童養護施設で育った田口夢人さんと知り合い結婚し、次々といいことがあったのに自分たちの子どもがいじめにあったり、父親は脳梗塞、母親は介護疲れでうつ病になり、ついには夢人も勤め先の自動車工場の爆発事故で挿絵画家としてやっと名の知られるようになったのに、利き手の左手で描けなくなります。そのことを作家は、「この世界のすべては移ろい変わっていく。幸せを得ても、それは束の間で、すぐに消え失せてしまう。私は、彩華が生まれ、夢人が挿絵画家としてデビューしたときとても幸せだった。しかし、その後、父親は脳梗塞で倒れ、母親はうつ病を患った。彩華はいじめをうけた。さらに、夢人は左手を負傷した。私たちが築いた幸せは、あっという間に崩れてしまったのだ……。だけど、左手の自由を失った夢人は、残った右手で希望に満ちた絵を描いた。幸せが壊れたら、違う形の幸せをつくる努力をすればいい。暗闇のなかでも、あきらめずに前をみて歩いていけば、いつか、きっと、新たな光に出逢えるはずだ。」と描きます。
たしかに、そうだと思いながら、拍手したい自分がいたりします。つい、応援したくもなります。
「お坊さんがくれた」というように、お寺の話しやお坊さんの話も出てきます。おそらく、それが著者の持ち味のような気がしました。おそらく、自分自身の体験もあるのかもしれません。
下に抜き書きしたのは、陽子さんという女性が6歳のときにやかんの熱湯を浴びて腕と背中にやけど跡があるけれど、それに負けないで夢を実現している強さに触れるところです。
でも、最後まで読むとわかりますが、強いと思っていた陽子さんもそれなりに悩んで苦しんでいました。人は1人ではあまり強くなれないけど、2人ならすごく強くなれると思います。
それはこの物語を読むとわかります。
(2017.7.15)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
お坊さんがくれた 涙があふれて止まらないお話 | 浅田宗一郎 | PHP | 2015年3月10日 | 9784569822457 |
☆ Extract passages ☆
肉体のハンディに苦しむ者はたくさんいる。
しかし、現実を否定しても何も変わらない。この世界は外見が優れているから幸せになるのではない。見た目が劣っているから不幸せになるのでもない。大切なのは先天的な資質ではなくて後天的に身につける力だ。やけど跡というハンディを乗り越えて夢を実現していく陽子の姿はそれを見事に証明している。
(浅田宗一郎 著 『お坊さんがくれた 涙があふれて止まらないお話』より)
No.1400 『大人の鉄道雑学』
この本の題名の前に「誰かに話したくなる」という言葉があり、さらに題名の下に「新幹線や通勤電車の「意外に知らない」から、最新車両の豆知識、基本のしくみまで」とあり、これらを読むだけで、中味がなんとなくわかるような気がしました。
でも、読もうと思ったきっかけは、裏表紙に「日本の鉄道は右側通行?左側通行?」とあり、それがわからなかったからです。
でも、正解は左側通行と書いてあり、その理由は明治維新後イギリスから鉄道技術を導入したことで、その当時のイギリスが左側通行だったからとあり、すぐに納得しました。
また、鉄道の動力は、最初は石炭などを燃やして蒸気を作って走る蒸気機関車とディーゼル機関車、そして電気で走る電車の3つしかないそうで、これも納得でした。しかし、初めて知ることも多く、意外と知らない鉄道のことにビックリしました。
しかも、カラー写真が多く、とても読みやすくなっていて、定価が1,000円+税でも仕方ないと思います。
そういえば、最近多くなっている改札でのICカードですが、つい、あの読み取り部分に押しつけますが、実は非接触型だそうで、約1p程度まで近づければいいのだそうです。でも、タッチしてくださいとアナウンスがあるので、やはり押しつけてしまいます。でも、この方法だと1回1回切符を買うことがなく、とても楽なのでいつも利用しています。この自動改札機、1台1,000万円といいますから、壊したりしたら大変なことです。
しかも、JR東日本の「Suica」は、今では関東圏のほとんどの地下鉄や私鉄などでも使えるので、とても重宝しています。でも、このICカード、実は鉄道会社から貸与されているそうで、自分の物ではないそうです。
おもしろいと思ったのは、今、車はハイブリットカーで省エネが多くなっていますが、じつは電車の世界でも少しずつそのような傾向があるそうで、2014年に登場したEV-301系は、「電車方式」のハイブリッドだそうです。「直流電化区間では通常の電車と同じく架線からの電気で走りますが、同時に搭載した蓄電池にも充電。やはり、回生ブレーキで発生した電力も充電します。そして、この蓄電池の電力だけを用いて走ることもできるため、非電化区間への乗り入れも可能なのです。」とあり、現在は栃木県の東北本線や烏山線を直通運転しているそうです。
知らないうちに、鉄道も少しずつ様変わりしていると思いました。
そういえば、よく話題になるのが「開かずの踏切」ですが、いつもなんとかならないのかと思いますが、やはり立体交差にするには多額の経費がかかるので、すぐには無理とのことです。それでも、遮断機で踏切が閉まってから列車が通過するまで20秒あけるのが国土交通省の省令だそうですが、「列車選別装置」でいくつかの工夫はしているそうです。
下に抜き書きしたのは、ほんとうに事故の少ない鉄道ですが、そのその衝突事故を回避する「閉塞区間」についてです。
それにしても、地方の路線はそれでも理解できますが、東京都区内の2〜3分に1回走ってくる電車をどのように操作しているのか、それも同じ原理だそうですが、すごいことだと思いました。
(2017.7.13)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
大人の鉄道雑学(サイエンス・アイ新書) | 土屋武之 | SB Creative | 2016年9月25日 | 9784797386639 |
☆ Extract passages ☆
鉄道の安全を守る、いちばん根本的な考え方は「閉塞」です。
これは、線路をいくつもの細かい区間に分け(これを閉塞区間と呼びます)、各閉塞区間には、絶対に1本しか列車を入れない、入れさせない、入らないようにするというものです。鉄則中の鉄則といえます。
単線区間の場合、列車のすれ違いができる駅と駅の間が、1つの閉塞区間となります。複線区間の場合は、駅と駅との間も、いくつかの閉塞区間に区切られています。
そして、各閉塞区間の入り口に建てられているのが、鉄道の信号機です。複線以上の区間では、信号と信号の問が1つの閉塞区間になります。鉄道における信号は、その先の閉塞区間に進入してよいかどうかを示すものなのです。
(土屋武之 著 『大人の鉄道雑学』より)
No.1399 『人と書に学ぶ』
7月8日まで中国の雲南省にいましたが、この本を選んだのは、以前は中国に来ると必ず硯とか文房四宝を買い求めたのですが、最近は紙を買うぐらいです。というのは、いい硯がなかなか見つからなくなったこともあり、紙だといくらでも持ち帰れるからです。
それでも、いい紙を見つけるのもなかなかできなくて、日本と同じように、手のかかる紙製法をしなくなったこともあるようです。
だから、見つけたときにはうれしくて、今でもそれを使っています。それを思い出したので、今回はこの本を持ってきました。
この本は、もともと雑誌「書源」や「書の教室」に30年以上書き続けてきたものから抄出したものだそうです。中国と日本の書人の話しを30篇選んでこの1冊にしたそうで、人間性がにじみ出てくるような文章でした。ただ、紙幅の関係でこれらの作品が掲載されていないのは、ちょっと残念でした。でも、超有名な書人ばかりですので、図書館にでも行けば見ることはできそうです。
30篇のうち、中国の王羲之が2つ、日本の池大雅と亀田鵬斎が各2つずつなので、27人の書人について書かれています。
読んでみると、書人のエピソードなどは、今まで知る機会がなかったので、とてもおもしろいと思いました。たとえば、鄭板橋(ていはんきょう)1693〜1765年のことですが、母4歳の時になくなり、乳母が手当もないのによく働いてくれ、1銭で1餅を買ってくれ、それが1日の食べものであったといいます。「このような苦しみにも負けず、やさしい乳母によく支えられて大成した。板橋は、この乳母の恩義忘れがたく、後年一詩を成しているが、その一句に、『食禄千萬鍾 不如餅在手』とある。食禄をいくら重ねられても、幼い時にあの乳母が手のひらにのせてくれた、一餅に及ばないというのである。」とあり、おそらく、もち1つが絶対に忘れることのできないものだったことがうかがえます。
また、良寛のエピソードも、書人の見方は一般人とは違い、「良寛は、長岡城下の本間家へもときどき出かけたらしい。本間家では、良寛がたずねてきても、別にあいそよくむかえるということはしなかった。かえってほっておいた方がよかったらしい。戸口のところへ来て、気がむけばざしきの方へも上がってくる。すると、主人の本間三郎兵衛は、ごくふつうのあいさつをして、きれいなてまりをいくつかとり出して見せる。良寛はしばらくそのてまりを手にもっていると、ほしくなってくる。そのとき字をかいてほしいと切り出すのである。良寛は決してことわることがなかったという。それどころか、てまりと遊んでいるうちに興がわいて、たちまち十紙に及ぶことがあったという。」と書いてあり、お金ではなく、手まりに惹かれたということがいかにも良寛さんらしいと思いました。
このほかにも印象に残る書人のエピソードがいくつかありますが、もし機会があれば、読んで見てほしいと思います。そして、書人が実際に書かれた書もみれば、さらに共感できるのではないかと思います。
下に抜き書きしたのは、小野道風が若いときに代筆を頼まれ、なかなか満足のいくものが書けなかったときに、ヤナギの枝に飛びつこうとした蛙の様子を見ていたときのことだそうです。
やはり、すごい努力をしていたからこそ、このような光景を見て、感じるものがあったのではないかと思います。
ちなみに「申文」というのは公卿などが朝廷に叙位任官を申請する文書です。書人には書人ならではのいろいろなエピソードがあるものです。
(2017.7.9)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
人と書に学ぶ | 松村龍古 | 文芸社 | 2017年5月15日 | 9784286181905 |
☆ Extract passages ☆
道風は、この光景に心を強くひきつけられた。蛙は幾度も幾度も、同じことをくりかえしては、失敗をしている。道風は、この蛙の姿は自分の姿そのものではないかと思った。そして蛙が、やっと柳の枝にとびついた時には、ほっとしたのであった。
道風は部屋にもどり、あの柳の枝のやわらかな、垂れさがった線と、蛙が全生命力をふりしぼってはねあがった、いのちがけの鋭い線とを思いうかべていた。
書の線には、のびやかさが必要である。またするどさがなくてはいけない。そのどちらが欠けても、書としてはとるに足りないものになつてしまう。道風は、こんなことを考え
ながら、その夜のうちに申文を書き上げてしまった。
(松村龍古 著 『人と書に学ぶ』より)
No.1398 『旅するカメラ』
何年か前に買ったのですが、いつか旅に出たときに読もうと思いながら、なかなかその機会がありませんでした。
そこで、今回の旅でやっと持ち出して読みました。私自身の今回のカメラは、ソニーのα7R2とα6000です。α7R2は、3月に四国88ヵ所お遍路の途中で壊れてしまったα7Rの代替えです。旅に持ち出すのは始めてて、ちょっと不安です。
でも、α6000とレンズが共用なので、今回もこのような組み合わせになりました。
さて、この本ですが、カメラマンの渡部さとるさんが書いたもので、もともとは自分のサイトの目玉として書いていた写真に関するコラムで、毎週一度の更新だったそうです。この本には、100本ほどあるなかから、24本を選びここに掲載したそうです。
やはり、写真を撮るのが好きで、そのまま仕事にしたぐらいですから、とても参考になることがたくさん書いてありました。
たとえば、「20歳のころならもっとワイドなレンズを選んだだろうが、30歳も半ばになると視覚がだんだん狭くなる。写真家・高梨豊のいうところの「焦点距離年齢説」である。要するに年齢が20歳ならレンズは20ミリ。35歳なら35ミリ。50歳になったら50ミリが生理的にピッタリくるという経験論だ。それに僕もきっちりとあてはまった。」とあり、たしかに言われればその通りだと感じました。
今回、初めて持ってきたのが90mmマクロ2.8です。去年は50mmマクロ2.8でしたが、どうもバックのボケ方が中途半端のような気がして、ちょっと重いのですが持ってきました。やはり、遠くからでも草花が狙え、主役を際立たせることができます。
それと、写真を撮るのは夢中ですから、何枚撮ったかなどまったく考えませんが、帰国して自宅でデジタル処理をするときには、撮るときの何倍も時間がかかります。著者は、「ある程度自動処理できるものの、結局は一枚一枚開いて確認して調整してという作業が付いて回る。260枚もの大量のデータを作るのに丸々一日、時間にして10時間以上かかってしまった。撮影時間よりも長い。同じような作業を延々繰り返す。画像をいじる作業はプリントをするくらいだから嫌いではない。没頭するとあっという間に数時間は過ぎていく。なんとなくケリをつけられずに休みなしでパソコンの前に座ってしまう。気付くと真夜中だ。」と書いていますが、まったく同じです。
私も、今回程度の海外旅行では、おそらく2ヶ月ぐらいはかかるのではないかと思います。とくに、植物の名前をつけるのに、あっちこっちの図鑑を引っ張り出してするので、デジタル処理以上の時間がああるのです。
でも、それでも必ずやり遂げるので、嫌いではないようです。
また、著者がライカやハッセルブラッドなどのカメラを使うと、新しいなにかを撮れるかもしれないという気持ちになるそうですが、私も、少しはそういう気持ちがあり、使ったことがあります。
下に抜き書きしたのは、カラー写真とモノクロ写真の違いについて書かれたものです。私は、カラーとモノクロの違いだけと思っていたのですが、実は撮るときから違うというのです。
これは、まさに目から鱗でした。さすが、モノクロで仕事をしてきた写真家だけのことはあります。
(2017.7.6)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
旅するカメラ(笊カ庫) | 渡部さとる | 竢o版社 | 2003年10月20日 | 9784870999497 |
☆ Extract passages ☆
人は通常、視覚情報を形と色で認識しているが、毎日毎日写真を撮ってプリントしてという作業を10年も続けると「色」という情報を「トーン(階調)」に置き換えて見ることができるようになる。いうまでもなくモノクロ写真はトーンのみで構成されている。「トーン」が見えるようになるということは、取りも直さず「美しいトーン」が見えてくるということになる。
それゆえ、「美しいトーン」の場所をモノクロフイルムで撮れば「美しいモノクロプリント」ができあがるということになる。
カラー写真は「色」というポイントが大切になる。色を「点」として捉える。モノクロはトーンの「連続性」。真っ赤な薔薇をひとつ撮るにしても、カラーであればバックの色との相性を考え薔薇色が引き立つようにライティングを考える。しかしそのセットのままでモノクロ写真を撮ろうとすると、薄黒いグレーの薔薇にしか写らない。モノクロで撮るなら、薔薇の花びらひとつひとつに「トーン」を持たせたライティングでなければ薔薇は薔薇として写らないのだ。
(渡部さとる 著 『旅するカメラ』より)
No.1397 『京都の壁』
この『京都しあわせ倶楽部』というシリーズは、2015年9月に始まったそうで、京都のいろいろを紹介する意味もあるそうです。編集主幹は作家の柏井壽さんで、この他にすでに4冊刊行されているそうです。
だからといって、今、京都にいるわけではなく、28日の午後に上京して、29日朝の飛行機で中国の上海に着き、その午後の便で、雲南省の昆明に着きました。その移動の間にこの本を読みました。
やはり、旅行に持って出る本は、文庫本かこのような新書版で、なるべくなら気軽に読めるものが好きです。ただ、旅先なので、なるべくなら旅行ものと思っているのですが、これは京都に興味があるということもありますが、あくまでも京都は旅先に過ぎないからということで選びました。
それでも、若いときに1年ほど住んだことがあるので、少しはこの本に書いてあることになるほどと思いますが、まったくそのようには思わなかったということもあります。
たとえば、「私の先輩の三木成夫さんが言ってました。「街は人間の体と同じだよ。脳みそもいるけれど、手足も生殖器も、胃袋もいるんだ」と。古い街は、それらをだいたい備えています。街は身体なのです。古い街ほど、それらが上手にアレンジされている。頭で考えてつくると、キャンベラとかブラジリアとか、つくばになって、はなはだ居心地が悪くなるのです。 街が成熟して人の居心地がよくなるためには、1000年ぐらいの長い時間がかかるということです。だから古今東西、古都が好まれるのです。」というのは、なるほどと思いました。
たしかに、その街で生きる人たちにとっては、なくてもいいものもあるけど、ないと絶対に困るというのもあります。それを体で表されると、すべてみな必要なものばかりです。それらが揃っているからこそ、居心地がいいわけです。
やはり、古都には長い間に培われてきた心地よさがあります。
また、京都とはあまり関係ない話しですが、「漢字と仮名があると、脳の中で何が起こるでしょうか。実は、脳が何らかの損傷を受けたとき、漢字か仮名のどちらか一方が読めなくなることがあります。漢字を読むときと仮名を読むときとでは、それぞれ脳の別の場所が働いているからです。仮名を読むのは「角回(かくかい)」という場所であり、漢字を読むのは「左側頭菓後下部」です。比較的離れているので、両方とも同時に損傷を受けることが少ないのです。外国人の場合は、漢字を使わないので、表音文字を読む「角回」しか使っていません。そのため、角回が損傷を受けてしまうと、文字が一切読めなくなってしまいます。日本人の場合は、角回が損傷すると、漢字は読めても仮名が読めなくなり、左側頭葉後下部が損傷すると、仮名は読めても漢字が読めないという状態が起こります。」ということが書いてあり、あらためて、日本語の素晴らしさを知りました。
おそらく、日本人の物の考え方にも、このようなことが影響しているのではないかと思います。
下に抜き書きしたのは、外国語のことです。実際に旅行していても、あまり上手にしゃべるよりも、訥々としていたほうが、向こうの人が親身に聞いてくれるような気がします。
また、数年前にイギリスにいったとき、キューガーデンの園長室で、静かにお話しをする方がおられましたが、後から聞くと彼は上流社会の方で、独特の話し方をされるということでした。それが、ここに出てくる「オックスブリッジ」ということかもしれません。
この話し方を聞いて、やはり、イギリスは階級社会だと感じました。
(2017.7.3)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
京都の壁(京都しあわせ倶楽部) | 養老孟司 | PHP | 2017年5月26日 | 9784569838229 |
☆ Extract passages ☆
そもそも外国人は言葉が上手になってはいけないのです。下手だとわかると「下手だからああいうことを言うのだ」と思ってもらえるのに、ベラベラだと怒らせてしまう。
英語にも「オックスブリッジ」といわれるものがあって、オックスフォード大学、ケンブリッジ大学の寮で育った人たちに独特の英語があります。両大学の出身者はオックスブリッジをしゃべるのですぐにわかるのです。
(養老孟司 著 『京都の壁』より)
No.1396 『雑草にも名前がある』
「おわりに」のところで、草野双人は2人いる、と明かしていますが、雑草についてあれこれと考えているうちに、1つの同じ思いを共有するようになったといいます。だから、10歳ほど年齢が違うそうですが、雑草に仮託して自分たちの思いを語っていました。
でも、この本を読んでいるときには、不思議ともなんとも感じなかったのですが、最後の最後に2人と明かされると、何ヶ所かになるほどと思うところがありました。
もともと、この本の題名は、牧野富太郎の「雑草という名の植物は無い」という発言から、昭和天皇がこの発言を知っていて、侍従であった入江昭三さんに、『雑草という草はないんですよ。どの草にも名前はあるんです。どの植物にも名前があって、それぞれ自分の好きな場所を選んで生を営んでいるんです。人間の一方的な考えで、これを切って掃除してはいけませんよ』とおっしゃったと『宮中侍従物語』に書いていて、広まっていったようです。
ただ、雑草という言葉に、植物名というよりは、植物の生命力の強さとか強靱さを表現したいがために使っているようなところがあります。たとえば、スズメノカタビラのところに書いてある「「雑草のように」と「温室育ち」という言葉は、通常、反対の意味で使われる。前者は、他人の庇護を受けなくても自力でたくましく生きていくさまをいい、後者は、過保護に育てられて万事他人任せ、どちらかといえば、生来のエリートにたとえて使う場合が多い。雑草は生活力においてしたたかで、どこにでもありふれた草として珍重されることがあまりないから、「温室育ち」のエリートとは対極に位置しているのだろう。」と書いています。
たしかに、雑草と温室育ちとでは違いますが、たとえ温室でそだっているとはいえ、その植物の本来の生育地では、もしかすると雑草のように逞しく生きているかもしれません。そう考えれば、環境こそが一番の分かれ目のような気がします。
また、カラスウリの繁殖の方法もすごく、「なんと、秋になって枯れる前に、垂れ下がった蔓を地中にもぐり込ませ、先端に養分を蓄え、翌年の発芽に備えて塊根をつくる。地上の種子だけでない、生き残りのための第二の手法をつねに準備しているのだ。この塊根の澱粉は上質で、昔は、食用にもなったし、「汗知らず」と呼ばれて、汗疹止めにも使われ、また、根そのものは、利尿、催乳、解熱の薬として使われた。」といいますから、その巧みな繁殖の方法を薬として利用する人間もしたたかなような気がしました。
それと、この本には、雑草のように逞しく生きた人たちのことも書いてあり、たとえば、「キューバの日本人移民史は特異である。それが他と異なるのは、その先駆けたちに、直接、日本から渡った者が少なかったこと。ほとんどがメキシコあるいはペルー、パナマからの、いわゆる転航者である。」と書いてあり、まさかあのキューバに移民した方がおられたとは思いもしませんでした。その数、1,143人というから驚きです。そのメキシコには、榎本武揚が主導した榎本移民がいたそうで、さらにはそのメキシコにはカリフォルニア半島の沖合でアワビやマグロ漁をするために、その漁業ライセンスをとるために移民した人もいたと聞き、ビックリしました。
そういえば、ドクダミのところでは、著者の一人が禅寺で17歳まで2年ほど過ごしたことが書いてあり、それなども雑草のことを書きながら思い出したのではないかと推測したり、著者たち自身も、それなりの雑草的な生き方をしてこられたからこそ、書こうと思ったのかもしれません。
下に抜き書きしたのは、雑草のなかの雑草ともいうべき、チカラシバについて書いてあるところです。
たしかに、雑草は人間の活動に合わせて力を付けてきたようなところがあるから、このような見方もできると思いました。
(2017.7.1)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
雑草にも名前がある(文春新書) | 草野双人 | 文藝春秋 | 2004年6月20日 | 978416660385 |
☆ Extract passages ☆
チカラシバは人間と踏ん張り合って生きている。自虐的といえばへンだが、人間に踏まれるからこそ、その分、強く根を張りたくましく生きられる。最近、見かけることも少なくなったし、ひ弱なものばかりなのは、人間が自然の中で活動しなくなったからだろう。雑草は人間の生き様を素直に映し出す。
(草野双人 著 『雑草にも名前がある』より)
No.1395 『空海 黄金の言葉』
この本の題名の前に「生き方が変わる!」とあり、たしかにお大師さまの言葉にはインパクトがあるから、と思いながら読むことにしました。
この本で取りあげられている言葉の半分以上は、どこかの本で読んだことがありますが、なかには初めてということばもあり、さらにその解釈の仕方が違っていたりで、楽しく読むことができました。そのいくつかは、情報カードにも抜き書きしました。
たとえば、その1つは、「空海は「心不浄なるときはすなわち仏を見ず」と言っています。汚れた心では仏の真の姿さえ見ることができないと。垢や埃で心のレンズが曇れば、仏像の清らかな姿もただの木のかたまりに見え、自分の心の仏の姿も見えなくなります。世界が美しく見えるのは「美しいものを美しく見る心」を持っているから。「世の中は汚い、くだらない」と嘆くなら、そう言う自分の心は汚れていないか点検するのが先です。疲れやストレスで周りをよく見る余裕もなくなっていると、世の中はますます味けなく見えるもの。まず疲れを癒やし、汚れたレンズを拭って視界をぱあっと明るくしましょう。」と書いています。
たしかに、サングラスをかけて見れば、そのサングラスの色を通して見ていることになります。汚れていれば、その汚れもいっしょに見えてしまいますから、汚く見えてしまうのは当然です。
また、この本のあるところでは、「楽じゃない人生だからこそ、人は楽しむための工夫をしてきました。歌や踊り、祭り、芸術はその一例です。リリーフ専門だったあるプロ野球の投手は、「ピンチで苦しい場面のときほど、どう抑えてやろうかとワクワクして楽しんだ」と言つています。楽じゃないからこそ「楽しむ」、その工夫こそが大事なのです。」と書いていて、なるほどと思いました。
考えてみれば、この世の中、むしろ大変なことや苦しみのほうが多いような気がします。でも、生きていかなければならないとすれば、その苦しみを楽しみに変える工夫が必要です。
だとすれば、それだけでも楽しくなりそうです。辛いとか苦しいとか、そのような思いが心を占めたら、楽しむための工夫をしましょう。きっと見つかるはずです。そして、見つけようとしているうちに、いつの間にか、苦しみが薄れてくるのは間違いなさそうです。
この本には、抜き書きしきれないほど、たくさんの名言がありました。ときどき、引っ張り出して、また読んでみたいと思いました。
下に抜き書きしたのは、『性霊集』のなかの一節で、「香を執れば自らかんばし、衣を洗えば脚浄(きよ)し」の解釈です。
簡単に言ってしまえば、香を使っていれば自分の体からよい香りがするし、着ているものを洗えば脚まできれいになるというような意味です。でも、それを解釈することによって、下のような意味合いを帯びてくるのです。
さらに、この本では、「笑顔は周りに広がっていく」とまで拡大解釈をしています。つまり、古い言葉は、その時代にあわせて、いくらでも解釈できるということになります。
(2017.6.28)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
空海 黄金の言葉(ナガオカ文庫) | 宮下 真 | 永岡書店 | 2013年4月10日 | 9784522476161 |
☆ Extract passages ☆
香は清浄なものを表し、「日々よい行いを心がけていれば、いつの間にか自分の周りによいことが広がっていく」ということ。「衣を洗えば脚浄し」とは、香がしみ込んだ着物を川で洗うと、香が流れ出して脚もいっしょにきれいにする、つまり「世の人のためを思ってよいことをしていると、ひとりでに自分にいいことが返ってくる」ということです。
(宮下 真 著 『空海 黄金の言葉』より)
No.1394 『人と植物の文化史』
この本は、第97回暦博フォーラム「人と植物の文化史――くらしの植物苑がみせるもの――」の講演からのもので、このフォーラムは20年間の活動をまとめたようなものだといいます。
たしかに、人と植物の関係は密接なもので、というよりは植物にいかに頼って生きてきたかということです。この本の中でも、「柳田国男という民俗学者が、景観というものは時代とともに変わっていくものだと語っています。小さいころに見た風景が手つかずの豊かな自然だと思っている人が意外に多いように思いますが、いくら懐かしんでもそのような景観は手つかずの自然ではなく、人が環境とのかかわりのなかで作り出した文化景観なのです。縄文時代から現代まで大急ぎで景観や景観を作っている植物について考えてきましたが、いつまでさかのぼれば手付かずの自然があるのかといえば、縄文時代にさかのぼってもそのようなものはないというのが事実だと思います。つまり人は縄文時代から景観を作るたくさんの植物と深くかかわってきたということなのです。」とあり、本当の手つかずの自然などというのは、地球には残っていないのではないかとさえ思います。
この本では、季節の伝統植物として、サクラソウ、アサガオ、キク、サザンカを中心に取りあげていますが、とくに興味深かったのはサクラソウとアサガオです。そして、キクの栽培のところで、参勤交代により、その栽培技術が全国に広まっていく様子を八戸藩の上級藩士遠山家の日記から読み説いています。これなどは、その当時の様子がつまびらかにでき、とてもおもしろく読みました。その日記は1792年から1919年まで、約110冊にものぼるそうですが、そのうち、江戸の滞在分の日記が10冊あり、それとは別に小遣い帳が4冊あるそうです。「これらの記録をみると、頻繁に寺社の縁日に出かけ、万両、梅、霧島つつじ、染井で買った「植木色々」、朝顔の種など多彩な園芸品種を購入し、さらに舟で八戸に送っていることがわかります。遠山家の当主は、江戸滞在中は江戸の上屋敷(現港区六本木)で生活するのですが、自分で楽しむだけではなくて、人に配ることも含めて、国元にさまざまな品種を送っているのです。また、遠山家は知行地と別に耕作地を所持して作物を育てていましたが、おそらくそこで使用するナス・大根・唐辛子の種やさつまいもなども送っています。」と書いてあります。
よく参勤交代で、各大名は疲弊していたといいますが、江戸と地方の文化の交流などもあったようで、この本に書かれているように、江戸の園芸品種や作物の種子、それに使う道具なども八戸に送られていたことがわかります。
おそらく、一方的に江戸から地方へという流れだけではなく、地方の良いものを江戸にも流れるという相互交流もあったのではないかと思います。そういう意味では、地方色を残しながら、積極的に江戸の進んだ文化を取り入れようとする上級武士も多かったように思います。
そういえば、山形の河北町の紅花も江戸や大阪に運ばれましたが、その逆の流れとしてひな人形などが河北町に運ばれてきたので、現在のようなひな文化が生まれたのかもしれません。
下に抜き書きしたのは、アサガオは一年草なのに変化咲きをどのようにして残しているのかわからなかったのですが、これでわかりました。種子ができないアサガオでも、ある確率で残せると知り、なるほどと思いました。
(2017.6.25)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
人と植物の文化史 | 青木隆浩 編 | 古今書院 | 2017年3月30日 | 9784772271431 |
☆ Extract passages ☆
これまで、出物は親木を適当な本数栽培して、確率勝負で維持していたのですが、遺伝子の構造がわかると、確実に出物を隠し持っている親木が鑑別できるようになりました。これを利用して当たりの親木だけを育てるとか、出物の遺伝子をもっている株だけ交配に使うこともでき、効率よく維持や育種が進められるようになりました。また、私が幼い頃から不思議に思っていた、江戸時代に最初に種を結ばない出物が出てきたときにどうやって維持に成功したのだろうという疑問の答えも明らかになりました。これまでの話で触れてきましたが、牡丹は八重咲から変化して、獅子は基本の乱獅子に他の変異が組み合わさって、柳は立田が変化して出現したようです。つまり最初は種のできる正木として維持されて、そのなかから種のできない出物が出て一代限りで終わってしまっても、正木のきょうだい株の種子から再現することができたのでしょう。(仁田坂英二)
(青木隆浩 編 『人と植物の文化史』より)
No.1393 『人生一度の素晴らしい旅』
これは写真集ですから、本を読むというよりは、見るというようなものです。前回は絶景がキーワードでしたが、これはまさに絶景のなかの絶景です。
しかも、表紙の写真は、裏表紙と1枚の写真で構成され、南アフリカのウエストコート国立公園の花園のなかに1人のおばあちゃんが後ろ向きにたたずんでいるものです。これもすごい景色ですが、この同じ南アフリカのナマクワ国立公園のお花畑は、1年に数日だけ出現するものだそうで、ここに行かないかと誘われたことがあります。しかし、その当時は仕事が忙しく、それだけの時間的ゆとりはありませんでした。その方の話しでは、何度も現地と連絡をとりあって、行く日にちを決めるということでしたから、その日程も定かではなかったのです。だからこそ、今でもここの風景の写真を見ると、仕方ないとは思いいながら、残念な気持ちになります。
写真は全部で60枚、まさに一度でいいから訪れてみたいところばかりです。このなかで、私の行ったことのあるところは5ヵ所で、なかでも前回取りあげた九寨溝の朝方の風景は幻想的でした。この写真集にはおさめてありませんが、この近くの黄龍も絶景で、私はこちらの方が好きです。
また、この本のなかの写真では、ブータンの首都、ティンプーの青空が今でも思い出されます。この本では「ツェチェ」のお祭りの写真ですが、私が行ったのは30年以上も昔のことで、まだまだブータンらしさが残っているころです。しかも、ブータンで「ブータン農業の父」ともたたえられる西岡京治さんともお会いし、さまざまなお話しを聞きました。そして、帰国の際には、パロ空港まで見送りに来てくれ、その飛行機のなかで、クラーク博士の孫娘さんに会ったことも、今では思い出の1つです。
この本を見ていて、ぜひ行ってみたいと思ったのは、先ずは南アフリカのウエストコート国立公園とナマクワ国立公園です。両方とも、野生のデージーやマツバギクなどですから、ほぼ開花期は同じではないかと思います。だとしたら、やはり一回の旅で、両方とも見てみたいと思います。
次は、アメリカのカリフォルニアのアンテローブバレーです。ここのワイルドフラワーはオレンジ色のカリフォルニアポピーが中心で、例年は4月中旬ころだそうです。そういえば、ポピーの花言葉は「わたしの願いを叶えて」ですから、ぜひ、これも叶えて欲しいと思っています。
3つめは、中国羅平県の菜の花畑です。ここは亜熱帯の気候で、ほぼ東京23区と同じ面積の菜の花畑で、丘や住宅を残して、ほとんどが黄色に染まります。野生の植物はまさに自然の美しさですが、これは人間の営みのなかで生まれた、まさに人工美です。これぐらい真っ黄色になると、眼がくらくらしそうです。例年1月中旬から3月中旬ころまでだそうで、期間的な幅があるので、なんとか行ってみたいと思います。
ここまでは植物の素晴らしいところですが、最後はボリビアのウユニ塩湖です。
ここはテレビなどで何度か見ましたが、やはり、自分の眼で確かめてみたい場所です。
下にこの説明を抜き書きしましたが、ここも期間的な幅があるので、行ってみたいと思っています。もちろん、これら素晴らしい場所は、すべてが世界遺産になっているわけではないようです。おそらく、世界遺産に指定されていなくても、それ以上の素晴らしいところはあると思います。
それと、日本国内でも、素晴らしい旅があります。これからは、むしろ、そのような知られざる発見の旅をしてみたいと思っています。
(2017.6.22)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
人生一度の素晴らしい旅 | PIE BOOKS 編集・制作 | ハイ・インターナショナル | 2013年4月18日 | 9784756243546 |
☆ Extract passages ☆
ボリビア南西部のアルテイプラノ高原、標高約3,700mに位置する面積1万2,000平方kmのウユニ塩湖。乾季には塩が厚く堆積した真っ白な平地が広がるが、雨季、高低差の小さい塩湖に浅く水が張った状態になると、天空を映す巨大な鏡のようになる。雨季は11〜4月だが、雨季後半の1〜3月が絶景に出会える可能性が高い。
(PIE BOOKS 編集・制作 『人生一度の素晴らしい旅』より)
No.1392 『私なりに絶景』
副題が「ニッポンわがまま観光記」で、どちらかというと、この観光旅行というのは嫌いで、旅という言葉のほうが好きです。なんかロマンがあるというか、その先が読めないというか、ちょっと冒険チックのところが好きなんです。
しかし、この本は、装丁の写真こそ絶海の孤島のそそり立つ岩肌という雰囲気ですが、中におさめられている写真の多くは、それとは違っていて、どこかほのぼのとしたものです。おそらく、そのギャップがあったので、ちょっとのぞいてみたいと思ったのです。
そもそも、この本の中味は、最後の「鹿児島 3・4」だけが書き下ろしで、他は「廣済堂よみものWeb」にて2015年9月から2016年8月まで掲載されたものだそうで、たしかに書き方がWebっぽいと思いました。
ただ、おもしろいと思ったのは、そのおもしろがりがとても個人的なもので、ある意味、独りよがりともいえなくもありません。でも、それで1冊の本にしてしまうわけですから、すごいと思います。私の場合は、たまたま図書館で借りたからこそ読んだわけで、自腹を切ってでも読むかといわれれば、すぐ「はい」とは答えられません。ちょっと考えて、しばらくしてから、「読まないかも」と答えるでしょう。
でも、旅をするというのは、あくまでも個人的な行為ですから、人がどうこういうことではなく、それに左右されることでもありません。自分がいいと思えば、それでいいわけです。
たとえば、絶景というのは、ちょっと見ただけでこれは絶景だと思えるものもあります。それは、私だったら、四川省の黄龍や九寨溝です。この写真を初めてみたのは30年ほど前のことで、それ以来、いつかは行ってみたいと思っていて、とうとう2015年5月に行ってきました。やはり、ここは絶景でした。
それとは別に、絶景というのは、ちょっと見ただけではなかなかその判断がつかなくて、しばらく見ていて、これはやはり絶景ではないのか、と何となくそう思えるようなものもあります。たとえば、中国雲南省のシャングリラに向かう途中の金沙江です。ここは、あの河口慧海や能見寛などもチベットに行きたくてここまで来たけれど、この河を渡れず引き返したところです。その川縁で、私も渡ってみたいと思って眺めていたのですが、数年後に渡ることができました。その長江第一湾に立ったとき、それまでのいろいろなことが思い出され、ここは絶景だと思いました。
つまり、歴史的なことや自分自身の想いなどがあって、絶景につなかっていくということもあります。
下に抜き書きしたのは、旅行先でぎっくり腰になりそうになりながら、なんとか旅行を続けているときのことです。私も腰が弱いので、これには共感しました。
(2017.6.21)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
私なりに絶景 | 宮田珠己 | 廣済堂出版 | 2017年2月15日 | 9784331520802 |
☆ Extract passages ☆
何かで聞いたのだが、ぎつくり腰は、痛むぞ痛むぞと、痛む前から勝手に緊張するのがよくないそうで、そうやって固くなることで腰も固まるのらしい。であるなら、気にしない、もしくは無視する、つまり腰痛はないものと考えて敵を欺くことが肝心である。腰などまったく気にしていないという鷹揚な態度が、実はもっとも効果的なのである。
これはかねて私が推奨している「晴れ男になる方法」と同じ構造で、晴れてほしいときに雨が降りそうだからといって、ガタガタ騒ぐのはもっとも悪手で、かといって晴れろ晴れろと念じるのも敵の反感を煽るという意味でおすすめできない。そうではなく、私は雨が降ってもちっともかまわない、本当に晴れてほしいのは別の日なのだワッハッハ、というぐらい何くわぬ顔で、両サイドの裏をかくのが最良である。これはウソではない。私の経験上、統計的に有意な効果が認められている。天候は心理戦なのだ。
(宮田珠己 著 『私なりに絶景』より)
No.1391 『人生はいつだって今が最高!』
この本は、図書館に行ったら「おすすめ棚」のところにあったもので、パラパラと開いてみると、なるほどと思う言葉が並んでいたので、借りてきて読みました。
題名のところに、「宇野千代の箴言集」とあり、波瀾万丈の人生を送った作家らしい言葉がたくさんありました。もともとは、2002年3月に同じ出版社から発刊された『幸福の言葉』で、これはその新装改訂版です。
亡くなられたのは1996年で、享年98歳でしたから、その当時でも長生きでした。それでも、「人生はいつだって、今が最高のときなのです」と言えることは、素晴らしいことです。
1回読んだだけでも、なるほどと思いますが、何度か読むと、最初にいいと思った言葉より、別な言葉のほうが良かったりします。やはり、本を読むのは、速読と精読の両方が必要ではないかと思いました。
そして、そのいくつかは、「言葉遊び」ノートに書き写したり、あるいは毎回抜き書きしている情報カードに書いたりもしました。というのは、読んだときはいいと思っても、時間が経てば忘れてしまうからです。ほんとうに、記憶力は少し減退したと思うことがときどきあります。
ただ、書くと、書いてしまったということで安心してしまい、かえって忘れてしまうこともあります。人間って、ほんとうにややこしい存在です。
「感動は行動に結びつき、人生を愉しくする」というのは、たしかにそうです。たとえば、旅に出かけても、そこに感動がなければ行こうという気持ちも生まれないし、愉しくもありません。一番最初の感動こそが、その後のすべての行動に結びついていくような気がします。
じつは、今月下旬から中国の雲南省に行くのですが、私が外国に行った最初の場所も、ここ雲南省でした。去年も行ったし、おそらく、5回ぐらいは行っていると思いますが、毎回、感動します。同じところを見ても、時間が経てば、風景も変わる、それが中国です。30数年前に昆明から麗江まで行ったときには、2日かかりました。今では高速道路ができて、その日のうちに着きます。あるいは、飛行機だと、あっという間です。
やはり、最初は大変でも、その困難さが楽しみでもあったようで、それが若さでもあったような気がします。しかし、著者は、「困難は避けても、なくすことは出来ない。その困難に身を寄せることによってはじめて、困難は困難でなくなる。」という文章を、何歳で書かれたのかと思うと、やはりすごいと思います。
そして、「老いを自然に受け入れ、慣れることが愉しく生きるコツである」とあり、私もこれからは自然体で愉しく過ごしたいと思いました。
