★本のたび 2011★
若いころから読書カードを作っていましたが、近年、読書離れが続いているということを聞き、こんなにも楽しいことからなぜ離れてしまうのかと思い、この掲載をはじめました。
でも、自分が読んだ本について語るということは、自分の本棚を他人に見せるようなものですし、もう少し踏み込んで言うと、自分の心のうちをさらけ出すようなものです。それは、とても恥ずかしいかぎりです。
でも、活字離れが進む今だからこそ、本を読む楽しさ、本と遊ぶおもしろさをなんとか伝えたいと思うようになりました。
2014年9月30日に1,000冊を超えましたが、これからも本とたびを続けて行きますので、ときどきはのぞいてみてください。
ここが、本のワンダーランドになれば、本望です。
No.662 『昔話にまなぶ環境』
この本が今年最後に読むのになるのかなあ、と思いながら知っている昔話などをつい考えてしまいました。もちろん、昔話は昔の話しですから、まだ環境とか自然とかをしっかり考えているわけではなく、これらが壊れたり失われつつあるからこそ考えはじめたわけで、昔はそのありのままの自然を当たり前のように感じていたわけです。
その当たり前のどこかに、今の価値観と違うものがありそうです。たとえば、先月にブータン国王ご夫妻が国賓として来日されましたが、そのブータンでは、国民の97%が「幸せだ!」と答えるそうです。では、その幸せは日本人が考える幸せと同じか、というとそれは違います。価値観が違うからです。何を幸せと思うか、それが当然のことながら違います。ただ、幸せと答えられることがすごいことで、今の日本人はあまりにもいろいろなことや情報があり、何が幸せかさえもわからないというのが現状ではないかと思います。
この自然や環境というものだって、同じことです。その違いを昔話から見つけようというのが、この本の狙いではないかと勝手に思いながら読みました。
しかし、自然環境から考えれば、おそらく昔のほうが今以上に過酷で厳しいものでした。今は、それなりに科学技術が発達し、自然の厳しさを和らげるさまざまな方法がありますが、昔は、ある意味、ただそれに耐えるしかなかったわけです。冷害の年は米もほとんどとれなかったでしょうが、今は冷害に強い品種や栽培管理の技術の向上などで平年作を少しだけ減少する程度です。さらに、不作であれば、海外から輸入だってできるわけで、昔ほどの深刻さはないようです。
でも、昔の人は、その厳しさにじっと耐えて生きていたわけです。ですから、その昔話には因果応報型の厳しいものもありますが、明るくおおらかで優しさに満ちた昔話もあるわけです。あるいは、アイルランドの妖精伝説のように、現実とは違った規範を持つ妖精の世界を描くことによって、しがらみから解放されたり、別の角度から自分を見つめたりしたのかもしれません。
いずれにしても、昔話や民話には四季折々の自然の風景や厳しさや、あるいは魑魅魍魎とした不可思議な世界や、それでも必死で生きようとする人々が生き生きと描かれています。まさにあるがままの自然環境のなかで、生かされていたのです。
あるいはまた、自然というのは単調な繰り返しみたいな面もあります。それを昔話では、「きりなし話」というそうですが、その1つ、「橡の実」というのを下に抜き書きしました。
読んでみると、たまには昔話もいいものだと思いました。ぜひ機会があれば、お読みください。
(2011.12.30)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
昔話にまなぶ環境 | 石井正己 編 | 三弥井書店 | 2011年9月1日 | 9784838232123 |
☆ Extract passages ☆
ある所の谷川の川端に、大きな橡の木が一本あったジも、その橡の木さ実がうんと鈴なりになったジもなア、その樹さ、ボファと風が吹いて来たジもなア、すると橡の実が一ツ、ポタンと川さ落ちて、ツブンと沈んで、ツポリととんむくれ(回転)て、ツンプコ、カンプコと川下の方さ流れて行ったとさ・・・・・・。
大きな橡の木になったたくさんの実が風に吹かれて川面に落ち、一旦沈んで回転し、川下に流れてゆく、そういう様子を語り続けるのです。そうすると、聞いている子どもは「もういい」と言うので、語り手が昔話を終えるような便利な話です(笑い)。意味のない話とも思われますが、橡の実が落ちては流れてゆくという際限のない様子ですから、ここには永遠の生命の営みがよく表れているように思います。
(石井正己 編 『昔話にまなぶ環境』より)
No.661 『正倉院 あぜくら通信』
著者は現在、宮内庁正倉院事務所長をしておられ、この本の副題も「宝物と向き合う日々」とあり、いかにも好きでこの道に入られたようです。また文章の端々にもそれが感じられます。
でも、ここは好きな人にはたまらない場所で、毎年秋に開催される「正倉院展」を楽しみにしている方も多いと思います。私は、秋というと仕事が忙しく、まだ一度も見たことがないのですが、大阪にお住まいの方が毎年の「正倉院展」の図録を送ってくれるので、それで楽しむことにしています。
でも、あの膨大な正倉院御物からどのようにしてその年々の展示品を選ぶのか疑問だったのですが、この本に「今年に限ったことではないが、正倉院展の出陳品は誰が決める?という問題は、多くの方々の関心をそそるらしい。正解は正倉院事務所が選んで奈良博に提示する、という話題になると、では、どうやって決めるのか、という質問が必ずといってよいほど続けて出る。所内では、保存課の各担当者が原案を作り、関係者全員で足したり引いたりしながら決める、というプロセスがある。総量も、開封中という全体の持ち時間の中で、おのずと制約が生まれる。あるいは正倉院宝物の全容をうかがえるようにバランスよく、特定の優品に負担が集中しないように出陳の間隔を十年以上あける、という慣例もひとつの目安としてある。・・・・・・ただ、考えてみると・・・・・・。出陳品を献立に喩えてみるのは、面白いかもしれない。すなわち、その年その年の「旬」の素材を、ということを選定にあたって意識しているのは確かだからである。」と書かれていて、なるほどと思いました。
もともと、これらの文章は、淡交社発行の月刊『なごみ』に連載されたもので、2010年4月号から2011年6月号だそうで、それらに加筆し、さらに写真を加えたものだそうです。私もときどき『なごみ』を読みますが、裏千家の機関誌的な役割のようですが、それ以外にもいろいろと伝統文化の記事も多く、楽しませてもらっています。
この本もそうで、正倉院という閉ざされた施設の中でどのような作業が繰り広げられているのかは、やはり興味があります。それをいわば学級通信のような形で書き進めているので、とてもわかりやすく、知らなかったことも多々あります。
この本の最後の文章を下に抜き書きしましたが、古文化財と向き合う人の感覚が少しでも理解できるのではないかと思います。
この本を読んで、今まで送っていただいた「正倉院展図録」をもう一度見てみると、なんだか正倉院というものが身近に感じられるようになってきたかもしれません。またお正月にでも、時間があれば図録をもう一度ゆっくりと眺めてみたいと思いました。
(2011.12.27)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
正倉院 あぜくら通信 | 杉本一樹 | 淡交社 | 2011年9月29日 | 9784473037602 |
☆ Extract passages ☆
百年ほどの目盛りで、状況を考える。世間の常識とは、ずれているかもしれない。しかし、古文化財と向かい合う方とは共有できる感覚だと思う。今年から始まる正倉の修理についても、専門分野の有識者の会議で、「せっかく大正時代(大正二年、百年前である)の修理の後で落ち着いてきたところだから」、定期メンテナンスとしての瓦の葺き替えのほかは、前回までの修理の足らざる部分を補強すればよい、という趣旨の言葉を耳にすると、そういう思いをあらためて深くする。
(杉本一樹 著 『正倉院 あぜくら通信』より)
No.660 『決断できない日本』
著者は今年の4月までアメリカ国務省にいて、主にアメリカと日本の架け橋になって活躍しましたが、ある事件でいわば更迭されてしまったのです。しかし、現在はコンサルティング会社上級顧問だそうで、野に下ったからこそ言えることもあり、とても興味深く読みました、やはり、対日政策30年のキャリアを持つ元外交官だからこそ知りえることがたくさん書かれてあり、本質を突いているような気がします。
たしかに今の政治を見ていると、歯がゆい感じがするのは私だけではないように思います。ちょっとしたことを、まさに鬼の首を取ったように大げさに取り上げ、そのようなことが何度も起こると、誰も即座に決断しなくなります。責任をとりたくないばっかりに、石橋を叩いて叩いて、そのあげくに渡りもしないことになります。
この本の最後のほうに書かれてありましたが、著者の若い頃にある日本専門家から、「日本の美意識の真髄は醜いものをあえて見ないことだよ」と教えられたそうです。そういわれれば、たしかにそのような一面があります。あるいはくさいものに蓋をして、知らないふりをすることもあります。
著者はアメリカ人ですから、ある意味、日本人より日本人の自然な振る舞いのなかから核心部分を見いだしているのかもしれません。先日、フィギアースケートを見ていた人が、男子には女性のコーチが付き、女子には男性のコーチが多いのはなぜ、と話していましたが、これも異性から見たほうがその良さがわかるのかもしれないと思いました。まさに、そのようなものです。
著者は自衛の問題として、自分の次男がいじめられた時のことを書いています。それは「実は私の次男は学校でいじめられたことがありました。体の大きな男の子が次男の昼食を取ったりしていました。私はその話を聞いて、今度同じようなことがあったら、相手をこう殴れ、自衛は必要だと教えました。翌日、次男が学校から帰ると、耳が黒く痣になっている。いじめっ子がいきなり後ろから、次男の頭をしたたかに机にぶつけたのだというのです。私は、明日こそ相手を殴っていいと言いました。次の日、次男は笑顔で家に帰ってきました。いじめっ子を殴り、相手は泣き、それ以来友達になったというのです。」とあります。
たしかに、けんかをするほど仲が良いなどという諺もありますが、やはりけんかと戦争は違います。自衛は必要ですが、過度の自衛は解決をさらに困難にする場合もあります。
でも、つい最近まで現役の対日外交官だった方の著書ですから、とても示唆に富んでいます。下に抜き書きしたものなどは、現場に居合わせなければ絶対にわからないことです。そのようなことがたくさん書かれてありますので、日本とアメリカのこれからを考えるときには、ぜひお読みいただきたいと思います。
(2011.12.24)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
決断できない日本(文春新書) | ケビン・メア | 文藝春秋 | 2011年8月20日 | 9784166608218 |
☆ Extract passages ☆
シーファ一大使が何かを決断する際、部下に意見を求めるわけですが、意見を求められた部下は、大使の考えを不必要に忖度してはいけない。真っ正直に自分の意見を述べなければならないのです。大使にとって耳触りのいい意見は無用なのです。大使はよくこう言っていました。
"I want to know what you think. I know what I think. Iwant to hear what you think" (私は自分の意見は分かっているから、君の意見が聞きたいんだ)
周囲にイエスマンばかりを集めて、墓穴を掘ってしまうタイプのリーダーもいますが、シーファー大使はそんな罠に落ち込んでしまう危険をよく分かっていました。巧言令色、鮮なし仁、ということを彼はよく知っていました。
(ケビン・メア 著 『決断できない日本』より)
No.659 『福島 原発と人びと』
著者はフォトジャーナリストで、チェルノブイリやスリーマイル島の原発事故でも取材され、その報告で、講談社出版文化賞を受賞されたこともあるそうです。
そこで、今回の原発事故をずーっと見てて、なにが一番わからなかったかというと、なにが本当のことで何がウソかということです。ある学者は充分心配なく生活できるといい、ある学者は非常に心配な状況で、このままでは多くの被害者が出るといいます。おそらく、どちらかが真実を隠しているとしか思えませんでした。その悶々とした状況のなかでこの本を手にしました。ここには、「チェルノブイリ事故の後、原発産業とは、まず国民を欺くものであるという認識が世界中に広まっていった。なぜ原発産業は安全だと言いつくろう必要があったか。それは、他の産業とは異なり、ひとたび事故を起こすと巨大な規模の被害を生み出すからである。しかし、「安全」のために必要な資金を投入すると、赤字になる。そのため事故が起きても、それをなかったことにし、安全だと言い続け、隠蔽し、犠牲者が出ても見捨てることに
なる。さらに放射能と病気の関連を実証するのは困難であることをいいことに、補償もしない。こういったことが歴史上繰り返されてきた。」といいます。そうか、やはりそうだったのだと思いました。どこかの電車事故のように、電車や設備そのものに問題があるのではなく、運転手のミスが原因だとすれば、これから気をつけさせますで終わりになります。
しかし、原発事故は、それとはまったく違います。これから何十年と多くの人々に災禍をまき散らすのです。今の問題だけではなく、将来にわたっての問題でもあります。
もし、原発の施設そのものの問題だとすれば、原発を続けることが困難になりますし、もし、日本のように地震多発国であれば、そのような国に原発はいらないとなれば、原発産業にとっては窮地に追い込まれます。
しかし、現在の状況下においても、除染して出たものを仮置きする場所もそれらを最終処分するところもまったく決まっていません。もともと核廃棄物そのものの最終処分は、まったくわからない状態で、この問題にも今までも触れられてきませんでした。
この本で紹介されている福島第1原発の作業員Tさんの「現場に復帰すると、東電や国の言い分の矛盾が目につくようになった。ベントで大変な量の放射性物質が放出された可能性があるのに、それを国も東電も認めていない。人体に影響がないはずはないのに、それも誰も認めない。さらに被曝の上限値が100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げられた。昨日まで「危険」だとされたレベルは、今日は「危険じゃない」ということにされた。基準自体がなくなり、何が安全で何が危険か、誰にも分からない状態になった。」というのは、おそらく本音だと思います。
つまり、下の抜き書きにあるように、政府やその関係機関の見解も東電の発表も当てにはならないようですから、放射能から守れるのは自分しかいないということです。まったくおそろしい世の中になってしまったということです。ぜひ機会が読んでみてください。
(2011.12.20)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
福島 原発と人びと(岩波新書) | 広河隆一 | 岩波書店 | 2011年8月19日 | 9784004313229 |
☆ Extract passages ☆
放射能から自分を守るということは、何を意味するのだろうか。それは、放射線医学の権威者たちから身を守ること、原子力産業の発展を目指すIAEAから身を守ること、原子力推進政策をとる政治家たちから身を守ること。推進ではないけれども結果的に妥協を繰り返そうとする政治家やメディアから身を守ること、放射能は安全だという学者たちから自分たちを守ること、そうした人びとや機関によって封じられた「事実とデータへのアクセスの権利」を得る手段をなんとかして手に入れること。そして、それを妨害しようとして「風評、デマに惑わされるな、安全だ、ただちに健康に影響はない」などの言葉を用いる人間たちから身を守ることである。
(広河隆一 著 『福島 原発と人びと』より)
No.658 『これからのリーダーに知っておいてほしいこと』
この本で述べられた人は、いまから10年ほど前、「松下幸之助創業者と同行二人」という言葉とともに社長として経営改革に成し遂げられた中村邦夫氏です。現在はパナソニック株式会社代表取締役会長だそうですが、創業者の言葉とそれを引き継いだ中村氏との5回のロングインタビューをされ、それを取りまとめたのが編者としてあげられている「松下政経塾」と「PHP研究所」です。ですから、編者というよりは、組織がまとめられたようです。
この本のなかで、社長就任時に社員に向けたメッセージの中で、「5つのS」を経営における大切なこととして取り上げています。それはSPEED・SIMPLICITY(平易、簡素)・STRATEGY(戦略、方針)・SINCERITY(誠実、誠意)・SMILEの5つだそうです。
この最初に掲げたスピードというのはアジリティ、つまり変化対応の早さ、俊敏性というものも含むそうで、創業者もこのスピードをとても大切にしていたそうです。やはり、経営というものは絶えず変化しているから、「その変化に即応し、それに先んじて次々と手を打っていくことが必要」だと『実践経営哲学』で述べています。
つまり、中村氏の「松下幸之助創業者と同行二人」というのは、創業者だったらこのように考え実行していたはずだという思いを重ねて仕事をしているということではないかと思います。また、中村氏はドラッカー氏などにも深く共鳴されているそうですから、それらを加味しながらわかりやすい言葉で今の社員たちに伝えようとしているのかもしれません。
でも、読み終わって、創業者である松下幸之助という経営者は、とても優しく深みがあり、そして厳しいという三拍子揃っていると感じました。さらに、その思いを、「PHP研究所」や「松下政経塾」を残され、語り伝えるだけでなく、新たに育てようとしていることに、その先見性を見たような気がしました。
下に抜き書きしましたが、今年の東日本大震災のときだからこそ、政治だけでなく、経済界もその明快な対応が求められています。むしろ、しっかり考えてというよりは、まさに「5つのS」が必要ではないかと思います。
ぜひ、お読みいただきたい1冊です。
(2011.12.17)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
これからのリーダーに知っておいてほしいこと | 中村邦夫 述 | PHP研究所 | 2011年9月1日 | 9784569799001 |
☆ Extract passages ☆
今回の未曾有の大地震、大津波が、文字通り、想定をはるかに上回ったのは事実だと思います。しかしその想定そのものが十分であったのかということをよくよく検証すべきですし、加えて、想定外の危機にいかに対応していくか、その実践・実行の力がいま試され、求められているのではないかと痛感せずにいられません。
事業経営という、僕自身の限られた経験を振り返ってみても、むしろ想定通りにいくことのほうが少ないものです。経営環境というものは、常に激変の連続であり、想定した時点の条件を見直さなければならないことが次々と生じるからです。いかに想定外の事態に対処するかが、経営者の力量ともいえると実感してきました。それは、変化への対応と言い換えてもいいでしょう。常に"絶対"はありえないのです。
(中村邦夫 述 『これからのリーダーに知っておいてほしいこと』より)
No.657 『「がまん」するから老化する』
著者の一貫した思いは、高齢者というのは非常に個人差が大きいこと、それは感情の老化が大きな理由になっていて、「がまん」することよりありのままを認めることが大切だといいます。
たとえば、なぜ感情が老化するかというと、大きく3つあるといいます。1つが「脳の中で前頭葉という部位が縮むこと。前頭葉は意欲や好奇心に関わっている部分なので、歳を取って萎縮すると意欲が失われていく。いわゆる「枯れた」老人になる」ことです。そして2つ目が「脳の動脈硬化が進むと、自発性が低下するということがよく知られている」こと、さらに3つ目は、「いわゆるセロトニンなど脳内の神経伝達物質が、加齢とともに減ってくること」だそうです。だから、これらの原因を考え、感情の老化予防を心がける必要があるといいます。
やはり、人はなんだかんだといっても、姿形から入ることも大切なことです。よく中身が一番大切といいますが、見た目から入る方が意外と取っつきやすいものです。
だから、食べものだってそうです。粗食がいいといっても、おいしそうな物が目の前にあると、つい顔がほころびます。和菓子だって、中身がおいしいより、まず見た目のおいしさが伝わらなければ、買ってももらえません。食べたい、と思ってもらわなければ、ダメなのです。そして、食べておいしければ、それでいいのです。おいしくなければ、いくらおいしそうに見えても、次は買ってもらえません。まずおいしそうに見える、それが大事です。こう考えれば、やはり見た目も大事だというのがわかるかと思います。
和食だって、そうです。ショーシャ博士は日本食をアンチエイジングのための食事として高く評価しているそうですが、その理由として「たとえば日本の会席風の料理なら、魚介などタンパク質の食材を使った先付が出て、刺身、焼き物と続く。油を使った揚げ物が出されるとしたらその後だ。タンパク質から摂ることになるので、血糖値は緩やかに上昇する。最初からインスリンを大量分泌させたりしないので、揚げ物が出てくるころにはかなりの満腹感がある。締めで軽くご飯を食べて、最後にデザートとして果物が出るという、タイムリー・ニュートリションの理論に適合する賢い食べ方だ」といいます。
今まで、お茶事などでこの順序にお料理が出てくるのを当然と思っていましたが、そういわれれば、まさに賢い食べ方です。おそらく、それらは理論から作り上げた食べ方ではなく、長い経験から自然と作り上げられたものだと思いますが、改めて会席、というより懐石、つまりお腹を暖かい石でちょっとだけ温めるような料理のすばらしさを再認識しました。
誰でも、若くしていたい、若く見られたいと思っているでしょうが、姿形から入ることも必要だとこの本を読んで改めて思いました。
(2011.12.14)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
「がまん」するから老化する(PHP新書) | 和田秀樹 | PHP研究所 | 2011年2月1日 | 9784569795317 |
☆ Extract passages ☆
私は老人ホームなどで多くの高齢者を見ているけれども、「食べることは」は大きな楽しみになっていた。とくに中高年以降、前頭葉を刺激する快い体験になる。恋愛やギャンブルも前頭葉を強く刺激する体験だが、五〇代にもなるとそうそう簡単に恋愛ができるわけでもなく、ギャンブルも日本では競馬などの公営ギャンブルか、パチンコぐらいである。その点、贅沢なグルメならずとも「食べる楽しみ」は、誰にもできて脳を活性化させる効果的な方法である。
がまん型の生活をしていると食事も簡素になりがちだ。食事に興味を失い、ないがしろにしていると肉体的にも精神的にも人間を老化させてしまう。真面目すぎる日本人の場合、空腹、痛みから性欲までがまんは美徳であり、歳相応に健康的と思われているようだが、これは迷信と言っていい。
(和田秀樹 著 『「がまん」するから老化する』より)
No.656 『いんげん豆がおしえてくれたこと』
著者のパトリス・ジュリアンは、まったく知りませんでした。もちろん、なにをやっている人かもわかりません。だったら、わからないままに読み進めて、そうすれば、この本のどこかにヒントぐらいはあるだろうと著種略歴は読みませんでした。
たしかに、ヒントになるものはありましたが、読み終わった今も、オーナーシェフかな?、という程度です。おそらく、1つの職業にしばられるということではなく、昨日まで読んでいた『夢を実現する力』でとりあげたプロデューサーなのかもしれません。
でも、この本に見いだせる感性はすごいと思いました。たとえば、「仕事に関する僕の理想は、夢という木の接ぎ木職人になること。僕のレストランでは、お客さまに料理をお出しすることだけが全てじゃない。一つのライフスタイルを感じていただく、そのために僕とスタッフは力を注ぐ。本や雑誌の仕事も同じこと。僕は自分の日常の断片を切り取り、それを読者に届けようと心を尽くす。メッセージはいたってシンプル。アートはいつだって手の届くところにある、たったそれだけ。」という仕事に関する理想は、とても普通の人が思いつくようなものではありません。また、「お茶とは、合理性が求められる生活の中で、一瞬その流れを止めてくれるもの。お茶のおかげで、僕たちは一見何の役にも立ちそうにないこと、つまりただ人生を楽しむためだけの時間を過ごすことができる。」というお茶への思いなどは、このように言葉に表されてみるとなるほどと思いますが、すぐには結びつきません。
この本を読み終わって、なんか爽やかな風がスーッと通り抜けたような感じです。
すべてにこのようなアート感覚で人生を送れれば、それはそれで最高です。それには、まず、感性を磨くしかない、と思いました。そして、自分がその人生という舞台の主人公になりきるということです。
この本の題名になったと思われる、いんげん豆が教えてくれたこと、それを下に抜き書きしました。つまり、人に教えてもらうだけでなく、いんげん豆とお話しすること、語りかけることからはじまるそうです。
(2011.12.10)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
いんげん豆がおしえてくれたこと(幻冬舎文庫) | パトリス・ジュリアン | 幻冬舎 | 2002年6月25 | 9784344402461 |
☆ Extract passages ☆
さやいんげんを茄でるなんていうのは、その絶好の例だろう。
料理の本を見ると茄で時間が六分だったり十分あるいは十二分だったりとバラバラ、その通りやってみると必ず失敗する。さやいんげんは時計を使って茹でるものではないからだ。手順としては、塩を入れて沸騰させたお湯の中にさやいんげんを入れ、茄で上がったら氷水の入ったボウルの中で冷まし、色止めをする。お湯に入れて一分が経つとさやいんげんの緑がとても鮮やかになる。食べてみるとまだ生っぽく、繊維が口に残る感じ。三、四分すると食感も味も変わる。
まさにここだ。ある瞬間に突然、生っぽかった味が甘くまろやかになり、しやきっとした食感が生まれる。自分で食べてみて、感じとらなければいけないのは、このちょうどぴったりの瞬間。
穴あきのレードルでさやいんげんをお湯から引き上げ、手早く氷水に浸す。時間は一、二分、それ以上は置かない。浸しすぎは洗濯物″みたいで、それはもうさやいんげんではなくなってしまう。後はざるにとって水をよく切り、バージンオリーブオイルとレモン汁少々をたらせば三ツ星レストランにも匹敵するサラダの出来上がりだ。
感受性と思いやり、料理の決め手となるのはこの二つの心の豊かさだ。
(パトリス・ジュリアン 著『いんげん豆がおしえてくれたこと』より)
No.655 『夢を実現する力』
この本は堺屋太一監修ですが、いわゆる著者は特定非営利活動法人 プロデュース・テクノロジー開発センターで、監修者も巻頭を飾っています。著となっているのは、これらの記事がインタビューを受けられたことから生まれたからではないかと思います。
この本に掲載された人たちは、まさにプロデューサーといってもいい方々で、会社経営や1つの夢を追い続けてきた方もいて、読んでもおもしろい内容になっています。たとえば、スタジオジブリ代表取締役プロデューサーの鈴木敏夫氏は、「教養というものは本来、学生時代に身につけておくべきだと思いますが、その前提として、まずは「読み・書き・そろばんを覚えなさい」と言いたい。教育の原点はそこにあると思っています。読解力と文章力、そして計算能力です。社会に出たら、具体的にやらないといけないことが山のように待っていますが、大学の四年間は猶予期間で、頭の訓練ができる大切な場だと思います。大学生の皆さんにはこう言いたい。いまだけですよ、抽象的なことを考えられるのは。」といい、まさに具体的な項目がしっかりと入っています。
やはり、プロデュースする以上は、それが実現されなければ机上に描いたモチでしかありません。それでは、いつまでたっても夢だけで終わってしまいます。その夢を実現させるのがプロデューサーです。
この資質は、ある程度は努力も必要でしょうし、天賦の才も必要でしょうが、それを少しでもその道筋を明らかにして多くの人に自分の夢を実現させてほしいとの願いがこの本には込められているような気がします。
とくに、最初の堺屋太一氏の『プロデュース「成功の方程式」』などは、自分が今までプロデュースしてきた実例を上げながら、詳しく書いています。
ぜひ、機会があればお読みいただきたい1冊です。
(2011.12.08)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
夢を実現する力 | 堺屋太一 監修 | PHP研究所 | 2011年9月7日 | 9784569774626 |
☆ Extract passages ☆
設計というものは、一つの案を思い浮かべるとなかなか変えられない。人間の頭は、ある構想ができて「これがいいと」思い込んだら、もう変えにくいものです。始めはああしたいこうしたいと思っていても、一つを「これがいい」と思い込んでしまったら、それ以外のものに変えることは非常な屈辱感や挫折感になります。だから総合構想と総合調整の前に設計させてはいけないのです。
あらゆる条件を定めてから設計する。これは建物だけではなく演出や行催事でもそうです。「こういうオペラがやりたい」と演出者が思い始めると、「オペラをやめて歌謡ショーにしろ」などと他の人が言うとすごく怒ります。その人の頭には「オペラこそ最高」という構図が生まれているからです。もちろん「歌謡ショーをオペラに変えろ」といっても同じです。
だから、基本設計を作る前には、全体調整を十分につめておかなければなりません。基本設計で一番重要な問題はお金が合っている(予算内)かどうかの確認です。
(堺屋太一 監修『夢を実現する力』より)
No.654 『ヒトから人へ』
この本は、社団法人青少年交友協会が発行する機関紙『野外文化』142号(1996.06.20)から193号(2007.04.20)まで、12年にわたって断続的に連載された記事をもとにしているそうです。この機関誌は、「民俗学では通過儀礼・人生儀礼・人の一生といわれる分野で扱う話題だが、身体、すなわち五感を総動員して学ぶ野外文化教育の啓蒙と普及を一般社会に向けて説く」ものだそうで、だから副題も「"一人前"への民俗学」となっています。
この題名『ヒトから人へ』というのは、「子供から大人へ、ヒトから人へ、つまり人に成る通過儀礼である成人式は、当該社会における大人とは何かが集約的に問われているのであり、その持つ意味は重い」ということから名付けられたようで、「人に成る」という項で取り上げています。
懐かしかったのは中国雲南省麗江の話しで、トンパ文字についても書いています。ここでは、「東巴経典には神と人と自然との協調関係が説かれている。祭署儀礼が龍神、水の神の祭であるように、納西族は水を神聖なものとしてきた。湧水地に棲む面魚は龍神の使いとして捕食が禁じられ、流水は飲料・料理用・洗濯用水として、水槽ごとに使い分ける光景も麗江市内でよく見かけた。」とありますが、たしかに麗江、とくに古都の黒龍譚では疎水があり、そこで野菜を洗ったり洗濯をしている姿をよく見ました。もちろん、最初に訪ねたときは26年ほど前のことで、その後4回ほど行きましたが、行くたびごとに大きく変わっていくのが少し残念でした。この著者の文章は5年ぶりというだけで、いつ行かれたかはわかりませんが、そんなにも前のことではなさそうです。
この本には、地元の飯豊山のことやお行屋のことなども書かれてあり、興味をもって読みました。もし、民俗学に興味がありましたら、読んでみるのも一興かと思います。
(2011.12.05)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
ヒトから人へ | 佐野賢治 | 春風社 | 2011年8月28日 | 9784861102813 |
☆ Extract passages ☆
旅という語は、住む土地を離れ、物々交換をする「賜べ(たべ)」に由来するといわれるが、民俗事例からは「他火」と考えられる。「可愛い子には旅をさせろ」という言葉もあるように、子供を一人前にするには親元から放し、世の中の辛酸をなめさせるのがよいとされた。他火、他人の釜の飯を食うことが大事だから、旅でなくても、他家に住み込んでの見習い奉公でもよかった。つまりは「若い時の苦労は買ってでもせよ」ということだ。英語のトラベルの語源も苦痛であり、古今東西、相通じるものがある。そして、試練の旅を終えた若者だけに結婚が許されることは、多くの民族の神話や民俗に共通する。
(佐野賢治 著『ヒトから人へ』より)
No.653 『食糧危機が日本を襲う!』
東日本大震災で東北の農業も大きな被害にあい、さらにTPP(環太平洋経済連携協定)の参加検討の是非をめぐり、今、農業問題が大きくクローズアップされています。マスコミの論調などをみても、人間にとって必要欠くべからざる大きな食料問題のはずなのに、なぜか本質をついていないような気がしていました。そこで、目に付いたのがこの本です。
なぜなら、著者は学問として食料問題を考えているのではなく、「丸紅経済研究所」の代表として現場の声が届きやすい立場にあるから現実を見据えて書いているのではないかと思ったのです。読んでみて、やはりそのように感じました。
たとえば、「水不足は食糧市場にも影を落とす。世界の水消費量の7割は、食糧を生産するために使われているが、中国やインドなど新興国で工業化、都市化が進めば、工業用水や土地生活用水の消費が急増し、水資源をめぐり、食糧市場との間の争奪戦が激しくなる。過去数10年、急速な穀物増産のため世界中で水資源が大量に使われてきた。大量の水を汲み上げれば、地下水の枯渇や塩害を招く。過去30年間の穀物増産は、もっぱら単収の向上でもたらされてきたが、世界の単収の伸びは鈍化しており、今後劇的に増加に転じることは考えにくい」とか、「ジャパンプレミアム・・・・・・こういう特別扱いは、日本が強い経済力と購買力を持っていたからこそ成り立っていたが、中国が輸入競合の相手として存在感を高め、穀物需給がひっ迫傾向にある中、生産国にすれば、何かと注文の多い日本の要求に応えるのは単なる面倒なことになりつつある。しかも中国に比べれば、日本の注文は小ロットで、穀物船の標準容量を満たせないケースが出ている。対して、中国の買い方は恐ろしいほどダイナミックだ。」ということなどは、やはり、現場でなければなかなか実感として伴わないのではないかと思います。
この本を読み終わって、やはり食料は大きな問題であり、とても楽観視できる状況にはないということがはっきりわかります。つまり、食糧危機は遅かれ早かれ必ずやって来るような気がします。
人間は、いくら立派なことを言ったとしても、食べなくては生きていけません。食とは、文化である前に、生きるための必需品です。
だから、ぜひ、みんなで考えなければならない問題なんです。ぜひ、読んでみてください。
(2011.12.03)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
食糧危機が日本を襲う!(角川SSC新書) | 柴田明夫 | 角川マガジンズ | 2011年7月24日 | 9784047315525 |
☆ Extract passages ☆
以前、ベトナムを訪問し、伝統的な農場の複合経営(VAC)を視察した。庭で果実や花を栽培し、水田の周囲に池をめぐらせてソウギョやエビを養殖する。家畜小屋では主に養豚を行い、さらに外側を囲む土手では建材や薪になるチャームの樹を植える。そのように、1つの圃場内で有機的な連鎖のある複合経営形態を営んでいるのだ。
ベトナム農業・地域開発省商業・国際協力部のシニアオフィサーのB・コン氏にヒアリングしたところ、ベトナム政府は農村労働力の完全燃焼を目的としてこうした複合経営を奨励している、という。
アジアでは、コメを中心とする複合経営農業が社会のセーフティネットとして機能している。たとえば、社会に動乱が生じたとき、故郷の農村に帰れば、暮らしていくことができる。
農業には包容力がある。しかし、この機能を軽視し、放棄してきたのが日本だ。・・・・・・
戦後の日本が歩んできたのは、自然から逸脱してきた道であり、自然に対する畏敬の念、他者に対する思いやりの文化を毀損してきた道ではなかったのか。
(柴田明夫 著『食糧危機が日本を襲う!』より)
No.652 『私たちにたいせつな生物多様性のはなし』
昔、どこでもいいから行きたいところはないかと聞かれ、「イースター島」と答えたことがあります。あの謎の石像、モアイ像を見たかったからです。
この本の著者は、そのイースター島はかつては南国の楽園で、10世紀ころにはポリネシアの人々が1,000人ほど豊かに暮らしていたといいます。ところが人口の増加と移住者とともに侵入してきたナンヨウネズミが島の生態系を壊してしまったそうです。「その結果、1400年までに森林がほとんど伐採され、人々は森の恵みを受け取れなくなってしまいました。森林が減ると、生息地や餌を失った動物たちも急速に減り、43種類いた鳥たちもわずか1種を残して絶滅しました。森林の花粉や種子が運ばれなくなるために、森林はさらに減ります。こうして森林の再生能力がどんどんなくなっていきました。森から蒸発する水分が減ったために雨が降らなくなり、土壌が乾燥して農業もできなくなりました。最後に残った食料源は魚でしたが、漁業のための船や釣り糸、釣り針なども、原材料となる木がなくなると、新しくつくることができません。」ということで、17世紀頃には6,000〜10,000人いた島の人口も限られた資源をめぐって争いが起き、飢餓などから人口が激減し、ついにはイースター文明は滅んでしまったそうです。
つまり、地球上のすべての生物はなんらかのつながりをもち、バランスをとっています。それがくずれはじめると、このイースター島のような悲劇が起こるということです。それをこの本では、うまい譬えを使っています。「種の絶滅が猛スピードで進む今の状況は、空を飛んでいる巨大な飛行機(地球)を構成するビス(生物)が、l本また1本と抜け落ちているような危険な状況にたとえられます。ビスが数本抜け落ちても、すぐには飛行機は墜落しませんが、だからといってビスが何本抜けたら、飛行機が空中分解するかは、誰にもわかりません。しかも、ビスは互いに連動していますから、1本抜ければ、他のビスも次々と抜けていくと考えられ、本当に危ない状況です。」といいます。
10年ほど前に、ネパールのカトマンドゥからファプルの飛行場まで行くのに、強風のため飛行機が着陸できないということでヘリコプターに乗りました。それが古いソビエト製のヘリコプターで、機体本体の騒音もすごいが、室内の壁もビスが抜け、ガタガタと不気味な音を出します。耳栓のかわりに綿を詰めたのですが、それでもすごい音が漏れてきます。それ以上に、もしかして、という不安で頭のがいっぱいになりました。
おそらく、これ以上生物の多様性が失われていくと、あのときのような「もしかして」という大きな不安につながるのだと思います。
著者の肩書きは環境ジャーナリストで、さらに翻訳家だそうで、多くのイラストを使っているのでとてもわかりやすく、ていねいな書き方をしていますので、ぜひ多くの方々に読んでいただき、この地球の現状を知ってほしいと思います。
(2011.11.30)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
私たちにたいせつな生物多様性のはなし | 枝廣淳子 | かんき出版 | 2011年7月19日 | 9784761267629 |
☆ Extract passages ☆
「もったい」には、モノの本体、本質、命というような意味があります。それが「ない」のですから、そのモノの値打ちや命が生かされず、無駄になるのが、「もったいない」と私たちは感じるわけです。
そう思うと、モノだけではなく、私たち1人ひとりの中にも、その本質や命があることに気がつきます。仏教では、このことを「本務」と呼ぶそうです。
日本の仏教に、「山川草木悉有仏性」という言葉があります。山や川、草や木にも、悉く仏となる性質があるという教えです。モノも人も、そして人間以外の生物も、無生物も含めて、それぞれの「本務」を最大限に満たすこと。それが、「もったいある」人生なのではないかと思います。
(枝廣淳子 著『私たちにたいせつな生物多様性のはなし』より)
No.651 『日本語とともに』
著者は今年の誕生日で満75歳だそうで、日本語の研究と教育一筋に関わってきたと「あとがき」にも書いています。それが生活のほとんどすべてだったといいます。
その人生のなかで、53歳のときに文芸・言語学系長になり、56歳で付属図書館長になり、61歳で学長になり、そして67歳で学長を任期満了で退職した後は72歳まで新しく発足した「独立行政法人日本学生支援機構」の理事長に就任したそうで、管理職の仕事を選ばなければ、もっともっと本格的な研究を継続し真理を究めることができたのにとある種の後悔をしながらも、だからこそ得たことも多く、書く対象や分野も広がったと受けいれてしまうあたり、とても清々しいところがあります。
人は、選ぼうと思っても選べなかったり、やろうと思っても違う方向に行かざるを得なかったりと、なかなか思うようにはならないものです。そういえば、著者も最初は理系で応用化学を専攻したいと考えていたそうですが、受験に失敗し、もう1度考え直し、文系にしたそうです。文系なら英語か日本語、でも英語なら世界が相手だから、なかなか世界一にはなれないけれど、日本語なら日本で一番なら世界でも一番だという気持ちで進んだといいますから、人生というのは何が幸いするかわからないものです。
そして、日本語の辞典を手がけて20冊以上に表紙に名前が出ているそうですから、まさに日本語の達人です。その事典の意義については、下の抜き書きに掲載しましたので、見てみてください。
この本の副題は「北原保雄トークアンソロジー」ですが、著者の対談も5編ほど取り上げられています。対談は、つい本音が出て、おもしろいものです。もちろん、当然ながら校正はしてあるでしょうが、相手がいることですから、校正しにくいところもあります。そこに本音が隠されています。
この本で知ったことですが、いつも迷うのが「話」か「話し」と「し」を付けるかということでしたが、名詞として使う場合は「し」を付けない、連用形なら「し」を付けると書いてありました。つまり、「お話をする」とか「お話しする」となるわけです。これで、長年の迷いも消えました。
著者がいうように、やはり辞典は必要です。迷いながら使うより、調べてすっきりしたほうが気分的にもいいようです。
(2011.11.27)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
日本語とともに | 北原保雄 | 勉誠出版 | 2011年6月30日 | 9784585285007 |
☆ Extract passages ☆
言葉、文化、習慣などには過去があり、現在があって、未来がある。豊かな過去を持った文化には厚みがある。言葉も同様に、現在新しく使われ出した言葉だけでなく、古い言葉、昔使われて今は使われなくなっている言葉、昔も使われ今もまだ使われている言葉などがあり、それらは、それぞれに大事にしなければならない文化である。その文化を守るためには、古来よりずっと続いてきた日本語を、しっかりと収めておくものが必要となってくる。それが辞典である。
辞典には、現在及び過去の言葉のコレクションとしての存在と、言葉を調べる人に役に立つ存在、という二つの面がある。機能的な面からだけ言えば、コンパクトな辞典、専門用語辞典、現代語辞典などで十分一般のニーズには応えられる。しかし、そういう辞典とは別に、それらを全部総合し、過去を踏まえた日本語の総和とはこういうものだということを示せるもの、あるいは、今後日本語が変わっていったら、またそれを取り込んでいける受け皿になるような辞典を国家的な規模でつくることが必要であろう。
(北原保雄 著『日本語とともに』より)
No.650 『天才たちの科学史』
著者は現代の「科学ばなれ」をなんとか食い止めたいという気持ちから、この本を書いたといいます。副題は「発見にかくされた虚像と実像」で、少しでも科学に興味を持ってもらえるような内容でした。
では、なぜ科学ばなれがおきているかといえば、著者は「現代の文明社会はあまりにも科学の成果に囲まれすぎているため、人々は科学の恩恵に鈍感となり、科学とその進歩に対する興味と関心を失っている」からだといいます。
しかし、それだけでしょうか。おそらく、科学者は数式や限定された科学用語などを使うことに慣れていて、それ以外の一般の方向けの啓蒙ということに、あまり熱心ではなかったからではないかとも思えます。
科学者といえども人間ですから、そこには知られていない苦難のドラマや数々のエピソードもあったと思います。科学というと、どうしてもノーベル賞を思い出してしまいますが、その受賞者たちにも、受賞したときにはそれぞれのエピソードなどが報道されます。それが、普通の人たちとあまり変わらなかったりすると、むしろ親近感を覚え、受賞して当たり前の科学者より、賞賛したくなります。おそらく、それが一般的な人たちの感覚ではないかと思います。
そういう意味では、この本は、天才といわれている科学者といえでも、親近感を感じます。たとえば、「ダーウィンはまず医師となるため、エジンバラ大学医学部に入学したが、外科手術の見学で患者が泣き苦しむのを見ると耐えきれずに外へ飛び出し、二度と手術を見学することはなかった」と聞けば、あの冷静な肖像がを見ても、親しみを感じます。また、「コペルニクスは限が悪く、一生で天体を自ら観測したのはわずか数十回に過ぎなかったという」と聞けば、それでもあの時代に天動説から地動説へとの転換を図ったのだからすごいと思ってしまいます。
この本は、むしろ、若い人にこそ読んでいただきたいと思いました。
(2011.11.24)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
天才たちの科学史(平凡社新書) | 杉 晴夫 | 平凡社 | 2011年5月13日 | 9784582855876 |
☆ Extract passages ☆
科学の原動力は人類の大自然の仕組みに対して抱く疑問であり、科学の特徴は研究の成果が積み重ねられてゆくことである。つまり科学者は先人の成果を踏み台としてさらに成果を付け加えてゆくのである。・・・・・・
歴史的に見て、ある国で科学が発達するのに必要な条件は、@人々が日々の生活に追われることなく、充分な余暇を持てること、A人々の自由な発想の発言、発表を抑圧する社会的圧力がないこと、及びB知力に優れた人々が多く、互いに議論を戦わせる環境があること、などであろう。
(杉 晴夫 著『天才たちの科学史』より)
No.649 『極限環境の生命』
この本を読んでいるときは、ちょうどお祭りの前後で、とても忙しく、なるべくなら本を読む時間を避けたいと思っていました。だから、なるべく難しく、なるべくおもしろそうでない本を選んで読み始めました。
でも、読み始めるとなかなか止められず、でも難しいので理解に時間がかかり、かえって読書の時間が増えてしまいました。でも、お祭りの準備もあり、とうとう読み切るまで1週間ほどかかってしまいました。
この本の副題は「生物のすみかのひろがり」ですが、こんなところにも生物がいるのかとビックリしてしまいました。たとえば、超好熱細菌であるパイロコッカス・フリオサスは「深海の熱水噴出口に生息しているが、至適生育温度は100℃であり、生育可能温度範囲は70℃から105℃である」そうです。それで茹で上がらないわけですから、不思議なものです。
この本を読んで、よくぞこんな最悪な環境のところに住んでいるものだと思ったのですが、おそらく、これら動植物にとっては、あまり生存競争をすることもなく、まさに住めば都的な感覚なのかとも考えました。だとすれば、このような極限の世界に住むものがいるとすれば、自然の奥深さをさらに感じることができるのではないかと思います。この地球には、まだまだ知られていない多くの動植物がいて、独自の生活を営んでいるかもしれないのです。さらにこの本では、地球外生命や惑星環境にまで触れていますので、想像が広がります。
著者のデービッド・ワーソンは、ニュージーランドのオタゴ大学の上席講師をしているそうで、さらに自然史の映画製作における向学および電子顕微鏡使用の専門家でもあるそうです。とくに南極の記述が多いと思ったのですが、やはり、実際に南極の調査やケンブリッジにある英国南極研究所に1年ほどいたそうです。
今、科学離れがささやかれていますが、この地球に住む生物だって、知らないだけで、知れば興味がわいてきます。興味がわけば、さらにいろいろなことを知りたくなります。おそらく、科学に対する、そのきっかけが必要ではないかと思います。それには、このような本もお勧めです。
(2011.11.21)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
極限環境の生命 | D.A.ワートン 著、掘越弘毅・浜本哲郎 訳 | シャプリンガー・フェアラーク東京 | 2004年12月12日 | 9784431711049 |
☆ Extract passages ☆
潜在生命というのは、生命を呼び起こす可能性を保ちつつも、それが表面に現れない状態と言えるからである。しかし現実には、クリプトバイオーシスという呼び名が広く使われている。潜在生命状態をとる生物の中には、生活の周期のいつでも休眠状態に入ることができるものがあるし、特別にそのような生存に特化した期間を持つものもある。潜在生命状態には、新たな環境にその生物を移動させる救命ボートのように働いたり、生活するのに適さない時期を耐えられるようにしたりするものがある。このようにして、生育に適した条件を持つ場所や時期が現れるまで、生存を可能にしているのである。これらの救命ボートには胞子(芽胞)、卵、包子、種子や抵抗性を持つ幼生などがある。
(D.A.ワートン 著『極限環境の生命』より)
No.648 『高校生にもわかる「お金」の話』
日本人はどうもお金の話しを正面からするのを嫌う傾向がありますが、衣食住すべてにお金が絡んできます。いわば、生きている以上は、お金なしで生活はできません。この本の表紙に書かれている『世の中には「お金がなくても幸せ」といっている人はたくさんいますが、半分は嘘です』という言葉は、まさにそれを端的に指摘しています。理想としては、お金に左右されない生き方をしたいと思うのは理解できますが、それでもお金なしに生きていけるかといわれれば、やはり難しい、いや、できないでしょう。やはり、理想と現実は違います。
だとすれば、高校生のときから、しっかりと金銭感覚を身につけておく必要があるというのが著者の考え方です。そして、実際に鹿島学園で特別授業をし、その授業内容をまとめたものがこの本だといいます。つまり、高校生でもわかるというのは、そういう意味です。
この本で伝えたいことを最初に書いていますが、
@お金を稼ぐ方法は、自分で稼ぐ方法とお金に稼いでもらう方法の二つがある
Aお金に限らず世の中にはうまい話はない
Bお金は人生を豊かにする手段であり、お金を目的にしてはいけない
というのを掲げています。このような内容を高校生のうちからしっかり理解できれば、そのほうがいいわけです。そうすれば、振り込め詐欺にあうこともなく、自己破産することもなく、お金で苦労することも少なくなります。それと、お金は生き方と密接に絡んでいるので、生き方そのものもしっかり考えられます。
たとえば、この本には、「世の中はリスクをある程度取らないとリターンも得られないようになっているのです。ビジネスで成功したければ、会社を作って自分で仕事をはじめるリスクを取らなければ実現できない。もっと良い仕事をしたいと思っている人は、転職して新しい仕事をはじめるリスクを取らないと仕事を変えることはできない」とあり、まさにその通りです。さらに、『「仕事でうまくいく、うまくいかないというのは何で決まるか〜」ということです。たとえば、ビジネスで成功している人と成功していない人がいます。同じ芸能人でも売れる人と売れない人がいます。会社に入っても、出世する人と出世しない人がいます。何が違うのでしょうか?一つは才能。次が努力。三つめは運。これが私の考えです。』といいます。