下に抜き書きしたのは、この本の最初のほうに書いてあるもので、「行動の力」というくくりの中の文章です。やはり、作家ですから、手で考えるということがあるのではないかと、納得しました。
このなかのいくつかの言葉は、これから、「大黒さまの一言」でも使いたいと思っています。
(2017.6.18)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
人生はいつだって今が最高! | 宇野千代 | 海竜社 | 2013年11月10日 | 9784759313376 |
☆ Extract passages ☆
頭で考えるだけのことは、何もしないのと同じことである。
私たちは頭で考えるのではなく、手で考えるのである。手を動かすことによって、考えるのである。
手を素早く動かすことが、そのまま、頭を素早く動かすことになる。どんなことをするのでも、先ず頭が、その、することを伝達する。その伝達が、間髪を容れないほど、素早いのは、手が、頭の伝達を、神さまのように素早く受け取るからである。
(宇野千代 著 『人生はいつだって今が最高!』より)
No.1390 『捨てる贅沢』
この本の副題は、「新しい人生をはじめる30のヒント」で、その他に「40代にふさわしい働き方」とも書いてありました。
だから、私にはあまり関係ないとは思ったのですが、今の40代はどのような状況で、どのように生きているのかを、ちょっとは見てみたいと思いました。でも、読んでいくうちに、やはり40代に向けて書いてあるというところもありますが、これはどの年代にも通じるのではないかと思うところもありました。
たとえば、時間の問題ですが、たとえば、80才まであと何日あって、何時間残されているのかを簡単にエクセルで出せるそうです。それは、「まず、エクセルを起動させます。そして、自分が50歳、60歳、70歳、80歳になる日付を入力していくのです。次に、今日の日付を入力します(「ctrl+;」で入力可能です)。例えば60歳まであと何日なのかを知りたいと思ったら、60歳の誕生日である日付を人力し、今日の日付を入力。そして60歳の誕生日から今日の日付を引くと、60歳まであと何日あるかが求められます。さらに24を掛ければ、60歳まであと何時間あるのかがわかります。」というようなやり方です。
このようにはっきりと自分の残り時間を明示できれば、その時間の限度内にこれだけはしようという気にもなれそうです。やはり、時間は大切なものです。
では、なぜ時間は大切かというと、この本には、「まず、時間は取り戻すことができません。私たちは常に、取り戻せない一回きりの時間を積み重ねながら生きています。また、時間は引き伸ばしたり圧縮したりすることができません。体感時間に違いはあるかもしれませんが、物理的に時間が増えることはあり得ません。しかも、時間はお金のように貯め
ておくことができない。60年、80年、100年……何年生きるにしても、毎日着実に私たちの持つ時間は減っていきます。40代、50代、60代と年を重ねるごとに、現役でいられる時間は短くなっていくのです。時間はかけがえのないものであり、私たちの「人生」そのものと言えるからこそ大切なのです。」と書いています。
この時間のようなものは、いくつになっても大事なものに変わりないのですが、残業も接待もとにかく捨てると言われても、退職してしまい、今更関係ないという方もいるかもしれません。もちろん、私もそうで、イヤな仕事は捨てると言われても、せざるをえないこともあります。それが人生だとも思います。
この本は、たしかにすべての人に当てはまるものではなく、最初に断っているように、40代の方々に読んでもらいたいと思います。
しかし、下に抜き書きしたのは、バブル時代を経験した人たちこそ、このような生き方を考えてみてはという部分です。
いずれにしても、おそらく、これからはこのような生き方が求められているような気がします。
(2017.6.16)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
捨てる贅沢(ポプラ新書) | 山本憲明 | ポプラ社 | 2017年3月8日 | 9784591154229 |
☆ Extract passages ☆
「もっと持ちたい」と思う欲求には天井がありません。それに慣れてしまうと、そこから水準を落とすのは難しいです。はじめから我が物顔で「セルフ下流」の暮らしを楽しんでしまうくらいの心持ちでいたほうが、本当の豊かさに近づけるのではないでしょうか。
生活費を減らせるだけ減らして、シンプルに生きる。土地の安い田舎などに移り住み、ある程度の自給自足の暮らしをする。過剰に働かず、必要な分だけを稼ぐ。そういう生き方が、私の理想です。…… 資本主義のルールに則って「上流」を目指すからこそ、そこからあぶれた人が「下流」になる。構造はとてもシンプルだと思います。
(山本憲明 著 『捨てる贅沢』より)
No.1389 『私は私、これでよし』
図書館に行くと、この本が「おすすめ」のコーナーにあり、そういえば昔はこの著者の「ぐうたら人間学 狐狸庵閑話」のシリーズなど、いろいろと読んだことを思いだし、借りてきました。
この本も、狐狸庵せんせいらしい、軽妙洒脱な書き方で、楽しく読むことができました。
この本は、今までいろんなところで発表したものを集めたもので、題名の『私は私、これでよし』という文章もありました。やはり、というか、この文章はなるほどと思ったので、その一部を下に抜き書きしました。人というのは、もしできることなら、と考えがちですが、だからどうなるものでもありません。そういう意味では、この文章のように、「私は私、これでよし」と思ったほうがすっきりすると思います。
そう考えると、いろいろな生き方を肯定できますし、幅の広い考え方もできます。もし、今だめでも、なんとかなると思えます。あきらめることも少なくなるのではないかと思います。だから、運だからといってあきらめるのではなく、たまたままだその時機がきていないと考えればいいわけです。
この本を読んでいると、そういう人の機微に触れるところがたくさん出てきます。
たとえば、入院して、「なになにしてはいけません」と言われるのと、「なになにもできます」と言われるのでは、まったく気持ち的に違います。この本では「患者が長期入院生活のあいだ、毎日、「○○をしてはいけません」「△△をするのは体にさわります」とたえず看護婦や医者に言われているうち自分は「してはいけません人間」になったと無意識に思いこむようになっていることだった。せっかく、恢復期に入っている患者にも、「あなたはまだ一日半時間以上散歩してはいけません」「あなたはまだ週二度しかお風呂に入ってはいけません」このように来る日も来る日も「してはいけません」と耳もとで聞かされてごらんなさい。人間は自信を失い、消極的になるのは当然である。私は多くの患者が社会復帰に臆病になつている理由がわかる気がした。だから私は早速、看護婦や医者に恢復期に入った患者には、「あなたは一日半時間、散歩ができるようになりました」「あなたはもう週二度、お風呂に入れるようになりました」と積極的、肯定的な言葉を言うことを勧めたのである。そうすれば恢復期の患者はどんどん、自分の体力恢復に自信を持つにちがいないからだ。」とあります。
私も入院したことがあるからわかりますが、このようなちょっとした物言いが納得できたりできなかったりします。やはり、入院していれば、情緒的に不安定だからなのかもしれません。
著者は、この本の最初に、「私はこうみえても身体障害者である」とはっきりと宣言しているように、なんどか長期入院やいろいろな病気も経験しているようです。だからこそ、このような文章が書けるのかもしれません。
たしかに、図書館が「おすすめ」したいような本ですし、意外と軽い気持ちで読める本でもあります。ぜひ、おすすめします。
(2017.6.13)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
私は私、これでよし | 遠藤周作 | 河出書房新社 | 2014年3月30日 | 9784309022673 |
☆ Extract passages ☆
人にはそれぞれ福運というものがある。生れる国も家庭も環境もそれぞれの人によって違う。私は今の時代に生れず、戦争に邁進する時代に生れた。
そしてそんな時代に生きたから、若い時から死や人間の運命や宗教や色々なことを考えこまざるをえなかった。
書物が不足していた時だから、たまに手に入った小説は夢中になって読み、しかも他に楽しみがないから何回も何回も読みかえした。おかげでそれらの小説が曲りなりにも
今の自分の血となり肉となったことは確かだ。…… 年よりっぽい、とか、一種の諦めだとか言われそうだが、私も次第に自分の人生をほかに移しかえて考えなくなった。小説家になるため巴里に生れておればよかったとか、もう少し頑健な体を持ちたかったとか、昔は色々と他を羨んだこともあったが、今では「私は私、これでよし」と自然にそう思うようになってきた。
(遠藤周作 著 『私は私、これでよし』より)
No.1388 『良寛詩歌集 「どん底目線」で生きる』
どうも、良寛さんについて書かれてある本を見つけると、読む時間がないとか、これは難しすぎてなかなか読めないかもと思ったとしても、つい買ってしまいます。すでに、積んである本だけでも、40〜50冊はあると思います。それでも、やはり買ってしまうのです。
それと、良寛さんの本は、新潟に行くと地方出版みたいなものもあり、これは買い求めておかないと、次の出会いはなかなかありません。
などなどのことから、いろいろ買ってはあるのですが、この本はたまたま2015年12月に放送された「良寛詩歌集」のテキストを読んだことがあり、それとどのように違うのかという思いで読み始めました。ほとんど違いはなく、最後の特別章「良寛さんの仏教理解」や読書案内などは後から加えたようです。
そのなかの良寛さんは四国に行ったらしい、もしかすると四国巡りをしていたかも、という文章を見つけ、宗派にこだわらない仏教理解にとても親しみを感じました。私も四国八十八ヵ所お遍路のあとに高野山と伊勢をまわってきましたが、ここだけは書いたものが残っているので、たしかだそうです。
それと改めて読んでみて、おトリ子信仰との関係も、ありえるような気がしました。これは「おトリ子信仰自体は、鎌倉時代から全国各地にありました。とくに越後には深く根付いていたようで、以前私が調査したときには、南蒲原郡の羽生田地区にある定福寺で、年間千人ほどの子どもがおトリ子になる儀式を受けていました。現在でも、新潟県内のいくつかの曹洞宗寺院ではお地蔵さんの、また日蓮宗寺院では鬼子母神の弟子にするというかたちで行われています。こうした、子どもを神仏の弟子としてとらえるという地域的な文化背景も、良寛が子どもたちを好きだったことと無関係とはいえないでしょう。」と書いてあります。
たしかに、子どもをお地蔵さんや鬼子母神の弟子と考え、ある程度の年齢まで神仏の籍に入れ護ってもらって育てるという風習のようで、良寛さんの子どもとの接し方を考えれば、納得のできる風習です。
それと良寛さんらしいと思ったエピソードが、「良寛があるお金持ちの家を訪ねたときのこと。その家の主人は「私は名誉も富も手に入れて何も不足はないのですが、ひとつだけ希望があります。百歳まで生きたいと思っているのですが、その方法を教えていただけないでしょうか」と良寛に尋ねました。それを聞いた良寛は「そんなことは簡単です。今が百歳だと思えばいいのです」と笑いながら答えたといいます。補足しておくと、「今が百歳だと思いなさい」というのは、「百歳だと思い込みなさい」という意味ではありません。「今の年齢がいくつであっても、ここまで生かされたことを喜び、感謝しなさい」という意味です。」とあり、なるほどと思いました。つまり、現実から目をそらしてしまってはダメだということです。現実をありのままに肯定し、それを感謝の気持ちで生きればいいわけです。
下に抜き書きしたのは、特別章「良寛さんの仏教理解」に出てくるもので、庶民的信仰のところの恵比須大黒という福の神について触れています。これは「恵比寿・大黒やダルマの起き上がり小法師などを歌う」という題がついていました。
まさに良寛さんらしいお話しです。
(2017.6.10)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
良寛詩歌集 「どん底目線」で生きる | 中野東禅 | NHK出版 | 2017年4月25日 | 9784140817155 |
☆ Extract passages ☆
君は釣竿を、我は金槌を擲(なげう)ち、暫時、相い逢うてまた賓となる。知らず、この中(うち)、何事か語る。古々々了、新々々。
(福を招く恵比須は釣竿を、大黒は槌を放ったままで、二人揃ったら、福を招けと祭られてしまいました。しかし、人は知らないでしょう。そのお厨子の中で、二人は招福なぞ関係なく、話を楽しんでいます。クククッと笑いあっているのです。笑いこそ福の元)
(中野東禅 著 『良寛詩歌集 「どん底目線」で生きる』より)
No.1387 『追いかけるな 大人の流儀5』
この本は、消費税を8%とすると、税込みで1,000円で買えます。しかも新書版とほぼ同じ大きさですが、装丁はちょっとだけいいようです。
だから買ったわけではないのですが、実はこの著者の本は読んだことがなかったのです。私自身、あまりベストセラーになったのは読まないし、話題になった作家の本もほとんど読みません。だから又吉直樹の「火花」もまだ読んでいません。そのうち、ブックオフで108円にでもなったら読もうと思っていたら、もうなっていました。すると、ますます読まなくてもいいかな、と思ってしまいます。
だから、毎回、読む本を選ぶのが大変です。でも、それが楽しみでもあるんですけどね。
この本は、もともと「週刊現代」の2014年3月8日号から2015年10月24日号まで連載されたもので、単行本化にあたり、抜粋や修正をしたそうです。「大人の流儀5」とあるからには、その他もあるかもしれないと思い調べてみると、「大人の流儀」から始まって「続・大人の流儀」、「別れる力 大人の流儀3」、「許す力 大人の流儀4」とあるようです。さらに「不運と思うな。大人の流儀6」や「さよならの力 大人の流儀7」もあり、いろいろな大人の流儀がありました。
でも、「不運と思うな。大人の流儀6」だけが、言葉の間に「。」があるのはなぜか、と思いました。もしかすると、不運だからといってあきらめるな。という思いがあるのかもしれません。
この本のなかで、前回が『「副作用のない抗がん剤」の誕生』を読んで、日本人で癌にかかるのが2人に1人で、癌で死亡するのが3人に1人というのを知って、今現在も癌で苦しんでいる人がいるのだろうと思いました。そこで、「今、全国でいったい何人の人が、家族の病気に付き添っていらっしやるかは知らぬが、どんな状態でも、明るく過ごすようにすることが一番である。明朗、陽気であることはすべてのものに優る。自分だけが、自分の身内だけが、なぜこんな目に……、と考えないことである。気を病んでも人生の時間は過ぎる。明るく陽気でも過ぎるなら、どちらがいいかは明白である。私たちはいつもかつもきちんと生きて行くことはできない。それが人間というものである。悔むようなこともしでかすし、失敗もする。もしかするとそんなダメなことの方が多いのが生きるということかもわからない。」という文章に、なるほどと思いました。
たしかに、病気になりたくてなる人はいないはずで、みんななりたくないと思いながらなってしまうのが現実です。悩んでも苦しんでもどうにもならないなら、明るく過ごしたほうがいいわけです。もう、それだけでも、本人だけでなく、周りの人たちも救われるのではないかと思います。
下に抜き書きしたのは、手紙についてのことです。著者は、スマホをだいぶ毛嫌いしているようですが、たしかにそのような一面もあります。電車の中で、みんなが押し黙ってスマホをいじっている姿は異様です。さらに、隣とスマホでメールでやりとりしているなどというのは言語道断ではないかと思います。
ぜひ、この文章を読んで、手紙の良さを思い返していただきたいと思います。
(2017.6.7)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
追いかけるな 大人の流儀5 | 伊集院 静 | 講談社 | 2015年11月16日 | 9784062198417 |
☆ Extract passages ☆
手紙というものは実に不思議なものだ。
まずはその人の書く文字の風情のようなものから何かときめくこともあれば、一見拙い文字に見えても、この人は一文字一文字を誠実に、丁寧に書いてくれているとわかると、読んでいる姿勢がかわることさえある。……
メールも便利でよかろうが、手紙を人類から失くすと、人間というものが失なわれると私は考えている。
便利なものには毒がある。
手間がかかるものには良薬が隠れている。
(伊集院 静 著 『追いかけるな 大人の流儀5』より)
No.1386 『「副作用のない抗がん剤」の誕生』
この本の副題は「がん治療革命」とあり、しかも副作用のない抗がん剤なら、もしがん患者なら誰でも使って欲しいとおもうのでしょうが、あまり知名度はなさそうです。
たとえば、高額な薬価で社会的にも注目を集めた免疫チェックポイント阻害薬「オプジーボ」は、ニュースにもなり、薬価が下がったこともいろいろなところで聞かれました。それほど、抗がん剤には世間の関心度も高いのです。しかし、この「副作用のない抗がん剤」、P-THPはほとんど知られていません。むしろ、そのほうが不思議なぐらいです。
だから、読み始めたようなものです。おそらく、そこには製薬会社や病院などの思惑もあるのではないかと思ったのです。
しかし、それは少しはあるでしょうが、抗がん剤そのものの難しさがありました。つまり、万能薬はないのです。
では、なぜ人はがんになるのかというと、この本では、「がんになる原因として、@DNAのコピーミスによる遺伝子の変異、A化学物質など、遺伝子の変異を誘発する環境によってDNAが突然変異を起こす、B感染症による遺伝子の変異、などが指摘されているが、これだけでも算術級数的に遺伝子の変異が蓄積されていくが、そこへ高齢化で免疫の監視システムが壊れ始めると、変異は幾何級数的に増えてくるというわけである。」と書いてあります。
さらに、「何もなくても一個の細胞で1日3万回もコピーミスが起こっているのである。ちょっとでも見逃せば、たちまち細胞が変異してがん細胞が誕生してしまう。免疫システムがあっても、ある年齢を超えれば人間はがんから逃れられない。長寿でがんにならない人がいたとしたら、それこそ奇跡なのである。人は、余分に生きたらがんになるように仕組まれているのだろう。」といい、たしかに長寿社会だからこその問題だと思いました。
でも、だからといって、誰もがんになりたいとは思っていないはずです。むしろ、がんになれば、なぜ私がと思うようです。
そして、ほとんどの場合、死を考えてしまうと思います。著名人ががんになったことを告白し、それと戦っている報道がありますが、たしかに勇気づけられることもありますが、もし亡くなられたときには、やはりがんは怖いと思ってしまいます。
また、付録として、ある臨床心理学者は、いかにしてがんの不安と恐怖を乗り越えたかについて書いてありましたが、1つは「自己観察法」として恐怖や不安を認めたうえでそれらと心理的に距離を取ることで、つまりは自分を客観的に観察することで生活も規則正しくなり、落ち着いてくるといいます。とくに大切なことは、それらをルーティン化することだそうで、生の気持ちを2〜3行でも書く習慣をつけることだそうです。
そしてさらに、漸進性弛緩法でリラックスすることだそうです。これは身体的側面から短時間でリラックスさせる方法で、朝起きてまずは手洗いに行き、また布団に戻って仰向けに寝た状態でしますが、その手順は下記の通りです。
@右手(左利きの人は左手) の指先を天井に向け、手首から肘の前腕に力が入っている(緊張)ことを確認します。左利きの人は逆です。手首に力を入れた状態を数秒間維持し、筋肉の緊張を感じながら力をストンと抜き、筋肉が緩んでいく(弛緩)のを感じます。左手も同じようにします。ただし、左利きの人は右手に力を入れます(以下同じ)。
A右足も手と同じで、足首を上に曲げるようにして力を入れ、しばらく止めてから力をストンと抜きます。左足も同じです。
B次は両手です。両手首同時に力を入れ、しばらく止めてから同時に力を抜きます。
C両足も同じです。
D次は両手+両足と、複数の動作を連続して行います。両手に力を入れたまま両足に力を入れ、逆の順番で力を抜きます。
E両手+両足+胸は、同じように両手1両足と力をいれたまま、背中の肩甲骨をくっつけて胸を上に持ち上げるように力を入れ、逆の順で力を抜いていきます。
F両手+両足+胸+腰は、両手1両足1胸と力を入れ、腰痛がなければ腰を持ち上げるように力を入れ、逆の順に力を抜きます。
G両手+両足+胸+腰+顔は、両手1両足1胸1腰に力を入れたまま、瞼を強く閉じて奥歯を噛みしめて顔に力を入れたあと、逆の順で力を抜いていきます。これを最後まで寝たまま安静にして行います。
これで終わりです。もちろん、これはリラックスをするのが目的ですし、自ら自分をコントメールしているという主体性を感じることが大切だといいます。
私も早く覚えてやってみたいと思います。
下に抜き書きしたのは、以前なら地域のなかで死の不安や恐れを取り除く場所、お寺や神社などもありましたが、今では宗教もスピリチュアリティも否定する方が多い団塊の世代の場合は、それをどのようにして乗り換えるかというのが、この本の最後に提起してありました。
たしかに、それは大きな問題です。というのは、今の日本では2人に1人はがんになり、3人に1人はがんで死ぬ時代ですから、大きな問題だと思います。
(2017.6.5)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
「副作用のない抗がん剤」の誕生 | 奧野修司 | 文藝春秋 | 2016年11月10日 | 9784163903880 |
☆ Extract passages ☆
観音様や仏様は、死の不安を取り除くという意味で宗教が作り出した安全装置ともいえるが、同じように命の危機に直面して「大いなる命」に気づくのは、死に向けての安全装置なのかもしれない。やがて団塊の世代が死を迎えて大量死の時代がやってくる。宗教もスビリチュアリティも否定し、さらにコミュニティが壊れ、死を見たこともない人たちがどうやって最後の不安と恐怖を乗り越えるのだろうか。
(奧野修司 著 『「副作用のない抗がん剤」の誕生』より)
No.1385 『遺伝子が解く! 美人の身体』
この本は、もともとは「週間文春」の2007年1月18日号から2008年4月3日号まで掲載された「ズバリ、答えましょう」です。
読んでみると、この題名のほうが、本の内容に近いように思いますが、『遺伝子が解く! 美人の身体』という題名は、販売戦略上のネーミングのような気がします。
でも、人も昆虫も動物も植物も、すべてオスメスから考えれば、美しいというのも一つの見方かもしれません。実際に、いいオスというのは、自分はパラサイト(細菌、ウィルス、寄生虫など)にやられていないぞというアピールだそうです。つまり、免疫力が強いオスと結ばれれば、さらに強い免疫力のある子が生まれる可能性があります。
やはり、美人というのは、たんに美しいということだけでなく、免疫力があるということでもあります。ただ、美人薄命というのと、いかにして両立するのか、私にはなんともわかりませんでした。
それでも、おもしろいと思う実験が載っていて、たとえば、アメリカのリチャード・D・アリグザンダーは、アメリカエンマコオロギの1種を使って実験をしたそうです。「コオロギのオスは、メスを巡って争う。オスとオスとが出会うと、まず触角で互いの体をさぐり、もし実戦になった場合の相手の強さを推し量る。たいていはこれで決着がつき、どちらかが退却して戦いは終わります。 しかしもし両者の実力が伯仲していそうだとわかると、実戦に移行。……まず4匹のオスを対戦させ、強い順に、A、B、C、Dと名づけた。そうしてまず上位二者の、AとBを一つの箱に、下位二者の、CとDを別の箱に入れて一晩おく。彼らは一晩のうちに何回も対戦し、前者ではAがBに全勝。後者ではCがDに全勝という結果になった。そして次の日、彼らを一つの箱に入れて戦わせる。強さの順はどうなったと思います? 答えは、A>C>B>D Bは全敗のせいで気弱になり、格下であるCに負ける。でも、さすがにDには勝てる。Cは全勝のせいで自信をつけ、格上のBに勝つてしまうのです。まさに我々と同じ。負けが続くと、本来勝てるはずの相手にまで負けてしまう。」という実験です。
たしかに、人間でも負けが続いてしまうと気弱になり、また負けが続くということになりやすいものです。それをアメリカエンマコオロギの1種を使って実験してみたわけで、このように単純化されたものでも、納得してしまいます。
また、ボクシングやテコンドー、レスリングのグレコローマンスタイルとフリースタイルの4種目での実験ですが、どの種目でも赤い服や用具を身につけた方が勝ちやすいのだそうです。もちろん、実力の差が歴然としている場合は別でしょうが、実力が伯仲しているときには、赤の勝率が62%なのに対し、青は38%だったそうです。これぐらいの差がつけば、やはり赤を身につけた方が有利だと思います。
下に抜き書きしたのは、寄生虫とアレルギー症との関係です。最近、なにかと話題になっている花粉症やアトピー性皮膚炎など、それらの反応に寄生虫に感染していると起きないということの推論です。
だからといって、それらにかからないようにするために寄生虫を体内に入れるというのは、どう考えてもイヤです。でも、私はどちらにもかかっていないところからすると、もしかして、体内に寄生虫がいるのかもしれません。今日はなかなか寝付けないかも。
(2017.5.30)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
遺伝子が解く! 美人の身体(文春文庫) | 竹内久美子 | 文藝春秋 | 2011年7月10日 | 9784167270162 |
☆ Extract passages ☆
では、寄生虫がいったいどうやって花粉やダニの抗原に対する免疫系の反応を抑えているのか。
まず、人間などが寄生虫に感染すると、寄生虫の分泌物や排泄物(つまり抗原)に対する抗体がつくられる。これは当然。
しかしここがポイントなのですが、それとは別に、寄生虫の分泌物にも排泄物にも、花粉にもダニ抗原にも結合しない、特殊な抗体(不活性なIgE)がやたら大量に作られる。
そのため花粉やダニ抗原などが侵入してきても宿主には、それらに対する抗体をつくる余力はもはやなく、免疫的反応、つまりアレルギー反応が起こらない。
あるいは、抗体をつくる余力が残っているにしても、大量の不活性なIgEは、免疫反応の経路を既にほとんど封鎖してしまっていて、抗原抗体反応がはとんど起こらないようにしている。
(竹内久美子 著 『遺伝子が解く! 美人の身体』より)
No.1384 『知れば知るほど』
この『知れば知るほど』という題名の前に、「管見妄語」とあり、辞書を調べてみると、管見は「管の穴から見る意」で、妄語は「うそ・偽りを言うこと」とありました。
これは「週刊新潮」の2015年9月〜2016年9月までの1年間、巻頭グラビアとして「管見妄語」という題で書いたものだそうです。そういえば、「「肉を食べると長生きする」だって、原因と結果のごとく聞こえるが、肉を頻繁に買えるのは富裕層で、よりよい環境や医療を享受でき長生きしているだけかもしれない。単に、肉を食べられるほど健康な歯をもっている人は長生きする、ということかもしれない。統計調査で因果関係を立証することは至難で、ほとんどは相関関係と心得てよい。マスコミや学者を含め世界の大半の人々はこれら二つを混同しているから、健康に関する統計が出るたびに一喜一憂する。」などは、面目躍如のような感じがします。
著者は数学者だそうで、この本だけを読むと、とても数学者だとは思えませんでした。それでも、「5千年前の古代エジプト人も、3、4、5の美しい性質に偶然気づき、これを用いて直角を作ることに成功し、ピラミッドを作った。美意識、そして目的なくもてあそぶことが数学における発見の秘密なのだ。AIは、囲碁で勝つ、というような明確な目的を与えないと動こうとしない。美意識もなく、ひまつぶしにもてあそぶことすらできないAIに、一体どんな発見ができるというのだろう。3、4、5が直角を作ることすら発見できまい。古代エジプト人にも敵わないのだ。」などを読むと、なるほどと思わないこともありません。
たしかに、人間と機械では、まったく違うのは当たり前で、機械は故障すれば修理も取り替えることもできますが、人間が病気をすれば、治療はできても、完全に同じ部品で治すことはできません。もちろん、機械は全く動かなくなっても、同じもので代替えはできます。しかし、人間が死んでしまえば、代替えは絶対にできません。
著者が言うように、決定的な違いは、この死です。死ぬことがない機械が魂を揺り動かすような感動とか、深い情緒を持つことなど絶対に考えられないと思います。ある目的を与えられて初めて、動きだすのが機械です。もちろん、AIも同じで、囲碁や将棋に勝てたからといっても、新しいことに挑戦はなかなかできないのではないかと思います。
この本を読んでいて、後から気づいたのですが、父親は作家の新田次郎で、祖父は気象学者の藤原咲平だそうで、子どもたちも含めて、学者が多いようです。やはり、文才はあり、読んでいて、ちょっと言いにくいことでもストレートに表現する切れの良さみたいのが感じられました。
でも、あくまでも論理的というよりは、昔の狐狸庵(遠藤周作)の筆致みたいでした。
久しぶりにこのような本を読み、なかなか愉快な時間を過ごしました。
下に抜き書きしたのは、この本の題名と同じ名前の文章で、第4章にありました。
確信はありませんが、おそらく、ここからこの本の題名がついたのではないかと思います。ちなみに、2016年7月14日号です。
(2017.5.28)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
知れば知るほど | 藤原正彦 | 新潮社 | 2017年2月15日 | 9784103274131 |
☆ Extract passages ☆
自らの知識や教養を補い未熟な理解力や判断力を向上させようと、書物を読み学べば学ぶほど分らないことが増えていく。教養を積むとは無知を知ることなのだ。
文学的教養や哲学的教養があると周囲から言われる人でも、自らの教養に自信を持っている人はほとんどいないのではないか。無知であることを知れば知るほどそれを補完しようとする。これから読まねばならぬ書物どころか、これまでに読んでおかねばならなかった書物がますます増えていく。「教養」という言葉がすべての人間にうっすらとした羞恥や焦燥や劣等感を感じさせるのはこのためだろう。
(藤原正彦 著 『知れば知るほど』より)
No.1383 『老人の壁』
あの『ばかの壁』という大ベストセラーを書いた養老孟司さんと、イラストレーターなどをしている南 伸坊さんの対談を1冊にまとめたもので、とても読みやすかったです。
考えてみれば、どちらもユニークな考え方をされるので、意外な展開もあり、読んでいても楽しくなりました。
たとえば、「養老 ヘビ嫌いはクモ嫌いじゃないんですよ。クモ嫌いはヘビ嫌いじゃないんです。どっちかになる可能性が高い。 南 そうなんですか。 養老 そうでしょう。ヘビを大嫌いな人がいてね、そういう人は、クモは平気なんですよ。 南 僕も、クモはそんなに嫌いでもないですけど。 養老 ああ、だったらヘビがダメなんだ。 南 ヘビはだめですね。うちの奥さんはクモが大好きです。あー、ほんとだ。ヘビは嫌いだな。 養老 そうですね。どっちかになるみたいな気がする。」という対談を聞いて、本当かな、と思いながら、ヘビの嫌いな人を思い浮かべると、たしかにクモはそれほど怖がらないような気がしました。
おそらく、科学的な根拠なんてないでしょうが、長い間の経験から、そのような傾向があるというでしょう。そういう判断も、大事なことです。
すべてが科学で割り切れるわけでもないし、むしろ、そのほうが楽しみがあります。わからないからこそ、おもしろいと思えるのです。
たとえば、南 伸坊さんが、「漢方では、よく効く薬は、下品(げぼん)って言うそうです。上品(じょうぼん)、下品とあって、下品(げひん)って書くんですけども、ものすごくよく効く薬っていうのは「下品」って言われてる。薬が効いたら、さらに多くするっていうのは、西洋医学的な僕らの最近の人の考え方で、漢方では逆に、効いたら減らす。漢方には長い間の蓄積があって、それは西洋医学的な考え方の、ぜんぜん逆だったっていうことらしいです。」と発言されていますが、これだってそうです。
もともと病気は、「気の病い」と書くぐらいですから、本来の自然治癒力を引き出したほうがいいわけです。もともと薬は毒ですから、治すきっかけとして使い、それから少しずつ減らしていくというのは、理にかなっています。
あるいは、「一病息災」という考え方もあります。病気が悪い、というだけではなさそうです。
また、おもしろいと思ったのは、南さんの「海野和男さんて人の『世界のカマキリ観察図鑑』て本にあったんですけど「カマキリと猫は似ている」っていってて、カマキリも自分が威嚇行動をして、それが効かないと思い知ったとき、照れ隠しに体をなめたりするそうなんです。カマキリが少し可愛くなりました。」と言うと、養老さんがローレンツの本に犬にもそのような行動があると書いてましたと答えています。もちろん、人間にもこのような照れ隠しみたいな行動があり、みんな似ていると思いました。
下に抜き書きしたのは、この本の題名になった、老人の壁につながるフレーズです。この言葉の前に、写真を撮影する趣味についてのことがあり、それも含めて老人は好きなことをすればよい、というところにつながります。今更、名誉も欲もないので、好きというだの動機でものごとを始めるというのもありだと思いました。
そして、その養老さんの言葉に、南さんが「老人の壁を越えると、作品の自分がいる」と答えています。
皆さんも、もし老人になったら、好きなことをして、老人の壁を越えてみてはいかがでしょうか。
(2017.5.25)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
老人の壁 | 養老孟司・南 伸坊 | 毎日新聞出版 | 2016年3月25日 | 9784620323657 |
☆ Extract passages ☆
修行と同じですよ。修行っていうのは、自分を完成させるための作業ですね。一番いいのはね、比叡山の千日回峰行。あんなものやったって、誰も儲かりません。GDPが増えるわけでもない。だけど、何が残るかって、本人が残るんですよ。それをやった本人が残るんです。それが「作品」ということです。
だから、自分が作品であるような、作品としての自分を完成させるつもりで、好きなことをやれば、老人としての時間を本当に楽しめるんじゃないかな。
(養老孟司・南 伸坊 著 『老人の壁』より)
No.1382 『身近な自然の観察図鑑』
地元の小学生たちの野外体験学習や春の山野草展などがあり、たくさんの鉢植えを見ていると、やはり自然そのものの山野草たちを見てみたくなります。
それで、天気が良いときには、ほとんど小町山自然遊歩道に出かけます。今の時期、必ず山野草たちに出会えます。そこで、この本を読んでみました。
著者は、現在、沖縄大学人文学部こども文化学科教授だそうで、沖縄の学生たちとのさまざまな活動もここで紹介されています。もちろん、山形とは気候も違うので、まったく見たこともないような植物の名前が出てきたりします。でも、それも想像するとおもしろいですし、ネットで画像を見ると、さらに興味が持てます。
よく子どもたちにもタンポポの話しをするのですが、最近、ネットを見ていたら、ゴムタンポポというのがあって、ほんとうにゴムノキのような生ゴムをとれるようになり、研究が進められているそうです。この話しも出ていますが、ここでは旧ソビエトの話しとして、「かつて旧ソ連では、自国内で天然ゴムがつくれないかと、寒冷地で栽培可能な植物の探索が行われました。そうして発見され、栽培されたのが、タンポポと同じキク科タンポポ属のゴムタンポポという植物です。僕は実際にゴムタンポポを見たことがありません。しかし、この話を聞いて、ひらめくものがありました。ゴムを生産するゴムタンポポという植物があるのなら、道ばたのタンポポからもゴムを採取することができるのではないかという思いつきです。どんな方法がいいのかまではわからなかったので、いきあたりばったりでやってみることにしました。タンポポの花茎を1本ずつ手折っては、その傷口から出てくる乳液を、顕微鏡用のスライドグラスにこすり取り、水分を蒸発させながら、次々に手折ったタンポポの乳液をこすりつけるという、ごく単純な方法です。」と書いています。
ところが現在では、ゴムノキの生産が東南アジアなどに限定されており、もしかして、疫病などの原因で供給不安のリスクを懸念する声も上がっています。そこで、アメリカ・オハイオ州立大学の研究チーム、さらにはタイヤメーカーのブリヂストンやコンチネンタルなども産学連携コンソーシアム「PENRA」を中心として、研究が進められているそうです。
ここで使われているのが、カザフスタンの原産である「ロシアタンポポ」で、おそらく、この本に出てくるゴムタンポポではないかと思います。
このPENRAのプロジェクトは、2020年には終了するそうで、そのときに詳細な事業計画と生産者向けのガイドラインが公開される予定だそうです。たかがタンポポですが、いろいろな素質を秘めているようです。
また、この本でおもしろい見方だと思ったのは、「作物はすべて、もとをたどると、人間の作り出した環境に勝手に生えることのできた草、すなわち雑草がはじまりです。そのまま放置されたものが、現在の雑草で、人間に選ばれたXIP待遇の雑草が作物です。雑草は作物の兄弟分にあたるのです。」とあり、作物がとくにXIP待遇とは思いませんが、人間により選別されてきたことだは間違いありません。
そのような見方をすれば、雑草だって、作物につながるようないろいろな性質を備えているかもしれません。そう考えれば、雑草の生き方から、いろいろと学べると思いました。
下に抜き書きしたのは、ドングリを実際に食べるのはどんな動物かということで、私はてっきりリスだと思っていました。ところがそうではなく、アカネズミやヒメネズミなどのネズミ類だそうです。
やはり、人の話を鵜呑みにしたり、先入観で考えてはダメだということです。そういう意味では、これなどもその通りで、ぜひ読んでみてください。なるほどと、納得するはずです。
(2017.5.23)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
身近な自然の観察図鑑(ちくま新書) | 盛口 満 | 筑摩書房 | 2017年4月10日 | 9784480069542 |
☆ Extract passages ☆
なぜ、リスはドングリが嫌いなのでしょう。
それは、ドングリの多くにタンニンが含まれているからです。タンニンを口にすると渋みを感じますが、タンニンにはタンパク質と結びつく性質があります。つまり不用意にタンニンを取り込むと、体内のタンパク質と結びつき、それを体外に運びさってしまうのです。ドングリを食べると、栄養をとったつもりが、逆に体の栄養が奪われてしまうというわけです。……しかし、あまりに「おいしい」実だと、動物が利用するばかりで、散布が行われない可能性もあります。そこで、「適度」にまずくなるよう、タンニンがまぜられている、そんなふうに思えます。
実際に野外でドングリの散布にあたっているのは、アカネズミやヒメネズミなど、ネズミ類です。これらのネズミ類には、タンニンを不活性化するためのしくみがあり、そのた
めにドングリを利用することができるのです。
(盛口 満 著 『身近な自然の観察図鑑』より)
No.1381 『正しいコピペのすすめ』
この『本のたび』でも、一番いいと思ったところを引用し、さらにはこれだけは本を読むなら知っていてほしいと思うところも引用しています。
でも、毎回、引用していても、著者から献本などはありますが、引用をしないでくださいと注意されたことは一度もありません。それでも、やはり今の時代ですから、著作権に対して無関心ではいられません。
この岩波ジュニア新書は、とてもわかりやすく著作権について解説していますし、具体的にこれはダメとかいいとか書いているので、とても参考になりました。
引用に対しても、「守りたい引用ルール」というのを別項目に5つに分けてありますので、これを下に抜き書きしました。
もし、著作権に関して引用することに不安を感じているなら、ぜひ、これだけは守っていただきたいと思います。もちろん、私自身だって例外ではなく、これだけはしっかりと守っていかなければと思っています。
そもそも著作権のルールというのは、この本にわかりやすく解説してありますが、「「11人で」「ゴールキーパー以外は手を使わない」というサッカーのルールは誰でも知っています。著作権ルールもそんなに難しくありません。「他人の作品は、無断で使ってはダメ」「会社で買ったワープロソフトをコピーして職場で使い回してはダメ」など、多くの人が常識として認識しているものばかりです。しかし、教わらないと分からないサッカーの「オフサイド」のように、著作権の世界でも、習わないと分からないルールがあります。オフサイドを知らないと正式のサッカーができないように、著作権の基本ルールを知らないと社会生活を送る上で思わぬ不都合が起きるかもしれません。」ということで、なるほどと思いました。
さらに、この本を読んでいるときに、京都大学の今年の入学式で昨年のノーベル文学賞受賞者であるボブ・ディランの歌詞を山極寿一総長が式辞で引用し、それを同大学のホームページに掲載しました。それを日本音楽著作権協会(JASRAC)が京大に歌詞使用料が発生する可能性があると連絡したそうです。でも、この本でも指摘していますが、ボブ・ディランの曲には、他の曲からとったメロディーや詩があるそうです。それだけでなく、クラシックの世界でも、たくさんそのような例があるそうです。
また、あのシェイクスピアも、「《マクベス》《リア王》《ハムレット》などシェイクスピアのほとんどの作品には、彼が模倣した既存の作品があることが分かっています。4大悲劇のひとつ《リア王》には、同時代に「レア王とその三人娘の実録年代記」という「オリジナル」が存在していました。大胆にも、シェイクスピアはどの作品も、登場人物の名前をほとんどそのまま使っているありさまで、「種本があります」と公表しているようなものです。著作権という概念のなかった時代の文化活動だったのだと読み取れます。先行作品を真似ることについて、戯曲を書く人もまわりの人も抵抗があまりなかったのではないでしょうか。ただ、下館氏に聞いてみると、当時すでにシェイクスピアは同業他者から「盗作野郎」と言われていたそうです。」と書いています。
もちろん、今の時代であっても、シェイクスピアの戯曲を忠実に演じられる場合もありますが、大幅に改変されることもあり、たとえば「ウエストサイドストーリー」などは、今でも最初に観たときの印象が残っています。だとすれば、真似ることでさらに高みに上るということもあります。