えっ、でも、お金は必要でも、なんでもかんでも必ず必要なものでもない、かもしれません。そう、絶対にお金では買えないものがたくさんあり、本当に大切なものほど、お金では買えません。この本の著者の略歴を見たら、現在、クレディ・スイス証券プライベート・バンキング本部ディレクターだそうです。
どちらかというと、本の世界にどっぷり浸かってしまう読み方をするので、あやうくその筋書きに乗ってしまうところでした。たしかに、お金も大事ですからあまりお金をタブー視せず、その大切さを知ることは大事なことですが、それ以上にお金では買えないもっともっと大切なことも教えるべきだと思いました。
(2011.11.15)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
高校生にもわかる「お金」の話(ちくま新書) | 内藤 忍 | 筑摩書房 | 2011年10月10日 | 9784480066336 |
☆ Extract passages ☆
たとえば、仕事がうまくいかない、クラブ活動がうまくいかない、人間関係がうまくいかない、勉強がうまくいかない、そう思ったときに、どうしたら良いでしょうか。
うまくいっていない人には共通点があります。まず現状認識ができていないんです。つまり、「今、自分はどういう状態なのか」ということがわかっていない。それから、目標設定ができていません。「これから、どうなりたいのか」を具体的に考えていないということです。
この現状認識と目標設定ができるようになると、二つの間にギャップがあることがわかります。今はこういう状態だけれども、先々はこうなりたい。そんな現状から目標への到達方法がわかれば不安は消えていきます。・・・・・・
こうして現状認識と目標設定をすることで、初めて戦略というものが出てきます。
(内藤 忍 著『高校生にもわかる「お金」の話』より)
No.647 『屋久島 日本の森と水の島の生態学』
ブックオフの「最新入荷リスト」を何気なく見ていたら、この本を見つけました。すると、2005年6月に屋久島に行ったときのことが蘇り、懐かしさもあり注文しました。
でも、懐かしさ以上に、とても読み応えがあり、楽しかったです。ちょうどそのころ、盛んに言われたのがエコ・ツーリズムで、この本にも「自然をもっと知ること、人間に飼い慣らされた自然ではなく、本当の自然の力を認めること、その自然と人間が何万年ものあいだ、どのようにつきあってきたかを感じること」、それがエコ・ツーリズムだと書いてありました。まさに、本当の自然がいまも厳然としてある島、それが屋久島でした。
この本を書いた基本姿勢は、「あとがき」には、「この本は、屋久島のフィールドガイドであると同時に、ともすれば静的で常に環境に対して受身であると考、えられている植物のイメージを変革することを意図している。植物に対して擬人的な表現も少なくない。決してひとや動物になぞらえて言っているわけではない。自らのために生き、いくつかの選択肢のなかから進化的に最もよいものが選ばれるという点で、動物あるいは人間と同じなのである。」とあります。今では生態系というと、生物自身の生き方を中心に考えるのが主流になってきていて、この点では植物も動物も同じ生活者として扱われています。
著者は、「あとがき」を読むと、1984年から、少し途切れながらも3年にわたって、博士論文を書くための調査に屋久島に移り住んだそうです。住んでみたからこそ、わかることもたくさんあります。島人とのふれ合いから、いろいろと教えていただけることもたくさんあります。そして、自分の足で1,500種ともいわれる植物を調べました。誰々に聞いたとか、ある本に書いてあったということではない、しっかりした確証の下に書いてあるたしかさがこの本にはあります。
もし、屋久島に興味があり、一度は訪ねてみたいと思ったら、ぜひ読んでいただきたい本の1冊です。
(2011.11.12)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
屋久島 日本の森と水の島の生態学(ブルーバックス) | 湯本貴和 | 講談社 | 1995年5月20日 | 9784062570671 |
☆ Extract passages ☆
植物の利用は、知識、効率、智恵の三つの側面から考えることができるのではないだろうか。どの植物が何に利用できるかが知識の基本であるが、その植物がどんな場所に生えているか、どの季節に採りに行けばよいのか、どういう処理をすればよいのかといった一連の情報を伴わないと役に立たない。知識には、長い間のひとと植物のつきあってきた歴史が凝縮されている。
効率とは、得られる価値に対してどの程度、労働や資本を投下できるかという問題である。これは経済と社会状況、あるいは価値観が左右している。智恵とは、知識と効率を踏まえたうえでの持続可能性に対する洞察である。持続可能性とは、将来にわたって、いまと同じような生活ができるように環境と資源を賢く利用しようという考え方だ。その対極にあるのが略奪の思想である。獲れるところへ行って獲れるだけ獲って、獲れなくなればそこを捨てて他の場所に移るといぅやり方が経済的であるとする。
(湯本貴和 著『屋久島 日本の森と水の島の生態学』より)
No.646 『和子の部屋 小説家のための人生相談』
今年の読書週間も今日、11月9日で終わりです。だからといって、この本を選んだわけではないのですが、たまたま読んで、とてもおもしろかったのです。しかも、前回の『図説 本の歴史』の発行日とまったく同じとは、まったく奇遇です。
もともと、この本は、「小説トリッパー」で2009年春号からスタートした連続対談「和子の部屋」をまとめたものだそうで、女性限定の小説家たちの人生相談に答えるという企画もので、阿部和重自身が和子になりきって答えています。いわば、ガールズトークみたいなもので、人生相談にはうってつけのようです。
迎えた相談者は、角田光代、江國香織、川上未映子、金原ひとみ、朝吹真理子、綿矢りさ、加藤千恵&島本理生、川上弘美、桐野夏生の方々で、小説家だから当然かもしれませんが、個性的な女性の作家ばかりです。そして、最後に、「あとがきにかえて」のところで、各回の構成を担当した江南亜美子さんからの質問にも答え、2年間にわたった「和子の部屋」を振り返っています。本文のなかでも、この編集者などの話がときどき出ていましたが、やはり作家と編集者の関係は、本を読む立場からみても、興味があります。売れる本を作るために、どこまで作家に切り込むのかとか、それともまったく作家のいいなりにことが進んでしまうのか、とか、いろいろあります。
この本を読んで、作家ってなかなか大変な仕事だなあ、というのが第一印象です。もちろん、有り余るほどの才能がなければなれないだろうけど、さらに時の運や、まわりの環境など、いろいろな要素が複雑に絡み合って、ホンの一部の作家が書くことだけで食べていけるようです。だとすれば、やはり、悩み多いのも頷けます。
でも、小説家でなくても、たとえば金原ひとみさんの「いやな人物の視点もとりこめ」という言葉は、とても参考になります。人は、いつもしていることと同じことをするのが楽なので、つい同じことをしてしまいますが、たまには違うことにチャレンジすることも大切です。そこから、新しい自分が見えてくることもあります。たとえ、自分では嫌いなことでもしてみることによって、大きく飛躍することだってあります。それが、「いやな人物の視点もとりこめ」だと思います。
この人生相談を読み、その相談をされた方々の作品を改めて読むのもいいかもしれません。
そうすれば、たとえ1回読んだ作品でも、新たな視点から感じるものがあるかもしれません。
(2011.11.09)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
和子の部屋 小説家のための人生相談 | 阿部和重 | 朝日新聞出版 | 2011年7月30日 | 9784022508706 |
☆ Extract passages ☆
最初から小説について話すというコンセプトだと、構えすぎちゃってなかなか実践面への言及には至れなかったかもしれません。その意味でも、まず「人生相談」の体で話を進めていったことがよかったんでしょうね。手始めにゲストの方が提示されたテーマから対話に入っていったことで、ゲストにとっても僕にとってもすんなりと創作の話に移行できましたし、ときには創作諭や創作技法論なども自然な形で展開させられた。ただまあ、いちおうは人の相談に乗ってアドバイスするという立場でもって、僕はあれこれ述べていたわけですが、それを十人分もやると僕自身の考え方とか論理の組み立て方なんかの癖みたいなものが結構わかりやすく出ちゃう。そこから僕の性格とかが読み取られてしまうことにもなるだろうから、あまり安穏ともしていられない。というわけで、「人生相談」の回答とは言いながらも、これもまた結局は、いかにも「文学的」な自分語りの一種でもあると。
(阿部和重 著『和子の部屋 小説家のための人生相談』より)
No.645 『図説 本の歴史』
今年の読書週間は10月27日〜11月9日までということですから、ちょうど中日ころです。(社)読書推進運動協議会が中心に推し進めているそうですが、今年の標語は「信じよう、本の力」だそうです。
そういえば、そのポスターには、高く積み上げた本の先に樹が伸びて、その樹の香りを嗅ごうと子供が高いイスに乗っている姿が描かれています。
そこで、今回は、本の歴史を見てみたいと思い、この『図説 本の歴史』を読みました。ふくろうの本の1冊なので、写真やイラストも多く、楽しみながら本の歴史をたどることができました。
では、そもそも、本というのに定義があるのかどうかですが、この本では、「その第一は、音声ではなく視覚によって伝達される情報の集積だということ。視覚というのは、主に文字と図像からなっているから。ただし、図像ばかりで成り立つものは、本とはいいがたいとの批判もある。あくまでも、視覚的伝達のうちでも、文字という画定された記号を主体とするメディアを本だと理解しておこう。・・・・・・第二の定義は、それが社会的な情報伝達の手段だということ。他者とのコミュニケーション手段として本が貴重な役割を果たしていることは、明白である。・・・・・・第三の定義は、本とは情報を運搬したり、保存したりするための手段であるということ。それは、厚みとか広がりといったモノとしての実体をもっている。外延といってもよい。」と三つの定義をしています。
それと、よく外国の書斎の写真などを見ると、革張りの装丁で、ほとんど同じような本が並べられています。意外と装丁的にはおもしろくないな、と思っていたのですが、それには、「当時(16世紀)の書物は、いうまでもなく印刷されたページは、それぞれ別個に束とされるため、版元において製本されることはなかった。購買者は、その集積された束をもちかえり、あらためて製本職人のもとに持参して、好みの装丁を付すことになっていた。むろん、その装丁法には個性があり、それをも書物の質として享受したのである。」という事情があったそうです。
つまり、その本の束を買ってきて、自分で装丁職人に頼むので、自分好みの装丁になったというのです。たしかに、それもおもしろいですが、私は背表紙も楽しいので、それではつまらないと思っていました。
でも、数年前にネパールに行ったとき、書店の本を選んでカウンターに持っていったときに、自分好みの革張りの装丁をしてみませんか、と言われ、2冊だけしてもらいました。たしか、1冊2,000円程度だったと思いますが、今でもその背表紙を見て、思い出しています。
(2011.11.06)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
図説 本の歴史(ふくろうの本) | 樺山紘一 編 | 河出書房新社 | 2011年7月30日 | 9784309761695 |
☆ Extract passages ☆
図書館は、多くの本との出合いを演出し、本を読むことの楽しさを教えてくれる場であり、出版文化の発展には欠かせない存在である。私たちにとっては馴染みの深い施設だが、日本において「図書館」の名称がはじめて使われたのは、じつは明治時代にはいってからである。それまでは、「文庫」がその役割を果たしてきた。
収集した書物や書籍を公開する施設としては、すでに奈良時代にその姿を見ることができる。8世紀に石上宅嗣(いそのかみのやかつぐ)が私邸内に設けた芸亭(うんてい)がそれで、わが国における最初の公開図書館といわれている。彼は、この書斎ともいえる文庫で、学者などに蔵書を開放していた。同じような例が、平安時代に菅原道真が邸内に開設した、書斎兼文庫である紅梅殿にも認められる。
(樺山紘一 編『図説 本の歴史』より)
No.644 『世界で損ばかりしている日本人』
じつは、私もこの本の題名になっている『世界で損ばかりしている日本人』という意識があります。どうも、英語が弱いというだけでなく、外交力もないのではないかと思っていました。そのきっかけは、あの湾岸戦争のとき、総額ははっきりとはわからないのですが、おそらく2兆円ほども捻出しておきながら、アメリカの新聞一面にクウェート政府が支援国への感謝を述べた広告記事に、日本の名が掲載されていなかったことからです。やはり、お金だけ出して、軍隊を出さなかったからだろうかとか、いろいろ考えたのですが、巨額の金額に見合うだけの認識をされないというのでは、まさにまったく損な話しです。今回の東日本大震災で、クウェート政府は約400億ドルの原油を被災地に贈ったそうですが、それでもまだ、いささか腑に落ちません。
でも、この本を読んで、やはりそうだったのか、という思いです。
たしかに、日本人同士だけですと、日本語だし、気心も知れてるし、それなりの会話でも通じますが、外国ではそういうわけにはいきません。この本にも書かれていますが、損をしないためにも、「わかりきったことでも言語化する」、「相手に攻撃されたら、絶対黙っていてはいけない」、「たまには相手が話し終わるのを待たないで話し出す」、「謙遜は絶対にしてはいけない」、「自分の意志をはっきりさせる」、「相手の気持ちはこの際無視する」、のが秘訣なんだそうです。
つまり、日本人なら、誰でも嫌なヤツだと思うことばかりです。
でも、海外の国際機関で仕事をしてきた著者が言うのですから、そうなんだと思います。
もし、日本を出て、国際的な仕事をしたかったら、日本人の培ってきた伝統的な考え方をあっさり捨てることが必要なようです。著者は、『国際社会で成功するということは、「日本人の自分」を売ってしまうとこと』だと極言しています。
この本を読んで、いかに日本人は国際的には異端児であるかということと、その日本人らしさを絶対に忘れたくないという、二面的なことを考えました。
これから国際舞台で活躍したい若者にこそ、ぜひ、読んでもらいたい本だと思います。
(2011.11.03)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
世界で損ばかりしている日本人 | 関本のりえ | ディスカヴァー・トゥエンティワン | 2011年5月15日 | 9784799310175 |
☆ Extract passages ☆
国際機関の面接は「喋るが勝ち」の世界である。欧米人はどんな方式であっても、本領発揮できるのだ。私は長年日本人候補者がつまらない理由で落とされていくのを見てきた。英語がたどたどしいとか、発言量が少ないとか、説得力に欠けるとか、そんな理由で不採用になったりする。パネル方式は、人前での議論に慣れていない日本人の弱点が出やすい。日本人にとって絶対に不利なのだ。
このように国際機関での採用には、文化的な要因が大いに影響する。候補者の文化的背景をまったく無視し、欧米人の価値観だけで運営される歪んだ採用方式は、絶対に是正されるべきだ。
どの国際組織でも、「日本人職員の数を増やせ」という「掛け声」だけはかけている。それはあくまで、日本に拠出金を出し続けてほしいがためのことだ。日本政府へのポーズとしてだけでも、「日本人職員の数を増やさないとだめですよ」ということは、どこの国際機関でも各部の部長クラスはマネジメントから言われている。
(関本のりえ 著『世界で損ばかりしている日本人』より)
No.643 『憩う言葉』
隠居がらみでこの本を選んだのですが、この本の第4章が「しあわせな隠居」です。ちなみに、第1章は「憩う」、第2章は「呑む、食べる」、第3章は「男と女」、そして第5章が「杉浦日向子」です。自分が題名になっているということは、著者が故人であり、その生前に発表されていた作品のなかから、これらの言葉を抜粋したということです。もちろん、ここに掲載するには遺族の了解も必要ですし、その監修もあったと最後に書いています。
著者は、江戸文化評論家という肩書きでマスコミにも出たことがありますが、これらの抜粋を読むと、ほんとうに江戸文化が好きだったことがわかります。たとえば、「文献にあたっている時は、時間がゆーっくり過ぎてるみたいな感じで。いいなァーと思うんです。気分いいです。ハイ。」とありますし、「一番楽なところに、すり鉢の底みたいにはまったところが江戸だったという感じです」ともあります。
つまり、知らず知らずにはまり込んでいったところが、たまたま江戸文化だったようです。それでも、肩張ってたときにはニューヨークのポップアートだったというから、意外です。
でも、浮世絵なんか見てると、ポップアートに一脈通じるものがあるから、なにか知らないところで見えない糸に導かれてしまったのかもしれません。
また、この言葉にも、妙に納得してしまいましたが、この本の題名にもなっている「憩う」という言葉ですが、そこには「憩う、とは、ただのんべんだらりと時を過ごすことではない。余分なものをそぎおとして、素になるときこそが、憩いであろう」と書いてありました。下に抜き書きしたのも、なるほどと思った文章です。
小冊子ですから、ほんとうに簡単に読めてしまいますが、なんども読み返せば、ますます味わい深い語句が並んでいることに気付かされます。
(2011.10.31)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
憩う言葉 | 杉浦日向子 | イースト・プレス | 2011年5月20日 | 9784781605845 |
☆ Extract passages ☆
なぜ、女というものは、たなごころにスッポリ収まってしまう、他愛ない、ちいさいものに、魅かれるのだろう。男は、どちらかと言うと、スッポリ収まりたいのではないか。古くは茶室、書斎、そして車。そんなのに凝る男は多い。包みたい女、包まれたい男。
(杉浦日向子 著『憩う言葉』より)
No.642 『隠居大学』
隠居への道は一本だけではないということで、隠居道の達人6人とお相手の編集者である天野祐吉が対談するという構成です。その達人は、横尾忠則、外山滋比古、赤瀬川原平、谷川俊太郎、坪内稔典、安野光雅の各氏です。場所はアミューズミュージアムの6階の100人ほど入れる広間だそうです。この6人の順に、2010年6月から12月まで、8月は夏休みですから、ちょうど6回ということになります。
副題は「よく遊びよく遊べ」ですから、いかに隠居になったら気持ち良く遊び続けるかということに尽きます。まさに隠居の達人は、遊びの達人でもあるわけです。
おもしろいので、あっという間に読んでしまったのですが、読みっぱなしではせっかくの印象も忘れてしまうと思い、8枚ほどカードを作りました。
その1つは、『うまい具合にね、あるものは残し、あるものは忘れるという「選択的忘却」をしたいわけです。じつは普通に情報のバランスが取れている人は、意識しなくても毎日、寝ているあいだに選択的忘却をやっているんですよ。よく寝ると朝起きたときに頭がすっきりするというでしょう。それは、レム睡眠のおかげなんですよ。レム睡眠の間、脳は必要な記憶と不要な記憶を片っばしから分別して、必要な情報を保存していきます。不要な情報は消去されていくんですが、夜の間にレム睡眠は2、3回起こりますから、朝までに80パーセント程度は処理されているはず。すっきりしたと感じるのは、不要な知識のゴミ出しが済んだからなんです。』ということです。やはり、この選択的忘却というのは、とても大事な作業だと思います。それを無意識のなかでするわけですから、そこに大きな意味があるように思います。
また、下に抜き書きしたのも外山滋比古さんとの対談の言葉です。
なんらかの機会に、外山滋比古さんの著作を読んでみたいと思いました。
(2011.10.30)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
隠居大学 | 天野祐吉 編 | 朝日新聞出版 | 2011年6月30日 | 9784022508607 |
☆ Extract passages ☆
天野 もし二毛作にチャレンジしなかったら、どうなるんでしょう。二期作というのかな。前半の人生と同じものをつくる。たとえば、定年を迎えたけれど、嘱託社員として会社に残って、空いた時間で好きなことをするというような・・・・・・。世の中には、そういう隠居スタイルの人もいると思うんですけど。
外山 いや、それはエセ隠居です。高級官僚の天下りがいい例です。二毛作目をやるのは面倒くさいし、自信がないから、とにかく一毛作の延長で行こうとしがみつく。そんな甘い考えではいい年寄りになれません。といってもわたしもね、少々まわり道をしたんですよ。大学で教師をしていたんですが、最初の勤め先を定年退職したあと、もう一度別の学校に勤めに出た。これがよくなかった。
天野 二毛作ではなく、二期作になった?
外山 そう。本当は最初の定年でちゃんと辞めて、二年か三年かけて第二の人生についてじっくりと考えればよかったんです。でもずっと従業員をしてきたものだから、来月から急に定収入がなくなるというのが不安になってしまって。そこへ声をかけられて、ひょいと行ってしまったんですね。
(天野祐吉 編『隠居大学』より)
No.641 『利他的な遺伝子』
副題は「ヒトにモラルはあるか」というのですが、そのモラルと利他的とを結びつけようとしていると思いました。たしかに、著者がいうように、「人には二通りの生き方がある。一つは、自分本位で、自分の利益、利権を求めてひたすら利己的に生きる生き方である。もう一つは、人間的なつながりを大切にして、他者を思いやり利他的に生きる生き方である。多くの人たちはこの二つの生き方をそれぞれもっていて、二つのバランスをとりながら生きている。」ようです。その二つの生き方をヒトのからだのなかで、どんな物質や機構があり、それらがどのように行動に影響を及ぼすのかがこの本の主題のようです。
この本を読むまでは、利己的な行動は比較的本能に近いような気がしますし、利他的な行動はより人間的なもので、それはある意味、遺伝子のなかに組み込まれてはいるのでしょうが、育つ環境や教育などの影響のほうが強いような気がしていました。
この本を読むと、それらがまんざら違うというのではありませんが、そんなに簡単に割り切れないのだそうです。でも、利他的なことは進化的にも新しく、より発達した脳(心)の働きだといいます。
つまり、よい生き方というのは、利己的とか利他的とかに偏ったものではなく、そのバランスが適切に保たれていることが大切だとして、本の最初に紹介したアーミッシュの少女たちの教室での人質事件のことから、今年の3月11日の東日本大震災、さらには福島第1原子力発電所の事故などを考え、「アーミッシュの人たちの暮らしは、古いようで、実は、これからの時代の暮らし方を示す一つの形であるかもしれない。人類が持続可能な地球社会をつくつていくためには、彼らの生活の仕方は貴重なヒントとなるだろう。」といいます。
でも、彼らのようにできるかどうかを考えると、ちょっとできないかもしれないと思ってしまいますが、この世の中には、今でも古い時代の暮らし方を基準にして生きている人たちがいると思っただけで、少しは今の物にあふれた生活を見直すきっかけにはなると思います。今年の夏場の電力使用量の15パーセント削減も、過ぎてみるとなんとか達成できたようですし、ある家庭や会社では、30パーセントも削減できたそうです。やればできる、というのが率直な印象です。
下に、そのアーミッシュの人たちのことを抜き書きしましたので、参考にしてみてください。
(2011.10.28)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
利他的な遺伝子(筑摩選書) | 柳澤嘉一郎 | 筑摩書房 | 2011年6月15日 | 9784480015228 |
☆ Extract passages ☆
彼らは自然を愛し、自然と共存して生活している。人とのつながりを大切にし、互いに助け合い、協調して、みんなで一緒に生きている。そのために、彼らはまず、自分の欲望を抑え、他者を優先させて、目先の利益も利便も求めず、物よりも心を求めて生きている。人のために生きることによって、自分を生きているのである。
アーミッシュは、きわめて敬虔な人々である。教会の権威を否認したためにヨーロッパで迫害されて、17世紀に、アメリカ大陸へと移住した。最初に移住したのは500人ほどだったというが、今では、ペンシルベニア州、オハイオ州、さらにはカナダにも移り住んで、その数は20万人余りにもなっている。
(柳澤嘉一郎 著『利他的な遺伝子』より)
No.640 『実りの庭』
しばらく原発関連の本を読み、いささか気が滅入ってきたので、気分転換を図る意味からも、まったく違うジャンルの本を選びました。この本は、エッセイもので、何分にも気楽に読めそうなところがいいです。
と思いながら読み進めると、意外とそうでもないことに気付きました。生きるってそれなりに大変なことで、しかも、あっという間に、時間ばかり勝手に過ぎ去ってしまいます。光陰矢の如しです。
でも、生きていくことばかりでなく、逝くということにもそれなりのエネルギーが必要だと著者は言います。「生きることと同じくらい、去ることも大事業だ」といいます。生きても逝っても大変なら、じゃあ、どうすればいいのか、と思ってしまいます。
著者は、今の時代は下に抜き書きしたような時代だから、できないことはできないのだと割り切ることだといいます。「できないことをやろうとすると、ひずみが出る。わたしは幼少期から、できないことは
努力して克服することをよしとして生きてきた。親にも学校にも、そういう教育をされた。しかし五十の半ばを迎えたとき、わたしの中で何かがカチリと切り替わった。もう努力しない。無理しない。気合入れない。楽しいことだけやって生きる。それでもいいでしょう? こんなにがんばってきたのだから、とわたしは自分に問いかける。」のだといいます。
30編の最後が題名と同じ「実りの庭」で、ほかの編よりは少し長めの文章で、なんとなくまとめみたくなっています。でも、それを読みながら、作家というのは大変な仕事だと思いました。ある種の虚構はあるにしても、ここまで私生活を開け広げて公開していまうというのは、私にはできません。それをいいとか悪いとかいうのではなく、できるかできないかといわれれば、私にはできません。
でも、そこに書かれた内容が、ある意味、自分にとっては自ら気づき得ないことを気づかせてもらったような気分になり、読んでよかったということはあります。そこに、この本の価値があるのかもしれません。
とても読みやすいので、この読書の秋におすすめです。
(2011.10.25)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
実りの庭 | 光野 桃 | 文藝春秋 | 2011年5月25日 | 9784163736006 |
☆ Extract passages ☆
手っ取り早く結果を出すこと。快楽のためにお金を使うこと。自分と向き合うのが怖いと独楽のように仕事に埋没し続けることや、キャリアと同じ目線で結婚や子どもを手に入れようと目論むことも、このまま続けていったら崖から下へ落ちてしまうのではないか、と思えるほど、もう目の前に危機は迫っているように思う。
このまま走ったら確実に先はないのではないか。ここで止まって、足元を見直すべきなのではないか。
江戸から明治へと価値観が大きく変わったときのように、むしろそれ以上に厳しい価値観の転換を誰もが強いられるときなのではないだろうか。なぜなら、その原因を外に求めることができないからだ。時代の趨勢に流される、と言い訳ができない。すべては人間の内側の「心の生活」の部分で起こつていることだからだ。
(光野 桃 著『実りの庭』より)
No.639 『いま自然をどうみるか-新装版-』
この本は、もともとはある研究会に提出した報告「エコロジズム自然論の試み」だそうで、そのおおよそのプロットはその報告を用意する過程で出来上がったそうです。それが1985年10月の「あとがき」に書かれてあります。
そして、その後、1986年4月29日のチェルノブイリ原発事故があり、原子力の問題がクローズアップされてきて、自然と人間をめぐる新たな流れを整理しなければならず、あらためて「増補」という形でこの本を世に問うたと「増補新版へのあとがき」に書かれてありました。それが1998年5月のことです。
そして、今年の3月11日、東日本大震災があり、福島第一原子力発電所の事故が起こり、また「新装版」として出版されました。著者は2000年に逝去されていますので、おそらく、著者以外の人たちがこの本を改めて再出版し、世に問おうとしたのではないかと思われます。たしかに読んでみて、今、改めて自然というものをしっかり考えなければならないと感じました。
もともと、日本人は自然とともにあり、むしろ自然に生かされていると考えていました。すべてのものに霊が宿り、その自然界のすべてがともに生かされているものと感じていました。誰が主役とか、誰のためにとかいうのではなく、すべて横並びに近い感覚を持っていました。
しかし、この本を読むと、西洋の考え方は違い、だからこそ、科学技術が発展したという側面もあるようです。明治以降の日本も、その西洋に追いつけ追い越せとばかりにそれらをすべて鵜呑みに取り込み、そして今があります。たしかに便利にはなったかもしれませんが、何かが欠けているような気持ちがどこかにあります。
それが、この原発の事故以来、少しずつ表に出てきたように感じます。この、今だからこそ、しっかりと自然と人間をめぐる流れを考えなければならないと思います。放射能の問題は、この大切な自然をどのようにして護るか、という問題でもあります。
(2011.10.22)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
いま自然をどうみるか-新装版- | 高木仁三郎 | 白水社 | 2011年5月10日 | 9784560081563 |
☆ Extract passages ☆
ここに、核テクノロジーやバイオテクノロジーによって提起された問題は、従来のテクノロジー・アセスメント(技術影響評価)でカバーされる問題とほ明らかに次元の異なる問題である。仮に、これらの技術が安全上や経済上、目立った悪影響なしに進行しえたと仮定し、したがってテクノロジー・アセスメントの対象となるような問題を次々とクリアして発展していったとしても、問題の深刻さほいっこうに変らないのである。いや、そのようにして技術が発展すればするだけ、深刻化するであろう。
そしてこの問題は、すでに私たちが問題にしてきた引き裂かれた自然、あるいほ第一・第二の自然とい問題に深く関わっている。西洋近代に発達した人間中心的な自然観は、それが技術的達成をすればするだけ、ますます人間を自然界の中の孤独な征服者としていくのである。しかも、人間の内なる「第一の」自然は、征服されるべき自然の側に帰属しているのだから、私たちの内側で、先に述べた「引き裂かれた状況」はますますひどくなるのである。
(高木仁三郎 著『いま自然をどうみるか-新装版-』より)
No.638 『世界一わかりやすい放射能の本当の話』
最近、放射能に関する本を読んでいますが、イマイチ、理解できないところがあり、この本を見つけました。題名が『世界一わかりやすい放射能の本当の話』といいますから、この本が理解できるようでなければどのような本を読んでもつまりはわからないということなのでしょう。
と思いながら読みますと、たしかにわかりやすいのですが、100ページにも満たない内容なので、これでは初歩の初歩なのかな、と思いました。でも、わかりやすさと詳しくないというのは、まさに紙一重で、その両方を満足させるのは困難なことです。もし、これを読んで、さらに知ろうと思えば、他の詳しい本を読んでくださいという意味だと思います。そのようなとっかかりの本ではあります。
よく、ベクトルとシーベルトという単位が出てきますが、この本では、「ベクレル(Bq)ですが、これは放射性物質が持つ放射能の強さを表しています。1ベクレルは1秒問に1個の原子が崩壊していることを表しています。・・・・・・放射性物質の放射能の強さが、そのまま人体に影響の程度を決めるわけではありません。そのため、放射線を人が浴びた場合の影響の程度を示す単位としてシーベルト(Sv)が用いられます。シーベルトとベクレルの関係は、懐中電灯の光と、それを見る人が感じる明るさに例えられることがあります。懐中電灯の光を、すぐそばで見るととても明るく感じられますが、遠くから見ると決して明るく感じられません。これと同じように、強い放射線を発するもの(ベクレルの数値は大)があっても、遠ざかれば人への影響は弱くなるので、シーベルトの数値は小さくなります。」のように説明しています。とてもよく理解できます。
また、放射能の被爆すると危険だといいますが、どのようなものかを下に抜き書きしました。
やはり、これから放射能を考えずに生きられないとすれば、ここに書いてるようなことは、ぜひ知っておくべきだと思います。
(2011.10.18)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
世界一わかりやすい放射能の本当の話 | 別冊宝島編集部 編 | 宝島社 | 2011年5月4日 | 9784796683234 |
☆ Extract passages ☆
放射線による健康被害が問題になるのは、放射線が人間の細胞分裂に悪い影響を与えるからです。放射線が体内を通過、あるいは到達すると細胞内にフリーラジカル(活性酸素)という物質ができます。これがDNA分子と化学反応を起こし、遺伝子情報を傷つけるのです。DNAは2本の鎖状の物質で成り立っていますので、損傷を受けるのが片方だけであれば自己修復されます。しかし、2本とも傷つけられると修復は不可能になり、細胞分裂が不可能になっていきます。これが外皮で表れると皮膚が剥がれ落ち、内臓で表れると臓器が機能しなくなるなどの放射線障害となるわけです。特に、細胞分裂のスピードが速い骨髄の造血幹細胞などは放射線の影響を受けやすいとされています。被曝後、白血球の減少による免疫力の低下や貧血などが起こるのもこれが理由と考えられます。また、白血病や(特に小児における)甲状腺がん、妊娠初期の妊婦が被曝した際に胎児に表れる奇形なども被曝の影響と考えられます。
(別冊宝島編集部 編『世界一わかりやすい放射能の本当の話』より)
No.637 『放射能と生きる』
この本は、著者のブログに、東日本大震災が起こった翌日(3月12日)から5月5日までに載せたものを整理し、まとめたものだそうです。読んでいて、臨場感があるのは、そのような事情があるのではないかと思います。あの情報が錯綜していたときに、しっかりと前を見据えたブログの内容に、勇気づけられたり、ガッカリされた方もおられたのではないかと思います。
しかし、それが現実であれば、やはり、受けいれざるを得ないのでしょう。
この本には、まさに放射能と生きるために必要なことが書かれています。もう、ダメだ、と思うのではなく、放射能を怖がるだけでなく、これからどのように生きるべきかを具体的に書いています。
これから先、当分というよりまだまだ不透明ですが、嫌々ながらも放射能とつきあっていかなければならないのです。だとすれば、よく知って、どのように対処すべきかを考え、少しでも放射能の影響を避けるような生き方をしなければならないでしょう。そして、将来的には、避けるだけでなく積極的に除染し、原発事故前の普通な生活を取り戻さなければならないと思います。
だとすれば、嫌うだけでなく、知るということも大切なことです。
この本には、5月5日のこどもの日までの流れしか書いてありませんが、このこどもの日というのは、とても象徴的な気がします。というのは、この放射能の影響を受けやすいのが幼児や子どもたち、そして妊婦さんたちです。何があったとしても、絶対に守らなければならないのです。できる、できないということではなく、どんな方法を使ってもしなければならないのです。
おそらく、これからもこのような本は次々と出版されることと思います。それらを読んで、少しでもその真実の姿を知り、対処しなければと考えます。
(2011.10.16)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
放射能と生きる(幻冬舎新書) | 武田邦彦 | 幻冬舎 | 2008年6月30日 | 9784344982192 |
☆ Extract passages ☆
放射線に当たったらもうそれで終わりと思っている人がおられるのですが、普通の病気と同じようにいったん放射線に当たっても、自分の体の抵抗力と免疫力が強ければ、元の体に戻してくれます。そうなると普通の病気と同じですから、まず第lに体力をつけておくということが必要であることがわかります。
私がやや放射線に対して楽観的なのは、放射線が弱いということではなく、人間の体には治す能力があることによります。人間は他の動物と比べても放射線で受けた傷を治す力が強いのです。
そして第二には、「連続的に放射線を浴びない」ということです。逆に「連続的に放射線を浴びる」ということは、風邪で言えば「風邪をひいているのに、まだ寒くて乾燥しているところ(ウイルスがいるところ)にいる」ようなものです。放射線でも同じです。外部に出て放射線を浴びたと思ったら、その後は家の中に入り、しばらくじっとしていることです。それで回復します。
(武田邦彦 著『放射能と生きる』より)
No.636 『花はふしぎ』
この本の副題は、「なぜ自然界に青いバラは存在しないのか?」で、花そのものに焦点を当てて書いています。第1章は「花の多様性」、第2章は「花の色のふしぎ」、第3章は「開花のふしぎ」、第4章は「花たちの環境への適応戦略」、第5章は「人類によって作られた花たち」です。そして、そのところどころに「コラム」があり、読み飽きないような工夫もされています。
「まえがき」に、2007年3月から6月にかけて著者の所属する国立科学博物館の上野本館で、特別展「花――太古の花から青いバラまで」をおこなったそうですが、それがこの本の流れになったような気がします。
著者は、「花は一部を除いて、食べるわけではないし、資源として利用できるわけでもないのに、確実に現在、私たちの生活になくてはならないものになつている。花はせわしない生活の中にあって、私たちの心に安らぎを与えてくれる。それが私たちには美しいと見えるのではないだろうか。ところが自然界に日を向けると、花は、植物が自然界で生き残るにあたり、そんなきれいごとでは済まされない大事な役割を持っている。それは花が植物の生存と繁殖を担う器官、すなわち重要な生殖器官だからである。といいます。
植物に興味のある方なら、ぜひお読みいただきたいと思います。花はきれいだとよくいいますが、その陰に隠された大事な役割を知ることによって、さらに花の不思議な魅力を感じるようになりました。まさに、知れば知るほど、さらにその奥に秘められた不思議さに触れ、さらに知りたいと思う探求心が芽生えました。
ほんとうに花は不思議な存在です。
下に、いつ頃から人類は花を観賞することなったのかという部分を抜き書きしました。これを見ると、花と人とは相当長い付き合いのようです。
(2011.10.13)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
花はふしぎ(講談社ブルーバックス) | 岩科 司 | 講談社 | 2008年7月20日 | 9784062576079 |
☆ Extract passages ☆
人類がいつから花を観賞用として利用し始めたのかについては、少なくともその証拠が残されている事例は、イラクの北部にあるシャニダール洞窟遺跡であろうといわれている。この遺跡は六万年前のネアンデルタール人のもので、この洞窟内の地層の分析を行ったところ、ヤグルマギク、タチアオイ、ノコギリソウ、ムスカリ、それにキンポウゲの仲間の花粉が発見された。これらの植物はもちろん洞窟内では生長することができないので、当然ネアンデルタール人が持ち込んだもので、おそらく死者を葬るために用いたのだろうと推測されている。
また、古代エジプトでも、ヤダルマギクがツタンカーメン王の柩から花の首飾りとして発見されたり、またスイレンやケシも観賞用として栽培されていたようだ。
日本においても、すでに縄文時代には花が観賞用として栽培されていたと推定されている。その花はヒョウタンで、9,600年前の琵琶湖の粟津湖底遺跡や8,500年前の福井県三方五湖の鳥浜貝塚からその種子が出土している。ヒョウタンの花はユウガオと同じで、雌花にしか果実が実らないので、おそらく花は観賞用として栽培されていたのだろうと財団法人進化生物学研究所の湯浅浩史博士は説いている。
(岩科 司 著『花はふしぎ』より)
No.635 『ボノボ』
この本は、『世界を知る101冊』で紹介された1冊で、何冊か注文したなかの1冊でもあります。
この本を読んで初めて知ったことも多く、たとえば、サルにはモンキーとエイプというのがあり、その区別は尻尾があるかどうかだそうです。このエイプは「類人猿」と呼ばれ、尻尾がなく、ヒトに近いサルという意味だそうです。この仲間は、ゴリラ、オランウータン、チンパンジー、ボノボの4種です。このボノボは、以前はチンパンジーそっくりなので、「ピグミーチンパンジー」とよばれていましたが、1929年にまったく別の種だと初めてわかったそうです。
しかも、進化過程からみると、700万年前にヒトとチンパンジーやボノボが別れ、300年前にチンパンジーやボノボが別れたといいますから、ヒトとボノボのDNAは、たった1パーセントしか違わないそうです。でも、ちょっと信じられないような気もしますが、この本を読んでいくと、まんざら嘘でもないかなという気になってきます。つまり、それほど似ているということでもあります。
このボノボが暮らしている地域は非常に限られたところで、コンゴ民主共和国の西・北・東をコンゴ川とルアラバ川が、南をカサイ川とサンクル川が囲む楕円形のなかにだけだそうです。だから、その川の向こうにはチンパンジーのすむ地域もあるそうですが、四方を大きな川で囲まれているような地形なので、まさに孤立した大きな島にすんでいるようなものだといいます。
この付近の民話に、ボノボも村人の一人だったというものがあるそうですが、それほどヒトに近い存在だったということになります。
読めば読むほど、ほんとうにヒトに近いというのがわかります。そして、無意識でしていることが、意外と本能に裏付けされたもののようで、いろいろと考えさせられます。よくチンパンジーはオス社会で争いごとが多いといいますが、このボノボはメス社会でなるべく争いごとをしないようにしているそうです。どのようにするかは本を読んでいただいたほうがいいのですが、さわりだけ下に抜き書きしました。
もし、平和に暮らしたいと思うなら、ぜひ、この本をおすすめします。
(2011.10.09)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
ボノボ | 江口絵理 | そうえん社 | 2008年12月 | 9784882643050 |
☆ Extract passages ☆
あらそいごとや緊張の原因からうまく注意をそらしてなかよくやっていくカ。ボノボは性行動をすることでケンカを回避し、距離の遠かった相手となかよくなります。人間はボノボほどには性行動を利用しませんが、できれば相手を傷つけることなくやっていきたいという気持ちを強く持ち、日々、工夫をこらしてコミュニケーションをとっています。
過去や未来について考えるカ、言葉で意図を伝えることのできる潜在能力。カンジは過去についても未来についてもコメントしていたし、カンジばかりでなくパンパニーシャも、もしかしたらタムリも言葉で意思を伝えるカを持っています。もともとは人間だけが持っているとされた言葉によるコミュニケーションの能力は、程度や形の差こそあれ、ボノボと人が共通して持っているものでした。
(江口絵理 著『ボノボ』より)
No.634 『色物語』
この本は、読むというより色を感じるためのもののようで、ジャンルとしては写真集ではないかと思います。
だから、サーッと見れば、1時間もあれば終わってしまいますし、色を楽しみながら見ると、何十時間もかかります。その意味でも、じっくり眺める写真集です。
この本を読んで気付いたのは、実際に写真を撮っている人のコメントと、撮らないでその写真を見ながら文章だけを書く人とでは、まったく見方が違います。たとえば、夏の色のところで、美瑛の畑のようすを撮った写真では、高橋真澄氏は「畑が織りなす幾何学模様は毎年作物も違いいつ見ても新しい発見でいっぱいだ」とありますが、一方、杉山氏は「抹茶ケーキの装飾」と表現し、その違いが際立っています。また、秋の色のところでは、高橋氏は「白ひげの滝に光が差し込むと紅葉が艶やかに浮かび、日陰の滝はあやしく蒼く輝いていた」と書き、杉山氏は「寒色と暖色の見事なコントラスト」とあり、この違いを感じただけで、この本を読んでよかったと思いました。
やはり、写真というのは、その場に立っていろいろと感じながら撮っているはずですし、それを見るのは、その写真から受ける印象しかないわけで、それが全てでもあります。その違いが2人の表現の違いにも現れたように思います。
下に高橋真澄氏の写真を撮るときの姿勢みたいなものを抜き書きしました。興味のある方は、読んでみてください。
(2011.10.06)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
色物語 | 写真-高橋真澄、文と構成-杉山久仁彦 | 清菁社 | 2010年9月1日 | 9784883500611 |
☆ Extract passages ☆
いつも撮影する時は、景色と色と形をどのように組み合わせるかを一番に考えます。自然風景を撮影する時は、自然現象や季節などの時間や場所や歳時を選んで撮影すると思われますが、当然その事は意識します。しかし、その事だけが主流だと自然や時間に撮影が依存してしまうので、色や形の中に自然を落とし込むような気持ちで、いつでもどこでも撮影できる心持ちにして毎日臨んでいます。その中で色の占める割合はとても大きく、鑑賞者に対して直接感じてもらえる色彩は当然ですが、こちらの思いを直接伝える潜在的な色の感情表現を内封出来ればと思っています。色と形の共鳴がより自然風景を味わい深いものにし、おのおのの物語を紡ぎ浸ってもらえる作品作りを目指したい。
(写真-高橋真澄、文と構成-杉山久仁彦『色物語』より)
No.633 『山で失敗しない10の鉄則』
もともと山は好きだし、最近でもシャクナゲの花を見に山に出かけたりしています。もと山ヤとしては、当然ながら今までの経験からいろいろと学んでいます。
ところが、2009年7月中旬の大雪山系トムラウシ山での事故は大きな衝撃でした。それは旅行会社主催の登山ツアーだからというのではなく、夏山で低体温症や凍死というちょっと考えられないことが原因だったからでもあります。でも、冷静になって考えてみると、やはり、あり得ないことではないのです。
ちょうどその同じ年月の上旬に大雪山系の旭岳や富良野岳に登ったのですが、その年はいつもの年より残雪も多く、だからこそキバナシャクナゲも盛りで、いろいろな写真も撮れたのですが、これで深い霧に覆われて登山道が見えなくなったら、やはり恐いと思いました。山の気温は急激に変化をします。平地とはまったく違います。そこがまた、山の魅力でもあり、怖さでもあるわけです。
そこで、この『山で失敗しない10の鉄則』というのが出たと知り、さっそく読んでみました。
ほとんどが私もそう思うような内容で、目新しいことはなかったのですが、改めて考えるきっかけにはなりました。
この本で、「安心登山の10ヶ条」というのがあり、「1、家族の理解を得ておく。2、装備と服装を整えておく。3、体力を養成しておく。4、技術を習得しておく。5、知識を蓄えておく。6、計画は万全にしておく。7、いい仲間を育成しておく。8、リーダーシップを発揮する。9、メンバーシップを発揮する。10、山岳保険に加入しておく」とありました。
当たり前といえば当たり前のことですが、意外とこの当たり前のことが守られていなかったりするのです。たとえば、登山計画書を提出するのは絶対に必要なことですが、さらに緊急連絡先もメモ程度でも残すようにしなければならないのに、この程度の山で遭難することもないという安易な考えでしなかったりが多いようです。
この本は、そういう意味では、改めて山に出かけるときの心構えを見直すきっかけになりました。
(2011.10.03)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
山で失敗しない10の鉄則(文春新書) | 岩崎元郎 | 文藝春秋 | 2011年5月20日 | 9784166608072 |
☆ Extract passages ☆
『登山の運動生理学百科』の著者でもある、鹿屋体育大学の山本正嘉教授によれば、20歳のときの体力を100とすれば、1歳加齢する毎に体力は1%ずつ減少するという。
中高年になれば、若いときと同じようには登れないということなのに、それと自覚しない中高年が少なくない。中高年登山者が増えた分、中高年登山者の事故が増加した。行きたい山と、行ける山とのギャップに気づこうとしない中高年。
いや、気づいているのかも知れない。
(岩崎元郎 著『山で失敗しない10の鉄則』より)
No.632 『世界を知る101冊』
今日から10月ですが、まさに読書の秋が始まります。その最初に、このような書評の1冊を読み、これも不思議な縁だと感じました。
でも、考えてみると、人との出会いも本との出会いも同じようなもので、なにがしかの縁を感じないわけにはいかないようです。著者も「書評したい本と出会わなければはじまらない」と言っています。そして、「本が開いてくれる世界を紹介しながら私自身の世界も広がってきたのは、さらに幸せなことだと思う」とあり、本好きなものとしては、すごく納得できることです。
そもそも、好奇心というのは、人も他の動物でも、子供時代のほうが好奇心は強いものです。著者は、「じつは動物の子どもはどれも、ある程度好奇心が強い、自分が生きてゆく世界について知っておく必要があるからである。ただし知りたいあまりに冒険しすぎると、外敵にやられる。人間の場合は、好奇心を大人になっても持ち続けている。大人の多くは社会で生きる分別と引換えに失ってゆくけれど。科学者は、子どもの好奇心をずっと持ち続けて大人になった人たちだと言ってもよいだろう。」と書いています。
そして科学というのは、『この世界を「知り、理解する」人間の営みだ。「知ること」は人間という生物に、とほうもない喜び、そして力を与える。世界を理解したいという科学的好奇心は、はるか昔から人間に備わってきた本能だ。新しい事実の発見や謎の解明に魅せられて一生を費やす人々が、科学者である。』といいます。
やはり、この好奇心こそが知りたいという欲求のもとであり、それを忘れないということも、科学者だけでなく一般人にも必要なことだと思います。
よく、文系だとか理系だとかいいますが、ほんとうはどちらも必要です。3月11日の大震災やその後の福島第一原発の事故などでも、ある程度の科学的な基礎知識がなければ理解できないことがたくさんあります。この放射能の問題は、知る知らないにかかわらず、多くの人たちの生活に多大なる影響を及ぼしますし、知らないですませるわけにはいかないのです。野生動物と同じように、自分の命は自分で守るというのは基本です。
この本を読んで、今の科学のアウトラインだけはつかめたように思います。ここで紹介された本の10冊程度は、すぐに本屋さんに注文しました。でも何冊かは、品切れだそうです。それをインターネットで探したら、すべて見つかりました。
本当に今の世の中は、便利です。その便利さも、ここ10年ほどのことですから、便利さを享受するだけでなく、しっかりとその便利さの裏に潜む科学的問題もあわせて考えたいと思います。
さあ、今月は、楽しみながらゆっくりと本を読むぞ〜!
(2011.10.01)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
世界を知る101冊 | 海部宣男 | 岩波書店 | 2011年6月9日 | 9784000062787 |
☆ Extract passages ☆
怖いからこそ、よく知り、知らせる。知ることが安心につながる。そのようにして、火山という怖くて美しい存在との共存が可能になる。それを体現するものが、遅まきながら富士山でも第一バージョンが完成したハザードマップだ。このマップを理解すると、多くの恐れが実は過大なものであったことも、わかってくる。知識や経験の不足が、恐れを増幅するのだ。
火山のタイムスケールは長く、人間のそれは短い。噴火がおさまれば人はすぐ、ぎりぎりまで住み着く。災害は、一種のローンみたいなものなのだ。景観、観光、温泉など多くの恩恵を施したのち、自然は突然、取り立てに来る。ならば、支払いに備えよう。
(海部宣男 著『世界を知る101冊』より)
No.631 『学ぶよろこび』
著者は哲学者としては異端だと思いますが、異端だからこそ新しいものを創造できるといえるのかもしれません。
副題は「創造と発見」で、長年いろいろな人をお付き合いをして気づいたことの一つに、「だいたい、そういう学問の発見ができる人には、子供のような心を持っている人が多いんですよ。子供っぽい人が多い。無心な心を持っているというのが、共通点ですね。 賢い人はあかん。子供のような素直な心を持っている人でないと、そういうふうにはひらめかないんですね。常識に捕らわれない、子供のような無心な心を持って、それを歳をとっても持ちつづけていくこと。それが大事なんです。」と書いています。これはこの本の第3章の「ニーチェの言葉」で取り上げていますが、人生の3つの段階とは、最初はラクダのように重い荷を背負って乾き切った砂漠を歩くように忍耐のとき、次は砂漠のなかで何百年何千年にわたる価値に輝くドラゴンと戦うライオンのような勇気、さらに最後はまったく無邪気に一切をはじめ、一切をつくることができる小児になること、そこに創造があるということで、学者や芸術家のみならず、政治家や実業家も上人も農民もあらゆる人がこの3段階をへなければならないとしています。
これは、とてもおもしろい考え方で、異端であるが故に創造の世界に踏み出せると宣言しているようなものです。そういえば、心なしか著者の風貌もライオンのような感じがしないでもありません。
その小児の創造性を裏付けるかのように、数学者の岡潔の著書からの引用を紹介していて、「氏は子供時代にあまり勉強せず、チョウチョウとりやトンボとりに熱中したという。そしてこのチョウチョウとりやトンボとりのこつが後年、氏が、数学の難問を解く時に役立ったという。同氏は創造性の根源を情緒におく。そして情緒は、このようなチョウチョウとりやトンボとリを通じて、自然と親しむことによって養われたというのである。氏によれば、数学ばかりか、あらゆる創造は、情緒によって可能という。」と書いています。
さらに、多くの例をだして、このような考え方の正当性を力説しています。
つまり、この本の題名のように、学ぶことが辛かったらおもしろくなかったりすれば、それは創造や発見に結びつかないだけでなく、そこにはよろこびもないわけです。逆に言えば、よろこびがあるから、長続きもし、それが新たな創造や発見に結びつくのかもしれません。
(2011.09.28)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
学ぶよろこび | 梅原 猛 | 朝日出版社 | 2011年3月31日 | 9784255005737 |
☆ Extract passages ☆
五十年間の研究によって、私は日本の中心思想は「草木国土悉皆成仏」という言葉で表現される、浄土・禅・法華の鎌倉仏教の共通の思想的前提である「天台本覚思想」にあるのではないかと思うようになった。
「天台本覚思想」とは、人間や動物はもちろん、草木即ち植物、及び国土即ち鉱物や自然現象まで、総てに仏性があって成仏するという思想であるが、このような思想はインド仏教にはない。インド仏教で、「有情」即ち「生きとし生けるもの」というのはせいぜい人間と動物のみである。このような思想によって釈迦はベジタリアンになったのである。中国の天台仏教には、道教の影響でこのような思想が若干見られるが、それが中国仏教の主流にはならなかった。人間や動物ばかりか、植物や鉱物及び自然硯象まで成仏するという思想は、日本の台密即ち天台密教が生み出した「天台本覚思想」の「草木国土悉皆成仏」という言葉によって端的に表現されたのである。
(梅原 猛 著『学ぶよろこび』より)
No.630 『それでも僕は「現場」に行く』
著者本人と、ある会社のパーティで何度かお会いしたことがありますが、十数年前のときには、話しが先走って思いがなかなか言葉につながっていかないと感じましたが、数年前にあったときには、だいぶ講演慣れしてきたと思いました。ある国会議員の方もそのように話していましたから、的外れの考えではないと思います。
この本を読んで、いろんなことにチャレンジしていることを知りました。初めてお会いしたのは、まだエベレストの清掃活動をはじめたころで、七大陸最高峰世界最年少登頂記録も破られ、次はなにを目ざして進むのだろうと思っていた矢先のことで、なるほど、清掃活動をするのかと思いました。でも、エベレストより先に日本の富士山に先ず取り組むべきでないのかと率直に思ったことをこの本を読みながら思い出しました。でも、この本で、実は富士山には冬山しか登ったことがなく、そのゴミたちが雪に埋もれていて気づかなかったことや、その富士山の清掃活動にも関わってきたことなどを知りました。
また、戦没者の遺骨収集活動にも関わっていたことは、この本を読んで初めて知りました。
この本は、1年遅れてなんとか出版できたことを「あとがき」に書いてありましたが、この遅れが東日本大震災のことを頭に置いて書くことになったし、さらには「東日本大震災、私たちに何ができるか」の章を加えることができ、さらに内容の濃い本になったように思います。
著者が語るように、世の中には一方的な批判や誹謗中傷もたくさんありますが、それでも1歩1歩、前に進んでいくエネルギーはたいしたものです。
それと、書き方がストレートなところがあり、ときおりこれらがわきの甘さにつながるのかと思いましたが、読者にしてみると、それがおもしろいわけです。ものごとにこざかしい細工はせずに真正面から立ち向かっていく、その姿がいいわけです。
その一つの例として、下に抜き書きをしました。これはたしかに本音だな、と思いました。
(2011.09.25)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
それでも僕は「現場」に行く | 野口 健 | PHP研究所 | 2011年7月6日 | 9784569794198 |
☆ Extract passages ☆
人はぶれる生き物だ。日々、日本で全国講演行脚を行なっているが、主催者から「先生、先生」と呼ばれることに当初は恥ずかしく「先生と呼ぶのをやめて」と注文をつけていたが、いつしか「先生」と呼ばれることに慣れてしまったのか違和感がなくなった。また新幹線ならグリーン車、飛行機ならビジネスクラスを用意していただくことが多いのだが、からだがだんだんとそれらの環境に適応していく。あるときプライベートの旅で一般車両に乗ったら、無意識のうちにからだがグリーン車両を求めていた。知らないうちにからだが贅沢になっているのだ。所詮は登山家の分際ではないか。何を勘違いしているのだと赤面してしまう。ヒマラヤに帰れば長期間テントでの生活だ。生きるか死ぬかの世界。寒さのあまりテントの中でガタガタと震え、からだを擦って温めて生きているのだ。
人はぶれるもの。肝心なことは、ぶれることを自覚することだ。だから私は毎年必ずヒマラヤに帰る。日本でぶれた私の感覚を修正するために。
(野口 健 著『それでも僕は「現場」に行く』より)
No.629 『森林異変』
著者は森林ジャーナリストの肩書きを持っているそうで、副題は「日本の林業に未来はあるか」です。
この本を読んで、いままでいわれていたことが実は違うということが多々ありました。たとえば、外材が安く入ってきたから日本の木材は苦境に立たされているとか、あるいは建築工法が変わってきて日本産の木材を使わなくなったとか、いろいろ取りざたされてきたのですが、それらを一つ一つ掘り起こしてみると、やはり事実と違うことがたくさんあるようです。
とにかく、この本を読んでもらうことが一番ですが、一つ抜き書きしますと、「外材は既成の木材市場を通さない。商社などが直接取引して海外から港に陸揚げして、製材工場に納品した。価格は商社が決める。そこでは国産材の価格は参考にされず、商社自らのコストと利益計算で決定される。加えて建築の世界にも鉄筋コンクリート、軽量鉄骨、プレハブパネルなど木材ではない素材を使う構法が次々と現れた。すると買い手は選択肢が増えたことになる。国産材が高ければ、外材を使えばよい。いや木材を使わなくても家は建てられるようになった。」という。つまり、以前の価格の決め方は、立木の値段に伐採や運搬費用、そしてそれらに関わるいろいろな経費等を足し算して、さらに各所の利益を上積みしていく方法ですから、確実に利益は生まれます。しかし、この「ものあまりの時代」には、その価格決定権は買い手に移ってしまい、そこに利益があるかどうかより、売れるか売れないかのほうが至上命令になってしまいます。
それが、今の木材を取り巻く環境です。
さらに昔ながらの在来工法より、ハウスメーカーの派手な宣伝に踊らされる人も多く、ほとんどが大壁構法で壁面のほとんどを壁紙などで覆われてしまいます。そうすれば、そのなかにどのような木材が使われようが、まったく見えません。つまり、なんでもいいということになります。たとえ、ヒノキの無節が使われようが、集成材が使われようが、いいわけです。
さらには、木材そのものを知らなければ、さらにどうでもいいことになります。たとえば、このケヤキの木目がいいとか、この湿気りやすいところにクリ材を使うといい、などということに興味がなければ、わざわざ使う理由もないわけです。つまり、最後は消費者の無知にも、森林が荒廃する原因があると、私は思いました。
下に抜き書きしたのは、現在、国内産の木材が山からどんどんと切り出されている理由なんだそうです。つまり、伐採した後に再び造林して育てるコストがまかなえないので、林業を打ち止めするための伐採も多いということです。これは、ゆゆしき問題で、絶望的な放棄でもあります。ぜひ、みんなで考えたい問題だと思い、掲載しました。
(2011.09.22)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
森林異変(平凡社新書) | 田中淳夫 | 平凡社 | 2011年4月15日 | 9784582855838 |
☆ Extract passages ☆
一つには現在雇用している林業従事者に仕事を与える必要があることだ。また高価な林業機械を休ませるわけにはいかないという理由もある。
だが、もっと根深い要因がある。それは、将来にわたって林業を続ける覚悟を持つ山主が少なくなってきたことに関係しているのではないか。
林業のコストには、造林コストと伐採搬出コストがある。造林は、木の苗を植えて育てる過程で下刈りや間伐を行う。場合によっては補植なども必要だ。これらが造林費になる。そして育った木を収穫するには伐採して山から下ろす搬出費がかかる。しかし、現在の立木価格では、伐採と搬出費を引くだけで赤字になりかねない。補助金がつくにしても、長年育てた木を収穫して得た利益のはとんどを伐採搬出業者に渡すことになる。いくら低コスト化を進めても、利益は非常に薄い。おそらく、そこから長年の森づくりにかけてきた造林コストを引いたら手元に何も残らない。
そして伐採跡地に再び造林して、また何十年か育てる次のコストは、計算外となる。もし計上したら確実に赤字なのである。
(田中淳夫 著『森林異変』より)
No.628 『祈りと希望』
最近、東日本大震災の関連するような本ばかり読んでいますが、半年たって、まだまだ復興できない歯がゆさと、福島第1原発の問題の大きさで、つい、このような本を手に取ってしまいます。
この本の副題は、「いまこそ私たちは共にある ツイッターに広がった感動の言葉251」で、震災を通してツイッター上に広がったつぶやきを編集したものだそうです。もちろん、編集といっても、基本的に投稿時の文章のままだそうで、だからこそ、ストレートに伝わってくるものがあります。
たとえば、「女子高生達が駅前で…『私達、高校生が今出来る事はこんな事しかありません、募金をお願いします!!!!!』と。もー涙出るわ(:_;)強風に吹かれながら頑張ってます。」とか、おそらくテレビなどで消防士や自衛隊の方々が必死で救援にあたっている姿を見たのでしょうが、「保育園の卒園式で、多くの男の子が、「大きくなったら自衛隊になりたい」とか「消防士になりたい」と発表してました。父兄も先生も感動。」というのもありました。
そういえば、福島県内のあるお医者さんがいち早く県外に避難したという報道がありましたが、「福島原発から近くて屋内退避の地域のお医者さんが「一度は避難したけどこれでいいのかと考えて、お年寄りに重り添って奉公するのが最後の仕事かなって思って戻ってきた」て笑って話してた。立派なお医者さんだ!」というのもあり、病気になったらこのようなお医者さんにかかりたいと思いました。
これらほとんどの文章は匿名ですが、何人かは実名で書かれています。その1つを下に抜き書きしましたが、さすが乙武洋匡さんは、震災後の日本の姿を洞察されています。たしかに、自粛ムードは高まりましたが、やはり、いつの間にか消えてしまいました。
また、海外からの援助をうけて、「ブータンの国王が100万ドルの義援金を日本に送ってくれた。約8千万円。人口が島根県と同じぐらいしかおらず、平均月収が1−3万円ぐらいの国からの、100万ドル。その心が、重く、ありがたい。本当にありがとうございます。」というコメントもありました。私も25年ほど前にブータンに行ったことがありますが、いい意味で自給自足の生活をしているので、GNPの数値そのものに信頼性はなく、むしろ前国王が1980年代に唱えた「国民総幸福量」のほうが現実味がある国です。その国の100万ドルといえば、おそらく、天文学的な金額ではないかと想像します。
ぜひ、このありがたい金額を直接被災者のために使っていただければ、必ずや復興できるのではないかと思います。そして、ブータンの人たちのように、自分たちは幸せだと胸を張って言えるのではないかと思っています。
(2011.09.19)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
祈りと希望 | 「祈りと希望」実行委員会 編 | 経済界 | 2011年4月29日 | 9784766784978 |
☆ Extract passages ☆
明日から、街が動き出す。経済活動も、本格的に始まる。
そこには、きっと「不謹慎だ」「自粛すべき」という声も出るだろう。
でも、被災地を救う元気と活力は、街が動き出さないことには生まれてこない。
働こう。学ぼう。それが自由にできない人々のことを想い、いつも以上に頑張ろう。(乙武洋匡)
(「祈りと希望」実行委員会 編『祈りと希望』より)
No.627 『ほんとうの復興』
東日本大震災から半年ということもあり、その遅々として進まない被災地の復興を考えたいということで読み始めたましたが、やはり一筋縄ではいかないというのが本音だと思います。国は国としての考え方があるし、県は県としての考え方があり、さらには市町村にもそれなりの考え方があり、さらには個人個人の思いもあり、それらに全て答えようとすればまったく進まなくなります。
そして、池田さんが「いくら安全なシステムにするといっても、絶対安全なシステムなんて、絶対にないんだよ。なぜなら、人工的なシステムの特徴は、必ず壊れるということなんだ。むしろそれは人工的なシステムの定義といってもよい。だから、システムを作ってそのシステムに頼るのではなくて、むしろ、システムが壊れたときにどうするのかを考えないと、知的怠慢だよね。」と言うように、この世の中で人間が作ったものに絶対ということは絶対にないわけだから、人間の手に負えないことには手を出さないということも大切な選択だと思います。だって、ヨウ素131は8日で半減するといっても、セシウム137は半減するのに30年はかかるというし、プルトニウム239にいたっては半減期が2万4千年だそうです。この数字を考えただけでも、やはり、エネルギーを原発に求めるのはおかしいと思います。ただ、ではなにで代替するかといわれれば、それにも一長一短あるみたいだし、一つに絞ってというより、先ずはせっかく節約をしたのだから、そのまま節約のクセをつけて、もっともっと節約し、いろいろなエネルギーでまかなうといいのではないかと素人なりに考えます。
地震や津波で大きな被害を受けられた方も大変ですが、原発の放射能漏れでこれからも被害を受け続ける方たちも大変です。
でも、考えてみれば、この前の台風12号の大きな被害も、2007年7月16日の「新潟県中越沖地震」も、1995年1月17日の「阪神・淡路大震災」も、みなとてつもない大きな被害をもたらしました。それでも、なんとか踏ん張って、今があります。想定外のことが起きるのが自然です。この自然の前には、どうしようもありませんが、それでも生きなければと思います。
先ず生きる、その先のことは誰にもわかりません。
(2011.09.16)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
ほんとうの復興 | 池田清彦・養老孟司 | 新潮社 | 2011年6月25日 | 9784104231089 |
☆ Extract passages ☆
池田 便利で効率がいいということと、セキュリティは背反するよね。不便で効率が悪いほうが安全ということがあるわけでしょう。・・・・・・
養老 ・・・・・・いまは何でも一律にシステム化されて、たとえば、オール電化住宅なんてものもできているけれど、あれって、停電したら、たとえばトイレの水も流せないし、まったく何もできなくてお手上げになるんですからね。
池田 何でも便利なものひとつに頼るのは、セキュリティの面からいうと弱いよね。
車に頼っている人は、津波が来ても、車から出て走って逃げるということをせず、車に乗ったまま流されてしまったでしょう。そういうのも、なんとなく象徴的だよね。車は走ればスピードが速いけど、焦って逃げると、どこかでつっかえてしまう。助かるために車を捨てて走って逃げたほうがよかったのに、と思ってしまうんだけれども、そういうこともなかなか咄嵯には考えられないものかもしれないね・・・・・・。
(池田清彦・養老孟司 著『ほんとうの復興』より)
No.626 『詩の邂逅』
著者は国語教師で、詩人ですが、この本は東日本大震災後に書き下ろした作品を収録した初めての詩集だそうです。それでも、その詩のあいだに福島の人たちとの対話が載せられていて、とても臨場感がありました。著者は福島県生まれで、しかも文中から察するに現在も福島県内に在住だと思われます。
それは詩の中にも現れていて、「・・・・・・福島を守る 福島を取り戻す 福島を手の中に 福島を生きる・・・・・・福島で生きる 福島を生きる・・・・・・」とあります。掲載されている詩は、まさに、福島で体験されている方だからこそ書けるもので、とても感動しました。その一つ一つの言葉に、重い記憶の陰が刻み込まれているように感じました。
ちょうど東日本大震災から半年が過ぎ、改めてそのすさまじさを思い出していますが、この本は、ぜひ多くの方に読んで欲しいと思います。
また、対話にもそれらが現れており、富岡町で理容業を営んでいた方は、「向こうに戻ったら、自分の家の庭に、きれいなお花を咲かせて、近所の人とお茶を飲んで、よもやま話をしたいですね」と語っていましたが、そのようなありふれた日常さえもできない理不尽さに、今さらながら原発の事故の怖さを感じました。見えない恐怖というよりも、現代科学を持ってしてもいかんともしがたいものを処理しなければならないのは、やはり恐怖以外の何者でもありません。しかも、その最終処分すら、どのようにしていいのかもわからないのです。それを絶対に安全だとしてきたことが、むしろ不可解です。
また、下にも引用した高校の先生は「自分たちのうららかな福島が、カタカナのフクシマになってしまったような感覚です」と言ったのは、よくわかります。まさに、広島や長崎が、ヒロシマやナガサキになってしまったようなものなんでしょう。そういう意味では、あのヒロシマやナガサキのあやまちを二度と繰り返してはならないというのが、人災によって繰り返されたわけですから、これはもう大変なことです。それを、もう一度よく考えなければならないと思います。
それにしても、ある飯館村の商工会の人が、「3月11日の震災は私たちの時代でよかったね」と言われたそうですが、これはすごいと思います。普通は千年に一度の震災がなんで私たちのこの今なんだと思いがちですが、自分の子供たちの時代じゃなくてよかった言うのは、なんど考えても、もし自分だったら言えるかといわれれば、とっさには言えないだろうと思います。
この本には、このような福島で今も踏ん張っていらっしゃる方がたくさんいて、その方たちのストレートな声が載っています。それらが詩とともに大きな邂逅のときを刻んでいるように思いました。
なんどもいいますが、ぜひ、お読みください。
(2011.09.13)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
詩の邂逅 | 和合亮一 | 朝日新聞出版 | 2011年6月30日 | 9784022508850 |
☆ Extract passages ☆
今回のことで、生徒と向き合うのが幸せなんだなと改めて思いました。生徒たちと再開して、涙が出てきたときに、退職まであと14、15年ですが、ずっと教師でいたいと強く思いました。本当に危険だから逃げなさいと言われるまでは、もし残るという生徒がいれば、その面倒は見たい。これは公務員だからじゃなくて、バス会社の運転手さんでも、みんなが逃げてる中でバスを運転していた人もいますし、市の職員でも、残っていた人もいますし。故郷にこだわって、本音で言えば、ここしか居場所がないということなのかもしれませんが、それでもここで教師を続けていたいんですよ。(原町高校教師 佐藤宏志さん)
(和合亮一 著『詩の邂逅』より)
No.625 『水惑星の旅』
椎名誠といえば、『わしらは怪しい雑魚釣り隊』などのエッセーや小説などでおなじみですが、このようなノンフィクションものも書いているそうで、とても興味深く読みました。というのは、水の問題と国内外の辺境の旅とがうまくミックスされ、それがおもしろかったのです。
この本は、季刊『考える人』の2009年冬号から2010年秋号までに連載された「水惑星の旅」に加筆修正されたもので、取材には『考える人』編集部の今泉正俊と今は『ナショナルジオグラフィック』ウェブ版編集部にいる齋藤海仁と著者の3人で4年かけて行ったそうです。もちろん、その旅の記録もこの本には書かれています。
たしかに、日本にいるとあまり水の有り難さは感じないかもしれませんが、1歩国外に出ると必ず生水は飲まないようにと言われます。今では日本人も、ペットボトルの水を刈って飲む時代ですし、3月11日の東日本大震災の福島第1原発の放射能漏れの事故から、さらに多くの方が水を買って飲むようになったみたいです。
でも、海外に行くといつも思うのは、蛇口をひねると瞬時に水の出る生活は、必ずしも一般的ではないということです。ネパールなどでは、水汲みに片道1時間かかる場合もありますし、それも山道を上り下りしなければならないのです。水汲みはほとんどが女の人の仕事ですから、重労働です。
そういえば、日本だってこのような便利な時代は最近のことで、20数年前に成島焼きの大きな水瓶を骨董屋から求めたことがありましたが、昔はその大きな水瓶に水を溜めて、そこから少しずつくみ出して使っていたそうです。ということは、いつ、日本だって、昔のように蛇口をひねっても水がでない生活に戻るかもしれないわけです。
そういうことを考えれば、生きるために一番必要な水の問題をしっかり考えてみなければならないと思います。水そのものが悪化しないように、そして急に水が足りなくなってから、慌てふためくことのないように心構えだけでもしっかりとしておく必要があります。
この本では、いろいろな旅を通して、水の必要性や大切さを取り上げています。
(2011.09.10)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
水惑星の旅(新潮選書) | 椎名 誠 | 新潮社 | 2011年5月25日 | 9784106036767 |
☆ Extract passages ☆
水循環に恵まれ、世界でも稀な、「水飢饉」の心配が殆どない国という「しあわせ」は、おしよせてくる世界規模の「水飢饉」に対して、危機感のないぶん「脆弱」である。
何ひとつ不足や不満のない生活をしている人が、ひとたび飢餓に追いやられたときの衝撃が大きいように、当面の「水問題」を考えると、いま日本はそういう「間抜けな裕福」から「深刻な危機」に否応なしにじわじわ追い詰められている状態にあるといっていいかもしれない。
国の政策により川がさまざまな理由でダムや堤防の建設や流路のショートカット、河口付近の干拓などの人工化を強いられている。そうした問題が数々露呈してきて、都市や地方など住む地域を問わず、この国に住む人々がようやく問題の深刻さに気づき始めた。
(椎名 誠 著『水惑星の旅』より)
No.624 『道端植物園』
この本はブックオフで見つけてきたもので、副題の「都会で出逢える草花たちの不思議」とあり、その不思議に出逢いたいと思い、読み始めました。
著者の本はいくつも読んでいますし、ご本人にもお会いし、話題の豊富さにいつもびっくりしていますが、この本もとてもおもしろかったです。本当に何気ない植物にも、隠された秘密のようなものがあり、それらを解き明かしてくれるので、あっという間に読み終えました。でも、いくつかチェックしておいて、何度も読み直した箇所もあります。
たとえば、ハキダメギクの項には「東京大学の附属植物園である通称小石川植物園にも、裏方である鉢置き場の奥の方に掃き溜めがあった。その掃き溜めに生え出した変な草が牧野富太郎をとらえたようだ。それまで日本では記録されたことがない植物だったので、牧野先生はこれにハキダメギクの名前を与えた。」とあり、意外な命名法にびっくりしました。また、ヨモギの項には「かつて精米も梗米も質が悪く、粘性を得るにはつなぎが必要だった。植物の体表に生えた柔らかな毛はつなぎとして役立った。はじめハハコグサがこの用途に用いられたが、次第に毛の量が多いヨモギがそれに代わるようになったらしい。ハハコグサを入れた母子餅も残っているのは、この名残ともいえるだろう。」ということで、妙に納得しました。
この本は、植物好きにはとてもおもしろく、ぜひ読んでいただきたい1冊です。たしか、ブックオフで105円だったと思います。
(2011.09.07)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
道端植物園(平凡社新書) | 大場秀章 | 平凡社 | 2002年5月20日 | 9784582851398 |
☆ Extract passages ☆
この多様な草原に適応したのがイネ科植物である。しかし、このイネ科植物にほ乾燥地ばかりではなく、沼地や湖沼の岸辺などに生える水生の種もあり、湿地性の種も少なくない。イネやヨシはその例だ。だからイネ科植物ほ日本にもかなりある。乾燥地に強いイネ科植物にほ帰化植物として世界の都市や荒地に繁茂する種も多い。日本にもイネ科の帰化種ほ相当数ある。日本にはおよそ七百種のイネ科植物があるが、そのなかには明らかな帰化とみてよい種もかなり含まれている。ちなみに世界に産するイネ科植物の総数ほ約九千五百種と推定されている。高等植物の総数は二十五万種だから、その四%はイネ科植物ということになる。全植物のなかの巨大な一群といっても差し支えない。
(大場秀章 著『道端植物園』より)
No.623 『カンタン実験で環境を考えよう』
この本は、簡単な実験をしながら環境を考えるということで、その実験だけはカラーで紹介されています。ということは、実験そのものにだいぶ力が入っているということでしょう。
でも、この本でいくつかの疑問が解決しました。たとえば、よくバイオ燃料の使用が地球温暖化対策になるのか、イマイチ、よくわからなかったのですが、この本で『原料となる植物は、採取される前に、光合成により大気中の二酸化炭素を吸収して酸素を出していました。燃焼というのは、いわばこの「光合成」と逆の反応をおこすことです。つまり、植物が光合成によって体にとりいれた二酸化炭素を、ふたたび大気中に放出させることになります。したがって、燃焼によって排出される二酸化炭素と、光合成時に吸収された二酸化炭素の量は同じで、大気の二酸化炭素の出入りは結果的にプラスマイナスゼロになるからです。』と解説してありました。
しかし、プラスマイナスゼロが必ずしも環境に優しいとはいえないのではないかと感じました。少しでも、プラスに働かなければ環境は良くならないはずで、以前に良いことをしたからといって、後から少し悪いことをするみたいなものです。
それと、マイナスイオンですが、よく広告宣伝の世界で、いかにもいいことだといわれていますが、じつは「じっさいの効果についてはわかっていない」そうです。
この本は、東日本大震災を経験したあとに書かれたということもあり、このような震災でも少しは役立つようなことも書かれてありました。たとえば、「水の安全を考える」とか「食の安全を考える」です。さらに、これからの問題として、「エネルギーを考える」ことも大切なことです。
よく、内部被曝といことを聞きますが、下に簡単に説明した部分を抜き書きしました。これから大きな問題になることと思いますので、ぜひお読みください。
(2011.09.05)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
カンタン実験で環境を考えよう(岩波ジュニア新書) | 篠原功治 | 岩波書店 | 2011年7月20日 | 9784005006892 |
☆ Extract passages ☆
放射性物質については、水質汚濁だけでなく、大気汚染や土壌汚染の法律は適用されていません。核分裂しやすいウランは、中性子をぶつけると核分裂がおこり、熱を出しながらヨウ素やセシウム、ストロンチウムなどの別の元素になります。これらの放射性物質をふくんだ水を飲んだり、空気を吸いこんだり、飲食物をとったりすると、私たちの体は、放射性物質だけを体外に排除することができず、よく似た成分の栄養素をためておくところにいっしょにとりこんでしまいます。そして、体内から放射線を浴びるようになります(内部被曝)。ヨウ素は甲状腺、セシウムは全身の筋肉や生殖腺、ストロンチウムは骨に集まり、将来、さまざまながんを発症させる可能性が高くなります。
(篠原功治 著『カンタン実験で環境を考えよう』より)
No.622 『花の本 ボタニカルアートの庭』
この本は、読むというよりは、見るといったほうがいいかもしれません。だから、あっという間に見終わりますが、何度も繰り返し見る楽しさもあります。こういう本は、借りて読むものではなく、いつも手元に置き、ときどき手にとって楽しむ本のようです。
とはいうものの、じつは、この本は市立図書館から借りてきたものですから、さっそく買おうと思います。
図書館の利用でいつも思うのは、借りてはきたもののやはり手元に置きたいのもあれば、途中まで読んであとは読みたくないというのもあり、本はさまざまだということです。たとえ、自分がおもしろくないからといってつまらないということではなく、たまたま相性が悪かったのです。だって、自分の趣味に合えばいいと思うだけで、無理して読むものでもありません。本を読むというのは、まさに勝手気ままなものですから、人それぞれです。だから、図書館の存在はありがたいのです。趣味に合うと思ったけど、合わないというのはけっこうあります。図書館だったら、途中まで読んで返せばそれで終わりです。手元に置いて、時々本棚を見て、「あーあ、買わなければ良かった!」ってため息をつくことがないのです。
まあ、図書館は上手に利用したいものです。
ところで、この本は、値段を見てびっくりしたのですが、税別で2,800円です。ページ数は、128です。
でも、買いましょう。やはり、ボタニカルアートの古いものは値打ちがあります。この本のなかに掲載されているボタニカルアートで一番古いのは、1487年の『健康の園』"Hortus sanitatis"のなかの1枚で「アニスらしき薬草を木版に手彩色で描いた作品」です。
今から500年以上も前の植物画を何日も見続けられるのですから、安いものです。そこに価値を見いだせるなら、ぜひお勧めです。
下に抜き書きしたのは、「グラジオラス」の説明文です。読む文章は、ありふれているかもしれませんね。
(2011.09.02)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
花の本 ボタニカルアートの庭 | 山内浩史/ネイチャー・プロ編集室 編 | 角川書店 | 2010年11月30日 | 9784048741446 |
☆ Extract passages ☆
地中海沿岸に自生するグラジオラスは、花も小さくて色数も少をく、畑の雑草だった。
18世紀後半、プラント・ハンターたちが南アフリカの華やかなグラジオラスをヨーロッパにもたらし、交配され、さかんに栽培されるようになった。日本には江戸時代に渡来した。
現在の品種は5000種以上といわれ、黒以外のあらゆる色の花が生まれた。学名のGladiolusは「小さな剣」を意味するラテン語から。葉の形や、尖った蕾の形に由来する。
(山内浩史/ネイチャー・プロ編集室 編『花の本 ボタニカルアートの庭』より)
No.621 『絆 いま、生きるあなたに』
この本は、3月11日の東日本大震災の後に書かれたようで、第1章「災害とともに生きてきた日本人」ということで、いの一番に取り上げられています。でも、他の章は今までに発表されているもので、それを改題し、少しは書き改めているそうです。
ですが、同じ文章だとしても、震災前に読むのと、その後に手にして読むのとではその印象がまったく違うと思います。それほど、あの大震災は衝撃的な印象であり、その前と後では、人々の考え方も大きく変わったのではないかと思います。
そういえば、この本のなかで、日本人の考える「無常」とインド人の考える「無常」とは違うという指摘をされていますが、私もそうだと思います。おそらく、お釈迦さまは、「人間は生まれ、生きて、年をとって、やがて死んでいく。その事実をそのまま認めよ」と言っているだけに過ぎないのではないかといいますが、たしかにそうです。かれらは、もともと輪廻転生を信じていますから、生まれることも死ぬことも、そんなにたいしたことではないという共通認識があります。ただ、事実として淡々と受け止めているような気がします。しかし、日本人は、いったん死んだら、すべて終わってしまうと考えてしまいます。でも、もともとの仏教は、この生まれ変わりを肯定していました。それがいつの間にか、それが否定されるようになってきました。だから、「無常」という言葉も、だいぶ湿っぽく感じられるようになってきたのです。
インドでは、日本人のように死んでから何年も何十年もかけて追善供養をしません。考えてみれば、すぐわかります。すでに、生まれ変わっているのに、いつまでも追善供養などの法事をする必要がないのです。たしかに、亡くなるということは、悲しいことです。でも、新たなステージに生まれ変わり、そこでまたがんばって生きていると思えば、それで生き残っている人たちが救われるということもあります。
東日本大震災があり、生きるとか死ぬとかの問題が身近に感じられた方が多いのではないかと思います。
ぜひ、このようなときだからこそ、この生死のことをしっかり見つめ直してほしいと思います。その一つのきっかけとして、この本はいいかと思います。
(2011.08.31)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
絆 いま、生きるあなたに | 山折哲雄 | ポプラ社 | 2011年6月2日 | 9784591124888 |
☆ Extract passages ☆
禁欲生活を中心とする学生期、家庭をもって世俗的な職業に従事する家長期、そしてひとり家を離れ、家族のもとから旅にでて自由な空気を吸う、いってみれば自在な遊びを楽しむ林任期――そういった生活をつみ重ねていって、最後になつてふたたび世俗の生活に戻ってもいいし、そのまま単独者の世界に抜けでていってもいい。そういうゆるやかな人生の輪を描いていって、自然に最期を迎えることができればどんなに幸せなことか。ほんとうのことをいえば、その最期の場面で、自然との一体感に包まれる世界に入って消えていくことができれば、これにまさることはないわけです。
そしてそういう生き方を、親鸞のようなかつての人生の達人たちはみんなそれぞれのやり方で実践していたように私は思っているのであります。
(山折哲雄 著『絆 いま、生きるあなたに』より)
No.620 『さとやま』
この本は、岩波ジュニア新書で、〈知の航海シリーズ〉の1冊です。このシリーズは、日本学術会議第20〜21期の金澤一郎会長の発案ではじまったもので、中学生にも理解できる水準とやさしい表現で学術の先端的な情報を提供することだそうです。つまり、想定している読者が中学生か高校生ですから、とてもわかりやすいことは確かです。だから、このシリーズだけでなく、岩波ジュニア新書そのものも十数冊は読んでいます。
とくにこのシリーズの良さは、最先端の科学者が、とてもわかりやすくその全体像をしっかりと把握できるように書き進めていることです。この複雑な時代を生き抜くには、それらを複雑なままで理解するより、それらをいったん整理し、理解する手がかりを見つけ出すことが必要です。そのためには、このような本がいいと思います。ジュニアと銘打ってはいても、初心者には有用な情報がたくさん載っています。
そういえば、このお盆中にも、このシリーズの『生物多様性と私たち』を読みましたが、生物多様性つながりでいろいろと考えさせられました。そういう意味では、とてもいい本です。先ずは考えさせる、そして、そこから何らかのアクションが生まれる、それが大切です。
とくに印象深かったのは、下に抜き書きした万葉人とハギの話しです。なぜ、万葉集のなかでハギが植物のなかで一番詠まれた回数が多いのか、今の感覚からはなかなか理解できませんでした。それが、この文章を読み、なるほどと思いました。
また、日本のことを大和と言っていましたが、それより古い言葉として「秋津洲(あきずしま)」というのがあり、秋津とはトンボのことだそうです。まさに、これもトンボのことを調べたことがありますが、赤トンボなどは田の神とも精霊とも考えられたといいますから、まさになっとくです。
これら、ハギやトンボがある風景、それが「さとやま」であり、それがまさに日本の原風景だと思いました。
(2011.08.28)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
さとやま(岩波ジュニア新書) | 鷲谷いづみ | 岩波書店 | 2011年6月21日 | 9784005006861 |
☆ Extract passages ☆
万葉の時代の人々にとってハギがもっとも身近な花だったのは、当時の人々の生活域には、火入れによって維持される野、牧や茅場などが多く存在していたからに違いありません。そのような場所の中にはハギが一面に生えていた場所もあったことでしょう。ハギが花を咲かせれば、ミツバチやマルハナバチや蝶が蜜をもとめてやってきます。秋雨があがったあとの青空の下で、そんな花蜂たちのにぎわいを、目を細めてながめいる古代の人の姿が目に浮かぶようです。
(鷲谷いづみ 著『さとやま』より)
No.619 『世界を変えた発明と特許』
パソコンが好きで、いろいろと自作しているうちに、これらの部品のほとんどが特許製品で、おそらく特許のかたまりではないかと思ったことがあります。それが、この本を読ませるきっかけになったようです。
実際に、マザーボードもハードディスクも、当然ながらCPUも多くの特許からなる製品です。この本では、半導体集積回路技術について取り上げていますが、とてもおもしろく読みました。そして、日本は80年代の半導体産業はすばらしく発展した時代だと思っていたのですが、じつは、その半導体集積回路にはアメリカの特許権があり、そのライセンス・ロイヤリティが恐ろしく高額であったと書かれています。つまり、いくら生産量は増えても、その販売価格のおよそ10%もロイヤリティとして支払わなければならないとしたら、やはり大変なことです。それは、また、いかに特許というものが大切なものかという裏返しでもあります。
それと、いつも疑問に思っていたのが、会社に勤めながら、給料ももらい、会社の設備を使って発明したとしても、その発明は個人の発明になるということでした。たしかに、発明は個人の力量があり、特別なものだとはわかりますが、それでもすんなりとは理解できませんでした。この本では、しっかりと解説してあり、それを職務発明というのだそうです。
つまり、「あくまでも発明は特別の努力と才能によって生み出されたものなのだから、通常の給与によって支払われる仕事の範囲を超えた成果である」と特許法では考えるのだそうです。
この本を読んで、改めて特許という知的財産の権利を守ってきた先人たちの歴史を思い、その大切さを感じました。もし、この特許という考え方がなければ、おそらく、ここまで科学技術は発達しなかったのではないかと思います。やはり、発明が法律によってしっかりと守られる、だからこそ、公開されて次の技術につながってきたように思います。
この本のおもしろさは、特許の成功ストーリーだけでなく、失敗ストーリーも載せてあり、その難しさがそれによって際立たされたように思いました。
(2011.08.25)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
世界を変えた発明と特許(ちくま新書) | 石井 正 | 筑摩書房 | 2011年4月10日 | 9784480066053 |
☆ Extract passages ☆
ともかく科学の世界では研究成果はすべて論文にして公開することが求められる。公開されない研究成果は、そもそも研究自体が存在しなかったものとすら扱われる。
それに対して技術の世界はまったく異なる。技術上の新規な工夫をした場合、その新たな工夫を別の者に伝えるか、公開するかと言えば、それは稀である。ほとんどは秘匿する。わざわざ別の者にその新しい技術上の工夫を説明し、公開しなければならない理由も動機もない。むしろ競争相手に対しては、新規な工夫や技術上の方法などは秘匿しておくことになる。
中国は絹の技術に関して、とりわけ養蚕技術を秘匿するのに大変な努力をしたことはよく知られている。ヴェネツィアではガラスの製造技術を秘匿したし、石けんの製造技術も秘匿された。
近代特許制度は、技術に関する工夫は、何もしなければ秘匿されること、新たな技術上の工夫や創作を多くの人々に利用させるためには、むしろ積極的に保護した方がよいことを前提としている。
(石井 正 著『世界を変えた発明と特許』より)
No.618 『知の巨人 加藤周一』
2008年12月5日、加藤周一氏がなくなり、数多くの業績を顕彰しようということで、この本で取り上げられた講演会も企画されたようです。
つまり、この本は、講演会で話されたことをまとめたもののようですが、編集の菅野昭正氏の「思い出すままに」だけが講演抜きの文章だけになったようです。
その他の方はすべて講演で話されたもので、「いま『日本文学史序説』を再読する」大江健三郎、「戦争の世紀を越えて―加藤修一が目ざしたもの」姜尚中、「日本美術に見る時間と空間―加藤周一の文化論をめぐって」高階秀爾、「雑種文化と国際性」池澤夏樹、「加藤周一とフランス」海老坂武、「加藤周一の肖像―青春から晩年まで」山崎剛太郎と清水徹、で、「あとがき」をまた編集者が書いています。
とくにおもしろいと思ったのは、山崎剛太郎氏が対談の前に、『非常に立派な人、ことに歴史的な人は、たとえば「芥川龍之介さん」とか「森鴎外さん」とは言いません。それで納得して、加藤周一もいまや歴史上の人物ですから、「加藤周一」と私は敬意を込めて呼び捨てにすることをご了解ください』と言ってから話しはじめていますが、それもそうだと、妙に納得しました。
私が加藤周一で思い出すのは、やはり「雑食性」という言葉で日本文化を語ったことで、それについて、編集の菅野昭正氏の文章がとてもわかりやすく説明してありました。そこで、それを抜き書きしましたので、参考にしてみてください。
そういえば、私たちの山野草会で毎月発行している会報の名前が「山野草雑話」という名前です。これは私が勝手に付けたものですが、この「雑話」にはいろいろな意味を込めたつもりです。つまり、「いろいろのものが入りまじったもの」ということです。
(2011.08.21)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
知の巨人 加藤周一 | 菅野昭正 編 | 岩波書店 | 2011年3月10日 | 9784000238694 |
☆ Extract passages ☆
だいぶ後年になってからですが、加藤さんはサラダとスープという具体的で身近な比喩を使って、「雑種文化」とはどういう性質のものであるか、あらためて説明したことがあります(『二〇世紀の自画像』)。サラダならば、人参、玉葱など材料の要素になっているものを取りだせるけれども、スープに煮こんでしまうと、人参も玉葱も溶けあい混ざりあう状態になり、もはや取りだすことはできない。そういう融合したもの、すなわち英語でいう「メルティング・ポット」、それがつまり「雑種」の定義だと加藤さんは明快に述べられました。半世紀近くも年月が経ってからのこの新しい説明は、たいへん分りやすくしかも正確です。
(菅野昭正 編『知の巨人 加藤周一』より)
No.617 『生物多様性と私たち』
2010年10月に名古屋で開かれた生物多様性条約第10回締約国会議(通称COP10-コップテン-)で議題となった生物多様性のことについて、さらには2008年の「なごや子ども環境会議」で子どもたちが将来の自分たちに関わる環境の問題について議論したことなどを取り上げたのがこの本です。とくに、ジュニア新書ということもあり、子どもたちの取り組みが多く紹介されています。やはり、環境問題は長く影響の及ぼす問題ですから、子どもたちも議論に参加することは、とても意義のあることだと思います。
著者は、この「なごや子ども環境会議」の補佐もされたそうで、地元企業が予算面で協力されたこともあり、国際性豊かな会議になったそうです。環境問題は、1国だけの問題というより、地球規模の関わりを持つもので、子どものうちから世界中の人たちといっしょに考えるということはいいことだと思います。しかも、世界中から集まった子どもたちは、ホームスティなどで日本の家族とも触れ合えたし、日本の理解にも役だったようです。ただ言葉の障害はいかんともしがたく、スペイン語を話す南米の子どもたちは、スペイン語から英語、さらに日本語に通訳するということで、もどかしかったのではないかと想像します。