著者も、「もしかして「創造の秘密」とは私たちが過去に受け取った何かが組み合わさって、フュージョン(融合)を起こし、表現される点にあるのではないでしょうか。つまり、創造とは「無から有」でなく、「既存の素材の組み合わせ」なのかもしれません。そして、何をどのように組み合わせるかというその方法にこそ、私たちが通常「創造」と呼ぶ行為があるように考えられないでしようか。」と書いています。
この本の「あとがき」のところで、コピペ時代を生きるための12ヵ条を記載していますが、その11番目に、「コンテンツは大事だが、実体験も大事だ。体験はコピーできない。」とあり、この「体験はコピーできない」というところに強く惹かれました。たしかに、山野を歩けば、風のそよぎや野鳥のさえずり、川のせせらぎなど、いろいろな音が聞こえてきますし、そこには音だけでなく、五感をフルに全開しても気づかないような微妙な余韻もあります。言葉にもできないのだから、伝えるすべもありません。
これからは、むしろ、このような実際の体験こそが大事にされると思います。
下に抜き書きしたのは、この『本のたび』でも毎回使っている引用について、守りたい引用ルールです。
そういえば、とくに論文の多くが「引用で占められている」という現実もあり、むしろ質の高い論文の証しであるとまでいわれることもあります。だから、一般の方には読みにくいのですが、この引用ルールだけは知っておく必要があります。
(2017.5.20)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
正しいコピペのすすめ(岩波ジュニア新書) | 宮武久佳 | 岩波書店 | 2017年3月22日 | 9784005008490 |
☆ Extract passages ☆
守りたい引用ルール
(1)自分のコンテンツとの脈絡において必要性があること(目立たせたいというアイキャッチの目的や飾りの目的では使えない)
(2)自作のコンテンツに「パーツ」(部品)として取り込むこと
(3)自分の造った部分と引用部分が、カギカッコなどによって明確に区別されていること
(4)自分の作った部分と引用部分のメイン(主)とサブ(副)の関係が明確であること(引用された部分がメインとなってはならない)
(5)引用部分の出所を明示すること(読む人が確認できるように、書籍や論文、ウェブサイトについてのデータをきちんと記載する)
(宮武久佳 著 『正しいコピペのすすめ』より)
No.1380 『屋久島ジュウソウ』
私が屋久島の宮之浦岳を縦走したのは2005年でした。この本に出てくる『屋久島ジュウソウ』も2005年5月某日で、私も5月31日に屋久島に行き、6月4日に帰ってきたので、ほとんど同時期です。
でも、これは本を読んでから知ったことで、最初は、この本の題名に興味を持ち、読み始めました。しかも、旅をしている最中です。
というのは、5月16日から18日まで、東京で開催されている美術館の特別展を観たいと思い上京し、上野の東京国立博物館の「茶の湯」を観て、それから東京国立近代美術館の「茶碗の中の宇宙」や出光美術館の「茶の湯のうつわ」なども観ました。
しかも、泊まったところの近くに「虎屋」があり、そこでは上生もおいてあるので、それを1個だけ買って、部屋で茶杓を削りながら、お抹茶を点て、自服で飲みました。もう、お茶尽しでした。その合間や電車の中で読んだのが、この本です。
ですから、この本の中で特に身につまされたのは、「時間を忘れ、思いきり、心ゆくまで本を読みたい! とつねづね思っている人間にとって、旅行は格好の機会だ。つぎの旅行までは……と、気になる長編に手をつけずにいる人も多いだろう。私も出発のだいぶ前から「今回はどれを持っていこうかな」と足しげく書店に通い、書棚をチェックしている。勢いあまって、スーツケースの半面を埋めつくすほどの本を買ってしまったりもする。」というところです。
もちろん、スーツケースの半面を埋め尽くすようなことはしませんが、何を何冊持って行くかといつも旅の準備の8割以上は考えています。そして、旅に出るときだけではなく、普段の時も、たとえば中国に行くとすればこの本を持って行こうとか、美術館を訪ねるならこの本を持って行こうとか、いろいろと考えて本を購入します。知らない街で一人静かに本を読む、それがなんともいえない楽しみの一つです。
今回はこの本など数冊を持ってきましたが、すべて読めるものではなく、読む本がなくなると微妙に寂しくなるから、ちょっと多めに持ってきているだけです。
さて、この本ですが、私が2005年に登ったときと同じコースでしたが、違うのはガイドを含めて6人という集団と、私にもガイドは付いてくれましたが、ほとんどは単独行動でした。というのは、ヤクシマシャクナゲを見たいというだけの登山なので、ほとんど他の興味はないに等しかったのです。
だから、この本の中で、参加者に一番の思い出は聞かれて、4人が登り終わったホテルでの夜のことをあげていました。つまり、登ることが想像していたより大変だったので、それが終わったことの安堵感のほうが勝っていたようです。
私の屋久島の旅は、10年ぶりに咲いたヤクシマシャクナゲの花を見ることが主目的で、それは大満足でした。だから、歩いていても、ほとんど疲れたという印象もなく、ただ花を眺め、写真を撮るということだけでした。
そして、新高塚小屋に泊まり、翌朝、縄文杉に下りましたが、ほとんど人がいなくて、ゆっくりと眺めることができました。しかも、雨が少し降っていたこともあり、幽玄な雰囲気でした。やはり、屋久島の森には、雨が似合います。翌日は白谷雲水峡に旅の途中で知り合った方に案内されて行きましたが、晴天だったのに、前日の雨でしっとりとして苔も生き生きしていました。
それ以来、10年以上も経っていますが、未だヤクシマシャクナゲの花は全山を埋め尽くすような咲き方はしていないようです。
あの時の体力があるかどうかは問題ですが、もう一度、宮之浦岳を縦走してみたいと思っています。
下に抜き書きしたのは、旅をしていると、必ず良いことと悪いことがあり、微妙にそのバランスがとれているような気がするという意見です。
私はどちらかというとあまり悪い印象はないのですが、たまたま鈍感だから感じにないのかどうかはわかりませんが、いつも楽しい旅ばかりです。でも、少し冷静になって考えれば、このようなことも起こりえるかもしれません。
(2017.5.18)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
屋久島ジュウソウ(集英社文庫) | 森 絵都 | 集英社 | 2009年2月25日 | 9784087464023 |
☆ Extract passages ☆
様々な国を旅して一つだけたしかに言えるのは、どんな土地にも善なるものと悪なるものとが絶妙なバランスで混在する、ということ。感じの良い税関の係員に出会ったあとには、それを回収するがごとく感じの悪いタクシードライバーに遭遇する。立てつづけに不快な人物に接したあとには、途方もないお人良しにめぐりあう。地球をぐるりと一周したら、すれちがう善と悪の数はきっと絶妙な帳尻の合わせかたをするだろう。
(森 絵都 著 『屋久島ジュウソウ』より)
No.1379 『ガーデニングとイギリス人』
大修館書店というと、先ずは諸橋轍次「大漢和辞典 全15巻」など、辞典・事典類を思い浮かべますが、まさかガーデニング関連の本を出されていたとは思いませんでした。
おそらく、深層心理のなかには、なぜという思いもあって、さらにイギリスの庭園に対する興味もあって、読み始めたようです。副題は『「園芸大国」はいかにしてつくられたか』で、興味をそそる内容でした。
というのも、2014年7月4日から15日まで、イギリスの庭園を見てきたので、それを思い出したということもあります。そのときは、この本にも書かれているキューガーデンやウイズレーガーデンなどやハンプトンコートで開かれている園芸ショーなど、いろいろと見てきました。しかも、これは予定ですが、今年の8月下旬にもイギリスに行かないかと誘われているので、もう一度、イギリスの園芸について調べてみたいと思ったのです。
この本によると、もともとイギリスは植物相も貧弱だし、生物多様性にも欠ける地域だったそうですが、決して不毛な土地ではなかったといいます。この本の目的は、「イギリス人の庭園や園芸、植物に対する関心を文化史的に辿り、イギリス社会およびイギリス文化の特質を浮き彫りにすることにあるが、「文化」 が政治的・経済的に利用されるだけでなく、捏造さえされることを提示することにもある。」ということで、それらのことを具体的に述べるにあたって、著者は相当な資料を集めたといいます。
たとえば、2004年が創立200周年を迎えた王立園芸協会の記念事業の一環として開催されたテイト・ブリテンの「庭園の美術展」において、館長のスティーヴン・デューカー氏は、「ガーデニングは、現代のイギリスにおいてもっとも人気のある広く普及した余暇活動である。ある時期、それは、詩や政治の世界においてイングランド人のナショナル・アイデンティティを表出するものとして機能し、社会階層間の力関係や表現の分野においても重要な役割を果たした。18世紀に、風景庭園は、絵画や建築、彫刻、文学の成果を取り入れて高級芸術に昇格し、愛国芸術への転向の一端を示した。そして、近年では、審美的感性と知的教養のしるしとしての庭園は、園芸雑誌やテレビ番組、王立園芸協会が主催する毎年恒例のチェルシーのフェスティバルにおいて繰り広げられる、激しい様式戦争を呈するに至っている。」と述べているそうです。
たしかに、このような丹念に調べ上げられた資料を読むのは、ある意味、退屈さを感じるときもありますが、たしかに、とか、なるほど、という気持ちも起こります。
そういう意味では、この本はイギリスのガーディニングの歴史を知るにはとても有意義な1冊です。
そして、また引用になりますが、イギリスが今のようなガーディニングの国といわれるようになった理由を、『サンデー・タイムス』の記事は、「穏やかな気候に恵まれていることが幸いした。地球上のあらゆるところから、熱心な知識欲と収集家の執念を併せもったプラント・ハンターたちによって、何世紀にもわたって持ち込まれた莫大な種類の植物を育てるのに適していたからである。植物を育てようとする愛情が水面の波紋のように広がり、都市や郊外でわれわれは園芸にいそしんだ。かつては必要のためであった、食糧や衣料や治療薬のための栽培が、われわれの本性を表すものとなり、国民的趣味となったのである」と、簡略にまとめています。
これを読むと、なんとなくその全体像がつかめるような気がします。
下に抜き書きしたのは、伝統と歴史のあるイギリスの芝生に関する逸話です。これは本当の話なのかどうかはわかりませんが、さもありなん、と思わせるものがあります。
ぜひ、皆さんも、ここだけでも読んでみてください。この本1冊を全部読むのはなかなか大変で、久しぶりに1週間程度かかりました。
(2017.5.16)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
ガーデニングとイギリス人 | 飯田 操 | 大修館書店 | 2016年10月10日 | 9784469246032 |
☆ Extract passages ☆
手入れの行き届いた芝生の庭はいまもイギリス人の自慢の一つであるが、それを如実に物語るエピソードが、イギリスのパブリック・スクールの生活を描いた名著、池田潔の『自由と規律』に語られている。ケンブリッジのトリニティ・コレッジの庭で、参観に来たアメリカの大富豪が見事な芝生に感嘆し、そこでローラーを押しているみすぼらしい身なりの園丁にチップをつかませて、芝生の手入れの秘訣を尋ねる。園丁は、「水をやりなさい」「ローラーをかけなさい」と答える。要領を得ない返事にむっとした富豪がさらにチップをはずむと、園丁は 「それを毎日繰り返して、500年経つとこうなるのだ」とこともなげに答える。その園丁が実はトリニティ・コレッジの学寮長で、真空放電の研究でノーベル賞を受けた実験物理学の泰斗、勲爵士J.J.トムソン教授であった。20世紀に入ってアメリカが大国として台頭し、イギリスの斜陽が次第に明らかになってきた時代におけるイギリス人の自国意識を表すエピソードでもあるのだが、芝生の庭に対するイギリス人の愛着を明らかにするものである。
(飯田 操 著 『ガーデニングとイギリス人』より)
No.1378 『人生の意味が見つかるノート』
5月13〜14日と三沢春の山野草展があり、その準備や山野草の名前付けなどで、なかなか本を読む時間がありませんでした。
でも、この本は小冊子なので、少しずつ、時間を区切って読むことができました。出版社は「アスコム」というところで、おそらく、初めてここのを読んだような気がします。
日本の出版社でも、大小含めていろいろあるでしょうが、これからは、なるべく聞いたこともない出版社の本を読んでみたいと思いました。
この本の著者は、表紙にも「2800人を看取った医師が教える」とありましたが、1991年に山形大学大学院医学研究科医学専攻博士課程を修了したそうで、救命救急センターや農村医療に従事したあとに、横浜蘇生病院ホスピス病棟に勤務し、2006年「めぐみ在宅クリニック」を開院したといいます。
しかも、2015年には、一般社団法人エンドオブライフ・ケア協会を設立し、一人でも多くの方々が、生きてきてよかったと思える最後を迎えることができるようにと全力を尽くしているそうです。
たしかに、この本を読むと、そのことがよくわかります。
具体的には、この「めぐみ在宅クリニック」では、ディグニティセラピーをおこなっているそうです。これは「患者さんに、ご自身の人生を振り返っていただくというものです。患者さんの人生にいかに価値や意味があったかを、患者さんご自身に知っていただくと同時に、患者さんと周りの方の間に、たとえ患者さんがこの世を去っても、決して消えることのない粁をつくつていただく。」というのが目的だそうです。
もっと具体的には、「患者さんに「あなたが一番生き生きしていたのは、いつごろですか?」「あなたが人生から学んだことで、ほかの人たちに伝えておきたいのは、どんなことですか?」といった質問にお答えいただき、その回答の内容を、私たちが、患者さんから大切な人への手紙という形にまとめます。」ということでした。
だから、この本のなかには、要所要所に質問が書いてあり、それに回答を書く場所が添えられています。だから、ほんとうに小冊子ですが、さらにそのようなスペースがありますから、誰にでも読みやすくなっています。
そして、心に響くことがいくつも書いてあり、たとえば、「苦しみを通してしか知り得ないこと、学べないこと、手に入れられないこともたくさんある」と書いてあり、たしかに苦しみはできれば避けて通りたいと思うのが普通ですが、その苦しみだって考えようではありがたいことに通じるのではと思いました。
下に抜き書きしたのは、人間はいろいろな苦しみや悩みがありますが、それは自分が願う希望と現実のギャップから生まれることが多いといいます。たしかに、そうです。体力的にできないのにしてみたいといっても、それはしょせん無理ということです。
だとすれば、あまり悩んだり苦しまないためには、希望と現実のギャップを少しでも埋めればいいということになります。
ぜひ、皆さんも考えてみてください。
(2017.5.12)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
人生の意味が見つかるノート | 小澤竹俊 | アスコム | 2017年2月1日 | 9784776209331 |
☆ Extract passages ☆
あらゆる苦しみは、「こうだったらいいな」という希望と、現実とのギャップから生まれます。そのため、努力などによって希望を実現するか、現実に合わせて希望の設定を変えることで、解消できる苦しみもあります。
加齢による身体能力の衰えに悩んでいるなら、食事や運動によって身体機能をできるだけ維持するよう努めるか、あるいはあまり身体に無理をさせないよう、生活の仕方を変える。
ほしいものが高くて買えず、苦しみを感じているなら、何とかしてお金をつくるか、手持ちのお金で買えるもので我慢する。
このようにして希望と現実のギャップを埋めれば、一部の苦しみは取り除くことができます。
(小澤竹俊 著 『人生の意味が見つかるノート』より)
No.1377 『四季の植物』
今日5月9日の午前中に、地元の小学生3〜4年生の授業の一環として、植物の話しをしてきました。これは三沢春の山野草展に小学生たちも参加してもらうこともあり、そのオリエンテーションの意味もあります。
だから、この本を選んだ訳ではないのですが、たまたま新刊として出ていたので求めたのです。著者とは、1988年5月にインドのマナリーにいっしょに行ったことがあり、わが家にも来ていただいたことがあります。今でも年賀状の交換をしていますが、その世界の植物を自分の目で見ようという積極的な探究心はすごいと思います。
だから、その著者の本ですから、ぜひ読みたいと思いましたし、その時期もタイムリーでした。
もう小野川ではヤマザクラも散ってしまいましたが、このサクラを漢字で書くと「桜」ですが、旧字は「櫻」でした。これを覚えるのに「二かいの女がきにかかる」などというのを聞いたことがあります。でも、その意味までは考えませんでした。著者は、「纓は糸偏が示すように冠を結ぶひもで、瓔は偏が玉から転じ、玉を連ねた飾りである。旁の嬰は宝貝を二つに組み合わせた女性の首飾りから作られた漢字とみられる。では、サクラの木のどこがそれに当るかといえば、サクランボである。二つ連なり、光沢があって美しい実が、宝貝の女性の首飾りに似ると見立てられたのである。サクランボのように長い柄で二つが組み合わさる果実は、珍しい。つまり、櫻は花に因んだ名ではなく、シナミザクラの果実に基づくのである。」とあり、まさかサクランボにつながるとは及びも付きませんでした。
また、ハギの語源についても、一般的には「生え芽」とする説が有力ですが、著者は、「ハギの語源は「生え芽」とする説もあるが、私は枝を箒に使った「掃き」ではないかと考える。葉は伐ると夏でもすぐ落ち、小枝が多く、箒にしやすい。小豆島では昭和三十年代まで、冬休みにハギの枝を集め、学校で使う箒を作ったと聞く。その年に伸びた若い枝は柔軟性があり、籠に編まれた。牛馬を農作業に使役させていた頃は飼料にもされていた。」と書いていて、なるほどと思いました。
やはり、各地を訪ね歩き、植物だけでなく、いろいろなことに興味を持っている方の話しは納得できるし、おもしろいと思います。権威者が言ったから、というのではなく、自分で観て考えたというところに好感が持てます。
ヒイラギの話しなどもそうですが、植物を多方面からの視点で見つめ直すということは、とても大事だと思いました。
下に抜き書きしたのは、アジサイについて書いたところで、これは初耳でした。しかも、そのアジサイとホタルを読み込んだ和歌があるというのも初めて知りました。
ここ小野川温泉は、ほたるの里でもあり、藤原定家の「あぢさゐの 下葉にすだく 蛍をば よひらの数の 添うかとぞ見る」というのをぜひ覚えておきたいと思いました。この「よひら」とは4弁の意味で、アジサイの装飾花の萼が4枚で大きく目立つことからの表現だそうです。
とすれば、昔の歌人たちも、しっかりと自然の姿を見て歌を詠んでいたということに感心しました。
(2017.5.9)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
四季の植物(ちくま新書) | 湯浅浩史 | 筑摩書房 | 2017年3月10日 | 9784480069481 |
☆ Extract passages ☆
この陽と陰との両面は、近代まで続く。アジサイの花の色変わりを七変化と表現、移り気な心にたとえ、また、化花(ばけはな)、幽霊花の名で呼ばれるなど気持悪く思われる一方で、軒下にかけ、戸口に吊し、門守(かどもり)として厄除けや蓄財を願う俗信もあった。アジサイの名を集財(あづさい)にかけて、金が集まると見立てたのである。
(湯浅浩史 著 『四季の植物』より)
No.1376 『歩く、見る、聞く 人びとの自然再生』
毎年、ここ三沢地区では、春の山野草展をしています。今年で41回目の開催ですが、その行事に地区の小学生3〜4年生も参加します。具体的には、地元の山に入って、山野草を学んだり、許可をいただき1株だけわけてもらい、それを鉢植えにして展示します。
そのときに、児童たちに話しをするのですが、やはり自然と接するときの心構えみたいなことを小学生にもわかるように話すのがなかなか大変です。だから、というわけでもないのですが、たまたまこの本を図書館から借りてきて読みました。
この本のなかに書いてある「生態系サービス」ということをもっと簡単にして話したことがありましたが、そもそもこの考え方は、「米国の環境経済学者ロバート・コンスタンザらは、1997年、『ネイチャー』誌に論文「世界の生態系サービスと自然資本の価値」を掲載し、生物多様性が人間の生活にとってどういうサービスをもたらしているかを評価することの重要性を打ち出した。……生態系サービスには、まず、食料・水・木材のような「供給サービス」、気候・洪水・疾病などに影響する「調整サービス」、レクリエーションや精神的な恩恵を与える「文化的サービス」、という人間に直接利益をもたらしてくれる三つのサービスがあり、そして、それらのサービスを裏で支える、栄養塩循環・土壌形成のような「基盤サービス」があるとされた。」と書いています。
たしかに経済学的な考え方かもしれませんが、ある程度の数量化を試みるためには、必要な枠組みのような気がします。私も学生のころに、社会会計学という新しい社会科学に挑戦したことがありますが、ある一つの政策を実施することによってその成果はどのぐらいになるかという価格比較は大事だという考え方です。数字で表すことによって、比較できます。
そうして導き出されたさまざまな数量化によって、比較ができるようになり、それが合意形成へと進むことになります。この合意ということもなかなかくせ者でして、この本でも、「現場でおこなわれている「合意」の多くは、完全に意見が一致したというよりも、信頼関係のうえの妥協だったり、相互理解による納得だったりする。ちゃんと話しあったし、こちらの意見も聞いてもらったし、相手の気持ちもわかったし、何より同じ時間を共有して信頼関係ができたし、といったことが、つまり「合意」なのである。合意の本質は多角的なコミュニケーションに基づく納得であり、合意形成とは、納得へ向けての多面的なプロセスの束である。」と書いています。
つまりは、多くの人たちの意見を集めて合意にもっていくためには、あまりにも広い範囲に呼びかけるのではなく、ある程度、相互関係のあることが大切だということになります。
この本を読むまでは、おそらく自然を再生するさまざまなノーハウが書いてあるのかと思ったのですが、実際にはさまざまな人たちの話しを聞いたり、その場所を見たり、そして歩くことが大切だということのようです。
下に抜き書きしたのは、この本の最初で紹介のような形で掲載されている宮城県石巻市北上町の小滝集落の岩のりに遠藤栄吾さん、大正15年生まれの方の話しです。
山には山の決まりみたいなものがありますが、海にも海の決まりや昔からのやり方があると思いました。
そして、そのような再生産に結びつくような考え方は、とても大事だと思います。
(2017.5.6)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
歩く、見る、聞く 人びとの自然再生(岩波新書) | 宮内泰介 | 岩波書店 | 2017年2月21日 | 9784004316473 |
☆ Extract passages ☆
「フノリなんかはね、採らないと、岩に余計な草がつくんだ。ノラというノリみたいな草がついて、食用に適さなくなる。だから採ったほうがきれいなのが生えてくるんだ」。
へえ、と思う。これは意図的な資源管理をしているということになる。採ることで、次の年もちゃんとフノリが生えてくるというわけだ。
さらに遠藤さんはこうも教えてくれた。「繁殖時期に採ったノリを、水で洗ってその水をじょぅろで岩にかけるんですよ。そうすると、すぐ密着してしまうんだ。流れないんです」。
これはつまり種付けだ。ノリの胞子を岩に注ぎ、次の資源再生をうながす。
岩のりの採集と言えば自然のものを自然のまま採集していると考えられがちだが、必ずしもそうではない、ということを小滝集落の磯物採集は示してくれる。
遠藤さんは、さらに興味深い話をしてくれた。かつて、岩のりがつきやすいように積極的に岩場を改変していたという話だ。
(宮内泰介 著 『歩く、見る、聞く 人びとの自然再生』より)
No.1375 『喜びから人生を生きる!』
この本は、たまたま図書館で手にした1冊ですが、副題の「臨死体験がおしえてくれたこと」や、まえがきをウエイン・W・ダイアー博士が書いていて、ちょっと興味を持ちました。
そのまま少し立ち読みをしましたが、286ページもある本なので、もう少し内容を知りたくて、借りてきました。7冊ほど借りてきたなかの1冊です。
著者は、インド人の両親のもとでシンガポールで生まれ、2歳のときに香港に移り、人生のほとんどを香港で暮らしているそうです。臨死体験をしたのは2006年の初めで、そのことは本のなかでも詳しく書いています。
では、臨死体験をして、向う側の世界に行ったときはどのようなものかというと、著者は「時間のあらゆる点を同時に知覚できるというのは、向こう側の世界での明確な理解に役立っていましたが、今それを思い出したり、説明しようとすると混乱が生じます。直線的時間が存在しない時、出来事の連続性ははっきりしなくなり、それについて話すと不自然な感じがしてしまうのです。五感の制限により、私たちは時間の一つの点に集中させられ、これらを一列につなげて直線的現実を創り上げているように思えました。さらに、私たちの身体の制限された知覚が、目で見え、耳で聞こえて、触ることができ、匂いを嘆ぎ、味わえる範囲に閉じ込めているのです。でも、身体的制限がなくなった私は、時間や空間のあらゆる点と同時に関われるようになりました。」と書いています。
つまり、時間も空間も、いろんな点で自由になったということです。身体的制限がなくなったということは、五感の制限もなくなったということです。だから、どこへでも自由自在に関われるということです。
むしろ、言葉で言い表せないほどの自由さみたいです。
また、ではその臨死体験をした後のことを、これも著者は、「今の人生が終わったあとも生き続けると知っているので、肉体的な死を恐れておらず、今自分がいる場所以外のところへ行きたいという願望もなくなりました。もっと地に足をつけて、死後のことよりも、今この瞬間のすばらしさにすべての注意を向けようと思っています。」と言い切っています。
でも、それはインドで考えられているような輪廻転生ではなく、時間がただ存在し、自分がその時間の中を移動しているように感じられたそうです。つまり、時間は早く進んだり遅く進んだりだけではなく、前後左右に動いているということです。
ただ、そのような状況は、ちょっと理解できません。そもそも、それが時間だとはなかなか理解できないのです。
しかし、この現実世界は「表現するための遊び場」だという言い方は、なんとなくわかるような気がします。それは、現実的にこの身体がなければ表現のしようがないからです。たとえば、演劇でも映画の世界でも、出演者が実際にいなければ、表現する人はいないわけですから、それでは困ります。
でも、下に抜き書きしたように、「信念は、自分が確かだと思っているものだけを受け入れ、他のものはすべて閉め出してしまいます。」というのは、理解できます。よく、信念を持てといいますが、むしろその信念こそがいろいろなことに気づかせてくれる邪魔をする場合があります。
この本に書かれていることがすへて信じられるかというとなかなかそこまではいきませんが、このような考え方はあるとは思いました。
(2017.5.3)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
喜びから人生を生きる! | アニータ・ムアジャーニ 著、奥村節子 訳 | ナチュラルスピリット | 2013年6月15日 | 9784864510820 |
☆ Extract passages ☆
気づきとは、判断せずに、何が存在していて、何が可能かを理解することを意味します。気づきを得れば、防御する必要がなくなります。それは成長とともに拡大していき、すべてを取り囲み、ワンネスの状況に近づけてくれます。そこは奇跡が起こる場所なのです。それに比べて、信念は、自分が確かだと思っているものだけを受け入れ、他のものはすべて閉め出してしまいます。
ですから、私の癌の治癒は、信念によるものではありません。臨死体験は純粋な気づきの状態で、その時、これまで持っていた教えや信条は完全に消えていました。この状態が、私の身体の修復″を許したのです。言い換えれば、私の癒しに必要なのは、信念を捨てることでした。
生きることへの強い欲求を完全に手放した瞬間、私は死を体験しました。そして、死にゆく中で、まだその時は来ていないと悟ったのです。自分が望んでいたものを進んで手放そうとした時、本当に自分のものだったものを受け取りました。それは、望んでいたものよりはるかに大きな贈り物でした。
(アニータ・ムアジャーニ 著 『喜びから人生を生きる!』より)
No.1374 『空海! 感動の言葉』
この文庫本は、3月に四国八十八ヵ所のお遍路に行くときに持って行ったのですが、実際に行ってみると、各札所を巡拝するだけで精一杯でした。そして夕方からは、翌日の行程を考えたり、宿泊の宿を手配したりと、なかなか時間がなく、予定の半分も本を読むことができませんでした。
いつもの旅なら、電車などの移動時間でも読めるのですが、今回は自分で運転したので、それもできませんでした。それで、今頃になってから、読み出したというわけです。
この本葉、もともとは2003年に鈴木出版から発行された『弘法大師空海のことば』を文庫化したものだそうで、新しく編集したものだそうです。たしかに、題名を変えただけでも、その本の印象はだいぶ変わります。
また、まさに法話をするような雰囲気で書かれているので、読みやすいこともあり、理解もしやすかったようです。でも、簡単にしてしまい、なんか、本質が抜けてしまったのではないかと思わせるところもありました。このあたりの、さじ加減が難しいと思います。
でも、読者は普段はあまり宗教にかかわりのない一般の方々でしょうから、わかりやすいということも大事です。
たとえば、空海で有名な言葉は、「弘法は筆を選ばず」というのがありますが、実際には遣唐使として中国に渡ったときに筆の作り方も学んできたといいますし、著者も「空海さんは淳和天皇が皇子のとき、狸の毛で楷書用、草書用などの書体に合わせてつくらせた「国産品第一号」の筆を献上しました。この「能書は……」ということばは、そのときの献上文の一節です。空海さんは天皇に、「陛下が良い書をお書きになろうとお思いになられましたら、どうかその書体に合わせた筆をおもちください」と申し上げたのです。」と書いています。
空海の言葉は、『遍照発揮性霊集』には、「能書は必ず好筆を用う」と書かれているそうです。
これでは、あまりにも当たり前過ぎますが、やはり、それが真実なんでしょう。いくらがんばったとしても、小学生が持つような筆で、掛け物のような文字は書けないことぐらいはわかります。でも、心のどこかに、そうは言っても筆だけではないという気持ちがあり、このような言い方がされてきたのではないかと思います。
下に抜き書きしたのは、空海の『真言付法伝』の1節だそうで、「大弁は訥なるが若し」の説明として書かれたものです。
たしかに、講演などで人を感動させるのは、上手なしゃべができる人よりは、訥々と話す人のほうが多いようです。
ぜひ、この言葉を胸に秘めて、これからは話してみたいと思いました。
(2017.4.30)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
空海! 感動の言葉(中経文庫) | 大栗道榮 | 中経出版 | 2011年2月25日 | 9784806139843 |
☆ Extract passages ☆
和尚は、人の心と心が以心伝心するとか、相手の話に感応することを、いつも音叉の話にたとえます。
人間はひとりひとり心のなかに音叉をもっていて、相手の発する声の周波数がこちらの音叉の周波数に合わないと、音叉は共鳴しません。そうかと思うと、人と会話をしていて、こちらが何気なくいったことばに相手がすっかり感動して、突然涙ぐんだりすることがあります。それは、こちらが相手の音叉と同じ周波数の苦を出したために、相手の音叉が共鳴して鳴りだしたのです。相手の音叉が共鳴するのは、こちらのことばのなかに「真心」がこもっているからです。人は真心のこもったことばに感動するのです。少しでも相手を利用して自分の利益にしようとするような気持ちをもって話せば、相手の音叉は鉛のようにびくとも動きません。
真心のこもったことばは、立て板に水のようなおしゃべりからは出てきません。むしろ人は感動すると、ことばが出ないものです。感激すると涙で声がつまってしまいます。
(大栗道榮 著 『空海! 感動の言葉』より)
No.1373 『先入観はウソをつく』
この本のタイトルだけでもインパクトがあるのに、副題は「常識や定説を疑い、柔軟な発想を生む方法」とあり、見つけたらすぐに読んでみたくなりました。
やはり、本の題名や装丁というのは、中味と同じぐらい大事なものだと思いました。
そして、書き方が具体的なこともあり、一気に読んでしまいました。でも、やはり人が訪ねてきたりすると中断してしまうのは仕事柄しかたがありませんし、年を重ねると目を休ませることも大事なので、結果的に2日もかかってしまいました。
では、先入観というのはすべて悪いかというとそうではなく、著者は、「先入観という言葉を辞書で引くと、「前もって抱いている固定的な観念。それによって自由な思考が妨げられる場合にいう」 と書かれています。つまり、人は先入観があるばかりに、物事をそれだけで判断してしまうということが、日常生活のなかで多々あるのです。もちろん先入観は悪いことばかりではありません。……人間の脳は、朝起きてから夜寝るまでの間に、膨大な情報を脳内で処理し、選択と決断を繰り返し、必要な情報だけをインプットしています。情報処理するだけで人は多くのエネルギーを使い、消費しますから、脳が容量オーバーしないようにするために、人は先入観を持つようにできているのです。当然ですが、人生の経験値が多い分、先入観は子どもより大人のはうが多くなります。それだけに年をとるにつれ、頭が固くなると言われますし、反対に子どもほど「考え方が柔軟だ」と思われるのは、先入観が少ないからです。」と書いてありました。
そう、考えれば、たしかに先入観はとても大事なことですが、それだけですべてを判断してしまっては困ることもあります。さらに、新しいことを学ぶこともあまりできません。それでは、時代が変わったり、海外に旅行に行ったりしたときに、とまどってしまいます。
そこで著者は、「受け入れ箱」と「比較箱」というイメージを大脳のなかにつくることを提案しています。
そして、先入観を80%とすれば、「受け入れ箱」を10%、「比較箱」を10%ぐらいにするというものです。たとえば、自分の考えと違ったとしても、先ずは「受け入れ箱」にいったん入れて置いて、翌日ぐらいには「比較箱」で自分の先入観とその新しい自分と違う考えを比較するのだそうです。
そうすれば、すぐに判断できなくても、いったんは聞く耳を持つことができます。そして、ある程度は時間をかけて咀嚼することも可能になるというわけです。
たとえ時代が変わったとしても、外国に行ったとしても、それなりに受け入れ体制は整うことになります。もちろん、最終的にはそれらをすべて受け入れるわけではなく、たとえば、外国から帰国すれば、もとの考えに戻ってしまうことはあり得ます。
それでも、自分の先入観を見直すきっかけにはなります。
下に抜き書きしたのは、日本とヨーロッパの戦の違いについての話しです。これを読むまでは、ほとんど意識してなかったのですが、たしかに江戸時代までの戦では、一般のほとんどの民衆は、命や財産を失うことは少なかったようです。このような説明をされると、なるほどと納得してしまいます。
これは、戦というものに対する先入観ですが、戦といえども、日本とヨーロッパでは違うということを、改めて考えました。
さらに、今、天皇後継の問題でいろいろな議論がなされていますが、このような深い存続の意義があることにも考えさせられました。
(2017.4.28)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
先入観はウソをつく(SB新書) | 武田邦彦 | SBクリエイティブ | 2017年2月15日 | 9784797389180 |
☆ Extract passages ☆
……フランス人の技術者もこう言っています。
「私たちが学校で歴史を学んだときに、戦争を行うのは相手の兵士を殺すだけでなく、そこに住んでいる住民や財産もかっさらってしまい、そうして領土を広げていくというのが、
私たちヨーロッパに住む者の考え方だと教わりました」
ところが日本人は違います。殿様同士で争いごとが起きたとき、両者の兵を交えて戦い、その勝者が領土を得られるというのは、当然のことでありますが、だからといって戦をし
たから町民や農民の身に被害が及ぶなんてあり得ないのです。
それではどうしてこういう常識が生まれてしまったのか。それは日本が「国」だったからです。日本は今からおよそ2000年前にできてからというものの、殿様であれ、武士であれ、町民であれ、農民であれ、すべてが日本国民であり、その上には必ず天皇が存在していました。そのため、徳川家が豊臣家との戦いで勝利しても、町民や農民はすベて天皇に所有権がある」という認識をされていたために、戦で傷つけられるようなことは一切ありませんでした。
(竹田邦彦 著 『先入観はウソをつく』より)
No.1372 『にほんご万華鏡 3』
この本の装丁を見て、そのイラストに惹かれて、先ずは手に取りました。
そして、読んでみると、とても洗練された日本語で書かれていて、その世界にどっぷりと浸かったように読みました。なるほど、というところや、初めて知ったことなどもあり、楽しく読ませていただきました。
この本の題名の前に、「天国からの贈りもの」とあり、どのような意味でこのような形容詞がつけ加えられたのかな、と思いましたが、読んでみて納得しました。
著者は、2015年8月に大腸ガンで亡くなられたそうで、享年62歳だったそうです。
10年ほど書き続けた、法律家たちの交流誌『ニューズレター』のエッセイを集めたのがこの本で、すでに2冊出されているようです。いずれ、それらも読んでみたいと思っていますが、下に抜き書きしたように、おそらくこの仕事を継続したかったに相違ありません。この文章は「妻への言葉 あとがきにかえて」を書いた夫の小野寺久氏の言葉です。
この本を読んで、初めて知った言葉に「狐之を埋めて狐之をあばく」というのがあります。この「あばく」というのは、パソコンではでないようで、本には「手偏に骨」という文字でした。そして意味は、「狐は捕らえた獲物を土の中や雪の中に埋めて貯蔵しておき、必要な時に掘り起こす習性があります。しかし、狐は疑い深いので、埋めた食べ物を何度も掘ったり埋めたりして確認します。すると、ライバルの狐や他の動物に隠し場所を気付かれてしまい、横取りされてしまいます。このように、疑い深すぎて、自ら物事をぶち壊してしまうことをいいます。用心深さも度を超すと愚かさにつながります。出典は春秋時代の『国語(呉語)』です。」とあり、やはり、あまりにも慎重過ぎるとそれが災いをもたらすかもしれないと思いました。
また、身につまされたのは「秋の入り日と年よりはだんだん落ち目が早くなる」という、あまり聞いたことはないのですが、実感として感じるようになってきました。
あちらが痛い、こちらの調子が悪い、というのは前より多くなってきたようですし、回復に時間もかかるようになってきました。
それでも、本を読むにはほとんど差し支えないので、毎日、本だけは離せません。
そういう意味では、この『本のたび』も、私の楽しみのひとつかもしれません。
(2017.4.25)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
にほんご万華鏡 3 | 小野寺牧子 | 中央公論新社 | 2016年9月25日 | 9784120048913 |
☆ Extract passages ☆
彼女自身が仕事を継続することは叶いませんでしたが、彼女の蒔いた種がどこかにつながればと思っています。言葉は、人の心を、人生をも変えることが出来ます。彼女の思いが社会的に共有され、人々の豊かな人生のために少しでも貢献できるとしたら、嬉しい限りです。彼女を亡くしてからは見えない風景が見え、聞こえない会話が聞こえるように思えます。彼女が命を懸けて教えてくれたものは、医師としてあるべき患者への思いやりや心配りだったように思います。
(小野寺牧子 著 『にほんご万華鏡 3』より)
No.1371 『ブックカフェものがたり』
この本を見て、最初は「ブックカフェ」というのは、単に本とカフェを組み合わせているのか、と思ったのですが、いろいろなバリエーションがあるようです。
もちろん、いまさらネットカフェをしたいと思って読み始めたわけではなく、ただ本もコーヒーなどの飲み物が好きという単純な理由からです。それでも、快適な読書空間づくりに少しは役立つかもしれないと考えました。
そして、本を読みながら、美味しいコーヒーを飲めれば最高ですから、そのような期待も少しはありました。
でも、実際には、これからネットカフェを開きたいという方の指南書のようなもので、あまり期待したものとは違うようです。でも、このようなネットカフェが増えてくれればいいな、と単純に考えましたが、この本が出版されたころの話しで、この巻末に掲載されたお店もだいぶ少なくなってきたようです。それも、大手の三省堂書店が大丸東京店に開いた「BOOKS & CAFF」もやめたみたいですし、詳しく調べれば開いては閉じたりの世界のようです。
もちろん、商売としてなりたつには、いろいろな大変な問題もあります。それらは、この本にも書かれていますから、これから開きたい方にはぜひお読みいただきたいと思います。
でも、それでもやりたいというのは、「ミハス・ピトゥー」を開業した原田裕一さんのように、「未知のことは山ほどありました。でもそれは行動で補なうしかない。その積み重ねでした。人間の力というのは、経験から生まれると僕は思っているんです。行動すること、それだけです。頭のなかで描いていても、なにも始まらない。作家の宇野千代さんの言葉で、「生きることとは行動することである」「才能とはすなわち情熱である」という言葉があって、そのふたつは、僕のすごく好きな言葉ですね。」と、言い切れるような熱血漢がいいかもしれません。
あるいは、「カフェ・オーディネール」を開いた秋元高志さんのいうように、「図書館を想像してみてほしいのですが、本に囲まれるのってどこか厳粛なムードがありますよね。下北沢の街はどうしても雑多な感じがするので、雑貨屋などの雰囲気ではなく、もっと静かで、ゆったりと過ごせる空間をつくりたかった。美味しいコーヒーがあって、ジャズが流
れていて、書籍がたくさん置いてあって、カウンターでは皆、本を読んでいる、あとはなにもいらない――そういう風景がいいなと。僕の頭の中にあるイメージの根底にはジャズ喫茶があって、そこでは皆、読書をしているんです。そう、現代版のジャズ喫茶のような感じですね。」というように、自分の想い描くイメージがしっかりしているとかが必要だと思います。
下に抜き書きしたのは、このネットカフェを開きたいという方たちの共通する思いだそうです。
たしかに、「のんびりしてほしい」というのはわかりますが、それがいかに商売からかけ離れたものか、それが開いたときのギャップになりそうです。
(2017.4.22)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
ブックカフェものがたり | 矢部智子・今井京介ほか 著 | 幻戯書房 | 2005年12月15日 | 9784901998154 |
☆ Extract passages ☆
取材をすすめるにうちに気付いたこと――それは、彼らがみな「ゆっくりしていってほしい」という思いでブックカフェを開いていることである。商売を第一に考えるなら、本はその場で読まずに買って帰ってもらいたいだろうし、カフェならお客さんの回転が速いほうがいいはずだ。けれど彼らは口をそろえて「楽しんでほしい」「のんびりしてほしい」と言う。ものを売ったり、提供したりするだけでなく、そこに留まってなにか考えたり、あるいはなにも考えなかったり。そんな「なにか」が見つかるところ。それがブックカフェというものなのだろう。
(矢部智子・今井京介ほか 著 『ブックカフェものがたり』より)
No.1370 『星に願いを、いつでも夢を』
なんか聞いたことがあるような題名だなあ、と思っていたら、最後の「あとがき」で、実在した時代の名曲を2つ組み合わせてタイトルにしたと書いてありました。なぜというと、今は「願い」も「夢」も消滅しつつあるからだといいます。
だからといって、あの時代がよかったのかというと、冷静に考えれば、少なくとも今よりは大変だったと思います。むしろ、大変だったからこそ、願ったり夢をみたりしたのではないかとさえ思います。
しかし、今のなんともとらえどころのない時代がいいかというと、それもなかなか肯定はしたくありません。そこが難しいところです。
そういえば、「誰が正しいか、何が正しいかなど、考えない。自分が間違っているかどうか、そんなことはどうでもいい。自分と反対意見の人は、それだけでもう敵だ。しかも論理的というだけで、嫌悪感を覚える。重要なのは論理ではない。感情だ。声高に、自分と同じような価値観を叫ぶ人には喝采を送る。何が幸福なのかなど、決して考えない。悪いのは、自分以外の人、自身以外の世界のすべてだ。誰も自身を好きになってくれないとわかっている。」と書いていますが、まるで、ある国の大統領みたいではないか。
というより、世界中がそのような傾向になり、だからこそ選ばれてしまったといえるのかもしれません。
でも、それはやはりおかしいと思います。まさに言いっ放しの世界のようです。論理もなにもないような前近代的な考え方のようでもあります。
攻撃されるよりも先に、攻撃してしまえというようなものです。
著者は、また、何かに出会うために必要なものは、好奇心かもしれないし冒険かもしれないと書き、つまりは「リスクを取る」ということではないかといいます。このリスクが他のリスクを呼び寄せ、多くの出会いを引き寄せるのではないかといいます。それを、「リスクの隣に、多くの出会いが潜んでいる」と表現しています。
たしかに、これはありだと思います。リスクのない出会いなんて、なんの役にも立たないものです。そのリスクを引き受ける覚悟こそが、本当は必要なのではないかと思います。
下に抜き書きしたのは、そのリスクについてのことを書いています。
歳を取ると、なるべく無難なことをしたがります。ちょっと言い方を変えれば、慣れ親しんだものが一番楽です。でも、たまにはそれ以外のことをすることによって、新たな楽しみと出会えるのではないかと思っています。
(2017.4.18)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
星に願いを、いつでも夢を | 村上 龍 | KKベストセラーズ | 2016年11月30日 | 9784584137581 |
☆ Extract passages ☆
歳を取ると、リスクを取るのも限定的になるし、嗜好などは保守的になる。わたしは、食事でも知らない店には行きたくないし、知らない人と合うのもおっくうになった。そういった雰囲気が今の社会には充ちている。「内向き」といわれる若者はそういう年寄り、大人たちの価値観に従っているだけだ。
わたしも、不要なリスクなど取りたくない。わたしがリスクを取るのは、小説のモチーフを選ぶときだけだ。「なんでこんな面倒なテーマをわざわざ選ぶのだろう」と思いながら、渋々、リスクと向かい合っている。
(村上 龍 著 『星に願いを、いつでも夢を』より)
No.1369 『漱石と煎茶』
お菓子とくれば、次はお茶かコーヒー、あるいは紅茶などの飲み物なので、ここでは煎茶について考えてみたくなりました。
しかも、今はなぜか夏目漱石が改めて読まれているとかで、ある種のブームみたいになっているそうです。いつもは、ブームと聞いただけで避けてしまうのですが、今回は「坊ちゃん」の松山市を訪ねたこともあり、読んでみたくなりました。
著者の小川後楽は、煎茶の小川流6代目家元だそうで、ほとんど煎茶について知らないこともあり、その煎茶についても興味がありました。抹茶は、もう40年以上もしているので、なんとなくわかりますが、煎茶はその道具のことすらわかりません。
漱石が、「草枕」のなかで、「取り上げて、障子の方へ向けて見る。[中略]茶碗を下へ置かないで、其儘口へつけた。濃く甘く、湯加減に出た、重い露を、舌の先へ一しずく宛落して味って見るのは閑人適意の韻事である。普通の人は茶を飲むものと心得て居るが、あれは間違だ。舌頭へぽたりと載せて、清いものが四方へ散れば咽喉へ下るべき液は殆んどない。只馥郁たる匂が食道から胃の中へ沁み渡るのみである。と書いているそうですが、この「一しずく宛落して味って見る」といわれても、あまり実感としてわかりませんでした。そこで、玉露を買ってきて、試してみると、たしかにほんの少しお湯を入れて飲むと、たしかに美味しいのですが、なんとも物足りないのです。お抹茶だと、それなりの量があるので、ゆっくりと楽しめるのに、人しずくずつでは、少なすぎます。
そこで、思い切って多く茶葉を入れてお湯も多めにすると、あの甘さは喉の癒やしに奪われてしまうのか、どうもわからなくなってしまいます。
つまり、いろいろと試してはみたのですが、お茶を飲むというのは、喉の渇きを癒やすためのものでもあり、それはそれでもいいのではないかと思いました。
この本には、売茶翁の名がときどき出てきますが、だいぶ前から売茶翁の書いた軸が欲しくて、探したことがあります。ところが、なかなか真筆はなく、未だ持って手に入らないでいます。その売茶翁のことについて、「煎茶道中興の祖、売茶翁の煎茶は、茶を売って身過ぎする単なる一服一銭ではなく、尊王の「有心」を秘めたものであった。そのことを見抜いていた一人に、尊王派の志士たちの精神的支柱ともされた頼山陽がいた。そうした尊王の精神的部分を広げた「煎茶」が、可進によってさらに具体的な内容を伴って成長する。尊王の象徴としての「煎茶」が、より確かなものとして、近世の歴史に深く刻まれていくことにもなる。」と書いてありました。
さらに下に抜き書きしたのは、漱石がいかに売茶翁に関心を寄せていたかについての文章です。
まさか、その俳句まで作っていたとは、この本を読んで初めて知りました。たまには、お抹茶だけでなく、このような本を読みながら煎茶も飲んでみたいと思いました。
(2017.4.15)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
漱石と煎茶(平凡社新書) | 小川後楽 | 平凡社 | 2017年1月13日 | 9784582858235 |
☆ Extract passages ☆
漱石も早くから売茶翁に関心を抱いていた。売茶翁を詠み込んだ最初の句、「梅林や角巾黄なる売茶翁」は32歳の時、山川らと『草枕』の舞台小天温泉に出かけた翌年のことだった。さらに、その年の終わりにはもう一句「水仙や髯たくわえて売茶翁」の作を残している。見事な髭を蓄えた前田案山子が、漱石の目の前で、手慣れた手つきで小さな煎茶器を扱い、「濃く甘く、湯加減に出た、重い露」を振る舞ってくれる姿に、思わず売茶翁を重ね見る思いになっていたのだろう。「舌の先へ一しずく宛落して」味わった茶は、深く印象づけられていたのだろう。
(小川後楽 著 『漱石と煎茶』より)
No.1368 『作家のお菓子』
本も好きだし、お菓子も好きということで、なんとなく手に取った1冊です。
このシリーズは写真も多く、編集も図録的で、楽しく読むというか、見せていただきました。なかには、これは食べてみたいと思うお菓子もありました。
それよりも、食べたことのあるお菓子も多く、たとえば、松江風流堂の「朝汐」や「山川」などは先月いただいたばかりですし、京都の松屋常磐の「味噌松風」などは、関西に行くとほとんどと言っていいほど、買ってきます。
また、同じ京都の田丸弥の「白川路」はお茶の先生が大好きだったこともあり、これは必ず買ってきていました。でも、亡くなられてからは、あの喜ぶ顔が見られないこともあり、ちょっと遠ざかっています。
お菓子にも、自分史がありそうです。
最初は赤瀬川原平氏の話しで、写真も好きだったそうで、いろいろな思い出の写真も掲載されていました。胃が弱かったそうで、甘納豆を一粒一粒楽しんで食べていたとあり、そういえば、甘納豆にもその豆の種類により大小があり、胃の調子により食べられていいだろうな、と思いました。それに、爪楊枝でも挿しておけば、手も汚れないから、これはマネをしようかとも考えました。
奥さんの赤瀬川尚子さんの文章のなかに、「仲間が集まれば、こし餡派、粒餡派に分かれ「粒餡論争」と称して話を楽しんでいた。いつか旅のお土産でいただいた「むらすゞめ」には薄い半月の外皮に炊き上がったばかりのような粒餡が包まれている。それには破顔で喜んでいた。」とあり、そういえば私は絶対に粒あん派だと読みながら思いました。
この本の最後のほうに、「現代において、おやつや菓子は、どう食べようが、その人の自由であって、何の気兼ねなく、いつでも口に出来る。また地方の銘菓も電話ひとつ、インターネットで簡単に手に入る時代である。しかし、今、作家が好きだった菓子を食べることで、彼等の好みを知ると同時に、文章に活写された時代の雰囲気を想像しながら、ゆっくり味わってみたい。」と書かれていました。
たしかに、作家によってだけではなく、時代によっても菓子は変わっていきますし、地方の銘菓でさえ、もしかするとなくなってしまうかもしれません。今は、そんな時代です。だからこそ、このような本が出るのかもしれない、と思いました。
下に抜き書きしたのは、濱田庄司氏の孫の濱田友緒氏の「体と心の栄養」と題した文章です。お酒を飲めなかったというのは、初めて知りました。
濱田庄司氏の子である晋作氏の作品やその子の友緒氏のと、いくつか持っています。抹茶碗などはあまり使わないのですが、湯飲みはときどき使うので、次には好きなお菓子を準備してお茶でも飲んでみたいと思いました。
(2017.4.12)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
作家のお菓子(コロナ・ブックス) | コロナ・ブックス編集部 編 | 平凡社 | 2016年11月16日 | 9784582635065 |
☆ Extract passages ☆
食通というより健啖家であった濱田庄司。とにかく、うまいものを沢山食べた。そして、その活力で自身の作陶や民藝運動の主導、益子焼の発展への尽力や後輩の育成、日本中世界中の工芸品民芸品の収集などに邁進した。
酒が飲めなかった庄司は、ビールの代わりにウィルキンソンのミネラルウオーターとバヤリースのオレンジジュースを食事に合わせていた。もちろん甘党なので、菓子類をこよなく愛した。菓子にはもっばら緑茶を、猫舌なので慎重にすすって飲んでいた。
(コロナ・ブックス編集部 編 『作家のお菓子』より)
No.1367 『わたくしたちの旅のかたち』
今は旅番組は国内外とも盛んに放映されていますが、昔の海外の旅というと「兼高かおる 世界の旅」ぐらいしかありませんでした。
でも、それを見ても、海外に行けるとはほとんど思ってなくて、行けるのはほんの一部の特殊な人だけと思っていました。今のように、隣のおじさんおじちゃんまで行ける時代が来るとは、考えもしませんでした。
だから、ある意味、単なるあこがれで見ていたのかもしれません。この本の著者紹介をみると、取材国は約150カ国、地球を約180周、1年の半分を海外取材に費やしたと書いてあります。そういう意味では、まさに旅番組の先駆者のようです。
前回読んだ『宗心茶話』も、高橋睦郎が堀内宗心に聞き書きをしてつくられた本でしたが、今回は二人の対談本で、なんとなく似ています。聞かれて、つい語ってしまうというのもあるのではないかと思いました。
たとえば、曽野さんが「でも、旅行中は、なるべくコンディションを整えておきたいでしょう。わたくし、そんなときはヒューマニズムを捨てるんです。たとえば中近東のレストランへ行くと、店のおやじさんが、まずはピタという薄いパンを山盛りにして持ってきてくれますでしょ。すぐ前の道ではロバが糞をしていて、それが挨と一緒に舞い上がっているような道端のお店です。持ってきてくれたピタは熱々なんだけれど、少なくとも挨はたかっているんです。そういうところでは、身勝手ですが、ピタは必ず下から抜いて食べました。一番上のピタは、挨やいろいろな菌をかぶっているでしょう。申し訳ないのだけれど、それは慣れている土地の方に食べていただくしかないな、と(笑)。旅ではそういう利己的な自分とも向き合います。」と語りますし、他のところでは、環境によって悪人にでもなれるといいます。たしかに、これは本音だろうと思います。
また、旅に出て初めてわかることとして、兼高さんが、「わざわざ苦労するという体験が大事なんです。現代の方々は、みなさん忙しいでしょう。若い方でも会社勤めの方なら、朝家を出て職場へ行き、夜まで働いて帰宅する。毎日それの繰り返し。たまに同僚やお客さんとお酒を飲みに行くことはあっても、それも多くは似たような顔ぶれです。それでは新しいアイディアなど浮かぶはずがありません。旅に出れば、日常のすべてから切り離されます。初めて見るもの、おもしろいものに触れれば脳が活性化します。海外へ出るという体験は、自分を成長させるための近道でもあるのです。」と話してますが、なるほどと思います。私といっしょに自生のシャクナゲを見に行った方ですが、もっといろいろな種類のシャクナゲを見ることができると思ったと話していましたが、自然のなかでは1種類でもなかなか見つけるのは大変です。でも、それを見つければ、その自生地の環境や生育状況などを深く観察すると、いろいろな性質が見えてきます。それが大切なんです。もし、種類だけを見たかったら、植物園に行ったほうが確実です。
でも、自然のなかには、人間の想像を遥かに超えた何かがあるかもしれません。その何かは、行って見なければわからないことなので、そこが魅力でもあります。
下に抜き書きしたのは、聖書の言葉、「叩けよ、さらば開かれん」について曽野さんが語っているところです。
たしかに、その言葉通りの解釈ですが、もっと深い意味があると思っていたので、ちょっと肩すかしをくらったような気持ちでした。
(2017.4.10)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
わたくしたちの旅のかたち | 兼高かおる・曽野綾子 | 秀和システム | 2017年2月11日 | 9784798049144 |
☆ Extract passages ☆
兼高さんがおっしゃったように、聖書の時代には、日暮れまでにやってきた旅人には寝床と水、それからパンを与えなければならなかったそうです。
ところが、旅人たちは時間を守らず、もうすっかり夜がふけた頃になってやってくるんです。どの家もすでに扉を閉めていて、旅人がいくらドンドン叩いても「帰ってくれ」と冷たく突き放します。掟では「日暮れまで」となっているのですから、扉を開けないのは当然ですよね。
でも、旅人はしつこくドアを叩くんです。しつこくすれば、しまいには根負けして扉を開けてくれるからです。「叩けよ、さらば開かれん」は、そこからきています。つまり、しつこさのすすめなんです。
わたくしなどは 「しつこい人って、いやね」と文句の一つも言いたくなりますが、聖書のなかでは、しつこいことがいいことです(笑)。これも砂漠を生き抜くための知恵でしょう。聖書は、砂漠を旅する人にとつて第一級の教科書だと思います。
(兼高かおる・曽野綾子 著 『わたくしたちの旅のかたち』より)
No.1366 『宗心茶話』
前々から読んでみたいと思いながら、そのままになっていたのですが、前回で『なぜ、一流の人は「お茶」をたしなむのか?』を読み、また思い出しました。
こちらの副題は「茶に生きる」ということで、お茶人として長く茶道に関わってこられた方なので、その茶道についてにとても興味がありました。だいぶ前になりますが、あるテレビ番組で拝見したこともありますが、淡々としたお点前に、むしろ長い修練の姿をみたようにも感じました。話しぶりも、そうでした。
そういえば、もともとは京大の理系で、その道に進もうと考えていたのでしょうが、家庭の事情等で堀内家を嗣ぐことになり、だからこそ、一生懸命精進して、今のような淡々としたお点前になったのかもしれません。でも、その言葉の端はしに、科学的な見方があり、たとえば、「活性のある水も煮沸しますと、水分子の周囲を覆っている衣がだんだんと脱落して、とれていく。煮沸を加えるたんびに衣が落ちていって、こんどほ中身どうしがくっつき合って物質がだんだん大きくなり、水から分離して沈殿してしまう。こうして有効成分がなくなり活性の少なくなった水が老化した水ということになります。そういう訳ですから、お茶では湯を沸かす時にはかならず傍に水指を置いといて、煮沸して沸騰すると、湯を汲み出して使うたんびに水指から新しい水を加えながら、湯量を保っていく。量の上で保つだけでなく、質の上でも活性を保っていく。そういう意味で老化を防ぎながら水を使っていくという、そういうしかたがお茶の中にある訳なんでございますね。」ということなどは、ほとんどの人が水の足りなくなったのを補給する程度にしか考えていなかったのに、と思いました。
また、「お茶本来はむしろさまざまな人を平等に受け入れるもので、経済的なことも同様です。もちろん茶道具には高価なものもございますが、それがなければお茶ができないということではなく、そういうことを茶人が自覚をして流されない生き方をすることが大切です。お茶では、亭主は常に主導的なものです。自分のお茶はこれであるという自信を持ってお茶をすることです。これは大寄せの茶会ではむつかしいことかもしれませんが、個人の茶事では可能です。茶事の客は、亭主の気待ちになって楽しみ合うことが大切です。」のように、淡々と述べていますが、なるほどと思います。
ある、有名なお寺の住職であり茶人の方が、講習会で「お金のない人はお茶をするな」と言ったそうですが、このような茶人がいるから、お茶はお金がかかると誤解されてしまうのです。
そういう意味でも、堀内宗心宗匠には、元気でいてもらいたいと思います。やはり、自分もあのようになりたいという、そういう人物がいてこそ励みになるのだと思います。
下に抜き書きしたのは、5月の薫風のことから、風呂の話しや風通しの話しの後に出てくる言葉です。
ここにも、理系らしいものの考え方がにじみ出ているように感じました。写真もたくさんあり、気持ちよく読むことができる本です。
(2017.4.8)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
宗心茶話 | 堀内宗心 語り下ろし・高橋睦郎 聞き書き | 世界文化社 | 2010年11月1日 | 9784418103171 |
☆ Extract passages ☆
風といいますと、今申しましたように肌で涼しさを感じるということでは触覚ですが、視覚でもありますね。風が通って外の緑の木々が動くとか。障子を開けると、外の風の動きが目に入ってきますから、視覚的にも涼しく感じます。また聴覚でもあります。木々や竹の葉ずれの音とか、やっぱりいいものでございますね。
もう一つ、嗅覚、これは大切ですね。そもそも、薫風というのは薫る風ですから、青葉若葉の匂いとか、水の匂いとか、土の匂いとか、光の匂いというのもあるかもしれませんですね。
(堀内宗心・高橋睦郎 著 『宗心茶話』より)
No.1365 『なぜ、一流の人は「お茶」をたしなむのか?』
副題は「日本文化の最高到達点」とあり、むしろ、題名より、こちらのほうに興味がありました。
前回は『茶碗と日本人』を読みましたが、お茶をするには茶碗などの道具が必要です。だからといって、高価なものばかりでは、ゆったりとお茶を楽しむことができません。なぜなら、落として割れたらどうしようかとか、もしキズでもついてしまったら、などと考えるからです。もちろん、この本の題名にあるような一流の人なら、そのような心配などしないでしょうが、私たちは美術館などで見るような道具でお茶をしてみたいと想いながらもできないでしょう。
でも、そのお茶の道具がなければお茶は点てられないので、最低限のものは必要です。なるべくなら、たった一つでも自分のお気に入りのものがあれば最高です。
それが私にとっては、茶碗です。でも、一般的には、床にかける軸と言われています。茶席に入って、最初に拝見するのは床の軸ですし、それから床の間にあるものを見て、場所を炉や風呂の前に行き、釜などを拝見します。その順序からいっても、やはり掛け軸が大事だとわかります。
よく聞くのは、何が書いてあるのかわからないといいますが、わからないなりに見ていると、なんとなくわかってきます。むしろ、あまり説明的な文句より、端的で余韻があると思います。シェークスピアの『ハムレット』に、「簡潔は知恵の神髄」という言葉があるそうですが、なるほどと思います。この本では、「多弁には無駄口が多いので、人の心に入っていかないで周囲に拡散していってしまう。一方、短い言葉は一直線に相手の心の中に入っていく。それを噛み砕いてみると、中には珠玉のような警句が入っている。短いからこそよく噛んで消化でき、その含蓄の深さを味わうことができるのである。また、短いが故に、そこから自分の考え方が広がっていったり、さまざまな観点からさまざまな考え方を自分自身で導き出してきたりすることができる。書かれている教えそのものに感動すると同時に、それに触発されて「自己啓発」も行なわれるのである。掛け軸一つであるが、そこから自分の人生の正しい道が見えてくることも少なくない。」と書いてありました。
やはり、著者の仕事がビジネスコンサルタントということもあり、自己啓発という言葉が出てくるのもうなずけます。
だからこそ、「お茶」をたしなんでいる方も多く知っていて、このような本を書かれたのではないかと思いました。
そういえば、戦前も名を残すような経営者たちは、こぞってお茶をしていたようです。しかも、その経済力を背景に、名だたる茶道具の名品を集め、それが今も財団法人として美術館の収蔵庫に残っています。
この本でも取りあげていますが、「要は、仕事ができるだけでは、人間性に欠けるところが出てくるのである。いわゆる「教養」を身につける努力を怠ってはならない。教養とは人間的な幅であり厚みであり、さらには深みである。それは、社会の中における自分の立場や位置をきちんと見極めたうえで、自分に始まり人々へと幸せの輪を広げていこうとするバランス感覚である。機械的にならない程度における機能性を重視し、スムーズに事を運んでいく器用さでもある。自分の人格を高めると同時に、人の人格についても関心を抱いて一緒に向上していこうとする。美に対する感覚を研ぎ澄まして、本物は尊重するが偽物を排するという潔癖さも必要である。社交的なマナーを身につけているので、人に不快感を与えることはない。」とあり、これらを満足させてくれるのが茶道だといいます。
下に抜き書きしたのは、お茶の道にはゴールがないという最後に書かれている文章です。ゴールがないからこそ、おもしろいのではないかと私などは思っています。
(2017.4.6)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
なぜ、一流の人は「お茶」をたしなむのか? | 山崎武也 | PHP研究所 | 2014年1月6日 | 9784569816449 |
☆ Extract passages ☆
お茶の道はゴールのない道である。生涯学習であるから、卒業をすることはできない。だが、途中で区切りをつけることはできるし、そうしたほうがいい場合も少なくない。前進ばかりするのではなく、時どきは後戻りもしてみる。それは反省することでも、学習の半ばにおける一時的「集大成」をすることでもある。
習ったことと自分のしていることが異なっていることに気づくはずだ。それは自分自身のスタイルが出来上がりつつあることにほかならない。作法は画一的だが、自分自身の「味」が出ている茶道になっている。それは自分の価値ある資産である。その味に、さらに新たな味つけをしてみる。
(山崎武也 著 『なぜ、一流の人は「お茶」をたしなむのか?』より)
No.1364 『茶碗と日本人』
私はお茶をしているので、もちろん茶碗にも関心があります。というより、もともと陶磁器が好きなので、その集めたものを使うのに最適なのが茶道だったというのが本音です。
でも、40年以上も続けていると、どっちが先でもどうでもよく、つい、このような本を読みたくなります。
そういえば、その茶道具のなかでもとくに好きなのが茶碗です。この本でも、「茶道具の場合、かならずしも茶碗だけではないが、個体を識別し、名前をつけ、愛情または愛着を寄せる。視覚だけでは満足せず、掌に入れ、撫でて愛玩する。こうして視覚以外に触覚や重量感覚を動員した鑑賞態度ができあがる。先に述べた「手取り」の感覚はその一要素となるのである。なかでも茶碗は直接に手にとり、口をつけるものである。」とあり、自分の口が触れることからも好みがはっきりと出るのかも知れません。
ここでいう「手取り」とは、別のところで説明してますが、「やきものに関して「手取りが重い」とか「手取りが軽い」とかいうとき、それは文字どおり手に取ったときの感じ、とくに重量に関わる表現である。しかし、たんなる重さをいうなら、ただ「重い」「軽い」ですむ。わざわざ「手取り」というのは、それが視覚と結びついた相対的な重量感覚の表現だからである。ということは、このことばが使われるとき、話し手には、手に取ろうとする器に対して、意識的にせよ無意識的にせよ、重さの予測があるということにほかならない。」と書いています。
たとえば、暗く重そうな色の茶碗やザクッとした土のものなどは、なんとなく重そうな感じがしますが、ところが手に持つとあまり重くないときがあります。これなどは、やはり「手取りが軽い」と表現しますし、その逆に軽そうな作りなのに重いものもあります。そのときには「手取りが重い」といいます。
まったく見た目と実際に手に取ったときの間隔の相違です。よく、ゆがんだような茶碗がありますが、これだって、お茶を飲むときの口当たりは、ちゃんと考えられているものです。
もちろん、モノによっては、せっかく熱いお茶を点てたのに、熱すぎて手に持てないものもあり、これでは、せっかくのお茶も楽しめません。おそらく、磁器より陶器の茶碗が多いのも、雅味だけでなく、実用的なこともあるようです。
下に抜き書きしたのは、韓国では「マクサバル」と表した「粗末で雑な」井戸茶碗が、なぜ、日本の茶人たちに受け入れられたのかに注目して書いたところです。
利休たちがいいものだと表したから受け入れられたものではなく、それなりの素地があったと思います。これらの茶碗は、2013年に「井戸茶碗」展としてたくさん展示され、その図録も買い求め手元にありますが、それをあらためて見てみると、なるほどと思います。その鑑賞の手引きは、この本では高麗茶碗の研究者の赤沼多佳さんのことを記していますが、それによると、「かねて茶人たちが大井戸の特色としてあげてきたのはつぎの七つだという。いわく、「胴にめぐる轆轤目、竹節状の高台、高台内の兜巾、枇杷色の釉色、総釉であること、高台周辺に梅華皮が多いこと、さらに見込みに目跡が残っていること」ですが、私もこれらの茶碗をたくさん見ていますが、これらすべてを含んでいる茶碗のほとんどは博物館所蔵かもしれません。
(2017.4.4)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
茶碗と日本人 | 吉良文男 | 飛鳥新社 | 2016年12月23日 | 9784864105255 |
☆ Extract passages ☆
結論的にいえば、井戸茶碗に代表される高麗茶碗の受容には、道具に個別性を求める侘びの茶人たちの要求が基にあったと思われる。その茶碗史的背景には、極めて規格化志向の強い中国陶磁には満たされないが、かといって、茶陶としてはいまだ独自の器形や装飾の表現形式をもたない日本のやきものでは使えるものがないという茶人側の事情があったのだろう。そこで「発見」されたのが朝鮮半島南部の民窯の製品だった。一定の規格のなかにありながらも個々には自由度が高く、侘びの茶人の茶碗として使えるやきものがあったのだ。華美を避けながら個別性を追求する当時の先端的な茶人たちの要請を満たすもの。それが高麗茶碗だった。
(吉良文男 著 『茶碗と日本人』より)
No.1363 『もう人と同じ生き方をしなくていい』
副題は「私の人生心得帖」で、50年間に出版した100冊近くの本から、選んでもらったものを1冊にまとめた本です。
活字も大きく、短い文章なので、さても読みやすく、サラッと読むことができました。でも、ちょっと時間が開いたときに読むので、2日ほどかかりました。
一番印象に残ったものは、下の抜き書きのコーナーに書き入れましたが、この他にもいろいろとありました。
たとえば、『「私はもう年だから、こんな赤いものを着たら恥ずかしい」とか、「こんなことをしたら、誰かに何か言われるんじゃないか」とか、自分を小さく押しこめる。感動を大事にする人は、「私はこの色が好きだから」とか、「これをやっていると楽しいから」とか、自分の気持ちに正直になって、それを外へ向かって表現する。だから、「赤が好き」といって着ている人は赤がよく似合うし、「年だから」といっている人は不思議と赤が似合わない。』と書いてますが、女性ならすぐにでも納得できるのではないかと思います。
また、「年をとることはすべてが減ってくることを意味する。まず持ち時間、体力、そしてお金である。持ち時間や体力は目に見えないが、お金は目に見える。老後のことを考えると、お金は大切だし、無駄に使うことはできない。上手に使う方法を身につけたい。そのためにメリハリをつけること。どーんと使うところは使う。節約するところは節約する。これからのお金は子供のためではなく、自分自身のために使えるのだ。好きなことにお金をかけて、どうでもいい部分はカットする。そのあたりを大胆にしたい。」ということも、まさに身につまされつつあることです。
先ずは、体力の衰えは確実に近づきつつありますし、それにつれて持ち時間も少なくなつてきたと感じます。もちろん、お金もそうですが、仕事が仕事なので、年をとったからできないというわけではないので、体力さえ続けばなんとかなりそうです。
そういえば、私はお茶が趣味なので、どうしても女性の方が多いのですが、「年をとったら特に異性の友達は必要だ。夫婦もどちらか一人になったとき、異性の友達がいれば救われる。特に妻が先に亡くなると夫は生活できず後追いをするケースが多い。仲のいい夫婦ほど喪失感が大きく、ウツ病になった知人もいる。出かけるときは、異性の友達を探そう。音楽会しかり、絵の展覧会しかり、女なら男を誘っていこう。」というのは賛成です。
やはり、食事に行っても同性だけより食べるものが多彩になりますし、時間もそれなりにかかります。でも、崩れないのがよいのではと思ったりします。
下に抜き書きしたのは、『持たない暮らし』という本に書かれた文章で、たしかに前に読んだような気がしますが、たしかにその人の趣味や大切にしているものを見れば、なんとなくわかるような気がします。
つまりは、そのようにわかるのだから、趣味や持ち物には気をつけようという警句でもあります。
(2017.4.2)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
もう人と同じ生き方をしなくていい | 下重暁子 | 海竜社 | 2016年7月15日 | 9784759315004 |
☆ Extract passages ☆
趣味や大切にしているものを見れば、その人がわかってしまう。ものを見れば人がわかる。ものはすでにものではなく、人間を表現するものになっている。
恐ろしい。口で上手につくろおうとも、ごまかそうとも、持ちものを見れば、大事にしているものがわかってしまう。
(下重暁子 著 『もう人と同じ生き方をしなくていい』より)
No.1362『サラダの歴史』
この本の「食の図書館」シリーズは、「オリーブの歴史」などを読んだことがありますが、写真などが多く、とてもわかりやすかったので、読むことにしました。
予想通り、というか、写真もきれいで、サラダの盛り付けも食欲が呼び起こされるようでした。むしろ、今まで読んだのより、素材も大事だが料理はそれ以上かもしれないと思いました。
とくに、外国に行くと、なかなかサラダを注文することができません。というのは、水環境が良くないので、野菜を生で食べることに躊躇してしまいます。自宅では、ほぼ毎日食べているものを食べないと、なんとなく物足りなく感じます。だから、ここは生でもオーケーといわれると、必ずサラダを注文します。しかも、その材料や盛り付けに、その国独特のものがあり、そのような下地があるから、つい、この本を手に取ったのかもしれません。
でも、一口にサラダといってもいろいろあり、この本でも、「私たちがサラダと呼ぶタイプの料理は、シンプルにもできれば、野菜以外の多くの材料も加えて、比較的凝った料理にもできた。この時点でサラダへのアプローチはシンプルなものと贅沢なもののふたつに分かれ、その流れが引き継がれて「サラダ」という言葉を簡単に定義するのを困難にしている。」と書いています。
たしかに、この本に載っている写真のいくつかは、それだけでも料理として通用するものですし、あるいは、まったくシンプルにレタスにドレッシングをかけただけのものもあります。
でも、それだってサラダです。生の大根を細切りにして醤油とマヨネーズで和えたものも、実にシンプルですが美味しいものです。
だから、サラダはお手軽だからいいということもあるし、手間を掛ければいくらでもかけられる楽しみもあるということです。
この本のなかで、日本のサラダについても触れていて、「さわやかな日本のサラダの例としては、海藻とキュウリに米酢、砂糖、塩のドレッシング[三杯酢]、春雨とキュウリに醤油、米酢、ゴマ抽、砂糖、塩を混ぜたドレッシング、ダイコンとワカメ、水菜、カイワレ大根のサラダに、醤油、酢、ゴマ抽、砂糖のドレッシング、エビとキュウリのサラダ、海藻とキュウリのサラダなどがある。」と書き、それを「さわやか」としている点がとても印象的でした。
こうして考えてみると、いつも食べているものには、意外と関心がなく、それが当たり前と思いがちですが、この本を読み、世界にはいろいろなサラダがあると知ってしまうと、むしろ日本のサラダの良さがわかるような気がします。
つまり、外国に行ってみて、初めて日本の良さに気づくようなものです。
イギリスのジャコモ・カステルヴュトロが1614年に『イタリアの果物と野菜』という本で、春のサラダについて書いています。
これを読むと、今の私たちのサラダに対する想いと似通っているかのようです。先ずは読んでみてください。
(2017.3.31)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
サラダの歴史 | ジュディス・ウェインラウブ 著、田中未知 訳 | 原書房 | 2016年12月23日 | 978456205392 |
☆ Extract passages ☆
「このよろこばしい季節に、おいしくて優雅で健康的なグリーンサラダを食べるよろこびを言葉で表現するのはほとんど不可能だ。その理由はふたつあると私は思う。まず、冬に食べていた熱を通したサラダには、もう飽き飽きしてしまっていること。そして、新鮮な緑の野菜は目でも楽しむことができ、味覚を満足させ、何より私たちの健康に本当に役立ってくれる。退屈な冬のあいだに蓄積された、すべての憂鬱と不健康な体液を追い払ってくれるのだ」
(ジュディス・ウェインラウブ 著 『サラダの歴史』より)
No.1361 『日本のブックカバー』
この本は、読むというよりは眺めて楽しむというような、いわば写真集のようなものです。
でも、本を包むだけというか、本をそじないようにカバーする紙を、こんなにもたくさん集めて本にするというのは、すごいことだと思いました。
この本のページを繰りながら、これ見たことある、これは今でも本棚にある、とか、いろいろな想いがわき上がってきました。やはり、書皮って、あなどれないなと思いました。私的にはブックカバーというほうがしっくりきますが、書皮というのは中国語で「本の表紙」という意味だそうで、発音が「シューピー」といい、なんともかわいらしいものです。
そういえば、だいぶ前のことですが、ブックカバーに凝ったことがあり、革製とか和紙製とか、あるいは布製など、いろいろと集めたことがありました。もちろん、今でもありますが、やはり面倒くさいこともあり、たとえば文庫本だと、読む前に本体だけにして、読み終わったら、また包んで本棚に並べてしまいます。旅行のときなども、すべてこのようにして、帰ってきてから、また同じようにしてやはり本棚に並べます。
だから、最近ではほとんどブックカバーをしないし、そういえば本屋さんでもしてくれないのですが、おそらく頼めばしてくれるのかもしれません。
この本を読んでから、昔のブックカバーを取り出し見てみると、やはり懐かしく、買ったときの思い出まで蘇ります。たとえば、東急ハンズで買ったものとか、旅行先で手に入れたものなど、いろいろとありました。
この本の「ブックカバーに書かれた名言」のコーナーでは、「本の中に なにがある 家がある 家の中に なにがあるか 宇宙がある」や、「Deep impression will enrich our mind.」なども、なるほどと思いました。そういえば、私専用のしおりには、インドのブッタガヤで撮った大塔に朝日のあたっているところの写真に「A room without books is like a body without a soul.」という言葉を入れてあります。
やはり、人の考えることって、みんな同じだと思います。
でも、このなかに、三省堂書店の「本読む楽しさが広がるなら、紙でも電子でもいいと思う」というのがあり、これには賛成できなかったです。やはり、紙の質感とか、本棚に並べてあるときの背表紙の想いとか、実際に目にする紙の本には、そのすべてがつまっています。しかし、電子本は、読むための道具を媒介しなければ見ることも読むこともできません。
手にとって1ページずつ繰りながら楽しむことができないのは、私はイヤです。もちろん、電子ブックのほうがいいという方もおられるでしょう。これだけは、好みも関係するので、なんともいえませんが、たとえば、この本に掲載されているブックカバーにしても、紙の本でなければ必要ともされないのです。
下に抜き書きしたのは、最後に書かれていた「本への誠意と敬意が漂う「書皮」の文化」からのもので、橋本光司さんの文章です。
ここで紹介されていましたが、あるアメリカから来られた女性が、「書店で本を買ったら、ただでこんなカバーをかけてくれてビックリ。アメリカじゃ、ありえない!」って話していたそうです。やはり、日本っていいな、と思いました。
(2017.3.30)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
日本のブックカバー | 書皮友好協会 監修 | グラフィック社 | 2016年9月25日 | 9784766129328 |
☆ Extract passages ☆
それぞれの書皮の違いは、本という小さな文化を扱う書店が込めるメッセージの違いでもある。書皮には作り手のセンスの違いがある。マニアはそこに注目する。
書皮を数多くコレクションすることで、出版文化の最前線を担う、多くの書店の本への熱い想いがそれだけたくさん感じとれる。書店で働く人の顔が見えてくる。
(書皮友好協会 監修 『日本のブックカバー』より)
No.1360 『悩みどころと逃げどころ』
正体不明の社会派ブロガーちきりんさんと、格闘ゲーマーの日本人初のプロ梅原大吾さんとの対談です。ちょっと異色な取り合わせですが、そのつながりは読むとわかります。
最初は学校教育の問題から始まり、人生の悩みどころと逃げどころをそれぞれの立場から鋭く指摘し合うので、どんどんとその言い方に引き込まれていきます。やはり、対談で1冊の本をつくるのは大変だと思いますが、この本のようにミスマッチぐらいのほうがおもしろく読めます。
私はまったくゲームをしないので、格闘ゲームといわれてもまったくどのようなものなのかもわからないのですが、ほとんど学校で眠っていたといいながらも、その論理的な言い方はすごいと思います。でも、学校がおもしろくなかったという側の代表としては、2010年にアメリカ企業と契約を結びプロゲーマーに日本人として初めてなったわけですから、それなりの説得力もあります。それでも本人は、最初のころは履歴書に書くべきことがほとんどないということにガックリしたことや麻雀のプロを目指したこともあったそうです。でも結果的には、また格闘ゲームに戻ってきてからはまったくぐらつかなくなってきたといいます。
一方のちきりんさんは、それこそ学校ではいい成績をとり、国立大学に入り、証券会社勤務から米国留学、そして外資系企業勤務を経て2011年から文筆活動に入ったそうです。この流れからすると、まさに一般的ないい人生ですが、だからこそ、学校教育の長所と短所がわかるのではないかと思います。
でも、おもしろいことに、ウメハラさんのほうが学校教育は必要だといい、ちきりんさんは今のままではどうしようもないといいます。しかもこの本のなかで2015年にベネッセが調査した「第5回学習基本調査」のなかの「いい大学を卒業すると将来、幸せになれる」と考える子どもの割合は、小学5年生では78.1%、中学2年生では60.6%、高校2年生では50.9%もいるそうですから、あまり昔と変わっていないような気がします。