そもそも、地球の長い歴史のうえでは、温暖化も氷河期もなんどか繰り返されてきたようです。でも、今起きている温暖化は、地球自体の現象とか、自然の成り行きなどではなく、おそらく人間が誘発した人為的現象であるらしいといいます。つまり、人間が自分の都合でそうしてしまったといえます。
だとすれば、やはり、このままでいいわけはありません。少しでも、温暖化をおさえる仕組みを作り、実行しなければならないと思います。
それ以上に問題なのが、この本で取り上げている生物多様性の問題です。では、なぜ、生物多様性が必要かということは、下に抜き書きしましたので、見てみてください。
このような難しい問題については、この岩波ジュニア新書のような本が、やさしく解説されていて、とてもわかりやすいです。ジュニアという文字にとらわれずに、ジュニアにもわかりやすく解説してある本という趣旨でお読みいただければと思います。
(2011.08.16)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
生物多様性と私たち(岩波ジュニア新書) | 香坂 玲 | 岩波書店 | 2011年5月20日 | 9784005006823 |
☆ Extract passages ☆
生物にとって多様性が必要な理由は、気温などの環境の変化や自分たちに脅威となる病気、あるいはその変化のスピードに対して、いろいろな個性やつながりをもつことによって対処していこうということだ。裏返せば、外部の環境変化や病気に対処するために、生物多様性が生まれ、ネットワークがつくられてきたといえる。そのネットワークのなかで、あるいはネットワークに生かされながら、人間も生きている。すなわち、人間もそのネットワークの恩恵にあずかって、食べもの、住む場所などを得ている。一方で、里山での森林管理のように、ネットワークの一員として、それを維持するような活動もおこなっていた。
ところが、いま、人間がそのネットワークにさまざまな形で悪影響をおよぼしていることをしめすデータが出てきており、ネットワーク自体を破壊してしまう存在になっていることが懸念されている。
(香坂 玲 著『生物多様性と私たち』より)
No.616 『藤沢周平 とっておき十話』
藤沢周平はご存じのように山形県鶴岡のご出身で、小説だけではなく、映画などでも大ヒットしています。でも、いまさら時代ものなんてという、いわば偏見もあり、読む機会がなかったのですが、この本は手に取ってしまいました。
理由はわかりません。もしかすると、今まで嫌いだった食べものが、あるとき騙されたかのように食べて、それが意外とおいしかったようなものです。でも、人からすすめられたわけでもないので、やはり、その理由はわかりません。
そういえば、昨年、庄内三十三観音巡拝をしたのですが、その観音堂付近にも、藤沢周平原作の映画のロケ地という立て看板を見ました。それが一つや二つではなく、もう庄内地方にしっかりと根を下ろしているような感覚にさえなりました。それも、読む下地になっていたのかもしれません。
しかし、小説そのものはまだ読みたいとは思いませんが、その土台になった部分というか、書かざるを得ない状況というのが少しわかったように思います。
たとえば、この本に掲載されている「雪のある風景」(『月刊グラフ山形』修平独言E、1977年2月号)に書いてありますが、「作家にとって、人間は善と悪、高貴と下劣、美と醜をあわせもつ小箱である。崇高な人格に敬意を惜しむものではないが、下劣で好色な人格の中にも、人間のはかり知れないひろがりと深渕をみようとする。小説を書くということは、この小箱の鍵をあけて、人間存在という一個の闇、牟質(注・矛盾)のかたまりを手探りする作業にほかならない。それが世のため人のために何か役立つかといえば、多分何の役にも立たないだろう。小説を読んでも、腹が満たされるわけでもないし、明日の暮らしがよくなるわけでもない。つまりは無用の仕事である。ただやむにやまれぬものがあって書く。まことに文学というものは魔であり、作家とは魔に憑かれた人種というしかない。そして、それだけの存在に過ぎないのだ」と言い切っています。
また、下に抜き書きしましたが、『「十話」の余話』のところに出てくるもので、1990年4月に藤沢周平のご自宅で編集者の澤田がインタビューをしてまとめたものだそうです。とてもよく時代小説を書くようになったいきさつみたいなものが描き出されています。まさに、藤沢周平文学の原風景が見えてくるようです。
この本を読んで、もう少し歳をとったら、藤沢周平全集でもゆっくりと時間を気にせず読んでみたいと思いました。
(2011.08.13)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
藤沢周平 とっておき十話 | 藤沢周平 著、澤田勝雄 編 | 大月書店 | 2011年4月20日 | 9784272612253 |
☆ Extract passages ☆
私の田舎、山形県鶴岡というところは、城下町ですから。庄内というんですけど、そこには 「穏やかで、あまり目立つようなことをしない」という気風が昔からあった。
ですから、現代小説でギラギラした恋愛小説を書くのはちょっと恥しいところもあるわけ。本当は小説を書く人が恥しいなんて思っちゃいけないんだけども、何かそれを踏み切るにはかなりの勇気がいるというところがあるんですよ。「詩を作るより田を作れ」のほうで、あまりにも文学的なものは好まれないような、そういうものが土地の雰囲気としてあった。時代物ですと、その辺の感覚というのがぼやけてくるわけです。私小説でもないし、そういう一面もまた、時代小説を書かせた原因かもしれませんね。
(藤沢周平 著、澤田勝雄 編『藤沢周平 とっておき十話』より)
No.615 『嫌いなことから、人は学ぶ』
この本は、「養老孟司の大言論」シリーズの一冊で、『養老孟司の大言論 U 嫌いなことから、人は学ぶ』です。このシリーズは、季刊紙『考える人』に2002年夏号の創刊号から2010年秋号にかけて掲載された「万物流転」34回分を3冊に分けて単行本化したものだそうです。
でも、『T 希望とは自分が変わること』はすでに刊行されていますが、『V 大切なことは言葉にならない』は、まだ刊行はされていないそうです。ですから、本の題名も変更される可能性があります。
さて、この本ですが、わかりにくい反面、わかり出すととてもすっきりと理解できるというのが第一印象です。たとえば、ユダヤ問題や中東の石油問題なども、なるほどと思いました。また、また、概念についても、最初は何を言おうとしているのかさえわかりませんでしたが、ある一定のところまで読み進むと、「なるほど、そうだったのか!」と理解できます、その例として、西洋社会の作ってきた概念は『上がるときには「同じ」で上がっていき、下がるときには「違う」で下がっていく。上から下がるときには、「ここが違うじゃないか」という。上に上がるときは、同じじゃないか、違いがないんだからという。それなら概念世界に「違い」があるじゃないか。そうではない。下がるとき、つまり検索表では、感覚から始まる。どこまで行っても、具体的特徴つまり感覚世界のみが記されている。概念が出てくるのは、表の終点の種名だけである。』というわけです。それと、『英語であれば、二十六文字と空自、コンマ、ピリオドで世界を描くことができる。それなら世界のあらゆる物質を、百の原子の集まりとして記述することに、抵抗感がなくて当然である。こうして世界の見方は、当たり前だが、言語の性質に大きく依存する。』という考えも、なるほどと思います。
でも、最後までわからなかったのが、戦争に関することです。著者はしっかりとその体験があるわけですが、読んでいる私にはその体験がないばかりか、戦争は良くないという気持ちが先行します。「戦争は人々に多大の影響を与える」といわれれば、まったくその通りだが、「戦争は人間の教育の一部を担ってきたのである」といわれれば、結果的にはそうかもしれないが、そのような教育は受けたくも内と思ってしまうのです。さらに「意地悪くいえば、庶民だって、自分が被害さえ受けなければ戦争嫌いではないはずである」といわれれば、絶対にそんなことはない、と反論します。
でも、戦争というものを考えるということは悪いことではないはずで、おそらく、それをねらっているのかとも思いました。
ぜひ、バカの壁を乗りこえるためにも、興味があればお読みください。
(2011.08.10)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
嫌いなことから、人は学ぶ | 養老孟司 | 新潮社 | 2011年3月25日 | 9784104160051 |
☆ Extract passages ☆
べつに強い根拠はないが、とりあえずそう決める。これを科学では仮説という。いろいろ調べていくうちに、おかしいと思ったら、仮説を変更すればいいのである。それは科学の核心だと私は思うのだが、多くの科学者は「もっと確実なデータがそろうまでは、なにもいえない」という。でも仮説がないと、ものは考えられないのである。考えられないどころか、ものが「見えない」。見るためには、背後に仮説あるいは理論が必要である。科学哲学では、これを理論負荷性と呼ぶ。世間では「虚心坦懐」にというが、虚心坦懐では、なにを見ていいか、それがわからないはずである。この言葉の真意は、われわれの頭は偏見に満ちているから、それに気をつけろということであろう。むろん仮説と偏見は違う。偏見は思い込みの仮説で、否定されると、本人が怒り出すものなのである。
(養老孟司 著 『嫌いなことから、人は学ぶ』より)
No.614 『小説家の庭』
この本は、自分の庭をつくり、それを写真にし、さらに文章も付け加えたもので、[作庭・写真・文 丸山健二]となっています。でも、一見すると、花の写真集と思ってしまいます。
この本を読むともなくパラパラと見ていると、シャクナゲやツツジの写真もかなり載っていて、それで図書館から借りてきました。読み終わった後で考えると、自分で購入するかどうか尋ねられても、ちょっと躊躇してしまうかもしれません。
でも、いかにも花好きというのが伝わってくるような庭造りで、日本種とか外国種とか、野生種とか園芸種とかの区別もなく、日本産のカタクリのわきにカナダ産の黄花カタクリが植えられていて、ほんとうに花が好きなんだと思います。また、ご自宅の場所は長野県安曇野で、そこに住みながら庭造りをしているそうですから、環境的にもいろいろな植物を植えることができそうです。
珍しいのは、ヒマラヤの青いケシやその白花、さらには八重咲きのサンギナラア・カナデンシスなども、地植えで育っています。でも、それらに名前や説明もなく、抽象的な文章がちょっとだけ載っています。もちろん、私が抽象的と感じるだけで、別な意図があるのかもしれませんが、なかなか理解できなかったです。
たとえば、その一つを下に抜き書きしますが、これなどは比較的わかりやすいものです。この本の最初に出てくる文章です。
やはり、この本は、[作庭・写真・文 丸山健二]なのでしょう。もし、興味があれば、写真と文章をいっしょに読み解くことが大切だと思います。
(2011.08.08)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
小説家の庭 | 丸山健二 | 朝日新聞社 | 2006年11月30日 | 9784022502371 |
☆ Extract passages ☆
永遠の今が
馬鹿のひとつ覚えのように
「すべては空なり」と
そればかりを繰り返す
そんな陰鬱な響きを持つ言葉に
ときとして謙虚に耳を貸してしまう私が庭先に佇んでいる
人間の性向は
のべつ破滅へ向かって突き進むことだ
生まれてきてしまったからには
出来損ないの人間社会を大いに楽しもう
次の一瞬にいかなる悲劇が生じるか予測もつかない
浮世だからこそ生きるに値するのではないか
そう無理やり思いこもう
人の魂は
依然として測知されがたく
神秘な不条理に塗りつぶされている
(丸山健二 著 『小説家の庭』より)
No.613 『人生を変える「書」』
著者の書は、NHK大河ドラマ『天地人』の題字で有名になりましたが、1975年生まれですから、まだまだこれからの書道家です。母親も書道家の武田双葉(そうよう)で、師匠でもあるそうです。
この本を読んで一番印象的だったのは、参考文献の前に、「水」を中心に、そのまわりに「筆」「硯」「墨」「紙」を配して書いたもので、たしかに書とは、そのようなものだと思いました。昔から、この4種は、文房四宝といい、そのような本もたくさん出版されています。それらが無ければ書は成り立ちませんが、その中心に水があるとは気付きませんでした。
そういえば、何年か前に、横山大観の描く『生々流転』を観たことがありますが、それを思い出しました。1滴の水が山に降り、里を流れ、大河となり、海に下って、また龍になった雨になるという壮大な絵巻物です。それも墨絵でしたが、色鮮やかな絵にはない、秘めたような躍動感に充ち満ちていました。著者は、「書の世界は、伝統的で狭い世界で、古くて硬いものという印象がありますが、これはまったく逆。その白黒の世界に足を踏み込めば踏み込むほど、さまざまな知に出会うことができる。それはダイナミックでビビッドな刺激に満ちた、豊かな世界です。」といいますが、その通りだと思います。
よく、写真でも、モノクロームはカラーにはない豊かさがあるといいますが、それと同じようなものだと思います。あまりにも色に惑わされると、それだけで満足してしまい、その奥に秘められたものを見失ってしまいがちですが、モノクロームだと、なんとかそれを探そうという気分になります。もちろん、書も似たところがあります。
副題は、「観る愉しみ、真似る愉しみ」とありますが、この「書を観る」ということは、「物事を能動的に観ることの奥深さ、豊かさ、おもしろさを存分に味わうことができる行為です。先人が残してくれた書を通じて、観る感性を磨くことで、視野が広がり、自分自身の世界観が広がることは、疑いようのない事実。まさしく、書は人生を変えるのです。」と語っています。
この本の中では、いろいろな方を紹介しながら書を繙いていますが、下に良寛さまの書を解説しているところを抜き書きしました。
まさに書を観る、そのことを味わっていただきたいと思います。
(2011.08.05)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
人生を変える「書」(NHK出版新書) | 武田双雲 | NHK出版 | 2011年3月10日 | 9784140883457 |
☆ Extract passages ☆
「口」や「日」をしっかり閉じないで書かれた字は、家にたとえれば部屋のドアや窓がきちんと閉まっていない状態。こういう筆跡からは、ともすると隙だらけでずぼらな人柄が見て取れることがあります。しかし、良寛の場合はまさに"オープンマインド"。そもそも戸締まりをするという発想すらないのです。
あらゆるものを受け入れる器の大きさを備えていながら、入ってきたものを抱え込もうとはしない人間性。つまり、勉強して豊富な知識を身につけても、決して学識を外にひけらかしたりはしない。また、来る者を拒むこともなく、去る者を追うこともない。開かれた心の中を常に新鮮な風が吹き抜けているから、気が澱むことなく、子どものように純真なままでいられる。そういう良寛の人柄に、多くの人々が魅了されたのではないでしょうか。
良寛が"無欲"の人であったことは、筆跡からも感じ取ることができます。
(武田双雲 著 『人生を変える「書」』より)
No.612 『レンズ至上主義』
世の中には、写真を撮るのが好きな方もいれば、カメラという機械そのものが好きな方もおられます。また、その両方とも好きという方もいて、好きということにかけては同じでも、ニュアンス的にはちょっとずつ違います。私的には、どちらかというと、両方とも好きという部類に属すると思っています。
だから、このような本も読みたくなるわけです。
第1章の「レンズ入門」のところに書いてありますが、「安価なレンズ、カッコが悪いレンズでは、撮影に挑むモチべーションが大きく低下してしまうのである。これがいちばんよろしくないのだ。」とあり、はい、その通りです、とつい相づちを打ってしまいました。たしかに安くてもいいレンズはあると思いますが、やはり持つのは純正で、しかも気に入ったものでなければ撮ろうとする気になかなかなれないのです。でも、たとえば、高い山に登って高山植物を撮る場合などは、荷物を自分で持たざるを得ないので、なるべく軽いレンズを選ぶ場合もありますが、それは特殊な場合で、普段は軽さよりも自分で写りがいいと思っているレンズを使います。
そして、カメラにいろいろなレンズを付け替えて、その写りを楽しんでいるわけです。この本では、「レンズの特性を知ることで、画家が、さまざまな絵筆や絵の具を取り替えるのと同様に、モチーフや表現によってレンズを使い分けるのが理想なのだ。」と表現しています。まさに、そのようなつもりで、私も使い分けています。もちろん、上手下手は二の次にしてですが・・・・・・。
そもそも、この本の題名、『レンズ至上主義』ということだけで、この本を選んだようなものです。それを7月2日の東京出張のときから読み始め、ときどき引っ張り出しては読み、同じページを何度も読んだりして、読み終わったのが8月はじめです。ですから、一気に読んだのではなく、だらだらと楽しみながら読みました。これも、読書の一つの形かな、と自分でそう思っています。
下に抜き書きしたのは、「あとがき」に書いてあったものです。たしかに、良いとか悪いとかの判断は個人差があり、自分で良いと思えばそれでいいのではないかと思います。
(2011.08.02)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
レンズ至上主義(平凡社新書) | 赤城耕一 | 平凡社 | 2011年4月15日 | 9784582855814 |
☆ Extract passages ☆
レンズは無機的なものだけど、使うのは人間だ。レンズは光を翻訳するための装置だが、撮影者個々の思い、いわば妄想が装置に乗り移る。そして、この妄想装置を通した光が、センサーなりフィルムに到達し、写真像が形成される。出来上がった写真を見て、私たちは名宝とか、ボケ玉とかの判断を下すのだ。
だから、Aさんには名宝と呼べるレンズであっても、Bさんは同じレンズをボケ玉と判断したりすることも珍しくはない。あたりまえだ。レンズは言語を翻訳しているわけではないので、お互いに想いが通じないことがままあるのだ。
世間的にはあまり評判のよろしくないレンズ、あるいはまったく注目されなかったレンズを使用して、自分が気に入った写真が振れた時の喜びはことのほか大きいものである。読者諸氏もぜひ、自分の眼を信じて、レンズの性能を判断していただきたい。
(赤城耕一 著 『レンズ至上主義』より)
No.611 『散歩が楽しくなる樹の蘊蓄』
著者の船越亮二さんは、昔はよくNHKの『趣味の園芸』の樹木担当としてよく出演しておられ、その蘊蓄話しをおもしろく聞いていたものです。それが1冊の本となっていたことを知り、読んでみました。
読んでみて、その当時のことを思い出し、その博識ぶりにあらためてびっくりしました。全体を9章に分け、第1章「身近な街路樹、緑陰樹、公園の樹を見て歩く」、第2章「雑木林や山間を歩く楽しみ」、第3章「日本人の心をゆさぶる花と木」、第4章「知っておくと便利な薬用木、食用木と熱帯樹のウンチ」、第5章「口にふくむとなつかしい果樹と野生果実」、第6章「香りのよい花木と紅葉の美しい木」、第7章「アジサイと夏の木々たち」、第8章「庭木、社寺、工程の木の蘊蓄」、第9章「樹木のおもしろこぼれ話」です。
まさに、樹木に関するあもしろい話しが満載で、なんども読み返しました。ちょうど、昨年に自宅を改築したとき、棟梁がぜひにとすすめてくれたのが槐の床柱で、太さが8寸ほどあります。とてもおもしろい木で、落し掛けも同じ木からとったということでした。でも、床框は同じ槐ですが、少し色合いも違い、おそらく他の槐の木だと思います。この槐は、縁起木でもあり、そのこともこの本に書いてありましたので、下に抜き書きします。興味ある方はお読みください。
また、木の由来も詳しく載っていて、なるほどとうなずくこともたくさんありました。フジの巻き方の違いや、ブナの英語名はビーチで、その語源はアングロサクソン語のボコに由来し、このブナの樹皮に文字を書いたので、その樹皮そのものをボコといい、その文書をボコス、そしてこれがブック(書物)の由来になったそうで、初めて知りました。
この『ホンの旅』も本があるからこそ成り立つもので、そういう意味では、それを知ったことだけでもこのホンを読んで良かったと思いました。
2003年に発行された本ですので、おそらくはブックオフなどでもあるかと思います。興味がありましたら、ぜひお読みください。
(2011.07.30)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
散歩が楽しくなる樹の蘊蓄(講談社+α新書) | 船越亮二 | 講談社 | 2003年2月20日 | 9784062721783 |
☆ Extract passages ☆
中国原産のマメ科の落葉高木。エンジュは中国では尊い木としてあがめられ、庭によく植えられている。わが国へは奈良時代、遣唐使によって、仏教とともに薬用植物として導入された。
中国や朝鮮では葉や花、果実を食用にしたり、葉を乾燥させて茶にしたりして、現在も薬用に利用しているが、わが国では、エンジュを延寿にかけたり、漢字で木偏に鬼と書くことから、薬用樹としてよりは、魔よけの縁起木として、庭に植えることが多い。
街路樹として全国的に植えられているが、歴史のある都市では必ずといってよいほど見かける。エンジュは都市公害に強く、病害虫も少なく生長が遅いなど、街路樹に好都合のため、東京都は明治40年に「適した街路樹として指定している。
(船越亮二 著 『散歩が楽しくなる樹の蘊蓄』より)
No.610 『ソクラテス・イエス・ブッダ』
この本の題名も興味を引いたが、著者の名前にも引かれました。というのは、画家のルノアールが好きなので、その同じ名前だったからです。
副題は「三賢人の言葉、そして生涯」で、ジャーナリストらしい興味の引く書き方をしています。著者は1962年生まれのフランス人で、現在、ルモンド紙が発行する『宗教の世界』誌編集長だそうです。つまり、宗教ジャーナリストということで、『チベット 真実の時Q&A』や『仏教と西洋との出会い』、さらには少し前に話題になった『ダ・ビンチ・コード実証学』などの著書があるそうです。
読んでみると、とくにブッダに関しては西洋人らしい見方で、宗教者というより哲学者のような雰囲気が感じられます。しかも、ソクラテスやイエスと比較しながら書き進めるというのは、とてもおもしろく、今までのブッダ論にないような視点が感じられました。
下にも抜き書きしましたが、書き残すというより直接民衆と対峙して説法する姿が鮮明にあらわされ、『三人の「人気」を今日の映画に譬えれば、大々的な宣伝で一気にヒットしたのではなく口コミでゆっくりとだが着実に観客を動員した作品、と言えよう。三人の生涯と言葉を知った者たちは強い感銘を受けたため、ほかの人にもぜひ伝えようと熱心に取り組んだ。そのために現代にまで伝わったのである。』という表現などは、まさにジャーナリストらしいと思いました。
また、「三人とも健脚を誇り、名誉や富貴を求めなかった。快適で安定した生活よりも、何ものにも縛られない独立と移動を好んだ。」というあたりも、ちょっと日本人の感覚では見抜けないところで、言われてみれば、まさにその通りです。
この本は、ソクラテスとイエスとブッダを比較対照しながら、いろんな角度から見ようとしているので、新たな姿が浮き出て見えてきます。
ソクラテスとイエスよりも、おそらくブッダに関しては、宗教者というよりも一人の人間としての姿が見えてくるように思いました。
(2011.07.28)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
ソクラテス・イエス・ブッダ | フレデリック・ルノワール著、神田順子・清水珠代・山川洋子訳 | 柏書房 | 2011年5月1日 | 9784760139767 |
☆ Extract passages ☆
三人の共通点の一つは非常に特異で、特記に値する。ブツダ、ソクラテス、イエスの誰一人として自著を残さなかったのだ。三人が生きた時代と環境においては若者が読み書きを習得するのは当たり前であったので―――ただしブツダの時代、すなわち紀元前五世紀のインドでは読み書きはほとんど普及しておらず、商業や行政のやりとりに限られていた―――、三人にその能力があったことはほぼ確実なのだが。三人が書物を通してではなく、口頭での教えを選んだのは意図的な選択だった、と言えよう。彼らの教えは生き方の英知である。この英知は、適切なジェスチャーや生き生きとした言葉や声の抑揚を用い、説得力のある手本を示すことで直に伝えられた。
(フレデリック・ルノワール 著 『ソクラテス・イエス・ブッダ』より)
No.609 『なぜ日本人はとりあえず謝るのか』
著者は、1999年に創立された「日本世間学会」の初代代表幹事で、この本のなかにも、この「世間」なる言葉がたくさん出てきます。いわば、副題の『「ゆるし」と「はずし」の世間論』を読み解くキーワードにもなっています。この本の内容紹介にも、『日本人はだれしも「世間」にとらわれている。世間という人的関係の中で、「ゆるし」や「義理」「人情」といった原理に庇護され、安心を得る。故に、日本人は世間からの「はずし」を強く恐れる。犯罪や不祥事を起こした日本人は、ただちに謝罪しなければならない。日本では真撃な謝罪によって、世間からの「ゆるし」を得て「はずし」を回避することができるのだ。ところが近年、日本の刑事司法が厳罰化する傾向にある。これは「世間」の寛容さが失われつつあることのあらわれなのか?』と問いかけ、それをこの本で探ろうとしています。
この「世間」というのは、おそらく、絶対に外国人にはわからない感覚ですが、日本人なら、なんとなく納得するのではないかと思います。著者の専攻は刑事法学や現象学などで、とくに刑事問題が多く取り上げられているのは、そのような理由からだと思います。
この本でも取り上げられていますが、この世間というもののなかで、肩書きがとても重要な位置を占めています。でも、外国、とくに欧米では、会社のなかでと当然必要でしょうが、私生活では肩書きは必要ありません。ある方に聞いたのですが、ある幼稚園に自分の子どもと上司の子どもが入園していて、運動会のときに、上司の子どもより早く走らないようにというまことしやかな噂がながれたということです。まさか、と思いましたが、この本を読んでみると、もしかするとあり得るかも、と思いました。
たしかに、良くも悪くも「世間」というある種の「しばり」があることだけは間違いなさそうです。そういう意味では、そいう世の中の見えない部分も考えなくてはと思いました。
でも、あんまりこのようなものに縛られて生きたくはない、というのが本音です。
(2011.07.24)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
なぜ日本人はとりあえず謝るのか(PHP新書) | 佐藤直樹 | PHP研究所 | 2011年3月1日 | 9784569795522 |
☆ Extract passages ☆
謝罪に、「おまじない」のような呪術的意味があるからである。すなわち、「世間」には「呪術性」というルールがあるために、神主がお祓いのときに祝詞を唱えるように、謝罪の言葉がくり返し唱えられると、言葉自体が一種の呪力をもつことになる。呪力をもった言葉には、それに従わなければならない強制力が生じる。そのために、この謝罪を受け入れないことは、言葉のもつ呪力を無視し、「呪術性」にもとづく「世間」のルールに反することになる。これは外国人にはなかなか理解できないことだろう。
それゆえ謝罪された側は、謝罪を受け入れ、「ゆるし」を発動しなければならない。・・・・・・
ここで注意しておかなければならないのは、「世間」は、すくなくとも表面上それが「真摯な謝罪」にみえれば、心のなかでどう思っているかという内面は問わないことである。つまり謝罪は、「呪術性」を根底にもつ形式的な儀式であるといってよい。
(佐藤直樹 著 『なぜ日本人はとりあえず謝るのか』より)
No.608 『売れる!「コピー力」養成講座』
副題は「ささる文章はこう書く」とあり、装丁からして、文章養成講座らしさが出ています。
著者は、現在ビジネスセミナー講師や販促宣伝アドバイザーをしており、そういう意味では、まさに「コピー力」が必要です。その文章ノウハウを惜しげも無く拾うしてくれているのが、この本です。
しかもじつに実践的内容で、チラシを作ったり、広告やWEB関連で文章をつくらなければならない方にはとても役に立ちそうです。私は、どちらかというと、文章力というのはちょっとやそっとの時間ではつかないと思っていますが、ある種の付け焼き刃的なものもあり、かな、とこの本を読みながら思いました。
だって、急にポストがかわり、このようなことをせざるを得ない立場になったら、もう、どうしようもありません。このようなハウツー本に頼るのも、それを切り抜ける一つの方法です。だから、このようなハウツー本が多く出回るのでしょう。
読んでみると、たしかに販促宣伝に役立つことが書かれていますが、それだけでなく、人と話すときに役立つことも多く、その一言でできないこともできるようになるかもしれない、と思いました。
その一言で、物も売れるかもしれませんが、人生だってかわるかもしれません。
ということは、「コピー力」って、とても大事です。それがわかりました。
(2011.07.21)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
売れる!「コピー力」養成講座 | 山口照美 | 筑摩書房 | 2011年2月25日 | 9784480878359 |
☆ Extract passages ☆
「マズローの段階欲求説」という、人間の欲求を5段階に分けた有名な説があります。
第1段階 生理的欲求(お腹いっぱいでひとまず健康)
第2段階 安全の欲求(悩みや不安がなく、落ち着いている)
第3段階 親和の欲求(一人はいや、みんなと仲良くしたい)
第4段階 自我の欲求(はめられたい、役に立ちたい)
第5段階 自己実現の欲求(自分の能力を社会で活かしたい)
(山口照美 著 『売れる!「コピー力」養成講座』より)
No.607 『利他のすすめ』
副題は「チョーク工場で学んだ幸せに生きる18の智恵」で、第1章から第4章まであり、それを18に別けています。それが18の智恵というわけです。
著者は、日本理化学工業(株)会長であり、1937年に父が創業したこの会社に23歳で入社し、一貫してこの会社とともにあったようです。転機は突然にあったようで、「ひょんなきっかけで、二人の知的障害をもつ少女を雇用することになった」ことからから徐々に障害者雇用に本腰を入れるようになったといいます。
現在では74人の社員のうち55人が知的障害者(障害者雇用割合約74%)で、しかも製造ラインのほぼ100%知的障害者のみで稼働できるように工程にさまざまな工夫を凝らしているそうです。
このような経営が評価され、渋沢栄一賞や東京商工会議所の「勇気ある経営大賞」などを受賞しているそうです。この本を読んでみて、なるほど、これでは受賞して当然だと思いました。おそらく、口で言うには簡単なことでも、相当な努力と時間を惜しまない姿勢がなければやれなかったと思います。2008年に会長になられたそうで、だからこそ、講演やこのような本の出版ができる時間がもてたような気がします。
著者が初めのところに書いていますが、生き方としてはとてもシンプルで、「人の役に立つことこそ、幸せ」と言い切ります。つまり、自己犠牲ではなく、人間というものは人の役に立つことで幸せを感じるようにできているから、といいます。言われてみれば、まさにその通りです。これこそ、お釈迦さまが説かれた「利他の教え」です。
でも、この利他ということを具体的に推し進めたのは、どちらかというと『般若経』を編纂するグループが中心となって起こした大乗仏教運動です。自分がしてもらいたいことを人にもする、相手を満足させられなければ自分も満足てきない、これが利他行です。
でも、聖書マタイ伝7章の一節にも、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」とあり、いささか内容は違いますが、大枠の倫理的側面においては同じようなものです。
いずれにしても、この利他行は、自分を捨て去るほどの覚悟が必要で、そういう意味に置いても、著者は、おそらく、そういう覚悟の上に会社経営をしてきたのではないかと思います。
ぜひ、多くの人に読んでいただきたい1冊です。
(2011.07.17)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
利他のすすめ | 大山泰弘 | WAVE出版 | 2011年4月29日 | 9784797363425 |
☆ Extract passages ☆
人は誰しも、他者のために全力で生きている人を応援したいと思うのです。そういう人が困ったときには、「なんとかしてあげたい」と思うものです。
私自身がそうです。
知的障害者は、職場の仲間の役に立ちたくて一所懸命に働いてくれます。その無垢な姿を目のあたりにして、私は彼らを応援したいと思ったのです。
親御さんもそうです。皆さん、お子さんのために懸命に生きていらっしゃいます。だからこそ、私は親御さんのお力になりたいと願ってきたのです。
そして、その思いがあったからこそ、私が困ったときに誰かが手を差し伸べてくれたのです。
(大山泰弘 著 『利他のすすめ』より)
No.606 『Facebook 世界を征するソーシャルプラットフォーム』
このフェイスブック(Facebook)という言葉を聞いたのは、おそらく、今年の中東やアフリカ諸国の民主化運動の動き以降の方が多いのではないかと思います。日本語版は2008年に登場しましたが、まだ3年ほどしかたっていませんから、ミクシィやツイッターのほうが有名でしたが、これからはフェイスブックの利用者のほうが多くなりそうな予感がします。
この大きな違いは、実名かいなかですが、実名であるが故に真実性もあり、自分の友人や家族ともつながっていて、実社会の人間関係がそのままフェイスブックの交友関係に反映されています。私がこれを利用するきっかけになったのが外国の友人とのメールのやりとりからで、これからはフェイスブックのほうが簡単ですぐにつながるよということでした。実際に、外国の友人の娘さんたちは、オーストラリアとアメリカに留学しており、フェイスブックのコミュニティのなかでいつも家族同士の会話が成り立っています。そこに私も招待され、いつの間にか数カ国に離ればなれになっている人同士が一つのコミュニティのなかで会話したり写真を見せ合ったり、楽しいひとときを過ごしています。
これまでのインターネットの世界は、匿名であるがゆえに、何でもありの無法地帯のように考えられてきた傾向がありますが、だんだんとそれでは困るという人たちもいて、それなりのしっかりした秩序ある良識的なコミュニケーションが求められてきたのです。だから、フェイスブックの実名主義は、うけるのです。
フェイスブックの場合は、必ず姓と名のフルネームを記載する必要があり、もし虚偽の記載をすると、ある日突然にアカウントを抹消されることもあるといいます。だからニックネームや「なりすまし」などはできないことになっています。でも、どうやって実名でないとか虚偽記載なのかを確かめられるのかわかりませんが、なんらかの方法で見つけ出す仕組みがあるのかもしれません。
ただ、実名や性別、年齢などはまだいいのですが、出身校や趣味などの記載箇所もあり、そこまで記入する必要があるのかと思います。でも、フェイスブックに載る情報は、すべて自らがすすんで公開していることになっていますから、やはり無防備な開示には気をつけた方がいいかもしれません。私の場合は、必要最小限度の個人情報しか載せていません。
しかし、確実にこれからは、パソコンの世界であっても、ハイタッチを求めていくようですから、ある程度の正しい情報を載せることは大切になっていくことでしょう。
(2011.07.13)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
Facebook 世界を征するソーシャルプラットフォーム(ソフトバンク新書) | 山脇伸介 | ソフトバンク クリエイティブ株式会社 | 2011年1月25日 | 9784797363425 |
☆ Extract passages ☆
人々はハイタッチ(人間らしいふれあい)を求めるようにシフトしている。欲しいモノをもくもくとオートマチックに籠に入れて買うよりも、相談したり、教えてもらったり、たくさんコミュニケーションして、他人と接触しながら買ったほうが楽しいと、思い出したのではないだろうか。
ハイタッチのすばらしさを一番ヴィヴィッドに感じられるのが、実名SNSのフェイスブックなのだと思う。人は実名では嘘はつきにくい。またいい加減なことも言いにくい。だからこそ、真実味のある口コミにもなり、「いいね!」という共感のサインにもなる。リアルな生活と完全にリンクしているからこそ、強い力を持つのだ。
(山脇伸介 著 『Facebook 世界を征するソーシャルプラットフォーム』より)
No.605 『何かのために』
この本の表紙に、あの中国漁船が日本の海上保安庁の巡視船に体当たりする写真が載っていて、さらに副題に「sengoku38の告白」とあり、すぐに思い出しました。でも、あの2010年11月5日のテレビに流された動画映像はとても強烈な印象だったのに、もう、頭の隅っこにしか残っていなかった現実に唖然としました。やはり、人の噂も75日なのでしょうか。あの強烈な印象ですら、この程度なのですから、日々の取るに足らない印象なんて、あっという間に忘れ去られてしまうんでしょうね。
この本を手にしての第一印象が、人は忘れるということでした。たしかに、3月11日の東日本大震災の被害は想像を絶するほどで、それがそれ以前のことをすべて消し去ったといっても過言ではないようです。たとえば、今年の2月22日、ニュージーランドのカンタベリー地方で発生したマグニチュード6.3の大地震で、日本人28人を含む約180人が死亡か行方不明になりましたが、連日そのニュースを流していたのに、あの東日本大震災以後はほとんど伝わって来なくなりました。また政治の世界では、3月6日に前原誠司外相が外国人からの政治献金を受けた問題の責任をとって辞任したことなどは、まったく過去のことになってしまいました。
それほど、あの東日本大震災のインパクトは強烈で、今も福島第一原発の事故はいまだに収束のめどさえ立っていません。
だから、忘れていいという理由にはならないわけで、この本の著者がいうように、このビデオの公開で多くの日本人の心の中で何かが変わっていくきっかけになった、と信じたいという気持ちはほんとうに理解できますし、少しは何かを考えるきっかけになったと思います。私自身も、なぜあのビデオがすぐ公開されなかったのか不思議でしょうがありません。すぐにでも公開されれば、むしろ多くの国民も海外の人たちでも、はっきりわかるはずです。たとえ、どのような言い訳を掲げたとしても、あのビデオという映像の力にはかないません。
そして、自分の公務員としての立場をなげうって投稿したそのときの気持ちは、やはり、この本を読むことでしか伝わって来ないような気がします。特に印象的だったのは、若い人たちへのメッセージで、「若いうちから、自分の意思を持たず組織の歯車として生きていく、それも一つの生き方なので私は否定しないが、私が、その公務員という職を捨ててまで守りたかったものは何なのか、いま一度考えてほしい」といい、さらに「若者よ、国を頼るな、むしろ国に頼られる人間になってほしい」との呼びかけは、まさに今の軟弱な時代だからこそ、強く心に響いてくるような気がします。
ぜひ、興味のある方は、お読みいただければと思います。
(2011.07.10)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
何かのために | 一色正春 | 朝日新聞出版 | 2011年2月28日 | 9784023309203 |
☆ Extract passages ☆
取り調べというのは相手の言い分を聞き、その中から捜査する側の都合のよいところだけを取り出して調書化するので都合のよいところがないとこまるのである。
現在の日本の法律では犯罪の多くが故意でないと罰せられない。
そのため捜査する側としては調書に、その行為が本人の意思で行ったものであったとか犯罪行為であると認識していたとか、要するに「悪いこととは知りながらワザとやりました」という供述がほしいため、そこに誘導していく。
最初に答えがあり、そこに導いていくための数式を考え、それを被疑者に納得させるための作業が取り調べである。だから私の供述が捜査側には都合が悪かったのである。
捜査当局が、他に共犯者がいないかということが気にしていたのも、証拠隠滅の防止というより、第二、第三の公開を恐れてのことだろう。
巷に言われているに、ビデオテープの合計は約10時間あるらしいが、その中に、よっぽど見られては困るものがあるのだろうか。
(一色正春 著 『何かのために』より)
No.604 『現ナマ主義』
著者の荻原博子さんは、時々、マスコミのコメンテーターなどに出演しているので知ってはいましたが、この題名にはびっくりしてしまいました。あまりにも露骨で、ちょっと手に取るのをはばかれるほどでした。副題の「不況に打ち勝ち最強のルール」に惹かれて、読んでみました。
たしかに、現金は強いということはわかりました。なぜ、そうなってきたのかもわかりました。
でも、最後まで、この現ナマという言葉にはなじめませんでした。しかし、ある意味、強烈なインパクトのある言葉でもあり、その力強さに惹かれて、読む人もいるかもしれません。このような題名は、まさに諸刃の剣のような気がしました。
たしかに今は、先行き不透明な時代で、長引く不景気のまっただ中にいます。いかも、3月11日の東日本大震災や、その後の福島第一原子力発電所からの放射能漏れなどが続き、収束のめどさえ立っていません。しかし、いつまでも、困ったと言ってばかりいても、どうしようもありません。著者も、「残業をしなくなった(できなくなった)夫の帰宅時間が早くなり、家族と過ごす時間が長くなったことを喜びましょ
う。今こそ家族の絆を深めるよい機会です。しかも家計は厳しい状態なのだから、妻も子どもも一致団結するしか、選択肢はありません」と割り切った考え方をしています。
まさにその通りです。
現在のデフレの時代だからこそ、現金が一番大事で、下手に資産運用などしないほうがいいといいます。
もし、その理由を知りたいなら、やはり自分でこの本を読んで納得することです。
興味のある方は、お読みください。
(2011.07.07)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
現ナマ主義(ベスト新書) | 荻原博子 | KKベストセラーズ | 2011年1月20日 | 9784584123157 |
☆ Extract passages ☆
冬山で嵐にあったらテントの中にこもってやり過ごす。状況がわからない中、やみくもに出歩いてはいけません。同じように、経済の状況が不透明な今、お金は"現金"で保有してしっかりと守るべきです。さすがに普通預金に預けておくのはもったいないので、定期預金に預け替えるのはよいでしょう。でもやるべきことはそこまで。
それでも日本経済は、デフレというモノの値段が下がり"現金"の価値が上がる状況に長年置かれているために、200万円の"現金"は、毎年価値を高めています。・・・・・・2009年度の平均の全国消費者物価指数は、生鮮食品を除く総合指数が前年度比1.6%下落しています。毎年このくらいの下落率だったと仮定すると、10年前と今とでは200万円の価値が16%も上がったことになります。
今は"現金"を持っている人が一番強いのだから、増やそうと思ってはいけません。
(荻原博子 著 『現ナマ主義』より)
No.603 『安売りしない会社はどこで努力しているか?』
今の世の中、まさに価格競争で、地方の零細な小売店はだんだんと少なくなってきています。どこの町に行っても、全国チェーンの大規模小売店の同じようなばかでかい看板があり、町の個性もなくなりつつあります。その町のそのお店に行かなければ買えなかった品物が、今ではインターネット通販で簡単に手に入ります。しかも、定番商品であれば、その品番でまず価格を比較して、少しでも安い店から買おうとします。
つまり、すべてが価格で競争させられてしまうような世の中になりつつあります。
そう思っていたときに、この『安売りしない会社はどこで努力しているか?』という本に出会いました。この本では、最初のほうに、『価格ではなく、企業としての姿勢を確立し、それを損なわない「スタッフの良さ」で選ばれるようにしていくことが、小さな会社の進むべき道です』と書いてあります。
たしかに、いくら安くても、スタッフの対応が悪いと次からは買おうと思いませんし、少々高くてもスタッフの対応の良さに惹かれてまた行ってしまうところもあります。あるいは、高い安いではなく、その品物がとても気に入っているものもあります。
私も、実は、A5版のルーズリーフノートを使っているのですが、コクヨやマルマンの100枚入りのノートなら200円程度で買えますが、ライフ(株)のR82というA5版ルーズリーフノートはオリジナルペーパーで愛用の万年筆で書いてもにじみや裏抜けがなく、とても気持ち良く書けます。東急ハンズで735円ですから、数倍も高のですが、紙質も紙色も気に入って使っています。やはり、気持ち良く書けるのが最高です。
また、食事などは、安いだけでなく、安全安心は当然ですが、そのお店の雰囲気なども大事な要素です。もちろん、著者がいうように、スタッフの対応も大事です。あまりにもつっけんどんで、注文はしたものの帰ってしまおうかと思ったところもあります。もう、絶対に、あの店にだけは行きません。もしかすると、その日だけのアルバイトだったかもしれませんが、客にしてみれば、正社員だろうとアルバイトだろうと、なんにも関係ありません。そのお店の悪い印象だけが残ったのです。
たしかに、価格も選ぶときの選択肢の一つに違いありませんが、価格がすべてではありません。
この本を読んで、たしかにその通りだと、思いました。もし、安売りだけの商売はしたくない、という方はぜひお読みください。
(2011.07.05)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
安売りしない会社はどこで努力しているか? | 村尾隆介 | 大和書房 | 2010年10月5日 | 9784479793007 |
☆ Extract passages ☆
ヒット商品が生まれたとします。あまりにも売れるので、供給が間に合わず、品薄の状態が続いています。こんなとき、アメリカ人の経営者、日本人の経営者、そしてヨーロッパ人の経営者がいたとしたら、それぞれ一体どうするか?