おもしろいと思ったのは、ゲームだから勝たなければと思っていたのですが、ウメハラさんは「勝ち負け自体はいろんなことに左右されるので、勝った負けたに一喜一憂してもしかたない。だからこそ僕が重視するのはプレーの内容なんです。今回トライしたプレーが、今後の高い勝率につながると思える動きだったなら、たとえその対戦で負けてても、プロとして結果を出したと思えるし。」といいます。そしてちきりんさんが、それはウメハラさんのような立場だから言えるのではないかというと、「だって競争である限り、全員が勝者になれるわけがない。でしょ? もし結果がすべてだとしたら、大半の人、つまり敗者はどうなるんですか?」と答えます。
そういわれれば、そうです。プロというのは、たとえゲームの世界であったとしても、お金を稼がなくてはならないし、その底辺の愛好者を増やさなければならないでしょう。そして、さらに興味深い発言は、「前に「金は鋳造された自由である」というドストエフスキーの言葉を人から聞いて、そのとおりだなって思ったんです。たとえば1億円あれば、1億円分の自由が手に入る。その分、働かなくてもいいし、あればあっただけ選択肢が広がって、好きなことができる。でも最近わかったのは、お金で手に入る自由っていうのは、物理的な自由なんですよね。精神的な自由に関しては、お金が入れば入るほど制限が多くなって、むしろ損なわれてしまうことも多い。」というわけです。
まだ1981年生まれながら、人生を達観したような発言をするんです。「いい人生」を送るためには、たくさんお金があればいいなんていわないのです。
やはり、ほんとうにゲームが好きなんだ、と思いました。
下に抜き書きしたのは、多くの人たちといっしょにゲームを楽しみたいというところでのウメハラさんの言葉です。これは、ちきりんさんのコメントが経験の裏付けがあるせいか、なるほどと思いました。
(2017.3.29)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
悩みどころと逃げどころ(小学館新書) | ちきりん・梅原大吾 | 小学館 | 2016年6月6日 | 9784098252749 |
☆ Extract passages ☆
ウメハラ 知り合いから聞いたんですが、アフリカのことわざに「早く行きたければ一人で進め。遠くまで行きたければ、みんなで進め」って言葉があるんだそうです。まさにそう
だと思いますね。
ちきりん それ、よくわかります、日本企業ってね、日本人男性だけで意思決定をしたがるんです。女も外国人も入れたくない。日本人男性に関しても、仕事第一じゃない奴はダメ。価値観の違う奴は仲間に入れたくない。理由は、そのほうが「早く行けるから」です。……
でも、インド人やら中国人やらシリア人やらが入り始めたら、「早く」は進めない。いちいちめんどくさい。でも、「遠くに行く」には、明らかにそっちのほうがいい。多様性を欠く組織では刺激が少なくて発想が拡がらないし、クローズドな環境って人間関係が固定するので、遠慮や上下関係が生じる。だから「遠くに行く」ためには、オープンで多様性に富んだ組織になることが必須なんです。
(ちきりん・梅原大吾 著 『悩みどころと逃げどころ』より)
No.1359 『世界一ありふれた答え』
この本の題名、『世界一ありふれた答え』を見ただけで、読もうと思いました。
ありふれた答えというだけでも、なんとなく興味をそそられるのですが、それが世界一とその前につけば、そんなにもありふれたことって何だろう、と思いました。
そして、読み始めてすぐに、これは小説だったんだと気づきました。思えば、最近はほとんど小説は読んでいなかったなあ、と思いました。そして、だいぶ前のある時期には小説ばかり読んでいたこともあったし、そういえば、詩ばかり読んでいたこともありました。そうそう、随筆や写真集にのめり込んでいたときもあったなあ。
考えてみれば、この「本のたび」を最初からみてもらえれば、まったくジャンルにこだわらないことがわかってもらえるかも知れません。
この小説は、うつ病、この中では「ウツ病」とカタカナで書いてありましたが、主人公の女性が「積木まゆこ」で、男が「雨宮トキオ」で、やはりひらがなとカタカナです。この違いはなんだろう、と先ずは考えました。思うに、ひらがなは何となく優しい漢字がするし、カタカナは何となく突っ放したような堅さが感じられます。二人とも、そのウツ病にかかり、同じクリニックに通っているという設定です。
でも女性は旦那を市会議員に育てたと思っていたが、相手に好きな人ができて離婚されてしまい、今までの自分って何だったんだろうと考え、ウツになってしまいました。男性は有名なピアニストでしたがジストニアという病気からウツになってしまい、まさにウツ病同士という関係から知り合いになり、近づいていきます。
私の知り合いにもウツ病の方がおられ、もともとはとても明るく、なんでも気軽に引き受けてくれたのですが、あるときから家に閉じこもるようになり、人を避けるようになったようです。あの明るい方がと思いましたが、この小説を読むと、なるほどと思います。
他人は、以前の明るさと今の人を寄せ付けない暗さとを対比して考えがちですが、そこには深くて暗い淵が横たわっているかのようです。その淵になんとか橋を架けて、少しずつ行き来できるようになればしめたものです。
この小説では、女性も男性も、なんとか橋を架けることができるようになったところまでを描いていますが、おそらくは、あとは時間の問題でしょう。
そして何年かして、気がつくと、深くて暗い淵が横たわっていたことも、そこに橋が架かっていたということすらも忘れてしまうでしょう。そうすれば、ウツ病が治ったということなのかもしれません。
ただし、その深くて暗い淵が横たわっていたことはあくまでも事実ですし、ただ単に忘れて過ごしていることのことです。
でも、みんなそのような深くて暗い淵が横たわっていることをときどき考えながら生きているのかもしれません。それを思い出させるのが、病気だったり、突然の不幸だったりするわけです。
まさに、これがありふれた人生でもあります。
下に抜き書きしたのは、そのウツ病から立ち直るきっかけになったと思われる言葉です。ぜひ、ウツの人もそうでない人も読んでみていただきたいと思います。
でも、久しぶりに小説を読んでみて、やはり小説というのは一気に読んでしまいたいものだと思いました。
(2017.3.27)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
世界一ありふれた答え | 谷川直子 | 河出書房新社 | 2016年10月30日 | 9784309025094 |
☆ Extract passages ☆
同じだからこそ、人は違いにこだわるのだ。すべての人の共通点は生きているということ。カノンもセリナも私もトキオも生きているという点で同じなのだ。違いなどない。
ほんとに陳腐でありきたりのそのことになかなか気づかなかったのは、個性的であれ、人とは違うことをしろと言われ続けて、それが重要なことなのだと思い込んでいたからだ。自分が取るに足りない存在であることを認めるのは、思いのほかむずかしい。
(谷川直子 著 『世界一ありふれた答え』より)
No.1358 『人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか』
この本は題名からだけでは内容がわからず、先ずはとりあえず読んでみるかと思って、読み始めました。でも、少し読んでも、半分まで読んでも、その核心部分はなかなかわからず、結果的にはすべて読み終わって、だからいろいろと考えることが大事なんではないかと思い至りました。
しかも、この本の「あとがき」に、この原稿は10時間ぐらいで書き上げたと書いてあり、その途中で、「庭」の発想が得られたとあり、おそらく第5章の「考える「庭」を作る」という部分ではないかと思い、下にその一部分を抜き書きしました。最後に読んでみてください。
著者は、現在は庭作りと工作にほとんどの時間をそそぎ、残りの時間でこのような原稿書きをしているそうです。もともとは大学で教える工学博士でしたが、今は退職しています。でも、読んでみると、工学というよりは文学的な香りがしました。
ちなみに、今、国立新美術館で2月22日〜5月22日まで「草間彌生 わが永遠の魂」という企画展が開かれていますが、初めてその作品を見たときには、何を描いているのかさえもわかりませんでした。でも、この本のなかで、「現代アートは、このような目的をもはや持っていない。芸術として描かれる絵は、それが何を描いたものかを伝えるためにあるのではなく、作者がどう感じたのか、ということを訴えるものになった。どう感じたかというのは、「山だ」とか「花だ」という具体的なものではなくて、たとえば「凄い」とか「椅麗だ」という感情である。個人の感情を言葉ではなかなか言い表せないが、それを絵で表現するのだ。ある芸術家は、具象画を描いて、自分が見たものを素直に他者にも見てもらいたいと思うし、また別の芸術家は、自分が感じたものそのものを絵にしようとする。「凄い!」という感動を絵にするのである。これが抽象画だ。その絵を見た人が、「凄い!」と感じれば、気持ちは伝わったことになる。何が描いてあるのかわからなくても、ただ「あ、椅麗だ」と感じれば、それが抽象画が伝えたかったものかもしれない。」という文章を読んで、なるほどと思いました。
この本では、この「なるほど」と思えることも大事だと書いてあり、それに気づくことも喜びの一つだといいます。そして、その積み重ねで知性が磨かれ、成長し、常に修正されていくといいます。まさに、この「なるほど」からの変化が、「生きていることの価値」といっても過言ではないと書いています。
たしかに、新たなことを知るということは喜びですし、一つを知ることによって次々と知ろうとする連鎖反応が広がっていきます。だからおもしろいのです。おもしろがる、というのも私はとても大事なことではないかと思っています。
それと、「もしも」という疑問や問いかけも大事なことです。この本では、「実は、想像という行為のほとんどは、この「もしも」という仮定からスタートしているといっても良い。というのは、まったく新しいものをゼロからイメージすることが、面倒だし、難しいからだ。存在するもの、知っているものを足掛かりにして、そこから「連想」する方が考えやすい。たぶん、幼児は、まったくゼロから抽象的なイメージを持つことができるだろう。成長するほど、現実の具体的な情報を取り込むため、それによって思考の自由度が抑制されてしまう。」といいます。
だから、そういう自由度が抑制された状態を頭が固いというのです。
この本を読みながら、自分の頭は固いか固くないか、それをときどき思い出してみようと思いました。
(2017.3.25)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか(新潮新書) | 森 博嗣 | 新潮社 | 2013年3月20日 | 9784106105104 |
☆ Extract passages ☆
庭の手入れから連想したことではあるけれど、抽象的思考の場は、まさに「自分の庭」のようなものだ。それぞれが自分の庭という思考空間を頭の中に既に持っているのである。そこは、基本的に他者に邪魔されることなく、自分が思い描くとおりに整備することができる。でも、それほど簡単ではない。外部の影響に敏感で、天候にも左右されるし、そこで育ったある樹が成長しすぎて、ほかのものに日が当たらなくなってしまうこともある。害虫もいるだろうし、植物の病気だってある。放っておいたら、すぐに雑草に支配されてしまい、もうそこにいるだけで鬱陶しい。つまり、考えることが面倒な頭になってしまうのだ。
(森 博嗣 著 『人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか』より)
No.1357 『グリム童話と森』
題名からだけでは、この本の内容がまったくわからなかったのですが、副題の「ドイツ環境意識を育んだ「森は私たちのもの」の伝統」で、なんとなくわかり、しかも表紙の絵のところに、内容が抜き書きされていたので、理解できました。
もともとヨーロッパの森だけでなく、ほとんどの国の森は村人みんなの共有林みたいなもので、自由に入って必要なものを採ってきて生活していたと思います。日本のような農耕民族は、山菜を採ったり、薪やたき付けを採ったり、いろいろな山の恵みをみんなで分け合って生活していたようです。また、ヨーロッパのような牧畜の民は、その森に家畜を放したり、家を建てるときの木材を切りに行ったり、これもまた、森の恵みをみんなで共有していたと思います。
この本でも、「古来人びとはこう信じてきた。川、野原、森、それだけでなく、この世の中にあるものすべては、神が創造したもの。自然がもたらす実り、魚、果実、木の実は、神が人間に等しく与えてくれたものである。だから、土地、森、川は、誰か特定の人間の持ち物ではない。そこから採れるものも誰のものでもない。自然と自然の実りはみんなのものであり、共同体内のすべての人が平等に享受する権利がある。これが農民たちの、古くから伝わってきた常識だった。だから何人も森を「自分のものだ」と言ってはならないし、「柵で囲ったり」してはならないのである。1354年のアルテンハスラウ慣習法は(ヘッセン州南東部にある村)、「何人も、己の財産を増やさんがために自分の森を所有するべきではないこと、森は村のものだということは、誰もが知っている」と明記している。」と書いていますありました。
ところが、その森を権力者が囲い込みをしたり、その利用者から税金のようなものをとったりするようになれば、さまざまなトラブルが起こります。この本でも、それらの数々の裁判沙汰を取りあげています。
このような背景があれば、その森を護っている猟師や森番は村人からの反感をかうことが多く、それがさまざまな民話に登場する理由でもあると書かれていました。
そして、グリム童話の時代になると、森に対するさまざまな考えが生れ、それらを集約して、「童話の森」、「ロマン派の森」、「農民の森」、それと「近代林学の森」の4つにこの本では分けています。
その「童話の森」の背景にあったのが「ロマン派の森」で、「ロマン派文芸人たちは、森をせわしない世間とは隔絶した空間として、世俗を超越した価値を教えてくれる存在として想い措いた。彼らにとって、森は人生の旅に疲れた人に安らぎと慰めを与えてくれる、本来の自分を見出すことのできる場所なのであった。アイヒエンドルフは「森のさざめき」を詠い、C・D・フリードリヒは朽ちゆく修道院廃墟をとりまく森を描いたが、この《森》はどこか現実に存在する木の生えた場所ではなく、詩人や画家の憧れが投影されている心象風景であった。」といいます。
このような森ロマンのイデオローグは、リール(1823〜1897)だとして、その著作『民衆/民族の自然史』のなかの「人間はパンのみで生きるのではない。たとえ木材が必要なくなったとしてもなお、我々は森を必要とする。ドイツの「Volk(民衆/民族)」には森が必要なのだ。(中略)我々人間の外側を温めるために乾燥した木材が必要でなくなっても、内なる人を温めるために、生気に満ちた緑なるもの(=森)は、より一層不可欠になるのだ。」を引用しています。
そして、このような考え方が、現在のドイツの環境運動へとつながっているのではないかと思います。そのような目で、グリム童話をあらためて読んでみることもいいのではないか、とこの本を読んでみて思いました。
そこで、私もこの本のある部分を抜き書きして、グリム童話と森の話しを閉めたいと思います。
(2017.3.23)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
グリム童話と森 | 森 涼子 | 築地書館 | 2016年12月29日 | 9784806715290 |
☆ Extract passages ☆
森は、グリム童話において物語展開の重要な舞台であり、第7版では、およそ半数に森が登場する。だからといって、主人公たちは特にチャンスを求めて森の中に入っていったのではない。何等かの理由で、森へ行かざるを得ない状況になり、不本意で入った森の中で、人生を好転させる出来事が起こる。白雪姫は森に捨てられた後、森の小人たちに会い、さらには王子と出会い結婚するに至る。ヘンゼルとグレーテルも森に置き去りにされた。自ら望んで入っていたわけではないが、森に入ったおかげで新たな人生を手に入れることができたのだった。森に捨てられなかったら、白雪姫は不仲の継母と暮らしつづけ、ヘンゼルとグレーテルは貧しいままだっただろう。
(森 涼子 著 『グリム童話と森』より)
No.1356 『0からわかる 空海と高野山』
四国八十八ヵ所をお遍路して戻ってから、数日経ちましたが、今回買い求めたお大師さま関連の本がまだあるので、読んでいます。でも、松岡正剛著『空海の夢』は厚いので、なかなか読めないでいます。
この本は、四国お遍路に持って行った何冊かの1冊で、朝7時ころにお遍路をはじめて、午後5時頃まで昼食のほかはほとんど休まずに動いているので、思っていたほど本は読めませんでした。だから、こうして、帰ってきてからも読んでいるわけです。
でも、題名通り『0(ゼロ)からわかる』というように、簡単にわかりやすく書いてはあるのですが、他の本を何冊も読んでから読むと、いささか物足りないように思いました。1つ1つの説明も簡単ですし、とても短く納まっています。だから初心者にとってはいいのかもしれませんが、第4章の「もっと空海を知る小事典」のなかの空海ゆかりの寺院や四国八十八ヵ所霊場などは、とても役立つました。
また、空海が伝えた密教とは何かの説明、「もともと仏教の開祖・釈迦は呪術的なものを嫌い、修行者が呪法などを修するのを禁じていた。しかし、古代インドでは蛇を除けるために呪文を唱えるなど呪術的行為が日常生活と結びついていたため、そうしたものを完全に排除することはできなかった。これがのちに密教に発展する核となった。その後、仏教が布教の基盤としていた都市が衰退し、農村中心に勢力を拡大していたヒンドゥー教などに圧迫されるようになると、農民などにもアピールできるように、呪文などの呪法や他宗教の神より強い尊格(明王)が説かれるようになった。やがて、仏教本来の悟りを得るための教義と、それらの呪術的要素を統合する試みがなされるようになり、複雑で難解な教理が完成された。この教義が完成された投階を中期密教または「純密」といい、それ以前を初期密教または「雑密」と呼ぶ。」とうまく説明されていました。
つまり、お大師さまが日本にもたらしたのはこの純密で、それに新たな思想を盛り込んでいるように思います。それを具体的に表現し実現させようとしたのが高野山のような気がします。しかし、それがすべて実現できなかったわけで、それらは弟子たちに残された課題だったのではないかと思います。
下に抜き書きしたのは、いつごろからお大師さまが入定したといわれるようになったか、についての文章です。
実際に空海の直弟子たちは空海の葬儀をしているわけで、実慧は「薪尽き、火滅す。行年六十二。」と書いているそうです。
(2017.3.20)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
0からわかる 空海と高野山(知的生き方文庫) | 渋谷申博 | 三笠書房 | 2015年7月10日 | 9784837983477 |
☆ Extract passages ☆
では、奥之院で入定しているという伝説は、いつ頃からいわれるようになったのだろうか。はっきりしたことはわからないが、一時衰退していた高野山を観賢(853〜925)が復興した頃であるらしい。
観賢は空海に弘法大師号を追贈することに尽力した人物であるが、醍醐天皇が号とともに袈裟も奉献すると決めたため、これを届けるため空海の廟の中に入ったとされる。すると、そこには生きているときの姿そのままの空海が端座していたという。
観賢は空海の伸びていた髪とヒゲを剃り、新しい衣を捧げたとされる。
この人定伝説の広まりにより、弘法大師伝説は時空の制約から自由になった。この伝説がないと、弘法大師の話は過去のものとして語らなければならないが、いまも入定しているということになれば、現代の話にもなりうるのである。
(渋谷申博 著 『0からわかる 空海と高野山』より)
No.1355 『弘法大師空海と出会う』
四国八十八ヵ所をお遍路して、3月15日に戻ってきました。
でも、実際には3月11日に第88番札所の大窪寺をお詣りし、そこからまた第1番札所の霊山寺に戻り、そこでもご朱印をいただき、翌12日には徳島港からフェリーに乗り和歌山港まで行き、そこからまた車で途中根来寺にまわりましたが、ちょうど岩出マラソンがあり、その道が通行止めで入れませんでした。しかたないので、すぐに元の道に戻り、高野山に行き、お大師さまの御廟でお礼詣りを済ませました。それから、お大師さまに毎日生身供を調理する御供所のわきにある納経所で、最後のご朱印をいただきました。
そのあたりからこの本を読み始めたのですが、著者が四国八十八ヵ所第28番札所の住職でもあることもあり、ところどころにお大師さまと四国八十八ヵ所の関連なども書いてあり、すごくわかりやすく感じました。
たとえば、第24番最御崎寺に行く少し手前にある「御厨人窟」にまわったのですが、「御厨人窟の東側には、もう一つの小さな洞窟があり、「神明窟」と呼ばれている。この神明窟こそが大師が求聞持法を修した場所であって、御厨人窟は、食事や寝泊りに用いた居住スペースであったという意見もある。御厨人窟の最も奥には、土佐藩主によって寄進された石の両があり、愛満権現、宝満権現という二神が祀られている。江戸時代の遍路案内書には、昔この洞窟には人に危害を加える毒龍が棲んでいたが、大師がその龍を退治し、窟内にこの二神を祀ったと紹介されている。鎌倉時代に成立した、高野山の奥之院に関する覚書『奥院堂塔興廃記』によれば、奥之院の御廟橋の手前にはかつて小さな社が二つあって、愛慢、愛語という二神が勧請されており、御厨明神と呼ばれでいたという。同書にはさらに、御厨明神は土佐の国の神で、密教の法を喜び、大師に影のように随身して守護する存在であるとも記されている。御厨明神の名称が御厨人窟のそれに由来し、愛慢神が愛満権現に相当することは明らかであり、もう一方の愛語神が宝満権現と同一の存在であることも想像に難くない。」とあり、10日ほど前にまわったばかりなので、すぐに理解できました。
また、「高野山のみならず、大師が修行を重ねたとされる太龍寺山(大瀧ケ嶽)や石鎚山などの四国の霊跡を訪ねると、そこには必ず、大自然の美しい景色が広がっている。大師は、自然環境と人間との関係を、『声字実相義』の中で次のように述べている。「内色定んで内色に非ず、外色定んで外色に非ずして、互いに依正と為る」〈心をもつ人間と、それを取り囲む自然環境は、対立するものではなく、互いに主となり従となり、一つにつながっている〉「内色」とは人間をはじめとする生物を、「外色」とは容れ物としての自然環境を意味する言葉である。大師は、それらが主客を超えて相互依存の関係にあるといっている。その関係性を、密教の専門用語では「互為依正」という。」なども、難しい言葉で書いてはありますが、直感的にわかりました。
やはり、百聞は一見にしかず、のようです。
このような宗教の言葉や学術用語などは、とてもわかりにくいのですが、今回の四国八十八ヵ所のお遍路をして、いろいろなことが理解できたように思います。
ちなみに、下に抜き書きしたのは、四国八十八ヵ所の紹介として、いろいろなところに書かれている意味づけですが、比較的新しいとは思っていましたが、まさか昭和の時代になってからのことだと書いてあり、妙に納得しました。
(2017.3.18)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
弘法大師空海と出会う(岩波新書) | 川崎一洋 | 岩波書店 | 2016年10月20 | 9784004316251 |
☆ Extract passages ☆
阿波、土佐、伊予、讃岐の四つの国をそれぞれ、『大日経』に説かれる四転説、すなわち悟りへ至るための四つのプロセスである発心、修行、菩提、涅槃に当てはめる説も、四国
遍路の重要な教義である。「発心」とは、悟りを求める意欲を起こすこと、「修行」とは、文字通り悟りに向かって修行すること、「菩提」とは、自己への執着を離れ、他者を思いやる慈悲の心をもつこと、「涅槃」とは、苦しみのない穏やかな悟りの世界に入ることを意味する。
しかし、四国遍路に教義として四転説が取り入れられたのは、昭和になってからのことであるといわれ、意外にその歴史は新しい。
(川崎一洋 著 『弘法大師空海と出会う』より)
No.1354 『空海のこころの原風景』
今、四国八十八ヵ所をお遍路しながら、この本を読んでますが、だからこそその内容がスーッと入ってくることがあります。
たとえば、この本は第1章「空海の原風景」、第2章が「仏のこころ」、そして第3章が「空海のこころを生きる」ですが、とくに第1章と第3章のなかの文章がすぐに理解できるところがありました。
たとえば、第3章の第5項の「大師信仰を生きる」のなかの、「遍路と関わる大師信仰に「遊行大師の信仰」があります。これは、大師が高野山から下山し、自分と縁のある土地や旧跡をたずね歩いているという信仰です。この信仰は、平安時代後期には成立していたようです。それは、その頃活躍した真言宗の中興の祖といわれる覚鑁上人が、「日々の影向をかかさず、処処の遺跡を検知す」(大師は、今も毎日かかさず姿をお見せになり、これまで自分が人びとのために行った事業の跡や、修行や行道の旧跡などを見て回っておいでになるのです)という言葉を遺していることからもわかります。」と書いてあり、このようなことが、今も四国のお遍路信仰につながっているように思います。
だから、お遍路しているときにお大師さまに助けられたとか、夢に出てきたとかいうことも、この遊行大師信仰の1つだと思います。私も、歩きながら、もしかすると、今もいっしょに歩いてくださっているかもと思いました。少なくとも、ここは昔お大師さまが歩かれたところを、自分も歩いているんだという想いが強くしました。
また、最澄が空海に「理趣釈経」を借用したいと求めてきたときの手紙に、「海のように深く広い心の世界、すなわち悟りの世界に到達しようと思うのならば、まず何よりも悟りの世界へ向かう船に乗り込むこと、そして棹さして進むことが第一です。乗る前に船や筏のあれこれを論ずべきではありません。」と書いていますが、まさにこれなどは理論より実践を重んずる空海の考え方を強く表しているように思います。
もともと、空海は「虚空蔵求聞持法を四国の大滝嶽などで行っていますが、深い山中で修行する空海の姿勢は、大学中退のときからずっと続いていました。結果的には、山中ではなく太平洋を目の前にした土佐の室戸崎で虚空蔵求聞持法を成就しますが、人里離れた大自然の中に修行地を求めるこころは、終生持ち続けていくことになります。」とありますが、今歩いている四国八十八ヵ所には、この修行地が残っています。
まさに、そこを歩きながら、御大師さまの足跡を探しているかのようです。でも、ただ本のなかで想像するよりも、こうして、その修行地を観ただけでも、まったく違います。本当に、今回は思い切ってここまで来た甲斐があります。
まだ、もう少しかかりそうですが、最後は高野山の奥の院にお詣りして、満願のお礼をお大師さまにお伝えしたいと思っています。
下に抜き書きしたのは、『性霊集』のなかの文章をわかりやすくしたものですが、お大師さまは綜芸種智院という一般庶民のための大学を開設しますが、その教育理念を考えさせるような言葉です。
このなかの「一味だけでおいしい料理をつくれない」と言ってますが、原文では「一味美膳をなさず」とあるそうです。
まさに、何でもできる人の何でもすべきであるというような教えです。でも、たしかに、そうだと思います。
(2017.3.15)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
空海のこころの原風景(小学館新書) | 村上保壽 | 小学館 | 2012年12月8日 | 9784098251506 |
☆ Extract passages ☆
あらゆる菩薩やすぐれた賢者や聖者たちは、仏教の学問と世間のさまざまな学問を学ぶことによって悟りの智慧を獲得したのです。たとえば、一味だけでおいしい料理をつくったり、一音のみですばらしい演奏をした人は、未だかつていません。広く学ぶことは、身を立て成功する上での要であり、国を治める知識を得る上での大道です。生死の苦を断ち、涅槃の楽しみを受けるのも、さまざまな学問を総合的に学んだからです。
(村上保壽 著 『空海のこころの原風景』より)
No.1353 『空海入門』
この本はだいぶ前に購入し、そのままにしていたのですが、今回の四国八十八ヵ所のお遍路に持ってきて、読みました。やはり、自分のものにしてしまうと、いつ読んでもいいとかんがえるからなのか、なかなか読むきっかけがつかめません。
この本は、最初は祥伝社から1984年3月に『空海入門』として出版され、この私の今読んでいる文庫本は、中公文庫の1冊として『空海入門』という同じ題名で出ているものです。発行が1998年ですから、もう20年近くも前の本ですが、歴史上の人物などはまったく色褪せない内容になっていました。むしろ、古本で安く買えるから、とてもいいことだと思っています。
これは著者の個性かもしれませんが、ある意味、自分なりの強い思い入れなどもあり、わかりやすい反面、これって本当なのかなと疑問に感じるところもあります。もちろん、古いことなので、どれが正しいとか違うとかなど、言えませんし、とくに空海は20歳前後から31歳までと、唐から帰国してからすぐの2年間ほどはまったく足取りがつかめないから、なおさらです。ただ、24歳で『三教指帰』を書いたということは、間違いないそうで、そのことだけしかわからないということになります。
ここ、四国を歩いていると、その空白の期間のことが伝説としてだいぶ残っています。
たとえば、この本でも、「この"空海"という名前は、たぶん『華厳経』にある「虚空功徳海」という文句から採ったものであろう。しかし彼は、その名前のなかに、生まれ育った四国讃岐の抜けるような青い空と、明るい南国の海のイメージを読みこんでいたはずだ。空海には包容力があった。」と書いていますが、たしかに3月始めでも、ここは南国の空と海の印象があります。とくに、雪国から来たこともあり、すごく開放的な風景が広がっています。
先日も室戸岬の御厨人窟(みくろど)という洞窟を見ましたが、ここで真魚は「虚空蔵求聞持法」を修したそうです。この修法は、虚空蔵の真言を1日1万回(おそらく20時間ほどかかります)、それを100万遍唱え続けます。もちろん、もっと細やかな作法はありますが、おそらく100日前後はかかりますが、すると真魚の口に金星(明け方に東の空に輝く)が飛び込みんできて、その瞬間、「空」と「海」が輝きを放ったそうです。つまり、いつもの風景とまったく違いはなかったのですが、その二つが今までとは違って見えたということです。そこから自らの名を空海と改めたといわれていますが、実際に私の見た御厨人窟は道路より上にありました。でも昔はもっと海岸端にあり、そこから見えるのは空と海だけだったそうです。だから、著者が言うように「虚空功徳海」のような思いつくヒントはあったと思いますが、一番のきっかけは、やはり具体的な空と海の存在感だったと思います。
また、空海が久米寺で『大日経』と出会ったときのことですが、「第2章以下がわからない……というのは、当然のことである。『大日経』の最初は、哲学的な部分である。これは、仏教経典を読んできたものには、それなりに理解できるところである。しかし、第2章以下は、だいぶ様子がちがう。そこでは、テクニック(技法)が述べられているのである。マンダラの描き方とか、護摩の焚き方とか……。それらは、実際に手を取って教えてもらわぬと、容易にわかるものではない。それで空海は、唐に渡る決心をした、といわれている。」と書いています。
たしかに、密教は哲学的なものだけではなく、実際に「虚空蔵求聞持法」のような修行も大切にしています。それは、直接に具体的に教えてもらわなければ、わからないものです。
そういう意味では、下に抜き書きしたように、真言や印を結ぶなど、わからない部分がたくさんあります。それは、理解するとかわかるということではなく、それをそのまま受け入れるということでもあります。
今、四国の四国八十八ヵ所のお遍路をしていると、それが実感としてスッと入ってくるような気がしています。もう少しお遍路の旅が続きますが、この時間を大切に歩きたいと思っています。
(2017.3.10)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
空海入門(中公文庫) | ひろさちや | 中央公論社 | 1998年1月18日 | 9784122030412 |
☆ Extract passages ☆
密教では、沈黙の大宇宙仏が"毘慮遮那如来″と呼ばれるのに対して、この雄弁の大宇宙仏を"大日如来″と名づける。
ただし、大日如来は雄弁に真理を語っておられるが、そのことばは人間の言語ではない。宇宙の真理は宇宙語でもってしか表現できない。つまり、大日如来は、象徴言語・宇宙言
語でもって喋っておられるのだ。したがって、その言語をマスターした者だけが、それを理解できるのである。
その意味で、大日如来の教えは、一般大衆には「秘密」である。密教というのは、この「秘密仏教」の意であって、特別な修行によって象徴言語をマスターせねばわからぬ仏教である。釈迦牟尼仏(釈尊)がわたしたち人間に理解可能なように、大宇宙の真理を人間語に翻訳して教えてくださる仏教――それが"顕教"である――とは、まるでちがって、密教は原語の仏教なのだ。それだけに難解だし、真理のレベルも高次元である。密教とは、そんな仏教である。
(ひろさちや 著 『空海入門』より)
No.1352 『15歳の「お遍路」』
今、ちょうど四国八十八ヵ所を巡拝していますが、日中は次々と巡拝するので、まったく余裕がないのですが、夕食を食べると少しヒマがあるので、もってきた本を読んでいます。
これも文庫本なので、気軽な気持ちで読み始め、なるほで、15歳でお遍路するとうのは、このような気持ちなのか、と思いました。しかも副題は「元登校児が歩いた四国八十八ヵ所」とあり、実際にこの本を読むと、中学1年の2学期から3年までの約3年間ほど、学校に行ってなかったようです。
そして、2003年の秋に、父親の四国八十八ヵ所の歩き遍路の地図を作るための調査に同行し、翌年に通し打ちをしてみないかと父親に言われ、いろいろと考えた結果、自分で判断し8月10日、東京を出発したそうです。この本は、その四国八十八ヵ所の通し打ちのことを書いたものです。
もちろん、そのきっかけは不登校ということもあるでしょうが、自分の妹、空海、「くみ」と読むそうですが、母親と同じように心臓病なので、その平癒も願ってのことです。
でも、15歳だな、と思うのは、51番札所の石手寺でイラク戦争のクラスター爆弾で犠牲になった少女の写真を見て、「人に伝える写真を撮りたい。真実を伝える写真家になりたい、そう思う。僕が目指すもののひとつ、写真家という通が、太く、より確かなものに変わった瞬間だった。」と書いていました。ところが、「おわりに」のところで、「僕は将来、教師になりたいと思っている」と書いていて、学校に行くことの意味を見つけられずに悩む子どもたちの支えになりたいといいます。
たしから、遍路を始めたときと、それから少しずつ変わりはじめ、最後には脱皮するかのように変わってしまうのかもしれませんが、そう変われることもすごいことだと感じました。
さらに、「文庫本化にあたって――8年目のあとがき」のなかで、当時と変わらない夢である教師を目指しているといい、さらに「自分で学校を作ること」がその先にあるといいます。いわば、夢はさらに広がっているようです。
でも、このように夢が広がっていくのは当たり前のことです。まだ23歳の若者ですから。
それもこれも、この本を読んで、この四国八十八ヵ所を歩いてお遍路をしたという経験が基礎にあると思いました。たとえば、お接待にしても、「今までお接待は人助けだと思って受けていたのだが、そうではなくて、お接待を通して、骨は僕たちお遍路さんを応援してくれているんじゃないだろうか、と。お接待にもいろいろあるけど、どれも気持ちがいっぱいこもっている。僕らはその気持ちに励まされ、勇気づけられるのだ。」と書いてますし、「今の時代、車やバイク、それに電車など、さまざまな移動手段がある。なぜ、そういった便利で快適なものを使わずに、「歩き」にこだわるのか、と。それは、歩くことでしか見えない世界があるからだと思う。歩きの巡礼はとにかく時間がかかる。時間がかかるぶんだけ、出会いの数も増える。これが、一番重要なことだと僕は確信している。お遍路をしていて一番楽しいこと、それは「人との出会い」だ。お遍路は、人との触れ合いを通して、自分を磨いていく場所なのだと思う。もうひとつ。すべてのお寺を歩き通したときの達成感は、車やバイクを使うよりすごいのではないか、とも僕は考えている。それはたぶん、今後の自信にもつながるはずだ。」とも書いています。
やはり、15歳でしか味わえない四国八十八ヵ所詣りがあると思いました。
でも、それと同じように、67歳にならないとわからない四国八十八ヵ所詣りもあるはずです。今、実際に車ではあるが、四国八十八ヵ所を巡拝していて、いろいろと考えることもあります。
下に抜き書きしたのは、お遍路終盤の78番札所の郷照寺のベンチで休んでいるときのことで、遍路を始めたときとはだいぶ違うなあ、と思ったところです。四国八十八ヵ所を巡拝して変わった15歳の姿を、ぜひ読んでみてください。
(2017.3.6)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
15歳の「お遍路」(廣済堂文庫) | 岡田光永 | 廣済堂出版 | 2012年12月30日 | 9784331655016 |
☆ Extract passages ☆
この53日間、いろいろなことがあった。東京での生活では体験できないようなことばかりだった。野宿をしたり、知らない人の家に泊まったり、山で遭難しかけたり、数え切れないくらいの貴重な体験をしてきた。今思うと、どれも本当に楽しかった。
これらのことを通じて、僕にはいろいろな変化が起こつた。これまで、自分より年上の人はなぜか恐ろしく、避けていた部分があった。だが、必然的に大人と向き合う機会も増えたことで、ひとりの人間として劣等感を感じずに大人と接することができるようになった。また、ここではすべてのことを自分でしないと生きていけない。これまで親に甘えていた部分も、自分でしっかりやらないといけないのだ。そのため、なんでも自分で判断して行動することができるようになった。
(岡田光永 著 『15歳の「お遍路」』より)
No.1351 『空海! 感動の四国八十八箇所の歩き方』
今、ちょうど四国八十八ヵ所を巡拝しています。
自宅を出たのは2月28日で、ここ四国に入ったのは3月1日です。もちろん最初は第一番札所の霊山寺にお詣りし、ここからお遍路の旅が始まりました。だいぶ昔ですが、ここだけはお詣りしたことがあり、フェリーで徳島港に着き1泊、翌日には四国を離れました。だから、あまり印象はありません。
ところが今回は四国をぐるりと回るお遍路の旅ですから、ほぼ2週間ほど、まだどれだけかかるかも検討尽きませんが、まだまだ徳島県で、いわば「発心の道場」といわれるところです。毎日、ナビや地図、案内書を読みながらの運転で、まさに訪ね歩くような感覚です。
この本には、お大師さまが42歳の厄年のときにこの八十八の霊場を創られたと書かれてありますが、それはないと思います。おそらく、後世の人たちがお大師さまを慕って、修行されたところを歩いていたのが、いつの時代かに今のような形になったのではないかと思います。
また著者は、こどもの厄年は13歳、女性の厄年は33歳、男性の厄年は42歳、それらを全部合わせると88になるとも書いています。だからといって、そのような数字から88を考えるよりは、8そのものを漢字で書くと末広がりで、それが2つもあれば、永遠へとつながります。だから、私も28日、つまり8の付く日に出発したわけではないのですが、後から考えれば、なんとでもそのようなつながりは見つけられます。
著者は、この四国八十八ヵ所の第13番の大栗山大日寺のお生まれだそうで、この山号から苗字の大栗があるのかもしれないと思いました。だから、生まれたときから四国八十八ヵ所のお遍路さんとつながっていたわけで、そのことだけで、ぜひ読んでみたいと思ったのです。
そのようなことから、旅の宿で読んでいるのですが、四国八十八ヵ所の案内書というよりは、なぜお詣りしてあるくのかということに主眼がおかれているかのような本です。たとえば、お遍路の旅は十三仏をめぐる旅でもあり、初七日のお不動さまは「発心」、二七日のお釈迦さまは「修行」、三七日の文殊さまも「修行」、四七日の普賢さまも「修行」、五七日のお寺像さまも「修行、、六七日の弥勒さまも「修行」、七七日のお薬師さまも、さらに百ヵ日の観音さま、一周忌の勢至さま、三回忌の阿弥陀さま、七回忌の阿しゅくさままでは「修行」で、やっと十三回忌の大日さまが「菩提」、三十三回忌の虚空蔵さまで「涅槃」に至ります。つまりは、ここ四国八十八ヵ所の徳島県が「発心」、高知県が「修行」、愛媛県が「菩提」、香川県が「涅槃」となっています。なるほど、と思いました。
この本の中で、お接待にも触れていて、「四国に住んでいる人々は、お遍路さんのことを(弘法大師の身代わり)と信じて尊敬しています。お遍路の旅をしていると、かならず"ちょっとお遍路さん、お接待させてください!″と呼び止められます。そして、ミカンやふかし芋やら、お茶やらお金やら、その人なりのお接待をします。そのときのお遍路さんのマナーは、@何をいただいても、絶対に"いらない!″などと断ってはいけません。それは供養ですからありがたく頂戴してください。Aそのうえで、"あなたのお名前は?″と尋ね、たとえば"中村です″と答えられたら、"中村家先祖代々菩提のために、南無大師遍照金剛″と三回お唱えください。これがお接待を受けるときのマナーです。」とあり、これを参考にもしました。
別な案内書には、納め札を差し上げるとも書いてあり、どちらも似たようなことなので、あまり気にも留めませんでした。
下に抜き書きしたのは、江戸時代の大田蜀山人の狂歌ですが、たしかに自分に関係ないと思っているのとないのとでは、感じ方も違います。
ぜひ、その違いを感じてみてください。
(2017.3.3)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
空海! 感動の四国八十八箇所の歩き方(中経文庫) | 大栗道榮 | 中経出版 | 2011年6月2日 | 9784806140672 |
☆ Extract passages ☆
江戸は天明期を代表する文人・狂歌師の太田蜀山人(南畝、1749−1822)が「死ぬことは、人のことだと思うたに、おれが死ぬとは、こいつたまらん」と歌ったそうです。漢詩文、酒落本、狂詩、狂歌などで人気が高く、多くの随筆を残した酒脱な文人ですら、自分が死ぬときになると、あわてふためくのです。やがて通らなければならない道であることはよくわかっているのですが、まさか、それが「今日」とは誰も思いたくありません。
しかし、この世は無常です。いいえ、はかないのではありません。いつも一定の早さで移り変わっているだけなのです。
(大栗道榮 著 『空海! 感動の四国八十八箇所の歩き方』より)
No.1350 『世界で一番 他人にやさしい国・日本』
「悪智恵」の次は、やさしい国の話しですから、いかにも乱読も甚だしいような気もしますが、肉を食べたあとは野菜も食べないとというような感じで選んでみました。
というよりは、ちょっと立ち読みをしたときに、著者のマンリオ・カデロさんはサンマリノ共和国の駐日特命全権大使や駐日各国大使の代表を務められたとあり、そのような方から日本が世界で一番やさしい国だと書かれれば、それはぜひに読んでみたいと思いました。
人は悪く言われるより、良く思われたほうがいいわけで、悪智恵の本にもたしかそのようなことが書いてあったと思います。
この本は、第1部『世界が学ぶべき「日本モデル」』をマンリオ・カデロ氏が書き、第2部『自然に感謝する日本人の心』を加瀬英明氏が書いています。それぞれにリンクする部分があり、それで1冊になったのではないかと思いました。
第1部では、日本のすぐれたところに触れながら、サンマリノ神社を建立したことなどにも触れています。とくに印象的だったのは、アメリカについて「アメリカという国は、自国で成功を得られなかった移民によってつくられた、新興国である。アメリカの有名な精神医学者によれば、移民は粗野で暴力的な存在であり、残念なことに、アメリカ人のDNAにバイオレンスとして、脈打っている。アメリカは世界でもっとも高い犯罪率を誇っているから、バイオレンス映画をつくるのは、お得意なお家芸となっている。それがすべての分野に及んでいる。たしかに、アメリカについて賞賛すべきことは、山ほどある。……だが、メダルには裏側があるのだ。」書いています。今年のアメリカのテレビ報道を見ていると、これが如実に的を得ているように思いました。
また、加瀬氏の「埼玉県にAさんという、代々農業に携わってきた友人がいて、四季ごとに、旬の新鮮な作物を送ってくれる。地元の名士だ。あるとき、「どうして『ことば』は、言葉と書くのか、知っていますか?」とたずねられた。私が知らないと言うと、「木は葉が落ちてしまうと、いったい何の木なのか、分かりません。だけど、菓によって、どのような木か、すぐに分かります。人も言葉によって、どのような人か、すぐに分かります」と、言った。それ以来、私は言葉を発するときには、言葉を選ばなければならないことを、教えられた。」と書いていますが、なるほどと思いました。
近頃は不用意な発言が多くなったように感じられていたので、とくにそう思ったのかもしれませんが、時代もそのように動いているようです。ツイッターやラインで思いつくままにつぶやくことなどもそうですが、ヘイトスピーチなどもそうです。もうすこし、相手のことを考え、おだやかに話せないものかと思っています。
下に抜き書きしたのは、「おわりに」に書いてあった、日本は世界のなかでも身障者にもっともやさしい社会だった一つの例として掲げてあるものです。
とくに勝海舟の曾祖父の話は知りませんでした。ぜひ読んでみてください。
(2017.2.28)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
世界で一番 他人にやさしい国・日本(祥伝社新書) | マンリオ・カデロ/加瀬英明 | 祥伝社 | 2016年11月10日 | 9784860294557 |
☆ Extract passages ☆
勝海舟の曾祖父は、農家の子で、全盲の按摩師だった。金貸しをして小金を貯め、息子に最下級の武士の株を買った。幕府は身障者保護に手厚く、盲人にだけ、金貸しを営むことを、許していた。
江戸時代の日本は、二人の世界的な盲人を生んだ。
杉山和一(1610年〜1694年)は、中国の太く長い鍼を、今日の日本の筒に入った細く、短い鍼にかえた管鍼法を、つくった。
和一は今日の和歌山の武家の子だが、さまぎまな苦難を乗り越えて、五代将軍綱吉の侍医となった。綱吉は和一に説得されて、1680年から全国の30カ所に、盲人に6年以上教える、杉山流鍼治導引稽古所を開設した。
一方、ヨーロッパにおける最初の盲人学校が、フランスで1784年に、開校した。日本の104年後に当たる。
もう一人の塙保己一(1746年〜1821年)は、今日の埼玉県の農家に生まれ、幼時に失明した。
人が音読したものを暗記して、江戸時代を代表する大学者となった。666冊にのぼる『群書類従』によって知られるが、保己一が取り組んだ史料編纂は、東京大学史料編纂所が引き継いでいる。
ヘレン・ケラーが昭和12(1937)年にはじめて来日したときに、東京・渋谷の温故学会にまっ先に駆けつけた。女史はここに置かれた保己一の机を、縋るようにして撫でた。
女史は幼いときから、母から東洋の日本に塙保己一という、全盲の偉大な学者がいたことを聞かされて、手本にして努力したのだった。
(マンリオ・カデロ/加瀬英明 著 『世界で一番 他人にやさしい国・日本』より)
No.1349 『「悪智恵」の逆襲』
副題は「毒か?薬か? ラ・フォンテーヌの寓話」です。つまり、ラ・フォンテーヌの寓話を取りあげながら、日本人にはなじめないような「悪智恵」を授けようとするような本です。
たとえば、最近の中国や韓国の「反日」問題にしても、この本では、「日本人はというと、もともと忘れっぽく、憎しみを持続させることのできない民族なので、自分たちがアメリカへの憎しみを持続できなかったのと同じように、中国や韓国も日本への憎しみを持続できないと勝手に思い込んでいたのである。遠く離れていれば憎しみは、決して消えはしないが、いつかは薄らぐ。これは、ラ・フォンテーヌの言うように一つの真理ではある。しかし、真理だからといって、それが敵対しあった者同士に等しく認められるとは限らない。そうなっては困るとする党派がどちらかの国の政治の実権を握れば、「憎しみを忘れるな」が合言葉になるのもまた真理だからである。」と書いていて、なるほどと思いました。
副題の毒か薬か、ということについては、2005年にノーベル生理学・医学賞を受賞したマーシャルとウォレンによって発見されたピロリ菌がその例として論評されていますが、この本を読むまで、わかりませんでした。わからないから、著者もピロリ菌を駆除する抗生剤を飲んだようです。おそらく、知っていれば、どのようにしたか興味のあるところです。
そのことに関しては、ニューヨーク大学の微生物教授のマーティン・J・ブレイザーの言葉を引用して、「わたしたちは、病原菌として発見されたピロリ菌が両刃の剣であるということを発見した。年をとれば、ピロリ菌は胃がんや胃潰瘍リスクを上昇させる。一方で、それは胃食道逆流症を抑制し、結果として食道がんの発症を予防する。ピロリ菌保菌率が低下すれば、胃がんの割合は低下するだろう。一方、食道腺がんの割合は上昇する。古典的な意味でのアンフィバイオーシスである」と書いていて、さらにプレイザーは抗生剤登場以後に出現した新しい病気、すなわち、喘息、アレルギー、肥満、若年性糖尿病、自閉症などは、幼児期に過剰な抗生剤を投与したことにより、体内細菌が失われたためではないかと大胆な仮説を立てているそうです。
そういえば、日本でも体内の寄生虫がいなくなったことが、ある種の病気がひどくなった原因ではないかと言われています。まさに毒か薬か、というよりも、毒でなければ薬として効果もないということなのかもしれません。
そう考えれば、結局は薬をなるべく使わないほうがいいのではないかと思ってしまいます。でも、病気になってしまえば、そうも言ってはいられません。そこで悩んでしまうのが、人間という生きものなのかもしれません。
下に抜き書きしたのは、人の心理として、「やるな」といわれればしたくなったり、「覗くな」といわれれば、かえって覗きたくなったりするのを、心理学的に説明してるところです。
それをラ・フォンテーヌは「星占い」の寓話で説明しているそうです。つまり、予言や占いを聞きたがるのも、未来はバラ色であると信じたい人間の心理がそうさせるのだそうで、まさに幸福追求願望がなせることだといいます。
(2017.2.26)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
「悪智恵」の逆襲 | 鹿島 茂 | 清流出版 | 2016年11月29日 | 9784860294557 |
☆ Extract passages ☆
人間の記憶というのは、命令を受けると、それが肯定命令であろうと否定命令であろうと、つまり「覗け」であろうと「覗くな」であろうと、とりあえず、その行為を中立状態で、つまり「覗く」という行為を、そのまま「原形」で脳の中にキープしておくものだといわれる。
この記憶の定着により、「覗く」という行為に初めて注意が向けられるようになる。これを精神分析では「注意の備給」という言葉で呼んでいる。この「注意の備給」を受けると、それまで意識にさえのぼらなかった行為が無意識の中で光を放つようになる。このような状態では、「覗け」も「覗くな」もほとんど同じ命令になるから、何かのきっかけでその行為を始める条件が整うと、「覗く」ことを始めてしまうというのである。
(鹿島 茂 著 『「悪智恵」の逆襲』より)
No.1348 『春夏秋冬 雑談の達人』
前回読んだ『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』という本が、とても哲学的で、言い回しがわかりにくく、なかなか読み進めなかったのと比べて、この本は題名の通り雑談なので、あっという間に読み終わってしまいました。まさに、雑題していたかのように、あっという間でした。
だから、どうこう言うのでは無く、本を読むのも緩急があったほうがいいと思いました。
著者はプロフィールによると、1974年生まれで俳人だそうです。私はあまり俳句に詳しくないのでわかりませんが、「いるか句会」や「たんぽぽ句会」を主宰しているそうで、2016年度のNHK俳句選者にもなっていますから、その世界では名の知れた俳人なんでしょう。
でも、若くして俳人というのも、なんとなく違和感があります。俳句をやる人は、茶人帽などをかぶり、渋めの着物などを着て、ちょっとゆったりと歩く姿が似つかわしいような気がしますが、今どきの俳人は、この本を見る限り、颯爽としています。でも、ちょっと世間になじめないような雰囲気は持っているようです。
そういえば、TBS系バラエティー「プレバト!!」(木曜午後7時)の俳句コーナーが人気だそうで、なんどか見たことがありますが、あの夏井いつきさんの添削で出演者の俳句が劇的に変わるのは、見ていても飽きさせません。
おそらく、そのような俳句への関心の高まりもあって、このような本も出版されたのかもしれません。
また、読みやすかったのは、あちこちに書かれたイラストが軽快で、後ろに書かれていたプロフィールをみると、石川ともこさんで、2005年には第1回ほぼ日マンガ大賞で入選されたこともあるそうです。とくに、ネコのイラストがかわいらしかったです。
この本のなかにも、著者の分身だと思われる「俳句先輩」が飼っているのがネコの「こよみ」で、要所要所で大事な役をしています。
この本の流れは、やはり春夏秋冬で、そのときどきの季語を交えて雑談をするという構成になっています。
たとえば、春の若葉のころには、「若葉には、○○若葉と名がついているものがあります。家庭の庭木としてよく見かける柿の葉は柿若葉。つややかに光る萌黄色が新鮮です。ほかにも、朴若葉、樫若葉、蔦若葉など、樹木の種類によって呼び名があります。谷の若葉は谷若葉、寺院の若葉は寺若葉、里の若葉は里若葉。樹木のある場所や状態によって言い方が変わります。こんな表現を知っていると、日常の散歩や旅先での会話が豊かになりそうですね」と書いてあります。
下に抜き書きしたのは、同じ春でも、秋との違いを物思いの季語から話しをしているところです。たしかに、春と秋では違いますから、それを季語という俳句の常套手段を使って雑談をするということも、意外性があっておもしろいと思いました。
(2017.2.24)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
春夏秋冬 雑談の達人 | 堀本裕樹 | プレジデント社 | 2016年10月21日 | 9784833421942 |
☆ Extract passages ☆
春は、とらえどころのない憂いや哀しみを感じる季節。春愁には、春愁、春思、春恨といった言い方もあります。花が咲き、鳥がさえずる、心が浮き立つ季節なのに、ふいに物思いに誘われたり、春眠をむさぼってせつない思いをしたりしてしまう。あまり深刻ではない物思い。そんな春の哀愁を、春愁といいます。
同じ物思いでも、秋の物思いは秋思です。傷秋、秋懐、秋あはれも仲間の言葉で、春にくらべるともの寂しい、哲学的な愁いです。
(堀本裕樹 著 『春夏秋冬 雑談の達人』より)
No.1347 『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』
今月初めに『池上彰とホセ・ムヒカが語り合った ほんとうの豊かさって何ですか?』という本を読みながら、豊かさって、なんとなく理解できるけど、じゃあ、その先の幸福って何、というとなかなか理解できなかったのです。それで、この本をたまたま図書館で見つけ、読んでみました。
たしかに、一番理解しやすいのが健康とお金があると幸福というのがありますが、ではどれぐらい健康でお金があると幸福なのかというと、これが人それぞれではないかと思うのです。たくさんあればと思う人もいるし、ほどほどが一番だと思う人もいるだろうし、あるいは少ない方がより幸福感があるという方だっています。
この本では、「健康やお金の不足による不幸はいわば「地に足の着いた」不幸であり、まさに現実的な不幸なので、それらに直面しているときは他の不幸が瑣末なものに見えます。皮肉なことに、そうした「地に足の着いた」不幸は、その他の日常的な心配事や不満をかき消してくれるのです。健康やお金の不足による不幸は、その意味で、優先順位の高い不幸だと言えます(鍋に春菊を入れるとすべて春菊の味になってしまうのが許せない、と言った知人がいましたが、健康やお金の不足もこれに似ています)」と書いていますが、なるほどと思いました。
また、幸福を考えるとき、過去のことや未来のこと、あるいは今の今、現実を考えることでも、いろいろな考え方があります。あるいは、過去や未来についての雑念や妄想から離れるために、今のこの一瞬をとらえようとすることだってあります。つまり、今のこの一瞬が幸福なら、それを続けていけばいいという考え方です。
この本のなかで、マサチューセッツ大学ストレス・クリニックの元医院長であるジョン・カバットジンは、マインドフルネスについての本のなかで、「食べる瞑想」というものについて書いたものを抜き書きしています。それは『マインドフルネス ストレス低減法』、春木豊訳、北大路書房、にあるそうですが、それを再掲しますと、
まず最初に、レーズンを観察することに注意を集中します。初めて見るようなつもりで観察します。指でつまんだ感触を確かめ、色や表面の状態に注意をはらいます。こうしていると、レーズンやほかの食べものについてのいろいろな思いがわきあがってくるのに気がつきます。観察しているうちに、好きとか嫌いといった思いや感じも生まれてきます。
次に、しばらくレーズンの匂いをかぎ、最後に、うまく口に持っていくために腕が手を持ちあげ、心と体が食べものを予期して唾液を出すのを意識しながら、唇にレーズンを乗せます。そのまま口に入れ、一粒のレーズンの本当の味を確かめながら、ゆっくりとかみしめます。
十分にかんだら、飲みくだすときの感触を確かめながら飲みこみます。飲みこむという行為でさえ、意識的に休験することができるのです。飲みこんでしまうと、自分の体が、レーズン一粒分だけ重くなったような気がします。実際にそう”感じる”ことができるかもしれません。
下に抜き書きしたのは、第5章「付録・小さな子どもたちに」に書かれていたことです。この本のなかでも、とくに平易にかいてあり、とても理解しやすいものでした。
ついでに、もう一つ抜き書きしておきますと、「一つの遊びにむちゅうになると、とても楽しい気もちになります。そのときは、ほかの人のしていることも、ほかの遊びも、気になりません。「あれもしたい、これもしたい」と思って、いろいろな遊びをちょっとずつバラバラにやっていると、なんとなく楽しくありません。ほかの人のしていることに、イライラしてくることもあります。いちどに一つのことだけをしていると、きみはだんだん「集中」ができるようになります。もし遊びに集中できるようになったら、ほかのことでも、すこしずつ、ためしてみましょう。」とありました。
これは別なところでも触れていることから、著者の考え方だと思いますが、1つにずつ遊ぶということは、集中する意味においても、大事なことではないかと思います。
(2017.2.23)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
幸福はなぜ哲学の問題になるのか | 青山拓央 | 太田出版 | 2016年9月25日 | 9784778315351 |
☆ Extract passages ☆
「どうして勉強をしないといけないのか」。この質問には、たくさんの答えがあります。そうした答えのうちの一つは、「今いる世界の外に出たくなったとき、出るための力になるから」です。……
今いる世界から出たくなったとき、いろいろな勉強をしてきた人は、そのためのじゅんびができています。いろいろな勉強をしておくことは、いろいろな出口をつくっておくことでもあります。
そして、今いる世界が好きな人も、一生そこにいられるとはかぎりません。学校はかならず卒業しますし、町や家庭も変化していきます。そして、なによりも、きみ自身がどんどん変化していきます。
今いる世界がきらいな人も、今いる世界が好きな人も、外には別の世界があると知っておくことは大切です。今いる世界がすべてだと思うと、つまらなくなったり、くるしくなったりします。
(青山拓央 著 『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』より)
No.1346 『さよなら、ストレス』
この本は、前回読んだ本と同じ日に発行されたようで、後から書き入れるときに気づきました。もちろん、読もうかと思ったときには、題名や目次や簡単な内容のチェックはしますが、出版社や発行日などはまったく気にもなりません。一番は、やはり内容です。
この本の副題は「誰にでもできる最新「ご機嫌」メソッド」とあり、私自身はあまりストレスを感じないのですが、毎日をご機嫌で過ごすことができれば、そのほうがいいと思いながら、読みました。
よく、何ごともポジティブに考えるとよいといいますが、著者は、これを不快対策思考としてあまり良いことではないと考えているようです。なぜかというと、先ずは外科医を変えようとする、2つめは行動をとる、3つめは気にしない、考えない、忘れる、そして4つめはプラス思考、ボジティブシンキング、の4つをあげていて、これには限界があるといいます。
では、どうするかというと、意味づけをしないということが肝心だと書いています。人はどうしてもすべてのことに意味づけをしてしまい、それがかえってストレスになりがちだというのです。
著者は、「すべてのことに意味がないのだ、ということを言いたいのではありません。そもそも意味の付いてないものに、人間は意味付けをして、その結果、苦しんでいるという
ことを、もう少し客観視して、意味の暴走から脱却してはどうかと提案しているのです。これが、ご機嫌マネジメントのやり方です。どんな事象にも、本来は意味など付いてないのです。それに意味付けをしているのは人間だけです。それは人間が意味の生き物だから仕方ありません。しかし、それに気づけないと、意味はどんどん暴走して、私たちを苦しめていくことになるのです。すべての事象に対して意味を考えるよりも、そもそもどんなことにも意味など付いていないのだと考える方が、受け止めやすいし、真実でもあります。」と書いていて、それがご機嫌メソッドのやり方ですといいます。
たしかに、意味づけをするというのは良いこともありますが、悪いこともあります。だからといって、一律にしないというのも、やはり考えてしまいます。
していることに意味があるとか意義があるという思いも、時には必要です。動物のように何も考えずにしているというのも、ちょっとおかしな話しです。人間だからこそ、考えるわけで、それを否定されてしまっては立つ瀬もありません。
私は、ストレスがあるのは仕方ない、むしろ、そのストレスに負けない強さが必要だと思いました。
下に抜き書きしたのは、いかに楽しくやることが大切かということについてです。これには大賛成です。ぜひ、読んでみてください。
(2017.2.20)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
さよなら、ストレス(文春新書) | 辻 秀一 | 文藝春秋 | 2016年10月20日 | 9784166610983 |
☆ Extract passages ☆
苦しんでいればいずれ楽しいこと、すなわち結果が来るというのは妄想で、何の根拠もありません。結果とは、やるべきことを高い質でやり遂げた人に与えられるご褒美です。したがって、やるべきことをいかに楽しく感じながらやれるようにしていくか、そこに目を向ける必要があるのです。
そこで重要なのが、人間にしか感じることのできない高等な感覚の、一生懸命を楽しむことです。他のどんな動物も一生懸命を楽しむことができません。人間だけの特権です。子どものころはみなそれができたはずです。
(辻 秀一 著 『さよなら、ストレス』より)
No.1345 『研究するって面白い!』
この岩波ジュニア新書のシリーズは、たしかにジュニア向けかもしれませんが、とてもわかりやすく、興味のある分野についてはよく読みます。
今回の本も、副題は「科学者になった11人の物語」で、科学者って、研究するって、どのようなことだろうかと思ったのが読むきっかけです。私は植物が好きなので、植物分類学の先生たちとは交流もあり、いろいろなことを聞きますが、その他の研究者たちのことはほとんどわかりません。毎日、どのような研究をしているのかと思いました。
図書館で何気なく手に取って、そのまま借りてきたのですが、まさかその科学者たちがすべて女性だとは思いもしませんでした。だから表紙のイラストも、今どきの女子高生が描かれていたのかと、後から思いました。
でも、今は女性もいろいろな分野で研究をしていますし、こころざしは同じでしょうから、読み進めると、やはり女性ならではの大変さとかが書かれていて、むしろ男性よりは研究者になるのは大変かもしれないと思いました。
それでも、この本の編著者である伊藤由佳里さんは、「確かに研究というのは自分の疑問を解明する作業なので、得意だからできるというものではなく、もっと知りたいという好奇心こそが研究の原動力になります」と書いていて、なるほどと納得しました。
しかも研究というのは、まったく新しいことにチャレンジするわけですから、試行錯誤もあり、行き詰まりも必ずあると思います。でも、この本に登場した11人の研究者は、遠回りをしても、それを自分の研究に役立てていると思いました。そして、それも長い道のりには必要だったのかもしれないといいます。やはり、そのようなある意味、おおらかさも必要ではないかと思います。
たとえば、小島晶子さんの植物の葉の研究では、「植物の葉の表が濃い緑色で、裏は表よりも薄い色をしていることは、皆さんご存知だと思います。葉の表と裏では、主な役割が少し違います。葉の表側は柵のように並んだ細胞が効率よく光を受け取り、光合成を行います。裏側は細胞が海綿状に並んで空間があり、裏側の表面に多くある気孔を通して、光合成や呼吸に必要なガス交換、蒸散を行います。シロイヌナズナやトマトなどの研究から、葉の表と裏では働く遺伝子が異なることがわかっています。しかし、どのように表と裏の細胞ができるのかは、まだわからないことも多いです。」といい、このわからないことを、なんとかわかるようにしたいと研究しています。
そして研究は、ただ毎日研究の対象物と向き合うだけでなく、多くの人たちとの出会いも大切だといいます。「人との出会いはあなたの人生をより豊かなものにしてくれます」と書いていますが、それは研究の世界でも同じで、読者の方々も素敵な出会いがありますようにと願っているそうです。
下に抜き書きしたのは、現在、アメリカのマサチューセッツ州にあるハーバード大学公衆衛生学部で研究をしている加藤知世さんのマラリア研究のことについてのことです。
この研究の大変さは、マラリア原虫が今までの薬が効かなくなる薬剤耐性型になり、新薬開発とのいたちごっこの様相を呈していることのようです。たしかに、とくにアフリカなどでは、まだまだいろいろな病気が猛威をふるっています。だから、このような地道な研究が必要なことで、今までいろいろな研究者たちが関わってライブラリーと呼ばれる分子化合物のコレクションのなかから、望まれる薬理活性のある分子を探し出す(スクリーニングする)ことは、とても根気のいる作業だそうです。これらを読むと、新薬の開発というのはお金だけではなく、とてつもない時間もかかっていると思いました。
(2017.2.18)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
研究するって面白い!(岩波ジュニア新書) | 伊藤由佳里 編著 | 岩波書店 | 2016年10月20日 | 9784005008414 |
☆ Extract passages ☆
マラリア原虫はヒトと蚊を宿主として広がっていきます。そのため薬による感染者の治療と新たな感染を防ぐ対策をたてていく、その両方を行うことが重要です。ワクチンは未だ完成されておらず、感染を防ぐ方法はマラリアを持つ蚊に刺されないことに尽きます。かつて先進諸国では、マラリア治療薬の普及と共に蚊避け薬剤や殺虫剤の使用などで感染の広がりを抑え、マラリアの根絶に至りました。ではなぜ現在もマラリアが流行している地域があり、その危険性が強調されるのでしょうか。幾つかの理由が挙げられます。一つには、蚊のいなくなる季節の無い流行地においては、蚊をコントロールすることがそれ以外の地域に比べ、はるかに困難だからです。もう一つの理由、そして一番問題となっているのは、マラリア流行地において薬の効かないマラリア原虫(薬剤耐性型)が増えたことです。
(伊藤由佳里 編著 『研究するって面白い!』より)
No.1344 『入門! 進化生物学』
イギリスに行ったとき、ロンドンの自然史博物館にまわり、その踊り場にある大きなダーウィンの石像の脇で写真を撮りました。その後、キューガーデンの標本館にまわったときも、ダーウィンの塑像がありました。やはり、ダーウィンと生物学は切っても切り離せないものだとそのときに感じました。
この本の副題も、「ダーウィンからDNAが拓く新世界へ」とあり、随所にダーウィンのことが書かれていました。
ときどき、ダーウィンはウォーレスから来た手紙の内容を参考にして進化論を考え出したのではないかという論調もありますが、この本では、「ダーウィンに思いもよらない悩ましい手紙が届いた。東南アジアで独り研究を続けていたA・R・ウォーレスからの手紙である。ウォーレスはマレーで、東南アジアの生物について博物学的な研究をしていたが、奇しくも現生生物の生物学的由来について、ダーウィンの考えとほとんど同じ考えに達していたのだ。ダーウィンの虎の子の自然淘汰の考えもそっくりであった。ウォーレスの手紙を読んでしまったダーウィンは大変困惑した。ウォーレスの手紙を無視すれば、この科学的発見を不正に自分のものにすることになるが、一方でウォーレスの業績だけを公にすれば、自分のこれまでの努力は無に帰してしまう。困り果てたダーウィンは、友人の地質学者のライエルに相談した。ライエルは早速生物学者のJ・D・フッカーと相談し、ウォーレスとダーウィンの論文の両方を同時に専門誌に載せることにした。ダーウィンが『種の起原』を刊行する1年前の1858年のことである。」ときれいにまとめられていました。これを読み、なるほどと納得しました。
フッカーは、『シッキム・ヒマラヤのシャクナゲ』という自らが東ヒマラヤの植物調査に行き、それらをまとめた本を出版し、キューガーデンの園長も務められました。もともとダーウィンとも親交があったといいますから、つながりはあったと思います。
おそらく、ほとんどの学説が横並びで研究されていることもあり、だれが先というのは難しいと思います。だとすれば、出るきっかけが良かったとか、タイミングの問題とかに左右されやすく、ダーウィンとウォーレスのように同時掲載というのは、一番良さそうに思います。でも、今の時代はパソコンで世界とつながっていて、秒単位まで確定されてしまいますが、それだと勇み足も多いようで、じっくり考えるということができなくなりそうです。
この本のなかで、イギリスのオオシモフリエダシャクという蛾の話しが載っていますが、2014年7月11日にオックスフォード大学の植物園を訪ねたときに、その途中で、煤で汚れた壁がそのまま残されていました。聞くと、他のところはすべて壁を洗浄したのだが、これぐらい汚れていたことを明らかにするために残してあるということでした。そのことを思い出して、この蛾の話しを読むと納得できました。それは、「1850年以前、暗色型の頻度は低く、ごくまれにしか観察されなかった。しかしその後、ガの環境が大きく変化した。当時のイギリスは産業革命の影響で工業が隆盛し、煤煙などの副産物がまき散らされていた。そのためイギリスの工業地帯では、樹皮の地衣類が死滅し、斑模様の樹皮が黒っぼい煤などで覆われるようになっていた。これと並行してイギリスの工業地帯では、暗色型のガが増えていった。そしておよそ100年後の1950年ころになると、これらの地域のオオシモフリユダシャクのはぼ100パーセントが暗色型のガで占められるようになった。この100年間に、暗色型の頻度が増加したのだ。このことは紛れもなく暗色型のガが、今まさに目の前で進化したことを意味していた。」と書いています。
そしてその後に、環境改善がとられたことから、樹木の地衣類も復活し、これと平行して暗色型は減少し、斑型が増加したそうです。
ということは、人間のいろいろなことが他の生きものにも大きな影響を与えているということになります。やはり、この地球という惑星は、人間だけのものではなく、すべての生きもののためにもあるということが、これらからわかります。
下に抜き書きしたのは、この本に出てくる進化生物学についてのことです。手っ取り早く進化植物学というのを知るには、ここの部分を先ずは理解することです。
(2017.2.16)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
入門! 進化生物学(中公新書) | 小原嘉明 | 中央公論新社 | 2016年12月25日 | 9784121024145 |
☆ Extract passages ☆
ダーウィンの進化説は、生物学のいろいろな分野の検証研究によって確かな裏づけを得、多くの研究者から広く支持されるもっとも根幹的かつ普遍的な生物学学説として認められるに至っている。そればかりではない。進化学はさらに多分野の生物学研究者の参入を得て研究のすそ野が広がると同時に、より一層深く追究された。その結果、進化学は現在、生物学全体を巻き込んで進化生物学として大きく発展しっつある。そのなかでも木村資生が打ち立てた中立進化説は「自然淘汰による生物の進化」というダーウィン説を超える、全く新しい進化学の発展であろう。
(小原嘉明 著 『入門! 進化生物学』より)
No.1343 『俳句世がたり』
読もうと思っていて、なかなか読む機会がなかったのですが、世界ラン展を見ることになり、その移動のときに読み始めました。
やはり、旅の友はかさばらない文庫本や新書版で、しかもあまりかたぐるしくない内容がベストです。それでリックに入れたのがこの本で、とても楽しく読むことができました。
先ずは著者の語るような書き方がとても読みやすく、しかもその時事に選ばれた俳句もあまり知られていないのが多く、改めて俳句の楽しさを知りました。
それと、たとえば絆という文字ですが、じつは「絆という文字は、牛馬をつなぎとめる綱が本義とか。束縛、苦役。してみれば絆をときはなつのが人権の祭ではないですか。」と書いてますが、昨今はまったく違うような意味に使われているような気がしました。
また、篠原鳳作氏というのは知らなかったのですが、この文章を書いている80年前の方だそうで、「あじさゐのたまより侏儒よ駈けて出よ」という句が載っていました。このたまは、漢字で書いてあり、けまりのことです。この侏儒というのは小人のことで、この本ではフェアリーというほうがわかりやすいと書いています。
このあじさゐについてのところで、この名は「はやい話が紫陽花は、アジサイではないんですってね。そもそもは唐の詩人白楽天が、某寺の庭の、紫色で香ばしい花木に、紫陽花となづけて詩を詠じた。その詩が本邦へ渡来して、平安時代に漢和辞典をつくるときに、これをアジサイにあてたのが起こりとか。アジサイは、香ばしくもなし、じつは日本原産で、中国へ渡ったのは後世のこと。あちらでは綉球花、八仙花となづけているとか。なんのことやら。そこでいまや新聞などではアジサイとカナ表記と決めている。ただし歳時記では、広辞苑でも、紫陽花はアジサイです。いまさらねぇ、誤用だろうが千年の実績にものをいわせて日本語なのだ。」とありますが、本当にいまさら語源がどうのこうのといってもおかしな話しです。
このように、季節やそのときの時事問題などをからめて俳句の話しをするのですが、著者が1927年生まれですから、昔語りのようなところもだいぶあります。とくに震災や戦争の悲惨さなど、だいぶ思い出して書いているようです。
でも、関東大震災のこととこの前の東日本大震災のことをダブらせながら書くことができるのは、ほんの少数はです。今書き残さないと、もしかすると忘れ去られてしまうかもしれません。そういう意味では、俳句という緩衝材を間にして語るのもいいことだと思いました。
下に抜き書きしたのは、あのフーテンの寅さんこと、渥美清さんの俳句です。まさに物事に囚われないおおらかな雰囲気が伝わってきます。何よりビックリしたのは、俳句をつくっていたことです。
この掲げた2つの句とも、ほんとうに人柄を偲ばせます。
(2017.2.13)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
俳句世がたり(岩波新書) | 小沢信男 | 岩波書店 | 2016年12月20日 | 9784004316343 |
☆ Extract passages ☆
お遍路が一列に行く虹の中 風天
風天は、ご存じフーテンの寅さんこと渥美清の俳号です。句集『赤とんぼ』の解説によれば、右は歳時記にも載っている代表作で、平成六年(一九九四)六月、六十六歳のときの作。この二年後に亡くなられたのでした。
遍路は、春の季語。四国八十八カ所の札所巡礼は行程三百余里千二百キロ、健脚で四十日はかかる由。そもそもは修行で季節を問わぬが、行楽的要素が増せばやはり春か。……
一列に行く虹の中。ユートピアヘ架かる七色の橋。
虹は、夏の季語です。はてね。一句に二季とは。いや、あまり杓子定規にこだわるのはいかがなものか。ところで下の句の、朝寝は春の季語、昼寝は夏の季語です。風天氏は百も承知の寝返りですね。
朝寝して寝返りうてば昼寝かな 風天
(小沢信男 著 『俳句世がたり』より)
No.1342 『ときめく和菓子図鑑』
世界ラン展2017を見ようと計画しているので、東京に出たときに和菓子を買おうと思っています。
いつも、いわゆる和菓子の老舗で、代表的なものを買って帰るのですが、毎回となるとまだ食べたことがないものがなかなか浮かびません。そこで、この本を見ながら、考えようとしました。
でも、写真はとてもきれいですが、ほとんどがすでに食べたことのあるものしか掲載がなく、何度も読み返しました。最後に載っていた「日本の銘菓紀行」なども、あまりにも有名店だけで、その地方の人しか知らない隠れた名店というものではないようです。ただ、「お土産に困ったときに役立つ!!」とありますから、それさえ持っていけば喜ばれるというお菓子です。
それでも、花見だんごのところで、「桜は、春になって山から下りてきた田の神様が宿る木とされていたため、かつで庶民にとっての花見は、豊作を祈願して神様と過ごす時間でした。だんごを食べるようになったのは、慶長3年、豊臣秀吉が京都の醍醐で開いた大茶会の折、日本中の甘味を集めて披露したことが始まりといわれています。」と書かれていました。
たしかに、桜の語源はこの他にもたくさんあり、私が好きなのは、古事記に出てくる「木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)」の「木花」がサクラを表すのではないかといわれ、「サクヤ」から「サクラ」に変化していったというものです。
また、夏になると麩まんじゅうが食べたくなるのですが、これは昔からあったのではなく、明治天皇が「麩嘉」に生麩で菓子を考案してほしいと要望したことからつくられたといわれているそうです。これは知りませんでした。
わが家から買いに行ける範囲内では、川西町の「十印」と飯豊町の「香月」の麩まんじゅうが美味しいようです。とくに香月のものは、昨年からつくられるようになったもので、口に入れたときのツルッとした舌触りとのど越しが良かったようです。
さて、東京に出たときには、どこの和菓子を買うか、まだ迷っています。
昨年の11月に上京したときには、とらやの上生をお土産に買いました。そういえば、この上生について、この本で紹介しています。
それを下に抜き書きしたので、ぜひ、見てみてください。これを読むと、和菓子も日本の代表的な文化だ、と思います。
(2017.2.11)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
ときめく和菓子図鑑 | 高橋マキ 文、内藤貞保 写真 | 山と渓谷社 | 2016年12月30日 | 9784635202374 |
☆ Extract passages ☆
和菓子の中でも、江戸時代に茶の湯の発展に伴って生まれた芸術性の高いお菓子を「上生菓子(上菓子)」といいます。京菓子を始めとする上生菓子は、四季の移ろいを楽しむ茶道と深く問わり合っているため、「五感」で季節を感じる仕掛けに満ちています。
たとえば「きんとん」。あんこのまわりに、そぼろあんを箸で寄せて丸くしたシンプルな和菓子ですが、素材の扱い方、そぼろの色や大きさなどにより、表現は無限。職人さん曰く「その日の朝、山の端を見て作る色を決める」とも。さらにその表現の可能性を広げるのは「銘(名前)」。和歌や故事にちなんだものもあり、その背景には、日本の季節や文学・芸術が平成の今もしっかりと息づいているのです。
(高橋マキ 文、内藤貞保 写真 『ときめく和菓子図鑑』より)
No.1341 『ビアトリクス・ポターが愛した庭とその人生』
ビアトリクス・ポターといわれても、どのような人で、どこの国の人かも、まったくわかりませんでした。でも、表紙のイラストなんとなく見たことがあるだけで、それ以上のことはまったくわかりませんでした。
それでも、副題のような「ピーターラビットの絵本風景」とあり、なんとなくもしかするとと思いました。
少し読み進めると、イギリスのことだとわかり、イギリスなら一昨年行ったときのことを思い出しながらさらに読み進めると、「原稿を適当なルートを通じて出版社に送る手助けをしたのは、レイ・カースル邸で夏をすごしていた当時からの友人で、湖水地方の保護運動の先導者だったハードウイツク・ローンズリー牧師だった。しかしどの出版社からも次々に断り状が届く。ついにあきらめたビアトリクスはタイトルを短くする。そして『ピーターラビットのおなはし』に変えて、自費出版することにした。1901年12月16日付の白黒印刷の初版、250部はすべて売りきれた。そこで翌年2月に200部を増刷。そのあいだにフレデリック・ウォーン社が考えなおし、挿絵をカラー刷りにして、本の出版を引き受けると言ってきた。こうして1902年に『ピーターラビットのおはなし』は出版された。」というところまできて、やはりあの有名な『ピーターラビットのおはなし』のことだとわかったのです。
でも、最初はその出版を誰も引き受けてはくれず、自費出版をしたということは、ちょっと信じられませんでした。でも、ここの場所は、イギリスでも片田舎で、おそらくあまりなじみがなかったのではないかと思います。それでもあきらめなかったビアトリクス女史はすごいと思いました。
この本の全体の構成は、第1部が「園芸家としての人生」、第2部が「ビアトリクスの庭の一年」、そして第3部が「ビアトリクスの庭を訪ねて」です。だから、『ピーターラビットのおはなし』そのものではなく、それが生み出された背景というか、ビアトリクスの園芸家としての側面を描いています。だからこそ、興味を持ったともいえます。
たとえば、「今も昔も庭いじりの好きな多くの人がそうであるように、ビアトリクスもときどき他人さまの庭からこっそり植物をもらってきては、自分の庭に植えていた。ともかく〈サタースウェイト夫人によると、どこかからくすねてきた植物はよく育つそうです。昨日はゴウダソウをこっそりもらってきました。なんと庭に山と積まれたゴミのなかにあったんです!〉。ビアトリクスは園芸に詳しくなるとともに「手癖」も悪くなってきたことを、ミリーに告白している。」とあり、日本の花どろぼうは泥棒じゃない、というのと同じようなニュアンスがあります。しかし、今の時代はそうはいきません。いくらたくさん植えてある花でも、人のものは人のものです。絶対に採ってはいけません。
下に抜き書きしたのは、ビアトリクス・ポターの残したものについてです。女史は、遺言によって、4,000エーカーの土地をナショナル・トラストに所有権を委譲したのです。だから、ビアトリクス・ポターの庭などもわかるし、今でも親しむことができるのです。
そういえば、イギリスに行ったときに、「フィッシュアンドチップス」が飽きたので、ある地方でしっかりとメニューを見たら、ウサギの肉を使った料理がありました。私も昔は食べたことがあるので、それを注文し、とても美味しかったことを思い出しました。そこの料理人に聞きますと、地方ではよくウサギの肉は食べると言います。
ただ、あのかわいいウサギを食べるの、といわれると困るので、あまり口外しないだけのようです。まあ、そういわれれば、たしかにそうですよね。
(2017.2.10)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
ビアトリクス・ポターが愛した庭とその人生 | マルタ・マクドウェル 著、宮本陽子 訳 | 西村書店 | 2016年11月13日 | 9784890137541 |
☆ Extract passages ☆
わたしたちがいまイングランド北西部のカンブリアの湖水や丘陵地帯、コテージや牧場の景観に接することができるのは、ビアトリクス・ポターとポターの絵本のおかげである。現在も湖水地方の湖畔には別荘は並んでいない。ぎざぎざのまるで脊椎のような丘陵地帯に、この地に似つかわしくない別荘は一軒もない。ビアトリクスは著作だけでなく、土地という遺産を後世に残してくれたのだ。