アメリカ人は、学生のころから授業で、需要と供給のバランスについて叩き込まれます。市場の仕組みをよく知っているアメリカ人経営者は、このようなシチュエーションでは、その商品の価格を上げます。
では、同じ場面で、日本人経営者なら、どんな行動に出るでしょう。一般的には、「お客さまを待たせちゃいけない」と考える日本人は、工場をフル稼働し、とにかく供給量を増やします。でも、流行り廃りが速い日本では、供給が追いつくころにはブームも去り、残るのは在庫の山だけ。これは、よく耳にする話です。
ヨーロッパ人経営者は、どうするか?「売れている? 在庫が足りない? じゃあ、そのまま待たせとけば」と、値段を上げることもしなければ、特に供給量を増やすこともしません。ただ、お客さまを待たせるのです。
すると、辛抱強く待つ人が世界中に現れ、その商品の価値が勝手に上がっていきます。ヨーロッパのラグジュアリーな車もバッグも、みんなこの類です。「エルメス」のケリーバッグや「フェラーリ」の新車は、みんな辛抱強く待っています。
(村尾隆介 著 『安売りしない会社はどこで努力しているか?』より)
No.602 『短歌ください』
この本は、『ダ・ヴィンチ』の2008年5月号から2010年10月号に連載された「短歌ください」をまとめたものだそうです。でも、すごく素直な素人くさい短歌ばかりで、つい、うなずいてしまうものもたくさんありました。
この本を読んでいた時期は、旅行中ということもあり、ちょっと読んでは車窓を眺め、またちょっと読んではうたた寝をする、という具合で、短歌などの短いものを読むには最適な時間でした。
取りまとめをされた著者は、北海道生まれの歌人だそうで、翻訳書や短歌評論集などもあるそうで、投稿に対するワンポイントのコメントも楽しく読ませていただきました。この企画は、現在も『ダ・ヴィンチ』で連載中だそうで、機会があれば最新の投稿された短歌を読んでみたいと思います。
川柳などは、その時代時代にすごく影響を受けますが、このような素人の短歌も時代背景がすごくわかります。たとえば、小林晶さん(女性、27歳)の『「どうして手をつなぐのかね」とおばあちゃん。おじいちゃんと手、つながなかったの?』という短歌は、とてもストレートな表現で、「つながなかったの?」といわれても、恥ずかしくてつなげなかったとは言っても理解されないのでは、と思ってしまいました。この作者のコメントは「街中のカップルを見て祖母が一言。質問は聞きませんでしたが」とあり、あらためて「どうして?」とは疑問すら浮かばない様子です。つまり、手をつなぎながら歩くのが今時当たり前で、そこにはなぜという疑問すら浮かばない当然なことのようです。
また、鈴木美紀子さん(女性、46歳)の『薬局で「乳首ください!」と口走る おしゃぶりのこと? 新米パパさん』という短歌も、ありそう、と思いました。おそらく、あせっていたとか恥ずかしいとか、いろいろな感情が集まってこのようなことを口走ったのでしょうが、やはり今時は夫婦いっしょに子育てをするというのが、これまた当然のことなのでしょう。
このような短歌を読むと、とても時代というものを感じます。と同時に、今の時代を知る手がかりにもなります。従来の短歌よりも、感情表現がストレートなのもとてもわかりやすく、これなら自分でも作れそう、と思わせてくれます。
まあ、それが企画者としての著者の意図かもしれません。
あとがきに、「いくら自分が張り切ったところで、そもそもいい作品がが集まらなかったら、どうにもならない」ということなのでしょう。
下に、自分が読んで楽しかったりジーンときたりしたのを七首ほど掲げさせていただきました。
このように気楽に読める、だからぜひ、読んでみてください。
(2011.07.03)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
短歌ください | 穂村 弘 | メディアファクトリー | 2011年3月18日 | 9784840138642 |
☆ Extract passages ☆
おにぎりを三個持たせる母が言う 余れば誰かに差し上げなさい (ヒポユキ、男、44歳)
ランボルギーニらんほるぎーにランボルギーニLamborghini 男はバカだ (陣左記草子、女、31歳)
こんなにもしあわせすぎる一日は早く終わって思い出になれ (ひろ、女、19歳)
腹筋を鍛える君を眺めつつ食べるポテチのおいしさったら (朝倉遙、女、29歳)
じゃんけんでいつも最初にパーを出すの知ってるから私もパーで (須田千秋、女)
この空を覚えていようと誓った日 そのことだけをただ覚えている (ウルル、女、22歳)
「太ってもいいよケーキを食べようね」呼吸器つけた妻にほほえむ (あまねそう、男、32歳)
(穂村 弘 著 『短歌ください』より)
No.601 『禅画を読む』
禅画といえば、それを見ただけでは何が描いてあるのかさえもわかりにくいものです。でも、その解説を読んだからわかるというものでもないらしく、様々な解釈もあるそうです。
でも、この本を読んで、禅画そのものより、禅画の主人公の禅師たちの生き様のおもしろさを感じました。たとえば、臨済宗を開かれた臨済義玄禅師は、『臨済録』によれば、山にたくさんの松の木を植えていたところから、臨済栽松図という禅画が生まれたそうです。それを見た黄檗禅師は、「こんなにたくさんの松を植えてどうしようというのか」と問うと、臨済禅師は「一つには山内を整え、二つには後の人たちを導くしるしとするためです」と答え、三度大鍬で地面を掘ったそうです。そこからこの解説本によると、
『黄檗禅師は、「それも悪くはないが、おまえさんはすでにわしの棒を三十も受けたぞ」といったのですが、臨済はまた大鍬で地面を三度掘り、空に向かって嘯きました。それを見た黄檗禅師は、「わしの教えは、おまえさんの時代になって世に大いに広まるだろう」といいました。黄檗禅師の初めの言葉「子己喫吾三十棒了也」を三十棒を受けたと訳してはみたのですが、どうもすっきりしません。西部文浄氏のように、「まだまだ三十棒食らわせてやるところだ」(『茶席の禅機画』)と訳す方が、あとの臨済の行為の説明がつくように思えます。黄檗禅師のいわば挑発と見える言葉に対し、臨済がそれを聞き流して嘯くという行為は、臨済の黄檗禅師に対し一歩も引かないという姿を示し、臨済の大きさを感じさせるのです。』
この説明で、すんなりとわかった方はすばらしいと思います。
私は、1回読んでも何が何だかわかりませんでしたし、何度か読むうちにそのようにも読めるかもしれないという程度の理解です。でも、山に松を植え続けるという行為は、すぐに納得できました。これは理由があるというよりは、松を植えるのが好きだからしているだけの話しのような気がします。誰かが植えなかったら、そこには1本の松のないわけで、植え続けることによってその山が松だらけになることが楽しいのです。楽しいから、植え続けられるのです。山内を整えるなどという理由は、付け足しにしか過ぎません。
松を植えていれば、その自分が植えた松の木が育つのを見る楽しみがありますし、その松の梢を渡る風のすがすがしさを感じることもできます。これは別に松の木でなくても、なんでもいいと私は思いました。
つまり、禅画のおもしろさは、自分で勝手にいろいろと解釈できる楽しさではないかと思います。禅師たちも悟りをいろいろに表現していますから、その自由闊達な表現のおもしろさを感じ取ればそれでいいのではないかと勝手に想像しています。
やはり禅画といえば、1番有名なのは「寒山拾得図」ではないかと思いますので、その解説を下に抜き書きしました。
なにかの機会に、この「寒山拾得図」を見ることがあれば、ぜひ、この説明を思い出していただければと思います。
(2011.06.30)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
禅画を読む | 景山純夫 | 淡交社 | 2011年3月14日 | 9784473037268 |
☆ Extract passages ☆
寒山拾得は、脱俗の象徴であるとともに、伽藍神を杖で打つなどの思いがけない行動は無意味な権威に対する批判者としての意味も持っていたのです。寒山と拾得はよく笑うのですが、二人の笑い声は、無垢の笑いというより、人々の心の奥底にまで響き渡る重い笑いのように思えます。・・・・・・
禅の立場からすれば、西部文浄氏が書かれているように、巻物は文字・思想・知恵を意味し、寒山が文殊菩薩であることを示し、箒は実践・生活・行為を意味し、拾得が普賢菩薩であることを示している、そして、この知と行が一つになってゆくところに私たちの真実な生き方があるという捉え方(『茶席の禅機画』)が正しいように思えます。
(景山純夫 著 『禅画を読む』より)
No.600 『科学の横道』
この『ホンの旅』を初めて、この本がちょうど600冊目です。とくに記念というものでもなく、なにげなく手に取ったのが本です。これを書きながら、せっかく600冊目だから、もう少し格調高い本を選べば良かったとも思いますが、では、格調高いってどのような本か、などと考えたら、ますます選べなくなるので、何気なくというのが案外ちょうどいいようです。
でも、この本を読んでみて、いろいろなエキスパートの方たちとの対談で、とてもおもしろかったです。まさに目から鱗が落ちたという箇所もありました。
たとえば、滋賀県知事の嘉田由紀子さんの発言ですが、命を守ることを最優先にした場合、ダムは一つの選択肢に過ぎなくて、万能ではないといいます。さらに「ダムを造っても、水害をゼロにできない。それどころか実は、あなたの住んでいるところはかつて遊水池で、水害常習地だったんですよということも知らせなければいけない。私はいつも地域の歴史を50年100年単位で見るようにしています。昔の地図と今の地図と、それと過去の水害の履歴を徹底的に調べて、どういうふうにどこがあふれたかというデータを頭に入れて、地域を徹底して聞き取りをして回ったことがあります。それで慄然としたことがあるのですが、近畿圏全域にわたって洪水常習地にいっぱい住宅地が出来ているんです。聞いたら当たり前なんですよ。農家は米が取りにくいところから先に売る、開発業者は土地が安いから購入する。開発業者は家を造って、そして購入する人はその土地の履歴を知らない。自然が多いからって住むと、怖いんですね。」って言うんです。
これはまさに本当だな、と思いました。もし、自分が農家だったら、どうしても売らなければならない事情があれば、自分の仕事の妨げにならない場所を手放します。しかも、なるべくなら、その土地があまり良くないということを知らない他地域の方に譲ります。だから、今、梅雨時で九州などでは集中豪雨の被害が出ていますが、それをテレビなどで見ていると、ほとんどが新しい家のようです。つまり、そこに長く住んでいる人たちなら絶対に手を出さないようなところかもしれない、と思いました。
やはり、フィールドワークされた地域なりのデータとそれを分析する科学的な手法がともに必要ではないかとつくづく考えました。これなどは一つの例ですが、このような科学的なものの考え方が今ひとつ浸透し切れていないように思います。もちろん、科学技術の進歩は目を見張るものがありますが、逆にその進歩にばかり目を奪われているとその基盤になっている科学そのものの特質を見失ってしまう恐れがあります。
下に抜き書きしましたが、この本は、科学を「横から、あるいは上から、後ろから、科学を眺めてみる。派生した横道を歩いてみる。そうすれば、今まで気がつかなかった科学技術の多様な魅力に迫ることができるかもしれない」という思いから書かれたもののようです。
ぜひ機会があれば、お読みください。
(2011.06.27)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
科学の横道(中公新書) | 佐倉 統 編著 | 中央公論新社 | 2011年3月25日 | 9784121021045 |
☆ Extract passages ☆
横から、あるいは上から、後ろから、科学を眺めてみる。派生した横道を歩いてみる。そうすれば、今まで気がつかなかった科学技術の多様な魅力に迫ることができるかもしれない。それはまた、科学技術が社会のなかで置かれているさまざまな文脈を浮かび上がらせるということでもある。場における文脈を体感するには、いろいろな角度から眺めて、横道にそれてみる必要がある。
科学を語る際にそういった余裕がないというのは、科学そのものの特性も考えられるけど、科学が日本の社会のなかで成熟した場所を占めていないということも意味しているのだろう。科学技術は文化や社会を超越して、あくまでも主役でなければならないという、暗黙の了解がその背後にあるかのような気さえする。
(佐倉 統 編著 『科学の横道』より)
No.599 『人はかならず、やり直せる』
この本の表紙に、「前科7犯 ヤクザだった 牧師からの メッセージ」と書かれていて、それだけでもすごいインパクトがあります。しかも顔写真もあり、牧師さんの格好ではなく、ヤクザの格好をしてパンチパーマでもすればそれらしい迫力のありそうな雰囲気でした。
この本の中で、お母さんが、「やくざはやくざの顔になる。やくざはやくざの歩き方になる。やくざはやくざの目つきになる」と言ったとありますが、まさにその通りだと思います。むしろ、それらしくしなければ、やくざ稼業はできないでしょう。
この本のなかに出てきますが、「やくざ者はバカじゃなれない、利口じゃなれない、中途半端じゃなおなれない」とやくざの問でよく言われているのだそうです。これにもなるほどと思いました。そのなかにいたからこそ、言えることです。
とくに、なるほどと思ったのは、薬物やアルコール、さらにはギャンブルなどの依存症から抜け出すにはどうすればいいかという一つの答えに、「別の依存症にかかることである」とすっぱりと書きます。著者は、自分が覚せい剤中毒およびギャンブル依存だったのに、"キリスト中毒"になったことで覚せい剤中毒から抜け出すことができ、ギャンブル依存もすっかりと治すことができたといいます。この明快な答えに、大きく頷きました。「イエス様のことをいつも考えていれば、覚せい剤のことやギャンブルのことを忘れられる」といいます。これはある意味、当然なことかもしれません。薬物やアルコールより好きな物を見つければいいわけです。その好きなものに夢中にさえなればいいわけです。
なるほど、たしかにそうです。
ある刑務所に行ったときに聞いたのですが、このような依存症の方の再犯率は、とても高いそうです。つまり、なかなかその依存から抜け出せないということです。でも、その薬物の売人で、しかも自分も強く依存していた人の言葉ですから、すごい重みがあります。
この本を読むと、本当にやり直せると思います。
もちろん、犯罪者だけでなく、多くの人たちに必ずやり直せる、どんなことからも、必ず立ち直れるという思いメッセージを伝えようと、ここまで赤裸々に書き綴ったと思います。
下に抜き書きしましたが、クリスチャンとやくざを似ているとしているのも、どちらにも籍を置いたことがあるから、ここまで言えるわけで、言われてみればその通りかも、と、つい思ってしまいました。でも、それはやはり違うような気がしないでもありません。
(2011.06.24)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
人はかならず、やり直せる | 進藤龍也 | 中経出版 | 2010年1月20日 | 9784806135999 |
☆ Extract passages ☆
クリスチャンにとって、神様の言うことは絶対である。これと同じで、やくざにとって親分の言葉は絶対だ。つまり、絶対的な存在の下で生きているという点で両者はとても似ているのだ。
また、ケンカの相手を徹底的に打ちのめすのがやくざだと言えるが、その一方、自分の罪をどこまでも悔い改め、わき上がる罪の思いを固い信仰で打ち砕くというクリスチャンの姿勢にも、徹底的にやり抜くという点で似通った部分を感じることもある。
そのほか、礼儀正しくするという点や、受けた恩に対して恩で返すというところも共通している。恩について、やくざの世界の言葉で表現すると、それは「義理」にも通じる。
私自身、やくざ時代に培った義理の精神はいつになっても捨てたくないと思っている。してもらった恩に対しては、必ずお返しをしなくてほならないし、今すぐに返せなくても、絶対にそのことを忘れてはならない。
クリスチャンの世界の言葉で言うと、恩は「一方的な愛」と表現してもいいのかもしれない。見知らぬ人に対しても救いの手を差し伸べるのがクリスチャンとしての生き方の一つでもあり、見返りを求めない愛とも言える。
(進藤龍也 著 『人はかならず、やり直せる』より)
No.598 『雑草にも名前がある』
著者の草野双人とは、どんな人なのかと思っていたら、雑草と歴史好きの2人の名前、つまりペンネームだそうです。一人は倉部きよたかで、もう一人は清原工で、年齢は10歳ほど違っているそうですが、雑草についてあれこれ考えているうちに一つの同じ思いを共有するようになったといいます。その結実が、この本というわけです。
雑草というと、すごく生き強いという印象があります。たとえばオオバコなどは人や車が通る道に生えて、踏まれても踏まれても生きているというイメージですが、実はこういう場所だから他の植物と競争することなく生きられるわけです。漢方名を車前草というぐらい、踏まれることに強くできています。ところが、このオオバコを畑で栽培すると、これがなかなか難しく、鉢植えでもいつの間にか消えてしまいます。つまり、生える場所に特化することによって生きているようなもので、それ以外の場所では生きていくのが難しいようです。
この雑草という呼び名は、自分たち人間が作る物を害するようなものをそう呼んでいるだけで、名前がないわけではありません。むしろ、この本にあるように、「ときには、憎らしくてひどい呼び方をしながらも、究極のところでは一つ一つに親しみを込め、愛すべき名前を付けて呼んできた」と思います。そして、雑草とはいうものの自然の環境に自分たちの生態を適応させるようなかたちで、むしろ人間が壊している環境を修繕するような役目さえしているようです。
そう考えれば、まさに「人間と雑草は、互いに存在を認め合った、ずっと離れられない友達なのだ」といえます。
このような雑草と雑草のように生きてきた人たちのその生き様を寄せ集めるようにして綴ったものが、この本というわけです。ですから、今までまったく一般には知られてこなかった方たちも取り上げられていますし、あの人たちにこのような側面もあったのかとか、新たな思いを寄せることもあります。
まさに、埋もれていった人たちにも名前はありますし、路傍の何気ない草たちにも名前がある、そのような気持ちで読みました。その組み合わせが、とても新鮮でした。
樹会があれば、ぜひ、読んでみてください。
(2011.06.20)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
雑草にも名前がある(文春新書) | 草野双人 | 文藝春秋 | 2004年6月20日 | 9784166603855 |
☆ Extract passages ☆
昔、ペルー移民に聞いたことがある。ペルーの沿岸部は砂漠地帯である。何年も続いて雨が降らない。耕地を逃げ出した移民もそこを越えられずにたくさん死んだ。文字通り、死の砂漠である。ところが、気象異変で、突如、大雨に見舞われることもある。すると、驚いたことに、砂の中から雑草がいっせいに芽を吹き出し、あっという間に緑の原野に変わるという。
カラスノエンドウもそうだが、雑草には休眠性という特技がある。一定の生育条件が整うまでは絶対に発芽しょうとしないのだ。雑草の基本戦術である。砂漠の中で種は死んでいたのではなく、ずっと機会を待っていたのだ。人間も同じような気がする。苦しいときは待てばいい。じっと身を潜め、あせらず時が来るのを待つ。じつは、これが雑草から学ぶべき一番大切なことのような気がする。
(草野双人 著 『雑草にも名前がある』より)
No.597 『空白の五マイル』
この前に読んだ『プラントハンター』からの連想で、つい、この本を手にしていました。私にとって、プラントハンターとは、この本にも出てくるフレデリック・M・ベイリーであったり、フランク・キングドン=ウォードです。あのヒマラヤの青いケシに名前を残していたり、『植物巡礼 プラント・ハンターの回想』岩波文庫や『ヒマラヤ《人と辺境》3 青いケシの国』白水社の著者なのです。あの時代に、この本のようなツアンポー峡谷に足を踏み入れた人たちこそ、プラント・ハンターという名前にふさわしいと思います。
そう思いながら読み終わって、では、今の時代にそのようなことができるのか、とふと思いました。今では、グーグルアースで簡単に地図が見れたり、その地図を手に入れようとすれば簡単に本屋で買える時代に、プラント・ハンターなんてありえないと思うのです。
しかし、この本に、「今の時代に探検や冒険をしようと思えば、先人たちの過去に対する自分の立ち位置をしっかりと見定めて、自分の行為の意味を見極めなければ価値を見いだすことは難しい。パソコンの
画面を開きグーグル・アースをのぞきこめば、空白の五マイルといえどもリアルな3D画像となって再現される時代なのだ。そのような時代にキングドン=ウォードと同じやり方で旅をしても意味がないし、得られるものも少ない。私は旅のやり方にこだわった。自力と孤立無援、具体的にいえば単独行であることと、衛星携帯電話といった外部と通信できる手段を放棄することが、私の旅では重要な要素だった。丸裸に近い状態で原初的混沌の中に身をさらさなければ、見えてこないこともある」と書いてあり、そのような旅、それを冒険といえば、そのような冒険もありえると思いました。
副題は『チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』で、なんとも壮大なものです。でも、ここには、たしかすごいシャクナゲの自生地があるはずで、このツアンポー峡谷の切り立った両側のガケにもたくさんのシャクナゲがありそうです。その思いもあり、最後まで一気に読み進めました。
残念ながら、たくさんのシャクナゲはあると書かれていましたが、それらがどのような種類なのかまでは一言も触れられていませんでした。
まあ、当然といえば、当然のことです。人は自分の興味あることしか、眼に入りません。むしろ、「シャクナゲやマツの発するさわやかなはずの緑の香りが、これ以上ないほど不愉快だった」とあります。空白の五マイルを歩くことが目的の探検ですから、浅根性のシャクナゲなどは自分の身体の支えにもならないわけです。自分の体力の限界まで踏破することだけに集中すれば、やはり当たり前のことです。
でも、このような道なき道をベイリーもキングドン=ウォードも歩いたのかと思いながら、読みました。そういえば、このキングドン=ウォードの『植物巡礼 プラント・ハンターの回想』を持ってアンナプルナ周辺を歩いたことを、ときどき思い出します。
もちろん、その行程の道筋を今でもはっきりと覚えていますが、歩いてみたいとは、あまり思いません。
(2011.06.17)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
空白の五マイル | 角幡唯介 | 集英社 | 2010年11月22日 | 9784087814705 |
☆ Extract passages ☆
ツアンポー峡谷での単独行では、自分の行動を冷静にコントロールしなければならないという緊張感を、長期間保つことが求められた。登山や冒険における単独行は仲間がいる場合と比べて、まったく異なる行為だといっていい。単独行はすべての責任を自分で引き受けなければならない。一歩踏み出す責任、岩を登る責任、ロープを出すか出さないかの責任、それに伴う時間の遅れ、続けるかどうかの判断、自分の知識と経験を脳内と肉体に蓄積されたデータベースから引き出し、それを目の前の状況と照らし合わせて最善の選択肢を選ばなければいけない責任である。無理をしてはいけない。このような隔絶された環境で生きのびるには、そういう単純な原則を守ることが重要だった。
だが逆に、自分の生命を危険にさらすこうした環境は、生きているという事実を強く心に刻みつけもする。ツアンポー峡谷における単独行は、必ず生きて帰らなければならないという感覚を、これまでの登山や探検よりもはるかに強く私にもたらした。
(角幡唯介 著 『空白の五マイル』より)
No.596 『プラントハンター』
題名の『プラントハンター』というのに惹かれて、読み始めました。副題は「命を懸けて花を追う」ですから、それも魅力です。うたい文句は、「年間移動距離 地球3周分!」ですから、すごいものです。そういえば、4月読んだ『地球200周! ふしぎ植物探検記』も、地球○○周でした。もしかすると、編集者って、このような言葉が好きなのかもしれません。いや、編集者よりも、読者がこのような言葉に弱いから、あえて使うのかもしれません。
でも、とてもおもしろい本でした。特に花が好きな人にはお勧めです。あの珍しい植物がこのようにしていま手元にあるのかと思えば、それはそれでとても興味があります。
たとえば、海外から日本に植物を持ち込むには、当然、植物検疫をしなければなりません。そうしなければ、病害虫が日本に持ち込まれてしまい、とてつもない被害に結びつくかもしれないのです。とくに著者のような植物を扱うことを生業にしているのであれば、なおさらのことです。その工夫も興味のあることでした。あの大きな植物をどのようにして持ち込むのか、とても理解できなかったのですが、この本を読んで納得しました。やはり、生業だからこその必死さが伝わってきます。もし、趣味の世界なら、どこかであきらめてしまうかもしれません。それが、「命を懸けて花を追う」という気概につながるようです。
もともとプラントハンターは、ヨーロッパの貴族趣味からはじまりました。その当時、世界各地に行くということは、とてつもないお金と時間がかかったようですから、貴族でもなければその資金援助はできなかったでしょう。そのプラントハンターが持ち帰った植物が、今の時代の人たちをもうるおしていると考えれば、とても意義のあることだったと思います。たとえば、西洋シャクナゲなどは、ヒマラヤのシャクナゲがなければ交配もできませんでしたし、あの膨大な交配種もなかったでしょう。そう考えれば、たった1株の真っ赤なシャクナゲがシャクナゲの世界を変えたと言えなくもありません。
このようなプラントハンターがいるからこそ、現在の園芸が成り立つわけで、今後もそうあって欲しいと思います。まだまだ、世界にはとてつもなくきれいな花が隠れているかもしれないのです。
(2011.06.13)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
プラントハンター | 西畠清順 | 徳間書店 | 2011年3月31日 | 9784121020932 |
☆ Extract passages ☆
もともとプラントハンターは、ヨーロッパの貴族のために危険を冒してまでも海を越えて植物を探しに行ったとされています。しかし私は、彼らは誰かのために植物を探していたのではなく、本当は自分のために行っていたのだと思っています。
もちろん自分の家族を養うため、仕事として行っていた部分は大きい。しかし彼らが命を懸けて植物を追い求めていたもうひとつの隠された理由は、最高の花を見つけたその瞬間の、心の底から湧きあがる快感に取りつかれてしまったからではないでしょうか。
誤解を招く言い方かもしれませんが、私が日々プラントハンティングに情熱を注いでいるのも、やはり自分のためなのです。植物の魔力を知ってしまったからです。もちろん誰かの依頼で植物を探しでも、その人への想いが強くなりすぎでしまい、無茶を重ねてしまうこともあります。それもまたある種の「ハイ」状態であるといえるかもしれません。
私はこうした「ハンターズ・ハイ」と戦いながらいつも自問自答しています。
その花は、誰かを幸せにするのか?