さらにまたビアトリクスは庭も残した。それがヒルトップを取りかこみ、訪れる人を招き入れてくれる。庭はいつまでももとのままの姿をとどめていることはできないが、それでも、稀にみる素晴らしいひとりの女性が植物と庭づくりに寄せた関心がいかに深いものであったかを、いつまで思い起こさせてくれる。
(マルタ・マクドウェル 著、宮本陽子 訳 『ビアトリクス・ポターが愛した庭とその人生』より)
No.1340 『なぜ日本人は「のし袋」を使うのか?』
淡交社の本は、茶道の裏千家の系列なので、日本文化に関する本も多く出版されていて、よく読みます。この本も、昨年末に発行されたもので、お正月に読むには最適な内容ですが、なにぶん、お正月は忙しいので、この時期になってしまいました。
今年の旧正月は1月28日で、すでに終わり、節分も過ぎてしまいました。でも、このようなことは、いつ知っておいてもいいのではないかと気を取り直し、読み始めました。
この題名にある「のし袋」というときの「のし」を漢字書くと「熨斗」ですが、これは鮑を伸すということだとは知っていましたが、中国ではこの熨斗はアイロンだとは知りませんでした。考えてみれば、洗濯物を伸すのはアイロンですが、鮑を伸すのにアイロンは使わないとのこと、つまり、これは伸すという意味だということです。
では、なぜ鮑かというと、この本では、「神秘な海の底から採取される海産物の中でも鮑は、時として真珠を抱いている事がありました。養殖技術のなかった古人にとって、白く美しく気品のある輝きを放つ天然の真珠は、白玉真玉と称えられる宝珠で、常世から潮にのってやってくる神の霊力を抱いた聖なる恵みとして、特に大切にされました。そして、そんな玉を抱く鮑も、特別な霊力を備え持つ貝として珍重されたのです。神がかった力の背景を持つ鮑を贈り物とするという事は「あなた様の末永い繁栄と健康を祈ってその霊力を持った鮑を添えてお贈りします」という想いが込められる事になります。最高の礼を尽くした贈答品として鯛や鯉などの魚類、雉や鶴などの鳥類とともに、酒と伸した鮑(熨斗鮑)を奉書紙に包んで贈る事がもっとも礼を尽くした贈答の作法とされ、酒と鮑は対のように扱われました。と書いてありました。
たしかに鮑は食べても美味しいし、なかなか採れないので貴重品です。その貴重な鮑を伸して使うということだけではなく、その鮑と真珠がつながっているとは思いもしませんでした。。やはり、これは当たり前としてやり過ごすのではなく、なぜだろう、と考えることは大事だと改めて思いました。
また、水引の色についても、「中央の皇帝は黄龍といい黄、北の玄武は黒、東の青龍は青、南の朱雀は朱、西の白虎には白が配当されています。古代においての色への対し方は、美しさを求めるという事のみならず、色には霊力があると解釈され、その色を定められた位置に配置する事によって、様々な祈念を込めたのでした。数ある色の中でも青・赤・黄・白・黒の五色が不浄を祓い、魔を退ける力があるとされ、それら色の霊力によって神聖な場所が守護されると考えられていたのです。とあり、紅白とかの意味合いも書いてありました。私のところでも、例大祭にはこの五色の布でご本尊さまとの縁をつなぐのですが、「相撲の土俵上の吊り屋根には土俵を囲むように四隅には青・赤・白・黒の房が下がり、土俵の土が黄色を表して、勝負の場を聖域として保っているのです。」とあり、なるほどと思いました。
下に抜き書きしたのは、品物やお金を包むことについての意義です。これも何気なくしていますが、ぜひ読んでみてください。
やはり、文化というのは、奥が深いようです。
(2017.2.8)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
なぜ日本人は「のし袋」を使うのか?(淡交新書) | 齋藤和胡 | 淡交社 | 2016年12月23日 | 9784473041500 |
☆ Extract passages ☆
人様に何か品物を差し上げる時の包装紙は、自分と相手との結界です。穢れや不浄が付いた品は相手に贈れません。包装された品は大切に扱われていた事の証しでもあり、品物を清浄に保ち、自身や外の穢れが相手に移らないようにとの配慮となるのです。そこには日本人の贈答文化への思い入れが根底にあるわけです。祝儀として金銭をお渡しする時も同様で、私たちは金銭の姿を見せたままで人様に差し上げるという行いはしません。熨斗包みに包むという行為は、その包み紙は外と中との紙一重からなる結界を表しているからです。
(齋藤和胡 著 『なぜ日本人は「のし袋」を使うのか?』より)
No.1339 『万年筆インク紙』
この題名に惹かれて読み始めましたが、普通の本と違い、章立てはなく、すべてブルーというか、ブルー系というか、もしかするとブルーブラックかもしれませんが、その色で印刷されていました。でも、黒色の活字と違い、とても読みにくく、慣れるまではなかなか取っつきにくく感じました。
おそらく、万年筆のインクの色に合わせたようで、紙がほんの少しベージュがかっているので、慣れれば読むのは少し楽になりました。もともと西洋では、万年筆のインクといえば、ブルーブラックが定番でした。これ色は、酸化鉄溶液に青の染料を混ぜてつくるのだそうですが、その酸化鉄が反応して黒くなることで、つまりはその変化していく度合いで、いつ書かれたものなのかを特定できるからだそうです。
でも、いろいろな歴史的変遷はあったにしても、今の書籍のほとんどは黒色で印刷されているので、眼がそれに慣れています。だから、読みやすいというよりは、慣れの問題かもしれませんが、あえてブルーブラックにすることもないのではないかと思いました。
そもそも、私自身も万年筆は大好きで、おそらく使わない日はないかと思います。その数も外国製のものから国内産のものまで、数えたことはないのですが、30本以上は持っていて、常に使っているのは5本程度です。インクは、いろいろと試行錯誤の結果、今はセーラーの「極黒」のボトルを使っています。これは顔料系なので耐光性に優れ、真っ黒な色がとても気に入っています。インクの箱には、「セーラー製の万年筆以外には使用しないでください」と但し書きがありますが、超微粒子のナノインクなので、目詰まりなどはないと思い、他の万年筆にも使っています。
たしかに、ボールペンの場合は黒色とか赤色とかというようないわば原色ですが、万年筆のインクはメーカーによって様々です。たとえばブラックにしても、パーカーのブラックパーカーは少し青味が感じられるし、モンブランのミステリーブラックは少し赤みのかかった色合いになります。ペリカンのブラックインクは、もともと絵具メーカーだったこともあり、鮮やかな黒色をしています。もちろん、日本のメーカーもいろいろで、先に取りあげたセーラーの「極黒」もいいですし、パイロットの「色彩雫」もいいようです。だから、ボールペンと違って、この色の差は無限にいるといっても過言ではないようです。
下に抜き書きしたのは、この万年筆とボールペン、ここではボールポイントと言っていますが、そのインクの色についてです。
おそらく、普通はここまで考えないでしょうが、こだわるということは、ここまで考えるということだと思いました。
そういえば、このインクで紙に書かれた文字について、いかにも著者らしい言い回しがあります。たとえば「万年筆の軸のなかにあるインクが、ペンポイントから紙の上へ移っていく。字のかたちにペンポイントを動かすから、紙の上に移ったインクは字になる。字は次々に紙の上に出来ていく。それらの字は一定の意味をなすつながりのなかにある。字はいくつもつながって、意味を作っていく。意味とはなにか。字を書いていく人が頭で考えたことだ。字とは思考のことだ。思考をインクで紙の上に仮に固定したものが、字だ。」と書いていますが、当たり前というか、普通はそこまで考えないで無造作に紙に書いています。
そこが、字を書くのを仕事にしている作家たる所以だ、といわれればたしかにそうだと思います。
(2017.2.7)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
万年筆インク紙 | 片岡義男 | 晶文社 | 2016年11月20日 | 9784794969392 |
☆ Extract passages ☆
ボールポイントのたとえばブルーは単なるブルーであり、どのメーカーのものもブルーはブルーです、ということになっている。微妙な差異を問題にしないブルーが、ボールポイントのブルーだ。万年筆のブルーは、微妙な差異こそ、ブルーなのだ。ボールポイントのブルーが個人と無関係なブルーなのだとすると、万年筆用インクのブルーは、ブルーという色が個人的であることの延長として、いくらでも差異のある、したがって数多くのブルーが、理屈としては際限なく存在する。
(片岡義男 著 『万年筆インク紙』より)
No.1338 『心は天につながっている』
去年の夏休みに、孫を連れて那須高原に遊びに行って泊まった近くの美術館に、金澤翔子さんの書がたくさん掲げられていました。
ここの美術館は写真を撮ってもよかったので、何点か撮らせてもらいましたが、それを思い出しながらこの本を読ませてもらいました。書もとても力強く、一字が多いのですが、それでも迫力がありました。
その後で、たまたま山形県立美術館で金澤翔子さんの個展があったのですが、お盆ということもあり、なかなか時間がなく観に行けなかったのですが、地元紙にその内容がカラーで載りました。
それで、この本が図書館に並んでいたので、すぐに借りてきて読みました。
新聞などでは、障害を持ちながらとか、ダウン症のとか、必ずついて回った書き方をしていたのですが、この本の副題も「ダウン症の書家、愛と勇気の贈りもの」とありました。でも、そうだとしても、それだけでは多くの人を感動させることはできないと思います。
ジッと観ていると、直接心に響くものがあり、その字に大きなメッセージがたくさんつまっているように感じました。
また、天才というような賛辞もありましたが、私は天才といえども、相当な努力がなければ花開かないと思っています。かのエジソンでさえも、「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」と言ったそうですが、実はそうではなく、「私は1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄になると言ったのだ。なのに世間は勝手に美談に仕立て上げ、私を努力の人と美化し、努力の重要性だけを成功の秘訣と勘違いさせている」とある会見の席で答えています。
でも、その努力することはあくまでも当然のことで、さらに成功するためにはほんの少しのひらめきが大切だと言いたかったようです。つまりは、何ごとにも努力が前提だということになります。
この本のなかで、母親の泰子さんは、「翔子は10歳の時、普通学級から遠くの学校の身障者学級に転校させられ、悲しくて休学してしまった。それは辛いことであった。孤立してしまい、途方に暮れた。どこへとも行方も知れず、膨大に迫りくる時間の中、余りにやるせなく、翔子に般若心経の大作を書かせようと思い立った。毎日毎日、272文字を擁する心経を書き続けた。10歳の、しかも知的障害の翔子には難しすぎる挑戦であった。私に叱られ、泣きながら翔子は書いた。今でもこの時の心経の真書には涙の痕がある。どんなに叱られても弱音は吐かなかった。何時間でも書いた。翔子の優れた持続の力は、このとき身についた。今ではこの作品が一番人気がある。孤立した深い悲しみの中で名作が生まれた。闇の中には大きな光が待ち受けているものだ。」と書いています。
やはり、持って生まれたものだけではなく、人には見せないような相当の努力をしているからこそ、私は花開いたのではないかと思いました。
下に抜き書きしたのは、やはり母親の泰子さんが書かれたもので、翔子さんの無垢な姿を描いています。
これなども、つねに脇に寄り添わなければわからないことではないかと思います。機会があれば、ぜひ読んでみてください。
(2017.2.4)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
心は天につながっている | 金澤翔子 書、金澤泰子 文 | PHP研究所 | 2016年10月26日 | 9784569834047 |
☆ Extract passages ☆
翔子が想いをめぐらす範囲は、せいぜい明日のお昼ごはんぐらいまでなので、未来を想って不安になったり恐れたりしない。将来に希望や目標を持ったりしないし、過去を振り返り悔やんだりなどもしない。目標や計画を持たないということは、その刻その刻を100パーセント生きられる。
予測的な不安がないので、いつもわくわくと楽しい。いつもニコニコしている。
翔子には「できない」ということはないのです。今していることがやりたかったこと、今、手に入っているものが欲しかったものなのです。その世界を想ってみてください。不満や不安、嘆きがないのです。
(金澤翔子 書、金澤泰子 文 『心は天につながっている』より)
No.1337 『池上彰とホセ・ムヒカが語り合った ほんとうの豊かさって何ですか?』
ホセ・ムヒカ(愛称ペペ)を知らない人はいないでしょうが、ウルグアイの第40代大統領(2010〜2015年)になった方で、テレビなどでも「世界でいちばん貧しい大統領」として紹介されていました。
彼は、このことについて、「私は「貧しい」という評判のようですが、少しも自分を貧しいとは思っていません。いまあるもので満足しているだけです。とても豊かです」と冒頭の挨拶のところでも述べています。
たしかに、テレビに写る家も車も質素ですし、一国の大統領とは思えません。でも、人の前に現れると、多くの人たちが寄ってきて握手を求めますし、その人気はすごいものです。しかも、2005年まで奥さんのルシアさんと長く暮らしてきたのですが、高齢になったこともあり、自分たちの農園を社会に寄付するために結婚という手続きをしないと、相続問題が出てくるからとのことです。だから、大統領になるために入籍したのではなく、あくまでも社会に役立てて欲しいという願いからだといいます。
ゲリラ活動をして、4回も投獄されましたが、4度目は1972年から1985年までの13年間でした。その投獄されている間に、自分を救ってくれたのは読書だったといいます。このときの様子を池上解説では、拷問やどうしようもない孤独と栄養失調がムヒカ氏の心と体をむしばんだといいます。それが9年間ほど続きましたが、10年目からは読書が許され、手紙も出せるようになったそうです。
ホセ・ムヒカ氏は、「私を救ったのは、読書でした。牢獄では科学系の本しか許されませんでしたから、生物学に始まって、農学、医学、獣医学、人類学、いろいろなジャンルの本を読みました。一日中どっぶり読書に浸りながら人間とは何なのか、自分に問いかけたのです。……するとある日突然、頭がぽっかり開いた感じがしました。開放的な、青く澄んだ空が頭の中に広がったのです。獄中で孤立無援の状態を経験したからこそ、いかに「わずかなもので幸せになれるか」を学んだ気がします。私たちをひどく扱った人間を憎む気にもなりませんでした。つけ加えるなら、心が折れなかったのは、バスクの不屈の血を半分ひいているからかもしれませんね。ええ、そう確信しています。」と語っています。
このバスクの血というのは、父親がスペイン人で母親がイタリア人で、その間にバスク地方があることで、ここのバスク語を話す人たちの独立運動を指しているのかもしれません。
そして、この投獄で覚ったのは、やはり暴力で世の中を変えることはできないということだといいます。それよりも、勝つことではなく、歩み続けること、何度でも起き上がってやり直す勇気を持つことだと力説します。そして、大統領になったのも、「貧しい人々を救いたい」という気持ちからでした。
下に抜き書きしたのは、この獄中での生活で「消費社会への疑問」だったこともあり、「足るを知る」ことこそ大切なことだと話す部分です。
そして、これこそが、ホセ・ムヒカ氏が日本人に言いたかったことかもしれません。
(2017.2.2)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
池上彰とホセ・ムヒカが語り合った ほんとうの豊かさって何ですか? | 池上 彰 | 角川書店 | 2016年10月19日 | 9784041048344 |
☆ Extract passages ☆
幸せは富によって得られるものではないということです。わずかなものでも幸せは得られる。富が幸せをもたらしてくれると考えてはいけません。幸せとは恐れを抱かないこと。明日の生活に恐れを抱かないことだと思います。……
ところが、日本もそうだと思いますが、比較的豊かになると、手にしている富を失うことを恐れるようになります。豊かであるのに、後退を恐れるがゆえに幸せではないということもあり得ます。これは、貧困から脱け出した後で後退を恐れるようになった中流階級の典型的な苦悩です。
一方、生活向上のために闘っている人々は幸せです。なぜなら、恐れではなく「希望」を持っているからです。貧しいかもしれませんが、幸せなのです。
(池上 彰 著 『池上彰とホセ・ムヒカが語り合った ほんとうの豊かさって何ですか?』より)
No.1336 『真理の探究』
この本の副題は「仏教と宇宙物理学の対話」ですから、仏教学者の佐々木閑氏と物理学者の大栗博司氏の対談が中心で、最後の特別講義は大栗氏が『「万物の理論」に挑む』で、佐々木閑氏が『大乗仏教の起源に迫る』です。
まさに、対局にあるような感じの対談ですが、読んでみると、そうでもないような気がしてきました。いや、むしろ似ているところもあり、とても興味深く読むことができました。
佐々木氏は、「宇宙の真ん中に自分がいるという世界観が私たちの苦しみを生み出す根本原因だ」とお釈迦さまは見抜いていたといいますが、考えてみると、確かにそうだと思います。世の中は、自分中心に動いているわけではないし、生きる意味だって、人それぞれです。自分で見つけるしかないわけです。
佐々木氏は、「煩悩の……その中でいちばんの親玉は「無明」という名の煩悩です。「明」というのは「知恵」のことですから、無明とは知恵がないこと。簡単に言うと、「愚か」ということです。愚かさにもいろいろありますが、これは物事を正しく客観的に見ることができない本能的な欠陥のこと。この「無明」を消すことができれば、あらゆる煩悩が消えます。」と書いています。
つまり、自分の考えと現実のあり方にズレが生じ、それが苦しみの原因だといいます。
それでも人は生きていかなければなりません。では、絶望せずに生きるにはどうすればいいか、それをこの本ではいろいろなところで語っています。たとえば、キリスト教やイスラム教の場合は、「肉体は死んでも魂は死なない。その死なない魂には永遠の安楽が約束されている」と考えるそうです。
ところが仏教は、自分の力で生きる意味を見つけていかなければならないというわけですから、なかなか困難な道でもあります。そこにこそ、大乗仏教が生まれる素地があったのではないかといいます。
そういえば、科学というのは、すべてのものにきちんと整合性があると思っていましたが、大栗氏はこの本のなかで、ベイズ推定というのを紹介しています。それは、「ベイズ推定というのは、もともとは確率や統計の理論ですが、新しい経験をすることによって、確率の評価をどんどんアップデートしていくという考え方です。「経験に学ぶ」ということを、数学的に表現したのがベイズ推定です。たとえば、……かつては多くの人々が原子力発電を安全なものだと思っていましたが、東日本大震災のときの福島の事故によってその信頼性が揺らぎました。そうやって、経験を通じてものの見方を修正していくことを、数学的に表現したのが、ベイズ推定です。」と書いています。
これは数学ではなく、論理学だと思うのですが、数学にもこのような推定というのがあるというのか新しい発見でした。
下に抜き書きしたのは、佐々木閑氏の話しのなかに出てきた釈迦の教えについてのことです。
この発言の前に、大栗氏は、一神教の場合は、とくにイスラム教はそうですが、宗教の教えをそのまますべてを受け入れなければならないけれど、仏教の場合はどうですか、という質問をされています。
たしかに、一神教の場合は、信じるか信じないか、あるいは白か黒かの二択を迫る傾向があるように思います。でも、仏教は違います。
これを読んで、やはり仏教とその他の一神教との違いがわかります。もし機会があれば、この本を読んでみて、宗教と科学について考えてみるのもいいかと思います。
(2017.1.31)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
真理の探究(幻冬舎新書) | 佐々木閑・大栗博司 | 幻冬舎 | 2016年11月30日 | 9784344984394 |
☆ Extract passages ☆
もちろん、釈迦の教えを一から十まで丸ごと信じなければ仏教信者ではない、と主張する人たちもいます。しかし仏教は絶対者の言葉を人々に説き広めるという使命を持たない宗教ですから、釈迦の教えを丸ごと信じようが部分的に信じようが、あるいは全否定しようが、それによってほかの誰かから福をもらったり罰を受けたりすることはありません。言ってみれば、仏教という道具をどう使って、どう生きるかは各人の判断に任された自己責任の世界なのです。
私自身は、輪廻は信じておりませんが、その上に釈迦が構築した世界観――自分の努力によって煩悩を消し、それによって苦しみから逃れる――という部分は、自分の役に立つと信じています。その意味で、私は仏教の信奉者なのです。
(佐々木閑・大栗博司 著 『真理の探究』より)
No.1335 『世界植物記 アジア・オセアニア編』
この本は写真集なので、読むというよりは見るというようなもので、時間があるときに何度も開き、何度も見ました。大判で、本そのものも重かったのですが、とてもきれいな印刷でした。
この本に出てくる場所に行ったこともあるし、その植物を直接見たこともあり、とても懐かしく感じました。でも、おそらく、このような写真を撮るには、それなりの時間をかけなければ撮れないと思いました。
すでに、『世界植物記 アフリカ・南アメリカ編』が既刊されているそうですが、そのなかで見たいのはインド洋に浮かぶソコトラ島でしか見ることのできない「リュウケツジュ」ぐらいで、それ以外はあまり興味がありません。やはり、この『世界植物記 アジア・オセアニア編』は自分で行ったことのあるところも多く、とても興味がありました。
でも、期間を別にすれば、ヒマラヤへ行ったのは7回だそうで、ネパールのクンブー、ジャルジャレ、アンナプルナ、ランタン、そしてブータンだそうですから、私もそれぐらいは行っています。でも、あまり期間がないこともあり、そんなに標高の高いところまでは登っていないので、やはり植物相も違います。
一番の違いは、この本にはいろいろな植物がまんべんなく掲載されていますから、とても見応えがあります。しかし、私の場合は、中心がシャクナゲで、あとはそのまわりにある植物だけですから、とても違います。
この本では、ブータンのシャクナゲの写真が載っていましたが、その説明は、「ブータンで見られるツツジ属は、「Flora of Bhutan」によれば46種。ヒマラヤ山系では、針葉樹林帯から森林限界に至る、標高2000〜4500m付近まで自生している。さまざまに種分化し、色、形ともにバラエティに富み、どれも目を引く美しい花を咲かせる。」とあり、これも見事な写真でした。
また、そのブータンに行ったときに、ある方がレウム・ノビレのタネをいただいたので、その小苗を私もわけていただきました。現在もそれを育てていますが、なかなか大きくはなりません。そこで、大阪で世界花博があったときに、ブータン館でそれが飾られていたので担当者に聞くと、花が咲くと枯れてしまうということでした。
つまり、わが家のレウム・ノビレがまだ生きているのは、花が咲かない、つまり元気に育っていないからだというわけです。まあ、残念ですが、花が咲けば枯れてしまいますから、まあ、仕方ないようです。
下に抜き書きしたのは、もともと写真集なので、とても文章が少なく、写真の説明のようなところばかりでしたが、その中でも、私もミャンマーで見たことのあるヒマラヤザクラについてのことです。
そういえば、たしかブータンでも見たことがあり、写真にも撮りました。しかし、30年ほど前のことですし、そのサクラが日本のサクラの祖先だとは思いませんでした。
しかも、数年前に、たまたまある方から種子をいただき、それを播いたら、5本育ったのです。おそらく、花が咲くまではまだまだかかるかと思いますが、この本に載ったような花が咲くまで、なんとか育てたいと思いました。
(2017.1.28)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
世界植物記 アジア・オセアニア編 | 木原 浩 | 平凡社 | 2016年11月16日 | 9784582542547 |
☆ Extract passages ☆
ヒマラヤザクラは萼筒が太く、花弁が落ちにくいので花期が長い。咲き進むにつれて、しべを中心にどんどん赤みが増していくので、すがれるほど全体が濃く、派手な色になっていく。パキスタン、チベット南部、ネパール、ブ一夕ン、ミャンマー北部、中国雲南省の標高1300〜2200m付近に分布している。高さは10〜15m、花の直径は3pほど。萼筒をのぞくと、肉眼で分かるほど蜜がたまっていて、木を揺するとぽたぽたと降ってくるほどだ。
ヒマラヤザクラは、秋咲きで常緑である。このヒマラヤザクラが、日本の桜の祖先であるという説がある。ネパールはヒマラヤのイメージから、寒い場所と勘違いされることもあるが、緯度は亜熱帯気候の沖縄と同じである。日本が大陸と地続きだった大昔、ヒマラヤザクラは、寒さや乾燥などの厳しい環境に適応するために、秋に葉を落として冬は休眠し、春に花を咲かせるという進化をとげて、北に布域を広げていった、というのである。
(木原 浩 著 『世界植物記 アジア・オセアニア編』より)
No.1334 『「ひとり」の哲学』
この本を読み始め、以下の文章に出会いました。すると、その悲しげな様子に、その先になかなか進めなくなりました。
「土佐の国へ行し時、城下より三里ばかりこなたにて、雨いとう降り出て日さへくれぬ。道より二丁ばかり右の山の麓に、いぶせき庵の見えけるを行て宿乞けるに、としの頃四十ばかりなる僧のひとり炉をかこみ居しが、食ふべきものもなく風ふせぐべきふすまもあらばこそといふを、雨だにしのぎ侍らん外に何をか求め侍らんと、強てやどかりてさ夜更るまで相対して炉をかこみ居るに、この僧初にものいひしより後は一言もいはず、坐禅するにもあらず。睡るにもあらず。ロのうちに阿弥陀ぶつと唱ふるにもあらず。何やうの物語しても只微笑するばかりにて有し。おのれおもふやう、こは狂人ならめと。其夜は炉のふちに採て暁にさめて見れば、僧も炉のふちに手枕してうまく寝居ぬ。」
で、これは『続日本随筆大成』2の113ページ、「寝ざめの友」という題として掲載されているそうです。
書いた方は近藤万丈といい、実家が良寛がよく滞在したことのある玉島にある造酒屋だそうです。そういえば、私もこの玉島の円通寺近くの国民宿舎「良寛荘」に泊まり、史跡を訪ね歩いたことがありましたが、ここ玉島から直接新潟に帰ったのではなく、1790年に国仙禅師から印可、つまり修行を終え一人前の僧侶になったという証明をいただき、その翌年の34歳のときに、国仙禅師が「好きなように旅をするが良い」と言い残すようにこの世を去ったことから、諸国行脚を始めたそうです。そして48歳のときに新潟に戻ったのです。
その14年間、父の訃報を聞いても帰らなかったのですが、あまり詳しくはわからないようです。
でも、この文章を読むと、土佐にいたことは間違いなさそうです。
しかし、国上山の五合庵にいるときのような、明るさや清々しさはほとんど感じられません。むしろ、悲しげな様子がひしひしと伝わってきます。
このことは、良寛の本はいろいろと読んではいても、あまり書かれていなかったと思います。この『荘子』の本1冊というのも、とても印象的です。
新潟の五合庵には、なんどか行きましたが、たしかに冬などは里まで下りて托鉢をするのは大変だろうなと思いました。だから、足腰が弱ってからは里に住まいを移されたぐらいです。
でも、そうではあったとしても、その五合庵では、寂しさとか悲しさとか、悲壮感のようなものはまったく感じられなかったのです。
おそらくは、修業時代と諸国行脚の長い年月の間に、それらを突き抜けて、自分なりのスタンスを見つけられたのではないかと想像しました。
下に抜き書きしたのは、第1章の親鸞の「ひとり」のところで、良寛について触れている部分です。
たしかに、良寛さんの和歌や漢詩を読むと、なかなかその両方に精通していたことはわかりますが、そのつながりがよくわかりませんでした。このように言われれば、たしかにそのような気もします。
(2017.1.26)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
「ひとり」の哲学(新潮選書) | 山折哲雄 | 新潮社 | 2016年10月25日 | 9784106037931 |
☆ Extract passages ☆
良寛はどうやら道元の禅に心を寄せようとするときほ、漢語系の言葉の海にわが身をひたそうとしている。それにたいして、親鸞の和黄の世界にこころを近づけようとするときは、いつのまにか和語系の和歌の泉に近づこうとしているようにみえる。漢語系の「心」と和語系の「こころ」の使い分け、である。……
僧か俗かにこだわらない。出家か在家かに引きずられない、自在な「ひとり」がそこにいる。
近代の入口に立つ「ひとり」といってもいいだろう。近代人の良寛が、いわぜ親鸞と道元という二人の中世人をゆったり媒介する仕事をやっている。禅から浄土へ、浄土から禅へと橋わたしをしている目由人の「ひとり」である。
そんな良寛の道を歩いていけば、道元が親鸞のそば近く、もう一つの「ひとり」の道を歩いていた姿がみえてくるだろう。
(山折哲雄 著 『「ひとり」の哲学』より)
No.1333 『現代美術コレクター』
現代美術に興味があって読み始めたというよりも、いつの時代でも、新しいものは珍しいもので奇抜さを持っていると思っていたので、いわば恐いもの見たさからの挑戦でした。
でも、「マインドフルネス」という言葉に納得し、その後に出てくる「ありがままの心でアートを見る」を読み、なるほどと思いました。
そして、そこに早大の熊野弘昭教授の「茶を飲むこと、花を生けることに集中していくと、全ての雑念が取り払われ、「マインドフルネス」になるという。とすると、日本人が愛してやまない作法とは、その気配りを集中させることで、雑念を取り払う「マインドフルネス」だったことになる。千利休は茶道を通じて、「マインドフルネス」の体験を繰り返すことで、あらゆる物の価値を雑念無く見ることができるようになったのではないか。それまでの茶道では、唐様の輸入された貴重な陶器を使うことが通例だったが、利休は無名の瓦職人、長次郎の作った真っ黒な楽焼を茶道に持ち込んだ。既成の概念をひっくり返して、むしろ単純な土臭い焼き物の中に「わび・さび」という新しい美を見出した。作法そのものが、新しい美を生み出したのである。「マインドフルネス」とは、一人一人が新しい美を一人一人見出す方法だとも言えよう。」と書かれているのを読み、お茶を40年も続けてきたので、これには本当に同感しました。
この本の最初に登場したのは、草間彌生さんです。昨年、文化勲章を受けられ、一躍時の人となったようですが、ほとんどの人があの赤く染めた人は誰、と思ったのではないでしょうか。その草間さんが、今年の2月22日〜5月22日まで、国立新美術館開館10周年の特別展で、「草間彌生 わが永遠の魂」が開かれる予定です。そのプロフィールには、「前衛芸術家、小説家。1929年長野県松本市生まれ。幼少より水玉と網目を用いた幻想的な絵画を制作。1957年単身渡米、前衛芸術家としての地位を築く。1973年活動拠点を東京に移す。1993年ヴェネツィア・ビエンナーレで日本代表として日本館初の個展。2001年朝日賞。2009年文化功労者、「わが永遠の魂」シリーズ制作開始。2011年テート・モダン、ポンピドゥ・センターなど欧米4都市巡回展開始。2012年国内10都市巡回展開始、ルイ・ヴィトンとのコラボレーション・アイテム発売。2013年中南米、アジア巡回展開始。2014年世界で最も人気のあるアーティスト(『アート・ニュースペーパー』紙)。2015年北欧各国での巡回展開始。2016年世界で最も影響力がある100人(『タイム』誌)。2016年文化勲章受章。」と紹介されていました。
この経歴を見ても、やはり、現代美術とは私もほとんど接点がなかったと思いました。
ところが、日本人は非対称性が好きといい、「例えば、茶の湯の席で歪んだ茶碗を愛でたり、美しく完成された茶碗を数奇者が面白みに欠けるとわざわざ割ったりする。そこには「絶対的な」「完全な」自然に対して「人間は不完全である」との思いが反映されている。「完全な」自然に対立するように完全さを目指す西欧的美とは異なり、むしろ自分たち人間の限界を「不完全」な美として表すこと、これこそが大拙の強調する日本の美ということになる。今、現代アートにもその美は受け継がれている。」と書かれていて、鈴木大拙の『前と日本文化』の中の文章を引用しながら、書いています。これを読んで、なるほど、そういう気持ちで現代アートを見ればいいのかと思いました。
下に抜き書きしたのは、「マインドフルネス」という言葉についてです。この言葉がパーリ語からきているとは思ってもいませんでした。
おそらく、よくいわれる「無」になることと、同じ延長線上にあるように感じました。
(2017.1.25)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
現代美術コレクター(講談社現代新書) | 高橋龍太郎 | 講談社 | 2016年10月20日 | 9784062883931 |
☆ Extract passages ☆
マインドフルネスとは、パーリ語のサティという言葉を英訳したもので、日本語では「気づき」にあたる言葉だが、日常的な「気づく」という意味と混同してはならない。「見出すこと」とも言い換えられ、つまり本質に気づくということである。
「マインドレス」という言葉を想像していただくとより分かると思う。何かにとらわれてしまって自分の心が無くなってしまっている状態を「マインドレス」という。
アルコール依存症の人は、アルコールを飲みたいという衝動からはなかなか抜けきれない。「飲みたい、飲みたい」ということ以外、考えられなくなってしまう。そんな極端な場合でなくても、鬱や恨みに対しては、人は自動的な反応を繰り返して、露悪的な症状を繰り返してしまう。あるいは、もう変えることのできない過去のトラウマ(精神的外傷)にとらわれていて、そこから抜けられない人もいるだろう。
それらのとらわれすべては、マインドレスな状態ということになる。そこから距離をとって本来のマインドを取り戻す、何にもとらわれないで、あるがままの豊かな自分の心を受け止めようというのが「マインドフルネス」という言葉である。
(高橋龍太郎 著 『現代美術コレクター』より)
No.1332 『鳩居堂の歳時記』
前回の本とジャンルはまったく違いますが、イラストや写真がとても多いのは、似ているといえばとてもよく似ています。この本も、写真1枚に1ページの文章がついているという感じで、ある程度は鳩居堂が取り扱っている賞品もたくさん掲載されています。
もともと、鳩居堂が監修していますし、しかも出版社は主婦の友社の完全子会社で、同社から発行する雑誌・書籍等の編集製作会社として設立されたそうです。だから、本の編集も、どちらかというと雑誌的な内容で、読みやすいといえばそうかもしれません。
そもそも、ここ鳩居堂は、京都にいたときにはよく行きましたし、たまに東京に出張したときにも、銀座の鳩居堂には寄ります。ところが、最近はいろいろなところに和物文具を扱うお店も増えたことや、どうしても手に入れたいものなどは通販という手もあり、鳩居堂に行かなければという機会も少なくなってきました。
そのときに、この本を見て、あの京都の少し薄暗い和の空間を思い出しました。
この鳩居堂は、1663年に熊谷直実から数えて20代目の熊谷直心が薬種業として創業したのが始まりだそうです。それが今では、香や書道用品だけでなく、「和の専門店」として多彩な賞品を扱っているそうです。それらが、たくさんの写真でこの本でも紹介されています。
たとえば、「土用」についての記述では、右に「訶梨勒」の写真が載り、左のページにはその説明などが載っています。それをここに書き出してみると、「夏の土用の頃は暑さも厳しく、心身ともに体力がいる頃です。鰻だけでなく、土を安定させるとされる水神に関係する「う」の字のついたもの、梅干し、うどん、うりなどを食べたりします。また、この時期に採れるゲンノショウコなどの薬草は、一年で一番効能が高い時期であることから、湯に入れて「丑湯」として入浴するなど、各地にはさまざまな習わしもあります。写真の「訶梨勒」は、室町時代の仏典に登場する、優れた薬効の果実・訶梨勒に似せた飾りです。実を袋に入れて床柱に飾ると、邪気を祓うとされる魔除けでした。吊るされている訶梨勒の糸は五色。これもまた陰陽五行にまつわる色となっています。」とあり、もし訶梨勒がわからなくても、写真を見るとよくわかります。
このような写真と文章が対になったような本は、最近、多いような気がします。それだけビジュアル化が進んでいるのかもしれません。
下に抜き書きしたのは、私自身が好きな言葉、「山笑う」ということについて書いてある部分です。
ここ小野川の冬は厳しく、今年は雪が少ないですが、例年なら2mを越すこともざらにあります。ところが、いくら大雪でも、春になるととけ出して、まさに「山笑う」季節となります。そのときが、一番好きなんです。
(2017.1.22)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
鳩居堂の歳時記 | 広田千悦子 | 主婦の友インフォス | 2016年10月31日 | 9784074021291 |
☆ Extract passages ☆
「山笑う」とは、もともとは中国(北宋)の画家・郭熙(かくき)が、季節ごとに生み出した季語のひとつとされています。夏は「山滴る」、秋は「山装う」、冬は「山眠る」。春夏秋冬、どれも見事な表現です。
明治の頃、文学者であり俳人でもあった正岡子規は、「故郷や/どちらを見ても/山笑ふ」と詠みました。俳句の世界でも、普段からなじみ深い、身近な山々を愛でることばとして遣われています。
(広田千悦子 著 『鳩居堂の歳時記』より)
No.1331 『世界を食べよう! 旅ごはん』
本の題名は『世界を食べよう! 旅ごはん』ですが、英語で書かれていたのが『Travel & Food』で、このほうが読んでみた後では内容にふさわしいような気がします。簡単に言ってしまえば、旅をしてそこで食べたもの、です。
アジアの旅でおいしかったのは1位がベトナムで、2位は香港だったそうで、その1位に並ぶほど満足したのがシンガポールの「ホーカー」という小さなストールが並ぶ屋内屋台街だったそうです。そのところに書かれていたのが、「ごはんがいいと、旅の9割は決まるもの」という台詞で、たしかに食べるものって大事だなあ、と思います。
もともと、この本を選んだきっかけは、表紙のイラストのかわいらしさと、なかにたくさん描かれているイラストのおもしろさ、です。また、少し写真も載っていて、すべてが食べものという明快さも気に入りました。
この本に出てくる国に、行ったこともあれば、まだ行ったことのないのもあり、そうそうと思い出したり、行きたいなあと憧れたり、いろいろの気持ちが混じり合いながら読みました。なかでも、中華料理は少ない人数ではいろいろ食べることはできないので、少なくても5〜6人に行かないと楽しめません。ましてや、ペキンダックなどという高い料理を頼むときには、それなりの人数がいないと個人負担が大変です。
この本のなかで、ビールやワインなどのアルコール飲料の話しもたくさん出てきますが、飲めない人にとってはサーッと読み進め、自分の好きな料理のところはイラストを参照しながら、どのような味なのかな、と想像したりしました。でも、食べものは、やはり食べてみないことにはわからないので、この本を参考にして行ってみたいと思いました。
そのなかでも、「リゾート入門」のインドネシアのバリ島には、著者もあまり興味がなく、友人の結婚式に招待されたので行ったようですが、実は私も昨年といっても先月ですが、グアムに行きました。私もおそらく、間違っても行こうとは思わないところですが、移動もなく、同じ部屋なので荷物をそのままにしておけて、とても楽でした。
そういえば、インドネシアのジャカルタやボゴール、カリマンタンなどに行ったことがありますが、著者と同じように感じたのは、ビュッフェが充実していて、おそらく200種以上の品々が並んでいたように思います。だから、もう、目移りしてしまい、たしかホテル サンティカ ボゴール (Hotel Santika Bogor)でしたが、何泊かしたのにそれでも全部は食べきれませんでした。だから、もし、機会があれば、もう1度行ってみたいと思います。
この本のなかで初めて知ったのですが、フランクフルトにベットレストランがあるそうで、「ベッドレストランだなんて、「どうやってごはん食べんの!?」と思っていたら、マットレスのお座敷といったところ。小さな盆卓といい、日本の懐石料理か居酒屋に感銘を受けたんじゃないかしら。張りめぐらされた薄い絹の布が、ピンクの照明に染められ、心地よいアンビエント音楽が流れています。中央には、レコードを回すDJブース。予約制でみんな同じ時間に同じコースを食べはじめるのだけど、前菜はおごそかにはじまり、メインにいくころにはビートやボーカルが入ってどんどん盛り上がってくる。そしてデザートに向かって、徐々に静かに着地してゆくのです。こんなの、はじめて。料理の出し方や盛りつけにも相当遊び心が散らされていて、食事というよりはエンターテイメントを体感している感じでした。」と書いてありました。
このベットレストランは「Silk」というそうですが、トレンドショップの宿命なのか、すでに閉店してしまったそうです。ちょっと残念です。
下に抜き書きしたのは、はじめて海外旅行に行ったイギリスでの旅ごはんの思い出です。とても食べられなかったそうですが、それでも最初に各ぐらいですから、強烈な思い出になったようです。
そして、私もそうですが、B級のほうが、食べたときの印象が深くなるように思います。
(2017.1.20)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
世界を食べよう! 旅ごはん | 杉浦さやか | 祥伝社 | 2016年10月10日 | 9784396615796 |
☆ Extract passages ☆
たとえ自分の口には合わなくても、それも全部、愛おしい思い出になるのが旅の力。はじめての外国の街のにおい、春の夕方の陽の光、不安げな友達の顔、緊張と興奮。20年以上たった今も微笑ましく、鮮やかに思い浮かべることができます。
それから何度も旅をして、たくさんのおいしいやびっくり、しあわせな旅ごはんを味わってきました。おもに軽食やB級、とかたよってはいるけど、旅の記憶とともに描きとめた味、みなさんにも一緒に楽しんでもらえますように!