(西畠清順 著 『プラントハンター』より)
No.595 『江戸の紀行文』
江戸時代の紀行文といえば、先ず第1に思い浮かぶのが松尾芭蕉の『おくのほそ道』ではないかと思います。
そう思っていたのですが、この本では、書き始めから『おくのほそ道』は江戸時代の紀行の代表作ではない、と否定されています。その理由は、「江戸時代の旅の現実をありのままに受け入れて、同時代の人々に旅の実態と魅力とを現実に近いかたちで伝えようとする作品ではない」というものです。しかも、江戸時代の作家たちは真似できなかったし、しようともしなかったといいます。
たしかに、真似しようとしてできるものではないでしょうが、しようともしなかったのはなぜかと思い、正直、それが気になって読み始めたようなものです。
では、そもそも紀行というのはなにか、といえば、この本では、(1)旅を題材とすること、(2)個人の記録であること、(3)散文で綴られていること、というのをあげています。そう考えるならば、『おくのほそ道』は十分に紀行文であることに違いはないようですが、なぜ代表作ではないのかという理由は、下に抜き書きしたような理由が考えられます。つまり、著者いわく、「作為にみちて無理をしている不自然な作品である」ということだそうです。
この本を読んでみて、たしかに江戸時代の他の紀行文とは一味違うと思いましたが、それはそれで、やはり『おくのほそ道』はいい、と思いました。そして、改めて読んでみましたが、これはおそらくは紀行文というより文芸作品ではないかと思いました。
では、それ以外の江戸時代の紀行文はといいますと、意外と原文で読めると思ったことが大きな収穫でした。この本では、原文とその訳を並列して掲載してありますが、もう一度意味を確認する程度に読みました。そして、原文と訳を同じように掲載するので、それだけで全ページの半分も使ってしまいかねません。まあ、このように多くの例文を掲載するのもこの本の意義かもしれませんし、ここで初めて読んだという紀行文もあります。そういう意味では、江戸時代の紀行文を知る、いい教材でもあります。
副題は、「泰平の世の旅人たち」とあり、いまの旅行雑誌に通じるような娯楽性もあるように感じました。
(2011.06.09)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
江戸の紀行文(中公新書) | 板坂燿子 | 中央公論新社 | 2011年1月25日 | 9784121020932 |
☆ Extract passages ☆
中世以前には大半の人たちにとって、旅は娯楽ではなかったし、そもそも国内を自由に移動することが困難で危険だった。旅はやむをえず行うものであり、その際に書かれた紀行は定住時の日記と同じように、書いた個人の心情を追体験するものとして読まれた。旅という特殊な環境があったとはいえ、それは他の古典とそれほど差がある読み方をされていたわけではない。
江戸時代になると、状況は大きく変わる。旅と、旅の文学に人々が求めるものは、基本的には現在と変わらなくなる。それは娯楽になり、同じ追体験でも楽しさの追体験として紀行は読まれるようになる。さらに、旅に行けない人の疑似体験、旅に行く前の資料としてなど、単に作者の心情に共感する文学としてだけではなく、人が紀行に求める要素は多様化してくる。
紀行もまた、それに応えて多様化し、さまざまな内容と形態を生む。その状態もまた、むしろ今日に近く、今日につながるものである。
(板坂燿子 著 『江戸の紀行文』より)
No.594 『絵本で世界を旅しよう』
この本は、ホントに気楽に楽しみながら読ませていただきました。
もともと、地方の赤穂民報に連載された記事だそうで、各ページにもその新聞掲載日が記載されています。でも、その解説から、ほんとうに絵本が好きだという気持ちがあふれ出ています。その絵本を個人で集めて、いっさいの条件をつけずに貸し出すのですから、たいしたものです。その願いは、ただ一つ、「ゆったりとした気持ちで絵本を楽しんでほしいだけ」なんだそうです。
でも、それにもいろいろの障害があったようです。
たとえば、夫婦で「絵本をひとりでも多くの人の手元へ」と夢見ていたのに、退職を前に突然のガンの宣告で亡くなられたこと、さらにはその翌年、2003年7月12日に「くぼっち文庫」として自宅に開館したのに、下に抜き書きしたような災害にあったそうです。
でも、いいことだから、すべてがうまくいくわけでもなく、そのような災難を乗り越えてきたからこそ、それが大きな力となって、何事にもくじけない強さになっていったような気がします。
この本を読んでいると、絵本だけで世界を旅しているような気になります。
そういえば、このホームページも「ホンの旅」ですから、どこかに共通点があるのかもしれません。
そうそう、この本の副題は、「くぼっち文庫の100冊」です。
(2011.06.06)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
絵本で世界を旅しよう | 久保良道 | 文芸社 | 2011年4月15日 | 9784286097404 |
☆ Extract passages ☆
しかし、そんな順風満帆の日々は長くは続きませんでした。
2004年9月29日、悪夢の夜がやってきました。台風による大雨はわずか数十分の間に濁流となってものすごい勢いでわが家へ押し寄せ、畳は浮き出し、手のつけようがありませんでした。
そして、文庫にある千数百冊の本は泥水のなかに沈んでいました。
泣くに泣けない状況とは、まさにこのことです。
文庫内の本の後片づけに3日間を要しました。思い出の多い絵本だけに、なんとも言いようのない気持ちになりました。しかし、これでくじけるわけにはいきません。そこから二度目の出発です。
失った絵本探しは容易ではありません。東京へも何度も足を運びましたが、大半の絵本は私の手元に帰ってきませんでした。
今、くばっち文庫には、世界92ヶ国の絵本が集まり、小・中学校や公民館にも長期の貸し出しをし、多くの人たちに楽しんでもらっています。
(久保良道 著 『絵本で世界を旅しよう』より)
No.593 『ダーウィン入門』
久しぶりにダーウィンの本を読んだようで、調べてみると、この前に読んだのは、たしか『ダーウィンの足跡を訪ねて』長谷川眞理子著、集英社新書、のようです。ということは、5年ぶりかもしれません。
この本の副題は、「現代進化学への展望」で、第1章は「ダーウィンとその時代」、第2章は「ダーウィン以前の生物学」、第3章は「ダーウィンの進化論」、第4章が「ダーウィンが研究した他の分野」、「第5章が「ダーウィンの世界観」、第6章が「ダーウィニズムの変転」、第7章が「淘汰論から中立論」、第8章が「現代生物学におけるダーウィン」と続き、最後に付録として「生物進化に関する基礎概念の解説」です。
つまり、この1冊を読むだけで、ダーウィンのことがすべてわかったような気分にしてれます。そして、さらには、ダーウィンという巨人が残した進化論とその後の変化まで、現代までつながる進化学の流れをたどることができます。
もともと生物学は、この本に書いてあるように、「私たちの祖先が採集狩猟生活をしていた時代には、どの生き物を食べることができて、どれが食べられないのかは、重要な知識だった。このため大昔の人間は、自分たちを取り囲む世界の動植物に、片端から名前をつけそれらの知識を整理し、なんらかの分類をしていただろう。この営みが生物学の起源である」そうです。だとすれば、そのとらえ方も見ればわかるようなことが基本でしょうが、植物分類もいつの間にかDNA鑑定が主流になりつつあり、見えない部分での判断が多くなってきました。やはり、それでは、一般の人の感覚とあまりにも違い、興味も薄れてきてしまいます。
たとえば、現代生物学でも同じで、DNAやRNA、タンパク質などの分子レベルに基礎がおかれています。もうそうなれば、そうとうな知識がなければ何が何だかわからなくなります。たしかに、それが流れかもしれませんが、しばらく読む機会がなかったのも、そのようなところに原因があるのかもしれません。
そこで、下に抜き書きした現代生物学の基礎的な考え方を見てみてください。たしかにそうなんでしょうが、なんか取っつきにくいというのも正直な印象です。
(2011.06.04)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
ダーウィン入門(ちくま新書) | 斎藤成也 | 筑摩書房 | 2011年3月10日 | 9784480065971 |
☆ Extract passages ☆
現代生物学は、DNA、RNA、タンパク質といった、分子レベルに基礎をおいている。生命が微視的な高分子の集合体から出発したことを考えれば、これは自然な論理的帰結である。脊椎動物の複雑な骨の形も、植物の葉の形態も、結局のところなんらかの分子が作用して細胞分裂が調節された結果であるはずだ。発生生物学や細胞生物学では、現在この考え方に基づいて研究が進められている。生物の形態だけでなく、分子レベルを含めてありとあらゆる生物の状態を表現型と呼ぶが、ゲノム中の遺伝子が表現型を出現させるのにきわめて重要だとする、遺伝子決定論の立場からすると、遺伝子と表現型のあいだに明確な対応関係がつけられるはずである。
(斎藤成也 著 『ダーウィン入門』より)
No.592 『仏の発見』
この本を読みながら、いろいろと考えたので、つい時間ばかりかかったようです。でも、久しぶりに考えながら読む楽しさを味わいました。
哲学者の梅原猛さんも文学者の五木寛之さんも、どちらかというと本流からちょっとずれているような感じで、それが持ち味でもあります。最後まで読まないと、何が書いてあるかわからないような、ワクワク感があります。五木氏はそれを「その越境の感覚において、梅原さんと私との問にはちがう側面があるようだ。ポピュラー音楽でいうなら、梅原さんはオン・ビートであり、私のほうはオフ・ビートのような気配である」と言っています。たしかに、そのような気配を感じることがありました。
ですから、「こんどの対談は、そんな意味でじつにおもしろかった。おもしろい、といえば失礼のような気もするが、毎回、毎回、顔をあわせると同時に、挨拶も前おきも抜きで話がはじまる展開が、まことにスリリングでわくわくする気分だったのだ」といい、それを読みながら、私自身もいろいろと考えるきっかけになりました。
もともと仏教の特色は、自分も仏になれる、ということです。これが他のキリスト教やイスラム教とはまったく違います。しかも、仏教の大きな特色は、さらに不殺生を大きな戒としてとらえています。生けとし生けるものをすべて大切にする、という基本的な考え方です。
今年の3月、上座部仏教のスリランカに行きましたが、今でも、お釈迦さまの教えを忠実に守っている印象を持ちました。しかし、日本の仏教は大乗仏教です。上座部とは相当違います。この本でも、梅原氏の話しに「だいたい大乗仏教の創始者というものは、ぜんぶ女色を犯しとるんですよ(笑)。大乗仏教の創始者で、空の思想を説いた龍樹(ナーガルジユナ)という人は、若いときに、たくさんの女と交わるのがいちばん人生の喜びだと、仲間と共に身を隠す術で宮廷へ忍び込み、官女と情を交わすんですよ(笑)。宮廷では、次つぎと妊娠する官女が増えるので、きっと身を隠す術を使って忍び込む奴がいるにちがいないと、やみくもに刀で斬りつけたので、仲間はぜんぶ殺されて龍樹だけが生き残って、女色のむなしさを知ったという話があるんですわ。」なんてことまで出てきます。それほど、上座部と大乗では違います。
でも、大乗には、大衆の幸福なくして個人の幸福はないという、まさに利他の精神を説くわけで、懐の大きさがあります。そこに五木氏のいう純文学と大衆文学の違いのようなものがあるのかもしれません。つまり、人生は苦とばかりとらえるより、人生の中にも楽あれば苦もあり、と、とらえる鷹揚さは必要だと思います。
下に、梅原氏の言葉を抜き書きしましたが、たしかに仏教とキリスト教の違いとだけとらえるより、それ以前の農耕か牧畜かというとらえ方も大切だと思いました。そして、これからの自然破壊の時代を乗り切るには、農耕を生業としてきたアジア人のものの考え方こそ大切だと思います。それが仏教の基本的考え方でもあります。
(2011.06.01)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
仏の発見 | 梅原 猛 / 五木寛之 | 平凡社 | 2011年2月25日 | 9784582834956 |
☆ Extract passages ☆
キリスト教的人間中心主義は、デカルトの「われ思う故にわれあり」の哲学ではっきりするが、その源はプラトンである。プラトンは、人間はヌースすなわち理性をもっているので、ほかの生物よりすぐれていると考えた。それで人間中心主義はプラトンから来ていると一応言えるけど、遠くは農業牧畜文明から来ている。農業は人間が植物を支配し、牧畜は人間が動物を支配することによって成り立った。それがプラトン哲学になり、プラトン哲学の影響でキリスト教も、被造物の中では人間のみが神の似像(にすがた)の理性もっているから、動植物に対して、生殺与奪の権を持っているということになる。(梅原 猛)
(梅原 猛 / 五木寛之 著 『仏の発見』より)
No.591 『樹木ハカセになろう』
この岩波ジュニア新書は、若いジュニア向けの本ですが、とても読みやすく、理解しやすいので、時々読んでいます。たしか、この『ホンの旅』でも、10冊程度は取り上げたような気がします。もちろん、当てずっぽうですが、それほど親しんでいるということでもあります。
この本には、カラーページもあり、その中の1枚の写真がトウゴクミツバツツジの「半白化現象」で、突然変異と書かれてありました。でも、趣味家って、そのような変異種を珍重する傾向があり、それらをコレクションするのを生き甲斐にしているようです。
でも、あくまでも一般的な樹木を知らなければ、栽培もできないような気がします。ということで、この本を読むことになったわけです。
そういえば、ときどき、巨樹に関する本を読んだりします。この巨樹って、その生命力にびっくりしますが、この巨樹といわれる木に育つ可能性は、「ふもとの風当たりが弱く、土の層が厚くて水はけがいい、適度に湿った斜面の下のほう」という環境が必要だとこの本にはありました。さらに、「木は、親木から受け継いだ遺伝子のよしあしでも運命が決められます」とあります。
えぇっ、人間ばかりでなく、樹木にも運不運があるのか、と思いながら読んでいると、たしかに、そのようなこともあるらしいです。
つまり、「すこしでも高くなり光の獲得競争に勝ち、虫の食害や乾燥害、根のまわりにひそむ病原性微生物やキノコの菌糸のアタックをかいくぐり、生き残るためには、いい形質を受け継いでいるほうが有利です。もちろん、いい形質だけでは長生きはできません。万に一つの森の中で生きつづける場所に生える幸運に恵まれなければならないから」とあります。
やはり、人間も樹木も、それなりの遺伝的資質と幸運が必要だと聞くと、半分納得して、半分はそればかりではつまらないだろうと反発してしまいました。
(2011.05.25)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
樹木ハカセになろう(岩波ジュニア新書) | 石井誠治 | 岩波書店 | 2011年3月18日 | 9784005006779 |
☆ Extract passages ☆
自然林にはたくさんの種類の木々が生えています。木はふつう、たがいに土の中で、根をからませた状態に張りめぐらせています。からんでいても、たがいの根が癒着して、結びついていることはありません。植林で同じ種類の木が植えこまれたりすると、同じ種類の木の根が癒着することはありますが、ちがう種類では根が重なって樹皮があわさっても癒着しません。
ところが、森の中では木の根が、菌根というキノコの仲間の力を借りて、ほかの木と結びついています。菌根とは、生きている根と共生するキノコの仲間の総称です。・・・・・・
幹や枝に発生するキノコは、死んだ木部を分解して生きるキノコです。菌根は生きている根から糖をもらい、樹木の根が集めにくい肥料分や微量要素、水分を根に供給し、もちつもたれつの関係をつくります。・・・・・・
自然林では、菌根のネットワークは網の目状に広がり、目に見えないところにもう一つの森があるようなものです。大木になればなるほど細く、広い範囲に足ならぬ根と菌根が広がって樹体を支え、養水分吸収の仕事をこなしているのです。
(石井誠治 著 『樹木ハカセになろう』より)
No.590 『掛けたくなる軸』
題名の『掛けたくなる軸』って、何だろう、と思って読み始めましたが、著者が女優だとは思いもしませんでした。そういえば、あのトレンディドラマの・・・・・・、と知ったのは、最後まで読んでからでした。
この文章は、「AERA」の2009年5月4-11日号〜2010年5月3-10日号の連載に加筆したものだそうで、それに書き下ろしを加えているそうです。そういえば、写真もデザインぽくって、なかなか素敵なもので、文章半分、写真半分の構成も、気安く読むことができます。
いつ、掛けたくなるような掛け軸が出てくるのかと楽しみにしていましたが、とうとう最後まで出てきませんでした。軸とは、日本文化の軸という意味なのかもしれません。
たとえば、手作り傘のところでは、『「傘」の字に四つの「人」が入っているのは、それだけ人の手をかけて作られるからだという。中棒は、奈良のステッキ職人が樫の木を細工する。手元は、親子二代藤を熱で曲げるベテランの技。生地の裁断はこの道五〇年の熟練の仕事。すべて日本の職人がそれぞれの分野を支えているから、修理が利くし、生地が傷んだら張り替えにも応じてくれる。黒を卒業したら、いつか深紅の生地で張ってもらおうかなと思う』と書いていて、いかにも好きで好きでたまらない感じが伝わってきます。
そして、この傘を使いたいがために、「雨が待ち遠しい」とまで言います。
やはり、伝統的な手作り品には、長い伝統が息づいているということもありますが、それを使いこなす人たちがいるからこそ、その仕事が続いていくのです。その手間暇を掛けたことを、しっかりわかる人たちがいるからこそ、次の世代にも伝わっていくような気がします。
ということは、先ず、そのような手がかかっても良しとする気持ちが大事で、それがわからなければ、つい、安くて便利なものに流れてしまいがちです。
それを押しとどめるのは、大切なことです。
ぜひ、女優である著者には、このような手作業の世界を、さらに発掘して、紹介してもらいたいと思います。下に、「真田紐」のことを抜き書きしましたが、ぜひお読みいただきたいと思っています。
(2011.05.22)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
掛けたくなる軸 | 山口智子 | 朝日新聞出版 | 2011年1月30日 | 9784023308855 |
☆ Extract passages ☆
日本は紐の文化だ。携帯電話のストラップについ凝ってしまうのも、印籠や根付けや羽織紐や刀の下げ緒等、ご先祖様の時代からずっと紐で結わき飾ってきたDNAの声ゆえだろうか。
組紐は宮廷文化に発祥するが、真田紐は鎧兜や刀などの武具や、荷物を運ぶための紐として実用の中から生まれた。経緯の糸を硬く織り上げた筒状の織り紐は、縦に引っぼるカに強く伸びにくい。戦国武将、真田幸村が作り始めたとも、奈良時代に海路伝来したとも言われている。チベット語で紐のことを「サナール」というらしい。
千利休は真田紐を茶道具の桐箱に用いた。以来、様々な織り柄の違いで、一目で誰のものかわかる家紋のような機能を遊ぶようになる。見た目は鼠色の紐に見えても、糸をほどけば紐の内側から織り込んだ桃色が現れる。暗号のような仕掛けを施して、偽物と本物を見分けたという。
(山口智子 著 『掛けたくなる軸』より)
No.589 『20代の働く君に贈るたいせつなこと』
編者は(株)東京スピリットという会社の代表で、コンサルティングをしているそうです。
著者の言葉によると、「もともと内向的な性格だった私は小さいころあまり友達はいませんでした。いじめられっ子でした。中学生、高校生、大学生となっても、ガキ大将的な友人の顔色を見て、彼らに気に入られるように振る舞っていました。まわりからなんとか認めてもらい、多少、みじめだったとしても自分の居場所を作っていたと思います。心から楽しめるようなことはあまりなかったのです。子どものころ、父親は仕事が忙しく、あまり家に帰って来ませんでした。子どもの私は事情もわからずに、ただ「寂しい」と思っていました。遊んでもらったり、愛情をもらったりしたと思えなかったのです」と述懐しています。
でも、だからこそ、今の仕事に結びついているそうで、『私が生まれてきた理由は、「人間関係や、時間を犠牲にしている人、さまざまなプレッシャーで押しっぶされそうな人に、その人の中に眠っているすさまじい力を呼び覚ますお手伝いを通じて、仕事の目標達成だけでなく人間関係、健康、自由な時間などの多くの幸せを手にしてもらうこと」』だといいます。まさに、自分が経験してきたことだからこそ、その貴重な経験が今のコンサルティングの仕事に生かされているのだと思います。また、だからこそ、多くの人たちに感動を与えるのです。
この本には14名の体験談が載っています。それも、たんなる体験したことではなく、まさにどん底から這い上がるような苦しみのなかから見つけた生きる喜びみたいなものです。それが、編者の生き方とも共感する部分なのかもしれません。
下に抜き書きしたのは、『読書のすすめ』という書店のスタッフの体験談です。自分も本が好きだからという理由で選んだものではなく、他の体験談とは一線を画し、持って生まれたような明るさがあります。しかも、本が好きで好きでしょうがない雰囲気を持っています。
題名にあるように、やはり若い人にこそ読んでいただきたいものですが、長く仕事をしてきて、なかなか仕事をする喜びを感じられない方にも、ぜひお勧めしたい1冊です。
(2011.05.19)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
20代の働く君に贈るたいせつなこと | 松本望太郎 編 | Gakken | 2010年12月28日 | 9784054048188 |
☆ Extract passages ☆
人は、何かに感動した時に、大きく成長するきっかけを得ることができます。僕は、お客さんとのかかわりの中で、変わっていく人を何人も見てきました。
自分に自信がなかった若者が1冊の本との出会いで勇気をもらい、行動を起こして、自信をつけて明るくなる。
悲しいできごとを乗り越えることができずにもがいている人が、そのできごとを教訓にして、前に進もうという決心をしてくれたり。
本との出会いで、人は大きく変わる。
そんな本との出会いのきっかけを作るのが、僕らの仕事です。(井手良平・書店スタッフ・26歳)
(松本望太郎 編 『20代の働く君に贈るたいせつなこと』より)
No.588 『ガンディーの言葉』
おそらくマハートマ・ガンディーのことを知らない人はいないと思いますが、1869年生まれで1948年に78歳でヒンドゥー教徒右派の青年により暗殺されたので、時代的には古い話になります。それでも、人の心の中に残っているということは、すごいことです。そういえば、リチャード・アッテンボロー監督の『ガンジー』(コロンビア映画、1982年)を見ましたが、今でもときどき思い出します。
この名前の「マハートマ」というのは本名ではなく、尊称です。本名は、モーハンダース・カラムチャンド・ガンディーで、ノーベル文学賞を受賞した詩人のタゴールが、ガンディーのことを「マハートマ」と読んだことから、次第に多くの人たちからこのように呼ばれるようになったそうです。でも、ガンディー自身は、「ガンディージー(ガンディーさん)」とか、「バープー(お父さん)」と呼ばれることを好んでいたと書いてありました。
たしかに、尊称で呼ばれるよりも、普通のありふれた呼称が似合いそうです。もともと、この「マハートマ」とは、ヒンドゥー教徒の最高の尊称で、「偉大なる魂・大いなる魂の人」という意味だそうですから、やはり、いやがるのも当然かと思います。
やはり、ガンディーといえば、非暴力でインドを独立させたことで有名ですが、この非暴力は「アヒンサー」といい、仏教でいう不殺生のことでもあります。だから、ガンディーは、「アヒンサーが意味するのは、勇敢であって、臆病ではありません」とはっきり答えています。まさに、崇高なる理想として捉え、それを実践したのです。だからこそ、民衆も共感し、さらに多くの民衆が実践し、独立へと進んでいったのです。
また、ガンディーの写真を見ると、よくチャルカーという古代インドの手紡ぎ車を使っている様子が写っていますが、このチャルカーがインドの人々に独立のための闘いへの信念をよみがえらせるためのシンボルとして使われていました。ですから、インド国民会議派の当時の旗にも使われていたそうです。
下にガンディーが書いたものを抜き書きしましたが、その当時のインドでは、イギリスなどから大量の綿布が輸入され、外貨も仕事も奪われてしまうような状態でした。だから、インドの村々を守るために、このチャルカーを使い、仕事を与えようとしたのです。まさに、質素であっても品位のある生活をすることの大切さを説いたガンディーならではの行動でした。
今、東日本大震災で何もかもなくし、再出発をせざるを得ない多くの方がおられます。そして、限りある資源をみんな平等に使おうとする意識改革が求められつつあります。つまり、この質素であっても品位のある生活をすることの大切さが求められているといってもいいかもしれません。
このようなときだからこそ、ぜひ、これらのガンディー言葉に触れ、自らの生活をもう一度見直すきっかけにして欲しいと思います。時代が変わっても、たしかなものは、何度読んでも心に響くものがあります。
(2011.05.16)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
ガンディー言葉(岩波ジュニア新書) | マハートマ・ガンディー 著、鳥居千代香 訳 | 岩波書店 | 2011年3月18日 | 9784005006786 |
☆ Extract passages ☆
私にとって紡ぎ車は大衆の希望を表しています。大衆はチャルカーを失うとともに、かつてあった自由を失いました。かつてチャルカーは農民の農業を補い、農業に尊厳を与えていました。チャルカーは寡婦の友であり、慰めでもありました。チャルカーは、村人に仕事を与えていました。チャルカーには、その前段階や後の処理に、綿繰り、毛羽立て、縦糸の調整、糊づけ、染色、織仕事といった多くの産業が含まれていたのです。結果的に、村の大工やかじ屋の仕事も増やすことになっていました。
チャルカーによって、70万の村々が自給自足できていました。チャルカーがなくなるとともに、油搾りのような村のほかの産業もなくなり、それに代わる産業も現れませんでした。そして村々からは、さまざまな職業や創造的なオ能、そしてこうした産業が村にもたらしていたささやかな富も、みな奪われてしまったのです。村が本来の姿を取り戻すことができるとすれば、チャルカーとそれがもたらすすべてのものを復活させることです。
(マハートマ・ガンディー 著 『ガンディーの言葉』より)
No.587 『そのままで』
著者は曹洞宗建功寺の住職で、多摩美術大学環境デザイン学科の教授でもあり、庭園デザイナーの実務家でもあります。
本の紹介によりますと、2006年の『ニューズウィーク』日本版で「世界が尊敬する日本人100人」に選出されたそうですから、外国でも相当な評価を得ていることになります。だからこそ、この本を読もうとしたので、外国人のどこが琴線にふれたのか知ろうと思いました。
たとえば、アメリカなどは個人主義で結果を最も重視します。たとえ、一生懸命にがんばったとしても、結果が出なければ会社でも社会でも評価されません。そういうことでは、現在の日本もそうです。そのようになって来つつあります。でも、昔の日本は違っていました。この本で指摘していますが、「日本人は昔から、物事のプロセスを大切にしてきました。一生懸命に努力をすれば、たとえ失敗に終わってもかまわない。成果がそのときに出なくても、努力したことはけっして無駄なことではない。いつかきっと、その努力が自分自身を支えてくれる糧となる」と考えていました。
そして、そのような生き方をしていれば、必ず道は開けると周辺の人たちも暖かく見守っていてくれました。少なくとも、ダメというレッテルは貼らなかったのです。しかし、今では、結果を出さなければいくらプロセスが良くてもだめだということになり、まさに結果オーライの時代になってきています。
この物事のプロセスを大切にすることは、今の時代だからこそ、とても大事なことのように思います。その努力も、絶対にだめではなく無駄にもならないと思います。
下に抜き書きしたのは、この本で取り上げた禅語の一つで「巖谷栽松(がんこくにまつをうえる)」です。この言葉を見ると、いつも自分が小町山にシャクナゲを植え始めたときのことを思い出します。植えてから20年ぐらいは、ときどきどこに植えてあるのですか、という質問を受けました。シャクナゲというのは成長が遅く、1年で5〜10センチ程度、つまり10年たっても50〜100センチしか伸びないのです。コナラの木々の下では、どこにあるのかさえわからないのです。
ところが今では、その小さなシャクナゲたちが大きく育ち、やっと人の目に触れるようになってきました。でも、まだまだ小さいのですが、おそらく孫の代には素晴らしい花をたくさんつけることだろうと思います。
やはり、誰かが植えなければそこにはありませんし、それを育て続けなければ、ここまでにはならないでしょう。
続けることの大切さを、このシャクナゲ植栽から学びました。できる、できないということより、結果はどうあれ、し続けることは大切です。このことは、「香巖撃竹(きょうげんげきちく)」という禅語にも通じます。
この本の題名、「そのままで」もある意味、自分の心を自由に遊ばせることで楽に生きられることになります。
(2011.05.13)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
そのままで | 枡野俊明 | 朝日新聞出版 | 2011年2月28日 | 9784023308954 |
☆ Extract passages ☆
直接の意味は、「深く岩の多い険しい谷に松を植える」。この禅語は、臨済禅師とその師である黄檗禅師の会話に由来する。深山にあえて松の苗を植えている臨済禅師を見た黄檗禅師が、「なぜこのようなところに松を植えるのか」と尋ねる。すると臨済禅師は 「一つは山門の風致のために、一つは後人の標横のために」と答えるが、実は、このときの巖谷は、荒れ果てた人間の心を意味している。この言葉はその心に松(仏の教え)を植え付けることを意味し、将来の成長を信じて今あえて植えていることを示唆しているのである。
(枡野俊明 著 『そのままで』より)
No.586 『和解する脳』
著者の池谷裕二氏は脳研究者で東京大学大学院薬学系研究科准教授、鈴木仁志氏は弁護士で東海大学法科大学院教授です。この異業種の対談がとてもおもしろく、意外と似通ったところもあるな、というのが正直な印象です。
たとえば、池谷氏が『「いい」「悪い」ってありますよね。「いいヤツ」「悪いヤツ」とか、「いいもの」「悪いもの」とか。でも、「いい」「悪い」という分け方は、じつは脳の中に一切ないんです。・・・・・・じつは脳の中の本当の価値基準は、すべて「好き」か「嫌い」かだけなんですよ。快、不快って言い換えてもいいかもしれませんが。』といいますと、鈴木氏は『今のお話を聞いていて非常に納得したんですが、私もお金にまつわる紛争を扱っていると、そういうことを実感します。金銭の話というと、経済合理性といった「合理性」の問題のように考えられがちですが、結局、快・不快、好き・嫌いの問題に行き着くんですね。』と話しが続くのです。
だから、ついつい話しに引き込まれるようにして読んでしまいます。
私も、どちらかというと、いいとか悪いとかの判断よりは、好きか嫌いかの判断のほうが先のような気がします。もちろん、それだけでは相手に悪いような気がしないでもないのですが、本音のところ、そうなんですから、どうしようもありません。それでも、時には、嫌いでもせざるを得ないこともありますし、好きでもあきらめなければならないこともあります。その見極めが難しいところです。
まあ、世の中って、そんなものです。
好きなことだけできたら、それでいいかというと、そうでもなさそうです。嫌いなことをしていて、それがいつの間にか好きになることもあり、結局は、なんでもやってみなければならないようです。
下に抜き書きしたのは、ある実験ですが、とてもおもしろいと思いました。よく進化生物学で「互恵的利他行動」なんていいますが、これとも若干ニュアンスが違うようです。著者が言うように「人間っていい奴だなぁ」と思います。
もちろん、なかには、自分の損得だけを考え、見てみないふりをする人間もいるのですが、それって、人間の本性からいって、例外行為ではないのかと、この本を読んで納得しました。やはり正義感って、人間にしかない行為で、いかにも人間らしいもののような気がします。
(2011.05.10)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
和解する脳 | 池谷裕二×鈴木仁志 | 講談社 | 2010年11月16日 | 9784062165853 |
☆ Extract passages ☆
もうひとつ面白い実験がありまして、2人にトランプのゲームをやってもらうんですが、不正行為を見つけてしまった第三者は、自分の持っているお金を使って、不正をしたプレイヤーに罰金を科すことができるということにします。たとえば、自分が100円使って、不正をした人の1000円を没収できる、という具合に。で、そのとき使うお金の額も、自由に決められるようにして、たとえば30円だったら相手に300円の罰、100円だったら相手に1000円の罰。つまり、自分が感じた相手の罪の重さというものを判定させるんです。このとき、プレイヤーに科した罰金は、自分に入ってくるわけじゃない。だから、第三者は、罰を与えれば与えるほど、自分のお金が減っていくわけで、何の得もないんですね。つまり、見て見ぬふりをするのが本来は一番いいんです。
それでも、人間は罰を与える生き物なんですよね。だまって見過ごせない。あいつは悪い奴だって思ったら、自分のお金を使ってまで罰を与えるっていう、すごい特性がある。そのときの脳の活動を測定すると、なんと快感中枢が活動していて、その活動の強さに応じて金額も変わってくるんです。・・・・・・
自分の損得だけを考えたら、何もしないほうがいいに決まってるんです。目をつぶって見ぬふりをしていればいい。でも、人間は不正を見過ごせない。むしろ、自己を犠牲にして不正を罰するほうが気持ちよく感じるみたいなんです。
ですから、われわれが想像する以上に人間には望みがあるというか、人間っていい奴だなぁと思うんですよね。(池谷裕二)
(池谷裕二×鈴木仁志 著 『和解する脳』より)
No.585 『完全な人間を目指さなくてもよい理由』
著者のマイケル・J・サンデル氏は、昨年(1010年)にNHK教育テレビで「ハーバード白熱教室」として放送されたので、ご存じの方もおられるでしょうが、私はまったくの偶然でこの放送を見ました。とてもおもしろく、その後の再放送も見ることができました。まさに白熱した授業で、こんな講義ならぜひ受けてみたいと思いました。
この本の副題は、「遺伝子操作とエンハンスメントの倫理」で、まさに、今の時代の問題について触れています。
この「エンハンスメント」というのは、この本では、「健康の維持や回復に必要とされる以上に、人間の形態や機能を改善することを目指した介入」と書かれていますが、もっと具体的にいうと、ドイツのヒットラーの優生政策を思い出してしまうような悪夢をはらんでいます。もちろん、時代も違うし、それなりの配慮もされるとは思いますが、一歩間違えば同じような状況になりうるのです。やはり、それは恐いと思います。
ここには、倫理的な問題もありますが、宗教上の問題でもあります。人が人をそこまで改造していいのかということです。もちろん、健康の維持や回復に必要とされることなら、ほとんどの人が問題なく賛成してくれるでしょうが、そこからさらにもう一歩踏み込むことには、賛否両論が考えられます。
その論拠を、この本がピックアップして解説してくれます。
まだ、日本では本格的な議論がされていませんが、必ず、将来的には大きな問題になることは間違いないでしょう。ぜひ、今から、考えてみることをお勧めいたします。
(2011.05.07)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
完全な人間を目指さなくてもよい理由 | マイケル・J・サンデル著、林 芳紀・伊吹友秀訳 | ナカニシヤ出版 | 2010年10月13日 | 9784779504761 |
☆ Extract passages ☆
子どもを贈られもの(gift)として理解するということは、子どもをそのあるがままに受けとめるということであり、われわれによる設計の対象、意志の産物、野心のための道具として受け入れることではない。子どもが偶然持ち合わせた才能や属性によって、親の愛情が左右されることはない。確かにわれわれが友人や配偶者を選ぶときには、魅力的と感じられる性質に基づいて選択がおこなわれる側面もなくはない。だが、われわれが自分の子どもを選ぶということはない。子どもの性質は予測不可能であり、親がどれだけ念入りに事を進めようとも、自分の子どもがどんな子どもなのかについて完全に責任を取ることは
できない。だからこそ、子どもの親であることは、他のどのような人間関係よりも、神学者ウィリアム・F・メイの言う「招かれざるものへの寛大さ」(openness to the unbidden)を教えてくれるのである。
(マイケル・J・サンデル 著 『完全な人間を目指さなくてもよい理由』より)
No.584 『本を読むってけっこういいかも』
もう、単純に、この題名で選びました。
では、なぜ、けっこういいのか、というと、「日常を離れよ、本を読もう」のところに、「図書館の席に座ったまま、どこかに連れて行かれて、さまざまな旅を経験して、また元の場所に戻ってくる。その中では、いつもの日々ではできないような感情の上がり下がり、爆発なども味わう。ふだんは眠っている正義感や勇気などが、心の奥底からムクムクとわき上がってくることもあるだろう。いや、肯定的な感情ばかりではない。ときには、憎悪、殺意、攻撃衝動や反社会的な欲望などが、読書の最中に目を覚ますこともある。とはいえ、それは本の中の誰かが肩代わりして実行してくれるので、読者はそれに自分を重ねて、迫体験すればよいだけだ。現実の誰かに迷惑をかけたり、自分がとがめられたりすることもない。」と書いていて、そのあたりが楽しさに通じているようです。
でも、この「日常を離れよ、本を読もう」というフレーズは、寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」というフレーズのぱくりみたいです。そういえば、先日、あるネットを見てたら「つまらない本は捨てよ」や「街を捨てよ、本を読もう!」など、いろいろありましたが、それなりに本の楽しさがわかっている方のフレーズのようでした。
つまり、本の楽しさがわからなければ、このようなフレーズも生まれないということなのかもしれません。
この本を読みながら、つい、これおもしろいかも、とか、これは読んでみたいというのもあったりして、ついついメモをしてしまいました。たった1日で読み終えてしまいましたが、この本にほだされて読みそうなのが4〜5冊はありそうです。
著者は精神科医ではありますが、その筋の本よりも、それ以外の話題本の解説がとくにおもしく読ませていただきました。
(2011.05.04)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
本を読むってけっこういいかも | 香山リカ | 七つ森書館 | 2010年10月1日 | 9784822810214 |
☆ Extract passages ☆
つまり、「黒か白か」「勝ちか負けか」という視点でしか考えられないのは、精神医学的に言えば、心の危機、心の病なのである。
では、病ではない心は、どう考えるのか。それはたとえば、「どっちにも理由があるし、ひとつには決められない」「まあ、両方のいいところを取ってぼちぼちやりましょう」という感じだ。
つまり、「黒とも白とも決められないのでとりあえず灰色」というのが、"健康な心"のものごとの決め方なのだ。心が健康なら、黒か白か、勝ちか負けか、はっきり決められるのではないか、と思う人もいるかもしれないが、それは逆。心の健康度が高ければ高いほど、「決められない」「どっちでもいい」と判断保留ができるようになるのだ。
(香山リカ 著 『本を読むってけっこういいかも』より)
No.583 『冥途の旅はなぜ四十九日なのか』
おそらく、一般の方たちはなかなか四十九日の意味などはわからないと思いますが、この本からそのまま抜粋しますと、「死んだ人は、中有(中陰)という、現世と来世の間にある世界をさまよいます。七日
間ずつ七回さまよって、七回の審判を受けます。それで本来七日ごとに追善供養をし、最後が四十九日の法要となるのです。・・・・・・百か日法要というのは、故人が四十九日の審判で地獄界・餓鬼界などに落ちても、百日目の審判で、助けてもらえるように供養するという発想です。・・・・・・それで、地獄に落ちても、三十三回忌までに、入れ替わり立ち代わり、王の姿に変わった仏が裁判官になって現れて、助けてくれる機会を作ってくれるという仏教の教えになるわけです。」あり、仏教の本よりすっきりと説明されています。
この本を読んで、あらためて仏教の教えのなかに数字が多いと思いました。しかも、その数字が仏教教理の大切な部分で、それらをしっかりと理解していたから使えたのだと関心しました。さすが、ゼロを発見した国の方たちです。
そういえば、もともとヨーロッパの人たちは六十進法を15世紀ころまで使っていたそうですが、中国などでは最初から十進法でした。だから、科学や数学の先進地はアジアなのかもしれません。この六十進法は、今でも時計とか角度の測り方に残っていますが、数が多くなれば、やはり十進法のほうが断然わかりやすいです。
この本では、なんども取り上げていましたが、昔の僧はたいへん数学にも明るく、技術工学などもわかっていたといいます。だからこそ、仏閣などの設計もでき、治水管理なども可能だったわけです。もし、僧はお経だけを読めればそれでいいとすれば、もうとっくの昔に仏教は衰えてしまっていたかもしれません。やはり、いつの時代も、人のために役立つということがキーワードです。
著者は、「大きな自然は怖いですが、豊かなものを与えてくれます。仏教はその自然とうまく付き合うために、技術が必要と言っているようです。だから、お坊さんも技術の工夫を精一杯勉強したのでしょう。その結果が柔構造の五重塔です。そんなものが人助けになるのか。なるのです。お寺に行ってお参りできない人が、遠くから拝めますから。自然と共に身の丈の生活をする。そのためには、技術と工夫と数学が必要です。お坊さんたちが工学を勉強した意味は、ここにあるのでしょう。」と大変好意的に書いてくれています。
この言葉を、今のお坊さんたちにもぜひ伝えたいものです。
(2011.05.02)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
冥途の旅はなぜ四十九日なのか(青春新書) | 香山リカ | 七つ森書館 | 2010年10月1日 | 9784822810214 |
☆ Extract passages ☆
百八の煩悩の内訳ですが、最初に「六根」(眼、耳、鼻、舌、身、意)の六つの感覚器官があります。それぞれが、「三不同」(好、平、悪)の三つの感じ方をするわけです。その感じ方の程度が「染と浄」の二つに分かれます。これらが、「三世」(現在・過去・未来)にわたって人を悩ませます。
ということで、全部でいくつになるかというと、
6×3×2×3
という掛け算で、百八になるのです。
(柳谷 晃 著 『冥途の旅はなぜ四十九日なのか』より)
No.582 『かくれ佛教』
この本は、2007年10月16日、2008年4月19日、同年7月21日に京大会館にて、さらに2010年5月2日と8月11日に自宅にてテープ吹き込み、さらには2010年9月27日に芝蘭会館別館にて、インタヴューとテープなどをもとに更生されたものです。道理で、講演のような語りかけと思ったのですが、このような理由があったようです。さらに、著者が「あとがき」で書いているように、村上史郎氏がはげまされただけでなく、口述に出てくる出典を調べ、引用をただしてくれたり、まさに合作だと表現しています。
本を読むとわかりますが、とても引用が多く、その引用も初めて知る著者のものもあり、とても参考になりました。しかも、戦前のものもあり、自分の体験したことが中心ですので、リアリティがあります。
この本の題名になった『かくれ佛教』というのは、河合隼雄氏がアメリカの入国管理のときに、「あなたの宗教は」という欄に《無宗教》と書くと無神論者と判断され、さらには共産主義者と誤解されるとのことから、心の中では抵抗を感じながらも《仏教》と書いたそうですが、著者が、今、入国して「あなたの宗教は」と問われれば、ためらわずに《仏教》と書くそうです。つまり、立場的には、《かくれキリシタン》にちなんでいうなら《かくれ佛教徒》といってもいいというところからきているようです。
おそらく、現在の日本人の何割かも、仏教徒だと自信をもっていえないまでも、このような《かくれ仏教徒》はいると思います。
しかし、この本を読んで思ったのですが、書くというのはとても残酷な一面もあると思いました。というのは、「おふくろは私が生まれたときから、殴ったり、蹴ったり、柱に縛りつけたりした。いまなら新聞に出て虐待で警察沙汰になります」という文章を見つけ、そう思いました。もちろん、現にそのようなことがあり、むしろ、だからこそ、今の自分があるといわれればその通りかもしれませんが、あまりにもマゾヒストではないかと思いました。
でも、ものの見方考え方に一貫性がありますし、透徹した論理性を感じました。だから、時間をかけても読み通せたのかもしれません。
(2011.04.29)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
かくれ佛教 | 鶴見俊輔 | ダイヤモンド社 | 2010年12月9日 | 9784478014639 |
☆ Extract passages ☆
日本のインテリというのは、一つの言語を持っていると思う。その言い回しは、「○○はもう古い」ということなんだ。「サルトルはもう古い」とか「マルクスはもう古い」とか。例には何を入れたっていい。何だっていいんだ。「毛沢東はもう古い」とか。それが明治から日本の知識人というもの、大学出の知識人はそういうことを言うようになっているわけ。
柳(宗悦)は「何とかはもう古い」と言わない人なんだ。ビアズリーに至るまで。そこに柳の特色があると思う。だから柳は、明治以後の100年を超える中で、日本の知識層というものに対して一人できちんと別の基盤の上に立っている。
私にとって柳というのは特別の人なんです。だから、私は12か13歳ぐらいで柳を読み始めたとして、「柳宗悦はもう古い」なんて言わないよ(笑)。74、5年経っているけど、決して古くならない人なんだ。
(鶴見俊輔 著 『かくれ佛教』より)
No.581 『「気」の日本人』
たしかに、「気」のつく言葉は無意識ながらも使っているようです。下に抜き書きしたものを見ても、こんなにもあるのかと改めて思いました。
よく、「気」というものと「心」というものをまぜこぜに使うときがありますが、この本では、「心も気もどちらも目に見えないもので、どちらも揺れ動くものですが、心はどちらかというと揺れ動きながらも内側にわだかまっているものです。それに対し、気は外に向かって動いていくものであり、それによって心は外部とつながっていくのです。」とわかりやすく説明してありました。言われてみればその通りで、気が晴れたり、気がつまったりしますから、気は抜けないようです。
そういえば、病気もよく気の病いなどといいますが、なかには病気でもなく、だからといって元気でもないという中途半端な状態もありますが、この本では、「元気のなかにも病気があり、病気のなかにも元気があるのです。・・・・・・気は移り変わるものです。その移り変わりの微妙な味わいを感じとり生きていくこと」が大切だとしています。つまり、なんのことはない、気は変わるから、あまり気に病むことはないということかもしれません。
私は、よく、人に楽しいと思ってするとなんでも楽しくなる、と話しますが、健康だってそうかもしれません。病気だと思うと、心配だし、元気をなくします。思っただけでも不安が先行するわけです。ところが、ちょっとばかり具合が悪くても、動いているうちに元気になることもあります。そのようなときには、やはり、病気は気の病いだと思ってホッとします。だから、いつも健康でご飯がおいしいと思っていると、病気も感じられなくなります。
やはり、身体が気持ちいいと感じられることは、元気な証拠です。この本でも「たとえば、いい景色にふれ、いい音楽にひたり、いい気持になれば、それは心身にいい影響を与え、免疫力も高まり、おのずから健康になります」あり、気持ちや気分を変えることも大切だといいます。
やはり、気の持ちようです。同じ持つなら、いい気持と感じたいものです。それが心にも体にも、なによりの薬だと思います。
下に抜き書きしたのは、この本の最後に掲載されていた「気」のついた慣用語の一覧です。この他には、熟語として「自然に関わる語」と「人間に関わる語」が取り上げられています。興味がありましたら、見てみてください。
(2011.04.27)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
「気」の日本人 | 立川昭二 | 集英社 | 2010年11月30日 | 9784777710126 |
☆ Extract passages ☆
気がする 気がつく 気づく 気になる 気が合う 気をつかう 気をつける 気が向く 気が乗る 気が長い 気のせい 気がすむ 気がある 気に入る 気がきく 気が散る 気が多い 気が抜ける 気を失う 気が遠くなる 気が小さい 気が強い 気が重い 気が変わる 気をまざらわす 気にかける 気をひく 気がいい 気が腐る 気が揃う 気が急ぐ 気がさす 気が向く 気が早い 気が滅入る 気を許す 気がまわる 気がとがめる 気にくわない 気が鈍る 気にとめる 気が通る 気にさわる 気がしれない 気を入れる 気がひける 気がふさぐ 気を配る 何気ない 気がおけない 素気ない 気が張る 気を操む 気を落とす 気取る 気に病む 気のきいた 気が緩む 気をもたす 気がはやる 気が立つ さり気ない 気をとられる 気難しい 気が気でない 気がなえる 気が残る 気が詰まる 気が立つ 呆気ない 気を砕く 気は心 気を挫く 気色ばむ 気を晴らす 気ぜわしい 気が沈む 気を吐く 気恥ずかしい 気を汲む 気を鎮める 気を起こす 気をそそる 気を澄ます 気を抜く 気骨を折る 気をそらす
(立川昭二 著 『「気」の日本人』より)
No.580 『インドの樹、ベンガルの台地』
だいぶ前に、この著者の『インド花綴り』や『仏教植物散策』などを読み、インドなどの熱帯の植物に興味を持ちましたが、それらは温室などの施設がないと育てることはできないので、いつの間にか興味をなくしてしまいました。ところが、先月、スリランカに行き、それらの本に出てくる植物たちを自分の目で見ると、またまた、興味が出てきました。
植物もそうですが、インドというのは、ある意味、はまりやすい国で、一度はまってしまうとなかなか抜け出せないようです。おそらく、著者も、はまってしまったお一人ではないかと思いました。文章の端端にインドに対する優しい目を感じます。
著者自身が「あとがきにかえて」で書いていますが、「私にとってインドが心理的に快適だったのは、私がなにか違ったやり方をしても、珍しがられはするけれど、白い目で見られないことだった。それは私が異邦人であり、部外者だったから許されたというだけではなかったと思う。宗教、言語、民族、どれひとつとっても多様性に満ちたインドに住む人は、この「もんだ」にはいろいろあることを心の底でわきまえているからなのだろう。それがインドの社会が異質なもの、違ったものをおおらかに受け入れる寛容性の素地になっているような気がする。」とあります。
たしかに、私もそれは感じますし、少々無茶なことをやったとしても、笑って許してもらえるようなところがあります。それと、顔つきやスタイルで比較的判断しやすいところもあり、それをみて付き合えば間違いないような安心感もあります。たとえば、宗教などでもスタイルの違いはあり、シーク教は髪やひげを剃ったり切ったりしないので、ターバンを巻いています。昔は、よく、インド人というとターバンを巻いていると思っていましたが、実はシーク教徒だけで、現在の信徒数は約2,300万人ほどだといいます。つまり、全体から見れば、少数派ですから、インドでターバンを巻いた人を見ることは少ないです。
そういえば、インドでお世話になった運転手さんはターバンを巻いていて、あのターバンの中にキルパンというナイフを隠し持っているから気をつけろと言われたことがあります。また彼らはカーラーという真鍮製の腕輪もしています。
ですから、このように氏素性がはっきりしているので、ある意味、付き合いやすいわけです。以前、ある外国の方に聞いたことがありますが、若い日本人がフランス製のブランドものを持っているから相当裕福だと思っていたら、小さな薄暗い部屋に住んでいたと苦笑しながら話してくれました。これなども、インド人には絶対に考えられないことの一つです。
この本を読むとわかりますが、インド人の目線で著者が付き合っているのがわかります。それに、著者自身の繊細な植物イラストを見ると、いかに植物が好きかが伝わってきます。
ぜひ、機会があればお読みください。
(2011.04.25)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
インドの樹、ベンガルの台地(講談社文庫) | 西岡直樹 | 講談社 | 1998年9月15日 | 978406263869 |
☆ Extract passages ☆
ケージュルリーの村には、その当時、プロソビスの大木が多くあったそうだ。村の人は代々、そのプロソビスの木々を大切にしてきたのである。あるとき、ジョードプルの王の臣下の者が、きこりを連れてケージュルリーの村に木を切りに来た。当時のジョードプルの王のアジート・シンハは城塞の構築にかかっていたが、壁材の漆喰をつくるための燃料として大量の木材を必要としたからである。きこりたちが木を切りにかかったとき、村長の夫人が木を守ろうとして幹に抱きついて言った。「この木を切るなら私もいっしょに切りなさい」。王の家臣は残忍にも、その夫人をその場で切り捨ててしまった。それを見た3人の夫人の娘も母に従い、つぎつぎと出てきて木に抱きついた。そして、その娘たちも切られてしまった、というのである。
その66年後にも、またその村で同じ事件が起こり、そのときは363人もの村人が命を落としている。
その村には、木のために命を捧げた人々の霊を慰めるために寺が建てられ、境内の一郭には慰霊塔があった。
(西岡直樹 著 『インドの樹、ベンガルの台地』より)
No.579 『脳と即興性』
この本は、ジャズピアニストの山下洋輔さんと脳科学者の茂木健一郎さんとの対談集で、副題が「不確実性をいかに楽しむか」です。どちらかというと、「譜面通りには弾かない」という山下さんに、模擬さんが問いかけるようなスタイルですが、どちらも即興力で話すようなタイプですから、とてもおもしろく読ませていただきました。
いわば、内容紹介にもあったように「知的で過激なフリートーク・セッション」でした。
それでも、いろいろな示唆に富む内容で、たとえば、「いろんな子を見ていると、結局音楽のレッスンは音楽との相性ではなくて、教える先生との相性なんですよ。だから、先生がうまくリードできれば好きになっていくんです。楽譜を読んで、ちょっとでも上達するとすごく褒めてもらえるとか、そういう快感で続けていけるのだと思います。」という発言は、これから子育てをする方にとってはとても参考になります。まずは、いい先生と出会うこと、でも、これだってなかなか難しいとは思いますが、まさに一生を変えてしまうような出会いでもあります。子どもたちに、いまやっていることの意義などを話してみたってわからない場合が多いでしょうが、誉められるということは必ずわかります。「おぉー、すごい!」って言われれば、それだけでがんばるのが子どもです。
また、ゲームもおもしろいけど、それを作るのはもっとおもしろいんじゃないか、という発言も、なるほどと思います。おもしろいと思うことと、おもしろいと思ってやることでは、やはり、違います。やるという行為に、ちがいが出ます。さらには、おもしろく生きようと思ったら、相当なエネルギーが必要で、身体を張っておもしろいことをしている人は、やっぱりすごいことです。
だから、同じように、即興的になにかするというのは、相当な力が必要で、なにもない人には絶対にできないことです。ここでは、その即興力を磨くためのさまざまなアドバイスもしていますから、ぜひ、お読みください。
下に抜き書きしたのは、「あとがき」の部分で、いわば、締めにあたります。この文章のなかに、二人の言いたかったことが入っているように感じました。
(2011.04.22)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
脳と即興性(PHP新書) | 山下洋輔・茂木健一郎 | PHP研究所 | 2011年2月1日 | 9784569790879 |
☆ Extract passages ☆
現代は、一言でいえば、「これ」というかたちで正解が見つからない時代である。国の内側を見ても、外側を見ても、どうしたらよいのかわからない問題が山積している。こんなときに、いちばんいけないのは「正解がわかるまで待とう」と何もしないでいること。なぜならば、人生を切り開くための道筋は、ただ眺めているだけではけっして見えてはこないからだ。にもかかわらず、ひょっとしたら、日本人は模様眺めを決め込んでいるのではないか。
実際には、自分から動いてみないと何も見つかるものではない。いろいろとぶつかり、失敗し、転び、わーっと心が動き、感動し、涙が流れ、跳ね、出会い、溶け合っているうちに、自然と自分の人生を前に進めてくれる何ものかに出会う。つまり、それは一つの「事故」であり、偶然の幸運に出会うこと(「セレンディピティ」)である。そんな生き方さえできれば、行き詰まることなどない。
(山下洋輔・茂木健一郎 著 『脳と即興性』より)
No.578 『お釈迦様のルーツの謎』
著者は、現在、(社)日本ネパール協会会長をしているそうで、1999年7月には在ネパール特命全権大使を務めたこともあり、ネパールを詳しく知っていると思います。この本の副題は、「王子時代の居城カピラヴァストゥは何処に?」ですが、まだ、はっきりと結論が出ていないからです。著者自ら、『本書は、シツダールタ・ゴータマ王子が悟りの道を求めて城都カピラヴァストゥを後にする「偉大なる門出」までの王子の青年期の宮殿の謎、ルーツに迫ろうとするものである・・・・・・』と書いていて、自ら訪ね歩きながら推論しています。
じつは、お釈迦さまが出家前の青年期に過ごされたカピラヴァストゥは、ネパール側ではネパール領のティラウラコットと主張し、インド側では、インド北部、ウッタル・プラデッシュ州のピプラワだとして、対立しています。国境線があるといいながらも、その距離は10数qほどしか離れていません。しかし、ルンビニ・インターナショナル・リサーチ・インスティチュートのマックス・ディーグ所長は「考古学や歴史上の問題ではなく、政治的な問題である」(2008年12月)と述べていますように、国の利害の問題がからんでいるようです。
そこで、著者は、それを歴史的に推察したり、遺跡から出土したものを検証しながら、最後には5つの十分な根拠としてネパールのティラウラコット村に釈迦王国の城都カピラヴァストゥがあったと結論づけています。それをここにすべて載せることはできませんから、興味のある方は、ぜひ、この本をお読みください。
私も、ネパールのティラウラコットとインドのピプラワに行きましたが、たった1回ずつではこれだけの結論は出せません。そういう意味では、このような本は、とても貴重です。
下に抜き書きしたのは、お釈迦さまが誕生されたルンビニの情景です。ここには2回ほど行きましたが、懐かしく読ませていただきました。
(2011.04.19)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
お釈迦様のルーツの謎 | 小嶋光昭 | 東京図書出版会 | 2011年3月3日 | 9784862234803 |
☆ Extract passages ☆
アショカ王の石柱があり、マヤデヴィ王妃が身体を清め、癒したとされるプスカルニ池がある。現在は煉瓦で囲われているが、池の中には2カ所の井戸があり泉水が湧き出ているという。ルンビニは、シャキア王国隆盛の頃は、コーリア王国の人々との交流の場であったと言われ、またブツダ入滅後は巡礼地の一つになっていたが、多くの人々がここで喉を潤わせたことだろう。そこここにはアショカ王訪問以来建立されたのであろう、多くの仏塔の跡があり、頭上には池の近くの菩提樹から幾重にも吹き流されている色とりどりの祈祷の旗が舞っている。その菩提樹の根元で僧が座禅を組んでいることが多い。シッダールタ王子が誕生した頃には、サラ樹などで覆われ、泉の湧く公園であったのであろう。時間を忘れ、時代を忘れ、その情景が思い浮かぶ。風が柔らかく心地いい。
(小嶋光昭 著 『お釈迦様のルーツの謎』より)
No.577 『豪快茶人伝』
この本は、もともと淡交社から刊行された『茶の湯事件簿』を加筆修正し、さらに題名を『豪快茶人伝』にかえて文庫化したものだそうです。淡交社はもともと裏千家の出版社のようなところで、ある意味、お茶については専門家ですので、おもしろいのではないかと思ったわけです。
この作者は、一昨年、NHKの大河ドラマ「天地人」の原作者ですから、一般的な評価も高そうです。でも、これはあくまでもドラマですから推量で書かれたようなところもあり、歴史とはちょっとかけ離れたところもあったというのが私の認識です。事実は小説より奇なりといっても、一般受けするにはされなりの細工も必要です。それはわかるのですが、自分の歴史観が崩されるのもやはりイヤです。それで、結局は見なかったのです。
私もお茶を習い始めて、37〜8年になります。細々ですが、続いているということは、それなりの興味があるからです。ですから、ここに登場してきたお茶人は、すべて知っていますし、その逸話もいろいろなところから聞いています。
お茶は不思議なもので、習い立てのころは、この本に出てくる若い松平不昧公のように、利休の和歌のように「釜ひとつもてば茶の湯は足るものを よろづの道具好むはかなさ」と思うのですが、だんだんと手前を上げていくと、いつの間にかお茶道具を集めてしまいます。そして、お茶会で一度使った道具は使いたくないというところまで行き着くようです。
利休百首のなかに、「茶の湯とはただ湯を沸かし茶を点てて飲むばかりなる事と知るべし」とありますが、いつの間にか道具に使われてしまうかのようです。
でも、さすが、この本で取り上げられたお茶人は違います。
とんでもない金子を払いながら、それを使いこなしてしまいます。それでも、これら茶道具は、手に入れるためには手放す人もいなければなりません。いや、手放す人たちの流転があるからこそ、道具の流れもあります。著者は、「人が道具を選んでいるというより、道具のほうが人を選んでいるような気がしてならない。人智を超えた天命のようなものが、道具に時の海を渡らせた」と書いていますが、まったくその通りだと思います。
そういえば、利休百首のなかには、「茶はさびて心はあつくもてなせよ 道具はいつも有合にせよ」というのもあり、やはりお茶は質素であるべきだし心からのもてなしが大切です。道具も自分の身丈にあったものがよい、というほどの意味になりましょうか。
やはり、お茶は心から楽しむことが一番だと、最近思うようになりました。
下に抜き書きしたのは、電力の鬼とまでいわれた松永安左エ門(耳庵)のことですが、電力事業を国営化しようとしたときに、「官史は人間の屑だ!」とまで言い放ったことでも有名です。今回の東日本大震災での原発事故の対応を見てると、いくら民営化されたとしても官僚的な雰囲気が感じられたのはなぜでしょうか。一日でも早く、見えない放射能からの恐怖を押さえ込んでほしいものです。
(2011.04.16)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
豪快茶人伝(角川文庫) | 火坂雅志 | 角川書店 | 2008年1月25日 | 9784044078010 |
☆ Extract passages ☆
釣りでも、囲碁でも、趣味というのは何でもそうだが、自分が夢中になっているもののおもしろさをまわりの人間に伝え、その者を自分と同じ淵に引きずり込んで楽しむようなところがある。それも、同じ感性を持った相手でなければ楽しみは半減する。耳庵は、そうした益田鈍翁の眼鏡にかなったわけである。
いったん、茶の湯にめざめてしまうと、耳庵は周囲の者たちがおどろくほどの没頭ぶりを見せた。
ちょうど、電力事業の国営化をめぐって、耳庵が官僚たちと凄絶な戦いを繰り広げていた時期である。
戦い敗れ、柳瀬山荘に隠棲した後も、茶の湯は荒ぶる耳庵の心をしずめる一服の清涼剤になり、その静詮で奥行きのある世界は、彼を次なる地平へと駆り立てる力の源泉になったであろう。
事業家として豪快だった耳庵は、茶人としてもまた豪快そのものだった。
(火坂雅志 著 『豪快茶人伝』より)
No.576 『「待つ」ということ』
とても哲学的な題名だと思いながら読んでいると、ほんとうに哲学的な書き方でした。著者のプロフィールを見ると、専攻は臨床哲学だそうで、読んでからなるほどと思いました。
じつは、1〜2ヵ月前に読んだ本の中に、この本の一部が引用されていて、それで興味を持ち本を注文しました。その引用は、「待たなくてよい社会になった。待つことができない社会になった。」というものです。その後に「待ち遠しくて、待ちかまえ、待ち伏せて、待ちあぐねて、とうとう待ちぼうけ。待ちこがれ、待ちわびて、待ちかね、待ちきれなくて、待ちくたびれ、待ち明かして、ついに待ちぼうけ。待てど暮らせど、待ち人来たらず……。だれもが密かに隠しもってきたはずの「待つ」という痛恨の想いも、じわりじわり漂白されつつある。携帯電話をこの国に住む半数以上のひとが持つようになって、たとえば待ち合わせのかたちが変わった。・・・・・・わが子の誕生すら、おそるおそる待つことはない」と続き、そういえばそうだなあ、と思い至りました。
でも、先に哲学的といいましたが、ある意味、非常に文学的な表現もあり、知らず知らずのうちに読み終えました。
では、その感想はといわれれば、「待つ」ことも悪いことではないと思いました。待つことで自分を見つめ直したり、待つことであきらめに踏ん切りが付いたり、いろいろとそれなりのことがあるように思います。もともと、日本人は農耕民族ですから、イネや野菜の栽培を考えれば、待ちの姿勢も大事ですから、自然に待つことの楽しさまで身につけたのかもしれないです。いや、待つことに、それなりの意味づけを考えてきたのかもしれません。
そう思うと、ちょっと読んでみようかなと思いながら読みましたが、もう少し掘り下げて読み直そうと考えました。でも、すぐに読み直すより、時間を置いてから読み直したほうがいいのではないかと思い、本棚のすぐ手の届くところに置くことにしました。
(2011.04.13)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
「待つ」ということ(角川選書) | 鷲田清一 | 角川書店 | 2006年8月30日 | 9784047033960 |
☆ Extract passages ☆
〈待つ〉ことには、「期待」や「希い」や「祈り」が内包されている。否、いなければならない。〈待つ〉とは、その意味で、抱くことなのだ。・・・・・・
意のままにならないもの、偶然に翻弄されるもの、じぶんを超えたもの、じぶんの力ではどうにもならないもの、それに対してはただ受け身でいるしかないもの、いたずらに動くことなくただそこにじっとしているしかないもの。そういうものにふれてしまい、それでも「期待」や「希い」や「祈り」を込めなおし、幾度となくくりかえされるそれへの断念のなかでもそれを手放すことなくいること、おそらくはそこに、〈待つ〉ということがなりたつ。
(鷲田清一 著 『「待つ」ということ』より)
No.575 『地球200周! ふしぎ植物探検記』
ちょうどショクダイオオコンニャクの研究者といろいろと話す機会があり、その時に見つけた本がこれで、この本のトップバッターに取り上げられていました。話しとこの本の内容と照らし合わせながら考えると、とてもよく理解できました。やはり、標本も実際のフィールドもともに大事なのだと思いました。
もともと著者は、「初めは昆虫ばかり追いかけていたのだが、昆虫を観察しているうちに、植物とは切っても切れない深い関係があることに気がついた」そうで、だからこそ昆虫と植物というふたつの世界を結びつけるような写真を撮ってきたようです。そういえば、ショウワノート発売の「ジャポニカ学習帳」の表紙に掲載されている「世界特写シリーズ」は1978年以来ずーっと著者一人で担当されてきたそうです。そういえば、改めて思い出すと、たしかにラフレシアなどの写真が載っていたような気がします。そのときには、なぜ、子どものノートにと思ったのですが、誰が撮ったのかまで考えもしませんでした。
しかし、著者も書いていますが、花と虫の「共生」とか「共進化」のテーマで写真を撮るには、「虫と花、両方のタイミングが合わないと撮影はできない」わけで、とても時間のかかることです。私はほとんど花の写真しか撮りませんが、それでも目指す花がなかったり、あるいは天気が悪くて撮れなかったり、いろいろなアクシデントもあります。まして、虫と花を撮ろうとすれば、その数十倍以上の時間がかかりそうです。でも、著者は、「この無駄の繰り返しがいかに重要であったかが身にしみてわかる。無駄のように感じる時間を過ごしてこそ、独自の視点が生み出されるのだ。無駄な時間のなかの模索の繰り返しでひとつが見えると次が見えてくる。この無限の連鎖が私に教えてくれたことはあまりにも大きい」といいます。
なんだかわかるような気がします。それに近い経験を何度かしましたが、それでも残念な思いが先に来てしまいます。
この本を読んでみて、珍しい花に対する熱望さえあれば、いつかは撮影できる、そのチャンスが必ず巡ってくると思いました。そういう気持ちが、知らず知らずのうちに地球を200周もさせてしまったのかもしれません。
下に抜き書きしたのは、今回スリランカに行き、やはり熱帯の植物たちのその生命力に感動したからで、この地球の主人公は植物なのではないかと思いました。植物たちがいなければ、毎日食べる食料や吸っている空気や、さらには家屋に至るまで、なにもかも無いのです。まさに、命の源、それが植物だと実感しました。
(2011.04.10)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
地球200周! ふしぎ植物探検記(PHPサイエンス・ワールド新書) | 山口 進 | PHP研究所 | 2011年2月1日 | 4931246087 |
☆ Extract passages ☆
植物は常に新天地を探している。それが人為的であろうと自然によるものであろうと、空間ができればすぐに侵入し勢力を伸ばそうとする。人の手が入らなくなった遺跡はまさに植物にとっての格好の新天地だ。
人と自然の追いかけつこは決してやむものではない。人がスキを見せた瞬間、植物は一気に押し寄せてくる。
しかし遺跡の建造物上に最初に侵入するのは特別な植物だけに限られてくる。土壌、水分、養分などを得ることが難しいからだ。遺跡の上という植物が生育しにくい環境にパイオニアとして侵入できるのは、裸地に適応した植物のキク科、マメ科、ツルなどに限られる。
ところがこれら遺跡の侵入者は遺跡に様々な悪影響を与える。植物が出す化学物質は少なからず遺跡の劣化を招き、またそれが枯れると新しい土壌となりさらなる侵入者を招いてしまう。
(山口 進 著 『地球200周! ふしぎ植物探検記』より)
No.574 『スリランカ学の冒険』
この本もそうですが、前回読んだ『みんなのスリランカ』も、スリランカに行く前に頼んでおいた本で、当然ながらいない間に届いたものです。
つまり、行く前にはほとんど調べないのですが、そこで出会いながらもわからないこともあるので、帰ってきてからその国の本を読むことになります。でも、地方ではなかなか目的の本の入手が困難なこともあり、どっちみち読むならということで、あらかじめ注文しておいたわけです。
ところが、このあと、東日本大震災が起こり、輸送手段もずたずたになり、注文したくてもできない状態が続きました。これらの本はかろうじて大震災当日に自宅に配送されてきたそうです。
この本の著者は庄野護さんで、書かれたものを初めて読みましたし、出版社も初めて目にする会社です。そういえば、南船北馬を広辞苑で調べてみると「あちこちと各地を旅行すること。◇中国の南部は川が多いので船で行き、北部は平原や山間部なので馬で行く意から」とあり、いかにもこのような本を出版しそうな名前です。挟まっていた出版社のリーフレットのなかに、読みたいような本もあったので、いずれ注文したいと思っています。
この本の著者紹介によれば、1989年よりスリランカに住むとあり、住んでいたからこそわかることもあります。たとえば、『スリランカでは毎月、満月の日は「ポーヤ・デー」という公休日。酒類は販売されず、映画館も休み。仏教徒はお寺に参り、子供たちはお寺の教室に通って仏教について学ぶ。信仰と家庭安息の休日。』とあります。著者も最初はなぜ、と思ったそうですが、当然ながら短期訪問者にすれば当然の疑問です。この続きに、著者自身の解説がありますから、もし興味がありましたら、お読みください。
でも、このような満月の日は公休日という独特の休みがあるというのは、やはりスリランカです。おそらく仏教徒が多いということもあるでしょうが、おそらくは精神的なゆとりみたいなものかもしれません。
この本の出版は1996年だそうですから、すでに15年ほど経っていますから現在のスリランカとは事情も変わっているかもしれません。それでも、時間がゆったりと過ぎていくような国ですから、この本に書いてあるようなことも多いかもしれません。少なくとも、私が滞在して知りえたことと大差ないことを、読みながら感じました。
(2011.04.07)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
スリランカ学の冒険 | 庄野 護 | 南船北馬舎 | 1996年4月20日 | 4931246087 |
☆ Extract passages ☆
シンハラの庶民社会には、感謝のことばは無い。ことばは無いが、気持ちの表現はある。感謝の気持ちは全身で表現される。ことばで表現されないだけのことだ。シンハラ人にとって、気持ちは気持ちであり、ことばに置き換えようとはしない。
日本では、感謝の気持ちは「ありがとう」のことばで伝えることになっている。「ありがとうもいえない」という表現は、日本では社会的常識を欠くひとに対する強い非難のことばになっている。そこでは、ことばを発することがより重要で、本心は直接的に問題とされない。内心は迷惑だと思っていても、「ありがとう」のことばを発することで丸くおさまる。それが日本社会である。ところが、スリランカで感謝の気持ちをことばだけに置き換えて伝えた場合、相当に嫌味に聞こえたりする。スリランカではことばよりも本心が大事なのだ。
ことばで表さない気持ちは、目や顔の表情、手の動き、要するに全身で表現される。受け手はそれを見て感じ取る。そこに、ことばの直接的なやりとりはない。
(庄野 護 著 『スリランカ学の冒険』より)
No.573 『みんなのスリランカ』
スリランカに行ってきたということもあり、最近、その関わりの本を読み続けています。
人によっては、行く前に十分な下調べをしてから出かけますが、私はどちらかというと、行く前にはほとんど何もしないタイプのようです。理由は、そのほうが思わぬ出会いを楽しめるからですが、むしろ帰ってきてからいろいろ調べているうちに見ておけば良かったということもあります。でも、何も知らないで出かけたほうがワクワク感は絶対違うような気がします。
今回も、佛歯寺には行きたいと思っていましたが、偶然にもその一番近くにあるクィーンズホテルに泊まり、翌朝には珍しく午前5時(日本時間だと8時30分)には目を覚まし、せっかく目を覚ましたのだからという理由だけですぐ身支度を調え、佛歯寺にお詣りに出かけました。ここは1998年に爆弾テロがあったそうで、入り口には検問所がありましたが、日本人にはとてもフレンドリーでチェックなしで入ることができました。あちこち写真を撮りながら入り口に行き、入場料を1,000ルピー払うと、ミニCD-ROMがチケット代わりになっていました。ところが、入ってから気づいたのですが、その時間には正面のお釈迦さまの歯が納められている建物の扉が閉じられていました。仕方ないので、その前でお祈りをしていたのですが、後ろから近づいてきた方から開けてもらうから入ってもいい、とのことです。もう、大喜びです。自分でも何が何だかわからないままにその扉から入れてもらい、さらに二階への階段を上り、その横から一番奥のきらめくような七層のパゴダの前に案内されました。その右わきにおられた僧侶から花をいただき、それを供えながらしっかりとお詣りさせていただきました。もう、震えるような感動でした。その後で、僧侶から右手に白い紐のようなものを結んでいただき、さらにお詣りをしました。
実は、その白い紐の意味もわからなかったのですが、帰ってきてからこの本を読み、知ることができました。
この本によると、「この糸はピリット・ヌーラと呼ばれ、聖水と読経で浄められてからご住職が受礼者の右手首に巻きつけます。・・・・・・スリランカの仏教徒にとってピリット儀礼は豊作祈願や出産、結婚、病気など人生の節目によく行われる大切なもので、仏教徒でなくてもこの儀礼を受けることができるとのことです。また現代の世相を反映してか、大学や就職の試験のためや海外出張の際に受ける人が増えているそうです。」ということで、駐スリランカ大使をされたことのある野口晏男氏が書いています。
だから、これらの出会いもそうですが、下に抜き書きした文に出てくる「パームリーフ・マニュスクリプト」とも出会ったことも、そのときはまったくの偶然でしたけれども、とても印象深いものになりました。
この本を読みながら、改めてスリランカの良さを感じています。
(2011.04.04)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
みんなのスリランカ | 日本スリランカ友の会 編著 | アールイー | 2007年5月20日 | 9784990257842 |
☆ Extract passages ☆
パーリ語やサンスクリット語(どちらも古代インド語)で書かれているものが殆どです。古くから伝わっているものにパームリーフ・マニュスクリプト(椰子の葉に書かれた経文)があり、私のお寺でも大切に扱われています。
昔、唐の玄奘三蔵はインドから経典を持ち帰り、漢訳しましたが、大切な音はそのまま伝えています。例えば般若心経の〔般若〕とは〔パンニヤー〕、つまり真の智慧という意味です。ある場合は意味を知るより音を伝える事の方がずっと重要だと考えるからです。(ナーラウィラ・ヴィジタワンサ)
(日本スリランカ友の会 編著 『みんなのスリランカ』より)
No.572 『日本人が知らないブッダの話』
アルボムッレ・スマナサーラ長老の本を2冊続けて読むことになりました。というのは、この本も前掲の本も長老がスリランカ出身ということで、旅行中にも少しずつ読んでいたものです。読みながら、少し大乗仏教とは違う解釈のところがあり、興味を持ちました。
どちらかというと、上座部の仏教の方がお釈迦さまの時代の初期仏教に近い考え方をしているようで、出家者の戒律も現在でも227項目もあるそうです。しかし、この戒律が定められたのは、お釈迦さまが成道された12年後のことだそうで、教団発足当時はなかったようです。しかし、その後さまざまな問題が起き、その度毎に戒律ができたそうですが、これを「随犯随制」といい、お釈迦さま自身は、自分がクシナガルで入滅された後は阿難尊者に「些細な戒律については廃止してもよい」と話していたのだそうです。
この本を読むと、たしかに日本人には馴染みのない逸話もありますが、ある種の解釈の違いもあり、これが大乗と上座部の違いなのかと思いました。
そういえば、同じ学研から『仏陀の贈り物』という雑誌が今年の1月に出ましたが、それにもこの違いがうっすらと浮き出ているように思います。そのなかで、スマナサーラ長老と対談した瀬戸内寂聴さんは、「お坊さんは北方仏教よりも、南方仏教のほうが真面目な感じですね」とおっしゃっていましたが、まったくその通りだと思います。だからこそ、その姿に清々しさを感じたり、一心に悟ろうとする厳しさに感動するのかもしれません。
でも、大乗には大乗の良さがあります。おそらくどちらがいいとか悪いとかの問題ではなく、つまりはすべてお釈迦さまの悟りへの道に通じるはずです。たとえば、山登りにたとえれば、まだまだ体力があるから一直線に最短距離を登ろうとする方もいるでしょうし、あるいはつづら折りの道をゆっくりと一歩一歩登ろうとする方もいるわけです。でも、時間の差はあるとしても、結局は山の頂上を目指しているわけで、私はそれでいいと思っています。むしろ、この登り方の違いを認めることのほうが大事で、少しでも相手を理解し、わかろうとする努力も大切ではないかということです。根はもともと同じお釈迦さまの説かれた仏教ですから、登る方法や手段は違ったとしても、共通する部分はたくさんあります。
今回のスリランカの旅で感じたのは、この共通する部分です。相手を知るということは、自分を知ることにもつながり、多角的ないろいろな見方ができるようになります。
この本を読みながら、上座部の仏教は大乗といささか違う解釈をしているようですが、それも考えようによっては一理あると思いました。
下の抜き書きは、お釈迦さまが涅槃に入られたクシナガル(抜き書きでは「クシナーラー」)での阿難尊者との話しですが、私が数年前にクシナガルに行ったときにもなぜここなんだろう、と思った疑問に答えていたので、取り上げました。これも、私は知らなかったことの一つです。
(2011.04.01)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
日本人が知らないブッダの話 | アルボムッレ・スマナサーラ | 学研パブリッシング | 2010年7月20日 | 9784054044104 |
☆ Extract passages ☆
アーナンダ尊者は世尊に向かって、「このような小さな都市(クシナーラー)・・・・・・で入滅なさらないで下さい」と懇願しました。例えば、チャンパー、王舎城、舎衛城、サーケータ、コーサンピー、パーラーナシーなどであれば、お釈迦様への信仰が篤い多数の王族、バラモン、資産家がいて、彼らが如来の遺体の供養をしてくれるでしょう、と。
しかし、お釈迦様はアーナンダに、かつてクシナーラーはマハースグッサナ王(大善見王/だいぜんけんおう)という転輪王の国の都であったと告げ、今は寂しいクシナーラーが如来入滅の地としてふさわしくない土地では決してないと諭しました。
(アルボムッレ・スマナサーラ 著 『日本人が知らないブッダの話』より)
No.571 『仏弟子の世間話』
とんでもない災害に遭うと、なぜか、死というものが本当に近くに感じられます。何万人という方が、一瞬にして亡くなられたことを考えると、当然といえるのかもしれません。
著者のお一人、アルボムッレ・スマナサーラ長老は、今年の1月に発行された『ブッダの贈り物』学研、でいろいろな方々と対談していますが、この本も玄侑宗久師との対談集です。もともとはサンガから発行されていた『なぜ、悩む!』(2005年7月)に加筆・修正してまとめたものだそうですが、アルボムッレ・スマナサーラ長老は、ちょっとした時の人のようです。
やはり、上座部仏教は、論理的にもすっきりしていますし、誰もがそれなりに納得できる内容を含んでいます。そもそも、出家者としての戒律、いわゆる具足戒をしっかりと守る僧とその僧たちを支える在家信徒の力によって初期の仏教教団は成り立っていたわけですから、むしろお釈迦さまの教えを純粋な形で守ってきたというということになります。つまり、それだけお釈迦さまに忠実な教えを伝えているわけです。
この本の中でも、「仏教というのは、人が質問して私が仏教の側から答えてこそ成立するものです」とか、「死にそうになって初めて、みんな死について興味を持ったりしますが、それでは遅いのです。大学に入りたいと思ったのが試験の前日なら、勉強するぞと思っても無駄でしょう?」とあくまでも具体的に説明してくれます。
ちょうど今月中旬にスリランカに行ってきたのですが、このアルボムッレ・スマナサーラ長老もスリランカの方で、私が聞いたところによりますと、仏教が70%、ヒンドゥー教が15%、キリスト教が8%、イスラム教が7%だそうで、なかでもシンハラ人の漁民は、魚を捕まえるということで仏教の不殺生戒を護ることができないという理由でキリスト教に帰依するのが多いのだそうです。つまり、逆から考えれば、スリランカの仏教徒は不殺生戒をそれだけ厳格に護っている証しでもあります。
下に抜き書きしたのは、パーリ教典の『世起教』に出てくるもので、どうやって社会が壊れていくかを説明している箇所だそうです。なるほど、と思ったので、ぜひお読みください。
(2011.03.28)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
仏弟子の世間話(サンガ新書) | 玄侑宗久/アルボムッレ・スマナサーラ | サンガ | 2007年2月20日 | 9784901679336 |
☆ Extract passages ☆
最初は平和で、人間は物を持ちませんでした。だから政府も法律も必要なく、とても豊かで穏やかに暮らしていました。今日食べる分だけ、今日必要なものだけとってくるから食べるものは自然にあったわけで、わざわざ土を一所懸命いじって農作物を作るということもいりませんでした。生活は楽で、結構余裕がありました。
ところが、ある怠け者が明日の分までとってきたのです。するとそれを見た他の人が「じゃあ、私も」と思い始めて、その結果自然の食べ物がなくなった。次にある人が他の人より先に行って一週間分くらいをとってきて蔵を作った。そこで欲が出てきて、蔵を守らなきやいけなくなった。食べるものがない人は蔵にあるものを盗ったりし始めて、盗みや喧嘩も現れた。そのうちお互いに殺し合うようなってしまい、それじゃ駄目だから政治システムを作った・・・・・・という話です。そういうふうにエピソード的に書いてありますが、「人間が足るを知るということを忘れたとたん、全てが崩れていく」いうことを教えている経典なのです。
(玄侑宗久/アルボムッレ・スマナサーラ 著 『仏弟子の世間話』より)
No.570 『歩くとなぜいいか?』
この本によると、江戸時代の庶民は、平均して1日3万歩もあるいていたそうですが、現代人は、歩いていると思っている人でも1日7,000歩だそうです。だから、あまり歩かない人は、推して知るべしで、歩かなければダメだということになります。
でも、これがなかなかできないことで、やはり安易に車を使ったりしてしまいます。やはり、意識的に歩く工夫が必要かもしれません。
著者は、「現代人は忙しすぎるし、うるおいがなさすぎる。歩くことは、こうした忙しさからしばし自分を解放することであり、かさかさした心にうるおいをもたせることにもなる。」と書いていますが、たしかにそうだと思います。
歩いていると、今まで車でしか通ったことのない道では、たくさんの発見があります。いつだったか、田んぼのあぜ道に、オキナグサが咲いていたこともあったし、学校の校庭にネジバナがたくさん咲いていたこともありました。そう考えれば、いろいろと思い出すことがたくさんあります。つまり、歩かなければ、わからなかったということです。
歩くと、脳の活性化にもなると書いてありましたので、これからはなるべく歩くようにしたいと思います。
もし、歩くことに興味を持たれたら、ぜひ、お読みください。
この本も、文庫本なので、車の中に入れていて、ちょっとした時間で少し読み、いつの間にか読み終わったものです。やはり、続けることが一番だと感じました。歩かなければ・・・・・・
(2011.03.25)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
歩くとなぜいいか?(PHP文庫) | 大島 清 | PHP研究所 | 2007年5月21日 | 9784569668604 |
☆ Extract passages ☆
わたしたちはもともと歩くことが嫌いではない。というより、わたしたちの脳は歩くことに喜びを感じるようにできている。
歩いているとき、脳は活発に動いている。ギリシャの哲学者アリストテレスは、散歩をしながら弟子たちに講義し、散歩をしながら議論もした。わたし自身の経験から言っても、歩いているときの方が、自由な着想が得られるような気がする。
なぜだろうと考えて、一つの結論に達した。歩くことは本能に根ざした快感であり、快感に包まれるとき脳は活発に動いているのだ。
(大島 清 著 『歩くとなぜいいか?』より)
No.569 『いま、こころを育むとは』
著者は、宗教学者で、国立歴史民俗博物館教授などを歴任された方で、そういう意味では、「こころ」というものを考えるスペシャリストでもあります。
この本は、「こころを育む総合フォーラム」座長である著者が、シンポジウムなどの問題提起として講演されたものなどがあり、とてもわかりやすい内容にまとめられています。核心部分が書いてあるというより、考えるための材料提供のようでもあり、いろいろと考えさせられました。
副題は「本当の豊かさを求めて」で、このような題名はけっこうあるところをみると、それなりに読者を惹きつけるもののようですが、あまりにも言い古されたような感じがして、その先がうっすらとわかるように思えます。まあ、それも一つの購買意欲を引き出す方法かもしれませんが。
著者は教育者でもありますから、たとえば、「教育において、横の水平軸は大事です。平等主義という水平軸は大事ですけれども、それに対してやっぱり伝えるべきものをきちんと後世に、次の世代に伝えていくという、垂直軸も大事です。この二つの軸がうまく立体交差するときに、教育は本来の力を発揮する。わたしたちは、いまそれをあらためて再構築すべきときにきているのではないかと思います。」という意見には、その通りだと思います。
あまりにも一方的な横並び主義は、逆に現実が平等にできていないこともあり、そのギャップに悩んでしまいます。その比較から、嫉妬が生まれ、やがて敵意にかわることもあります。おそらく、近頃多い無差別な事件などは、このような背景があるかもしれません。
下に、ちょっと長いのですが、ラフカディオ・ハーンの「日本人の微笑」というエッセイから、日本人と外国人の笑顔の違いみたいなものを書いてありましたので抜き書きしました。たしかに、微笑にはそのようなこともある、と思いました。
そうそう、今回の東日本大震災の津波ですが、そもそも、この津波という言葉も、スシや柔道などと同じで英語でもそのまま「TUNAMI」といい、この「TUNAMI」いう英語を最初に使ったのもラフカディオ・ハーンで、1897年の仏教選集のなかで取り上げられたそうです。
(2011.03.21)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
いま、こころを育むとは(小学館新書) | 山折哲雄 | 小学館 | 2009年12月6日 | 9784098250653 |
☆ Extract passages ☆
その大使館の外交官の家では、日本人のお手伝いさんを使っていた。・・・・・・そのお手伝いさんのお父さんがふるさとで亡くなった。葬式に出るために、「お暇をください」と言ってふるさとに帰り、葬式が終わってから再びその外交官の家庭に帰ってきた。そして、葬儀の一部始終を外交官の主人に報告するわけです。
そのとき、彼女は始終微笑を浮かべていた。自分の父親の死、葬儀を語るのに、ずっと微笑を浮かべながら語っていた。
それを聞いていた外交官は、初め不思議に思い、やがて怒ったというのですね。自分の父親が亡くなった、そのことを語るのに笑顔を浮かべて語るとは何事だというわけですが、それはアメリカ人的な発想かもしれませんね。
そのことを、その外交官からラフカディオ・ハーンが聞くのです。聞いた後、ラフカディオ・ハーン自身の感想を記しています。
外交官が怒るのは当たらない。そのご婦人は自分は確かに父親の死という不幸を経験した、しかし、同じような嘆きと悲しみを主人にまで抱いていただくのは申しわけない、自分を使っている主人に対する思いやりから、自制の気持ちを込めて、それほどのことではありませんよという気持ちを込めて笑顔を浮かべていたのだ。こうラフカディオ・ハーンは解釈しているのです。・・・・・・
わたしの解釈はこうです。日本人の伝統的な価値観、生活感覚から考えると、そのときのご婦人は、意識するしないにかかわらず、自分の深い悲しみを慰撫するために笑顔を浮かべていた。絶望の気持ちを抑制する、コントロールする、そういうある一つの精神的な力の中から笑顔という表情がにじみ出るように生み出された。思いやりというよりは、生きる上での慎み、自制の気持ちがそこにはにじみ出ているのではないのか。
しかし、実は、このような解釈はわたしの独創ではありません。民俗学者の柳田国男が、同じようなことを言っているのです。日本人の微笑、日本人の笑みというもの、その気持ちの奥に横たわっている価値観とか感情というものは、悲しみに対する慰撫、絶望をなんとか抑制しょうとする深いもので、なによりも人間関係における慎みの感情なのだ、と。
(山折哲雄 著 『いま、こころを育むとは』より)
No.568 『印象派。絵画を変えた革命家たち』
ペン・ブックシリーズは、「茶の湯デザイン」などを読みましたが、というより見ましたという印象が強いのですが、この本もどちらかというと見ながら読むという感じです。でも、ちょうど、10日から出かけたので、そのパッキングの慌ただしさのなかで読むには最適でした。
この本に出てくる印象派の絵画などを頭に残し、それを飛行機のなかなどで思い出しながら楽しむことができました。ですから、この『ホンの旅 2011』は、帰国してから書いているわけです。その旅のなかでも、何冊かは読みましたが、それは機会があればここでも紹介したいと思っています。
実は、その持って行く本を選ぶのが、荷物のパッキング以上に大変でした。国内のようにどこでもいつでも本が買えるなら、あまり神経質にならずに選べるのですが、海外だとそういうわけにはいきません。なるべく軽く、つまり結果的に文庫本になるのですが、さらに簡単に読めては何冊も必要なわけで、それなりの難しさも必要です。なるべくなら旅関係ならベストで、それがなければ少しでもなんらかのつながりは大切です。等々、それなりに選ぶとなると時間もかかりますし、田舎ゆえにすぐには手に入らない本もあります。
そういえば、この『印象派。絵画を変えた革命家たち』も、前回読んだ『鞄に入れた本の話し』からのつながりです。
この本の表紙は、ファン・ゴッホの「アイリス」ですが、どちらかというと彼はポスト印象派です。でも、印象派という大きなくくりの中では、やはり彼を抜きには語れないものがあります。巻末には、お互いに影響を与えた画家たちの交流図や、それら名画を所蔵するミュージアムの紹介などもあり、絵画好きには楽しい本だと思います。
たとえば、このファン・ゴッホの項では、「青年となったファン・ゴッホは、自分探しに悩む若者のように職を転々とする。69年、16歳の時に伯父が営む美術商グーピル商会のハーグ支店に勤務、後にロンドン支店、パリ本店へと転勤。この間にどんな絵画が売れているか、自然に学んだ。しかし彼は聖書に傾倒し過ぎたあまり、解雇される。78年アムステルダム大学神学部を志望するが断念、ベルギーの炭鉱町ポ
リナージユで伝道師を目指す。だが貧しい人に持ち物を与えて自らは裸に近い状態で過ごすなど、極端な宗教活動を実践、伝道師への道も閉ざされた。80年、彼は画家になることを決意。27歳という、遅いスタートだった。」と書かれていました。
私も、今回の旅では、なんどもこの本のなかで取り上げられた絵画を思い出しながら歩きました。しかし、3月11日に東日本大震災が発生し、旅に出ていたことで不安や心配もあり、持って行った本もなかなか読むことができませんでした。
でも、いつか、そのときはいつになるかわかりませんが、これら名画の舞台になったところを自分の足で歩いてみたいと考えながら、少しでも気を紛らせていました。
(2011.03.17)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
印象派。絵画を変えた革命家たち | ペン編集部 編 | 阪急コミュニケーションズ | 2010年10月16日 | 9784484102283 |
☆ Extract passages ☆
印象派とは? 続いて誕生したポスト印象派とは何か? 優れた印象派のコレクションを誇る、オルセー美術館の主任学芸員、カロリーヌ・マチューに、その特徴を訊いた。
「印象派とは、19世紀の芸術家たちによる、新しい表現を求めた動きです。彼らは、いかという同時代の美しきを描写することを目指しました」
それまでの絵画や彫刻は、宗教や神話を主題としたものや、貴族の注文で描かれる肖像画など、限られたテーマで制作されるものだった。「同時代の風物を題材に選ぶこと。これを実現したのがマネです。マネは近代化するパリを見事に捉えました。そして、モネ、ルノワールらが新しい絵画への衝動を膨らませます。彼らは移ろいゆく一瞬を捉えようとし、絶えず変化する"光"に着目します」
(ペン編集部 編 『印象派。絵画を変えた革命家たち』より)
No.567 『お釈迦さまの脳科学』
著者の苫米地英人氏は、脳機能学者であるだけでなく、天台宗の僧侶でもあります。この脳機能については、『脳科学者が「脳」と呼ぶものも、心理学者が「心」と呼ぶものも、表現の抽象度が異なるだけで、実体としては同じものを指しています。物理的には脳であり、情報空間が心です。コンピュータにたとえるなら、CPUやハードディスクが脳であり、そこで処理されている情報そのものが心です。どちらか片方だけでは、コンピュータは機能しません。同じように脳も心という情報空間が存在して初めて機能しています。脳と心を同時に研究対象にする学問が、機能脳科学なのです。』と説明しています。
これらを読むと、文章の端々に科学的なものの見方、考え方が感じられ、とてもすっきりとした内容になっています。たとえば、悟りについても、仏教者はどちらかというととても難しいものという印象で語りますが、著者は「完全にスコトーマが外れた状態であり、抽象度がもっとも高くなった「空」を実感として認識できた状態、宇宙と自分がすべてわかった状態です。ただし言葉で示せることと「それ」になることは意味が違いますが。」とさりげなく語ります。このスコトーマ(Scotoma)とは、盲点を表すギリシャ語だそうですが、ネットで調べたら「何をしたらいいのか見えない、見えない、と言い続けることによって本当に可能性が見えなくなっちゃう状態」を心理学的なスコトーマというのだそうです。
なんだか、わかったようなわからないようなスコトーマですが、スコトーマが外れた状態という表現はとても理解しやすく、あらゆる先入観や価値観から開放されたような状態ではないかと思います。そう思えば、悟りというものも、理解できます。つまり、あるがままにすべてのことが認識可能ということであり、そこに自我などが入り込む隙はありません。
ただ、それなりの決めつけもあるようですから、これも一つの考え方と割り切ることも大切で、たとえば「釈迦の死は暗殺によるものと推測されます」などということは、ある種の推論の域を出ませんし、今さら2,500年前の事実はわかりませんので、そういう見方もあるのかなあ、ということです。