(杉浦さやか 著 『世界を食べよう! 旅ごはん』より)
No.1330 『続・サイエンス小話』
この副題も少し長くて、「身近な食物から好奇心を育む本」です。たしかに、サイエンスといわれてもなんとなく漠然としていますが、身近な食物といわれれば、かなり限定されてきて、おそらくは知っている食物が多いのではと思われます。
たしかに読んでみると、毎日食べているものや、お正月などのお目出度いときに食べるものなど、いろいろな食物について4ページにまとめてあります。だから、途中で読むのをやめても、次に読むときには、新しい気分で読むことができます。
これは、忙しい1月には、有り難い本です。
でも、考えてみれば、前回の『ありがたい植物』とつながっていて、知らず知らずのうちに、好奇心のつながりがあるのではないかと思いました。
たとえば、サトイモについては同じような話しが載っていますが、こちらの本では、農学博士で応用微生物学の研究者らしく、「里芋は、約84%が水分で、炭水化物含量は約13%です。100gあたり58Kcalで、同量のサツマイモの約半分程度ですから、とても低カロリーといえます。独特のぬめりとねっとりした食感が特徴的です。また、皮を剥くときは、ヌルヌルするので注意が必要で、指先がチクチタしたり軽くなったりすることもあります。ぬめりの主成分はムチンで、里芋の他、オクラ、ヤマノイモ、モロヘイヤ、ナメコなどヌルヌルした食物全般に含まれている物質です。」と、その説明にも違いが見られ、とても興味深く思いました。
また、この本で初めて知ったのに、マヨネーズの話しが載っていましたが、「市販のマヨネーズには、卵の黄身だけを使う卵黄型(ヨーロッパ型)と黄身も自身も使う全卵型(アメリカ型)の2つのタイプがあります。一般に、卵黄型は味が濃厚で、全卵型はあっさりしていて、旨みが強いといわれています。キューピーマヨネーズは、卵黄型の代表、味の素のピュアセレクトマヨネーズは、全卵型の代表です。…… ちなみに、マヨネーズ発祥の地は、スペインのミノルカ島といわれています。そこで、オリーブオイルと卵とレモン汁を使ったソースがつくられ、港町マオンの名にちなみ「マオネーズ」と名付けられたとのこと。その後、このマオネーズが、マヨネーズになったとの説があります。」と書かれていました。
下に抜き書きしたのは、チョコレートの原料であるカカオについてです。先月12月にグアムに行ったのですが、お土産屋さんのほとんどが置いていたのは、ゴディバ(GODIVA)のチョコでした。
このブランドを知らない人はいないでしょうが、昨年のチョコ通が選ぶ高級チョコブランド・トップテンの第一位を獲得したのもこのゴディバでした。
それで、このチョコをお土産に買ってきたのですが、このような固形のチョコの歴史は意外と新しいのにビックリしました。でも、なぜグアムとこのゴディバのチョコが結びつくのか、未だにわかりません。
(2017.1.18)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
続・サイエンス小話 | 中西載慶 | 東京農大出版会 | 2016年10月27日 | 9784886944627 |
☆ Extract passages ☆
チョコレートの原料であるカカオは、アオギリ科の木本植物で、学名をテオブロマ・カカオ(Theobroma cacao)といいます。テオブロマとはギリシャ語で「神の食べ物」という意味とのことで、植物学者のリンネが命名したといわれています。カカオの原産地は中南米と考えられ、メキシコでは、紀元前から、カカオ豆を妙ってすり潰したものに、蜂蜜を加えて飲んでいたといいます。また、貴重品として珍重され、貨幣としての価値ももっていたと伝えられています。16世紀ごろ、メキシコに遠征したスペイン人により、疲労回復や滋養強壮に効果のある苦い水として紹介され、ヨーロッパ全体に広まりました。長い間、飲み物あるいは薬として利用されていたようですが、19世紀に入り、飲み物としてのココアと固形のチョコレートが生まれ、現在に至っています。
(中西載慶 著 『続・サイエンス小話』より)
No.1329 『ありがたい植物』
副題が少し長くて、「日本人の健康を支える野菜・果物・マメの不思議な力」です。これを読めば、なんとなく内容がつかめますが、本の題名だけでは、なにがありがたいのかわからないような気がします。
もちろん、植物の力は偉大なもので、とてもありがたい存在ですが、ありがたい植物というと、なんとなく縁起のよい植物と思えなくもありません。たとえば、キチジョウソウとか四つ葉のクローバーとか、いろいろあります。でも、読んでみると、そうではなく、植物そのものが人間にとってたいへんありがたい存在だということがわかります。
しかし、題名から考えさせるというのも企画者の手腕かもしれないと思うと、それもありかと思いました。だって、この前に読んだ本の題名が『植物のあっぱれな生き方』ですから、流れ的には同じではないかと思います。
さて、日本人の長生きに寄与していて野菜や果物、そして和食にとって必要な根菜や葉菜やイモ類など、さらには発芽野菜、そしてこれら和食のパワーを助ける果物たち、そして最後に日本人がよく食べる野菜などについて書いています。
それにしても、この時期はよくミカンを食べますが、アメリカなどではテレビを見ながら簡単に食べられることから「TVフルーツ」といわれているのだそうです。でも、人気ランキングでは、2位だそうで、一位はイチゴです。ちなみに三位はモモ、四位はナシ、五位はリンゴ、六位はブドウと続きます。ちょっとわからなかったのは、リンゴの日が11月5日だということです。これもやはり語呂合せで、「いい(11)リンゴ(5)」だといいますが、いいはいいとして、5がなぜリンゴになるのかと考えましたが、この本には、5日は、05日で、0はその形から「輪」と考えられ、「リン」と読ませるのだそうです。つまり、05で「リンゴ」というわけです。
でも、バナナの日はすごくわかりやすく、8月7日、つまりバ(8)ナナ(7)です。なんか、日本は「○○の日」をつくるのが好きなようで、これら果物にもそれぞれに日が決まっているそうです。
そういえば、イチゴの「あまおう」ですが、これは2001年に福岡県で生まれ、2005年に品種登録されたのですが、この名前は、「あ」は赤いの「あ」、「ま」は丸いの「ま」、「お」は大きいの「お」、「う」はうまいの「う」だそうです。つまり、「赤い、丸い、大きい、うまい」の頭文字を並べたものだそうです。
この本で初めて知ったのに「冬至の七草」というのがあり、それはレンコン、ナンキン、ニンジン、ギンナン、キンカン、カンテン、ウンドンの7つです。ナンキンはカボチャのこと、そしてウンドンはウドンのことだそうで、これらにはすべて、「○ン○ン」がつきます。2回も「ン」がつくので、「運がつく食材」といわれ、縁起の良い野菜ともいわれるそうです。
だから、ありがたいというのかもしれませんが、ここらでは、冬至に小豆カボチャを食べると中風にならないといいますから、流れ的には同じなのかもしれません。
下に抜き書きしたのは、果物はなぜきれいな色をしているかという疑問に答えているところです。本当のことは、果物に聞いてみたいような気もしますが、これでも納得しました。
だから、熱帯の果物たちは、色鮮やかだったんですね。
(2017.1.15)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
ありがたい植物(幻冬舎新書) | 田中 修 | 幻冬舎 | 2016年11月30日 | 9784344984424 |
☆ Extract passages ☆
この理由の1つは、動物に「もうおいしくなりましたよ」とアピールして食べてもらうためです。動物に食べてもらったら、そのときに種子がまき散らされます。あるいは、動物が種子ごと飲み込んでくれたら、糞としてどこかで出されます。
そうすると、植物は動きまわることなく新しい生育地に移動することができます。あるいは、生育する地域を広げることができます。ですから、種子が完熟すれば、動物に食べてもらうというのは、植物にとって、1つの大きな理由なのです。
もう1つの理由は、果実の中の種子を紫外線から最後まで守るためです。すなわち、完熟するまで、種子を紫外線から守るのです。ですから、ナスやトマトの実は、強い太陽の光に当たると、ますます濃いきれいな色になります。紫外線が多いという逆境の中で、いろいろな種類の果実がきれいに色づいていくという意義は、植物が子孫を守ることなのです。
(田中 修 著 『ありがたい植物』より)
No.1328 『花の男 シーボルト』
この本はだいぶ前に購入していたのですが、なかなか読むきっかけがなく、たまたま昨年の9月に上野の国立科学博物館で企画展「日本の自然を世界に開いたシーボルト」(2016年9月13日〜12月4日)と、両国にある江戸東京博物館で開かれていた「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」(2016年9月13日〜11月6日)を観るために上京したときに、新幹線の中で読み始めました。
どちらもおもしろかったのですが、とくに科博のシーボルトは、11月に上京した折りにも見ることができました。
でも、この本は、そのときも持参したのですが、つい、東京で手に入れた本を読んでしまい、そのままになっていました。そこで年明けにまた思い出し、最後まで読んだのです。
けっこう、このように断片的に読むことがあり、それでも、少し読み返すだけで思い出すので、本を読むことの良さを感じたりします。本葉、思い出のよすがにもなります。
この本ですが、ヨーロッパの植生は意外と単純だと聞きますが、その理由があまりよくわからなかったのですが、ここに「地球には寒暖の周期がある。最終氷期が去ったのが今から1万年はど前であった。私たちは今その後の温暖期(後氷期)に生きている。寒冷化が進むと、氷河が発達し、極地方だけではなく南方の温帯圏へと広がっていった。氷河の拡大と南下にともない、植物は分布域をより温暖な地域に移動し避難した。だが、ヨーロッパでは最後に高い衝立のように立ちはだかるアルプス山脈に前進を阻まれてしまい、最終間氷期に栄えた植物は最終氷期に絶滅を余儀なくされたのである。」と書いてあり、なるほどと思いました。
また、シーボルトは特別な使命を帯びて日本にやって来たとのではないかというところで、「余談だが、私自身もヒマラヤを中心とした地域で、植物を中心に据えた学術調査に携わってきた経験を持つ。調査によって収集した植物標本や生きた植物、種子などを研究目的で日本に持ち帰るわけだが、今日でもこの種の収集品の持ち出しには、相手国側の政策や国の方針ばかりでなく、その時々の政府の担当官の判断で異なった対処をせまられたものである。学術調査に収集は不可欠なことであり、調査や研究が必要とする欲求は、それが禁制品だからという理由だけで抑えられるものではない。私自身もこうした葛藤としばしば闘った苦い経験をもつ。」と書いていますが、このことについては私自身もこのような思いをしたことが何度もあります。
たしかに、それらはその国のものですが、植物を研究するためには、生の植物が必要だということもあり、タネもダメといわれれば、ただ見て帰ってくるだけです。それでは、ほとんどその後の成果はないと同じです。いくら写真を撮って来たとしても、写真ではわからないこともあります。
特に植物の場合は、育ててみて初めてわかることも多いと思います。だから、植物愛好者は、植物を見るだけでなく育ててみたいのではないかと思うのです。
下に抜き書きしたのは、シーボルトが日本から持ち出した生の植物の種類です。おそらく、このようにたくさんの植物がヨーロッパにもたらされたのは始めてで、とくにテッポウユリは大きなインパクトを与えたようです。
この本の後のところに、この球根は同じ重さの銀と取引されたと言い伝えられていると書かれているので、相当な値打ちがあったのではないかと思います。
(2017.1.12)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
花の男 シーボルト(文春新書) | 大場秀章 | 文藝春秋 | 2001年12月20日 | 9784166602155 |
☆ Extract passages ☆
シーボルトは帰国に際して、出島の植物園に集め、植えていた、膨大な生きた植物のコレクションをオランダの船ハウトマン号に積載した。が、すでに述べたように、シーボルト事件のために、彼自身はこれに乗船することができなかった。
これらのコレクションの中には、後にバミューダリリーと呼ばれ、園芸界に華々しいデビューを飾るテッポウユリの鱗茎、さらにイカリソウ類やギボウシ類の根茎などがあった。幸いにもハウトマン号は無事に航海を終え、これに載せた植物137種類が1829年7月ライデン植物園に到着した。しかし、57種類は枯れ、1844年まで生き残っていたのはわずか40種類足らずだったが、それでも生き残った植物だけでヨーロッパの人々を驚かすに十分なインパクトがあった。シーボルトが1844年に公表した、日本などアジアから導入した植物名リストに、このときに移入された植物に『1829. VS. HL.』という略号が与えられていたため、それがどんな植物であったかが判るのである。
(大場秀章 著 『花の男 シーボルト』より)
No.1327 『パブロフの犬』
この本はとてもおもしろく、時間を見つけては読んでいたので、2日ほどで読み切りました。副題は「実験でたどる心理学の実験」で、別な本で読んだ実験内容もいくつかありました。
この本の題名の「パブロフの犬」はあまりにも有名な実験ですが、簡単にいってしまえば、1890年代後半から1900年代前半にかけてロシアの生理学者イワン・パプロフが行った実験で、犬を対象として選び、条件づけによって、自然のままでは反応しない刺激に対する反応を引き出せるとしたものです。
この本の中で一番興味を持ったのは、トルコ生まれの社会心理学社ムザファー・シェリフの実験です。ちょっと長いですが、要約してみると、次のようになります。
先ず白人の中流家庭の12才の少年、しかも今まであったことのない22人にサマーキャンプに招き、11人の2つのグループに分けます。
そして第1週にはグループの接触はなく、それぞれに水泳やハイキング、あるいは野球の練習をしてグループ独自の文化を育てました。一方のグループは自らを「イーグルス」と呼び、もう一方は「ラットラーズ」と名乗り、グループ名をTシャツと旗にステンシルで記しました。
次に研究者たちは数日にわたり、2つのグループに野球、綱引き、タッチ・フットボール、テント張り競争、宝探し競争などで競わせ、勝ったグループにはトロフィー、個人にはメダルとブレードが4枚あるツールナイフが与えられ、敗者には何も与えられませんでした。テント張り競争までは互角でしたが、宝探し競争では、研究者がイーグルスが勝つように不正な操作をしたので、イーグルスのメンバーは勝ち、勝利に歓喜し、一方のラットラーズのメンバーは落胆し、黙って地面に座っていたそうです。
その後、ピクニックが実施されたときに、途中で遅れたグループが到着したときには、先のグループが用意されていた食事をすべて平らげてしまいました。
ますますグループ間の不和が増大し、嘲ったり、相手の旗を燃やしたり、相手の小屋を荒らして窃盗すら行ったそうです。どちらのグループも興奮してしまい、研究者が強制的に両グループを引き離さなければならなかったそうです。
そして、2日経っても、落ち着きは取り戻したそうですが、溝は埋まらなかったといいます。
そこで、研究者は、キャンプ地の丘の上にある給水設備のパイプに麻布を詰め、強制的に停止させ、これを修理するためにはおよそ25人が必要だとアナウンスし、両グループの志願者がいっしょに丘に上り、すでに喉が渇いていたこともあり、協力して水道パイプにつまっていた麻布を取り除きました。
そして、少年たちには映画を観てもよいけれど、待ちから映画フィルムを取り寄せるのに15ドルかかるけど、研究者が補助するのは5ドルだけだと話します。そのことについて、活発な話し合いが行われ、投票で両グループが差額を自己負担することに決定し、全員で映画を楽しんだそうです。
さらに、両グループをトラックでシダー湖に連れて行ったとき、トラックが立ち往生してしまいます。復旧に力を貸してほしいと言われ、両グループは共同でトラックを引っ張り出します。この作業のあとで、2つのグループの間で、日替わりで全員のための食事をつくるという取り決めがなされました。
最終日には全員が同じバスで家路につき、途中の休憩場所では、一方のグループが手にしていた賞金5ドルを提供し、全員のための飲み物を購入するまでになっていたそうです。
そして、オクラホマシティに近づくと、バスの前方に座っていた両グループのリーダー格の少年たちが「オクラホマ」を歌い出し、他の少年たちも前の方に座席を詰めたり、立ったりして、合唱に加わったそうです。そして、とくに仲良くなった相手との再会を約束する少年も多く、連絡先を交換しあった少年も何人かいたといいます。
この実験についてシェリフは、「ほぼ同規模のグループ構成にしたため、個人レベルでの差異がグループ間対立の原因にはなっていないと考えています。少年たちが賞品をめぐって競争することになると、敵意と攻撃的態度が見られるようになりました。どちらか一方のグループのみが手にできるリソース(資源)をめぐっての競争だったからです。」と結論づけています。
この実験は、1961年頃のものですが、今の時代もほとんど変わっていません。資源獲得をめぐって、国と国が争い、個人と個人が争い、なかなか平和的に解決する方向には行っていないようです。ただ、この実験から見えてくるのは、協力してことに当たれば、仲良くなれるということです。
このほかにも、たくさんの興味ある実験が載っていますから、興味のある方はお読みください。多くのヒントが得られると思います。
下に抜き書きしたのは、進化論で有名なチャールズ・ダーウィンの家族とのふれ合いと研究についての協力です。
あの、写真で見る限り、とても家族といっしょにいるときの雰囲気はないのですが、こういう話しを聞くと、やはりほのぼのとしたものを感じます。
(2017.1.10)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
パブロフの犬 | アダム・ハート=ディヴィス 著、山崎正浩 訳 | 創元社 | 2016年11月20日 | 9784422116273 |
☆ Extract passages ☆
チャールズ・ダーウィンは家庭的で、子どもたちと庭に出るのが好きでした。子どもたちを助手として協力させることもあり、花壇に沿って子どもたちを整列させ、笛を合図にどの種類の花蜂(ミツバチやマルハナバチなど)がどの種類の花に止まっているかを記録させることもありました。このような独創的な方法で、ダーウィンは短時間のうちに膨大なデータを集めることができたのです。
ミミズの研究でも子どもたちの協力を得ています。植木鉢の中に多数のミミズを入れ、子どもたちにミミズを刺激するよう指示しました。ミミズに光を当てましたが、目を持たないミミズは何の反応も示しません。光を強くし、しかもミミズの先端部に当てるとようやく反応したのです。
子どもたちは笛を吹き、ミミズを怒鳴りつけ、ファゴットとピアノを演奏しましたがミミズはまったく反応しません。しかしミミズをピアノの上に直接置いてから鍵盤を押して音を出すと、すぐに反応したのです。ミミズは音は聞こえなくても、楽器の振動を感じることはできると思われました。
(アダム・ハート=ディヴィス 著 『パブロフの犬』より)
No.1326 『文具に恋して。』
正月もこの時期になると一段落するので、この本を手にしたら、あっという間に読んでしまいました。
私もどちらかというと文房具が大好きで、今でも普通に万年筆を使っていますが、その数も半端でないほど持っています。でも、高額なものではなく、あくまでも使うための万年筆ですから、傷が付いてもペン先がすり減ってももったいなくないものばかりです。
インクは、カートリッジだとすぐになくなるので、ボトルインクを使っています。最近の好みは、セーラーのナノインク「極黒」です。それを重ねておいて、いつまで持つかなあ、と考えながら使っています。
そういえば、この万年筆のインクの色ですが、日本では黒が多いようですが、外国に行くとブルーブラックが多いような気がします。だから、外国製の万年筆を買うと、ほとんどがこの色のカートリッジが付いてくるようです。でも、私の場合はコンバーターでボトルインクを使うので、このいらなくなったブルーブラックのカートリッジばかりが残っています。そういえば、今は「極黒」を使っていますが、以前は万年筆はシェーファーで、インクは「JET BLACK」でした。それしか、使いませんでした。でも、年とともに、ペン先がやわらかいほうが良くなり、今はパイロットのJUSTUS95を使い、その日の調子に合わせて、ペン先の柔らかさを調整しています。
もう、文房具のことになると、話しは尽きません。つまり、やはり、文房具が好きだということなんでしょう。
この本でもノートの話しが出てきますが、このノートのストックも相当あります。以前、気に入って使っていたノートが廃版でなくなり、手に入らなくなったことがありました。それで、気に入ると、たくさん買い込んでしまいます。そういえば、イギリスに行ったときも、自分のものは、本とノートだけでした。しかも、このノートは、ハロッズの文具売り場で、何時間も粘って選んだものです。
著者は、文房具を感性で選ぶとして、「文房具の感性面を気にかけていると、人と話す機会が増えるんですよ。と同時に、文房具の感性面はそれ自体がひとつの楽しみでもあります。子供のころの私が鉛筆の音を楽しんでいたように、文房具は、見たり触わったり喚いだりして楽しむことができるんです。だから、私の楽しみかたは誰とでも共有できるはずです。文房具って、機能以前にまず、気持ちよくて美しいものなんです。機能は説明しなければ伝わりませんが、感性は言葉を必要とはしません。だまっていても人と繋がれる。」と書いています。
でも、私の場合は文房具は使いやすいものが一番で、さらに見て楽しければさらにいいと思っています。さらに、たとえばボールペンだって、複写の場合は細字のもの、サインするなら太字のもの、濡れるかもしれないと思えば油性のもの、などと使い分けています。
最近こっているのは、アートペンです。いわゆるカリグラフィーで使うようなペンで、おもしろい字が描けます。これもその太さで字が変わるので、いくつか持っています。
下に抜き書きしたのは、文房具を選ぶときの色についてです。ここでは、おじさんなら黒をおすすめするといってますが、その基本はほとんどの方に似合う色だからだそうです。
ここでは、おじさんは格好いいと書いていますが、なんとなくリップサービスのような気がします。
(2017.1.8)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
文具に恋して。 | 管 未里 | 洋泉社 | 2016年10月7日 | 9784800310347 |
☆ Extract passages ☆
私は、歳を重ねた男性は格好よさの「加点」を狙うよりも「減点」を減らしていくスタイルのほうがいいと思うんです。おじさまは無理に格好つけずとも、ここまで人生経験を積んできたという事実だけで十分に格好いいではないですか。
したがって後は、減点、つまりお腹が出ているとかズボンがヨレヨレだとかの「格好悪い要素」を極力なくすだけです。その意味でおじさまは、若者よりもより格好よさに近い存在と思うのですが、いかがでしょうか。……
加点がハマればよいのですが、万が一外してしまった際には、せっかく積み重ねてきた年齢の魅力が台無しになつてしまうリスクがあります。
(管 未里 著 『文具に恋して。』より)
No.1325 『タタタタ旅の素』
この本を読み始めたのは、去年の、といっても先月12月なのですが、旅に出たときに持っていき、その途中で読み終わらなかったので、この正月に持ち越したというわけです。でも、お正月も忙しかったので、とうとう今日までになってしまったというわけです。
もともと、だいぶ前に古本屋で買ったもので、いつか旅に出るときにでも持っていこうと思っていたのです。
旅というと、やはり、お土産も気にかかりますが、私はほとんど買わないのですが、著者も気持ち的にはそのようで、「いったい何のために旅へ出たんだ。日常のしがらみから解放されて、慌ただしさやイライラをしばし忘れようと思ったのではなかったのか。他人への義理を果たすため、あくせくしなきゃならないのはおかしい。やめましょ、やめましょ。全部部忘れて、楽しいことだけして帰りましょ。「おみやげは?」と聞かれて、「ない」と答え続けていれば、人は慣れるはずである。コイツにおみやげを期待するのはやめようとあきらめる。あきらめさせるだけでは申し訳ないので、私も他人に期待しない。「来週からハワイへ行くの。おみやげ買ってくるからね」そう言われると即座に、「おみやげなんか買わなくてよろしい。おみやげバナシだけでじゅうぶん。余計なことに時間を使わないで、せいぜい楽しんでいらっしゃい!」と、おおらかバアチャンのように送り出すことにしている。」といいます。
でも、さすが佐和子さん、いらないと言っても買っきてくれたら、断るのも失礼だからとしぶしぶながらも受け取るそうです。しかも、おみやげというのはもらうとうれしいものだそうです。
私なら、自分が気に入って買うのならわかるが、他人からのお土産でこれはいいと思うものは少ないようです。それでも食べてなくなるものならいいのですが、飾るモノならほとんどありません。だから、人にも買わないし、もらわないようにしています。
著者は、「基本的に私は、旅には深刻すぎない程度のトラブルが不可欠だと思っている。トラブルの一切ない旅は、安心ではあるけれど、あとの印象が薄くなる。ああ、あの旅行はほんとうにきつかった、エライ目に遭ったと語れるものほど、思い出深いのだ。」と書いていますが、これはその通りだと思います。
私も、美味しかったとか、いい天気に恵まれたときの旅より、台風で予定が変更になったとか、飛行機のトラブルで行けなかったとかのほうが、より鮮明に覚えていて、いつの間にか楽しい思い出深い旅に変わっていることもあります。やはり、トラベルとトラブルには相関関係がありそうです。
下に抜き書きしたのは、いろいろな国の匂いについて書いてあるところです。もちろん、これらの国には行ったことがないけど、インドやネパールに行ったときに、飛行場から一歩外に出ると、不思議ななんともいえない匂いが押し寄せてきます。これは実感です。
(2017.1.7)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
タタタタ旅の素(文春文庫) | 阿川佐和子 | 文藝春秋 | 2002年7月10日 | 9784167435127 |
☆ Extract passages ☆
空気が違う。どこからともなく、馴染みのない匂いが漂ってくる。その瞬間が好きである。ああ、見知らぬ土地へ来たんだなあという感慨がふつふつと湧いてくるというものだ。
たとえば私にとって初めての外国だったハワイの空港に降り立ったときは、ムワッとなま暖かい風とともに、甘い花の香りがした。そのうれしかったことといったら「ウヒョー」と飛び上がりたいくらいであったのをはっきり覚えている。
仕事で行ったエチオピアの空港は、それまで嗅いだことのないピリッと鋭い香辛料の匂いがした。バンコクやクアラルンプールは、エチオピアとはまた違う香辛料だかニンニクだか、食欲をそそる不思議な匂いが、湿った空気の間からときどき強烈に漂って鼻の先を刺激した。
ニューヨークは何度訪れても都会の匂いがする。でも東京とはぜんぜん違う匂いだ。乾燥した空気となめした革と排気ガスと甘い香水の混ざったような、緊張感に満ちた大人の匂いである。
そしてパリは、葉巻とタバコと強い香水とさまざまな体臭と妖しいエスニックな匂いが混ざり合っている。
(阿川佐和子 著 『タタタタ旅の素』より)
No.1324 『温泉はなぜ体にいいのか』
新年明けまして、おめでとうございます。
今年もこの『本のたび』をよろしくお願いいたします。
なんとなく続けていますが、それでも回数を重ね、今回で No.1324 となりました。まさに「塵も積もれば山となる」です。
この本は、いつも小野川温泉に入りながら、なぜ温泉はいいのかとか、この温泉という言葉はいつ頃から使われているのか、などということを知らなかったので、たまたま図書館にあったこともあり、借りてきて読み始めました。ただ、お正月なので、時間を見つけては読み続けましたが、もともとは『旅行読売』に7年半連載した「日本温泉物語」に大幅な加筆や訂正し、さらには新たに書き下ろしたものなどを加えて再編集したものだそうで、細切れに読んでも理解できました。
この寒い時期はとくに温泉は有り難いものなので、その思いを新たにしました。とてもおもしろかったです。
たとえば、この温泉という言葉は、平安末の『色葉字類抄』巻上に「温泉」の用例が出ていて、「イデユ」とカタカナがふられているそうです。そして、だいぶ時代が下がって松尾芭蕉の『おくの細道』には、「をんせん」と読むべき4ヶ所の温泉が出てくるといいます。
しかし、温泉の言葉が一般的に使われるようになったのは、江戸時代の後期で、「『江戸名所図会』(天保5〜7〔1834〜36〕年)には、42か所の温泉、また八隅盧菴の有名な『旅行用心集』(文化7〔1810〕年)には292か所の温泉が出てくる。この頃にはもう、「温泉」を「ゆ」ではなく「をんせん」と読む習わしが定着していたと思われる。……アメリカ人ヘボンが編集した『和英語林集成』(慶応3〔1867〕年)……「ON-SEN ヲンセン、温泉、n.A hotspring/Syn.IDE-YU」……このヘボンの辞書から、江戸後期には「温泉」が広く日本人の日常語になっていたことが推測できる。また、幕末から明治には、「をんせん」と今日の「おんせん」の発音の区別はなくなり、「温泉(おんせん)」が日常語化していったものと思われる。」と、詳しく説明されていました。
つまり、温泉という言葉の歴史は比較的新しく、それまでは、ただ単に「ゆ」と言っていたそうで、古い書物には「由」という漢字を当てていたそうです。また、あの有名な温泉のマークは、一番古いといわれているのが群馬県安中市の磯部温泉で、温泉会館横の公園に「日本最古の温泉記号」という記念碑が建っているそうです。
やはり、いろいろなものに、そのルーツがあるというわけです。
また、おもしろいと思ったのは、温室経ともいうべきものがあり、正式には『仏説温室洗浴衆僧経』というそうで、8世紀に日本に渡来したそうです。これは沐浴を説いたもので、具体的には「燃火、浄水、燥豆など、入浴に必要な七物をととのえれば、七病を除き七福が得られるという。以来、温室洗湯は寺院の大切な事業となり、競うように湯屋が建設された。現存する奈良の東大寺の大湯屋などはその代表的なもので、庶民にも入浴させたのである。いわゆる「施浴」である。」と書かれていました。
このようなお経があるとは思ってもみませんでしたが、お寺と湯屋とのつながりは深く、歴史もあるとはわかっていました。でも、これでつながります。
下に抜き書きしたのは、小野川温泉のことについて書いてあったところです。
そして、そこに温泉になぜ美肌効果があるのかということについても触れています。ぜひお読みいただき、小野川温泉の入浴に来てみてください。
(2017.1.4)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
温泉はなぜ体にいいのか | 松田忠徳 | 平凡社 | 2016年11月25日 | 9784582836516 |
☆ Extract passages ☆
小野川のように硫化水素を含んだ温泉は、科学的にも美人の湯といっていいだろう。皮膚の古い角質層を除くうえ、殺菌作用がある。しかも角質層に含まれるメラニン色素を溶かし、同時に紫外線から肌を保護する働きもあるから美肌効果が高い。……
温泉にはスキンケアの基本である「洗浄作用」「保湿作用」「活性作用」がある。なかでも美肌効果が高いのは弱アルカリ性の温泉。ただし、高温だと皮脂が洗われ過ぎて乾燥す
るので、ぬるめの湯を選ぶのがポイントだ。
(松田忠徳 著 『温泉はなぜ体にいいのか』より)
◎紹介したい本やおもしろかった本の感想をコラムに掲載します!
(匿名やペンネームご希望の場合は、その旨をお知らせください。また、お知らせいただいた個人情報は、ここ以外には使用いたしません。)
タイトル画面へ戻る