でも、いろいろな可能性を提示することも、これはこれで大切なことです。こんなことを言ったからダメというのではなく、いろいろな可能性を考えることも大事なことです。そういう意味では、副題が「釈迦の教えを先端脳科学者はどう解くのか?」というのは、意味深だと思いました。
(2011.03.09)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
お釈迦さまの脳科学(小学館新書) | 苫米地英人 | 小学館 | 2010年10月6日 | 9784098250967 |
☆ Extract passages ☆
不完全性定理とは「ひとつの系が完全であることを、その系において証明することはできない」ということです。これが数学全般に渡って証明されたのは、1980年代に入ってからです。
また、同じ時期に物理学の世界でも、「すべての物理現象に不確実性がある」という量子論が証明されました。神を「それだけで完全なもの」もしくは「すべてを決定するもの」と定義するなら、神は1980年代に科学によって完全に否定されたのです。
世界の知のトップレベルでは、「この世に完全性はない」ことは、当たり前です。今、唯一絶対の神を信じる科学者がいるとすれば、数学や物理学を知らないということになります。
ところで、この現代の科学者たちが何十年もかけて証明した結論を、2500年前に語っている人がいました。それが釈迦です。釈迦は数学も物理学も用いず、瞑想という思考実験でそれを解明してみせました。宗教で量子論と同じ結論に至ったのは、仏教しかありません。
(苫米地英人著 『お釈迦さまの脳科学』より)
No.566 『鞄に入れた本の話し』
この本の副題は、「私の美術書散策」ですが、ずーっと美術館で仕事をしてきた方ならではの読書遍歴でもあります。
そういえば、ヘンリー・ミラーの『わが読書』という本がありますが、ここには「トイレでの読書」という1章もあり、読書はでこででも、いつでもできるものだということがわかります。この本の著者も、「
ひょいと鞄に入れて、旅先の読書にした本や通勤の車中で読むことになった本は数え切れないが、寝床で就寝まえに読んだ本も半端な数ではない。」といいます。さもありなん、と思います。いわば読書は連想ゲームのようなもので、ある本を読むと、そこにわからないことが出てくるとそれを知りたくなってもう1冊読む、その繰り返しみたいなものです。
おそらく、著者は、「できるだけ美術の領域を広く知っておきたいという気持ちと、一種の学習意欲が読書の大半であった」と書いているように、そうだとは思いますが、それ以上に関係なさそうないろいろな本を読み、その読書の輪を広げていったのではないかと想像しています。
書き抜きもしましたが、美術界には中身を見ずに箱書きをすることもあると聞いたことがあります。それでは、なんのための箱書きなのかと思います。さすが魯山人は中身がなければ書けないと言ったそうですが、美術品は多くの解説がなければ素人にはなかなか理解できないものです。
そういう意味では、このような美術の領域を解説してくれる読書案内も、とても有り難いと思います。また、実に参考になりました。
たとえば、濱田庄司のことだが、『わたしはさらに「陶匠」のなかに、ある種の「我慢」を見たい。大皿に流し掛けをする「陶匠」のさまを見た人が、「釉掛が十五秒ぐらいきりかからないのは、あまり速過ぎて物足りなくはないか」と問う。しかし、これは「一瞬プラス六十年」なのだと答える。そして、こう説明しているところが堪らなくいいのだ。「結局六十年間、体で鍛えた業に無意識の影がさしている思いがして、仕事が心持ち楽になってきた」と。』と書いています。これを聞いて、書も絵画もその他の芸術もみんな、その人の人生そのものだと強く感じました。
これからは、この本で取り上げられた本を少しでも多く読んでみたいと思いますし、そのような気にさせてくれる本でした。
(2011.03.05)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
鞄に入れた本の話し | 酒井忠康 | みすず書房 | 2010年9月24日 | 9784622075554 |
☆ Extract passages ☆
書を「心術」とみる魯山人の眼にかなう書、あるいはかなわない書など、さまざまな例を挙げている。敬服するのは良寛だと言う。「良寛の書こそうまい字であって、美しい字だ、好い字だといえます」と。ところが、技巧の段階で決着している書への批判がもっとも厳しい。形ばかりを競うのではなく、「内容のいい字を書く心掛けが一番必要だ」と。古人をたずねて「下手を屈託しないほどの見識ある人間に限って、いつも能書を遣している」とも言う。
魯山人の「もの」を見抜く鋭い感覚(神経)は、他者を寄せつけないところがあった。箱書きをするときにも中身がなければ書けないと言った。
(酒井忠康著 『鞄に入れた本の話し』より)
No.565 『井上ひさし 希望としての笑い』
井上ひさしが2010年4月9日に亡くなられたと聞いて、びっくりしました。もちろん、がんを患い闘病生活をしているとは聞いていましたが、なぜかあのこまつ座の演劇を見る限り、それすらも劇中劇のような気がしていました。つまり、ある意味、亡くなることはないという気持ちでいましたから、まさに唐突という気持ちです。
今、あらためてこの本の略年譜をみると、その活躍はすごいもので、ご本人はまだまだやりたいことはあったでしょうが、いちおうのピリオドだったように思います。
それにしても、川西町のフレンドリープラザでのこまつ座公演には、ある程度むりをしてでも観に行きました。同じ演題を何度か見たこともありますし、同じ演題でも役者が変わると違うということも味わいました。さらに、遅筆堂の由来通り、台本が間に合わずに公演が延期されたこともあり、思い出すと、ほんとうにいろいろとありました。
今、この本を読みながら、たしかに井上ひさしの演劇には、笑いは絶対に欠かすことはできないと思いながらも、その笑いにはいろいろな要素が含まれていると合点がいきました。それらをひっくるめて、「希望としての笑い」って、なるほどと思いました。
遅筆堂も有名ですが、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに」と言っていたそうですが、その逆もありそうだと思います。たとえば、大まじめなことを笑い飛ばしたり、やさしいことをできるだけ小難しくだったり、です。そられも含めて、井上ひさしワールドには、なんでもありの世界だとあらためて思います。
もう少し時間をおいてから、あらためて井上ひさしの著書を手にとってゆっくり読んでみたいと思います。でも、その全著書だと相当な冊数がありますから、一部は図書館から借りてもいいかな、などと考えています。
もう、今日で2月も終わりです。
なんか、2月は、時間を少し損をしたような気がしました。
(2011.02.28)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
井上ひさし 希望としての笑い(角川SSC新書) | 高橋敏夫 | 角川SSコミュニケーションズ | 2010年9月25日 | 9784047315273 |
☆ Extract passages ☆
笑いは、そのまま肯定的な状態につながるわけではない。肯定的状態がすぐそばに見わたせる場所に人を連れだすのでもない。
しかし、笑いは、さびしさ、悲しさ、孤独、逃避、苦しさ、死への傾斜など否定的な状態に、一瞬、休止符をうつ。そのような重苦しい否定的状態をいきどまりにせず、そこからわずかに人を離れさせる。「それが ひとをすくう」。
そこに、わずかとはいえ人の自由がうまれ、肯定的状態をいくつかひきよせることもできるだろう。あるいは、否定的状態をよぎなくさせる生活と社会にいっそう深く降りたち、それを変更していくことも可能になるかもしれない。
そんな可能性すなわち希望を、笑いは絶望のさなかに、点灯させる。はるかかなたに点灯させるのではなく、いまとここで点灯させる。だとすれば、笑いは希望につながるというより、笑いはすでに希望のあらわれではないか。
希望につながる笑い、「希望としての笑い」。あるいは、「大きな希望につながる小さな希望としての笑い」である。
笑いを満載した喜劇は、小さな希望の満載された劇であり、大きな希望につながる劇である。
(高橋敏夫著 『井上ひさし 希望としての笑い』より)
No.564 『仏陀 南伝の旅』
スリランカに行きませんか、と誘われたことがきっかけで、スリランカをはじめとする南伝仏教に興味を持ちました。実はそれだけでなく、数年前にインドの祇園精舎跡を訪ねて行き、道に迷ったときに泊めてもらったのがスリランカ寺院で、このときにはとても親切にしていただきました。今でも覚えているのですが、小さなバナナを夕食のデザートに出してくだされ、「これは私たちの国のように小さなバナナですが、とてもおいしいですよ」と話されました。本当においしかったです。
そういえば、初めてブッタガヤーに行ったときも、スリランカの尼さんが一心にお釈迦さまが悟りを開かれた菩提樹の下で祈っていたのが印象的でした。これらの姿を見ると、上座部も大乗もなく、すべての仏教はお釈迦さまにつながると思うのですが、なかなかそうは割り切れないところもあるようです。それを知りたくて、読み始めたようなものです。
それと、初めて知ったのですが、第二次世界大戦終結のためのサンフランシスコ平和条約で、台湾の蒋介石政府が日本に対する賠償請求権を放棄したことは有名な話しですが、当時のセイロン代表で大蔵大臣、後に大統領となったジャヤワルデネ氏(J.RJayawardene)が平和条約締結調印の会議で集まった51カ国の人々を前に、仏陀の言葉を紹介し日本への賠償請求権を放棄したのだそうです。
そのお釈迦さまの言葉とは、
「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である」(『ブツダの真理のことば 感興のことば』中村元訳)
です。
つまり、スリランカは、日本の恩人でもあり、まさにお釈迦さまの教えが今も息づく仏教国なのです。
そして、この本を読み、さらにスリランカを初めとして、南伝仏教、上座部仏教にとても親近感を持ちました。
もし、機会があれば、大乗仏教だけでなく、これらの南伝、上座部仏教にも関心を持っていただきたいと思います。
(2011.02.24)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
仏陀 南伝の旅(選書メチエ) | 白石凌海 | 講談社 | 2010年12月9日 | 9784062167123 |
☆ Extract passages ☆
成道の地、ブツダ・ガヤーから移植された菩提樹は、島の自然環境にほどよく適応して末枝までもたくましく生い茂っている。大樹には高い白壁の塀が廻らされ、さらに黄金色の鉄柵に保護されている。壁を越えて外に長く突き出た枝葉は、地面から立ち上がった支柱に念入りに支えられる。古来この樹木をいかに大事に扱ってきたことか。樹木の生長とともに添うように育った、人々の心遣いである。自然と人為の調和が美事である。
中国からやって来た求法の僧、法顕は天竺巡礼を終え帰国の途上、この島に立ち寄り、この大樹を記録に残している。法顕は島に西暦410年から42年にかけて2年滞在したから、以下の紹介はその頃の菩提樹の姿である。
「高さがおよそ二〇丈もある。その樹は東南に傾いたので、王は倒れることを恐れ、そこで八、九本の囲い柱で樹を支えた。ところが樹を支えた処に芽が生じ、ついに柱を穿ってしかも下に向かって地に入り、やがて根となり、太さも四尋(ひろ)ばかりになった」(『法顕伝・宋雲行紀』長沢和俊訳)
菩提樹の様子は、法顕の時代と1600年程も時の隔たりがあるにもかかわらず、今日我々が目にする外見と驚くほど似通っている。現在、壁外に長く突き出た大きな枝葉は東南方向に伸び、樹の幹に負担をかけている。樹木が太陽を求める生命活動そのものである。
(白石凌海著 『仏陀 南伝の旅』より)
No.563 『「サラ川」傑作選 ベストテン』
この「サラ川」が好きで、この傑作選シリーズも何冊も読みましたが、とうとうこの20冊目で最終巻だそうです。でも、この傑作選シリーズは終わったとしても、サラリーマン川柳コンクールはそのまま続くらしいから、インターネットででも読むことはできそうです。
そういえば、もともと第一生命が主催で、もう第23回目を数えています。その会社も、相互会社から株式会社になり、会社組織そのものも移行期ですから、また新たな試みがされるかもしれません。この本に収録されたものは、第23回応募作品から優秀作を選んだもので、さらに各年度の作品も掲載されています。
とくにおもしろかったのは、「七〇歳オラの村では青年部 (長老A)」とか、「年の差婚娘ルンルン父ショック (栗ポン)」、「100年に1度の不況が五年毎 (窓際貴族)」、「辞書に無く他人には読めぬ子の名前 (メタボな男)」、「さあやるぞ丸投げ棚上げ先送り (七色とうがらし)」などは、やはり時代を強く意識した川柳ならではのものだと思いました。
まさに、読めば読むほど味のある川柳が次々と載っていて、一人で笑ってしまうような本です。
テレビを見て笑うよりは、もっともっとおかしみのある本です。ぜひ、どうぞ。
(2011.02.20)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
「サラ川」傑作選 ベストテン | 山藤章二、尾藤三柳、第一生命選 | 講談社 | 2010年12月6日 | 9784062167123 |
☆ Extract passages ☆
第一期がはじまったのが、バブル末期のざわめきが残っていた頃です。あの時代から世の中、随分いろいろなことが変わりました。社会も、経済も、人情も変わりました。首相も何人も替わりました。その時
代時代をうつして、サラリーマン川柳も変わってゆきました。
それにしても20年のあいだに、何万人(あるいは何十万人)もの投稿者の底知れぬパワーが、これだけの″一大文化″をつくり上げていったのです。これだけの全国民的知的遊戯が大きく広がっていったのはすごいことです。″定型詩を遊ぶ″という知的ゲームに国民ぜんたいが参加するという例は、おそらく世界中で日本だけでしょう。大袈裟でなく世界に誇っていい国民文化です。
(山藤章二、尾藤三柳、第一生命選 『「サラ川」傑作選 ベストテン』より)
No.562 『パタゴニアを行く』
副題が「世界でもっとも美しい台地」とあり、カラー版ということで、とてもきれいな写真がたくさん掲載されています。
著者はカメラマンで、しかも辺境や秘境などのツアーガイドもしているそうで、写真だけでなく、そのポイントにいたる道筋もしっかり掲載されています。行く、行かない、あるいは行けない方でも、行こうと思えば行けるように書いています。こう具体的に書かれると、やはり行ってみたいと思うのが人情です。
この本を読んで、このパタゴニアというところに行ってみたくなりました。
このパタゴニアというところは、数枚の写真を見たことがあるという程度の記憶しかありませんでしたが、新書版とはいいながらもたくさんの写真があると、とてもわかりやすく、地図と照らし合わせながら読むと、さらに具体的にわかります。たしかにアウトドアの世界では以前から取り上げられてきましたが、南アメリカの最南端とか、マゼラン海峡の近くだとか、あと1,000Kmで南極大陸だとかという印象のほうが私には強く感じました。
そこに2007年からログキャビンを借りて移り住み、これらの写真を撮っているわけですから、絶対に旅行者では撮れない風景もあります。それらが、惜しげもなく掲載されているわけですから、見ていても読んでいても楽しいわけです。
たとえば、フィッツロイ山がトレス湖の水面に完璧に反射する光景を撮りたいと思い、12回ほど通ったそうだが、その13回目にそのチャンスが巡ってきました。そのときのことを、「祈るような気持ちで湖面を凝視していると、波のひとつひとつが湖の底へ引っ張られるような波紋を描き、やがて鏡のように凪ぎはじめた。朝焼けに染まったフィッツロイがトレス湖に完壁に映り込んだ瞬間だった。かじかんでいるのか、緊張しているのか、指の震えが止まらない。感謝を捧げるように、僕はシャッターを押し込んだ。いつか、自分が一生を終えるとき、僕はきっとフィッツロイの姿を思い出すだろう。深紅に染まり、完壁に湖に映り込んだこの神々しい姿を。」と書いています。
そういえば、回数はそれほどでもないのですが、シャクナゲの木の間にダウラギリが見えるところを探し、花が咲かなかったり山が見えなかったりしてなかなか撮れず、あるときこれが撮れたときは同じようにシャッターを押す指に力が入ったことを思い出します。だから、このような感激がヒシヒシと伝わってくるのです。
下に、純粋なヤーガン族の二人のうちの姉のウルスラさんの言葉を抜き書きしました。でも、2003年にこの方が亡くなり、今ではクリスティーナ(72歳)ただ一人になってしまったそうです。このなんともすっきりした言葉に、モンゴロイドの生き方みたいなものを感じました。
(2011.02.17)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
パタゴニアを行く(中公新書カラー版) | 野村哲也 | 中央公論新社 | 2011年1月25日 | 9784121020925 |
☆ Extract passages ☆
屈託なく話す彼女のおしゃべりを楽しく聞きながら、こんな最果ての地に住むウルスラに、僕は、ひとつの質問を投げかけてみたくなった。
「嫌いな入っていますか?」
ウルスラの瞳は急に強くなり、即答した。
「貯める人よ」
「何を?」
「何でも。食料を貯める人、愛情、勇気、お金、自分のためだけに貯める人を私は軽蔑する」
「なぜ? お金って貯めなきゃ貯まらないでしょ? 愛情だって、貯めなければ寂しくなるでしょ?」
「違う。血が体内を絶えず流れるように、すべてのものは止めちゃいけない。愛情もお金ももらったらどんどん外へ流す。絶えず流せば、より大きなものがまた別のところから流れ込んでくる。地球が回るように、すべてのものは流転しているのよ」
(野村哲也著 『パタゴニアを行く』より)
No.561 『禅の名言100』
禅語というと、なにがなんだかわからないところがおもしろくて、逆に言えば勝手にいかようにも解釈できるところがよくて、何冊か読んでいます。それらを読んでみても、ありふれた解釈をする方もいれば、そういう深読みもあるか、と思わずうなってしまうような方もおられ、だからこそ何冊も読んでしまうのかもしれません。
とくに、お茶を趣味にしていると、お茶事に招待されれば、必ず床に掛け軸がかけられ、さらには待合にも掛けられたりします。その墨跡のほとんどは禅語かそれに類するものが多く、ある程度の知識が必要です。だから、お茶関係の出版社である淡交社や河原書房などの出版目録には、これら禅語の解説本が多くあります。
今年の初釜でも、床には「松無古今色」という禅語の軸が掛けられていましたが、この語句の後ろにさらに「竹有上下節」と対になっています。これなどは、あまり解釈がなくてもそれなりに理解できますが、たとえば、この本の中に出てくる「万事休す」は、どうしてもこれで万策がつきてしまったかのような印象を持ちます。しかし、禅語の解釈はそれとは違い、『「休息万事」−万事を休息する。それは、自分のまわりにある細々としたことを、すべてやめてみる、いったん何もなかったことにする、というのが本来の意味だという。・・・・・・あらゆる煩雑なものへの執着や環境をいったんどこかで断ち切ってみる。そうすれば、物事にとらわれない、惑わされない本来の自己が見えてくるはずだ。』という趣旨の語句だそうです。そう考えれば、まったく反対の意味になってしまいます。
あるいは、「眼横鼻直」(げんのうびちょく)なども、この字句を見ただけではなんのことか推し量ることすらできませんが、解説には「人間の顔というのはほぼ例外なく、眼は横にならんでつき、鼻は縦についている。つまり、仏法とはなにも奇をてらったものではない。あたりまえのことがあたりまえのようにそこにある、ということである。」という意味で、なるほどと感心するよりは、あまりにも当たり前過ぎて、つい笑ってしまうほどです。でも、たしかにそのあるがままの世界こそがすべてなんでしょう。
また、「日日是好日」(にちにちこれこうにち)もよく聞く禅語ですが、あくまでもプラス思考がよいという意味の言葉ではないようです。もし興味がありましたら、下の抜き書きを読んでいただき、さらに興味を持たれましたら、この本を読んでみてください。
(2011.02.13)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
禅の名言100(学研新書) | 綾瀬凜太郎 | 学研パプリッシング | 2010年10月5日 | 9784054047389 |
☆ Extract passages ☆
幸福も不幸も自分がそうだと思っているだけで、そもそも人間にとって何がよいことで何が悪いことなのかも、つきつめて考えると明確ではない。つまり、悲しむようなことはないのだ、と。・・・・・・だが、ほんとうにそれでいいのか?
たとえば、親しい友や自分の子どもが亡くなって、それでも笑えるか。もしそこで笑える人間がいたら、どこかが壊れている。嘘がある。そんなものは偽物の感情だ。
雲門文偃(うんもんぶんえん)が、修行僧に向かってこうたずねた。「昨日までのことは問わない、これからのことをひと言でいってみよ」
難問である。だれも答えないでいると、雲門みずから「日日是好日なり」と答えた。毎日毎日がとてもよい日だ、というのだ。・・・・・・この「日日是好日」という言葉は、ただ目の前のことを淡々と受け入れればそれでいいというような消極的な姿勢などを求めてはいない。
(綾瀬凜太郎著 『禅の名言100』より)
No.560 『希望のつくり方』
希望という言葉を聞くと、なんとなく小学生の時の作文を思い出します。作文集そのものの題名が「希望」というのがありましたし、それを題材にして作文を書くこともありました。しかし、そのときに書いた希望通りに今なっているというのは、あまりないのではないかと思います。それはあくまで希望ですし、子どものときですら、希望と現実には大きな隔たりがあると感じていました。
ところが、今時の子どもたちは、この情報化社会のなかで、いくらでも簡単に情報が手に入るので、夢や希望がもてないのだそうです。さらにそれぞれの価値観も違い、一つになかなか絞れきれなくて、どっちみち希望なんて何も知らないから描けるのであって、現実を見ればまさに絵に描いた餅です、とまったく夢も希望もないことを淡々と話す子どもすらいます。それでは、身も蓋もありません。
ところが、最近の経済不況下にあっては、大人だって希望という言葉を冷ややかに見ている節があります。だからこそ、このような『希望のつくり方』という題名に惹かれるのかもしれません。
この本では、希望がなかなか見つからないときには、そのヒントとして、『希望は「気持ち」「何か」「実現」「行動」の4本の柱から成り立っている。希望がみつからないとき、4本の柱のうち、どれが欠けているのかを探す』ことをすすめています。
さらに、個人の希望ではなく、社会の希望を考えるときには、この4つの他に、いっしょにやる「他者」も考慮に入れる必要があるといいます。
たしかに、この世の中は、だれかを幸せにしようとすれば、ときとして他のだれかにそのしわ寄せがいくことが往々にしてあります。たとえば、高齢者の方々の福祉を充実させようとすれば、だれかがその負担をしなければならず、それを若い人にその負担を求めるか、あるいは税の負担、たとえば消費税などによってみんなで負担するかということになります。年金だって、多く払おうとすれば、その差額を負担しなければならない人たちが必ずいるわけです。
でも、この希望というのは、三度三度の食事のように必ず必要なものかといわれれば、そうでもないような気がするし、でもないとちょっと寂しいような気もします。
この本では、希望というのを遊びと対比させて、「遊びとは、まえもって単一の価値や意味を決めておくことをあえてせずに、余裕を持って大切に残された部分です。遊びそれ自体は無駄に思えるかもしれませんが、遊びがあってはじめて偶発的な出会いや発見が生まれます。遊びのある社会こそ、創造性は生まれますし、希望もつくりだせるのです。」と行っていますし、さらに希望とユーモアとを例に出して、「 希望を持ちにくい社会とは、本当は多くがユーモアを失いつつある社会なのかもしれません。ユーモアがあるとは、人を笑わせるのが得意だということばかりではありません。他者の痛みに対する共感と想像力を持ち、いっけん無駄にみえるものでもすぐに切り捨てたりせず、自分の過去の失敗なども潔く語れるところに、ユーモアは生まれます。苦しい状況でも、そんなユーモアを忘れないところに、希望も生まれるのです。」といいます。
やはり、希望は大事なもので、なんとか希望のもてる人や社会にしていかなければならないと思います。
(2011.02.09)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
希望のつくり方(岩波新書) | 玄田有史 | 岩波書店 | 2010年10月20日 | 9784120041716 |
☆ Extract passages ☆
希望学で行った複数のアンケートやインタビュー調査に共通して、挫折を経験し、なんとかくぐり抜けてきた人ほど希望を持っているようだという傾向は、たびたび表れました。ただ、挫折とは何かというのは、むずかしい問題です。過去の挫折経験を語れる人ほど、未来のなかの希望を語ることができるようだ、というのがより適切な表現のようです。
挫折を語ることと、過去の失敗の経験とは、似ているようでちがいます。過去の失敗は事実ですが、挫折を語れるということは、過去の失敗を自分のものとしてとらえなおし、現在の自分の言葉で表現できることを意味しています。同じように希望を語ることも、未来の成功とはちがいます。希望は、未来の成功に向かっていくことを指し示す、現在の自分の言葉なのです。
挫折と希望は、過去と未来という時間軸上は、正反対に位置するものです。しかしそれらはともに、現在と言葉を通じてつながっています。
(玄田有史著 『希望のつくり方』より)
No.559 『ショパン、私の恋人』
今の時期は節分まで星祭りの準備をしなければならず、なかなか本も読めません。それで見るというか、サーッと読めるような気がしてこの本を見つけました。
ところが、この本を読んでいると、なんだかショパンの曲が聞きたくなってしまいました。すぐにCDを探すと、フジ子・ヘミングの「Ingrit Fuzjko Hemming」や「ショパン・リサイタル Fuzjko Hemming」「フジ子・ヘミングの奇蹟〜リスト&ショパン名曲集〜」、そして辻井伸行の「debut」、ホロビッツの「Vladimir Horowitz Chopin Favorites Vladimir Horowitz」、さらには何度も聞いた仲道郁代の「私のショパン」など、いろいろとありました。
しかも、部屋を新しくしたときに、コンポも新しくしたので、ついつい今まで聴いてきたのと比べてしまいます。すると、時間なんて、アッという間に過ぎ去り、なんのために軽い読み物にしたのかわからなくなってしまいました。
この本は、BS日テレ開局10周年特別番組で取り上げたものを書籍化したもので、いわば映画のパンフレット(映画上映中に劇場で売ってる小冊子)みたいでした。実際の放送は、2010年10月24日(日)の19時から20時54分までで、案内人はNHKの連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』で、漫画家水木しげるを支える女房、布美枝を演じた松下奈緒さん。
ご自身も実際にショパンが弾いた1845年製のプレイエル社のピアノを弾く機会があり、とても感動していましたが、3歳からピアノを習い始めたそうです。
この旅を終えて、気付いたことは、「(布美枝とは)全然違うタイプですからね、サンドは。でも、どちらも愛する人のために何かをしてあげられる強さを持っていると思います。ちゃんとク自分″というものを持ってるんですよね。それを持ってるからこそ、人のために生きられるんだなって。そう考えると、ずっと昔から恋愛というものは、モノを作り出すことの大きな動機ともなりますから、ショパンとサンドがより身近に感じられるようになりました。」と語っています。
そういえば、この本の副題は、「不滅の名曲が生まれた、愛の逃避行の旅を辿る」です。
私的には、この本の最初に書かれていた「旅することよりもむしろ、旅立つことが必要だ」(ジョルジュ・サンド「マヨルカの冬」より)というフレーズが、とても印象に残りました。
(2011.02.05)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
ショパン、私の恋人 | 高野聖一編 | 角川グループパプリッシング | 2010年10月23日 | 9784048954020 |
☆ Extract passages ☆
ショパンの曲への向き合い方が変わりました。うまく弾こうとか、そういうことでもないような気がするんです。並んでる音符だけを見るんじゃなくて、そこに何が隠されてるのかを意識するようになりました。今回の旅を経験して、一番大きく変わったのはそこだと思います。曲のひとつひとつにストーリーがあって、それをショパンも実際に弾いていたんだと思うと、曲に対する思い入れもさらに深くなります。それは自筆の楽譜を見た影響も大きいですね。拍子記号とか細かい書き込みがたくさんあって、現在売られてる楽譜にコレって書かれてたかな?つていう指示もありましたから、作品のことももっと知りたいと思うようになりました。ショパンの作品の中で一番好きな曲ですか? それを考えたりすることもあるんですけど、どうしても選べないんですよ。今回の旅でも、出会った人に訊いてみたりしたんですけど、やっぱりみんな『選べない』って言うんです。ひとつに絞れません。
(高野聖一編 『ショパン、私の恋人』より)
No.558 『ヒマラヤのドン・キホーテ』
この本のカバー写真が、ホテル・エベレスト・ビューの全景で、いつかは泊まってみたいホテルの一つでした。副題も「ネパール人になった日本人・宮原巍の挑戦」で、この両方とも興味を引いたのです。立ち読みすると、このホテル・エベレスト・ビューを建てたのが宮原巍(たかし)で、そういえば、ネパールで聞いたことがあるようです。
読み始めると、宮原さんが初めてネパールに行った当時のことや今の政治情勢まで、年表を見るより具体的にわかりやすく書かれてありました。宮原さんという一個人を通してネパールを考えることもとてもおもしろいと思いました。
日本人がネパールの山に登るということの困難な時代のことは今ではなかなか知ることもできず、今のトレッキング全盛の土台をつくられたことなど、1962年に登山でポカラを訪れ、その帰途でネパールに住むことを決意したそうですが、まさに歴史の生き証人のようです。現在、日本がネパールに対する援助額が一番多いそうですが、この援助にもいろいろ問題があり、ただすればよいというものでもなさそうです。下に引用させてもらった箇所がありますから、ぜひお読みください。
私が初めてネパールを訪ねたのは2000年でしたが、そのとき初めて「マオイスト」という言葉を聞き、そのマオイストによるネパールバンダ(強制ゼネスト)で旅行日程が変更されたこともあり、東ネパールではマオイストが歩いているのを見たこともあります。それが今ではネパール第一党の政党になり、第二党のネパール会議派を大きく離しています。それでもマオイスト党首のプラチャンダ氏は首相になれず、首相選挙を何回もくり返しています。やはり、当選規定や法律などが違うから一概には言えないでしょうが、なかなか政党間の調整が難しいようです。
宮原さんは現在76歳だそうですが、若くみえるのは志を高くもってそれに向かって精一杯生きているからだと著者はいいます。たしかにそうで、生きる希望とか目的とか、明確な志がないと顔つきがヤワヤワになってしまいます。
あとがきに書かれていましたが、この本の印税も宮原さんの「ネパール国土開発党」の選挙資金に充当するということでした。まさに、外国人の目でネパールで長く生きていると、いろいろと見えてくる物があるに違いありません。このままでは、初めてネパールに来たときのようなネパールではなくなる、というやむにやまれぬ思いが感じられる本でした。
もし、ネパールやヒマラヤに興味がありましたら、ぜひお読みいただきたいと思います。
(2011.01.30)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
ヒマラヤのドン・キホーテ | 根深 誠 | 中央公論新社 | 2010年11月10日 | 9784120041716 |
☆ Extract passages ☆
人間にとって大事なことは、しばしば目に見えないところにある。遠い将来のことを考えれば、いや、それほど遠い将来でなくとも援助の弊害が相手国の発展を歪めてしまう、ということはあり得る。国家
であれ地域であれ、真の発展は自立している分だけでしか量れない。援助で発展した部分は、そのじっ虚構でしかない。これが長年ネパールに住んだ宮原の実感である。
宮原は援助で外面を塗り立てたり、外部から抑えるようなことをしていでも何の解決にもならないと思っている。その病巣を突き止め改めない限りは、真の発展はありえない。そして援助はこの大切なことを、むしろ阻害しているのではないかと指摘する。援助も慈善も、否定することは難しい。しかし、否定しなければならない時もあるのではないかという。
(根深 誠著 『ヒマラヤのドン・キホーテ』より)
No.557 『品格の原点』
今、まさに人や国家の品格を問うような本が次々と出版されていますが、やはり道徳という言葉さえも失われつつあることが問題で、だからこそ品格などという些かとらえどころのない文字がもてはやされるのかもしれません。では、品格とはなにか、といわれれば、私も即答はできませんし、戸惑う方も多いのではないでしょうか。
そこで、ついついこの『品格の原点』を手に取ったのです、でも、残念ながら、著者の名前はわからず、本の最後のところに「文政11(1828)年、江戸で生まれる。明治を代表する教育家、思想家、明六社の一員」というプロフィールがあり、なんとなく明治時代に活躍した方なんだろうな、という漠然とした印象を持ちました。
でも、読んでみると、その論点はすっきりとしていて、さらに推論の仕方は巧みで、まさに何度も何度も読み返しながら熟読しました。だから、1月18日に読み始めたのに、1週間ほどもかかったのです。でも、このような読み応えのある本に出会えて、今年は正月からとてもいい気分でした。
たとえば、「たとえ一定の主義がなくても、道徳の教えが国中で盛んである場合には、なおよく国を維持することも可能であるが、一定の主義がない場合には、人々の道徳を尊重する心も稀薄になり、もはや道徳を尊重しなくなれば、たとえ道徳を実践しても人々は誉めることもなく、逆に、それに背いても賤しめることもない。こうなれば、じきに道徳は地に墜ちるであろう。そして、道徳が地に墜ちるとき、国が危急存亡の秋(とき)を迎えるのは火を見るより明らかである。」とあり、まさに今の時代とダフっているかのようです。
そもそも、この本の底本は『日本道徳論』で、明治20(1887)年2月、私家版として発行者・西村金治によって出版されたそうです。これは多くの方々に指示されたそうですが、本人は一般書籍として出版することをいやがっていたそうですが、明治21(1888)年3月に井上圓成によって訂正二版が発行され、さらに明治25年1月に哲学書院から訂正三版を出版していて、今回の現代語訳は、初版を底本としながらも訂正二版や訂正三版も参照しているそうです。
たしかに、時代的な制約もあり、いささか問題のある箇所もあるにはあるのですが、それ以上に道徳とは何か、品格とは何か、をしっかりと捉えています。
今の、このような時代だからこそ、ぜひお勧めしたい1冊です。
(2011.01.25)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
品格の原点(小学館新書) | 西村茂樹著、尾田幸雄 現代語訳 | 小学館 | 2010年10月6日 | 9784098250929 |
☆ Extract passages ☆
譬えていえば、道徳は堅固な基礎のようなものである。その上に宮殿も建つし、神社仏閣、気象台、灯台も建つであろう。また道徳は良質な土地のようなものである。その上に五穀も実り、樹木も成長するであろう。それゆえ道徳学は、どのような学術を修める者にも、いかなる職業に就く者にも、少しも本業の妨げになることはない。ただ支障をきたさないだけでなく、どんな学術や職業も、道徳を根拠として従事するなら、みな安全堅固となり、同時にその職業や学術の品位品格を高めることができるであろう。
(西村茂樹著、尾田幸雄 現代語訳 『品格の原点』より)
No.556 『100歳までボケない101の方法』
副題は「脳とこころのアンチエイジング」とあり、最近は脳科学に興味があるので、読み始めました。すると、ボケないというよりは、いかに健康で楽しい人生を生きるかということが書かれており、ついついいつの間にか読み終わりました。
たとえば、今は真冬なので無理ですが、春になればおいしい山菜が近くの山でたくさん採れます。そのほとんどは新芽をたべるのですが、「新芽に共通しているのは、植物にとってもっとも大切な時期である発芽に当たって必要な栄養素がたっぷり含まれている」といいます。そういわれれば、まったくその通りで、この新芽には強い抗がん作用のあるスルフォラファン(イソチオシアネート)が豊富に含まれてもいるそうです。おいしいものを食べて、健康であれば、なおさらいいことです。
この本は、「何を、どう食べるか?」などの食事編と、「日常生活の一工夫で脳と心が活性化します」という習慣編、さらには「超簡単!アンチエイジング・トレーニング入門」の運動編の三部構成です。
それほど難しくはありませんので、すらすらと読めますし、このなかの一つでも気に入ったものがあれば、ぜひ実践してもらいたいものです。知識はあくまでも知っているということだけで、健康やボケないことには結びつきません。それらを実践することによって、その効果が現れ、100歳までボケないで生きられるかもしれないのです。
もし100歳まで生きられるとすれば、なるべくならボケたくはありません。よく忘れ物をするのですが、それを探そうとするうちはまだボケていないそうです。ボケが進むと、探しものがあっても探さなくなるそうです。つまり、探しものをしているうちは、まだ大丈夫ということになります。
また、肥満がなぜ身体にとって悪いのかも書いていますから、ダイエットやカロリー制限をしたいと思っている人もぜひお読みください。下に抜き書きした文章も、参考になればと思います。
(2011.01.18)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
100歳までボケない101の方法(文春新書) | 白澤 卓 | 文藝春秋 | 2010年9月20日 | 9784166607693 |
☆ Extract passages ☆
肥満は、健康長寿の大敵です。肥満を防ぐダイエット、医学的にはカロリー制限といいますが、これがいかに重要かというデータがあります。2009年に、次のような発表がありました。アメリカのウィスコンシン大学のものです。
ヒトに近いアカゲザルという種類のサルを使った実験です。アカゲザルを1989年から20年にわたり観察し続けた結果です。
まず、アカゲザルを無作為に選んで、ふたつのグループに分けました。ひとつは、通常与えているエサを70%にカット、もうひとつは通常のエサの量です。
1989年当時、70%のエサ群のアカゲザルは雄15匹、通常のエサ群が15匹。これもすべて雄。94年にさらにアカゲザルを追加し、70%群に雄15匹、通常群に雄15匹、70%群に雌8匹、通常群に雌8匹を加え、合計76匹のアカゲザルが対象になりました。
生存率でいうと、70%エサ群のアカゲザルは38匹中5匹しか死んでいません。通常エサ群のほうは38匹中14匹も死んでいます。病気でいうと、70%エサ群では糖尿病になったアカゲサルは一匹もいませんでしたが、通常群では5匹が糖尿病になり、11匹に糖尿病の前兆(糖の代謝がうまくいかなくなっている)が現れました。がんは、70%群で4匹、通常群で8匹、心臓病は70%群で2匹、通常群で4匹、脳の萎縮に関しても、70%群のほうがぐんと少ないことがわかりました。
エサの量を70%にするだけで、死亡率が低く、病気にもなりにくいことがわかったのです。
(白澤 卓 著 『100歳までボケない101の方法』より)
No.555 『傷を愛せるか』
『傷を愛せるか』という題名に興味を持ち、読み始めました。だから、著者も出版社もなにもかも、まったく関係なく選びました。著者はこの本の紹介にありましたが、一橋大大学院社会学研究科地球社会研究専攻の教授で精神科医師だそうです。専門は、文化精神医学、医療人類学、ジェンダーとセクシュアリティで、多くの著書があります。
まあ、経歴よりも、なぜ『傷を愛せるか 』という題名なのかですが、この本の最後の第V章『傷のある風景』の「傷を愛せるか」というところにあります。ここは、ベトナム戦没者記念碑のことから書き起こし、天童荒太作『包帯クラブ』(ちくまプリマー新書)のことや、ベトナム帰還兵たちが傷とともに長いその後を生き続けるさまを描いた『アメリカの森 レニーとの約束』という映画の話などを題材に話しを進めます。
そして、最後に「傷がそこにあることを認め、受け入れ、傷のまわりをそつとなぞること。身体全体をいたわること。ひきつれや瘢痕を抱え、包むこと。さらなる傷を負わないよう、手当てをし、好奇の目からは隠し、それでも恥じないこと。傷とともにその後を生きつづけること。
傷を愛せないわたしを、あなたを、愛してみたい。
傷を愛せないあなたを、わたしを、愛してみたい。」
という言葉でこの本を締めくくります。ここには当然のことながら心の傷もあり、傷は痛いし、さらにさわられると、もっと痛いというのが現実です。
だからこそ、「傷を愛することはむずかしい。傷は醜い。傷はみじめである。直視できなくてもいい。ときには目を背け、見えないふりをしてもいい。隠してもいい。・・・・・・ただ、傷をなかったことには、しないでいたい。」ということが大切なことなのだと思いました。
(2011.01.14)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
傷を愛せるか | 宮地尚子 | 大月書店 | 2010年1月20日 | 9784272420124 |
☆ Extract passages ☆
トラウマを負った被害者が回復し、自立した生活を取り戻していく際に、「エンパワメント」が重要であるということはよく知られている。「エンパワメント」とは、その人が本来もつている力を思い出し、よみがえらせ、発揮することであって、だれかが外から力を与えることではない。けれども忘れていた力を思い出し、自分をもう一度信じてみるためには、周囲の人びととのつながりが欠かせない。
とくにわたしが多くかかわってきたドメスティック・バイオレンス(DV)の被害者は、関係の最も深い他者から、暴力やおとしめによって長期間自分の価値や能力を否定されてきた。そのマインドコントロールの罠と、長いあいだ追いやられてきた孤独の闇から抜け出すには、自分の幸せを祈ってくれる「だれか」がかならず必要である。
(宮地尚子 著 『傷を愛せるか』より)
No.554 『インド旅行記1』
1月4日に急用で上京した際に持って行った一冊で、選んだというよりは「インド」という言葉に惹かれたのかもしれません。
しかも、後からよく見ると、「北インド編」とあり、自分も行ったことがあるところが含まれていて、読んで思い出したところもありました。この本は最初から文庫本のために書き下ろされたものだそうで、400字詰め原稿用紙で351枚あるそうです。
そういえば、著者の中谷美紀は1976年(昭和51年)生まれの女優さんですが、私はあまりテレビなどを見ないので、詳しくはわかりません。この本のなかには「嫌われ松子の一生(2006年5月27日、東宝)」で川尻松子 役として出ていたことが書かれてあり、ネットで調べてみると、このときに日本アカデミー賞主演女優賞を受賞したそうです。でも、この本は、女優さんが書いたから読んでみたというのではなく、あくまでも「インド」という言葉に惹かれたことは間違いありません。それでも、「映画の撮影現場で、与えられた役柄の感情をカメラに向かって表現していた日々から、旅先で、自らの感情を日記に綴る日々へと変化し、映画よりもドラマチックな毎日を文章にすることで、己の立ち位置を確認しながら過ごしていたような気がする。 」という文章を読むと、やはり女優さんだから書けたのではないかと思うところも多々ありました。
たとえば、女優というか、女性だからなのか、インドとの接し方も私とはいささか違うようです。たとえば、ヴァラナスィ(日本流にいえばベナレス)でのことですが、あちこちまわってきてホテルに帰ると「部屋でシャワーを浴びるとともに、履いていたサンダルを脱ぎ、石鹸でよく洗った。大袈裟なようだが仕上げに手足を消毒し、サンダルも同じようにした。爪は短すぎるくらいに切り揃え、いかなる菌も留まる隙がないように対策をとった。」といいます。私の場合はそこまで神経質には考えず、成り行きにまかせていたようです。でも、下に抜き書きしたような印象はあり、インドってすごいな、と思いましたが、それも最初に訪れたときだけで、その後はあまり違和感を感じなくなりました。
では、なぜインドなのか、というと、著者は、『本場でヨガを体験してみたいというのが、脱力状態だった当時に残った一経の望みであり、「嫌われ松子の一生」で、ひとりの女性の流転の人生を演じたことなんて簡単に忘れてしまうくらい強烈な場所に行かなければならないとも思いつつ、更には他人に運命を定められることにうんざりしていたもので、まるで自ら運命を選び取ったかのような錯覚を抱いてインドを目指したのである。』と書いています。
よく、このようにインドのヨガとか瞑想とかにあこがれる方もいますが、インドの友人に聞いたときも、この本に書かれているような「それは、揺るがない心の平穏であり、自らを含む全てから自由になることであり、真我を見出すことであり、宇宙の絶対的な力との融和である」といい、それが瞑想の果てにあるものだといいます。
この本を読みながら、また、インドに行きたいと思いました。
(2011.01.10)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
インド旅行記1(幻冬舎文庫) | 中谷美紀 | 幻冬舎 | 2006年8月5日 | 9784344408333 |
☆ Extract passages ☆
街へ出れば、クラクションを鳴らしっぱなしで対向車線を走る、走る! 追い越した車の数は50台くらいだろうか?中には石ころを積んだトラックや牛を積んだトラックがあり、万が一接触したら、フロントガラスを割って石や牛が飛び込んでくるんじゃないかと心配になった。側道を行く自転車もこちらの運転手さんも、互いにスピードを緩めもしなければ軌道も変えないので、すれすれ10センチで通り過ぎることなんてしょっちゅうだった!
ヒマラヤの静けさに比べて街には所狭しと店やバラックが並び、路上生活者が溢れる市民の暮らしぶりがあった。50メートルくらいの間に20軒くらいの食堂があり、みんな一様に店先に鍋を並べていたのだけれど、あれで商売が成り立っているのだろうか?と要らぬ心配までして疲れてしまった。
インドに来てヴァラナスィへ初めて行ったときよりも、今日のほうが、人々の日常生活がショッキングに見える。
(中谷美紀 著 『インド旅行記1』より)
No.553 『気の言葉』
新しい年を迎え、お正月はなかなか集中して本を読むことはできないので、軽く読めるようにとこの本を選びました。
副題は「宇宙のエネルギーはバラの香りがする」とあり、いささか本当かな、という疑問も持ちました。本の中では、「私は気功の治療をしているとき、患者さんにバラの花をイメージしてもらうことがあります。すると、患者さんは実際にバラの香りを感じます。これは気の力で心が集中し、超常的な感覚が生じているせいです。」とありました。
たしかに、そのようなことはありそうですし、もともとバラの香りだけでなく、精神を集中し強くあることをイメージすると香りだけでなく、ある種の音まで感じることがあります。だから、ヨーガの経典には、「集中の訓練をしていると、ある時点で超常的な感覚が生じ、その超常的な感覚に集中すると、心を不動にできる」とされているのかもしれません。
この本を読みながら、まだ松の内だし、今年はできるとかできないということを考えずに、できるイメージだけを強く思えば、なんでもできそうではないかと思いました。
そして、この本を読み進めるうちに、いかにもお正月に読んでよかったと思うカ所がいくつもありました。それらを抜き書きしながら、今年は何冊ぐらい本を読めるかな、と考えました。
下にそのような思いで抜き書きした一つを「Extract passages」に載せましたので、興味のある方はお読みください。
では、今年もよろしくお願いいたします。
(2011.01.07)
書名 | 著者 | 発行所 | 発行日 | ISBN |
気の言葉 | 望月 勇 | 講談社 | 2010年6月22日 | 9784062162784 |
☆ Extract passages ☆
絶望とは、本質的な自分に生まれ変わるチャンスであり、覚醒への前兆なのです。絶望しているときこそ、きちんとした方法で瞑想を行えば、「本当の自己」(真我)を知り、常に落ち着いた心で生きるきっかけをつかむことができます。
瞑想とは、決して自分を理想に近づけたり、立派な修行者になるために行うものではありません。あくまでも自分と正面から向き合い、「本当の自己」を知るために行うものなのです。
この「自分と向き合う瞑想」には、ちょっとしたことですが、大切なコツがあります。
「ただ吐く息に、心を留める」ということです。吐く息に自分の心を留めると、心を雑念から「今」に戻すことができます。
(望月 勇 著 『気の言葉』より)
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